5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

東浩紀スレッドver2.01だにょ。

1 :でじこ:2001/04/08(日) 23:41
最初のは↓だにょ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=948618784&ls=50
次のはこれだにょ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=972580475&ls=50

ひろきたんと一緒にでじこに萌えるにょ〜!

2 :でじこ:2001/04/08(日) 23:54
今気付いたにょ。
「東浩紀スレッドそにょ3」の方が良かったにょ〜!

3 :考える名無しさん:2001/04/09(月) 02:44
LAのSuper Flat showに東君が講義しに来たので
行ってきました。

彼は英語がまともにしゃべれませんでした。
レクチャーは紙読みながら何とかこなしたものの、
質疑応答は悲惨。

帰りに美術館の職員がカウンターで
「英語しゃべれないのに
ラカンやらボードリヤールなんかのdenseな話をするなんて
意味無いわ」と愚痴っていたのが悲しかったです。


4 :考える名無しさん:2001/04/09(月) 03:06
いいんだよ・・・会話できなくても。読めて書ければ。
美術館の職員がナンボのもんだっつうの。しかしその
質疑応答は興味があるなあ。勘違いオリエンタリズム爆発か。

5 :GO:2001/04/09(月) 06:16
GOです。・・・ラカンやらボードリヤールなんかのdanseの話をするなんて ・・・?GO!GO!ダンスでGO!GO!東はデブ!GO!


6 :考える名無しさん:2001/04/09(月) 08:21
>3
内容が聞きたーい!

7 :考える名無しさん:2001/04/09(月) 15:02
美術館のおねーさんは世界中で「意地悪」と決まってます。
東クンの英語って、喋れないって優香、発音がまんまカタカナ日本語なんだよねー。

8 :考える名無しさん:2001/04/09(月) 22:52
いやー、雑誌板の岡田斗司夫スレ149を見てちびりそうになった。
東・鶴岡の頭の良さは岡田や宅とたいして変わらないんだって!
頭の良さは東=鶴岡=岡田=宅なんだってさ!知らなかったよ!

9 :考える名無しさん:2001/04/09(月) 23:36
>>3

それもひとつの経験だと思えば彼にとっては
いいことかもしれない。英語で質疑応答する
ってことはね。

しかしまあ、強がらずに、通訳をつける
べきでしたね。そうでないとせっかく来て
くれた人に対して失礼ですな。


10 :考える名無しさん:2001/04/09(月) 23:57
美術館のおねーさんをナメちゃいけないヨ

11 :考える名無しさん:2001/04/10(火) 10:42
僕の友人は美術館のおねーさんですが、カウンターの下で○○○してる時が
あるそうです。館名はイエナイケド。


12 :考える名無しさん:2001/04/10(火) 13:38
>>11
それはぜひともセクス
であってほしいものだ(w

13 :考える名無しさん:2001/04/10(火) 14:23
フェラ?オナニ?意外と爪切りとか。

14 :考える名無しさん:2001/04/10(火) 14:46
化粧直しだろうな。

15 :吾輩は名無しである:2001/04/12(木) 00:42
東くんじゃなくおねーさん萌えなスレになってるな(藁)
おねーさんあげ〜。

16 :考える名無しさん:2001/04/12(木) 01:47
僕の友人は美術館のおねーさんですが、
カウンターの下で○○○してる時が
あるそうです。館名はイエナイケド。

フェラ?オナニ?ハァハァ

17 :考える名無しさん:2001/04/12(木) 01:49
うんこ?

18 :考える名無しさん:2001/04/12(木) 01:56
ゲームボーイ

19 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

20 :考える名無しさん:2001/04/12(木) 19:32

カジュアル系自称哲学は日本から出て行け


21 :考える名無しさん:2001/04/13(金) 00:34
>>20
なんか年寄り臭い表現だな
「日本」とかことさら言うあたり、
愛国者でいらしゃいますか(藁

22 :考える名無しさん:2001/04/13(金) 01:29
愛国者だろうな。

23 :考える名無しさん:2001/04/13(金) 04:07
「カジュアル系」の該当者が
ちっとも思いつかねー

24 :考える名無しさん:2001/04/13(金) 16:19
東で抜いたおねえさんが
どこかのスレにいたな。
世の中の神秘を感じる。


25 :考える名無しさん:2001/04/13(金) 16:46
>24
マジかよ・・・。

じつは、そいつは「おにいさん」に一票。

26 :考える名無しさん:2001/04/14(土) 01:18
浅田か。

27 :考える名無しさん:2001/04/14(土) 02:46
ワラタ

28 :考える名無しさん:2001/04/14(土) 07:24
宮村優子のAV出演疑惑について東君は何か発言していますか?

このビデオすごい。ハアハア・・・

29 :考える名無しさん:2001/04/14(土) 07:44
>>28
なぬぅぅ?! それはまことか?
チミはそのビデオを見たのですかい?
アスカボイスで喘ぐわけかぁ、ハァハァ。
それって、もう販売してるのかい?

30 :考える名無しさん:2001/04/14(土) 07:57
>>2
real movieなんだよなー
mpegあればなー

31 :考える名無しさん:2001/04/15(日) 01:34
>>29
目をつぶればアスカが喘いでいます。イントネーションや何から何まで
アスカです。しかも色んな辱めを受けます。窓際でオナニーさせられてマジで
果ててます・・・・ウッ・・・

東君は何も言ってないのかなー? エヴァ論につなげると面白いのに。

32 :宮村:2001/04/15(日) 01:44
だからアタシはAVには出てないってば!!

33 :考える名無しさん:2001/04/15(日) 02:09
あれは仕方ないね。
オムニバスものの中の一人として出演。
モデル事務所からの派遣での仕事でよくあるやつ。
まあ、目くじらたててさわぐこともない。
坂本龍一の従兄弟だか姪だかも出た過去があるくらいだから、ね。
学部生の頃、後輩の農学部の子も出てた。(ああ、見たさ、ごめんよ)
そういや、おいらの彼女にも、そんな噂が・・・・・(ちょっちブルー)

34 :考える名無しさん:2001/04/15(日) 02:15
ど、どこにあるんだ…みてえよ(;´д`)
あぷしてー

35 :>34:2001/04/15(日) 02:18
大きなビデオ屋(レンタル、ね)にあるだろ。
そのタイトルは忘れたけど、
ネット上探せばわかるでしょ。
なんか「真偽検証サイト」いっぱいあったし(笑)

36 :GO:2001/04/15(日) 03:19
GOです。東のホームページ更新!また戦略のこと言ってるよ。英語で恥じかいたから不満みたい。

37 :考える名無しさん:2001/04/15(日) 03:30
うほーっ。GOナイス。東・村上仲間割れか。というか東、浅田に
擦り寄りか。個人的には

言い換えれば、日本での村上は事実といささか離れた自己演出を
していて、その口実にロスの展覧会が使われている節があるからである。

の部分がよくわかんない。コピペしてよかったっけ。まいっか。
BTも参照。

38 :考える名無しさん:2001/04/15(日) 03:39
英語で恥じかいたから不満みたい。

これは違うだろ、GO。

39 :考える名無しさん:2001/04/15(日) 22:59
BTってなんすか?つーか村上は岡田に文句言われたときも、
笑って受けとめたから、それに期待。

40 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

41 :GO:2001/04/15(日) 23:04
>>39 GOです。BTは美術手帳の略。GOでした。

42 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

43 :名無し:2001/04/15(日) 23:23
そしてわたしたちは荒らしが過ぎ去るのをじっと待つのであった。

44 :考える名無しさん:2001/04/16(月) 00:16
・・・・・・・・・・・・・・・・・死のう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

45 :考える名無しさん:2001/04/16(月) 12:48
荒らしは「批評空間な人達」が嫌いなようだ。

46 :名無:2001/04/18(水) 22:13
荒らしに遭って沈没寸前のタイタニックage

47 :考える名無しさん:2001/04/20(金) 22:02
東は法学>科哲>表象文化>広域科学と進学して現在の仕事に至っているわけだが、
将来的には現在の仕事とは全く違った方向に進むことも考えられるのであろうか?


48 :考える名無しさん:2001/04/21(土) 04:11
>>47
広域科学が意味不明

49 :考える名無しさん:2001/04/21(土) 11:31
将来の方向:おたく評論家。宅八郎2世。

50 :考える名無しさん:2001/04/21(土) 13:40
学問ヲタか・・・。

51 :ヒロキ:2001/04/22(日) 01:16
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_contents.cgi/3abb1dacb6f8b010385a?aid=&bibid=00007228&volno=0000&cntfg=1
だからこれ買ってもらわないと困るにょ。

52 :カラヤン:2001/04/22(日) 15:17
>>51 問題外だにょ。

53 :考える名無しさん:2001/04/23(月) 09:52
>>52
その論集の中ではまともな方だと思うのだが・・・

54 :考える名無しさん:2001/04/23(月) 10:19
「問題外」は言わずもがな、エッフェル野郎だにゅ。

55 :考える名無しさん:2001/04/23(月) 23:19
>広域科学
超域文化科学だにょ。間違えちゃいやだにゅ。

56 :考える名無しさん:2001/04/26(木) 22:15
東氏は、個人情報保護法案に関して、なにか意見ないのかな?

57 :考える名無しさん:2001/04/27(金) 02:27
>47、55
正確には
文一>科哲(広域科学)>表象(総合文化)
ごめんな、下らん情報で。

58 :考える名無しさん:2001/04/27(金) 18:36
文Vは?

59 :名無しさん@ピンキー:2001/04/27(金) 18:59
ユリイカ出てた

60 :考える名無しさん:2001/04/27(金) 19:16
>>59
要旨きぼーん

61 :名無しさん@ピンキー:2001/04/27(金) 22:30
ちらっと立ち読みだから・・まあ「動物」
それと「J回帰」みたいなこと言ってなにか分かったかのように
思っている奴は悪影響大で実際に現在何が起こっているのか知らない
とか書いてた

62 :考える名無しさん:2001/04/27(金) 23:03
コジェーヴから葉鍵ってかんじで

63 :考える名無しさん:2001/04/28(土) 00:13
>コジェーヴから葉鍵ってかんじで
ワラタ。

けどそれだと前回と一緒じゃん。


64 :考える名無しさん:2001/04/28(土) 00:54
特集・宝塚。・・・・・・・・いいけど。ユリイカ。

65 :考える名無しさん:2001/04/28(土) 10:47
(・∀・)ヒロキたんも早く入札するにょ!
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/35773550

66 :考える名無しさん:2001/04/28(土) 12:54
けっこううまいじゃん

67 :考える名無しさん:2001/04/30(月) 02:10
どうする浩紀!?
盗聴法以来久々の決起か?
http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=news&key=988294592&ls=50


68 :考える名無しさん:2001/04/30(月) 03:23
アズマは「式日」みたんか。それと Powerpuff Girls とか。

69 :考える名無しさん:2001/04/30(月) 21:39
イキナリで悪いんだが今日、存在論的、郵便的を読んだ。
つまるところデリダは不可能なものを分散させただけってことなのか?


70 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 00:37
>69
意外と鋭いかもしれない。
「単数に対して、「こっちは複数だぞ」
 とかただ言ってみたところで、それだけでは
 新しい思考形態を練り上げたとは言えない」
みたいなことを大澤ぺーも言ってたし。

71 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/01(火) 00:41
ハァ?じゃぁ東は
相互主観的なもの、複数なものをシステムとして設定できれば
万事解決、と考える教条主義者なのか?

72 :69>70:2001/05/01(火) 00:50
いや、読み終わった後で書評系ページ見てたら
高校生がそんなこと言ってたから言ってみただけなんだが。
確かにそうだよな。思考形態を練り上げるっつーか逃げっぽいな、とか思って。

73 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 00:57
その種の安易さを避けるべく
がんばって「否定神学以後」を
立ち上げようとしたけど
挫折したってとこだろうな。

74 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 03:43
>73
その「否定神学」って斬り方が、もろ教条主義じゃん。
ま、「以後」な思考できてりゃ、いいんすけどね。

75 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 03:46
「以後」もドグマであることは証明済みです。

76 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 04:18
ラカニアンなら
「超越論性は単数に決まってるじゃないの」
ということであって、でもそういう思考の
弊害もしばしば指摘されたりして、だから
そうではない形で超越論性を考えようとした、
したんだけど挫折して今に至る。
結局またしてもラカンの無敵ぷりが証明されたわけで、
「ラカンがいかに超越論性の問題を
 突き詰めて考えたのか分かったか、ばかめ」
とかいう巷の自称ラカニアンたちの笑い声が
聞こえてきそうですな。

77 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 04:41
「否定神学以後」って言葉は
あずまが使ってるの?

78 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 09:18
ちゃんと読もうよ

79 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 12:13
「郵便的」は「目指すべきスローガン」というわけじゃないでしょ。
否定神学的思考様式が看過してきたもの
もしくは、「解毒剤」(≠オルタナィティブ)ということでしょ。

80 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 12:30
めでたく対消滅。

81 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 19:46
>79
でもね、ある時期の東は明確に
「複数的超越論性を考えたい」
って言っててるし(「不安たち」)、それってまさに
スローガンじゃないの?
というか、解毒剤ってことは、
結局否定神学を前提とした思考しか
できないってこと?まあたしかに大澤も
「単数システムから複数性に至るような
 思考法のほうががいいんではないのか」とか言ってるけど。
まあとにかく、最初っから複数性を措定するにせよ、
単数から複数に至るにせよ、どっちの路線も
東はやめちゃったわけだけど。
あ、あと、否定神学「以後」って言い方は
東はしてないと思う。

82 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/01(火) 20:01
ぶぶぶ。単数だろうが複数だろうがどうでもいいだろうが。
鶏とタマゴの議論そのまんまじゃん。
問題はそうして出来あがったシステムによって何が解決可能になるか、っていう
プラグマティックな観点だろ?
カラ谷もそうだが、単に西洋的思考法の限界を指摘しただけで
鬼の首とったみたいに騒ぐんじゃねーよ。バーカ。

83 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 21:16
79>81

>問題はそうして出来あがったシステムによって何が解決可能になるか、っていう
>プラグマティックな観点だろ?
はげしく同意。これが重要。

最近の多次元ベクトル空間とか、(東的)スーパーフラット概念とかは、
複数的超越性を前提にした議論では?
最近の東の仕事は、理論的な枠組みそのものこそ変われど、
興味の対象は存在論的〜の頃とたいして変わっていないとおもう。
キャラ萌えが成立するにはそのキャラに超越論的なものが宿らなければならない。
それは固定した存在論的な超越論性ではなく、あくまで事前には可能性としてのみ存在する、
知覚訓練を前提としたエクリチュールの効果としての超越論性でしかないわけでしょ。

今月のユリイカ連載では斎藤環的なキャラ萌え観が東的キャラ萌え観と対立するわけではなく、
その二つ、東的(動物的・複数的超越論性に淫する)と
斎藤的(人間的・単数的超越論性としての主体、の欲望に突き動かされる)が、
乖離しながら、共存するというモデルを提示している。
こうした見方は存在論的〜の議論の外にあるわけ。
存在論的〜は思考そのものについての議論、哲学であったわけだから。

84 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY :2001/05/01(火) 21:25
>キャラ萌えが成立するにはそのキャラに超越論的なものが宿らなければならない。
>それは固定した存在論的な超越論性ではなく、あくまで事前には可能性としてのみ存在する、
>知覚訓練を前提としたエクリチュールの効果としての超越論性でしかないわけでしょ。
 ??????
 あのぅ、キャラ萌えって何ですか?

85 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 21:30
伽羅モエは伽羅モエだべ?

86 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/01(火) 21:33
キャラ立ち=個性的、という了解でよいかな?

87 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 21:36
かなりちがくね?

88 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 22:09
>>86
微妙に違うような
しかし、その違いを説明する為に延々と論じているような

89 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 22:43
その「キャラ萌え」が分かる人にしか分からないという
点に問題のひとつがあると思われ。

90 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 22:51
解る連中には解りすぎる。

「脳の結線が・・・」ってのだって死ぬほど理解できるぞ(藁

91 :考える名無しさん:2001/05/01(火) 23:48
>キャラ萌えが成立するにはそのキャラに超越論的なものが宿らなければな
らない。
>それは固定した存在論的な超越論性ではなく、あくまで事前には可能性とし
てのみ存在する、
>知覚訓練を前提としたエクリチュールの効果としての超越論性でしかない
わけでしょ。

東の要約としては、概ね、正しいと思うが「キャラ萌え」ってフェティシズム
とどう違うのか?
あるいは「固定した存在論的な超越論性」とは、ただの「超越性」じゃないの
か?
さらに、超越論性が「経験的=超越論的二重体」(フーコー)だとすれば、
「知覚訓練を前提としたエクリチュールの効果としての超越論性」などという
のは当然じゃないか?と言う疑問が東の話には絶えず付きまとう。

つまり、今まで言われてきたことをヲタクな事柄に当てはめてるだけじゃない
かと。

92 :考える名無しさん:2001/05/02(水) 00:05
83>84
キャラクター=エクリチュールの一形態、という理解でいいんじゃない?

つまり、キャラ萌えってのは、それ自身、複製可能な記号、シミュラークルに、
何らかの唯一性を「感じて」しまうことなわけでしょう。
その出口=情動反応のあり方は様々なかたちに異なれど。
例えば、キャラに萌えてしまったアニメファンなんかは、
セル画に描かれたものに、様々な形でみずみずしい生命感を覚えてしまうわけでしょ。
記号をシンボル的に考えれば、そこにはそのような情報は存在しないにもかかわらず。
それは、複製技術時代のオーラのあり方の典型、ということだった・・・

存在論的〜では、複数的超越論性は、シンボル記号=言語におけるある「過剰性」が、
情報の伝達、個々のコミュニケーションの間の様々なかたちの「ズレ」の効果として語られてた。
越論的なものだけど、単一なもの(主体や存在)に同一化されない、と。
キャラ萌えはデータベース型世界と東が呼ぶ、そうした現象を可能ならしめ、規定している世界で、
顕在化されたひとつの、そして典型的な現象として語られているため、アプローチの仕方がかなり違う。

「萌え」と「立ち」の違いは、
「私」が萌え、「キャラ」が立つ、つまり表現のベクトルの違いだ、とかつて東は言ってたけど、
「萌え」がデータベース型世界と結びついた独特の概念に練り上げられてしまったため、
こういう単純な理解が、正しいかどうかは不明。

93 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/02(水) 00:29
ハァ〜
とりあえず複製技術時代というのがどの時代を指すのか教えて欲しいな。
複製可能なものに唯一性を感じるのは、何も現代の特権ではない。
それとデーターベース型時代という定義についても教えて欲しい。
単に情報収集の速度だけが異なるのであれば、
百科全書的時代と違いは単に程度の違いでしかない。
(おそらくデーターベース型世界の特徴は
デリダのいう反ー時代性(アナ・クロノロギー)を指していると推測されるが
これは宿題だよ>92)

94 :考える名無しさん:2001/05/02(水) 00:29
83>91
>「キャラ萌え」ってフェティシズムとどう違うのか?
たぶんここで東本人の説明が・・・
http://www.t3.rim.or.jp/~hazuma/project/others/addiction.html

>「固定した存在論的な超越論性」
ってのはアレですよ。クリプキの固定指示子とか、後期ハイデガーの「神秘主義」とか・・・
それとは違う・・・ということ。

>超越論性が「経験的=超越論的二重体」(フーコー)だとすれば、
>「知覚訓練を前提としたエクリチュールの効果としての超越論性」などというのは当然じゃないか?
フーコーよく知らないんで、なんとなくの理解なんですが、
「経験的=超越論的二重体」って、超越論的なもの(主体、存在、もしくは複数的なそれ)が常に、
過去の経験の回帰、revenantに脅かされつづけるということ?でいいの?

95 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/02(水) 00:43
どうもよくわからんな。
何がわからんってそりゃ超越論的、って概念だよ。
カントにとってはこれは記述概念だと見ればいい。
つまりそれ自体は実体的に表象され得ないが、
表象されるものの可能根拠として、それらをうまく説明するためのツールだ。
ところがお前等の議論じゃ超越論的なものが実体化されている。
実体化されているからこそ思弁的なゲームが繰り広げられうる。
超越論的二重性?固定した超越論性?ぶぶぶ。
やっぱフランス人はバカ決定。

96 :考える名無しさん:2001/05/02(水) 00:45
92>93
うあー、それはさすがに骨が折れる。その質問だと、「全部」答えなくちゃならなくなる(笑)
ここには東の文章を、自分で理解したなりに、まとめなおして書いただけで、
そこらへんは、最近の東の仕事のメインの箇所だから、
ユリイカの連載、自主制作CDロムなんかにあたって欲しいな。

ただ
>単に情報収集の速度だけが異なるのであれば、百科全書的時代と違いは単に程度の違いでしかない。
これはたぶん、違う。東の論点からは、ずれる。
東のやってることは、人間と情報との関係のあり方を説明づけること、
我々がかつて情報にどのような態度を取り、現在どのような態度で臨んでいるか、を問う作業でしょう。

97 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/02(水) 00:52
俺はいちおうデリダは抑えてるので
結論だけでもかまわんよ。
まぁでも俺は、情報化社会とか複数技術時代みたいなラベリングそもののが
たいした意味なしって思うけど。

98 :考える名無しさん:2001/05/02(水) 01:05
デリダとは全然関係ないから・・・

あと、だからこそ、
>固定した超越論性?
は強く否定された。

99 :いまどきフランス哲学ね〜:2001/05/02(水) 01:07
いいけど、飯は食えねえわな〜〜〜w

100 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/02(水) 01:09
あ、そうですか。
あと教えて欲しいのだけどラカンの文献で入手容易なものは
例の講義録なの?高いよ〜


101 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/02(水) 01:19
 今日はこの辺で失礼するけどその前にひとこと
>>99
 基本的にフラ哲系でデリダ(ぐらいはいいか)やフーコー、
 ラカンやドゥルーズやります、って言うと白い目で見られると思うぞ


102 :考える名無しさん:2001/05/02(水) 01:22
>>101
誰だったらいいの?

103 :いまどきフランス哲学ね〜:2001/05/02(水) 01:23
>>101
フランス嫌いだから。俺は。偏見ありかもな。
フランス哲学って概念の性格さに欠けるからね。
いいんだけど、ちょっと煽っただけ。
フランス哲学で呼んだものといえばベルクソンぐらいか。
つまらんかった。せいぜいがんばりなよ・・・w

104 :いまどきフランス哲学ね〜:2001/05/02(水) 01:23
性格さ  →  正確さ w

105 :いまどきフランス哲学ね〜:2001/05/02(水) 01:24
呼んだ  → 読んだ

106 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/02(水) 01:24
デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ベルクソン、メルロ・ポンティあたりだろう。

107 :考える名無しさん:2001/05/02(水) 01:41
デカルト、スピノザ、ライプニッツは
フランス哲学系とは絶対に言わんだろう。

108 :提供:名無しさん:2001/05/02(水) 01:47
デカルトはフランス哲学以外のなにものでもないでしょ。
ただライプニッツはフランス語で書いてるけど、フランス哲学って言うかな〜。
スピノザは、言わずもがな。
(全然スレの主題と離れてるね)

109 :>107:2001/05/02(水) 01:50
え、そうか?
ラテン語の必要性で区分するとか?(ワラ

110 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/02(水) 01:59
寝る前にいっとくが
フラ哲でラテン語を併用するのは常識中の常識だぞ。

111 :考える名無しさん:2001/05/02(水) 02:05
セール

112 :81:2001/05/02(水) 03:28
お、なんかちょっと見ぬ間に話が進んでる。若干遅すぎる気もしますが、寝る前に
ちょっと誤解を解かせてください。
>82、ならびに83
「出来上がったシステムによってなにが解決可能になるか、っていうプラグマティ ックな観点」の重要性に関しては、もちろん全面的に賛成します。
ただ言葉足らずだったようなので付け加えますが、
僕が問題にしたいのは、その次(というかその前?)の段階です。
もちろん東も、否定神学的思考形態では解決できない
問題を考えるために「郵便的」と名を付けた思考形態を
要請するわけですが、問題は、東はそういう思考形態を結局
作り上げることができたのか、ということです。
複数的超越論性を考えるぞ、と言うだけではそういう思考形態を
立ち上げたとは全くいえないわけで。
「存在論的-」は、否定神学批判はかなり説得的に
やっているのですが、複数的超越論性については
マジックメモとかその他もろもろのアイデアの素描程度にとどまっていて、
あまり明確化されているとは言えません。
たとえば「存在論的−」の出版記念座談会あたりでも、
疑問が複数的超越論性なるものについて
(そんなものそもそもあり得るのかということも含め)
いろいろ出されたわけです。で東はそれはこれから考えるとか
言ってたわけで、実際それはアニメ論と接続させる形で出てきました。
でもそれが複数的超越論性をモデルとしてしっかりたちあげられてるかというと、
ぼくにははなはだ疑問です(なんとなく使われてはいるけど)。
結局浅田の東批判もそういうことでしょ?
そのへんはどう考えますか?長々と失礼しました。

113 :>:2001/05/02(水) 04:56
109=偽ら下とみた

114 :提供:名無しさん:2001/05/02(水) 07:13
>>113
??何が言いたいの?

115 :名無し:2001/05/02(水) 09:10
最近らげの騙って自分の意見の隠れ蓑にする偽らげが出回っています。


116 :あげ:2001/05/02(水) 13:01


117 :考える名無しさん:2001/05/02(水) 15:32
>112
一神教敵世界の限界を指摘したはいいが、でき上がったのはゆるーい多神教の世界ってことか。あ、所詮感覚的なメタファーなので、あんまりつっこまないで。

118 :考える名無しさん:2001/05/03(木) 00:12
83>112
遅レス、スマソ。なんか、忙しくって・・・

>問題は、東はそういう思考形態(郵便的)を結局作り上げることができたのか
うーん、ここがなんか、よく分からない。
結局、郵便的なあり方って、自己言及的な問題に過ぎないわけだから、
それがそのように想定しうると説得できれば、それで十分なんじゃないかなー?
うーん、ほんとによく分からない。
また、そもそも「郵便的」と呼ばれるあり方は、可能性としてのみ、
確率的なものとしてのみ想定しえるものだったのでは?

最近のオタク論、ポストモダン論については、議論の枠組み自体変えてるから・・・
複数的超越論性の問題にしても、あえて存在論的〜の視点で読んでみれば・・・という話にすぎないわけで。
東自身も「オーラ」「魂」「人間」「感情移入」なんていう言葉を用いて、補足的な説明するだけで、
そうした視点はできるだけ排して、まったく別の単純なモデルとしてのみ提示しようとしてるように思う。
東の萌えのあり方の説明は、散種可能性を多義性に倒立させて語っている、とすら言えないわけだから。

あと
>否定神学批判はかなり説得的にやっているのですが、
>複数的超越論性についてはマジックメモとかその他もろもろのアイデアの素描程度にとどまっていて、
>あまり明確化されているとは言えません。
確かにこれはそのとおりなんだよね。
脱構築のあり方ということでは、「チャート化」されてるんだよね。
形式的脱構築とは違う、存在論的脱構築にも陥らない、郵便的脱構築・・・
ただ、郵便的脱構築の可能根拠である、複数的超越論性がどのような場所で見出せるか、
ということについてはいくつかの素描のみにとどまってる。うん、確かに・・・

今日はこのくらいで・・・

119 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/03(木) 00:24
ありがとう。
ところで俺東氏のこの著作ひととおり読んだけど
よく出てくる図解、あまり説明ないけどどうなの?
あってるわけ?
マジックメモってフロイトからの引用だよね。あれもワケワカラン図解だったけど。

120 :考える名無しさん:2001/05/03(木) 00:32
118>119
図解。
うーん、どうなんでしょ。
あれは理解を助けるための補助的なものに過ぎないんじゃないかな。
あれを利用して、何を言ってるのか理解できればそれでいい、ぐらいのものだと思ってますが・・・

121 :考える名無しさん:2001/05/03(木) 00:47
壺の話はもういいぞ。

122 :考える名無しさん:2001/05/03(木) 01:11
>>121
(笑)

123 :81:2001/05/03(木) 02:32
>118、119
レスどうもです。何度も似たようなこと言って恐縮ですが、ぼくの疑問は、
つまりは「複数的超越論性」なんてものがありうるのか、ということに
尽きます。たとえば、(批評空間的に単純化された)ラカンの立場からすれば、
超越論性が複数的だなんていうのは原理的に不可能でしょう。
東も「不安たち」において
「そもそも、超越論性というのは、経験的複数性を統合するものとして
 出てくるわけだから、その意味で、超越論性というのは定義上単一な
 わけですね。(中略)けれども、僕がデリダ論を書いていくなかで、何となく
 言いたかったのは、複数的な超越論性というのを考えられないかということ
 なんです。これはもうほとんどアイディアしかないので、それがどんなものなの かと言われると…。」と述べています。
で、実際東はその後複数的超越論性の探求を止めてしまいポストモダン論
のほうへと議論の中心を移してしまった。
超越論性を担保しないままに確率とか郵便とかいっているだけでは、
それはベタベタの実証主義と何が違うのかわかりません。
(完全に蛇足ですが、晩年のアルチュセールが「偶然性の唯物論」としての哲学
 ということを言っています。ぼくの友人がそれについて、
 「偶然性」で「唯物論」ってそれ何も考えてないのと一緒だろ、
 とか言ってました。感覚的な話ですが、
 問題の所在は似ているような気がします。)
長くてすいません。すぐ終わります。「不過視−」で東は、
「(否定神学とは)別の出口を郵便的と言っておいた
 わけですが、しかしよく考えたら、そう名づけたからといって
 泥沼を抜け出せるわけでもないので、そのは具体的な方法が
 難しいんです。」と、おそらく正直な心情を語っていました。
単数的超越論性に依る思考形態では捉えられない問題は
いやというほど指摘されていながら、
そういう問題を捉えるための思考形態(複数的超越論性?)は
見えてこない。この、なんというか居心地の悪さって、どうなんでしょうね。

124 :81:2001/05/03(木) 02:39
あ、あと、図解については、正当かどうかはともかく、
べつにあの図である必然性はないような気がします。
山形のクラインの壺批判にしても、いろいろ議論はあるようですが、
少なくとも、「理論的にあの図である必要はない」
という指摘は正しいのではないでしょうか。
やはり、理解の助け、程度なんでしょうか。
つまらない意見で申し訳ない。

125 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/03(木) 03:09
あのねぇ、僕の考えではね、転倒してるわけよこの東って男は。
結局概念をもてあそんでるにすぎないわけでしょ、どんなに真摯な態度だとしても。
直接的に言えばね、超越論的複数性は可能だ!!、こういいきってしまえばいいわけ。
これを用いれば解決可能な問題がある、とすれば、いくら仮説段階でも主張してしまえばいいのに
それをやらない。それは手段と目的とを取り違えているだけで、いわば
手段の追求が目的化しているわけ。こういう思考をする人間を批評家とは、まして思想家とはいわないわけ。
図解にしてもそう。僕には妙な科学性をこれによって装飾しているようにしか思えない。
それである必要がなければそもそも掲載する必要はない。まぎらわしいし。
要はこの人は「僕はここまで勉強しました」って途中経過をそのまま本にしてるにすぎない。
僕からしてみれば、知識偏重型の勉強方法がそのまま反映されているにすぎなくて
東氏本人がチャート化されているようにしか見えないわけよ。

126 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/03(木) 03:12
まぁそれでもよく勉強してるとは思うよ。

127 :考える名無しさん:2001/05/03(木) 13:14
「目的」「手段」なんか違和感あるなぁ

128 :考える名無しさん:2001/05/03(木) 13:29
>それは手段と目的とを取り違えているだけで、いわば手段の追求が目的化
>しているわけ。こういう思考をする人間を批評家とは、まして思想家とは
>いわないわけ。

これは全く正しい、というか本人もはっきりと、「考えること自体が自分に
とっては楽しいし、それ自体が目的なんだ」って言っている。

でもねえ、彼のこの態度は額面通り受け取れないんだよね。
こういうことを言う背景には「問題はそうして出来あがったシステムによっ
て何が解決可能になるか、っていうプラグマティックな観点だろ? 」みたい
なことを言う人ばっかりになっちゃった現状(とりわけ大学とかにおいて)
に対するアイロニーが多分に含まれていると思うんだよね。

というのも、彼は明らかに柄谷的なパラノイアックな人間であって、ひたす
らメタレベルへ意味を追い求めちゃうタイプだろうから。
あるいは、宮台本人が「マターリ」と生きられない人間であるようにね。

129 :考える名無しさん:2001/05/03(木) 13:44
>>128
そのとおりだけど、別にそれでもいいじゃない

130 :考える名無しさん:2001/05/03(木) 19:53
どーでもいいがコテハンの奴ウザイ。

131 :81:2001/05/04(金) 04:10
ウザイと言われては消えるのみ。
も少し言いたいこともあったけど、仕方ない。
温泉でも行ってきます。

132 :考える名無しさん:2001/05/04(金) 04:16
>>131
あなたでなくてらげ氏のことだと思われ。

133 :考える名無しさん:2001/05/04(金) 05:38
らげが「フランス哲学ウザイ」というとき、
その見解はちっとも理論的に説明されていない。


134 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY@初号機:2001/05/04(金) 05:42
ハァ?

135 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY@初号機:2001/05/04(金) 05:48
どうでもいいけど今日の真夜中に
すっけぇドキュンなロボット格闘番組やってたぞ。

136 :名無しさん:2001/05/04(金) 07:39
浅田の「構造と力」は、俺が読んでも理解できたが、
こいつの本はまったく理解できない。


137 :考える名無しさん:2001/05/04(金) 08:09
浅田彰はもともと明晰にものの見える人だけど、東浩紀は頭の中が
ぐっちゃぐちゃで、この混沌をどうにかせねばというパッションに
突き動かされて形式化を試みてる感じ。でも完全な明視には達しな
いから、良くも悪くも明瞭な理解を拒む代物になっちゃう。
もちろん、浅田彰の明晰さってのが「矮小な範囲」に限られてるこ
とは、浅田本人も自嘲的にどっかで語ってたけど。

138 :素人ちゃちゃ入れ:2001/05/04(金) 16:53
話はそれますが気になることがひとつ。
東氏や浅田氏はゲノム研究についてどれほど知ってるのでしょ
うか?私見では唯物論の最先端に位置するように思われ。
コミュニケーションでゲノムが変わる、つまり突然変異こそ超越
的複数性の物理的対応物なんだ!とか・・単純すぎでしょうか(w)

139 :考える名無しさん:2001/05/04(金) 16:57
そのうちせっぱ詰まってきたら言い出しそうだな。

140 :考える名無しさん:2001/05/04(金) 17:00
超越的複数性というか偶然性じゃないの?

141 :考える名無しさん:2001/05/04(金) 19:08
しかしまあ、「構造と力」と
「存在論的、郵便的」の明快さの違いは
それなりにそのときどきの日本の理論状況を
反映してるといえると思うけど。個人的資質だけでなくて。

142 :>141:2001/05/04(金) 20:21
結構賛成!

143 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

144 :考える名無しさん:2001/05/04(金) 23:43
存在論的に恥↑

145 :実習生さん:2001/05/05(土) 02:28
違う。存在が恥

146 :考える名無しさん:2001/05/05(土) 06:17
存在的に恥ontisch

147 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

148 :考える名無しさん:2001/05/05(土) 17:28
↑かゆうま?

149 :考える名無しさん:2001/05/08(火) 13:26
xage

150 :たぶん私のことねー:2001/05/08(火) 14:48
aikoに似てるっていうのは髪形だけなんですけど。

151 :考える名無しさん:2001/05/08(火) 14:49
150の続き
ってことでちゃんと2CH見張ってるもんねーだ。
やだねー、ベタベタのルーザーって。

152 :考える名無しさん:2001/05/08(火) 15:57
>>151
削除依頼出しとけば?
「 ■■■哲学板自治(討議)スレッド■■■」スレ参照の事。

153 :考える名無しさん:2001/05/08(火) 23:50
嗚呼

154 :考える名無しさん:2001/05/09(水) 21:10
お誕生日おめでとう!

155 :でじこ:2001/05/09(水) 22:02
ヒロキは今日が誕生日?

ゆうゆと16日違いにょ。

156 :考える名無しさん:2001/05/09(水) 22:50
age

157 :考える名無しさん:2001/05/09(水) 22:51
age

158 :考える名無しさん:2001/05/12(土) 00:19
ユリイカ落としたって

159 :吾輩は名無しである:2001/05/12(土) 01:42
>>158
落としたって、どういうこと?
締め切りに間に合わなかったと
いうこと?

160 :いくこ:2001/05/12(土) 02:33
>>158

そうやって火の子で仕入れたネタ2chに書かないでよ。

161 :考える名無しさん:2001/05/12(土) 09:16
>>160
公式HPに載ってるよ

162 :考える名無しさん:2001/05/12(土) 17:31
要はオタクってのはニュータイプなのね。違うって?

163 :考える名無しさん:2001/05/12(土) 19:38
「萌え」と「泣き」
泣きって?な〜に?

164 :考える名無しさん:2001/05/12(土) 19:42
感動。

165 :考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:30
エロゲーやってるヤツって、
なんで、よ〜泣いとるんや。
エロやのに?
わからん。。。。


166 :考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:52
>>165
周りにそんな人いないので知りません

167 :考える名無しさん:2001/05/13(日) 23:49
沢山いるけど見てないだけだろう

168 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 17:34
>>165
やればわかるさ。

169 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 17:35
萌えってのはシミュラークルに対する感情移入ってことでいい?

170 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 18:12
感情移入というよりフェティッシュ☆

171 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 20:08
>>169
フェティッシュだと原理的に単数的なわけだよね。
萌えってのは「シミュラークルに対する」ものだから、
複数化を前提としているんじゃないの?

172 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 20:08
ごめん、間違った。
171のレス先は>>170

173 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 23:06
>>168
やってもわからん・・・・
萌えはするけど・・・・
けど周りは泣いてる・・・・


174 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 23:11
泣きってのはシミュラークルに対する感情移入ってことでいい????

175 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 23:19
同じ話を何度も繰り返すのは、次々に新しい人が参加してくるからなのか?
いつまでも、このスレを見続ける俺は暇なのか?
東っていったい何なんだ。。。

176 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 23:34
>>173
Kanonでもダメだった?

