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思い出に残る食事 2

1 :名無しさん:2000/06/19(月) 09:15
貴方の思い出に残る
楽しい食事、悲しい食事、悔しい食事、嬉しい食事。
食事に関する思い出を どうぞ書き込んでください。

過去ログも見てみてね。 サイコーだよ (^o^)
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/3640/tabemo07.htm
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/3640/tabemo08.htm


2 ::2000/06/19(月) 09:20
上記過去ログは 別スレから持ってこさせていただきました。
「だけは保存しています」さん(?) ありがとう!!!
tabemo07は 圧力鍋のログでした。
思い出に残る食事のログは tabemo08の方です。

3 :名無しさん@1周年:2000/06/19(月) 12:53
いーかげんネタも切れたろうに・・・
またホラ話スレ作るんかね(- -;(ウンザリ

4 :>3:2000/06/19(月) 13:12
読まなきゃいいのに・・・
あとは、去年のロビーネタだけど、
年末の明石家サンタに使えそうなネタをピックアップしといて
年末に参加するとか。



5 :名無しさん@1周年:2000/06/19(月) 13:23
>3
うんざり・・・ ってことは
結局は読むつもりなんでしょ くす。

6 :>5:2000/06/19(月) 14:11
おまえ「ちょっとだけ」やなヤツだな(笑)

7 :5:2000/06/19(月) 15:30
>6
光栄です えへへ。

8 :名無しさん@1周年:2000/06/20(火) 00:23
旧スレッド800超えていたから、丁度いいタイミングじゃない?
泣ける話&長文ばかりで食傷ぎみの上、笑える話が
書き込める雰囲気じゃなっかたので、盛り上がったまま
きれいに終わらせるのもいいかも。
ちなみに自分は、レス1HN「もの食うひと」のエピソードが一番だね

9 :名無しさん@1周年:2000/06/20(火) 21:39
このスレッド好き。
もっと食え。



10 :名無しさん@1周年:2000/07/15(土) 17:24
あご

11 :名無しさん@一周年:2000/07/18(火) 03:23
浮浪者も並と玉子を食べていた。
白身が口からダラリ出ている。・・・何度も、白身を口から出してはごはんに掛けて・・・。
と思っていたが・・・いや、待て、玉子の器が無いではないか!!
しかも、浮浪者からは時折、「カーッ」と聞こえる・・・。
そう、あれは紛れも無く、"痰"をメシに掛けながら食べていたのだった。
それを見て以来、吉野家には行けなくなった。
      

12 :彼女の手料理:2000/07/18(火) 04:42
僕は以前、遠距離恋愛をしていました。
会えるのは良くて1ヶ月に1回。だいたいは2ヶ月に1度ぐらいでした。
そのため、会った時はほとんど外食をしていました。外食のほうが美味しい物を
食べられるし、リッチな気分も味わえるからです。
僕の家で食べることもあったのですが、僕は料理が得意だし、彼女がわざわざ
はるばる来てくれたので、作るときはいつも僕でした。
彼女は僕の作った料理を、いつも「おいしいよ」って言いながら食べていました。
しかし彼女は、僕の手料理を食べるたびに自分自身は料理が作れないのを
気にしているようでした。僕はそんなことにも気づかずに、「女の子だし料理ぐらい
作れなくちゃね」とか言ってしまいました。彼女は笑いながら「これから
一生懸命勉強するよ」とか言っていましたが、僕は言葉だけだなと思って
期待は全然していませんでした。
ある時僕が彼女の家に行くときがあって、そのとき彼女が料理を作ると
自分で言いだしたのです。びっくりしたものの、待つことにしました。
しかしいつになっても料理は出てきません。心配になって台所を見ると
僕の10倍以上の遅さでタマネギをみじん切りしていました。
「見ないで」と言われたので更に1時間以上待っていました。
何が出てくるのか楽しみにしていたら、出てきたのは白いご飯にみそ汁、
それにケチャップのかかった卵焼きだけでした。見た目も・・・って感じの。
味も予想通りでした。みそ汁は薄いしご飯は堅い。卵焼きは中身のタマネギとかが
生っぽい。でも、「おいしいよ」って言って食べました。いつも彼女がしていて
くれたように・・・。それを聞いた彼女の満足そうな笑顔と、自分では
「おいしくないよー」って言っていたのが今でも忘れられません。
結局彼女とは色々とあって振られてしまいましたが、あの時の彼女の手料理が
最初で最後でした。今こうして振り返ってみると、上手じゃなかった料理
だということと、もう1つだけはっきりと分かることがあります。
彼女が僕のことを心から想って、一生懸命に作ってくれたことです。



13 :名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 05:41
大学入った最初の年。最初のころはマジメに自炊してたんだよ。
でもだんだん、面倒になって自炊しなくなったんだな。

年の暮れも、バイトやサークルで実家には帰らずだったんだ。
スキーの代金で、大晦日だっつーのに金がなくて、久しぶりに
飯を炊いて食べたんだ。

ちょっとべとべとした感じのご飯が炊き上がったんだけど、
よく見るとなんか、黒い粒粒が点々とあるんだ。
よーく見ると、足が6本生えててねえ。ショックだったね。

米びつの中の米をゴミ箱に捨てる時に、なんか申し訳なくて
涙がでちゃったよ。なんでだろうね。

14 :名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 05:43
思い出にのこる食事?
京都で出されたお茶漬けかな

15 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/18(火) 06:40
病院で正月に出た、肝臓食のおせち料理。

16 :名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 11:33
>14
わらた!!

17 :名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 11:49
13>
もだえ苦しみながら… 脱糞を失禁を繰り返し…
最後は苦しみの意識を自ら否定する絶叫のなか…
痙攣をしながら絶命したのだ。

18 :名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 12:24
>13
文学板にあなたにぴったりのスレッドがあります。

19 :名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 12:44
高校卒業祝に親と焼き肉屋に行きました。そこで、
舌でとけるような肉を食べました。おいしかった。

20 :名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 12:50
小学校の頃、少し仲の良かった子の家に遊びにいきました。
おやつにメロンが出たんだけど、凍りつきました
その子はメロンの上にのってる種を退けずに
(普通は出すときに退けてあるよね)種から食べてました
家では食べないのが常識だったので、すごく衝撃的でした
たぶんその家では食べるのが普通なんでしょうが・・・
私も食べないといけないって思い、無理をして頑張って食べました
メロンを見ると今も思い出します

21 :>20:2000/07/18(火) 12:57
>無理をして頑張って食べました
>メロンを見ると今も思い出します

ウザっ!おじょーひんブッてんじゃねーよ!!

22 :名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 13:25
メロンに塩かけて食べる人もいるみたい、、
スイカじゃねーだろ、、

23 :名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 22:50
>21
そんなに言わなくってもいいじゃん、べつにお上品ぶってないけど、
思い出したから書いただけです


24 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/19(水) 02:27
>21
普通種は食わねーだろ。


25 :名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 01:31
age

26 :名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 18:33
こっちこっち

27 :名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 01:22
1が続いているのであげ。

28 :名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 18:46
高一のときから付き合ってた彼女が大学受験のストレスで
いわゆる引きこもりになってしまった(親や先生と結構もめて)。
それで帰りに毎日彼女の家に寄っていろいろくだらないことしゃべったりとかしてた。
彼女の親の話だと普段は無口でほとんど笑いもしないらしいのだけど、
2人でしゃべってるときはホントに楽しそうで、オレも明るい彼女がみれて嬉しかった。
少しして結構外にも出られるようになったんで、元気だそうと思って休みはいつもいろんなトコ
連れて回っんだけど、彼女は近くのケーキ屋がお気に入りだったらしく、
甘い物食えないオレも無理矢理連れてかれてた。


29 :名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 18:47
そんな感じで3ヶ月くらい過ぎていって、ある日、彼女が自殺したって電話が向こうの親からあった。
遺書とかはなかったらしくて何がなんだかわかんなかった。

その夜少し泣いたけど遺体と対面して火葬も終わっても全然夢みてるみたいで、
足が地に着かない感じで、ほとんど実感がわかなかった(ドラマみたいだーとか思ってた)。
焼き場の帰り何気なくいつものケーキ屋に立ち寄って、店員にいつも飲んでたコーヒーを注文したとたん、
(あれ、何であいついないんだろ?トイレか?)と思って勝手に彼女が好きで
よく食べてたモンブランを注文した。すぐに自分の間違いに気付いたけど。
運ばれてきたモンブラン食べてる途中彼女の笑った顔とか付き合うようになったきっかけとか
いろいろ勝手に思い出してきて鼻水テーブルに垂らすくらい泣いた。 迷惑な客だったろうな。

30 :>28:2000/07/23(日) 10:30
なぜヒッキ―だった彼女に健康人を連れ回すほどの
パワーや行きつけのお店があるのでしょうか?
ネタであることがミエミエです。痛すぎ。
創りで人を泣かせたいのならもっと努力しましょう。
15点(藁

31 :名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 19:57
小学生のころ(20年前)、「バーベキューやるからうちにおいでよ」
と誘われ、のこのこ出掛けていったが、お肉がお肉が・・
魚肉ソーセージを輪切りにしたやつだった。
みな、”バーベキュー”の実態をよく分かってなかったんで、もくもく
普通に食べた。
ま、楽しかったけどさ。

32 :名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 20:56
自分で望んでいった大学なのに途中から行く気がなくなり、
バイト以外は家から出ない、半ヒッキー状態だった私。
ついに大学中退したいと、母親と単身赴任から一時帰宅してた父親に言った。
母親は泣いて思いとどまるように言い、父親はただ黙っていた。
赴任先に戻る日、街中に家族で出かけるなんてことなんて
10年以上なかった父に誘われて池袋まで一緒に行った。
そして駅を降りてすぐの喫茶店に入りケーキとコーヒーを頼んだが、
たのんだチーズケーキはすっごくまずくて味もくそもないようなもので
かといって食べてでもいないと父と向き合って話をしなければならなくて、
でも話をするのは怖くて食べつづけてた。
とてもとても長く気まずい沈黙のあと、父が
「・・・・やめたければやめればいい。お前の人生だ、お父さんが決めることはできない。
お前の好きにしなさい。」
ぼろぼろぼろぼろ涙が出てきて、
こんな自分でも尊重してくれてる父に申し訳なくって、
結局甘えて逃げてるだけの自分と付き合わされたようで、
だんだん自分でも何のために泣いてるのかが分からなくって、
情けなくって余計に涙が止まらなくなってさらにぼろぼろと泣いた。
その間、父親は何も言わないで黙っていてくれた。
はたから見たら、中年サラリーマンと泣いてる女子大生の
明らかに変な組み合わせだったのに(笑)
結局大学は辞めました。今から7年前の話です。

大学を辞めたことは後悔していないけど、
両親を悲しませたことは今でも思い出すだけでダッシュで親孝行しに行きたい気分にさせますね。
あのチーズケーキはもう2度と味わいたくない味です。

33 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 00:09
私にはまだ
コレという思い出の食べ物が無い
これから出会うのだろうか・・・

34 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 02:48
思い出にのこる経験、をしている場での食べ物=思い出の食べ物
あなたにもきっとあるはず。

35 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 16:59
思い出に残る食べ物というか…。
母はとても料理が上手で、とりたてて豪華なものとか、
そんなんじゃないけど、いつもおいしくて、バランスがとれてて、
本当に暖かい食卓でした。
今、一人暮しをしていて、思い出す料理の数々…。
“こんなのも食べた、あんなのも食べた…”と母に話すと、
“あれはね、お給料日前の特別メニューだったのよ”という返事が
必ず返ってくる。
貧しいというわけではなかったけれど、
豊かとはいえない我が家の家計の中から、
母は、少しでも豊かで、たのしい食卓にしようと、
すごく考えてくれてたんだなぁと、しみじみと思う。
そんな母の思いを、遠く離れたところから妹も私もかみしめている。

36 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 17:08
先日、妹と電話で話していたときに思ったこと。
それは、“また、6人(祖父母、両親、妹、私)で、すき焼き食べたいね”
ということだった。
あの頃は、本当に幸せだった。暖かくて、優しくて、楽しかった。
でも、もう叶わない。祖母も父もいなくなってしまったし、
残った4人は、それぞれの理由で、別々に暮らしているから。
だけど、あの時の思い出があるから、今もそれを糧にして、
それぞれの世界で頑張っていける…。
食べ物って、その時に食べるだけじゃないんだね。

37 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 18:27
また貧乏自慢?聞き飽きたよ
それに昔は良かったばっかし
そんなに昔の家庭に戻りたいんなら一家心中でもしたら?

38 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 18:41
part1の最後に、ちょっと素敵なレスがついてます。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=951552846&ls=50
まだ読んでない人はぜひ読んでみて。
>もの食うひとさま、ごくろうさま。あなたのおかげで2chで素晴らしい文章の
数々に出会うことができました。これからも時々レスしてね。

39 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 19:10
37はいいすぎだと思うけど、たしかにちょっと食傷気味だな…
というかもっと具体的な小話を書いてくれると読んでるほうも
わかるんだけど、ただ豊かじゃないけどあったかい家庭、昔は
よかった…とか言われても、たんなる自己満足に終わってしまう…

40 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 19:19
>37
そう言いたくなる気持ちもわからんではないが、
思い出そうとすると、どうしてもそういうのになりがちだよね。
単に美味い食い物じゃなくて、「思い出」の食い物からね…。

俺が思いつくのも、何年かしたら食えなくなるんだろうなあっていう
ばあちゃんの料理だったりするからなあ…。

41 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 21:31
だって、思いでのスレやん。
いいやん、何を語っても。

42 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 22:19
人の思い出を踏みにじるような発言は、控えるべき。
他の人にとって、なんでもない思い出でも、
本人にとっては、大事な思い出なのだから。

43 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 23:06
まあ、昔話でもよいでしょ。
でも、身内や友人への呼びかけで話を閉めるのはやめよう(笑)

44 :名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 23:48
夏休みに入ったから厨房が喧嘩売りに来ているのでしょう。
そんな奴は無視するのが一番です。


45 :名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 01:25
短期間だったが付き合ってた女の手料理が忘れられない。
当時は俺自身かなり荒れていて寝るだけの女が何人もいたし
全員に対して暇潰しの付き合いというつもりだった。
その彼女には特に酷い事をした。
一途に想われれば想われるだけ苛めてやりたい衝動にかられていた。
俺もガンコだし彼女より12才も年上だったから
彼女に対して笑わないという、一度とった態度は崩せなかった。
それでも彼女は翌朝になると朝食の用意をしてたり、さりげなく夜食を作っていた。
切り干し大根の煮物がすごく美味くて、深夜一人で仕事しながら
鍋かかえて食べきったり、起き抜けに用意してくれてたおかずが
けっこう大量だったので朝っぱらからこんなに食えないよとブツクサ
文句言いながらも一口食べると美味しくて残さず食べたり、
美味しいよ、って一言いえない自分が実はもどかしかったりした。
その後、彼女がいったん俺から離れた時期があってなんとなく急に
物足りなくなった俺はまた連絡をとったら付き合いは再開した。
だが、またしても俺のだらしなさから彼女を傷つけてしまう。
この時点で実は俺が彼女に惚れていたのを改めて確認。バカな奴。
彼女が最後に訪れた日、最後に作ってくれたスパゲティは
材料のパスタの量が少なくて俺に多く盛り付け、彼女自身の皿には
ほんの少ししかなかった。
本気でやり直したいと思ってTELした時には
彼女はもう別の男と結婚が決まっていて、俺はフラれた。
気まずい後でも作ってくれた美味い料理、ついつい想い出す。

46 :名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 02:12
彼女が作ってくれたみそ汁を、帰った後にこっそり捨てました。
激マズ。衝撃的なマズさだった。
それだけマズいみそ汁を作った彼女に、捨てちまった俺。
つらくはないが、ため息のでる想い出だ…。


47 :名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 01:46
なぜあげぬか

48 :名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 01:57
心なしか男の書き込みが多いので読んでいて面白い

49 :いとつと:2000/07/28(金) 02:13
パート1、オフラインで途中まで読んだけど
涙止まりませーん。

保育所に行ってたとき、給食で八宝菜のようなものが出た。
片栗粉でとろみがつけてあり、パイナップルが入ってたんです。
そのへんてこな食べ物がどうしても食べられなくて
いつもの私らしくなく、下を向いてじっとしてた。目に涙をためて。
(残しちゃいけない、でも食べられない・・・)
そこへ、普段は怖い先生が
「調子悪いの?残してもいいよ」と優しいお言葉をかけてくださった。
残したくなかったけど・・・まずかったのよー。

皆さんのようないいお話ではないですが。あげついでに。


50 :46:2000/07/28(金) 02:18
付け足し。
次の日、彼女に「不味すぎだよ。捨てちゃった」と言ってしまった。
聞かれてもいないのに…。

何で、わざわざそんなこと言ったんだろうか。
どうしようもない人間だな…。
今は少しマシになったかな…。


51 :名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 02:33
>46
残念ですが・・・胸にしまうことなくこんなとこに書き込むあたり
少しもマシになってないと思われます。

52 :>46:2000/07/28(金) 03:00
>どうしようもない人間だな…。
>今は少しマシになったかな…。
「・・・。」に貴方が表われてると思うぞ。
マシになったんだよ。
ちなみに、中身の具は何だったんだい?

53 :>38:2000/07/28(金) 04:37
リンクありがとう。もの食う人さんのレスだけで号泣してしまいました。でも
せっかく綺麗に終わったスレなので、こちらにレスつけます。もの食う人さん、
こちらこそどうもありがとう。そしてこれからも、よろしく。
(皆にもの食う人さんからのメッセージ読んで欲しいからまたリンク貼って
おきます。)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=951552846&ls=50


54 :46:2000/07/28(金) 12:52
中身は覚えていません。
たまねぎだったような気もするけど。味の記憶しかなくて。

他にも、母親や友人など周りの人を傷つけるようなこと
いっぱいしたなあ。そんなことばっかりだ。
鬱だ氏のう。

55 :永劫回帰:2000/07/28(金) 14:25
もの食うひとへ。アンタのおかげで、何気ない生活の中に何らかの素晴らし
さを見出した人は本当に多いと思う。

ありがとうという言葉が、これほど素直に言えるスレが他にあるだろうか?
心から「ありがとう」。

56 :名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 14:51
もしあなたが「思い出に残る食事1」を読んで共感し、このスレを後々の人にも
読んで欲しいと思うのであれば、こちらのページに投票するのもいいかと思いま
す。
今考えると、ホントに奇跡のようなスレだった。

http://www7.tok2.com/home/garuru/
のランキング。

57 ::2000/07/28(金) 16:06
貧乏自慢ランキングか?

58 :戸碌斎:2000/07/28(金) 17:21
前スレの最後の書き込み、今はじめて知ったよ。
何度目なのか、もうとうに判らなくなっているけど、また泣いたよ。

59 :名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 18:12
子供の時分、母は良く私におやつを作ってくれた。
マドレーヌ、ケーキ、プリン、クッキー、夏になるとトウモロコシを茹でたもの、etc...
うらやましいと思うだろう?
たしかにおやつは美味しかった。ただ、問題はオヤツしか作ってくれないのだ。どう言う意味かって?
母は凝り性でオヤツに全力投球してしまうので、完成が夜になることもしばしば。その上、晩飯を作るのを忘れてしまうのだ。
オヤツが豪華だった日は、妙に晩飯がショボい日が多かった。
その上、凝り性なので同じものが数日続くこともしばしば。今日は火加減がイマイチだったから、明日もう一度チャレンジ!とか言って・・・
嬉しい反面ちょっと困った思い出です。

そうそう、最近は手打ち蕎麦とか手作り豆腐にも凝ってます。(^^;)

60 :名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 23:22
ごめんねー、食傷気味かもしれないけど、私の大事な思い出の食事。
一時期入院して、ベッドから一歩も降りられない状態だった。病院食は単調で
ゲロまずで、うんざりしていたな。
唯一楽しみだったのが、仕事で忙しかった母が、毎日必ず顔を出してくれたこと。
そして、イチゴかりんごを差し入れてくれた。イチゴはちゃんと蔕を取って、
りんごはウサギにして、変色せぬよう塩水につけて。これだって単調なはずなのに、
ちっとも飽きなかったのが不思議。『はい、どうぞ』と笑顔で楊枝に差して持たせてくれた母。

母はもう亡くなっていて、いない。イチゴや、塩水に漬けたりんごを食べるたび、
彼女を思い出す。他にもここに書ききれぬほど、たくさんの家族、恋人との思い出の
食事がある。10代の人にもいつかきっと、わかるよ。
思い出を食べながら、生きてることに気づく日がくるだろうからね。


61 :名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 08:04
誰かさんの歌じゃないけどホントに15歳で原付パクろうとして捕まった。
(ダチ3〜4人も)
ひととおり取り調べ終わったんでいったん解放されて親に引き取りに来てもらった。
警察署で一日なんにも食べさせてもらえなかったので、帰りに親とデニーズ行って
食事したが・・・あのプレッシャーは今でも忘れられん。

62 :名無しさん:2000/07/29(土) 08:52
私が大学1年の頃の話。大学の演劇サークルでぎりぎりまで
裏方の仕事をしていたら何時のまにか雪が降り出した。たいしたことないと
高をくくっていたけど、地元駅についたとき
すでに自宅の車が出せないくらいひどい状態になっていた。
時はすでに12時をまわっていて、タクシーはつかまらないし、バスも走ってない。
自業自得と思いながら豪雪の中、徒歩ですべりそうな道を帰ることに。
当然人っ子一人いず、みじめで、本当にこわかった。

すると最後の坂にさしかかりそうなあたりで誰かがよろよろ歩いてくるのがみえた。
父だった。
そのとき父はひざをいためていて、ふつうに歩くのも困難だったにもかかわらず
私のためになぜか広げたかさ2本とバスタオルをもってひざをかばうようにゆっくりと
歩いてきた。
「こんなことしなくてよかったのに」
と涙声で言ったら、
「あたりまえだから、心配してるんだから」
といって、いらないといったのに「とりあえず体をあっためなきゃ」
といってコンビニで私にだけ肉まんをかってくれた。
自分は足が痛くて食べる気も起きなかったんだろうに。

それから2年を経た今は、出来事の記憶とともに、湯気のたったふかふかの肉まんの
イメージしか残ってなくて、味なんてまったく覚えていないんだけど、このことを考えるたびに
両親にはかなわないな、と思う。
今は離れて暮らしているけど帰ったら一番に父に会いたい。

63 :名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 10:41
61<尾崎信者氏ね!!
「思い出」より「前科」が残る食事だな(嘲笑

64 :名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 15:01
どうしてドキュンは群れるのだろうか?

