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言語・記号・貨幣・チ○ポ・マ○コ?

1 :名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 16:00
ふざけてはいません。
記号論や経済学、文学、精神分析(あるいは乳幼児期から社会人になる
頃までにかんする心理学)、言語学がお互いの垣根を乗り越えて
語り合ってるような本を探しています。新しければ新しいほど、いいです。

2 :名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 10:17
新しくないけど、柄谷行人「内省と遡行」(講談社学術文庫)。

3 ::2000/08/04(金) 09:21
>2
柄谷行人って、言語学を専門にやってる人にとっても、重要人物
なんですかね?僕は、こんなスレッドたてるくらいだから、
もちろん彼のことは好きなんだけど。(といってもホントに柄谷
サンの言ってることが重要だ、と思い出したのは、ごく最近の事
なんだけど。)

4 :2:2000/08/04(金) 20:32
私は学部だけだから専門的な事情は分かりませんが、
普通の言語学では柄谷は扱わないと思います。
フランス系の記号論をやっている一部かな。

5 :クロソフスキー:2000/08/07(月) 15:45
「生きた貨幣」(青土社)

6 :2:2000/08/08(火) 16:33
ジャン・ジョゼフ・グー「言語の金使い−
文学と経済学におけるリアリズムの解体」(新曜社)
というものもある。

7 :柄谷といえば:2000/08/09(水) 16:53
うろおぼえだけど「エクリチュールとナショナリズム」って言う論考で

言語学者は記述だけに専念しているつもりかもしれないが
どんな言語や方言でも、それを記述してしまえば、その記述したものが
規範になってしまう。
だから言語学は必然的に政治性をはらむのであって
純粋な言語の記述としての言語学というのは不可能だ。

というような趣旨のことを言ってたかな(不正確かも)。
しかしこういう考えは言語学を実際にやってる人からしたら
受け入れられないでしょうね。


8 :>7:2000/08/09(水) 22:00
例えばね

「森は野中を自分の家に招いた」

と言うとき、「自分」というのが「森」を指すことしかできず

「森は野中を自分の家に帰らせた」

と言うとき、「自分」というのが「森」を指すこともあれば「野中」を
指すことも可能だという記述は、どのような意味で「必然的に政治性を
はらんでいる」と、その柄谷さんというヒトはおっしゃってるんでしょう
かねぇ。

こういう具体的な事例に対して何も言わない人の言説を疑うことは大切な
ことだと思うと言う意見に、5000チョムスキー。

9 :名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 15:46
(横レス)
>8
7 は記述すること(あるいは「記述されたもの」)の政治性について
言っているのでしょう。

瑣末な具体的事例にのみこだわり、「学」としての言語学の背後に
あるイデオロギー性を見過ごしているバカ学者がここにも一人。

10 :>7 and all:2000/08/15(火) 08:41
「エクリチュールとナショナリズム」
これ、単行本に入ってますか?
雑誌論文なら、何と言う雑誌の何号に出てますか。
しかし、そんな事ならどんな学問にも当てはまることで、
柄谷ともあろう人がそんな素朴なことを今更言うかと思うけど。
それにしても、柄谷公認サイトみたいのはあるけど、
柄谷の著作目録って、web上にありませんかね。
蓮実にはあるようですが。



11 :名無しさん@1周年:2000/08/15(火) 14:46
講談社学術文庫 定価:本体1000円(税別)
ヒューモアとしての唯物論 柄谷行人

12 :エクリチュールとナショナリズム:2000/08/15(火) 15:17
↓こんな感じ

1.
音声中心主義(日本の国学を含む)には政治的な動機があり、ネーションの形成の問題と結びついている。

音声主義的な書き言葉(ダンテや本居宣長)が規範的/共通語的な書き言葉(ラテン語/漢語)に対抗して生じた事と
近代的なネーションが多民族的な「帝国」(ローマ帝国/シナ帝国)から分節化されて出現した事との並行性。

2.
歴史的言語学は音声主義をとるが、実際には書き言葉を持たなかった民族の言語を対象にできず、
一定の文明を持った民族の言語のみを対象とするに過ぎない。
彼らの音声主義は欺瞞的であり、ナショナリズムを補強する。

ソシュールは言語学の政治性に敏感であり、彼が音声主義をとるのは
書き言葉が暗黙に文字=国家を内在させていたからであった。
彼が捉えていた音声言語とは境界の定かでないような多数言語であり
その一部を「○○語」として画定すること(規範化につながり政治的に機能する)を否定した。

このあと時枝に関することとかいろいろ。

↓引用

「彼(ソシュール)が言語学においてエクリチュールを除外するのは、
それが空間的にも時間的にも境界の定かでないようなラングを、
積極的に「はっきり」させてしまうからである。たとえば、或る方言を
記述すれば、そのことがその方言をはっきりさせ、規範化さえしてしまう。
ラングを積極的に明示すれば、そのことによって、それは国家語ではないとしても、
規範的なものに転化されてしまうのである。」

