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アメリカ人のメンタリティ

1 :なぜ?:2000/03/31(金) 07:27
アメリカ社会ってよく"何事もやるなら自分の責任において”って
いいますよね。
でも、どうみても自分の責任なのにすぐ”訴訟”を起こすのもアメリカ
社会です。この相反性はどう解釈すればいいんでしょうか?
アメリカ社会にお詳しい方教えてプリーズ。

2 :あんまり知らんけど:2000/03/31(金) 07:31
アメリカ人は家出人の集まり。
家出人は自分の責任において行動しないと死んでしまう。
一方で簡単に自分の非を認めてもやばい。

こんなところでどうでしょう?

3 ::2000/03/31(金) 07:52
早速、アリガト。アメリカ社会って現実的には階級も階層もある社会
なんでそこらへんも関係してるんぢゃないかとも思ってます。
しかし、アメリカいったことないし、現実感がないのが悲しい。

4 :名無しさん:2000/03/31(金) 07:59
一人のアメリカ人のなかに相反する自己責任と訴訟社会が整合性を
もって混在してるのか。自己責任をとるヒトとヒステリックに訴訟を
起こすヒトがいるのかがわからん。

5 :タコツボ:2000/04/01(土) 04:29
「自分の責任においてやる」ことがなぜ正当化されるか。神と直接対話する内なる良心がそれをしろと命じたからだ。(ピューリタニズム)
神によって正当化されたものが、なにかによって邪魔される、阻止される、妨害を受ける、攻撃を受ける、たとえば欠陥商品という攻撃だったり従業員の不手際なサービスという攻撃だったり、これらは神のよき僕である自分へ対する挑戦、神の与えた試練である。
神によって正当化されている私は、神の正義を公衆の面前で証明しなくてはならない。
それこそが、神に対して自分が負っている責任だ。
よって、訴訟。

神の正義を銃で証明することもある。

6 :>1:2000/04/01(土) 22:42
全然、相反してないよね、自己責任と訴訟。
仕事かなにかでアメリカ人とつきあってみれば?

7 :1>6:2000/04/01(土) 22:49
レスありがとうございます。
アメリカ人とのつきあいがないもので。
日本人の感覚では”相反”するものなのですが。
解説していただけたらうれしいです。

8 ::2000/04/01(土) 22:55
契約に違反したら”訴訟”となるのは当然だとおもいます。
しかし、日本人からみるといきすぎた訴訟もおおくあると思います。
例:ゲームのやりすぎで腱鞘炎を起こしたから、ゲーム機メーカーに
損害賠償請求を起こす。
極端な例かと思いますが、”社会学的理由”がわかりません。

9 :1>5:2000/04/01(土) 23:09
ヴェーバーの一部を極論して「資本主義は金をかせげばかせぐほどいい」
という側面から考えているのですが、現代のアメリカの訴訟社会には
しっくりこないような気がしてます。

10 :>1:2000/04/04(火) 08:42
滞米8年の学生です。素人意見でよろしければ、どうぞ。
このふたつに共通点があるとすれば、
個人主義がキーコンセプトになるのではないでしょうか。
俺は自分のことは自分でするから、俺のことに口を出すと訴えてやるぞと。

ただ、私はそうした直接は関係だろうと思います。
アメリカ人の「責任感」に関しては、
フロンティアスピリットとかそういう歴史的背景、文化的なものだと考えます。
何の証明にもなりませんが、私のアメリカ人の友人の方が
日本の友人より自立志向が高いです。
高校でも早く家から出たいという人間ばかりでしたし、
半分以上が自分で返すという了解の上で、奨学金を借りて大学に来ています。

「訴訟」に関しては、アメリカでは
法曹が社会で大きな役割を果たしているということがあるでしょう。
まず、法と諸権利、特に憲法に対する意識が非常に高いです。
アメリカ人である、というアイデンティティの基本になっていると思います。
7歳の子供でも親に口答えするときに、
This is a free country!くらいは言いますから。
また、日本では官僚主導、政治家領袖の馴れ合いで物事が決まってゆくようですが
(↑ここはちょっと自信なし)、
アメリカはもともと内紛の要素が多いせいか、少なくとも戦後社会においては
中絶や人種差別などの問題において、政治的解決より裁判所の判断が重要なようです。
また政治家も法曹出身が非常に多いです。