65 :名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 22:31
泣ける話じゃないけどさあ、思い出って事で。
高校生の夏休み、一泊2日の土方のバイトに友達と行った。
現場は伊豆の方の中学校。屋上のゴムの舗装を全部はがす仕事だった。
そのまあ暑いこと暑いこと、休憩の時に飲んだこおり水は最高うまかった。
で、その日の夜安い旅館(そういう仕事の人ばっかりの)に泊まった時の朝食がうまかった。
たいしたおかずはないのに(ハム2枚と生卵、みそ汁)ご飯はお変わり自由で
生卵1個でどんぶりご飯を2杯食った。それまでは卵かけご飯でどんぶり2杯はなかったんだけど
腹が減っていたせいか2杯食べた。
晩飯はあんまり思い出せないんだけど、あの朝飯だけはなぜか妙にうまくて記憶に残っている。

66 :名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 23:35
静岡に住んでいた頃、お茶畑の中で
でーーっかいおにぎりを食べたこと。

67 :名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 01:06
母は食べ物に神経質で、子供のころ、おやつは手作りばかりだった。
だから、よそのおうちでご馳走になるシャービックやゼリエースやポットのお湯だけでつくるハウスプリンとか
にあこがれてた。すっっごくおいしいと思って。
でも親は添加物や着色料が入ってるからダメ! とぜったい食べさせてくれない。
大学ではじめてしたバイト帰り、スーパーでゼリエースやプリンを買った。
さっそく作ったけど…あんまりおいしくなかった。うそっぽい味がした
こんなことなら、これすっっっごいおいしい! と思った子供時代にいっぱい
食べておきたかった、と後悔してます。
だけど、いま主婦になると、どーしても、添加物が気になってお手軽デザートの素が
使えないよ。杏仁豆腐もココナツ煮て作ってしまうし。
あーもしかして我が子も私と同じ後悔をするのかー、だけどー、と
ジレンマに陥ってます。
でもそんな母も高齢となり、いまはスーパーで買うお総菜でごはんにする
毎日だそう。父も母ももう体に気を使わなくていいからって。
そんなこと言わないでよ…ママ…(;_;)

68 :名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 01:16
>67
>父も母ももう体に気を使わなくていいからって。
もう涙でディスプレイがまともに見れない…

69 :ぴぴん@まあく:2000/07/31(月) 06:12
 今つき合っている人がえらい年上なんだけど、全然会え
なくってチョロと浮気なんぞをしてしまったのさ。んでそ
の浮気ってた娘とずるずるとしていた頃にね彼女が家にき
たのさ。

 2年つき合っているけど(そろそろ3年目に突入)初め
て彼女がバレンタインデーにチョコをくれて、えらい感動
しちゃったのよ、何せ小、中、高ともらったことがなかっ
たから。んで、彼女がきたのがホワイトデーで、前日の夜
に「明日いくよ〜」って電話があった。えらいびびちゃっ
てねぇ(笑)だって、電話をもらう直前まで、違う女とや
ってたわけだから。当然なんにも用意してなかったし。で
、何とかお返ししなきゃなぁと思って彼女の好きな豚でせ
めておいしい物を作ろうと思ったんよ。そしてなにを思っ
たか作ったのが豚の角煮(笑)そしたらめちゃめちゃ喜ん
でくれてねぇ・・・

こっちは罪悪感ばりばりだし、なんか向こうも薄々感ずい
ているみたいだったし。

何とか誤魔化そうと必死になってしゃべったしゃべった
(笑)だって本気で好きだしねぇ、ならなんで浮気なんぞ
をしたのか・・・
気の迷いにしてはずいぶん本気だったけど、やっぱり寂し
かったんだなぁ。

自分で料理を作ることは苦痛じゃないし、楽しくもある。
でもたまには作ってもらう立場になってみたいじゃない?
彼女は年上で、仕事があるから料理作るのはたいてい俺だ
から。たまにはって思っちゃったんだねぇ・・・

今は浮気相手と壮絶な別れ方をして(血を見ないだけで壮
絶だった・・・)彼女一本です。でも相変わらず会えてま
せん(笑)

??あれれ書いてたらなんだか料理の話じゃなくなってる
なぁ(笑)

まあいいか、今度は浮気相手と別れたときの壮絶な料理の
話でも書き込みます


70 :名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 18:10
さがっちゃいやーん

71 :名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 18:27
昔母親の所属する人形劇サークルの人々と共に、県民の森のコテージに泊まり
に行きました。
で、お昼は定番のバーベキュー。
しかし待つ子供達を後目に、親たちは何だかばたばたせわしないのです。
聞けば「肉を野犬にとられた」。
いやぁ、慌ててた慌ててた。犬探しあてたとしても、そんな肉食べられないのにね。
その時私は「野犬」が見たくて一緒にうろうろしてました。肉はどうでも良かった。

結局イカやソーセージや野菜だけのバーベキュー。
とりあえず、この話はたまに持ち出してあげてます。一生言ってやろ。

72 :名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 10:40
>71
ヘルシーでいいですね(笑)
それにそういう思い出ならほほえましくっていいと思います。

去年キャンプに行った時、火を起こしている間にお酒が一本なくなって
かなり騒ぎになりました。回りでキャンプしている人たちに疑いの目を向けた
りして、ちょっとヤな気分になっちゃった。


73 :>72:2000/08/04(金) 22:00
帰ってきた母にその話を蒸し返してみました。
犬を追いかけた理由は「復讐したいじゃん!」というものでした。アホですね。
当時の私は大人がパニックになっている様が面白かった様子。しかも肉で!

74 :名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 22:08
野犬に復讐って・・・
まさかその時、バーベキューに出された肉はっっ!!

75 :ラウンジから来ました:2000/08/04(金) 23:44
思い出に残る食事って普段は忘れてるのに、食べた瞬間に思い出したりしますよね?

大学入ってしばらくして初めて女の子の家に泊まった。
二人とも朝方まで寝れなかったけど、俺の方はウトウトしてたみたい。
しばらくして、その子が台所で何かつくってくれてるのに気づいて目が覚めた。
六畳一間のアパートだから、枕元で行ったり来たりして、
もう、はきっり目が覚めてたけど、照れくさくてそのまま寝た振りしてた。
味噌汁のいい匂いがした頃「ご飯出来たよ。」って起こしてくれた。
布団を片づけて、小さいテーブルを出してその上にご飯と味噌汁、
で、ほうれん草のお浸しがあった。
今まで母親がつくってくれたほうれん草のお浸しは
醤油に鰹節をまぶしたやつだったけど、
それはすりゴマをまぶした甘めの味付けだった。
昨日の夜のことがお互いなんか照れくさくて、口数少なく伏し目がちに食べた。
でも、今まで食べたことのない味付けのうほうれん草のお浸しが、
新鮮でおいしくて、でも、照れくさくて、嬉しくて、なんか、複雑でした。

結局、その子とは七年付き合った後、別れた。
たまに、あの甘い味付けのほうれん草のお浸しを食べると、六畳一間の
アパートで小さいテーブルを囲んで食べた朝食を思い出す。
このこと、今付き合ってる彼女には内緒ですけど。

76 :>75:2000/08/05(土) 00:00
それ、「ほうれん草のごまよごし」と言いませんか?普通は。
それだけの質問。

77 :名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 00:10
>76
ああ、そう言うんですか。勉強になりました。

78 :恋はメキメキ:2000/08/06(日) 15:34
高校3年の頃、オレの小遣いは月5000円だった。

夏を迎えようとした頃、とても好きな女の子が出来た。
今までだったら遠くから眺めるだけだったのに、
なぜか変な勇気が出てきて、告白した。

初めてのデートは映画館だった。
(今日はおごらなけりゃな。)
そう思い込んだオレは、映画の券に、コーラ&ハンバーガー、
そのあとのゲーセンまで全部おごった。

彼女とサヨナラした後、サイフの中は100円玉がひとつだけ。
緊張から開放された帰り道、自動販売機で缶コーヒーを
買って飲んだ。

美味かった。
情けなかったけど、やっぱり美味かった。

79 :名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 16:40
私が中学2年の時。
悪性リンパ腫で入院してた母は私が近くのうどん屋から買ってくる
鍋焼きうどんをとても楽しみにしていました。
もちろん病院には内緒だからケーキの箱に鍋焼きうどんを
入れてこっそりと持ちこんでたんです。

その日も母は鍋焼きうどんを私に頼みましたが友達と約束が
あったかなんだかで私はさっさと帰ってしまいました。
最初は余命数ヶ月と宣言されたんだけどその頃は自宅療養も期待できるとか
医者に言われるほど良くなってたので気が緩んでたのかもしれません。
結局生きてる母を見たのはその時が最後になってしまいました。

亡くなった母を自宅に連れて帰る事になって途中で何故か
親族一同うどん屋に寄りました。
皆朝から何も食べてなかったし家まで車で3時間はかかるし..これから
通夜だ葬儀だで忙しいぞっと腹ごしらえをする事になったのです。
子供心にお母さんが死んだのになんで皆食欲があるんだろうと
怒ってました。
姉にちゃんと食べるように言われてそばを注文しました。
うどんは母に買ってあげなかった事を思い出して頼めなかった。
外は梅雨時だったいうのに嘘みたいに晴れていて
悲しいはずなのに皆ちゃんとご飯が食べられて。
あの時複雑な思いのまま食べた昼食は忘れられない。
あれから18年間うどんは一口も食べていません。
死ぬまで食べないと思います。
今でも自分の薄情さを後悔してる。

80 :名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 17:57
>79
うどん喰ってみたら。
つらいんだろうけど、喰ってみた方がいい気がする…。

81 :名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 18:12
あげとく

82 :名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 21:22
>78 短編映画を見せてもらったような感じです。
缶コーヒー・・目に浮かぶようです。私も思い出したことを1つ。
昔ちょっとしたきっかけで、仲良くなりかけた男の人と初めて映画
を一緒に見た。その後お茶ぐらい飲むものと思ってたのに彼は何にも
誘ってくれず、(私も緊張していたので何も言えず)そのまま別れた。

お茶も誘ってくれない魅力のない女の子なんだ・・と何だか悲しくて
疲れも出てお腹も空いちゃって一人で入って食べたのが京風らーめん。
味は覚えてないけど、その時のことは今も思い出せる。
その後一度、電話があって彼も緊張してエスコートできなかったこと詫びてた。
私は陽気にハイテンションで応対し、それきりになりました。


83 :名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 22:03
>79さま
 初めてここに来て、読ませていただき、涙が止まりません。
普段私達がなにげなく食べているおうどんに、そんな思い出があるなんて・・・。

84 :名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 22:22
「おうどん」って… プッ

85 :名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 22:36
>84 別におかしな言い方じゃないと思うけどな。普通だよ。

86 :名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 22:53
書き言葉だとね…

87 :名無しさん@1周年:2000/08/08(火) 12:46
当時わたしの勤めている会社は、1階に銀行があるビルの6階にありました。
その日は、彼氏と外でランチをする予定でした。
お昼休みになり、各階で停まるエレベーターがイヤで、階段を駆け下りていたら、
とても寒いその階段で、銀行の警備員のおじいさんが、お弁当を食べていました。
なんで、こんな寒いところでお弁当食べなきゃならないの?お昼くらい、あたたかい
ところで食事ができるようにしてあげてよ!と、銀行が恨めしく思いました。
とてもブルーな気持ちになったのですが、ちゃんとお弁当を作ってくれる家族がいるから
このおじいさんはしあわせだと思うようにしました。
でも、それ以来、どんなに急いでいてもエレベーターで降りるようになりました。

なんとなく、書きたくなったので書いてしまいました。
ズレててごめんなさい。

88 :名無しさん@1周年:2000/08/08(火) 14:36
むかーし、ウチのじーさんがたまに買ってきてくれたアイスキャンディ。
仕事の帰りに買ってきてくれていたらしい。
とにかく甘くって美味くって、4本食って腹を壊した覚えがある。

そんなじーさんももうすぐ90歳。
どこにあのアイスが売ってたのかボケるまえに問い詰めよう(笑)

・・・もう店自体ないかもしれないけど(^^;)

89 :名無しさん@1周年:2000/08/08(火) 20:54
>79
うどんかぁ・・・
前にも書いたけど、お盆とかに親戚連中が集まると俺たち子供は
いっつもうどんと天ぷらと五目ご飯だった。
向こうのコタツで晩酌しつつ美味しそうにお刺身とかつついている
おじさん達がちょっと羨ましかった。
お酒を飲みたいとは思わなかったけど。まずそうだったし。

その後、俺も子供たちもみんな大きくなって独立して、いつしかお盆に集まる
こともなくなった。けど、この間おじさんがガンで死んだので
集まった。
今度は、俺らがコタツに座ってお酒を飲んだ。お刺身も食べた。

でも、向こうを見てもこっちを羨ましそうに見ながらうどん食べてる
子供は居なかった。
ちょっと悲しかったね


90 :親戚が集まると・・・:2000/08/08(火) 22:54
ちょっと裏口に顔を出しただけでも引きずり込まれるんですよ。
「まー元気!? うどん食べていきんさい!(広島弁)」
「いや、今ラーメン食べてきたんで」
「まあまあ、ホラ!」
「はあ……(席につく)」
「はい、もぶり(散らし寿司)も!!」
「いやっ、これ多……」
もういなくなっているおばちゃん。仕方なくうどん完食。
「まあまあ来とったんね! はいソーメン!」
「あ、いやさっきうどん食べ……」
――もういないよおばあちゃん。

一食で炭水化物を4つも摂るなんて。
でもだし色に染まった玉ねぎののった煮ソーメン、
魚のアラののったうどん(包丁切り)、冷えて固くなったもぶり……。
忘れられません。そして被害は次世代に。

91 :名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 01:36
>90
自分達の世代が子供作ったらそうなるかも?
いい話をありがとう。自分も親戚多いので共感するよ。

92 :名無しさん@1周年:2000/08/13(日) 08:49
お盆あげ。

93 :>76:2000/08/17(木) 03:46
「ごまよごし」なんて初めて聞いたぞ。
うちの地方は「ごま和え」。

94 :名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 21:06
age

95 :落語ファン:2000/08/19(土) 21:24
>76さん
ウチは東京だけど「ごま和え」だなぁ。
落語「夏の医者」に、「チシャのごまよごし」ってのが出てくるので初めて知った
けど、この落語の舞台は田舎です。

96 :モトイタ:2000/08/22(火) 18:10
ボーイスカウトのキャンプに行った時に、近くの宿舎に泊まっている
カブスカウト(ボーイスカウトの小学生達)を晩御飯に招待するってんで、
米8合位のピラフを炊いたら、蓋が盛りあがってビックリした。
あんなに膨らむとは...

97 :名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 18:21
>93
うちの田舎は(北陸)ごま汚しがなまって「ごまえごし」
になっている。

98 :名無しさん@元割烹従業員:2000/08/22(火) 18:56
割烹で働いていた頃に「ごまよごし」と「胡麻和え」の違いって?と
板長に聞いたところ「ゴマの量」って返事が返って来ました。
胡麻和えは、大量に使って、胡麻よごしは風味付け程度だって


99 :名無しさん:2000/08/23(水) 15:25
今から18年前、祖母の告別式で親戚のうちで食べた
塩だけのおにぎりが忘れられない。
妙においしかったのと悲しいのとで、今でも覚えている。

100 :ハンバーグ事件:2000/08/23(水) 23:37
高校一年の時大好きだった片思いの大学生と食事に行くことになった。
二人ではなくて5、6人だったと思うけど、
その頃の私はとても恥ずかしがり屋で
好きな人の前で食事するなんて死にそうなくらいの大事件だった。
ハンバーグ屋に入って注文をしたんだけど、
美味しいのに緊張して上手く食べられないし
言葉もでてこなくて黙々とお肉を口に運んでいたら、
そんな私の気持ちをしらない大学生の1人に
『不味いなら食うなよ』と言われた。
その時はもう死んでしまいたいくらいショックだったけど、
それから数年たった今、
私は誰の前でも「美味しそうに食べるね」と言われるようになれた。
あの時の彼に感謝・・・かな。

ちょっと苦笑いしてしまうけれど、
恋に恋していた時の淡い思い出です。


101 :名無しさん@1周年 :2000/08/28(月) 01:08
ゲイアー

102 :合宿の思い出その1 :2000/08/28(月) 17:56
 中学の時の美術部合宿で、来てた部員全員で交代で食事を作ることになった。
最終日の昼に私と他3人でカレーを作ることになったが、水加減を間違えたのか
ご飯はべちゃべちゃだし、肝心のカレールーは、具を炒める手間を惜しんで
水から煮立てた上に固形ルーが足りなかったので、やけに水っぽいカレースープ
もどきになった。全員で渋い顔をしてカレーを食べた。

103 :合宿の思い出その2 :2000/08/28(月) 18:12
 帰りに駅の自販でつぶつぶオレンジジュースを買って水筒に中身を入れ、
鈍行列車の中で喉が渇いたので、飲もうとして栓をゆるめて水筒を
傾けたけど出ない。何でだと思って栓をゆるめにしてまた傾けると…
出なかったのはみかんのつぶつぶが詰まっていたからで、水筒から
大量のジュースと詰まっていたつぶつぶが決壊した堤防のようにふきだし、
私の服はジュースと粒まみれになった。

104 :名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 03:49
20の時、蕎麦屋を経営していた叔父さんが自ら生命を経ってしまった。
その日会社で仕事してて、母親づてに上司から連絡を受けてビックリしてしまった。
どうして、なんで…?先週お父さんと2人で昼食を食べにいった時は、
ニコニコ笑いながら「また食べにおいでよ」と言ってたのに…。
その時叔父さんは家庭が上手くいってなかったらしい。遺書は残ってなくて、発作的に
衝動的に逝ってしまったみたい。
葬式が終わった後、親族は皆叔父さんの店に集まった。
厨房はそのまま開店出来る状態になってて、冷蔵庫には仕込みの終わった
蕎麦や海老がそのまま残ってたって。
叔父さんの一家は全員蕎麦屋を経営してて、当たり前だけど顔の作りも皆似ているのね。
叔父さんは兄弟の末っ子で、お兄さん達が叔父さんが最期にうった蕎麦を皆にふるまおうって事になって…。
なんだかもうこの世にいない人がうったお蕎麦を食べるっていうのが不思議な感覚だった。
皆で食べたお蕎麦、美味しかった。その席で叔父さんのお兄さんがポツリと
「この蕎麦茹でてる時、なんだかオレは泣けてきてたまらなかった。」と言ってた。

あの時食べた叔父さんの最期のお蕎麦の味、忘れられない。


105 :もぐもぐ名無しさん :2000/09/03(日) 20:51
感動話じゃないけど、

小学3年生のころ、怪獣大辞典という本が好きで好きで毎日のように読んでいた。
その本には「視肉」という、人をとりこにするほど美味しい肉の話があって、
怖いけどいつかは食べたい、と思っていた。

ある夕飯の時、どういう風の吹き回しか両親にサンデーサンにつれていってもらった。
そこで、頼んだジャーマンハンバーグセット(ハンバーグにベーコンを巻いた料理)を
食べたおいしさ。記憶は美化されてるだろうけど、ジューシィで焦げ目も適度についていて、
きっと「視肉」ってこんな味なんだろうな、と感動したんだ。
これが生まれて初めてのファミレス体験だった。

そんな自分も今では毎週のようにファミレスに行っている。
あんなに高級におもえた場所だったのに。


106 :もび :2000/09/29(金) 14:33
part1のほうに書き込んじゃいました。こっちもあげときましょう。

俺の食べ物に関する最も古い記憶は、5歳の頃おばあちゃんが作ってくれたオレンジジュース。
みかんを布に包んで手でギュッと絞るだけの、単純な生ジュースだったが、
相当気に入ってたらしく、毎日のようにおねだりしていた。
しかし、味は全く覚えていない。


107 :もぐもぐ名無しさん :2000/09/29(金) 17:38
高校の時、部活の3年送別会でディズニーランドに行ったんだけど、
同学年の男女の仲が悪くて、男女別で行動する羽目に。
野郎8人ぞろぞろと、何を思ったかちょっとお洒落なレストランに入っちゃって、
丸いテーブルの中央に、ランプで薄明かり。
その周りに学生服の男が8人。
飯に味が無い!と言って、ローストビーフのたれをかけたり、
金が無いからと一人だけケーキセットだったりと、灰色の高校ライフ。
今となってはあれも青春。



108 :美香 :2000/09/29(金) 23:01
忘れもしない、93年の一月。
お正月も過ぎて、仕事も始まり、疲れて家に帰ってきたら
家族がみんな出かけてて誰もいなかった。
食卓の上には夕食として焼肉が。1人でじゅうじゅう焼いて食べたよ。
しいたけを焼いてたら・・・虫が這い出してきた。
私は虫が大嫌い!!!勇気をだしてまた違うしいたけを焼いたら
また虫が!!!
・・・もうそれ以来、焼いたしいたけは食べられない・・


109 :周脱税店 :2000/09/30(土) 02:03
以前、横浜馬車道の生香園で酷い目に遭った。
いつもは麺類だったのだがその日は何故か炒飯を注文した。
一番テーブルで本を読んでいたのだが中々来ないので
時計を見ると35分も経っていた。その内、厨房の方から一番はどうこうと
云う声がし、店の婆さんが来てこうほざいた。
「いま、作っているのですが注文は何でしたかね」
作っているならそれを早く持って来いと思ったが素直に答えてやった。
その後、五分もしない内に品が出てきた。
それは炒飯というより油飯というものでした。
昼休み時間も残り少なく仕方なく食ったが、最後まで店の連中の詫びの言葉は
無かった。テレビに出るより店員教育を確りしろ、三男。

110 :けいさ :2000/10/01(日) 18:00
7年前、私が小5だった秋。
1週間ほど音信不通だったお父さんが突然帰ってきて、私に「パパとお母さんは別れるからな」っていいました。
お父さんはその年の夏休みに帰った田舎で昔の彼女と再会し、浮気したんです。
その彼女は他の男の人と結婚するかしないかっていう時だったんですが、お父さんはその彼女が結婚してもしなくても、今の職も捨て、私たちも捨て、彼女を見守りたいといったんです。
私はお父さんっこで、お父さんが大好きで、だからショックで泣いて泣いて、ご飯も食べられず、泣きながら寝ていました。
でもその後、お父さんはその彼女と話し合い、結局私たちを選びました。
それから、「ごめんな」っていって私とお母さんを抱きしめながら、一緒に泣きました。
お父さんが泣いたのは後にも先にもこの時だけです。
その後、なにも食べていなかった私たち家族はみんなでご飯としょうが焼きを食べました。
これが私の思い出に残る食事。


111 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/03(火) 02:37
感動的じゃなくて申し訳無いけど、110さんの書きこみ見て思い出したので書く。
小3だった頃の、ある日曜の夜、家族でいつものように夕食を食べた。
シチューだった。シチューが大好きな私は当然喜んでいた。
しかし、半分くらい食べた頃、突然母が「お父さんとお母さん、離婚するから」と
言った。その後、私達には知らせてなかったが、父にはギャンブル癖があり、
家族に隠れて多額の借金をしていて、止めるように約束させても何度も裏切られ、
もうこれ以上一緒に生活していけない、という事を母が言った。
父は黙ってうつむいたまま聞いていた。そして最後に「お父さん、出ていくから」と
言って、そそくさと車に乗って家を出て行ってしまった。
出ていく父の背中を呆然と見送った直後、強烈な吐き気におそわれて、
食べたシチューを思わず戻してしまった。
母は黙って掃除してくれた。私は泣きながら「ごめんなさい」と謝り続けた。

112 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/03(火) 02:37
感動的じゃなくて申し訳無いけど、110さんの書きこみ見て思い出したので書く。
小3だった頃の、ある日曜の夜、家族でいつものように夕食を食べた。
シチューだった。シチューが大好きな私は当然喜んでいた。
しかし、半分くらい食べた頃、突然母が「お父さんとお母さん、離婚するから」と
言った。その後、私達には知らせてなかったが、父にはギャンブル癖があり、
家族に隠れて多額の借金をしていて、止めるように約束させても何度も裏切られ、
もうこれ以上一緒に生活していけない、という事を母が言った。
父は黙ってうつむいたまま聞いていた。そして最後に「お父さん、出ていくから」と
言って、そそくさと車に乗って家を出て行ってしまった。
出ていく父の背中を呆然と見送った直後、強烈な吐き気におそわれて、
食べたシチューを思わず戻してしまった。
母は黙って掃除してくれた。私は泣きながら「ごめんなさい」と謝り続けた。

113 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/03(火) 02:40
スマソ...

114 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/04(水) 02:05
去年初めて「クリスマスのケーキ屋さん」を体験しました。
いま働いてるケーキ屋は、デパ地下のテナントなので
1日の平均売り上げが大体15〜20万くらい。
クリスマスの売り上げとなるとその10倍以上になります。
スタッフ8人全員が、早朝の支度から夜10時の翌日の準備に至るまでフル回転。
すさまじい忙しさで、槙原の歌みたいに感傷にひたってる余裕なんてありません(笑)
たしかクリスマス3日間、1日の平均シフトは13.5Hくらいだったと思います。
デパートが閉まって明日の準備を皆でするの。ケーキつくったりリボンかけたり。
終わったあとは足は棒みたいどころか、痛くてひきずって歩くくらいでした。
従業員用の自動販売機でお茶を買って、クリスマスケーキを2、3ホール
休憩室に持っていって皆でフォークでつついて食べました。
…美味しかった!!
皆クタクタだけど、なんだか晴れ晴れしたような心地よさみたいなのもあって
…一応いい思い出かな?
でももうあと2ヶ月でクリスマス…。




115 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/04(水) 02:09
去年初めて「クリスマスのケーキ屋さん」を体験しました。
いま働いてるケーキ屋は、デパ地下のテナントなので
1日の平均売り上げが大体15〜20万くらい。
クリスマスの売り上げとなるとその10倍以上になります。
スタッフ8人全員が、早朝の支度から夜10時の翌日の準備に至るまでフル回転。
すさまじい忙しさで、槙原の歌みたいに感傷にひたってる余裕なんてありません(笑)
たしかクリスマス3日間、1日の平均シフトは13.5Hくらいだったと思います。
デパートが閉まって明日の準備を皆でするの。ケーキつくったりリボンかけたり。
終わったあとは足は棒みたいどころか、痛くてひきずって歩くくらいでした。
従業員用の自動販売機でお茶を買って、クリスマスケーキを2、3ホール
休憩室に持っていって皆でフォークでつついて食べました。
…美味しかった!!
皆クタクタだけど、なんだか晴れ晴れしたような心地よさみたいなのもあって
…一応いい思い出かな?
でももうあと2ヶ月でクリスマス…。




116 :もび :2000/10/07(土) 13:19
今帰省中です。
母が仕事終えてもうすぐ帰ってくるので、
得意のマーボ豆腐を作る準備をして待ってます。
おいしいって言ってくれるかなー?

