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阿含宗という宗教1001−1500

1 :口下手番長1 :2000/09/24(日) 14:58
皆様へお願い
このスレッドは「阿含宗という宗教」の再現版です。
書き込みをなさらないよう、ご協力をお願いします。

「阿含宗という宗教」は書き込みが2000をこえたため、
現在読み込みができなくなっています。
そこでこれを分割して、再現しようという試みです。
以下の再現スレッドの続きです。

阿含宗という宗教1(1-500)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=968997070
阿含宗という宗教1(501-1000)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=969690567


2 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:04
1001 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 09:48
>989
縁起の法は人間存在の分析。
成仏法とは異なります。
一主婦ですので難しいことは分かりませんが。
989はやさしい問題だったので。

1002 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 09:52
>990さん、
二人の意見の異なる方に
混ぜてコメントを付けるのは
失礼ではないでしょうか。

1003 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:01
>993さん。
>伝法灌頂程度なら護摩を焚けるチベットのラマは全員受けていますよ。

護摩を焚けるラマというのはチベットでは地位が低いのでしょうか。
チベット人以外では歴史上初めてだと聞きましたが、本当でしょうか。
一切萬霊守護金剛という法名は値打ちのないものですか。
モンゴルにおける十四面?観音像(十二面かもしれない)の供養は
どうしてモンゴルのラマが行わずに、地位の低い?末席のラマである
桐山管長がおこなったのですか。


1004 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:03
>990
さん随所に論理のすり替えがありますね。
Aさん、Bさん別々にちゃんとコメント
されたほうが良いのではないでしょうか。


1005 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:10
>984
阿含宗の主婦は普通アーガマを読みません。
私ももう何年も見ていません。
だって突っ走っていますものね。
自由な議論を尊ぶところが阿含宗なのでしょう。
尊ぶと言うか、放置する。

1006 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:16
>994さん
>大橋さんのことでしょ。
>生前何度かお会いしましたが。
>高野山系統で桐山を評価していたのは彼だけですよ。
>桐山の某元秘書によれば
>大橋さんのお寺に随分お布施したとか。

この文面では大橋げいかが買収された
と言うことになりますが、それは高野山
が認めたことなのでしょうか。
そういう方が、徳島?仏教会の会長をさ
れていたのでしょうか。


1007 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:42
>998さん
>ニンマ派のラマ位を購入しただけのこと。

これはニンマ派とチベット仏教を誹謗した
ことになります。
990番の専門家の方いかがですか。
購入などありえますか。1008 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:51
>995
さん、火の洗礼の話の
ご回答は難しいのでしょうか。

1009 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 11:05
お釈迦様のお子さんの名前も
アーナンダさんでしたっけ。
今日は幼稚園が休みでキッズ
がうるさいので。またね。

1010 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:30
>護摩を焚けるラマというのはチベットでは地位が低いのでしょうか。

護摩を焚ける日本のお坊さんはお坊さんの中でも徳に地位が高いのですか?
(愚問でした/愚問自法?)


3 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:04
1011 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:33
>>997さん
>お釈迦様はお子様がおられます

よくご存知で。
でも、その子は釈迦が出家する前の子供ですよ。
出家後は一度もセックスしていません。

桐山さんはどうでしょうか。
ずっと奥さんとセックスレスでしょうか?

もしも未だ得度を受けていないのなら、つまり出家していないのなら
誰とセックスしてもかないませんが。
釈迦の仏法を再興するという以上、釈迦が定めた戒律くらい守らないとね。


1012 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:39
>一切萬霊守護金剛という法名は値打ちのないものですか

文面からしますと墓守さんのようですね。
ところで法名をもらったということは当然受戒したという事になりますが、
さてさて桐山さんはチベット仏教の戒律を守っているでしょうか?
昔は得度を受けていない「偽坊主」として有名でしたが、
今度は「破戒僧」として名を残すことになりそうですね。
チベット仏教の戒律ではお酒を飲んだり、結婚したり、貯金したり等々
全部認められているとは知りませんでした。
1013 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:43
>998さん
>ニンマ派のラマ位を購入しただけのこと。

よく多額の寄附をして名誉博士号とか、名誉X段とかいろいろくれますが、
対価を払って得たものは「購入」ということになりますよね。
法律の世界では「贈与」だって「譲渡」のカテゴリーに含まれますよ。


1014 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:51
>この文面では大橋げいかが買収されたと言うことになりますが、
>それは高野山が認めたことなのでしょうか。

史上最強「北野恵宝大アジャリ」に同行されて高野山へ参内した時点で
桐山さんの評価は固まっていました。
詐欺師が愛弟子のイカポンを連れてきたという雰囲気でした。
大橋さんはとてもいい方でしたので最初は同情したのでしょう。
桐山さんとしては唯一普通にお話して頂ける方に巡り合った喜びから、
それなりにきちんと礼を尽くしました。
当然何かを頼む都度に礼儀としてもお布施を積んだわけです。
桐山さんだって何かにつけて金を集めているじゃありませんか。
大橋さんは大事にされているのをわかっていたのと、少なくとも自分に対しては
桐山さんがとても親切だったから、巷の悪評程ではないと錯覚したのでしょう。
可哀相に大橋さんは高野山でパッシングされる用になってしまいました。
気の毒な話です。

>そういう方が、徳島?仏教会の会長をされていたのでしょうか。

人柄的には素晴らしい方でしたよ。
ただ騙されやすいのが欠点でしたが。
とくに人生の後半で判断を誤ってしまったのが悔やまれます。1015 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 14:06
日本の僧侶、宗教人の生活態度を比較検討すると、
阿含宗が最良ではないかと思っています。
垢まみれの方に言われたくないですね。
どこかにある程度の戒律を守っている教団があり
ますか。阿含宗のように僧侶に対する規範のある
ところがありますか。
自分達は、煩悩まみれの癖によくゆうよね。
あんたには言われたくない。


1016 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 14:14
大橋げいかが、お布施を包まれたから、亡くなられる
まで阿含の星祭に出席されたと言うのは、高野山真言
宗に対する中傷誹謗です。弘法大師空海が生きておら
れたらなんとおっしゃるでしょう。
阿含宗もお金集めはしています。総本山建立に必要だ
からです。しかし、ご喜捨をいただいて節を曲げると
言うことはありません。

1017 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 14:17
大橋げいかが判断を誤られたと言った
あなたは、大橋大あじゃりより判断力
があるのですね。
高野山の大あじゃりはその程度のもの
なのですか。


4 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:05
1018 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 14:36
ただいま先達に電話をして聞いてみたのですが、
インターネットでの議論は修行の妨げになるば
かりか、未熟者が書きこむと正しい広報にもな
ない。そのようなことは広報部にまかせて、あ
なたは実践活動をしなさい、と言うことです。
今から不眠症で悩んでいる方に電話をします。
不眠症なんてすぐ治りますからね。

思う存分書きこみましたのですっとしました。
他宗の煩悩まみれの皆さん、阿含をとやかく言
うより、自分のことをなんとかしろよ。

ってーことで、
阿含宗ではインターネットは推薦していないと
ゆうことが分かりましたので、私もこれで書き
こみを終了いたします。

1019 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 16:47
>960
>あの文章は、釈迦の言葉ではありません。

スッタニパータ568@`569が釈迦の言葉ではないというのですか。
これは何を根拠におっしゃるのでしょうか。
568の前に、「…師は次の詩を以て…」
569の後に、「師はこれらの詩を唱えて…」
とあります。
ここでいう師は前後の文脈から釈迦です。
詩の前後に、わざわざ釈迦が唱えたと二度も書いてあります。
何を根拠にケーニヤが言ったとおっしゃるのですか。

1020 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 16:48
>961
>なぜ護摩を焚くのかと言うことは、阿含宗、真言宗、
>チベット仏教にも共通する問題ですね。
>私は色々考えて、納得しています。

チベット仏教や真言宗の話ではなく、
阿含宗について質問しているのです。
釈迦の護摩禁止と、阿含宗の護摩を
どのように納得しているのか、
それを桐山さんの指摘を含めて、
書いてくださいと何回も申し上げているのです。

1021 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 16:56
>963
>公式見解に付いては、全く知りませんでしたので、ぜひお書き
>込みください。お願いいたします。

護摩をどうして焚くのかなんて教学とすらも言えない、
初歩的な内容でしょう。
桐山さんがどう説明したかも知らないので、
これまで護摩についてここに書き込んでいたのですか。
度胸のよさに感心します。
無記名でも、神仏が見ているという気持ちはないですか。

批判するほうは何を言ってもいいけれど、
信者側の意見は阿含宗の意見です。
いくら無記名のスレッドでも、
一般人からは阿含宗の代表のように見られています。

まさか誰も桐山さんの説明を知らないのではないでしょうね!!
だんだん桐山さんに同情してきました。
護摩といえば、阿含宗のウリであり、客寄せパンダであり、
桐山さんの得意技ではありませんか。
「おれは死ぬまで護摩を焚く」と色紙か何かに書いていました。
これだけリキが入っているのに、彼の説明を信者は知らない。

信者の皆さんと阿含宗の顔を立てて、待ちますから、
どなたか桐山さんの、なぜ釈迦が禁止した護摩を焚くのか、
についての説明を書いてください。
批判側がその説明を書くようでは、
いくらなんでも、桐山さんがかわいそうです。


5 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:06
1022 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:00
>964
>いくらお金を出しても、法位は買えないでしょう。

あなたが906さんなのかどうか知らないが、
958で質問した「世界中の指導者」とは誰なのか、
まず答えてください。

信者さんたちの反論は、あなたの言い方に代表されるように、
汚職議員が「寄付は受けたが、手心は加えていない」
と言っているのと似ています。
信者さんの理屈が成り立つなら、
自動販売機から缶ジュースが出てきたのは、
あなたがお金を入れたからではないことになります。
入力と出力を見れば、小学生でもわかることです。

お金を出さないで、法位がもらえたのですか。
どんな形であれ、金を出したものについて、
買った、買わないを議論しても無駄です。
金をいかなる形でも出していない、法位、法号、名誉教授、
名誉博士、大学理事、なんでもいいから、示してください。

1023 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:03
>980

980さんは信者さんですよね。
この話を信者が覚えていないなんて、
いったいどうなっているのですか。
今、記憶にあるだけでも、古くは「間脳思考」から、
最近では「阿含仏教超奇跡の秘密」でも、
あなた方の教祖様がていねいに解説しています。

1024 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:05
>966
>護摩法は釈尊の「火界定」の名残りだと考えています。

また阿含の珍説が出てきた。
ウルベーラの神変で、カッサパ兄弟は釈迦に帰依するとき、
事火具を捨てたのです。
火を拝むのを辞めたのです。

火界定と火を焚くことは違います。
しかも、あなたの唱えた珍説は、
桐山さんが言っている説とも違います。
桐山さんは、本の中で、
火界定で発生した火炎をオーラであると述べています。
オーラが何であるかは問わないとしても、
オーラは火ですか。
オーラが火なら、人間はみんな火だるまです。
どこにも火などありはしない。

火界定と護摩は何の関係もありません。
護摩は「名残り」ではなく、
当時のインドで一般的で、
バラモンの間ではよく行われていた祭祀です。
釈迦は何度も、それを厳しく禁止しています。

1025 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:11
>971
>専門家でも感心させられてしまう内容です。

ぜひ、その専門家を紹介していただきたい。
いったい、桐山さんの本のどこに、
専門家が感心するような記述があるのか。
"独走"的解釈に苦笑した人は知っていますが、
感心した人は信者以外に知りません。

>それに仏教書に科学的記述を取り入れて悪いと
>言う規則もないでしょう。

桐山さんのは「科学的記述」ではないが、
科学を利用して悪いなどとは言っていません。
あなたではないのかもしれないが、
「科学としての仏教」という、
あたかも桐山さんの宗教が、
科学的裏付けがあるかのような意見に対して、
「人の目を驚かすためのもの」であり、
「門外漢が書くとおかしな記述になります」
という意見を申し上げたのです。
あなたの言葉尻をとらえて失礼。
だが、この表現は私の表現よりも、
桐山さんの本を的確にとらえていてわかりやすい。


6 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:07
1026 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:17
>982
>青年の集いでは、阿含宗信徒が日本代表としてスピーチをさせていただいた
>のです。スピーチは英語で行われ、その後、護身法が修せられました。

正確には、阿含宗徒がスピーチしたのではなく、
堤壽美子副管長がスピーチしたのです。

護身法が修せられた、などと、まるで宗教儀式をしたようですね。
あの集会では、数十組ほどの代表が、法王の前で
歌ったり、踊ったりのパフォーマンスをしました。
内容のチェックや許可などありません。
護身法が宗教的なものであるとわかっていたのは、
あそこにいた阿含宗徒だけです。
法王も他の見物客も、歌や踊りのような、
一種のパフォーマンスとして見ただけです。

1027 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:22
>982
>大使の方の表情は、驚愕、天地がひっくり返った時のような驚愕に、何が起

あなたのいう「大使の方」とは、
どのイベントのどこにいた人を指しているのですか。
青年の集いでの話ですか。

パームサンデーを指しているのでしょうか。
あなたはパームサンデーで桐山さんが握手したとき、
周囲の貴賓席にいた人たちの表情をしっかりと見たというのですか。
918さんは握手している写真の話をしていますが、
あなたはその場にいて、この光景を見たのですか。
しかし、写真についての解釈なら、あなたの説明は、
阿含宗でしか通用しません。

>ミサ、法要というものは心で行うもので、声で行うものでは有りません。

こういう現実と自分の感性をごちゃ混ぜにして、あの写真をみれば、
大使たちが桐山さんに驚愕していると見えるのでしょうね。

>この方は阿含宗徒だと思います。

桐山さんがそれを否定しています。
桐山さんによれば、その女性は
「あなたのおかげで法王と握手できた」
と感謝の言葉を言ったそうです。
これでもあなたは彼女が阿含宗徒だと思いますか。
参加したなら、桐山さんからこの話を聞いていないのですか。

>例の件とはルカ書の、火の洗礼の件です。三度も書くと失礼かと思い、例の
>件としたのです。

他の方の書き込みですよ。
思いこみで言われてもわかるわけがありません。

1028 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 19:29
>1019〜1027さんよ、
同一人物かどうかはわからないが、そんなに対立を煽って、何か得るものがありますか?
この言い方では、なるべく回答しようと思っている信徒さんも、
引いてしまうと思いますよ。
間違っていると思えば、そう言えばいい。
だが、そんなに感情的になっては、引き出せたかもしれない答えをも、
逃してしまいますよ。
実はあなたは損をしているのですよ。
折角1000件を突破したこの板を、終わらせたくないので。

1029 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 19:32
キリヤマ隊長がなぜ火遊びをするのか?
護摩の灰で儲けるためであ〜る。
俗に言うゴマノハエね。

1030 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 20:21
こういう状況ではもうアゴン関係者はもう書きこまないね。
あ―あ、つまんねえ。

1031 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/24(土) 20:45
久々に来て見たら・・・うしゃーー、大盛り上がりですね。ついに
1000まで行っちゃって。話の内容が、なんか私のレベルじゃないみたい。
でも懲りずに書き込みしちゃおっと。レスしたい人もいるし。
・・・と思ったんだけど、ちょっと忙しいんでまた後でーーー!


7 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:07
1032 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/24(土) 20:46

「一九九九年七の月」32. なぜ?なぜ?なぜ?

これには二つの解釈が可能です。
一つ目は、桐山氏が読者を丸め込もうと四苦八苦した痕跡であるということです。
実際には、老化と脳梗塞で、読者をだませる能力がなくなってしまったのです。
丸め込もうとしたという点では、デキの悪さに目を覆いたくなる惨状です。
18年前の桐山氏なら、もっと上手なウソを書いたでしょう。

二つ目は、ここで描かれた桐山氏は、そのままの桐山氏であるということです。
老人には新陳代謝の低下や脳細胞の減少で、おだやかになるタイプがあります。
また、欲望や感情がむき出しになるタイプがあります。
理性を司る大脳新皮質の衰えで、押さえられていた欲望と感情が出てくるのです。

桐山氏も、脳の老化で、感情のコントロールが効きにくくなっているのです。
桐山氏の主たる欲望である名誉欲がむき出しになり、一方で、感情のコントロー
ルが効かなくなり、飛んだり叫んだりしているのです。

この二つは結局、脳の老化です。
老化して、隠すことができなくなって現れた桐山氏のあるがままの姿です。
桐山氏はかつてアナゴンというブッダに次ぐ聖者になったと宣言しました。
しかし、露出したアナゴンの姿は、自分を一角の人物として誇示したいという、
本能がもたらす名誉欲にとらわれた、ありふれた老人です。

重要なのは、桐山氏が老化して変わったのではなく、本当の姿が出てきた点です。
若い頃の桐山氏と、老化した点を除けば、何も変わっていないのでしょう。
これが桐山氏の元々の姿であり、今の姿であり、ほんとうの姿です。
これが桐山氏の言う心解脱した聖者の姿です。


1033 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 20:56
>>1019〜1027さんよ、
>同一人物かどうかはわからないが、そんなに対立を煽って、何か得るものがありますか?
>この言い方では、なるべく回答しようと思っている信徒さんも、
>引いてしまうと思いますよ。
>間違っていると思えば、そう言えばいい。
>だが、そんなに感情的になっては、引き出せたかもしれない答えをも、
>逃してしまいますよ。
阿含宗が嫌いである私には面白かったです。感情的とも思わない。
桐山さんが正しいと信じている人は別の意見があるでしょうが。
反論すればいいだけのことではないですか。

1034 名前: 1033 投稿日: 2000/06/24(土) 20:59
少し仏教をかじった者なら阿含宗が阿含経とも釈尊とも無関係であることは
簡単に分かるはずです。なぜこんなに長々と続くのでしょうか。

1035 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 21:00
>>1019?1027さんよ、
>同一人物かどうかはわからないが、そんなに対立を煽って、何か得るものがありますか?

信者の一人が書き込まないと言い出したからといって、
まるで1019さんのせいみたいに言うのは、
ほとんど八つ当たりだよな。
言っていることまともじゃん。
筋通っているよ。
まともに返事できないほうが悪い。
ははあ、ヲタク、もしかして信者さん?
反撃の仕方がうまいねえ。

1036 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 21:27
>日本で言えば、
ニンマ派のラマ法号=得度

あの高徳な尾上縫師は
高野山で得度して、度蝶を授けられたそうで。

さぞかし有難い法名だったのでしょうね。


1037 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 21:56
>あの高徳な尾上縫師は
>高野山で得度して、度蝶を授けられたそうで

桐山は高野山で拒否された人です。
小田先生の伝法会も経歴詐欺がばれて途中で帰らされました。
あの高徳な尾上縫師は桐山以上ということになりますね。
1038 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 21:59
阿含宗ではインターネット禁止が叫ばれているわけですか。
昔は青年部が学会に口で負けてくると桐山は勝つまで議論してこいと言っていましたが。
最近はあまりに弱みが多いから議論禁止例というわけですね。
井の中で信者同士ぴょんぴょん跳ねていてください。
頑張ってね。


8 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:08
1039 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 22:49
>1019さん
読み間違いというか、読まずに書いたもので。
もうしわけありませんでした。
非常に阿含宗の教えにお詳しい方のようで、どうして
阿含宗を辞められたのかがわかりません。
多分、とても嫌なことがあったのか、それともやはり
教学的に納得いかないのか。
しかし、阿含宗から離れられないのですね。
またの復帰をお祈りしています。


1040 名前: 夫の勤め、東洋の心より 投稿日: 2000/06/24(土) 23:02
書きこまないと言い出したのは、8項目の質問状です。
やばい、手が回ったという感じで。宗務局かと思いました。
こんな馬鹿が許されるはずがないのだから。続ければ破門です。

あの質問は専門家ですね。仏教哲学か何かをしている。
私は素人ですから、赤子の手ですよ。グニュ。1019さんの
せいではありません。1019dさんも素人ですから。
みかりんさん、阿含宗は大丈夫です。ご主人を信じなさい。幸せに
なれます。また、宝石のひとつも買ってもらってください。
言い古されたことですが、仏陀の教え。
妻に対して。1、尊敬する 2、侮辱しない 3、台所や家政に口を
ださない 4、分に応じて妻に身を飾るものを買い与える 5、
浮気などをしない、一緒に歩くとか、浮気心だけでもだめ。
これは中村元博士の東洋の心という本に載っています。釈迦の言葉です。
暴力は(2)の違反です。順番は間違っているかもしれません。
妻の務めものっていますが、それは、隠しましょう(笑)

1041 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 23:04
一切の衆生が誤った見解や戯論を離れて、真実の道に入ることができますように!

                                   合掌

1042 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 23:18
>1027カトリックパームサンデーに参加された
カトリックの方へ。

>「あなたのおかげで法王と握手できた」
思い出しました。大使婦人だったかもしれませんね。

青年の集いの、代表、寿美子副管長がスピーチをした後、法王に千羽鶴
かなにかを手渡し、そのあと、法王が寿美子副管長を抱擁されたのです。

誇り高いカトリック教徒が、仏教徒と同じに扱われたくないという気持
ちは、よくわかりますが。いつの日か一緒に活動できる日のくることを
願っています。合掌


1043 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 23:27
>創価学会の方へ
創価学会の方は、人は良いのですが、頭が悪いのです。
それは、知能が低いという意味ではなく、教えが原因です。

毎日の勤行で、止舎利ホツ と唱えているでしょう。
智慧第一のシャーリプートラに思考停止を求めているのです。
智慧の門は難解難入なので考えても無駄だと。
ですから、コメントが、思考停止に陥った単語の羅列になるのです。

仏教は智慧の宗教です。また、ブッダ、ダルマ、サンガに帰依でき
ないものは仏教では有りません。阿含宗は仏教。創価学会は
非仏教。土俵が違うのだから敵対心を持つ必要はありません。

皆様が、ブッダ、ダルマ、サンガにめぐり合えますよう。合掌。

1044 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 23:34
1041さん、輪廻の苦界を漂う一切の衆生をして
菩提心を生ぜしめ、真実の道に入ることができますように、
尊い教えをつまびらかに説いてください!

                                 


1045 名前: 現役信徒へっぽこA 投稿日: 2000/06/24(土) 23:41
>1043
あなたは阿含宗の信徒の方ですか?
もしそうなら、言わんとすることは解りますが、
「頭が悪いのです。」なんて表現はやめましょうよ。
そんな感情を逆撫でするような言葉ではなく、
私は学会の方とも穏やかにお話ししたいです。


9 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:08
1046 名前: ローマ法王パウロ2世ファン 投稿日: 2000/06/24(土) 23:42
>青年の集いの、代表、寿美子副管長がスピーチをした後、法王に千羽鶴
>かなにかを手渡し、そのあと、法王が寿美子副管長を抱擁されたのです。

「桐山靖雄炎の大霊言」(学研)、の101pに、その時の写真が大きく写っていますね。
阿含宗の日本の精神世界及び日本仏教界に及ぼした影響は、やはり、非常に大きいと思います。
私も、桐山氏の著書から、多大な影響を受けましたね。感謝しています。
まあ、桐山氏をグルとして仰ぐという気持ちはなりませんが、つまり阿含宗の信者にあるということは
ないですが、それでも、終生、桐山氏からレクチャーされた、原始仏教や、チベット仏教、クンダリーニ
・ヨーガの魅力は、心の内から離れることはないでしょう。

1047 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 00:02
>1040さん。私は専門家なんかじゃありません。仏教学を体系的に学んだこともありません。
仏教に関心があって、色んな仏教書をつまみ食いみたいに読んできただけです。
今まで特定の教団に所属したこともありません。20年ほど昔中学生のころ、私も桐山師の著作を読みふけり、傾倒しましたよ。
田舎だったので当時近くに阿含宗の支部はありませんでしたが、あったら入信してたかも知れません。
ま、私にとって桐山師も善知識の一人です。お釈迦さんが過去世で、ダイバダッタを善知識としたようなもんですかね。
盲目的信仰にこり固まるのではなく、色んな本を読んで、色んな人の教えを聞いて、吟味し、理解した上で信仰した方がいいと思いますよ。


1048 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 00:08
>995 単なる一神父のコメントがバチカンの公式発表みたいに変質するところが
実に阿含宗ですね。

ヨゼフ・ピタウ神父はイエズス会総幹事で、
上智大学の学長を務められたかたです。

>大司教とか枢機卿のレベルの方が発言したわけでもないのに。

諸宗教対話政庁のフランシス・アリンゼ長官は
枢機卿です。

>路傍の石ころをダイアモンドだって売りつける詐欺師と余り変わらないのかな?

酷い物言いですね(苦笑)


1049 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 04:36
>991
>もし差し支えなければもう少し詳しく
>御説明ください。

書いたとおりの意味です。

>錯視が感じられるので。

これが錯視に感じられるとしたら、そもそも「仏」とか「成仏」
ということが何なのか、なーんにも分かっていないとしか思えません。
これは合同ミサうんねんとかいうよりも、
もっとはっきりした罪の重い嘘なので、
あなたの個人的意見ではなしに
宗派としての公式見解を提示すべきです。

つまり、
仏とはなにか?
成仏とはどういうことか?
なにをもって方法というのか(成仏法とはなにか)?
です。

>1001
縁起の法は人間存在の分析。
>成仏法とは異なります。

あの〜σ(^◇^;)、
縁起の法をちゃんと理解していれば、
成仏法などあり得ないということが分かるはず、
という文脈ですよ。
気持ちは分かりますが、
このレスの中では、
ある意味もっとも本質にせまる重要なテーマです。

1050 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 05:04
>965
庭野日敬さんはなにか法位をお持ちなのでしょうか。リーダに
>法位がなければ仏教教団ではないですよ。

あきれて物もいえない…。
別に庭野さんを弁護する訳じゃないが法位がそんなに重要なんですかね?
だったらお釈迦さまの法位は何だったの(笑)?

教祖が権威主義で名誉が好きだと、信者も似てくるんでしょうか。

1051 名前: 1049>1047 投稿日: 2000/06/25(日) 06:01
>盲目的信仰にこり固まるのではなく、色んな本を読んで、
>色んな人の教えを聞いて、吟味し、理解した上で信仰した方がいいと思いますよ。

全く同感です。頑張って論破してあげてください。


10 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:09
1052 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 06:25
>1046
>阿含宗の日本の精神世界及び日本仏教界に及ぼした影響は、やはり、非常に大きいと思います。

確かに! オウム生んじゃったもんね(笑)。

>まあ、桐山氏をグルとして仰ぐという気持ちはなりませんが、つまり阿含宗の信者にあるということは
ないですが、それでも、終生、桐山氏からレクチャーされた、原始仏教や、チベット仏教、クンダリーニ
>・ヨーガの魅力は、心の内から離れることはないでしょう。

まあ、あの麻原も内部に翻訳チームを抱えて、チベット密教の奥義を、
さも自分の教えみたいに弟子たちにレクチャーしていたみたいだからねぇ。
引っかからなくてよかったですよ。

1053 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 06:27
「桐山靖雄炎の大霊言」(学研)
すいません、どんな本なの?
ヨイショ本ですか?それとも誉め殺し?1054 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 06:32
>路傍の石ころをダイアモンドだって売りつける詐欺師と余り変わらないのかな?

ひところ話題の統一なんとかの霊感商法、5000円くらいの壺を100万円とか。
200倍程度じゃまだまだ阿含宗の利益率には及びません。

そういえば釈迦は護摩札売ったり、大寺院建てたり、ムギコガシ売ったりしてたっけ。
聞くだけ野暮だね。(爆)


11 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:10
1055 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 06:57
どっちもどっちの元・現犯罪者、かってのふか〜い師弟関係を超えて「大批判」!!!
大量無差別殺人の被告にすら馬鹿にされる元犯罪者。阿含宗からの反論は如何に?

<麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を批判>
「マハーヤーナ、NO.21」より転載ね。


次に、行法について述べよう。
以前、桐山氏は因縁切りの「準てい尊千座行」で解脱できると説いていたが、各方面から、
「仏陀釈迦牟尼は、そんな教えを説いていない」 「『阿含経』には、そんな修行法など出ていない」
「だれも解脱できなかった」 などと指摘された。
そのため、1986年、
スリランカより真正仏舎利をもらい受けたのをいい機会に、「千座行」をなくしてしまった。
そして、もっともらしくこじつけて、「仏舎利尊・解脱宝生行」という修行法にすり替えてしまったのである。

その理由というのが、またおかしい。
つまり、桐山氏によれば、それまでの「千座行」というのは観音慈恵会当時の行法であるから、
阿含宗となったからには、おのずと行法も変えなければならないというのだ。
しかし、阿含宗がその名を変えたのは78年である。
彼の理論からいえば、当然そのとき変えてしかるべきである。
にもかかわらず、その後何年もしてから、「仏様(?)のご霊示」が下ったから行法を変えるというのだ。
お得意の嘘の延長線上に、メインとなる修行法のすり替えがあったのだ。


まだある。
仏陀釈迦牟尼は、輪廻転生を説いているのに、阿含宗では先祖供養や水子供養などを行っている。
こんなことをやっていたら、仏陀釈迦牟尼の教えを全く信じていないと公言しているも同じではないか?

なぜなら、仏陀釈迦牟尼の教えでは、魂はすべて死後、次の世界へと転生してしまっているからである。
自分の先祖であった人の魂もである。
つまり、実体のないものに対して行っているのが先祖供養や水子供養であるということになるのだ。
にもかかわらず、阿含宗では、「阿含宗は釈尊の本当の成仏法により、どんな不成仏霊でも成仏させ、
霊障を解く成仏力を持っている。」 と臆面まなく言い切っているのである。
とても求聞持法を修めたといわれるほどの人がやるとは思えない愚行といえよう。

しかも、「千座行」をやれば、あらゆる悪因縁を断ち切れるとしながら、
普通の不成仏霊ではない、強い霊障を生じた不成仏霊や水子を供養するためには、
「不成仏霊解脱供養」「水子霊解脱供養」を受けるように勧め、一体十万円の供養料を得ている。

そもそも、仏陀釈迦牟尼がどこで霊障や水子を説いたというのであろうか。
これも、阿含宗の特色といえば特色である。

「千座行」について、もう一つはなはなだしい矛盾を指摘しておこう。
桐山氏はこの「千座行」は、「釈尊の成仏法、七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうぼん)にのっとって、
修行法と梵行から成り立っている」と言っていたのだが、実はその「千座行」で使われる経典の中には、
約七年間、『阿含経』がどこにも含まれていなかったのである。

それについて桐山氏は、1985年9月の例祭法話で、観音慈恵会からの聖典を改定するのは大変だから、
しばらくの間は『阿含経』は自分一人が信徒を代表して行じ、何か機会があったらそのとき考えよう、
としてきたと述べている。
そして、ようやく「仏様のご霊示」が下ったとして、85年11月、
それまでの経典に『雑阿含経』と『増一阿含経』の一部を抜粋した「仏説阿含経」を追加した
『阿含宗千座行聖典』を新しい経典とさせたのである。

釈迦牟尼を崇拝するとしながら、信徒が行をなすための最も基本となり、信仰のよりどころとなるはずの経典に 『阿含経』を載せず、自分一人が代表して行じてきたというのだ。こんなおかしな話はあるまい。

ちなみに、桐山氏が七科三十七道品をいつ、どのようにして修めたのかも定かではない。
これも不思議なことである。


12 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:10
1056 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 06:58
続きだよ。

さて、次は酒の問題である。
『阿含経』における在家の戒では、酒を厳しく戒めているというのに、阿含宗では酒を 公認している。
阿含宗名物の「星まつり」の打ち上げなどでは、盛大に樽酒が振る舞われるという。
それも、桐山氏自ら音頭を取って乾杯し、阿含宗の発展を祝うというのだから、ひどい体たらくである。
それだけではなく、献酒としても在家信者に酒を使わせているのだ。
そんなことをして仏陀釈迦牟尼が喜ぶとでも思っているのだろうか。

次に阿含宗のマントラにまつわる問題を採り上げてみよう。

阿含宗ではよく唱えられているマントラに、
---オン・サラバ・タータギャータ・ハンナ・マンナノウ・キャロミ---というものがある。
これはインドの正確な発音をもって記すならば、
オーム・サルバ・タターガタ・パーダ・バンダナム・カロミ ---であり、
その意味は、(オーム。すべての如来のお御足を、私はいただきます) ということである。

つまり、すべての如来を礼拝するということだ。
ここでも、「仏陀釈迦牟尼以外を崇拝してはいけない」という、

桐山氏の言葉とは裏腹なことを日常的に唱えているということになる。
嘘に嘘を積み重ねていくと、何が本当だったのか、自分でもわからなくなってしまうのだろう。

---オン・ソワハンバ・シュダ・サラバ・ダラマ・ソワハンバ・シュドカン---というマントラが、また面白い。
この意味は、 (オーム。すべてのものの本性は清らかなり。我の本性も清らかなり) というもので、
これは密教の教えに属するものなのである。
『阿含経』であったなら、当然八正道の中の正念で、四念処が説かれているので、
<我が身、これ不浄なり>とならねばならないところだ。
『阿含経』に代表される原始仏教と密教が、まるでごった煮風に共存しているところも、
阿含宗の教義のいいかげんさの象徴であろう。

いろいろと挙げてみたが、これらはまだほんの一部である。
もっと知りたいという人がいれば、もちろん他にもたくさんの矛盾点を挙げることができる。

これらすべてをとおして、何よりも私がひどいと思うのは、前にもちょっと触れた本尊のことである。
仮にも宗教組織であるなら、本尊は最も重要なものであるはず。
にもかかわらず、阿含宗の本尊は、準てい観音(準てい如来)から、仏舎利にすり替えられてしまったのである。
この仏舎利は、86年4月、桐山氏が130名の教団関係者を引き連れてスリランカを訪れ、持ち帰ったというものだ。
桐山氏は、釈迦牟尼の遺骨を収めたといわれる仏舎利を本尊とした方が、宣伝効果があるとでも思ったのだろうか?
(それが事実遺骨を収めているかは疑問である。)
それとも、自分自身が仏舎利を手に入れたということに感激したからであろうか?
いずれにしろ、本尊がすり替えられたという事実には、唖然とするばかりである。

もし、これをオウムに当てはめてみるならば、それまで、「グルとシヴァ神に帰依し奉ります」と唱えていたものを、
ある日突然、「天照大神に帰依します」とする替えるようなものなのだ。

長年ひたすら励んできた行が、結局は駄目だから、今度はこれをやりなさいと言われたり、
一心にその信仰の対象としていた本尊が、こちらの方が霊験あらたかなので、取り替えますと言われてしまったら、
苦悩からの解放を願って一途になしてきた今までの修行はいったい何だったのだろう、と普通ならば思うところである。
信徒の方々は、これを知ったとき、どのように自分を納得させたのであろうか?


13 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:11
1057 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 07:02
つづきで〜す。

ところで、最近の講話(89年、2月19日・於関西総本部)で、桐山氏がオウム真理教を中傷していたということを、
私は信徒の一人から聞いた。彼は阿含宗から改宗したという人で、阿含宗時代の友人から教えられたのだという。

彼が阿含宗が貸し出していた問題の講話ビデオをダビングして送ってくれたので、私も見てみたが、
その内容は信徒の言葉どおりひどいものであった。
まさに、ビデオが彼の嘘を記録していた、という感じである。
一部をご紹介しよう。
-----------
阿含宗の信者は、そういうもの(オウム真理教のチラシ)をいくら渡されてもね、
迷っていく人なんていうのはほとんどないですよ。
2,3人くらい、あんまり頭の良くない人が行ったようですけどね。
で、何をやっているかっていうと、教祖の血を飲まされているんですよ。
このくらいのコップに一杯五万円だそうです。
うちの特別祈願護摩札と同じですね・・・・(意味不明)・・・・・。
私は五百万円もらったって自分の血を人に飲ませようなんて思いませんよ。
気味が悪い、そんな。人の血も飲みたくないし、自分の血も飲ませたくない。
ところが、その血を飲むとね、その教祖の持っている神通力が得られるっていうんで、
一杯五万で飲ませるっちゅうんですよ。
しかし、それを私は見破っているの。彼の本当の血じゃないのよ。
輸血用のね、血漿(?)の血を買ってきて、そのアンプルを切って、それを飲ませている。
だから、それ、私聞いたんだ。
それを目の前で、血管切って、血を採ってね、飲ませるのかって。
そうじゃなくて、奥から持ってくる。冷蔵庫かどっかから持ってくるんでしょ。
輸血用の血漿液ですよ、そんなものは。
輸血用の血液を飲ませて、五万円で買わせて、飲まされて。
駄目なんだ、私はね、求聞持法やっているから、からくりがすぐわかっちゃう。
-----------

彼は、自分の教義に密教を取り入れているというのに、密教については、はなはだ無知であることが容易に理解できる。彼がここで取り上げた「血のイニシエーション」について説明しておこう。

イニシエーションとは、そもそも宗教的な指導者から弟子への秘儀伝授のことをいうのだが、
この「血のイニシエーション」とはチベット密教の古い経典『ンガリン』にも記述が見られる伝統的な儀式で、
チベット密教ゲールク派においてはタントラ・イニシエーションの中の第二イニシエーションとされている由緒あるものなのである。
一般にはワインのようなものが使われるが、指導者と弟子が共に高度なレベルである場合には本物が使われることがあるのだ。

こういったイニシエーションには、現代の感覚からいえば違和感を覚えるものもあるかもしれない。
しかし、仏教の世界においてもそのような例は伝わっている。
仏陀釈迦牟尼が入浴した水が、<奇跡の水(ミラクル・ポンド)>として多くの人々に愛飲されたと言うことを知れば、
皆さんも納得されるのではあるまいか。


14 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:12
1058 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 07:03
つづ〜き〜。

オウム真理教で、この「血のイニシエーション」が行われたのは、過去に一回だけある。
それは、このイニシエーションがオウム真理教の数あるイニシエーションの中でも最高峰に属するもので、
決して「血を売る」ようなものではないこと、そして私の肉体的な負担が非常に大きいことといった背景があるからだ。
そして、今後おこなう予定は今の ところない。
それほど高度なイニシエーションなのである。
桐山氏の中傷は、まさに彼の密教に対する無知から生じているといえよう。

そして、彼は忘れている。
1980年に、「阿含宗はチベット密教と全く同じである」と自ら発言したことを----。
このときは、チベット密教のダライ・ラマ法王との関係を成立させたりしていたので、
虎の威を借りる狐のごとく、法王の名を利用したのかもしれない。
が、こういう発言をする以上、密教のイニシエーション等、教義に関することはよく勉強しておいていただきたいと思う。
まあ、もとを正せば、『阿含経』と密教をごっちゃにしている彼の教義にこそ問題があるのであるが。

それから、一杯五万円で血を飲ませるだとか、輸血用の血液だとか、事実に反することが、どこから出てきたのだろうか?
これでは、求聞持法を修したという頭脳に、妄想が詰まっているのだとしか考えられない。
普段から嘘をつくことに慣れているから、講話においても口から出まかせが出てしまうのだ。

私には、この尊いイニシエーションを売るようなまねはできないし、してもいない。
また、輸血用の血液など使いもしない。
実際には、私に専門医と正看護婦それぞれ一名が付き、厳重な衛生的管理のもとで採血されたのである。
しかも、イニシエーションを受ける人々の眼前で−−。

イニシエーションはすべて秘儀に属する霊的エネルギーの移入であるから、ここで詳しくその内容を書くことはできない。
が、桐山氏の嘘を証明する必要があるならば、専門医と看護婦、イニシエーションを受けた三十名の信徒、
そして付き添っていた大師達が証人となってくれよう。


15 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:12
1059 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 07:04
続きだよ。

そして、念のために言っておくならば、阿含宗を見限ってオウム真理教に改宗した人は多いのである。
しかもそれは、彼が言うような「頭の良くない人が、2,3人」なんてものではない。
長年阿含宗の幹部を務めあげてきた方々を含め、その数はどんどん増えているのだ。
そして、オウム真理教の修行で順調にステージを上げ、クンダリニー・ヨーガの成就によって、
大師となった人でさえ8人もいるのである。
ペンを置くにあたって、私は、阿含宗管長・桐山靖雄氏が早く自己のなしている悪業を反省し、
人々を惑わすのをやめることを願いたい。
また、仮にも一宗を率いる教祖なのであるから、根も葉もないことを言ってオウム真理教を誹謗・中傷するまえに、
もっと仏教や密教の教義を勉強していただきたいと思う。

そして、私は阿含宗の信徒の方々に心から訴えたい。
真の宗教とは何なのか、真にあなた方を幸福にする教えとは何なのかをもう一度よく考えてほしい、ということを。
真理ではないものに帰依し、修行に励んでも、あなた方が本当に心の底から望んでいる幸せは得られない。
そればかりか、知らず知らずのうちに悪業を積み重ねてしまうことにもなるのだ。

私はここで一つの目安を示したいと思う。
その宗教団体が真理であるか否かを見極めるには、以下の四つの条件を考慮すればよい。

1.きちんとした矛盾のない教義が存在していること

2.様々な修行法、瞑想法、イニシエーションを含めた、その教義にのっとった修行体系を整えていること

3.その修行体系にのっとって修行をした結果がきちんと出ており、それを証明できる者が存在していること

4.修行者を目的地に導いてくれる信頼できる指導者が存在していること

そして、この四つの条件を正確に満たしている宗教的な組織といったら、現在オウム真理教しか存在していないのだ。

阿含宗からオウム真理教に入る人はいても、オウム真理教から阿含宗に入る人はいない。
もし、これまで私が述べてきたことに、まだ疑問を感じる阿含宗の信徒の方々がいるならば、
既にオウム真理教の修行を実践するようになった、かつての仲間に聞いてみればよい。
必ずやあなたの疑問を解いてくれることだろう。

そして、一日も早く真理に目覚め、本当の幸福をつかんでもらいたい。
今のままでは、幸せどころか、かつての私のように、いずれ本当の魔境に陥ってしまうのは間違いないのだから。


1060 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 07:07
類は類を呼ぶ、か・・・。

でも麻原よ、なんで3年間も阿含宗にいたの?
よほど居心地がよかったのかな?
千座行を通して、刑獄の因縁まで学んでしまった損師でした。(爆)


16 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:13
1061 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 07:14
>その宗教団体が真理であるか否かを見極めるには、
>以下の四つの条件を考慮すればよい

たしかに阿含宗はこれらの条件をひとつも満たしていない。
でも条件を満たしている宗教を私はひとつも知らない。1062 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 07:48
素朴な疑問。

確か阿含宗では「中途挫折の因縁」というのがある、
と教えていたと思うのですが、
もしこの因縁をもった人がこの因縁を切るため、
千座行でも仏舎利尊・解脱宝生行でもいいのですが、
そのような行を続けなければその因縁を切れない、というのであれば、
その人はどうやってその行を続けられるというのでしょう?
だって「中途挫折の因縁」があるなら、
その因縁がじゃまをして、途中で行をやめてしまうでしょう?
信徒の方、納得いくお答えきぼーん!

