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ポーランド

1 :ナポレオン:2001/07/25(水) 00:30
ヨーロッパ有数の親日国とされるポーランド。
悲運に翻弄されたポーランド。
『パン・タデウシュ物語』のポーランド。
マズルカとポロネーズの国ポーランド。
ピクルスもうまいポーランド。
ピウスツキ弟がアイヌ研究者のポーランド。
ソ連と戦争して勝ったこともあるポーランド。
ドンブロフスキのポーランド。
滅ぼされたるポーランド。
雨音はショパンの調べなポーランド。
造船所だよポーランド。
騎兵隊だよポーランド。
8時だよ全員集合。
少し語ってみませんか。
・・・50レスくらいつけば成功かな。

2 :8時じゃなくて0時だよ:2001/07/25(水) 00:44
ヤン・ソビエスキ萌えー

3 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 00:54
自由=正義というヨーロッパお決まりの図式が成り立たなかったポーランド。 日本並みに戦士階級の割合が多かったポーランド。

4 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 00:55
なんのかんのいって、そのうちまた大国化しそうだな

5 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 01:20
シュレジエン 取るのはひどいよポーランド ドイツ人しか 住んでないのに

6 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 01:29
ポモルスカ騎兵旅団

7 :かきつばた:2001/07/25(水) 01:31
>>5
ポーランドに責任はないのです。
ソ連はドイツと直接国境を接していなかったので、ポーランドの東
部を削り、その埋め合わせとしてシュレジェンとポメラニアが譲渡
されたのです。

8 :ナポレオン:2001/07/25(水) 01:58
>>2
ヤン・ソビエツキ。ヤン3世でしたっけ。
オスマン軍を破ったことしか知らないです。
我らの向学のためにも、
何か語ることがありましたら是非どうぞ。
>>3
シュラフタ階級ですね。
『パン・タデウシュ』(映画版だと「物語」がつく)も、
シュラフタが主人公でしたね。
原作は読んだことないけど、映画はよかった。
トルストイと比べて1812年の意味あいがこうも違うのか、
と考えさせられましたが。

9 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 02:16
>>7
ウクライナやベラルーシもポーランドと同じ目に会ったんですか

10 :2:2001/07/25(水) 02:16
>>8
姓のスペルはSobieskiなんで、たぶんヤン3世ソビエスキが適切ですね。
それではお言葉に甘えて思いのたけを。

この人は第二次ウィーン包囲でウィーンを解放したのが有名なんで、
キリスト教世界を護るために戦った義将というイメージがあるんですが、
実際のところはそうでもないようです。
ポーランドは当時ウクライナを領していたわけですが、
ウクライナ・コサックは反抗的で、
しばしばクリミア・ハンやその背後のオスマン帝国と結び、
そこにロシアも絡んでウクライナを巡る戦争が頻発していました。
ヤン・ソビエスキも即位できたのは
「ホチムの戦い」でオスマン・クリミア連合軍を破り、
その名声によって議会で国王に選出されたからです。
ハプスブルク家と結んだのも、
一般に衰退期といわれるこのころのオスマン帝国が
実は17世紀の後半に軍事的な巻き返しを果たしていて、
スレイマン1世時代に勝るとも劣らない版図を達成しており、
各個撃破でウィーンが落されれば次はポーランドだ、という危機感と
オスマン帝国を叩けばウクライナの安定が見込めるという打算が
背景にあったと思われます。

結果的には、対トルコ戦によるポーランドとオスマンの疲弊は
まもなくピョートル大帝が即位するロシアに漁夫の利を与えただけだったのですが。

11 :YP:2001/07/25(水) 02:22
小学生の時に実家で購買してたアサヒグラフで見たポーランドの現状の写真で
『白人の国なのに貧乏な国があるんなぁ〜・・・』と始めて感じた記憶があり
ます。で、昔は大国だった事を知ってビックリ。
近年ではソヴィエトに戦争で勝った事もあるんですよね?