思い出じゃなくてごめんですが。。

117 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/09(月) 00:40
大学に入って念願の一人暮らしを始めた。
引っ越したばかりの頃は部屋に何もなく、恋人もいなくて6畳1間なのに妙に寂しかった。
この頃はなぜか粉末のコーンスープばかり飲んでいた。
一人でテレビを見ながら寂しい気分になる。
粉末のコーンスープを飲むとそのときの寂しさを思い出す。

でも今は彼女もできて部屋も散らかっている。
もうすぐ卒業だから部屋を片付けようと思う。
そのときにまたコーンスープでも飲もうかな。




118 :ハッカーじゃないほうの山田 :2000/10/12(木) 01:49
age

119 :もぐもぐ名無しさん :2000/10/12(木) 10:37
進学で上京して、初めての一人暮らし。ついでに自炊も初めてで、
新しいフライパンを使う前に「空焼き」しなきゃいけないの知らず、
毎日毎日ご飯をチキンライスの素で炒めて、「鉄くさい」まずーーい
チキンライス食べてた・・今もチキンライスの素を見ると、反射的に
口の中に鉄の味がよみがえる。6畳一間の窓から、青い空を見てたときの
頼りない心細い気持ちとかも。

120 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/25(水) 22:44
いい話ばかりの中恐縮ですが、オレも一つ
オレの母親は料理が嫌いだった。ただ親父がうるさいので作業的に作るだけだった。
食うときも皆一言も喋らず黙って食った。適当に作ってるんで味も良くない。
母親は感極まってくると食後の洗い物をしながら『なんでこんなことしないといけないのか』
と泣き出す始末。その度に親父が適当になだめるといった風だ。
毎日食事が嫌でしょうがなかった。
小学生の時に先生にその話をしたら家まで来て話し合ってくれたが、母親は理解できなかったようだ。
社会人になり速攻家を出て一人で気兼ねなしに食事をしたときのうれしさったらなかった。
親も年をとり寂しくなったのか家に戻って来いと言うが、元気な頃はうざそうにしていて
テメエが寂しくなった時だけ戻って来いなどとは身勝手にも程がある。
オレは母親、父親ともこれから一生一緒に食事なんかしてやらねえ。
その理由も教えてやらねえ。バカだから理由なんて気づかないんだろうな。
まあ、こんな話もあるってことだ。すまない。


121 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/25(水) 22:51
age

122 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/26(木) 03:05
うちは3人兄弟。兄私弟で女は私1人だけ。
子供時代躾は普通にうけたけど、たまにどうにも納得いかなかったのが
「食事の支度」かな。
親の教育方針が「男子厨房に入るべからず」的なところがあって、
台所関係はすべて女まかせなところが気にくわなくて。
祖母はいわゆるお嬢様育ちで家事は一切出来ない(しない)し、
母も父も共稼ぎで、必然小学6年くらいから夕食担当は私の仕事に。
学校の帰りにスーパーに寄って食材を買う途中、ネギの入った袋を指さして
からかう同級生がいたっけ。「あんな子の言うこと気にしちゃダメよ」と
なぐさめてくれるスーパーのおばちゃんの言葉だけが嬉しかったな。
家族は「やって当然」みたいな態度ばっかりで私が食事の支度してる隣の部屋で
ゴロゴロころがってテレビ見てる兄弟見てると殺意おぼえた事もあったもん。
小学生のつくる夕食だから、手際も良くなかったしあんまり美味しくも出来なかった。
ある日いつものように食卓にカレー出したら、兄が
「カレーばっかで飽きた。焼き魚つくってくれ」と言い出して、
ぶちきれて泣いたことあったな。
「なんで私ばっかりこんな事しなきゃならないの!」って。
そのまま押し入れに飛び込んでしばらく泣きつづけた。押し入れの向こうからは
「こんな事くらいで泣くなんて、バッカじゃねえの」と兄の声。
『家事は女がやって当然』思考の家庭じゃ私の言うことはただのワガママ。
誉めてくれなくても、せめてお皿一枚でも出してくれる心使いが家族にあれば
あんなに荒む気持ちで食事を作ることもなかったのかな…なんて思ったり…。

いまは皆バラバラに住んでるんだけど、たまに家族全員そろったりすると
兄弟がせがむ食事のメニューは『私のつくるカレー』。
母のカレーじゃ満足出来ないんだって(笑)

123 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/26(木) 03:46
>>122 最後の3行で救われたような気もするけど、ヒドイ話だ。

122さんのお家ほどではないけど、やっぱり食事の支度や皿の
上げ下げは弟はしないな。彼が一人の時は自分で作るけどね。
でも皿はシンクにつけっぱなし。一人分だったら洗えよ!って
感じ。ついでにいうと洗濯を取り込むこともしないな。
早く結婚でもして、嫁に鍛えてもらえよ!と思う。

124 :名無しさん:2000/10/26(木) 04:43
いろんな人がいるのですね…
私(女)はひとりっこで、大学で家出るまで皿も洗ったことが
なかった。お嬢様とかじゃないけど。
一人暮ししてからは、初めてゴハン炊いたり卵焼きつくったり、
けっこう楽しくて、毎日料理するようになったのでそれなりに
上手になった。電子レンジやオーブンもそこそこ使いこなせる。
久し振りに帰省したとき、家でとれたイモをふかそうとしてた
んだけど、私が電子レンジのほうが早くできるよ、と言ってやって
みせると家族全員しきりに感心している。なんか偉くなったような
気がする一方、哀しくなってしまった。祖父母は(うちは共働き
なので、母親は料理しない)ずっと同じ生活を繰り返してるんだなあと。
ちなみに、イモはやっぱりちゃんとふかしたほうが美味しいように
感じた。それから、5人用のフライパンを私は持ち上げることが
できなくて、結局料理の腕を披露することはできませんでした。

125 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/10/26(木) 07:10
うちは一人っ子だけど両親共稼ぎ核家族だったので、
子供の頃から食事は子供も作って当たり前だった。
しかし母親と父親と私で皆こだわるところが違って、
よく言い合いになったな。(笑)
おとんの理想は会席みたいに少ない量で沢山の皿数。
おかんの主義は安くて早くて作るの簡単、とにかくボリューム。
私の目指す所はせめて下地だけでも本格志向。

126 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/26(木) 08:44
もちろんage

127 :名無しさんよん:2000/10/26(木) 09:23
俺は男だけど、小学生から台所を手伝ったよ。
手伝えば、おやつとかおかずの量が増える実益もあったけどね。
姉さんの食事当番のときに手伝うと特によかった(笑)
今じゃコックだもんな、俺。
今日は定休日なので、2ちゃんにのめり込み。

128 :素敵な話ばっかりだ・・・:2000/10/26(木) 12:34
私もそれじゃ少しだけ・・・
それは今年のバレンタインの時の話。
遠恋の彼女と前日までの三連休を利用して、ちょうど間ぐらいの
大阪で逢う予定でいた。でもそのころ彼女の仕事がとても忙しくて
毎日朝方まで・・とかしてるような時で1日休みを取ることも不可能に
なってしまった。それでも仕事が終わってからと次の日の午前中まで
時間がとれたということで急遽彼女のとこまで行くことにした。
逢いに行く前日彼女の仕事が終わったのは朝4時だった。
当日、仕事が終わる彼女を待ち・・幸せデート♪
そのとき手をつないだら彼女の指にカットバンが。
聞いても「平気、大丈夫だよ♪」としか言わなかった。
夜ごはんも食べ彼女の部屋に帰りゆっくりしていたとき
彼女が冷蔵庫からチョコレートを出した。
「1日早いけど、どおぞ♪包装する時間はさすがになかった(笑)
 じつは昨日これ作るときに指切っちゃった。」
って、、お世辞にも器用とは言えない彼女が・・眠る時間をなくしてまで
一生懸命作ってくれた。私が苦手なレーズンも入ってたけどそんなの
ぜんぜん関係なくとてもおいしくて、なにより彼女の気持ちがすごい嬉しかった。
忙しい中プレゼントまで買ってくれてたし・・・。
次の日、彼女に空港まで見送ってもらい
「じゃ次は3週間後♪」と言って彼女は仕事へ
そのときは彼女を連れて一緒に帰りたくてしょうがなかったな。

結局その彼女とはそのあと親とか距離、仕事とかで
逢うこともなく別れてしまいました。
まだ引きずってるってのが本音ですけど・・
あのチョコレートの味は一生忘れないと思います。

129 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/26(木) 18:00
下がってる!大変!!

130 :>129:2000/10/26(木) 18:16
119から120の間約2週間あいてるんだから、
書くこともないのに無理に上げなくてもいいよ。

131 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/26(木) 22:14
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
あ〜あ、やっちゃったね。
せっかく盛り上がってたスレッドなのに、あんたのレスで台無しだよ。
なんでここで、そんなレスしかできないわけ?
空気読めないの?
だから君は駄目な奴だって言われてるんだよ。
わかってるの?
それにしても、もったいないなあ、せっかくここまで育ったスレッドなのに。
ここまででおしまいかよ。
まあ、しかしやっちゃったものをしょがない。
これからはもうちょっとマシなレスするように心がけろよ。

132 :>131:2000/10/26(木) 23:09
オマエガナ

133 :>132:2000/10/26(木) 23:25
コピペにいちいち反応しない!

134 :>133:2000/10/26(木) 23:43
お前もな。

135 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/27(金) 04:26
過去ログ見れないぞ。少しづつ読んでたのに。

136 :名無し娘。:2000/10/27(金) 04:38
>>135
geocitiesが調子悪い。しばし待つべし。

137 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/27(金) 12:29
ageないと・・・。

138 :名無しさん@1周年:2000/10/27(金) 13:01
あげあげ

139 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/30(月) 10:22
age

140 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/30(月) 11:07
hage

141 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/31(火) 00:41
彼女と付き合い出して間もない頃。
俺の母親が一人暮らしの俺ん家に遊びに来たついでに、台所用品一式揃えてくれた。
彼女の手料理食べたくてずっと頼んでたんだけど、彼女ずっと実家で料理は全くダメ。

ある休みの日、俺のバイトが昼で終わるんで、その後彼女と逢う約束してた。
バイト先で彼女の車に拾ってもらって、お昼どきだから彼女が「ご飯食べた?」って聞いた。
本当はその日も彼女に料理作ってって頼んでたんだけど、なんかはぐらかされちゃってて
ちょっとムカついてたんで、「もうバイト先で食べたよ。お前全然作る気ねーんだもん。
女だったら料理くらいできねーとさー。」とかなんとか色々嫌味っぽく言っちゃったんだよ。
そしたら、いつもは気が強くてあーだこーだ言ってくるくせにその日は「食べたんだ。」で
終わっちゃって。でもまぁ気にしなかったんだ。

で一通り遊んで俺んちまで送ってもらって別れ際(次の日彼女早かったから帰るつって)、
俺んちにあったいらない本棚みたいな小さいボックスを彼女にあげる約束してたんで、
車の後ろに積もうとおもったら、高部座席に藤(?)で出来た籠があった。
本棚入れるためにどけようとしたら、彼女が「あ!それ横にしちゃダメ・・・!」って。
「あーごめんごめん。あれこれ、昔(まだ友達の頃)みんなでピクニック行った時に持ってきた
やつじゃん?」

その時、ふと、あの弁当の独特の臭いが鼻をかすめた。

「・・・ん?・・・・これって」って籠を触ろうとした。
「ちょ、ちょっと、何でもないって!」つってカゴを押さえつける彼女をどかして開けてみると、
そこにはいくつかのタッパーと彼女の好きなミッフィーの弁当箱とラップに包まれたおにぎり。

「これ・・・?」「や、なんでもないって!」
「だけど、これオマエが・・」「違う!もう帰るから!じゃね!」
車に乗ろうとする彼女引きとめて、んで興奮する自分押さえて優しく
「これ、お前が作ってくれたんだろ?」

その瞬間、彼女の顔がふにゃってなって、多分ずっとこらえてた涙がもう、ブワっと。

俺が結構質のいいレストランでバイトしてたこともあって、どうしても比べられるのが
イヤだったんだそうだ。しかも俺その日に限って色々嫌味言っちまって。
言い出せなかったんだろうな。まぁベタな話しかもしんないけど。
確かにすごく美味いとは言えない弁当だったが、これ以上幸せなメニューはどこにもない
と思った。

142 :名無しさん:2000/10/31(火) 09:07
↑ごめん、なんかかゆい…この話。

143 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/31(火) 09:15
ドラマのようなほんとのはなし?

144 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/31(火) 09:50
>>141
なんか、変な鳥肌立っちゃった。
結構今までこのスレで感動してきたのになんでだろ。
俺にはクサすぎるんだな、きっと。



145 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/31(火) 10:57
>>144
文体見て気付けよ、このスレに自慢タラタラ長文かいてるのは4人だけ。
いくらお涙頂戴の臭い妄想話が得意でも、これだけ続けれればネタも無くなるって。

146 :もぐもしさん:2000/10/31(火) 11:02
前スレの盛り上がりと感動が懐かしいね。

147 :128:2000/10/31(火) 12:40
>>145
え!ほんとに4人だけなんですか?最近ここ見つけたもので。。。

でもうそみたいなホントの話ってありますよね。
作り話でも共感できるものがあればいいじゃないですか。

148 :104=122:2000/10/31(火) 22:59
え?4人だけ?てことはあと3人だけで回ってたんですか?
自慢タラタラ…そうか長文で書くということは
自慢めかしてるように見えるのですね…。ちょっと勉強になりました。
反省します。不快な思いさせてすみませんでした…。
でも私のは本当の話で、妄想でも何でもないんですけど…。

149 :もぐもぐ名無しさん:2000/10/31(火) 23:56
>>145
お前は人が悪すぎるよ。
たとえほんとうに4人でまわってたとしてもね。

150 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/01(水) 00:41
4人ってことはなくても、最近書き込みしてる人達ってほとんど固定しちゃったみたいだね。
ずっと同じ文体で書いてる人何人もいる、前スレの終わりのほうからは人が
減ってきちゃってたからすぐ判るよ。
同じ人が何度も書いちゃだめだとは言わないけれど、でも似たような話を何度も
繰り返えされるのは、感動の押し売りみたいでなんだかちょっと嫌。

151 :名無しさん@1周年:2000/11/01(水) 04:21
昔の彼氏と同棲めいたことをしていたとき。
二人とも貧乏で、良く作ってたのが安くて簡単にできる
「マーボー豆腐」だった。

生活がだんだん苦しくなってきてお互いを罵り合う日が
増えてきたある日、「マーボー豆腐」を作りながら大喧嘩に
なってしまった。
その日の当番は彼氏で、怒りに我を忘れた彼氏は作った「マーボー豆腐」を
ゴハンにかけて全部食べてしまいました。
朝から何も食べていなかった私は号泣。しばらく泣いていると彼氏が家から
出ていってしまいました。
『もう彼とは終わりかな・・・。』そう思っていると彼氏が帰ってきました。
手には絹豆腐。そして黙ってもう一度「マーボー豆腐」を作り、ボウルに入れて
渡してくれました。
仲直りできた安心からか泣きながら食べました。
あの味はちょっと忘れられない。おいしかった。

・・・でも今思うと、なんて貧乏でせっぱつまってたんだろう。
恥ずかしい^^;
当時高3。一週間まえ20歳になりました。

152 :Eye:2000/11/01(水) 05:30
人間関係も最悪で毎日遅くまで残業が続いた会社をついに辞める
ことになった日。最後の仕事を終え彼氏の家に直行。そしたら
彼氏が「お疲れ様」と言って夕食を作って待っていてくれた。
スーパーで買ってきた恐竜のカタチをしたナゲットを暖めただけ
のおかずだったけどなんかかわいくてすごくほっとした思い出が
ありました。。。

153 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/01(水) 13:33
まだ懲りてないな自作自演厨房
ちょっとは文体変えろよ、バレバレだぜ

154 :128:2000/11/01(水) 19:13
>>153
ほんとにそうなんですか?
文体が似てるだけってことはないんですか?
私にははっきりわからないから強くは言えないけど
なんか自分の想い出もけなされてるようで感じわるい・・
書かなければ良かったとも少し思った。
書き込んだのは自己満足だったのかもしれない。
でもなんか悔しかった・・・。

たとえ作り話でも私はもっとたくさんの話聞きたいです。

155 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/01(水) 20:00
>>151
>・・・でも今思うと、なんて貧乏でせっぱつまってたんだろう。
ドキュンだから。

156 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/01(水) 22:50
小さい頃、お母さんが誕生日に買ってくれたケンタッキーフライドチキンが
すごくおいしかった。今食べてもそんなにおいしくないのに。なんでだろ?

157 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/02(木) 00:22
昔の思い出を懐かしむ、っていう事になると
誰でも多少は似た感じになるんじゃないの?
まして、文章にしちゃうとなおさらね。
まあ、同じ人が書いたと思えるものもあるけど、
そんなに目くじら立てるほどじゃないと思うよ。


158 :かちかち山@名無しさん:2000/11/02(木) 00:37
ごめん、俺麦の方が好み。

159 :151:2000/11/02(木) 04:59
>155
うん、私もドキュンだったとおもうよ(ワラ
私は書いたの初めてだよ。ずっとROM専門だった。

160 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/02(木) 19:14
ちょっと違うかもしれんけど、お菓子の話しです。
僕 は母親を早く亡くした鍵っ子でした。親父はいつも帰りが遅かったので、
家で淋しく留守番していました。毎日小学校から帰ったワタシは家の勝手口に
座り込んでぼーっとしてると、いつの日からか足の悪い汚い野良犬がすりよっ
てきました。ヒマだったので毎日カリントウを2〜3個やっていました。その
うちその犬は足を引きずりながら毎日来るようになりました。僕は当時淋しか
ったので、そいつが来るのを毎日楽しみにしていました。ところがある日、親
父が早く帰宅したとき見つかってしまい、野良犬にエサをやるな!とこっぴど
く怒られてしまいました。それでも犬は次の日からも毎日毎日やってきたので、
僕は泣きながら「もう来るな!もう来るな!」と犬を蹴飛ばしたので、そのう
ちこなくなってしまいました。数日後、となりのおばちゃんがその犬にエサを
やっているのを見ました。犬もすごく喜んでいたので、少し淋しい気持ちにな
って、ちょっとだけ泣きました。

161 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/03(金) 05:25
 本当にいいお話ばかりですね。感動しました。私も一つだけ。

 遠距離恋愛を続けて半年後、やっと会える日が来ました。
 (私だけかもしれないけれど)ずっと会いたくて会いたくて仕方なくて、やっと
会えたというのに、その瞬間には泣きそうで何も言えませんでした。
 おなかがすいていたので私が前から食べたいと言っていた焼肉に行くことになり、二人で
歩いてお店にむかったのですが、やっぱりその間も何も話せないままで。
 二人人気のないあまりはやっていない焼肉やさんに入って、コンロを真中にはさんで、
ビールで乾杯して、塩タンを焼き始めてやっと彼が、「会いたかったよ。」とぽつりと
呟きました。私もただ「うん。私も。」と言いました。
 ずっとつきあってきたつもりなのに、やっぱり離れていたから彼が塩タンを食べられない
ことも知らなかった。だけど彼は私が塩タンを好きって言っていたから頼んでくれた
みたいでした。

 その後ホテルの部屋に入って焼肉のにおい消しのガムを口に入れたままキスしたのですが、
その味のなくなったガムと、塩タンのことが今でも忘れられません。
 色々あって別れてしまったのですが、今でも焼肉やさんへ行くとその時のことを
思い出します。情けないことに私はまだ彼のことが好きで、私ももう塩タンは食べられなくなって
しまいました。思い出してしまうので。私が塩タンを見て彼のことを思い出すように、たまには彼も
塩タンで私のことを思い出したりするんでしょうか。そんなわけないか…。

 以上長々とすみませんでした。
 

162 :もぐもぐ名無しさん :2000/11/03(金) 07:54
DollHouse NoahのNさんと2人で食事をした。
人形を受け取るのが目的だったが、
その時は、デートしているみたいで良かった。
始めて飲んだ紹興酒にハマッてしまった。

163 :名無しさん@一周年:2000/11/03(金) 22:43
実家の父は板前をしています。
料理をする人が他にいるので、大学に行く為にいえを離れるまで
ごはんをつき売った事がありませんでした。
その上結婚も早く決まって、実家の父は私の手料理なんて食べた事がありませんでした。
時々実家に帰るけど、やっぱり父が包丁を振るうし
私の作ったものなんてまずいだろうなって思っていて
実家でも相変わらず料理をしていませんでした。
でも子供がせがむので、ケーキとかつくってお茶にしようとすると
甘い物なんて大嫌いなはずの父が
「やっぱりケーキには紅茶だ」なんて言ったりして、必ず一切れは食べてしまうんです。
そんな言葉を父から聞いた事のない私とは母はびっくりです。
普段離れている分、父のケーキを食べている姿が印象に残っています。

164 :n:2000/11/04(土) 22:38
私の3歳上の従兄は約一年半前に癌になってしまった。
あまりのことに、私はしばらく病名を教えてもらえなかったほど。
でも手術の成功、必死の努力、周りの看病のおかげで
再発を恐れながらも、普通の生活ができるようになった。
(仕事などはまだだけど…)
実家に帰省した際に、その従兄の家に家族で遊びに行った。
従兄が突然「酒が飲みたいので買いに行こう」というので
ふたりで近くの酒屋へ。ずらっと並ぶ酒の列。
「あーこれがいいよリザーブとかこのへん」と言う私に
「いや、待て。もっと高い酒にしよう」
と逡巡する従兄。
15秒後「おお、これにするかー」と彼が手に取った酒は

ナポレオン。

「高えぇーよやめとけよホラ他にも酒なんかたくさんあるしっ」
とおろおろしまくる私を尻目に、
従兄はカゴの中にその重厚な雰囲気の箱を放り込んだ。

ひさしぶりに顔を合わせた親戚たちと酒を飲み、
他愛もない話でみんながいい気分になった。
つまみはベビースターラーメンだったりするんだけど…
しかし・・・なぜ従兄は他にもたくさんお酒がある中で、
わざわざナポレオンを買ったのだろう?と思ったので聞いてみた。

「そりゃあ、ちょっとくらい無理してバカやったほうが、
思い出に残るだろ」

私はほろ酔いながらも、一瞬にしてその言葉の重さにつぶれそうになった。

「あーそかそかー残るわなーというわけでもっと飲めー」
「バカやろう俺は病み上がりなんだぞもう一杯くれー」

どうしようもなくてそのまま酔ったふりをしていた。
病気の再発を恐れている人間が、少し高い金額を出して酒を買って飲む。
それは端から見れば突拍子もないことに見えるかもしれない。
無理してバカなことを、と思われるかもしれない。
だけど。
従兄はみんなが笑いながら美味しい酒を飲み、
それがいい思い出になるということにお金を使ったのだ。


それからは、ナポレオン自体はご縁がなくてあまりお目にかからないが
ベビースターラーメンを見ると従兄の体調がすごく気になって、
なんとなく電話してみたりする。
元気かな。

165 :n:2000/11/04(土) 22:39
長くなってしまいました。
ホントごめんなさい。

166 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/06(月) 23:06
age


167 :R:2000/11/07(火) 15:42
みなさんのお話を読んでいて、初恋の人を思い出したなぁ・・。
初恋は高校生の時で、相手は一番の親友の男の子。
彼も私のことを一番の親友に思ってくれていた。
でもだからこそ、恋愛対象には見られなくて。
私の気持ちを知らない彼は、毎日私に好きな女の子の話をしていたの。
そんな話を毎日聞いてるのは辛くて、振られるってわかってたけど告白しました。
結果はやっぱり振られて。
その頃、ちょうどクリスマス前で、気を使ってくれたのか彼はクリスマスの日に
私を家に呼んでくれました。
彼の家はしょっちゅう遊びに行ってたんだけど、クリスマスに来た私を
彼のお母さんは彼女だと思ったんでしょうか、わざわざアイスケーキを買ってきてくれたんです。
初めて知るアイスケーキの存在。
そして、丸いアイスケーキを私のために切ってくれて、一番大きいところをくれて。
彼はお菓子の飾りもつけてくれて。
私は振られたのに彼のお母さんは私を彼女と思っているとか、
彼がクリスマスに呼んでくれた事とか、飾りをくれたこととか、
冷たいアイスケーキの感覚とか(味は覚えてないんです)、
色々ごっちゃになって、でも泣くわけにもいかず黙々と食べていました。
その後、結局3回告白して全部ダメで、今は音信不通ですが、元気なのかな。
アイスケーキはあのときしか食べていません。

168 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/07(火) 16:33
もうすぐクリスマスだね...