1063 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 08:33
阿含宗は家運衰退の因縁(?)を切ることができなかったようだね。
凋落の一途。

1064 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:10
>1045 A さん、おはようございます。
おおせのとおりで、反省しています。
馬鹿といのは、日本大乗には本質的な言葉でもあるのですが。
昔はよく、馬鹿になれという指導を受けたものです。
私も、議論好きの因縁を断ち切らないと、この、人生だめです。
本当に馬鹿です。悩んでいます。また、よろしく。B

1065 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:23
>1046さん、こんにちは。
15年前に、ローマ法王パウロ二世が、阿含宗とともに歩む(道は違っても)
という方向に舵をきったのですが、巨大な艦船はなかなかターンをはじめ
ないかのように見えます。
従来サタンの教えとされていた仏教徒と、ともに歩むのは難しいことかも
しれませんが、あの日の抱擁がスタートになるように願っています。

1066 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:30
>1047さん、おはようございます。
しかしすごい知識ですね。私もいつ注意を受けるかと
びくびくして書きこんでいますので、おどろいてしま
いました。阿含宗ではインターネットは禁止ではない
とは思うのですが、副管長げいかの喪に服すべき大事
な時に、ここで、いたずらな議論を重ねるというのは
不謹慎ですものね。
しかし、1047さんのようなかたは道場で中途半端な
先達に話を聞いても満足できないでしょうし、相手も、
質問の意味もわからないでしょうし、困りますね。
管長がさしで話をする時間も無いし。
阿含宗はネット大学でも作るべきですね。

1067 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:35
>1049さん
成仏法がないのであれば、仏教は
ないのではありませんか。
仏教は仏陀になるための教え。仏陀になる=成仏
だと思うのですが。

1068 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:40
>1050さん
リーダーに法位がなければ、その団体は仏教教団ではないのです。
この命題は証明不要です。
仏陀は仏教=成仏法の創始者です。成仏へのルートを開発した方です。
仏陀の法位は「無師独覚」「天上天下唯我独尊」です。

1069 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:49
>1055 -1060
これがオウムの人なら、コメントもするのだけど、
学会さんが、オームのコピーを載せてもコメントに値しない。
自分の文字で書けないの?

1070 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:53
>1062さん
中途挫折の因縁とは、強い人も弱い人もあるのです。
弱い中途挫折の因縁の人は自分で乗り越えられるのです。
強い人は、よくテレビでやっているエンジン不調で落ち
そうな飛行機ですね。周りで何とかかんとか励まして
無事着陸させるのです。
みんな無事着陸できるとは限りません。脱落者はいっぱいいます。


17 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:13
1071 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 10:07
>阿含宗からオウム真理教に入る人はいても、
>オウム真理教から阿含宗に入る人はいない

これって助かりますよね、万一帰ってきたら大変。お世話が。

ジョーユーさん、いっぱいまちがっていますよ。100箇所くら
いは指摘できそうだけどやめとこう。学会さんも自分の文字で
書かずにオームの文献など使い出したら、批判のための批判、
誹謗のための誹謗だと思われますよ。
批判は、ここがおかしい、と思うから批判するものなのです。
敵だから、不利益だからというのであれば、中傷です。

1072 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 10:12
みささん、これで、本当にお別れです。残念ですが。
もう2chの心と宗教欄には書きこみをいたしません。
仏様に誓います。
お返事が無くてもお許しください。
皆様が(阿含宗でなくてもよいから)本物のブッダ、ダルマ、
サンガにめぐり合うことをお祈りしています。
また、クリスチャンの方にはイエスの恵みがありますよう。
合掌。


1073 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 17:10
「かれ われを 罵れり われを 害したり
われに 打ち克てり われより 奪いたり」と
かれに とらわれの思い いだく あらば
怨みは ついに 消ゆること なし

「かれ われを 罵れり われを 害したり
われに 打ち克てり われより 奪いたり」
かれに とらわれの思い いだく なくば
怨みは すでに 消えて失せぬ


まこと ひとの世に いつの代も
怨みによりては 怨みは 消えず
怨みより 離る かくてこそ 消ゆ
これぞ とこしえの 真実 ならむ


「われら ここに みずからを 抑え止めむ」 と
他の ひとびとは そを わきまえず
されど そを ひとびとが わきまえて あらば
もろもろの 争いは 消ゆ

1074 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 17:23
他のひとの もろもろの あやまちを 見ることなかれ
他のひとの 為せると 為さざるを 見ることなかれ
ただ みずからの 為したるを はた
為さざりしを のみ 見よ


第一に 自己をこそ
ふさわしく 調え
しかるのち 他に 教うべし
かくあらば 賢きひとは 煩い なからむ


他に 教うるがごと
そのままに みずからに 為すべし
みずからを 制御してこそ 他を 制御せむ
まこと 自己は 制御し 難ければなり

1075 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 17:38
怨み 懐ける なかにありて 怨むこと なく
いと 楽しく われら 生きむ
怨み 懐ける ひとびとの なかに
怨むこと なく われわ 住まわむ


勝利より 怨憎 生ず
敗残のもの 苦しみて 臥す さらば
勝敗をば なげうち捨てて
寂静なるは 安楽に 住す


孤独の 味と
寂静の 味とを 味わいて
法悦の 味を 味わうひとは
苦悩 去り 禍を 離る


1076 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:14
信者さんがいなくなっちゃった。
仏舎利のもらった数と安置している数が合わない話を聞きたかったのに。
まさか割って分割したわけではないだろうに。
残念。


18 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:14
1077 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:20
麻原は池田を殺そうとしたが失敗。
でも当時、桐山には手を出さなかった。
その心は、
「集客窓口」!


1078 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:24
>>阿含宗からオウム真理教に入る人はいても、
>>オウム真理教から阿含宗に入る人はいない

>これって助かりますよね、万一帰ってきたら大変。お世話が。

ちがうでしょ。
帰ってこなかったのは行った連中全員が
麻原よりも桐山の方がレベルが低いと実感したからだよ。
恥だと思わなきゃ。
大量無差別殺人犯の人間性よりも
桐山の程度が低かったっていう評価なんだよ?
1079 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:28
けがれたものは、阿含宗にはいられない。
出て行くし、帰ってこない。

1080 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:58
悪因縁で汚れている人が阿含宗にいられなかったら
一体だれを救うのですか?
汚れた人達を救済するのが宗教本来の役割ではないのでしょうか。


1081 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 20:01
インターネットって宣伝の場かと思っていたけれどネ。
まあ、負ける喧嘩で恥かくよりも参加しない方が得策ということか。
1082 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/25(日) 20:52
なんか、ちょっと苛々してきた。宝石買ってもらえって
何なのよ、とりあえず誤魔化しときゃ済むって、そうゆうこと?
そりゃ女にとって宝石の輝きは麻薬のようなもの、もらえりゃ
うれしいよ。でもあくまで麻薬は麻薬、現実から目をそらす
道具でしかないのよ!どうして男って女から逃げることしか
考えないんだろう。妻としっかり向き合う強ささえ、修行では
身に付けらんないのね。
私は会費払ってるだけの現役信者、これからも書き込みを続けさせて
もらいます。

1083 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 21:11
>1039
>教学的に納得いかないのか。

桐山さんの言っていることと、やっていることが
これだけ矛盾すれば、納得しようがありません。
信者として残っている人たちは、理屈よりも、
桐山さんがやっていることはどうあれ、
彼が好きだということじゃないですか。
何人かの信者がここでそれを表明しています。

理屈をあれこれつけて、正当化しようとするから、
矛盾を攻撃されるのです。
だから、書き込み中止を宣言した信者は
阿含宗では正しい選択です。
迷わないためには、読まない、見ない、書かないで、
阿含村で桐山さんの天声と定説で信仰することです。
これは皮肉ではなく、元信者からの率直な意見です。

阿含村の出身ですから、忘れることはありません。
しかし、インターネットにすら対応できない村に
帰ることはありえません。

1084 名前: 宝石の輝きは麻薬 投稿日: 2000/06/25(日) 21:13
>宝石の輝きは麻薬
ばかだね、まやくじゃないの。
本質的に大事なものなの。女にとって。


19 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:14
1085 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 21:16
>1042
>>1027カトリックパームサンデーに参加された
>カトリックの方へ。

私はカトリックだと書いたことはないし、
現実にカトリックではありません。
相変わらず、他の方と誤解されているのではありませんか。

堤壽美子副管長を法王が抱擁したのは事実です。
1046さんもこの点を強調したいようだが、
これが何か特殊なことだと思っているのですか。
青年の集いで、壇上でパフォーマンスしたグループの
代表者全員を、法王は抱擁したのです。
機会があれば、あなたも法王に抱擁してもらえます。
だが、あなたを特別な人だと思ったからではありません。
神の代理人としての仕事です。

細かい修正です。
青年の集いで千羽鶴を渡したのではなく、
阿含宗の信者がパームサンデーで渡したのです。

人間だから記憶違いもするでしょう。
だが、信者さんの書いていることは、記憶違いでは、
すまされないようなことが多すぎます。

400人の信者が最前列にいたと、どなたか書いていましたね。
最前列にいたという信者がいるなら、ぜひ名乗っていただきたい。
そんな人いるわけがありません。
最前列は身障者がいたのです。
阿含宗の信者はその直後にすらいませんでした。

自分に都合のいいように記憶を変えるのは桐山さんの
得意技だが、信者さんまでまねすることはありません。
釈迦は現実を、事実をあるがままに観察することを説いています。

1086 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 21:20
>1043
>創価学会の方は、人は良いのですが、頭が悪いのです。

1043さんは、阿含宗批判の書き込みをしている人が
創価学会の信者たちだと思っているのでしょうか。
選挙のさなかに学会の会員が書き込みをすると思いますか。
創価学会は阿含宗を商売仇、競争相手とはだいぶん前から見なしていません。
宗教界での阿含宗の存在は、信者数が減ったことから、
90年代に入って急激に小さくなってしまったからです。

1087 名前: 宝石の輝きは麻薬 投稿日: 2000/06/25(日) 21:22
妻よりもお墓を大事にした
だんなが、ばかなの。勉強が足りないの。


1088 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 21:37
>1018さん
この先達は正しい。
桐山さんが同じこと言っている。
まともに議論すれば、桐山さんの馬脚が現れるから、
信者は議論してはいけない。

昔、Niftyでも信者対非信者の議論があって、
報告を受けた桐山さんは、
内容について、何一つ指導ができなかった。
やめるように言っただけ。
あんなことなら、おれでも言える。

その信者は、どんなに矛盾を指摘されても、
桐山さんへの深い深い信仰を表明するだけで、
あれ、桐山さんの名前を叫んでの玉砕だよなあ。
その一途さに、涙がでたね。
他の人も涙流しながら、トドメ刺したと思うよ。
信者は、桐山さんの馬脚をたいせつにしよう!

1089 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 21:59
>400人の信者が最前列にいたと、どなたか書いていましたね。
>最前列にいたという信者がいるなら、ぜひ名乗っていただきたい。
>そんな人いるわけがありません

阿含式!


1090 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 22:11
>迷わないためには、読まない、見ない、書かないで、
>阿含村で桐山さんの天声と定説で信仰することです。

そして
信者は詐欺師の共犯となった・・・。


20 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:15
1091 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 22:51
桐山管長猊下は罪深き衆生でも解脱できるということを示す為に現世で様々なご苦労をなさいました。
上辺だけで軽軽しく判断することは仏陀の深遠な慈愛を理解していないことになります。
1092 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 02:10
>1070
中途挫折の因縁とは、強い人も弱い人もあるのです。
弱い中途挫折の因縁の人は自分で乗り越えられるのです。
強い人は、よくテレビでやっているエンジン不調で落ち
そうな飛行機ですね。周りで何とかかんとか励まして
無事着陸させるのです。
>みんな無事着陸できるとは限りません。脱落者はいっぱいいます


一番救わなければならない人を救えない、役に立たない行ということですね。
はい、よく分かりました(笑)。

1093 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 02:34
ちょくちょく宗旨がえする桐山自身「中途挫折の因縁」なのね。


1094 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 02:40
>1067さん
成仏法がないのであれば、仏教は
ないのではありませんか。
仏教は仏陀になるための教え。仏陀になる=成仏
>だと思うのですが。

だ・か・らぁ〜σ(^◇^;)、
「仏陀」にしろ「成仏」にしろ
単なる言葉、単なる記号でしょ?
私はその中身について聞いているんですよ。

何を持ってブッダ(覚者)というのか?
そのための「方法」ってなにってこと。

こういうこと言っているようじゃ、
思考停止で修行してるんでしょうね。
その行が自分をどこに導いていくかも知らずに…。
本当にお気の毒さまです。

1095 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 03:05
>1068さん
リーダーに法位がなければ、その団体は仏教教団ではないのです。
>この命題は証明不要です。

たーっ、「仏教教団」の言葉の定義なんか聞いてないだろう?
それが宗教上そんなに大事なことなのか?
ということを言っておるのじゃ!!!!!

>仏陀は仏教=成仏法の創始者です。成仏へのルートを開発した方です。

二言目には成仏法というが「成仏」の意味も分かってないのに
よくそんなことが言える。あきれますよ、本当に。
それに「ブッダ」というのは個人の名前ではなく、覚った人、
つまり覚者をさして呼ぶ言葉です。
当然、釈迦以前にも多くのブッダ(覚者)たちがいました。
別に釈迦が覚者になるルートを開発した訳ではありません。

>仏陀の法位は「無師独覚」「天上天下唯我独尊」です。

おい、おい、本気で言ってる(笑)?
誰がその法位を与えたんだよ、全く。

こんな初歩的な話しすら、入り口で滞るようじゃ、
まともな議論なんてできませんな。
本当の本当に心の底からあきれかえりました。

1096 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 09:35
>1083 さん、
私は難しい問題はわかりませんが、
結局、阿含宗の人も、やめた人も
好き嫌いがもとなのだと思います。
好きだから、良いところを一生懸命べんきょうするし、
嫌いだから、悪いところを探すのでしょう。
どうして、お嫌いになってしまったのでしょうかねえ。

1097 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 09:48
>1086
あ、選挙って公明党がするんだと思っていた。


1098 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 09:52
>1088さん。
信者さんか、元信者さんのようですね、
私は、こんな話は聞いたことがないのですが?


21 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:15
1099 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 10:01
>1092さん、
本当に重い、重傷の人達は
なかなか正法を受けつけないですね。
私の友人の信者は、物事をしっかり
自分で考える知的な方が多いです。

1100 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 10:48
>1094
>「仏陀」にしろ「成仏」にしろ
>単なる言葉、単なる記号でしょ?
>私はその中身について聞いているんですよ。

このテーマだと仏教全般の勉強と言うことに
なりますね。阿含宗ではちゃんと明確な言葉
で指導されていますので、阿含宗で勉強して
ください。
ただ不思議なことに、仏教では仏陀の言葉を
信じると言うことが、解脱への第一歩という
事になっているのです。信じる前には、学ば
ねばなりません。学んで考え抜いて初めて信
じられるのです。
阿含宗でなくても増谷博士の阿含経などでも
わかると思います。
墓守の意味がやっとわかりました。子守りを
からかわれたのかと思ったのですが、僧侶で
すね。私は僧侶ではありません。

1101 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 11:36
>1095さん
法嗣、法統を受け継ぐことは重要だと思います。
リーダーの方、そのお子さん、信頼できる弟子
どなたでも修行に行けば良いわけですから、その気に
なれば簡単だと思います。

成仏の意味は阿含宗では明確に説明されています。

ブッダ、と書いた場合、歴史上の仏陀釈尊、ゴータマ
ブッダをさす場合と、目覚めた人をさす場合がありま
すね。

仏教ではゴータマブッダは特殊な存在です。仏教の
創始者なので、もちろん法嗣を継ぐ必要がありません。
また、我を捨てよと指導されますが、ゴータマのみ
我を捨てる必要はありません。
そのコメントの方は説明を省略されたようですが、こ
のようなことを手短にゆわれたのだとおもいます。
うけうりで申し訳ありません。


1102 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 12:41
>当然、釈迦以前にも多くのブッダ(覚者)たちがいました。

1劫に1人とかいうのでしょう。1劫って何年。
1億年?地球ができて30億年。30劫?
私達はゴウタマブッダにたよるしかないでしょう。


1103 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 13:19
>1099
ということは、悪因縁まみれの
頭の悪い人は阿含では取り扱わないと言うことですか?

1104 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 14:42
>1011さん
法嗣、法統を受け継ぐことは重要だと思います。

いつの間にか法位が法統になってる…。
こう言うのを言葉のすり替えって言うんだよ。

>成仏の意味は阿含宗では明確に説明されています

その意味とやらが阿含宗独自の解釈で間違っているんじゃないのですか?
違うと言うならここでその明確な説明をしてください。

>また、我を捨てよと指導されますが、ゴータマのみ
>我を捨てる必要はありません。

…意味不明です。

1105 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 15:10
>1100さん
このテーマだと仏教全般の勉強と言うことに
なりますね。阿含宗ではちゃんと明確な言葉
で指導されていますので、阿含宗で勉強して
>ください。

私は単に、あなた方の言うブッダ(覚者)や成仏(解脱)
の意味がおかしいのでは?と指摘しているだけです。
その意味さえちゃんと答えられない、ということのようですね(笑)。


22 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:16
1106 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 15:19
>1104
>…意味不明です。

やっぱりきみには無理だったか。よーちえんの
お迎えいきます。あなたも3時頃から忙しいんでしょう。
は、か、も、り、さん。またね。
1107 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 15:20
>1102さん
>>当然、釈迦以前にも多くのブッダ(覚者)たちがいました。

>1劫に1人とかいうのでしょう。1劫って何年。
>1億年?地球ができて30億年。30劫?

本当になんにも知らないようですね。
覚者はいつの時代でもいますよ。
というよりやっぱり覚者の定義がおかしいとしか思えない。
覚者というのは別にスーパーマンでもウルトラマンでもないんですよ。
そういえば桐山さんは「超人」という言葉を使っていたような気がしました。
ニーチェに感化されたヒットラーじゃあるまいに…。
解脱の意味をよく考えてください。

>私達はゴウタマブッダにたよるしかないでしょう。

その釈迦自身が自灯明と言っています(笑)。

1108 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 15:40
>1106
やっぱりきみには無理だったか。よーちえんの
お迎えいきます。あなたも3時頃から忙しいんでしょう。
>は、か、も、り、さん。またね。

はかもり?誰かと勘違いしているようです。

説明できないからといってようちえんに逃げるようじゃなぁ…(笑)。
まあ、ここの部分はある意味で
一番答え辛いところだろうから、
必死になってごまかそうというんでしょう。
経典にこう書いてある、いや、そうじゃない、式の議論なら
ある意味、知識の問題だから、なんにも考えなくていい。
あまり知っている人のいない合同ミサの話しでも大ボラ吹いていればいい。
でもこのテーマは一番の核心にせまる部分だから
経典にこう書いてある式の逃げ方が出来ないですからね。
なんども言うようですがここの部分は非常に重要です。
阿含宗のアイディンティティに関わってくる部分ですから。

あなた方が真実だと信じて疑わないブッダや解脱の定義、
それが間違っているんです!!
だから経典にこう書いてあって
それが修行法だうんぬん言っても仕方がないんですよ!!!

1109 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 16:10
>1099さん、
本当に重い、重傷の人達は
なかなか正法を受けつけないですね。

わたしゃ「中途挫折の因縁」とその解消法である「○○行」とやらが、
論理的に矛盾している、ということを指摘しただけなんだがね。

>私の友人の信者は、物事をしっかり
>自分で考える知的な方が多いです。

しっかり考えれば、そもそも「中途挫折」の原因を因縁にしてしまうことに
無理があるし、ましてやその解消法として「○○行」などという
訳の分からないものを持ち出すこと自体がナンセンスだと気がつくだろうに…。

1110 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 18:09
>1096
>好きだから、良いところを一生懸命べんきょうする

物事を理解するのに、好き嫌いでやっているということは、
すでに信仰が先に来ています。
自分がそうだから、他の人もそうだというのは間違いです。

桐山さんはそういう信仰を否定しています。
桐山さんは、法華経を引用して、
信仰と理解は車の両輪だと本にまで書いています。
どちらに偏ってもいけないと言っている。

桐山さんのいうとおりに、
信仰するために理解しようと努力した人たちは、
阿含宗が矛盾だらけだとわかってしまう。
嫌いなところを探したのではなく、
信仰を深めようして、つまり好きになろうとして、
桐山さんの指示どおりのことをしたのです。
そういう信者は、ここには書き込めないのです。
反論される前に、自分がその反論がわかるからです。

だから、疑問を持たずに信仰を続けたかったら、
阿含村から一歩も出ないことです。


23 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:17
1111 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 18:15
>1098
>>1088さん。
>私は、こんな話は聞いたことがないのですが?

1088さんの話は事実です。
その打ち出しを読ませてもらったことがあります。
詳しくは覚えていないが、信者側はさんざんでした。

関東別院の例祭か定例会で桐山さんに報告書が提出されました。
報告書はたぶん打ち出しでしょう。

聞いたことがないということは、
1098さんがまだ信者ではなかったか、
でなければ、不勉強かのどちらかです。
阿含宗では都合の悪いことは、
信者も口をつぐんでしまい、早く忘れるのです。

桐山さんがこのスレッドのことを聞けば、
「何もわからない会員が勝手に書いて、
阿含宗管長に恥をかかせた」などと、
教学の矛盾や指導の不足を棚にあげて、
あなた方に責任転嫁しますよ。
ここで阿含宗のために必死に戦ったあなた方のことなど、
桐山さんは使い捨ての鉄砲玉くらいにしか思っていません。

1112 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 18:58
>1107
仏陀の教えを学び、自己を島(州)とせよ。
私達にとっての仏陀(覚者)はゴータマブッダ
しかいらっしゃいません。

1113 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 19:29
>1108
昼頃にあらわれるお坊さんとは違う方ですね。
たしか立正こうせい会とは関係のない、という方でしたっけ。

あなたが本当に、涅槃への道を歩みたいと思っている
のであれば、私も、こつこつと書いていってもいいの
ですが、ただ、阿含宗を批判したいばかりなのでしょう。
文章もあげあしとりばかりではありませんか。
そんなの、いちいち、反論するのはめんどうですよ。

仏教では、我を捨てよと言います。間違った考えがいっ
ぱい詰まっていたら、仏陀の正しい教えが頭(こころ)に
入らないのです。我を捨てて空っぽになってください。
その後で、仏陀の得た真理を学んでください。
仏陀の得た真理は真理なのです。どうして真理かと言うと
、仏陀が「私の得たものは真理だ」と宣言したからです。
これが仏教の出発点です。「私が真理と言うから真理なのだ。
瞑想を通して体験せよ」。ある意味で、無茶な論理ですね。
これを「天上天下唯我独尊」と言うのです。
(一般の方が唯我独尊になると「おかしい」と言うことになります)
私達の持っている我は真理ではありませんから捨てる必要が
あります。仏陀の我は、イコール真理なので捨てる必要はな
いのです。
批判のためのでなく、真理を見つけるためでしたらいずれお話
しましょう。


1114 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 19:51
>1111さん、
阿含宗の方ですか。いいことをお聞きしました。
私も書きこみをやめます。
もう一人の方と同じく、仏様に誓います。
私のコメントはすべて受け売りです。
自分で考えたことなど一つもありません。懺悔します。
これでお終い。さよーなら。

禁止令など出ていないのだから、
呼び出し無しね。宗務局さん。


24 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:17
1115 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/26(月) 20:44

「一九九九年七の月」 33.祇園精舎を日本に移す

桐山氏は、18年前の本「一九九九年カルマと霊障から脱出」で
「もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね」
と述べています。
この地とは祇園精舎とそこにあるミラクルの池のことです。

地球壊滅の時、祇園精舎にもう一度来い、と釈迦から言われたというのです。
地球と人類を救うため、桐山氏は祇園精舎に行き、釈迦を日本に移すという重
大な使命を負ったのです。
桐山氏は釈迦から直々にこの指示を受けました。

この使命を桐山氏に託したのですから、釈迦は桐山氏を高く評価しているのです。
釈迦みずから桐山氏を自分の後継者として選択したのです。
釈迦の真の法を受け継ぐ唯一人の弟子としてのまぶしい桐山氏がそこにあります。
釈迦は、自分の法を体得した桐山氏にすべてを託したのです。
釈迦の期待を一身にあびる桐山氏の姿はなんと輝かしいことでしょう。

1999年、祇園精舎から釈迦を背負い、阿含宗の総本山にお招きするのです。
そして、阿含宗の総本山は、釈迦仏教の祇園精舎になる予定でした。

しかし、桐山氏は1999年にインドに行ったとき、祇園精舎に行きませんでした。
18年前に本に書き、各地で講演し、映画で大宣伝したのに、行きませんでした。

理由は、インド旅行だけでもきついのに、祇園精舎は田舎にあるからです。
脳梗塞を患っている78歳の桐山氏の体調を考えて、やめたのでしょう。
行かなかったのではなく、行けなかったのです。

桐山氏が祇園精舎に行くだけで当たったことになる18年前の簡単な予言なのに、
自分自身が身動きがとれず、当たらせることすらできない状態だったのです。
こういうのを自業自得か、それとも仏罰というのでしょうか。
桐山氏は自分が作り出した妄想の釈迦すら背負うことができませんでした。

熱心な信者はこの程度の矛盾や腰折れは物ともせず、
「1980年のときすでに釈迦は移された。ミラクルの池は空だ」
「1999年のインドの護摩で成就した」
と必死に桐山氏に頭を合わせます。


1116 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 23:19
阿含宗では、大乗非仏説を主張しますが、阿含経以外に大乗経典である般若心経
も尊重するようです。ところで、般若心経は「般若経」と総称される一群の経典
の一つですが、般若経の中でも最も初期に成立したといわれる「八千頌(はっせ
んじゅ)般若経」では、仏舎利を礼拝供養するよりも、般若経を礼拝供養する方
がより多くの福徳が得られると説かれています。それは何故かというと、「般若
経」が説く般若波羅蜜−「智慧の完成」というさとりの境地そのものこそが、仏
陀の身体(シャリーラ=舎利)を生んだ真理の本質だからだという理由です。

 このことは舎利崇拝を中心に置く阿含宗の教義と完全に矛盾するのではないでし
ょうか。まぁ、般若心経を大乗非仏説によって排除してしまえば、一応は片づく
のですが「かんじーざーぼーさー」とみんなで読経できなくなったら困ります
からそれはないでしょう。
 いっそ、大乗も真理の教説=仏説だとハッキリ肯定してしまった方がいいか
も知れません。そうすれば阿含宗も大乗仏教に堂々仲間入りができ、坊さんが
護摩を焚いたり占いをしたりするのも「菩薩行」ということで大乗経典の名の
もとに正当化できて、後ろめたい思いをしなくてすみます。その代わり、伝統
仏教各宗派との差別化はあまりアピールできなくなりますが。

 もっといい手があります。「桐山師こそ仏陀の再誕なり」ということで、桐
山師の言葉=真理という教義にしてしまうのです。しかしこれだと「○○の○
○」の二番煎じみたいで、桐山師のプライドが許さないでしょう。

 阿含宗は桐山師が入滅された後は、桐山師の遺骨を真正仏舎利として本尊に
するのでしょうか。


参考文献:「大乗仏典2 八千頌般若経I」中央公論社刊
      中公新書 梶山雄一著「般若経」    


25 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:18
1117 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 00:53
大乗仏教の起源は仏塔に止住していた非僧非俗の菩薩集団が
指導的な立場に立っていたようです。

>1116 般若経の中でも最も初期に成立したといわれる「八千頌(はっせ
んじゅ)般若経」では、仏舎利を礼拝供養するよりも、般若経を
礼拝供養する方がより多くの福徳が得られると説かれています。

仏塔に寄進された供物を取り込むため、
僧院教団との差別化を図るため,
智慧を得るための修行が不可能な
一般庶民に安心を与え、
自分たちの提唱した大乗仏教運動に、
引き寄せるためでしょう。

> このことは舎利崇拝を中心に置く阿含宗の教義と完全に矛盾するのではないでし
ょうか。まぁ、般若心経を大乗非仏説によって排除してしまえば、一応は片づく
のですが「かんじーざーぼーさー」とみんなで読経できなくなったら困ります
からそれはないでしょう。

般若心経の「空論」がわかりすく、簡潔に
まとめられているので読経しています。

依経ではないです。

般若心経の「智慧の行」を長年探し求めて、
それを阿含経のなかに見出し、依経としました。
大乗経典をすべて否定しているわけでは無い。

ただ、すべての経典の首座に阿含経を据える、
これが仏教の本流であり、
釈尊の本願であると桐山管長はお考えになられているのでしょう。

詳しくは「般若心経瞑想法」をお読みください。

> いっそ、大乗も真理の教説=仏説だとハッキリ肯定してしまった方がいいか
も知れません。そうすれば阿含宗も大乗仏教に堂々仲間入りができ、坊さんが
護摩を焚いたり占いをしたりするのも「菩薩行」ということで大乗経典の名の
もとに正当化できて、後ろめたい思いをしなくてすみます。その代わり、伝統
仏教各宗派との差別化はあまりアピールできなくなりますが。

阿含宗は菩薩乗と阿羅漢乗とが融合した
「一仏乗」です。

強いて近代仏教学の研究成果を否定することも
無いとおもいますが。まあ、このあたりは
それぞれの宗派のご都合もおありなのでしょうが。

> もっといい手があります。「桐山師こそ仏陀の再誕なり」ということで、桐
山師の言葉=真理という教義にしてしまうのです。しかしこれだと「○○の○
○」の二番煎じみたいで、桐山師のプライドが許さないでしょう。

そう思っている信者さんもいるでしょうね。

そんなつまらない内容の本や法話はしませんよ。

> 阿含宗は桐山師が入滅された後は、桐山師の遺骨を真正仏舎利として本尊に
するのでしょうか。

もう墓所が決まってますから、それはないでしょう。

かなり辛辣なご意見ですね。でも、折り目正しい文章に
好感をもっています。


26 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:19
1118 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 01:52
ご丁寧なレスにてご教示いただきありがとうございます。

 > 1116 いっそ、大乗も真理の教説=仏説だと
 歴史上の人物であるゴータマ・ブッダの教説だから仏説なのではなく、
 真理(ダルマ)が説かれているから仏説であるという、大昔からある論理ですが
 ちょっと言葉足らずでしたか。

 >阿含宗は菩薩乗と阿羅漢乗とが融合した一仏乗です。
 門外漢なので知りませんでした。以前の信者さんの書き込みでは、ブッダと、後
 に声聞と呼ばれる仏弟子たちのさとりは同等である旨ありましたので、阿含宗で
 は釈尊を福智二資糧を集積し現等覚した一切智者とは見なしていないのかと思っ
 ておりましたが・・・


 ところで、仏教は釈尊の絶対の教えであったはずの、出家→梵行(禁欲的修行)
 →渇愛を滅して涅槃というシンプルな教義から、やがて大乗が興起して「発展」
 し、密教が出現し、果ては無上ヨーガタントラに至り、ついには故郷であるイ
 ンドから姿を消したという歴史的をたどったわけですが、阿含宗では何故仏教
 は阿含経に説かれるようなかたちにとどまらず、「展開」したと考えておられ
 るのでしょうか。
 例の「ヘーゲルの弁証法」ですか。
 三十七菩提分法の具体的修行法を忘れてしまったためですか。
 それとも差別化を図るための営業戦略(いわゆる加上)だったのでしょうか。


 後世の史家は、こう評するかもしれませんね。

 阿含宗の起源は京都方広寺に寄生していた非僧非俗の拝み屋集団が
 指導的な立場に立っていたようです。
「念力護摩」と壁に大書された汚い木造モルタル家屋が近年まで建
 っていました(まだあるのかな?)。
 阿含経を宣揚し、仏舎利崇拝を後年取り入れたのは
 近代仏教学を取り込むため、
既存教団との差別化を図るため,
智慧を得るための修行が不可能な
一般庶民に安心を与え、
自分たちの提唱した宗教ビジネス運動に、
引き寄せるためでしょう。


27 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:20
1119 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 04:22
>1113
昼頃にあらわれるお坊さんとは違う方ですね。
>たしか立正こうせい会とは関係のない、という方でしたっけ。

私はお坊さんではありません。
また、確かに立正こうせい会とも関係ないですが、
以前にそういう発言しましたっけ?

>あなたが本当に、涅槃への道を歩みたいと思っている
のであれば、私も、こつこつと書いていってもいいの
>ですが、ただ、阿含宗を批判したいばかりなのでしょう。

それは大きな勘違いというものです。
確かに阿含宗を批判したい気持ちはありますが、
それはあくまで阿含宗が嘘を、それも仏教理解に関して、
非常に危険な嘘をついているからです。
これを読んでいる人の中には、
阿含宗は確かに嘘を言っているが、きっとどこかに、
たとえばチベット密教とか別のどこかに、
本当の成仏法があって、それを修めれば超人のような存在になれる、
と思っている人もいるかもしれないし(少ないだろうが)、
そのような嘘が、ある意味でオウムを生んだ、
という背景があるからなのです。
つまり阿含宗を攻撃しているのではなく、その嘘を攻撃しているのです。

>文章もあげあしとりばかりではありませんか。
>そんなの、いちいち、反論するのはめんどうですよ。

「あげあしとり」とはまたお得意の言葉のすり替えですか?
それにいちいち反論してるじゃないですか、本論をはぐらかしながら。

あなた方信者のほうこそ、はっきり間違いを指摘され論破されても、
好きだからやってる、などといって結局自分の間違えを訂正しようとはしないようです。
本当に正しいことを指摘されても、それを正さないで言葉のすり替えを行う、
というのは、まずはじめに阿含宗ありき、だからでしょう。
もっとはっきり言えば、あなたにとっては何が正しいか、
何が真実か、などはどうでもいいことなんだ。
阿含宗の抱える矛盾も嘘もどうでもいい。
結局、(阿含宗の中にいる)自分がかわいいだけじゃないですか。

>仏教では、我を捨てよと言います。

あなたがこのスレッドの議論の中で必死に守ろうとしているその「我」を
どうぞ捨ててください(笑)。

>間違った考えがいっ
>ぱい詰まっていたら、仏陀の正しい教えが頭(こころ)に
>入らないのです。我を捨てて空っぽになってください。
>その後で、仏陀の得た真理を学んでください。

これであなたがトンデモない勘違いをしている、
ということがいよいよはっきりしてきました。
あなたは空観というものがどういうものであるのかさえご存じない。
それと根本的なことを一つ。
これはともすると仏教者でも誤解していたりすることですが、
仏陀は正確にいうと、無我ではなく非我を教えたのです。
「我」という想い、「自分」とか「私」という感覚、
すなわち自性を否定したのです。
それにそもそも「空」とは単純に「無い」とか
「空っぽ」ということではない。
有=無
という対比というのは、現象世界の相対性の中での捉え方で、
そういう「無い」ということさえ無いのが「空」なんです。
これってはっきり言って基本中の基本だと思いますが。

このあなたの考えを読んでいると、つい最近読んだ
「日本社会がオウムを生んだ」
という本を思い出します。
その中で元オウムの信者が、同じように麻原から言われて
多くの信者がヘッドギアをつけて修行をしていた、ということを言っています。
あなたがここで言ったのと全く同じように、麻原も弟子たちに、
空っぽになれ、そこに真実の教えを入れるのだ、と言っていたのです。
これも阿含宗から学んだことだったのですね。よく分かりました。


28 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:20
1120 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 04:24
1119の続きです。

>仏陀の得た真理は真理なのです。どうして真理かと言うと
>、仏陀が「私の得たものは真理だ」と宣言したからです。

だれがそんな大嘘をあなたにおしえたのですか?
桐山さんですか?
真理は当然ながら誰にとっても真理です。
釈迦以前にも覚者がいた、という話をしましたが、
別に釈迦が言おうが言うまいが真理は真理です。

それにこんなこと、いまさら言うのもばかばかしいくらいですが、
そもそも仏典というものは、一番最初に
「私はこのように聞いた」
という言葉で始まっています。
これはようするに、仏典というものが釈迦が自分で直接書いた物ではなく、
伝聞である、という忠告です(これくらいもちろんご存じですよね?)。
伝聞ですから、もしかしたら間違っているかもしれない。
釈迦は本当はもっと別のことを言いたかったのかもしれない。
たまたま、わかりやすく方便を言っていただけなのかもしれない。
だから釈迦が死の床にある時、
私が亡き後は自らと法を頼りにしなさい(自灯明法灯明)、
と言ったのでしょう。
経典に書いてあること(私の言ってること)を頼りにしなさい、
とは一言も言っていない。

>これを「天上天下唯我独尊」と言うのです。

これもでたらめです。
これは「意識」というものが本来持っている性質を端的に述べたにすぎません。
もっともこれに関してはあなたに限らず誤解している人が多いようですが。
詳しく解説してあげたいのですがかなり長くなってしまいますので…。

>(一般の方が唯我独尊になると「おかしい」と言うことになります)
私達の持っている我は真理ではありませんから捨てる必要が
あります。仏陀の我は、イコール真理なので捨てる必要はな
>いのです。

誰の我であれ、我は我です。
それにそもそも
捨てるも捨てないも、自性というのは最初から認識の誤りで、
最初からないのですから捨てようがありません。

それに「誰が」その我を捨てようと努力するのですか?
瞑想して、我を捨てよう、と思うのもまた「我」です。

あなたは真我(アートマン)のようなことを指して、
仏陀お我は…と言っているつもりのようですが、
あまりにも幼稚な解釈なので
どこから正してあげればいいのか迷ってしまうほどです。

>批判のためのでなく、真理を見つけるためでしたらいずれお話
>しましょう。

あなたは少々私を見くびっているようですね。

あなたが阿含宗を弁護するためではなしに、
間違いは間違いとはっきり認め、
真理を見つけるためでしたらいずれお話しましょう(微笑)。

1121 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 05:07
素朴な疑問。
桐山さんは、僧侶ですか?
それとも在家信仰者ですか?