11 :続きです。:2000/04/04(火) 08:43
訴訟の横行はこうした背景により、法律による解決が示談より好まれること、
また、弁護士が余り気味で煽りがはげしいからだと思います。
ご存知のように、広告やテレビコマーシャルで
「怪我をされたのですか? ぜひフリーダイアル、1-800-LAWYERSまで。
お代は勝つまで頂きません!」などを見るのは日常茶飯事です。
ひどいケースになると、病院のそばで出動する救急車を待ち伏せし、
事故現場で苦しんでる人に名刺を差し出す弁護士がいると聞きました。
ちょっとここまでくると都市伝説っぽいですが。
アメリカ人も、自分たちが訴訟社会だってこと、わかってますよ。
ずいぶん前に、タイム誌で「なぜわれわれはCry Babiesになったのか」
という記事を読んだ記憶があります。

私はこれが、ごく最近の現象なのか、それともずっと前からそうだったのかで、
ある程度、問題の構造が見えてくるように思います。
また、他の国と比べたらどうなんでしょう。(フランスなんか面白いですね。)
もしかしたら、ただ日本が特異なケースであって、アメリカくらいが
世界標準なのかもしれませんし。

うわ、長い! 慣れないもので、どうもすみません。



12 :1>10:2000/04/04(火) 17:49
ありがとうございます。
やはり、アメリカは移民社会なのでコミニュケーションの問題ですね。
暗黙の了解などの日本人的なものは通用しないようですね。

13 :なすび:2000/04/04(火) 19:38
小生は在米10年の、社会学など全く知らぬ一科学者ですが、小生の観察に基づくとこんな解釈がなりたちます。

日本では、狭い国土の中で多数の国民を養うために、個人の自我発揮を喚起するよりも集団社会に協調性を示し、均一な価値観をもち、基本的修練の行き届いた人的資源の供給が重要視された。
これに対してアメリカという国は、日本型の、「集団の中に合意を形成するコンセンサスビルディング」よりも個人の自我を自己責任の下で十分に発揮させ、争いが起きれば裁判で法律的に方をつけようとする西部劇的開拓者の社会。

つまり自己責任を尊ぶアメリカ人の意識の背景には、個人と個人の関係をより明確にし、責任の所在がどこにあるのかはっきりさせなければきがずまない気性がある一方で、すべての人間は自己のエゴイズムが、自己の責任の下で管理されているわけではないので、1が指摘したような、「どうみても自分の責任なのにすぐ”訴訟”を起こす」という日本人の目から見たら明らかにおかしい(実は普通のアメリカ人も妙だと感じている)ことが起きるようだ。この意識が国家レベルのアメリカの対世界戦略でも見られ、アジア的な思考及び情緒との間に多くの軋轢を生んでいるように思われる。

14 :1>13:2000/04/04(火) 23:48
法成立の基本は「それを明確に禁止しないとやぶる者がでるため。」
逆に考えると「それを違反する者がいない限り法制化する必要はない。」
と思います。その成立が”多民族国家”のアメリカと”幻想の単一民族国家”
日本とはちがうってことだと思います。(一般論)
本では得られない情報ありがとございます。

15 :名無しさん:2000/04/05(水) 22:47
自己責任を語るには、説明責任・情報公開と言った要素が
不可欠なのでは? すなわち自己責任を果たせるだけの環境を
用意する責任が対称となる存在(社会かな)には必要だということ
ここのスレッドはその視点が抜けているようだが

16 :名無しさん:2000/04/08(土) 14:49
アメリカでは司法試験のレベルは低く、ねこもしゃくしも弁護士になって、
弁護士過剰です。

17 :>16:2000/04/08(土) 17:13
司法試験のレベルではなく、定員が問題なんだと思います。

18 :名無しさん:2000/04/08(土) 20:29
>契約に違反したら”訴訟”となるのは当然だとおもいますしかし、日本人からみるといきすぎた訴訟もおおくあると思います。


訴訟社会になったのは、陪審員制のせいだと思う。みとめちゃちゃうんだもん。
へんな請求も。


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