169 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/07(火) 16:42
小さい頃よく母親が作ってくれるカニクリームコロッケが大好きで
よく食べていました。しかし、作るのに手間がかかるのとカニ缶が高
いという理由で小学3年生になったぐらいの頃には作ってくれなくな
ってしまいました(笑)
まだ実家にいる頃から「カニクリームコロッケ食べたい!」って言っ
ても時間がないと言われてしまい、結局10年以上食べれないまま私
は家を出てしまいました。。

それからすぐ法事(だったと思う)で親戚と集まった時に母親とイトコ
と私で話をしている時にイトコが「おばさんの作るカニクリームコロ
ッケ美味しかったよね」「あれ、結構得意料理だったでしょ!」なん
て言ってたので、私が「10年以上作ってくれてないんだよね」「凄
く食べたいんだけど」と言ってたら、母親の旦那さん(再婚して1ヶ
月ぐらいの頃)が「俺も食べたことないなぁ」と言ってました。。

数ヶ月して実家に帰って朝寝坊したら、家に母親も弟もいなくて(旦那
さんとはこの頃別居結婚だった)テーブルの上にコロッケ4コとメモに
「朝ゴハンこれです。食べてね」の文字。。電子レンジで暖めてゴハン
と味噌汁を用意して、コロッケを口に入れたら、クリームソースが!
「やったぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜カニクリームコロッケだ!!!」と心の中で
感動していたのですが・・・・ん・・なんか違う。。ライスコロッケだったの
です。それもまずい・・凄くまずい。。。悪いなぁと思いつつ2つは残して
しまいました。

家に帰ってきた母に「ゴメンネ、あんまり美味しくなくて全部食べれなか
った」と謝ったら「あれ・・失敗よね。私も不味いと思ったもん、全部食べ
れなかったし・・普通にカニクリームコロッケ作ればよかった」笑いながら
言ってました。。

一生懸命時間かけて作ってくれたのに。。ごめんなさい(でも不味かった)

あれから3年。。20回ぐらい実家に帰っているけどカニクリームコロッケは
食べてません(笑)

長文になってしまった(T▽T)

170 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/07(火) 17:04
>>167-169
自作自演はもっと時間の間隔を開けた方がいいぞ。
いくら長文ネタ幾つも用意して書き込むチャンス待ってたからって
一時間に二連投だとミエミエだ。

171 :R:2000/11/07(火) 17:37
>>170
本当に最低だね、アンタ。
何が自作自演だよ、そんなのやってないよ。
はぁ、こういう人がいるからせっかくの名スレが汚れるんだね。
わかった気になってカッコ悪いったらありゃしない。

172 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/07(火) 17:45
>R
うんうん、リーダーが・・で全部一緒でも
文末が。と。。に代えてあれば別人なんだよね(藁

173 :R:2000/11/07(火) 18:07
>>172
だっさ。推理とも言えないな。
そっかサミシイんだね...
(これで満足? ワラ)

くだらん煽りに付き合ったんでsage
みなさんすみません。

174 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/07(火) 18:17
晒しage

175 :ロムさん:2000/11/08(水) 01:18
>>170
なんでそんなに得意げなの?
なんの根拠もないこと言うもんじゃないと思うよ。
さらにage

176 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/08(水) 01:23
oi

177 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/08(水) 01:24
tako

178 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/08(水) 01:25
uni

179 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/08(水) 01:25
ikura

180 :169ですが。。。:2000/11/08(水) 11:13
なんか、初めて書き込んだのに自作自演とか言われちゃっ
てるんですが。。う〜〜ん。。

私の家族って夕飯だけは家族揃ってから食べる家だったんで
他にも印象に残ってる事が多いんですが(^^;

機会があったらまた書き込みます。。

関係ないんでsage

181 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/08(水) 14:38
>170@`172がクズsage

早く氏んだら

182 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/08(水) 14:52
学生で一人暮しをしていたころ、付き合っていた彼女がうちではじめて作ってくれたのが、俺が好きだといっていた回鍋肉。
料理する彼女の姿を見て、「こーいうのも良いもんだなー」とか思っていたが、出来あがった回鍋肉のマズカッタ事マズカッタ事。
俺もあんまりお世辞とかいえるタイプじゃなかったので、はっきり「不味っ!」っといってしまった。
彼女は号泣。俺はオロオロ。
おとなしいタイプの子でしたが、意外と負けん気が強かったらしく、その後、家でひそかに料理を特訓したそうです。
それから2〜3ヶ月後に作ってくれた回鍋肉はとても上手かったです。

その後大学を卒業し彼女と結婚。先日長男も生まれました。
今でも回鍋肉が夕飯で出るとその時のことを思い出して談笑しています。

183 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/08(水) 15:35
>>182
ほのぼのいいですね〜。
ご長男も生まれてなんだかあったかいですね。

184 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/09(木) 01:00
10年前、オレの就職が内定したとほとんど同時に
母が癌で入院した。
6ヶ月の命。就職先は飛行機とかで行くぐらい遠かったんで、
父親が内定を断れと言ってきた。
3人兄弟の長男だったせいか、もう親から自立出来ていると思っていたオレは、
父親の申し出を断って就職。そのかわり毎月見舞いに帰るという条件を付けた。
帰るごとに母親の容態は悪くなり、体についた管も増えていった。
就職してから3ヶ月ぐらい経ったときは、胃が癌でぼろぼろになっていて、
食事どころか水分も口からはとれなくなっていた。
そんなある日、オレが病室でうとうとしていると、母が呼んだ。
「すいかが食べたい」
「だめだって。治るまで我慢しなきゃ。先生も言ってたろ」
「・・・みんなそう言うんだ。おまえが最後なんだ。一生のお願い」
・・・一生のお願い。その一言で、急に母親の死を実感したオレは、
一口分だけ、みんなに見つからないようにすいかを手渡した。
母親はむさぼり食った。何カ月ぶりかに口からものを入れたんだ。当然だ。
母親が何かを食べたのは、それで最後だった。
母親は、その3日後のくそ暑い夏の夜に死んだ。

今でも、すいかだけは食べられない。

長くなってすいません。
ネタではありません。念のため。



185 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/09(木) 21:34
思い出に残る・・・
思い出せないなー
でもここ結構すきだから
age

186 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/10(金) 00:15
アメリカの小学生の弁当ってピーナッツバターとジャムのサンドイッチ。
みんなほとんどこれ持ってくる。
たったひとりの日本人だったから弁当の時間はヒーローだった。
先生たちまで見にきて、嬉しいような恥ずかしいような。
毎日心をこめて作ってくれた母さんに感謝してる。

187 :名無しさん@1周年:2000/11/10(金) 01:04
高校柔道やってた時に減量した。
諸事情で8kg減量しなきゃいけなかったが、普段からそんなに
体脂肪が付いてる訳ではないので当然減量は脱水中心。
食事は当然ながら練習後に水が飲めないのは辛かった。
走ってサウナ通って、サウナの中で意識失いかけた事もあった。
そして計量を見事パスした後に飲んだ水とおにぎりが………。
「はじめの一歩」の鷹村さんの気分がありありとわかった。
生涯あれよりうまいものを味わう事は無いと思う。

188 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/10(金) 02:56
母親が、くも膜下出血で倒れました。
生死の境をさまよって、1ヶ月のあいだに2度手術。
その間、ワケのわからないことを言いつつ、眠ったり起きたりする母を
父と弟と私で看病。
私は、毎週末新幹線で病院へ通いました。

病院の食事は、わりと美味しいものだったのですが、
母はほとんど食べなかった。

2度目の手術が成功して、「もう大丈夫」という翌朝の食事。
ほぼ1ヶ月ぶりに母親がベッドに起き上がり
「○○(私の名前)、ありがとね〜」とはっきりというのを聞いた。

窓から太陽がサンサンと降り注いでて、それもうれしかった。
脳関係の病気は、病室を常に暗くして患者に刺激を与えないように
しないと、あかんのね。

その日の朝メシは、母は病院食のおかゆとおかず。
私が、実は父親のために都内で購入した梅干を欲しがった。
あれほど食べたがらなかったおかゆを、梅干をおかずにしてペロンと食べた。
私は、病院の売店で買った弁当だったけど、
食べながら、めちゃくちゃ美味しくて、
んで、うれしくて涙が出て仕方なかった。
神様っているんだなぁ、と本気で思った。


189 :さんどいっち:2000/11/10(金) 17:42
母が入院してた時に、幼稚園の弁当として父が作ってくれた。
一応耳を取った食パンに、焼いた塩ジャケとレタスが挟まってた。
骨もそのままだったので食べづらいこと甚だしかった。
バターを塗ってなかったのはちょっと救いだった。
私は忘れられないが、父は忘れていると思う。

190 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/10(金) 22:38
age

191 :がいしゅつかな?:2000/11/12(日) 05:23
過激な恋愛板でパクリスレッド発見。
「忘れられないSEX」
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kageki&key=968788617&ls=50

以外とイイ話しだったよ。

192 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/12(日) 13:19
ヒトを感動させようと思いながら書く奴の文章って、得てしてダラダラ長いんだよな。
ここで心に残ってるのは全部、短く簡潔だけどいろいろ想像できる文章だ。

193 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 02:00
母親に何度も作ってもらってたシチュー。
ホワイトソースから時間かけて作ってるのを横で見てるのが好きだった。
外食してもそれより美味しいシチューはないと今でも思ってる。
5年前に母親が倒れて体が不自由になってもう台所には立てません。
教えてもらって同じように作っても、絶対にあの美味しさは作れない。
思い出に残る、とはちょっと違うかもしれないけど。母親の味。

194 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 03:43
祖母の作ってくれる煮物が大好きだった。
年取ってからの孫だったので、お肉を入れてくれたり
お皿に盛る前に野菜を小さく切ってくれたり
祖母なりに気を使ってくれたんだなぁと今になって思う。

今は痴呆が進んで孫だとわかってはもらえないけど
母の作った、祖母のと味が似ている煮物を一緒に食べるときは
胸がキュッと締め付けられます。

195 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 04:58
お弁当の話読んでて思い出した。
小学校の運動会の日、「時間がないからあとで持ってくる」という
母の言葉に、『きっといつもとは違うお弁当なんだろうな』とワクワクしてたら
お昼になってほか弁を渡された。期待が一気にシオシオとひいて悲しくなった…。
別の意味で忘れられないお弁当の味になったよ。

196 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 11:09
幼稚園の頃、ある医者の家に遊びに行った。
確か、正月頃だったと思う。
初めてみる豪華なおせち、
でも、みーんな糸引いてた・・・。
悲しかった。

197 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 11:36
進学して一人暮らしをするようになりました。
母がときどき食料品を持ってきてくれるんですが
一度「あんまりこういうもの買えんやろ」とスーパーのケーキを持ってきてくれました。
子供の頃はケーキ=贅沢品、特別な日に食べるものという感じがしてたし
母もそう思って持ってきてくれたんやと思いますが
そのころ私はすでにおいしいケーキ屋さんをいくつか知っていたし、
何日か前にそこで友達とケーキを食べたばっかりだったのでちょっとせつなかったです。
何か急に親が小さく見えてしまって。

198 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 14:48
魚屋だったじいちゃんがまだ生きてるとき、いつも田舎に帰ると出して貰ったのは
ボラの刺身とサラダボウルいっぱいの蝦蛄エビ。
ボラの刺身は身が甘くて、蝦蛄エビは卵がぎっしり詰まってて、都会育ちの
自分だったけど、「なんて美味しいんだろう」って思った。
お腹いっぱい、胸焼けするまで食べてた。
そのあと爺ちゃんは膝に乗れといつも言って、
ほろ酔い加減で「金の孫じゃ〜金の孫じゃ〜」って歌ってくれた。
成人になったらじいちゃんと一緒にお酒を飲もうっていったら、
しわしわの顔をくちゃくちゃにして喜んでた。
自分が中二の時に爺ちゃんは亡くなったけど、
いまでも田舎に帰省したときはかならず仏前でじいちゃんの好きだった焼酎を置いて、
俺もそれをちびちびやりながら、ボラの刺身と蝦蛄エビを食べてる。

199 :名無しさん@ちょっと出張:2000/11/13(月) 15:41
他板で紹介されて来てみました。
食事というか、お菓子な話なんだが。

小学校低学年の頃は両親が共働きだったんで、
学校から帰ったら祖父母の家で両親の帰りを待っていた。
祖父母は毎日お菓子を沢山出してくれた。
特にビール好きな祖父がよく食べていたビーフジャーキーが好きで、
毎日横から貰ってはちびちび齧っていた。

私が大学生になってから、祖父は痴呆症になってしまい、
丁度大学生で暇を持て余していた私が祖父の病院の送り迎えをした。
いつ祖父に「あんた誰だ?」と言われるか、怖がりながらの送迎だった。
そんな祖父は、たまたま私が大学の期末試験で学校を休めない日に、
あっという間に亡くなってしまった。死に際には会えなかった。

数日後、祖父の部屋の片付けをしていたら、幼い頃によく食べた
ビーフジャーキーが入っていた箱(中身は祖父の趣味の釣具だったが)が出て来た。
「どっかの安っぽいドラマじゃあるまいし!」と思いつつも、涙が滲んだ。
形見分けに、その箱と祖父のマフラーを貰った。
私はビールが飲めないけれど、ビーフジャーキーを酒のつまみにしていると、
ふと昔を思い出すこともある。
病院の送迎の時、もっと優しくしてあげればよかったな…。

200 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 17:35
母が亡くなったときに遠方から親戚の人がうちにとまってました。
味噌汁が飲みたいというので、なぜかわたしが作ることに。
具は豆腐とわかめ。ろくに料理したこともないんですが、味見しつつ何とか完成。
おばさんが飲んで一言、「○○(母の名前)と同じ味だねー。おいしいよ」って。
もう少し料理とか教えてもらえばよかったな。

201 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 18:08
高校の時、ちょっとした病気で入院して手術した。命に関わるような
大病じゃなかったけど、腹をかなり大きく切ったので、当然、術後は
しばらく点滴だけ。ようやく固形物が食べられるようになったころ、
クラスメイトがお見舞いに来てくれた。「何か食べたいもんある?」と
聞かれて真っ先に脳裏に浮かんだのが「甘いもの」。
売店で買ってきてくれた板チョコ一枚を一度に全部食べてしまった。
あのときの甘さは忘れられない。

#包み紙からばれて看護婦さんに叱られたのも、今となってはいい思い出。


202 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 18:33
親父の作るシーフードカレー。
材料を全部細かく切って、中華鍋で炒めて作るカレーは
どんなに記憶を絞っても再現できない。

毎朝毎晩仕事の合間においしいご飯作ってくれていた。
進学して家を出たら、そのまま永久に親父のご飯が
食べられなくなった。
5年以上たった今でも、時々弟と「あのカレー食べたいね」と
話すことがある。

あの頃は分からなかったけど、祖母と分裂症の母と子供を抱えて
勤めと家業を果たしながら食事作るのは大変だったんだな。
同じ立場になってやっと少し分かった気がする。
親父の作ったカレーも食べたいけど、自分の料理をもっと
食べさせてあげたかった。カレー以外は親父に匹敵するくらい
料理上手くなったんだよ、私。



203 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 22:46
父方のおばあちゃんが作る白和え。
ぜんまいとこんにゃくとごまの白和えだった。
美味しくて大好きだった。でも、おばあちゃんが突然倒れ、
半身不随で今は治療も兼ねた老人ホームに入っている。
もう一年くらいお見舞いに行っていなかった。
白和えはもう作ってもらえないけど、来週お見舞いに行くよ、
おばあちゃん・・・。

母方のおばあちゃんはいわしの梅煮と梅酒が最高だった。
梅酒なんて5年漬けなきゃ飲ませてくれなかったから、
とろりとしていて綺麗な金色で、甘いお酒が苦手な私にもいくらでも飲めた。
そんな祖母も今年、アルツハイマーで施設に入ってしまった。
こっちも、再来週会いに行くよ。私の事覚えてないけど・・。

このスレ読んで、なんだか凄く会いたくなったよ・・。

204 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 23:30
数年前、20歳を目前にして両親が離婚しました。
今は父と暮らしていて、母とも結構会っています。
でも・・・時折兄が帰ってきた時、
一緒にご飯を食べながら、もう一度でいい、
家族全員揃ってご飯が食べたい、と思います・・。
父と、母と、兄と、私と、それから最近兄と一緒に帰ってくる
兄の恋人。5人でご飯が食べたいよ・・。
ここ見てて余計そう思って・・涙が止まりません・・。

205 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 01:03
他板で紹介されて来ました。昨日から泣きっぱなしです。
今年の年末はたくさんあるイベント全てうっちゃって実家に帰ろうと思います。

では私の小話など。
私は中2の頃、とても好きな人がいました。初恋の人でした。
同じ町内に住んでいて同じクラスでもあったその人は、明るくて気さくで誰にでも好かれる人でした。
内向的でクラスでも部活でもどこか浮いた所のある私にも普通に接してくれました。

当時私は運動部に所属していたので、放課後、部活が終わったらお腹はペコペコです。
お気に入りのパン屋があったので、そこでよくパンを2個とか買っていました。
いつもは鞄とか手提げ袋などに入れて持ち帰っているのですが、
ある日、自転車の前かごに放り込んだまま帰ったことがありました。
電話をする用事を思い出した私は、自転車を止め、公衆電話を使用しました。
用件も終わり、さぁ帰ろうかと思った瞬間、後ろからその彼が自転車で近寄ってきたのです。
同じ町内だから帰る方向も当然同じなワケで。
「よぉ」と声をかけてくれた彼の目が、前かごに行きました。
そこには明らかに2つ以上のパンが入っていると解るパン屋の包み紙。
驚いたように私を見る彼の目が、いまでも忘れられませんね。

そのパン屋、実家の近所に移転してきてしまって複雑な気分です。
その頃すごく気に入っていたパンを見る度に、あの居たたまれない切ない気分を思い出します。
長々とすみませんでした。

206 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 01:18
>>205
ごめん、あんま意味がわからない。
なんで、「2つ以上のパンが入っていると解るパン屋の包み紙」を
持ってると彼が驚くの?
説明きぼーん。

207 :205:2000/11/14(火) 01:30
>>206
ああ、言葉が足りませんでしたね。すみません。
私にはその時の彼の表情が「女のくせにそんなに食うのか」と
言っているように見えたもので。
それだけなんですけど…。

208 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 01:39
>>202 を読んでおじいちゃんのカレーを思い出した。
明治生まれなのに、台所に立つのが好きでほとんどのおかずを
仕事の合間に作っていた。(自営業)
その中でもカレーとチャーハンはおいしかった。
特にカレーは中華なべでササッと作るだけなのに、すごーくおいしかった。
ただ市販のカレー粉をそのまま使ったカレーではないので
味を再現できない・・・・・・・・・
だからおじいちゃんがなくなった今では、もう幻の味。
遊びに行くと「ちょっと待ってろ」と言っていろいろ作ってくれた。
従兄弟たちとお葬式のとき、カレーをはじめ作ってくれたものの話をずっとしていた。
もう一度食べたいな。

ところで202さんのお父さんはお亡くなりになったのでしょうか。


209 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 02:13
父も母もなくなって弟と私とおばあちゃんとで暮らしてた。
おばあちゃんがNHKの「きょうの料理」を見て一生懸命洋食作ってくれた。
田舎の農家育ちで洋食なんか作ったことないのに・・・
ダマになったホワイトソースでも、グラタン美味しかったよ。
私ずっと忘れないよ。

210 :もぐもぐ名無し:2000/11/14(火) 02:42
つ、疲れた。昨日の夜ここ見つけて、泣きながらやっとのことで全部読み終わりました。
まさか2ちゃんねるでこんなに大泣きするとは思わなかったよ。

なんとなく思い出した話ですが、今年の1月、私は年明け早々風邪を引き、会社を休んで
寝込んでいました。我が家は両親・姉は働いているし、弟は学生なんで皆夜にならないと
帰ってきません。熱で食欲も起き上がる気力も無く、私はその日一日中寝ていました。
 夕方くらいになり、流石に眠れなくなり空腹を感じてきましたが、まだ体がだるくて
起き上がるのも辛い状態。そこに弟が学校から帰ってきました。そして寝てる私に「おい、
お前メシ食ったのか?」と聞いてきたのです。「食べてねーよ、腹へった!」と私が言うと、
彼は無言で雑炊を作って持ってきてくれました。普段からは想像もつかないような彼の
行動に驚きつつも感動し「・・・お前、いい奴だな」とその雑炊を食べてみると、
  ・・・・・・・・・・不味い!ってゆーかなんで雑炊がこんな変な味になるんだ!?
しかし何も気づかない弟はぶっきらぼうな態度をとりながらも「う、うまいか?」と
少し不安そうに聞いてくる。流石にここで残しては申し訳ないと思って「うん、
おいしいよ」と答えながら全部食べました。
 今でも弟は時々「見た目は美味しそうに見えるのになぜか変な味」という料理を
作ってくれます。う〜ん、もっと頑張れよ、でも姉ちゃんはお前のそういう不器用な
ところ好きだからな。

211 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 03:11
初めて、今の旦那に手料理食わせたのは、高校の調理実習だった。
あの時は、すごく喜んでくれたのに、10年たった今では、ただ流し込んでるだけ。
おいしいともまずいとも言わず、私の作った料理を食べてる。
今は身体に気をつかって、野菜とか多く取るようにメニューにも気を使ってるけど。
このままずっと、ただ食事を作る機械になりたくないよ。
数年後、料理の塩加減が以上に増えても、多分彼は気づかない。
ここのスレ読んでて、料理って良い事ばかりじゃないなと思った。
んで、別の意味で少し泣けた。

212 :若葉名無しさん:2000/11/14(火) 04:21
今日(もう昨日ですが)父の命日でした。
昔にありがちな大家族を下半身付随の祖父に代わり、自分の働きで食べさせていた父。
一家の文字通りの大黒柱を15歳から務めていた父は、万事に厳しく、
また家事が一切できない人でした。

そんな父が、母が癌で入院した日、初めておにぎりと卵焼きを作ってくれました。
きっとこれからの母がいない生活を自分なりに考えていたのだと思います。
いつでも一家の柱であろうとしたのかもしれません。

長くないかもしれない、といわれつつ助かった母とは逆に、
父は心筋梗塞であっさりと亡くなってしまいました。
そんな父の命日にこのスレを知り、今はただ泣けます。
焦げた卵焼きと、いびつなおにぎり。
私にとっての一番の思いでです。

213 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 04:31
食事じゃないので関係なさげなんですが
ジュースを見る度に思い出すことを。

高校生の時に友人を亡くしました。
保育園から小中と同じところに通い、毎日一緒に登校し下校し、
残念ながら高校は別々になってしまいましたが、家は近所のため
よく会っていました。遊びから悪さまでずっと一緒にして来た仲です。
彼は実家の農業を継ぐために農業高校へ行き、休日には
農機具を駆り家の畑仕事を喜んでやるという、同姓の私からみても
たくましく魅力的で、誇れる友人でした。

それがある日、彼の母親から電話が。

彼が死んだという一報でした。

そんな馬鹿なと思い慌ててバイクで彼の家へ行こうと思ったところが、
相当私の状態が異常だったらしく祖母に制止させられ、家人と一緒に
車で彼の家へ。自分で確かめるまでは嘘だと信じつつ。そして。

病院から帰ってきた彼は白い布団の上でもう動かないのにまだ暖かくて
それから自分がいつまで泣きつづけたか覚えていません。
人前で声を出して泣いたのは最初で最後です。

死因は、彼が農作業後に乾いた喉を潤すために大量に飲んだ
ジュースが原因の「ペットボトル症候群」(血糖値が急激に
上がるために起きる急性の糖尿病)でした。

その日から私はジュースの類を見るたびに彼のことを思い出します。
甘いはずのジュースは、今でも私には苦いです。

214 :213:2000/11/14(火) 04:36
食事でもない上に支離滅裂で失礼いたしました。

215 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 05:31
 わたしも食事ではないんですが……。

 私の弟は小さい頃よく体が弱くて熱を出していました。
 食も細く、丈夫でよく食べる私とは対照的でした。

 食欲なく寝たままの弟にすこしでも何かを食べさせようと
共働きで忙しかった母は、よくすりおろした林檎に蜂蜜を一
たらしして弟に出してやっていました。
 わたしはそれがうらやましくてしょうがなく、でも熱のある
弟のものを欲しがるなんていけないことだと思い、ずっと言い
出せずにいました。
 めずらしく風邪を引き込んで熱をだした時、辛かったけど
少しだけ嬉しくて、母に何を食べたいものがあるかと聞かれ、
私は迷わずに「すった林檎!」と答えました。
 朝のあわただしい時間、ばたばたと仕事に出て行く母の気
配を耳にしたあと、用意された台所の食事の皿にかけてあった
布巾を、どきどきしながらとると……。
 すった林檎ではなく、普通に4分の1に切って皮を剥いた
林檎がでんと置いてありました。
 何だか悔しくて、母に見捨てられたような気がして、弟が
うらやましくて、つまんないことなのに誰もいない家で声を
あげて泣きました。