12 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 02:23
>>9
ソ連領のウクライナやベラルーシの西部にあたる地域は
第一次大戦でポーランドが独立したときに、
ポーランドにぶん取られてしまったのです。
第二次世界大戦のときにソ連はそこを取り返して、
ポーランドにはかわりにシュレジェンとポメラニアを
ドイツから没収して譲ってあげたの。

13 :スラヴァ:2001/07/25(水) 02:44
>>4
中世の一時期までは、実はロシアよりも大国だったんだよね。たしか
16世紀頃まで、現在のポーランド本国の領土に加えて、ウクライナ、
ベラルーシ、ドイツの東方を領土にしていた。(やや、あやふや)


ロシア、プロイセンという新興国が勃興した時期に選挙王制のせい
で、権力の集中が遅れ、結果絶対主義国家に移行する事が出来ず元々
地政学的に不利な位置に属することもあって、弱体化。ロシア、プロ
イセンに分割併合されてしった。その後第一次大戦後まで独立を回復
できず。

>>7
ベラルーシは、1939年の第二次ポーランド分割で、東部ポーランド
西部ベラルーシを併合して、領土が2倍になった。東部ポーランドは
戦後返還されたのかな。手元に資料が無い物で。
ウクライナも戦後、リヴィウを含むウクライナ人居住地域を領土とし
て得た。

私の勉強しているモスクワ言語大学にポーランド人の友達がいるんですが、言語的に近いだけあって、ロシア語上手ですね。でも、しばし
ばポーランド訛が…

14 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 10:13
>>13
>地政学的に不利な位置に属することもあって、

近世そして先の戦争後まではとくにその地政学的位置が不利に働きましたが、
中世ポーランドが欧州一の大国だったのもその地政学的位置のおかげ。
そして現代ですが、国際的な資本主義の時代になってきてその東西欧州を結ぶ
地政学的位置が再びポーランドに利するようになってくると思います。
対外債務の返済が一段落し金融システムが安定化したところで、
ポーランドは一気に欧州の先進国にのしあがるのではないでしょうか?
一部の試算では、それへの転換点は2005年前後とされるそうです。

ちょっと国際情勢板っぽくなってしまった。

15 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 10:30
人口四千万の、EU諸国と比べると大国に相当するポーランドが
ヨーロッパでトップクラスの先進国となるということは、ヨーロッパ随一の
親日国が一流国化するわけで、これは日本にとっては歓迎すべき話だろう。
日本は今からポーランドとの結びつきを深めておけば、EU加盟後は
仁義と恩を重んじる西スラブ人特有の性格から、事あるごとに
日本を擁護してくれるようになるのでは?

16 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 11:23
>>14
>ウクライナ、ベラルーシ、ドイツの東方

あと、現在のリトアニアとロシア西部・ルーマニア・ハンガリーの一部もね。
貴族(シュラフタ)階級は、どこの出身でも全部ポーランド人とされ、親戚同士だった。
農民階級は近代になって民族意識が芽生え、ポーランド語を話さない農民達は
それぞれの民族として独立していった。
ポーランドは政治上「王国」だったが、実際はいわゆる「帝国」の要素の方が
多かったわけだね。

17 :Cipher:2001/07/25(水) 17:35
実際、ポーランドへの投資額は日本が一番 多い

18 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 20:14
>>11
おれもポーランドが昔の大国だって知って吃驚した。
しかも一時期はヨーロッパ最大の領土を保有。
ヤゲロー朝に興味沸いたよ。

19 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 22:55
>>18
ヤゲロ朝が断絶しなかったら
ロシア〜モスクワ大公国にかわってポーランドが北東アジアの覇者になってたかもしれないね。

20 :世界@名無史さん:2001/07/25(水) 23:02
>>20
そうかもね。
つくづく運のない国だと思うよ。

ついでに世界史+競馬好きより
ピルサドスキー・ダンジグ
ポーランド人は泣いてるぞ・・・
農水省なんとかしろよ

21 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 00:23
ポーランドと言えば蒸気機関車

22 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 00:38
>>20
>ピルサドスキー・ダンジグ
命名したのはヨーロッパの人だからねぇ。

23 :天之御名無主:2001/07/26(木) 01:18
可哀相になあ。中世の大国が、20世紀初頭には笑い話の馬鹿な民族といやあ、
ポーランド人だって揚げられる始末だもんなあ。

24 :世界@名無史さん :2001/07/26(木) 01:19
っていうか、どれくらい貧乏(だった)なの?