29 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:21
122 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 10:24
>1119さんこんにちは。
逃げ腰の中途半端な会話になって、申し訳なく思っています。
逃げ腰なのは議論に対してではなく、阿含宗から注意を受ける
のではないかと思っているからなのです。ですから、コメント
をいただいて、おかしいな、と思われるところを指摘して、
さっとひくとういう態度なので、不快感をお与えしていると思
います。申し訳ありません。
「我をすてる」と言う言葉ですが、ただ単に世間で言う「我を
捨てなさい」「私の考え」と取ってください。
存在論、空性論の「我、アートマン」の意味では書いていません。
無我や非我について書くとなると、長いスレッドになりますので
ちょっとまずいですね。
昨夜の11時ころから始まっているスレッドは、阿含宗関係のかた
だと思います。そのあたりにコメントをつけると解答がえられる
かもしれません。
ということで、私は、ここを立ち去りたいので、ご容赦ください。
お元気で。


1123 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 10:48
>1120さん
>真理は当然ながら誰にとっても真理です。
>釈迦以前にも覚者がいた、という話をしましたが、
>別に釈迦が言おうが言うまいが真理は真理です。

釈迦以前の覚者はいたでしょうが、現実的に私達が
その教えに触れることのできる方は、ゴータマブッダ
ただお一人だと思うのです。このあたりの考えを
あまり敷衍しますと、何でもありの宗教が乱立する
ような気がするのです。
?氏が、数劫前の覚者だれそれの生まれ変わりであ
るとか。ですから、私は、教えとしては、この2000数百年
の現在の地球文明の範囲で考えたほうが良いと思うのです。
宇宙全体で考えた場合、覚者は恒星の数より多いでしょう。
無限大かもしれません。しかし、私達にとっての恒星=太陽
はゴウタマブッダしかおられないと思うのです。
それでは、昨夜から始まりました(誤解かもしれませんが)
阿含宗スレッドにコンタクトしてみてください。お返事は
なかなか得られないと思いますが。また時間単位ではなく、
日単位のお返事だと思います。それでは、さようなら。1124 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 10:57
>1112 昨夜の11時ころから始まっているスレッドは、阿含宗関係のかた
だと思います。そのあたりにコメントをつけると解答がえられる
かもしれません。

無責任な発言ですね。そんなことなら黙って立ち去るほうが
よほど良心的なのではないですか。別に発言が義務付けられてぃる
わけではないのだから。議論以前の問題ですね。まあ、そういうかたは
あなたに限ったことではないですが。

もう二度と来ないでください。迷惑ですから。1125 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 11:06
>1124
しかし、読解力のない方でした。

1126 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 11:58
阿含経や法句経などに死者に対する供養や水子供養のことを
説かれているのでしょうか。阿含宗ではそれらをどのように
考えているのでしょうか。
こんな質問は以前出たかもしれませんが。


30 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:22
1127 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 12:34
>1119さん
>仏陀は正確にいうと、無我ではなく非我を教えたのです

桐山さんも、「無」と「空」の違いを昔から説いています。
無我と非我は理論的には教えるが、
現場では、日本の新興宗教でよくつかう
「我をなくせ」「我が強い」的な意味に使うのです。
信者たちは自分でも気が付かないで、
本音と建て前を使い分けしています。

阿含宗は、建前は釈迦仏教、本音はただの御利益新興宗教です。
書き込む信者がそのどちらに偏っているかの違いです。
現場のおばちゃん先達の話なんか、御利益信仰そのものです。
本音としては、先達が桐山さんの教えとすら違うことを言っても、
成績さえあげれば、桐山さんも職員も決して文句を言わない。
建前の理屈だけなら、「一仏乗」なんて難しい言葉が出てくる。
もっとも本人にこれを詳しく説明しろと言われたら、
桐山さんの本を丸写しするしかないでしょうけど。

好き嫌いの他に、桐山さんの言っていることとやっていることの
ギャップを矛盾と感じるかどうかの「神経」です。
アノ矛盾だらけの阿含宗を見ていて、指摘されても、
何も感じないというのは、神経が鈍感なんだと思いますよ。

議論に口をはさんですみません。
だが、あまりに力に差があるので、
信者さんを弱者救済せんといかんような気になりました。
救済にもなってないか。

1128 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 13:40
>1127さん
無我、非我の「我」は、存在論の範疇でしょう。
存在論の「我」がどうして心の持ちようという
指導の場面にあらわれるのですか。
両者は、ただ単に漢字が同じというだけです。
陽子(ようこ)と陽子(ようし)が同じ漢字
なので混同するのと同じくらいおろかです。
文脈からどちらの「我」かを判断するのです。
故意に混同したのならあげあしとりだし、故意
でないのなら、読解力の不足です。

1129 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 13:49
身見のことを、分かりやすく
ここでは、我見と言っているだけです。
「我を捨てよ」と言った文脈で
まさか、アートマンと身見(我見)を
混同してコメントを付けてくるとは
思わなかったのです。
よーちえん行きます。今日はおむかえ2時です。1130 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 14:14
>1126さん、
おむかえはどうせ遅刻です、お友達に頼みました。

解脱供養、水子供養についてですが、正式には阿含宗の
コメントがあると思いますのでそちらでどうぞ。
(以下私見です)
わたしはこの問題は仏教徒は死者の供養をすべきかどう
かという問題と、その際に料金を取っていいかどうかと
言う2点に絞られると思います。
死者の供養は仏陀の時代には当然していたと思います。
料金は取っていなかったと思います。その代わりにご供養
はしたのでしょうね。これは、別の機会にです。その時には
できませんから。
現代では、どの仏教教団でも死者の供養はしていますので、
問題ないと思います。お礼のご供養金のほうも、阿含宗の
ようにはっきりと決まっているほうが主婦としてはうれし
いです。
「いくらでも結構です。お志。お金なんて要りません。」
などというのが一番怖いですね。お金は教団運営には必要
ですし、供養も信じられないほどの供養力がありますので
満足しています。
ここまでは書きたくないのですが(分かってくれない人も
いますので)、水子が死者でないという方がおられましたら
、それは、なにをかいわんや、ですね。
キッズ(複数形)がもう帰ってくると思いますので、パソコン
切ります。さようなら。
追伸、文中で「供養」と「ご供養」を一応使い分けています。


1131 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 14:25
ついでに、
我(アートマン)は捨てよとか捨てるなとか
言うものではないでしょう。
常住なのか、常住でないのか、無なのか、有なのか、
空なのか。
私は簡単に「条件により生じ、また滅す。=空」
ととらえています。


31 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:22
1132 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 14:40
>1126
出家者は釈迦の葬儀(すなわちそういう俗事)
にかかわるなといっていますね。
理由は釈迦の思想をたどれば、当然ですね
在家はかまわないんじゃないんですかね

1133 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 14:45
>1132さん、やっとお昼休みですね。

>出家者は釈迦の葬儀(すなわちそういう俗事)
>にかかわるなといっていますね。

お葬式の用意(雑事)はしなかったと思うのですが、
偈は唱えていたと思いますよ。供養のメインは偈の
唱和でしょう。そして、以外と、出家、在家が協力し
ていたと思う。今のように。

1134 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 16:55
>1115
ヌマエビさん、迫力ないですね。読んでいるうちに信者になった?
賞賛しているみたい。ただ一つ病気誹謗があるだけ。

病気を誹謗すると言うことは世間ではまったく行いません。
日蓮系の特徴ですね。仏罰という用語も日蓮系のバックグラウンド
を感じさせます。
腰折れという言葉は、意味、用法がまちがっています。お粗末でした。

1135 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 17:57
>水子が死者でないという方がおられましたら、
 それは、なにをかいわんや、ですね
と言われても、もともと水子とは稚い子、2,3歳の子のことです。
流産や中絶した胎児を水子と言うようになったのはここ30年くらいの
ことではないでしょうか。釈尊が流産した胎児のことを考えていたとは
思えないのですが。
>供養も信じられないほどの供養力がありますので
供養力という言葉を初めて知りました。阿含宗で使うのでしょうか。
経典とまでは言いませんが桐山氏以外の人も使っていますか。


1136 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 20:24
↑しかしみなさん、あげあしとりが
おすきなようで。供養をしてさしあげる力
に訂正します。素人語です。
素人語も辞書には載っていないですね。素人の言葉
に訂正します。
>1135さんは、流産を経験した女性の苦しみを
知らない方ですね。

1137 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 20:26
>1135
流産というのはね、我が子の死なのですよ。

1138 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 20:51
>1128さん
>存在論の「我」がどうして心の持ちようという
>指導の場面にあらわれるのですか。

これを信者でも教祖でもない私に聞かれても困りますね。
教祖さんたちにとって、信者に
「教祖の教えを信じないのは我が強いからだ」
と言うことを聞かせるのには、ちょうどいいからではありませんか。
おっしゃるとおりで、無我や非我と、
心の「我が強い」とは関係ありません。
1113さんが、「我を捨てて空っぽになってください。」とか
我を捨てる、という表現をしています。
1113さんは、無我や非我と、
心の持ちようとの区別がついていません。
それは1128さんが指摘したとおりです。
しかし、その原因は、1113さんが誤解しているだけではなく、
阿含宗などの新興宗教では、これら関係ない両者を
いっしょにして説いているからだ、と申し上げたのです。

1139 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 21:09
>1134さん
へえー、こういう解釈もできるんだー。
前半は賞賛じゃなく、目一杯小馬鹿にしてるように、
おれは読めるけど。
病気を誹謗してるんじゃなくて、
教祖さんのやっていることに脈絡がないと言っているんじゃないすか。
「腰折れ」も、歌がうまく上と下が続かないことを言うわけよね。
桐山さんが最初に言ったことと、後でやったことの間に
脈絡がないことをたとえて使うのは、「お粗末」ですかねえ。
ヲタク、国語の先生?
採点してないで、教祖さんを罵倒されてるんだから、内容で反撃したら。
「祇園は京都にある!」とか書いたらどー。


32 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:23
1140 名前: 1135 投稿日: 2000/06/27(火) 22:22
揚げ足取りではない。供養とはどういう意味かを考えてもらいたい。
死者に対して経を読んだり、教団に布施することが供養なのか。
流産した女の気持ちが分からないと言うが、妻は3回流産している。
何とかしてやりたいのが人情だが、はたして死者に対してなにができる
のか。大切な人の死を縁としてどう考えるか。そうした問いかけがなく、
ただ供養しなさいでは自己満足に終わる。だからいわゆる水子供養は
そのあたりが安易である。自分が死者に何かできる、してあげるんだと
いうのは傲慢だ。

1141 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 22:31
>1140
さん、阿含宗の供養は安易ではないと思いますよ。
流産や幼い子供を亡くした人が、供養の後はとても明るいのです。
近所の、ダウンしょうの、お子さんを亡くした人は、
もう5年以上たっていますが、悲しみに打ちひしがれています。
死者が苦しんでいるのです。言ってあげる事もできないのですが。
子を亡くした親は悲壮です。

1142 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 22:40
>1139
文章をみると、挫折の意味で使っているからおかしいような気がするが、
歌や俳句に例えたのなら高級な表現だと思う。その時はせめて、腰折れ
歌とでもしてほしかった。話題が歌で無いのに、突然、腰折れはおかしい。

仏罰;仏陀は法を教える先生なのです。罰は与えません。
仏教には無い概念だと思うのです。使用されるのは日蓮系だけですね。
日常的には使うかもしれませんが。
ほうぼう者は病気になれ、なるがいい、というのも、日蓮系の発想だと
思います。
他の宗派は病気の人は責めないですよね。

1143 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 22:47
>1138さん
アートマンの無我、非我と身見をなくすの(無我)を混同して
いるのは伝統仏教の方に、むしろ多いでしょう。
阿含宗では、我見といわずに身見といっていますから。
無我とか無我の境地という言葉は使いません。むしろ禅などで
多用(混同)されるのではないでしょうか。
そこまで、考えている人は少ないでしょうから、一般用語の
我見や我は使っていますが、これはどこでも同じです。

これから、混同しないように、身見という言葉を普及させれば
良いのですね。(素人の発想で申し訳ありません)

1144 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 22:58
>1139さん。
私は祇園精舎、サヘトマヘトが、京都山科北花山大峰にある
釈迦山大菩提寺に移された。それは仏勅によりものであると
思っていますので、かのコメントが賞賛としか読めないのです。

ローマバチカンのことも、モンゴルの奇跡のことも、映画や
写真が無ければ誰も信じないでしょう。サヘトマヘトが移され
たことは霊的なものですから、わからない人にはわからないの
です。燕雀、鴻鵠の志を知らずですね。

1145 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 23:02
>1139さん

「祇園精舎は京都にある!」

1146 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/27(火) 23:18
もしかして、ここの板にしてはこのスレッドって盛り上がってる?
阿含宗の信仰者と否定してる人とが戦っている状態なのですか?
一体何人の信者、否信者が会話してるのですか?

1147 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 00:52
>1138さん
>1113さんが、「我を捨てて空っぽになってください。」とか
>我を捨てる、という表現をしています。

この文面における我をアートマンととるのはやじはりおかしいと思います。
アートマンというものは「あなたの本質、本体、アイデンティティー」
なのです。あなたがあなたたる所以ですね。私は簡単に表現すると
私のアートマンは無明から始まり、渇愛(取)に著明にその存在感を
誇示する一連の連鎖だと思っています。
ちょっと舌足らずな表現でしたが、捨てられるようなものではないですよね。
これをたとうと思えば、無明を断つしかないわけで、初心の修行者が一足飛
びに涅槃を、ということになってしまいます。
ですから、この文脈ではやはり、我見(身見)のことを示していると
思います。
あんたの、ごちゃごちゃした考えを捨てて、仏陀の話を良く聞きなさい
という文面だと思いました。


33 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:23
1148 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 00:55
>1146
にゃにゃさん、こんばんは。
にゃんともたいへんです。
何か質問してね。

1149 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 01:00
>1146
にゃにゃさん歓迎。
みんなの頭を冷やしてやってください。

1150 名前: 火で洗礼する方は? 投稿日: 2000/06/28(水) 01:06
>781さん

>バプテスマのヨハネが言われた、私の後からきて
>火で洗礼する方はどなたなのですか。

読みおとしていました、ありがとうございました。

1151 名前: 火で洗礼する方は? 投稿日: 2000/06/28(水) 01:07
みなさまどう思われますか?
いろんなご意見を聞きたいと思います。忌憚なく
どうぞ。

1152 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 01:09
聖書が間違っているんじゃないの。

1153 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 01:47
>1152 聖書が間違っているんじゃないの。

苦しい解釈ですね。ヨハネの「火によって洗礼をさずけられる」の言葉が
いままで削除されなかったほうがわたしなどには不思議な印象をうけますが。

ゾロアスタ―教じゃあるまいし。


34 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:25
1154 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 02:51
>1122さん
>1119さんこんにちは。
逃げ腰の中途半端な会話になって、申し訳なく思っています。
逃げ腰なのは議論に対してではなく、阿含宗から注意を受ける
のではないかと思っているからなのです。ですから、コメント
をいただいて、おかしいな、と思われるところを指摘して、
さっとひくとういう態度なので、不快感をお与えしていると思
>います。申し訳ありません。

別に謝ることはありません。あなたが阿含宗を弁護するためにここに現れている、
というのは最初から分かっていますし、1119で指摘した通りですから。
むしろ素直に本当のことを認めていただいて恐縮です(笑)。

>「我をすてる」と言う言葉ですが、ただ単に世間で言う「我を
捨てなさい」「私の考え」と取ってください。
>存在論、空性論の「我、アートマン」の意味では書いていません。

もちろんそのつもりで書いています。私がアートマン?と聞いたのは、
あなたが

>私達の持っている我は真理ではありませんから捨てる必要が
あります。仏陀の我は、イコール真理なので捨てる必要はな
>いのです。

と書いたから、その部分をのみ指して言っています。
私たちの我が我見でも身見でもいいのですが、そういうものだとして、
それならあなたがここで言っている仏陀の我は何なのでしょう?
あなたがこういうおかしなことを言うから、じゃあ、あなたの言ってる
この「仏陀の我が真理」というのはアートマンのことを指して言ってるのかなと…(笑)。

いや、あなたの話のはぐらかし方があんまりうまいのでほとほと感心してしまいます。
これでは私がまるで、あなたの言う「我」とアートマンを混同しているみたいじゃないですか、全く…。

もう一度よく読んでほしいのですが、あなたの言ってることが我=我見であることは
もちろん分かっています。ただ、言葉の使い方が人を惑わす紛らわしい使い方で、
たとえばあなたは一番最初に"仏教では、我を捨てよと言います。"の一言で入っていますが
これは非常に紛らわしい。
1127さん(>サンキュー)が指摘してくれているとおり、
意図的なものを感じます。
そのことの危険性を分かってもらうために、わざわざ、
麻原も全く同じことを言っていた、という話を間においているのです。
読解力がないのはどちらでしょうね?

さらにまた、よくよく読んでいただきたいのですが、
私は我見を無理に捨てることはないと思っています。
そんなことは不可能ですし、究極的にはどうでもいいことです。
なぜなら瞑想体験が有る人なら誰でも知っていることだと思うのですが、
この肉体が自性でないのと同じように我見もまた自性ではないのですから。
あなたは肉体が自性でないから、間違ったものだから、動かしてはいけない、
じっとしていなさい、といいますか?
人は真理に目覚めない限り、我見を持ち続けるしかないのですよ。


35 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:25

我見を捨てようとするのもまた一つの我見です。
あなたが自性を離れない限り、我見を離れることなど出来ません。

善いも悪いも人はその我見を持つ以外ないのです。
むしろ棘を持って棘を抜く、というたとえの通り、
それをうまく使うなら、使うすべを知っているなら、
それは立派な知恵に変容するんです。
これを無理に空っぽにして、あなたが言うところの真理とやらをそそぎ込んだら、
それは世間一般でいうところの
「洗脳」
と呼ぶものにしかなりません。

それと、これもまた後で言葉のすり替えをしたり、
いや、そう言う意味じゃない、みたいないいわけをするのでしょうが、
そもそも真理って頭に入れたり出来る物なんですか?
仏典に書いてあることは所詮、どんなに正しくても、
一つのデータ、情報、知識にしかすぎません。
そして、もちろん情報、知識は学べます。
頭を空っぽにしてそこに知識として入れることは出来ます。
しかしそれで真理が体得出来るわけでは有りません。

おっと、こういう書き方をすると、
いや、阿含宗では顕教で教えない瞑想をちゃんと教えているだの、
言葉だけではだめだから実践(行)を重視している、そのための成仏法がある、
と反論するんでしょうね。
はっきりご忠告差し上げておきますが、そんなことは100も承知、
200も合点で批判している、ということをお忘れなく(笑)。

>ということで、私は、ここを立ち去りたいので、ご容赦ください。
>お元気で。

どうそご自由に、別に私は引き留めませんよ(笑)。


36 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:26
1155 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 02:51
>1118 真理(ダルマ)が説かれているから仏説であるという、大昔からある論理ですが
 ちょっと言葉足らずでしたか。

大乗仏教運動は当時のインドの庶民のみならずさまざまな階層、立場のかたがたが
経典製作に関与していたみたいですね。高度かつ難解な仏教哲学を修めた僧侶も
なかにはいたでしょう。一般庶民のみならず。さもないと経典としての最低限の
体を成すのが難しくなりますからね。

でもなにゆえインドでは大乗仏教は撤退したのでしょうか。不思議です。
釈尊ご在世当時は、在家信者自身が解脱の確信を得たようですが
そうした事が無く、ただ経典製作に励んでいたのか。

ひとそれぞれの真理という意味では、それも意義のある行為かもしれませんが。

真理に目覚めたひと、覚者という言葉を聞いてクリシュナムルティを
イメ―ジするひといようし、あるいはラジニ―シかもしれない。
そうなると、どこまでいっても言葉のパズルか連想ゲ―ムみたいなものに
なりますね。

「覚者はいつの時代にもいる」という解釈も、成り立つかもしれない。

> ところで、仏教は釈尊の絶対の教えであったはずの、出家→梵行(禁欲的修行)
 →渇愛を滅して涅槃というシンプルな教義から、やがて大乗が興起して「発展」
 し、密教が出現し、果ては無上ヨーガタントラに至り、ついには故郷であるイ
 ンドから姿を消したという歴史的をたどったわけですが、阿含宗では何故仏教
 は阿含経に説かれるようなかたちにとどまらず、「展開」したと考えておられ
 るのでしょうか。
 例の「ヘーゲルの弁証法」ですか。
 三十七菩提分法の具体的修行法を忘れてしまったためですか。
 それとも差別化を図るための営業戦略(いわゆる加上)だったのでしょうか。

何故「展開」したのでしょうね。わたしもそのあたりの事情について書かれた
ものを探していますが、いいのがありませんね。というか、デ―タは丹念に
拾いあげるが結論がおかしいとか。

まずはじめに「大乗仏教ありき」なのでしょうね。

在家信者に対する指導に失敗した、というのがインドで
仏教が衰退した原因でしょう。無駄なことにエナジ―を浪費したく
ないでしょうし。よき指導者も少なくなった。そうすると、
運動もおのずと尻すぼみにならざるを得ない。

> 後世の史家は、こう評するかもしれませんね。

 阿含宗の起源は京都@@@に寄生していた非僧非俗の拝み屋集団が
 指導的な立場に立っていたようです。
「念力護摩」と壁に大書された汚い木造モルタル家屋が近年まで建
 っていました(まだあるのかな?)。
 阿含経を宣揚し、仏舎利崇拝を後年取り入れたのは
 近代仏教学を取り込むため、
既存教団との差別化を図るため,
智慧を得るための修行が不可能な
一般庶民に安心を与え、
自分たちの提唱した宗教ビジネス運動に、
引き寄せるためでしょう。

固有名詞をだすのは非常識というものです。

先方に対する迷惑も考えましょう。公人と果たして言えるかどうか。

後世のひとにそう言われないようにしたいものですね。


37 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:26
1156 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 04:33
>1123さん
釈迦以前の覚者はいたでしょうが、現実的に私達が
その教えに触れることのできる方は、ゴータマブッダ
ただお一人だと思うのです。このあたりの考えを
あまり敷衍しますと、何でもありの宗教が乱立する
>ような気がするのです。

お気持ちはよく分かります。
ですが、申し訳ないのですが、
これはすでに何百年の昔から言われ続けてきたことで、
あなたがご存じないだけですでに結論が出ていると思います。

これに関して一番簡単で有名な例えは、例の月を指す「指」の例えでしょう。
これは、「真理」を空にかかる「月」に例えて、仏陀の「教え」を「指」に例えるものです。
大事なのはもちろん月であって指ではありませんし、
月は一つでしかあり得ませんが、指は何本でもあり得ます。

>?氏が、数劫前の覚者だれそれの生まれ変わりであ
るとか。ですから、私は、教えとしては、この2000数百年
の現在の地球文明の範囲で考えたほうが良いと思うのです。
宇宙全体で考えた場合、覚者は恒星の数より多いでしょう。
無限大かもしれません。しかし、私達にとっての恒星=太陽
>はゴウタマブッダしかおられないと思うのです。

だからあなたは根本的に勘違いしているんです。
上に書いた例えを読んでください。
大事なのは「月」であって「指」じゃない、って書いてありますね。
その(大川某氏のことだと思うのですが)?氏が、
数億年前の覚者の生まれ変わりだと言っているなら
かってに言わせておけばいいのです。
だって彼がもし仮に万が一(というより何十億劫が一?)
本当の覚者の生まれ変わりだったとしても、
それでも彼は1本の指にしかすぎないから重要ではありません。
大事なのは、どこまでいっても月=真理のほうです。

そう言えば誰かが、
禅の伝統では、師に会ったら師を、仏陀に会ったら仏陀を殺せ、
と教えているんでしょう?と言っていましたが、
それも基本的には同じ理屈です。
もちろん彼らは実際には殺しませんよ(笑)。ちゃんと敬います。
ですが「指」を無条件で信じたり崇拝したりはしません。それでは危険きわまりない。

それでもあなたは、いや、仏陀なら信じても安心だ、と反論するのでしょうが、
私に言わせれば、それは?氏を崇拝するのと同じくらい危険です。

というのも、そもそもあなたは何を根拠に真理を真理と知るのでしょう?

何かがあなたの中でそれが真実だ、と感じるからでしょう?
では何がそうあなたに教えるのでしょう…?
…よく考えてください。
あなたはその自分自身の内側にある理解の灯(自灯明)
をもっと育てなければなりません。
私に言わせれば、それだけが唯一の本当の「師」です。

そう言えば誰かさんが
>「仏陀の得た真理は真理なのです。どうして真理かと言うと
>、仏陀が「私の得たものは真理だ」と宣言したからです。
と得体の知れないことを言っております。
こういうでたらめを信じては危険です。
だって阿含経といえども伝聞ですからね。
間違っている可能性は否定できない。
さらに「解釈」の問題がある。
仏陀はもうこの世にいないのですから、どういう意味で言ったのか
解釈に幅が出てきたときどう解決するつもりなんでしょう?

だから宗教の理解というのは、基本的には個人的なもので、
人の言ってることを信じればいい、というのはどんな場面でも危険なんです。
たとえそれが仏陀の言ってることであったとしてもね。おわかり?


38 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:27
1157 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 09:34
>1153 さん、おはようございます。

私達会員の間では、火の洗礼は阿含のお護摩のことだと
思っています。阿含宗が公式にそんなことは言っていないと
おもうので、会員が勝手に言っていると言うことです。
このあたりは、詳しくないのですが、他の、会員の方いかが
ですか。

1158 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 09:49
皆さん名無しさんになってるのが多いので、文脈から信者、否信者と判断するしか
ないのですが、一つの書き込みを意味を理解しようとしながら分析するのが
とってもとってもしんどいです。にゃんともはや。
やっと今、1000台まで読みました。書き込むときにHNを使うとか、
せめて信者か否か、肯定派か否定派かだけでもあると分かりやすいのにニャぁ…。

1159 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 09:51
インターネットについて。
阿含宗ではインターネットは禁止なのでしょうか。
ニフティ−の件は、いろんな人に聞いてみた
のですがあまり知られていないようです。
会員のかた、元会員の方いかがですか。
このスレッドを読んでみますと、元会員の方のほうが
よくいろいろ知っておられるような感じがします。
(教学も含めて。会員さんすみません。)

1160 名前: 1140 投稿日: 2000/06/28(水) 10:14
立正佼成会や霊法会のスレッドにも同じようなことを書いたが馬耳東風だった。阿含宗の信者も同じく無意味だろうが、供養について書く。
死者に対する供養を言う人は死者を仏として供養しているのではない。死者を霊、それも迷ったり祟ったりする霊として考えている。だから死者が迷わないよう祟らないようにと供養している。どこかいいところへ行ってもらいたい、自分の罪を消したい。そう思っている。
そして供養することによって何らかの御利益があることを期待する。だから供養力とは供養することによって御利益が得られる可能性が強力だという意味だろう。こんなことを言うと、御利益なんか考えていませんとすぐに答える人が多い。それは自分の心が見えてないだけだ。
供養とは本来、三宝に対して供養をする。私の迷いを気づかしめ、私の歩むべき道を示された仏に供養をするのである。つまり供養する心の根本には感謝、喜びがある。
当然、何らかの見返りを期待するものではない。供養したのだから死者がいいところに行っただろうとか、私は善根を積んだとかいうのも見返りである。
流産した胎児を仏として拝んでいるか、感謝しているか。そうではなく、胎児を救うべき存在を考えていないか。迷っているのは私であり、 救われるべきは自分自身である。なのに私が何かしないと死者は迷いっぱなしになる、苦しみっぱなしになる、と考えている。
そして私はできると考えている。
これは無知であり、傲慢である。それを無明と言う。無明から覚めれば死者を仏としていただくことができよう。先祖供養や水子供養をしたら幸せになるなどという自分中心の考えを転じなければ、無明から覚めることはない。
決して供養=慰霊ではないのだが、日本人の大部分はそう思っているだろう。既成教団もそれで食っているわけだからどうしようもないのだが。
それはともかく、死者に対して供養するというのは自己満足だという認識だけは忘れずに持っていなければならない。そこで死者に対してなにができるのかという問が始まる。


39 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:27
1161 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 11:18
>1154さん、おはようございます。

>それならあなたがここで言っている仏陀の我は何なのでしょう?
>あなたがこういうおかしなことを言うから、じゃあ、あなたの
>言ってる
>この「仏陀の我が真理」というのはアートマンのことを指して
>言ってるのかなと…(笑)。

私はこのあたりのことを書き込みしたときは、じつは、すっかり
アートマンのことは忘れていました。コメントを頂いてだんだん
思い出してきて整理することができました。ありがとうございま
した。

仏陀の得た真理を((仏陀の我見))と表現したのは、紛らわしい
書き方だったと思います。ただ仏教徒以外の人に、仏陀は真理を得
たといっても誰も納得してくれないのも事実です。(それも我見
だというでしょう)
そのとき、仏陀が得たものが真理かもしれないと思い、学び始めれば
(まだ信じてなくても)仏教徒だし、首を振って立ち去れば非仏教徒
なのです。仏陀はただ「天上天下唯我独尊」「私の教えは真理であって
信仰ではない」と獅子吼して入門を待つしかないのです。

仏陀のアートマンってなんでしょうね。昨夜どなたかが、無明から
始まり、愛着(阿含宗ではよく渇愛、タンハーといいますね)を
頂点する連鎖がアートマンであると書いておられましたが(十二
因縁、十二の縁起するもののこと?)、その最初の無明を断って
しまった方のアートマンというのはどのように理解すればよい
のでしょうか。涅槃を得たかたのことは、涅槃を経験したもの
しか分からないのでしょうね。仏陀のアートマンはヒトのそれと
は異なることは確かでしょう。
と言うことで、仏陀にしても、その見解=真理、とアートマンは
まったく別のものだと思います。1162 名前: 1140 投稿日: 2000/06/28(水) 11:38
>1141
西田幾多郎が14歳の娘を亡くした時の文章です。
「亡き我が児が可愛いというのは何の理由もない。ただわけもなく可愛いのである。ここまで育てて惜しかろうという人がいるが、親にとって損得ではない。女の子でよかったですね、という人がいるが、男の子なら惜しくて、女の子なら惜しくないという比較ではない。
 子を喪った人はあなただけではない。悲しんでいる人は大勢いるのだから、あきらめなさいよ、忘れなさいよ、といってくれる人がいるが、これは親にとって堪えがたいことである。
 せめて自分だけは一生思い出してやりたい、というのが親の心である。この悲しみは苦痛といえば苦痛だが、しかし親はこの苦痛のなくなるのを望まない」
悲しみに沈んでいることは決して悪いことではないと思う。明るいと言うが、どう明るいのか。苦痛を通してでなければ亡くなった人とは出遇えないのだ。

1163 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 11:53
>1154さん
>我見を捨てようとするのもまた一つの我見です。
>あなたが自性を離れない限り、我見を離れることなど出来ません。

このあたりは難しい表現ですが、私は、仏陀と自分の考えが
異なった場合、なるべく仏陀に合わせていこうということで
よいと思っています。輪廻転生などはなかなか簡単にはすっと
入っていけない考えです。そうかと言って、私が無から生じて、死
ねば無になるという単純なものでもなさそうです。こう言う時に
仏陀の考えをいつも心にとどめて考えていくことが大事なのだと
思うのです。うちの母などは、仏陀よりもキリストよりも自分の
考えが正しいと思っていますから。(と言うより思い込みに固執
しているのですね)
世間には、天上天下唯我独尊の人っていっぱいいますよね。1164 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 12:21
>「洗脳」
>と呼ぶものにしかなりません。

洗脳、マインドコントロール。
テレビなどでアナウンサーがよく言っていますが、
自分が正常であるとの前提なのですね。自分が基準
なのです。
仏教の身見(我見)をすてよ、とは、仏陀の考えを
基準にせよと言うことですよね。非仏教徒からみれ
ば洗脳でしょう。私の同級生の精神科医などは、
霊的な事柄は、まったく頭から受け付けようとしません。
目の前で霊的な現象が起こっているのに、見ようとも
しません。これも西洋発祥の精神科学?に洗脳されてい
るのでしょう。


40 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:28
1165 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 12:30
1116さん、1118さん
>声聞と呼ばれる仏弟子たちのさとりは同等である旨ありましたので、阿含宗で
>は釈尊を福智二資糧を集積し現等覚した一切智者とは見なしていないのかと思っ
>ておりましたが・・・

私も両者のさとりは同等であると思っていました。仏陀釈尊はただ
無師独覚ゆえに尊いのだと。
このあたりは、私には分からないことばかりの大乗仏教用語です。
また、阿羅漢乗、菩薩乗、それらを融合した一乗仏と言う言葉も、
生まれてはじめて聞いたものです。不勉強で申し訳ありません。
ありがとうございました。
1166 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 12:48
>1118さん
>1155さん
私には、この問答は謎です。
>例の「ヘーゲルの弁証法」ですか。
例のといわれても、何の事かわからない不勉強が申し訳
ないです。私も含めて、教えたことをすぐ忘れるのが素
人の特徴です、と、開き直ってもいけないのですが。
阿含仏教、根本仏教があって(正)、それに対して
奈落の底に落ちた大乗仏教があって(反)、それらを
止揚したものが阿含仏教(合)と言う事なのでしょうか。

止揚と、融合、混合の差異は何なのでしょうか。1167 名前: 桐山靖雄 投稿日: 2000/06/28(水) 12:50
私の宗派の事で色々意見が出とるようだが・・・。
いいの!!ほっといてよ。俺はただの詐欺師なの。
天台宗の頑頂もちゃんともらったの!コロンビア・・じゃない
早稲田もちゃんと出たの!正門からね。
ビールだってニセモノでもいいじゃん!!アジ化ナトリウムとか
入ってなけりゃさぁ。
ぼくちんの派手なパフォーマンスってかっこいいでしょ?エヘヘ。
今度またぼくちんの手品超能力でお尻から炎を出すんだ。
引田天候・・あれ?字間違えてないっけ?まあいいや。てんちゃん
と電撃ネットワークのみんなと一緒に今度ライブをやるんだ。
みんなぁ〜遊びに来てね!!!

1168 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:00
>1153さん、
指より月が大事なのは事実なのですが、みんなが俺の指が
真理を指し示していると言い出したら、きりがないのです。
ですから、私は、仏陀がたどり着いた真理、それを指し示す
ゴータマブッダの指を大事にしたいのです。
?氏と書いたのは具体的なものではありません。誰でもと
言うことです。世間には多くの方がおられますよね。しかし
その指の指し示す方向に真理はないのです。

1169 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:21
>1156さん
>それでもあなたは、いや、仏陀なら信じても安心だ、と反論するのでしょうが、
>私に言わせれば、それは?氏を崇拝するのと同じくらい危険です。
>というのも、そもそもあなたは何を根拠に真理を真理と知るのでしょう?
>何かがあなたの中でそれが真実だ、と感じるからでしょう?
>では何がそうあなたに教えるのでしょう…?
>…よく考えてください。
>あなたはその自分自身の内側にある理解の灯(自灯明)
>をもっと育てなければなりません。
>私に言わせれば、それだけが唯一の本当の「師」です。

この考え方。日本では、大勢の方に賛同されそうな考え方ですが、
これが、仏陀の十結煩悩の下の分結の下位の二つ「身見、疑惑」なんです。
真実だ、と感じるから、真実だなどとは思ってはいけないのです。
種としてのヒトには真実を見る能力はないと判断しないといけないのです。
仏陀は種としてのヒトを超えた存在だから真実がわかるのです。
仏陀がそうおっしゃるから真実なのです。仏陀ご在世でない現代では、ど
れが本当の仏陀の言葉なのかを探求する必要はありますが、真理、非真理の
基準は仏陀なのです。
仏陀が瞑想で見たものを信じるのが仏教徒なのです。信じると言うのは盲信
ではありません。考えて考えて疑う余地がなくなる事なのです。自灯明
(自己を島とせよ。灯明、州=島の単語がパーリ語?では、にかよっている
らしいですね)というのは、仏陀を拝むのではなく、仏陀の教えたところを
自分で学べと言う意味なのです。

あなたの考えは従来の日本大乗仏教の正統的な考え方だと思います。
阿含宗の考えは、それを打ち破るものです。私のコメントが阿含宗の考え
かたを正しく表現できているかどうかは自信がないのですが、いままでの
考え方とはずいぶん違いますが、一度検討してみてください。合掌。


41 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:29
1170 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:29
>1158にゃにゃさん
>やっと今、1000台まで読みました。書き込むときにHNを使うとか、
>せめて信者か否か、肯定派か否定派かだけでもあると分かりやすいのにニャぁ…。

すごい読破力ですね。(読破力も辞書にのっていない?)
みんな身元不明にしていますね。固定ハンドルの方はいな
いようです。人物特定をおそれているのでしょうね。
HNって?ああハンドルネームね。ご感想を期待しています。


1171 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:38
>1140さん、こんにちは。

阿含宗では死者の解脱供養をします。
私は霊界のことはどうなっているのかよくわからないのですが、
死者の苦しみが解脱供養によって救われていることだけは
はっきり分かります。
苦しみぬいていた霊が、すーっと穏やかに幸せになってく
れるのです。また霊とともに苦しみぬいていた親族も、ともに
幸せになれるのです。
これは事実ですし、私の知り合いもみんなそうだといいいます。
何十人何百人の法友が、同じ事を経験し納得しています。

あなたにとっては見たことのないことでしょうから、経験者の
話としてご参考になさってください。

1172 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:48
>1162さん
子供をなくした親は、気が狂ったようになって
十年でも二十年でも三十年でも苦しみつづけます。
哲学者でもおなじですね。
それは、死んだ子が苦しんでいるから、親族も苦
しむのです。
解脱供養を受けて死んだ子供が幸せになると、親族も
いっしょに幸せになることができます。
写真しかありませんが、幸せなわが子と一緒に楽しく
暮らしているような気がするのです。
いっしょに苦しんでやりたというのは、それしか手段の
ない時代のことでしょうね。
西田博士の言葉は、同じ境遇の人をずいぶん慰めたとは
思うのですが、わたしは、親子ともども幸せになった
ほうが良いと思います。


1173 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 14:01
>1170名無しさん
1000番超えた辺りでご飯食べたりなんだかんだしていたので
とりあえず停滞しています。
貴方は信者の方?そうでない方??
感想、感想は色々。とりあえず全部今から読んでから…。

人物特定するもしないもなぁ…。
とりあえずのHN(正解です、ハンドルネームです)でいいから
つけてくれると分かりやすいのににゃぁ、と思うニャ。
信者ABCでも否定派1号2号でもなんでもいから…。

1174 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 14:13
1138=1172?
阿含宗擁護レスしてるひとって
文章からみると同じ人にみえるんだけど


1175 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 14:24
>1174
1138って、反阿含宗だぞ。
>阿含宗などの新興宗教では、これら関係ない両者を
>いっしょにして説いているからだ、と申し上げたのです。
このスレッドわけがわからん。名前を書いてね。

1176 名前: 1174 投稿日: 2000/06/28(水) 14:39
あすいません、勘違いです
1135=1172です

1177 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 14:42
そういえばね、お聞きしたいのですけど
一度入信しちゃって、それから会費納めてなかった場合は
自動的に登録(?っていうの??)抹消される?
それとも登録は残ってるの?


42 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:29
1178 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 15:06
>1176
1135も反阿含だぞ。

>釈尊が流産した胎児のことを考えていたとは
>思えないのですが。
阿含宗の水子供養を非難しようとしている。

>>供養も信じられないほどの供養力がありますので
>供養力という言葉を初めて知りました。阿含宗で使うのでしょうか。
>経典とまでは言いませんが桐山氏以外の人も使っていますか。

阿含宗が供養力という言葉を使って金集めをしているのかと疑い、
非難しようとしている。

1179 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 15:18
>1177
にゃにゃさん、阿含宗は退会は簡単です。二つ返事
です。退会届を出さないと、会費未納で請求される
恐れがあります。請求されても、ないといえば大丈
夫です。取り立てにはきません。取立てと言う業務
がないのです。そうゆう修行もありません。
めんどうでしたら、代理人にご宝塔を持っていって
いただいたら良いでしょう。会員番号もできれば。

>自動的に登録(?っていうの??)抹消される?
>それとも登録は残ってるの?
これは事務局に問い合わせてください。返事になって
なかったですね。阿含宗の方針は去るものは追わずです。
まあ、しかし、そういわずにがんばってください。
続けたいなら、先達に頼んで交渉すれば、未納会費免除に
なるかも??しれません。阿含宗会員。
1180 名前: 1174 投稿日: 2000/06/28(水) 15:48
申し訳ないです。
1130=1136=1172ですね
ちゃんと確認しないとだめですね

1181 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 16:20
んにゃあ、私が入ってるわけではないので頑張るかどうかを決めるのは友人なのだにゃ。
ちなみに友人ってのはここのスレッドのわりと最初の方にちょっとだけ書き込んでるけどにゃ。
もう退会したいけど関わりたくないってことでごほうとう?を道場に持っていくのも
面倒というより嫌って気持ちだけなのだってさ。
代理人といっても阿含宗に関わっている人と関わりたくないし、
それ以外の人にはそんなこと頼めないということで困ってるのね。
で、突然会員費を払えと言われたらどうしようって。

でもどうしてごほうとうって返さなきゃいけないの?

1182 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 16:22
>118さん。
1130=1136でしょうね、
=1172?でしょうね。
しかし、おひまですねえ。私、仕事します、

1183 名前: 常識人 投稿日: 2000/06/28(水) 16:39
>でもどうしてごほうとうって返さなきゃいけないの?

借用証がなければ、返す必要なし!1184 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 17:35
>1142
>その時はせめて、腰折れ歌とでもしてほしかった。

「腰折」で「腰折歌」の意味にも使います。
広辞苑を引いてみてください。
桐山さんがよく自分の歌を腰折と言っていました。
それとも、桐山さんの使い方も間違いですか。

>仏罰;仏陀は法を教える先生なのです。罰は与えません。

ヌマエビさんの文章では、桐山さんから釈迦、つまり仏から
指示を得たようなことを言いながら、
「腰折」だったことから、それを皮肉って、
「仏罰」と表現したのではありませんか。
私は国語の先生ではありませんので、そのように読みました。

信者さんは、独特の深読みをしますね。
ヌマエビさんが日蓮系かどうかまでわかるのですか。
他にも勝手に性格や性別を推測してあれこれ言う人がいて、
それをたしなめられても、まだこうやって言う。
どこかの教団から阿含宗が攻撃されていると言いたいのですか。
国が末期状態になると、独裁者が外国からのありもしない侵略を
デッチ上げて、国民の目をそむけさせるのと似ています。

>他の宗派は病気の人は責めないですよね。

なるほど、「ガンの因縁」「脳障害の因縁」などと
告げている阿含宗は、病気の人を責めていないのですね。


43 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:30
1185 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 19:09
>1181
にゃにゃさんこんばんは。ご宝塔に関しては納札です。
お札をおさめるのと同じです。なかなか、燃えないごみ
のように捨てるのは抵抗があるでしょう。ですから阿含宗
でちゃんとします。と言うことだと思います。

ちょっと捨ててしまうのは問題があると思いますので、
たとえば他のお寺などに納札してその旨を退会時に伝え
ても良いと思います。

しかし、知り合いの人で、会費は払わず、退会状態で拝ん
でいる人もいます。親子二人で、ご宝塔二基を。(笑)

1186 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 19:20
>1184、元会員さんですね。

短歌の話題で、腰折れ、というのはわかります。
あの文脈で、突然腰折れと言うのはおかしいですね。
暴露をボウロと言っていた方が、腰折れ歌という単語を
知るわけもないし。多分、挫折のことを「腰折れ」という
使い方を日常的におこなう団体に属しているのだと思い
ます。
べつに、言葉遣いをとやかくいっているのではなく、
ヌマエビさんがプロフィールを決して明らかにしようと
しないので、プロファイリングをしているのです。

1187 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 19:27
>1184
さん、ですから、ヌマエビさんがあるていどの
プロフィールを明らかにされたら、こんな細かいことは
書かないのです。エビなんとかさんとの掛け合いで、
元阿含宗会員、ということになっているらしいのですが
腑に落ちないのですよ。おかしいねと指摘されても
ノーコメントを通しています。それは彼の自由ですが。


1188 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 19:46
>1144さん
>私は祇園精舎、サヘトマヘトが、京都山科北花山大峰にある

だから、どうして、1999年、祇園精舎に行かなかったの?
そこをエビさんが突いてるんだろ。
行かなかった理由をだして、ちゃんと反論したら。
「私は・・思っています・・・読めないのです」は、
説明や反論じゃなくて、信仰の表明っていうの。

>燕雀、鴻鵠の志を知らずですね。

「おれが一番偉い。おまえたちのような小物に、
おれ様のような大物の気持ちなどわかってたまるか」
と言っているのよね。
自分で言ってて、恥ずかしくない?
それとも難しい漢字ならべて知識の披瀝か。
教祖さんのマネだろ。
みっともないからまねするなよ。
ほんとの釈迦を信仰している人が、こんな傲慢な発言するか。

1189 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 20:44
>1188さん
>だから、どうして、1999年、祇園精舎に行かなかったの?