 それから20年近く経ってますが、まだ母のすり林檎は食べ
たことがなく、自分では林檎を買うことはめったにありません。
 今でも林檎を口にすると、そのときの気持ちがほんのりと
浮かびます。
 つまんないトラウマだなあとは思うんですが。

 ……今度実家に帰ったら、すり林檎をねだってみようかな。

216 :慶商君:2000/11/14(火) 08:10
ロシアのシベリア鉄道の田舎駅にて食べたピロシキが良かったな〜。
ハエ集ってて少々不衛生だけど1個10円くらいだった。

217 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/14(火) 11:57
ちと、体を壊して入院していた頃。
妹が家からの差し入れを持って見舞いに来た。
ちょうど昼時、早速おかゆに差し入れの「大人ふりかけ」
をかけて食おうとする俺。
昼飯がまだの妹は、ふりかけを食いたそうだったので、
近くの牛丼屋でライス(あと味噌汁と漬物)をテイク
アウトしてこいと小遣いを渡した。
そのあと病室で一緒に昼飯。
ふりかけを美味そうに食う妹。

ほのぼのした思い出。


218 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 12:15
私も食事じゃないんですが…。
小学校1年の時に生まれて初めて母と長距離フェリーに乗りました。
団体で3等船室。
すっかり船酔いした私はもう胃液しか出ない状態なのに吐き気が治まらず、
(それでもトイレの方が船の中心部分にあって揺れが少なかったのもあって)
トイレで吐きながら一夜を過ごしました。
翌朝、見も知らぬご夫婦が、私と母を自分達の部屋で休むよう声をかけてくれました。
自分たちは船内でゆっくり過ごすからといって、一等の個室を使わせてくださるというのです。
母は申し訳ないと思いつつも、優しい言葉に甘えることにしました。
揺れのないベッドに横になると、やっと吐き気も治まって、楽になりました。

その時、母が飲ませてくれたみかんの絞り汁が忘れられないです。
どなたかが水分補給にとくださったみかんだそうです。
ガーゼなんか無いから、手で絞ったなま暖かいみかんの汁ですけど、
その時は本当に、美味しかったんです。

219 :よくない話…です:2000/11/14(火) 13:59
小学校低学年のクリスマス。
母が知り合いにケーキの配達の人がいるから、といってケーキを注文しました。
そしてケーキが届いて、私はうれしくて中を見ようとして…
手が滑って箱を床に落としてしまいました。
もちろんケーキはつぶれてしまってます。
母が帰ってきて、つぶれたケーキを見て「どうしたの?」と質問。
私はパニックになっていて、「落としたなんて言ったら怒られる…」と思い…
「来たときからこうなってたの」
と嘘をついてしまった。
母が業者に連絡し、しばらくして、新しいケーキが来た。
そして家族でパーティを開いて…
私は嘘の罪悪感と、配達のおばさんが怒られてることを考えると
ケーキが美味しくなくて…
嘘をついたことがばれるのが怖くて、結局正直に話せなかった。
いまでもクリスマスになるとそのことを思い出して、楽しめません…
タイムマシンがあったらなぁ…

220 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 16:41
中学生の時、こっそり友人と大きな高級喫茶店に入った。
普通のコーヒーなんて注文しなかった。
難しい横文字で書いたメニューをみて「あ、これね。これにしてください」。
出てきたコーヒーには、なにやら葉っぱを巻いたような棒が乗ってた。
しばらく考えてから棒をかじるとやたらとすっぱい。とても食えたモンじゃない。
同じモノを注文した友人は、それに一生懸命ライターで火をつけていた。
これって葉巻だったのか?
ふと横をみると別の客がその棒をカップに突っ込んでかき回していた・・・
俺は歯型のついた短いヤツ、友人は片方コゲコゲになったヤツで同じようにコーヒーをかき混ぜた。
後でその棒は「シナモンスティック」と呼ばれていることが判明した。

221 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 17:15
新潟で食べたトキのカラアゲは美味しかった

222 :202:2000/11/14(火) 18:45
>>208
遅レスすいません。
そうです。親父は5年程前に亡くなりました。
今は私が代わりに家族の面倒を見ています。

昨日、書き込んだ後「今夜はカレーだ!」と言ったら
弟は黙って手伝って、「やっぱりちょっと違う」
といいながら食べていました。
…冷蔵庫にカニ買っておいたのなら、言えよ…。

223 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 21:03
思い出に残る食事…自分じゃないですが。
父が入院したとき、普段贅沢なものばかり食べる父が
まずい病院食を文句いいながら食べてた。ほんとはいけない
けれど私に命令して色々スーパーで買ってこさせてた。
…もうそのときにはどうしようもないのがわかってたので
看護婦さんの了承のもと色々リクエストに応えてたけれど
もう少しで季節になるある海草だけは届けられなかった。
父が死んだ後その海草をみる度に一人で食べている。
おいしくともなんともないけれど。

224 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 22:15
祖母が入院して、祖父は毎日世話をしに行ってた。
だから、祖父と一緒に食事する事は少なかった。

ある日めずらしく家族そろって夕食を食べた。
食べながら父が「明日は検査があるから病院行かなくてもいいよ」
と祖父に言ったその夜、祖父は亡くなった。
老衰だった。

その日の夕食がトンカツだったことは今でも忘れられない。

225 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:39
これから先の文を読む人間は覚悟を決めるように!
警告だ、心臓の弱い奴は読んではいけない!

226 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:39
大学時代、サークルに入って間もない頃、T先輩に連れられて一軒の居酒屋に行った。
一見して判る怪しげな雰囲気、壁に貼りだしてあるメニューの数々、
な、何だこの店は・・・
テーブルに座って、まず初っ鼻に出されてきたのがヘビの生き血!
先輩はそれを飲めと言う。
カウンターでは、マスターが新しいヘビの首を撥ね、生き血を絞り出して
皮をはいでいる・・・
ま、まさかアレを喰うのか?
と、思ってい俺達の前に、突き出しとして何かポッキーのようなモノが・・・
ムカデのカラアゲだ!
ヘビのタレ焼きが出来るまで、それを食って待てという。
T先輩はニヤニヤ笑いながら俺達を見ている、先輩には逆らえない、
一緒に行った俺とSとKは半泣きになった。

227 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:40
覚悟を決め、生き血を飲むことにする。
飲みやすいようにジュースで割ってあるそうだが・・・
息を止め、臭いを嗅がないようにすすり込む!

・・・・・・・・・・生臭い・・・・・・・・・・

そうとしか表現できない味だ、一口目で鳥肌が立つ。
先輩は既に生き血を飲み干し、ムカデのカラアゲをボリボリ食いながら
ビールを飲んでいる。
笑っている先輩の目が半分鋭くなる。泣きたい気持ちで二口目・・・
全身の血が逆流するような悪寒が走る。
Sもグラスを口にしたまま固まっていて、Kはただただ俯いている。
次のツマミが来た、サソリのカラアゲだ・・・

228 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:40
生き血を飲むのはギブアップし、ムカデに手を伸ばす、
サソリを食わされるよりはまだマシだ。
店の人は、棒状のムカデは見た目通りポッキーのような味だという。
一口・・・ 囓る・・・・
香ばしいような、苦いような甘いような、それでいて何とも
形容できないような、そんな味がした。ただ一言いえるのは・・・

・・・・・・・・・・不味い・・・・・・・・・・

砕けたムカデが口の中に、喉の奥に張り付く。

       み、水が飲みたい!

しかし俺達の手の中にあるのはヘビの生き血だ・・・

229 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:43
勘弁してくれと、マジ泣き寸前で先輩に懇願した。
しょうがないと口直しにビールにありつけた。
水も貰った。
こんなに、一杯の水がありがたかったことは無かった。
結局ムカデもサソリも先輩が一人で食べた。メインのヘビもだ。
最初からこうなるのを見越して一人分しか頼んでなかったらしい。
俺とSは自分の飲んだビールの代金を、結局何も食べられなかった
KはT先輩の食ったヘビやサソリの代金まで払わされた。
Kは財布が傷んだだろうが、俺とSは腹が、胸が、喉が痛んだ。
飲んだ生き血と、食ったムカデの味が口の中で反芻され、
まるで今食ったそいつらが、喉の奥から、胃袋の奥から、ザワザワと、
今にも口元まで這い上がって来るような恐怖と錯覚に捕らわれた。
二日寝込んだ。
一〜二週間、マジで胃の調子が悪かった・・・

230 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:45
その後T先輩にやはり何人か犠牲になった。
俺達の話を聞いて、面白がってついてった奴もいたらしいが
やっぱり撃退されたらしい。
翌年も新入生が犠牲となった。卒業してOBになってもやっていた。
うちのサークルではT先輩以降、ゲテモノに免疫のある部員がいなくなったため
廃れたようだが、他のサークルでもこの店を利用してる奴らもいた。
俺も何度かカモが引っかかるのを見物にしにいった。
思い返してみると、随分馬鹿なことをやってた学生時代・・・
楽しいこともあり、苦しいこともあり・・・
今となっては、みんな楽しい思い出・・・・・


にゃならねーよ!!

おいT!俺はあの後マジで気分悪くなって半分寝込んでたんだ!
それなのに人が苦しがってるの見てゲラゲラ笑いやがって・・・
このことは俺が生きてる限り絶対忘れん!
忘れたくても忘れられない、嫌でも生涯思い出に残る食事、
一生心の奥に、恨みに残る食事だ!!!!!

231 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 03:00
>225-230 やたら長すぎるよ。面白かったのはキミだけだね。よってsage

はい、次のかたどうぞ!

232 :名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 09:56
>>231
そんなこといちいち言うなや。

233 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 12:21
うちの父親は料理が上手な人でした。
学生時代の弁当も、母が作るとご飯の上にめざしが3匹などという、非常に
大胆なものだったのに対して、たまに彼が作ってくれるそれは、ご丁寧に
ご飯の上にのりで顔が書いてあるような手の込みようでした。

大学からは私が家を出てこともあり、たまに帰ると私の好物だからと鍋に
沢山の肉じゃがを作って待っていてくれました。

自分が幼いころに食べるものがなくて苦労した彼は、自分の子供に食べ物
のことで苦労させるのがいやだったようで、家にある米袋が減ってくると
悲しそうな表情をしていたそうです。

仕事が忙しく、なかなか家に帰れない状態が続いていたら、昨年急に
逝ってしまいました。
こんなことなら、無理にでも時間を作って帰っておけばよかったと悔やみます。

234 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:22
もう20年以上前だが、修学旅行は往復フェリーだった。
結構いい食事が出たが、帰りの時は台風が近づいていてかなり揺れた。
気分が悪くなる人や吐く人が続出。私も吐いてぐったりしてた。
その時出てきた食事がカレー。どうせみんな食事ができないこと見越してるんだな〜、と思っていたら、
実はコックさんが酔って食事が作れなかったらしい。
いつもフェリーに乗ってるのにそういう事も有るのかと、妙に感心した。


235 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:29
以下の文を読んだ人間の、
食い物を粗末にすんじゃねえ
という苦情は一切受け付けない。

236 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:29
このカキコのネタに、今日カレー勝負をやってきた。
今のところ俺は4勝6敗、今日こそ勝って次はタイに持ち込んでやる。
カレー勝負、方法は簡単だ。
まずジャンケンで二人一組になり、その二人で勝ち負けを決める。
で、カレーや二敗って注文をする。
この店はココイチ方式のカレーの辛さやトッピングを自由に選べるスタイルを
取っている。ココイチよりは値段も安く、この勝負には売ってつけだ。
で、勝った方が自分の好きな組み合わせのトッピングを食わせられるということだ。
トッピングの組み合わせは無数だ、その気になればとんでもないものができる。
しかしあんまり凝ると完食されたときにこっちの懐が痛む。間食されれば負けだ、
相手のカレー代まで払わされる。
幾つかのトッピングを選べばすぐに千円は超える。頃合いが勝負だ。
ココイチでやってもいいが、勝とうと思えばかなり気合いが入る。

237 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:30
部署をまたいでこういうイカれた遊びが好きな連中を3人集める、いつもの顔ぶれだ。ジャンケンで俺はAと当たった。こいつには以前の

キムチ+餃子+チーズ+ハヤシライス

という韓国+中華+洋+和を食らった借りがある。
あのキムチの唐辛子の刺激とハヤシの甘ったるさ、それにプラスしてチーズの乳臭さと
餃子のニンニク臭さ、それにキムチとチーズの発酵した臭いと餃子のニラとゴマ油の
強烈な突き上げという凄まじいパンチを食らった恨みは忘れない。
あのときは俺が完食して勝った。今日は俺がお前に食らわせてやる!
ジャンケンには勝った。
さあ覚悟しろ・・・

238 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:30
店の前のジャンケン勝負の後、店内に入る。満席だ、しばらく待って席に案内される。
オーダーを取りに来た。勝った方は気楽だ、自分の好きな物を頼める。
俺はジャーマンソーセージカレーを、勝ち組のBはチキンカツカレーを頼んだ。
お楽しみはこれからだ・・・
俺はBに食わせるメニューを考える。
こいつには和洋中華、それに韓国まで加えたミックス攻撃を食らった。
甘い物と辛い物、臭いの強い発酵食品の組み合わせというオマケ付きだ。
俺もそれで攻めてやる。これは意趣返しだ!
メニューを見る隣のBの目も笑っている・・・

239 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:31
今日、俺が選んだメニューはこうだ。

餃子+バナナ+チーズの二色カレー、
お子さま向けミルクカレーとハヤシライスの組み合わせ

チーズと餃子の組み合わせ攻撃の強烈さは前に俺が身を持って教えられた。
バナナとチーズはピザで食ったときゲロ不味かった。
それにバナナは甘い。ミルクカレーとハヤシも甘い。この組み合わせプラス餃子だ、
敢えてキムチを加えるまでもないだろう。味のバランスは完璧だ。
Aの顔が引きつる。でも一つ残念なのは、ここがココイチじゃないことだ。
究極の最終兵器、納豆が使えない。

240 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:31
カレーが運ばれてきた。
思った通りだ、餃子とチーズの臭いが温まった甘ったるいバナナの臭いと渾然となり、
カレースパイスとハヤシルーの臭いを加えて形容しがたい臭気を放つ。
その物体を前に逡巡するAへの俺からの手向けだ、この特別メニューをかき混ぜてやる。
ミルクカレーとハヤシのルーとチーズが混ざる、トッピングのバナナと餃子も。
もはやこれは・・・
まさにカオスだ!
臭気はますますその混沌の度合いを深め、見た目のそれももはや食物というより
手を付けるのも憚られる廃棄物だ・・・

241 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:32
俺は自分のカレーを食い始める。
Aの隣ではやはりジャンケンに負けたCが

キムチ+バナナ+生卵の大辛カレー

を前に固まっている。こいつのカレーもかき混ぜてやる。
玉子がいい具合に混ざった。なかなかグロテスクだ。
意を決したAが食い始める。顔が引きつっている。水を飲む、ソースをかける。
トッピングを全部脇に寄せ、カレー+ハヤシの本体から片付けていく。
うぇ〜、なんだ〜と唸っている。店の中だ、さすがに不味いとは言えない。
俺とBが自分のカレーを食い終わる頃、それでも半分以上は片づけていた。
そしてすぐに意に反してCがそれほど苦労もなく完食した。
大辛ルー+キムチだったので、辛ぇ〜、辛ぇ〜を連発していたが・・・

242 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:33
やべぇよおい、食えねぇよ・・・
Aの皿の上はソースの大量投入でなんとかルーとライスは無くなっていた。
しかしそれが災いして、そこにはカレールー+ハヤシルー、それにチーズとソースで
汚れた餃子とバナナが転がっていた。
なんとも不気味だ、食い物というより異様なオブジェだ。

勝った・・・

俺は勝利を確信した。しかし・・・
どんな覚悟を決めたのか、Aはバナナをまとめて口に運ぶ!
そして、残った餃子に醤油をかけた!!
カレールー+ハヤシルー+チーズ+ソース+醤油で味付けされた餃子・・・
想像すら付かない。
一口食べるごとにAの顔が歪む。水で流し込む。お前はもう何杯水を飲んでるんだ?
そうまでして勝ちたいのか・・・
引きつった笑い顔で、Aは4つある餃子を食べ進む。

243 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:33
結果は・・・
AとCは完食した。俺とBの負けだ。奴らのカレー代はこっち持ちだ。
代金2310円を払いながら、俺は敗北感に包まれた。
4勝7敗、また負けが嵩んでしまった。
帰り道、食えたもんじゃねーよなー、人間の食いもんじゃねーよと連発するBに、
俺は本当にお前は人間じゃねーと思った。
相手が悪かった。しかし・・・
今日は負けたが、またいつか絶対にリベンジしてやる!
今日の負けを心に刻んで、次こそは絶対に勝ってやる!!

244 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:36
新婚ほやほやの頃、大学生活(自炊生活)7年の夫が俺はカレーなら一週間続いても大丈夫だ
と言いだし、実際に一週間カレーにしろと命令された。
ホントに一週間カレーでいいのね!絶対いいのね!と何度も念押しをし、大勢が来ても大丈夫用の
大鍋でS&Bゴールデンカレーの大箱を3箱ぐらい使って大量のカレーを作った。

が、ヤツはそれから3回目の食事で「またカレー?」とのたまった。ちょっとキレた。
結局朝晩カレーを食べて無くなるまで5日かかった。

それからまる1年は我が家でカレーはしなかった。
いつも何種類かのルーを混ぜてカレーを作るのだが、S&Bゴールデンカレーのルーを
買う気になるまでに、さらに5年必要だった。


245 :ロリコン:2000/11/15(水) 15:08
長えよ。

246 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 18:18
食べ物に関する思い出といえば、モロゾフのチーズケーキを食ったとき、
世の中にこんなうまいものがあるのかと目から鱗だった。
もちろん母親はそんなものを一気に食べさせたりしないし、妹と分けなければ
ならなかったので、いつかホール丸ごと食べるのが私の夢となっていた。

大学に入って親元を離れ、バイトをしたお金でホール丸ごと買って食べてみた。
妹と奪いあって食っていたときほどには美味しくなかった。
そういう話を妹にこないだしたら、妹も親元を離れたときに同じことを
試したらしい。
ホールケーキは分け合ってこそうまいのだな、と思いつつ。同じことをやるとは
さすが兄弟であると思ったり。
そんな妹も一時の母になっている。私もモロゾフのチーズケーキよりもおいしい
ケーキが世の中に沢山あることを知ったが、今でもかのチーズケーキを見ると
ちょっと頭をかきつつ、初めて食べたときの感動を思い出す。

247 :Mrs.名無しさん:2000/11/16(木) 01:33
揚げ

248 :スリムななし(仮)さん:2000/11/16(木) 03:11
叔父の骨董品屋が、コンビニになっていた。
母は叔父が嫌いだった。顔を見るのも嫌だったらしい。理由もなんとなくだけど分かった。
当時小学生だったので、こっそり通っていた。オレは叔父が好きだった。
そこへ行くと必ずシェークを作ってくれた。
ヤマ●キデイリーストアだったのだが、むかいに7ができたおかげで
あっという間につぶれた。

1年後くらいに、たまたま父がいた時に叔父が来て、話がある、と家の中に入っていった。
買い物から帰ってきた母が叔父の顔を見ると、いままで見たこともないような怖い顔をして
今すぐ出てけ、とだけ言った。叔父は何も言わずに出て行った。父も何も言わなかった。

葬式の帰りに思い出し。シェークなんてもう飲まないトシになっちゃったんだけどね。


249 :芋粥:2000/11/16(木) 15:53
皆さんも一度は経験があるとは思いますが、
ちょっとあほくさいお話を。

社会人になってから、大学時代の鍋仲間で集まり、
鍋を食べることになりました。せっかく社会人になったのだからと
がんばって、肉:野菜=8:2という肉だらけの豪勢なすき焼きを
大量に作りました。

いつもなら取り合いになるはずの肉で埋め尽くされた
その鍋が美味しく感じたのは、最初の2,3口だけでした。

鍋の季節になり、仲間同士で鍋をつつく時には、
しょっちゅう話題に上がります。

250 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/16(木) 18:31
思い出に残っていない食事の話を。

数年前、地元の祭りがあるので親戚がやってきました。
その中に、私になついていた女の子がいました。
まだ小学生で、家では全然手伝わないらしいんですが
私の作るハンバーグが好きで、私が料理する時は
いつもくっついて来ます。それで、手伝ってもらいました。
その日のメニューもハンバーグだったんですが、
一緒にサラダを作りました。
そのサラダのレシピは、その日見た雑誌のやつでした。
彼女は、それがいたく気に入ったようで
家に帰ってからもよくお母さんに
「お姉ちゃんの作ったサラダが食べたい」とねだったそうです。
「でも、作り方が分からないのよね〜教えてくれる?」
とそのお母さんに後日、聞かれました。

…しかし、私にはその時作ったサラダも、
何の雑誌のレシピだったかも、一切記憶がないのです…。

あの子には思い出に残ったんだろうなあと思いますが
再現する手段がないのが、ちょっと申し訳ないです。
何だっけ…。

251 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/17(金) 21:34
スレ違いな感もあるけども
うちの母親は睡眠時間を削って毎日仕事をしている。土日も関係なし。
でも、食卓に並ぶおかずはどれもこれもおいしかった。
あまりに忙しくスーパーのお惣菜が食卓に並ぶことも月に2〜3回はあったけど
作ってくれる時には今思い起こせば手のかかるものが妙に多かった。
仕事が忙しく、母親は自分の身を削って仕事をしているので
子育てに手が回らなかったことも多々あったと母は後悔もしてる。
それでもあの食事メニューを思い起こせば、愛情を感じずにはいられない。

私が中学に上がった頃からか、食事はすべて私が作るようになったのと
更に今は実家を離れて1人暮しをしているのとで
ここ何年も母の作った晩御飯を食べてはいないけど、
酢豚やグラタン、おでんやロール白菜など、
どれもこれも味は忘れちゃってるけど忘れ難いものがきちんと心に刻まれてるな。

252 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/17(金) 21:39
お母さんが昔よく、手作りのお菓子作ってくれた。
パンプリン、ミルクプリン(ト、ユウナノゼリ−)、カップケーキ、、
家、貧乏だったし(今より)よく、手作りしてもらった。
パンも作ってくれた。ハイジの白パン系の形で歯ごたえは有り。
塩とマーガリンがきいてたなぁ〜

253 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/17(金) 22:08
大学時代、料理好きの俺は、よく友人に
ご飯を作ってあげていました。

その日も、知人から電話が有り、
夕ご飯を作って欲しいとのこと。
19時くらいに遊びに来るということで、
食材を揃え、丁度来た時にご飯が出来る
ように準備してました。

彼は、時間通りには現れず、
その後いつまで経っても、来る気配が無い。
おかしいと思い、彼の部屋を訪ねてみると
(共に、寮住まいだった)、在宅中の上
コンビニ弁当をほおばっている最中。
彼は、夕飯を頼んでいたのを忘れてたんです。

俺の顔を見て、「あっ!」って気付いて
すぐ謝ってきたんだけど、やっぱりどうしても
我慢ならなくって、言いたい事言って帰ってきた。

一人、部屋で冷めた二人分のご飯を
やけになってかっ込みながら、情けないような
悔しいような、なんとも言えぬ気持ちになったものです。

平気で夕食をすっぽかす旦那を持った
奥様方の気持ちが、少し理解できた気がしました(^^;

254 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/17(金) 22:16
私が小学6年のとき母が過労で入院しました。
父は食事なんて作れず、家族5人が困惑しました。
長女だった私が家族を喜ばせようと夕食作りにチャレンジ。
「味噌汁とご飯と焼き魚」というシンプルなメニューでしたが・・・
しかし私は味噌汁のだしを忘れてしまい、ただの「みそ湯」になっていました・・・。
弟と妹は無言で残していましたが、父だけはうれしそうに「うまいうまい」といって残らず食べてました。
翌日、病院の母にもおいしい夕食のことを話していたそうです。

最近、外国のホテルの朝食バイキングで「みそ湯」を飲んでたら、
その当時の恥ずかしかった事や父の事思い出してすごくなつかしーくなってしまいました。



255 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/18(土) 06:37
小学校1年の担任の先生(女)は厳しい人で、給食を残すことを絶対許さな
かった。食べれるまで帰らせてくれなかった。一年生だと午後の授業が無い
日が多いので、それこそ2時でも3時でも、食べれるまで給食と向かい合い。
自分だけが残されるならまだしも、自分と席が同じ列の人は連帯責任で全員
残されるため、みんなに「早く食べてよー」と見つめられながら、食べれなくて
泣く毎日。みんなもいい迷惑だったでしょうに・・・。
申し訳ない気持ちで一杯なんだけど、どうしても食べられなくて・・・特にやきそ
ばに入ってるキャベツの芯が天敵だった。