177 :考える名無しさん:2001/05/14(月) 23:54
前スレにこんなのがあった。

473 名前:考える名無しさん 投稿日:2001/03/10(土) 01:35
みんなはモダニズムにも萌えがあると思わない?
キャラが組み合わせ的なのって、
本当にポストモダンだけの特性なのか。

602 名前:600 投稿日:2001/03/16(金) 23:25
補足。
キャラ商売は昔からあった。ミッキーでもベティさんでもいい。
おれはピーターラビットの洗濯籠を持ってるが、これは「萌え」なのか?
おたく論議は時々(それとも常に?)ばかばかしい。
おたくはなぜあれもこれも自分の領域に引き込みたがるのだろうか。
そして引き込んだ上に、自分たちのみみっちい趣味性や自我論と強引に
重ね合わそうとする。東しかり、岡田としおしかり。

606 名前:600 投稿日:2001/03/16(金) 23:44
ブランド漁りが典型的にそうだが「記号消費」という消費形態がある、と。だがそれはおたく文化に帰せられるものではなく、おたくの「キャラ萌え」はその1パターンだろう。
もっと大きな流れがあってその一つに過ぎないんではないか。80-90年代のコギャル<->おたくの対比で考えるとわかる。問題をおたくのそれに切り詰めてしまうのは、やはり
おかしいだろ?

178 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 00:09
複数的フェティッシュ☆

179 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 00:15
的確なコピぺ
誰か反論

180 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 00:53
こういう反論があったね。>当時

640 名前:石井ちゃん 投稿日:2001/03/17(土) 10:25
どうも、石井ちゃんです。

しかし、あれだね。お前ら読んでないね。最近の東ちゃんを。
いいかい?
確かに、600が言うように「おたく」と「ブランド漁り女」は消費形態だけ
を考えれば同一の傾向として捉えられる要素が多分にあるが、それらはいわ
ば「自己投射型」のフェティシズムとして、つまり、主体の直中に空いた穴
(これはラカン派がよく好むメタファーである)を埋めるため、何でもいい
から適当な対象に注がれるモノに対する欲望、すなわち、自己愛の変形とし
て考えるべき欲望なんだよ。
対して東が問題にする「90年代型おたく」というのは、いわば「知覚訓練型」
のフェティシズムとして、つまり、精神分析的な「主体」の問題とはあまり
関係なく、むしろ、知覚の訓練に関係する欲望なんだよ。

181 :今夜は過去レス大会ですか?:2001/05/15(火) 01:01
430 名前:426 投稿日:2001/03/08(木) 19:17
>>428

君の言うことももっともだね。
具体的に言えば、東の言っているようなことを具体的に実践すれば
それはNAMのような運動になるってことだね。
にもかかわらず、見当はずれの批判を柄谷にやっているとういうのが間違
いの一つ。
浅田の批判も妥当なものだと思うね。知覚訓練型フェティシズムなんて
資本主義が要請しているようなものだから、それだったら資本主義を
普通に分析すりゃいいだろうってことだな。

182 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 01:05
ことこの哲板においては東に関する「言及されるべきこと」はすべて言い尽くされた感がある。
まだヤル気なら新しい切り口で頼むぜよ。



183 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 03:04
でも、『存在論的、郵便的』の問題は解決されたのか?
東において「言及されるべきこと」なんてそれだけだろ。

184 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 03:49
一橋助教授のはなしはどうなった?まだ学振か?
嫁いるのに

185 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 20:58
>>182
確かに、でも泣きってなんなんやろ?

186 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 21:12
>>185
Kanonやればわかるって。

187 :182:2001/05/15(火) 22:03
>>183
そこでその問題とやらを展開せにゃ、なんとも。

188 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 22:10
>184
ま、本が出たら go サインてとこかな。学振今年度いっぱいやろ。

189 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 23:14
>>180

調子に乗ってバカなこと言ってる奴がいたなぁと思ったら俺だった(w

190 :考える名無しさん:2001/05/15(火) 23:32
>>189
ウザイ。

191 :考える名無しさん:2001/05/16(水) 13:52
>>183
こういう人が未だにいるから、同じ話が何回も蒸し返えされるのよ。

東本人が半ばうんざりしながら言うように、彼は最初から「問題の解決」
なんて目指してないし、解決を求められても「もうこれ非常にまずい」
ってことだね。
この点は、らげの言ってること(「東は考える過程」を書いてるだけ)が正
しいが、ただし、あくまで、>>128の話が前提になる。
(「郵便的不安たち」の宮台との対談を読んで欲しい。)

だから
「考える過程」だけじゃ困る。結論を示せ!
って人は東を読んだって、全くの「時間の無駄」だろうね。


192 :考える名無しさん:2001/05/16(水) 13:57
あずまたん、結婚してるの?

193 :考える名無しさん:2001/05/16(水) 14:18
>>137
浅田は「言語化できた範囲でしか言わない(ので矮小になる)」のに対して
東は「言語化できてないとこまで書こうとする(ので失敗する)」のかも。
まぁどっちでもいい憶測か…

194 :吾輩は名無しである:2001/05/16(水) 23:08
>>193
というか、浅田は、ネタをじゅうぶん仕込んであるのに
その一部しか言わないのだが、東は、仕込んだネタは
全部言う、または、仕込んでいないうちから言おうと
する、と、こうじゃないかな。

もちろん、「臆測」です。

195 :考える名無しさん:2001/05/16(水) 23:38
浅田にギャルゲーやアニメの語彙があるとは思えんが・・・

196 :考える名無しさん:2001/05/17(木) 04:52
今月の『中央公論』での東と斎藤環の対談わりと面白かった。


197 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/17(木) 05:31
>>191
 おかしい、やっぱおかしいんだわ。
「ボクはここまで読みました」なんてレポ−トめいたものを
 なぜ読む必要がある?
 だいたい結論を出すのが形而上学的だから回避すべしなんて
 ポストモダンの平板化されたテーゼを教条的に前提にしてるんだったら
 まずこれを疑わないといけないんだわ。
 デリダが「やっぱりヘーゲルは偉かった」なんて言い出したら
 このへんの方々はどうすんだろうね。


198 :考える名無しさん:2001/05/17(木) 08:07
>>184
その話、本人がサイトで否定してなかったっけ?

199 :考える名無しさん:2001/05/17(木) 10:56
>>197

>「ボクはここまで読みました」なんてレポ−トめいたものを
>なぜ読む必要がある?

だから、あなたは読む必要ないんだって。

それに前提にしているのは、「結論を追い求めるが故に、結論を回避する」
というポストモダンのパラドックスであって、『存在論的、郵便的』だって
わざとらしいぐらいそういう書き方をしている。
「そういう立ち回り方自体が古いんだ、ダメなんだ」というのなら、「結論」
を出せばいいんだけど、「超越論性は複数か単数か?」なんて問題の「結論」
は、「ヘーゲルが偉い」とかそんなことじゃなくて、「もう政治的実践以外
にはありえない」っていうのがデリダや柄谷でしょう。
(実際、この「結論」には「このへんの方々」は非常に困っている訳だ)

だから、東は90年代のデリダやNAMの柄谷について、正面から論じる必要が
あると思うんだが、それをやんないから(何故かNAMについては巧妙に避けて
いる。すぐ「党派性」とか言うがそれが嫌ならちゃんと論じれば良い)サブ
カルライターと同じレベルで見られちゃうわけだ。



200 :吾輩は名無しである:2001/05/19(土) 00:26
>>199
あなたの言うように、『存在論的、郵便的』
の「書き方」がポストモダンのパラドックスを
「前提」しているのだとしたら、それは、
そのパラドックスの絶対化を否定神学とから
めて批判的に乗り越えようとしたこの書物の
内容と齟齬をきたすんじゃないの? 

201 :考える名無しさん:2001/05/19(土) 00:29
>デリダが「やっぱりヘーゲルは偉かった」なんて言い出したら
>このへんの方々はどうすんだろうね。

別にどうもしない。ボケたな、と。




202 :考える名無しさん:2001/05/19(土) 05:51
>>199
結論云々とは別にしても、あまりにもあの本は
不十分すぎると思うんだけど、おれ。
クラインの管を複数化したから複数的超越論性だ、とか言ってるけど
そんなお手軽な話でいいわけないだろ?(他にも色々いってるけど)
その理論的な不十分さが
「結論を求めながら結論には至らないのがポストモダンの条件だ」
という(おそらくそれ自体は否定しがたい)原理論で正当化されてしまう、
っていう可能性はないの?実際、あの本が理論的にしっかりと検討されたのって
「トラクリ」座談会くらいしか知らないのよ、おれ。

203 :考える名無しさん:2001/05/19(土) 06:12
>>202
それはその通り


204 :考える名無しさん:2001/05/19(土) 06:18
否定神学を批判してるとこはすごく明快なんだけどね。

205 :考える名無しさん:2001/05/19(土) 13:20
だから、マジック・メモのところがお手軽な話なのか
どうか、っちゅー。

206 :考える名無しさん:2001/05/19(土) 22:47
>>204
でも良く読むと
明快な否定神学しか批判していないことがわかる

207 :考える名無しさん:2001/05/20(日) 01:32
浅田も鎌田もぽこ氏も、東批判はすれど『存在論的−』の根幹部分にかかわる理論的批判はしてないよね。
「最近の東は駄目だ」にしても、「あんなのデリダ論じゃない」
にしても、もちろんそれはそのとおりなんだけど、
『存在論的−』自身の理論価についての評価とそれとは別でしょう。
「考える経過を示しただけだ、結論を求める奴が馬鹿だ」とかいう意見はこの
スレでもよく見る。それはそれでいいが、経過は経過として検討が必要では?
そういう検討って、どっかでされてないのかなあ?

208 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/20(日) 02:04
しつも〜ん。
存在論的ってどういう意味?

209 :考える名無しさん:2001/05/20(日) 03:49
ジジェクがわいたにょ

210 :ある日記男の主張:2001/05/20(日) 15:50
東さんが、データ・ベース論の延長で、もっとウェブ・日記系の人たちは、
データ・ベースとしての情報をアップすべきだというようなことを言って
いますよね。僕としても、ネットにもっと、情報が流れるべきだと思います。
例えば2チャンネル系の人たちは、自分で本を読まないうちに、東さんだとか
浅田さんだとか言って、いい気になっているということがあるわけで、そうい
う状況というものは、単純に、ネットにおける情報量が少ないからだと思いま
す。浅田さんだって、もっとネットに、テクストが揃わなければやる気が起こ
らないなんて事を言ってもいます。

しかし、僕としては、そもそも情報がそれ自体商品として成立する余地があん
まりないネットにおいては、そのような情報が集積されていく可能性というも
のを疑ってしまうわけです。本として出せばそれなりに商品として機能する情
報であっても、ネットにおいてはそのようなものは、商品としての価値を持ち
得ない面が多々あるわけで、そして今後も、知的財産権がどれだけ発展しよう
とも、ネットにおける情報の共有性というものは、なかなか改善されないと思
うわけです。しかしむしろ僕は、そのようなネットの性質を否定していたって
どうしようもない、それを迎え入れることの方がはるかに価値のあることだと
思っているわけです。

これまで、大学人でなければ、あるいは大学に関わっている人間でなければ、
そもそも批評家になることが難しいということがあると思うわけですが、ネ
ットにおいては、一般人も、批評家的身振りが出来るということにおいて、
それは積極的に、迎え入れるべきだと思うわけです。東さんが、ネットに着
目して、既存の出版系の権力的なものを避けて通るような活動をしていると
いうことは積極的に評価しなければならないと思うわけですが、ネットとい
うものは、東さんのような新進の批評家のみに開かれている可能性ではなく、
一般人にも開かれていていいと思うわけです。これまで、特権的に、社会的に、何かしらの批評言語を
生産する権利というものがあったと思うのですが、ネットにおいてはそういう
特権さえもないと考えたほうがいいと思うわけです。

211 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/20(日) 19:08
ハァ?
批評家的ふるまいと批評家とはずいぶん違うぞ。
バット振れば誰もが野球選手的ふるまいができる。
が、それで素人とプトとの差異が崩れたと思うのは妄想家だ。
ネットが全てをフラットにするというのも妄想だ。
素人がどれだけいきがろうと素人なんだよ、政治でも勉強したらどうだ?


212 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/20(日) 19:09
言うまでもなくプト→プロ、ね

213 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/20(日) 19:11
バカを見るのはネットを過大評価するやつだよ。
ネットなんて所詮ツールだろ?
ツールとして役にたちさえすれば、あとは電源切って外に出ればいいんだよ。

214 :考える名無しさん:2001/05/20(日) 21:47
>>213 むしろ過小評価をする奴のほうがバカを見るぞ?
今までツールとしてみなしてきたものから、こちらが変容せざるをえない
ということが幾度となく人間の歴史の中にあったことをお忘れか?(藁

知覚の直結(いいかたへんでスマソ)がもうすでに起っている人間が
今現在も増え続けているんだよ。そしてそれがこれからの主流となりうると
俺は思ってるけどね

215 :考える名無しさん:2001/05/20(日) 23:05
う〜ん過大評価も過小評価も極端にするのはまあ愚かだけど

216 :考える名無しさん:2001/05/21(月) 03:15
コミックファンっていう雑誌に写真がでてたけど、
顔がデブオタと化していたね>浩紀たん
どしたんだろ?



217 :考える名無しさん:2001/05/21(月) 11:00
ネットの話はともかく、>>199>>200やら>>202やら>>207やらにどう答えるか期待age

218 :199:2001/05/21(月) 12:38
>「結論を追い求めるが故に、結論を回避する」
>というポストモダンのパラドックス

この言い方は誤解を招いてしまうね。本当は「ポストモダンのパラドックス」
ではなく「東浩紀固有のパラドックス」だね。
この種のパラドックスを抱えた人間で典型的なのが柄谷だが、「そんな個人の
資質によって書かれたものなど読んでられるか!」と思う人は本当に読む必要
がない訳だよ。

ちなみに俺はデリダにもアニメにも映画にも推理小説にも何の関心もないが、
にもかかわらず東は面白く読めてしまう。
それは「ものを考える」ということに対して、同じような資質を持ち合わせて
いるからだと思うし、それがなければ「誤配」なんて起きえないと思うよ。

219 :考える名無しさん:2001/05/21(月) 13:29
>>212
同時にこういうの多いから心が和むよ。
言うまでもなく、ね

220 :ninety hundred eight five :2001/05/21(月) 14:05
>218
>この言い方は誤解を招いてしまうね。本当は「ポストモダンのパラドックス」
>ではなく「東浩紀固有のパラドックス」だね。

東氏の文体というか、論の進め方として、「・・・である。どういうことか。」
で段落を切ってで次の論述に入るという形式がよく見られます。段落を変えて
新しい要素を入れたり、平面を少し変えるための連結方法なんですが、
少し脆弱な連結だし、拍子の取り方としてOne Patternになっているかと思います。
こうした「・・・。どういうことか。」という拍子の取り方に無限後退する危険性が
あるのかもしれません。別の文体を開発する余地がありそうな気がします。

ところで東氏の言うポストモダンにおける象徴界の減退、想像界と現実界の
直接リンクといった論点はラカニアンたちにとって新しい話なのでしょうか?



221 :考える名無しさん:2001/05/21(月) 14:53
>>220
そうかな?あの言い回しは論旨をスムーズに移行させて明確に
展開させるための、読者のための一つの指標だと思ったけど?

あの本は三島賞の候補にもなったはずだけど、そのときも
言われてたけど“エッセイ”というよりも学術論文なわけだし、
文体よりも論旨を明確化することの方が重要事なわけだから
あの連結法はむしろ論理展開を曖昧に誤魔化さないで正面から
取り組もうとする態度が目に見えて好感が持てた。
むしろ論文で One Pattern になりがちなのは文体よりも論旨
が単調になりすぎる時のような気がするが。

「・・・である。どういうことか。」
うん、いいよ。すごくいい。「脆弱」な印象、というよりも
むしろ力強い感じ。

222 :ninety hundred eight five:2001/05/21(月) 15:23
脆弱っていうのは、たしかにちょっと違いましたか。まあ東氏の著作に現れる
「どういうことか」の数を数えてみるのも一興でしょう。「なぜか」ではなくて
「どういうことか」で駆動される論述ということで確かに馬力はあるわけね。

ところで、思想と文体というのは切ってもきれない関係があるわけで、
東氏もデリダ的脱構築と柄谷的脱構築の差異を仏文と日本語の差異に
帰着させていましたよね? これは言語による文体の制約とも言い替えられるのでは?
デリダにしても、ドゥルーズにしても独自の文体を持っているわけで、それは
彼らの思想と一体じゃないかなあ。ミシェル・セールの文体も相当かっこいいし。


223 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/21(月) 17:33
存在論的。どういうことか。

224 :考える名無しさん:2001/05/21(月) 19:41
>>223

>存在論的。どういうことか。

これは本当は凄く難しい問題だね。
ちなみに、柄谷によればハイデガーの「存在論的」とは「超越論的」と同じ
ことであり、したがって、フッサールには超越論的態度は全くないというこ
とらしい。
ようは、存在しないものの働きー存在者としては無だけれども、無として働
いているそのものの働き、のことであって、構造主義におけるゼロ記号も同
様のものだと考えられるわけだね、柄谷的には。

225 :考える名無しさん:2001/05/21(月) 20:15
>>224
柄谷はそういってるね。どういうことか
ってまあ哲学プロパーの人はどういうんでしょうか?

226 :考える名無しさん:2001/05/21(月) 22:38
>>224
少し不十分だと思う。
つまり、あの本で言ってる存在論的ってことは、
>存在しないものの働きー存在者としては無だけれども、
>無として働いているそのものの働き
を、どのように捉えるか。そのひとつのあり方。ひとつの思考パターンのことでしょ。
(あの本は、そうした思考パターンについての研究本で、それ以上でも以下でもないと思うが。)

哲学的思考における思考不可能なものを、
論理形式の限界として想定するのではなく、
思考不可能なものを表象する語そのものに宿った(とされる)ある剰余を、
そのあり方の根拠とする捉え方、のこと。

確かに難しい。あの本の同名の章立てのところを読めば、なんとなく分かるけど。

東は、後期ハイデガーが各々の哲学用語を
ある種の固有名として理解していることを例にあげ、
そこに、クリプキの固定指示子と同型のアイデアを見る。
固定指示子とは(東によれば)、クリプキが確定記述の束には還元されない固有名の
「同じもの性」(≠同一性)を保つための根拠として持ち出してくる概念。
言語以外の現実、「命名儀式」や、言語共同体内部の「伝承」によって形成、保持されるという、
意味(特殊性)に還元されない単独性(剰余)そのもののこと。
しかしそれは根拠のない観念的もの、単なる神話にすぎないとされる。
東はハイデガーが陥ったこうした思考を、
世界はあまねく言語によって満たされている、という前提から出発したためだ、
として、後段の議論からの批判的な布石としている。

227 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/21(月) 23:29
>>したがって、フッサールには超越論的態度は全くないということらしい。
 ?????頭大丈夫か?
>>後期ハイデガーが各々の哲学用語をある種の固有名として理解していることを例にあげ、
 ???
 後期って詩論みたいなやつ?よくわからんけど。
 ヘルダーリンとか確かに固有名詞だけど(超アタリマエ)
 ・・・・もうすこし説明きぼんぬ。


228 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 00:03
>>227

>>>したがって、フッサールには超越論的態度は全くないということらしい。
>?????頭大丈夫か?

柄谷に言って。彼ははっきりそう言ってるから。
(柄谷は「超越論的態度」に対する解釈がある時期を境に明確に変わったが
 フッサールに対する評価は変わってない。つまり、以前は「フッサールは
 超越論的だからダメ」みたいな言い方をしていたが、トラクリ以降、「フ
 ッサールには超越論的態度は全くないからダメ」ということになった。こ
 こは結構重要なポイントだと思う。)


でもまあ、らげ君って典型的な哲ヲタね。
「教科書通り」と言うか。
柄谷なんか読んだら怒り狂いそうだ。


229 :吾輩は名無しである:2001/05/22(火) 00:05
存在論的とは、起源=外部を思考する、という意味だよ。
郵便的とは、起源を隠蔽する記号の連鎖を思考する、と
いう意味だよ。

東の書き方が浅田に突っ込まれたわけだけど、それは、
コンスタティヴとパフォーマティヴの区別がつかない
という主張であるにもかかわらず、彼がコンスタティヴ
に書くのはなぜか、または、デリダがパフォーマティヴ
に書く(ようにみえる)のはなぜか、への答えが、
本のなかで与えられていないからでしょ?

230 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 00:12
あれ、いっぺん書いたのに、接続失敗で文章消えた(泣)
同じ文章を思い出して書く。

226>227
固有名化ってのは、
ある語を、確定記述の集積として
〜である、という、意味の集積として捉えるのではなく、
ある種の分割不可能な単独性を持ったものとして捉えること、らしい。

後期ハイデガーについては俺も東の言うこと意外、全然知りません。
自慢にならないけど、『存在と時間』しか読んだことないし・・・
さらに詳しい話は、詳しい人にバトンタッチ。

231 :αβγ:2001/05/22(火) 04:22
>>224
>柄谷によればハイデガーの「存在論的」とは「超越論的」と同じ
>ことであり、したがって、フッサールには超越論的態度は全くない
>ということらしい。

ここら辺のことはどこかで読んだ記憶がある。だがいまいち
理解できなかった。なぜ柄谷のフッサール評価は低いのか?
まあ大体想像がつくけど。柄谷はどうやらカントを持ち上げる
ために、“超越論的”という評判の悪い言葉の意味を
書き換えて使いたがっているらしい。だがその解釈もまるで
サルトルの域を出ていないように思われ。226に詳細を聞きたいべ。
(純粋に知的好奇心から・・・)

232 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 06:38
東たんの文体が
「〜って、どうよ。」
って事だと思われ

233 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 09:21
たとえばネットに実際に空間があると思ってしまうと、
それを”超越論的シニフィエ”として実体化してしまうっていう話、
それじゃあ『器官なき身体』って、どうよ。




234 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 10:15
226>231
俺は良く知らない。
そっちは>>224ね(笑)

235 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 11:09
今月の中央公論の東のデブ化。
『存在論的、郵便的』の筑駒哲学少年の面影はすでになく。




236 :αβγ:2001/05/22(火) 12:32
すマンコ。指示する番号まちがえた。だから匿名掲示板は嫌いなんだよ・・・

ところで
>>226
さすがにあんたは頭がいいというか、読解力あるね。
それで疑問なのだが226で言われているそうした思考方法を
「存在論的」と呼ぶことは妥当なんだろうか。
オレには「存在論的」というのが何を意味するのか知らんが、
それだと柄谷が言っているように、「存在論的」=「超越論的」
ということになるのではないのか。「無として働いているもの」
の働きを探るというのは、「存在者を存在せしめる働きとしての“存在”」
ってのにピッタリ合致するように思えるが、それは存在者の上に
超越論的次元を設けてそれらを統括する原理を探るという
形而上学的な思考態度そのままのような気がするのだが。だから
東の言う「存在論的」というのは、「ハイデガー的」思考法と言い
換えた方がしっくりくるような気がする。これはハイデガー的
哲学言語に対する一種の批評なんでしょ?

もう一つ。ハイデガーの哲学言語を固有名として捉える、という
東の議論。これは「ハイデガーによるorと言語論」というような
パースペクティヴから見れば納得のいくものなのかもしれんが、
「思考不可能なものを表象する語そのものに宿った(とされる)
ある剰余(単独性)」ちゅうのは、そりゃアンタ“幽霊”というより
要するに“言霊”のこととちがうんですかー、ってかんじで
「クリプキ」云々など難しげな事を持ち出されてもワテラには
困るんですが、、、
結局わたしには東もハイデガーと同じようなことをやっている
ように思える。そして実際は東のほうがそれを客観化している
つもりになっている分だけタチが悪い。

237 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 13:47
>>236
東はハイデガーが「速度」を消去して「手」が届いて「道具」化できるかどうかという差異を
示すVorなんとかZ???なんとかという用語を使っていると指摘してたが(<<存在論的...>>3章)

238 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 14:00
突然ですが、東クンが推してたSFは頭が「良さげで悪い」感じでした。
グレッグ・イーガン。
最近東クンの実力に疑問が…

239 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 20:19
イーガンはイカンよ。

俺の実力には疑問はないよね。

240 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 22:14
>>238
奴は萌えに関しても同じ。
もともと趣味は「普通」なのに無理に背伸びしてた。
けど20代なら通じた「今度勉強しとく」技が今後使えないのはキツい。

241 :考える名無しさん:2001/05/22(火) 22:55
7/3慶應義塾大学三田キャンパスに東君登場。
10:40からだそうだ。お題はお馴染みの「データベース化された社会」
教室はどこだっけな?
各自掲示板で調べてくれ。

242 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/22(火) 23:10
やっぱバカばっか。
そもそも原典四℃欄やつ多すぎ。
氏んでくださぁい。

243 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/22(火) 23:16
詳しくないのだが
ハイデガーは前期と後期で存在概念が番うとか。
前期は存在者を存在たらしめている、その意味では存在論的=超越論的
後期は存在そのもの。これが分からん。
つーかここの議論そのものがこの前期と後期との区分けを前提としているのか?

244 :?HHf?HHn:2001/05/23(水) 04:40
GOです。お邪魔します。重大なGO報告にやってまいりました。GOはねー、このスレがねー、1000に近づくときねー、GOはねー、その時にねー、哲学板のねー、コテハンさん達全員がねー、GO!GO!GO!GO!ってねー、どんどんグルーヴしていくのねー。GO!GO!って。もうねー、24時間テレビ−愛は地球を救う−のマラソン状態。BGMはもちろんZARDの「負けないで」。GOです。凄くない?GOはねー、あらゆるコテハンさん達に応援されながら完走するの。いままでGOに批判的だった人もその時にはダンスに参加。あのハイデガー先生やいちご姫も花束を抱えて駆けつけてくれる始末。GOです。ある意味カタストロフです。GOです。そうです。GOです。GOはほとんど熱狂的な声援の中、世界最後のダンスを踊り続けるの。もちろんみんなもつられてダンス!ダンス!そこはまるでリオのカーニバル。GOです。GOはねー、耳たぶ柔らかいほう。それでねー、999でねー、パタッとカキコが止まるの。何故ってGOは思うの?何故なんだ?って。それでどうしたんだろう?って他のスレに様子を見に行くの。そしたら、あらゆるスレというスレに「GO!お前が1000にカキコするんだよ。はやく!もったいぶるんじゃないぜ!みんな待ってるんだよ。GO!おめでとう!今まで良くやったな!さあ、GO、早く!」っていうカキコを発見するの。GOです。GOは感涙にむせび泣き栄光の美酒を飲み干すのさ。リーリーリーリー。GOです。GOです。最後の乱舞が始まろうとしています。GOです。記念カキコ宜しくお願いします。GOでした。お邪魔しました。


245 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/23(水) 05:07
あげ荒らしはニセGOだな

246 :考える名無しさん:2001/05/23(水) 07:29
東の「萌え」について言えば、画像以外の「萌え」を分析出来ないってのがあるな。
例えば葉鍵の「萌え」については初音ちゃんの「刎ねた髪」以外は説明出来ていない。
その他はギャルゲーを作っているシステムの話になってしまう。
でじこの分析にしてもそうだけど、ああいった画像的な分析は出来ても、
じゃあ何故『Kanon』『AIR』が「泣きと萌え」なのか、一切説明出来ていない。
事実追認というか、画像以外での萌えを言語化していない、そういった弱みがある。
いたる(Keyの原画家)絵に対する「萌え」が無い事をシナリオ面での「萌え」に結び付けて説明出来ない、
その意味で東の「萌え」解釈は疑問が付される。

247 :考える名無しさん:2001/05/23(水) 07:31
いかん、レス先を忘れていた。
246は>>240で。

248 :考える名無しさん:2001/05/24(木) 02:35
声萌えってのもあるにょ

249 :名無しさん@ご利用は計画的に:2001/05/24(木) 03:13
東って、実は頭が悪いらしい。

だから、本も話もつまらない。


250 :考える名無しさん:2001/05/24(木) 12:30
>>246
そりゃそうでしょう。彼は擬装オタクの一般人だから。

251 :クソヲタM:2001/05/24(木) 13:22
東め、オタクを擬似ナショナリズム的とかぬかしやがったな。
ならオレは擬似憂国の士で、キサマは擬似売国奴じゃい。
さもオタ擬似国の擁護者のようなツラをして、まるでオタ擬似国のためにならない
腑抜けた言説を垂れ流す擬似国賊東浩紀に擬似天誅を下す!!!!

252 :考える名無しさん:2001/05/24(木) 13:40
彼は『存在論的、郵便的』の3章でハイデガー、フロイト、ドゥルーズを
参照して話を膨らませた。それで収集つかなくなり始めて、その後も収集
ついていない。フィリップ・K・ディックみたいな作家なら収集つかないことが
スタイルになるけど、哲学研究者だとそれはまずいよね。

PS.グレッグ・イーガンは面白い


253 :考える名無しさん:2001/05/24(木) 22:31
明日のオヴァル関連のシンポジウム行く人いる?


254 :考える名無しさん:2001/05/24(木) 22:36
オヴァ、オヴァ、オヴァ、オヴァルだってぇ!?

255 :考える名無しさん:2001/05/24(木) 22:57
■OVALPROCESS LECTURE & SYMPOSIUM
5月25日(金)18:30 START
会場:ドイツ文化会館ホール(日独同時通訳つき)定員200名
出演:マーカス・ポップ(Oval)、クリストフ・シャルル(アーティスト)、東浩紀(哲学者)、桝山寛(評論家)、畠中実(ICC学芸員)
司会:佐々木 敦(HEADZ)
入場無料
主催・問い合わせ:東京ドイツ文化センター(TEL:03-3584-3201)

企画・制作:HEADZ
協賛:徳間ジャパンコミュニケーションズ
招聘協力:PLANKTON


256 :考える名無しさん:2001/05/25(金) 16:30
ダニエルの息子も来るんじゃん。オモシロそう♪

257 :考える名無しさん:2001/05/25(金) 18:03
ダニ、ダニ、ダニ、ダニエルの息子だってぇ!?

258 :考える名無しさん:2001/05/26(土) 01:10
オヴァル行ってきましたよ(笑...思い出し笑い)。
相手が相手なだけに苦戦してたようです。


259 :考える名無しさん:2001/05/26(土) 01:12
ダニエルって誰?リベスキンド?

260 :考える名無しさん:2001/05/26(土) 01:50
あ、やべえ今日だったんだ。忘れてた。

261 :考える名無しさん:2001/05/26(土) 02:01
>>259
ダニエル・シャルル


262 :考える名無しさん:2001/05/26(土) 06:43
>>261
ダニエル・シャルルの息子について一言言わせてもらえば、
シンポジウムでの彼はまるでお門違いの音楽史を語っていました。
以前彼と共作を出したマーカス・ポップでさえも欠伸するやら貧乏ゆすりを
するやらで、私自身も彼には多少興醒めさせられました。

263 :あきら:2001/05/26(土) 23:18
でじこでオナニーをする東は性犯罪者だよ

264 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:00
「再度SBKを擁護する。」

一時期の反動的なまでに肉体性の復権(=realである事。)を唱えた
positive punkの攻勢は、その反動的身振りによる硬直化を免れうる事
なく、street culture(BOONやASAYANといったkids reviewsを中心と
した消費層)との間に愚直なまでに潔癖なナショナリズムを産み落とす
結果となった。それらの物言いは、大戦時の「弱者崇拝(小兵=日本が
アメリカ=木偶の坊を打破する)」や、「精神主義(例え身が滅びよう
と高潔さ(=怨恨)を忘れない)」といった陳腐なスローガンの反復に
すぎず、呆れるほどに醜いスタイルである。(ただし、両義的な意味と
しては、そこにおいては、nationalなものへのprideと本来的にnation
を条件付ける言語(日本語)への盲信が驚くほどに乖離しており、逆に
「英語(=英詩)」とナショナリズムが親近性を見せるといった様相を
見せているという事は指摘せざるをえない。だがそれに対する分析は他
者に任せる。)音楽とは言うまでもなく今日においては「消費」の一市
場であり、「芸術性」は前者に付随する二次的な価値にすぎない。つま
り、僕等は「音楽」を「形式=スタイル」として分析する(=技術的
要因への批評)以前に「商品」として分析する必要がある事は自明であ
ろう。「商品」とは何か?端的にそれは、供給側と受容側に分離した
「価格決定ゲーム」における賭金ではなく(それは事後的な物だ)、
社会という、極論すればマスコミという文脈決定装置が決定する文脈下
において意味を解釈する「対象」である。つまり、商品の購入とは、
所与のイメージをかっこ入れし(いったん無視したフリをする)た上で、
再度「主体的」にイメージを付加しうるという幻想を想像する事を許容
する装置下での購買者の行為であり、行為者にとってそれは「あゆのこ
の歌詞(みんなが共感しているから=設定された文脈)、リアルだよね
〜(私にとって=錯誤された主体性)」という認識を補完する行為に他
ならない。


265 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:03
とはいえ、その行為並びに装置を声高に批判する事、並びにシニックに
愚弄する事もまた端的に醜いルサンチマンに過ぎない。いや、そもそも
「反対勢力」こそが、往々にして「制度」による逆操作(例えば戦時中
の反対派や、共産勢力を思い出す事)の対象として、むしろ存在を要請
されるものであり、逆にそういった存在が無い場合においてはご多分に
もれず捏造される事は周知であろう。また更に言えば、往々にして、
これらの「反対勢力」もその存立の論理的構造においては同型であり、
(同型であるがゆえに)勢力としてより大なる消費者層への憎悪を燃や
すのであろう。つまり、「あゆ好き」(消費者)と「あゆ嫌い」
(反=消費者)は互いに補完しあうことで共存しているのであり、
「サブ」である事に価値を見出す事は端的に倒錯者
(自分に酔う事、認められない事への苦痛をこそ性的快楽の源泉
と信じるもの)にすぎない。両者とも、
「制度下において決定された文脈下における自由」の名の下に
「自由である事」、つまり、自分の行為に満足する事(=ナルシシズム)
を享楽しているという意味では何ら変わらないのである。



266 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:13
では、僕等は端的に「あゆ好き〜♪」か、「あゆなんてだっせ〜」の
二択しか選択し得ないのか?この上記の問題意識を鮮明に打ち出した
商品こそが「TOKIO LV」をリリースしたスケボーキング(SBK)である。
商品としての「TOKIO LV」は、端的に売れ線商品であろう。
ラブを主題にし、現在もっとも消費されやすい「ヒップホップ+バンド+DJ」
というミクスチャー音楽であり、その代表格として認知されている
ドラゴンアッシュの派閥の出世頭としての認知度も抜群だ。
しかも、若者層に好視聴率を誇るワンダフルのエンディングテーマと
いう布石。売れる条件に満ち溢れている。とはいえ、これらの条件
(=文脈)を消費する層は、端的に文頭に書かれたポジパンとストリー
トカルチャーの嫡流としてのナショナリズムを(意識的に/無意識に)
掲揚する層を中心に、所謂外資系レコード店(HMVやタワレコ等)を
愛好する層でもある。では「商品」としての「TOKIO LV」はどのように
受容されているのか?恐らくなんの懐疑もなく上記の文脈を受容し、
「やっぱcoolだよな〜。」とか「そうそうラブってそうなのよ。」と
いう認識を決定しつつ消費されているであろう。
(そしてまた、それらとは反対の条件下に非=消費されているであろう。)
しかし、この「TOKIO LV」には幾重もの戦略がとられている。
以下においては、「形式」としての「TOKIO LV」について分析しつつ、
それらの戦略が「商品」としての「TOKIO LV」を幾数回否定しているか
(極めて意識的に)について語り、この曲、並びにSBKを再度擁護する
つもりである。とはいえ、以下の戦略が成功か失敗かは問わない。
なぜならば、端的にこの曲はオリコン初登場10位、HMVチャート初登場2位
と、数字的に(商品として)売れており、売るという戦略においては成功している
からである。つまり、商品としての「TOKIO LV」は大成功であり、それ以上の価値
は全て付随的なものにすぎない。しかし、敢えてわざわざ売れている商品
を「商品としての戦略を否定する為の戦略が取られた商品」として分析すれば
(以下でするのだが)、この商品は「大失敗」であったとも言いうる。
そして、それだけの分析に耐えうるような楽曲なのである。
(僕は言うまでもなく、某アニメを念頭に置いてしまっている事に今更気付いた。
言うまでもなく、売れつつ、購買層、消費層を殺してしまった作品「エヴァ」を。)
まずは、タイトルから。「TOKIO LV」。このタイトルは楽曲のサンプリングネタで
ある「ラヴストーリーは突然に」という曲が主題歌であった80年代のダイヒットド
ラマ「東京ラブストーリー」の表記パクリであろう。ここに、二点の批評性が存在する。
それは、(1)モトネタを国外から持ってこなければならないという不文律への懐疑
(2)80年代を象徴するドラマを想起させることで、失われた10年という名の下に
断罪される事で何かを解ったかの様に勘違いする風潮への懐疑、である。それぞれ説明
しよう。



267 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:18
東が何をいっていたか教えれ

268 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:24
戦争遂行に反対した共産党の行動は
すべて大日本帝国枢要の陰謀であった!

269 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:24
オウムは日本政府のしわざだった!

270 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:25
すべての犯罪を生み出すのは警察の存在そのものである!

271 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:27
二項対立という「型」に(無理矢理にでも)はめ込むことができれば
すべてが相似形の鏡像であるかのように語ることは出来る。

272 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:29
もちろん、ソ連という国家の存在はアメリカの陰謀だった。

273 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:35
イルミナティとアラブ・テロリストは手を結んでいる。

274 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:37
マイクロ・ソフトと法務省はグルだ。

275 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:38
こうして陰謀説は形作られる。
世界のダイナミズムから除け者にされたルサンチマンを原動力にして。

276 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:46
「除け者」の視野は単純だ。かれは複雑なダイナミズムの、
その様々なベクトルを、それぞれにおいて見分けることが
できない(あるいはわざとそうしようとしない)。
隠蔽されたるグノーシス主義預言者的な快感!
なんと醜きことよ。

277 :吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 00:46
死ねよ、お前ら!

278 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:48
↑除け者登場!