燕雀には鴻鵠の胸中が読めません。鴻鵠は先生のこと、燕雀
は私自身のことなのですが、誤解をお与えして申し訳ありま
せんでした。
このあたりのことは、また、調べておきますが、たぶん、私
にはわからないと思います。人中の獅子、世界の偉大な指導
者達の胸のうちは、私のような鼠族には分からないのです。
(鼠族は造語です)。


44 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:31
1190 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/28(水) 20:59

「一九九九年七の月」 34.アンゴルモア大王の誕生日はいつか

1997年1月5日、桐山氏の誕生日に、桐山氏は、
「1999年7月17日の、アンゴルモアの大王の誕生日です」
という文章を、アンゴルモア大王の紋章を入れて信者に配りました。

アンゴルモア大王は、1997年の原稿を送ったことが「よみがえり」、1998年の北
京大学講演が「復活の儀式」で、1999年3月のインドの護摩が「生誕祭」です。
ずいぶん誕生日がたくさんあるが、いずれも1999年7月17日とは違います。

このメッセージを発信したのは、桐山氏が脳梗塞を発病した一ヶ月後です。
もともと妄想癖の強い桐山氏が脳を患い、無意味な妄想霊感が、ドブ川から発生
したガスのようにわき上がるようになっていたのでしょうか。

桐山氏は、二年後に自分がどんな本を書くか予想できなかったのです。
1999年7月にアンゴルモアのお誕生日のお祝いをするつもりだったのでしょう。
普通、よほどの根拠や確信がなかったら17日などと日付まで予言しません。
16日の冥徳祭で総本山にいるし、17日は土曜日だし、次の週は例祭だから、信
者を集めるのにはちょうどいいと、ご都合でこの日に決めたのでしょう。
これを仏からのご霊示か、霊能力でつかんだように発表しました。

ところが、二年後の本で、誕生日の変更を余儀なくされたのです。
自分で決めた妄想の誕生日のお祝いを実行することすらできなかったのです。
自分が出した予言で自家中毒をおこしたのです。
それとも、これは誕生日を祝ってもらえない恐怖の大王からの逆襲でしょうか。
桐山氏は数字に弱いし、責任感も欠落していますから、わずか数年前に自分が出
した誕生日のことなどきれいに忘れて、彼一人はハッピーなのでしょう。

桐山氏の19年に及ぶノストラダムスに事かけた予言お騒がせは終わりました。
いや、天才の名をほしいままにする桐山氏がこの程度では終わりませんでした。


1191 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 20:59
>1185名無しさん
ども、お答えありがとです。
でもそう考えるとあれですかにゃ?普通のお守りとかでも
何年も持ったまま過ごしているとかありますよね?
それと同じように考えていいのかにゃ?
退会時に返す義務、というのは特にないのですかにゃ?

でも本当にスレッド続いてるけど何か無意味。
っていうか、阿含宗に入ってる人は結局何をしたいのかにゃ?
自分のために信仰してるの?
他人に認められるために信仰してるの?
世界平和を祈ってるの?
なんか、阿含経とかそういうのは私不勉強なので全然わっかんにゃいけど
宗教って結局なんなのかにゃ?と感じてしまいます。

1192 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 21:04
>阿含宗では死者の解脱供養をします。
>私は霊界のことはどうなっているのかよくわからないのですが、
>死者の苦しみが解脱供養によって救われていることだけははっきり分かります。
>苦しみぬいていた霊が、すーっと穏やかに幸せになってれるのです。
>また霊とともに苦しみぬいていた親族も、ともに幸せになれるのです

解脱していない霊は輪廻するものだと思っていました。
釈迦は輪廻からの解脱を涅槃と定義していたと思いますが。

阿含宗では
 輪廻していない霊=不成仏霊・・・・解脱供養が必要
という解釈なのですか?

ぜひお教え下さい。


1193 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 22:17
>1191
にゃにゃさん、こんばんは。退会したことがないのであまりよく
しらないのですが、返す義務はないと思いますよ。入会のときに
も、返しますとう一札は入れていないと思います。自然退会は
あいまいなままになっていると思います。フォーラムの入会退会
などと一緒ですね。
名前が残っていても、たまたま残っているだけで気にすることは
ないと思います。気になるようでしたら、宅急便で送れば良いの
です。書類を添付してコピーを取っておけば良いでしょう。内容
証明まではしなくていいと思います。
阿含宗では、やめた人や、やめたい人に、何のかんのといって絡
んで行く気は毛頭ないですから。会員に対しても強制もありません。
そういうシステムなのです。

阿含宗を一言で言うと「法力」です。人生でそれが必要だと思う、
仏陀の助けが必要だと思う、その時には阿含宗に相談すれば良い
のです。


45 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:31
1194 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 22:21
>1192さん
申し訳ありません。霊界の仕組みは本当に
分からないのです。ただ、自分の周辺にいる霊s
と、その気持ちだいけは感じ取ることができるのです。
この質問は、どなたか、お願いいたします。

霊sは複数のつもりです。どう言えば良いのでしょう
か、霊の方々?

1195 名前: お願い 投稿日: 2000/06/28(水) 22:25
ここは「心と宗教」版です
オカルト系または心ない方は来ないで下さい。

1196 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 22:30
>1194さん
「霊達」で良いのでは?

1197 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 22:42
>1195
多重かきこです。

1198 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 22:54
>1189さん
>鴻鵠は先生のこと、燕雀
>は私自身のことなのですが、誤解をお与えして申し訳ありま
>せんでした。

いや、さっすがノストラダムス教祖さんの信者だ。
たいした詭弁の持ち主だ。
こうやって、都合の悪いことはさっさと逃げる。
だから、教祖さんが、「おれは恐怖の大王だ」
なんてこと言い出しても、この教団じゃ、ちゃあんと
通用してしまうわけね。
エビさんの言っていることがようやく実感できた。
1189さん、ありがとよ。

教祖さんの胸のうちがわからなくても、
ハラの中くらい、詭弁つかわなくても、わかるぜ。

1199 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 23:31


1200 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 00:01
>解脱していない霊は輪廻するものだと思っていました。
>釈迦は輪廻からの解脱を涅槃と定義していたと思いますが。
>阿含宗では
> 輪廻していない霊=不成仏霊・・・・解脱供養が必要
>という解釈なのですか?

解脱していない==解脱供養が必要
解脱している==解脱供養はいらない
とすれば、解脱=輪廻からの脱出 を当てはめると
輪廻していない霊=成仏霊・・・・解脱供養は不要 となるが
輪廻している霊==不成仏霊・・・解脱供養は必要 とはならない。
なぜなら輪廻していればその霊は生まれ変わっているのだから、
墓地の中にも、仏壇の位牌の中にも、霊界にもいないんだよ。
だからいずれにしても解脱供養なんて必要ない。
だから釈迦は死者への供養を説かなかったんだろうね。
アホラシ。


1201 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 00:01
>1193名無しさん(1185名無しさんと同一人物かにゃ?)

どうもありがとうございました。そうですにゃ、宅急便…。
お守り代わりに持ってたら?と言ってみたけど
「あると思うと嫌なこと思い出して腹立たしいやら悲しいやら」だってさ。

法力って人生においてどのように役に立つわけですか?
それがノストラダムスの予言の云々がどうして絡むのん?
あとね、因縁解脱とかそういう申し込みをする時にお金を出す時に
その名義がどうして「○○本部建立」とかの献金って形になるのん?
なんかしっくりこないんだにゃ…

私は友人の話を聞いていて、桐山さんの本をちょっとだけ読んでみて、
でも全然知識はないから難しい話はわかんないです。
あ、あとその信仰してる相手に話を聞いてたんだにゃ。
その信者の人は、やたらと「1999年には何か悪いことが起きるんだよ」とか
「それを最小限にするために自分たちは頑張ってるんだ、世界を変えなきゃいけないんだ」とか
そんで2000年になってからはどういってるのかなーと思ってたんだけどね。
(ここのスレッドでもその辺の話は触れてたよね。)
なんか、ノストラダムスとかそういう話をしている宗教って
基本的に信用できないにゃぁ…というのが本音。


46 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:32
1202 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 01:10
>1201にゃにゃさん
まあ、また、人生に行き詰まったり、
これじゃあどうにもならん、とおもったり、
そんなことがあったら、また、阿含宗をおもいだしてわん。
わたしたちは、やっと、ほぼ??無事に21世紀をむかえられる
とおもっているのだ、わん、わん。
モンゴルのきせきなんてすごかったぞ。
たなが崩れそうで、たいへんたいへんと一所懸命なおしたら、
崩れないじゃない、うそつき、といわれてしまった
きもちだわん。

まあ、そんなおおがかりなことより、二人のし合わせ
がだいいじだわん。

阿含宗のお金は、みんな、如来さまのへのご供養なんだわん。
如来さまは福田といって、ご供養に対してちゃんとお返し
してくれるんだわん。

わんわんわわん。


1203 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 01:18
>1201さん
輪廻のスパンとか不成仏霊として苦しむ期間とかは、
そんなに早いサイクルではないと思うのです。
不成仏霊になって、死を覚らず、地上をさまよう時間が
何千年、何万年、何億年の単位かもしれないのです。
ここに、痛みがあって(虫歯でもなんでも)いずれ
痛みは無くなりますよね。100年経てば完璧になくなります。
死にますから。だから、ほっておいていい、と言うような
お話に聞こえます。
不成仏霊の、いま現在の苦しみを取ってあげないといけないのです。

1204 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 01:27
>1198さん大変でしたね。
スレッドを読ませていただきましたが、あのかたは本当に自分を
えんじゃく、そぞくと思っているようにも読めるし、実はあなた
のことを、えんじゃく、そぞくと罵っているようにも見えますし。
複雑怪奇なスレッドでした。鼠賊って坂本竜馬が良く使った言葉
ですか?
ところで、1990のヌマエビさんのコメントですが、どうも、
趣旨がわかりません。また、解説していただけませんでしょうか。

1205 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 01:41
↑ 1990ではなく、1190でした。

1206 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 01:52
>1202名無しさん(1193、1185名無しさんと同一人物??もーわっかんにゃい!)

お友達は阿含の彼と関わってからというもの別れる前から今もずっと、
これじゃあどうにもならんって感じよ?はたからみてるとどうにも。
その人の子供オロシたとかだったしそのせいで子供ができにくい体になってるらしくって、
結婚の予定とかできたら、真面目に不妊治療に通わなきゃならないってさ。
(あれ?オロシタじゃなくて勝手に流れちゃったのだったかな?まぁいいや)
その水子供養のお金を出して供養しなきゃねって言われたけど
相手の人はそのお金を出す気なくってその子も別れてから結局途中でやめてるし。
それどころかお金貸したの返してくれてないっていうし。
別れ際に、君は修行してないから徳の高い僕とは付き合っていけなくなるよって
言われたって悔し泣きしていたにゃ。
付き合い始めるとき、宗教は自分が信仰するのを黙認してくれれば
友達の方は信仰しなくてもいいっていうことで5年くらい付き合ってきて、
最後には相手の家族にまで囲まれて「家族ぐるみで信仰してるから
信者じゃない貴方とは結婚なんて出来ない」って言われたんだってにゃ。
別れて正解だとは思うのだけどね。人としての常識から疑っちゃう。
大体、真剣に修行に打ち込むから付き合うのは難しくなるとか友人には言っておきながら、
別の女と朝帰りする所私に見つかってるのだもん。なんだかにゃぁ、って感じ。
おっかげでまともに男性と付き合うのが怖いって感じで変なことになっちゃってるし。

だからニャぁ…
個人レベルでは友達の身体も心もおかしくしちゃって巻き込んでおいて
そんで教えがどうとか予言がどうのとか偉そうなこといわれても
納得できないわけだにゃ。
そんでそんな人も修行さえ真剣にやってれば幸せになっちゃったりするの?
おっかしいにゃーっと。

1207 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 02:30
やはり阿含宗ってオカルトなのか
てかさ〜なんで原始仏典を掲げてる団体がオカルトになるかな〜
そういうことを一番戒めたのは釈迦本人だろうに


47 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:33
1208 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 03:24
>輪廻のスパンとか不成仏霊として苦しむ期間とかは、
>そんなに早いサイクルではないと思うのです。
>不成仏霊になって、死を覚らず、地上をさまよう時間が
>何千年、何万年、何億年の単位かもしれないのです。

先祖って言いましても一代前は2人、二代前は4人、といった具合に、
物凄い数になります。
例えば40代遡ると1兆1000億人の先祖がいます。
その中には自殺もいれば、殺人者もいるでしょう。
また、殆どの病気を経験している事と思います。
解脱供養なるものがいかにインチキか、これだけでわかります。
一人十万円として、全ての先祖の供養をするのに果して幾らかかるでしょう。(爆)


48 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:34
1209 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 03:34
>161さん
私はこのあたりのことを書き込みしたときは、じつは、すっかり
アートマンのことは忘れていました。コメントを頂いてだんだん
思い出してきて整理することができました。ありがとうございま
>した。

おや、おや、あれでおとなしく引き下がっていれば良いものを。
また余計なレスをつけて自ら墓穴を掘っていますね(笑)。

>仏陀の得た真理を((仏陀の我見))と表現したのは、紛らわしい
書き方だったと思います。ただ仏教徒以外の人に、仏陀は真理を得
たといっても誰も納得してくれないのも事実です。(それも我見
だというでしょう)
そのとき、仏陀が得たものが真理かもしれないと思い、学び始めれば
(まだ信じてなくても)仏教徒だし、首を振って立ち去れば非仏教徒
なのです。仏陀はただ「天上天下唯我独尊」「私の教えは真理であって
>信仰ではない」と獅子吼して入門を待つしかないのです。

こういうとってつけた見え透いたつじつま合わせが本当に通じると思っているのでしょうか?

あなたは、つじつま合わせしようとするあまり、決定的なミスを犯していますよ。

つまりね、1113番のあなたの発言は、このスレッドの中で単独で存在している訳じゃないんだ。
だから上のようないいわけで、もっともらしく屁理屈を言いつくろったって、
その前の1106番の発言やそのあたりをよく読めば、
どういう文脈であなたが1113番の発言をしたのかよく分かる。
だからこそ、1127番さんが

>議論に口をはさんですみません。
>ごうだが、あまりに力に差があるので、
>信者さんを弱者救済せんといかんような気になりました。

と発言したんだよ。全く…。

>仏陀のアートマンってなんでしょうね。昨夜どなたかが、無明から
始まり、愛着(阿含宗ではよく渇愛、タンハーといいますね)を
頂点する連鎖がアートマンであると書いておられましたが(十二
因縁、十二の縁起するもののこと?)、その最初の無明を断って
しまった方のアートマンというのはどのように理解すればよい
>のでしょうか。

おい、おい、何言ってる(笑)?
あなたは自分でついさっき

>仏陀の得た真理を((仏陀の我見))と表現したのは、紛らわしい
>書き方だったと思います。

と言ったばかりじゃないか?まるっきり支離滅裂だぞ。
それにこれを読むと、「仏陀のアートマン」というのは、
仏陀が持っているアートマンという意味にしか読めない。
私は別にヒンドゥー教徒じゃないから、その思想にそれほど詳しい訳じゃないけど、
アートマンというのは=ブラーフマンで、ブラーフマンが宇宙の根本原理だ、
ということぐらいは知っている。
だからねえ、わかりやすく言うと、アートマンというのは仏教で言うところの
「法身」に当たるんだよ。そんなことも知らないで議論してたの(笑)?

>仏陀のアートマンはヒトのそれと
>は異なることは確かでしょう。

ということで、アートマンも法身も、
実体のない「真理」そのもを人の体に例えて言い表す言葉だから
仏陀のアートマンも人のアートマンも誰のアートマンも一緒です。

これを上から順番にちゃんと読んできた人には、
あなたの話の内容うんぬん以前に、
こういう、姑息な手でごまかそうとするその人格にまず疑問を持ってしまうことでしょう。
だからこそ1124番さんの

>無責任な発言ですね。そんなことなら黙って立ち去るほうが
よほど良心的なのではないですか。別に発言が義務付けられてぃる
わけではないのだから。議論以前の問題ですね。まあ、そういうかたは
>あなたに限ったことではないですが。

という発言が出てくる訳です。
私が桐山さんなら、あなたはとんだ恥さらしで、即刻破門ですよ。
また、いらないこと書いて赤っ恥かいてしまったようですね(笑)。

1210 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 03:39
#1209で
>161さん
は>1161さんの間違いね。


49 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:34
1211 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 04:35
>1163さん
>このあたりは難しい表現ですが、私は、仏陀と自分の考えが
異なった場合、なるべく仏陀に合わせていこうということで
>よいと思っています。

ま〜た変なこと言ってる。
それじゃあ、まるであなたが仏陀の考えが分かっているみたいじゃないか。
どうしてあなたに仏陀が何を考えていたかが分かるんだ?
下の方で誰かさんが

>燕雀には鴻鵠の胸中が読めません。

と言っておるぞ(爆笑)!

いや、あのねえ、冗談抜きで率直に言うけど
それがたとえ阿含経に書いてある仏陀の言葉だとしても、
何度もご指摘差し上げているように、阿含経といえども、
結局は他の大乗の経典と同じように伝聞でしかない。
ということは、何百年も言い伝えられてから文章化(経典)されたわけだから、
もし仮に、その間に、それがたとえたったの1行分だったとしても、
すっぽり仏陀の言葉が抜け落ちていたり、あるいは継ぎ足されていたりしたら、
そのことによって全体の文脈が微妙に変わってしまって、
本当に仏陀が言いたいことがちゃんと伝わってなかった、という可能性は
誰にも否定できないんだよ。
つまり、あなた達信者の言い分を聞いていると、
阿含経=仏陀の言葉、
のつもりらしいが、そんな単純なものじゃないだろうってことだ。

まあ、それでもあなた方はそれだけじゃ納得しないだろうから、
もし仮に正確に伝わっていたとしよう。
それでもまだまだ問題点はある。
というのも、仏陀の言葉が100%仏陀の本当の考えを反映しているとは限らないからだ。
つまり、仏陀はこの阿含経を解き明かした後、
「実はあの法話は初心者向けに優しく解き明かした方便だった。
私が本当に言いたかったのは…だ。」
と言っていたかもしれないんだ。
何しろ、「人を見て法を説け」と言った人だからね。
アレは修行しないと手に負えない悪因縁の人向けだった、
なんて言っていた可能性は大いに有る(笑)。

まあ、それでもあなた達はきっと納得しないんだろうな。
で、仮にそういうこともなくって、
阿含経が仏陀の考えを100%反映した仏典だったとする。
ところがだねぇ、仮にもしそうだとしても、まだ問題があって(笑)、
実はこの問題が一筋縄ではいかない決定的問題点になるんだよ。

つまり、その言葉をどう「解釈」するのかっていう部分だ。わかりやすく説明しよう。
仮にここに、生まれつき全色盲の人がいたとする。
当然、彼は全く「色」というものが認識できないし、理解できない。
だが、彼は言葉がしゃべれない訳じゃないから、
「色」という言葉、その概念は彼なりに理解出来るんだ。
色とは光の波長である、とかなんとか…。
しかしその本当の意味は体験できない。それと同じように、
仏陀が「空」と言ったって、それは私たちには単なる記号にすぎない。
その本当の意味は推測するしかないんだ。
だがな、いったい「誰が」その意味を推測するんだ?
その経典を読んでいる「あなた」だろう?
だったら阿含経が仏陀の言葉、なんて全く言えない。
正確には、あなたは
「阿含経の"私が理解するところの"仏陀の言葉」
と言うべき何だよ!!!!!!
いや、そんな屁理屈こねなくたって、
実際問題、学術的に、たとえば経典に「リンゴ」という単語が出てきたとする。
しかし、それだけじゃ「青リンゴ」か「赤リンゴ」か分からないだろう?
そいうことで解釈の違いっていうのは常についてまわるんだ。
分かった?


50 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:35
1212 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 04:46
>1168さん、
指より月が大事なのは事実なのですが、みんなが俺の指が
真理を指し示していると言い出したら、きりがないのです。
ですから、私は、仏陀がたどり着いた真理、それを指し示す
>ゴータマブッダの指を大事にしたいのです。

「指」を大事にする人はみんな同じことを言うね。
キリスト教徒もそういう。キリストはただ一人の神の御子ですって。
本当にキリがない(笑)。
だ・か・ら、指を大事にしちゃいけないんだよ。

>?氏と書いたのは具体的なものではありません。誰でもと
言うことです。世間には多くの方がおられますよね。しかし
>その指の指し示す方向に真理はないのです。

「指」を大事にしていたら、どっちにしろ指そのものは真理じゃないんだから
方向もへったくれもないじゃない?

それにねぇ、最初は「指」を頼りに歩いていても、
最終最後は自分自身の足で歩き出さなきゃならないんだよ。
あなたの代わりに私が代わりに歩いてあげます、なんてことできないんだから。

1213 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 05:42
面白い(?)サイトを見つけましたので載せときます。
ご参考まで。

http://page.freett.com/mishima/tsuda-1.htm


1214 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 05:59
>1155さん
「国家安康」の鐘の銘で知られる京都の寺院(こう書けばOK?)
と桐山師との関係については、古くは織田隆広師の著書「密教宝庫を開く」
や、近年では廣野 隆憲著「阿含宗の研究 桐山密教の内実」
(ISBN 4-88591-445-0 東方出版 2,136円)
でも触れられていますので公知の事実では?


51 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:35
1215 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 07:18
>1169さん
>この考え方。日本では、大勢の方に賛同されそうな考え方ですが、
これが、仏陀の十結煩悩の下の分結の下位の二つ「身見、疑惑」なんです。
真実だ、と感じるから、真実だなどとは思ってはいけないのです。
>種としてのヒトには真実を見る能力はないと判断しないといけないのです。

あなたは人の話をちゃんと聞く能力がない上に、
自分で言っていることを自分自身で理解する能力もないらしいですね(笑)。

>真実だ、と感じるから、真実だなどとは思ってはいけないのです。

ほう。ということは、あなたは「そういう考え方」が真実だ、と感じてる訳ですね。
だったらそれを真実だ、などと思ってはいけないのです(爆笑)。

こういうことを書くと、また揚げ足とりだって言われるな(笑)。
…いや、まじめな話、私は前の発言で

>あなたはその自分自身の内側にある理解の灯(自灯明)
>をもっと育てなければなりません。

と言ったのですよ。「もっと育て…」というところに注目してください。
真実だと感じる、だから真実だと信じろ、そこで安心して立ち止まりなさい、
なんてことは一言も言っていない。

それにあなたは根本的なことを見逃してる。
よく読んでごらん。そしてよく考えてごらん。
なぜ私が

>自分自身の内側にある理解の灯(自灯明)

という回りくどい言い方をしたのか?
私は、もしもこのコメントを寄せた相手が、「瞑想」の経験がある人だとしたら、
このような書き方をすれば、
私が何を言わんとしているかぐらい即座に分かるだろう、と思ったのだ。
だがそれは少々買いかぶりすぎだったようだね。

説明しましょう。
たとえば、あなたは、蜘蛛や蜂や蟻が、誰からも何も教わらないのに、
何の事前の学習もしないのに、
餌をとらえる網を巧みに張ったり、
巣を作ったり、一糸乱れぬ集団行動をとったりするのを見て、
不思議に思ったことはないでしょうか?
もちろん、これは本能的な行動として説明出来ますが、
そのメカニズムを解き明かすことが出来たとしても、
それが内的に自然に備わったものである、という事実は拭えない。
いや、そんな昆虫の話を出さなくても、我々人間にも、
誰から教わったわけでもない内的な感覚というものが本来的に備わっていますね。
もちろん、その多くは動物的で本能的なもので、
自性が滅しない限り、正しいものとは言えない。
それに、この自性がある限り、人は自分の見方を持ち続け、
人それぞれの立場にのっとった身見を捨てることが出来ない。
私はこのことを、すでに他のところで、あなたに言われるまでもなく、
>我見を捨てようとするのもまた一つの我見です。
>あなたが自性を離れない限り、我見を離れることなど出来ません。
と言っています。まあ、いわゆる一水四見、一鏡四心というやつですね
(あなた方を真似して難しげな言葉を使ってみました(笑))。
また思考や精神機構というものが機械的で、
環境によって学習(プログラム)されているものだ、というのも真実です。

しかし本当にそれだけなんでしょうか?

たとえばユングのような心理学者などは、
人間の内側に集合無意識のようなものがある、と言っています。
いわゆる元型というものですね。そしてその中には、
宗教的感情や仏教の曼陀羅にでてくるようなイメージなどもあると…。
ここまで言えば私が何を言いたいか分かりますね(笑)。

一度でも本当に自分自身の内側をのぞき込んだことがある人なら、
最初のうちは"思考の被覆"に覆われて、我見やらなんやらしか見えなくても、
次第に眼がなれてきたら、少なくとも「思考」と「意識」が別のものだ、
くらいのことは分かるようになってくるでしょう。
もちろんこの程度は、ほんの初歩というか入り口にすぎません。
これ以上言うとちょっとヤバイ感じなので控えますが(笑)、
このような内的世界の先にある、内在的な
「誰からも教わらない」根元的な知恵のことを、
大乗仏教では般若(プラジュニャー )と呼んでいるのです。
そして、これこそは、私がずっと言い続けている、
「誰から(仏陀や経典からでさえも!)も教わらない」
自分自身の"理解の灯(自灯明)"なのです。


52 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:36
1216 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 07:19
#1215の続き

>仏陀は種としてのヒトを超えた存在だから真実がわかるのです。

出た〜(笑)! 阿含お得意の珍説!!
いや〜、これはさすがにちょっとやばいんじゃないの?
「種としてのヒト」っていうのは当然「ホモ・サピエンス」だよね。
ということは仏陀は「ホモ・???」だったの(爆笑)?
いや、阿含宗について詳しくないヒトは、何げに通りすぎてしまったんだろうけど、
実は私はだいぶん以前、桐山さんの著作の中で、
仏陀が「超人」で、人間を超えた存在で、
その証拠に頭頂に肉髻(ニクゲイ:仏の三十二相の一つ)が盛り上がっていた、
と大まじめに書いてあるのを読んだことが有ります。
しかし三十二相には歯が40本あった、というのもあるしねぇ。
それじゃあ奇形児じゃん、みたいな?(笑)。

>仏陀がそうおっしゃるから真実なのです。

いいえ、あなたはもっと自分の言葉を正確に、厳密に書くべきです。
すなわち
「仏陀がそうおっしゃった、と"私"が解釈したから真実なのです」と。
#なぜこう書かないと正確と言えないのか、ということは1211番で詳説いたしました。

そしてあなたが自分で一番最初に言い出した

>真実だ、と感じるから、真実だなどとは思ってはいけないのです。

の真理に照らし合わせて考えるなら、上の

>仏陀がそうおっしゃるから真実なのです
(仏陀がそうおっしゃった、と"私"が解釈したから真実なのです)。

というのは、あなたの身見ですから、全く正しくない、ということになります。

>仏陀が瞑想で見たものを信じるのが仏教徒なのです。信じると言うのは盲信
>ではありません。

さあ、これは何も書かなくても矛盾だ、というのが誰の目にも明らかですね?

>考えて考えて疑う余地がなくなる事なのです。

どうぞ、ご自分のそのお言葉に従ってください!
ってゆーかぁ、全然疑ってないじゃん(笑)

>自灯明
(自己を島とせよ。灯明、州=島の単語がパーリ語?では、にかよっている
らしいですね)というのは、仏陀を拝むのではなく、仏陀の教えたところを
>自分で学べと言う意味なのです。

そうです。それが私がずっと言っていることです。自分で学んでください。

>あなたの考えは従来の日本大乗仏教の正統的な考え方だと思います。

どうもそのようですね(苦笑)。

>阿含宗の考えは、それを打ち破るものです。私のコメントが阿含宗の考え
かたを正しく表現できているかどうかは自信がないのですが、いままでの
>考え方とはずいぶん違いますが、一度検討してみてください。合掌。

いいえ、前回にも申し上げたように、阿含宗の言っていることは、これまでも
何回も何回も議論され尽くされ、そのたびにことごとく、
木っ端みじんに、完膚無きまでに叩きのめされてきた、情けない、
今まで通りのよくある考えです。

すいぶんきついことを書いたようですが、
内心あなたのことを不憫に思っています。
あなたは今まで、本当の「仏法」に出会ったことなどないのでしょう。
私は実は大乗仏教関係者でも何でもない、
単なるヒマな宗教ウォッチャー(上の方で同じこと言ってた人がいましたが別人です)
です。もちろん、あなたに、私がここに書いた「我見」を絶対に正しい、
とか、無理矢理押しつけよう、などというつもりは毛頭有りません。

後はどうぞ、ご自分の自灯明に相談してみてください。
……合掌。

1217 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 07:54
さて、邪魔なお人がここから消えるみたいですから、
本来の話に戻りましょうかね♪

1218 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 08:49
独 り よ が りもここまで来ると立派なものです。
アッパレ。アッパレ。


53 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:36
1219 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:14
>1208さん
4.8.16.32.64.125... ∞ ですか。
実際には5.6代を過ぎると、影響は少なくなるようです。
私は、今まで家族全体で50人は供養をしていただいたと思います。
できれば、あと50人くらいはしたいにゃん。
霊障のほとけとか、その影響とか、事実なんだから供養して
いただくのがベストだと思っています。
この人生でたいしたことはできなかったけれど、先祖供養だけは
ちゃんとしたいな。
ご供養金はいるけれど、生活は人並み以上にできていますにゃん。

1220 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:36
邪魔なお人の瞑想の成果が、それなりに世の中の
お役に立っていれば、いいのだけれど・・・

単なる杞憂ですかね。でも、アノ語りを見ちゃうとねえ。

あんまり関わりたく、ないですね。

1221 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:38
>1206にゃにゃさん
>だからニャぁ…
>個人レベルでは友達の身体も心もおかしくしちゃって巻き込んでおいて
>そんで教えがどうとか予言がどうのとか偉そうなこといわれても
>納得できないわけだにゃ。
>そんでそんな人も修行さえ真剣にやってれば幸せになっちゃったりするの?
>おっかしいにゃーっと。

そうだよにゃー。女は二人の幸せ、家庭の幸せが大事なんだよね。
予言とか法とかいらないよね。
ぼくは、男なのでこのはなしにはついていけなくて、申し訳ないと
おもっているにゃーーー。
もし、お友達が近くに住んでいて知り合いになれたら、にゃんとか
にゃるんだがにゃーと思う。
女性の問題は、いつも彼女に頼む。女性の相談は、日本の
何百年、何千年の恨みがこもっているから、男にはついていけ
ないのです。あまり相談にならなくてもうしわけないわん。
それじゃあ会社に行きます。わんわんわわん。
1222 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:50
>1209さん
あなたは仏陀の得た真理;人とは何なのか、存在とは何なのか、どのようにすれば
            涅槃を得ることができるのか
仏陀の存在自体;アートマン;自我の本質;

を混同しているようですよ。

1223 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:53
>1209さん、

一度、あなた自身の存在、「おれ、わたし」って何だろうと
考えてみると良く分かるようになると思います。

あなたの思想、あなたのハードディスクに蓄積された知識や
思考形態はあなた自身ではないのです。

1224 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 11:01
>1211さん
>それじゃあ、まるであなたが仏陀の考えが分かっているみたいじゃないか。
>どうしてあなたに仏陀が何を考えていたかが分かるんだ?

ブッダは偉大な教師です。ことあるごとに、彼の真理(思想)を私達に
伝えようとしています。(真理といったって、アートマンじゃないですよ)。
私の教えるところを学べと教えつづけています。
私達は文献学や考古学を基準にして、仏陀の教えられたことを研究し学ぶ
のです。たとえば法華経は文献学的には仏陀の言葉ではないとされています。
そのようなことも踏まえながら、何が仏陀の教えなのかを探っていくのです。1225 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 11:23
>1211さん
>正確には、あなたは
>「阿含経の"私が理解するところの"仏陀の言葉」
>と言うべきなのだよ

そうですね、その通りです。仏陀の言葉の近似値を求めるわけです。


54 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:37
1226 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 11:45
>1223さん
そんなことを言っていると、

「あなたはまるで私の言葉を理解していないようだね。
>最初のうちは"思考の被覆"に覆われて、我見やらなんやらしか見えなくても、
>次第に眼がなれてきたら、少なくとも「思考」と「意識」が別のものだ、
>くらいのことは分かるようになってくるでしょう。
て、書いてあるだろう。あなた、満足に文字も読めないの?
かわいそうな人だねえ。」

なんて噛み付かれるぞ!
思った事は、ちゃんと自分に不当な攻撃が廻ってこないか、
周りをよく観察してから発言しましょう。
お互いのために。

まあ、気持ちは解かりますけどね。
日本語って、難しい。1227 名前: 桐山靖雄 投稿日: 2000/06/29(木) 11:46
あれ?俺が書いた投稿どこにいったの?
削除されたのかな?
信者の皆さん、私のニセビール飲んで、全員
死にましょう!!

1228 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 11:54
>桐山靖雄様、
1167番にちゃんとありますよ。ご心配なく。

1229 名前: 1226 投稿日: 2000/06/29(木) 12:15
ああ、"あの人"はもうここには来ないのだったね。
ごめん、ごめん。俺の方こそよく読んでなかったよ。
許してたもれ。

1230 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:27
>1215さん

>次第に眼がなれてきたら、少なくとも「思考」と「意識」が別のものだ、
>くらいのことは分かるようになってくるでしょう。

そうですね。もう少し細かく分類すれば(色)受、想、行、識ですね。
(色)はハードなので別ですが。こころは 受、想、行、識。五蘊
のうち四つがこころと言うのがすごいですね。自分自身の 受、想、行、
を見つめている、識、それも自分ではないのですね。

ところで、あなたの本体、あなた自身は、あなたのアートマンは
この思考ですか意識ですか、五蘊のうちのどれですか、それとも他のもの
ですか。

>このような内的世界の先にある、内在的な
>「誰からも教わらない」根元的な知恵のことを、
>大乗仏教では般若(プラジュニャー )と呼んでいるのです。

これは、阿含経などでは、三つの明知、あるいは三つの明知を
得られることによって獲得できる知恵、と表現されているものですね。

>そして、これこそは、私がずっと言い続けている、
>「誰から(仏陀や経典からでさえも!)も教わらない」
>自分自身の"理解の灯(自灯明)"なのです。

そうしますと、私達はゴータマブッダの歩んだ道。無師独覚を自分でた
どらねばならないことになりますね。
新たに自分が第二のゴータマブッダになるわけですか。
ブッダは「私の教えた道を歩め」とおっしゃっています。ゴータマの
教えた道を歩むのが教義の仏教でしょう。わたしは、この方が良いです。


1231 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:33
>1216さん
涅槃を得た(ブッダになられた)もののことは、涅槃を
得たものしかわからないと言う、言葉があるのです。
体験するしかないのですね。
アリにはアリの世界しかわかりません。犬には犬の世界
しかわかりません。ホモサピエンスにはホオサピエンス
の世界しかわからないのです。


1232 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:37
>1216さん
>>自灯明
>>(自己を島とせよ。灯明、州=島の単語がパーリ語?では、にかよっている
>>らしいですね)というのは、仏陀を拝むのではなく、仏陀の教えたところを
>>自分で学べと言う意味なのです。

>そうです。それが私がずっと言っていることです。自分で学んでください。

「仏陀の教えたところを自分で学ぶ」

意見が一致しましたね。


55 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:38
1233 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:42
>1216さん

>>仏陀がそうおっしゃるから真実なのです
>(仏陀がそうおっしゃった、と"私"が解釈したから真実なのです)。

ホモサピエンスはどこまでも、真実の近似値しか知ることはで
きないのですね。
元阿含宗ではなく、阿含宗にニアミスされたかたですね。
1234 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:43
>1216さん、
ここでは、誰が誰かわからないのですが、ちゃんとした方と
お話できて嬉しかったです。合掌。

1235 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 13:00
えんじゃく、そぞく、めーるも、
めーるも、でんぱの、ちらら、ちから、
めーるも、えんじゃく、そぞく、えんじゃく、そぞく
ちから、ちから、でんぱ、でんぱ、えんじゃく、そぞく

1236 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 13:02
↑ ちららになってるぞ

1237 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 13:13
だれだ、俺のことねずみ賊って呼んだのは。
しかも、族が賊に変わっているぞ。
ゆるさん!
めーるもって何だよ。俺のコメントのことを「一語文」だと
ゆーのか。二歳児でも「二語分」をしゃべると言いたいのだろう。
ゆるさーーん!!!

1238 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 13:52
>1237
二語文でしょう、二語分になっているよ。

二語文って、ねんね、する とか、ぱぱ、かいしゃ とか
ジューシュ ちょうだい とか しっこ、ない とか
のことでしょう。

さあ、よーちえん、おむかえ、いこう。これは3語文?
今日は何も書きこめなくて残念でした。にゃにゃさん、
宅急便ってよかったね。それがいいよ。

1239 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 14:03
仏教の形而上学についての議論も結構ですが、
これらは某HPでの専門家同士の議論が延々続くのをみても
わかるように、キリがない。まして「体験」とやらの
はなしになると、何をかいわんや。だってそれって、
「自己申告」の世界での物言いですものね。それに基ずいて
そのかた独自の「神学」を構築する作業が開始されるわけです。
カキコすれば三時間も四時間もかかるだろうし、
予備知識も必要になってくるでしょう。まとめれば
一冊の本にもなるほどでしょう。

でも、実際問題として、それらの意見が
どれだけ世の中に良い影響を与えているのだろうか。
甚だ疑問です。

その点を指して1218さんは
>独 り よ が りもここまで来ると立派なものです。
アッパレ。アッパレ。

と、発言されたのでしょう。ごもっともな話です。

「過去七仏」や、「覚者はいつの時代にもいる」式の詭弁は、
もう聞き飽きましたよ。学者の意見ならひとつの参考にも
なろうが、それをそのまま鵜呑みにするのも、
仏教徒としてずいぶん無神経な態度なのではないでしょうか。

以前法号のはなしがでていましたが、当然ブッダご自身には
必要が無いし、受ける必要もない。彼の場合は当時のインドの
民衆が認めたわけですよね。

「この世にブッダが現れた」という知らせを聞いて、
我が耳を疑い何度も繰り返し確認したかたのエピソ―ドが
阿含経にありますが、あれなど当時の人たちが驚きを持って
彼を迎えいれた状況がいきいきと描かれています。

そこから彼はどのような経過をたどってニルバ―ナに至ったか、
という探求心が沸いてくる。マトモな仏教徒で、あるならば。

全ては無常で、相依りあって成り立つものであるから、
七科三十七道品もあり得ない、空である、なんて、初期大乗仏教運動の
連中も言いそうですね。愚かしいこと。

そういう大乗的な思考パタ―ンが日本において
オウムを代表とする腐った宗教を生み出す
格好の土壌になっているのでしょう。

ブッダの成仏法と縁が切れているのは、致命的です。


56 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:39
1240 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 18:15
>1204さん
>鼠賊って坂本竜馬が良く使った言葉ですか?

言葉を使った1189さんに聞いてよ。

>趣旨がわかりません。また、解説していただけませんでしょうか。

「桐山さんは嘘つきだ」
こんだけだろ。
こんなことわからんとは、ヲタクも信者?
なにせ、わからない、違うってわめくのは、
信者しかいないもんな。
その他大勢は、
「あっそー、桐山さんて詐欺師なんだー」
で終わり。

1241 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 18:19
>1240
それって、二語文じゃない?

1242 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/29(木) 18:47
盛り上がり続きで私の書き込みも遥かとおーく。宝石の件は「女にとって大事」
と言われても、ご自身が女性かどうかもわからない相手じゃあねえ。
エンゲージでもらった小さなダイヤのリングだけで充分宝ものさ。今でも
その輝きを見つめるたび、あの頃の夢をみさせてくれる。

なんだか難しいお話ばっかりで、おまぬけなエピソードを書くのがちょっと
はばかられる。でも・・・あ、用事あったんでまた後でー!

1243 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 21:05
>1242 みかりんさん
お釈迦さんは、みかりんにはみかりんの命が一番大事と
おしえている。その次はだんなの命。
その命のつぎに大事なのがこの前の五つと教えている。
だから、身を飾ることは女の命なのさ。
「分に応じて」「だんなが配慮して」だけどね。

>エンゲージでもらった小さなダイヤのリングだけで充分宝ものさ
いい話だねえ。この前の宝石の話をしたわたしは男でした。


1244 名前: 1140 投稿日: 2000/06/29(木) 21:05
>1171さん
>苦しみぬいていた霊が、すーっと穏やかに幸せになってく
 れるのです。また霊とともに苦しみぬいていた親族も、ともに
 幸せになれるのです。
前にも書きましたが、あなたがそれで満足しているのなら何も言わないが、阿含宗が仏教だとか、阿含経を所依の経典にしているとかは言わないでほしい。
死んだ人が霊になるというのは仏教ではない。少しも参考になりません。
>1172
>死んだ子が苦しんでいるから、親族も苦
 しむのです。
どうしてこういう発想になるのか全く理解できない。死んだ子が苦しんでいると誰が言ったのか。霊媒か。
仏は一切衆生を済度すると誓われた。その仏を信じずに何を信じようと言うのか。
>親子ともども幸せになった
 ほうが良いと思います。
死んだ子が幸せになったとどうして分かるのか。自己満足ではないかという疑問は常に持つべきだ。それが狂信や盲信に陥らない道です。
>申し訳ありません。霊界の仕組みは本当に
 分からないのです。
こういう人に何を言っても無駄なのだと思うが、自分の力のなさが情けない。
>輪廻のスパンとか不成仏霊として苦しむ期間とかは、
 そんなに早いサイクルではないと思うのです。
 不成仏霊になって、死を覚らず、地上をさまよう時間が
 何千年、何万年、何億年の単位かもしれないのです
一体誰がこんなたわごとを言い出したんだ。何億年云々と言うのなら、不成仏霊とは人間に限らないのだろう。となれば、これまで生まれてきたすべての動物(植物まではさすがに含めない)を成仏させようと言うのか。昆虫だけでも数えきれない数だぞ。
きりがないのでこれで今日はおしまい。
1126,1135は私だ。当然阿含宗など大大大きらいだ。


57 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:40
1245 名前: >1243 投稿日: 2000/06/29(木) 21:36
どうしてこの人はみかりんさんを逆撫でする事ばっかり
言うのかなあ?
まさか怨みでもあるとか?(笑)
本心であるなら、社交界には出られないでしょうね。

1246 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 21:43
>1221名無しさん

うむぅ、もしかしてさりげなく馬鹿にされているのかニャ?さりげなく男尊女卑?
(気のせいならそれはそれでいいのですけどにゃ)
女にとって大事なものと男にとって大事なものって共通じゃないのかぁ。
友達に子供作って流れてボロボロになっても、その後に結局何もフォローしなかったのは、
それが男にとっては大事なことではなかったからなのかにゃ?
子供って女1人で作れるものではないのに、なんだか不思議だにゃぁ…。
身近な人も守れないのに、最低限果たして欲しい社会人としてのお約束も
守れないのに予言も法もないじゃん、というふうに思うのは、
私が女だからなのかなぁ?アサハカかいにゃ?