「だが、何一つ、積極的に語りえないとしたら、ひとは「言語学」を放棄するほかないだろう。
事実、ソシュールは沈黙したのである。(中略)
ソシュールの「内的言語学」は、何であれ、特定の言語を措定すること自体の批判なのだ。
なぜなら、そのことがただちに政治的に機能するからである。」


13 :名無しさん@1周年:2000/08/15(火) 15:19
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/Scripts/bookclub/intro/intro.idc?id=17353

14 :掟破り:2000/08/15(火) 21:59
『「詩人・評論家・作家」のための言語論』/吉本隆明
アバウトだけど結構面白かったです。以上

15 :名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 01:43
『現代思想』での貨幣論論争ね

16 :10:2000/08/16(水) 13:46
>12
詳しくまとめて頂いて有り難うございます。
>このあと時枝に関することとかいろいろ。
というのが何故かむやみにおかしい。

他の収録論文も面白そうだし、早速買ってきます。
でも学術文庫って文庫としては高いよね〜
他の文庫の値段を引き上げた元凶という感じ。

17 :名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 11:25
後半で時枝は日本語を民族・国家から切り離したが、そのこと自体政治的である、
とかいうんだけど、「非政治的な場合も政治的である」というロジックは
K・R・ポパーがマルクス主義を批判したときにいった
「いつでも正しい」ロジックと基本的に同等ではないか、と言う気もする。
常識的な考えは、言語と政治は結びつくこともあるが、切り離すことは可能だ、
というものだと思うけど、
柄谷の論理はそれを覆すほど実はしっかりしてないと思うよ。

ところで思想系のひとはソシュールは参照したがるけど
チョムスキーをとりあげるのってあまり見ない気がする。
柄谷はチョムスキーのことどう思ってるんだろう?
彼がチョムスキーについて言及したのってありますか?


18 :>17:2000/08/18(金) 13:42
>「非政治的な場合も政治的である」

うーん、結局誰かも言ってた、言語のパフォーマティヴな機能と
コンスタティヴな記述は切り離せない、っていう議論につながる
のではないでしょうか? 発話すること自体がその人の態度決定を
規定してしまう、みたいな。ミクロ的な視野で言えば、文脈や
イディオマティックな構文の形式が、ある単語の意味を決定して
しまう、みたいなこと? 言語学には詳しくないのであやふやな
ことしか言えないんですけど。

19 :>17:2000/08/20(日) 01:23
>柄谷はチョムスキーのことどう思ってるんだろう?
>彼がチョムスキーについて言及したのってありますか?

「隠喩としての建築」第二章7
「言語という謎――丸山圭三郎『ソシュールの思想』」
「内省と遡行」第二章1

等で言及はあるが、参照する程の記述は無い。
チョムスキーに関心がないんだね、きっと。


20 :>18:2000/08/21(月) 06:11
確かに、原理的に言って、全ては遂行的発話である。
であるのに、なぜコンスタティヴな記述が成立するかに見えるのか。
即ち、行為遂行的発話がコンスタティヴな効果を産むのは如何にしてか。
ここに、交換形態から貨幣の成立に至る過程とアナロジーを見られるかも。

http://db3.ntticc.or.jp/g/archive/data/articles/t8e00753.htm

21 :名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 15:38
今月の月刊言語に日本言語学会第120回の短いレポートが載ってますが
少数言語の維持に関する話でこの話題に通ずるような議論があったみたいですね。
3通りの立場が出されてて結構興味深い。

角田太作:
 言語学者の役割は危機言語について語る事ではなくそれを記録すること。
ヘンリ・スチュアート(文化人類学・民族学):
 先住民族の言語を扱えば否応無く政治が関わる。
 言語学者は政治に鈍感。
田中克彦:
 少数言語維持のための現実的な戦略として諸方言の結束を図り、
 場合によっては方言差を犠牲にしてでも規範化を進める必要がある。

多分角田氏のような考えが普通の言語学者の典型的なものなんだと思います。
ヘンリ・スチュアート氏は上の柄谷氏の議論に近い認識。
で、柄谷氏とかスチュアート氏の認識を踏まえた上でそれを積極化させると
田中氏の考えみたいになるんじゃないでしょうか。
(「関わらざるをえない」→「関わらなければならない」)
でもこれだともう言語学者じゃないような気がする。
どうでしょうね?


22 :名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 14:48
絶滅に瀕した生物を目の前にして、生物学者はどう振る舞う(べき)か?

ダイアン・フォッシーのような言語学者がでたりして、↓
http://zakuro.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/kanamori.html#fossey



23 :名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 18:05
>田中克彦:
> 少数言語維持のための現実的な戦略として諸方言の結束を図り、
> 場合によっては方言差を犠牲にしてでも規範化を進める必要がある。
これって、EC統合と論理が似てない? 地域差を犠牲にし、共通の
貨幣制度を作るなど規範化を進め、……。
でもって、グローバル・スタンダード(英語帝国主義)に対抗する、と。
しかし結局はグローバリゼーションの波に屈した形態しか残らない……。


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