279 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:50
スーパーフラットで+か−しかないから、
グレーゾーンな多様性ってものがわからないのよね。

280 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:54
しかしもうすでに21世紀なわけでして〜
いつまでの「80年代に恨みつらみ一杯の90年代」でも
ないでしょ〜
そんなんだから、
「90年代は80年代のおまけ。延長戦。オプションプレイ」
なんていわれちゃう

281 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 00:59
「式日」での庵野の陋迷ぶりをみれば「エヴァ」なんて
大したものじゃなかったって、わかりそうなものだけどなァ。

まだわからないのかなー東クン・・・。はーぁ。

282 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 01:11
土台、ポップ・カルチャーでナショナリズムを云々するなんて無理ありすぎ。
右翼が美空ひばり口ずさんでるんじゃないんだから。

283 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 01:21
80年代も、それが終わったときには
「80年代スカだった」論が流行ったものさ。

年代論・世代論なんて、改まって語るほどの内実は無いのに、
どうして人間はこうも「型」にはめて語るの好きなんだろうか。

284 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 02:07
>>275
でも上のやつ読むとはなからそういう思考否定してない?
サブの価値なんて売れ線の前じゃルサンチだって。
だから、百歩譲ってパラフレーズすりゃ、「売れた上でかつ批評力・殺傷力」
持ってるSBKがルサンチを持つ事は有り得ないんだから、
「実験性とキャッチーさ」の二項対立が終わってるって言いたいんじゃ
ね〜かなと。(超良心的な解釈だけどな。)




285 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 02:28
そう。だから批評主体が(つまり東が)預言者だって言ってるの。
A(鮎好き)とナルA(鮎嫌い)の二元論→それがひとつに結ばれる
弁証法/ズラされる脱構築。
ポストモダンに潜むグノーシス。

批評対象が売れても批評家にカネは入らないしね。


286 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 02:31
ルサンチマンが無いという振りをするルサンチマン。

287 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 02:36
zizek経由のalthusser解釈か〜。
叩かれやすいね(w。

288 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 02:41
分析しつつ妬みつつ妬んでないよといいつつ。。。。。。(以下略)

289 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 03:02
妬みだといいつつ妬む

290 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 03:28
相対化の行為者自身にインストールされた他者の言語。ラカソ。

291 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 03:40
すべてを<自己>の反映と見なす矮小な言説

292 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 13:25
お前ら文章で話せ。

293 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 14:33
言葉は自己を離れるかな

294 :考える名無しさん:2001/05/27(日) 21:38
バカばっか

295 :考える名無しさん:2001/05/28(月) 18:35
opaprpona-

296 :考える名無しさん:2001/05/29(火) 13:42
すまん。>>264~266ってなんなの?
まさか東がこんなことをどこかで逝ってたんじゃないよね?

297 :考える名無しさん:2001/05/29(火) 22:55
ひろきたんがかいたんだにょ

298 :考える名無しさん:2001/05/29(火) 23:47
何処で?
確かに東文体だけど

299 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/05/30(水) 00:18
ドキュンな発言だな。

300 :考える名無しさん:2001/05/30(水) 01:31
阿須マン・おん・ざ・うぇぶは英語だけの掲示板あんだ
ねー。ドキュソ荒氏対策としては考えたもんだ。誰か
仏語で投稿してくれよん

301 :考える名無しさん:2001/05/30(水) 02:45
なんで英語掲示板にフランス語で書くんだよ

302 :考える名無しさん:2001/05/30(水) 03:09
しかし、ドキュゾあらし対策になんの?

おれだったら好き勝手ごみを巻くよ。
どうせ読んでほしくもないし、読まれもしないんだから、日本語で荒れ何で荒れ
荒らすと思うなあ。

303 :考えゑ名無しさん:2001/05/30(水) 03:17
300は嵐以来

304 :考える名無しさん:2001/05/30(水) 23:53
Markus's

305 :考える名無しさん:2001/05/31(木) 01:17
>>302
荒らしても英語が分からないと反応が理解できなくて悔しい思いをするだけと思ワレメ

306 :考える名無しさん:2001/05/31(木) 03:22
で、264〜266ってどこに載った文章なの?
教えてプリーズ!

307 : RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY :2001/05/31(木) 05:49
ttp://www.suisen.sakura.ne.jp/~bau/goto/dmsp_1/file/contents/08/001.html
おまえらも勉強しろ

308 :考える名無しさん:2001/05/31(木) 20:26
オヴァルとのシンポ詳細きぼんぬ。

309 :考える名無しさん:2001/05/31(木) 20:44
>>307

柄パロの元ネタは阿部和重ね。お前こそ勉強しろよ。

310 :308:2001/05/31(木) 21:14
公式ページ英語版のBBSを見たら、ちょっとは内容が分かった。オヴァルの態度を
たんに保守的と斬って捨てていいものかどうか、あれだけじゃ判断できないけど。

311 :考える名無しさん:2001/05/31(木) 22:59
>>310

ようするに東の言うことをまとめると、「オヴァルなんて野郎の考えてる
ことは下らないんだが、音楽は良いんじゃねえの?」ってことだな。

ちきしょう!オヴァちゃんを馬鹿にしやがって!
誰か反論してやれ。俺は英検3級だから遠慮しておくがな。
らげの出番だ。唯一の取柄のドイツ語で東をギャフンと言わせてやれ!!

312 :考える名無しさん:2001/05/31(木) 23:01
俺は東にほぼ同意だな。
オヴァルに関しては。

313 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/06/01(金) 00:14
俺英検準一級だけどぜんぜん分からん。
氏ぬしかない。。。

314 :考える名無しさん:2001/06/01(金) 00:22
だから、唯一の取柄のドイツ語で東をギャフンと言わせてやれってーの!

315 :RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/06/01(金) 00:25
テストで轟沈しました。。。

316 :考える名無しさん:2001/06/01(金) 12:59
確かに視覚意外の萌えについては分析されていない

317 :考える名無しさん:2001/06/02(土) 01:22
東は性犯罪者予備軍だー!

318 :考える名無しさん:2001/06/02(土) 11:11
おばるの理論なんて理論じゃ無いよ
喜多郎とおなじエモ野郎だ

319 :考える名無しさん:2001/06/02(土) 12:21
エモってなんすか?ロック用語?

320 :考える名無しさん:2001/06/02(土) 16:34
性犯罪者予備軍・東を粉砕しようではないか!
同志諸君!!

321 :考える名無しさん:2001/06/04(月) 18:06
あら?もしかして実は誰も知らない?「エモ」。藁

322 :考える名無しさん:2001/06/04(月) 18:23
なんで喜多郎がエモなんだよ

323 :考える名無しさん:2001/06/04(月) 18:36
あずまんは『メトロポリス』どう見たのかな?
原作:手塚治、脚本:大友克洋、監督:りんたろう。

324 :考える名無しさん:2001/06/04(月) 22:08
治→治虫、の間違い。
アニメ論じるんだったら、避けて通れないと思うけど。

325 :吾輩は名無しである:2001/06/04(月) 22:28
>>324
アニメ論じるなら手塚避けて通れないだろうけど、
メトロポリスは全然避けてOKだろw

326 :考える名無しさん:2001/06/04(月) 22:29
そーゆーのは大塚や岡田に任せておけばOk.

327 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 00:58
姫神はエモですか

328 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 01:02
エモだれか説明せえやゴルァ!

329 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 01:03
人狼やアヴァロンについても無視(w

330 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 02:55
>>325
いや、でも大友克洋もからんでるしなあ。
東最近ご執心のSFでもあるし、否定するにせよ肯定するにせよ、
言及しなかったとしたらむしろ変だと思うけど。
>>326
あなたは「そーゆーの」に東が関わってるのが嫌で嫌でしょうがないんでしょうけど、
でももう引くに引けないところにきちゃってるのでは?

331 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 03:11
>>330
そうだよね、、、でじこ、、、だからね。

332 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 03:18
引き返すのにまだ遅くはないんでは・・・
このままではずっと泥沼のような。

333 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 03:59
>>330
内容と云うよりも理論展開の土台に
2D萌えの例としての“でじこ”だからな。
違うと言えば違う。
って云うか何で具体例とし“でじこ”を、、、
ぼやかしても良かったのに。

334 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 11:53
あきはばら電脳組とかがもともと好きなんだから、
残念がっても仕方ないと思われ

335 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 13:55
246=325=326だけど…
>>330
東が関わっているのはあくまで画像萌え。
その傍流として「文脈読み」みたいなのも出てくるけど、それは既に岡田斗司夫(漫画なら大塚英志)が散々やってきたことで、
『過視的〜』で分かるように、あくまで東の射程は「萌え」を中心としたヲタク文化。
東がアニメに関わっていることが嫌だとかそういった感情からではなく、
東の仕事と『メトロポリス』は『過視的〜』には関係無い、ということ。
>>333が言うように理論展開の土台が違う。

これまで書いてきたものを見ればわかるように、『アキラ』『MEMORIES』を始めとする大友作品、
『火の鳥』『X』などのりんたろう作品に殆ど言及が無かったことと、
SFというジャンルで言えば『パトレイバー』『攻殻機動隊』の押井にあまり肯定的でないことを考えると、
『メトロポリス』への言及は不可避ではないと思われる。
エッセイその他に入り込んでくることはあるかもしれないが、主著・主要作品には関わらないだろう。
ヲタとしての東について言えば、東はあくまで萌えヲタ、
岡田的ヲタネタの観がある『メトロポリス』を論ずる必然性は無い。

336 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 14:57
で、どうなのよ『メトロポリス』。O友はスチームボーイを捨てたのか。

337 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 23:02
オタクがかっこつけるのがきらいなんだにょ。

(オタクでありながら)萌えというどろどろした部分に
目をつむるやり方が気に入らないだけだにょ。

338 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 23:08
萌えって結局なんなんですか?

339 :考える名無しさん:2001/06/05(火) 23:37
そういえば電脳組の伝説の17話はどういう評価してるんだろう

340 :考える名無しさん:2001/06/06(水) 03:25
エモって結局なんなんですか?

341 :萌えとはニャンだろう?:2001/06/06(水) 05:03
萌えも分からない厨房は哲学板追放!
よって、おれの追放決定!
そんなおれってウザくなぁーぃ?


342 :考える名無しさん:2001/06/06(水) 06:59
>>340
エモーションのエモだろ。

343 :おきめぐ:2001/06/06(水) 12:17
『メトロポリス』不思議な映画だったなぁ。
同タイトルのエイゼンシュテインのハイパーバージョンみたいな絵面とか、
(そういや「大階段」もあったべな)
『トータルリコール』ぱくった感じの絵面とか、
『溝の中の月』みたいな感じとか。
「エヴァンはアニメじゃない映画の引用が多い」って某編集さんが言ってたけど、
それを意図的にやったんじゃないでしょか?

344 :考える名無しさん:2001/06/06(水) 14:50
>>342
そりゃ分かってるっての。ロック用語のエモってなによ?

345 :考える名無しさん:2001/06/06(水) 18:21
>>343
同タイトルはフリッツ・ラングでは?
主題はもろフリッツ・ラング版『メトロポリス』まんまだった。
ロボット導入により生じる階級差とか、エディプス的な葛藤とか。
「アニメじゃない映画の引用」ってのはそうだと思う。
私は『博士の異常な愛情』『ブレードランナー』あたりからの引用と
見るけど。
あとzoneっていう概念は『ストーカー』とか『2001年』からきてるのかなと。
それとアイリス・イン、アイリス・アウトといった主にサイレント期に
よく使われてた手法が多用されてた。
音楽もレトロなディキシーランド・ジャズだったな。

↑まとまりなく列挙しただけですんません。


346 :考える名無しさん:2001/06/06(水) 22:42
>>344
江本のことだよ

347 :考える名無しさん:2001/06/07(木) 14:22
>>346
誰だよ。

はやく教えろ。エモ。

348 :考える名無しさん:2001/06/07(木) 17:49
>>347
エモ(エモーショナル)コアのことでしょ。

349 :偽柄本明@アニヲタ:2001/06/07(木) 18:29
lainについてもいつか言及して欲しい。東氏としては保守的過ぎる結
論(インターネット<身体)が嫌いなのかもしれんが否定するにしろ
なんにしろ、なかなか面白いから。


350 :考える名無しさん:2001/06/07(木) 18:53
>>348
説明になっとらん!!「エモーショナルコアのことでしょ」?
それなんじゃい!!!?

351 :考える名無しさん:2001/06/07(木) 20:16
「エモ」でぐだぐだ質問してる質問君スレ違い。
別に東に直接関わるレスでもないし。
そういった板のスレで訊くとか、検索するとか。
とりあえず場所違いの質問君はちょっと感じ悪いかな。。
>>349
気になる作品に東が言及することに意味があるかどうか。
『過視的』を読んでいるのなら、例に挙がる個々の作品に殆ど意味が無いことはわかるのでは?

352 :吾輩は名無しである:2001/06/07(木) 20:24
今日の京都精華大学の講演はどうだったの?

353 :考える名無しさん:2001/06/07(木) 22:01
エモ?え萌だよ

354 :吾輩は名無しである:2001/06/08(金) 00:55
ラリってるんじゃないの?っていう質問があった。

355 :考える名無しさん:2001/06/08(金) 03:16
斎藤環との対談での東氏の、今日ではもはやフーコー流の主体モデルは無効だという指摘は面白い。
たとえばセックスについての経験やそれを語ることがなんらかの「内面」や
「主体」の形成作用を成しえない、というような・・。
ちょっと前だが宮台が「いまの援助交際してる子を「トラウマ」云々で説明してもムダ」とか言ってたのを思い出す。
斎藤環氏は精神分析の立場から、ややそういう解釈には抵抗してたけど。

356 :考える名無しさん:2001/06/08(金) 15:37
>>352
おもしろかった。
1人困った客がいたけど


357 :吾輩は名無しである:2001/06/08(金) 15:51
>352
実にくだらなかった。
わかりきった話ばっかり。ガキ丸出し。

358 :考える名無しさん:2001/06/08(金) 22:53
俺もその講演会行って来た。

>356
困った客(質問者)は二人でしょ。
一人は大阪でNPOやってるとかいう既知外。
「今アッパー系のクスリやっていますか」とかいう信じられない
質問してきた。客のほとんどが「何だこの既知外」って反応だった。

もう一人は元引きこもりだという30代のおっさん。
90分の講演会だっていうのに、質問を長々と10分間、
自分語りしつつ、延々と自分の考えを「演説」し続けた。
みんな、お前の話聞きに来たわけじゃないっつーの。
その後東の控え室に押し掛けて、ずーっと語り続けた。
なんだありゃ?


359 :考える名無しさん:2001/06/08(金) 22:55
しょーもな

360 :考える名無しさん:2001/06/08(金) 23:25
>358
講演会の質問時間に現れるバカに対処するいい方法ってないものか。

昔行った講演会に長々しゃべるバカ質問者がいて、司会者に
「質問は短くまとめてください」と注意されても、
「……長くなってすいませんけど……」とバカトークは
終わることがなかった。講師の人あきれ顔。
何とかなんないかねぇ。

361 :(゚д゚)TECHNO 暗人:2001/06/09(土) 00:17
>360

そもそも質疑応答の時間をとらないというのも手だか、
それではカッコがつかないというのなら、
あらかじめ、「都合のよい」質問を考えておき、
サクラ役のヤツを仕込んでおいて、そいつに質問させ、
司会者も、そいつだけを指名して、後は「時間が無いから」と断って、
プログラムを進めればよい。

ああ、なんて嫌なヤツなんだ、おいら・・・。

362 :考える名無しさん:2001/06/09(土) 01:52
>360
>バカ質問者

困ったことに、恥知らずだからかその手のバカ質問者って
やたらと積極的に手を挙げるよな。司会者が指名せざるを
えないようなくらい。

哲学とか現代思想とか経済学とか小難しい内容の講演会で
もその手のバカって出てくるんだ。


363 :考える名無しさん:2001/06/10(日) 07:40
注目のアニメは「メトロポリス」より、
「花右京メイド隊」でしょう!

364 :考える名無しさん:2001/06/10(日) 07:55
ていうか、ギャルゲーに関しては東はどうなの?そこいらに東自身からの言及ってないじゃん。
例えば「Kanon」は知ってるみたいだし「yu-no」も論考で取り上げてたけれど・・・、
っていうか、東、お前は誰萌えなんだ!俺は舞萌えだ!佐祐理さんもだ!うぐぅ。

365 :考える名無しさん:2001/06/10(日) 08:10
そこはかとなく栞に萌えてるんじゃねーか?>ユリイカ連載参照
あとは初音ちゃんでしょ、痕の(これは絶対)
ちなみにおれは倉田佐祐理だ、あははーっ!がよいのだ……。


366 :たまなし:2001/06/10(日) 22:57
>>363
そうだね。
ジャンルターミネーターとしての
「シスタープリンセス」と「花右京メイド隊」。

367 :名無しさん:2001/06/10(日) 23:39
しろはた読者が居るな

368 :考える名無しさん:2001/06/11(月) 04:14
>>364
ギャルゲーよりも、生げーに萌え〜〜だべ、東たんは。
成宮ちゃんとは、どうなっとんの? うまくやり〜なの?
あ、外出なら、スマソ。

369 :考える名無しさん:2001/06/11(月) 05:11
>>366
あんた、クラ板のワセオケスレにもいたな……(藁
>>364-365
ただのオタは去れよ。
(……俺はみちるたん&栞萌えw)

370 :たまなし:2001/06/11(月) 12:29
>>369
ワセオケの演奏会にも逝ったよ。

>>367
そうですね。

371 :考える名無しさん:2001/06/12(火) 00:42
え、エモ・・・ハァハァ

372 :考える名無しさん:2001/06/12(火) 02:13
東もはやくキャラ立ちしないとな〜

373 :考える名無しさん:2001/06/12(火) 11:14
>>370
早稲田の学生?大杉重男とか受けてる?
>>372
90年代デビューのアレ系の中だと、一番してるのでわ。
カラフルピュアガールってエロゲ雑誌にもネタにされてたくらいだし(笑)。

374 :たまなし:2001/06/12(火) 14:41
>>373
いや、学生じゃないよ。

375 :でじこ:2001/06/15(金) 13:09
ひろきたんのスレが下がってるにょ!
信じられないにょ〜>。<

376 :考える名無しさん:2001/06/16(土) 14:08
こんどはスタートレックらすぃい。
http://www.t3.rim.or.jp/~hazuma/profile.html
「うる星」のころの押井を思わせるらしい。
なんだか興味を持つ対象も例えに持ってくるものも・・・
退行的すぎるのでは??


377 :鳥獣戯画:2001/06/16(土) 23:53
え、えもやん……?
ちょっとワラ。
emo

378 :考える名無しさん:2001/06/17(日) 00:35
エモ・・・結局わからず・・・

379 :考える名無しさん:2001/06/17(日) 20:37
emoemoemoemo

380 :考える名無しさん:2001/06/18(月) 22:41
最近、人気ないね

381 :考える名無しさん:2001/06/19(火) 03:08
『データベース型世界』って3章除いて書き下ろし?
「世界のデータベース化」というキーワードに凄くひかれていて、
今すぐ読みたいくらいの勢いなのだけど、
東の連載など既刊のもので参照できるものってあります?
もしくは、彼が参照してる人たちとか、、。

382 :考える名無しさん:2001/06/19(火) 09:19
>>381
>>376にリンクされている彼のホームページを見てみたら?
オンラインでそういう文も出てますよ

383 :考える名無しさん:2001/06/20(水) 22:38 ID:Ba3Azozs
『小説トリッパー』の「誤状況論」は読んだかにょ?
http://opendoors.asahi-np.co.jp/span/tpper/

萌えを生産し食いつぶしていく消費文化とそれに絡め採られていく自分たち、
そうした日本のアニメ(およびそれに関連する産業の)生産状況のもとで退化していく想像力、
そんな状況でオタク浩紀くんが感じるなんとも言えない現状のジレンマを、
でじこも絡めつつ書いてるにょ!

384 :ニセひろき:2001/06/20(水) 23:16 ID:???
「ラブひな」の講談社漫画賞受賞は、日本人の想像力の死滅の象徴だ。

385 :考える名無しさん:2001/06/20(水) 23:55 ID:Ehd509cM
『トリッパー』の対談で、
状況論はひとりで語るしかないと
言っていましたね。

つまり、言葉の通じる人が同世代
にいないというわけです。

彼は時々オタクを論じるときに
世代を持ち出すんだけど、それは
やめてほしい。同い年でも、
いわゆるオタクと無縁の人も
多数いるわけで・・・自分も含めて。

386 :考える名無しさん:2001/06/21(木) 08:37
>>385
東と同世代の「批評家or哲学者」はいないからね。
文芸評論家なら鎌田や大杉なんているけれど、鎌田とは話が合わないし、
趣味があいそうな大杉を東は嫌っている。
あの二人が組めば良さそうなのに、何で仲悪いんだろう?

387 :考える名無しさん:2001/06/22(金) 23:45
大杉はルサンチマンの人だから

388 :考える名無しさん:2001/06/23(土) 00:21
性犯罪者・あずま

389 :考える名無しさん:2001/06/23(土) 00:24
「最終兵器彼女」とか語って欲しい

390 :考える名無しさん:2001/06/23(土) 03:28
>>387
東が大杉のルサンチマン振りを嫌ってる?
>>389
あんなの、全然「萌え」っぽくないからなぁ。

391 :考える名無しさん:2001/06/23(土) 03:37
>>390
おまえ、あずま?

392 :考える名無しさん:2001/06/23(土) 05:31
東氏はPpGとか見ないのかな?
萌えアニメしか目に入らないというのなら、
ちと悲しいね。

393 :考える名無しさん:2001/06/23(土) 18:06
「われわれは、ひとびとが野原でボール遊びに打ち興じ、現存する
さまざまなゲームを始めるが、その多くを終りまで行なわず、その
間にボールをあてもなく空へ投げ上げたり、たわむれにボールをも
って追いかけっこをしたり、ボールを投げつけ合ったりしているの
を、きわめて容易に想像することができる。そして、このとき誰か
が言う。この全時間を通じて、ひとびとはボールゲームを行なって
いるのであり、それゆえボールを投げるたびに一定の規則に準拠し
ていることになるのだ、と
でも、われわれがゲームをするとき、ーーー<やりながら規則を
でっち上げる>ような場合もあるのではないか。また、やりながら
ーーー規則を変えてしまう場合もあるのではないか。」

そして、このとき黒木さんが言う。あなたは、数学ゲームの規則に
準拠しなければいけない、と。しかし、彼らが行なっていることは
数学ゲームなのだろうか?

394 :考える名無しさん:2001/06/25(月) 02:23
sage

395 :考える名無しさん:2001/06/25(月) 02:25
sage

396 :考える名無しさん:2001/06/25(月) 02:26
sage

397 :考える名無しさん:2001/06/25(月) 02:28
emoemoemoemoemoemoenowm03em0emoemoemo

398 :考える名無しさん:2001/06/25(月) 03:25
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/hondat/view/baki06.htm
東君もまだまだエヴァを引っ張ってほしいにょ。

399 :考える名無しさん:2001/06/29(金) 23:00
さいきんなにやってるのかな

400 :考える名無しさん:2001/06/29(金) 23:19
東君は
デリダへの脱領土化から、
萌えアニメによる再領土化
で自滅するキャラです。

401 :考える名無しさん:2001/06/30(土) 08:36
でも、10年後くらいは東たんのひとり勝ちだよ。きっとね。

402 :クソオタM:2001/06/30(土) 12:35
哲学でいくらひとり勝ちしてもらってもいいけどな
オタのことに口出しするな。わかってねーんだから

403 :考える名無しさん:2001/06/30(土) 14:36
いまのところ最初のデリダ論以外はサッパリだから、
哲学(つーか現代思想)的にも、どーかなー?

404 :考える名無しさん:2001/07/01(日) 03:30
オタを語るならとりあえずコミケには毎回来るべきだにょ。
こげこげHOUSEの行列に加わるがいいにょ。

405 :考える名無しさん:2001/07/01(日) 22:34
だからさオタを語ってる訳じゃないっしょ

406 :NAM至上主義者:2001/07/01(日) 22:46
相変わらず、イカ臭いスレだな。
さっさと首吊って死ね、お前ら。
そのほうがお前らのためだ。

407 :考える名無しさん:2001/07/01(日) 23:29
おたくの人と東さん、喧嘩したらどっちがつおいの。

408 :考える名無しさん:2001/07/02(月) 15:28
さいきんなにしてるのあずまぁは。

409 :NAM至上主義者:2001/07/02(月) 16:51
>>408
幼女をレイプしているそうだ。

410 :考える名無しさん:2001/07/02(月) 17:28
> いまのところ最初のデリダ論以外はサッパリだから、

ううん、批評空間デヴュー作の試論がすごかったYO!
分析する手つきがよかった。腑分け具合というかね。ああいう分類は
浅田的には悪い癖と呼ぶようだけど、へんにどろどろするよりはよっぽどいいよ。

411 :考える名無しさん:2001/07/02(月) 18:13
>410
共感するけどデビュー作を誉めるのはもういいよ
本人もそう思ってるだろ

412 :考える名無しさん:2001/07/02(月) 23:13
明日慶應で話しするね。

413 :考える名無しさん:2001/07/03(火) 01:22
奥さんの小説を読んで勉強してます。

414 :考える名無しさん:2001/07/03(火) 01:36
>>410
×デヴュー
○デビュー

これはフランス語でdebutなの。

415 :考える名無しさん:2001/07/03(火) 22:44
今日の話聴いてきたよ。
目新しい話はあまりなかったなー。
ラカンはフロイトの精神分析の流れではなくドイツ観念論の流れから見る
べき、みたいなことを言ってたのが初耳だったけど、東氏は以前からそういった発言をしてるの?

416 :考える名無しさん:2001/07/04(水) 01:00
>>415 ラカンがコジェーブのヘーゲル講義に多大な影響を受けていることは
   よく言われているので、東君のオリジナルじゃないよ

417 :Rage Against The Philosophy@至高の存在:2001/07/04(水) 01:08
コジェーブ講義聴いてるやつ多そうだなぁ

418 :考える名無しさん:2001/07/04(水) 01:40
イカ臭い・・・

419 :吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 20:43
また海の香りが……。

420 :考える名無しさん:2001/07/04(水) 20:53
白い粘液が・・・・・・

421 :ゾマホン:2001/07/04(水) 20:54
意味のないことは書かないで巣です。
くだらないですです。

422 :考える名無しさん:2001/07/04(水) 20:57
>>421
それはお前だ。

423 : :2001/07/06(金) 00:39
アニメやオタクを現代思想に当てはめて分析するだけじゃなく
もっと手広い分野の文章書いてくれないと
アニオタじゃない俺には何が言いたいのかサッパリわがんね

424 :考える名無しさん:2001/07/06(金) 00:46
観念論には唯物論で対抗!

425 :考える名無しさん:2001/07/06(金) 02:27
東君とつきあいたいわ。

426 :考える名無しさん:2001/07/06(金) 03:35
多分既出だろうけど、英語で東君とお話できるよ。
http://www.t3.rim.or.jp/~hazuma/bbs/index.cgi

427 :考える名無しさん:2001/07/07(土) 01:02
このスレはイカ臭いヲタの巣窟です。

428 :考える名無しさん:2001/07/07(土) 17:34
7月12日に東たんは慶応SFCに来ます。
小田急湘南台駅で降りて、そこから慶応大学逝きの
バスに乗ったらつきます。もぐりも大丈夫です。

気合いの入った質問できる人、是非いらっしゃって。

429 :考える名無しさん:2001/07/07(土) 17:41
>>428
うちのキャンパスかよ!

430 :考える名無しさん:2001/07/07(土) 17:46
>>429
ちょっと辺りを見回してみちゃった。
INメディア一階。

431 :考える名無しさん:2001/07/07(土) 20:06
イカ臭いスレ・・・

432 :考える名無しさん:2001/07/11(水) 03:53
>428
去年に続いて二度目、しかも同じ授業で。
どういうつながりなんだろね??

433 :考える名無しさん:2001/07/11(水) 16:37
>>426
しらんかった

434 :Invitation Student:2001/07/11(水) 18:00
>>426

さっそく、ちょっとアラしてみました。

435 :考える名無しさん:2001/07/12(木) 21:33
>>434
暗いな〜

436 :Invitation Student:2001/07/12(木) 22:31
>>435

私は掲示板を見るとアラしたくなる「むぎ茶シンドローム」なのです。
斎藤環先生に分析御願いしたいです。

437 :名無しさん:2001/07/12(木) 23:34
葉鍵に単純に萌えてる連中は「動物的」なんだろうか?
動物だったら萌えたらヤりたくなるんじゃないのか。

逆に「萌え」ってすさまじく人間的な行為ではないのか。

438 :名無しさん:2001/07/12(木) 23:35
要するにある種の感覚と反応の切断が起こってると言うことではないのか。
ひろたん答えて。

乱文失礼。

439 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 01:32
環せんせーとの何はどうなったのよ。

440 :Degiko:2001/07/13(金) 18:09
せっかくの英語掲示板の存在意義を疑う輩が現れたので、嗜めてやりました。

441 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 19:51
なめた?

442 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 20:47
たしなめた→嗜めた

なめた  →舐めた

443 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 20:50
動物的ってそういうことじゃ・・・

444 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 20:51
>>442

たしなめた→嗜めた、は自分の行いを反省する意味で、他人に反省を
促すのは違う漢字(変換できない)。

445 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 22:12
イカ臭くてたまらないね、このスレ。

446 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 22:16
東大の表象文化での、東君の位置ってどんなもんなんですか?

447 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 22:16
嗜めた>自分
窘めた>他人

こんなの?

448 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 23:08
>>445
お前の鼻にイカでも飼ってるんじゃねえか?

449 :445:2001/07/13(金) 23:16
>>448
それはイカんざき。

450 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 23:20
スペルマ地獄

451 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 23:35
頭悪いなら無理して書き込まなくてもいいよ。

452 :考える名無しさん:2001/07/13(金) 23:41
東君に近い人の仕業でしょー

453 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 01:33
でじこの顔に精液が・・・

454 :あげぞう:2001/07/14(土) 01:34
お初です。

あの、質問があるんですけど、答えてくれる人いますかね?
東君の本って一切読んでないんですけどワラ、
ナンカ話題になったのは真新しいことが書いてあるからなんですか?

最近Webで東君の引用ばかりする人を発見しまして、
「で、結局キミは何が言いたいの?」
と質問すると逃げていくんですよね。
なんか否定神学的思考を批判して「大きな物語(デイオロギー)に頼るな」とか言って、
最終的にはポストモダニズムすら批判して1人だけ高みに立った気分に立っているようなんですけど、
私が彼(東君のばったもん)から読みとれたのは
「郵便的不安(?)を抱えながらイデオロギーに頼らずに生きろ」
というメッセージ性のようなものでした。
もちろん
「じゃあ具体的にはどのように生きればいいのかか?」
と言う問題は置いておくのですが。

これって実存主義じゃないですかね?
少なくとも精神的態度というか志向性は、
何かしら形而上学や宗教に頼らずに、世界と自分との関わり方を求めている、と感じられるのです。
で、どうやら東君は宮台が持ってくる「ニーバーの祈り」に共感するとか?
ラインホルト・ニーバーって、おそらく宗教的な実存主義と言えるのではないかと思うのですが。

ということで、私は
「東君は、ポストモダンをグルッと回って実存主義に戻ったのね」
と思うのですが、さてなんかご意見頂けますでしょうか?

455 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 01:46
もし、その彼や東をその時点で完了した、そうみなしたなら
あなたのいうとおり>実存主義にもどり

でもあなたのまちがいは、というか誤解は
そしてこの誤解は「おまえけっきょくなにがいいたいわけ?」とせっかちに
究極を求める向きには回避できにくいし、たしかにそういう問いかけはわからなくもないからいいんだけど、
---彼らが思索をある時点で完了したとみなすところにある。
実際には彼らもあなたと同じ問いを自分にぶつけている。そして、とりあえず
いまのところじぶんはここまで歩んできたが、その先をしるものはいないか。
いるならヒントを提供してはくれぬか、そういってはいないかとかんがえてみてほしい。
あたたかくみまもることも、まあ、どんな人にでもあっていいことでしょう。
あなたがせっかちなのかそれともそういうものであって正当かは意見がわかれるけども。

実際には、ある方向を示したとたん、それまでの自分の議論や展開がその方向ある主張を
含みこんで批判するわけだから、何もいえないってのは、それ自体、ある種誠実です。
そうした批判と飛躍または切断の軌跡をいちち描写すること、
とりあえず哲学者、哲学学者はするでしょうね。それは、べつに、自分は人のいない高みに立っていることを
誇示していることでもなんでもない。いまふうにいうと、
たんにソースをオープンにしているだけです、ってこともあります。

456 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 02:03
モラトリアムっちゃモラトリアムなんですけどね。
決断主義やアクティビティには分が悪い。

457 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 02:15
>>417
岡本太朗が聞いてたらしいね

458 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 05:57
「トリッパー」の大塚と東の対談については、ここではなんも取り上げられてないね。
まあ、オタク系の話に偏りすぎな面は否めないけど。
まあ、でもそれなりに面白かったと思うけど。
というか、大塚、アンタ、ホントにただのデブオタクオヤジだったんだね・・・。
あの仕事場は・・・ちょっと・・・。
ああ、でも最近東の身だしなみがきちっとしていて安心。
島田雅彦との対談とか、山根信二との対談とかの時の東の写真はヤバかった・・・。
もう、ヒゲはやすなよ。

459 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 09:05
>>458
あんた大塚をなんだと思っていたのかい?
なんといってもマンガブリッコの編集長だったわけで。

460 :吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 09:47
あと五年もしないうちに、東は単なるデブ・ハゲ・オタク。

461 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 10:58
>>454

読んでもいない馬鹿が質問してんじゃねえよ。
実存主義回帰だ?宮台じゃねえんだよ。

462 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 11:04
>>455
東が常にメタレベルを目指すのは、言わずもがな彼が病気だからです

463 :あげぞう:2001/07/14(土) 12:27
>>455
レスどうもです。

>---彼らが思索をある時点で完了したとみなすところにある
そのつもりはありませんでした。なので、

>>少なくとも精神的態度というか志向性は、

と書いたつもりだったのですが。
何か若いようなので、思考それ自体が完結すると言うことはないと思いますし。
むしろ「思考」よりは「問題意識」において完結してしまうほうが懸念されるかと。
例えばハイデガーの後期の作品なんかはひたすら堂々巡りに思えるけど、
それこそ彼が政治論とかの問題意識を持っていればもっとオモシロイ哲学者になったと思う。
もちろん、ハイデガーがオモシロクナイとはいいませんけど。

>>456
モラトリアムが許されたのはバブルの時期までのような気がしますね。
イマドキの学生がモラトリアムで留年とかしてたら、
まあ就職先なんてなくなってしまうでしょうねワラ
プラグマティックな観点からの批判になってしまうけど、
現在求められているのはそれこそ新しい決断方法とかだと思うけど。

ポストモダンというバブル的享楽の思想の恩恵を受けていたかつての知識人階層、
誤解されるかもしれないけど、わかりやすく言うと『批評空間』の連中にウケただけでは?
実際の大学の哲学研究者にはどのように受け入れられているんですかね?

>>461
すみませんね。
ここで質問してみて「読む価値がありそうだ」と思えたら読もうと思っていますので。

464 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 14:48
ハイデガーには中期というのがあると思うんだよね。ニーチェの「力への意志」に
決定的に影響されてた時期ですね。
実は東君の脳にもニーチェのモジュールをインストールする余地があるんじゃないかと。
それで再びアクチュアルな言説を作れるかもしれんと思ったりします。

465 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 15:09
ニーチェは疲れるにょ。

466 :考える名無しさん:2001/07/14(土) 18:25
でじこでオナニーばっかしてるから疲れるんだよ、>ヒガシくん

467 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 01:11
>>464
デリダが70年代に実践したという「フロイト的脱構築」というのは狭いよね。
フロイトより広大な人間の心理形態について洞察したのはニーチェ。
浩紀ちゃんには現代思想におけるニーチェ的な要素、ツァラツストラ的な
健康さが無い気がするね。それでオタクなのか。

468 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 02:34
真面目な人はニーチェに逝っちゃうにょ。

469 :あげぞう:2001/07/15(日) 02:55
>>464
ハイデガーのニーチェ理解の基本は2つだと思う。
彼の存在論文脈における「永遠回帰」と、
彼の???文脈における「力への意志」の2つ。

「永遠回帰」のほうは存在者を固定的なものとして見ようとする伝統的形而上学を、
ヘラクレイトス的な視点から批判したモノとして考えるととりあえず理解可能。
ところが「力への意志」のほうがよくわかりません。
明らかに存在論の文脈とも関係してるんだけど、
いわゆるナチズム的な政治論の文脈のほうが強かった気がするんですよね。
通俗的になってしまいそうですが、
実際ハイデガーが『ニーチェ』を書いてた時期って、
ちょーど1933前後か直後だったように思うんですよ。
誰か詳しい人いないですかね?

>>467
デリダ(ポストモダン)がニーチェから学んだことはパースペクティヴ=相対主義ですが、
学ばなかったのはニーチェ的人間主義のほうですね。
ニーチェ的人間主義とは、
「ディオニュソス」に象徴される一連の反キリスト教的な実存主義、
と言うことになるのだと思いますけど、
東君にはそのような基本的な人間礼賛はナイんですかね?
ポストモダンのように人間の思考の特徴を批判しても、
あんまり生産的でないなぅと思うんですけど。
むしろ、そういう批判があることを自覚した上で、
「人間だから」と開き直ったほうがなんぼかマシのような。
ニーチェはまさにそうなわけで、
すべてを相対化する可能性を自覚しながら自分の思想は絶対化したワラ
だから健康なんですね。

ところで、東君の著作に対して、
今村仁司あたりはなんて言ってるんですかね?