友人のメルアドをメール欄に書いておくニャ。フリーメールだけど。
友人には話しておくにゃ。連絡取る気があったらとってみたらぁ?
何とか出来るならなんとかしてみてやってみせてくれにゃ。

1247 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 21:47
>1244 さん
>前にも書きましたが、あなたがそれで満足しているのなら
>何も言わないが、阿含宗が仏教だとか、阿含経を所依の
>経典にしているとかは言わないでほしい。
>死んだ人が霊になるというのは仏教ではない。

霊の存在、霊の苦しみ、それによるおもに親族への影響は、
私にとって事実です。阿含宗に入る前からの事実です。
ここには書きませんが、さまざまな苦しみを体験しました。
阿含宗で解脱供養をしていただいてからは、苦しみから
開放されました。なにがなくても楽しいのです。
(以前は何が無くても、悲しかった。ですから酒や異性でまぎら
わしていたのです。)

仏教は人間の存在を正しく理解した教えです。このような明白な
事実を認識していなかったとは思えません。事実、仏教はどんな
に形をかえたとしても、この2500年、死者の供養を、その大
きな仕事としてきたでは有りませんか。

お気に障られるかもしれませんが、あなたの文章には、霊の苦し
みの影響の表れがひしひしと感じられます。また、その気持ちを
理性で否定しようとしている、その、葛藤がひしひしと伝わって
きます。


1248 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 22:15
>1247名無しさん

>お気に障られるかもしれませんが、あなたの文章には、霊の苦し
>みの影響の表れがひしひしと感じられます。また、その気持ちを
>理性で否定しようとしている、その、葛藤がひしひしと伝わって
>きます。

うぁぁ、こういうこと言い出しちゃやだにゃぁ。
よく言われるけどにゃ、というか友人も私も言われたことあるけどにゃ。
議論が結局滞っちゃわない??
お互いに信仰してるのとしてないのとで立場が違うのだから、
そういうこと言われると最終的に信仰してみなさい、みたいなことしか
聞こえてこなくなっちゃうのよ、そんなつもり貴方になくっても。
あげあしとられているみたいな気分っていうの?そんな感じ。
自分の世界の言葉でしか話さなくなっちゃうと結局分かり合えないのよね。
真剣に意見ぶつけていればいるほど。
(まぁ私のここにある書き込みはどーなんだっていわれると議論にもなってないけどさぁ。
だって腹が立ったこと?を書き連ねてるだけになっちゃってるし)

あぁ、でも根本的に議論で打ち負かすとかそういう世界ではないと
思ってたのですけどにゃ、宗教ってのは。
でもそうでもないらしいと思うようになった今日この頃…。
どんなもんなのでしょうにゃぁ。


58 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:40
1249 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 22:22
>1247さん
むうう。私も同じ阿含宗徒だが、あなたの書き込みを見ると、
ここでの論議は耐えられないと思うぞ。
あなたのお気持ちは、察することは出来るが、論証不可能の
自分の経験のみで書き込むと、火に油とアルコールを混ぜて、
さらにガソリンを噴射する位に論及されると思うよ。
(ガソリンも油だ、という突っ込みはやめてね)
あなたの実体験したことを、仏陀の言葉の中から見つけてゆき、
その言葉をも、実体験として取り込められてから、
書き込みされたらいかがでしょうか?
あなたの健康保全と、より良き人生のために。

1250 名前: 1249 投稿日: 2000/06/29(木) 22:27
あらら、考えている間に、ひとつレスが来ちゃったね。
こういうことになるの。
でも、にゃにゃさんは優しいよ。
ちゃんとあなたの事を考えながら書いているから。

1251 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 22:28
>1246 にゃにゃさん
わんわんわわん
>友達に子供作って流れてボロボロになっても、
>その後に結局何もフォローしなかったのは、
>それが男にとっては大事なことではなかった
>からなのかにゃ?

わんわんわわん、そうなの、そうなの。
だから、男に相談したってうらみがつのるだけなの。
おれの彼女なんて、おれをいまだに許してないわん。
そんなことがあったとき、ほかの女の所にいたんだから。
このうらみがずー−と、日本には、2000年も、もっとたまっているの。
このうらみを解くのは、たいへんだぞ。男には無理。
おんなに子供つくっておいて、どこかでこんな話をしているわけだわんわん。
女が流産していたって、歯医者さんに行っているくらいにしか思ってない
わんわん。(おれのことじゃないよ。おこらないでね)
男の議論なんて、ほとんど勝ち負け。
どちらが賢いか、みえでやっているわけだから。
パチンコしたり、野球したり、ゴルフしているのと同じ。
おとこは、趣味でこんな話ができるのだ、わん、わん。
女には、こんな話興味無いというのは馬鹿にしているんじゃないよ。
賢そうに書いているけど、これは、だいたい馬鹿話なの。
こんどは、男からしかられそうだわんわん。

メールはちょっとまずいの。道場もまずい。来年の星祭だね。
全国から集まるから、身元が割れない。
(実は破門を恐れている。書きこみは違反かどうかわからんわんわん。
にゃにゃさんはどうやってやめようか。わんわんは破門が怖い。おかしいね。)
それまで、自分でしっかり生きろよ。
むり??勤行すると状況は良くなるよ。
わんわんは夜勤行しているが(朝のほうが良いとは思うが)、
仕事から帰ったら、勤行するまでは、座らない、寝ないという
ようにしている。寝たらだめだね。朝まで寝てしまう。座ってもだめ。
それか、道場へ行ってやさしそうな女性にアタックしてみれば。
うらみを吐き出さないと、何も始まらないよ。絶対チャンと聞いて
くれる。聞いてもらわないと損だよ。誰か話を聞いてほしいといえ
ばいいよ。
わんわん、ちゅうとはんぱなへんじで、わんわん。ごめんね。
わんわんわわん。星祭の話は本気だよ。1252 名前: 1249 投稿日: 2000/06/29(木) 22:33
かなりエラそうな事を書いたが、おまえはどうだ!と言われたら、
返す言葉はありません。ごめんなさい。

1253 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 22:36
>1245さん、こんにちは。
親切で、なぐさめるつもりで書いたのですが、
???もうしわけありませんでした。私は、社交界
は無理です。わかっています。また、よろしくね。

1254 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 22:41
1247さんってよくもわるくも宗教の信者だよね
物事を冷静に一度批判的に見てみるという精神がないというか
いわゆる原始仏教ならびにそのながれのパーリ仏教の本読んだ
ことあるのかな
一度中村師の本よんだほうがいいよ


59 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:41
1255 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 22:42
>1248 にゃにゃさんはじめまして。

>自分の世界の言葉でしか話さなくなっちゃうと結局分かり
>合えないのよね。
>真剣に意見ぶつけていればいるほど。

含蓄の深い言葉ですね。よく考えてみます。
いままで自分の世界の言葉をぶつける、、といった
経験しかないもので、とまどっています。


1256 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 22:54
>1249、1252さん、こんばんは。
>あなたの実体験したことを、仏陀の言葉の中から見つけてゆき、
そうですよね。そのとおりだと思います。

>>>死んだ人が霊になるというのは仏教ではない
これに反論する文献を探すには、たくさん経典を読まなければ
ならないのでしょうか。どの仏教教団でも供養をしているのし、
その供養は仏陀の時代から続いてきたと思うのですが。
あたりまえすぎて、本には載っていないのでしょうか?

>>>当然阿含宗など大大大きらいだ
つい、この三個の「大」に大きな葛藤を見てしまったのです。1257 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 23:02
>1254さん
パーリーニカーヤもなかなか霊感に満ちたものですよ。
中村博士は、その部分を省いていますが、そのころの
読者は霊的な話をきらったのです。
聖書なども霊感に満ちた文献です。さまざまな聖典の
霊的な部分は、単なるお話ととらえていらっしゃるのですか。

また、実体験の重みと言うものもあります。これはわかって
もらえないでしょうが。

1258 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 23:09
>1239さん
貴重なコメントありがとうございました。
お礼申し上げます。1259 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 23:10
ブッダご自身が霊魂の存在についてどう語られているかについては、
漢訳の阿含部に一連の経典があったと思います。

また、調べてみることにします。いずれにせよ、
そういった問題については慎重に口を開いたのは、
まず間違い無いところでしょう。

できるだけ、誤解を避けるためにね。

1260 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 23:23
明日のお昼にまたきますにゃ。
お仕事してくるぅ…

1261 名前: 1249 投稿日: 2000/06/30(金) 00:00
>1256さん、こんばんは。
反論する、という目的を持っては本は読まないほうが良いと思います。
著者が言わんとする事を、そのままに自分の心に受け止められなくな
るからです。
いきなり経典にかじりついても、ちょっと理解に苦しむところがある
と思います。独特に言いまわしが多数ありますので。
手始めに、仏陀の一生を正しく、簡潔に読まれるのでしたら、
「仏陀(その生涯と一生)」増谷文雄著 角川選書 \1600
が良いのではないかと思います。
経典としたら、同じく増谷文雄著の、
「阿含経典」全六巻 筑摩書房
(1〜4巻は絶版、5・6巻は現行)
「阿含経典による仏教の根本聖典」大蔵出版(現行本、値段忘れた)
が読みやすくてよろしいのでは。
あと、宇井伯寿氏、三枝充悳氏、前田恵学氏、姉崎正治氏、
中村元氏なんかもよろしいかと思います。
(他にもたくさんいらっしゃいますが、ややこしくなるのでやめ)
本を探す場所ですが、あなたが都内であれば、神保町で問題は無いでしょう。
新刊であれば、三省堂書店、古書であれば、東陽堂など。
関西であれば、大阪のジュンク堂書店(新刊)。古書は京都の其中堂書店など。
まあ、そこまで行かなくとも、街中の大きな書店であれば、何かしら見つかる
と思いますが。
私は中国地方の田んぼの中に住んでいますので、それらの書店に行く旅費が
大変です。
少しでも、参考になればよろしいのですが。

それと、さっきはきつい事を書きましたが、あなたの体験は、非常に大事
なものです。大切にしてください。頭でっかちで、体験(体得)を重要視
しない人ほど手におえない者はありませんから。あくまでも、体験の上に
立って、それを客観的に捕え得る言葉を見つけることが重要と思います。
健闘を、お祈り致します。


60 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:42
1262 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 08:51
心理学でも仏教についてもキリヤマ本からだけ学ぶのが「阿含式」!


1263 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 09:18
>1261 心理学でも仏教についてもキリヤマ本からだけ学ぶのが「阿含式」!

個々の会員のスタンスによってかなりの幅がある事柄について
さも自明の理であるように仰る貴方の発言は「何式」でしょうね。1264 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 10:28
>さん、こんにちは
>ブッダご自身が霊魂の存在についてどう語られているかについては、
>漢訳の阿含部に一連の経典があったと思います。
>また、調べてみることにします。

貴重な情報ありがとうございました。一連の経典と言うのが
嬉しいですね。不勉強で申し訳ありません。

>できるだけ、誤解を避けるためにね。

そうですね、慎重に語らないとだめなのですね。
私の中では、当たり前の事になっているので、
つい、あんな調子で言ってしまうのです。
ご教示ありがとうございました。
1265 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 10:29
↑ 1264は >1259さんあてでした。

1266 名前: 1140 投稿日: 2000/06/30(金) 10:38
>1247さん
>阿含宗で解脱供養をしていただいてからは、苦しみから
 開放されました。なにがなくても楽しいのです。
お気に障られるかもしれませんが、あなたには魔羅に影響の表れがひしひしと感じられます。その気持ちを理性で否定しようとしている、その葛藤がひしひしと伝わってきます。

増谷文雄「阿含経典による仏教の根本聖典」大蔵出版(2600円)の236ページに毒箭(どくや)の譬喩があります。
「世尊は、このような問題については説かず、捨ておきて、問えば答えることを拒む。すなわち、世界は常住であるか、無常であるか。世界は辺際(かぎり)があるか、辺際がないか。霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。人は死後も存するか、存せぬか。このような問題について、世尊はなにごとも説いて下さらぬ」
とあり、240ページには同じことが火と薪の譬えで書いてあります。
「この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える」
「では、もしなんじの前で、この火が消えたならば、火が消えた、と知ることができるか」
「むろんである」
「では、この火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか」
「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである」
火と薪とは命と肉体ということでしょう。
中村元「仏教語大辞典」の「霊魂」の項をみると、
「肉体から区別された精神的なもの。霊は不可思議なものを意味する。ただし、仏教では精神と肉体とを区別する二元論には立たない」
とあります。仏教では霊魂は説かないのです。
宗教は主観的普遍性真理です。主観的とは私にとってどうなのかということです。死んだ人は私にとって何なのか。私にとっては仏ですが、阿含宗の人にとっては霊のようです。迷いとは私の問題ですが、阿含宗の人にとっては死者の問題でしょう。
前にも書きましたが、供養とは仏法僧の三宝に対して供養をするのが本来です。死者に供養するのなら、死んだ人を仏としていただかねばなりません。霊に対して供養をするのは仏教ではありません。
私は阿含宗だけが嫌いなのではありません。仏教の看板を掲げながら、霊がどうのこうのと人を惑わす宗教がすべて嫌いなのです。


61 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:42
1267 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 11:00
>1261さんこんにちは。
>反論する、という目的を持っては本は読まないほうが良い
>著者が言わんとする事を、そのままに自分の心に受け止められなくなる

そうですね。

>いきなり経典にかじりついても、ちょっと理解に苦しむところがある

そのとおりですね。いいわけがましいのですが、そう思い、漢訳経典は
(興味があるのですが)パスしています。
古書店で積み上げられているのを見ると心は動くのですが。
このあたりは専門家の指導を仰ぐべきだと思っています。
しかし専門家と言っても、権力などに弱く、曲げて曲げて
書く人いるような気もします。仏教哲学者というのはもっと
高貴な志の方々だとおもっていたのですが。ピンからキリ
までなのでしょうが。

「仏陀(その生涯と一生)」増谷文雄著 角川選書
阿含経典」全六巻 増谷文雄著 筑摩書房
(1〜4巻は絶版、5・6巻は現行)
「阿含経典による仏教の根本聖典」大蔵出版

最後の一冊は持っていないので、探してみます。

>中国地方の田んぼの中。
一度、備前とか、倉敷、総社などに行ったことがあります。
中国地方って、全土が田んぼのような感じがしますね。失礼。

>頭でっかちで、体験(体得)を重要視
>しない人ほど手におえない者はありませんから。

私もそうでしたので、わかります。毎日の
法典勤行が一番大切と言うことがわかってきたのが
最近です。結構長いのですが。
会員さんや、元会員さんで不満のお強い方は、意外と法典勤行を
ちゃんとやっていないのではないかと思います。(これも実体験)

>それを客観的に捕え得る言葉

わかっているだろう、あたりまえだろう、では人は説得でき
ないのですね。

色々ありがとうございました。引用、一部変更しています。
1268 名前: 1249 投稿日: 2000/06/30(金) 12:11
書名に誤りがありました。
「仏陀(その生涯と一生)」→「仏陀(その生涯と思想)」
です。すみません。


1269 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:23
>1266さん、こんにちは。
>「世尊は、このような問題については説かず、捨ておきて、
>問えば答えることを拒む。すなわち、世界は常住であるか、
>無常であるか。世界は辺際(かぎり)があるか、辺際がないか。
>霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。人は死後も存するか、
>存せぬか。このような問題について、
>世尊はなにごとも説いて下さらぬ」

仏陀の無記がテーマですね。
「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」一応、霊魂はあるわ
けですね。
「人は死後も存するか、存せぬか。」これについては、無記、
ノーコメント。無いと決まったわけでもない。また、現代の物理学を
以ってしても答えにくい世界は辺際(かぎり)というテーマ
と同様に、あまりにも難しいテーマなのかもしれない。
世界は辺際(かぎり)というテーマは、ホモサピエンスの
理解能力を超えていて、人の死後も問題もホモサピエンスの理解能力
を超えているのかもしれない。
仏陀の無記とは「ホモサピエンスの理解能力を超えているテーマ」
に対する回答であると思います。必ずしも、否定ではないのですね。

世界は辺際(かぎり)は有るのかないのか、ないわけでもないで
しょうしわるわけでもないでしょうが、何らかの形でこの宇宙は
有るわけですから、理解を超えた状態で存在するのでしょう。


62 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:43
1270 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:32
>1266さんつづきです。
>「この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える」
>「では、もしなんじの前で、この火が消えたならば、火が消えた、と知ることができるか」
>「むろんである」
>「では、この火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか」
>「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである」

>火と薪とは命と肉体ということでしょう。

(生命?)霊魂と肉体については、無記、ということですから。
これは、その問題ではなく、霊魂(スピリット、生命と死後の?生命)
が縁により生じ、縁により滅すということだったのでは無いかと思い
ます。前後を忘れてしまったのですが。


1271 名前: 1140 投稿日: 2000/06/30(金) 12:45
>「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」一応、霊魂はあるわ
 けですね
なぜそういう受け取り方をするのか。霊魂はあるとは誰も言っていない。霊魂と身体の二元論を仏教は採らない。
そんな考えても分からない問題や、今の自分にとって必要のない問題は考えないということだ。それよりも今の自分をどうするかを釈尊は言っているわけだ。
霊魂が好きな人、神秘現象が好きな人に何を言っても無駄らしい。たとえばスプーン曲げはこうするんですよ、と手品の種を教えてもらっても、相変わらずスプーン曲げは念力によるものだと信じ込んでいるばかりか、手品師を超能力の持ち主と思い込む人もいるそうだ。
とにかくそんなことが好きなんだから仕方ない。人に迷惑をかけなければ。とは思うのだが、家族、特に子供に悪影響を与えているんでしょうね。私の親戚にもいますが。


63 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:44
1272 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:47
>1266さん
>中村元「仏教語大辞典」の「霊魂」の項をみると、
>「肉体から区別された精神的なもの。霊は不可思議なものを意味する。
>ただし、仏教では精神と肉体とを区別する二元論には立たない」
>とあります。仏教では霊魂は説かないのです。

この件は、お書きになられたとおり、仏教では無記、ホモサピエンス
の理解力は超えていると言うことなのです。二元論にたっていない、
一元論にもたっていない、無記ですね。
死後の霊魂(こころ)とは別のテーマです。

ここまで来て、漢訳仏典にたくさんの、死後の霊魂を書いたお経が
あったのを思いだしました。すっかり忘れていましたねえ。(藁
<藁というのは、(笑)という意味らしいです。括弧は閉じません>
漢訳経典を直接読んだわけではないのですが、桐山先生の著書に
たくさん引用されていたのを思い出しました。
有る修行者が托鉢中に、鳥に啄ばまれながら浮遊している霊を
みた、とか、数々有りましたね。不肖の弟子でした。


1273 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:54
>1266さん

>宗教は主観的普遍性真理です。主観的とは私にとってどうなのか
>ということです。死んだ人は私にとって何なのか。
>私にとっては仏ですが、阿含宗の人にとっては霊のようです。
>迷いとは私の問題ですが、阿含宗の人にとっては死者の問題
>でしょう。

主観的、普遍的、真理、この三つが並んだ単語は、私には理解
しがたいです。客観的普遍的真理の、私なりの近似値と言うこと
なのでしょうが。仏教にはふさわしくないような気がします。
我見(身見)を、私は真理であるとみなしますと宣言したようです
ね。
阿含宗では、死者は亡者です。死んだからと言って仏になれる
わけではない。それだと仏教はいらない。
迷いは、生きている人と死者が共有している問題です。


1274 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:56
>1266さん
三宝に帰依するのは、私たちの幸せが目的です。
苦しんでいる死者を放置して、私たちに幸せはこないのです。

1275 名前: 1140 投稿日: 2000/06/30(金) 13:01
1270を読んでいなかったので続き
>霊魂(スピリット、生命と死後の?生命)が縁により生じ、
 縁により滅すということだったのでは無いかと思います。
どう言えば納得してもらえるのか、いささか疲れた。無記という言葉を知っているのだから仏教をかじっているのだろうが、どうしてこういう解釈しかできないのか不思議です。
霊魂(スピリット、生命と死後の?生命)という概念が仏教にあるだろうか。釈尊はそれを語らないのだから。どの仏教辞典を見てもそんなことは書いてないと思う。


1276 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 13:04
>仏陀の無記がテーマですね。
「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」一応、霊魂はあるわ
>けですね。


どうでもいいけど、「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」という質問は
「その質問をした人」が勝手にあると決めているだけで
仏陀はどう考えていたのか分かってないんでしょ?

それを勝手に「ある」とねじ曲げて解釈するのはよくないんじゃないかな。

1277 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:11
>1271さん
>>「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」一応、霊魂はあるわ
>>けですね
>なぜそういう受け取り方をするのか。霊魂はあるとは誰も言って
>いない。霊魂と身体の二元論を仏教は採らない。

「  」の中をよく読んでほしいのですが、この文章は
生きている人の霊魂(スピリット)についてなのですよ。
(肉体を持つのは生きている者だけです。)
生きている人のスピリットと肉体(五蘊)とが一元的に存在して
いるのか、二元的に存在しているのかと言うテーマなんですよ。
今あなたのスピリットは、あなたの五蘊をはなれて、こちらに
伝わっているような気がしますよ。これだと二元論ですね。
しかし仏陀はそれに対しては無記なのです。

あなたは、死ねば、生きている時の霊魂(スピリット)は
消滅すると主張されているのでしょう。

一元的似せよ二元的にせよ、五蘊と霊魂は有るのです。私が言って
いるのはそういう意味です。

あなたは、ある時は、その霊魂は死後は消滅すると言い、ある時は
仏になると言っている。その矛盾に気がついてください。


64 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:46
いる。その矛盾に気がついてください。

65 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:47
1278 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:17
>1276さん
そのばあいでしたら、仏陀は「霊魂なんてないよ」と
お答えになります。

1279 名前: 1140 投稿日: 2000/06/30(金) 13:20
>主観的、普遍的、真理、この三つが並んだ単語は、私には理解
 しがたいです。客観的普遍的真理の、私なりの近似値と言うこと
 なのでしょうが。仏教にはふさわしくないような気がします。
宗教は主観的普遍真理、という言葉は岸本鎌一という先生の話にあった言葉。科学は客観的普遍真理 、道徳は主観的一般的真理、芸術は主観的と客観的の中間だったと思う。
宗教とは私にとってどうなのかが出発点。我見とは違う。『歎異抄』の言葉を借りれば「親鸞一人がためなりけり」
死んだから仏になるとは言っていない。私にとって仏だということだ。あなたにとってではない。なぜ私にとって仏なのか。それはその人を通して多くのことを教えられ気づかされたから、つまりその人を通して仏の教えを聞くことができたからである。客観的に死者が仏だというのではない。
>三宝に帰依するのは、私たちの幸せが目的です。
自分の幸せの手段として三宝に帰依するのか。それこそ我、自らの欲を増長させることじゃないか。
>死後の霊魂を書いたお経が
 あったのを思いだしました
どの経典にあるのか知らないが、死後や輪廻を仏教で説くことについて「輪廻転生など有り得ない」というスレッドにある叫素という人の書き込みを参考にしてくれ。
「 仏教で輪廻転生が語られるのはただの喩え話です。輪廻は「真理」でもなんでもなく、当時の「常識」です。昔の仏教者はその蒙昧な「常識」を喩え話として用いて「真実」を語った。そのあたりのことが分からないアホたれが、アホたれを騙して宗教やっとるんだ」
「嘘を言って騙していたのではない。わざわざ、「輪廻転生は存在する」と主張しなくてもみんな迷信として輪廻転生を信じておったわけだ。その迷信を利用して「真実」を語ったわけなのだ。「迷信」はそのまま「常識」なわけです。わかりますか?」

1280 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:21
>1275さん
>霊魂(スピリット、生命と死後の?生命)という概念が
>仏教にあるだろうか。釈尊はそれを語らないのだから。
>どの仏教辞典を見てもそんなことは書いてないと思う

「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」を良く読んで
ください。身体とは生きている人の身体でしょう。死者の霊魂と
生きている人の身体は同じかという質問はありえないのです。
ですから、ここでは生きている人の霊魂(スピリット)です。
身体とはハードだけではなくソフトを含めた五蘊です。

1281 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 13:25
>1278さん
そのばあいでしたら、仏陀は「霊魂なんてないよ」と
お答えになります。

あるならなぜ「ある」って答えなかったの?

結局、自分の解釈(我見だっけ?)を自分で信じてるだけじゃん(ワラ

1282 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:34
>1279
宇宙の有り方を見てください、地球の状態を見てください。
ぽっかりとこの巨大な球が虚空に浮いているのです。無限の
宇宙に、光を放つ恒星の数は星の数ほどもあります。(笑)
こんなこと、見た人でなければ誰が信じましょう。

仏陀は輪廻があるといっています。これはホモサピエンス
には信じがたい事なのです。昔から仏陀は「仏陀は不思議を語る」
と非難されていたのです。不思議だからと言って否定するのは
短絡的ですね。
昔の人よりは、現代人のほうが仏陀の語る「不思議」に近寄りやす
い位置にいるのです。

宇宙の果てはと聞かれて、無記と答えると、昔の人はごまかされた
ような気がしたかもしれない。しかし現代科学を知る私達には、無記
もむべなるかなと思えるのです。

客観性、主観性のもんだいですが、科学は仮説とデータで構築される。
仏教は、仏陀の瞑想体験で構築されるのです。信者の主観で構築され
る物ではありません。


66 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:48
1283 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/30(金) 13:36
(゚Д゚)…お仕事終わってのぞいてみたにゃ。
真面目に論議されてるの?それともあげあし取り合いかにゃ?
とりあえず読んでみてから、いただいたレスにお返事するにゃ。
時間たってるからわけわかんにゃいかも…ごめんにゃ…

1284 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 13:38
>1239

完全に負け犬の遠吠え。
誰宛のメッセージかということさえ反論が怖くて書けないみたい(ワラ

>わかるように、キリがない。まして「体験」とやらの
>はなしになると、何をかいわんや。だってそれって、
>「自己申告」の世界での物言いですものね。それに基ずいて
>そのかた独自の「神学」を構築する作業が開始されるわけです。

それって、まさにここ最近の話題の霊魂の存在とかで信者さん側が言ってることじゃん。
自分で自分の首閉めてるよ!

1285 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:43
>1279さん
>>三宝に帰依するのは、私たちの幸せが目的です。
>自分の幸せの手段として三宝に帰依するのか。
>それこそ我、自らの欲を増長させることじゃないか

仏陀は、ご自分の四苦八苦を救うために、また、人々の
四苦八苦を救うために道を求められたのです。

1286 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:54
>1284さん、
あなたが引用された部分の、要約は
「信者も、信者でないひとも、議論だけではいけないよ」と言う諭しです。

1239を引用するなら、要点の

>>「この世にブッダが現れた」という知らせを聞いて、
>>我が耳を疑い何度も繰り返し確認したかたのエピソ―ドが
>>阿含経にありますが、あれなど当時の人たちが驚きを持って
>>彼を迎えいれた状況がいきいきと描かれています。

>>そこから彼はどのような経過をたどってニルバ―ナに至ったか、
>>という探求心が沸いてくる。マトモな仏教徒で、あるならば。

>>全ては無常で、相依りあって成り立つものであるから、
>>七科三十七道品もあり得ない、空である、なんて、初期大乗仏教運動の
>>連中も言いそうですね。愚かしいこと。

>>そういう大乗的な思考パタ―ンが日本において
>>オウムを代表とする腐った宗教を生み出す
>>格好の土壌になっているのでしょう。

>>ブッダの成仏法と縁が切れているのは、致命的です。

この部分を引用していただきたかったです。


そういう大乗的な思考パタ―ンが日本において
オウムを代表とする腐った宗教を生み出す
格好の土壌になっているのでしょう。

ブッダの成仏法と縁が切れているのは、致命的です。1287 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:58
>1284さん
だれ宛ではなく、このスレッドにいるみなさん、とくに
仏教徒へのメッセージだと思いますよ。あなたも含めて。

1286引用部分だぶっていました。失礼。

1288 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 13:59
1282さんいわく、
>仏教は、仏陀の瞑想体験で構築されるのです。信者の主観で構築され
>る物ではありません。

仏陀の瞑想体験は我々ホモ・サピエンスには想像することすらできないのです。
その証拠に1231さんいわく、
>涅槃を得た(ブッダになられた)もののことは、涅槃を
>得たものしかわからないと言う、言葉があるのです。

想像することさえ出来ないものを元に構築されたものは、
すなわち信者の主観であり、
それゆえ我見です。(ワラ


67 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:49
1289 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 14:08
>1281さん、
これは生きている人が話題なのです。

あなたの身体=五蘊 と スピリット(気持ち、霊魂)は
同じなのかどうかと言うテーマなのです。

死者の霊魂のはなしではないのです。よく考えてね。

あなたの中に「わたし、おれ」が住んでいるでしょう。
その「わたし、おれ」と五蘊は同じかどうかと言うテーマ
なのです。
その、「わたし、おれ」が死んだら無くなるのか、存続するのか
、仏となるのか、亡者となるのかとは別問題です。

五蘊破れて異蘊残ると言う経典があるのですが(だんだん思い
出してきたぞ)。その話とは別問題。


1290 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 14:12
1285さんいわく、
>仏陀は、ご自分の四苦八苦を救うために、また、人々の
>四苦八苦を救うために道を求められたのです。

そして仏陀は四苦八苦がことごとく「空」であると喝破した!
それゆえに、苦しみもなく幸せもない。
だからこそ、仏陀は平安に住するものと呼ばれるのである。

1291 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 14:19
>1288さん
その想像すらできない境地に近づく手法を仏陀が教えているのです。
「涅槃とはなにですか」「私の言うとおりに修行しなさい」
「涅槃を得れば、涅槃はわかるであろう」
涅槃を得ることは難しいが、得た人の姿、生き方を見れば
想像はつくのです。

>想像することさえ出来ないものを元に構築されたものは、
>すなわち信者の主観であり、
この文章は意味をなしていないので、答えにくいのですが、
とりあえず。
(どうして信者が想像できないものだと、信者の主観なのだろう
あなたの想像もできない学問は、あなたの主観なの?
想像もできないような仕組みのコンピュータは、私の主観で
うごいているのだろうか?)


1292 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 14:25
>1290
さん、それじゃあ、仏教もなにも、もういらないね。
空の解釈、間違っているけどね。空の勉強くらいしようね。
なんかおかしい気がするでしょう、ご自分の書いていること。

時間がないので失礼。ただいまより着陸態勢は入ります。
次のフライト水平飛行は6時半頃です。6時40分にまた
きます。

にゃにゃさん、いれかわりですね。よーちえんききます。

1293 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 14:27
>1290さん
はやとちりだった。仏陀は空を得たのね。
それはいい。私たちは空を得ていないよ。
涅槃を得る前の仏陀は四苦八苦からのがれていなかったよ。
時間ぎりぎりです、失礼。

1294 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 14:36
>1289さん
あなたの中に「わたし、おれ」が住んでいるでしょう。
その「わたし、おれ」と五蘊は同じかどうかと言うテーマ
なのです。
その、「わたし、おれ」が死んだら無くなるのか、存続するのか
、仏となるのか、亡者となるのかとは別問題です。


うーん、俺の中に「わたし、おれ」がすんでいる?
いや、そうは思わんね。
もし「わたし」というものがあるのだとしたら、
それを見ている俺はいったい誰なんだ?
「わたし」とそれを見ている「俺」の二人がいることになってしまう。

仏教でいう「自性(スヴァバーヴァ)がない」というのは、
「すべては縁起するもの(衆因縁生法)」という意味と同じで、
他の力をかりずに、それ自体で存在するものは存在しない、と言う意味だ。

上の話しのたとえで言えば、
薪がなければ火は存在しない、がこれにあたる。
火だけが単独で有る訳じゃない。
だから身体の中に、
実際に存在するのはその関係性だけで、関係性には実体がないから「空」。
「わたし」という身体とは別のものがある、と主張するのは
真っ赤な嘘、ということになる。


68 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:49
1295 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 14:47
1291さんいわく、
>涅槃を得ることは難しいが、得た人の姿、生き方を見れば
>想像はつくのです。

「誰が」想像しているのですか?
信者さんでしょう?
信者さんはホモ・サピエンスだから、
主観(我見)によって想像します。
それゆえ、
阿含経=阿含宗の教え、では全くない。
仮に阿含経に書いてあることが真理だったとしても、
そこに書いてある真理と、真理を解釈した信者の主観(我見)とでは
全く違ったものになるから。

1296 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 16:06
肉体と魂は別かどうかは「無記」
これを肯定・否定ととるものその人しだいでしょう
ただ修行者はあくまで、そうした形而上学とは
かかわらずただいま現実の生をいきるというのが仏教じゃないの?
しかし今も昔も同じ話題でもりあがるよな まさに永遠の理法(笑


1297 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:53
長い長い文章ですが、有益と思われますので、ここに載せます。


 流行の論題に答えないことへの不満

 もう一つの経(南伝、中部経典、六三、摩羅迦小経。漢訳、中阿含経、三二、箭喩経)は、釈尊のお
しえに不満を抱いたもう一人の弟子のことについて、つぎのような叙述をのこしている。
 それは、世尊が、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンディカ
(給孤独)の園にましました時のことであったが、その時、マールンクヤープッタ(摩羅迦子)な
る比丘は、ただ独り坐して思索にふけっていたが、その心に、ふと、つぎのような思いが浮かんだ。
 「つぎのような問題については、世尊は、説かれず、捨ておき、問いを却けられる。すなわち、
 世界は永遠であるか、有限であるかということ。世界は有辺であるか、無辺であるかということ。
 霊魂と身体は同一であるか、各別であるかということ。および、人間は死後も存するか、存しな
 いか。それとも、人間は死後なお存し、また存しないのか。あるいはまた、人間は死後存するに
 もあらず、存せざるにもあらざるかということ。世尊は、これらのことを、わたしに説いてくだ
 さらない。わたしは、それが嬉しくない。わたしはそれが堪えられない。わたしはいまや世尊の
 ところに行って、そのことを問おうと思う。それで、もし世尊が、わたしに、『世界は永遠であ
 る』とでも、あるいは、『世界は有限である』とでも、あるいは、『世界は有辺である』とでも、
 あるいは、『世界は無辺である』とでも、あるいは、『霊魂と身体は同一である』とでも、あるい
 は、『霊魂と身体とは各別である』とでも、あるいはまた、『人間は死後も存する』とか、『人間
は死後は存しない』とか、あるいは、『人間は死後なお存し、また存しない』とか、あるいはま
た、『人間は死後存するにもあらず、また存せざるにもあらず』とか説いて下さるならば、わた
しは世尊のところにおいて梵行を修するであろう。だが、もし世尊が、わたしのために、『世界
は永遠である』とも、あるいは、『世界は有限である』とも、……あるいは、また、『人間は死後
存するにもあらず、存せざるにもあらず』とも説いて下さらなかったならば、わたしは、修学を
すてて、世俗に還ろうと思う」


69 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:50
1298 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:55
つづき

 そのように思ったマールンクヤープッタは、やがて夕刻、その坐より立って釈尊のいますところ
にいたり、釈尊を礼拝してその傍らに坐し、その思うところを釈尊に申しあげた。すると、釈尊は、
やおら彼を顧みていった。
 「マールンクヤープッタよ、かつて、わたしは、そなたに、『来れ、マールンクヤープッタよ、
 そなたはわたしの許において梵行を修するがよい。わたしは、そなたに、<世界は永遠である>
 とか、あるいは、<世界は有限である>とか、……あるいはまた、<人間は死後存するにもあらず、
 また存せざるにもあらず>とか説くであろう』と語ったことがあるであろうか」
 彼は、それに対しては、「大徳よ、そうではございません」というのはかはなかった。すると、
釈尊は、またいった。
「では、あるいは、そなたが、わたしに、『大徳よ、わたしは、世尊の許にて梵行を修したいと
思います。世尊は、わたしに、<世界は永遠である>とか、あるいは、<世界は有限である>とか、
……あるいはまた、<人間は死後存するにもあらず、また存せざるにもあらず>とか説きたまえ』
 と語ったことがあるであろうか」
 彼は、それに対しても、また、「大徳よ、そうではございません」というのはかはなかった。そ
こで、釈尊はまたいった。
 「とするならば、愚かなるものよ、そなたは誰であって、誰を謗らんとするのであるか」
 それで、彼は、頭をひくく垂れて、黙ってしまうよりはかはなかった。
 そこまでが、いうなれば、この経の前段をなす。そして、その後段においては、釈尊のマールン
クヤープッタに対する教誠がはじまる。そのなかにおいて釈尊の説いた「毒箭の喩え」は、とりわ
け印象的である。漢訳のこの経に題するに『箭喩経』をもってしたのは、その故にちがいあるまい。
釈尊はこう仰せられたのである。
「マールンクヤープッタよ、たとえば、人ありて、毒をあつく塗られた箭をもって射られたとす
るがよい。すると、彼の親友・仲間・親族・縁者は、彼のために箭医者を迎えにやるであろう。
だが、彼は、『わたしを射た者は、刹帝利か、婆羅門か、庶民か、それとも、奴隷か、それが知
られないうちは、この箭を抜いてはならない』といったとせよ。あるいは、彼は、『わたしを射
た者は、いかなる名であるか、いかなる姓であるか。それが知られないうちは、この箭を抜いて
はならない』といったとせよ。……あるいは、また、『わたしを射た弓は、通常の弓であるか、
それとも琴であるか。それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない』といったとせよ。
また、あるいは、『わたしを射たかの箭羽根はなんの羽根であるか。鷲の羽根か、鷹の羽根か、
孔雀の羽根か。それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない』といったとするがよい。
そうすると、マールンクヤープッタよ、その人は、それらを知らないうちに命を終ってしまわね
ばならぬであろう。
 マールンタヤープッタよ、それとおなじように、もし人があって、『世尊がわたしのために、
<世界は永遠である>とか、<世界は有限である>とか、あるいは、<世界は有辺である>とか、
<世界は無辺である>とか、……あるいは、また、<人間は死後存するにもあらず、存せざるにも
あらず>とか説いて下さらないうちは、わたしは、世尊の許において梵行を修しないであろう』
といったとするがよい。そうすると、マールンクヤープッタよ、その人は、如来によってそれが
説かれないうちに、その命を終ってしまわねばならないであろう。
 マールンクヤープッタよ、<世界は永遠である>との見解がある時、梵行がなるというような
ことはない。あるいは、マールンクヤープッタよ、<世界は有限である>との見解がある時、梵
行がなるということもありえない。マールンクヤープッタよ、<世界は永遠である>といっても、
あるいは、<世界は有限である>といっても、やっぱり、生はある、老はある、死はある、愁・
悲・苦・憂・悩はある。わたしは、現世においてそれを克服することを教えるのである。


70 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:50
1299 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:55
つづき

 マールンクヤープッタよ、また、<世界は有辺である>との見解がある時、梵行がなるという
ようなことはない。あるいは、マールンクヤープッタよ、<世界は無辺である>との見解がある
時、梵行がなるということもありえない。マールンクヤープッタよ、<世界は有辺である>とい
っても、あるいは、<世界は無辺である>といっても、やっぱり、生はある、老はある、死はあ
る、愁・悲・苦・憂・悩はある。わたしは、現世においてそれを克服することを教えるのである。
 そのゆえに、マールンクヤープッタよ、わたしによって説かれないことは、説かれないままに
受持するがよく、また、わたしによって説かれたことは、説かれたままに受持するがよい。
 では、マールンタヤープッタよ、わたしによって説かれないこととは何であろうか。いわく、
<世界は永遠である>とはわたしは説かない。また、<世界は有限である>ともわたしは説かない。
あるいは、<世界は有辺である>とはわたしは説かない。また、<世界は無辺である>ともわたし
は説かない。……では、マールンクヤープッタよ、何故にそれらのことをわたしは説かないので
あろうか。マールンクヤープッタよ、実にそれらは、道理にも合わず、梵行の本ともならず、厭
離・離貪・滅尽・寂静・叡智・正覚・涅槃に役立たないからである。その故に、わたしは、それ
らのことを説かないのである。
 では、マールンクヤープッタよ、わたしによって説かれたこととは何であろうか。いわく、
『こは苦である』とわたしは説いた。『こは苦の生起である』とわたしは説いた。『こは苦の滅尽
である』とわたしは説いた。また、『こは苦の滅尽にいたる道である』とわたしは説いた。マー
ルンタヤープッタよ、では、何故にわたしはそれらのことを説いたのであろうか。マールンクヤ
ープッタよ、実にそれらは、道理にも合い、梵行の本ともなり、厭離・離貪・滅尽・寂静・叡
智・正覚・涅槃に役立つからである。その故に、わたしは、それらのことを説いたのである。
 マールンクヤープッタよ、だからして、わたしによって説かれないことは、説かれないままに
受持するがよい。また、わたしによって説かれたことは、説かれたままに受持するがよいのであ
る」
 またもや、ながいながい引用であった。だが、そこに釈尊が説きたもうところは、もはやわたし
がなんの注釈を加える要もないはどに、明快にして、かつ、力にみちたものであった。それは、い
ま、釈尊の所説にいささか不満を抱いてやってきたマールンクヤープッタにもよくわかった。彼は、
いまや、「歓喜して世尊のおしえを受領する」ことを得て、さいわいなるかな、「あたかも悪趣か地
獄に属するもののごとく、この法と律から脱離する」ことなくして済んだのである。
 だが、ただ一つだけ、わたしは、あえて付け加えておかねばならぬことがある。それは、これま
でマールンタヤープッタの心を閉ざしていたいくつかの論題、つまり、<世界は永遠であるか、有
限であるか>とか、<霊魂と身体とは同一であるか、各別であるか>とかいった論題は、それらも
また、その頃の沙門・婆羅門たちが、好んで論じていたところの主題であった。そして、釈尊にお
ける主題は、けっして、そのような問題ではなかった。そのことをはっきり弁別すること、それも、
また、釈尊の通が何であって何でなかったかを知るためには、きわめて肝要のことと知らなくては
ならないのである。