25 :ナポレオン:2001/07/26(木) 01:41
おお、1日で結構なレスが。
>>2氏、スラヴァ氏、その他の皆様に感謝感謝。
私も知識ではわかっていても、
どうしてもポーランド=大国というイメージが涌きません。
くだらない発想だけど、
ドイツの宗教改革とか30年戦争にガンガン介入してたら、
我らのポーランドに対するイメージも変わっていたのかも知れませんね。
>>10
ソビエスキ、なんですね。
17世紀のヨーロッパ地図を「ポーランドの視点で」みてみると、
確かにクリミアとバルカンからオスマン帝国に包囲されているように見えますな。
なんか、すごく新しい発見をした気分です。
ゴーゴリの『タラス・ブーリバ』って、
このころのウクライナ・カザークを題材にした小説ですよね。
>>15
いいたいことはとてもよくわかるのですが、
折角向こうが親日的でいてくれるのに、
こっちが打算で動くのもどうかと思いますが。
それにしても、人口4000万ですか。フランス並み?
>>21
なぜに蒸気機関車? 勇敢号とかのことですか?

26 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 02:48
ダンジグはそれでいいんだよ。馬主はアメリカ人だし、
ウエブスターの地理事典でもダンツィークになってる。
ハンブルクのことをハンブルヒなんて言わないだろ。
ピルサドスキーは三省堂の固有名詞辞典だとピルスツキ、
ただし使用頻度の少ない例としてピルサドスキもある。
ポーランド語読みではピウスツキだが、馬主はイギリス人。

27 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 06:11
ニアークティック(『北方圏』)とネイティヴダンサーの娘との間の仔が
ノーザンダンサー(『北方の舞踏家』)、
ノーザンダンサーとアドミラルズボヤージュ(『提督の旅』)の娘との間の仔が
ダンズィグ(ポーランドの軍港ダンツィヒ)、
ダンズィグとパストエグザンプル(『過去の例?』)との間の仔が
ポリッシュプリシーデント(『ポーランドの慣例』)、
ポリッシュプリシーデントの仔がピルサドスキ(ポーランドの革命家ピウスツキ)…。

欧米の馬名は由来に含蓄があっていいねぇ。

28 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 10:05
>>25
ポズナニの近くの有名なヴォルシュティンの路線では?
一般の列車運行にフルスケールのSLが使用されているのは世界にここだけ。
ポーランド国鉄も積極的に使いつづけるつもり。
世界中の鉄チャンの聖地だそうな。

29 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 10:17
>>25
>ドイツの宗教改革とか30年戦争にガンガン介入してたら、

その時代のポーランドは大土地所有の貴族(マグナート)による
寡頭政治の時代で、いわゆる現代の多党連立政権のような
政治の統一性が失われていた時代だったから、国際問題に
関しては政策の一貫性がなかった。当時のポーランドは
小国分立の帝国の様相を呈していたから、それぞれのマグナートが
それぞれに対外関係を構築していて、一国家として他国に
介入するのが難しかったんだよ。

30 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 12:01
>>24
近代までは、貧乏というより、貧富の差が大きかった。
金持ち貴族はヨーロッパ最大の地主の集団で、
貧乏な農民は自営が立ち行かなくなって農奴状態に(再版農奴制)。
第一次大戦から第二次大戦までは金融システムの未整備と
ドイツ銀行による外国からの借款に対する妨害活動で
経済が第一次大戦前のレベルには回復できなかった。
それでも国民生活は当時の日本よりはずっと上だったが。
戦後もわりと物質的には豊かだった。
50年代の共産化により70年代半ばまでは経済的には良好(ちょうど
ポーランド映画の黄金期と符合する)。
70年代以降経済低迷。労働運動の激化で生産が滞り、
89年の共産圏初の民主化によって徐々に回復。
現在一人あたりGDPは5000ドル弱だが、激動の歴史を歩んだ
彼らも生活の仕方を心得ていて実際は少なくともその2-3倍というのは
周知の事実。周辺国の統計と単純比較はできないという典型的な例。

つまり、近年のポーランドの貧乏時代というと、1980年前後という事になる。

31 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 14:43
>このころのウクライナ・カザークを題材にした小説ですよね。

去年かおととし、コサックの反乱を描いた
ポーランド時代劇映画「炎と剣」が公開されたが、
誰か観た人いる?