470 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 05:40
>>469
『現代思想』誌のハイデガー特集号の年表には1929年の冬
あたりからニーチェの影響が決定的になったとの記述があります。
ハイデガー全集の「ヘーゲル精神現象学」(1930?)でも、既に
「力」概念が現れていました。これは、それ以前にはハイデガーが
用いることがなかった概念です。それが政治論に回収できるのか
それとも彼の思索の本質に触れるものなのかは微妙な問題でしょう。

>東君にはそのような基本的な人間礼賛はナイんですかね?
彼にはディオニュソス的な人間肯定はないね。
ディオニュソス祝祭で犠牲を捧げるより、コスプレで
アニメ・キャラのポーズ決めてるでしょうね。

471 :比ヤング:2001/07/15(日) 06:51
このあげぞうって人さぁ、「予防拘禁!」とか「ポストモダンは全部クソ!」
とか「モダン+ニーチェがあればそれが全てだ!」「脱構築なんてケッタイな概念
使わなくてもニーチェだけで十分だ」「俺は東なんか絶対に読まない、読みたくない」
「宮台真司は小林よしのりや西尾幹二と同じ」などの主張をしているよ。

472 :比ヤング:2001/07/15(日) 07:24
このあげぞうって人さぁ、読んでないのに「東って実存主義、
ヒューマニズムなんだろ?」とか言うから、そのヒューマニズム
ってのは『表象のディスクール1』に入ってる「想像界と動物的経路」
という論文で批判していて云々かんぬん言ったら、「俺は読まない」
とか「語るなよ」とか言うんですよね。とにかくワガママなんですよ。
あと、「ポストモダンは無意味な誤読ばかりだ」って言うから、
モダン大好きなあなたは紙幣を使わないでくださいよ、
あれはただの印刷物だから誤読しないでね、
金でお買い物してね。って頼んだら無視したし。
ゲーデル的パラドックスは誤読と違うの?ってのも一切無視。
ラッセルのタイプ理論が好きらしい。
ほかには、欲動って何?とか。人に聞く前にYahoo!やgooで(以下略)

473 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 07:27
>>471
それらは主張というよりも、ポストモダンに毒されたお前のみに
向けられた警告みたいなものなんじゃないのかい。
だからお前はそれらを相対化して受け取らなきゃいけないのではないのかい。

というか、告げ口小僧みたいな書き込みは恥かしいのでやめたまへ。

474 :比ヤング:2001/07/15(日) 07:32
や、ニーチェ→予防拘禁って思想が丸見えでしょ。
ポストモダンは全部クソ!ってのは、もう最初から
言ってますよ、彼。べつに僕だけに向けられたものではない。

475 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 07:33
>比ヤング
いや、批判すんの私は別に何とも思わないけどさ、、、
哲板のスレでそんな事が有ったワケ?
ソースを提示しないと貴方の方が不利だよ。

哲板内でコテハン使ってあから様に変節してんならさ、、、

476 :比ヤング:2001/07/15(日) 07:37
別のサイト(あめざーねっと2)の話題なので、
最初に彼がリンク張らないのはおかしいと思うんですけどね。
1000レスくらい行ったスレが3本くらい、あと600レスくらいのが
数本ありますから読んでもらうのも酷なんだけども。
最新のはこれhttp://www.amezor.to/main/010710235636.html

477 :比ヤング:2001/07/15(日) 07:46
あ、僕のまてぃがってるとこがあれば指摘してくださいね。
なんせ、独学でほんの少し齧ってるだけなんで。

478 :比ヤング:2001/07/15(日) 08:07
>で、どうやら東君は宮台が持ってくる「ニーバーの祈り」に共感するとか?
>ラインホルト・ニーバーって、おそらく宗教的な実存主義と言えるのではないかと思うのですが。

東がニーバーに言及した文章は見たことが無い。ニーバー云々は
僕が宇多田ヒカルと宮台を絡めた文を書いたときに出したのが最初で。
東と絡めて書いたことは一度もないんですが、なんでこんなことになってるんでしょう?

479 :比ヤング:2001/07/15(日) 08:16
>434投稿者:あげぞう  投稿日:2001年07月13日(金) 19時51分59秒
>
>で、ニーチェ自身は『運命愛、永遠回帰、超人、権力への意志』といった明確なイデオロギーを主張しますから、
>明らかにモダンなわけです。
>明確なイデオロギーを主張しないデリダなんてクソでしょ?
>「イデオロギー批判というイデオロギー」という自己矛盾を絶対に克服できないじゃん。
>
>何かを語るということは、当然その何かに対する自分の判断・価値観も含まれるわけで、
>読者のように論理学的に記述のみを追究しようと言うのは、日常言語に対する大きな誤解ですよワラ
>何かを語るということは、すでにイデオロギーを語っているわけで、
>それはデリダであろうが東であろうが比ヤングであろうが一緒じゃん。
>なんでそんなことがわかんないのかなぅぅぅぅぅ?
>デリダ自身が東や比ヤングが「自己愛」という「画一的なイデオロギー」に染まってるだろ?
>そんなことはナイというのなら氏んでしまえ。
>自分すら愛せないというのなら、氏んだほうがマシかもしれんからねぇぇぇぇぇ。

どう思います?読んだこと無いのに「デリダはクソ」って・・・

480 :比ヤング:2001/07/15(日) 08:23
>435投稿者:あげぞう  投稿日:2001年07月13日(金) 19時52分21秒
>
>だから、他人を批判するだけでそれこそ新しい「価値」を生み出さないデリダは終わってるんだよん。
>読者の言う「主観」というものがデリダには欠けているんだよん。
>それって人間の否定なんだよん。
>なんらかの「価値=イデオロギー」に乗ることさえ許されないと言うのなら、
>それこそ人間はなにもできないでしょうぅぅぅぅぅ?
>
>様々な「価値感=主観=権力への意志」で成り立っているのが世界であって、
>その状況をドゥルーズは「リゾーム」と呼び、
>「主観と主観の間にある共通性によってヘーゲル的に止揚するのではなく、
>主観と主観の間にある差異を肯定せよ」と言ったわけでしょ?
>で、ドゥルーズはそれだけなんだよな。
>
>現実社会において重要なのは「差異」が具体的にどのような「差異」なのかを見極めることだよ。
>「私とあなたの違いはナンデスカ?」ってね。
>
>読者はドゥルーズ的に「差異を肯定しろ。俺とオマエを一緒にすんな、ヘドが出る」というだけなのよ。
>でもね、それじゃあ困るわけよ、世の中ってのは。
>「俺とオマエは違うけど、じゃあ具体的にどこが違うんだ? お互いに許容できるところはどこなんだ?」
>というのが世の中でやってることでしょ?
>で、おそらく掲示板でもこのようなスタンスで望んでいる人が多いんじゃない?
>ところが読者は開き直って独善的に、
>「オレはオレの訊きたいことを訊くだけ〜」
>って子供じみたことをやると宣言しているだけ。
>まあ、いい大人のやることじゃないし、比ヤング以上に自己愛型人格障害なんじゃないかと思うよ。

僕は重度の鬱病とか、破瓜型や単純型の分裂病と診断されたことは
ありますが、自己愛型人格障害と診断されたことは一度もありません。

481 :比ヤング:2001/07/15(日) 08:31
>449投稿者:あげぞう  投稿日:2001年07月13日(金) 20時32分14秒
>
>あのさ、漏れの推測で思うことなんですけど、
>東=比ヤングの言ってることって、なんつーか「デジャヴ」なわけ。
>
>インターネットが普及して世界が変わってるとか言いたいのかも知れないけど、
>そういうのってアメリカで大衆文化が根づき始めた頃に言われた状況に似てると思うんだよね。
>アドルノとかはさかんに大衆文化批判をしたけど、
>結局大衆文化「も」根づいただけで、世界がスッカリ変わったワケじゃないって。
>インターネット「も」根づくけど、インターネットだけが世界じゃないって。
>だからなんつーか「歴史は繰り返す」という古典的テーマを再認識させられる思いですねぇ。
>
>ということで、
>
>>>それって人間の否定なんだよん。
>>
>>だから「データベース的動物」なんだよ(笑)
>
>というのは大衆文化批判のときの「自己喪失」という文脈にソックリというかパクリとすら思えるワラ
>まあ、そんなパクラーの東君にコロコロッとダマされる比ヤングはカワイイけどねぇ。

こんなくだらない人間の文章を転載されるのもウンザリするでしょうが、
二次テクスト含めて全然読んでもいないのに「パクラーの東君」とか
「ダマ」すとか、言って良いものなんでしょうか?
トリッパー読んで「大塚英志の『物語消費論』ソックリだね」とか
思うんなら問題無いんですけどねぇ・・・

482 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 10:32
イカ臭さを通り越し、タコ臭くなってまいりました。

483 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 10:51
>534投稿者:あげぞう  投稿日:2001年07月06日(金) 23時38分52秒
>
>>比ヤング
>つーか、こうなったら意地でも東なんかは読まん。
>読む気がしない。
>ポストモダンの自己矛盾的構造をいかに克服しているかを証明してくれてからでないとイヤだ。
>「ポストモダンなんてのはニーチェ的モダン批判で充分だ」
>と何度言えば分かるんだ???
>オマエこそその意味を汲み取ってからモノを言え。
>東なんてポストモダンのブームが去った後に揚げ足取りしてるだけだろ(w

これはヒドいね^^;ワラ

484 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 10:55
おろかな言い合いなんだからあめぞうに帰れよ。
あげぞうはこんなところで非ヤングのことをなげくのばかだし
非ヤングもこんなところで援護を待つよりは
ネットの掲示板なんか捨てろよ。いいかげん。
こんなやりとりばかりなんだってことはおまえがいちばんよくしってるはずだよ。
それでいいんだとおもえるんだろうけどね。こういうやりとりでじかんをつぶすので
おれはいいんだとおもえるわけだろう。でもね、やっぱむだだよ。
実際に東に会うとか、実際にデリダに会うとかしないといみねえよ。
こんな議論に終始するだけだ。
それから、病気に関しては医師の診断を絶対化する必要はないし、
書籍の分類だってあやしいわけよ。ああいうのは患者をなおすために必要な便宜的分類表めやす
なんだから。なんとなれば君がなおるかもしれないというきっかけを医師がみつけたら
迷わずに君を自己愛タイプというだろうね、医師のほうもある意味で、命がけでね。
君の熱烈な反論があろうから。そのうざさとたいじせにゃならんからねえ。

485 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 10:57
ああ、何ということでしょうか。
この神聖な2ちゃんねる哲学板が場末の4流掲示板の馬鹿共の口喧嘩で
汚されていくなんて!

「郵便的不安を抱えながらイデオロギーに頼らずに生きろ」
「むしろ、そういう批判があることを自覚した上で、「人間だから」と
開き直ったほうがなんぼかマシのような。」
「モダン大好きなあなたは紙幣を使わないでくださいよ、あれはただの
印刷物だから誤読しないでね、」
「自分すら愛せないというのなら、氏んだほうがマシかもしれんからね」

この低次元な哲学解釈の数々!!
おお汚らわしい!
東が怖れていた最悪の事態が今ここに展開しているのです!

486 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 10:59
塩をまけ、塩を

487 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 11:02
誰かでじこを呼んできて

488 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 11:04
デリダや東に
人生処方箋をもとめるなんて最初からばかだ。
河合隼雄でもよんでれ。
悲惨極まりない。
人生ほしけりゃほかの分野のベストセラーでもよめや
つうか、人生ならきみらのほうがなんぼかましな知恵をもってるってのは
君ら自身がよくしってることだ。それをこんな形で威張り散らすのはよせ。

489 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 11:17
いややっぱり非ヤングはおもしろいからネットの掲示板にいてほしいぞ!!

556投稿者:比ヤング  投稿日:2001年07月14日(土) 22時31分29秒
東の批判をするなら、読んでからのほうがいいんじゃないの?
ってことを言ってるだけ。読みたくなければ読まなきゃいい。

557投稿者:>556  投稿日:2001年07月14日(土) 22時35分52秒
違うなあそれ
先にそれを引っ張りだしてきたのお前だし
まず「読め」って言ったのお前だよ
まともに一対一で反論できないからそのまんま東なんか引っ張ってきやがった
まずお前は相手の意見無視ありきなんだよ

558投稿者:比ヤング  投稿日:2001年07月14日(土) 22時39分51秒
そのまんま東なんか引っ張ってないよ。

559投稿者:ワラタ  投稿日:2001年07月14日(土) 22時40分49秒
役得だよ>ヒヒ

490 :さくらんぼ:2001/07/15(日) 11:44
比ヤングには 失望しました(^o^)/
ここで あたらしいお友達みつけて
あげぞう征伐にでも いってくらはい「わらい(^-^)」

491 :比ヤング:2001/07/15(日) 12:00
>485

>「モダン大好きなあなたは紙幣を使わないでくださいよ、あれはただの
印刷物だから誤読しないでね、」

>この低次元な哲学解釈の数々!!

ネタをネタとわかるユーモアがほしいにょ。

>488

>デリダや東に
>人生処方箋をもとめるなんて最初からばかだ。

そりゃそうでしょ。だから本人に会う必要も感じないし。
会ってどうすんの。書かれた理論と本人は違うでしょ。無縁ではないけどさ。

492 :さくらんぼ:2001/07/15(日) 12:32
はたからみてると 君はそのまんま
  「東教の宣教師」にみえるんだよ〜〜(^^;
>>488のような 意見がでてきても 不思議じゃないよ〜
僕も そう「誤解」しているからね(^o^)/

493 :比ヤング:2001/07/15(日) 12:52
つーか東が居ない居ないと嘆いてた「朝日ジャーナル的中間層」に
ハードな哲学解釈を要求するのは知の傲慢でしかないよ。
もし東本人がそのような次元を読者に求めているなら、
一般書として出すなよ、と言いたいね。
アカデミズムを可視化するのは結構だけど、「低次元な哲学解釈」
を怖れているなら、かなりの馬鹿なんじゃないの?
高次元の解釈やってほしいならアカデミズムでクネってりゃいいのさ。
あげぞうみたいな自称東大哲学科卒の人間にはいくら要求したって
いいだろうけどさ。まあ東はそんなに馬鹿じゃないよ。

494 :464:2001/07/15(日) 13:03
とりあえず東君にはニーチェ的肯定がないという点は本当ですね。

495 :比ヤング:2001/07/15(日) 13:13
ニーチェは意図的に排除してないかな。
ほとんどニーチェの名前すら出てこないでしょ。
『存在論的、郵便的』読んだだいぶ後で『大航海』の
バックナンバー見て、はじめて
デリダとニーチェに深い繋がりがあるって知ったよ。
良くも悪くも、毒が強過ぎるから避けたんじゃないの。

496 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 13:15
わかってねえんだよ。
ノリつーの?グルーブつーの?
あんだよ。哲学とか思想には。
それをつかんでねえんだよ。この馬鹿共はよっ!
東はイケてんだよ。わかる奴にはわかんだよ。
例えば文芸批評!
阿部和重と多和田葉子!
この2人への言及だけで「福田は糞で東OKじゃん」ていうノリ?
宮台のあしらい方、柄谷への急所突き、鎌田へのからみ。
この種のふるまいで「東いいじゃねえか!」つう、とっさの判断。
要は勘よ。
思想は勘よ。
インスピレーションよ。
後は文学センスよ。そして仕切りの上手さよ。浅田なんてそれだけよ。
さらにはネタ野郎のチョイスよ。例えば村上隆!
そういうの全部ひっくるめてノリで判断よ。
そして顔よ。人間最後は顔よ。
首から上が哲学よ。

497 :比ヤング:2001/07/15(日) 13:47
あのグルーヴがなきゃあんな難しい内容は読めなかったな。
柄谷も鎌田も、少し読んだ限りでは、似たようなグルーヴが
あるけど。浅田が同じ内容を書いたって、俺には100年たっても
読めないとおもう。上モノしか聴こえないっつーの?
リズムにノレないんだよね。
俺はたまたまエヴァ論読んで、こいつイケてると思ったから、
哲学なのか何なのか知らないけど読んでみたわけで。
それは誤配ってことでいいんじゃねーの?
つーか100ページ過ぎるあたりまで、マジでフツーの入門書だと思ってたよ。
哲学の入門書ってこういうもんなのか、へー。って、そんなノリだよ。

そもそも俺のとこに来たのが誤配なのに、それをもういっぺんバラ撒いたら
すぐ「宣教師」呼ばわりされんのは、なんか納得行かねーな。

498 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 14:27
結局哲学なんて「人間だから」の人生論に太刀打ちすら出来ない代物だって事か。

結局守村大や北方謙三が一番正しいって事か。

空しくて死にたくなってきた。

499 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 14:28
>そもそも俺のとこに来たのが誤配なのに、それをもういっぺんバラ撒いたら
>すぐ「宣教師」呼ばわりされんのは、なんか納得行かねーな。

君ね、それが現実だよ。
現実に君は「宣教師」に見えるんだな。

500 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 14:37
500

501 :比ヤング:2001/07/15(日) 14:38
「宣教師」つーか「郵便配達員」ってノリだよ。

502 :小泉:2001/07/15(日) 15:16
比ヤングを民営化します。
反対者は抵抗勢力です。

503 :比ヤング:2001/07/15(日) 15:19
だからクロネコでも飛脚でも何でもいいんだよ。

504 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 15:25
そんな郵便配達員は願い下げ〜〜〜
エホバの証人くらい狂信入ってるよ・・・・・コワ

505 :比ヤング:2001/07/15(日) 15:34
要するに、東だけを語るから狂信的に見えるんだろ?
俺は東がデリダとエヴァを等価に語るように、
東とエレカシを等価に語るから。↓おんなじじゃん。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/deadly-drive/positivelog/gas.htm
またある時は柄谷カントと高橋徹也(哲哉じゃない)を等価に語るだろうし。

506 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 15:49
非ヤングがたくさんのひとをかたっても
それぞれの宣教師にみえるとおもう。
それは君のいつもの切迫した態度に関係がある。
求道者っぽいところが、どことなくあるから。

キャラヲ変えなきゃ。軽薄な漢字、中身のない漢字に

507 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 15:56
>非ヤングがたくさんのひとをかたっても
>それぞれの宣教師にみえるとおもう。

同感。何故比ヤングは押しつけがましいかね?

508 :比ヤング:2001/07/15(日) 16:03
この「比」という漢字は、呂比須の比で、
読み方は「ぺ」ですよ。
比→ヒ ヒ と直ちに撒種されるし。
すると、中身がありすぎるからいけないのか。
無意味な中身ですけどね。
まあ、求道的なところはしょうがないです、切迫してるし。
それがないと、でじこのエピゴーネンみたいなもんになっちゃうでしょ。

509 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 16:03
哲学人・思想者でなくて、「信仰者」だからだろう。

510 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 16:07
先行者か。

511 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 16:10
切迫しているらしい

嘘で塗り固めた人生にも限界はあるということですかね
一生病人のフリはキツイしね

512 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 16:10
ご追従といういみでは軽薄だろうと重かろうと関係ない。
えぴg−念さ。
で、もんだいはだ、非ヤングはそのままであるよりないってことを
本人自身しってるし、おれらもしってる。こればかりは変わりようがない。
このことは、あげぞうのようなばかからの批判というよりは嫌悪もまた
これから向けられつづけるってことを意味する、。
それに対してはいまだ、有効な回避術、戦術、うまいかわしかた、笑いを取る手名づけ方を
だれも提案できていないこと。もちろん、私も提案できそうにないが。

513 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 16:15
比ヤングはそのままヴァカで居続けてください。
ヒッキーでいいです。

514 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 17:07
俺のあだ名、アチョー川崎(笑)

515 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 17:47
あわれ比ヤング思想渡り鳥。
宮台→東と来て、その次はだあれ?

516 :さくらんぼ:2001/07/15(日) 17:49
郵便配達のおいさんは メッセージの伝達者であって
それ以上でも以下でもないよ
メッセージの中身なんて関心ないから
それが酷評されようが 軽くみられようが
どうでもいいことなんだよ

まあ>>508で それとなく ほのめかしちゃてるけどね(^^;
求道者って、、、ずいぶんおしゃべりな求道者だね
それが ぼくには 宣教師におもえたりします(^o^)/

たまには 配達員にてっするのもいいかもね
ひたすら そのまんま 東のメッセージ 掲示板に
ばらまくことに徹して 閲覧者の反応は無視する
反論したいっていう欲望は ひたすらおさえる(^-^)

こういった 禁欲的な態度も 修行のひとつとして
たいせつだと思います(^o^)/

517 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 19:30
比ヤングという方は、この筋の掲示板では有名な人なんでしょうか?

518 :考える名無しさん:2001/07/15(日) 19:51
だったら名無しでいいにょ。

519 :Rage Against The Philosophy:2001/07/15(日) 23:25
よくわからないけど
上の「あげぞう」の書き込みを見る限り
こいつはかなり面白いなー
素人的な読解かもしれないが見込みはありそうだ。
東の「郵便的・・」と浅田の「構造と力」の大きな違いは
前者が観念論的であること、これに尽きる。
あげぞうは「現実の人間関係は人間同士の差異の中身を巡って構築されるような
非常に政治的な力場なのだが、それに対して「全ては差異の反復だ」って公式を当てはめても
現実の人間関係に対しては何の効果も与えない」
こういう極めて常識的な見地を述べているに過ぎないが。

520 :Rage Against The Philosophy:2001/07/15(日) 23:28
浅田は観念論の限界を悟っている。
だから或る意味浅田は哲学者ではないの。

521 :あげぞう:2001/07/15(日) 23:39
>>470
>これは、それ以前にはハイデガーが
>用いることがなかった概念です。それが政治論に回収できるのか
>それとも彼の思索の本質に触れるものなのかは微妙な問題でしょう。
レスどうもです。
その「微妙な問題」をもう少し切り開いてみたいと思うのですが、
なんか方法はないでしょうか?

>彼にはディオニュソス的な人間肯定はないね。
>ディオニュソス祝祭で犠牲を捧げるより、コスプレで
>アニメ・キャラのポーズ決めてるでしょうね。
「コスプレでアニメ・キャラのポーズを決める」というのも、
ある意味ではミメーシスという芸術的手段であって、
人間の本質・人間礼賛であるように思われますがワラ

522 :あげぞう:2001/07/15(日) 23:39
>>478
>東がニーバーに言及した文章は見たことが無い。ニーバー云々は
>僕が宇多田ヒカルと宮台を絡めた文を書いたときに出したのが最初で。
>東と絡めて書いたことは一度もないんですが、なんでこんなことになってるんでしょう?
ああ、じゃあそれは私の誤解です。

>>485
>この神聖な2ちゃんねる哲学板
ワラタ

>>488
>デリダや東に
>人生処方箋をもとめるなんて最初からばかだ。
いや、正確にはそうではありません。
人生処方箋「も」求めているだけです。
なんというか、読むに耐えうる哲学or思想というのは、
この世のあらゆる問題に対する回答を出そうとするのではないかと思いまして。
それこそアリストテレス的に。
それで私はイロイロ問題に対する解決法を導いてくれるような哲学or思想を求めているので。
これってコストパフォーマンスの問題だと思うんですけど。
こういうふうに書くと、「功利主義的で、存在驚愕的ではない」と言われそうですが。

523 :あげぞう:2001/07/15(日) 23:40
>>498
>結局哲学なんて「人間だから」の人生論に太刀打ちすら出来ない代物だって事か。
全然そんなことは無いと思いますけど。
別に哲学が人生論を含んでいてマズイということはないでしょう。
なんというか広い意味では倫理学だと思いますけど。

私は現代で求められているのは新しいヒューマニズムだと思っています。
それこそ21世紀におけるヒューマニズム。
ナチズムやポストモダンや大衆消費文化などに耐えうるヒューマニズム。
で、個人的なあり方としては私はニーチェを選びます。
ディオニュソス的肯定なしに、人間存在はありえない。

524 :あげぞう:2001/07/15(日) 23:41
で、人間を肯定する際にしばしば利用される文脈は芸術ですが、
ニーチェにおいてはギリシア悲劇になりますよね。
『悲劇の誕生』におけるニーチェの芸術に対する考え方は、
一見すると古典文化的・ルネサンス的・ロマン主義的な「天才礼賛」ですが、
アリストテレスが『詩学』で持ってきた「模倣(ミメーシス)」と対立するモノではありません。
ギリシア悲劇は、「天才礼賛」と「模倣」とが1つになる地点で成立したのだと。
つまり、「天才礼賛」がディオニュソスで、「模倣」がアポロンになるわけですが、
ニーチェの考える「芸術=悲劇」とは、
ディオニュソス的なものとアポロン的なものの融合なわけです。

そこで人間存在に立ち戻ります。
人間の衝動・本能・無意識がディオニュソスだとすれば、
人間の論理・理性・意識はアポロンになると思います。
そもそも人間存在という芸術作品はディオニュソスとアポロンの融合なわけだから、
どちらか一方になってしまうというのはおそらく片手落ちなんですね。
要はバランス。
ポストモダンは論理に埋もれて人間存在のディオニュソス的なものを見失った。
ニーチェはディオニュソスに埋もれてアポロン的なものを見失った。
ニーチェが身体障害者を虫けらだと思っているのは事実だと思うし、
そういう意味ではナチズムを招き入れる危険性は当然あったと言えます。

525 :あげぞう:2001/07/15(日) 23:41
ニーチェにおいて抜け落ちているのは「政治性・社会性」です。
つまり「他者」に対するヒューマニズムがない。
これを補うために、私は当然レヴィナスを持ってきます。
ニーチェは西洋思想史における革命児だと思うけど、
レヴィナスもニーチェ同じくらいトンデモナイ革命児だと思う。

長くなりそうなので、以下は簡単に書きますが、
ニーチェで「個人」のヒューマニズム、
レヴィナスで「個人間」のヒューマニズムが用意される。
で、いきなりこの2つを融合するのはちょっと大変そうなので、
私はとりあえずハイデガーを持ってくる。
ニーチェとレヴィナスという2人をつなぐとしたらハイデガー以外にあり得ない。
ハイデガーの「世界内存在」によってニーチェとレヴィナスがつながる。
私のヒューマニズムは「力への意志−世界内存在−他者」ということになりますかなワラ

526 :あげぞう:2001/07/15(日) 23:41
で、他者間の問題で「コミュニケイション」という問題意識をインストールして、
世界観としてモナドロジーに基づく汎神論を採用します。
あとは認識論が残るんだけど、これはちょっと検討中ワラ

なんというか、私の世界観・人生観はこんなカンジです。
「世界内存在」として、ディオニュソスとアポロンの融合としての自己を肯定します。
で、レヴィナス的に他者を理解し、コミュニケイションによって他者を肯定します。

問題は、ニーチェとレヴィナスというどうしようもなく異質な2人が、
ハイデガーだけで意味的に融合されるかどうかですねぇ。
かなり自信がないワラ
でも、体系的にやろうとするから無理が生じるのかもね。
ここはポストモダンの恩恵にあやかって、
ニーチェはニーチェ、レヴィナスはレヴィナスということで、
矛盾なんぞは気にしないで突き進もうかと思っております(爆)

527 :Rage Against The Philosophy:2001/07/15(日) 23:42
ディオニソス的肯定とアニヲタの萌え行為との差異をもうひとつ言うと
後者には政治性が無いというか、ハッキリ言えば無力であること。
ニーチェの思想がナチスに援用されたということは
良くも悪くもニーチェの普遍性を表しているのだ。

528 :Rage Against The Philosophy:2001/07/15(日) 23:45
ん?

529 :Rage Against The Philosophy:2001/07/15(日) 23:50
>人間の衝動・本能・無意識がディオニュソスだとすれば、
>人間の論理・理性・意識はアポロンになると思います。
 これは・・どうかな
 むしろ両者の対立と相克こそが「ディオニソス的なもの」と考えるべきだ。
 ニーチェは意識的なものを回避しつつ無意識的なものを志向したのではなく
 もともと意識的なもののうちには無意識的なものが反映されている、という立場。
 でなければ哲学の歴史そもののをプラトン主義的なルサンチマンの反映であると解釈する視点が
 そもそもニーチェにもたらされるはずがない。
 意識的なもの/無意識的なものが相互に浸透して現れる、これがハイデガーのニーチェ解釈
 従って逆にハイデガーは、ニーチェもまた意識的なもの(伝統的な形而上学)の限界にある、
 と考えることが出来たのさ。

530 :考える名無しさん:2001/07/16(月) 00:32
>>529

あげぞう君が、例えどんなに幼稚で頭の悪い考えでも、きちんと最後まで
自分の意見を述べたことで、らげ君が始めて意味のあることを言いました。
これこそが、掲示板の本来の姿なのです!

さあ、東浩紀と二人の為に乾杯しようじゃないか!
今夜は最高!

531 :考える名無しさん:2001/07/16(月) 03:54
とにもかくにも、イカ臭いスレでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜終了〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

532 :OFW:2001/07/16(月) 04:11
「精液の香りがするスレに認定します」「精液の香りがするスレに認定します」「精液の香りがするスレに認定します」「精液の香りがするスレに認定します」「精液の香りがするスレに認定します」「精液の香りがするスレに認定します」

533 :考える名無しさん:2001/07/16(月) 08:56
しつこくイカ臭いっていってる奴
まともなこと書き込めないなら来るなよ

534 :考える名無しさん:2001/07/16(月) 09:35
イカ臭くってたまらない人は自分のパソコンのモニターに射精して
そのまま放置しているからだと思われます。

535 :斎藤環:2001/07/16(月) 11:53
>>531はイカです。
イカの自臭恐怖症と思われますね。
最近の若いイカに多いんです。
パンツ履き替えないから。

536 :あげぞう:2001/07/17(火) 00:14
>これは・・どうかな
>むしろ両者の対立と相克こそが「ディオニソス的なもの」と考えるべきだ。
>ニーチェは意識的なものを回避しつつ無意識的なものを志向したのではなく
>もともと意識的なもののうちには無意識的なものが反映されている、という立場。
>でなければ哲学の歴史そもののをプラトン主義的なルサンチマンの反映であると解釈する視点が
>そもそもニーチェにもたらされるはずがない。
>意識的なもの/無意識的なものが相互に浸透して現れる、これがハイデガーのニーチェ解釈
>従って逆にハイデガーは、ニーチェもまた意識的なもの(伝統的な形而上学)の限界にある、
>と考えることが出来たのさ。

なんというか、シュレヒタ的ですねワラ
概説書っぽいというか通説っぽい。
ニーチェの前期思想を未熟なものとみなして、中期・後期の思想に重きを置いているのかな?
おそらく『悲劇の誕生』は読んだことがないんじゃない?
まあ、哲学ばかりやってる人は、ハイデガーがポストモダン的視点か実存主義的視点しか持たないから、
『悲劇の誕生』を読んだことがなくても仕方がないとは思うけど。

>むしろ両者の対立と相克こそが「ディオニソス的なもの」と考えるべきだ。
そう考えるとアポロンがいなくなっちゃうでしょ?
で、実際に後期になるとアポロンが出てこない。
これがニーチェが次第にディオニュソス主義に染まった好例ですね。
でも、私はアポロン的なモノも本当は大事だと思っている。
ニーチェはギリシャ悲劇の成立においては、アポロン的なモノも認めていましたからねぇ。
ディオニュソス的なものにプライオリティがあるのは確かだけど、
デォオニュソス主義になると悪い意味で、エゴイスティックなだけになるね。



>むしろ両者の対立と相克こそが「ディオニソス的なもの」と考えるべきだ。
>ニーチェは意識的なものを回避しつつ無意識的なものを志向したのではなく
>もともと意識的なもののうちには無意識的なものが反映されている、という立場。

で、純粋に解釈としてコレにメスを入れると、矛盾だらけだね。
ニーチェは「意識的なもののうちには無意識的なものが反映されている」のだから、
ここに「対立」とか「相克」なんてないでしょ?
「無意識から意識へ。つまり無意識が意識を支配している」というディオニュソスの一元論で申し分ない。

537 :あげぞう:2001/07/17(火) 00:15
>でなければ哲学の歴史そもののをプラトン主義的なルサンチマンの反映であると解釈する視点が
>そもそもニーチェにもたらされるはずがない。

あのですね、ルサンチマンの直接の文脈は「プラトン主義」ではなくて「キリスト教」でしょ?
なんつーか、哲学の文脈によりすぎで、ニーチェの文脈を捉えてないね。
やっぱり、ニーチェを哲学史において位置づけているだけで、
ニーチェをその人自身として位置づけているとは思えない指摘だね。

あのさ、アイデアを思いつく順番をどう考えているのか分からないけど、なんか不自然だよ。
「無意識の意識への現れ」という一般論を思いついて、
その後で「ルサンチマンがプラトン主義を支えている」とニーチェが個別に援用したと思ったのでは?
あのですね、こういう考え方はニーチェにおいてはハズレですね。
『道徳の系譜』を読みましたか?
ニーチェはキリスト教道徳をという価値観(ex隣人愛)を探究し、
これは実は「弱い人間がルサンチマンによって論理を構築したの直接の文脈は「プラトン主義」ではなくて「キリスト教」でしょ?
つまり、ニーチェはキリスト教道徳の原理を追究をしたらルサンチマンに到達したのであって、
そういう意味では個別の特殊論から一般論を導いたと言えるんだよね。

Rage〜のいうことってあまりにも哲学史の常識的な文脈に乗っ取った意見で、
教条主義的になってるワラ
甘い甘い。
つーか、今、オレは酔っぱらってるから明日以降ということでワラ

538 :>537:2001/07/17(火) 00:26
RAGEは解説書だけを読んで
知ったかぶりしてる厨房ですので
容赦してやってください。

539 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 00:32
でじこの顔が精液でベトベトだにょ!

540 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 01:01
>>538

その通りなんだが、
解説書以前の「マイ哲学」をまくしたてる馬鹿者には、解説書レベルの
話をするしかないわな。

541 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 01:18
素人は、あげぞうみたいなのを読むと
「わぁ〜哲学してる〜」って思っちゃうんだよな。
専門性の高い世界には、必ずこういう人はいます。

542 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 01:19
ラゲは解説書でお勉強ばかりしている、
とてもいい子ということでいいですね、
みなさん。

543 :二酉:2001/07/17(火) 01:23
海の香りがする爽やかなスレですね。

544 :考える物理屋:2001/07/17(火) 01:30
すごい駄スレだ。
少しは我が時間論スレでも見習ったら?

545 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 02:01
おやおや・・・
なんだか面白くなってきたな。

546 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 02:07
>ハイデガーがポストモダン的視点か実存主義的視点しか持たないから、
 とりあえず意味不明なので説明してください。
>「無意識から意識へ。つまり無意識が意識を支配している」というディオニュソスの一元論で申し分ない。
 ニーチェ読んでるのか?ふ〜ん。
 ここで俺が言ってるのは、言わば上部/下部構造としての意識/無意識といいう
 形而上学的ヒエラルキーじゃないぞ。
 ヒントをあげよう。病者と健常者の関係についてニーチェはどう言ってた?
>ニーチェはキリスト教道徳をという価値観(ex隣人愛)を探究し、
>これは実は「弱い人間がルサンチマンによって論理を構築したの直接の文脈は「プラトン主義」ではなくて「キリスト教」でしょ?
 キリスト教の歴史知ってて言ってるのか?(ぶ

547 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 03:25
>あげぞう
らげは放置して下さい。
レスをすると調子に乗りますので。

548 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 05:51
でじこのエロ画像探しているんですが、
ありませんか?
このスレの住人の方なら持っているんじゃ
ないかと思うのですが・・・

549 :あげぞう:2001/07/17(火) 06:31
>>ハイデガーがポストモダン的視点か実存主義的視点しか持たないから、
>とりあえず意味不明なので説明してください。

悪いね、酔っぱらってたワラ
ちょっと寝てスッキリしたんで、レスするよ。
>>ハイデガーがポストモダン的視点か実存主義的視点しか持たないから、
「が」じゃなくて「か」、
>>ハイデガー的視点かポストモダン的視点か実存主義的視点しか持たないから、
ということだったのよワラ
ニーチェ解釈における3つの代表的な例を挙げただけだけどね。

550 :あげぞう:2001/07/17(火) 06:31

>ここで俺が言ってるのは、言わば上部/下部構造としての意識/無意識といいう
>形而上学的ヒエラルキーじゃないぞ。

何を言ってるんですか?
誰も形而上学的ヒエラルヒーなんて訊いてないだろ?
あんたが形而上学的ヒエラルヒーに捕らわれてるだけでは?
ニーチェを読んでる人間にそんな馬鹿げたレスするなってワラ

>ヒントをあげよう。病者と健常者の関係についてニーチェはどう言ってた?