根本仏教 増谷文雄著 1980年 筑摩書房

1300 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:57
読まれた方、お疲れ様でした。


71 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:52
1301 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:58
一気に読むには、"最新レス100"を押して読んでください。

1302 名前: 1140改めもぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 18:00
・阿含宗の方、どうかお願いだから「阿含経」のどこに水子供養のことが書いてあるか教えて下さい。
・キサゴータミーの話を知っていますか。死んだ子を抱えたキサゴータミーが、どうか子供を治す方法を教えて下さいと、釈尊に頼んだとき、釈尊は供養をしなさいと言ったでしょうか。どこの家でもいいから芥子つぶを一つもらってきなさい、と言い、キサゴータミーは多くの家を訪ねる中で目覚めていったのでしょう。自分の子や訪ねた家の人、死んだ人を通して、釈尊の言われた意味がいただかれたわけです。つまり自分の子が死んだおかげで目覚めたわけです。ということはキサゴータミーにとって死んだ子は仏であり、その話を聞く私にとってもそうです。
・霊魂があるという前提で話をされるわけですが、あるとかないとか断言するのは独断陀と、釈尊は言っています。結論が出ず、無駄な論争に終わってしまうから、霊魂については語らないのでしょう。

1303 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 18:06
>阿含宗の方、どうかお願いだから「阿含経」のどこに水子供養のことが書いてあるか教えて下さい

どこにも書かれていないから返事が出来ないの。
だって、そもそも他人が祈って成仏させる事自体、水子に限らず不可能なんだから。
でも、教団にとっては収入源として大きな『意味』があるけどね。


1304 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 18:25
>1285さんへ
>>三宝に帰依するのは、私たちの幸せが目的です。
>自分の幸せの手段として三宝に帰依するのか。
>それこそ我、自らの欲を増長させることじゃないか
 仏陀は、ご自分の四苦八苦を救うために、また、人々の
 四苦八苦を救うために道を求められたのです。
これじゃ少しも答になっていない。仏陀のことを言っているのではなく、あなたがなぜ帰依三宝するのかということを聞いている。あなたは自分の幸せのためだと言う。幸せを求めて我々は四苦八苦に苦しむのではないでしょうか
>1293さんへ
>涅槃を得る前の仏陀は四苦八苦からのがれていなかったよ。
涅槃をえる前は仏陀とは言わない。また仏陀も年をとるし病気もするし、そして死んだ。問題はそれら四苦を苦にするかどうかということだ。 このことは我々にも言えていることで、大切な人が死んだとき、それをどのように受け止めていくか、が重要なのです。亡くなった人は私を教え導く仏として手を合わせることだと思っています。、


1305 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:10
>1294さん
>うーん、俺の中に「わたし、おれ」がすんでいる?
>いや、そうは思わんね。
>もし「わたし」というものがあるのだとしたら、
>それを見ている俺はいったい誰なんだ?
>「わたし」とそれを見ている「俺」の二人がいることになってしまう。

わたしをみているおれ=五蘊(色、受、想、行、識)のうちの 識だと
考えています。自性は識にははっきりと認識されなくて、突如として、
貪欲、欲望怒り、おろかさ、などの形で、イモーショナルにあるいは、
意識の変化、認識、思考の変化として、五蘊に影響を与えてくるものだと
思っています。

>仏教でいう「自性(スヴァバーヴァ)がない」というのは、
>「すべては縁起するもの(衆因縁生法)」という意味と同じで、
>他の力をかりずに、それ自体で存在するものは存在しない、と言う意味だ。

自性は縁起するものですね。無明から起こり、取(渇愛)をピークとして、
有、老、病、死とつづく。一連の連鎖ですね。

>上の話しのたとえで言えば、
>薪がなければ火は存在しない、がこれにあたる。
>火だけが単独で有る訳じゃない。
そうですね。

>だから身体の中に、
>実際に存在するのはその関係性だけで、関係性には実体がないから「空」。
>「わたし」という身体とは別のものがある、と主張するのは
>真っ赤な嘘、ということになる。

関係性のうちに存在するのですよ。有でも無でもない、関係するものとして
存在する。自性は無いわけではない。無明があれば自性はあるのです。


72 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:53
1306 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:15
>1294さん
続きです。
自性は
関係性のうちに存在するのですよ。有でも無でもない、関係するものとして
存在する。自性は無いわけではない。無明があれば自性はあるのです。
それは諸法と同様です。諸法皆空というのは、そういう事で、
縁起するものとして存在すると言うことです。(無ではありません)
1307 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:23
>1295さん
>「誰が」想像しているのですか?
>信者さんでしょう?
>信者さんはホモ・サピエンスだから、
>主観(我見)によって想像します。
>それゆえ、
>阿含経=阿含宗の教え、では全くない。
>仮に阿含経に書いてあることが真理だったとしても、
>そこに書いてある真理と、真理を解釈した信者の主観(我見)とでは
>全く違ったものになるから。

そうですね、全くその通りです。ですから、われわれホモサピエンスとして
は真理への近似値を求めるしかないのです。
私は、阿含宗の教えは仏陀の真実に近いものと思っています。どこまでも
近似値ですが。
科学の場合は実験やテストなどで真偽を計ることができるのですが、宗教
の場合は様子で計るしかないのですね。難しい話です。実体験も大事ですが。


1308 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 20:26
>1294
>うーん、俺の中に「わたし、おれ」がすんでいる?
 いや、そうは思わんね。
 もし「わたし」というものがあるのだとしたら、
 それを見ている俺はいったい誰なんだ?
「わたし」とそれを見ている「俺」の二人がいることになってしまう
1305さんに付け加えるのですが、私とそれを見ている俺というものはいます。分かったような気になっても、いくら懺悔しても、それを見ている私がいる。それはどうにもならない。それが我の正体でしょう。分かった気になっている私がいるという自覚がないから、麻原は最終解脱したなどとたわごとを言ったわけだし、桐山氏にもそういう傾向があるように思います。ひょっとしたら、福永のようにそのあたりよく分かっているのかもしれませんが。

1309 名前: 1299 投稿日: 2000/06/30(金) 20:26
ありゃ、最後の行が違ってる。
誤 また、釈尊の通が何であって

正 また、釈尊の道が何であって

1310 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:26
>1296さん。
信仰を求める人の、テーマはその人の境涯によって
異なるのです。自分の境涯のテーマと違うからと言って
笑ってはいけません。
形而上学が済まないと、現実問題に入れない人もいるのです。

1311 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 20:30
>1307
>科学の場合は実験やテストなどで真偽を計ることができるのですが、宗教
 の場合は様子で計るしかないのですね
前に書いたように、科学は客観的真理です。しかし宗教はそうではありません。私にとってどうなのか、ということです。あなたが
>私は、阿含宗の教えは仏陀の真実に近いものと思っています。どこまでも
 近似値ですが。
と言われるなら、はい、そうですか、と言うしかない。ただ桐山氏にだまされたと後から後悔されることのないようにと、いらぬ心配するだけです。

1312 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:39
>1302さん、
仏陀は死者の供養をしなかったのでしょうか。仏陀の弟子達は
死者の供養をしなかったのでしょうか。仏陀滅後2500年
仏陀の教えに基づいて死者の供養をしてきたのは偽りだったの
でしょうか。世界のすべての仏教教団では死者の供養を最も大
切な仕事としています。それはどうでしょうか。また水子は死
者ではないのでしょうか。
仏陀や仏陀の弟子達はキサゴータミーの子供の為に偈のひとつも
唱えてあげなかったのでしょうか。
多くの経典を読まれている方おられましたら、教えてください。
世界の2500年のすべての仏教教団は仏陀の教えを守っていな
かったのでしょうか。


73 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:53
1313 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:46
>1304さん。
仏教は、こは苦なりから始まるのです。
苦、集、滅、道。苦しいから楽になりたいから、幸せに
なりたいから仏陀の道を歩むのです。ゴータマブッダとて
同じだったのです。

>>涅槃を得る前の仏陀は四苦八苦からのがれていなかったよ。
>涅槃をえる前は仏陀とは言わない。
ここは文脈から見て、ゴータマブッダ(固有名詞)だとわかる
でしょう。

1314 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:49
>1304さん
>大切な人が死んだとき、それをどのように受け止めていくか、
>が重要なのです。亡くなった人は私を教え導く仏として手を
>合わせることだと思っています。

阿含宗では なくなった人はあくまで亡者であり、死んだから
といって仏になるわけではない、という見解です。
これは、見解の相違ですから、文献などで確認していくしか
ないでしょうね。
仏陀が、無くなった人はみんな仏だよ、拝みなさい。と言ったと
いう文献も無いような気がします。

1315 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 20:58
>1312
>仏陀の弟子達は
 死者の供養をしなかったのでしょうか。
これについては諸説あるでしょうが、インドでは葬儀をバラモン僧がしたそうです。
>仏陀滅後2500年
 仏陀の教えに基づいて死者の供養をしてきたのは偽りだったの
 でしょうか。
供養については何度も書きましたが、誰に対して供養をするのかと言うことです。阿含宗では迷っている死者の霊に対してでしょうが、亡くなられた人=私にとっての仏に対しての供養なら偽りではないと思います。
>世界のすべての仏教教団では死者の供養を最も大切な仕事としています。
もっとも大切な仕事は私が仏になることです。繰り返しですが、死者の供養とはどういう意味でしょうか。死者を成仏させることなのでしょうが、死者を成仏させる力が私にあるなら、とっくに死者は自分で成仏しているでしょう。死者のことより自分の成仏を心配すべきです。
>水子は死者ではないのでしょうか
変なことを言いますが、精進料理に卵はいいでしょうか。答は、はいです。ベトナムなどの仏教徒も卵なら食べます。こういうことを言うと誤解されるでしょうが、胎児を人間として認めるかどうか、今までの歴史では認めていなかったのだと思います。と言ってもそれでいいというわけではもちろんありません。水子が祟るという考えはおかしい。この世での業を全く作っていない胎児がどうして迷うことがありましょうか。長年生きた我々こそ多くの悪業を作っているのです。
>仏陀や仏陀の弟子達はキサゴータミーの子供の為に偈のひとつも
 唱えてあげなかったのでしょうか。
偈を唱えればそれですむというのなら、それはキサゴータミーや仏弟子の自己満足に終わります。これは現代の葬式でも言えることです。子供の死をどういう形で乗り越えるかを釈尊は教えたわけです。 ですからこのことは苦痛ですが、親にとっては大切なことです。

1316 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:59
>1308さん
そうですよね。「わたし」というとわかりにくいが「わたしのもの」
と考えるともっとわかりやすいですよね。

一切は空だとか言いながらも(識)「これはおれのものだ」「これも
おれのものだ」と叫んでいる自性が体内にいます。
高いところへ行く、「落ちたくない」「死にたくない」「こわい」
「私の命だ」「まだ未練がある」と叫び声をあげる自性がいます。
仏陀の涅槃(空の体得)というのは、それを乗り越えるからすごい
ですよね。

そのようなものを乗り越えた仏陀や仏陀の弟子を見て、その当時の
民衆はおにょにょいたのかにゃあ。


1317 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 21:02
>1299さん
ご苦労様でした。ひさしぶりに阿含経をよんで楽しかったです。


1318 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 21:09
>1315もぐらたたきさん、
ちょっと着陸態勢に入りますので失礼します。
次は、できれば10時半には帰ってきたいのですが。
11時を超えると、インターネットが渋滞しますものね。
それではにゃ。


74 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:55
1319 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 21:10
>1313と1314
>見解の相違ですから
全くその通り。虚しくなります。くたびれました。
>苦しいから楽になりたいから、幸せになりたいから仏陀の道を歩むのです。
 ゴータマブッダとて同じだったのです
楽とか幸せとかの定義の問題になりそうなので困るのですが、老病死を代表とする苦をなくすることができると思っているのですか。老病死は事実です。生きることはしんどいことです。その事実を私がどう受けとめるか。それが阿含経では八正道なのでしょう。八正道をおさめれば死ななくなるとは釈尊も言っていないでしょう。
>仏陀が、無くなった人はみんな仏だよ、拝みなさい。と言ったと
 いう文献も無いような気がします。
確かに阿含経にはないと思います。しかし私は阿含経を所依の経典とする宗教の信者ではありません。あなたと立脚点が違うのです。それより阿含経に水子供養のことが書いてあるかどうか、なぜ教えてくれないのですか。


1320 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/30(金) 21:15

「一九九九年七の月」 35.何もおこらないことを予言していた

予言が終わった1999年8月、一流新聞に本の広告として次のように載せました。

「本書の著者は、「一九九九年カルマと霊障からの脱出」(一九八一年七月・平河
出版社刊)でノストラダムスの予言を解き、一九九九年七の月には、破壊も破滅も
おこらない、無事に終わるであろうと断定している。」

桐山氏は18年前から、1999年7月には何もおこらないと予言していたというの
です。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」を中学生に要約させれば、1999年の地球
壊滅を説いていると述べるでしょう。
誰がどう読んでも、逆さに読もうが、後ろから読もうが、この本は破壊が起こる
と書いてあります。
それを桐山氏はこの本で、何もおこらないと予言したと言うのです。
「無事に終わるであろう」と予言し、断定していたというのです。

この本だけではなく、1982年の「輪廻する葦」では「三度目の原爆が落ちる」と
述べ、その様子を自分は見えると断言し、1984年の「間脳思考」では「核ミサイ
ルによる地獄の業火」と書き、1995年に出した本でも、40%が横変死すると説き、
信者に、助かりたければ、13人を導けと脅迫するなど、18年に渡って手段を選
ばず、地球壊滅を説き続けていた桐山氏が、実は、18年前から何もおこらないと
予言し、断定していたと新聞広告を出したのです。


1321 名前: 1299 投稿日: 2000/06/30(金) 21:36
>1317さん
どうもありがとう。そう言ってもらえると嬉しいです。

1322 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 22:21
>1307さんいわく
そうですね、全くその通りです。ですから、われわれホモサピエンスとして
は真理への近似値を求めるしかないのです。

近似値を求めるには最低2つのものが必要です。
でも、どこに2つのものがあるのでしょう?
あなたは仏陀の真理と、
真理を解釈した信者の主観(我見)
の2つがあると思っているのでしょうが、
実際にはどこまでいっても100%、信者の主観(我見)しかありません。
なぜなら信者さんはホモ・サピエンスで仏陀の真理を「想像する事しか」出来ないから。

さらに付け加えると、真理の近似値は全く真理ではありません。
それゆえに、あなたは阿含宗の正当性を自ら否定なさりました。


75 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:55
1323 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 22:36
>1306さん
自性は
関係性のうちに存在するのですよ。有でも無でもない、関係するものとして
存在する。自性は無いわけではない。無明があれば自性はあるのです。

だからさ、無明があれば自性がある、じゃなくて
無明故に自性があたかもあるかのように見える、が正解でしょ。
薄暗いところで縄を蛇と見間違えるのといっしょ。
いくら蛇がいる、て騒いでも、実際にあるのは縄。
無明が終わったから突然、蛇が縄に変身したわけじゃないでしょ。
最初から縄しかない。
それに、関係性が存在する、ていうのは俺は最初から言ってるけど、
それは身体を離れて霊魂が別にあるって意味じゃないでしょ。

1324 名前: はえたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 23:09
>1312

 お釈迦さまは、入滅(死)に先立って、侍者の阿難(アーナンダ)から、
「世尊の葬儀をどのようにすればよいでしょうか?」と問われたとき、
「私の葬儀は在家信者にまかせなさい。
あなたがた出家者は、怠らずに修行に励むように・・・・・・」と指示されました。

現代日本のお坊さんが葬儀をしているのを見られたら、
お釈迦さまは腰を抜かして驚かれるに違いありません。

1325 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 23:12
成仏=菩提と涅槃は同じものなのでしょうか。
阿含経で、お釈迦さまは他に向かって、自分と同じブッダになれと
命じられたのでしょうか。また、ブッダになり得ると説かれたので
しょうか。
また、お釈迦さま在世中の在家信者で、現世で解脱できた人は阿含
経の中に出てくるのでしょうか。
修行を完成して、涅槃に入った阿羅漢の心相続は、消えてなくなっ
てしまうのでしょうか。


1326 名前: はえたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 23:13
南方仏教においては僧侶は基本的には葬儀にタッチせず、
葬儀は在家の人々が中心になって執行されることになっています。
日本仏教には「葬式仏教」の異名があり、
日本では、葬式はお坊さんがするものという慣行ができ上がっていますが、
お坊さんと葬式との結び付きは、一般に思われているほど必然性はないのです。

1327 名前: はえたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 23:18
現在では、仏教の各宗派が並び、全国各地にお寺がひしめき、
坊さんたちも葬式・法事に忙しい毎日を送っています。
世の人々は何の疑いもなく、人が亡くなれば葬儀をお寺で営み、
年忌法要も坊さんを招いて勤めるのが、
昔からのしきたりで、当たり前のことだと思っているようです。
そして、仏事は死者供養のおまじないだと見なされており、
仏教は祖先崇拝の儀式の道具である、
と深く思い込まれているようです。
だから、亡くなった人が善い所へ行けますようにとか、
自分の願い事をかなえるためのおまじないとして、
念仏やお題目を称えているようですが、それは間違いです。


76 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:56
1328 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 23:23
>ブッダご自身が霊魂の存在についてどう語られているかについては、
漢訳の阿含部に一連の経典があったと思います。

国訳一切経 阿含部 二
雑阿含経 巻第十九 第四弟子所説 第二目健連相応の続き、第二部
(第二品) 一から四十二までの経典がそれにあたります。

マウドガルヤ―ヤナなは同名の仏弟子が多く、かれはマハ―・マウドガルヤ―ヤナ
(大目連)とも称された。のちに仏弟子中で「神通第一」と称されたが、なぜ
このように呼ばれるにいたったかは分明でない。ある日、かれの顔色が特別に
いきいきしているのを見てシャ―リプトラがその理由をたずねると、「今日、
われブッダと法話をなせり、天眼天耳ブッダとわれとともに有すればなり。」と
答えたと仏典に記されているから、その神通力はブッダに等しいと思われていた
のであろう。またかれはしばしばプレ―タ(餓鬼)をみては微笑し、問われて
そのゆえを語ったという。プレ―タは、常人には見ることのできない祖先の霊や、
前世の悪業の報いを受けて飢えや渇きに苦しんで徘徊する霊鬼を意味する。また、
亡き母が摩利支世界に住むのを天眼をもって知り、そこから救出したという。
いわゆる目連救母伝説であるが、中国、日本で行われる盂蘭盆会、施餓鬼会の起源
をなすものである。

               ブッダの世界 中村 元 編著

経典は目連尊者の説をブッダが追認し、さらに解説するという形式をとって
いますが、

「善い哉比丘、我が声門中、実眼・実智・実義・実法に住し、決定して通達せば是
の衆生を見る。我れもまたこの衆生をみて、しかも説かざるは信ぜざるを恐るるが
故なり。所以は如何。如来の所説を信ぜざる者有らば是れ愚痴の人にして長夜に
當に饒益せざる苦を受くべければなり。」

との教説からもわかるように、当時のインドにおいてもデリケ―トな問題だった
のでしょう。誤解を避けるために配慮されている様子がうかがえます。これらの
法話は「諸の比丘」とありますから、出家修行者にむけてのもののようです。

かれらの目標とするところは道品法をそれぞれの機根に合わせて修道に専念する
ことによって「実眼・実智・実義・実法に住し、決定して通達する」ところに
あるので、教説されたのでしょう。

他の経典では「異陰」「意生身」「識」などの言葉で霊的存在について表現されて
いるようです。単純に霊魂の存在の有無について言及しない。それよりわたしが
あなたに授けた修道法をしっかりやりなさい、というのが実情だったのではないで
しょうか。

1329 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 23:53
>1325さん、ご参考に。
      南伝 相応部経典 四三、三四、涅槃
 かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジエータ(祇陀)林なるアナータピンディカ
(給弧独)の園にましました。
 その時、世尊は、比丘たちに告げて、つぎのように仰せられた。
 「比丘たちよ、わたしは、汝らのために、涅槃と涅槃にいたる道を説こうと思う。よく聞くがよ
 い。
 比丘たちよ、では、涅槃とは何であろうか。比丘たちよ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊
 滅、これを称して涅槃というのである。
 比丘たちよ、また、涅槃にいたる道とは何であろうか。比丘たちよ、ここに比丘があって、遠
 離により、離貪により、貪りを滅しつくして、心平等に傾向して、正見を修め育てる。また、遠
 離により、……正思を修め育てる。……正語を修め育てる。……正業を修め育てる。……正命を
 修め育てる。……正精進を修め育てる。……正念を修め育てる。……正定を修め育てる。此丘た
 ちよ、これを称して涅槃にいたる道というのである。
 比丘たちよ、このようにして、わたしは、汝らのために、涅槃を説き、涅槃にいたる道を説い
 た。
 比丘たちよ、およそ、弟子のさいわいを願い、慈しみある師が、慈しみをもって、弟子たちの
 ために為すべきことは、わたしはすべて、これを汝らのために為した。
 此丘たちよ、ここに樹下がある。ここに空屋がある。思索するがよい。放逸であってはならぬ。
 後日に悔いることなかれ。これが、汝らに与えるわたしの教誡である」


77 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:57
1330 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:06
>1323さん
あなたは、無明ゆえにそこに居られるのです。
居られるように見えるのでは有馬記念。

1331 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:10
>1324さん
在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
めぐりめぐったのです。
現代で言うと、お経を唱えたのですね。
準備がメインでしょうか。偈がメインでしょうか。

1332 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:16
>1325さん、
これは私の能力を超えているご質問なので、また
他の方の返事があると思うのですが、

成仏=仏陀になること=涅槃(ニルバーナ)得ること、
菩提=あのくたらさんみゃくさんぼだい=涅槃を得るための最高の智慧
=三つの明知

仏教の目的は、成仏です。アラハンにいたるまでに、シュダオン、アナゴン
シダゴンなどの段階があります。
在家に対してもちゃんとシュダオンになる教えがあります。シュダオンになれば
もうもとの三悪道(地獄、餓鬼、畜生界)には戻ることがないのです。
涅槃、涅槃界に至ることができなければ、いずれ輪廻して三悪趣に戻って
しますのです。

1333 名前: 1329 投稿日: 2000/07/01(土) 00:18
もうひとつ。

    南伝 相応部経典 四五、八、分別
かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータビンディカ
(給孤独)の園にましました。その時、世尊は、もろもろの比丘たちに告げていった。
 「比丘たちよ、いまわたしは汝らのために聖なる八支の道を説こうと思う。ひとつ、それを汝ら
 のために分析してみようと思う。よく注意して聞くがよろしい。そして、よくよく考えてみるが
 よろしい。では、わたしは説こう」
「大徳よ、かしこまりました」
と、彼ら比丘たちは世尊にこたえた。世尊は説いていった。
「比丘たちよ、いかなるをか聖なる八支の道というのであろうか。いわく、正見・正思・正語・
正業・正命・正精進・正念・正定である。
 比丘たちよ、いかなるをか正見というのであろうか。比丘たちよ、苦なるものを知ること、苦
の生起を知ること、苦を滅することを知ること、苦の滅尽にいたる道を知ることがそれである。
比丘たちよ、これを名づけて正見というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正思というのであろうか。比丘たちよ、迷いの世間を離れたいと思
うこと、悪意を抱くことから免れたいと思うこと、他者を害することなからんと思うことがそれ
である。比丘たちよ、これを名づけて正思というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正語というのであろうか。比丘たちよ、偽りの言葉を離れること、
中傷する言葉を離れること、そ悪な言葉を離れること、および雑穢なる言葉を離れることがそれ
である。比丘たちよ、これを名づけて正語というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正業というのであろうか。比丘たちよ、殺生を離れること、与えら
れざるを取らどること、清浄ならぬ行為を離れることがそれである。比丘たちよ、これを名づけ
て正業というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正命というのであろうか。比丘たちよ、ここに一人の聖なる弟子が
あり、よこしまの生き方を断って、正しい出家の法をまもって生きる。比丘たちよ、その時、こ
れを名づけて正命というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正精進というのであろうか。比丘たちよ、ここに一人の比丘があり、
いまだ生ぜざる悪しきことは生ぜざらしめんと志を起して、ただひたすらに、つとめ励み、心を
振い起して努力をする。あるいは、すでに生じた悪しきことを断とうとして志を起し、ただひた
すらに、つとめ励み、心を振い起して努力をする。あるいは、いまだ生ぜざる善きことを生ぜし
めんがために志を起し、ただひたすらに、つとめ励み、心を振い起して努力をする。あるいはま
た、すでに生じた善きことを住せしめ、忘れず、ますます修習して、全きにいたらしめたいと志
をたてて、ただひたすらに、つとめ励み、心を振い起して努力をする。比丘たちよ、その時、こ
れを名づけて正精進というのである。


78 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:57
1334 名前: 1329 投稿日: 2000/07/01(土) 00:19

 比丘たちよ、いかなるをか正念というのであろうか。比丘たちよ、ここに一人の比丘があって、
わが身において身というものをこまかく観察する。熱心に、よく気をつけ、心をこめて観察し、
それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住する。また、わが感覚において感覚というも
のをこまかく観察する。熱心に、よく気をつけ、心をこめて観察し、それによってこの世間の貪
りと憂いとを調伏して住する。あるいは、わが心において心というものをこまかく観察する。熱
心に、よく気をつけ、心をこめて観察し、それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住す
る。あるいはまた、この存在において存在というものをこまかく観察する。熱心に、よく気をつ
け、心をこめて観察し、それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住する。比丘たちよ、
この時これを名づけて正念というのである。
 比丘たちよ、では、いかなるをか正定というのであろうか。比丘たちよ、ここに一人の比丘が
あって、もろもろの欲望を離れ、もろもろの善からぬことを離れ、なお対象に心をひかれながら
も、それより離れることに喜びと楽しみを感ずる境地にいたる。これを初禅を具足して住すると
いう。だが、やがて彼は、その対象にひかれる心も静まり、内浄らかにして心は一向となり、も
はやなにものにも心をひかれることなく、ただ三昧より生じたる喜びと楽しみのみの境地にいた
る。これを第二禅を具足して住するという。さらに彼は、その喜びをもまた離れるがゆえに、い
まや彼は、内心平等にして執著なく、ただ念があり、慧があり、楽しみがあるのみの境地にいた
る。これを、もろもろの聖者たちは、捨あり、念ありて、楽住するという。これを第三禅を具足
して住するというのである。さらにまた彼は、楽をも苦をも断ずる。さきには、すでに喜びをも
憂いをも滅したのであるから、いまや彼は、不苦・不楽にして、ただ、捨あり、念ありて、清浄
なる境地にいたる。これを第四禅を具足して住するという。もろもろの比丘たちよ、これを名づ
けて正定というのである」

1335 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:19
>1325さん
>修行を完成して、涅槃に入った阿羅漢の心相続は、消えてなくなっ
>てしまうのでしょうか。

これはぶっだのお返事は、無記=ホモサピエンスの理解力を超えた問題
、だったような気がします。間違っているかも知れません。

1336 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:28
>1325
どなたかお返事お願いします。
何か口頭試問みたい。

在家。居家、妻子奴婢を蓄養せるありて、
うんぬん、のお経があります。在家のものでも、信、戒、布、聞、持、
観、法次、法向 の八法十六法の修行を続け、下の三結(身見、疑惑、戒取)
を断ちシュダオンになれば、預流(聖者への道、引き返すことは無い)に
入れる。500人1000人のそう言う人がいるという話だったと
思います。

どなたかが書いていましたが、阿含宗では八正道ではありません。
八正道は七科三十七道品法の一部です。

1337 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:31
>1326さん
南方仏教でも僧侶が死者の供養をします。お墓は
寺院内に有ります。

1338 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 00:34
> 1331

不勉強だったようなので、ぜひ教えてください。

> 偈を唱えて、仏陀の周りをめぐりめぐったのです。

その偈はどのような偈でしょう?

そもそも、おかしいでしょう。
阿含経といえども、仏陀・釈尊の死後、
お弟子らによる結集によって編纂されたものです。

物理的なお経が存在していないor統一見解としてのお経が存在していない時に
"お経を唱えた"なんて見てきたようなウソor作り話or口から出まかせがよく言えますね。


79 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:58
1339 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:37
>1328、1329
さんありがとうございました。

>「善い哉比丘、我が声門中、実眼・実智・実義・実法に住し、決定して通達せば是
>の衆生を見る。我れもまたこの衆生をみて、しかも説かざるは信ぜざるを恐るるが
>故なり。所以は如何。如来の所説を信ぜざる者有らば是れ愚痴の人にして長夜に
>當に饒益せざる苦を受くべければなり。」

私は見れないのですが、感じます。苦しむこともできます。
阿含宗のおかげで楽になりましたが。
ありがとうございました。1340 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 00:42
>1337さん

お釈迦のお墓(ストーパ・仏舎利塔・五重塔など)はたくさんあります。
でも、お墓があることと追善供養をすることとは無関係です。

1341 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:47
>1329さん
八正道といって、簡単なことのように思っていましたがちゃんと仏陀の言葉
による定義があるのですね。
日本では漢字から類推して、てんでに勝手な解釈が横行しているような気が
します。
漢字民族の宿命ですね。私もそうですが、漢字がわかると何かわかったよう
な気にってしまうのですね。ありがとう、ございました。

1342 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:51
>1322さん、

それでは、仏陀の教えに近づくための、他の良い方法は
ありますか。

1343 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 01:00
>1338さん
スッタニパータには、7回で唱えれるべき分量のお経と
言う一文があります。
阿含経の結集というのは、みんなが唱えていたものを、
集まり、互いに唱え、確認しあったのです。
その際に、何かに記録されたかどうかは知りません。
そのようなものを唱えたのですね。仏陀をたたえることばで、
ヴェーダの達人という言葉はなかったでしょうか。

今回の書きこみにあたっては 「調べない、写さない」という
方針を立てています。時間がかかると仕事に差し支えるからです。
ですから、不確かな記載や、調査してまでは書かない事は
ご容赦ください。思いついたままの記述です。

それでは、今日は寝ます。11時から朝の5時は、魑魅魍魎の
時間帯なので寝るのが一番です。今日は時間オーバーでした。


1344 名前: 1329 投稿日: 2000/07/01(土) 01:03
>1339さん、1341さん
いえいえこちらこそ。お役に立てて嬉しいです。

1345 名前: かたたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 01:51
おまえら、もういい加減にしろ!

阿含宗がインチキっていう結論はもうとっくに出てるんだ。
阿含経がそれなりに正しいのは当たり前だろう、仮にも仏典なんだから。

ただこのスレッドの阿含経を巡る論争を読んで分かるとおり、
結局、最後は見解の相違で終わってるだろう?
彼らが信じてるのは阿含経じゃなくて、
それをどう解釈するかという「自分たちの勝手な見解」なんだ。

だまされるな!

それより供養はどうした?
どうしてそんな馬鹿なことする?
金儲けのためじゃないか!
恥を知れ!

1346 名前: かたたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 02:02
もちろん水子供養のことだぞ!


80 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:59
1347 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 03:15
>1331さん
>在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
>どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
>めぐりめぐったのです。
>現代で言うと、お経を唱えたのですね。
>準備がメインでしょうか。偈がメインでしょうか。

ゲゲ(゜_゜;)

これも信者さんの我見なんでしょうか?

偈(げ)というのは中国語訳でインドではウダーナと言います。
ウダーナとは感興詩という意味でお経ではありません。

後年、仏陀が詠んだウダーナが経典になったということはありますが。
牽強付会というかなんというか…。

1348 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 03:30
〉1343
今回の書きこみにあたっては 「調べない、写さない」という
方針を立てています。時間がかかると仕事に差し支えるからです。
ですから、不確かな記載や、調査してまでは書かない事は
ご容赦ください。思いついたままの記述です。

非信者さんが一所懸命、阿含経をコピーして論証してるのに、
思いつきで、ですか…はぁ…。

こいつ、本当に人間として問題ありすぎ!
言葉使いを正してさえいれば内容はどーでもいいってことね。
いかにも戒律を重んじる小乗系の思想だね(ワラ。
正しいことが何か、が重要じゃなくて
結局、自分の教団だから弁護してるだけなんだよな。
誰かさんがいってたとおりだな。

1349 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 05:46
>在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
>どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
>めぐりめぐったのです。

仏陀って『供養』を必要とするレベルの方だったんですか?
解脱してなかった事になりますね。


1350 名前: 1329 投稿日: 2000/07/01(土) 06:19
>1348さん
私は阿含宗会員だよ。
「盲」信者とは違うかな、と一人で思っているけどね。
1348さんの「非信者」とはそれを指しているのかな。

「調べない、写さない」もいいんでないかい?
人により、表現の仕方は様々なんだから。
屈託のない意見が出て、面白いよ。
ただ、原典を離れたところで議論されたら、双方にとって
利益にならないと思うので、お釈迦様の言葉をこの板に出しております。
(1343さんが阿含宗会員であるかどうかは知らないが)
ただ、普通の阿含宗会員って、本当に阿含経に触れたことがないのですよ。
あるのは7〜10経程納めた漢文読み下しの小冊子だけ。
阿含宗職員が、この小冊子以外の阿含経を、話題にし、解説を試みるという
行為を禁じているのは甚だ問題のあるところとは思いますが。
少なくとも、「阿含」宗という看板を挙げているのだから、その依経とする
ところの阿含経を、道場内で皆で解説し合う、という場があるのが当然と
私は思っております。
でも、それがかなわないのだ。悲しいことに。1351 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 09:15
>1350
はあ??何ほざいてんの?
ここはねえ、阿含宗を罵り倒す場所だ!!
議論だあ?はっ、ブアカ!!議論だなんてしたくもねえよ!
俺はねえ、信者の奴らが這いつくばるのが面白いのだよ!
俺の楽しみを奪うな!!!!!
わかったか!二度と来るんじゃねえ!!!!!!!!!


っていう人が、もしかしたらROMでいるかもしれない。
でも1329さん、がんばってね。
マジ勉強になります。


81 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:00
1352 名前: 水子供養について 投稿日: 2000/07/01(土) 09:52
 皆さん、はじめまして、病院関係の問題を調査にきました通り掛かり
の医師です。水子の問題について、皆さんあまりにも無知なので、一言
書かせていただきます。
 現代の人工流産の技術は非常に高度なものなのです。母体を損なわず
胎児だけを掻ハすると言うのは、簡単なことでは有りません。ですから
水子と言う概念が一般市民にまで浸透したのは現代日本だけの特殊な現
象なのです。高度な技術、子供の労働力を必要としない豊かな?社会、
宗教心の欠如、この三者がそろわないと、この日本のような現象は起き
ないのです。
 近代日本以外の社会では、妊娠すれば労働力としてありがたがられ、
飢饉の時は、間引き(嬰児殺し)と言う形で人工調整が行われてきたの
です。日本でも戦前は産めよ殖やせよの時代でした。
 ですから、古代では堕胎と言うことが行われたのは、権力者(村の庄
屋程度の小権力者を含む)の相続に絡むこと。後継ぎが卑女を孕ませる、
後継者争い、なさぬ仲の清算など特殊な事件として行われたのであり、
それは、母体の命を損ねる殺人行為だったのです。
 ですから古代では、それは、堕胎という殺人行為として認識されてお
り、現代の日本に見られる市民社会まで浸透した「水子」の存在という
概念は無かったと思います。
 宗教には興味が無く(この欄の人工流産には関心はあるのですが)お
経など読んだことも有りませんが、古代の文献に今の意味の水子が現れ
るわけも有りません。「堕胎の罪」に関するものでしたらあるかも知れ
ませんが。
 水子の社会に及ぼす害を説いている宗教も有ると聞いています。ただ
の金儲けかとも思っていましたが、病院のすざましい実態と社会の青少
年や成人のあり方を見るにつけ、そのようなことも有りうるかなと思う
このごろです。青少年だけでなく大人も異常です。
 昨今の日本は「不倫社会」になり、激しい勢いで堕胎が行われていま
す。このままで大変なことになるという危機感を感じます。また、患者
さんなどでも供養をなさらない方針の宗派のかたは、なにか、お付き合
いに(患者と医師としてのつきあいですが)一線を引かせていただきた
い気がするのです。(あからさまに言うと、できれば病院にこないでほ
しい。)
 堕胎を行っているのは誰だ、という声が聞こえそうなので、早々に立
ち去ります。このBBSにはもうこないと思いますので、書きっぱなし
になると思うのですが、よろしくお許しください。敬具。

1353 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 10:01

"疑っても、疑っても、疑いきれない"それが真実であり、
そこに信仰心・信心が生まれるのでしょう。

阿含宗の信者の方々は、
なんの疑いもなしに
頭ごなしに信じ込んでいるに過ぎないように思われます。

仏や教祖・開祖の教えを疑うなんて・・・、と
疑いは宗教においてタブーのように思われますが、
本当に信じる、信仰するためには
疑うことを忘れてはならないと思います。

疑いのない信仰心は、盲信です。
それは、単なる個人の思い込み、勘違いでしかありません。

心の安らぎを求めて、真の幸福を求めて・・・、
宗教を信じ、仏道に励まれているつもりでしょうが、
盲信によってますます深い迷いの世界に落ち込んでいるように感じます。

1354 名前: 1328 投稿日: 2000/07/01(土) 11:02
>1352 宗教には興味が無く(この欄の人工流産には関心はあるのですが)
お経など読んだことも有りませんが、古代の文献に今の意味の水子が現れる
わけも有りません。「堕胎の罪」に関するものでしたらあるかも知れませんが。

さきに挙げた経典群のなかに「堕胎経」があります。

医療現場からの貴重なご意見を頂き、いい勉強になります。

日本の人口調整の現状については、人口統計上の奇跡と言われているそうです。
それだけ不自然なかたちでの掻ハが日々積み重ねられているということでしょう。

その歪みが現実の社会にも反映している可能性は、否定しきれないものがある。

ありがとうございました。1355 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 12:38
>1347
さん、長い経典の要点をまとめ、詩文にしたものが
偈、だと思っています。時代によって異なるでしょうが。
短くても経典は経典ですね。スッタニパータなどにも
いっぱい短い経典があります。
詩文、短文、長文が経典かどうかの基準にはなりません。


82 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:00
詩文、短文、長文が経典かどうかの基準にはなりません。

83 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:01
1356 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 12:43
>1345

>阿含経がそれなりに正しいのは当たり前だろう、仮にも仏典なんだから。

私は阿含宗の会員ですが、必ずしも阿含宗でなくてもよいと思っています。
仏陀を本尊とし、三宝に帰依し、阿含経を捧持した教団なら、どれもすば
らしいと思います。1357 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 12:51
>1349さん
供養には仏、如来、三宝に対する供養と、死者に対する供養の二種類が
あります。
如来は福田といわれ供養に対しては福徳をお返ししてくださいます。
応供(供養に応ずる?)とも呼ばれます。
死者への供養の目的は回向だと思います。自分のつんだ徳を、死者へ
追善するのですね。

調べない写さないと言う方がおられましたが、私は、広辞苑を調べます。

おうぐ、応供、arhat、阿羅漢の訳、人天の供養を受けるに値するものの意。

全く調べずに書くと言う自信もすごいものだと思うのですが、自慢に陥らず
ちょっとは調べ物もされてはいかがでしょうか。会員から会員への忠告。

1358 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 13:00
>1342さんいわく、
それでは、仏陀の教えに近づくための、他の良い方法は
ありますか。

…1342さん、
あなたは本当にその方法を知りたいですか?
本当の本当に?

もしも本当に知りたい、とおっしゃるのでしたら、
私はその方法を指し示す、ということは出来ると思います。
ただし、それはあなたが考えているようなものでは全くないだろうと思いますが…。

つつみ隠さず、私の本音を書かせていただくなら、
実は私は阿含宗のことなどどうでもいいのです。
つまり、あなたを改宗させることには全く関心がありません。
なぜ、私がそんなことをしなければならないのでしょう?
というのも、私は別に特定のどこかの宗派や教団に属している訳ではありませんし、
あなたに阿含宗の嘘、矛盾を示してみたところで、
私が何かの利益を享受する、ということは全くないのですから。

そのような訳で、もしあなたが阿含宗にいて心から幸せだ、
なんの疑問も持っていない、と言うのでしたら、私には何も申し上げることはありません。
今まで通り、淡々と、ただ阿含宗の嘘、矛盾をご指摘差し上げるだけです。

しかし1350さんのように、阿含宗にいながら、
阿含宗に多少の不満を持つ方もいらっしゃるようです(違うかもしれませんが)。
もし仮にそうならば、いづれ阿含宗に不満を持つようになり、
そしてもっと、もっともらしい嘘を言う、それゆえにより危険度の高い、
カルト教団かなにかにだまされる恐れもあると思うのです。

いえ、それよりも、あなたが真剣に行に行ずるなら行ずるほど、
あなたの問いかけが真剣であればあるほど、
そうであるがゆえに、ますます不満を持つようになる、
ということもあるのではないか、とも思うのです。

もちろんこれは、いらぬ心配と言えば全くいらぬ心配、
余計なお世話と言えば全く余計なお世話です。
というようなわけですから、最初にお聞きしておきたいのです。

あなたは本当にその方法を知りたいのですか?
それともただ単に私と議論がしたいだけですか?

1359 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:01
>1348さん
つい、強いことを書いて申し訳ありませんでした。
調べずに書くと言うのも、面白いかもしれませんね。
結局、その人の理解している本音が出るわけですから。
引き写しばかり(経典のことではありません。経典は引用して
いただくと身も心も洗われるような気がします)では、
その人の本当の主張が見えないですものね。

また阿含宗を批判している方も、ご本人のバックグラウンドを
お書きになると、相手のかたも話しやすいのではない
でしょうか。

まあしかし、ちょっとは調べるべきですよ。
「だんだん思い出してきたぞ」とか、びっくりしますよ。

1360 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:05
>1351のひとへ
お昼休みでちゅ。土曜日も働いているんだわ、かなしい。
なにか、あなたのほうが、はいつくばっているようにみえるちゃ。


84 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:02
1361 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:15
>1352のせんせい、ありがとちゃ

人口調整?人工調整?
むかしから女にゃにゃひどいことをしてたっちゃ。
殺す気でおろさせたんだ。
ゆ、る、せ、ん、ちゃ。
それでは、今の方法は、安全で確実に人殺し?