32 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 16:33
>>29
東のロシアがまだ弱かったから
ちょっかいを出しやすかったことも大きいでしょう。
ロシアの「大動乱」にポーランドは深く関わってたよね。
30年戦争のころはヴァーサ家から国王が出ていたから
王の実家のスウェーデンと喧嘩してたり。

それに、ポーランドのシュラフタには
リトアニア系や正教徒も混じってたらしいから
宗教戦争への情熱もなかったんじゃないかな。
もう少し前の時代だけど、ポーランドは
カトリック教会に異教徒を使って戦争をしていると
非難されたことがあった。

33 :世界@名無史さん:2001/07/26(木) 17:41
>>27
そうだったのか・・・ポリッシュプレジデントって書くから
てっきりPresidentなんだと思いこんでたよ

ちなみにポリッシュパトリオットやらポリッシュネイビーなんてのもいるな
いずれもダンジグつながり

34 :27:2001/07/27(金) 01:09
>>33
http://www.iol.ie/~raybally/group1/pilsudski.html
Polish Precedentになってるよ。
ピルサドスキの馬主がPrecedentとPresidentを間違えて
『ポーランド大統領』→『ピウスツキ』
のつもりで名前を付けた可能性もあるかも。
でも、ピウスツキは独立の父で初代国家主席だけど
自ら大統領になったことはない。

35 :世界@名無史さん:2001/07/27(金) 01:55
昔ポーランド人が日本に遊びにきていて、おみやげだといって
切手をもらった事があった。
コシェーシコ(コシューシコ?)って人なんだけど英雄らしい。
有名な人なんですか?

36 :世界@名無史さん:2001/07/27(金) 01:58
>>35
切手の絵の人物が「コシェーシコ」だそうです。
そういう発音だったような。
何百年も前の人なんでその人が日本に遊びにきていた
訳じゃないですが(w

37 :世界@名無史さん:2001/07/27(金) 02:03
>>35
アメリカ独立戦争にも、ワシントンの副官として参加した
ポーランドの英雄です。<コシューシコ
ポーランド分割を阻止しようと奮闘しましたが、最後にはロシアに
捕らえられてしまいました。悲劇。

38 :YP:2001/07/27(金) 02:15
そういえば、まだ「カチンの森」と「ワルシャワ蜂起」が話題に挙がってませんね?
もう少し先の話題かな? 宜しければ詳しく教えて頂けませんか? 

39 :18:2001/07/27(金) 02:32
>>19
なかなか魅力的な展開になったはず。
もしかしたらオスマン帝国の侵略がかなり阻害されたかも。

40 :世界@名無史さん:2001/07/27(金) 03:03
ポニャ、ポニャ、ポニャコフスキー!

41 :世界@名無史さん:2001/07/27(金) 03:15
ポーランド懐古  落合直文

一日二日は晴れたれど 三日四日五日は雨に風
道の悪しきに乗る駒も 踏み煩ひぬ野路山路
雪こそ降らね冴え返る 嵐や如何に寒からむ
氷こそ張れこの朝 霜こそ置けれこの夕べ
ドイツの国も行き過ぎて ロシアの境に入りにしが
寒さは愈々勝りきて 降らぬ日もなし雪霰
淋しき里に出でたれば ここは何処と尋ねしに
聞くも哀れやその昔 滅ぼされたるポーランド
彼処に見ゆる城の址 ここに残れる石の垣
照らす夕日は色寒く 飛ぶも淋しや鵠の影
栄枯盛衰世の倣い その理は知られども
かくまで荒るるものとして 誰かは知らぬ夢にだに
存亡興廃世の倣い その断りを疑わむ
人は一度来ても見よ 哀れ儚きこの所
咲きて栄えし古の 色よ匂いよ今何処
花の都のその春も まこと一時の夢にして

42 :世界@名無史さん:2001/07/27(金) 03:18
下から4行目の「断り」は「理」ね。
旧独露国境の東側を歌っているので、
今の地図で言うとベラルーシになる。

43 :ナポレオン:2001/07/27(金) 08:51
>>25
わかってますって、ないものねだりなのは。
でも、ほら、日本人のイメージって、そんなもんでしょ。
ドイツとかフランスと積極的にかかわると、
みんな覚えてくれる、っていう。
>>38 YP様
どうも、いつもお世話様です。
そういえばまだ出てきませんねえ。
今はちと忙しいのであれですが、そのうち書きますよ。
とりあえず豆知識をいうと、
アンジェイ・ワイダの父親はカチンで殺されてます。
>>41
いつか出ると思ってましたよ、ポーランド懐古。
>>1にもちょこっと書いてるしね。
第1次大戦前の独露国境だから、
ホントのポーランドでいいんじゃないですか?
当時はワルシャワもロシア領ですし。