何を考えさせたいのか、サッパリわからんな。
病気と健常者の関係?
病人と健常者の関係だったら、私と比ヤングの関係を見てくれれば分かるよワラ

>キリスト教の歴史知ってて言ってるのか?(ぶ

それはニーチェに対して言うセリフでは?
今は、ニーチェの解釈論をやってるんであって、
真偽を問わず彼が言っていた文脈で言ってるだけだろ?
そういう反論にならないレスをつけて一人で悦に入るなよ。

551 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:31

      上、      /⌒ヽ, ,/⌒丶、       ,エ
       `,ヾ   /    ,;;iiiiiiiiiii;、   \   _ノソ´
        iキ /    ,;;´  ;lllllllllllllii、    \ iF
        iキ'     ,;´  ,;;llllllllllllllllllllii、    ナf
         !キ、._  ,=ゞiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!! __fサヘ.
       /  `ヾ=;三ミミミミヾ仄彡彡ミミヾ=`´  'i、
       i'   ,._Ξミミミミミヾ巛彡////iii_    |
       |  ;if≡|ヾヾヾミミミミヾヾ、//巛iiリ≡キi  |
        |  if!  |l lヾヾシヾミミミ川|ii//三iリ `キi  |
      |  ,if ,f=|l l lヾリリリリリ川川|爪ミミiリ=t、キi  |
        |  ;iナ,サ |l l l リリ川川川川|爪ミミiiリ キi キi  |
        |   iナ ;サ |l l リリリリ川川川川l爪ミミilリ キi キi  |
       |  iサ ;サ, |リ リリ川川川川川l爪ミミiリ ,キi キi  |
       |  iサ ;サ, | リ彡彡川川川川|爪ミミiリ ,キi :キ、  |
        ,i厂 iサ, |彡彡彡彡ノ|川川|爪ミミリ ,キi `ヘ、
      ,√  ;サ, |彡彡彡彡ノ川川|ゞミミミリ ,キi   `ヾ
     ´    ;サ,  |彡彡彡彡川川リゞミミリ  ,キi
         ;サ,  |彡彡彡彡リリリミミミシ   ,キi
         ,;#,    |彡彡ノリリリリミミミシ    ,キi
        ;メ'´    !彡ノリリリリリゞミミシ     `ヘ、
       ;メ      ヾリリリリノ巛ゞシ       `ヘ、
      ;メ        ``十≡=十´         `ヘ、
                 ノ    ゞ

552 :あげぞう:2001/07/17(火) 06:32
だいたいrage〜って何も言ってないだろ。
一人で高みにいるつもりになって、批判しているだけでは?
お前の言ってるコトってことごとく常識的・表面的なんだよ。
悪い意味で哲学史っぽくて、他人が考えたことをそのまま垂れ流ししてるだけじゃん。
そんなことをやっていれば、全体を見たときに矛盾だらけになるよワラ

553 :あげぞう:2001/07/17(火) 06:32
>>540
あのさ、ニーチェの解説書なら学生の時に大抵のものは読んだよ。

で、秋山英夫とか西尾幹二とか独文系のは最低。
三島憲一も、結局のところはダメダメ。
ニーチェ思想のヒューマニズムを理解していなく、
まして哲学史の知識もないモノだから、
「ニーチェは傲慢」という低次元な常識的解釈で終了している。

で、ポストモダンだけど、ほとんどはニーチェのパースペクティヴなパクリだから、
「ニーチェを理論的に精緻化」とか言われてもビビットではない。
インスパイアされない。
ドゥルーズの『ニーチェの哲学』『ニーチェ』を読んだけれども。
パースペクティヴからリゾームを思いついただけで、
やっぱりニーチェ思想のヒューマニズムを理解していない。

ニーチェ思想のヒューマニズムを一番汲み取っていると言えるのは、
実存主義的な解釈になるのだけど、
コレは皆さんがご指摘の通りただの個人の思想だから古い。
三島的な「ニーチェは傲慢」という批判がまとわりつく。
だから、レヴィナスで補完する必要がある。

554 :あげぞう:2001/07/17(火) 06:33
残るのはハイデガーだけど、ハイデガーは自分の存在論的な文脈にしか興味がない。
つまり、形而上学=存在論に対するアンチテーゼとしか読んでいない。

今のところ竹田セイジがちくまの新書で出したヤツが、
ニーチェ論としては手に入る範囲では優れていると思うけど、
あれはちくまが文庫版の全集を出すときのプロパガンダだし、
なにより日本語訳の全集をいまさらのように読んで調子にのっている竹田の精神性が低い。

個人的には原佑が1970年頃に出したモノが最も優れていると思う。
竹田セイジのは原佑のパクリでしかない。
普通は手に入らないと思うけど、私は大学の図書館で読んだよ。

555 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:38
やれやれ、上のバカを
少しでも誉めた俺がバカだったようだな。
あらゆる面でお笑いの回答をしてきたのでもう相手にしないよ。
簡単なレスだけつけとくわ。

556 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:40
Rageは初めから相手にされていないじゃん(笑

557 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:47
あげぞうは実存哲学と実存主義を混同してるだろう
だからヒューマニズムという概念が曖昧なんだよ。
サルトルから入ってレヴィナスへいくだろうが
多少とも誠実に考えればポストモダンの歴史的意味へと
回帰することになるだろうな、ニーチェに勝手に実存主義を読むと
こういう回り道をすることになる。
病者と健常者の比喩はニーチェ思想の根幹
つまりパースペクティブの可逆性について言おうとしていたのだが
レスするだけでせいいっぱいみたい(ぶ

自分の哲学をひとりで構築するものいいか
そういう素人はいずれ息切れするし、ただの妄想にしかならない。
ニーチェは地味な古典文献学から入った。
哲学は伊達に2000年の歴史を刻んでるわけじゃない。
好きにやりたきゃ初めから本読まなきゃいいのにねぇ。

558 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:49
比ヤングには悪いことしたなぁ。

559 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:51
いるんなら反論書かないとな?>あげぞう

560 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:52
ホントに表面だけな奴だね。コレ

561 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 06:54
反論も何も初めから何も言ってないよ、コレは。
ニワトリの嘶きといった所か。
厨房天下の夜明け(笑

562 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:54
おいおいあげぞう
ひとつ文句言っとくぞ。
大量に書き込むのはいいが
リアルタイムでレスよこせよ。
時間的に俺のレス見てるだろ?
それとも即答は勘弁か?
精神性疑われるようなことするんじゃないぞ(笑
最近の俺は優しいのでいろいろ懇切丁寧に教えてやるぞ?

563 :らげを専門に抹殺する者:2001/07/17(火) 06:57
参上。ネームフリーです。

564 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 06:58
カサカサ音が聞こえてきたよ(ぶ

565 :らげを専門に抹殺する者:2001/07/17(火) 06:58
んん〜今日のらげは、逝ってよしだねこりゃぁ
精神性を疑われているのはらげ、貴様のほうだ!

566 :らげを専門に抹殺する者:2001/07/17(火) 06:59
臭っっ

567 :らげを専門に抹殺する者:2001/07/17(火) 07:01
らげちゃんはそろそろおねむのお時間でしょ。
さっさと消えろ。

568 :らげを専門に抹殺する者:2001/07/17(火) 07:03
らげ隔離スレを要請

569 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 07:12
はいはい寝ますよ。
でも最後にひとこと
もう一度あげそうの最近のレス改めて読んだけど
哲学マトモに勉強してないな(悲
人間だから、というヒューマニズムの肯定をしたいと言ってるが
あげぞうにとって致命的なのは
そういう肯定があまりにも「性急すぎる」ことだ。
単なる思考停止、とは言わないが、中途半端で脈絡のない判断に終始するしかない。
つまり「好きか嫌いか」この視点でしかモノがいえなくなる。
これじゃぁ普遍的な哲学像なぞ望むべくもないが
まぁ本人は満足なんだから俺は何も言わない(プ
じゃぁ俺のファン共おやすみ。

570 :らげを専門に抹殺する者:2001/07/17(火) 07:15
>>569
うむ、逝ってよし!

571 :Rage Against The Philosophyのファン:2001/07/17(火) 07:16
おやすみなさいませ、Rage様。

572 :らげを操る電波:2001/07/17(火) 07:18
改名しました。

573 :らげを操る電波:2001/07/17(火) 07:19
早速操ってらげに本日最後のジサクジエンヌをさせました。

574 :らげを操る電波:2001/07/17(火) 07:21
そろそろ出撃ですな。
では、皆さんごきげんよう。
声をそろえて、さんはい
「らげ逝ってよし」

575 :Rage Against The Philosophyのファン:2001/07/17(火) 07:28
誰も合わせないね。7分経過したのに。

576 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 07:39
>>575
それはお前のように自作自演をしないから。

577 :Rage Against The Philosophy:2001/07/17(火) 07:45
ん?
ファン共は、俺じゃないぞ。E-mailのとこ見てみ?

578 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 07:46
なんて哀しい奴!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

579 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 08:37
>あげぞう
ラゲにレスをしないで下さい。
それは動物園の猿にエサをやってはいけない
のと同じことです。

580 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 08:41
でじこのお口はヒロキたんのザーメンで
いっぱいだにょ。

581 :比ヤング:2001/07/17(火) 09:00
ザーメンとかイカ臭いとか言ってる連中は、
村上隆の、ほとばしる精液がアーチを描いてる
あのフィギュアを見て、どうおもうだろうか。

582 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 09:01
らげのやっていることは解説書の受け売りと煽りだけだね、
まじ。

583 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 10:03
>あげぞうは実存哲学と実存主義を混同してるだろう
>だからヒューマニズムという概念が曖昧なんだよ。
>サルトルから入ってレヴィナスへいくだろうが
>多少とも誠実に考えればポストモダンの歴史的意味へと
>回帰することになるだろうな、ニーチェに勝手に実存主義を読むと
>こういう回り道をすることになる。

確かに、らげの言うことは上の意見を読んでも解説書レベルの話なんだが
最低限この程度のレベルの正しさを共有してないと、デリダも東も全くま
ともに読めずに、「常識で充分批判可能なのがポストモダンさ〜」などと
したり顔で言いだすんだろう。 「常識」と「頭の悪さ」を取り違えてる訳
だ。

あげぞうみたいなのは、ときどき大学なんかにもいて、みんなまともに相
手にするのが面倒臭いんで、「あーねーなるほどねー」などと言いながら
適当に話を聞いてやるが、いなくなったら「あーやれやれ」って感じね。
こういうのが突然、自殺したりするんだよな(ワラ

584 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:32
>Rage Against The Philosophy
恥ずかしい男だな。
これで「神聖な2ちゃんねる哲学板」とやらの代表なのか?
こんなのがのさばっているようじゃ、良心的なユーザーが気の毒だな。

>あらゆる面でお笑いの回答をしてきたのでもう相手にしないよ。
悲しい逃げ口上だね。
「あらゆる面」でと言うのなら、きちんと「あらゆる面」を批判しなさい。
それがマナーというものだよ。
レトリックに逃げるには早すぎるよ。

585 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:33
>Rage Against The Philosophy
>あげぞうは実存哲学と実存主義を混同してるだろう
>だからヒューマニズムという概念が曖昧なんだよ。
>サルトルから入ってレヴィナスへいくだろうが
>多少とも誠実に考えればポストモダンの歴史的意味へと
>回帰することになるだろうな、ニーチェに勝手に実存主義を読むと
>こういう回り道をすることになる。
穴だらけだな、オイ。

586 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:34
>ニーチェに勝手に実存主義を読むとこういう回り道をすることになる。
http://www.columbia.edu/itc/english/f2007/jameson/concepts/existentialism.html
なんて書いてあるか理解できるかい?
実存主義のメインストリームは、キルケゴールからサルトルへと連なるけど、
トマスやニーチェも実存主義として理解されておかしくないのだよ。
とうとうお得意なはずの概説書レベルの哲学史の知識すら崩壊したようだねワラ

587 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:35
>サルトルから入ってレヴィナスへいくだろうが
ずいぶん恣意的な読みだな。
私がいつサルトルの名前を挙げましたか?
私は自らの思想の必要性において直接レヴィナスに行ったのであって、
哲学史を勉強している過程でレヴィナスに行ったワケではないよ。
オマエの発想の根底には哲学史的理解しかないよな。
「20世紀のフランス哲学を勉強したら、サルトル、メルロ=ポンティと来て、
次にレヴィナスをかじったのだろう」
という程度の発想でしかない。
これも、薄いというか浅いというか表面的ということに尽きる。

ともかく発想自体が貧困。

588 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:35
>多少とも誠実に考えればポストモダンの歴史的意味へと
>回帰することになるだろうな
論点ズラシを繰り返すようなオマエに、「誠実」などと言われても説得力はないよ。
そもそも「知的誠実性」ということにこだわったのはニーチェ。
反論があるなら意味的にきちんと反論しなさい。

589 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:36
>病者と健常者の比喩はニーチェ思想の根幹
>つまりパースペクティブの可逆性について言おうとしていたのだが
>レスするだけでせいいっぱいみたい(ぶ
いまさら「パースペクティヴの可逆性」だなんて、なんでそんな幼稚なことを訊くんだ?
私はてっきり「ニーチェが病者をどのように語り、
どのようなものとして位置づけようとしたのか?」
という文脈かと思ったよ。

そういう問いならまだセンスがあったのにな。

590 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:36
>自分の哲学をひとりで構築するものいいか
>そういう素人はいずれ息切れするし、ただの妄想にしかならない。
>ニーチェは地味な古典文献学から入った。
>哲学は伊達に2000年の歴史を刻んでるわけじゃない。
>好きにやりたきゃ初めから本読まなきゃいいのにねぇ。
自分の哲学は自分ひとりで構築する以外にないだろ。
それはプロ・アマを問わないよ。
自分にとって必要性のある概念を創造することが「哲学」だろ。
それから哲学の歴史は、少なくとも西洋哲学は2500年だろ。
本を読んだ上で好きに解釈するのが基本だろ。
で、解釈的に間違っているというのなら、
コレコレこういう解釈がオカシイと具体的に指摘しなさい。
所詮常識的な概説書レベルだけどな。
オマエには自分の哲学・思想すらないだろ。

591 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:37
>おいおいあげぞう
>ひとつ文句言っとくぞ。
>大量に書き込むのはいいが
>リアルタイムでレスよこせよ。
>時間的に俺のレス見てるだろ?
>それとも即答は勘弁か?
>精神性疑われるようなことするんじゃないぞ(笑
>最近の俺は優しいのでいろいろ懇切丁寧に教えてやるぞ?
オマエはヒッキーなのか?
残念ながら私はサラリーマンだよ。
オマエのように一日中ネットに貼り付いているわけには行かないんだよ。
だからオマエの表面的なレス待ちなんて時間の無駄は御免被る。
時間の有り余っている暇人と一緒にするなよ。
精神性に関しては他の人が言ってくれた。
オマエから教えて貰えそうなものは何もなさそうだね。

敢えて言えば「労働しろ」となるかな。

592 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:38
>人間だから、というヒューマニズムの肯定をしたいと言ってるが
>あげぞうにとって致命的なのは
>そういう肯定があまりにも「性急すぎる」ことだ。
>単なる思考停止、とは言わないが、中途半端で脈絡のない判断に終始するしかない。
私の言っている「ヒューマニズム」を理解できていないだろ?
私のヒューマニズム理解の基本は2つ、ニーチェとレヴィナスだよ。

伝統的な西洋思想史の文脈では、ヒューマニズムは「自由な主体」として理解されている。
古典文化における悲劇や英雄主義、ルネサンスにおける天才、実存主義etc・・・・・・
一方で20世紀的な危機(ナチズム、ポストモダンetc)を迎えた現在では、
ヒューマニズムは「責任ある主体の他者との関わり」としても定義される必要がある。
「他者」に対してどのように接していくか?
という問題に対する答えを、新たなヒューマニズムは要求されている。
で、これに見通しを与えてくれるのはレヴィナスだと思うわけですよ。
ホロコーストを辛うじて生き延びたユダヤ人思想家の出番だと思うんですけどね。

ということで、私はヒューマニズムを「私的−公的」同時に考えようとしているだけであって、
それがどうして「中途半端で脈絡のない判断」となるのかが全く理解できない。
オマエの読解力がないだけでは?
概説書レベルの本に、私の視点が書かれてないだけでは?

593 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:38
>そういう肯定があまりにも「性急すぎる」ことだ。
あまりにも「性急すぎる」?
そうかな? 新たなヒューマニズム概念の構築こそ、
現在最も解決を要求されているテーマの1つだと思うが。
つまり、第2次大戦後にはその必要性を感じられたことでは?
私はヒューマニズムを肯定するけど、
では「いかにしてヒューマニズムが成立しうるか?」という条件付けをやろうとしているわけだよ。
まあ、問題意識を持っていないrage〜に理解できるとは思わないが。

594 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:39
>つまり「好きか嫌いか」この視点でしかモノがいえなくなる。
ニーチェのパースペクティヴというのはそういう批判だろ。

>これじゃぁ普遍的な哲学像なぞ望むべくもないが
アホだな。

>>多少とも誠実に考えればポストモダンの歴史的意味へと
>>回帰することになるだろうな、
自分で書いてるだろ。
ポストモダンの歴史的意味を理解していれば、
「普遍的な哲学像」なんてことは言わないと思うけどねぇ。

595 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:39
>>583
>>あげぞうは実存哲学と実存主義を混同してるだろう
>>だからヒューマニズムという概念が曖昧なんだよ。
>>サルトルから入ってレヴィナスへいくだろうが
>>多少とも誠実に考えればポストモダンの歴史的意味へと
>>回帰することになるだろうな、ニーチェに勝手に実存主義を読むと
>>こういう回り道をすることになる。

>確かに、らげの言うことは上の意見を読んでも解説書レベルの話なんだが
>最低限この程度のレベルの正しさを共有してないと

で、最低限この程度のレベルの正しさとは何のことデスカ?

596 :あげぞう:2001/07/17(火) 20:41
>Rage Against The Philosophy
反復させてもらうが、
結論としてオマエは概説書レベルで終了していて、
自分でモノを考えていないということだけがわかるよ。
哲学史の知識で満足しても仕方がないかもね。

オマエのルサンチマンが透けて見える。

597 :Rage Against The Philosophyのファン:2001/07/17(火) 20:47
>>596
>透けて見える。
(プ

598 :らげを操る電波:2001/07/17(火) 20:49
>あげぞう
私の〜気が〜確かならば〜
神聖な2CH哲板だからこそRAGEのような電波が暴れる事が出来る(た)のですぅ。
有能の士は初めからそういう土壌に育っているので、毒電波に対する免疫などはないのです。
現に優秀なコテハンほどさっさと消えていきました。
結論:RAGEを含む電波厨房は全て処刑。

599 :あげぞうのファン(はあと:2001/07/17(火) 21:01
あげぞう>小泉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>みのもんた>>>>>糞>らげ

600 :ヽ( ´ー`)ノ GGU:2001/07/17(火) 21:11
よっしゃ600

601 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 21:31
全然盛り上がってなかった東スレ伸びちゃったね

602 :・e・:2001/07/17(火) 22:20
端からちょっとだけ見てるけど
あの、あげぞうさんの
>実存主義のメインストリームは、キルケゴールからサルトルへと連なるけど、
>トマスやニーチェも実存主義として理解されておかしくないのだよ。
>伝統的な西洋思想史の文脈では、ヒューマニズムは「自由な主体」として理解されている。
>ヒューマニズムは「責任ある主体の他者との関わり」としても定義される必要がある。
>ということで、私はヒューマニズムを「私的−公的」同時に考えようとしているだけであって、
 これ全てそのまんなサルトル的な実存主義の定義に過ぎなくて
 どの程度まで他の文脈に適用できるかは疑問だよ。
>そうかな? 新たなヒューマニズム概念の構築こそ、
>現在最も解決を要求されているテーマの1つだと思うが。
>つまり、第2次大戦後にはその必要性を感じられたことでは?
 問題意識の状況もそのまんまサルトルだわ。

らげの可逆性について推察すると、
意識/無意識の形而上学的ヒエラルキーは価値観の上下関係を含まざるをえない
つまりそれは、欲望の肯定を下位に、禁欲を上位に置くようなプラトニズム的なキリスト教神学となる。
これにたいして病者/健常者という対概念にあるのは、価値の上下関係ではなく
たんなる視点のフラットなレベルにおける可逆性。
これは一見、全ては差異の戯れ、とするポストモダンの相対主義を示しているが
可逆性は常に視点の切り替えの実践を要求する。
現代においてはこのような複眼的視点が、ニーチェの思想の生産的側面として析出できるであろう、と。
でもこれは、小林秀雄の「すべては意匠に過ぎない」がそうであったように
あくまで出発点に過ぎない。そういう意味ではらげには
あげぞうの性急さは見られないな。

以上、論文でぶったおれそうな研究者でした♪

603 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 23:07
ラゲの相手をしてやっているあげぞうは偉いね。
どうせなら、ずっと相手をしてラゲをこのスレに
隔離しておいて欲しいんですけどね。
頼みましたよ、あげぞうさん。

604 :Rage Against The Philosophyのファン:2001/07/17(火) 23:11
>>603
実は同志?

605 :RAGE:2001/07/17(火) 23:28
あげぞう、君見込みあるよ。

606 :考える名無しさん:2001/07/17(火) 23:35
すげー
まさにザーメン地獄状態だな、こりゃ。
イカ臭い、イカ臭い。

607 :ソース焼きそば:2001/07/18(水) 00:01
ヒューマニズムでレヴィナスね・・・
あんまりポストモダンを否定しすぎちゃうとね、
こういう人が現れてね、
イカの香りをね・・・
東の功績の一つはデリダをある意味古典化したことだとね、
思わないでもないがね、
もう、何かデリダなんて人が存在しなかったかのごとくね、
ヒューマニズムでレヴィナスね・・・
「ホロコーストを辛うじて生き延びたユダヤ人思想家」ね、
わかりやすいものがね、
イカの香りとともにね・・・

608 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 00:12
比ヤングソース焼そばで、イカ焼そばはイカ臭い。
おあとがよろしいようで。
てなわけで、

ーーーーーーーーーーー終了ーーーーーーーーーーー

609 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 00:19
レヴィナス好きなのに、、、
安易な解釈、、、
レヴィたん可哀想、、、

610 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 00:40
>607
語尾を濁しているのは、自分の言っていることが曖昧だからですか?
はっきり言えないのですか?まあ言いうることがあなたに本当にあるとすれば、
ですが。
>もう、何かデリダなんて人が存在しなかったかのごとくね、
>ヒューマニズムでレヴィナスね・・・
せめて、ここだけでもきちんと説明してくださいよ。逃げないで。

611 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 00:41
>>609
レヴィナスの、「安易ではない」解釈をご教示ください。
よろしくお願いいたします。

612 :37, 38:2001/07/18(水) 01:52
>>39
何が言いたい? おまえは審判か?

「そこ」でいやなら「ここ」でもいい。
なんでもいいから、存在動詞の他動詞性と
アフォーダンスとしての da の構想について、
批判的なことを書いてくれよ。

613 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 02:32
あらあら・e・が
俺の書くことだいたい言っちゃってくれてるわ
まるで自作自演みたい(笑

面白いのはあげぞうがサルトルを読んでるかどうかじゃなくて
自分の哲学述べますって言っときながら
内容はまるで教科書的なサルトルに過ぎないってことだな。
最初は他人の受け売りからでも、書きこみにはそれなりに「マイ哲学」が反映されるのだよ。
俺のカリスマ的な人気を見れば自然と分かると思うがね。

614 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 02:37
レヴィナスの他者は絶対的他者(ヤハゥェ)であって
公共的色彩を帯びた「他者たち」ではない。
従ってレヴィナスにおいては責任倫理を人間主体に内在させることはできない。
この点はデリダが批判しているが
こういう表面的な理解からでも既に、サルトル的実存主義とは
かなり距離があることはわかるだろうに。

あまり叩きがいのないバカだね。

615 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 02:40
デリダの脱構築は詐欺です。

616 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 02:41
サルトルは斜眼です。

617 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 02:57
テリー伊藤の目はサルトル的です。

618 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 03:02
テリー伊藤はターザン山本的です。

619 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 03:15
ターザン山本はターザン後藤のパクリです。

620 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 03:17
ターザン後藤はデブです。

621 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:15

>・e・602
前後の文脈読んでましたか? 読んでないよねぇ。
らげの助っ人をしたつもりだろうけど、
ここはコテハンで助け船が入るようなトコロなのねワラ

>>実存主義のメインストリームは、キルケゴールからサルトルへと連なるけど、
>>トマスやニーチェも実存主義として理解されておかしくないのだよ。
>>伝統的な西洋思想史の文脈では、ヒューマニズムは「自由な主体」として理解されている。
>>ヒューマニズムは「責任ある主体の他者との関わり」としても定義される必要がある。
>>ということで、私はヒューマニズムを「私的−公的」同時に考えようとしているだけであって、
>これ全てそのまんなサルトル的な実存主義の定義に過ぎなくて
>どの程度まで他の文脈に適用できるかは疑問だよ。

あのですね、例えばハイデガーは実存主義者という烙印を捺されるのを嫌いましたよね?
「自分の哲学は実存主義じゃない」といってましたよ。
そもそも「自分は実存主義者だ!」と高らかに宣言したのはサルトルくらいでしょ。
だから実存主義の定義に置いてサルトル的文脈が入ってくるのは当然でしょ?
あなた、それでも研究者デスカ?
なんの研究しているのか、怪しいねぇ。

622 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:16
でさ、なんであのリンクを貼ったと思います?
これが「文脈」ってやつですが。
http://www.columbia.edu/itc/english/f2007/jameson/concepts/existentialism.html
これですけど、その目的は、お馬鹿ならげとやらが、
「ニーチェは実存主義じゃない」なんてことを言い出すから、
それを否定するために持ってきたリンクですよ。
らげはそんなのお構いなしで「カリスマ的な人気」とか言ってるけど、
笑うしかないよね、こんなの。

623 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:16
>どの程度まで他の文脈に適用できるかは疑問だよ。
ハイハイ、私の実存主義理解は、>>454を読んでください。

>これって実存主義じゃないですかね?
>少なくとも精神的態度というか志向性は、
>何かしら形而上学や宗教に頼らずに、世界と自分との関わり方を求めている、

というのがそうです。なんとでも批判してください。

624 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:17

>>そうかな? 新たなヒューマニズム概念の構築こそ、
>>現在最も解決を要求されているテーマの1つだと思うが。
>>つまり、第2次大戦後にはその必要性を感じられたことでは?
>問題意識の状況もそのまんまサルトルだわ。
違うんだな、コレが。
サルトルはただの政治屋。マルクス主義者だよ。
サルトルとの差異はすでに語っている。>>526でね。

>526 名前:あげぞう 投稿日:2001/07/15(日) 23:41
>で、他者間の問題で「コミュニケイション」という問題意識をインストールして、
>世界観としてモナドロジーに基づく汎神論を採用します。
>あとは認識論が残るんだけど、これはちょっと検討中ワラ

>なんというか、私の世界観・人生観はこんなカンジです。
>「世界内存在」として、ディオニュソスとアポロンの融合としての自己を肯定します。
>で、レヴィナス的に他者を理解し、コミュニケイションによって他者を肯定します。

625 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:17
私とサルトルとの違いは「コミュニケイション」になるね。
サルトルは政治的な視点しか持たなくて、
それこそ「他者=他人」としか思っていない。
私にとっては、「他者」とは「他人」ではなく「絶対的な他性」になる。
自分以外のあらゆる存在が「他者」。
で、これは本質的なことだけれども、
「他者=絶対的な他性」は自分が主体的に直接向き合うことでしか現れてこない。
「絶対的な他性」と向き合うことこそが「コミュニケイション」なのさ。

626 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:18
「他者=絶対的な他性」は主体的に直接向き合うこと、
すなわちコミュニケイションによって肯定される。
「他者=絶対的な他性」というのはハイデガー的には「存在」であり、
レヴィナス的には「イリヤ」「絶対的な他性」になる。
私は「他者」を政治思想によって肯定しようとは思っていない。

根本的なことだが、サルトルの文脈というのは所詮「他者=他人」
「他者=他人」というのは、ハイデガー的には「存在者」なんだよ。
これが、ハイデガーとサルトルの思想における根本的な差異でしょ?
ハイデガーが自分の思想とサルトルのそれとを区別する際にこだわった点でしょ?
サルトルのは安っぽいヒューマニズムなわけ。
「他者」をモノとしか思っていない、
「他者」を「他人」としか思っていない、
所詮「他者=他人」レベルでのヒューマニズムなわけ。
サルトルは政治的な視点しか持たないから、
一般大衆とか、せいぜい「存在者」レベルでしかヒューマニズムを考えていない。

私が思考しているのは「他者=絶対的な他性」という意味でのヒューマニズム。
「存在者」に「存在」を見いだす、
「存在者」との関係によって「存在」を現出するヒューマニズムです。

ということで、
>問題意識の状況もそのまんまサルトルだわ。
っていう指摘は全然違うんですねぇ。

627 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:18
>Rage Against The Philosophy
>面白いのはあげぞうがサルトルを読んでるかどうかじゃなくて
>自分の哲学述べますって言っときながら
>内容はまるで教科書的なサルトルに過ぎないってことだな。
上を読めば、そうではないことは説明不要だね。
相変わらず、薄いな。
とうとう自己責任の原則すら放棄。
他人の思想にすがって生きろ。

>教科書的なサルトル
はいはい、教科書的なサルトルってなんですか?
説明してくださいね(教科書参照可・辞書持込可

628 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:19
>レヴィナスの他者は絶対的他者(ヤハゥェ)であって
>公共的色彩を帯びた「他者たち」ではない。
言ってることは間違っていない。当然の指摘だ。
レヴィナスの文脈とサルトルの文脈は一致しないからな。
まあ、アンタが勝手にサルトルを読み込んだだけで、
ただの見当違いだけどなワラ

629 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 04:19
ディオニュソスとアポロンの融合って
意識と無意識の融合って事ですか?

630 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:19
>従ってレヴィナスにおいては責任倫理を人間主体に内在させることはできない。
>この点はデリダが批判しているが
たぶんオマエとかデリダには理解できていないのでは?
理解できたとしても、このような世界観を認めることができないのでは?
デリダの批判をわかりやすく説明すると、レヴィナス=ハイデガーに対して、

「責任倫理」は「存在者」に帰せられるべきであって、「存在」に帰すべきではない。

という批判なんだよね。
で、これは「存在者−存在」の構造がわかっていないだけ。
「存在者」と「存在」は切り離せないのだから。
「存在」のあらわれとしての「存在者」にも当然「責任倫理」は帰せられるんだよ。

631 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:20
>こういう表面的な理解からでも既に、サルトル的実存主義とは
>かなり距離があることはわかるだろうに。
はいはい、的はずれということで。

632 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:20
>・e・さん
>らげの可逆性について推察すると、
>意識/無意識の形而上学的ヒエラルキーは価値観の上下関係を含まざるをえない
>つまりそれは、欲望の肯定を下位に、禁欲を上位に置くようなプラトニズム的なキリスト教神学となる。
>これにたいして病者/健常者という対概念にあるのは、価値の上下関係ではなく
>たんなる視点のフラットなレベルにおける可逆性。
>これは一見、全ては差異の戯れ、とするポストモダンの相対主義を示しているが
>可逆性は常に視点の切り替えの実践を要求する。
>現代においてはこのような複眼的視点が、ニーチェの思想の生産的側面として析出できるであろう、と。
>でもこれは、小林秀雄の「すべては意匠に過ぎない」がそうであったように
>あくまで出発点に過ぎない。そういう意味ではらげには
>あげぞうの性急さは見られないな。
根本的に間違ってるよワラ

633 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:21
あんたは「価値の上下関係」と「視点のフラットなレベル」を分けたよね。
分けられないんだな、コレが。
「視点のフラットなレベル」というのがニーチェのパースペクティヴ思想の一般論で、
価値の上下関係というのはその特殊論に過ぎない。

つまり、自らの「視点」の正当性を主張するために、人間がやるのが理論武装であって、
理論を構築するにはそこに価値観が含まれている。
で、この価値観の創造をルサンチマンによって行ったとされるのがキリスト教道徳です。

だから、結局コレは本質的には「視点のフラットなレベル」なわけ。
で、これは本質的に「視点=価値観のフラットなレベル」でもいいわけ。
ニーチェのパースペクティヴ思想を原理的に考えれば、
ルサンチマンによる価値観の創造も別に不思議なことではないんだよ。

なんというか、哲学を形而上学で見ようとしているのか、
それとも価値観を特殊なものと思いたいようだけど、薄いね。
「視点=価値観」というのはドゥルーズが上手く説明していると思うけどね。
さらにニーチェの文脈に準拠すれば、
「視点=価値観=権力への意志」になってこれが「存在者」になるね。
ドゥルーズは「存在者」乱立を「リゾーム」と名付けたんですけどね。

634 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:21
>以上、論文でぶったおれそうな研究者でした♪
なんというか、このレスに自己顕示欲以外のどんな意味が?????

635 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:22
>>629さん
寝ます。
また明日、お答えしますので。

それでは。

636 :629:2001/07/18(水) 04:25
ここ凄いですね!
僕素人ですけど、たまにきてもいいですか!

637 :あげぞう:2001/07/18(水) 04:29
もっとわかりやすく言うと、
「視点」にはすでに「価値観」が含まれている。
「発言」にはすでに「価値観」が含まれているのと一緒で。

>>629さん
いや、私も素人です。
遠慮せずに書き込んでください。
ちなみに私のイメージは無意識と意識の融合ではありません。
無意識と意識の間でバランスを取れと言うことです。
フロイト的に言えば快楽原則と現実原則のバランスを取れ、
というニュアンスに近いかも。

では。

638 :629:2001/07/18(水) 04:37
哲板で初めてまともな人を見つけた様な気分です。
また来ます。

639 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 05:57
プラトン主義や実存主義を批判していれば
無条件に思想の先端に立てると思いがちな
のが、解説書でお勉強中の哲学厨房の陥り
がちな罠。
その罠に得意になってかかっているから、
ラゲは馬鹿なんだよね。

640 :1:2001/07/18(水) 05:58
あめぞうのスレも読んだのですが、このスレも読んだのですが。
なんか、比ヤングが消えてから東ネタどっか飛んでるんですけど。
あげぞうさんなんかには東なんて吹けば飛ぶような小者なんでしょうけれども、
わたくしどもは彼をネタにしてスレ進めたいので。えぇ、ほんと。
あ、わたくしどもって勝手に一まとめにしちゃって気分の悪い人いたらすみません。
教条主義的で東主義的で悪いんですけれども、スレの趣旨に則ってってことで。
えぇ、ほんとにすみません。
とりあえず最近のもチェックしてみたんですけど、一番東スレっぽいのはこのレスでしょうか。

580 名前:考える名無しさん 投稿日:2001/07/17(火) 08:41
でじこのお口はヒロキたんのザーメンで
いっぱいだにょ。

これじゃ寂しいです。やっぱり、はい。
なので、東に戻るか、あめぞうに戻るかしてほしいです、はい。。

641 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 06:09
>>640
なら、あげぞうVSラゲの対決スレ
を別につくればいいんじゃないの?

642 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 06:22
みなさんおはよう(オハヨー
俺の中ではあげぞうは文章どころか
空気も読めない社会不適合者ということで
決着がついてます(笑)
いちいち解釈の不備を指摘するのも面倒なので
まぁわかる人間にはわかってるだろうということで
特にこのバカと論争する気はありませんよ、時間もったいないし。
仮にやるのであれば別スレでも用意するけど。
上のあげぞうのレスで明らかなようにまんまサルトルです。笑ってしまいます。
そもそもレヴィナスの文脈で他者を「肯定」するなんて言い方は考えられない。
絶対的他者は待望とか到来といったメタファーによって語られ
むしろ主体との「埋められない距離」が強調されているはず。
容易に肯定されるような存在じゃないわな。

それにあげぞうは、自分はサルトルとは違うといってるが
俺から見ればサルトル「以下」だわ。
いかなる意味においても政治的文脈を無視するなら、
それは他者を絶対化したロマンチシズムに過ぎない。
実際そういう「ナイーブ」な感性をレヴィナスに求めるバカもいるけど
吐き気がするね。ガキの論理だよ。

643 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 06:25
それにしてもこれでリーマンとは(プ

644 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 06:30
639のようなセンスの無い読みをあげぞうはしてるからね。
俺はサルトルもレヴィナスもニーチェそれ自体を批判したことなど
一度もない。むしろ彼らと、彼らについての素人的な読みとの線引きを
やっているに過ぎない。この線引きができていないあげぞうは
そもそも哲学の何を学んできたのか俺には分からんよ。

645 :1:2001/07/18(水) 06:33
>>641
あーんとね、それ、彼らがやることだと思うんだわ。
って、俺めんどいダケだけど。
このままじゃ「東スレ」を荒らしてるだけだと思うんだわ、彼ら。
あ、なかなか良いね、それも。
あげぞう東スレ強襲。うん、悪くないかも。
って、このままじゃ俺も荒らしてるだけか。確かにこの所ネタ少なかったしなー。
とか書いてたら>>642だよ、らげさん。
東、全然関係ないっすよ、荒らしてるっすよ。

646 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 06:34
>>645
 氏ね

647 :1:2001/07/18(水) 06:35
あーぅー。喧嘩売られちゃった。どおしよ?
とりあえずバニラアイスかな、東に倣って。

648 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 06:38
どうでもいいが1のリンク消えてっぞ

649 :1:2001/07/18(水) 06:40
多分そのうちHtml化されて過去ログ倉庫入るよ。
わざわざ過去スレミラーサイトにアップすんのもメンドイし。
……めんどくてもやるの?わかったぁ。そのうちね。
東系のサイトもまとめてのっけてみたいよね。電波なのから萌えっぽいのまで。
けど、それじゃ方向性変わらないか。うーん。引き出し少なくてゴメンね。

650 :生に対する郵政三事業民営化の利害:2001/07/18(水) 07:06
>1
議論の渦中に身を呈しているわけもなく、それに足る力量も持ち合
わせてはないが、漸く「東氏的なるもの」の問題の核心を論ずる端
緒に赴きかけているこのスレを此処で「でじこのお口はヒロキたん
のザーメンでいっぱいだにょ」といふやうな「もえ」気分に浸るの
みの虚しい言語遊戯に引き戻されたのでは、2ちゃんねるは「見てる
だけ」派の我輩とて一言せねばならぬ。乱れ飛ぶ「誤配」の隙間に絶え
ず明滅を繰り返す「幽霊」たちの不気味な乱舞。これだけとってもすで
に充分観察に堪える論議の推移ではないのか。

想ふに、東氏にニーチェを接続せよ、といふのが、主に三氏により
停滞凋落見るも無残のこのスレに投げ込まれた劇毒であり、これは
いうまでもなく『存在論的、郵便的』末尾の頓挫をいささか勇み足
ともみえるラカンの図式の援用と同時代の意匠分析へと性急に回避
していくかにみえる氏への懐疑を伴う逆説的な鼓舞の現れととれる。
粗雑な整理で恐縮だが、「ハイデガー‐レヴィナス」的な「否定神
学的なるもの」の引き受けから「超人」による新しき倫理の構築が
模索さるべきとする あげぞう氏と、ポストモダンへの歴史的な雪
崩込みを不可避として受け止め、東氏のデリダ論における「否定神
学的なるもの」の構築の複数化相対化による脱臼をその端緒にすべ
き、とするらげ・e両氏との、ニーチェ解釈を巡る熾烈な互いへの
挑発は、そのまま東氏が世に問うた郵便的なものに対する生の利害
を問い直す問題提起になりえている、あるいはその萌芽がみられる
のではないか。此処には当然、フーコー晩年の思索を拒否しながら
ポストモダン以降の主体の在り方を手探りで狙い打とうとしている
「東氏的なるもの」の諸問題が今後の議論にからんでくるべきであ
ることはいうまでもないが。

651 :ザ・神様こと吟遊詩人WIZ!! :2001/07/18(水) 07:12
Come on!! everybody!

652 :1:2001/07/18(水) 07:12
>>650
って思ったけどね。東スレでやる必然性は、このスレに話題を持ち込んだ比ヤングが東信者だ、
って事以外に理由がないんだわ。
どーでもいいけど、
>東氏にニーチェを接続せよ、といふのが、主に三氏
これ、三氏に失礼だよね。

あー、俺が場違い?うぃーっす。

653 :ザ・神様こと吟遊詩人WIZ!!:2001/07/18(水) 07:15
ういーす ういーういーーーーーしゅ!!