1362 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:21
>1353さん
はじめから、ぜーんぶ疑うのも
おかしいーよね。
いーまかされたら、かんがえなおしたら?
わたしは、かきこはじめてです。コメントいりません。
おそろしいので、帰ります。

1363 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:29
>1353さん
ぎろんして、いーまかされていて
「盲信」だなんて、こどもが、ぎろんにまけると 馬鹿
とかいってるのと おなじ。
ほんとうにさよーなら。コメントつけないでね。

1364 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 14:08
ここでの議論は不毛、ということだな。

理論武装した大人の喧嘩。接点が無い。

1365 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 14:16
========終了==========
このスレッドお終いです。決定。

1366 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 14:39
終了君は、どっかに行って遊んでなさい。

1367 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 15:53
信者の方々は、
結局、ヌマエビ氏の指摘した数多くの問題点には反論できないという事ですか?
随分あっさりと認めましたね。1368 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 16:25
>1358さん
1342です、

>それでは、仏陀の教えに近づくための、他の良い方法は
ありますか。

>あなたは本当にその方法を知りたいですか?

ぜひお願いします。おまちしています。


1369 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 20:34
>1238
>「善い哉比丘、我が声門中、実眼・実智・実義・実法に住し、決定して通達せば是
>の衆生を見る。我れもまたこの衆生をみて、しかも説かざるは信ぜざるを恐るるが
>故なり。所以は如何。如来の所説を信ぜざる者有らば是れ愚痴の人にして長夜に
>當に饒益せざる苦を受くべければなり。」
恥ずかしながら、供養とか輪廻とか死後の世界とどういう関係があるのか分かりません。教えて下さい。おそらく1339さんはそういう意味で感激されたのだと思います。
>1339
>私は見れないのですが、感じます。苦しむこともできます。
 阿含宗のおかげで楽になりましたが。ありがとうございました。
あなたが満足されているのならそれで結構です。しかし阿含宗のような教えてなくても楽になる、というよりそうだったのかとうなずける教えはあると思います。


85 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:03
1370 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:35
1342です。
このスレッドを読んで、一番感心したのは、
自性と五蘊の違いに気がついた人がいることだ。
(両者が一体か、一体でないのかは別として)
普通、五蘊のうちの、識=自性だと思ってない?
識をも、この識は自分の識だと見張っている自性が
あるんだね。
自性自体は「ステルス」で、全く識からは認識できない
んだね。
五蘊(色、受、想、行、識)の変化を見て、自性の存在に
気づくのだ。
五蘊は自性の操り人形なのだね。
だから、勉強して、勉強して、識を変化させても
なかなか、自性は変わらない。
だから、実践的な修行が必要になるんだね。

専門家の方おられたら、上記、訂正、補足、おねがいします。
まったく違っているよとか。

1371 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 20:35
つづき
>1352
>昨今の日本は「不倫社会」になり、激しい勢いで堕胎が行われていま
 す。このままで大変なことになるという危機感を感じます。また、患者
 さんなどでも供養をなさらない方針の宗派のかたは、なにか、お付き合
 いに(患者と医師としてのつきあいですが)一線を引かせていただきた
 い気がするのです。(あからさまに言うと、できれば病院にこないでほ
 しい。)
前半のもっともご意見ありがとうございます。しかし堕胎した胎児を供養しなければならないというあなたのお考えは分かりません。堕胎に対するお気持ちと、水子を供養しなければならないという気持ちとは無関係でしょう。
つまり堕胎した人に対して何をすべきか、と、胎児に対して何をすべきか、ということで、前者やそれを安易に強要する社会に怒りを覚える気持ちは理解できます。しかし流産させられた胎児に対して供養しなければならないということは、なぜなのかと思います。胎児に対して自分は何をできるかを問うことは、胎児から私に与えられた課題であり、それを自分の問題として抱えて生きていくことが大切だと思います。
水子供養をすることは自己満足です。供養することで自分の罪が消えたということですから。自己満足することが仏教なわけはありません。仏の教えに照らされながら問い続けることが仏教徒だと思います。


1372 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 20:40
>1356
>仏陀を本尊とし、三宝に帰依し、阿含経を捧持した教団なら、
 どれもすばらしいと思います。
おっしゃるとおり。ただ阿含宗は残念ながらそれには当てはまらないようです。
>1363
 ぎろんして、いーまかされていて「盲信」だなんて、
 こどもが、ぎろんにまけると 馬鹿とかいってるのと
 おなじ。ほんとうにさよーなら。コメントつけないでね。
はたから見て、言い負かされているようには思えません。阿含宗信者の方が言い負かされているように感じます。


1373 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:40
1342です。
だから、青白きインテリなんてきらわれる。
勉強してわかったつもりになっているが、本性は変わっていない。
猿岩石みたいに、アジア中を無銭旅行さされて、死ぬような目に
会うと、本性が変わってしまう。(べつにそれがいいと言っている
わけではない。)
幸福の科学なんて、なんか怪しいのは、この識の部分だけで宗教が
なりたつように思っているからだ。(主催者も、会員も)

だから、本性とか性根、なんて言うのが、自性の一部をあらわす
ことばなのだろうか。

1374 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:43
幸福の科学とは逆に、なんとか特訓セミナーなどが
あやしいのは、学問の部分がなくて、苦しい訓練だけで
根性を変えようと思うことだ。
これだといいほうに変わらず、悪いほうに捻じ曲がって
しまうのだね。

1375 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:49
>創価学会の方へ
以前、学会の方がおられたようなので。1342です。

よく、学会の方は、色身不二とおっしゃいますが、この
色、身とは五蘊のうちのどれなのでしょうか。あるいは
どちらかが自性なのでしょうか。
日蓮上人独自の考え方なのか、法華経からきた考え方な
のか、よろしくご教示ください。


86 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:03
1376 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:56
>もぐらたたきさん、はじめまして。
その医療関係の方の文章は、
「一般的に、先祖に手を合わす気持ちのない方は」
という意味でおっしゃったのではないでしょうか。
水子は先祖なのかどうかですが?
家系に生じた生命で自分より先に亡くなれば、みんな
先祖なのでしょうか?

1377 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:58
>1358さん
1342です。待ってまーす。またあとできます。


1378 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 21:02
やけに流行ってるじゃない?ここ。


1379 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 21:46
>1376
>その医療関係の方の文章は、
 「一般的に、先祖に手を合わす気持ちのない方は」
 という意味でおっしゃったのではないでしょうか。
 水子は先祖なのかどうかですが?
手を合わすと言っても、どういう気持ちでなのか。先祖供養、水子供養をとく新興宗教は
1,霊が迷わないよう、祟らないように
2,霊を清める
3,先祖の罪を消す
4,自らの罪を消す
という考えからでしょう(これらはお互い関係しています)。
私は手を合わすということは、自らの罪に気づくことがまず第一だと思います。よく言われていることですが、食事の前に「いただきます」と手を合わすのは、命をいただきます、ということです。他の命を奪わなければ生きていけない自分のありようへの懺悔(おせっかいですが、さんげと読みます)、そして他の命をいただいて生きていることを感謝する。
先祖に手を合わすとき、自分の都合よくいきますように、自分の願い(実は欲)がかないますように、自分の思うとおりになりますように、といった気持ちはないでしょうか。水子供養の時はなおさらだと思います。
また先祖を大切に、とよく言いますが、自分と血のつながりのある人だけが大切なのでしょうか。また人だけでしょうか。あらゆる存在、あらゆる出来事が今の私を

1380 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 21:56
途中で切れたので追加
あらしめているわけですから、それらすべてに手を合わさなければならないと思いまsu.


1381 名前: 1350 投稿日: 2000/07/01(土) 22:04
1日見なかったら、結構進みますね。
>1351さん
手荒な歓迎、ありがとう。そんなにビビらさなくても(^^;。
でも、ありがとう。
>1358さん
心配して下ださったのですね、ありがとうございます。
先のことは解かりませんが、今はこつこつと阿含経に向合っていきたいと思います。
「理解」するだけではだめで、お釈迦様が、どうして、その言葉を発せられたのか、
自分が同じ場面に遭遇したなら、やはり同じ言葉を使わざるを得ないだろう、
この言葉以外では、表現が出来ないであろう、
そう思えるまでは、その言葉を「体得」した事にはならないと考えています。
もちろん、阿含経といえども、増大・加上・再編がありますので、
歴史的批判精神は保ちながら。
もちろん、阿含経のみならず、他の西洋・東洋の精神文化も同様に
勉強していきますが。

1382 名前: 1350 投稿日: 2000/07/01(土) 22:10
あら、"もちろん"が重なった。
いかんいかん、国語から勉強せねば。
あはは

1383 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 22:14
>1379さん、
水子って軽い問題のように感じるかもしれませんよね。
しかし、戦後日本で堕胎された生命の数は、広島、長崎の
何百倍、何千倍、にも相当するかもしれませんね。
これは社会全体の問題でしょうね。広島長崎の原爆慰霊供養と
同じだと思うのですが。戦没者の供養とかとも。

先祖供養については、専門家のご意見をおききしたいですね。

たしか、立正佼成会と創価学会が同じ法華宗でありながら、
先祖供養をするかどうかで対立しているのですね??

まあ、素人といたしましては、先祖供養をする宗教団体の
ほうが、穏やかな感じを受けます。

もぐら、、、さんは、一切供養をされないのでしょうか。
実生活ではどうなさっておられるのでしょうか。

死んだものから見れば、親族がたよりという気もするのですが。


87 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:04
1384 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 22:29
>1367さん
終了君です。終了していませんね。
だって、ヌマエビさんのコメントって、
本当に何がなんだかわからない。
桐山先生の御著書が、結局、読めていないのでは
と思ってしまう。
せめて、質問を箇条書きにしてほしい。

お遊びはおしまい。修行しようぜ。
-----------------------終了---------------------

1385 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 22:59
終了君、もっと遊んでなさい。

1386 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 23:25
>桐山先生の御著書が、結局、読めていないのでは
>と思ってしまう。

信者の方々は桐山大先生の良いところしか目に入らないらしい。
盲信って怖いね。1387 名前: >水子供養 投稿日: 2000/07/02(日) 01:14
水子供養にかかる費用ってどれくらいですか?
どこにいけば供養してもらえるのでしょうか

1388 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 01:33
>1387
どこかにいけば供養してもらえる、という考えは捨てて
貴方が誠意を持って、生まれて来なかった子に「御免ね。」
と祈れば良い。そのほうが供養だと思う。

1389 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 01:39
>1368さん
>>あなたは本当にその方法を知りたいですか?

>ぜひお願いします。おまちしています。

1368さん、
まず、基本的な私のスタンスを最初に書いておきます。

前回のレスでは、いかにも私があなたの疑問に対する答えを知っていて、
方法も知っているかのような書き方でしたが、
もちろん、私は桐山さんではないので、そんなアヤシイことを書くつもりはありません。
基本的にきわめて常識的な、よく言い聞かせれば小学生でも理解できるような、
単純明快な内容の話ししかしないと思います。

というのも、今までの議論の内容からいって、
ものの捉え方や考え方がどうか、ということが
一番最初にこないと、宗教の話なんかしたって意味がない。
いや、そもそも議論が成り立たない、と感じたからです。
ということで、私としてはまず、
ものの捉え方とか考え方というのを一番最初に書きたいと思っています。

そこで質問です。

そもそものはじめに、あなたはなぜ成仏法を求めているんでしょう?
というより、あなたにとっての仏とか成仏法とはなんなのでしょう?
私が聞きたいのは、あくまでも「あなたにとっての」仏や成仏法です。
というのも、すでに何回も説明してきたように「成仏」とか「涅槃」とか言ってみたところで、
そもそもそれが具体的にどういうものなのか我々には想像することしか出来ないからです。
ということは、まだそれがどういうことかも分からないのに、
あなたはあなたなりに「成仏」とはこういうものだ、
というイメージを先に自分の中に作って、その上でそれを求めている、
ということになりますから。


…なぜこんな事を聞くのかというと、私の記憶するところでは、
桐山さんは二言目には、具体的な方法がある、と書いていたと思うんですね。
たとえば私が彼の著作を読んで記憶してるのには、
分かっちゃいるけどやめられない、それが人間で、
理屈や理解だけではだめで実践が大事だ。そのためには方法論が必要で…
というような趣旨の内容のものがあった気がしました。
私は元信者でもなければ何でもなく、
ただ単に中学生のころ何冊かその著作を読んだだけなのですが、
正直いってその論理には子供ごころに納得できないものがありました。

そこでたぶん、そもそものはじめにそういうバックグラウンドが出来てしまっていて、
そのワク中で答えを出そうとしてるのじゃないか、と感じているからです。


88 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:05
1390 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 03:29
1342(1368)さん、1389です。
すみません、あなたは1307さんとは別な方ですか?
1370を読んで気がつきました。

まず最初に、この内容について議論したほうがいいですか?
私はこの問題の専門家というわけではありませんが
これは結構得意ジャンルです(笑)。

でも、どちらにしろ、まずあなたのことを聞かせてください。

1391 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 03:46
>1387
さん、阿含宗の場合は、道場に行きますと、祭壇の
右側か左側に(道場によって違うと思います)「人型(ひとがた)」
紙でできた人型があります。それに、施主のお名前を書いて
心をこめてお祈りすれば良いのです。
金額は、その横に、10円とか100円とか1000円とか、その
時の気持ちでおけば良いのです。
水子が何体もおられて、管長げいかにお願いして特別に供養して
いただきたい時は道場の方に相談すれば良いと思います。
会員でなくてもできます。
一体いくらとかではなく、家系全体でいくら、だったとおもいます。

1392 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 03:54
>1387さん
そのときの、お祈りの仕方ですが、会員だと
お袈裟と勤行式を貸していただけるのですが(忘れた場合)、
非会員だと勤行式を借りるわけには行きません。
他見を禁ず、となっているからです。
ですから一般用の簡単な経本が窓口で500円くらいで売っ
ていますから、それを買われると良いでしょう。
ただ、手を合わすだけでも良いのですが、その経本
を読んであげたほうが、もっといいし、その本があれば
家でもお祈りができますしね。

1393 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 04:11
>1390さん
1342です。阿含宗のことは良く知っています。

>近似値を求めるには最低2つのものが必要です。
>でも、どこに2つのものがあるのでしょう?

2つのものって、
真理と、それに対するアクセス手段(近似の度合いの計測手段)でしょうか?

>あなたは仏陀の真理と、
>真理を解釈した信者の主観(我見)

>実際にはどこまでいっても100%、信者の主観(我見)しかありません。
>なぜなら信者さんはホモ・サピエンスで仏陀の真理を「想像する事しか」
>出来ないから。

このご意見は、全く正しいと思うのですが。これを読んだとき、それでは
この方法を否定したなら、他にどんな方法がありうるのだろうと感じて
しまったのです。


1394 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 04:42
>1342さん
1390です。

>2つのものって、
>真理と、それに対するアクセス手段(近似の度合いの計測手段)でしょうか?

いえいえ、ただ単純に、もともと1つしかデータがないのならば、
一体全体、何が何に対して近いのか(近似値)分からない、という意味です。

>このご意見は、全く正しいと思うのですが。これを読んだとき、それでは
>この方法を否定したなら、他にどんな方法がありうるのだろうと感じて
>しまったのです。

なるほど、それならやはり、
こうこうこういう方法があります、とは単純に言えないと思います。
というのは、実をいうと、
そもそもあなたの「その問いかけ自体が意味をなしていない」と思うからです。
つまり、考え方、捉え方のところでひっかかっている可能性が高い。

でもそう言ってみても、あなたには意味がますます分からないだろうし、
私もあなたのことが分からなければ(なぜそういうことを知りたいのか、とか)
想像で書くしかなくなってしまいます。
もし差し支えなければ
1389の質問にこたえるつもりで、

あなたはなぜ方法を求めているのか、
そもそもあなたにとって何のための方法(目的)なのか、
とか、いや、根本的に何をもって「方法」というのか?
といったことを聞かせてもらえませんか?

#答えはちょっと時間がかかるかもしれません。


89 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:05
1395 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 06:13
>ですから一般用の簡単な経本が窓口で500円くらいで売っ
>ていますから、それを買われると良いでしょう。
>ただ、手を合わすだけでも良いのですが、その経本
>を読んであげたほうが、もっといいし、その本があれば
>家でもお祈りができますしね。

初心者なのですみません。
その教本の中の何経で水子が供養できるのでしょうか?
どのようなメカニズムなのかご教示下さい。


1396 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 09:57
>1394さん、1342ですが、

私は、一般的に、一連のコメントの方が表現された、
「ホモサピエンス」が「真理」に近づく方法というのに、
興味を持っただけです。

世界中の多くの科学者たちが自分たちが確立していっている
学問体系が真理だと思っているのです。(ノーベル賞級の方は
さすがにそのようなことは「あまり」言いませんが。
自分たちの実験計測体系では観る事のできないものは、一律に
真理ではないと規定する傾向もあるのです。人文科学でも
同じですね。
真理とホモサピエンスの能力というフレーズに引かれただけです。

また、いつかの機会に表明してください。それでは。

1397 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 10:16
>1395さん、
阿含宗で一般用の経本があります。名刺よりやや小さかった
と思います。(確認はしていません)
この中のもっとも重要なお経は、般若心経だと思います。
このスレッドにも書いてありましたが、空観を簡潔に説いた
経典として(依経ではないとかいていましたね)阿含宗では
重視しているのですね。阿含宗のみならず世界の仏教の
「共通語」ではないでしょうか。
ですから、ご自分で仏壇やさんなどにある?般若心経を買わ
れて読じゅしても良いと思うのですが、他にも良いおしえが
のっているかもしれませんので、阿含宗のほうが良いかも
しれませんね。
般若心経に関しては桐山管長の般若心経瞑想法という大部の
著作があります。非常に優れた本なのですが、桐山管長の
著作の中では一番難解(専門家向けに近い)と思います。

よい経本を読むと、読んでいただいた霊も落ち着くし、読み
あげている本人も読みながらさとされるのですね。また、法力
のある仏舎利尊の御前でなされるのですから、その力はすばら
しいものがあるとおもいます。たかが紙でできた人型、たかが
十円、百円のご喜捨と思わず、こころから、お経を上げてさし
あげてくだい。合掌。


1398 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 11:27
般若心経のどの部分がどのようなメカニズムで、「霊を落ち着かせる」のでしょうか?
また、「法力のある仏舎利尊の御前」云々を認めてしまいますと、
本来の釈迦の思想からかけ離れてゆくように思います。
他人が「死者を供養する事で解脱させる」などと釈迦は言っていませんでしたし、
それどころか、反対に否定する主張をしていますが。
さらにいえば、般若心経は竜樹の思想がベースとなっており、阿含経の思想とは異なっていると思います。
空を本質とするものが何故汚れる事が出来るのでしょうか?


90 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:06
1399 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 14:32
>1389 (はじめに空を本質としても空を得たわけではない)

特徴ある文体のもぐらたたきさん、スレッドを読むと、その件は、
何回も議論されているようですよ。ご自分は、
「阿含宗の解脱供養や水子供養はいやだ、いやだ、大大大嫌いだ。」
なのでしょう。それでいいではありませんか。

阿含宗のみんなは、納得して喜んで供養を受けているのだから。

今回のメッセージは、もしかしたらROMをしているかもしれない、
水子に悩める女性向けで、あなた向けでは有りません。質問者がだ
れなのかはわかっていました。想定問答ありがとうございました。

私は1394さんの
>「ホモサピエンス」が「真理」に近づく方法というのに興味を持っ
ただけです。

あなたのように、阿含宗に縁がありながら、解脱供養をしそびれて、
気になって気になって、寝そびれた子供のようにごねている、しかも
一見理論的にごねている定年退職後の大人には興味がありません。
(論理の矛盾をつめてないので、論理的でもない。そう見えるだけ。)

私は、たまたま、この土日がひまだっただけです。明日からは、
息をつくひまも有りません。ずっとごてていてください。
「朝までごてテレビ」っていう番組がありましたよね。

1394さんの、ホモサピエンスが真実を知る方法というのは、いわ
く言いがたいようなので(看板だけ?)、私はここを立ち去ります。
1394さんも、さようなら。  1342

1400 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 15:45
>1394さんの、ホモサピエンスが真実を知る方法というのは、いわ
く言いがたいようなので(看板だけ?)、私はここを立ち去ります。
1394さんも、さようなら。  1342

>1290 そして仏陀は四苦八苦がことごとく「空」であると喝破した!
それゆえに、苦しみもなく幸せもない。
だからこそ、仏陀は平安に住するものと呼ばれるのである。

せいぜいこんなところでしょう。

>1389 (はじめに空を本質としても空を得たわけではない)

なるほど、けだし名言です。

当スレッド参加者のみなさんに、幸あらんことを。

失礼します。


1401 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 16:24
>1331さん
>在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
>どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
>めぐりめぐったのです。

1343さんは同一の方と思われますが、
いくら無記名でも調べもしないでこういうことは
書かないほうがいいのではありませんか。
釈迦の遺体の周囲を三度回り、礼拝したという記述はありますが、
偈を唱えてなどというのはありませんよね。

1402 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 16:28
>1345かたたきさん

賛成です。
ここは阿含宗批判のスレッドです。
仏教一般についての議論に逸脱しているのが目立ちます。

釈迦は水子や不成仏霊の霊障を説いたのか、
水子供養を説いたのか、
不成仏霊の解脱を説いたのか、
先祖供養を説いたのか、
こういった点に論点を絞るべきです。

阿含経の引用をされる方に。
何のために、何をいいたくて引用しているのか、
自分の解釈を書いてからにしてはどうでしょう。
その経典を他の人も同じように解釈するとは限らないのです。

1403 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 16:29
>1354さん

堕胎経では、水子供養について書いてあるのですか。


91 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:07
1404 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 16:33
>1384さん
>だって、ヌマエビさんのコメントって、
>本当に何がなんだかわからない。

わからないのではなく、わかりたくないのでしょ。
信者さんが「何も感じなかった」というような事書いてましたね。
受け入れがたい現実に直面すると、人間は自分の感覚を遮断したり、
記憶を消したりするものです。
事実をあるがままに見たら、桐山信仰がぐらつきますからね。
現実をあるがままに受け入れるのではなく、
>お遊びはおしまい。修行しようぜ
などと現実から逃げて、自己正当化する。

子供の死が受け入れられなかったキサーゴータミーと同じです。
だが、釈迦は彼女に死をあるがままに受け入れるように説きました。
だから、現実を見ようとも受け入れようともしない人たちに
釈迦の仏教を名乗る資格はありません。

1405 名前: 1350 投稿日: 2000/07/02(日) 17:14
>1402さん
>その経典を他の人も同じように解釈するとは限らないのです。

正にその通り。おっしゃる通りです。
読んだ人の数だけ、解釈があると思います。
だからこそ、私はあまり注釈を付けたくはありません。
それを読み、その後どう行動するかはその人の問題です。
読み捨てるのも良し、深く深く考えるのも良し、
その経典に興味を抱いたり、疑問が生じたなら、
自分で調べもするでしょう。
はじめの解釈は釈尊の真理とは違っているかもしれない。
でも、その解釈とは、その読んだ人のそれまでの人生観から
考え出した解釈であって、むやみに変えることはしたくありません。
読んだ時には、打ち捨てられるかもしれない。
その後、その人がいくつかの人生経験を得て、何かの機会に同じ経典
を見るかもしれない。その時には何か違う解釈があるはずです。
私はそれに期待する。
その何年間の期間は決して無駄ではない。むしろ、その経典を心から
解釈するのに、その人にとってはどうしても必要な期間であったと私は考える。
私だって、間違った解釈をしているかもしれない。
そんなことで、釈尊の言葉を傷つけたくない。
そういうことで、経典の言葉を、あるがままに、読む人それぞれに受け取り、
読む人それぞれの人生を歩んでいってもらいたいと思います。


1406 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 17:27
>1405さん

一般論としては賛成ですし、良い意味で正論です。
しかし、ここは阿含宗批判のスレッドです。
阿含経を持ち出すときには、釈迦の言動と桐山さんの
それとどう違うかが、重要な論点になります。
この意味で解釈をめぐっての議論です。
経典の解釈をどうぞご自由にというのでは、
少なくとも、このスレッドの主旨からは離れていませんか。

1405さんは信者の立場で、それともそうでない立場で
これをおっしゃっているのですか。

1407 名前: 1350 投稿日: 2000/07/02(日) 17:30
釈尊が教えた道を歩む者としての立場です。

1408 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 18:06
1383へ
>もぐら、、、さんは、一切供養をされないのでしょうか
だからもう何回も同じことを言っているのに。何に対して供養するのか。阿含宗は迷っている霊に対してだろう。私は供養とは仏に対してするものだと言っているのだ。
>死んだものから見れば、親族がたよりという気もするのですが
どうして死んだ者の気持ちが分かるのか。自分の感情を死者に投影しているだけだろう。霊や死後の世界についてあれこれ言われても、それが正しいと証明はできないが、間違いだと反論したり否定もできない。なにせわからないのだから。だから法の華のようなまるっきりの詐欺宗教に対しても詐欺だと証明することは困難である。だから釈尊はそういったことは語らないと言ったのだし、仏教徒と自称する者はそれに従うべきだ。そして霊や死者について悩む人に対して、供養してあげましょうなどと口が裂けても言うべきではない。それを言う人間には恥を知れと言いたい。
>1384「ヌマエビさんのコメントって、本当に何がなんだかわからない」
こんな馬鹿に対して何とか分かってもらおうとしてきた自分が馬鹿みたいな気がしてきた。
それに、同じことばかり何度も書いて、読む人もうんざりしているだろうから、なるべくこれでやめようと思う。


92 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:08
1409 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 18:29
>1354さん

仏教語大辞典(中村元 著)によると
墮胎:母胎に宿ること。妊娠。
とありました。

> 1403
> 堕胎経では、水子供養について書いてあるのですか。

どうも怪しいですねぇ。
仏教用語では、今日の日本語の堕胎とは意味が逆ですもん。


1410 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 20:20
>1409
広辞苑
胎児を自然の分娩期に先立って人為的に母体
外に排出させること。こおろし。

1411 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/02(日) 20:29

「一九九九年七の月」 36.逆転の開き直り

新聞広告は広告代理店が作ります。
しかし、代理店が、広告主の主張とまるっきり逆のことを書くはずはありません。
この広告は、まるで泥棒の親方が、警察が踏み込んだとたん「おれは前から泥棒
はいかんと主張していた」とにこやかに警察に協力したようなものです。

1999年の予言をはずした五島勉氏のような人たちは、謝罪するか、沈黙しました。
しかし、桐山氏は彼らのような凡人ではないのです。
桐山氏は逆転の発想をもった天才です。

破滅を説き続けた本人が破滅など説いたことがないというのですから、これは普
通の脳の持ち主ではありません。
その前に、普通の神経の持ち主ではありません。
これを仏陀の智慧と称し「21世紀は智慧の時代」という本まで書いています。
常識も世間も理屈もすべて踏み越え、踏みにじったすごい智慧です。

小学生が見ても、桐山氏は詭弁を越えたただのウソツキです。
だが、普通の人にはただの嘘が、熱心な信者には仏陀の智慧に見えるのです。
信者には、桐山氏の仏陀の智慧を批判するのは、浅はかな凡夫の智恵なのです。
そして、桐山氏の言う仏陀の智慧を信じる者だけが残ります。

埼玉の有名先達(指導的信者)の一人は、
「猊下(桐山氏)は毎日進歩し、昨日の猊下と今日の猊下は違う」
と言いました。
昨日と今日の話に矛盾があっても、それは桐山氏の"進歩"だと言うのです。
桐山氏は自分を求道者であると言っていますから、日々進歩しているのです。
桐山氏の矛盾や嘘をリセットしてくれる、これこそ桐山氏の真の弟子です。

つい一年前まで桐山氏が言った事、本に書いていたことなど関係ありません。
どれほどひどい脅迫をしていようが関係ありません。
桐山氏が、18年前から1999年には何もおこらないと予言していたと言えば、そ
の瞬間から阿含宗ではそれが真実であり、桐山氏の宗教上の偉大な進歩なのです。


1412 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 20:36
行法がどうのと尋ねる人がいたが、禅宗などの行ではいけないのか。禅宗の方が歴史があるし、方法論もしっかりしていると思う。
少なくとも桐山先生に学んだ麻原のような弟子は禅宗にはいないと思うが。

1413 名前: 堕胎経 投稿日: 2000/07/02(日) 21:21
雑阿含経「堕胎経」
和訳

 是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、王舎城に住まりたまえり。
乃至尊者大目健連、路中に於て、一大身の衆生の体を挙げて皮無く、
形肉段の如く、虚に乗じて行けるを見たり。乃至仏、諸の比丘に
告げたまわく、「此の衆生は過去世の時、此の王舎城に於て自ら其の
胎(はらみご)を堕せり。斯の罪に縁るが故に地獄の中に堕ちて
已に百千歳無量の苦を受け、余罪を以っての故に今此の身を得るも
続いて斯の苦を受くるなり。諸の比丘よ。大目健連の所見の如きは、
真実にして異なること無し。当に之を受持すべし」と。仏此の経を
説き已りたまいしに、諸の比丘、仏の説かせたもう所を聞きて、歓喜
し奉行しき。

(健の文字が違います)

1414 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 21:24
>地獄の中に堕ちて
>已に百千歳無量の苦を受け、余罪を以っての故に今此の身を得るも

地獄から帰ってきて、また苦しんでいるわけでね。
供養は子のためであり、親のためでも有るのですね。


1415 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 21:25
>自ら其の 胎(はらみご)を堕せり
現今と全く同じ意味で使われています。


93 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:09
1416 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 21:30
>1414さん
>供養は子のためであり、親のためでも有るのですね。

1413の経典のどこからこういう解釈が出てくるのですか。
どこに、供養しなさいと書いてあるのですか。


1417 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 21:30
>1412さん、
禅の修業も良いと思いますが、仏陀釈尊(ゴータマブッダ)
とのつながりを忘れて修行してはいけないとおもいます。
オウムもブッダ・ゴウタマからは、遠いところにいるのです。
仏陀のラインから離れないこと。仏陀の希望は、人々が仏陀
の言葉を学ぶことです。

1418 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 21:37
>1407 1350さん
>釈尊が教えた道を歩む者としての立場です。

1350さんは阿含宗の信者ですよね。
信者なら、1405での内容は額面とは全く違うことになります。

釈迦の経典を出し、解釈をいっさい加えないのは、
阿含宗流の解釈をすれば、批判されるからでしょう。
解釈のない経典を出す分には、誰もそれを批判できない。

十人十色の解釈という建前とはうらはらに、
結果的には、桐山さんと自分を守るために、
釈迦を矢面に立たせています。
阿含経を引用して、目くらましをしたように見えます。
阿含経を利用して、人の目をくらますというのでは、
桐山さんと同じになってしまいますよ。

あいまいな言い方をして、議論の焦点をぼかすのではなく、
率直に、あなたの信仰しているものを披瀝してはどうですか。

会員はろくに阿含経も知らず、宗務局は解説しあうことすら
禁止しているのはおかしいと書いたのは、1350さんですよね。
1350さんの感覚は正常です。
「阿含宗徒の阿含経知らず」の原因は何だと思いますか。

1419 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 22:21
 ここに書きこみをされている、阿含宗のみなさん。
恥ずかしいと思いませんか。仏陀、ご在世ころ、仏陀に対して
さえ中傷誹謗するものがいました。それに対して、仏陀はどうお
答えになったでしょう。いちいち言い返していましたか。
「ともよ、あるひとがあなたに贈り物を持ってきて、あなたが受
け取らなかったらどうなるだろう」「仏陀よ、彼は贈り物をもって
帰るしかありません」
「ともよ、それでは私(仏陀)はあなたの贈り物(中傷誹謗)をう
けとりません」。
彼は仏陀に対する罵詈雑言を持って帰るしかなかったのです。

 ですから、ここに書きこみをされている阿含宗徒のみなさんは
仏陀の言葉に違背しているのです。

 せっかく阿含宗という仏陀の光に導かれたすばらしい世界にご
縁をえながら、どうして、このようなところでうろうろしている
のですか。うわさで来てみましたが、あきれてしまいました。
阿含宗徒は、救いを求めてきた人のみを一生懸命助けてさしあげ
たら良いのです。仏界に縁の無い人の罵詈雑言は微笑してみてい
ればよいのです。彼らとていずれ助けを求めてこられるかもしれ
ません。

ただの、一会員でありながら説教がましいことを書いてもうしわ
けありませんでした。ただ「仏陀の教えに違背している」とお知
らせしたかったのです。1420 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 22:36
1419さん
>ただの、一会員でありながら説教がましいことを書いてもうしわ
けありませんでした。ただ「仏陀の教えに違背している」とお知
>らせしたかったのです。

それを桐山さんにも言ってあげなさい(笑)。
私たち非信者は、別に仏陀に対する罵詈雑言を書いている訳ではありません。
あなたがちょうど、他の会員の方にあきれたように、
桐山さんの嘘八百にあきれているだけです。


94 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:09
1421 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 23:21
"仏教=葬式"というイメージが定着してしまっていますが、
仏教はもともと葬式の方法などではありませんでした。
お釈迦さまは、"仏教は生きている人のために説くもので、
死んだ人のことはあずかり知らない"と言って、
一生インドの各地を歩き回って布教につとめられました。

仏教では、ともかく生きている人が大事なので、
生きているうちにどうするか、
生きているうちにどうさせるかだけが問題なのです。
死んだ人は、そもそも、
宗教的な行為の対象にはならないということです。

1422 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 23:25

仏教用語でいえば、
仏教は、生きている人が、
さとって、解脱して、涅槃に入ることを
最終目標としているのでしょう。

「さとり」とは、
私たちの苦しみのもとである、
他の誰でもない私自身の心の奥底にある
迷いをふっきることでしょう。

もっと簡単にいえば、
"自分の心を知ること"
これこそが、仏教の目指すところでしょう。


1423 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 23:27

残念なことに、現在の日本のありさまを見ると、
お坊さんの仕事といえば、
お葬式とかそのたぐいの、
死んだ人を相手にすることばかりのような気がします。

先祖供養の専門家がお坊さんであるかのようです。
さらにお寺の収益向上、
平たく言えば、金儲けのために、
水子のタタリがどうのこうのといって、
水子供養をあおるお寺が増えているようです。
まことに商魂たくましいかぎりです。

だから、現在のお坊さんたちやお寺は、
"葬式仏教"と批判をされるのでしょう。
批判されて当然です。
いくら生きるため、生活のためと言い訳をしたところで、
たとえ後ろめたい思いをかかえながらといえども、
お釈迦さんやそれぞれの宗派の開祖の教えに反した
堕落した生活をしていることは事実ですから・・・。

しかし、阿含宗は、阿含経を依りどころとしながら、
教義そのものが先祖供養・水子供養です。
教えそのものが邪教です。偽物です。

1424 名前: 一会員2号 投稿日: 2000/07/03(月) 01:26
>1419さん

>阿含宗徒は、救いを求めてきた人のみを一生懸命助けてさしあげ
>たら良いのです。仏界に縁の無い人の罵詈雑言は微笑してみてい
>ればよいのです。彼らとていずれ助けを求めてこられるかもしれ
>ません。

その様な内向きの態度だったからこそ、後年、仏教集団が2つに大分裂し、
大乗派と名乗る人たちから"小乗"と揶揄される戒律仏教と変貌して行った
のではないですか?そして僧院に閉じこもり、小難しい理論だけに明け暮れ、
民衆と乖離し、衰退の一途となったのではないですか?
お釈迦様が最初は一人で歩き回り、人々に説いて回ったのをあなたはご存知か?
門外漢に対して、「私の一句でも理解してもらえたらそれで良いから」と
説いて回られたのをあなたはご存知か?
たしかに、論争がしたい為だけの議論は、仏教徒にとって恥ずべき行為であろう。
あなたはここを見て、そう思われましたか?


95 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:10
1425 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 01:47
1396>1394さん、

>私は、一般的に、一連のコメントの方が表現された、
「ホモサピエンス」が「真理」に近づく方法というのに、
>興味を持っただけです。

やっぱり「考え方」が最初から間違っていますね。
あなたは「方法がないと真理に近づけない」と思っているんでしょう?
そういう先入観があったら、それこそ真理には近づけません。

…というよりあなたは真理が何か、が全く分かっていない。
分かっていたら探す必要がないですから。
それはいい、誰も分かっていない。
であるなら、
根本的にあなたは自分が何を探しているかわからないまま真理を探している事になります。
なのにどうして方法を探すのか?そもそも方法があるかどうかさえ分からないのに…。

それと、あなたは私が話をはぐらかした、
と感じたかもしれませんがそれも違います。
まじめに答えているんです。

例えて言うなら、あなたはサングラスをかけている人のようなもの。
いま仮に、それを茶色のサングラスだとしましょう。
そして、そのあなたの目の前に白い紙があったとします。
そこであなたはこう質問しているんです。
「なんでこの紙は茶色なんだろう?どうしてだか分かりますか?」

…私にどう答えろっていうんです(笑)。
今までだったら無益な議論になるのを承知の上で、
「違うだろう、それは茶色じゃない!」
と答えていたところですが、いい加減目が覚めないみたいなので
「ちょっと待って下さい。その質問に答える前に、
あなたのそのサングラスを外してみませんか?」
とご提案申し上げた。
そしたらあなたは
「サングラス?いや、それは私の質問とは全く違う、全然関係ない答えだ。
そんな事を聞きたいんじゃない」
と言ってぷいと横を向いてしまわれた…。

これが今の状況です。


私は今までにもいろんな人と話をしてきましたが、
本当に真理に興味がある人というのに出会ったことがない。
みんな真理を探している、といいます。
ですがこういう話をすると、必ず彼らはあなたがしたみたいに眼をつぶるんです。

これでは真理があなたのすぐ目の前にあっても見えるわけがない。

…これは別にあなた宛に、という訳ではありませんが、
真理を探していると主張している人たちは、実は真理ではなく、

「自分が見たいと願望しているもの」

を探しているだけです。
たとえて言うなら自分の顔を見たくない、といって眼をつぶるようなもの。
そして、鏡を彼らの目の前に突きつけると、彼らは例外なくそれを振り払い、
「誰が自分の顔を見たい、と言った?私は仏陀のようになりたいんだ!」
と言うわけです。
しかし彼らが心の中に思い描く仏陀は、実際の仏陀ではなく(誰も実際の仏陀を知らない)
彼らの願望としての仏陀です。いわく、超人である。いわく、人間を超えた存在である…。
つまり彼らは単に超人になりたいだけで、
その願望を真理という言葉で正当化しているだけなのです。

1426 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 01:56
>1419さん

>阿含宗徒は、救いを求めてきた人のみを一生懸命助けてさしあげ
>たら良いのです。仏界に縁の無い人の罵詈雑言は微笑してみてい
>ればよいのです。彼らとていずれ助けを求めてこられるかもしれ
>ません。

友よ!
私たち非信者はその贈り物を受け取りません(笑)。
そっくりそのままお持ち帰りいただき、桐山さんにお渡し下さい(爆)。

1427 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 02:20
阿含宗の現役信者で、10代後半〜20代の
若い人いる?そんでもってオタク系じゃない人ー!
私、20歳なんだけど、友達になりたいなー。
神奈川に住んでるよ。


96 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:11
1428 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 02:26
1396>1394さん、
#1425の続きです。

>世界中の多くの科学者たちが自分たちが確立していっている
学問体系が真理だと思っているのです。(ノーベル賞級の方は
さすがにそのようなことは「あまり」言いませんが。
自分たちの実験計測体系では観る事のできないものは、一律に
真理ではないと規定する傾向もあるのです。人文科学でも
>同じですね。

あなたの言わんとすることはよく分かります。
確かに科学というのは(人文科学やいわゆる心理学も含めて)、
誰にとってもはっきりと観測可能な対象(客体)、
しか研究しません。
つまり「観ることの出来るもの」しか科学では扱わない。
これだと人の主観(主体:あえて"心"とは書かない)
は最初から研究の対象外です。

…しかし、そのように科学を非難することで、
実はあなた自身が、
「観測者(主体)と、その観測の対象(客体)との相互関係」
というものを正しく理解していない、
ということが分かってしまうのです。

どういう意味か知りたいですか?

1429 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 03:04
>1419
せっかく阿含宗という仏陀の光に導かれたすばらしい世界にご
縁をえながら、どうして、このようなところでうろうろしている
>のですか。

友よ!
このスレッドこそは、
その「阿含宗という仏陀の光に導かれたすばらしい世界」です。
そしてあなたも早く桐山さんの嘘に気がついて下さい!

1430 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 05:02
>1408さん
>死んだものから見れば、親族がたよりという気もするのですが
どうして死んだ者の気持ちが分かるのか。自分の感情を死者に投影しているだけだろう。

ご名答!!
心理学では防衛機制のひとつで、またの名を「投射」とも呼ばれるものです。
たびたびこのスレッドで信者さん側が、
私は実際に感じることが出来る、と薄気味が悪いことをおっしゃっていますが、
実際に(主観として)感じるのでしょう。
はっきり言ってパラノイアの傾向が見受けられます。

1431 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 06:13
>>1331さん
>>在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
>>どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
>>めぐりめぐったのです。

>1343さんは同一の方と思われますが、
>いくら無記名でも調べもしないでこういうことは
>書かないほうがいいのではありませんか。
>釈迦の遺体の周囲を三度回り、礼拝したという記述はありますが、
>偈を唱えてなどというのはありませんよね。


うっわー、1331さんは阿含宗の信者さんでしょ?
阿含宗の信者さんってこんな嘘(経典に載っていない偈を載っているかのような)
を平気でつくんだ。信じられない!!