44 :&:2001/07/27(金) 13:16
ヤドヴィガ、萌え

45 :10:2001/07/27(金) 16:44
>>25
ゴーゴリなんてドキュソな私は読んだことないです。(汗)

ポーランドってカトリック国なのに
異教的な雰囲気が強い気がするんですが、
それってウクライナのほうでコサックやらタタールやら
元多神教徒のリトアニア人やらと付き合ってたからかなぁ、
なんて思うのですが、どうなんでしょう。

46 :世界@名無史さん:2001/07/27(金) 17:48
「ポーランド南部で洪水。24人死亡」
最近多いね。ポーランドの洪水。

47 :αジョーカーω:2001/07/27(金) 20:09
ハンガリー人やチェコ人やロシア人やエストニア人の
ポルノ女優やモデルは大活躍しているけれど、
ポーランド人は余り聞かんなぁ。

48 :ナポレオン:2001/07/28(土) 03:00
>>45
あらら・・・、そうでしたか。>ゴーゴリ
わたしも読んだことないですけどね。
『パン・タデウシュ』はどうです?
カトリックといえば、
ポーランドは領土の移動が激しいから、
どっからどこまでがカトリック地域なのかよくわからんです。
戦間期にソ波戦争で獲得したカーゾン線以東の領土って、
正教圏ですよね?
異教的、かどうかはよく知らないですが、
あまりカトリックという言葉のイメージでとらえては
いけないような気がしてきました。
>>28
鉄道のことはよくわからんのですが、
大井川鉄道ではだめなんですかね?>SL
>>47
昔、某傭兵隊長がヴァレフスカ夫人(ボナパルトの愛人)をとりあげて
ポーランドには美人が多い、なんて書いてましたが。

49 :世界@名無史さん:2001/07/28(土) 03:06
ピウツスキで〜す
JCで○○○びんびんだよ〜

50 :世界@名無史さん:2001/07/28(土) 08:18
>>49
カタカナ表記だと「ピルサドスキー」と書かなきゃいけません。

51 :名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 09:56
ポーランドの英雄コシューシコって顔がかっこいいよね。
教科書にちょこっと載ってた。
何をしたんだか知らないけど。

52 :世界@名無史さん:2001/07/28(土) 21:46
ポーランド人はドイツ人を嫌い
       ロシア人を特に憎悪し
       チェコ人を軽蔑し
       ハンガリー人を同胞視し
       フランス人にあこがれ
       イギリス人を警戒し
       日本人に興味を持ち
       アメリカ人をバカにし
       ベトナム人を蔑み
       リトアニア人に失望している

だからポーランド人が国際交流の場に出たりするとあまり友達ができない(実話)

53 :52:2001/07/28(土) 21:48
ただカトリックなだけにイタリア人を良く思っているようだ。

54 :世界@名無史さん:2001/07/30(月) 00:30
>>52
(ワラ。

55 :YP:2001/07/30(月) 00:38
>>52
ヨーロッパ諸国なんて多少の性格こそ違え、どこもそんな感じじゃないの?

56 :世界@名無史さん:2001/07/30(月) 00:47
終戦後、ドイツ人が日本人に言った。
「イタリア人はチャランポランだ。今度は俺たちだけでやろう」
イタリア人も日本人に言った。
「ドイツ人は堅苦しくていけない。今度は俺たちだけでやろう」

57 :世界@名無史さん:2001/07/30(月) 00:49
>>56
おそらくイタリア人は昨夜のナンパの総括をしたものと思われ

58 :ナポレオン:2001/07/30(月) 06:27
あうー、やっぱ50レスを過ぎると書き込みが減ったなあ・・・。

59 :ポーランド情報:2001/07/31(火) 01:02
>>46
2001年7月26日(木) 20時10分

ポーランド南部で洪水、24人死亡(時事通信)
 【ベルリン26日時事】ワルシャワからの報道によると、ポーランド南部を襲った豪雨による河川のはんらんで、クラクフなどの主要都市が洪水に見舞われ、26日までに少なくとも24人が死亡した。
 洪水警報が発令されたクラクフや周辺の町では、数百人が高台などに避難。多くの住宅が水に漬かったり、濁流に押し流されたりした。