654 :ザ・神様こと吟遊詩人WIZ!!:2001/07/18(水) 07:16
なにがザーメンだよ バーカ

655 :ザ・神様こと吟遊詩人WIZ!!:2001/07/18(水) 07:16
アホかおまえら

656 :比ヤング:2001/07/18(水) 08:50
>>652

あげぞうの目的は、東を読まずに、マイ哲学だけで
東、デリダはクソ!と証明し、それによって比ヤングも
クソであるとすることですから。虚しさ全開です。

旧日本軍が敵の実力を知ろうとせずに特攻していったような
愚かしさを感じずにはおれません。
僕は言うまでも無くクソですが、二次テクストすら読んでないくせに
東やデリダをクソと言い切る人よりは多少マシだろうと思います。

657 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 10:10
>656

この自意識過剰をなんとかしないと病気は直らんぞ。

658 :でじこ:2001/07/18(水) 14:53
ヒロキたんのザーメンは濃いにょ〜
おまけに匂いもきついにょ〜
でじこにそれをごっくんしろと言うにょ〜

659 :ザ・神様こと吟遊詩人WIZ!!:2001/07/18(水) 14:54

       〈 ̄ヽ
 ,、____|  |____,、
〈  _________ ヽ,
 | |             | |
 ヽ'  〈^ー―――^ 〉   |/
    ,、二二二二二_、
   〈__  _  __〉
      |  |  |  |
     / /  |  |    |\
 ___/ /  |  |___| ヽ
 \__/   ヽ_____)

660 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:21
>Rage Against The Philosophy
>そもそもレヴィナスの文脈で他者を「肯定」するなんて言い方は考えられない。
>絶対的他者は待望とか到来といったメタファーによって語られ
>むしろ主体との「埋められない距離」が強調されているはず。
>容易に肯定されるような存在じゃないわな。
「絶対的他者」すなわち「絶対的な他性」は、
たしかに「容易に肯定されるような存在じゃない」と言える。
レヴィナスはメタファーに頼ったとも言える。
比較的まともなレスだが、残念ながらやはり考察が甘い。

まわりくどいのはイヤなので、いかなり核心に行くけど、
ハイデガー=レヴィナス的な「存在=絶対的な他性」とは、
かつてヴィトゲンシュタインが「語りえないもの」と言ったモノだ。
ハイデガーも「存在」を正確に語ることはできなかった。
ハイデガーの後期の著作を読めば、延々と言葉をいじくりまわすのが続いているだけ。
これは否定するのはたやすい。
だが、ハイデガーはこうするしかなかった。
何故か?

661 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:21
「存在=絶対的な他性」というのは確かに語りえないものだ。
これは、「存在=絶対的な他性」が認識論的に把握不可能であること、
不可知論の前提に立てば容易に理解できること。
だから「存在=絶対的な他性」は語り得ない。
よって「存在」を語ろうとする際に、
必然的に「否定神学的思考」になるのはやむを得ないんだね。
で、東君は「否定神学的思考」を否定するらしい。
聴いたところを綜合すると、どうやら

「否定神学」的態度を取っていても「神=大きな物語=絶対性」を求めている点では、
「肯定神学」(このような概念はないけど、わかりやすいから敢えてこう表記)と同じだ

という批判らしい。私に言わせれば、センスが悪い批判だ。

662 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:21
というのは、「否定神学」は「神学」の一形式なわけだから、
「神=絶対性」を求めているというのはあまりにもアタリマエの指摘であって、
批判ですらないんだな。
そして、ハイデガーとかレヴィナスは「神=絶対性=存在」というものを、
否定神学的思考によって語り切れるとは思っていなかったハズ。
実際には、否定神学的思考によって「語ろうとした」、
「神=絶対性=存在」と「関わろうとした」ということさ。

そもそも否定神学とは、「全能なる神」「語り得ない神」について言及するために生まれた、
レトリック的な手法の1つなのだから。

663 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:22
さて、それでは何故人間は「語りえないもの」を語ろうとするのか。
ポストモダン的な批判は、
「語りえないもの」を語ろうとすることの論理的矛盾に集約されるだろう。
ところが、違うんだな、コレが。

「語りえないもの」を語ろうとするのは、人間の本質であり、
哲学の本質とも言える。
古代ギリシアの思想家達の出発点は、
イオニア自然哲学者達の問題意識はアルケー(万物の根源)に対する考察だった。
それはすなわち「存在に対する驚き」「存在驚愕(タウマゼイン)」ということばで要約されてもいる。
たとえ「語りえないもの」であろうが、理解しようとして考察を試みるのが人間の本質だ。
つまり、ポストモダン的な限界=閉塞状況とは、人間存在に対する無理解にあると思われる。

664 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:22
ちなみに私は東を読んでいない。
もしも以上の解釈が誤読・誤解だとするのなら、遠慮なく指摘してください。

ということで、「存在=絶対的な他性」に対して人間が唯一できるのは、
「語ろうとすること、関わること」になる。
ハイデガーは、死ぬまで「存在=絶対的な他性」を語りの対象として、関係を持とうとした。
それがあのようにしか語り得なかった理由だ。

665 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:23
さて、ここで何故未だに私の文脈をサルトルだと誤解するのか、
その原因を考えてみたい。

これはおそらく>>592などで、

>私はヒューマニズムを「私的−公的」同時に考えようとしているだけであって

と書いていることに起因しているのだろうね。
そういう意味では書き方の具体性において不充分であったと言えるかも知れないが、
「公的」を「政治的」としか読みとれないらげの底の浅さは否定しようがない。

666 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:23
「公的」とは何か?
再び古代ギリシア、アテナイを思い出して欲しい。
「公的」とは「政治的」もしくは「ポリス的」という概念であろうか?
私はそのような定義では具体性を欠いていると考える。
古代ギリシア、アテナイにおける「公的」とは、
すなわち「アゴラ的」「広場的」ということだと思う。

当時の「アゴラ=広場」では何が行われていたのかは、自明なことだ。
それはすなわち「議論」であり「対話Dialogos」である。
「人と人との1対1対応の対話」が行われていた。
このような「対話」を通じて、人間は互いに「他者」という「存在」を理解しようとする。
「対話」によって互いの「存在者」の存在性をあらわすことができる。
コミュニケイションによって、互いの「存在」と関わろうとする。

667 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:26
つまり、人間とは、語りかけることで「絶対的な他性=存在」を浮かび上がらせると同時に、
語りかけられることによって、自らの「存在=本質」を把握されるところのものだ。
相互的なコミュニケイションがお互いの「存在=本質」を現出させるのだね。

コレを言い換えれば、言語は「存在」を正確に記述することはできないけれども、
「存在」について語ることによって「存在」というものを感じ取らせる力を持っている、ということになる。

故に、私の対他者的なヒューマニズムとは、
「コミュニケイション=1対1の対話」による「存在=絶対的な他性」との関わり方、
という認識論的な条件から必然的に由来しているコトになる。
つまり、
語りかけることで、相手の「存在=本質」を浮かび上がらせ、相手を活かす、
語りかけられることで、自分の「存在=本質」を浮かび上がらせる、ダイナミズムだ。

語りかける私はわたしはらげを活かし、哲学電波厨房というらげの本質を浮かび上がらせる。
語りかけられることによって、私は鈍くさいモダニスト(?)という本質を浮かび上がらせられる。
お互いの「存在=本質」を顕在化させるのが「コミュニケイション=対話」による他者的ヒューマニズムだ。

668 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:26
>それにあげぞうは、自分はサルトルとは違うといってるが
>俺から見ればサルトル「以下」だわ。
だからサルトルとは違うということで良いよね?

>いかなる意味においても政治的文脈を無視するなら、
>それは他者を絶対化したロマンチシズムに過ぎない。
>実際そういう「ナイーブ」な感性をレヴィナスに求めるバカもいるけど
>吐き気がするね。ガキの論理だよ。
政治的文脈を無視しているわけではないよ。
何故に「いかなる意味においても」なんて誤読をするのかね?
私の「ヒューマニズム=倫理」概念において「政治性」を省いているだけでは?

669 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:27
どんな政治思想もヒューマニズムの要請を受けていることは理解できる。
民主主義は、「私的で自由な主体」と「公的で責任のある主体」という視点から構築されている。
ところが、どんな政治思想も、そのヒューマニズム性は形骸化・形式化してしまう。
政治思想というのは、目の前にいない第三者について考えることだからだ。
レヴィナスの文脈で言えば、「顔のない他者」について考えることだ。
そこにはコミュニケイションが存在しない。
1対1の直接的な対話がない故に、「他者=絶対的な他性」を現出する、
コミュニケイションという「行為」によって始めてあらわになる「ヒューマニズム=倫理」が出てこない。
だから、私においては、
政治的文脈は、ヒューマニズムとは別の文脈で定義されることになる。

再び、古代ギリシア、アテナイに戻って考えれば、かつては直接民主制だった。
そこには「1対1対応の対話」によってお互いの「存在=本質」を現出させる、
「他者的ヒューマニズム=倫理」の可能性があった。
ところが間接民主制に移行するに当たって、
直接の「コミュニケイション=対話」の可能性が閉じられ、
「政治」は本来の他者的ヒューマニズムを失ってしまったのではないか、
と現在の私はとりあえず考えている。

670 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:27
人生において幸福を追求しないのは間違っている。
ポストモダニストはそういう根本的な人間観を持っていない。
ポストモダンというニーチェが用意した文脈に甘えて思考停止し、
人間肯定の可能性を追求しようとしないポストモダニストは生ける屍だ。
そのような精神的態度をとる人間は、今すぐ死んだほうが良いよワラ

そういう意味では私は究極的な楽観思想家だけど、これは私だけじゃない。
プラトンは言うまでもなく、ニーチェだってそう。
ハイデガーでさえ、「死」について考えることで、「生」にリアリティを与えようとした。

私は人間を無条件に肯定しているわけではない。
ポストモダンに耐えうる人間観を構築しようとしているつもりなのだがね。
以下、それを説明しよう。

671 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:27
>>650
かなりセンスのいいカキコミですね。

>粗雑な整理で恐縮だが、「ハイデガー‐レヴィナス」的な「否定神
>学的なるもの」の引き受けから「超人」による新しき倫理の構築が
>模索さるべきとする あげぞう氏と、ポストモダンへの歴史的な雪
>崩込みを不可避として受け止め、東氏のデリダ論における「否定神
>学的なるもの」の構築の複数化相対化による脱臼をその端緒にすべ
>き、とするらげ・e両氏との、ニーチェ解釈を巡る熾烈な互いへの
>挑発

この整理はカナリ的を得ていると思うけど、
残念ながら私の「対ポストモダン的戦略」という意図が汲み取れていない。
何故わざわざポストモダンを標榜するウザウザの連中と対話しているのか?
それはモダンがポストモダンを超えていく過程を示そうとしているからだ。
揺るぎないモダンへの信頼を回復したと感じているからだ。

672 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:28
仮にらげ・e両氏が言っていることが上の整理の通りだとすると、
彼らは「複数化相対化による脱臼をその端緒にすべき」と言っているだけで、
「では、それをきっかけに何を脱構築するか?」という問いに答えていない。
で、私はその問いに答えているのだよ。

「複数化相対化による脱臼」とはすなわち、私の構築している文脈だ。
実は、ニーチェ、ハイデガー、レヴィナスという「複数化相対化」を実践しているのだね。
3者の差異を比較・肯定・止揚することで、
「端緒」の先の思想を語っているんだよ。
私にニーチェの文脈(視点・価値観)のみを与えようとしても、
サルトルの文脈(視点・価値観)のみを与えようとしても、
レヴィナスの文脈(視点・価値観)のみを与えようとしても、
私を捉えることはできない。
敢えて言えば「あげぞうの文脈」と言うしかない。
そして「あげぞうの文脈」とは、「複数化相対化」によって支えられているのさ。
こう書いて、わかってもらえるかなぁ?

673 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:28
そして「あげぞうの文脈」を批判するとしたら、
「あげぞうの文脈」をまとめてモダン的文脈として措定し、
それにポストモダン的文脈をぶつける以外にないだろうけど、
コレには相当無理があるんダナ。

ということで、長くなってきたので、そういう批判を期待しつつ今日は終了します。

ひとつだけ、私がこのスレッドに書き込んでいるのは、
「果たして私が東を読む必要があるのかどうか?」
を皆さんに判断して貰うためです。
エゴイスティックで申し訳ないが、有益なアドヴァイスを希望します。

674 :あげぞう:2001/07/18(水) 21:28
>643 名前:Rage Against The Philosophy 投稿日:2001/07/18(水) 06:25
>それにしてもこれでリーマンとは(プ

いやあ、リーマンで申し訳ないねワラ
暇人にして思考停止のらげ君とは社会的立場も異なるようだ。

675 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 22:16
>ハイデガー=レヴィナス的な「存在=絶対的な他性」とは、
>かつてヴィトゲンシュタインが「語りえないもの」と言ったモノだ。

>たとえ「語りえないもの」であろうが、理解しようとして考察を試み
>るのが人間の本質だ。
>つまり、ポストモダン的な限界=閉塞状況とは、人間存在に対する無
>理解にあると思われる。

>コレを言い換えれば、言語は「存在」を正確に記述することはできな
>いけれども、 「存在」について語ることによって「存在」というもの
>を感じ取らせる力を持っている、ということになる。

>人生において幸福を追求しないのは間違っている。
>ポストモダニストはそういう根本的な人間観を持っていない。
>ポストモダンというニーチェが用意した文脈に甘えて思考停止し、
>人間肯定の可能性を追求しようとしないポストモダニストは生ける
>屍だ。


あげぞうちゃんの660から673までのお話をよ〜く読むと、何故ハイデガー
がある時期までナチスを支持したのかがよく分かります。
そういう意味で興味深いサンプルです。

676 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 22:54
あなた達は哲学以外でも、こんなに博識なんですか?

677 :あげぞうの哲学の要旨:2001/07/18(水) 23:01
僕と君はいくら議論を重ねても理解し合うことはないかもしれない。
でも、お互いが言葉を交わすことによってその存在を確かめあうのさ!
そして、皆で幸福を追求するのさ!
でも、チョンは何言ってるかわかんねえから関係ないのさ!
もちろん犬も牛もイカも言葉を話さねえから関係ないのさ!
未来の人間とも言葉を交わすことがないから関係ないのさ!
だって、ヒューマニズムだもん!

678 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 23:30
おやおやあげぞう君
ずいぶん論調が穏やかになってきたな。
でも相変わらず誤読が激しすぎるので
からかい半分で指摘しといてやるよ。
その前にあげぞうは後期ハイデガーの言葉の問題の核心を全く理解できていない。
それはハイデガーが語りえないものを思考したということではなく、
「存在が自らを語る」という具合に定式化したこと、
これは不可知論的な話とは全く違うのだが、これはまぁいい。

679 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 23:42
あげぞうの不理解は次の言葉から始まる
>「公的」とは何か? 再び古代ギリシア、アテナイを思い出して欲しい。
>「公的」とは「政治的」もしくは「ポリス的」という概念であろうか?
あげぞうは、本来の公的とは、アゴラ(広場)における対話を意味し、ゆえに
一対一で対話を行う直接民主制こそ人間の政治的な在りようの模範だと考える。
で、あげぞうの矛盾は次の二点に集約される。
つまり、直接顔を付き合わせるというコミュニケーションの態度は
レヴィナスの文脈ではまず考えられない。あげぞうの書きこみそのものがこれを示している。
>政治思想というのは、目の前にいない第三者について考えることだからだ。
>レヴィナスの文脈で言えば、「顔のない他者」について考えることだ。
>そこにはコミュニケイションが存在しない。
あげぞうは全く非レヴィナス的だが、サルトルのようなドライな対他関係を肯定するには
あまりにナイーブすぎるというわけだ(プ
次にあげぞうは、政治の本質を分かっていない。
政治とは要は、目の前にいない人間についても、平等な扱いがなされるようなシステムを作ることだ。
直接顔をあわせる人間しか考慮しないのであれば、それはただのムラ社会に過ぎない。

ほんまにリーマンか?(笑)


680 :Rage Against The Philosophy:2001/07/18(水) 23:51
あげぞう、東読む必要はないので原典を読みなさいね。

681 :哲人:2001/07/18(水) 23:51
東って誰?

682 :考える名無しさん:2001/07/18(水) 23:58
>政治とは要は、目の前にいない人間についても、平等な扱いがなされるようなシステムを作ることだ。
政治とは、嘗てに於いては「滑り止め」であり
現在に於いては「ごまかし」であり
未来に於いては「指針」である。

683 :哲人:2001/07/19(木) 00:00
法=政治だと思いますか?

684 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 02:14
やっぱ余所でやってほしいわ。

685 :哲人:2001/07/19(木) 02:27
すみませんでした!

686 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 02:42
民主政治は、ただそれが一番悪の少ない政治だからだ。

687 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 02:55
民主主義にしとく、ってのがたまたまちょうどよかったなっしゅきんこーなんだよ。そんだけ

688 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 02:58
>あげぞう、らげ
だから、別スレ立ててやってくんない?
いい加減、うざいは。

689 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 03:05
この二人、むさくるしい・・・

690 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 03:15
Rageやるじゃねえか。
見直したぜ、特にハイデガー理解なんて、なかなかセンスいいぜ。
だが、議論そのものは少しスレ違いだな。(笑

691 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 03:33
ラゲは普段は馬鹿だと思われてるだけに
少しまともなことを言っただけで誉める
奴が現れる。
しかしそれは「馬鹿のくせにやるじゃん!」
という本質においては侮蔑的であることに
変わりはないのだが。
ビートたけしみたいに普段は馬鹿やってる奴が
少しまともなことを言うと過剰に評価されるのと同じだ。
しかし、「ビートたけしは当たり前のことしか言っていない」
という鋭い批評はらげにも当てはまる。
まあ、あげぞうが当たり前の知識以下しかないのがそもそもの元凶だが。

692 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 03:40
>rage
>次にあげぞうは、政治の本質を分かっていない。
>政治とは要は、目の前にいない人間についても、平等な扱いがなされるようなシステムを作ることだ。
お前の理想を勝手に政治の本質にしてんじゃねーよ。
まったくいつもいつも、、、
自信満万で断定的に「要は、要は」と連呼するのはいい加減ヤメレ。
一般論でもない勘違い意見で、物事を勝手に定義するのもいい加減ヤメレ。

ほんまにに大学生か?(笑)
らげ、東読む必要はないので中学生の歴史の教科書を読みなさいね。

693 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 03:43
ビートをバカにすんな!!
あの人は天才だよ、

694 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 03:44
政治の本質ってなんだよ!
語れんのかよ!

695 :Rage Against The Philosophy:2001/07/19(木) 03:45
ハァ?
俺は理想なんか書いてないぞ。
上の記述内容はホッブズあたりのごく一般的な主張内容だ。
いっぺん死ぬか?

696 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 03:46
>>691
知的障害者が「1+1=2」と答えられた時と
健常者が「1+1=2」と答えた時とでは、
周りの受けとめ方の相違が現れるからな。
前者には「よくやった、すごい!」だが、
後者には「出来て当たり前だろ?」だからね。

697 :Rage Against The Philosophy:2001/07/19(木) 03:48
とりあえず俺は凡庸な意見しか言ってないぞ。
あげぞうが凡庸な意見に「すら」達してないからだ。
ほんまは電波な発言したいんだけどね!

とりあえず692は殺す。

698 :Rage Against The Philosophy:2001/07/19(木) 03:51
俺の意見のどこがおかしいのかな692?
>政治とは要は、目の前にいない人間についても、平等な扱いがなされるようなシステムを作ることだ。
ちがいますか?

699 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 03:51
>>696
エジソンはどうなんだよ?

700 :Rage Against The Philosophy:2001/07/19(木) 03:59
余裕で700!
692は轟沈か?くっくっく。

701 :Rage Against The Philosophy:2001/07/19(木) 04:00
じゃ、ねます〜

702 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:02
確かにらげの凡庸さは典型的なんだよね。
しかし、そのせいで逆にあげぞうの愚鈍さが際だつ。
愚鈍と凡庸。
将来有望なのは愚鈍のほうだよな、やっぱ。

703 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:05
第二次世界大戦の本質について勉強してみ。
中国の歴史一般もね。

704 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:06
>>698
また、そうやって普遍化するな。
だから、理想っていわれんだよ。
政治理念なのか、政治なのかはっきりしろ!
政治という意味にどれだけ歴史的変遷があると思ってんだ。
アホが。せっかく他のやつが誉めたのに、恥をさらすな。(ワラ

705 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:08
奴はヒトラーさえ知らない哀れな哲ヲタなんですよ。
視野の狭いこと狭いこと(w

706 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:10
ホント狭いね!

707 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:17
当スレはらげを調教するスレに変更しました。
どんどんらげに常識を仕込んでやって下さい。

708 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:18
しっかりしろラゲ!
このハゲ

709 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:23
>>704など
システムという言葉で言い表すような、「何か」が必要だと
らげは言ってるだけだろ。「何か」を普遍化しろなんて、らげは
一言も述べて無いじゃん。なんか的外れな反論が多いね。

>>703、705
これ、普遍化だよね?

710 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:25
的はずれてねーよ
政治と政治理念は別もんだろが!

711 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:27
>>710
なんで?

712 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:28
思念と行動だよ!

713 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:31
>>712
思念と行動?
行動のほうに「政治」をあててるんだよね?
政治って何?

714 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:33
行動だよ

715 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:34
ああ、そうそう多分らげは、「何か」を政治的実践に耐えうるような性質の
ものに「歴史的に」つくりあげなくてはいかん、くらいのことは、
当然考えていると思うんだけど。その場合、当然に政治と政治理念が
乖離するといえるの?

716 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:34
>>714
なーんじゃそりゃ。

717 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:36
じゃあてめー説明してみろよ、できんのか?

718 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:39
早くしろよボケ

719 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:41
遅せーな!

720 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:42
まだかよ、口だけか?
あー。

721 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:43
>709、らげ
>目の前にいない人間についても、平等な扱いがなされるような
これが民主主義を前提にした上の一つの建前に過ぎないのが分からないの?
取り敢えず我が闘争でも読んで、国家社会主義について少しでも
勉強して来い!

722 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:45
結局文句たれるだけかよ。
ほんと屑だね!

723 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:50
>>717
まず、それは立証責任の転嫁だよ。だからこの場においては、
君の負け。私(っていうからげ)の勝ち。どうでもいい話しだけどもね(笑)
そんなに気を悪くしないでくれよ。
っていうか、転嫁して文句たれるだけかよ・・・。>>718-722

>>715
>その場合、当然に政治と政治理念が乖離するといえるの?
政治理念を、「実践の中にある諸問題」を、どのように理念から位置付け、
方向づけるか、の話として構成しても問題ないでしょ。
つまり、基本的には、政治は、行動(実践の中でしか結果はでない)なのは
当然であるが、政治と政治理念が別物、と言った場合の帰結を想像して、
それを回避するやり方をとることも、政治理念の中に含めて考えれば
いいだけの話だろ、ということだよ。

724 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:50
>>715
このおばかさんは、何を言ってるんだ?
>>「何か」を政治的実践に耐えうるような性質の
ものに「歴史的に」つくりあげなくてはいかん
そんなこと、らげが思ってるってなんで勝手におもいこんでんの?
>>平等な扱いがなされるようなシステム
これが、ひとつの理念でなかったら、いつ乖離してなかった?
政治理念が政治という現実にあわせられるのを考えたことある?

725 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:52
>>721
そんなある理論構成の名称を振り回されても、なんとも思わんぞ。
平等は言葉としては理念だけど、実践の過程の中で照準とされるべき
ありようを示す方法のひとつではないのか?

726 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:55
そうだな!
FFでもやるわ!
俺には哲学は向かねー
でもこれでもサッカー雑誌の記者やってんだよ。
ひどいだろ。

727 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:55
>>724
前段については、説得的な理由はない。ただ、「目の前にいない人間」が
どう扱われるかを問題にするような人間が、>>715にいうようなことを
意識していないとは考えにくい。
後段については、すでに説明した。

728 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:56
>>726
どの方ですか?
私はきさくな方は、好きですよ。

729 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 04:57
>>723
それは、あんたの考えであって、RAGEのじゃない。
まあ、RAGEが賛成したと仮定してもいいが、
くれぐれも、RAGEの言った
>>要は政治とは・・
っいう文がなにを意味するか、考えてね。
君のは、かなーりt都合のいい解釈だよ、わかる?

730 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 05:00
>>729
わかります(笑)。ごめんよ〜
でも、多分同意されると思うんだけどなあ(←往生際が悪い)

731 :ななし:2001/07/19(木) 05:02
いろいろ話が錯綜してるけど
ようするに(らげ調)
あげぞうにしてもらげにしても
他者との関わりの政治的な意味をどう考えるか、という問題に
焦点はしぼられそうだね。
これはある意味、郵便的不安という観念に拘泥している東氏の主張を超えるかたちで
現実の対他関係についてどう考えるべきか、という問題でもありますね。

732 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 05:03
もういいよ!
でもちょっと陰気臭い感じがしたんでね!
そういうスレだよな!
がんばって!
じゃね!

733 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 05:03
>>731
きれいにしめましたね。

734 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 05:03
>726
今日は徹夜でFF10する予定だった。
買いそびれてなければ、こんな2チャンネラーなんかとだべってなかったのに。
明日は予約なしでゲットできるだろうか。。。
(スレに関係のない話スマソ

735 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 05:04
>>730
そんな急に、折れるのなよ。
腰砕けになるじゃねえか。(笑
俺が言いたいのは、君みたいにRAGEが考えてるとしたら、
あんな不用意な発言はしないってことよ。

736 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 05:08
>>734
ははは、こんな小難しいことしゃべってる裏で、そういうことをしてるってのが
わかると、面白いよね。

>>735
まあ、そうとも言えるよね(笑)。でも、汲み取れる限りの事は、述べられてる
ように私としては思うよ。いや、これはひいきだな。

737 :あげぞう:2001/07/19(木) 08:49
らげと・e・は同一人物だな。

私の直感だけど。
らげは研究者である・e・の2チャネル用煽りキャラだろ。
2ちゃんねるのスタイルに影響された研究者だよ。

いまさららげが「原典読め」とか言うところにアカデミズムを感じるし。
それから、「オマエの主張はサルトルだろ?」とか「あげぞうは非レヴィナス的」とか、
既存の哲学者の一元論に頼った批判をしようとしてくる。
これって「解釈の正しさ」を追求するアカデミズムに染まった人間が主張することだ。
他にもイロイロ理由があるが。
最大の理由は私を「リーマン」だとは信じようとしないコトにある(w
らげと・e・は同一人物であり、両者との関わりから私は同じ「存在=本質」を汲み取った。

問題はらげ=・e・が何の研究者かと言うことだな。
参加者に教えて惜しいモノだけど、
らげ=・e・はハイデガーもニーチェもレヴィナスもサルトルも読んでないようだ。
英米系の人間か、上の流れの外の人、つまり、アドルノやベンヤミンの研究者じゃないか?
ポストモダンの研究者としては、「視点=価値観」の関する指摘のセンスが悪すぎた。

738 :あげぞう:2001/07/19(木) 08:55
「Rage against the philosophy」って、
「Rage against the Machine」から来てるんだろ?
たしかメタルかパンクのバンド名だよな。
アメリカ大衆文化だ。
そう考えると、アドルノの研究者である可能性が高いな。
「・e・」は全く想像が付かないけどね。

まあ、大学教授なら自分を研究者とは言わず教授と言うだろうから、
どっかの院生だろ。
ここ2年くらいで大学で発表されたアドルノ論を調べれば、
「らげ=・e・」はソーシャル可能だと思う。

739 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 09:29
>>737
・e・はハイデガー研究者だったはずだよ。
フランクフルト学派にも詳しいかったかな?
・e・は「中居正広」という別のHNも
使っている。本人がそういってた。
らげが現れると同時に・e・は消えたのは確か。
「弁証法とは結局どういうことか」スレを見ると、
そこで・e・はOFWさんと議論してて、そこにラゲが
煽りとして現れ、OFWさんに噛みつく。
しかし・e・は「らげは放置」といって、そのスレから
消えた。
それ以降・e・はほとんど哲学板に現れなくなり、代わりに
ラゲの煽りが哲学板でうざいほどよく見られるようになった。
だからといって二人が同一人物かは知らん。

740 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 09:49
>「らげ=・e・」はソーシャル可能だと思う。

ソーシャルしてどうすんの(ワラ

741 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 09:50
・e・は文学板で「文学とはなにか」という
スレを自分で立てて、文学板の住人に喧嘩を
売ってた経歴があるね。
・e・とラゲは自己顕示欲の強さでは確かに似ているよ。
あと、自惚れの強さや他者への攻撃性もね。
・e・は冷静な議論もできるが、口汚いく罵る側面もあったから、
そこもラゲ的かな。

742 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 10:04
「ラゲ=・e・」が本当かどうかを検証するスレ
つくろうか?
だって、結構符合してるじゃん(ワラ

743 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 10:26



      コテハン依存症

744 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 11:07
同じだと言う奴の気が知れないよ。
ハイデガースレ読んでるんだろ?

それにあげぞうも少しやり込められたぐらいで泣きを入れるな。
最近の議論では群を抜いて読み応えがあるんだから。
RAGEが最近何読んでるか判れば不思義じゃない、判り易い奴だ(w

745 :ななし:2001/07/19(木) 11:33
>・e・はハイデガーもニーチェもレヴィナスもサルトルも読んでないようだ。
  爆弾発言だな・・

746 :ななし:2001/07/19(木) 11:39
あげぞうはらげのキャラに話を移したいのなら
その前にレスにきちんと答えたほうがいいと思われ。

747 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 11:40
>>744

騙されやすいタイプ。

748 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 11:51
いろいろ勉強してるんだね ついていけないや。。。

749 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 12:03
ラゲは哲学史の常識を振りかざしているだけ
というあげぞうの指摘は当たっている。
もし、あげぞうがポストモダンのさらに後、
つまりポスト・ポストモダンについて語っている
なら、あげぞう哲学史の埒外に飛び出している
から、哲学史の常識の埒内にいるラゲに勝ち目はない。
なぜなら、ポストモダンに至る過去の哲学史の過程は
すでに皆に知られている確定的事項だからであり、
その真偽の確定可能な事項にラゲは従っているため、ラゲ
の指摘は真偽の確定のふるいにかけられる分、周りの
評価も得やすいが、対して真偽の確定不能な未知のポスト・
ポストモダンについて語っているかもしれないあげぞう
はその真偽確定のふるいの外にいるため、ややもすれば
独断的とみなされ、非難の対象になるから。
つまりラゲは解りきったことを繰り返すので、その態度は「研究者的」だが、
あげぞうは未知への模索をしているようなので、その態度は
「探求者的」といえる。探求者は未知へ向かう分、どうしても山師的に見えるので、
あげぞうは根本的に疑われる怪しい立場にいたわけだ。
だから、あげぞうは常識のまえに敗れ去ったのである。

750 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 12:17
>>749
当たり前のことだけ言って悦に入って
いるらげは確かに問題かもね。
当たり前のことしか言わない奴って
口調が先生的だし。
ここは学校じゃないんだからさ・・(w

751 :比ヤング:2001/07/19(木) 12:19
あげぞうの思想はモダンでしょ。哲学史の常識の埒内じゃん。

752 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 12:48
★★★私がハイデガーだが何か質問ある?★★★
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=982695233

>・e・はハイデガーもニーチェもレヴィナスもサルトルも読んでないようだ。

あはははは。

753 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 13:02
>>749
それはあげぞうに好意的過ぎるでしょ

>真偽の確定不能な未知のポスト・ポストモダンについて語っているかもしれないあげぞう

馬鹿ですか?

754 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 13:05
馬鹿とか言ってないで 自分の反論しろよザコ

755 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 13:09
まったく哲学になってませんな

756 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 13:10
>>755
お前過去ログ読んでないだろ。

757 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 13:11
>>754
過去ログみていないで書き込むなよザコ

758 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 13:12
見るまでもなし!

759 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 13:12
くだらん

760 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 13:14
>>759
お前の存在が一番くだらない。氏ね

761 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 13:18
新出来まーsy

762 :あげぞう:2001/07/19(木) 14:13

すまんね、私は602の・e・しか知らない。
時間があれば、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=982695233
も読んでみるよ。

ただ、>>602という・e・が現れたタイミングが良すぎると思ったのでね。
・e・とらげは、仲がよいのか?
で、>>613>>614だろ。
らげは「自作自演みたい」と書いているけど、その自作自演としか思えないな。
らげが602で述べた・e・の文脈に乗ったというのではない。
むしろらげが・e・を用意して、らげに戻ったと考える。

というのは>>602では、最初
>端からちょっとだけ見てるけど
>あの、あげぞうさんの
と始まっておきながら、
>そういう意味ではらげには
>あげぞうの性急さは見られないな。
というようい、あげぞうから「さん」を取ってしまってらげ調になっている。
そそっかしいだけかなぁ。

763 :あげぞう:2001/07/19(木) 14:13
>>739
>「弁証法とは結局どういうことか」スレを見ると、
>そこで・e・はOFWさんと議論してて、そこにラゲが
>煽りとして現れ、OFWさんに噛みつく。
>しかし・e・は「らげは放置」といって、そのスレから
>消えた。
非情に興味深いですね。後で読んでみます。
私には同一人物としか思えないねぇ。

>740 名前:考える名無しさん 投稿日:2001/07/19(木) 09:49
>>「らげ=・e・」はソーシャル可能だと思う。

>ソーシャルしてどうすんの(ワラ
まさにその通り、笑い者にする。
だって大笑いだぜ、コイツ。
研究者だとしたら、恥ずかしいことこの上ない。
もし「らげ=・e・」を否定するのなら、ちょっと調べてみるわ。
単なる私の自己満足で、
別に2ちゃんで個人情報を公表するつもりはないけどね。

764 :あげぞう:2001/07/19(木) 14:13
>>744
ヒマがあったら、これから読むよ。

>746 名前:ななし 投稿日:2001/07/19(木) 11:39
>あげぞうはらげのキャラに話を移したいのなら
>その前にレスにきちんと答えたほうがいいと思われ。
この指摘はもっともなので、他に「らげ=・e・」検証スレッドを作って下さい。
レスにはきちんと答えるから、もう少し待ってください。

>あげぞうを敗者と指摘する人々
あなた方はモダニストだね。
「勝者」とか「敗者」という価値観に頼っているだけ。
そのようなモダン一元論には興味がない。
私が思考しているのはモダン多元論だから。
どうも「勝利至上主義」「煽り至上主義」を脱構築できていない人が多い。
私は「勝利」にも「煽り」にも興味がない。
言いたいことを言うだけ。
受け取る側にとっては、結果的に「煽り」に見えることはあるかもしれないけど。

765 :あげぞう:2001/07/19(木) 14:14
>>677さん
>名前:あげぞうの哲学の要旨 投稿日:2001/07/18(水) 23:01
>僕と君はいくら議論を重ねても理解し合うことはないかもしれない。
>でも、お互いが言葉を交わすことによってその存在を確かめあうのさ!
>そして、皆で幸福を追求するのさ!
>でも、チョンは何言ってるかわかんねえから関係ないのさ!
>もちろん犬も牛もイカも言葉を話さねえから関係ないのさ!
>未来の人間とも言葉を交わすことがないから関係ないのさ!
>だって、ヒューマニズムだもん!
惜しい。
「言葉」を持たない「モノ」に対しては認識論=存在論が適用される。
私が「モノ」に語りかけることによって、「モノ」の「存在」が現れる。
「モノ」があるが故に、私の「存在=本質=認識主観」が活かされる。
「存在即被知覚」というバークリ的認識に、
ハイデガーの文脈を乗せれば理解できること。
私は「モノ」に対しては他者的ヒューマニズムを適用することはできないが、
バークリ=ハイデガー的な認識論=存在論によって、「モノ」との共生を考える。

766 :あげぞう:2001/07/19(木) 14:14
>690 名前:考える名無しさん 投稿日:2001/07/19(木) 03:15
>Rageやるじゃねえか。
>見直したぜ、特にハイデガー理解なんて、なかなかセンスいいぜ。
>だが、議論そのものは少しスレ違いだな。(笑

690さんが褒めたらげのハイデガー理解とは、

>その前にあげぞうは後期ハイデガーの言葉の問題の核心を全く理解できていない。
>それはハイデガーが語りえないものを思考したということではなく、
>「存在が自らを語る」という具合に定式化したこと、
>これは不可知論的な話とは全く違うのだが、これはまぁいい。

だろ。ますます「らげ=・e・」っぽくないか。
わかった。

767 :あげぞう:2001/07/19(木) 14:14
「・e・」は確かにハイデガーの研究者かも知れない。
で、私のハイデガー解釈に穴を見つけることができないから、
「それは、ハイデガーの誤読だ」という批判をせずに、
ひたすら「レヴィナスの誤読だ」とか「サルトルの問題意識」だとか言ってたんだ。
「らげ」はハイデガーに関する指摘はなかなかしてこなかったんだよ。
それは「らげ=・e・」がハイデガーに関して詳しい、ということになるね。

「らげ=・e・」はハイデガーやアドルノの研究者だとすれば、問題なし。
>>739さんの解釈に完全に一致する。

768 :あげぞう:2001/07/19(木) 14:15
>その前にあげぞうは後期ハイデガーの言葉の問題の核心を全く理解できていない。
>それはハイデガーが語りえないものを思考したということではなく、
>「存在が自らを語る」という具合に定式化したこと、

これも私の文脈で解釈可能だ。
1対1対応の人間の間では対話=コミュニケイションが可能だ。
ところが「人間以外の言葉を持たないモノ」との対話は不可能だ。
普通はそう考える。
語り得ない「存在=絶対的な他性」を飽くことなく追究した結果、
ハイデガーは「人間」と「存在」との対話=コミュニケイションという、
ある意味宗教的な悟りの境地に達したと言うことだよ。

私が「存在」が語りかけることで、「存在」が現れ、
「存在」が「私」に語りかけることで、「私」が現れる。

そういうこと。

769 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 14:32
>>766
ははは。
だからね。
RAGEは・e・のハイデガースレを読んでるんだってば。
現在精進してる真最中なんだから。
影響されててなんら不思義じゃない。

そんなにRAGEや・e・に情熱燃やさなくてもいいだろうに(w
だいたい一緒だろうと別にどうでもイイよ。そんなもん。
言ってる事が面白ければ。

770 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 14:40
どうせ俺には誰もかなわないね
お前らゴミ。クズ以下俺が葬ってやるよ警察呼んでやるからな
この犯罪者どもめ

771 :スーパー名無しくん:2001/07/19(木) 14:44
すごいね>768

772 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 14:46
ぎゃーっははははははははははははははははは
俺の哲学のまねすんなよ
771,あれは俺のマネだ

773 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 14:55
まねまねくんは犯罪者だな

774 :WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 15:00
俺の哲学をマネしたまねまね君は犯罪者。死刑!!

775 :比ヤング:2001/07/19(木) 16:26
>「言葉」を持たない「モノ」に対しては

チョン・犬・牛・イカ・未来の人間という例を、「言葉」を持たない
がゆえに「モノ」と言いきる発想の恐ろしさ。

>私は「モノ」に対しては他者的ヒューマニズムを適用することはできないが

「言葉」の通じない「モノ」は他者ではないという発想の恐ろしさ。

だって、ヒューマニズム=人間中心主義→民族中心主義・人種中心主義だもん!