他にも縄跳びを20回飛べるまで教室に入れてくれなかったこととか、宿題を
忘れたら廊下で正座してやらされたことも忘れられないけど、好き嫌いの多い
私にとって一番辛かったのは給食だった。
「切干大根」の日は、大泣きして学校を休んだこととか、今思い出すと笑える
けど、あの時は生きるか死ぬかの瀬戸際って感じでした。

そのクラスには登校拒否の子が2人いたんだけど、理由は「給食が食べられ
ないから」。結局一人は転校していったけど、「一年生にそこまで厳しくするのは
どうか」っていうのが問題になって、翌年その先生は6年生の担任に変わった。

大人になった今、最高の贅沢は「高級なものを食べる」じゃなくて「自分の好き
なものだけを食べる」ことだとしみじみ思います。


256 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/18(土) 21:07
俺にはかけがえのない人がいる。
借りのある人に頼まれて知り合った子だけど、付き合う内に俺にとって本当にかけ
がえのない人間になった。俺にとってはまだ子供だけれど、時間がその子を大人
にしてくれるはずだから。
でも大人になったら、大人になれたらが口癖のその子はもうそれだけの時間がな
かった。
忘れられないのは、まだ少しは食べられた時のこと。
本当は食欲なんかなかっただろうに、誕生日になにが食べたい?と聞くと、今まで
雑誌で見るしかできなかったからと色々な飯をリクエストしてきた。わいわい言い
ながら作って、テーブルにならんだ料理を眺めて、それからその子は行儀よくいた
だきますを言って、一口づつ食べた。それからぽろぽろ涙を落として笑って言って
くれた言葉は、たった一言「おいしい」だった。
今その子は点滴だけで生きている。あれがあの子にとっての最後の食事になるの
かな。せめてあと一度だけでいいから、お腹いっぱいに好きなものを食べさせて
やりたい。

257 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/18(土) 23:11
私の父親は、亭主関白と言えば聞こえもそれなりだが、単なる我儘乱暴親父だった。
とにかく機嫌が悪くなると家族に当る当る。家族が集まる食事時は、親父の鬱憤晴らしの
恰好の場だった。怒鳴り散らし、物を投げ、場合によっては張り倒される恐怖と戦いながら
食う飯の、なんと不味かったことか。文字通り砂を噛むような思いだった。

ある年のクリスマスシーズン。2〜3日前から親父の機嫌が悪かった。
母は父の機嫌を取るために、一生懸命クリスマスディナーを作った。
テーブルの中央にケーキを飾って、鶏の腿肉を焼いて…。
我々子供たちも手伝って、テーブルセッティングを終え、父の帰宅を待った。
いつもなら7時には帰ってくる父が、その日に限って帰って来ない。
8時になっても、9時を過ぎても帰って来ない。
先に食ったりすれば、それでなくともこの数日機嫌の悪い父のこと。どれほど暴れるか
想像もつかない。母は子供らをなだめながら、黙々と待った。

父が帰ってきたのは、午前零時。酒が入っていたのだろう、妙にご機嫌だった。
食堂で家族全員がじっと待っているのを見た父は、バカにしたような顔つきで
「おや、皆さん、どうかしたんですか?」と日頃は家族に絶対使わない丁寧語で
言い放ち、振り返りもせず寝室へ直行した。

母は黙って食卓を片付けた。食欲など皆失せはてていた。

258 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/19(日) 16:30
あのー横レスすみません。
思い出に残る食事1を最後のもの食う人さんのレスまで保存した人いませんか?
ううぅ最後まで読みたかった。履歴にも残ってないし、、、ショック

259 :名無し1:2000/11/19(日) 21:46
ついこないだ2CHのどっかで読んだけど?
どこだったかな。

260 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/20(月) 01:35
>>258
見つけたけど、大きすぎて表示されないってさ。
一応貼っておくね。多分ここ。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=951552846


261 :258:2000/11/20(月) 12:49
>259
>260
レスありがとうございます。>260さんのやはり見れなかったんですけど、
気持ちがすごくうれしかったです。いいスレにはいい人がいますね。(^_^)

262 :名前無し:2000/11/20(月) 18:23
小さい頃、私はとても食欲旺盛で、肉が大好きでした。
お肉の類いはいつも2人分食してました。
母親は、家族一人に付き1人前を用意してるだけなのですが、
「これも食べなさい」って、いつも母親は、
自分の分を私にくれるんです。
母親は魚好きで、肉はそれほど食べないというのもあると思うのですが、
お肉のおかずが無くなると、
ご飯とお味噌汁と付け合わせ位になってしまう。

ある日、聞いてみたんです。
「なんで、いつもお姉ちゃん(私です(^^;)にくれるの?」と。

「自分で食べるよりも、子供が食べて
喜んでいるのをみるほうが嬉しいんだよ。」

その時は、そんなもんかなって思っただけですが、
今思い出すと母の愛情が嬉しく心温まります。

263 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/20(月) 20:13
よし、もうちょっとで仕事おしまい。
さあ今夜の晩ご飯が楽しみだぁ。
妻と子供がおいらを待ってるのさ。
こんな毎日の晩御飯がたまらなく幸せです。

264 :名無しは無慈悲な夜の女王:2000/11/20(月) 20:46
すさむ話ですが。
家が貧乏だなんて気付かなかった頃のこと(つーか、下には下がいるのを見ていたから)。
私は弟と一緒に具だくさんのラーメンを食べていました。
母は父の晩酌のつまみをこしらえていました。
そこにいきなり父の弟が乗り込んできて「ぶっ殺してやる!」と叫び、
母に「包丁出せ!」と怒鳴ったり、父に殴りかかったり。
私と弟は母に促され、ラーメンを放って子供部屋に避難しました。
事情はお金絡みのこととしか言えないけれど、父に落ち度などないのは確かでした。
父の下の弟が止めに入ってくれて大事には至らなかったけれど、
それからずっと、家で食べるラーメンには悲しみが付きまといます。

265 :Mrs.名無しさん:2000/11/20(月) 20:53




266 :Mrs.名無しさん:2000/11/20(月) 20:57
>>257
すみません、泣けてしまいました。

267 :ニュース板より:2000/11/22(水) 03:12
35 名前: 林 投稿日: 2000/11/22(水) 03:04

俺はそんなに言われなかったが当時小学生の妹が本当に可哀想だった。

給食でカレーのある日に学校に行きたくないと泣きながら訴えていた。
休んだらなおさら言われるよと諭されて行ったものの、その日の給食
ではイジメ小僧どもに危険だからと、当番を外され、掃除用具入れに
閉じ込められた。と家に帰ってくるなり母に話して泣き崩れた。夜に母から
この話を聞いたときは俺も親父も悲しくて涙が止まらなかった。
親父はその晩のうちに担任の家に行って担任を引っ張り出して、妹を
閉じ込めたガキの家に乗り込んだ。親父が荒いことをしないようにと
俺もついていったけど、「子供の喧嘩でこんな夜中に来るのは非常識
じゃないですか?」と言った相手の親に、俺の方が掴みかかってしま
った。親父はそんな俺をビンタして先に帰らせた。
その後、妹を苛めていた他の子供の親たちも呼んで話し合ったらしい。
親父が家に帰ってきたのは朝の7時過ぎだった。それ以来、妹は学校で
苛められることはなくなったそうだけど、中学生となった今でもカレー
だけは食べることができない。うちの食卓にカレーが出なくなってから
もう2年以上が経つ。俺自身は外で食べればいいだけの話だから構わない。
(母の作ったものを食べたい時もあるが)ただ、いつか妹が自分の
子供をもつまでには、なんとかこのトラウマがなくなって欲しいと思う。


268 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/22(水) 19:00
5年近く付き合った、大好きな人がいました。
彼は一人暮しだったので、家に来た時には少しでも
美味しくて栄養のある物を食べて欲しくて、よくご飯を作ってあげてました。
ある時彼が『この間実家でおふくろのカレー食ったけど、
お前の作るカレーの方が美味いと思った』
と、言ってくれた事がありました。
『俺、洗脳されてる?』って、笑ってたけど、私はすごく嬉しかった。
ずいぶんひどい振られ方で別れてしまったけど、
私の作った食事が、彼の中の『思い出に残る食事』に
なってるといいなあ、と思います。

269 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/22(水) 22:14
5年前、渋谷のマックで退学届を書いた。
様々な事情が絡んでいるので背景説明は省くが、
俺は絵で飯を食っていくんだと自分に言い聞かせながら
おそらく一生に一度しか書かないだろう書面を汚い字で綴った。
書いた後に口にした冷めたポテトの舌触りだけは忘れられず、
そのときから食べたくない食い物の一つになった。

今は駆け出しながら、なんとか絵で食えるようになった事が
せめてもの救いかもしれない。
誇れるような職に就きたかった訳じゃない。
世の中の端を歩く事になっても、自由になりたかった。
あの時の自分をわずかながら肯定できるようになった、
今の自分がありがたい。

・・・青臭いな。オザキ風味でお恥ずかしい事です。

270 :名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 02:23
うちの野球部では先輩の痰の入ったコーラを新入生が飲む儀式があった。
拒否するとボコボコニ殴られるか、退部のどちらかになる。
俺は普通に飲み干した。すると、先輩達の要求はだんだんエスカレート
していった。今、俺が人のウンコを食うことに夢中なのはあのころの
思い出の食事がきっかけみたいだ。今度はいぬのにも挑戦する。

271 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/23(木) 07:24
俺がまだ小学一年ぐらいのこと。
スパゲティを食べようと箸で一生懸命自分の茶碗に移そうとしてたとき、
妹が皿ごと横取りしようとした。
「待てよ!」って言ったら、突然隣にいた父に殴られた。
拍子に茶碗も床に落ちて、何故殴られたのかも分からず、俺は涙ぐんで床にこぼれ落ちた飯を手で拾ってた。
家族の中で俺に慰めの言葉とか、俺に味方する人はいなかった。

・・・ひょっとしたら、これって本当に俺が悪いのか?
今までの人生、嫌な想い出しかないよ・・・sage。

272 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/23(木) 10:42
暴力お父さんが怖くて誰も言い出せなかったのでは。

273 :名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 10:53
>>270
私もそうですよ〜!もしかして、そういうのって自分だけで
変態じゃないのかと思って不安だったのですが、ちょっと
安心しました。

274 :名無しさん@1周年:2000/11/24(金) 06:40
うんこってとんこつの味だから、おいしい人とそうでない人との差が激しいよね

275 :電猫:2000/11/26(日) 04:32
生前弟はガム中毒っていえるくらいチューインガムが大好きでした。
その消費量たるや、歯が解けるんじゃないかと思えたくらい(笑。
母も虫歯を気遣って、ほどほどに買ってくるよう調節してました。
弟はまだ高校入りたてでお金も無かったから自分で買ってくるような
こともしてなかったし。

ある朝、突然、弟は冷たくなってました。前日の夜「早く寝なよー」って
喋ったばっかりだったのに。若い人でも、時々、なんの原因も無くても
いきなり心臓が止まってる、ということがあるんだそうです。

スーパーにいって、置いてあるだけの種類のガムを買ってきてお棺に
入れました。山盛りになってました。どうせ燃やしてしまうんですけどね。

僕はあまりガムを食べないほうですがコンビニで弟が好きだったガム
とか見るとあの山盛り思い出します。もうあんな一気にガム買うこと
なんてないだろうなあ。


このスレのことは知ってたんですけど、昨日が命日だったんで、
ちょっと書き込んでみました。


276 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/26(日) 14:53
趣旨がずれそうですが・・・
幼稚園のころのある朝起こしにきたのが母ではなく
父だった、母はお産のため入院した為だ。
そのときの朝ごはんのじゃがいもとたまねぎの味噌汁
が忘れられないなー
後、食が細かった自分に作ってくれた、ごはんですよをのっけた
冷奴も忘れられないなー
実家からちゃんとご飯たべてる?電話があったので
こんなことを思い出した。

277 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/28(火) 15:11
ずっとファンだった人がいます。
某プロスポーツ選手で最近結構有名になっている人。
学生の頃から好きだったのですが彼はプロ入りと同時に地元を離れて
彼の試合を見に行けるのは年に数回。
当時は顔見知りくらいにはなれていたと思いますがもう数年前の話。
私なんてすっかり忘れられていると思っていました。

ところが先日地元のお寿司屋で彼の試合や調子について話しているときに
知らない中年の女性の方に声を掛けられました。
「もしかして、@@さんよね?(私の名前)」
なんとその方は彼のお母様。
彼は私のことを覚えてくれていてたまに試合見に行ったのも気づいてくれていたそうです。
そしてお母様に名前や昔から見ていたことを話していたらしいのです。
「@@さんは俺が最初にサインあげた人だよって何度も言うのよ、あの子」
・・・感涙。

そのあとお母様は「この店で一番おいしいのはこれよ」と鯛の握りを奢って下さいました。
握り、サビ抜きじゃなかったのに(わさびダメなんです)世界で一番おいしいと思いました。

278 :偽グルメ:2000/11/28(火) 15:23
このスレ、どれが真実で、どれがネタかって考えると面白い。

279 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/28(火) 16:02
自分が感じて信じたままに・・全部ネタとは思わないし。

280 :偽グルメ:2000/11/28(火) 16:20
それが一番やね >>279さん

281 :もぐもぐ名無しさん:2000/11/30(木) 13:03
あげさせていただきます

282 :やの字:2000/11/30(木) 13:31
やっぱり恋愛がらみになってしまう(笑)。
去年の6月によいな、と思っていた女の子に告って見事にふられた。
ちょうど転勤が決まって、多分二度とあえないだろうということが
分かっていたから勇気を振り絞った。場所は家の近くの喫茶店。
話の内容は覚えていない。が「ごめんなさい」と彼女が小さくなって言った
のだけは覚えている。
引越しの準備も終わって家には食い物なかったから、彼女が帰った後、一人で
その喫茶店で飯を食った。ボソボソのハンバーグ切りながら「なにやってる
んだろう」とぼんやりしていた。
別にその日はどうということもなかったのだが、大阪に転勤して一週間ぐらい
して彼女から手紙が来た。もう一度考えましたが、やっぱり恋愛の対象とは
おもえない…という内容。それから3回も手紙が来た。季節のあいさつと
健康を気遣っている内容。
別に放っておいてくれてもいいのに。優しいこだったな、いいこだったな
…振られたけど(笑)。
いい女を好きになったことは一生の宝かもしれんね。ハンバーグとセット
になった思い出です。振られたけど(あー、ひつこい)。

283 :まぐまぐ:2000/12/01(金) 14:46
このスレいいですね。
じゃ、僕もひとつ
実家にいるときは好き嫌いばかりで母が作る料理に文句ばかり言ってました。
それで、母がおこって「あんただけ明日から自分で弁当買ってきな!」
といいました。で、おれもむかついたから「じゃあ、晩飯代500円」
みたいな話をしました。
次の日、部活帰りにセブンイレブンでびっくりチキンカツ弁当
[たしか500円のはず]をかって家に帰ったら、母がすぐドアをあけて
「今日すきやきだよー」っていいました。俺は無意識に弁当を見せて
自分の部屋で温めてもいない弁当を一人で食べました。
ごめんなさい。
大学から一人暮しして、好き嫌いはほとんど無くなりいまでは実家に帰るの楽しみです。

284 :名無しチェケラッチョ♪:2000/12/03(日) 01:34
すばらしいage


285 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/04(月) 13:32
いつも楽しみにこちらを読ませていただいてます。食べ物って記憶に結び付きやす
いんでしょうか。
自分の事ではないのですが、母がアイスを見ると思い出して語る小話なんぞを一つ。

中国地方の山奥に住んでいた母が子どもの頃は、家はちっちゃな農家で、家族総出
で朝から晩まで働いてたという状態。
そんなある夏の日、村にアイスキャンディー屋さんがやってきました。山奥の田舎、
ということで例えそれが戦後であってもまだアイスは珍しく、滅多に食べられるも
のではなかったとのこと。周囲に店もほとんどなく、月に1度くらいの割合でこん
な物売りさんがやってくるのがとても楽しみだったそうです。
折りしもカンカン照りの真夏日。昼の支度をしていた母の母(つまり私から見てば
ーちゃん)は、「たまには冷たいものも食べさせてあげたい」と思い、思い切って
家族分のアイスを買いました。ちょうど母を含めた子どもたちがお昼御飯を食べに
学校から帰ってきて、初めて手にするアイスキャンディーに大歓声。
あとは、畑に出たままのじぃちゃんの分が一本……
しかし、アイスはどんどん溶けていきます。(当然冷蔵庫などはありません)。

そこで、ばーちゃんの考えたこと。
「冷たいところで冷やしておけば大丈夫」。

子どもたちに畑にいるじぃちゃんを呼びにやらせている間、ばーちゃんは野菜を冷
やしたりする井戸の中に入れてしまいました。井戸水の中に。
「アイスがある」ということで浮き浮きしながら帰ってきたじぃちゃんが手にした
ものは、棒一本になってしまったアイスキャンディーのなれの果て……。
今でも、親戚一同が暑い日に集まったりすると話題に上がるそうです。

泣ける話ではありませんが、母の楽しかった子供時代の思い出ということで。長文
失礼致しました。

286 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/04(月) 18:56
ほのぼのage

287 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/06(水) 12:08
このスレ好きなのでage

288 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/10(日) 03:56
数年前の今日、当時片想いで好きだった人の子供を中絶した。
手術後、つきそってくれた友人と、友人の知り合いの家に行き、
友人と夕食を作った。
手術当日は絶対安静なんて百も承知だったけど、
何かをしておかなければ、壊れていく自分がいて、必死で作った。
友人が私を心配しすぎて泣くのではないかと、そちらの方が心配で、
努めて何も考えないようにした。
つわり続きで、そのころほとんど食べられていなかったのに、
お腹の赤ちゃんがいなくなった途端に戻ってきた食欲に、
自分が一番驚いた。ひどく嫌悪した。
美味しいと思うたびに、死にたくなった。
「なんで?なんで美味しい?」
泣けるほどの余裕もなかった。ただ、ずっとその疑問符だけが
ぐるぐると廻っていた。
美味しいことが哀しかったお話。

暗い話でごめんなさい。面白く無いので、sage.


289 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/12(火) 01:56
このスレ読んでたら、記憶がよみがえってきました。

小学校低学年だった頃、父親が外に愛人を作って
何ヶ月も帰らない時があった。
残されたのは母と2つ上の姉とわたし。父親は真面目に会社に
行ってはいたようなだけど、お給料は一切家には入れず。
最初は貯金を食いつぶしながら親子三人暮らしてたけど、
さすがに何ヶ月後かにはお金もなくなってきてだんだんと食事情が貧しくなってた。
母はお米にはこだわる人で、いつも一番高いお米を買っていたようだけど、
一番安いお米になったり。おかずの数も減ったり。
そんな日々が続き、さすがに幼い私も「なんかうちはへんだ」と
感づいてきたんだけど、「どうしてお父さんは帰って来ないの?」と
母親に聞いても「お父さんは遠くにお仕事なのよ」と言われ、「そーなんだー」と納得してた。
するとある日、学校から帰ったら、父親がひょっこり戻ってきている!
母親が説得したのか親戚に諭されたのか。しかしその時私はすっかり父親がいない
環境にも慣れた頃で、父親の姿を見ても格段喜ぶわけでもなかった。
そんな娘の態度が気に食わない父親は(勝手だ…)夕食前までにはすっかり不機嫌に。
そしてそんな不機嫌な父親が怖く、ますます寄り付かない私。
そんな状況をわかっているのかわかっていないのか、母親は何事もなかったかのように、
夕飯の仕度をしてたなぁ。
そして、親子4人久しぶりに食卓を囲んだ。
すると、テーブルに運ばれてきた食事はここ何ヶ月か姿を見せて
いなかった豪華な食事。多分、メインはトンカツか何かだったと思うんだけど、
その他色々なおかずがあった。
何ヶ月かご飯+おかず一品続きだったので、その食事を見て開口一番、
「わぁ!今日は豪華だね!なんでなんで!?」とはしゃぐ私。
久しぶりの父親の姿には喜ばず、今日の晩ご飯に喜ぶ娘の姿を見て父親はますます不機嫌に。(顔が怖かった…)
すると、今まで黙って座っていた姉が「○○(私の名)、黙って食べり。」(一部方言)とぴしゃり。
まだその場の雰囲気が読めない私は「??」と思いながらも黙って食べることに…。
父親はどんどん不機嫌になっていき、久しぶりの食卓は沈黙ばかり落ちて行く。
幼いながらもなんとなく「はしゃいじゃいけないんだ…。しゃべっちゃいけないんだ…。ちゃんと食べないといけない…。」
と考え、緊張しながらお箸を進めてた。
その緊張のせいか、私はトンカツソースをスカートにこぼしてしまい、「あっ!またお父さんが怖くなる!」
とすごくあせった。そしたら、黙ってふきんでスカートを拭いてくれたのは姉。
そんな娘達を見て何も言わず、黙って箸を進める両親。
「ごめんなさい…。」と姉に謝るわたし。

その後、結局父親は再び家を出ていき両親は離婚したのだけれど。
もう、15年以上前の記憶だけど、あれ以上重苦しい雰囲気だった食事にはまだ出会っていない。
今思えば、あの時姉はあれ以上父親が不機嫌にならないよう必死だったのだろうか。
それとも父親がいなくても親子三人でちゃんと食べていけるんだ!あんたがいないからって
今まで貧しい食事じゃなかったんだ!と父親にアピールしていたんだろうか。
姉はあの時のことを憶えているだろうか。今度年末に実家に帰った時にでも聞いてみようかな。

けど、「思い出に残る食事」じゃなくて、「思い出したくない食事」だなー。
記憶って触発されてよみがえるものなんですね。
長い話でスミマセン。

290 :名無しさん@1周年:2000/12/14(木) 17:44
ageage

291 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/15(金) 17:35
test

292 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/15(金) 17:42
父はすごくせっかちで、ご飯を食べるのもとても
早く、お店に食べに行っても私たちをせかすので
食事に行くのがとてもいやでした。有名なうなぎ屋
でもせかされて、そのあと胃の調子が悪くなった
ほどで、家族から責められてもせっかちは直りません。
そして、人生もせっかちに駆け抜けて64で亡くなり
私は、何故か早食いの人と結婚してしまいました。




293 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/16(土) 23:25
唐揚げ。

294 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/17(日) 01:31
ageage

295 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/17(日) 13:01
私が小学生の頃、突然田舎の祖母がうちに遊びに来ました。
その人は父方の祖母なので、母にとっては姑です。
しかし、「遊びに来た」と言いつつも、1週間経っても、2週間経っても
帰る気配がなく、挙げ句の果てには「長男の嫁とうまくいかないから、
帰りたくない」と言い出しました。
うちの父は、若い頃親に苦労をかけたんだけど、兄弟の中でひとりだけ
遠くに住んでいるので、親孝行できない自分が辛かったと言い、
ひとりで祖母の同居を決めてしまいました。
もちろん母はおもしろくありません。急に母は祖母に対して意地悪に
なりました。ある日、祖母が父の大好物の「きびなご」という小さな
魚を遠くの卸売市場まで行って買ってきました。父はきびなごのお刺し身
が、子供の頃の一番の大好物だったそうです。しかし、私が住んでいる
地域ではあまり見る魚ではないし、母は魚をさばくのが苦手だったので
「きびなごの刺し身」など父に食べさせたことがありませんでした。

祖母がそのきびなごを持って台所に入ろうとしたら、母は、
「うちの台所は狭いので、一緒に流し台に立たれると困ります」と言って、
祖母が台所を使うのを拒否しました。すると祖母は、2月の寒い中
庭の水道に行って、凍えるほどの水を使いながらきびなごのお腹を指で
さいてみごとにお刺し身を作ったんです。
仕事から帰ってきた父が、そのお刺し身を
「母さん俺これ食べたかったんだ!」とおいしそうに食べているのを見て
母の怒りは爆発したようです。食後、祖母が自分の部屋に入った後、
今まで見たことのない夫婦喧嘩が始まりました。
父をののしる母の声は、隣の部屋でTVを見ていた私たちにも聞こえていて、
「このままじゃ、大変なことになる」と思い、私と弟があわてて居間に
駆けつけようとした途端、父が何ともいえない切ない声で
「あの人は、俺にとってたった一人のおふくろで、君とは別れられても
俺を産んでくれたあの人とは別れられない」と言いました。
その途端、私と弟は廊下で泣きました。そしてふと近くを見ると、
祖母がその場に泣き崩れていました。
母はその父の言葉に、自分の母親を重ねあわせたらしく、父に何度も
「ごめんなさい」を言って、祖母を受け入れるようになりました。
しかし、見ず知らずの土地で暮らすのは体に合わなかったのか、
祖母は父の一番下の弟が住む、住み慣れた土地に3年で帰ってしまいました。