[時事通信社]

60 :アマノウヅメ:2001/07/31(火) 01:31
近頃ヨーロッパは水害多いですね。
私は幼児期に台風なら1,000人単位、事故でも100人単位という被害を
テレビで見てるんでさほど驚きませんが。

しかし、ヨーロッパの水害はあまり知らない。
とにかく被害者が10人単位というのは、やはり文明国です。

61 :世界@名無史さん:2001/07/31(火) 11:50
文化遺産が水浸しじゃ。
だいたい何で最近ヨーロッパでの洪水って増えてるの?
イタリアとか、フランスとか、ドイツとか。

62 :世界@名無史さん:2001/07/31(火) 12:01
ポーランドは北関東3県みたいなもの。関東南部(ドイツ)とセットで、元々は文化先進地からみて辺境ながらも地力があり、大きな権力も生まれていた。
稲荷山古墳とか、毛野国とか、平将門の勢力圏とか見ると感覚が似てる。ところが、発展とともに関東南部にどんどん質的な差をつけられ、メリット部分も後進ながら潜在的国力の大きい奥羽に取ってかわられてしまった。
気が付いてみると、関東南部と東北の間で存在感がなくなり、独立する力を失っていたということ。
近代にあてはめてみると、「栄光の歴史を刻んだことがあるかないか」の違いで、韓国(朝鮮半島)と似た立場になってしまった。よって今後の発展にも限界があるでしょう。

63 :世界@名無史さん:2001/07/31(火) 15:59
>>52
奥羽=ロシアってこと?

64 :>:2001/07/31(火) 16:04
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65 :世界@名無史さん:2001/07/31(火) 16:59
>>48
「隊長ブーリバ」だと、ポーランド人は嘘吐きで狡猾な連中とゆーことになってます・・・。
あと、ユダヤ蔑視バリバリ。

66 :世界@名無史さん:2001/07/31(火) 23:42
>>60 >台風なら1000人単位、事故でも100人単位 すごい数ですね。いつごろのどこの出来事なんですか?

67 :アマノウヅメ:2001/08/01(水) 14:22
>>66
昭和35年9月 伊勢湾台風死者・行方不明5200人以上
昭和38年11月9日 東海道線鶴見事故162人死亡
同日      大牟田三井三池炭鉱死者450人死亡
昭和43年8月18日 観光バス2台飛騨川に転落104人死亡

ざっとこんなとこです。やはり人災の部分が大きいんでしょうね。

68 :世界@名無史さん:2001/08/01(水) 20:34
木を切りすぎて土地に保水力がないんだろうな。

69 :茨城県民:2001/08/01(水) 21:33
自分の親父(1948生まれ)は小学校4年まで着物&下駄で登校。
それを聞いた母さん(静岡出身同年代)はカルチャーショックをおこしていた。
(当然同時代ではすでに、洋服で登校していたので)

全国的に見てもかなりヤバい地域だと思う。
ちなみに筑波あたりの話です。山間部ではありません、、

70 :マルコ:2001/08/01(水) 22:13
ポーランド人の友達がいます。カロル.ヴォイテオワさんです。
81歳のおじいちゃんですが、今も元気です。
カトリックの熱心な信者さんです。

71 :キエフ大主教:2001/08/01(水) 22:17
>>70
よその組のシマ荒らすなやゴルァ

72 :世界@名無史さん:2001/08/02(木) 14:23
>>62
よくそのような意見を聞くが、ポーランドはむしろ米ソあるいは米中に挟まれた
日本と立場が似ている。
ただ、隣国と陸続きであるかないかで歴史にあれだけの違いがでたと考えたほうが解りやすい。
今後は、日本が米国との同盟関係を重視するように、ポーランドは現に既に
NATOに加盟しているが、EUとの結びつきを深めていくと思われる。
政治的に安定化現在のヨーロッパでは、東西ヨーロッパの要衝として経済的な
メリットを得る機会が大きい。現在EUの対露経済活動にはポーランドが仲介者として
活躍している。
政治的に朝鮮に似ているのはチェコではないか?ドイツ圏(朝鮮の場合は中華圏)の
属国として、ドイツ中心の旧中欧思想の要となっていた。現在もEU全体より
ドイツとの関係が際立っている。

73 :世界@名無史さん:2001/08/04(土) 05:44
ポーランドもロシアなんかと仲良くなるより
ドイツの方がいいでしょうね。

74 :世界@名無史さん:2001/08/05(日) 05:48
ドイツ・ポーランド国境はもちろんオーデル・ナイセ線ですが、
なぜかシュチェッチン辺りで少し西側に入り込んでいます。
だれかその理由を知りませんか?