776 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 16:55
>比ヤング氏
いいんだけどさ、
ココは東スレなんだしさ、
事の発端の君が事態を収拾してくんなきゃさ。
別スレ立てるなりなんなりしてくれよ。

777 :ダミーWIZへ:2001/07/19(木) 17:02

あまり無差別な暴言は止めるように 真・WIZ

778 :比ヤング:2001/07/19(木) 17:42
>>776

ヒューマニズム=人間中心主義から民族中心主義・人種中心主義へは
つねに一歩、だからハイデガーはダメである、という指摘は東が
『表象のディスクール1』という本でやっているので、
東の話題に戻りますです、はい。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_contents.cgi/3b2728e99a8880106d60?aid=&bibid=00007228&volno=0000&cntfg=1

779 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 17:51
>>778
その指摘の元ネタはデリダだろう。「不過視〜」から要約して引用すると、

ハイデガーはあるセミナーで、
物には「世界がない」、人間は「世界を作る」、動物は「世界が貧しい」
と言っているが、デリダに言わせれば、ハイデガーの言う「貧しい」という思
想は人間中心のヒエラルキーにすぎず、(ギリシア語ードイツ語民族の問題に
置き換えれば)これこそがナチ問題と繋がっていると。

ただ、そこからコミュニケーションの問題を考えると、デリダもはっきり言わ
ないし、東も「わからない」と、対談相手の斎藤環もラカン派的にも「ミッシ
ング・リンク」だと。

780 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

781 :比ヤング:2001/07/19(木) 18:01
>その指摘の元ネタはデリダだろう。

そうそう、それです、その話です。
で、「想像界と動物的経路」では象徴界と想像界の区分は
現実界と象徴界の区分のように厳格ではなくて云々かんぬん・・・

782 :あげぞう:2001/07/19(木) 18:28
>>775

簡単な芸術論を1つ。

「楽器」という「モノ」があるよね。
そして音楽家、弾き手、すんわり「演奏者」がいる。
演奏者と楽器との関係は、やはりコミュニケイション的、相互的なものだ。
演奏者が楽器を支配しようとしても、芸術は生まれない。
演奏者と楽器との対等なパートナーシップが結ばれるとき、
芸術としての音楽が生まれる

楽器は演奏者を「選ぶ」し、楽器は演奏者に「選ばれる」
演奏者は楽器を「選ぶ」し、演奏者は楽器に「選ばれる」

芸術は、人間とモノとの関係を解明するヒントを与えてくれる。

783 :比ヤング:2001/07/19(木) 18:39
ネタ元は『精神について』のVI章p.75〜92ですね。
以前は読めなかったんですけど、改めてパラパラと見ました。
なんかいまなら割と読めそうな感じ。
この本はあげぞうにオススメかも。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9900231171

784 :比ヤング:2001/07/19(木) 18:42
楽器には象徴界も想像界も無いんですけど・・・

785 :比ヤング:2001/07/19(木) 19:20
やっぱ、キャラ萌え的な、一方的感情移入のコミュニケーション?
になるんじゃないの。モノ相手だったら。

でじこはおたくに「萌えない」し、でじこはおたくに動物的に「萌えられる」
おたくはでじこに動物的に「萌える」し、おたくはでじこに「萌えられない」

オタク文化は、人間と世界との関係を解明するヒントを与えてくれる。

786 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 19:27
フェティシズムとは少し違う?

787 :比ヤング:2001/07/19(木) 19:32
フェティシズムつーと精神分析的なものだったけど、
エロ・コミックを見る訓練を重ねていけば、
二次元にも萌えることができるようになる。
筋肉をつければケイン・コスギよろしく飛び箱を飛べるようになるような世界。

・・・でしょ?東の言ってるのは。

788 :時間論で時間を書いた人:2001/07/19(木) 19:36
芸術論 楽器について語ります

楽器は臓器を含め必ず人の何かを模倣し拡張してできるが
これはPCにも同じことが言える

その中で人に最も近いのがPCと言えるが
さしずめインターネットとは人の想念通信を具現化したものといえるだろう

789 :時間論で時間を書いた人:2001/07/19(木) 19:38
想念通信とは ・・・まぁ 言わなくても分かるよね

790 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 19:38
文字のコミュニュケーションが想念通信?
それはちょっと違うんじゃ…

791 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 19:39
対話、電話、チャット
(想念の)優劣が付けられるのか?

792 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 19:55
ちがうってぜんぜん・・・・・話になりませんな
想念そのもので交信する場合をいっているんだよ

虫の知らせとかいうでしょ? 経験ないの?

793 :実はWIZ:2001/07/19(木) 19:56
ああ もう終わったこの人たち いまいち

794 :実はWIZ:2001/07/19(木) 19:57
さむいねーちょっとその程度じゃ

795 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 19:57
ドロン

796 :考える名無しさん:2001/07/19(木) 23:11
>想念そのもので交信する場合をいっているんだよ

素直に電波と一言でいってくれないか。

797 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 01:44
>>769
おまえもあげぞう罵倒に情熱燃やすなよ(ワラ

798 :あげぞう:2001/07/20(金) 01:57
なんか「らげ=・e・」の真偽性などどうでもイイが、オモシロイものを発見しました。

http://www.shinenet.ne.jp/~buraiha/buraiha/index.htm
「自堕落放蕩庵」というこのサイト、
ずいぶん「・e・」っぽい。

>>602
>でもこれは、小林秀雄の「すべては意匠に過ぎない」がそうであったように
これなんだけど、
哲オタの会話の流れでどうして「小林秀雄」が出てくるのかわからなかった。
>>739さんの「・e・」の文学論的遍歴を聞いていると、ちょっと理解できてきた。

799 :あげぞう:2001/07/20(金) 01:58
このサイトのトップページのコンテンツは

>蕎麦の愉しみ
>文芸批評の科学性〜小林秀雄とプロレタリア文学
>歴史と階級意識に関する一つの断章〜マルクス/ルカーチ
>転向について〜プロレタリア文学運動の成果として
>恋愛に関する雑感〜恋愛の主体と主体性、到来する他者
>小林秀雄についての雑記
>大江健三郎における倫理のドラマツルギー
>映画における切断と対象化の構造〜フレームとモンタージュ
>小林古径の絵について〜絵画における時間とエロティシズム
>現代詩と雑記@〜飯島耕一
>現代詩と雑記A〜稲川方人
>上村松園〜女流画家の美人画
>ビートニクスと消費社会
>小津安二郎〜東京画〜ヴィムヴェンダース

となっていて文学論なんだけど、「他のサイトへのリンク」という
http://www.shinenet.ne.jp/~buraiha/buraiha/link.htm
を観てみると、

>2ちゃんねる 特選スレッド直リンク【哲学板より】

>■私がハイデガーだが何か質問ある?
>■ハイデガー/ユンガー対アドルノ/ベンヤミン
>■下痢気味ヘーゲル
>■他者について

という2ちゃん哲学板のスレッドへの直リンがある。
コレ、全部「・e・」が関わっているか、評価しているスレッドだ。
アドルノの『ミニマ・モラリア』の書評をホームページにアップしないと言いつつ、
スレッドへの直リンを貼ることで代用しているのではないだろうか?

いずれにせよ、このウェブマスターは、
「・e・」と著しく近い精神性を持っていると言えるだろうね。

800 :あげぞう:2001/07/20(金) 02:01
>>785
比ヤングのセンスもだんだん良くなってきたな。

じゃ、また明日。

801 :あげぞう:2001/07/20(金) 02:02
まちがった。798は、>>741さんによる解説だったかな。

802 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 02:04
因みに、らげも小林秀雄が好きみたいだね。

803 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 02:04
昭和49年生まれ。男。サラリーマン。貧乏。家に金魚がいる。酒は飲まない。煙草は吸う。飯を食うのが早い。細身ながら大飯喰らい。つまり燃費が悪い。テレビは見ない。ラジオで明日の天気を知る。新聞は取っていない。独身。胃弱。ホモセクシュアルではない。心臓に少し難アリ(房室ブロック)。でも結構元気。蓄膿症の経験あり。文系人間。民主主義者。湯豆腐が好物。および蕎麦も好き。海外へは行ったことがない。反民族主義者。でも神社仏閣に行くと思わず手を合わせてしまう気弱な人間。運動神経ゼロ。できるのは散歩程度。博打で身を滅ぼしたことがある。もうやらない。頭の回転が遅い。もともとスローペースな人間。またーり行こうや。電気工作をする。テレビは直せない。最近よく山に行く。親父との間で、渓流釣りでもやろうかと話をしている。車はマーチ。安くて頑丈でいい車だ。10万キロを超えた。人から変人だと言われる。変人であるかどうかは別として、面倒くさいので、もう否定しないことにした。

修正:2001年5月より、新聞を取り始めた。新聞の印刷会社に勤務されている高校時代の先輩からの斡旋で取る事にしたのだが、結構面白い。

804 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 02:16
>>802
>因みに、らげも小林秀雄が好きみたいだね。
ソースは?

805 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 02:28
>あげぞうさん
このらげという奴は自作自演の常習犯なので
あまりこいつとは関わりもたない方が無難ですよ。
最近ではマルクススレでの自作自演が発覚しているし、
別のスレでも自作自演をやっていて、それが自爆する
形で発覚したこともありましたね。
つまり、らげは自作自演をやってでも、スレの方向性を
自分に有利な方に操作しようとする奴なので、マジレス
するだけ時間の無駄ですよ。

806 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 02:30
>>804
マルクススレのどこかにある。

807 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 02:41
「・e・」も「マルティン・ハイデガー」というキャラを作ったな。

808 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 03:56
>>804
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=990630583

809 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 04:14
・e・はドゥルーズとか浅田彰とか柄谷行人
とかのポストモダン系の論者に詳しかったっけ?
・e・は研究者だが、実はそっち関係の本を
学部時代に読んでなくて、今更浅田の『逃走論』
や『構造と力』やドゥルーズの『差異と反復』
を読んでいて、そういうポストモダン系の本を
読んでポストモダン論者の身振りをするための・e・の
分身としてラゲという別のHNを使っているのかも。
つまり、ラゲは・e・の煽りバージョン兼ポストモダニスト
バージョンなんじゃないか?
まあ、あげぞうが言うよう、その真偽性はどうでもいいが
しかし、このスレに何故・e・が突然現れたのかが
未だ釈然としないんだよな。なんで・e・が現れるの?と始め思ったもの。
しかも、ラゲ弁護のために。
・e・はいわば"『批評空間』系の思想"に関心なかったんじゃ
なかったかな?でも最近、浅田の本とか読んでいて、その用意はあった
のかもしれない。
まあ、あるコテハンが別のコテハンを弁護するのは珍しいことだから、
「ラゲ=・e・」とあげぞうが疑っても別におかしくはないと思った。

810 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 04:28
「らげ=・e・=あげぞう」だったら、もっと驚く。
まさに一世一代の自作自演だ(ワラ

811 :あげぞう:2001/07/20(金) 05:06

せっかく比ヤングがかなり核心に近づいてきたので、
もうちょっと掘り下げてみよう。

>785 名前:比ヤング 投稿日:2001/07/19(木) 19:20
>やっぱ、キャラ萌え的な、一方的感情移入のコミュニケーション?
>になるんじゃないの。モノ相手だったら。

>でじこはおたくに「萌えない」し、でじこはおたくに動物的に「萌えられる」
>おたくはでじこに動物的に「萌える」し、おたくはでじこに「萌えられない」

>オタク文化は、人間と世界との関係を解明するヒントを与えてくれる。

これはマジで相当いいセンスをしている。
自分で「オタク文化に置き換えてみよう」と発想したところでちゃんと哲学している。
マネをするのはよいことだ。
日本の古文では「まねる」は「まなぶ」の本質であると言われているし、
もちろんギリシア哲学では「ミメーシス」すなわち「模倣」であり、
それは極めて人間的な行為であるので肯定されているんだよね。
>>521とか>>524をみてね。



812 :あげぞう:2001/07/20(金) 05:08
>787 名前:比ヤング 投稿日:2001/07/19(木) 19:32
>フェティシズムつーと精神分析的なものだったけど、
>エロ・コミックを見る訓練を重ねていけば、
>二次元にも萌えることができるようになる。
>筋肉をつければケイン・コスギよろしく飛び箱を飛べるようになるような世界。

>・・・でしょ?東の言ってるのは。

これもオモシロイ指摘だ。
「エロ・コミックを見る訓練」とは何か?
という問いに答えるのが私の説明していることなんだ。

つまり、「でじこ」に語りかけることで、「でじこ」を現出させ、浮き彫りにする。
これが、「キャラ萌え的な、一方的感情移入のコミュニケーション」の段階。
これを繰り返していると、
後期ハイデガーが「存在が語る」と言ったように、
「でじこが私に語りかけてくる」という真理なのか錯覚なのか分からない境地に達する。
これが、「双方向的感情移入、すなわち恋愛的コミュニケーション」の段階。
これが、オタク的・ときメモ的フェティシズムだろ。

「でじこ」が「藤崎詩織」へと同一化する地平かもワラ

というか、「でじこ」ってなんだか、よく分かってないのだが。

813 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 05:11
>>812
この論法だと、同性愛も後天的な要素から説明できるように
思えますが、どうですか?

814 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 05:11
・e・=中居正広=マルティン・ハイデガー
というところまでは確定的なわけです。
つまり、・e・は複数のHNを使い分ける性癖の
持ち主だということまでは分かっているのです。
しかし・e・がラゲというHNの使用者かどうかは、
まだ深く検証する必要があるようです。

815 :ここを見るといい。:2001/07/20(金) 05:30
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Cassiopeia/3398/index.html

816 :Rage Against The Philosophy:2001/07/20(金) 06:45
ふ〜ん、すごい話になってるなぁ。
俺としては
>636 名前:629 投稿日:2001/07/18(水) 04:25
ここ凄いですね!
僕素人ですけど、たまにきてもいいですか!
>638 名前:629 投稿日:2001/07/18(水) 04:37
哲板で初めてまともな人を見つけた様な気分です。
また来ます。
これのほうがよっぽど自作自演っぽいけどな(笑)
まあいいや、こんなゴシップめいた詮索に興味ない。
俺が・e・だって?否定はしないよ(笑)

まぁそんなことより次第に芸能リポーター並みの
メンタリティを曝しはじめたあげぞうの無残なレスを楽しんでるよ。
俺がらげ名義でいろんな板に書き込んでるので物証はいつでも出せるんだけどね。

817 :Rage Against The Philosophy:2001/07/20(金) 06:50
それにしても
>語り得ない「存在=絶対的な他性」を飽くことなく追究した結果、
>ハイデガーは「人間」と「存在」との対話=コミュニケイションという、
>ある意味宗教的な悟りの境地に達したと言うことだよ。

>演奏者が楽器を支配しようとしても、芸術は生まれない。
>演奏者と楽器との対等なパートナーシップが結ばれるとき、
>芸術としての音楽が生まれる

何て非論理的な駄文だ。モダンとかポストモダンとかのレベルの話じゃない。
居酒屋の雑談と変らないね。

818 :比ヤング:2001/07/20(金) 08:06
>>813

これはどう?

>ここで突如話が飛びますが、私は現在の「ショタもの」を検討することで、
>アニメのセクシュアリティは解釈できると考えています。

>伊藤さんに先日いただいた「ぽーじゅ」氏の「Maidoroid」のような、
>非常に良くできたショタ物を見ていると、私にも「ショタ萌え」が、
>だんだん感覚的に判ってくるのです。これは、状況如何によっては、
>頑張れば(笑)この作品で私にも抜けるかもしれない、ということです。

http://www.t3.rim.or.jp/~hazuma/project/ml-reviews/sento13.html

819 :>あげぞう:2001/07/20(金) 08:14
あげぞうの詮索も空振りだな。
中居正弘のHNを知る人間は音楽の趣味を見て別人である事を確信するよ。
文学板で20代を言い張っていたのは鯖読みでもね(笑

いきなりテンション落ちてちょっとがっかり。
ここで息切れしないで比ヤング氏とやりあってくれよ。
最近よめるスレが少ないんだ。

820 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 09:23



コテハン依存症

821 :あげぞう:2001/07/20(金) 09:43

>>805さん
>らげは自作自演をやってでも、スレの方向性を
>自分に有利な方に操作しようとする奴なので、マジレス
>するだけ時間の無駄ですよ。
アドヴァイスありがとう。

>このらげという奴は自作自演の常習犯なので
>あまりこいつとは関わりもたない方が無難ですよ。
うん、でも、「私=あげぞう」は他者との関わりの中でしか活きないんです。
805さんと関わることは、私にはかなり楽しいし嬉しいことなんだけど、
らげと関わることも、やはり楽しいし嬉しいことなんです。
関わること、他者との関係の中に自分の「存在=本質」を見いだす、
という他者的なヒューマニズムを措定したからには、
それを実践することが私にとってはプライオリティのあることであって、
「知行合一」という古典的な説得性を生み出す原動力になると思うんです。
「対話=コミュニケイション」は理念ではなく行為、すなわち実践が本質だし。

ちなみに、「存在=本質」とすることに、異議を挟む方はいらっしゃいますか?
中世哲学を学ぶと、まっさきに浮かび上がることなのだけど。

822 :あげぞう:2001/07/20(金) 09:44
私は「出会い」を求めてインターネットの掲示板に来ています。
すなわち、web掲示板とはテットリ速いアゴラ(広場)なんですね。
あめぞう系には「@広場」という板があるんだけど、
コレはものすごく本質的な命名だと思っています。

「出会い」がなければ「対話=コミュニケイション」がない、
「出会い」がなければ自分がどういう「存在」なのかも理解できない。
「出会い」は非常に貴重なことだから、1つ1つの出会いを大切にしたい。
1つの「出会い」ですべてを汲み取ることはできないけれど、
できるだけのことを汲み取りたい。

「出会い」の相手はときに「人」であり、ときに「人以外のモノ」である。
私はいずれも大切にしたい。

823 :あげぞう:2001/07/20(金) 09:44
デリダは西洋哲学史を脱構築しようとした。
反ロゴス中心主義的に組み替えようとした。
だが、それは「脱構築」ではなく、
モダン的な視点を排除した「解体」だったと思っている。

ニーチェのパースペクティヴ思想を極限まで理解すれば、
モダン的視点も悪いことにはならない。
ルサンチマンによって創造された価値も決して悪いことにはならない。
「遠近法主義」とは、すべての視点=価値観を肯定することなのだから。
デリダはこの理解を欠いている点において、ニーチェの系譜としては「失格」である。
むしろ、ドゥルーズの「リゾーム」概念のほうが、ニーチェの系譜と言える。

私も西洋哲学史から学んでいる。
そして西洋哲学史の脱構築に挑んでいる。
モダン多元論として、価値の相対化・視点の平衡化から組み替えようとしている。
そして、それが「(脱)構築」であるとされるのは、
1つの理念=視点・価値観を「柱」としているから。

それは根本的な人間解釈。
人間存在の肯定、人間が生きていることに対する肯定であり、
人間である限り避けられない、自分自身の肯定である。
そして、人間が生み出した「言語」に対する信頼である。
言語を使った「対話=コミュニケイション」に対する信頼である。


つづきはまた。

824 :あげぞう:2001/07/20(金) 09:53
1つだけ、すべての価値の肯定とは、

Ya,sagen.

の意味を考えればわかることだ。

825 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 09:59
>>817のレスを見る限り、やっぱ、
らげは放置決定だね。
一見彼は反論しているようで、そうでない。
論理性を評価基準にしているなら、それはロゴス中心主義であり、
反プラトン主義を掲げる者の反論とは思えないし、
居酒屋談義していけない理由もない。
これは単なる煽りとみなされても仕方ない反論だ。
ころころ自分の信条を変えては、居酒屋談義批判
という自惚れ的独善をやってみせる。
あげぞうはこんならげなど無視して>>819のいうよう、
比ヤングと議論したほうがいいね。

826 :比ヤング:2001/07/20(金) 10:43
>>823



(゚Д゚)ハァ?
現前の形而上学の存在−神−目的論的秩序にロゴス中心主義的に体系化された
階層秩序的二項対立という二元論的概念分割を決定不可能性に原理化された
差延概念に還元する脱構築の反形而上学主義の代表的人物としてのデリダを
挙げる物言いに的外れもいい所の無知蒙昧女子高生的言説でレスつけて悦に
入ってるような便所コオロギチャンは公衆便所の排水溝に顔でも突っ込んで
汚物糞尿で気管詰まらせた窒息的妄想で埴谷的虚体の純粋現前に見舞われて
そのまま恍惚と息絶えればぁ?

http://members.tripod.co.jp/~strange_walker/haa.htm

827 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 11:55
>そして、人間が生み出した「言語」に対する信頼である。
>言語を使った「対話=コミュニケイション」に対する信頼である。

つまり「民族」に対する信頼であると。
言語の特権性を言い出すとこういうことになっちゃうよ。
「価値の肯定」は「Ya,sagen.」の意味を考えなきゃわかんないんだろ?

ハイデガーの研究をして、ポストモダンを否定して民族主義に目覚めて
変な教科書作ってる人がいるが、これはもう、ある種の思考を体系化す
るとこういうパターンにならざろう得ないんだな(ドイツ人にはなれな
いから)。別に珍しくもないし間違ってもいない。そういうパターンに
はまってるだけ。

828 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 12:28
らげ氏が>>817で言ってるのは、
・文章を構成する要素がどのように関連付けられるかが直観的に把握できるように
 文章が書かれて無い
・理由が全然ない
とか、そういうレベルの話しだと思うんでけど。
そういう意味なら>>817でなされた指摘は、正当でしょう。

829 :>828:2001/07/20(金) 12:35
過去ログ読んでないだろ。
あげぞうの文脈を読んでいれば理由はあるんじゃないか?

830 :828:2001/07/20(金) 12:37
>>829
それはあげぞうさんがリンクはるなどして、示すべきことであって、
私が過去ログから推測すべき事ではないでしょう?

831 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 12:51
>>828
つーか、らげが他人の文章の構成を批判できるほど
奴は文章うまいか?
人のことを言えた義理じゃないだろ、奴は。
らげはもともと煽りキャラとして出てきたんだから、
煽りという実に非論理的行為をしてきた奴に論理性を
云々する資格はないと思うがね。
らげの過去の悪行は過去ログにちゃんと保存されてるわけで
いまさら「論理」なとどいっても説得力なしだね。

832 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 13:04
>>831
らげが現れてから、下等〜とかの荒らし煽りが
が哲学板に増えたのは奴らがらげの模倣犯だか
らだよね。
この点、らげの責任は問われるべきだよな。

833 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 13:11
いわばRAGEが"サカキバラ"で
下等がそれの模倣の"てるくはのる"
みたいなものだな(w
サカキバラもニーチェを読んでいたらしいし(ww

834 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 13:11
このスレに限ってはRageが正しい

835 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 13:15
>>834
解説書的常識に忠実だからね(ワラ

836 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 13:19

>>835
うん、だから解説書的常識も踏まえないで勝手に乗り越えたつもり
になってるのはまずいでしょ

837 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 13:32
まあ、あげぞうの「マイ哲学」を批判することは
余りに簡単だからね。
あげぞうはその「マイ哲学」をゼロから売り込まなくては
いけないから、必死だと思うね。
敢えて誉めればあげぞうは柄谷のいう「売る立場の命懸けの飛躍」を
強いられているわけで、その根拠なき飛躍を常識という高見から
蹴落とすラゲは倫理的とは全く逆の態度を取っている
といえるね。
だから今後ラゲの口からレヴィナスという言葉がでないことを願う。

838 :比ヤング:2001/07/20(金) 13:50
「マイ哲学」つーても、やはりある典型パターンに
嵌っているわけで。「言語」「言語」「言語」うるさいの。
はいはい、どーせ私には「Ya,sagen.」なんて言われても
何言ってるかわかりませんよ。だから何?

非倫理的な「ヒューマニズム」垂れ流し坊ちゃんを
蹴落とすラゲは全くもって倫理的だと思うけど。

839 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 14:02
なんだ、比ヤングってこういう奴だったんだ(w

840 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 14:24
ヒューマニズム批判はもはや反動的なんだよね。
ヒューマニストが多数の場合、それへの批判は
少数派になる勇気が必要だが、(ポスト)構造主義が支配的で、
サルトルが死んだ犬として扱われて時、ヒューマニスト
を名乗ることはヒューマニズムを批判するより
困難だし、命懸けの飛躍も必要だ。
思想には終着点というものはないのだから、そこには
絶えざる反転しかない。だからヒューマニズムを批判していれば
それで済むのなら、あたかもヒューマニズム批判が思想の終点のように
仮現してしまう。
その仮現を打ち破るためには絶えざる反転を繰り返すしかないし、
今ヒューマニズムを批判している者にそのフットワークはないんだよね。

841 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 14:38
本家フランスでもサルトル復活の気配が濃厚らしいね
日本のおフランス哲学輸入業者たちが追従しちゃうとは思えないけど
いまさらできんよ、いくらなんでも
はやばやとユダヤ化した柄谷の方があげぞうのスタンスに近い
生き残りをかけた正念場かもね、ポストモダニスト

842 :比ヤング:2001/07/20(金) 14:39
下っ端の使徒として布教しますけど、
「すべての価値の肯定」なんてことはありえないんですよ。
素朴な相対主義に嵌るやつは必ずそうなる。
だけど、
>リベラリズムというのも、ちょっとメタ的ではあるけれども、
>「様々な価値を許容せよ」という価値的な立場ですから、
>これは元々ゲーデル的な意味での背理があるわけです。
http://www.miyadai.com/voice/speaking_azuma/03.html
で、ならどうするかというと、共生原理を侵害する価値観は
ただちに排撃しなければならない。で、そうすると
「思想的スターリニズムを排撃するあんたは思想的スターリニズム
に嵌ってる」とか指摘して悦に入ってる馬鹿がよくいるけど。
そんなこと言ってる場合ではないの。
ヒューマニズム批判が思想の終点になったら云々かんぬん
言ってるよりも、東みたく「人間も動物」って言い切っちまった方がいい。

いきなり宮台の話になったけれども、「正義の人」デリダの
研究者の東が宮台のことを「彼は正義感の人だもの。」と発言する
重みは分かっておいたほうがいいとおもう。

843 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 14:53
>>840
教科書的・解説書的知識に拘泥する奴にも
そのフットワークが欠けているよね。

844 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 15:04
動物であることにもそのうち退屈するよ。
んで、また人間への反転が起こる。
そしてまた人間であることに飽きて動物へ。
それの繰り返ししかない。
まさに"終わりなき"反転だ。

845 :比ヤング:2001/07/20(金) 15:08
フットワークという概念に拘泥して教科書的知識を無視する
奴のほうがフットワークが欠けてるよ。
泥沼みたいなフィールドに直面したら、ピクシーみたく
教科書的なリフティングをしながらドリブルで突っ込めばいいわけ。
あげぞうは手でボールを抱えて運ぼうとしてる。

846 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 15:10
>>844
また毒にも薬にもならん事を…
すこしは学習してくだちい。

847 :比ヤング:2001/07/20(金) 15:19
人間がいかに動物的か、ってことで言うと、僕があめぞうで
あげぞうたちにどれほど酷い中傷をされても、そのぶん
抗鬱剤トレドミンを飲んで鬱を克服するし、ネットやる気も
読書する気も起きないから中枢神経刺激剤リタリンを飲んで
テンションを上げるし、オーバーヒートしてきたら抗不安薬
デパスを飲んでクールダウンするし。それでも取りこぼす
ところに「人間」はあるのかもしれないけど、
小説トリッパーの東の発言を借りると、
「哲学的言説というのは、まさにそのどこまでいってもこぼれ落ちる
悩み、柄谷行人風に言えば「単独性」を抱え込んでしまったひとの
最後の癒しシステムみたいなもので、それ以上でも以下でもないでしょう。」

848 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 15:56
しかし、そもそも癒しって言葉の意味からいえば
もし癒しって言葉が
もともとの状態にもどることをいうのなら
落ちたところからまた落ちる以前のところにもどることをいうのなら
そしてまたそのばあいに、「元のところ」に同一性をたもったままであるなら
そもそも癒しという言葉が指示するもの、「元のところ」の同一性の保障が困難ならば

たぶん、癒しという言葉はふさわしくない使われ方をしていないかという疑問が生じうる。
ほんとのところ、問から問へと突き進むし、概念なら展開から展開へ、といった
ありかたをするなら、哲学のしばしば動く道筋がこうしたものなら
それはたぶんに癒しとはかけ離れていて、
むしろこうさえいえるんじゃないか、哲学、それはいわば「癒し」から遠くはなれてみえたもの(こと)
と。

849 :比ヤング:2001/07/20(金) 16:26
時間軸に沿って経験的に生成される心的システムが、
「もとどおり」になることはありえないですね。
「癒し」とはどういうものなのか、それぞれの人によって
異なるし、過去とおなじ「癒し」を得ようと思っても、
満たされるものではないから。せいぜい同じ量のセロトニンを
流すことができる程度で。「癒し」への展開運動として
哲学的言説を享受すること、享受して思考すること
それ自体が「癒し」くらいにしか言えない。

モダンに回帰すれば「人間」として癒されるってことは無いですからね。
それは変な教科書つくって注目を集めてみたりする運動それ自体に
よって癒されたような気がしてるだけの自慰行為にすぎない。

850 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 16:56
モダンすらまともに成立していない日本ではポストモダンを目指し
ても現状追認に陥る概念の戯れ的な自慰行為しかならないという、
通俗的な批判に、日本のポストモダン論者は常に足元をすくわれて
きたので、反動を自慰として否定するだけでは何も言ったことには
ならないし、そういう安易な癒しに対案のない批判で逆に加勢して
しまうことになりかねない。


851 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 16:57
>比ヤング
なんだ、お前神経症を患っているのか?
ところでフロイトは人間は本来神経症的
だといっているが、もしそれが本当なら、
神経症を患っているお前はもろ「人間」じゃん(w
どこが「動物」的なんだよ?

852 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 17:15
>>851
もしそうならむしろ比ヤングは
人間であることに成功しているよね。
ていうか、過剰に人間的過ぎるかも(ワラ

853 :比ヤング:2001/07/20(金) 17:39
>>850
それこそ宮台的に、動物的でもなんとかやっていけるくらいの
セイフティネットを作ろう、ってことでしょう。
足元をすくわれてきた人たちは実際に戯れ的な自慰行為しかして
来なかったんじゃないの。
やれJ回帰だのヒステリーだの、中森明夫あたりとクネってるような
人たちがさ。シラケることによって既成の文脈一切から身を
切り離し、一度すべてを相対化してみるような今で言う脱社会的な
時代の感性を信じて不良債権を雪だるま式に膨らませてたような
面の皮千枚張りの人たちがさ。スタイルといい、感性といい、
いかにも軽薄な響きなんだよ。その牛乳瓶の底みたいな色メガネ
外してモノを見ろよ!
モダンすらまともに成立していない日本ではポストモダンを目指し
ても現状追認に陥る概念の戯れ的な自慰行為しかならないという
通俗的な批判によって、モダン回帰の口実を作ってきた勢力に対しては、
日本において「誇り」なんつって回帰を叫んでも近代天皇制にしかならないし、
へんな教科書は事実そういうことになってる、ってきちんと言わなきゃ
いけないですよ。教え子相手に内ゲバやってたら逆に加勢してしまう
でしょうに。

>>851
どうだろうね?分裂病を疑われているわけだから、
精神分析の対象外なんじゃないの。
ス キ ゾ フ レ ニ ア

854 :でじこ:2001/07/20(金) 17:41
でじこが比ヤングたんのちんぽをフェラして
癒してあげるにょ
ザーメンもごっくんしてあげるにょ
イカ臭くても我慢するにょ
さあ、早くちんぽを出すにょ

855 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 17:48
>比ヤング
ああ、分裂病なのね。
そっか、宅間守と同じだね。
お大事に。

856 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 17:53
宅間守は確かに「野獣」系だね。
犯行時「ガオー」とかいったらしいし。
「動物」とはこのことだったんだ(w

857 :比ヤング:2001/07/20(金) 18:00
>>856

レッサーパンダもな

858 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 18:08
東も「サカキバラはいい」みたいなきわどいこと
いっているよね。
大丈夫なの、この人?

859 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 18:15
誰か措置入院のコピペを貼りそう・・・

860 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 18:28
「動物」ってのも観念的に考えている
うちはいいが、その実現形態が現れる
とやはり引くね。
宅間やレッサーパンダにはなりたくないね、やっぱ。

861 :比ヤング:2001/07/20(金) 18:32
宅間やレッサーパンダはただの昔からあった病気でしょう。
宅間は正常、ってことに無理やりなってきているけれども。
「データベース型動物」に当てはまらないでしょ、全然。

862 :比ヤング:2001/07/20(金) 18:37
東の「象徴界の衰退」という説に、斎藤環が「いや、それだと
臨床的には分裂病になっちゃうから」ってダメ出しして、
たしか東がアルチュセールの理解においてならいいんだ、
って言ってたけど、どうなの?あれ。アルチュセール知らんし

863 :阿修羅無限大落とし:2001/07/20(金) 18:44
東や宮台が語っている内容に対して
彼ら自身が本気になっているとは思えないんだけど。

864 :語後誤碁五:2001/07/20(金) 19:29
ガムかむかい?

865 :考える名無しさん:2001/07/20(金) 20:10
象徴界でも想像界でも、そういった用語を前提とする理念の中でしか説得力はない。
現実の気狂いを解釈する現場からはほど遠い知的遊び?だろな。斎藤も大丈夫かね。

866 :スーパー部長:2001/07/20(金) 20:15
真夏のキチガイ談義も風情がありますなぁ

867 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:14
>>810さん
>「らげ=・e・=あげぞう」だったら、もっと驚く。
それは違いますワラ

>>813さん
>この論法だと、同性愛も後天的な要素から説明できるように
>思えますが、どうですか?
思えます。

868 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:14
>>819さん
>あげぞうの詮索も空振りだな。
>中居正弘のHNを知る人間は音楽の趣味を見て別人である事を確信するよ。
「中居正弘」の「音楽の趣味」とは、大衆音楽ではなかったですか?
歌謡曲やロックやメタル。非クラシック。
「中居正弘」はアドルノを批判することで、大衆音楽の正当性を主張しませんでしたか?

「音楽の趣味」が違うのは「キャラだから」のヒトコトで済むように思います。

>>809さんの指摘は実に興味深いです。

869 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:15

>>865さん
その通りだと思います。精神病を学問的に解釈しても仕方がない。
医療の現場は「治療」することが目的であって、「学問的に解釈」することが目的ではありませんから。
実際、日本の精神医学界では、「学問的な解釈」に寄っている斉藤環などラカン派は、慶応など一部を除いて極めて少数派です。彼らには、「患者」に対するデリケートな配慮を欠く危険性が高いと思う。

>象徴界でも想像界でも、そういった用語を前提とする理念の中でしか説得力はない。
そう、フロイトやラカンが間違っていたら、ジ・エンドです。
最近ラカンを引用する批評が多いけど、果たしてどれほどの説得力があるのか怪しい。

870 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:15
>>840さん >>844さん
>その仮現を打ち破るためには絶えざる反転を繰り返すしかないし、
すごくオモシロイ指摘です。バランス感覚のいい方、というか達観した方ですね。
「複数化・相対化」とは、まさに「絶えざる反転」という形でダイナミズムに現れる。

>>841さん
>はやばやとユダヤ化した柄谷の方があげぞうのスタンスに近い
ちょっと気になるので、この意味をもう少し具体的に説明していただけますか?

871 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:15
>>836さん他、あげぞうに哲学史の常識がないとする人たちへ
困ったなぅ。
私はかなり「哲学史の常識」を踏まえているつもりですけど。
らげからの常識的な批判にきちんと反論しているでつもりですけど。
私がこれまで言っているコトを並べてみましょうか?

1 古代ギリシア・イオニア自然哲学の「アルケー(万物の根源)」の探求、哲学の始まりとしての「タウマゼイン(存在驚愕)」、これらに基づいて、「わかり得ないモノでも、分かろうとする」という、人間存在における「探求心、知的好奇心」という本質の肯定
2 古代ギリシア・アテナイにおける「アゴラ(広場)」に対する理解、すなわち「対話」の場として「アゴラ(広場)」を理解すること
3 中世哲学における存在理解、すなわち「存在(esse)」と「本質(essentia)」との関係の肯定
4 ニーチェ思想における「超人」思想に対する理解、「超人」理念の肯定すなわち<自由な主体>として、個人的ヒューマニズムとしての肯定
5 ニーチェ思想における「パースペクティヴ(遠近法主義)」に対する理解、すなわちあらゆる視点は相対的であると理解すること

872 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:16

ここでちょっと解説。「パースペクティヴ(遠近法主義)」すなわち「あらゆる視点が相対的である」とはどういうことだろうか? これは、あらゆる視点の否定なのだろうか?