そしてその10年後、祖母は痴呆症の為、老人施設に入りました。
叔父や叔母が尋ねていっても、「あんた誰だったかね」と言って
自分の子供が誰か全く分からなかったようですが、父が行くと、
5割の確立で「遠くから良く来たね」と、父だとはっきり分かって
いたようです。
しかし一番の驚きが、何度行ってもうちの母のことははっきり覚えて
いたこと。いつ行っても「あんたにはつらい思いをさせて悪かったね」
「あの時はごめんね、本当にごめんね」と声をかけてくれたそうな。

その祖母が先月亡くなりました。
祖母のお通やの席で、父の姉がきびなごの刺し身を持ってきてくれたとき、
それを見た私たち家族は、号泣しました。叔母は
「おばあさんはきびなごをさばく時、いつもxxx(父の名前)にも
食べさせてやりたいね、あの子が近くにいたら、いつでもさばいて
やったのに。ってうるさいほど言ってたんだよ。」と言いました。
そして昨日、初めてうちの食卓に、母がさばいたきびなごが登場しました。
見てくれは悪かったけど、父が無言で食べて、すぐトイレに駆け込んだ
姿は一生忘れないと思う。トイレで泣いてた父のために、今度は私が
さばいてみよう。

296 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/17(日) 17:01
>>295
どうしよう…涙が止まらない、この話…。

途中までしか読んでない方、最後まで読んであげたってや。


297 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/17(日) 22:24
5歳くらいだったかな。祖父母が私を遊園地に連れていってくれました。
当時ひよわだった私は楽しいよりも、暑いことやひとごみで
すっかりばててしまい、ぐずってばかり。
祖父は私をおんぶして、ソフトクリームを買ってくれました。
けれど、私はいらないいらないと言い張って一口も食べなかった。
ほんとは好きだったのに・・・つまんない意地をはってばかだったなぁ。
今でも、暑かったのになんでかぺったりくっついていたかったおじいちゃんの
背中と、困った顔で私をのぞきこむおばあちゃんの優しい手を覚えています。
ときどきソフトクリームを口にすると思い出してせつないです。
おじいちゃんが生きてるあいだに、1回謝りたかった。

食事じゃなくてごめんなさい。さげておきます。

298 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/18(月) 08:55
会社員のみなさんのためにage

299 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/18(月) 09:59
ま、いろいろあるよね。

300 :名無しさん@1周年:2000/12/18(月) 17:14
仕事中なのに、涙でディスプレイが見えないよぅ。


301 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/18(月) 17:18
>295
なかなか素敵な泣き虫オヤジじゃ。

302 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/18(月) 18:24
オレも、号泣。

303 :さばおどり:2000/12/18(月) 18:45
お前らもっと泣ける話書けよ。ネタ作りは風呂に入ってる時が
一番思い付くぞ。なんなら、俺の新ネタでも見るか?
涙で前見えんくなっても知らんぞ。

304 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/18(月) 20:03
>295
ばーちゃん・・・ばーちゃん可哀相だよう。
とうちゃん良いとうちゃんだなあ。こんな
家族いるのかなあ。

305 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/18(月) 20:16
>303
泣かせてくれよぉーー。(号泣)

306 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/19(火) 10:25
昨日も泣いたのに、今日もつい読んでしまって涙を堪えている。
今後「きびなごのおさしみ」は地雷です。

307 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/19(火) 17:30
料理じゃないけど。
日本酒の匂いを嗅ぐと、子供の頃によく喧嘩していた両親を思い出す。今思えば別に仲が悪かった訳でもないのだが子供にとっては地獄なのであって。なるべく喧嘩が起こらないように父親の機嫌を取ったりしてたな。日本酒の匂いを嗅ぐとあの頃の情景が思い出される。
僕は22歳で両親は今も健在なんだけど。
つまんない話ですいませんでした。

308 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/12/19(火) 18:26
>>295
旦那さんの心のつっかえ棒を取った奥さんに泣けた。 

309 :ぐもぐも名無しさん:2000/12/19(火) 22:30
もう13年前の話。
祖父が春ごろガンで入院をし、秋になって退院許可が
やっと下り、家に帰っていました。
当時高校2年生だった私は、お見舞いに祖父の家へ行く途中
渋谷の東横のれん街でアイスキャンディーを大量に買ったんです。
そして祖父と2人で黙々と食べました。
「ああ、きっとこれがこの家で見る最後の祖父の姿だろうな」と
思いながら。
それと祖父はおそばが大好きな人でした。家に行くと必ずそばを茹でて
よく食べていたっけ。あとカップヌードルも好物みたいでした。
だからアイスキャンディーやそばを食べる時は亡くなった祖父と一緒に
食べているような気がします。




310 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/20(水) 00:59
うちのばあちゃん、元気な頃はすげー勝気な人で母親を
結構アゴでこきつかってた。
で、62歳の時に階段から転げ落ちて、入院したら癌が
見つかってその後1ヶ月後くらいで死んじゃった。
最初階段から落ちた時、しばらくは家で寝てたんだけど、
そのときにばあちゃんが「お水が飲みたいから取って
きて」って言ったのに、当時中学生でナマイキなガキ
だったわたしは「そんなの自分で取りに行きなよ」と
言って遊びに行ってしまった。元気な頃は人にものを
頼むことなんてしなかった人なのに。
自分が病気になったこともなかったから人の痛みが
分からなかったんだろうけど、今思うとなんて残酷な
ことしちゃったんだろうと後悔してる。
その後ババ孝行する間もなく死んじゃったから。
ただ水を取りに行くだけのことが何でできなかったん
だろうかと思う。食べることも好きな人だったけど、
最後は本当に弱ってしまっていたから、今でも姿を
思い出すとちょっと泣ける。

311 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/20(水) 22:09
>295さんのお話、とても沁みます。
きびなごのお刺身…食べてみよう(ミーハー?でごめんなさい)。

312 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/20(水) 23:48
俺は映画館の館主の息子として生まれた。

東宝は毎年、12月13日に東京會舘で「年忘れパーティー」を
開いているが、そのお土産がこれまた毎年同じく、カステラ2本。
俺は親父が持って帰るそのカステラが大好きだった。

数年前、親父は死んだ。
俺は親父の後を継ぎ、映画館の館主になった。
今年の年忘れパーティーに参加したら、
いろんな人から「お父さんにそっくりだなあ。」と声をかけられた。

お土産はやっぱりカステラだった。
仏壇に供えて、そのお下がりを食べた。
昔と同じ味だった。

313 :名無的発言者:2000/12/21(木) 15:49
このスレを読んでいてオフクロに会いたくなった。
でもニューヨークで自営をやっているんで帰るチャンスが取れない。
なんだか妙なホームシックにかかってしまった。


314 :Ped. 3th:2000/12/21(木) 16:01
子供の頃の話。
私は子供の頃は毛蟹がとても好きでした。
その為、私を可愛がってくれていた私の祖母は、田舎に帰ったときは、
よく毛蟹を買ってきてくれました。
ところが、どういうわけか、祖父は私にだけ厳しく、私自身も祖父が
あまり好きではありませんでした。4人の孫の中で、特に私は嫌われて
いたようでした。
また、姉や従兄弟にはおもちゃなどを買ってあげるのに、私だけには何
も買ってくれないので、不平等感を感じていました。

しかし、祖父がはじめて毛蟹を買って帰ってきてくれたことだけは鮮明
に覚えています。当時、祖父に嫌われていたと思っていた時分にとって
は、とてもうれしく思いました。夕飯時、酔っていた祖父は、突然、
「XX(私の名前)、医者になれ、医者はいいぞー。好きなものを何でも
食べれるから。」と言いました。
その時は、将来は官僚になりたいと思っていたし、医者という職業に
いいイメージがなく、第一、血を見るのが嫌だったから、私は、「嫌。」
と答えただけで、また、祖父はそれ以上何もいいませんでした。
祖父は酔う度に「医者になれ」と言いましたが、私は適当に「うん。」
といって流していました。
その後、私は、中学受験に失敗。祖母が慰めてくれる中で、祖父は私を
詰りました。それがきっかけで、より一層祖父が嫌いになりました。

高校受験の時は、3年間まじめに勉強した成果もあって、有名大学付属高校
に合格しました。祖母は、非常に喜んでくれましたが、祖父は何も言って
くれませんでした。
高校合格後、はじめて田舎に帰った晩、祖母は私が好きになった タラバ蟹
をたくさん用意してくれていました。
ところが、タラバ蟹と一緒になぜか毛蟹が2杯置いてありました。
祖母に聞くところによると、祖父は私が毛蟹に飽きていたことを知らずに
買ってきてしまったようです。私は、そんな祖父に多少の憤りを感じました。
(蟹は腐りやすいからその日のうちに食べなければいけないので)毛蟹と
タラバ蟹が山ほどあるなか、私は毛蟹は味噌をつまんだだけで殆んど手を
着けませんでした。今考えてみると、祖父が私のためだけに買ってきて
くれたのは、私の記憶する限りではこの時の毛蟹2杯だけでした。

その後、祖父は急に元気がなくなりました。パーキンソン氏病でした。
高3の修学旅行の時、近くまで来たので、祖父と叔母に会いました。
祖父はだいぶ病気が進んでいたらしく、私自身、これで祖父に会うのも
最後かな、と思っていました。進路のことを聴かれ、私は当時はもう官僚
になりたいとか考えておらず、普通に就職すればいいやと思っていたので、
文系の学部に行くと思う、と答えました。
祖父は、「そうか」と言ったまま、何も言いませんでした。

大学3年の春、祖父は他界しました。私が海外旅行から帰ってくる2日前の
ことでした。
教会での葬儀だったので、身内だけで祖父の話をしているとき、田舎にいる
叔母が私に祖父のことを教えてくれました。
祖父は、4人の孫の中で私が一番できると思っていたため、将来は医者に
したいと言っていたそうです。なぜ、祖父が私を医者にしたかったかは
もう知ることはできませんが、子供が2人とも女だったので孫に期待を
していたとのことです。
しかし、私が医学部に行く気がないことを知ったとき、祖父は非常に
ショックを受け、その時からどんどん体調を崩していった、とのこと
でした。

当時、生物系の研究室に所属していた私は、大学院に行こうと考えて
いましたが、医学部を再受験することにしました。両親を説得し、浪人
してでも国立の医大に行こうと思っていました。
しかし、母に相談したとき、祖父が私立医大にもいけるようにお金を
遺していたことを教えてくれました。「XXが医学の道を志したとき、苦労
しないように。」と。その時、なぜ子供の頃、祖父は私にだけ厳しく、
何も買ってくれなかったか、始めて理解することができました。
そのお陰で卒業してすぐに医学部に入り直し、今は小児科医(まだ認定医
じゃないけど)になりました。
去年、2年間の研修期間が終わり、やっと好きなものを食べられる身分に
なりましたが、祖父に申し訳なく、未だに毛蟹を食べることができません。




315 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/21(木) 17:30
なんか、泣けます。このスレ。

316 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/21(木) 20:45
>>314
ええ話やなあ。

317 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/23(土) 17:56
学生の頃、同級にひょうきんな男の子がいた。
丁度この時期、学校の給食に小さなクリスマスケーキが出てきた時なんか
ケーキにさしてある紙製のサンタ人形を他の人からもたくさん集めて
全部自分のコッペパンにつきさし、「見て見て。ほら、サンタクロースの合唱隊。」
そんな事をして皆を笑わせる事が得意な子だった。とてもいいヤツだった。
まさかそれから十数日後、不慮の事故で亡くなってしまうなんて、誰も思わなかったろう。
今でも、ふっと思い出したりする話です。

318 :名無しさん@1周年:2000/12/23(土) 19:33
今の子供たちは「お誕生会」というものをやっているのだろうか?

オレが小学校の4年生ごろは、自分の誕生日には
みんなこれをやっていた。
仲のいい友達を家に呼んで、プレゼントをもらって、ケーキを
食べて、まあ、その後はゲームやドッジボールをするのだ。

オレも誕生日には、クラスの仲間を7人ばかり家に呼んだ。
母にカレーを作ってもらい、それを食べた。
みんなはそのあとのケーキが楽しみだから、おかわりをしなかったのだ
が、沢田という友達だけは「うまい、うまい」を連発して
なんと大皿3杯も食べた。

彼、そのあとのケーキはさすがに食べられなかったが、
とても満足して帰っていった。
後日、話を聞いたら、家庭の事情かなにかで
あまり両親の手作りの料理は食べられず、インスタントや出前ばかり
の夕食だと話してくれた。

こいつとは未だに交流があるが、
「あの時のカレーほど美味かった料理はないよ。」
となにかにつけて言ってくれる。
母が死んだとき、葬儀のあれこれを助けてくれてくれたのも
彼だった。


319 :>318:2000/12/23(土) 22:35
沢田さん、よっぽどあなたのお母さんのカレーに感激したんでしょうね。
いつまでも良い友情が続きますように。

320 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/23(土) 23:48
.中学生の頃、夕食にうなたまがでました。
(鰻を卵でとじたヤツ)
2日前の夕食にも鰻がでたから兄弟でブーブー文句を。
そうしたら母がキレて夕食の物を全部床にブチまけました。
今、結婚してご飯を作る立場になって分かりました。
自分の作ったもののケチをつけられる気持ちが。
お母さんごめんなさい。
あれから食卓にうまたまはでない。

321 :名無しさん@1周年:2000/12/24(日) 04:03
>>314
涙、涙…。止まらないっす。うぅ…。

322 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/24(日) 05:26
>>258さんほか、みなさんへ。
遅レスかつ横レス申し訳ありません。が、たくさんのひとの利益になるかと思って。
PART1をホントに最後のレスまで読める方法を知ったので、書き込ませてください。
>>260さんの指定してくださった場所には現在、datファイルが残ってます。
これを右クリックで「対象をファイルに保存」して、
http://members.tripod.co.jp/tatsu01/
に置かれているツールによってHTMLにコンバートしてください。
これで最後までPART1を読むことができます!
最後のもの食うひとさんのレス、私も読んだことなかったからなんかうれしかったです。
でもこの方法、2ちゃんじゃ常識なのかな・・・?だったらごめんなさい。
横レス、失礼しました。んじゃ、次の食事へどーぞ!

323 :過去ログ屋:2000/12/25(月) 10:38
part1のログdatから保存しました。

http://freepage.kakiko.com/natumelog/

324 ::2000/12/25(月) 17:59
(こらえていたのですが295で泣)僕も思い出に残る食事をひとつ。
10年以上たってもいまだに「うま煮」を食べるとあの時のことを思い出します。

短大生の時に付き合っていた彼女は時々手料理をご馳走してくれました。
彼女はいつも「今日のは何点?」って聞いてきました。
素直じゃない僕は「チョットしょっぱいから70点だ」と毎度辛口の採点でした。
1年ほど付き合って、彼女に好きな男が出来たことを察した僕は
別れを覚悟していました。そして悩んでいた彼女からいつもの様に
「今夜は何が食べたいの」と聞かれたときも、
「うま煮が食べたいな〜」と僕は気付かない振りをしていました。

バイトを終えて彼女の家に行くと「あまり上手に出来なかった」といわれました。
確かにゴボウなどは生煮えで、噛みしめる度に「ゴリ、ゴリ」とものすごい音が
しましたが「食べないで残して」と言う彼女をよそに、お代わりして平らげました。

自分「今日の、100点だったよ。」
彼女「えっ! どうして。」
自分「100点は、100点としか言えないよ。」
彼女「生煮えなのに・・・」
自分「まっ、そんなに悩むなよ。もうサヨナラするからさ。」
突然あっさり言いきる自分。
ビックリした彼女の顔はそのウチくしゃくしゃになり泣き出しました。
彼女「ゴメンね、ゴメンね・・・わたしは酷い女だ〜(号泣)」

その後、彼女を落ちつかせ、彼女が辛く無い様に笑顔で振舞っていたのですが、
彼女の家のドアを閉めたとたんに涙があふれて止まらなくなりました。
今思うと振ったのか、振られたのかよく分かりませんが
当時は(振る方が辛いなぁ)と想って泣きました。


本当はいつも100点満点だったんだよ。
○○ちゃん、ごちそうさまでした。

325 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/25(月) 19:40
>>324
うわあ、自分の最初の男を思い出しちゃったよ、、、。
もう、気持ちが別のところに逝っちゃうと、
女ってすぐ料理に出るからね。私も別れる前、
そいつにはまずいものばかり食べさせてたな。
別にまずいもの作る気なくったって、自然と手抜きになっちゃう。

ただ、貴方は偉かったよ。
彼女に恥をかかせなかった。
本当にいい男だ。
女として、彼女は最後にとても幸せだったと思う。
く、くそう、泣けてきてしまったよ、、、。

326 :吾輩は名無しである:2000/12/25(月) 21:19
どっちかっていうと笑える話だけど…

あたしが4歳、姉が6歳のときのこと。
夕方におなかが空いたあたし達姉妹は、卓上にある6本のバナナの房を見つけ
「ねえ、バナナ食べていい?」と母に聞きました。
「晩ご飯食べられないとイケナイから半分こね」母は言いました。
それを聞いた姉はぱっと眼を輝かせ、「半分も!食べていいの!」と大喜び。
母は「一本をふたりで半分こ」のつもりで言ったのに、姉は6本÷2つまりふたりで
3本づつ食べて良いのだ!と理解してしまったのです。

そのあとなんとも嬉しそうな姉を見ながら、内心「いいのかなあ」と思いながらも
バナナを3本食べてしまった4歳のあたし。
事実を知った母が呆然としてしまったのも当然でした。

今でもバナナを見るとあのときを想い出します。バナナなんていつでも食べられるのに
あのときはバナナ3本食べられるってすごい興奮だった(笑)
ちなみに今は姉はバナナがキライだそうで食べません。




327 :車&チクリ&洋楽板住人:2000/12/27(水) 22:22
今日、このスレ、パート1から読んだんだけど、2chでこんなに良い気持ちになったのは初めてだった。
こういうスレは、本当に新鮮に感じた。2chでこんな世界があったんだ。(w

僕がいつも居る板は最近煽りが酷くって、まさに言葉の格闘場みたいになってんだけど、いつもそういう
所でカキコしてると、いつのまにかコッチもケンカ口調になってしまうんだよね。

昔からの2chねらーが「ここの雰囲気も昔とえらく変わったな・・・」と嘆いていたの良く
見かけたんだけど、このスレ見て判った。




328 :三十路記念:2000/12/28(木) 21:42
父子家庭で育った俺は祖母が母親代わりでした。ガキだった俺は遠慮もなく祖母
にワガママを言っては、よく困らせたものでした。手作りのケーキや自家製クッ
キーなんて食べたことがなかったので、ある時祖母に「今度作ってよ」と言って
みました。でも大正生まれの祖母にできる訳もなく、差し出されたのは大きさや
形がバラバラなクッキーでした。味もパサパサで、やたら粉っぽい。それからは
得意気にクッキー作ってくれるんだけど、やっぱり美味しくないんです。

正直に「マズい」って言えばいいのに・・・30を越えた今でも言えません。
やっぱり婆ちゃんが好きだし、照れくさいけど母親だって思ってるし。
嫁さんには食べさせたくないな。(笑) 俺だけが知ってる「味」として、残して
おきたいです。

329 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/28(木) 23:05
>>328
おばあさまキュートです。大事にしてあげてくださいね。

330 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/29(金) 11:26
えっと、いまこのスレッドみつけました。
前スレから読み始めてるところなんですけど、もうね、あかんですよ。
泣いてしまって仕事にならんですよ。
さっき同期のヤツにも教えてやったところです。

ちょっと便所に行って泣いてこよう。

331 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/29(金) 14:15
そろそろ帰省されてるかたも多いのでしょうか。
私の家は田舎育ちではありませんでしたが1月2日にはかならず親戚一同
市内にある祖母の家に集まり叔父叔母や従兄弟たちと顔を合わせ
それぞれ持ち寄った料理で宴会をするのが新年会でした。

十数年も前のことになりますが、
その祖母が年末に本当に急に倒れて入院してしまいました。
病状は重く集中治療室で孫の私たちはガラス越しの面会でした。
母や叔父たちは病室で祖母と少し話すことができたようで
祖母が「蜜柑が欲しい」と言っているとのこと。
私たちは一番美味しい蜜柑を手に入れるべく
お店をはしごして、いろいろな蜜柑を何キロも買いました。
それをもって病院へ行くと、すでに叔父叔母や従兄弟たちも
同じように蜜柑の袋を手に提げて来ていました。
みんなで買ってきた蜜柑を 年末で人の居ない病院の待合い室の
ベンチの上に広げて 大きくてツヤのある一番美味しそうなものを選び
祖母の病室へ持っていってもらいました。
ほとんど何も口にできない状態になっていたはずの祖母でしたが
母が袋を剥いた蜜柑を1房、すするように食べていました。
大量に買い込んだ蜜柑を待合い室で従兄弟たちと食べて夜を明かしました。
私の母は祖母を心配して食事は全くとれない状態だったのですが
叔父が「お袋も食べてるんだから お前もちゃんと食え」と叱って
母は泣きながら蜜柑を食べていました。

祖母は結局年が明けた1月2日に亡くなってしまいました。
親族は葬式の準備で祖母の家に集まったけれど
例年と違い何の料理の支度もしてありません。
大人達は準備に忙しかったので 私は従兄弟たちと乾きものや余っていた蜜柑を食べていました。
そのうち従兄弟のひとりが「おじいちゃんにも蜜柑のお裾分けをあげよう」と言って
仏壇に蜜柑をお供えしようとしたら祖父の位牌の横に封筒が。
中をあけてみると祖母から私たち孫へのお年玉が入っていました。
お年玉袋にはそれぞれの名前が書かれており
例年通り裏にはカタカナ混じりの祖母からの一言が書いてありました。
まめだった祖母は12月のうちから用意してくれていたのでしょう。

それから毎年1月2日の命日には祖母のお墓参りに
母と蜜柑を持って行きます。
蜜柑をお墓にお供えする時はいつも 親を亡くすということの重さを考えさせられます。
待合い室で半泣きになりながら蜜柑を食べていた母の姿と
母の手から 剥いた蜜柑をすすっていた祖母の姿が忘れられません。

母には長生きして欲しいと心から思っています。

332 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/29(金) 17:02
お年玉の所ですごくもう……せつないです。
秋頃から入院していたうちの祖父は
私達孫にお年玉を渡すのをとても楽しみにしていたそうです。
なのにお正月の朝急に容態が悪化し、手も動かせなくなって。
枕元で祖母からお年玉を受け取る私達を
じっと見つめていた祖父の優しい目、忘れられません。

食べ物話じゃないのでsageます。ごめんなさい

333 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/29(金) 17:04
sage忘れた…
おじいちゃんにもよくおっちょこちょいと言われたなあ

334 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 00:13
>>331
いい話ですね。俺も自分のおじいちゃんのことを思い出しました

俺の祖父は12才の慰安婦に中出しして、
朝鮮人の頭を叩き割ってそこにションベンかけて
笑っていた偉い人でした。
親父も韓国人女子留学生をレイプしては、
殺して山林に埋めてそこに野糞をするような人でした

335 :おじいちゃんの口癖です:2000/12/31(日) 00:17
我々日本を愛する国士は戦後から現在までに激変してしまった在日の行動様式を問題にしているのであって、かつてのように同胞民族として天皇に忠義を尽くすということであれば在日を攻撃することはない。
戦後、それも高度成長期以降、平成になってから朝鮮右翼が
日の丸を振り、天皇陛下万歳といいながら、かつての一視同仁、八紘一宇
の大御心を否定する私利私欲の行動様式を取るようになったため、日本人
でない者による日本民族精神高揚運動は実際には日本民族精神破壊運動に
なってしまっている。特に統一教会の別働部隊である国際勝共連合などは、
あらゆる右翼民族派団体に侵入し、その情報を統一教会や右翼民族派陣営
と対立している組織に流している。朝鮮右翼は竹島問題で韓国に抗議行動
したりはしないように、その正体は反日であり、日本精神のホメ殺し
をしているのだ。

神の国日本万歳!!
在日を神の国から追い出せ!!
朝鮮人はみなごろしだ!