75 :世界@名無史さん:2001/08/05(日) 06:17
>>74
そういやそうだね。
共産側が河口を使いたかった?

76 :世界@名無史さん:2001/08/07(火) 11:38
>>74
単純にそれはシュチェチンがあるから。あの街を分断するわけには逝かないでしょ。

77 :世界@名無史さん:2001/08/08(水) 16:52
ポーランド、一見女性的なイメージがあるが、この国の歴史にはイブシ銀のようなシブさがあり、萌える。
平和な時代になって、最近は多くのスポーツで周囲の強豪国を凌駕しつつあるね。

78 :世界@名無史さん :2001/08/08(水) 17:16
ポーランドとリトアニアの関係はどうなのかな?
リトアニアは、ポーランドのことをあまり良く思っていないような話を
聞いたのだけど。

>>74
シュテッティンの併合はやり過ぎだったと思う。
もう国境の変更はあり得ないと思うが。

79 :世界@名無史さん:2001/08/09(木) 10:59
>>78
>ポーランドとリトアニアの関係

政府間関係・経済関係は良好。リトアニア民族に属する国民については、
貴族(シュラフタ)階級はパン・タデウシュ物語のように皆ポーランド人と
いう階級意識があった(ベラルーシ地方・ウクライナ地方・ラトビア地方・
ロシアの一部などの東欧一帯も同様)。この点は古代の「ローマ市民」と
似ているかもしれない。戦後多くのリトアニア系ポーランド人(つまり貴族)が
戻ってきたのは比較的自由なポーランドで、ソ連となったリトアニアには
殆ど戻らず、現在のリトアニア人は歴史的にポーランド人となる資格の
無かったリトアニアの被支配階級が大部分。つまり、かつての支配階級である
ポーランド人(貴族であるリトアニア系ポーランド人も)に対しては、
ソ連時代のマルクス史観による教育も手伝って、あまりよい感情を持っていないが、それも自由化後の経済関係の発展と共に
徐々に好転しつつある。

>シュテッティンの併合はやり過ぎだったと思う。

その考えならばドイツの東方植民そのものがやりすぎだったともいえる。
民族を中心にして領土を考えるとあの辺りは一筋縄では行かない。
フランク王国時代や神聖ローマ帝国(最初のドイツ国家)初期は、
エルベ川左岸やユトランド半島の島嶼部までスラブ人たちが住んでいた。
シュチェチンはもともとポモジャニェ族国家の首都で、異教の大神殿があった。
これからはポーランドのEU加盟を機に、国境が民族的にも意味を為さなくなる。
ドイツ国民も、もはや東部国境に関しては問題にしていない。
日本を含む東アジアの人々の方が、最近は少々民族主義的に物事を考える傾向が
あるのではないだろうか?

80 :78:2001/08/09(木) 15:46
>>79
>ポーランドとリトアニアの関係
なるほど、そのような関係があったんですか。
ご教示感謝します。

>シュテッティンの併合
ちょっとポ−ランドよりの見解かな(笑)。
国民国家による国境がほぼ確定した時点では、ドイツ人の都市でしたからね。
1945年のポ・独国境とポ・ソ連国境の変更は、戦争犯罪の一つとして記憶すべきでは?

>日本を含む東アジアの人々の方が、最近は少々民族主義的に物事を考える傾向が
あるのではないだろうか?
ちょっと首肯しがたいです。
民族主義的傾向は全世界的に見られるもので、時代的に見ても間欠泉的に吹き上がる
ものと思います。
東アジアにおける民族主義の傾向が世界的に見て特に強いとは思えないし、ヨーロッパが
民族主義の問題を克服したとも思えないですね。

>ドイツ国民も、もはや東部国境に関しては問題にしていない。
でしょうね。特に若い世代は。
政治的にみても、この問題を取り上げることは得策ではありませんし。
ただ、旧東部ドイツで培われた文化・歴史を大事にしようとする動きはありますよ。

旧ケーニスベルク地区の話が出てくると、色々あるんだなと思います。

81 :世界@名無史さん:2001/08/10(金) 11:12
>ちょっとポ−ランドよりの見解かな(笑)。
>国民国家による国境がほぼ確定した時点では、ドイツ人の都市でしたからね。
>1945年のポ・独国境とポ・ソ連国境の変更は、戦争犯罪の一つとして記憶すべきでは?