実は、そうではありません。あらゆる視点を否定すれば、それはすなわちニヒリズムに陥ります。だから、これはあらゆる視点を肯定する、という「ニュアンス」で受け入れる嗅覚が必要になります。だけど、「すべての価値の肯定」ということは可能であるけれども、現実的ではないんですね。そういう意味では、>>842で比ヤングの言ってることは珍しく正しいと思う。アリストテレス的に理解すると、潜在的には可能態であるけれども、現実態としてはありえない。

すなわち、ニーチェの「パースペクティヴ(遠近法主義)」の意味では、「様々な価値を許容せよ」ということであり、それが「Ya,sagen.(肯定せよ)」の意味だと思います。

873 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:16
ところが、ニーチェを読んでいると、「様々な価値を許容せよ」すなわち「Ya,sagen.(肯定せよ)」では終わっていないコトが分かります。それは、ニーチェが珍しく現実生活を知っていたから。現実生活では、すべての「価値」を同時に肯定することはできません。文脈に応じて、「なんらかの価値を選択しなければならない」というところまでが、ニーチェの「パースペクティヴ(遠近法主義)」に含まれると思うのです。

で、実際、ニーチェその人は「超人」「永遠回帰」「権力への意志」「運命愛」「貴族道徳」などなど、自分にとって有用な「価値」を選んでいます。よって、ニーチェの「パースペクティヴ(遠近法主義)」とは

すべての「視点=価値観」を認めると言う意味で「Ya,sagen.(肯定せよ)」であり、
その中から<自由な主体>として「なんらかの価値を選択せよ」という思想

と解釈しています。

874 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:17
私の哲学史理解に戻りましょう。

1 古代ギリシア・イオニア自然哲学の「アルケー(万物の根源)」の探求、哲学の始まりとしての「タウマゼイン(存在驚愕)」、これらに基づいて、「わかり得ないモノでも、分かろうとする」という、人間存在における「探求心、知的好奇心」という本質の肯定
2 古代ギリシア・アテナイにおける「アゴラ(広場)」に対する理解、すなわち「対話」の場として「アゴラ(広場)」を理解すること
3 中世哲学における存在理解、すなわち「存在(esse)」と「本質(essentia)」との関係の肯定
4 ニーチェ思想における「超人」思想に対する理解、「超人」理念の肯定すなわち<自由な主体>として、個人的ヒューマニズムとしての肯定
5 ニーチェ思想における「パースペクティヴ(遠近法主義)」に対する理解、すなわちあらゆる視点は相対的であると理解すること

まで来たところでした。これに加わるのは、

875 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:17

6 ハイデガー的な「存在者−存在」の関係、「世界内存在」としての「実存」=「人間」という理解
7 ハイデガーの「存在」は、究極的にはヴィトゲンシュタイン的な「語り得ないもの」だが、ハイデガーは「存在」を語ろうとした、「存在」と関わろうとした、「存在との関係」を追求することで、「存在」を浮かび上がらせようとした、「存在」を感じ取ろうとしたという解釈
8 レヴィナス的な他者への配慮、この「他者」とは、「自分以外のあらゆるモノ」という意味であり、「絶対的な他性」への配慮ということ、簡単に言えば、「他人」や「人間以外のあらゆるモノ」に対する配慮であり、共生の思想
9 ハイデガーの「存在」と、レヴィナスの「イリヤ」「絶対的な他性」とは、本質的に同じモノであり、レヴィナスがフッサールとハイデガーの現象学の解釈者としてスタートしたことを考えれば、「存在=絶対的な他性」は自ずから浮かび上がる、という認識

このあたりが追加されます。

876 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:17
さて、これまでのレス中で「飛躍」というご指摘がありました。素晴らしいご指摘です。
「飛躍」とは「接続」であり、解釈の中心となる「柱」です。
私の中での「飛躍」は、おそらく以下のようになります。

10  レヴィナスの「絶対的な他性」という文脈を受けて、自分以外の人と言う意味での「他人」との関わり方と言う問題を考えたとき、ぶっちゃけた話、「人と人との戦争」を回避するための他者的ヒューマニズムを考えたときには、「1対1対応の対話」すなわち「コミュニケイション」に求められる、という視点 >>667
11  この「1対1対応の対話=コミュニケイション」に基づく他者的ヒューマニズムとは、サルトル的・政治的な「存在者」レベルでなされるのではなく、ハイデガー=レヴィナス的な「絶対的な他性=存在=本質」レベルでなされる、という視点 >>626
12  「1対1対応の対話=コミュニケイション」は、レヴィナスが言うように、「顔」を持って目の前に現前している相手となされるのであり、ここに存在しない「第三者」とのコミュニケートすなわち他者的ヒューマニズムは事実上不可能である、という視点 >>669

877 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:18

さて、以上の3つ「飛躍」になるでしょうか?

私には「飛躍」とは思えません。
すべてはマルティン・ブーバーによってすでに示されている視点です。
岩波文庫で『我と汝』『対話』が出ているので読んでみると分かります。
>>679の「らげ−・e・」的な哲学史解釈に対する批判には、
「それは実はブーバー的」と答えることで克服可能です。

問題は、ブーバーが「常識的な哲学史の範囲に入るか否か?」でしょうね。
ブーバーを知っている人にとっては、「常識」だろうし、
ブーバーを知らない人にとっては、「非常識」だろうし、
まあ「らげ−・e・」がブーバーを知らない、と言うことは明確ですが。

ということで、

>751 名前:比ヤング 投稿日:2001/07/19(木) 12:19
>あげぞうの思想はモダンでしょ。哲学史の常識の埒内じゃん。

という比ヤングの指摘のほうが、らげの指摘よりも「近い」と思われます。

878 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:19
残ったあげぞう的視点の代表例は、>>823のデリダ批判である。
ここでちょっと解説のために、>>633>>637に戻る。

>つまり、自らの「視点」の正当性を主張するために、人間がやるのが理論武装であって、
>理論を構築するにはそこに価値観が含まれている。
>で、この価値観の創造をルサンチマンによって行ったとされるのがキリスト教道徳です。

これを読むと、実は「視点=価値観」であることがわかる。
そして、さらによーく読むと、実は「視点=価値観=論理(理論武装)」であることがわかる。
つまり、実は「視点=価値観=ロゴス(logos)」であり、
世の中には複数の「視点=価値観=ロゴス(logos)」があることがわかる。

これがデリダが気づかなかったことだ。デリダの決定的なミスは、ニーチェの「パースペクティヴ(遠近法主義)」を誤解したことであり、「ロゴスは1つしかない」と錯覚して、ロゴスを否定したことにある。

つまり、デリダは、プラトンやニーチェやハイデガーに対して、「同じロゴスを語る者達」というレッテルを貼ったのだ。実際には全然違う。デリダは、ドゥルーズ的に、プラトンやニーチェやハイデガーの「差異」を見抜くこおtができなかった。ヘーゲル的な悪しき「止揚」を行い、「ロゴスは1つしかない」と錯覚したのだ。

879 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:19
すべて肯定してどうすんだよ。
じゃ哲学の議論そのものが意味なくなるだろ
まぁおまえは子供だからいいんだろうけどな。

それにしても自分に都合のいい賛同者にばかりレスしないで(プ
俺の質問にレスしろよ。

880 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:19

私は自分の哲学を、「モダン多元論」と称した。
>>673>>823がその用意である。
ところがコレはシニフィアンとして実は不適切なんだ。
だって、ギリシア哲学なんて全然「モダン(近代)」じゃないですからねワラ
ということで、>>751の比ヤングは惜しかった。

私が「マイ哲学」に対して選ぶ本当のシニフィエは「ロゴス多元論」になる。
「ロゴスの複数化・相対化」である。
そして、他者的ヒューマニズムとして、「対話=コミュニケイション」を志向している。
複数の「視点=価値観=論理」の直接的な関わり・相互作用を本質と考える。

そもそも、「対話(Dialogos)」とは、
異質な「論理(logos)」と「論理(logos)」との、’dia’なのだから。
ギリシア語で’dia’が何を意味するかを考えれば分かること。
Liddel and Scott’sには、次のように表記されている。

「With」

すなわち、「共にあること」という本質を具現化しているのである。
そこから、つまり「共存」から「共生」を目指すのが私の哲学である。

881 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:21
「ロゴス多元論」とは「複数のロゴスがともにあること」であり、
それは本質的に「対話(Dialogos)」の構造であり、
ニーチェの「遠近法主義(パースペクティヴ)」すなわち

すべての「視点=価値観=論理」を認めると言う意味で「Ya,sagen.(肯定せよ)」であり、
その中から<自由な主体>として「なんらかの価値を選択せよ」という思想

の具現化であると考えます。

私は1〜12のロゴスとデリダ批判のロゴスをDialogosさせています。

つづきはまた明日というか今度。
「モナドロジー、汎神論、リゾーム」によって成り立つ世界観について語ろうと思います。

882 :あげぞう:2001/07/21(土) 00:24
>らげ
つーか、はやく「・e・」というキャラに戻ってくれ。
そっちのほうがナンボか私にとって有用だ。
ちなみに「・e・」にずうずうしく助言すると、
ハイデガーにアドルノを足してもたぶん無駄です。
フランス系ポストモダンから見れば、ドイツ思想として同じになってしまうワラ
はやく哲学史を脱構築する視点を身につけて欲しい。

883 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:26
あげぞうの主張は一貫してるんだけどね。
すべて肯定することは相対主義にすぎないから、
>その中から<自由な主体>として「なんらかの価値を選択せよ」という思想
価値を相対化したうえで、なおそのうちの価値を自由に選択すること
つまり「好き嫌い」(笑
こういう好き嫌いの臆断の例としてたとえば
>「音楽の趣味」が違うのは「キャラだから」のヒトコトで済むように思います。
おいおい、すべて「キャラ」だから、でいいのかよ(笑

それに俺はブーバーぐらい読んでるぞ。

884 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:28
はい質問です。
ブーバーはフランス文化大使として来日した際に
対談したのは誰でしょう?

885 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:28
五分以内にどうぞ。

886 :阿修羅無限大落とし:2001/07/21(土) 00:30
くだらないツッコミだけど
「共生」を目指す過程での「強制」が
ろくでもない結末をもたらすことは解ってると思うけど・・・

よくよく勉強した人間の結論とは思えないなぁ。

887 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:35
あげぞうが検索エンジンにかじりついているところで
あげぞうの哲学の不理解の例をもうひとつ。
あげぞうは言葉の問題を全て「ロゴス」でひとくくりにしている。
まずこの時点で学生以下のバカ。
デリダが声(フォネー)と書き言葉(エクリチュール)という区分をした意味がこれではまるでない。
エクリチュールが多元的視点を用意しながらも
つねに声が優先されることによって
知らず知らずのうちにエクリの複眼的視点が
フォネーの単眼的視点に一元論化されていった、とまぁこんなものは
デリダを一日読めば誰でも分かること。
あげぞう、無理するなよ(プ

888 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 00:36
888

889 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:39
それにしても、見ているひとにいいたいんだが
俺とあげぞうとのやりとりは
低次元のレベルの議論なので
こんなものに満足してほしくないな。
或る程度哲学史を学んだ人間からすれば
あげぞうを論破することなんぞ、読書前の頭の体操ぐらいにしかならないよ〜だ。

890 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:39
お〜い、あげぞう、五分だったでちゅよ(笑

891 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:40
あれまぁ、フーコー×吉本対談並みに有名だと思ったんだけどなぁ。

892 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 00:42
連休中に1000越えそうだな

893 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:43
あ・・ごめん。
ブーバーじゃなくて、マルセルだった、
小林秀雄との対談。
あげぞう、マヂごめん(笑

894 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:44
良く考えたら「我と汝」の原典タイトルって「Ich Und Du」」だもんなぁ
フランスと関係ないや(アーヒャヒャヒャ

895 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 00:58
>>Rage
お前、それはマジ失礼だし、間違い自体がアホ丸出しだろ。
それから、あげぞう氏は、すべて肯定なんていったか?
>>あげぞう
ニーチェ理解がすこぶる浅い。
それに、「Ya Sagen」じゃなくて「Ja Sagen」だ。
「perspektiv」を価値の相対性だけでとらえてはいけない。

896 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 00:59
つーかマヂむかつくわ。
リアルタイムでレス応酬するんじゃなくて
俺のいないときを見計らって一度に多量のレスの投下してバイバイ。

あげぞう、人間やめろ。

897 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 01:00
>>896
お前も似たようなもんだろ。

898 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 01:02
>>895
 ハァ?883もう一度読め。
 それにあげぞうの原語間違いを訂正してやるなんて親切だな。
 遠近法主義もバースベクティブじゃなくて、
 バースベクティヴィズムス、だよな。付言しとくよ(笑

899 :阿修羅無限大落とし:2001/07/21(土) 01:05
やっぱり煽りは、らげが一番。
俺は好きだぜ。

900 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 01:06
リアルタイムでレス応酬しろって方が無茶逝ってるよな。

901 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 01:10
二ーチェは大いなる健康を説いているんだよ!

902 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 01:12
>すべての「視点=価値観=論理」を認めると言う意味で「Ya,sagen.(肯定
>せよ)」であり、その中から<自由な主体>として「なんらかの価値を選択
>せよ」という思想の具現化であると考えます。

まったくその通りですね。
実際ハイデガーは「<自由な主体>として「なんらかの価値を選択」」した
わけだ。
残念ながらそれがナチスだったんだが。

無根拠故に決断しなければならないというのは、ポストモダン(というかシ
ニシズム)の最悪の反動として警戒しなくてはいけないというのは、柄谷や
浅田が15年くらい前から言っているが見事にそれにはまってる訳だよ、あげ
ぞうは。
結論的には西尾幹二程度、福田和也未満の話だったってことでよろしいか?

903 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 01:18
ハイデガーは志向の後ろの矢を理解できなかったんだよ!

904 :もうねるにょ:2001/07/21(土) 01:36
リアルタイム?
チャット厨房ラゲに天誅が下りますように。なむなむ。

905 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 01:43
ハイデガーはナチスに真の共同体を見たんだよ!

906 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 02:28
>>Rage
お前の方がぼけだろ?
Die Perspektive
(俺,e抜かしてたな。)が遠近法だ。
俺は遠近法で使ってるし、原典もこうだ。
ニーチェはいつ、Perspektivismus
なんていったよ?
いったんだったら、どこでいってんのか言ってみな。

907 :Rage Against The Philosophy:2001/07/21(土) 02:32
あげぞうの話なんだが・・・
空気読めてるか?

908 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 02:35
ニーチェは聖書の新約、読んでますよね?

909 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 02:49
>>906
ってあげぞう氏のよく読んだら、Rageが誤読してるだけじゃねえか。(笑
ニーチェの遠近法とは、相対主義ではなくて、
人間の価値の必然的多様性だ。いろいろな価値が出るのは仕方ないが、
そこから見出されるのは、固有の生に立脚し、生成するものとしての
創造への意志だぞ。全肯定とは違う。ja Sagenの文脈でとらえると
混乱するぞ。それは、出発点だ。

910 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 03:00
ニーチェの遠近法とは、相対主義ではなくて、
人間の価値の必然的多様性だ。いろいろな価値が出るのは仕方ないが、
そこから見出されるのは、固有の生に立脚し、生成するものとしての
創造への意志だぞ。全肯定とは違う。ja Sagenの文脈でとらえると
混乱するぞ。それは、出発点だ。


ここは一般に意見が分かれている。
相対主義も包摂かのう、さりとて固有の生なるある種生物学的真理とも
見まがうばかりの真理性、必然性の指示も包摂可能。
だから、あるちゅもいったが、
科学者は最悪の哲学を選ぶ!
哲学はなんにでも開かれていて使える以上、
使う奴の政治的態度がそこにあらわれる。それだけのこと。
ニーチェにも責任があるが、ニーチェを自己の主張の正当化につかうやつの
責任が一番問われる。

911 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 03:24
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=995653419&ls=50
ここプレゼント>あげぞうの取り巻き達

912 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 06:17
>>893
プププ・・・
やっぱ、阿呆だよな、らげは。
>>887の「無理すんなよ」はお前行きだ(ワラ
それに「五分以内に答えろ」なんてガキ丸だしだね。
なにからなにまで、恥ずかしい奴だ(ワラ

913 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 06:20
>>909
同意。
誤読はらげの方だ。

914 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 06:22
論じ間違えたり、読み間違えたりした人を、直ちに阿呆とまで
断じるほうが、阿呆でござるな。
ちなみに拙者はらげではないぞ。

915 :考える名無しさん:2001/07/21(土) 17:09
「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」「・e・=ラゲ」

916 :・e・:2001/07/21(土) 18:41
ち、ちがうよぅ。

917 :Rage Against The Philosophy:2001/07/22(日) 04:27
>>910
ニーチェの遠近法について教えて欲しいことがひとつある。
つまり彼の遠近法は、人間の様々な価値や世界観の多様性という、
いわば複数の視点を包括するような議論なのか。
それとも、健常者(悟性を信奉する素朴な立場)が同時に病者(悟性の限界に気づかないもの)であるとか
病者(たとえばこの場合ニーチェ本人)が同時に大いなる健常者(ニーチェの場合たしか、大いなる健康って言い方だよな)
であるとかいったぐあいに
つまりある一つの価値観や世界観に関しての複眼的思考の可能性であるのか。
この両者を混同すると議論が凡庸なものになるだろう。

918 :??:2001/07/22(日) 05:05
え?どうちがうの?

919 :考える名無しさん:2001/07/22(日) 05:46
>らげ

前者を1の多数性(単独的な差異)、多の単一性(差異の飽和=無差異)だとして、そして後者を
1の多数性とはすなわち、単一性を、その趣くままに常識的な適用範囲に
囚われることなく展開してやればおのずとなんとまあ、あきれたことに
多数性へと自己をひらくではないか!とするある種の逆説だとするなら

ニーチェはその両方について語っていたが。

920 :7six:2001/07/22(日) 06:43
>>917
そのいずれかを選ぶとしたら後者ではないの。
というか、前者だとたんなる相対主義に変わりないから、それこそ凡庸。
すなわち、それは、たとえば健常者を前提に考えられることが自明視される
ような思考的枠組に、「病者の光学」をあてて照らし返すことで、
その存立のあり方を逆さまにひっくり返してみせる思考法といえるか。
いままで足の裏だと思ってたものを「いや、本当はこっちが頭だと思っても
おかしくないんだ」というようなもの?

921 :7six:2001/07/22(日) 06:56
別の角度からいうと、遠近法というのは、絵画のひとつの技法として、
人為的に編み出された一つの視点として生まれたわけでしょ。
だから、それ以前の人たちは遠近法的には風景を見ていなかった。
だからニーチェのいう遠近法も、それ自体が歴史的なものであって、
転倒の所産であるということでもある。
すでに我々は遠近法を通してしか風景を見ることができないが、
しかし、それ自体が歴史的なものであり、倒錯的なものであると。

922 :Rage Against The Philosophy:2001/07/22(日) 07:19
920,921は明快だな。

919・・ハァ?

923 :考える名無しさん:2001/07/22(日) 09:47
>それ以前の人たちは遠近法的には風景を見ていなかった。

何故そう言えるの?
それこそ遠近法的倒錯では?

924 :7six:2001/07/22(日) 11:25
>>923
遠近法的に見えてなかったから、そう描かなかったと解していいと思って
いる。それは、単に見たままを表現する技術に劣っていたとかそういう
問題とは違うと思う。美術史上の一つの発明であり、発見とは違うのでは。

あと一つ言うと、ニーチエが遠近法と言うとき、ほとんど否定的な
ニュアンスでつかってるのではないか。
つまり、何かを疑うための装置として。

925 :7six:2001/07/22(日) 11:35
さらに、
「遠近法的」に描いたほうが「より現実らしい」感じに見えるから
それが選択されたのであって、実際にそう見えるから、遠近法的に
描いたというのは違うと思う。
たとえば、印象派のひとたちには、あの画のように世界は見えている
のだし、われわれにおいても実際は世界はもっとべったりとした現前性
として映っているのではないだろうか。

926 :考える名無しさん:2001/07/22(日) 12:43
>>917

7sixのいうように後者だ。
そうとしか考えられない。

>>923

岡崎の本が出たみたいなんで読んでみては。

927 :7six:2001/07/22(日) 13:58
ある作家がパリを訪れたとき、その街並みを眺めながら
「遠近法が生まれたわけがわかった」と語ったが、
遠近法はそのような、ある「必要性」から生まれたのであって、
牧歌的な農村風景などからは生まれないだろう。

928 :Rage Against The Philosophy:2001/07/23(月) 01:51
あげぞうはもういないのか
どんなにチンケなカス野郎であろうと
勝負は放棄しないで最後まで断行するのが俺のポリシーだ。
完膚なきまでに俺にひねり潰されて出て来れないのは分かるか
とりあえず勝利宣言させてもらうよ(ウヒャヒャ
心配すんな。あめぞーの連中には黙っとくからよ(アーヒャヒャヒャヒャヒャ

929 :Rage Against The Philosophy:2001/07/23(月) 01:53
さて、スレの趣旨に戻ることにしよう。
・・・・・・何だっけ?

930 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 05:04
>>Rage
909だが、お前が勝ったといえんのか?
あげぞう氏の主張を相対主義と誤解してたのは
(もちろん、あげぞう氏の書き方や理解が悪かったせいもあるが)、
おまえだろ?
お前は、議論という形式に勝利した可能性があるだけで
(あげぞう氏が反論しないかぎりだが、)
議論内容には、勝って(ばかばかしい表現だが)ないだろう。
誤読、用語上のあいまいさは多く、他者から遠近法の説明を受けても
なんの礼(返答すら)もない。(まあ、お礼は礼儀上の問題で
本質的なことではない。)
結局、自分の主張のみかけ上の優位を示したに過ぎない。
>>928がまさに典型)
すこぶる低俗だな、お前の2CHでのふるまいは。
しかし厨房よりはましなので、はやく哲学板に来る
「厨房退治」という本職に戻ってくれるとありがたいのだが。
夏も来ていることだし。

931 :Rage Against The Philosophy:2001/07/23(月) 06:33
あげぞうの主張にたいしては俺は
>あげぞうの主張は一貫してるんだけどね。
>すべて肯定することは相対主義にすぎないから、
>その中から<自由な主体>として「なんらかの価値を選択せよ」という思想
>価値を相対化したうえで、なおそのうちの価値を自由に選択すること
>つまり「好き嫌い」(笑
この通り、あげぞうを相対主義とは捉えていない。
正しく理解できてる902に賛辞を送る。
バカはお前>909,930
加えてあげぞうの遠近法「主義」(ニーチェはこんな言い方してるのかなぁ)
という言い方自体、ニーチェの遠近法の誤解である。
さらに920,21の説明に俺が付け加えることはない。
今までのレスをキチンと読んでいれば、917の質問が
確信犯的に同意を求めるものであることは、或る程度の哲学的教養があれば言わんでも分かる。
バカはお前>909,930

932 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 07:47
自作自演さらしage

933 :あげぞう:2001/07/23(月) 08:25

ここにいても得られるモノが少ないようなので、
私の負けで構わないけど、
最後に「ロゴス多元論」の意味をもう少し考えてみよう。

その前に、
らげがパースペクティヴの理解が悪いとか言葉の使い方が悪いとか言おうが、
痛くも痒くもない。
なんというか、らげにはシニフィエを汲み取る読解力がない。
哲学史的常識を所与のものとしてしまっていて、疑う姿勢がゼロ。
所詮「考える」という営みを訓練した経験があるようには思えない。
文学畑出身で趣味でハイデガーをかじっているだけなのだろう。
間違いなく、研究者ではない。

909さんも「もちろん、あげぞう氏の書き方や理解が悪かったせいもあるが」と書くけど、
ではどこがオカシイのかを具体的に指摘して欲しい。
私は『対話』を求めて来ているのだが、
『対話』に付き合ってくれる相手がらげや比ヤングのような電波ばかりでは疲れるだけなのでね。

934 :あげぞう:2001/07/23(月) 08:26
「ロゴス多元論」というのは、
複数の「視点=価値観=論理」を組み合わせることだ。
私のニーチェ理解が悪かろうが、
ハイデガーを誤読していようが、
「公的」という概念を「アゴラ的」と捉えて変に思われようが、
どうでもいい。
要は複数の「視点=価値観=論理」を同時に存在させることこそが狙いであり、
「全体としてどのような意見になるか?」を考えるのがロゴス多元論の本質である。
ニーチェのみ、サルトルのみ、レヴィナスのみ、ハイデガーのみの文脈で、
私を批判・非難しても的ハズレなのがわからないかな?

935 :あげぞう:2001/07/23(月) 08:27
例を挙げて具体的に説明すると、
らげのように哲学史を「哲学史」として通時的に理解してもダメなんだ。
哲学史を「哲学論点集」として共時的に理解するのが「ロゴス多元論」なんだ。

プラトン、ライプニッツ、ニーチェ、ハイデガー、
レヴィナス、ブーバー、ドゥルーズ、

を共時的に、同時に考えることが重要なんだ。

この「共時的理解」とは、
おそらく20世紀の日本人哲学研究者の中では最も評価されるべきだとと思われる、
井筒俊彦が追求したことなんだけどね。
読んでる人どれだけいるのかな?

936 :あげぞう:2001/07/23(月) 08:28
自分で言い出したことなので、
モナドロジー以下の話を簡単に。

世界は「モナドロジー」であると同時に「リゾーム」だ。
この両者は同じコトである。
宗教的に理解すれば汎神論になる。
カオス(混沌)でありながらコスモス(秩序)であるのが世界なのさ。

そして個々のモナドは固定的なモノではない。
モナドは『対話』によって変質する。
私に出会ったらげが、
もはや以前のらげと同じではないように。

ということで、あげぞうの「ロゴス多元論」はひとまず終了します。

937 :あげぞう:2001/07/23(月) 08:33
「ヒューマニズム」と書くと、アレルギーのように反応する輩がいるので、
「倫理」という言葉に置き換える。

私はこれまでさかんに「倫理」を形作るのは『対話』だ、と言って来た。
自分以外のものとの「共存」「共生」という倫理を計るには、
『対話Dialogos』以外にあり得ないのだ。

その最も典型的な例が、プラトンの著作である。
プラトンは倫理について語ることは少なかったが、
「対話編」という構造を利用することで、
「他者関係的な倫理」のあり方の方向性を示していたのさ。

では。

938 :あげぞう:2001/07/23(月) 08:38
スピノザの『エチカ』が何故『エチカ』なのかを考えたことがあるかい?
あの論点集だらけのような哲学書が何故『倫理学』なのか?

スピノザもわかっていたことだね。

939 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 09:13
比ヤングは分裂病だから、真性の電波だよな。
らげとお似合いだよ、まじ。

940 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 10:58
>「ロゴス多元論」というのは、複数の「視点=価値観=論理」を組み
>合わせることだ。
>「全体としてどのような意見になるか?」を考えるのがロゴス多元論
>の本質である。
>哲学史を「哲学論点集」として共時的に理解するのが「ロゴス多元論」
>なんだ。
>世界は「モナドロジー」であると同時に「リゾーム」だ。
>この両者は同じコトである。

ポストモダンを乗り越えたつもりが最悪のポストモダンにというパターン
の典型なんですが、あまりにも典型的すぎて全てネタだったんじゃないか
と思えてきました。
ダイアローグのつもりが実はモノローグというのは、よくある話ですが。

941 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 13:35
経済板「山形浩生」
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi?bbs=eco&key=993196535

942 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 13:58
>>940
>ポストモダンを乗り越えたつもりが最悪のポストモダンにというパターン
>の典型
あげぞうをこのスレで論駁するには、これが東のいうデーターベース型世界と
どこがどうちがうのか、東信者は示さなきゃだめだろ
上なんて、ライプニッツ、ドゥルーズの系譜を併置して、そこを出発点に
据えてるだけでしょ

>あげぞう(935)
>哲学史を「哲学論点集」として共時的に理解するのが「ロゴス多元論」なんだ。
>プラトン、ライプニッツ、ニーチェ、ハイデガー、
>レヴィナス、ブーバー、ドゥルーズ、
>を共時的に、同時に考えることが重要

これなんてとくに、ふたりはとても接近してるようにみえてしまうのだけど、
決定的に異なるところの解説きぼー
あげぞうがヒューマニズムを倫理にきりかえたら余計混乱してきたぞ
厨房質問でスマソ

943 :あげぞう:2001/07/23(月) 14:53
「倫理」とは何か?
倫理が社会的なモノであることは異議がないだろう。
ギリシア語ではethosだけど、2通りの意味があって、

1 習慣、社会的習慣(風習、慣習)
2 人格、人柄、品性

となるわけです。

つまり、私が「絶対的な他性との関係」という文脈で言っていた「他者的ヒューマニズム」が「1」のほうで、
<自由な主体>の意味で使っていた「個人的ヒューマニズム」のほうが「2」に近い。

だから、ヒューマニズムの2局面(個人主義的・他者関係的)というのをひっくるめて「倫理」と置き換えても問題ないワケです。これは>>650さんが非常に上手にまとめてくださっています。

944 :あげぞう:2001/07/23(月) 14:54
>>650さんの要約は以下。
この方の読解力はスゴイです。

>粗雑な整理で恐縮だが、「ハイデガー‐レヴィナス」的な「否定神
>学的なるもの」の引き受けから「超人」による新しき倫理の構築が
>模索さるべきとする あげぞう氏と、ポストモダンへの歴史的な雪
>崩込みを不可避として受け止め、東氏のデリダ論における「否定神
>学的なるもの」の構築の複数化相対化による脱臼をその端緒にすべ
>き、とするらげ・e両氏との、ニーチェ解釈を巡る熾烈な互いへの
>挑発

で、

「複数化相対化による脱臼」というのは、それは実は「倫理」になりますね。

というのが私の主張なの。

●複数化相対化というのは、複数のlogosを共存させることであり、「ロゴスが共にあることDialogos」
●「倫理」が成立するのは、「対話Dialogos」以外にあり得ない。

こーゆー主張です。

945 :あげぞう:2001/07/23(月) 14:57
さらに、肝心なことは『対話』は、1対1対応でなければならないということ。
レヴィナス的に言えば、「顔」のある他者と直面すること。
ブーバー的には「われ−なんじ」という根源語として話し合うこと。

つーことで。

946 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 17:21
>>945
>「顔」のある他者と直面すること。

ここでいう「顔」というのは?
阿部公房的に言うところの「名刺」みたいなもんかな?

947 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 17:22
顔がある=固有名がある=名刺を持つ

でいいのかな?

948 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 17:29
レヴィナスにおいて、顔とは倫理の根源的経験であり、
類比的構成によって構成されることなく、
共同存在に組み込まれない絶対の差異を
表示しているとされる。

949 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 17:43
つまり必ずしも物理的な「顔」を見てる必要はないと考えていいよね。
特にインターネットや携帯が普及した現代においては。

950 :考える名無しさん:2001/07/23(月) 19:59
次のスレ作らなくていいのかな?そろそろ・・

951 :考える名無しさん:2001/07/24(火) 04:57
>>948 じゃあドゥルーズ=ガタリが言う「顔貌性」は、どういうこと?

952 :比ヤング:2001/07/24(火) 06:35
つか、ドゥルーズはライプニッツのモナドロジーをもじって
ノマドロジーにして、意味を正反対にしたのだから、
ドゥルーズとライプニッツを一緒に使うことなど普通では考えられないのだが

953 :考える名無しさん:2001/07/24(火) 09:39
>>952

しかし、ポストモダンの文脈でライプニッツを持ち上げることは
柄谷がライプニッツ症候群と言ったぐらいよくある話だよ。
モナドロジーとノマドロジーは単純に正反対とは言えない。

954 :比ヤング:2001/07/24(火) 10:26
>>953

>ライプニッツ症候群
『ヒューモアとしての唯物論』所収の論文ですね。
買い置きしてあるので、今晩にでも読んでみます。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9972099911

955 :考える名無しさん:2001/07/24(火) 11:43
おまえみたいな馬鹿がカラタニ読めんのか?

956 :比ヤング:2001/07/24(火) 12:41
>おまえみたいな馬鹿がカラタニ読めんのか?

本当に馬鹿と呼ばれるべきなのは

>ノマドロジーならジャン・フランソワ・リオタールだろ。これは4流の思想家。
>社会学のブルデュー並。
>もちっと勉強してアタマ使ってくれ、比ヤング君。

などと知ったかぶっているあげぞうのような人間であって、
馬鹿は馬鹿でも知ったかぶりの馬鹿ではない俺にたいして
言うべきことではない。

955みたいにイキがってる害虫がバブルのように発生し、
また害虫に取り巻かれて天狗になっていた故に
知識人は一般人から見放されたんだろう。
いまやカラタニをカラヤと読んでしまうような人ばかりである。
柄谷をカラタニと読めない人は馬鹿ではなく、
害虫のニオイに敏感な常識人である。
955は不良債権だ。

957 :考える名無しさん:2001/07/24(火) 22:11
東はアニメのビデオやグッズを奥さんに捨てられたらしいね。

958 :考える名無しさん:2001/07/24(火) 23:02
>>957
女性は賢いですね。
東のオタク論的転回には全くついてけんかった。

959 :考える名無しさん:2001/07/24(火) 23:35
ネタだろうが、商売道具を勝手に捨てるような女房なら、
「あんたなんかわたしじゃない」と言い放って別れてしまえ。

960 :考える名無しさん:2001/07/24(火) 23:40
でもまあ別れられんでしょ、実際は。
奥さんの首絞めたりして。
んで「気持ち悪い」とか言われたりして。

961 :実話:2001/07/25(水) 00:06
大塚は奥さんといっしょに人形を子供代わりにしてるんだろう。
こっちの方が不気味だぞ。

962 :考える名無しさん:2001/07/25(水) 00:41
絞殺の後は強姦するんだよ、ホントは >劇エヴァ

963 :考える名無しさん:2001/07/25(水) 11:08
イカ臭いね、やっぱ。

964 :考える名無しさん:2001/07/25(水) 13:46
面白いと思ってんのかな。↑

965 :でじこ:2001/07/25(水) 16:55
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=996047666&ls=50
新スレ立てたにょ!
ひろきたんから遠ざかる固定討論はこのままここで続けるがいいにょ〜〜!

966 :あげぞう:2001/07/25(水) 19:27
>>946
名刺とは違います。本当の意味で物理的な「顔」です。
なので
>>949
>つまり必ずしも物理的な「顔」を見てる必要はないと考えていいよね。
「顔」を見る必要があります。
相手と実際に直面していなければ対話は成立しないし、
本当の意味で「倫理」など成立しません。
インターネットを見ていれば分かること。
らげのように別ハンや捨てハンで自作自演を繰り替えし、
論点ズラシと責任逃れに走る人間が現れます。
まあ、だからといって直面していれば倫理が成立する、とは限りませんが。
ただ「直面」は倫理成立の条件のようなものです。

おそらくインターネット掲示板で「顔」のかわりになるのは、
名刺的な「ハンドルネーム」になるでしょうが、
「ハンドルネーム」には限界があります。

967 :あげぞう:2001/07/25(水) 19:28
>>952
>つか、ドゥルーズはライプニッツのモナドロジーをもじって
>ノマドロジーにして、意味を正反対にしたのだから、
>ドゥルーズとライプニッツを一緒に使うことなど普通では考えられないのだが
比ヤングって実は典型的なモダニストだよな。
モナドをノマドにしたとしても、実はフレームは本質的には変わってないでしょ。
で、むしろ本質的に対立するとしたら「リゾーム」のほうで、
「リゾーム」って何かというとイメージ的には分裂病者のアタマだと解釈している。
どこがどうつながるのか分からないし、説明できないんだ。
インターネットでクリックしたら、意外なページにリンクした、というイメージ。
私は世界観について語っているのだから、フレームというか構造のことを言っているのであって、
遊牧民について語っているのではないのよ。
ノマドというのは、ネットサーファーという「主体」のほうなんだよね。
問題の所在がどこにあるのか見抜けよ。
モナドロジーの整然としたフレームと対抗できるのはリゾームのほうでしょ。

「整然」に対して「分裂」
「コスモス(秩序)」に対して「カオス(混沌)」
この絶えざる反転をもたらすのは「視点」なんだよ。
誰が見るかによって「コスモス」なのか「カオス」なのか変わるんだ。

ヘーゲル的弁証法とドゥルーズ的差異の肯定も同じ。
「視点」によって「止揚」される場合もあれば、「差異を肯定」される場合もある。
<自由な主体>として、ヘーゲルとドゥルーズを使い分ければ良し。

968 :あげぞう:2001/07/25(水) 19:28
ちなみに、モナドロジーとの違いは、

>そして個々のモナドは固定的なモノではない。
>モナドは『対話』によって変質する。

になるの。モナドとモナドが関わることによって、モナドが変質するんだな。
すると、自己同一性の問題が出てきて倫理的責任の所在が不明確になると思われがちだけど、
そういう議論自体が古いというかモダニズムの論理主義に染まっている。

私は「存在者」が違うように見えても、「存在」が一致するから責任の所在は明確
とするか、
「人格」が変質したとしても「系譜」が同じとしますね。

考え中ですがワラ

969 :あげぞう:2001/07/25(水) 19:30
>>956
それってレスになってないから、955さんに失礼だよ。

>>ノマドロジーならジャン・フランソワ・リオタールだろ。これは4流の思想家。
>>社会学のブルデュー並。
>>もちっと勉強してアタマ使ってくれ、比ヤング君。

>などと知ったかぶっているあげぞうのような人間であって、
>馬鹿は馬鹿でも知ったかぶりの馬鹿ではない俺にたいして
>言うべきことではない。

しかも東読んでるくせに、コテコテのモダニストだな。
他のサイトでのカキコミを転載する上に、文脈前提にしないで、コピペすんなよワラ
そんなことやってるから、あめざーの呼び込みか、とか誤解されんだろ。
しかも教養ないね・・・・・・。
私が上のカキコミで何が言いたかったのか、普通は分かると思うけど。

970 :考える名無しさん:2001/07/26(木) 01:05
あげぞうの「顔」の話を読んでると、「顔」=経験的他者みたいなこと
になってくるが、レヴィナスのいう「顔」とは、やはり経験的他者と超
越論的他者を往復するような話だろう。
しかし、いくら「顔」っていってもレヴィナスの場合どうしても超越論
的他者(がわかる主体の話=否定神学)になる。
そうすると、むしろ「顔」の経験論みたいなことを考えた方が良い。
それが、東の最近のデータベースやアニメキャラの論考だとも思えなく
もない。

971 :比ヤング:2001/07/26(木) 07:59
そこで、僕は「絶対的他者」という言葉は使わずに、「潜在的他者」
と言ったほうがいいのではないかと思う。
他者も「顔」もつねに「可視あるいは不可視」なのだから。
潜在的、ってのはデータベースとも親和性が高いでしょ?
「超越論的他者」というと、東の言う、たくさんの、小さな、どこにでもある
超越論性の場合は有効だけど、通常は唯一絶対のものになってしまうので
これも970の指摘どおり、マズイ。

柄谷の「相対的他者」、東の「近い他者-遠い他者」も
イメージが掴みづらい。柄谷の、僕が想定している他者とは
きまぐれで無関心な猫のようなものです。という説明は
良かった。だったら「ネコ的他者」とでも呼べば良いのに。

この言葉を使っている人が誰かいないか検索したら、
シェイクスピアだけがヒットしました。

972 :あげぞう:2001/07/26(木) 17:30
>>970さん
レヴィナスの「顔」ですが、彼はフッサールとハイデガーの解釈者としてスタートしているので、
ハイデガーの文脈との類比をしてみるとわかりやすいのではと思います。

「存在者−存在」
「顔−絶対的他者」

だから、「顔」とのかかわりから「絶対的他者」を感じ取ると考えるとスムーズだと思うのですが

「経験的−超越論的」というのはあくまで認識論上のタームのようにも思えます。
ここはちょっと考え中なので、アドヴァイスがあるとウレシイですね。
普通に考えると「超越論的」って考えにくいですよね。
カントみたいに認識の形式的に考える以外になくなるように思うので、
それは主体の問題なわけで、
「存在=絶対的他者」との問題からは問題意識的に少し離れているようにも思われ。
このへん混沌としております。

311 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)