336 :名無しさん:2000/12/31(日) 00:23
オレは韓国女に欲情し興奮するイケナイ男だ。たまにテレビでも見かける在日韓国
人3世の辛・淑玉(しん・すご)は、細い目と頬骨が特徴的な朝鮮キムチ顔だが、
ハキハキと物言う姿に、オレの卑猥な妄想がかきたてられ、テレビに映る辛の顔に
ボッキしてしまう。”人材育成研究所・所長”とかカタガキぬかして、生意気な女
だ。 石原都知事の「三国人」発言に真っ先に反応したのもコイツ、辛淑玉様だ。
テレビを録画して辛の醜い顔に、何度もオレの臭いザーメンをぶっかけてやった。
辛・淑玉にチマチョゴリを着せて臭いキムチまんこに日本人の種付けしてやるのが
オレのもっとも興奮するオナニーだ。「キムチのクサさをお許しください・・・」
「辛・淑玉は、日本人様専用の韓国メス奴隷です。どうか、日本人様の子供をたく
さん産ませてください・・・」。涙をながして懇願する哀れな辛・淑玉・・・
オレの”奴隷リスト”には、ケイ・ウンスクや、スージー・カン、SESなどの、
ジャパンマネーに醜くしがみつき、日本人にこびながら生きる韓国女が含まれる。
日本のテレビに露出すればする程、そのペコペコ頭をさげる情けない姿に、
何にもかえがたい征服感をおぼえるのである。
今日も明日もオレに犯され続ける隣国のキムチまんこたち・・・・


337 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 00:25
ロッテホテル横の屋台でボラレマシタ。
注文した品より多いものを出し、「注文してない。」と言っても目の前で伝票を書き直してとぼけていました。ラチがあかないのでホテルの従業員とガイドと警察を呼んだのですが一切受け付ずしまいには逆切れです。奴等が言うには「おでん・チヂミをサービスしているのに間違えたかからといって文句いうな俺らが持ってきたものの金を払わないとは侮辱も甚だしい。」だとよガイドが注文オーバー分を立てかえると言ったからあきらめて払ったけど、注文ミスも警察呼ぶまで一切認めず。認めた後でも余分な注文ミス分の料金を払えと2時間以上喚きまくり。民度が低くて呆れました。
PS.ホテルの従業員は2:30-5:00迄交渉してくれたんですがね。(トラブル耐えないから余り行かない方がいいと言っていました。)ソウル行く人は気をつけて。


338 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 00:26
この前、韓国旅行行ったけど、337の人みたいに
飯食ってると2回に1回はボラれた。
それもボル必要のなさそうな吉野家みたいな普通の店とかでも、
他の国でもボッタクリは有るって言う人も居るけど、
貧乏でお金が欲しいからボラれるっていうのと感じが全く違う・・・
日本人だから嫌がらせしろ、って感じだった。
嫌な上司のお茶にいたずらしてやれ、みたいな。

でも、最後まで店員とかボリつつ親切そうなフリするからもうあきれて物も言えなかった。
親切な人多いって言うけど、親切な時は不自然過ぎる教育TVみたい。
でも悪い事する時は豹変する、裏表有りすぎ。

ビールとチヂミだけで3000円位取られたりとか
恥知らずすぎ、いいかげんにしてほしい

339 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 00:27
あーあー韓国人は日本で連続婦女暴行をしているのと同じく、ぼったくり魔でも
あることは有名です。
以前日本大使館員が地方で秀吉が攻めた後の遺跡を調査していた所、
それを見ていた強姦民国人に店に入って食事することを強要され、値段もふっかけ
られたらしい。その後詳細は忘れたが、大使館員が「戦争の傷跡を調査して〜なん
たら」といかにもチョンコが喜びそうなことをいった所、値段がぼったくり価格か
らさがったそうだ(笑

340 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 00:27
韓国では日本人からぼったくるのは良い事(正義)と
されているんじゃないかな?
日帝支配への復讐だと思ってるんだよきっと
だからテレビの前であろうとなんであろうとぼったくる
復讐に名を借りた金儲けならまだかわいげがあるが
本気で復讐するためだけにやってそうで怖いよ


341 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 00:27
あの〜、数年前にソウルに行ったとき、町中のケーキやさんで購入した
ショートケーキが日本では30年前ぐらいにとっくになくなったバタークリームケーキ(しかも無塩バター
使ってないので塩辛い)だったんですが、これがそのソウル唯一のケーキ屋
さんなんですってね!!キレイな所だったので、味との落差にひっくりかえった
ものです。
不二家並っつーか昔の結婚式の披露宴でもらうようなケーキだったよ。
韓国人ってかわいそう、とつくづく思いました(きょうび東南アジアのほうが
よっぽど旨いケーキがある)。


342 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 00:28
韓国料理って見た目が汚ねぇんだよな。
あと、器も最悪。
食べ方も嫌だ。
箸とスプーンを一緒に持って、立て膝で、ほおばって食べる。
辛い料理が多いので、味覚が育たない。

343 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 00:28
おぉ、チョン公ども、金髪レイプ王織原もやっぱりチョン公だってなぁ。
こらぁ、えぇ、日本国内の凶悪犯罪やチンピラヤクザも殆どがチョン公
なんだってなぁ、おぉ。

日韓併合で日本は朝鮮のインフラにどれだけ投資したかわかってるのかぁ、
こらぁ。今も金やら米やらどれだけ恵んでやってるのか分かってるのかぁ〜、
おぉチョン公ども!!。おまけに特別に永住権まで与えてやってる奴が何人
いると思ってるんだぁ、あぁ。その上、選挙権までよこせだとぉ〜、おぉ。
つけ上がるのもいい加減にしろ、チョン公!!!!!!!!!!。

今までの大恩を忘れ、口を開けば誹謗中傷と責任転換。これぞ正に
犬にも劣る恩知らずだなぁ、おぉ、チョン公ども。
お前ら所詮はアジアのゴミ、人類の恥部、地球のウンコなんだよぉ、 おぅ、
分かってるのかぁ、こらぁ!!。
このクズ、ボケ、カス、ゴミ、ウンコ、バカ、タコ、オタク、ヘンタイども、
こらぁ、己の分を弁えてるのか、えぇ。
エラ張ったでかい面みせるんじゃねぇ!!!!!!!!!!!!!



344 :>336:2000/12/31(日) 00:29
おいおい慰安婦の腐れマンコから生まれ落ちたチョン公を
あんまりいじめるなよ。ただでさえチョンに生まれてしまった
っていう障害背負ってるのに。この間まで日本人に殴られなが
ら炭鉱掘ってた奴らにしちゃよく頑張ってる方だよ。誉めてあ
げなきゃ。いじらしくてけなげじゃないチョンって。美味そう
にキムチ喰ってる奴らの顔って結構かわいいぜ、カニみたいな
顔しててさ。チョンを馬鹿にする奴は俺が許さないぞお!

345 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 10:40
最近、>>344他(うっとうしいから他略)のコリアン話題で
モニターを見る人々を煽るヒッキーが
食事系の板各所に出没しています。
こういった低脳なあおりに騙されぬように、
次のお食事話をお願い致します。

346 :もぐもぐ名無しさん:2000/12/31(日) 16:04
大学生の時、おれが初めてセックスをした彼女は
かなりの人数を経験しているようだった。
おれは彼女が本当に満足しているのか不安だった。
ある日突然、彼女がセックスをする前に
栄養ドリンクを飲み始めるようになった。
おれは少し自信がついた。

347 :名無しのオプ:2001/01/01(月) 04:28
腹が立つ話。

ウチの一家は全員甘いものを好む。
そのせいか母親はよく暇な時にさつまいもを使ったお菓子とか、
ケーキを作っていたもんだ。
幸い、一家全員横幅が大幅にオーバーすることはなかったけど(笑)

それで三年位前。俺が大学生で妹が高校生くらいだったかな。
どうやら妹に同級生の彼氏ができたらしい。
で、今度の日曜日はその彼氏の誕生日だと。
妹と母親は大張り切りでクレープを何段重ねにもした(ミルクレープって
言うんだっけ?)誕生日ケーキを作っていたんだよ。

で、ケーキ完成。余ったら俺にくれることになった。
そんで日曜日の夕方に自宅に戻ってくると
誕生日パーティはお開きになったらしい。妹は楽しそうだった。
まだケーキが余っていたんで貰った。
とても美味しかった、以上。
え? どこが腹立つ話かって?
……腹が立つんだよ(笑)

348 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/02(火) 10:40
初詣あげ

349 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/02(火) 12:23
http://www.h2.dion.ne.jp/~denro/

350 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/03(水) 14:36
僕の会社の先輩が話してくれたことなんですが
その先輩は小さい頃に家族が交通事故に遭い、母と祖父、妹をなくしたらしいんです。(父は離婚したそうです。)残ったのは祖父だけだったんですが、その祖父も高齢だったんで親戚がその先輩を引き取ろうという話になったらしいんです。しかし祖父は先輩を親戚に預けず、自分で育てることを選んだそうです。先輩の家は小さな酒屋で、祖父はその酒屋の経営で先輩を育ててくれたらしいんです。
先輩が大学を出て(国立です!!)会社に入社した頃、親戚の宴会に祖父と一緒に参加したらしいんです。先輩はお酒を飲んだせいか感傷的になり、祖父に泣きながら育ててくれた事への感謝などをしたそうなんです。そうしたらその祖父は、「おまえも家族を持つことになればわかること。家族を背負うのは大変なことだがそんなに辛い事ではない。おまえを育てることになって生き甲斐が出来きた。」みたいなことを言ったらしいんです。
宴会でお酒を飲むとその時の事を思い出すそうです。その祖父も10年位前に亡くなったそうです。その時は家族が死んだとき以上に悲しかったそうです。
料理とは関係なかったんですがいい話だったので書きました。

351 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/03(水) 16:39
子供は里芋のにっころがしや大根の煮付けなど、
好んで食べるものじゃない。だけど、祖母と同居していた頃は
そういうお惣菜がいつも食卓にあった。
子供ながらに「ばあちゃんがせっかく作ってくれたから」なんて
思いながら口にすると決って、ばあちゃん
「里芋、腐りかけてたんだけど、どう?」とかって言う。
言わなきゃいいのに・・・。こちらも食べる気無くしてしまう一言。

でも今、自分で料理して家族に食べさせるときに、同じ事してるんだ。
「ちょっと賞味期限切れちゃったんだけど・・」
「ちょっと色が悪くなってたんだけど・・」
食材がちょっとなんだけど、食べられるように作ったよって
言いたいのか、自分が料理してる姿を思って欲しい、って感じなのか。
なんとなく、おばあちゃんの気持ちがわかる。
里芋見るたびに、おばあちゃんに見つめられながら食べた
煮っころがしを思い出す。

352 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/07(日) 18:40
sagaってる・・・

353 :名無しさん@公演中:2001/01/08(月) 04:46
つわりがひどかったとき、季節はずれの桃が食べたくなって、
旦那に言ったら、買ってきてくれました。
かなりぐすぐすになってたけど、探し回ってくれたことがわかってたので、
食べました。

ただし、出産後も、育児中のいまも、果物と言えば桃を買ってきます。
(缶詰やけど)。
ほんとはあんまり桃は好きじゃないので、困るけど、
「ありがと」と言って食べてます。
おっちゃん(←私は旦那をこう呼ぶ)、私、ほんとはバナナの
方がすきなんです……。

354 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/08(月) 08:18
うちのばあちゃんは洋服屋をやっていた関係上、
台所に立つことがほとんどなく、料理はほとんど出来なかったらしい。
だから、帰省して食べるばあちゃんの料理は、あまり美味しいもの
ではなかった。

ところが、一度だけ、心の底から「美味しい」と感じたものがあった。
有る時たまたま作ってくれた、筍の煮しめである。
あまりの美味しさに、鍋いっぱいの筍を全部一人で平らげてしまったのだ。

それを見たばあちゃんは、大層喜んだ。恐らく、ばあちゃん自身も
自分の料理にコンプレックスを持っていたのだろう。
それからは、俺が帰省する時には、ばあちゃんは
必ず筍の煮しめを作るようになったとさ。

355 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/08(月) 09:24
>350

>母と祖父、妹をなくしたらしいんです。(
>父は離婚したそうです。)残ったのは祖父だけだったんですが、

 ん?祖父って生きてるの?死んじゃったの?
たぶん祖母の間違いなんだろうけど、
こういう間違いがあると
どうしてもネタに読めてしまう・・・・



356 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/08(月) 14:12
>>355
多分祖母の間違いでしょう、文脈からいうと。
ネタも実話も笑いながら、そして泣きながら読んでます。
つうか、どっちでもいいじゃない?いちいち区別しなくても。


357 :355:2001/01/08(月) 14:59
スマソ

2ちゃんではネタ?という感じの書き込みが
ゴロゴロあるんで、つい・・・・・・

358 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/08(月) 18:54
作る(と言うほど大げさではないです)話ですが。
小学校低学年の頃、始めてハウスの牛乳を温めて作るプリンを作りました。
カップ氷水の上に並べて、牛乳を軽量カップで測ってお鍋に入れてと、
手順通りに進めてプリンを冷蔵庫に入れて冷やしました。
あとは、固まるのを待つだけ・・ってところで3才年上の姉が
カラメルソースを作ってしまったのです!!
怒りながら激しく泣きました。全部自力で作る気でいたのに・・。
その後は怒りが収まらず、意固地になってプリンは食べなかった気がします。

30を超えた今でも、ちょっと恨めしかったりします。

359 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/01/09(火) 11:31
こっちのスレでは、なるべく野暮ったいことしないでくれや。

調度いいの建てといたんで、そっちでやってね。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=979007328

360 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/01/09(火) 12:00
正月で実家に帰ったときに、男友達から飯に誘われ(俺も男だが)、
ハンバーガー持って、町の名所にいって、海を見ながらもぐもぐ食べてました。

特に、美味しくも感動的でもなかったのだけど、
なんだか、このスレッドが思い出されました。
海を見つつ、「これも思い出の食事になるんだろうか?」と、
必要以上に神妙な気分になってしまいましたよ…。




361 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/10(水) 04:18
このスレ大好きです。

362 :350:2001/01/10(水) 12:48
すいません・・・。亡くなったのは祖父ではなく祖母の間違いでした。
やっぱりネタだと間違うんですかねぇ?というのは冗談ですが。実話です。間違えてしまって本当に申し訳なかったです。

363 :355:2001/01/10(水) 16:31
>350
 ごめん。このスレのパート1のほうで、
間違いを指摘して「ネタだろ!」と書き込むのを
よく見かけたので・・つい・・

 マジごめん

364 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/11(木) 02:02
思い出に残る食事とは少し違いますが・・・。

母の話によると、私は母乳で育ったそうです。
生後6ヶ月も過ぎた頃、いつものように母乳を
あたえていた時に、思わぬ激痛が。
なんと、私は生え始めた乳歯でおもいきり乳首
を噛んでいたそうです。
母はすぐさま病院に行ったとのことです。

365 :サンドイッチ:2001/01/11(木) 02:41
店は小さかったけどうまいサンドイッチを売ってる店が会社のそばにあった。
店のおじさんとは特に親しく話をしたわけじゃないけど、顔を覚えてもらえるくら
いにはなっていた。
でも自分が会社を休んで旅行に行ってる間にまさかおじさんが不幸な出来事で亡く
なってしまった。
今でも時々そのおじさんのメンチカツの挟まったサンドイッチの味を思い出す。
思い出した後、もう二度と食べられないんだな、と残念になる。

366 :名も無きマテリアルさん:2001/01/11(木) 16:20
今更ですが。

最初のスレの最後のくだり、俺、結構好きでした。

残念ながら、1さんのリンク先は、その部分が切れてますよね。
手元にここの部分も入ったログが残ってましたので、
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1466/951552846.html
に、取り合えず上げときました。

ただ、ここにいつまでも置いておくよりも、1のリンク先を入れ替えてもらった方が、
みんなが見やすくて、都合が良いと思います。

お手数ですが、1さんお願いできませんか?

367 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/15(月) 13:00
age

368 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/15(月) 13:52
>>366
どうやって入れ替えるの?
スレを立て直せと?
このネタこれ以上伸びそうにないんだよね
もう最盛期は過ぎてしまったし・・・
そろそろ終了かな?

369 :366:2001/01/15(月) 22:05
>>368
1のリンク先のファイルを入れ替えれば良いのではないかと思います。
スレを立てなおす必要は無いですよね。

面倒なら結構なんですけど。

370 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/15(月) 22:14
次スレが立つまでここが持つかどーかが問題ってことだろ?>366
立つとしてもその時まで366のURL覚えてる人いないだろう、きっと。

いや過去ログアップは助かるんだけどね…


371 :名も無きマテリアルさん:2001/01/16(火) 12:26
366
既出だったみたいですね。見落としてました。

372 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/16(火) 22:21
実父は金持ちだった。
でも、自分の所得をいつも人の為、人がよろこぶことに使っていた。

その父が癌になった。
最後に一緒に食事したのが大学病院の地下の食堂だった。
世界中を回って、世界中の食べ物をたべてきた父と
とてもシンプルなうどんを食べた。

そう言えば、育ててくれたばあや(イヤミでしたら、ごめん)と
最後に食べたのも、麺類で、近くのラーメン屋でだったな。

思いださせてくれて、ありがとう。


373 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/17(水) 11:28
お年よりの思い出、みなさん多いですね・・・
読んでたら、79歳になる姑を、今までちょっと敬遠してました
(いろいろ傷ついたことがあって)が、今度家に泊まりにきてもらおう、
と考え直しました。夫のお母さんだしね。(一緒に思い出を作る時間も残り少ないし)
でも歯がほとんど無い人なんだけど、どんな料理作ったらいいんだろう・・

374 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/19(金) 22:00
私の祖母は92の長寿でしたが、最後は老衰で入院して



375 :374:2001/01/19(金) 22:10
続き
叔母達や従姉妹達と交代で病院に食事をさせに
通いました。無理矢理まずい病院食を口に運び、
「食べないと退院できなくなるから」などと
言って・・・。そして食べ物が喉を通らなくなる時
がくると、前にそんなことを言ったことをとても
後悔しました。

こんなことを書き込むのは止めようと思って、
消していたところ、あやまって送信してしまいました。
ごめんなさい。 でも祖母を看病できたことは
とてもよかったと思っています。


376 :ゆんぼくん:2001/01/23(火) 02:17
私は駅弁を食べると必ず思い出す事がある。
あれは・・18の時だったかな〜〜。
私が九州に住む男性と恋をして、その人の家に遊びに行くって話になったの。
新幹線の切符も手に入り、あとは父親の了解を得て、
荷物をまとめて出発するだけって感じでとんとんびょうし!

出発前夜、私は心の準備をして、両親に九州に遊びに行く事を告げたの・・。
したら父親が半ば反狂乱状態になっちゃって・・・。
大声出して「二度と帰って来るな!!一生そっちで暮らせ!!」って言うから
私はすごく恐かったけど、18でめいっぱいの意地張って、
「わかった・・もうここには帰って来ないから・・」って言ったの。
私は淋しくて、悲しくて、いっぱい恐くて、その晩、布団被って
ずーっと泣いたよ・・・。
次の日、母親には新幹線の出発時刻だけ教えて、私は朝早く家を出た。
東京駅に着き、新幹線ホームまで辿り着いた私は、乗ろうとして思わずハっとした!
ホームの向こうから、キオスクで買ったお茶と幕の内弁当を持って父が笑ってた!!
私は目を疑ったけど、ほんまもんの私の父だった。
私は溢れ出る涙を堪えられなかった。
出発するまで、父親は何にも話さないで私に買ってきたお茶をガブガブ飲んでた。
私は泣いて泣いていっぱい泣いて、息が出来なかったのを鮮明に憶えている。
それで強く強く思った・・「あ〜〜別れてこよう」って。
それから十数年たった今も駅弁を食べると思い出す、あの時の事を・・・。

377 :もぐもぐななし:2001/01/23(火) 03:36
よくわからない・・・。
何でお父さんがけんかしてるのにくるの?
なんでそれでわかれようって思うの?

うーん、何かいいことが隠されてるんでしょうが、
ちょっと理解できない。
詳しい解説きぼん。

378 :376ではないけど:2001/01/23(火) 09:12
(父の思い)一時の感情でかっとなって怒り狂ったが、
やっぱり自分の娘は可愛いくて、心配だ。
だから、駅まで行った。

(娘の思い)何もしゃべらなくても、娘には父親の思いが
伝わり、娘は自分が親からとても愛されていることを実感した。
その親と、つき合っていた彼のどちらが好きか? と考えると、
当時の自分には親の方が大事に思えた。だから、彼とは別れる
ことにした。

ってことじゃないの。素敵な親子関係が感じられる良い話だ。

379 :ゆんぼくん:2001/01/24(水) 00:48
>>378さん
私の気持ちを、また父の気持ちも理解してくれどうもありがとう。
とっても嬉しかった・・。

380 :眠れない7743:2001/01/24(水) 04:58
漏れが厨房の時の話だ。
当時いろいろ教育の実験、という言い方が正しいのかはわからないが、をやっている
中学校に通っていた。林間学校ではマッチ・ライター類持参禁止、火は自分で
木を擦り付けて起こすというルールだった。食器類も持ち込み禁止だったかな。竹で代用。

火を起こす練習も出発前に散々やった。今思うと教師の確信犯だったのだが
林間学校の日程は7月半ば。そんな時期の長野県なんて雨に決まっている。

豪雨の森に放り出され、なんとかテントを設営して雨をよけながら火を起こすが
当然木が湿気てしまって火は起きない。
仕方なく初日は、「支給」のトマト1個をかじって寝た。
生で食べられそうなものはそれだけだったので、翌日からは必死だった。
クラス中が結束して火を起こそうとした。2日目の午後遅く、ようやく火が付いた。

それからも、引率教師たちが放った魚を麻紐を編んだ網ですくって丸焼きにしたり、
鶏を絞めて食べたり、いろいろあったが
あの日無念の思いでトマトを食べたことは忘れられない。

そんな自分らが泥まみれのキャンプをした白樺の茂る森も、今は開発されて
ゴルフ場になってしまったらしい。
今でもたまに思い出すんだな。

381 :名無しさん:2001/01/25(木) 05:11
良いね〜

382 :大黒屋の天丼:2001/01/26(金) 01:38
母がすごく厳しい教育ママで、幼稚園の頃からお受験をさせられた。
小学校受験の時に、面接試験でドモって上手く喋れなかった俺は不合格となった。
その合格発表の帰りに大黒屋(浅草の有名な店)に寄って、母と天丼を食べた。
一緒に受験した友達らが全員受かって、俺だけ落ちたことに母は異常に腹を立てていた。
「アンタは何をやってもできない子だ」「私はすごく恥ずかしい」と食べてる間中、
責められ続けた。俺は泣きながら「ごめんなさい」と謝って、天丼を食べていた。
6歳だったが、この光景はハッキリ覚えている。

結局俺はそれからもたいしていい学校にも入れず、母にゴチャゴチャ言われ続けた。
あんまり嫌になってので、大学は遠く離れた地方の国立に行って何年かは帰省しなかった。
「帰ってきて」と電話する母に、「もう嫌なんだよ。アンタに馬鹿だとか罵られるのは」
と言い、傷つけたまま帰らなかった。しばらくして実家にいる姉から「お母さんが病気に
なってる」と電話があり、初めて帰った。母はものすごくやつれていたが、俺の顔を見ると
すごく喜んだ。そして二人で昔よく行った浅草に行き、大黒屋に入った。俺が6歳の時の
受験の帰りの話をすると、母は「ごめんね。アンタを傷つけ続けてたんだね」と泣いた。
その涙を見て俺も、なんてヒドイことをしたんだろうと思った。2回目の天丼もなんか
しょっぱかった。

今では母親とすごく仲が良くなった。母に「また大黒屋に天丼食べに行こうね」と言われている。


383 :大黒屋の天丼:2001/01/26(金) 01:40
母がすごく厳しい教育ママで、幼稚園の頃からお受験をさせられた。
小学校受験の時に、面接試験でドモって上手く喋れなかった俺は不合格となった。
その合格発表の帰りに大黒屋(浅草の有名な店)に寄って、母と天丼を食べた。
一緒に受験した友達らが全員受かって、俺だけ落ちたことに母は異常に腹を立てていた。
「アンタは何をやってもできない子だ」「私はすごく恥ずかしい」と食べてる間中、
責められ続けた。俺は泣きながら「ごめんなさい」と謝って、天丼を食べていた。
6歳だったが、この光景はハッキリ覚えている。

結局俺はそれからもたいしていい学校にも入れず、母にゴチャゴチャ言われ続けた。
あんまり嫌になってので、大学は遠く離れた地方の国立に行って何年かは帰省しなかった。
「帰ってきて」と電話する母に、「もう嫌なんだよ。アンタに馬鹿だとか罵られるのは」
と言い、傷つけたまま帰らなかった。しばらくして実家にいる姉から「お母さんが病気に
なってる」と電話があり、初めて帰った。母はものすごくやつれていたが、俺の顔を見ると
すごく喜んだ。そして二人で昔よく行った浅草に行き、大黒屋に入った。俺が6歳の時の
受験の帰りの話をすると、母は「ごめんね。アンタを傷つけ続けてたんだね」と泣いた。
その涙を見て俺も、なんてヒドイことをしたんだろうと思った。2回目の天丼もなんか
しょっぱかった。

今では母親とすごく仲が良くなった。母に「また大黒屋に天丼食べに行こうね」と言われている。


384 :大黒屋の天丼:2001/01/26(金) 01:41
二重投稿スイマセン。

385 :もぐもぐ名無しさん:2001/01/26(金) 17:28
>>384
泣いちゃったよ。。。お母さんを大事にね。

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