これじゃあ、確かに、信者同士で「会員として恥ずかしくないですか」
とか言い合いしたくなるよなぁ(笑)。

1432 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 06:45
あさはら、ふくなが、たかはし、きりやま
みんな同じ臭いがするね。


97 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:11
1433 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 06:46
>1341さん

>うっわー、1331さんは阿含宗の信者さんでしょ?
>阿含宗の信者さんってこんな嘘(経典に載っていない偈を載っているかのような)
>を平気でつくんだ。信じられない!!

これはただの勉強不足でしょうね。どこの宗派も問わず、いや、これはどこの宗教
の所でも見られる事でしょう。
ただ、こういった万人が見ることの出来る場所に書き込むことは、
阿含宗徒としての責任と自覚不足は免れないと思います。

>これじゃあ、確かに、信者同士で「会員として恥ずかしくないですか」
>とか言い合いしたくなるよなぁ(笑)。

1419さんが言われている趣旨は、ここに書き込みをしていること自体が、
「会員として恥ずかしくないですか」
といっているのでしょう。
あなたの言われているような趣旨とは違うと思われますが。
1434 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 06:52
訂正します。

ただ、こういった万人が見ることの出来る場所に書き込むことは、
阿含宗徒としての責任と自覚不足は免れないと思います。

ただ、勉強不足のまま、こういった万人が見ることの出来る場所に書き込むことは、
阿含宗徒としての責任と自覚不足は免れないと思います。
1435 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 09:16
>1424 一会員2号 さん、こんにちは。

>お釈迦様が最初は一人で歩き回り、人々に説いて回ったのをあなたはご存知か?
>門外漢に対して、「私の一句でも理解してもらえたらそれで良いから」と
>説いて回られたのをあなたはご存知か?

そうですね。このスレッドで会員の方は(7、8名でしょうか?)
よく阿含宗の立場を説明されたと思います。しかし、もうこれで
十分ではないでしょうか。あとは百鬼夜行、魑魅魍魎の世界で
きりがないと思うのですが。
お釈迦様が「受け取らない」とおっしゃったのは、この現実をお知り
になっていたかではないでしょうか。
これ以上、無益な議論を重ねることは、お釈迦様の教えに違背してい
るとおもいます。阿含宗徒は「仏弟子」ですものね。
阿含宗の皆さん、彼らの罵詈雑言は、微笑んでみていましょうよ。
拈華微笑と言う言葉がありましたね。わかっているもの同士で微笑み
あうのです。


1436 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 09:26
>1425
不可知論ですね。

1437 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 10:15
>1401
>釈迦の遺体の周囲を三度回り、礼拝したという記述はありますが、
>偈を唱えてなどというのはありませんよね。

比丘、比丘尼はおしゃべりはしないですよね。
終始無言だったのでしょうか?
1438 名前: kotarou 投稿日: 2000/07/03(月) 11:19
先日、阿含宗の友人に聞いたのですが、
護摩に、火を使うのは、密教なら、どこでもしているのでは、
と言っていました。
何故、桐山猊下だけが、火を使う事を批判されるのでしょうか。
ご説明下さい。

1439 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 11:33
燃やすもんが問題なんどす
高い高い金で買わせた護摩木を燃やすんどすえ
何本燃したかは誰も解らない
税務署泣いてます

1440 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 11:44
>1438
642のkotarou さんですね。
不成仏霊がなくなるまで、守護霊様はいただけない、
と言うのは、お洗濯が済むまでは、糊付けはだめ。
と言うような感じではないでしょうか。


98 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:12
1441 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:03
>1437さん
>比丘、比丘尼はおしゃべりはしないですよね。
>終始無言だったのでしょうか?

信者さんが、「偈を唱えて」などと勝手な追加記述をしたから、
経典にはないと指摘しただけです。
1437さんの質問の意味がわかりません。
この質問は阿含宗とどう関係するのでしょうか。

1442 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:04
>1419 さん
>「ともよ、あるひとがあなたに贈り物を持ってきて、あなたが受
>け取らなかったらどうなるだろう」「仏陀よ、彼は贈り物をもって
>帰るしかありません」

1419さん、1435さんはほんとうに桐山さんの弟子ですね。
釈迦の言葉を自分たちに都合よく利用する。
また、ろくに阿含経を読んでいない。
桐山さんがこの経典を引用したから、丸飲みしたのですね。

釈迦は論理的な質問に答えないことはありませんでした。
罵倒に対してさえ、反論し、説得している場面があります。
この経典でも、釈迦が返事をしているのがわかりませんか。
1419さんの思いこみと違い、釈迦は「いちいち言い返し」たのです。
釈迦が沈黙したのは形而上学の問題などだけです。

罵詈雑言は受け取らないで、論理的な質問に答えたらどうですか。
釈迦が禁止した占い、護摩をなぜするのか、
堕胎経のどこに供養が書いてあるのか、
釈迦は不成仏霊の解脱供養を説いたのか、
これらは質問であって、罵詈雑言ではありません。

釈迦の説法に基づいて質問されると沈黙し、
都合が悪くなると、釈迦を盾にして逃げる。
釈迦を信仰しているのなら、
釈迦をこれほど利用して恥ずかしくないですか。
「仏陀の教えに違背している」のは、釈迦を利用している
桐山さんであり、1419さんや1435さんです。

1443 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:15
>1438さん
>何故、桐山猊下だけが、火を使う事を批判されるのでしょうか。
>ご説明下さい。

すでに何度も説明しているのですが。
阿含宗が釈迦の仏教を名乗っているからです。

密教系は釈迦直説の仏教だなどとは名乗っていません。
彼らは大乗仏教にすぎないことは自覚しています。
阿含宗が釈迦の仏教だというのなら、
釈迦が禁止した護摩をなぜ焚き、大々的に宣伝にまで
使っているのかと質問しているのです。

1444 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 12:32
>1438
kotarou さん、阿含宗は根本仏教と密教、北伝大乗仏教を
併せ持った、円満仏教です。当然密教のリチュアルは行います。
また、スッタニパータ(根本仏教)などでも、火の祭祀は祭祀
の中で最高のものであると褒め称えられています。
また、聖書のルカ伝にも、バプテスマのヨハネが私の後から来る
尊い方は火で洗礼する(大意)と書かれています。
根本仏教、東伝仏教(密教)北伝仏教を円満融合させることは、
天才桐山桐山猊下のみなし得たところなのです。
また、阿含宗はキリスト教文明の行き詰まりを救う使命も帯び
ているかもしれないのです。
こんなすばらしい阿含宗にめぐり合えて、私たちは幸せですね。

1445 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:41
>会員はろくに阿含経も知らず、宗務局は解説しあうことすら
禁止しているのはおかしいと書いたのは、1350さんですよね。
1350さんの感覚は正常です。
>「阿含宗徒の阿含経知らず」の原因は何だと思いますか。

これは私がした質問ではないのですが興味があります。
是非、お答え下さい!


99 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:13
1446 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 12:49
>1438
kotarou さんは、桐山管長猊下が1996年の6月、モンゴルの
国立十一面観音像(観自在菩薩)の開眼供養で大導師を勤められ
たのをご存知ですか。モンゴルはチベット密教の国です。そこから
導師の要請があったのです。そのときモンゴルでは何ヶ月も続いた
旱魃により国内に大火災が発生し、国家存亡の危機にさらされてい
ました。
桐山管長は開眼供養のお護摩で、予言どおり大雨を全土に降らせ
数日で大火を治めてしまわれたのです。それ以来モンゴルでは、
モンゴルの伝説に名高い「大貴人」(外国から来て国を救うと予言
されていたかた)が桐山猊下であったと、国民の尊崇の的になって
おります。桐山猊下のご著書40数冊は、チベット仏教大学のテキ
ストとなっています。
桐山猊下が行う、火の祭典、密教のリチュアルについては、密教の
本拠地でも認められていると言うことは、ダライラマ猊下との合同
の、ご法楽、日本武道館のオーラの祭典を持ち出すまでもないこと
でしょう。
阿含宗の火の祭典は、このように尊い、世界を救うものなのです。

1447 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 12:51
阿含経の解釈については信者、非信者違いがあって当然でしょうが、
よく考えてほしいのは、あの当時のお弟子さんたちは出家者の八割方は
バラモン、クシャトリア階級から道をもとめてこられた方達でした。

論理学、形而上学、などの学問、あるいはヨ―ガ、瞑想、護摩法を
含めた祈祷、あらかた心得た修行者が、さらなる道を極めようと
してブッダのもとに集ったんだとおもいます。

いまさら彼らが護摩を焚く必要があるとおもいますか。

なにか、ご自分と、釈尊ご在世当時の仏弟子さんたちを、
同一視している・・・

そんな、ある種の「危険性」を、わたくしなどは感じてしまいます。

1448 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 12:52
>1445
経典の解釈権は、教団、教祖にあるのです。
ルターの宗教改革などを研究してみてください。

1449 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:53
1444さん、
>また、スッタニパータ(根本仏教)などでも、火の祭祀は祭祀
>の中で最高のものであると褒め称えられています。

あなたはこのスレッドに来て間がない方ですね。
申し訳ないですが、ここではそんなこと信じる人はだれもいません。
というのも最初からじっくりと読めば分かると思うのですが
それに関しては実際にスッタニパータに何がどう書かれているか、
ということを引用しながら、
その方面に詳しい方が徹底的に論破しており、
信者の方は苦し紛れに「2つの解釈があるのです」としか言えませんでしたし、
そのいいわけでさえも後からやりこめられました。

本当の本当の事なので、一度そういう我見をもたずによくよくお読み下さい。
何度も信者さんたちにご忠告差し上げているように、
私たちは仏陀ではなく桐山さんの嘘を告発しているのです。
あなたがスッタニパータに詳しくなくても、
それゆえに桐山さんの嘘にだまされたとしても仕方がないことですから
とにかく過去ログをよく読んで下さい。

1450 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 13:00
>1447
>論理学、形而上学、などの学問、あるいはヨ―ガ、瞑想、護摩法を
>含めた祈祷、あらかた心得た修行者が、さらなる道を極めようと
>してブッダのもとに集ったんだとおもいます。

そうです、そうです。どの修行者も基礎として、このような学芸
があったのですね。現代人が何らかの専門学科を持っているのと
同じです。この基礎の上に仏陀の教法があったのです。
この、基礎事項は当たり前のこととして記載されなかったのですね。
この基礎の学芸(ジェネラルアーツ)+仏陀の教法
が真の仏教であったと思います。

大阪城の天守閣だけを見て、仏教だと思っているのが一部の仏教学
者です。 大阪城には堅固な石垣があり、外堀は郊外まで有ったのです。


100 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:14
1451 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 13:02
>1448さん
経典の解釈権は、教団、教祖にあるのです。
>ルターの宗教改革などを研究してみてください。

1350さんは信者の方です。
信者の方がここに、教団内部のそういう態度がおかしい、
とおっしゃっているのです。
それに仏陀は、自分の法話の前に聴聞に対して、
自分の言葉をよくよく注意してよく聴くように、といっています。
あなたが言うような教団の言う解釈を盲信しろ、
という趣旨のことは言いませんでした。
第一、阿含宗はキリスト教ではないでしょう。

1452 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 13:03
>1447さん
ですから私は、密教は、狭い僧院の形而上学に
陥ってしまった仏教のルネッサンスだと思っているのです。
本来の生きた仏教への蘇りですね。


1453 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 13:08
>1447 さん
>いまさら彼らが護摩を焚く必要があるとおもいますか。

そのとおり、必要がないのです。
釈迦は弟子たちに護摩を焚くことを禁止しましたから、
焚きませんでした。
では、どうして桐山さんは護摩を焚くのですか。

護摩を焚いて、釈迦の仏教だ、などと宣伝する桐山さんや
それを支持している信者にこそ「危険性」を感じます。

1454 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 13:09
1450さん、
>この、基礎事項は当たり前のこととして記載されなかったのですね。
この基礎の学芸(ジェネラルアーツ)+仏陀の教法
>が真の仏教であったと思います。

当時の学芸(ジェネラルアーツ)は、特にこの方面に関しては、
ほとんどが今なら迷信と呼ばれるようなものでした。
実際に仏陀はその、あなたが言うような学芸(ジェネラルアーツ)を批判しています!
なぜ現代人の私たちがそのような迷妄を信じなければならないのでしょう?

1455 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 13:11
kotarou さん。
真実の書であり、預言の書である、スッタニパータや聖書に、

「火の祭典は祭祀の中で最高のものである」
「私の後から来る方は火で洗礼する」

とあるのです。すばらしいことですね。1456 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 13:14

-----------off

1457 名前: 一会員2号 投稿日: 2000/07/03(月) 13:23
>1435さん
そうですね。その様なお気持ちでおられましたか、いやー失礼致しました。
最初の書き込みの調子が高かったものだから、つい言葉を荒げてしまいました。
申し訳ありません。

「如来が他人に好ましからぬ不快な語を発するのは、
(1)その語が真実でもなく、利益にもならないものであり、しかも他人に好ましくないも
のならば、如来は決してこれを語らない。
(2)その語が真実ではあるが、利益にならず、しかも他人に好ましくないものならば、
これも如来は語らない。しかし
(3)その語が真実でもあり、利益にもなり、しかも他人に好ましくないものならば、
如来はこれを語るべき時と語るべからざる時とを知るのである。さらにもし
(4)その語が真実でもなく、利益にもならないものであれば、他人には好ましいものであっても、
如来は決してこれを語らない。
(5)その語が真実ではあるが、利益にならないならば、他人に好ましいものであっても、
如来はこれも語らない。
(6)その語が真実であり、利益にもなり、また他人にも好ましいものであれば、
如来はこれを説くに時をもってするのである。
それは如来は人々に対して、慈悲の心をもっているからである。」

南伝 中部経典 五八、アバヤ王子経 より


私たちも、この様にありたいものですね。


101 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:14
1458 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 13:34
>1425
不可知論ですね。

1436さん、私は確かに不可知論を支持しますが、
1425で書いたのはその趣旨の事でさえありません。
もっと初歩的なことです。

ちなみに「知」には3つの位相があります。
すなわち「既知…既に知られている」、
「未知…未だ知られていない」、
そして「不可知…決して知られることがない」です。
知性には自ずと限界がありますが、その限界線を知るのもまた知性です。

1350さんをはじめ、多くの信者の方が桐山さんの嘘を真に受け、
「理解」だけでは十分じゃない、という趣旨のことを言っていますが、
本来なら「理解」という言葉は
「知的理解」とか「宗教的理解」、
あるいは「全人格的理解」というように、
その使い方からしてももっと広い意味の言葉です。
信者の方がいう理解は、狭義の「知的理解」の事でしょう?
しかし、実際には人間は、
知性を超えた不可知を「理解」する事さえも出来る存在なのです。

一方、「体験」というものは、
そもそもその本質からして「体験者」と「体験する事象」とに
分離されてしまうため、
この「不可知の領域」に踏み込むことが出来ません。
ですから体験という視点で不可知を論ずると矛盾が出てきてしまい、
また、実際にいくら瞑想にふけってみたところで、
「体験者」がじゃまをしてしまい、その不可知を体験する事が出来ないのです。
そのような瞑想は100年やったとしても全くの無駄でしょう。

1459 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 17:41
>1446 さん
>kotarou さんは、桐山管長猊下が1996年の6月、モンゴルの
>国立十一面観音像(観自在菩薩)の開眼供養で大導師を勤められ
>たのをご存知ですか。モンゴルはチベット密教の国です。そこから

ペイント中の仏像をどうやって開眼供養したのですか。
普通、開眼供養は、仏像の作成とペイントが終わり、
最後に眼を入れて、坊さんが修法して魂を込めます。
桐山さんが行った1996年6月には、
まだ観音像はペイントの真っ最中でした。
仏像の顔にはビニールまでかけてありました。
信者は観音堂の中にすら入れさせてもらえなかったのです。
1446さんは参加していないのでしょう。
現場を見ていたら、開眼供養などと書けるはずがない。

1460 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 17:45
>1455さん
>「火の祭典は祭祀の中で最高のものである」
>「私の後から来る方は火で洗礼する」
>とあるのです。すばらしいことですね。

1449さんからの助言が読めないのですか。
752@`803@`821@`886@`905・・・など一連の議論を
読んでから書いてはどうですか。
それとも、阿含宗では、議論は完全無視して、
独り言を言うのを桐山さんは奨励しているのですか。

1461 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 18:26
>1457さん
「その語が真実でもあり、利益にもなり」が前提で

「しかも他人に好ましくないものならば」
「如来はこれを語るべき時と語るべからざる時とを知る」

「他人にも好ましいものであれば」
「如来はこれを説くに時をもってする」

ですね。如来の言葉はここのみなさんいは、好ましくない
ようなので、語るべからざるときなのかもしれませんね。

ありがとうございました。

1462 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 18:37
>1458さん、
私たちは桐山管長の言葉を真実と思い、仏陀の言葉に近づこうと
しています。それに対してご批判されているのは良くわかりまし
たが、それでは、あなたは、どう言う方法で仏陀の言葉に近づこ
うとしているのですか。

ここで、阿含経を引いて議論しているのは、阿含宗、もと阿含宗
ばかりです。どちらにせよ、桐山管長の影響を強く受けているわけ
ですよ。桐山管長が世に出るまでは、一般庶民が阿含経を引いて
議論するなんて事はなかったのです。

批判するならば、対案を出していただきたいですね。


102 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:15
1463 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 18:42
>1459さん、
このコメントは、??でしょうか。
仏様の開眼と言うのはスピリチュアルなものです。
眼球がどうのと言いだすと、偶像崇拝になってしまいます。
供養によるモンゴル全土の豪雨が、法要の霊的な意味を
物語っているのです。

1464 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 18:56
>1460さん

>「火の祭典は祭祀の中で最高のものである」
>「私の後から来る方は火で洗礼する」

こういう文献が現代に残っていることが、
神意であり、仏のご意志なのです。1465 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 19:07
先日、ファティマの聖母第3の予言をバチカンが公開しました。
それを読むとますます「別のもの」が、世界を救わねばならな
いのかと思うようになりました。

サタン、闇の力、魑魅魍魎、百鬼夜行、そのようなものが力を
得るなどと市民社会を見ていますと嘘のようですが、ニュース
などをみていると、あながち冗談でもないような気もしてきます。

1466 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 19:14
先日、ファティマの聖母第3の予言をバチカンが公開しました。
それを読むとますます「別のもの」が、世界を救わねばならな
いのかと思うようになりました。

サタン、闇の力、魑魅魍魎、百鬼夜行、そのようなものが力を
得るなどと、市民社会を見ていますと嘘のようですが、ニュース
などをみていますと、あながち冗談でもないような気もしてきます。

1467 名前: >1465.1466 投稿日: 2000/07/03(月) 19:26
もう第三の予言については、バチカンが公式の解釈も施し、ルチアの
承認も経た公開なので、完結してるの。
世界を救うとかなんとかは、関係ない。
キリストを信じて生きる事を選ぼう。あなたがファティマが気になるのなら
なおさらね。

1468 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 19:55
>1467
さん、つい先日、6月27日に公開された預言では、
the Holy Father が信徒とともに十字架のもとで
bullet と arrow で殺されてしまうことになっています。
これは、キリスト教文明がサタンの勢力に負けてしまうと
言う敗北宣言ではないのでしょうか。
bullet と arrow といえば近代兵器ですよね。

1469 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 20:38
仏様の開眼と言うのはスピリチュアルなものです。
>眼球がどうのと言いだすと、偶像崇拝になってしまいます。
>供養によるモンゴル全土の豪雨が、法要の霊的な意味を
>物語っているのです。

阿含宗では仏像などに対して偶像崇拝ということで一切拝んだりしないわけですね。1470 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 21:21
>1463
>仏様の開眼と言うのはスピリチュアルなものです。

ビニールがかけてあるペイントの途中のものに、大導師としての
桐山さんはどんなスピリチュアルな開眼供養をしたのですか。
それを質問しているのです。
モンゴル側は開眼供養を依頼しておきながら、ビニールをかけ、
わざわざ行った信者には拝ませもしないのですか。
こういうのを阿含宗ではスピリチュアルというのですか。

1471 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 21:25
>1464 さん
>神意であり、仏のご意志なのです。

1464さんの説によれば、あのスッタニパータの中で、
火への供養と同様に、「王は人間のうちで最上」と
釈迦が述べているのも、そのまま仏のご意志になりますね。
1464さんの「仏のご意志説」によれば、
釈迦は人間を身分で差別したことになります。
阿含宗の釈迦は人間を身分で差別するのですか。
桐山さんは信者にそのように教えているのですか。


103 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:15
1472 名前: 1467>1468 投稿日: 2000/07/03(月) 21:35
公開は先月26日だった。で、Holy Fatherは教皇様のこと。
bulletは近代兵器にしても、arrowは基本的には古い時代からある兵器だ。
ブッシュマンだって、動物に素足で近づいて・・・仕留めるのはarrowだった
ようだし。
キリスト教文明がサタンに負けたという解釈は残念ながら(?)今回の
発表に伴うラッツィンガー枢機卿の神学的解釈にもなかったと思う。
第三のお告げは今や将来の予言としての意味合いはなくなった。
そして現状、キリスト教が完全にサタンに敗北しているわけでもなかろう。
よって、キリストの支配と救いにこれからも信頼することでいいんだと私は
思っている。

1473 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 22:14
あのー、書き込みは自由で結構なんですけど、
ファティマにキリスト、挙句の果てはブッシュマン???
その話題なら他でやって、疲れっから。

1474 名前: 宗教なんて。 投稿日: 2000/07/03(月) 22:27
宗教家って結局、俺より金持ってて、ええもん食って、もちろん俺が見たこともないような
立派ななんやかんやに囲まれて、守られていらしゃるんでしょ。
そんな奴が、なに言っても、ええことしても、そんなもん説得力ないよ。


1475 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 22:43
>あのー、書き込みは自由で結構なんですけど、
>ファティマにキリスト、挙句の果てはブッシュマン???
>その話題なら他でやって、疲れっから。

1473さんに全面的に賛成。
信者さんたちも、この話題はわかんねえだろな。

1476 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 22:51
>1469
さん、菩薩像や如来像を礼拝するときは、そのなかの
お魂を礼拝しているのです。像自体を仏様として有りが
たがることはないのです。キリスト教の十字架の礼拝と
同じですね。

1477 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 22:52
>1471さん、
人の値打ちの差というのは、どうしてもありますよね。

1478 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 23:32
>1472さん、コメントありがとうございました。
>公開は先月26日だった。で、Holy Fatherは教皇様のこと。
>bulletは近代兵器にしても、arrowは基本的には古い時代か
>らある兵器だ。
the Holy Father は辞書どおりだと教皇様なのですね。しかし
どうしてもイエス様の像が重なりますね。arrow は手持ちのミ
サイルのようなものを想像しました。

>ラッツィンガー枢機卿の神学的解釈にもなかったと思う。

こちらは、長くて読めませんでした。

>そして現状、キリスト教が完全にサタンに敗北している
>わけでもなかろう。
>よって、キリストの支配と救いにこれからも信頼するこ
>とでいいんだと私は思っている。

キリスト教徒の「サタンとの戦い」というものを、子供じみた
荒唐無稽なことのように思っていたのですが、このあたりに
来てみると、ほんとうに大変な戦いなのだなと思うようにな
りました。激しい総力戦を戦っておられるのですね。
ラッツィンガー枢機卿の解釈に異議を唱えているわけでは有りません。
ちょっとどういうことなのか知りたかっただけです。一阿含宗徒。


104 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:16
1479 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/03(月) 23:36
>1421〜1423 はえたたき

お前ら、シカト・黙殺すんなよな。
罵声なりなんなり反応示せよ。

オームの麻原(松本)、ライフスペースの高橋、法の華の福永。
テレビを見て、
あんな奴の言うことを信じて、騙されて、
信者はバカだなぁ、かわいそうに・・・、
そんな思い・感想を持ったでしょう。

そして、
あいつらに比べて桐山教祖は立派な方だし、
私は幸せだ、
なんて改めて信仰心を深めたのでしょう。

でも、
私から見れば、あんたたちも同じだよ。

桐山さんが、アルツハイマーかボケ老人になって、
もっと刺激的な幻覚を見るようになり、
もっと過激な予言をするようになったら、
その時があんたたちがワイドショーのスターになる時ですよ。

未だに麻原の教えを信じて修行に励むオームの信者の姿を見ているでしょう。
あなたたちも同じだよ。

何でもいいから阿含宗以外にも目を向けなさい。
桐山さん以外の人の意見も聞いてみなさい。
それがあなたたちのためです。

1480 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 00:15
皆さん、正しい仏教徒の人、お釈迦さまのこと「釈迦」と呼び捨てにするのよくないあります。
詳しくは「釈迦牟尼」、「シャキャ族出身の聖者」のことあります。
せめて「釈尊」とお呼び申し上げるあるよろし。

1481 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 00:22
でも釈迦も女の股から生まれて
女の股に自分の物つっこんで子供
つくってんのね。
普通の人。ちょっと奇人なだけ。
キリストも同じく麻原も同じく。
崇める対象ではないね。

1482 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/07/04(火) 03:34
…ちょっと見ない間にもうすぐ1500台…
レス返そうにもはるか彼方だにゃあ…


105 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:17
1483 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 05:14
>1462さん、
私たちは桐山管長の言葉を真実と思い、仏陀の言葉に近づこうと
しています。それに対してご批判されているのは良くわかりまし
たが、それでは、あなたは、どう言う方法で仏陀の言葉に近づこ
>うとしているのですか。

…方法…またしても「方法」ですか…。
…正直言うと、私はなにがしかの方法を知ってはいます。
そして、実を言うと、それはそんなに難しい事でもありません。
しかしながら、今までの議論を振り返ったり、
この発言の内容を読む限りでは、
「あなた」がその方法の意味を理解したり、
実践することはほとんど不可能です。

…といっても、これだけでは、
どういうことなのか、あなたには分からないでしょうし、
何を訳の分からないことを言ってるんだ、もったいぶって。
と、そう思われるかもしれません。
だって、普通は、それが簡単な方法なら誰でも実践できるはずですから。

普通にお話ししてみても、
どうしても納得していただけそうもないので、
ちょっとした仮定を設けて、どうしてそうなるのか、
あなたにも分かるように分析してみましょう。

…いま仮に、ここに阿含宗の信者、Aさんがいるとします。
そして、そのAさんが「仏陀」が人間を超えた存在、超人である、
という「桐山さんの教え」に感銘を受け、さらに、
そのような超人になるための「具体的な方法(成仏法)がある、
という教え」を信じ、一所懸命に「修行(勤行)」に励んでいるとします。

そこでちょっと冷静に考えていただきたいのですが、
そもそものはじめから、なぜAさんは
「仏陀」が人間を超えた存在、
という定義を、あっさり受け入れて、
頭ごなしに信じてしまったのでしょうか?
というのも、
そういう定義を信じない人も世の中にはいっぱいいるからです。
信じる人と信じない人、
その違い、というのはいったいどこにあるんでしょう?
冷静になって下さいね。
私の言っているのは、「仏陀」が人間を超えた存在でない、
という事ではありません。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
私たちには分からない、ということはさんざん言ってきました。
そうではなく、私が知りたいのはAさんの「個人的な事情」です。
というのも、他の人が信じないのにAさんだけ信じるとしたら、
それはAさんにはそれなりの特別な「個人的な理由」があるに違いないからです。

ここまでは分かりますよね?
ただし、ここで、あわてふためいて、いきなり
「それこそ仏縁というもの何だよ!」
なんて言わないで下さいね。
これはあくまでも「仮定」のお話で、
「私なりの分析」なんですから。


106 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:17
1484 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 05:15
#1483の続き

さて、私が思うに、このAさんの場合(仮定の人物で実在ではない)、
それを信じたのは、
「自分もそうなりたい」と思ったから、なのではないかと思うのです。
というのも、Aさんは常々、
「自分は別に絶対に阿含宗でなくてもいい、仏陀直伝の阿含経を
依経とし、三宝に帰依し…(この後は信者さんの方が詳しい、笑)」
というような事を言っていたからです。
ということは、つまるところ成仏法を持っていれば阿含宗でなくてもいい、
ということになります。
なぜでしょう?
それは、当たり前すぎるくらい当たり前ですが、
その成仏法で自分が仏陀になりたいから、なのです。
ここで注意していただきたいのは、
私はそれを、別に、悪いことだ、とか、
逆に善いことだ、とも言わないで、淡々とその理由を推察しているだけだ、
ということです。
それと、いま、私が結局のところ、

「その成仏法で自分が仏陀になりたい」、から
だから、その成仏法を信じている、という文脈で書いたということです。

ということは、
Aさんは、「成仏法を信じた」から、
(その結果として)仏陀になりたい、
と思ったのではない、ということになります。
(あくまでも私の分析です)。

さて、もしもそうだとすると(仮にです)、
今度は、

なぜAさんは仏陀になりたいと思ったのか?

という疑問がでてくると思うんです。
というのも、
またしても先ほどと同じで、世の中には別に仏陀になりたい、
と思わない人だっているわけですから(笑)。
そこには、なにかAさんなりの「個人的な事情」があると思うんです。

…私が思うのは、
「仏陀になりたい」という願望は、
裏を返せば、それはAさんが
「今の自分が仏陀ではない」という認識を根底に持っている、
ということになると思うんです。
そうじゃなければ仏陀になりたいなんて思わないでしょう。
えっ、当たり前すぎますか(笑)?
ではもうちょっと深く…。
Aさんの中では、「仏陀」とは=「人間を超えた存在」=「優れた存在」、
だということが分かります。ということは別の言葉に置き換えると、
「仏陀になりたい」=「優れた存在になりたい」
ということになり、その裏返しの認識の方は、
「今の自分が仏陀でない」=「今の自分が優れていない(劣った)存在」
だと思っている、ということになりませんでしょうか?

…さて、そうするとですね。
このAさんは、実は心の中にすごいコンプレックスを持っている可能性がある、
ということになります。
つまり、なにかものすごい劣等感を「隠し」持っている
(本人はあまり気がついていない)のかも知れない。
そして、もしもそうであるなら、私が思うに、
Aさんは、この「成仏法」に出会い、
「仏陀になれる」と心から信じることで、
心の底から、生きる希望というか、ある種の救いを感じるだろうと思うんです。
なぜかというと、
「成仏法」に出会うまでは、無意識のうちにコンプレックスにさいなまれて
人生にむなしさを感じかけていたのが、
そのコンプレックスを払拭出来る「優れた存在」になる方法を見つけたんですから。

まあ、これはあくまでも仮定のお話なので…(笑)。

さて、もしそうだとすると、
このAさんに、いま仮に私が
「成仏法なんてないんだよ」と言ったとしたら、
その真偽のほどはともかく、
そのような言葉をAさんが簡単に信じるでしょうか?
もし仮に私の言葉がAさんに届いて、
Aさんがそれに納得してしまったらどうなるでしょう?
せっかく生きる希望を見つけたのに、
せっかく自分に自信をもてるようになってきたのに…。
もしかしたら、Aさんはまた、元のコンプレックスに逆戻りして、
下手をしたら、人生に絶望して自殺してしまうかも知れません!
そして、そのコンプレックスがもしも仮に
「Aさんの無意識の中」にあった場合、
その無意識が徹底的に抵抗すると思うんです。

もっとはっきり言うと、
Aさんはおそらく、「無意識(コンプレックス)」の強烈な抵抗に出会い、
「もしかしたら、仏陀は人間を超えた存在ではないかも知れない」
という可能性を心の中に思い浮かべることすら出来なくなって
しまっているのかも知れないのです。


107 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:18
1485 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 05:16
#1484の続き

…1463さん、
これは何度も言うようにあくまでも「仮定」のお話で、
Aさんというのは「架空」の人物です。
しかしですね、この話のどこかが何かに似ている、
という感じがありませんでしたか?

…実を言うと、これはかつて、
仏陀がまだ在命中に実際にあった話を土台にしています。

仏陀を人間を超えた存在と信じたAさんとは、
同じく、仏陀がそのような「法力」があると信じ、
それ故に、死者をも生き返らせることが出来る、
と信じた、あの「キサーゴータミー」と同じです。

なぜ、彼女は仏陀がそのような法力がある、と信じたのでしょう?
彼女のその「個人的な理由」とは何だったのでしょう?

それは、あのAさんの場合と基本は同じで、その法力によって、
死んでしまった自分の子供を生き返らせたかったからです。
仏陀が実際に自分の子供を生き返らせたから、ではありません
(つまり、自分の願望の方が事実より先に来ている点に注目!
すなわちAさんの場合と同じ)。

それではなぜ、彼女は、自分の心の中に、
死者を生き返らすことなど出来ない、
という当たり前の簡単な「可能性を考えることすら」
出来なくなったのでしょう?

それは、仏陀が「法力」で死者を生き返らせることが出来る、
と信じることで、もしかしたら、自分の死んだ子供も生き返らせてもらえるかも知れない、
という希望が生まれ、「その希望に強烈に執着」する事で、
自分の心の中に負った深い悲しみを抑圧していたからです。
つまり、「死」を受け入れることは彼女にとって絶望だったのです
(この点も、コンプレックスを無意識に抱いたAさんと基本は同じ)。

しかし、仏陀は彼女に何と答えたのでしょうか?

仏陀は
「いかにも、自分は人間を超えた存在で、
超人で、それゆえ法力であなたの死んだ子供を生き返らそう」
と桐山流で答えたのでしょうか(笑)?

…1462さん、もうおわかりでしょう?
事情はもちろん人それぞれです。
キーサゴータミーのような事情で信じる人もいれば
Aさんのような事情で信じる人もいるかもしれません。
ですから、一律に万人に向けて
「この方法で目を覚ませ!」
とは単純に申せません(笑)。

>ここで、阿含経を引いて議論しているのは、阿含宗、もと阿含宗
>ばかりです。

すみませんが、私は阿含宗どころか仏教、
いや、宗教というもの全般に関してほとんど
全く縁がないし、関心もありません。
以前にも書きましたが、単なるヒマな宗教ウォッチャーです。
私が関心があるのは真理のみです。

>どちらにせよ、桐山管長の影響を強く受けているわけ
ですよ。桐山管長が世に出るまでは、一般庶民が阿含経を引いて
>議論するなんて事はなかったのです。

つまり、これほど迷う人は増えなかった、ということですね(笑)。

>批判するならば、対案を出していただきたいですね。

よろしい。
対案としての成仏法を伝授しましょう。
そのかわり、一つだけ条件があります。
今まで一度でもいい、どこの国のどの家庭でもいいですから、
仏の三十二相を完璧に備えた、
種としてのヒトを超えた存在としての仏陀、
を生み出した家庭があるのなら、
そこの家庭から芥子を少しもらってきて下さい(爆)。

…冗談はともかく、私は、たとえば「仏陀直伝の瞑想法」というような事でしたら
なにがしかの事を知っていますが…
…そんなことじゃないですよね(笑)。
だって、そんなことして「真実があるがまま」に見られるようになったら、
その前に「自分がこの世で一番見たくない、と抑圧しているもの」
も同時に見られるようにならなくてはなりませんから…。

……合掌。


108 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:18
1486 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 05:48
>1483さん
方法があると明言した以上、さっさとその方法を公表しろよ。
ウダウダウダウダ言ってないでさあ!
他人の分析なんかどうでもいいから、聞かれたことに答えろよ。
答えをはぐらかしはぐらかし、答えを言うのが怖いだけなんだろ!
そもそも答えなんて持っていなくて、今必死になって考えている最中なのかな?
不可知論を支持する、と言っているのだから、少なくとも
俺をイライラさせるのには成功しているようだね。
俺も知りたいから、さっさと答えろ。
ちなみに俺は阿含宗徒ではないよ。

1487 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 06:01
>1486さん

それは脊椎反射レス。

健康のためよく読みましょう。

1488 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 06:10
ところで
阿含宗の「方法」なるもので桐山氏の言うようにホモエクセレンスとなった人はいるんですか?
いや、それ以前にその前提である求聞持法を成就した人はいますか?
いや、それ以前に因縁解脱した人は?
いや、それ以前に・・・。


1489 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 06:58
>1487さん

あのー脊椎反射レスってどんな意味ですか?
辞書引いても判からない。
聞くは一時の恥、
私は1486さんじゃないのですが、
ドキュンな私に教えてください。
また夜にうかがいます。

1490 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 09:34
>1480さん、
それは文脈によります。哲学を語る時は、
「キリストによれば」とか「シャカの考えでは」という
文章になるのです。歴史を語る説きもそうですね。
「そこで、長島はホームランをうったのである」
「皇太子ははじめてヨーロパを訪問した」
ですから、敬称がついていない時は、歴史、哲学の文脈
だと思ってください。

1491 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 09:50
>1489さん、
中学校の理科で習ったと思うのですが、手に熱いものが
当たると瞬間的にぱっと手を引きますね。熱さの刺激が
脳に達する前に脊髄で処理してしまうのですね。
脳を使わない原始反射的コメントとおっしゃりたいので
はないですか。私は1487ではありません。1487
さんのコメントは脳内をぐるぐるぐるぐるどこまでも循環
しているようですが。

1492 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 09:52
>1489さん
脊椎より脊髄のほうが辞書にのっているかもね。

1493 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 10:43
>1488さん
私の周囲の人はどんどん因縁が切れていっているように
思えます。
勤行をしていない人、差し引きで仏様にお世話になり
っぱなしの人などは、因縁が切れにくいようです。
底辺にいますので、上部の修行の進んだ方のことはあまり
わかりませんが。

1494 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 10:44
>1482
にゃにゃさん、こんにちは。おげんきですか?

1495 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 10:52
キリスト教徒の「サタンとの戦い」について書かれた
コメントがありましたが。
仏教徒にとって「サタン」とは何なのよ。
サタンの板があったのですが、読んでいません。


109 :名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 16:19
1496 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 12:08
>1480 さん
>皆さん、正しい仏教徒の人、お釈迦さまのこと「釈迦」と呼び捨てにするのよくないあります。

日本の習慣はそうです。
ただ、何でも尊称をつけるのは日本独特なものです。
イエス・キリストをイエス様などと呼ぶのは日本人です。
釈尊という表現も同様。
原語から離れたこの奇妙な尊称が学者の間ですら使われています。
「お釈迦様」も日本では定着した言葉ですが、「おイエス様」と
呼ぶようなもので、意味を考えるととても奇妙な言葉です。

通常、亡くなってから時間のたった人には尊称をつけません。
だから、使い方は各人に任せていいのではありませんか。

たいせつなことは中身を伴っているかどうかです。
いくら尊称をつけても、本人が説きもしなかったことを、
説いたかのように言って、ご都合で利用するだけ利用するのは、
実際に失礼、無礼なことです。
尊称をつけたことになりません。
そういうのを慇懃無礼というのです。

1497 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 12:12
>1479 はえたたきさん
>あんな奴の言うことを信じて、騙されて、
>信者はバカだなぁ、かわいそうに・・・、
>そんな思い・感想を持ったでしょう。

知り合いの信者たちの反応はそのとおりでした。
「オウムでなくて、よかった」と
半分喜び、半分オウム信者をバカにしていた。

あんなによく似ているのに、信者たちは、オウムや
法の華が自分たちの姿を映した鏡だと気が付かないのです。
むしろ、あれを見て、安堵し、安心する。
「ああ、桐山管長でよかった」なんてね。
周囲が聞いたら苦笑、爆笑だけど、信者は大まじめ。
「自分はオウム信者と五十歩百歩ではないか」などと、
自分を省みるような人はだいたいここには書き込めない。

1498 名前: kotarou 投稿日: 2000/07/04(火) 12:20
1440番さんへ。
1500万円のお金は有りません。
私の叔父は、別の宗教の教祖でした。
信者になったら、まず孔雀なんたらと言う、守護霊を付けていました。
「守護霊が、これからは因縁から、あなたを守りますよ。」
と言っていました。
桐山猊下もそうされたらと提案しているわけです。

1499 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 12:58
原始仏典では、釈迦のことを皆「尊師」と呼んでいた。
ここでは、釈尊ではなく「尊師」と呼ぶべきだろう。


1500 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 13:01
残虐な無差別殺人犯の麻原被告も桐山氏の事を師と仰ぎ
聖者と崇め、その教えに深く帰依していました。
「類は類を呼ぶ」という事になるのかならないのか?
大変難しい判断ですね。


110 :口下手番長1 :2000/09/24(日) 16:21

皆様へお願い
以上、「阿含宗という宗教」の1001-1500までの再現です。
書き込みをなさらないよう、ご協力をお願いします。


111 :口下手番長1 :2000/09/30(土) 15:47
このスレッドは以下に続きます。

阿含宗という宗教1500−2002
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=970291654


112 :阿含宗元広報室長の告発 :2000/10/09(月) 07:28
『銀行、ゼネコンにまざって、地上げ屋、暴力団並びにそれに類するバブルな紳士たちが入り込んできて、
結局、宗教的な問題以外のところで、教団が動いていくというメカニズムができあがっていた。
 そんな教団の変質を見ていて、私は「これは変だ」という思いを膨らませていった。
というのも、億の金が荒っぽく動けば、人間の一人二人殺されてしまうことは十分にありうることだ。
しかも阿含宗では何百億単位の金が役員会を開くでもなく、管長の一言で決まってしまう。
管長を利用しようという人間や、だまそうという人間などいろんな世界の人間が集まってきても不思議ではない。
 そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ。
 つまり、これまで日本では暴力団という組織だけでしか行われなかったことが、宗教法人のなかではじめたとき、
オウム事件の素地が出来上がったのだ。』

阿含宗って凄く怖いね  XXXみたい
やっぱりたくさんの凶悪犯罪者を生み出したわけですね


113 :賛成 :2000/10/09(月) 07:32
また阿含関連のスレッドがあがってますね。
信者の方はこうやって次から次にスレッドをたてて、
反対論者に論駁されると空白攻撃を仕掛けているようです。

私は阿含でも反阿含でもありませんがはっきりいってウザいです。

冷静に見て阿含の方は反阿含の方の質問にまともに答えていないし、
やたらスレッドを立て空白で上げるなど攪乱作戦に出ているようですが、
イメージがますます悪くなるだけですよ。
もういい加減に自分たちの負けを認めて出ていきなさい

114 :名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 08:30




***このスレッドでは、よーち&(は・あ・と!!の出入を禁止します***
***オバタリアン妄想霊は立ち入り禁止。あなたは阿含スレッドの恥さらしです***




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