戦争犯罪?
国民国家による国境線確定というのは、第一次大戦の
プロイセン・ドイツ敗北による1918年のポーランド独立のこと?
当時のポーランドの国境線は当時の列強の間で決められたことで、
ポーランド回廊など政治的な不安定要因を残したままでは、
ポーランド政府(およびドイツ政府)としては完全に納得できることでは
なかった上に(それが第二次大戦の要因の一つでもあった)、もともとドイツと
ポーランドの関係というのは近代以前からの長い闘争の歴史の中で
考えるべき問題であって、1970年代に旧西ドイツ(旧東ドイツとしては
それよりはるか前)とポーランド間で正式に国境線確定がなされて「互いの
政府が完全な同意の上で解決したこと」が、全ての基本となるべきことでは?
ここで戦争犯罪などという言葉を使ってこの問題を蒸し返すというか
再検討するのは、日韓・日中・日露のさまざまな問題以上に不条理では?

旧ドイツ人居住地域における文化・歴史を大事にしようをする動きは
戦後の憎悪の時代と違い、現在のポーランドでは、政府間でなく、
ポーランドの住民とドイツ系旧住民との間の草の根交流を中心に
行われていることで、やはり東アジアとの民度の違いを感じる事例に
なっていると思う。
旧ケーニヒスベルクは露・独の住民同士の話であって、文化面ではポーランドは
全く関わっていない別ケースとなるので、ここで持ち出すのはどうかな?

しかし日本人でこのことに興味のある人の大半が>>78>>80氏のような考えを
もってしまうのは無理はないと思う。まだまだこの地域のことは、日本では
よく知られていないからね。

82 :梵阿弥:2001/08/10(金) 12:23
その昔、ポランド貴族は自らをサルマタイの末裔と考えて誇りにしておったそうな。サルマティズムと言うてな。

83 :世界@名無史さん:2001/08/10(金) 13:02
>>1

ピウスツキ弟がアイヌ研究者のポーランド。

最近NHKで日本の子孫がポーランドを旅する番組やってたよ。

84 :世界@名無史さん:2001/08/10(金) 13:21
>>82
サルマチア・バロックね。これはロマンチシズムから来た一種のファッション。
貴族全員でなく、フレンチモードとサルマチアバロックとで2つのファッションがあった。

85 :フニャフニャディ:2001/08/10(金) 15:02
>>81
カリーニングラード(ケーニヒスベルク)は、
ドイツ人のシルバー観光客に人気らしいですね。
「昔住んでた」とか、
「ソ連治下で発展が遅れたので、昔のふるさとに景色が似てる」
(w とか。
さらに、カリーニングラード州単独で
EUのオブザーバー資格を得ようとする動きすらあるらしい。

>>84
それは貴族の服飾についてのお話でしょうか?
そえぞれどんな傾向があったのか、解説ギボン。

86 :85:2001/08/10(金) 15:06
誤 そえぞれ
正 それぞれ

鬱なのでカリーニンの伝記探して読みます

87 :世界@名無史さん:2001/08/10(金) 15:19
>>85
同じことはサハリンでもいえるんだろうなぁ。
サハリンが日本領のままだったら、ひどい開発をされて
いただろう…

88 :世界@名無史さん:2001/08/10(金) 18:36
>>85
>それは貴族の服飾についてのお話でしょうか?

ファッションと言っても広義のファッションで、服装だけでなく
家の内装・ライフスタイルなど生活全般から、人生の考え方・政治思想まで
あらゆるところに、フレンチモードとサルマチアバロックがあったそうです。
服装や家の調度でいえばフレンチモードはもちろんフレンチスタイルで、
サルマチアバロックは東洋(トルコ)風というように。後者はしばしば
前者を「外国カブレ」と言って馬鹿にし、前者は後者を「垢抜けない奴ら」と言って
馬鹿にしていた。あくまでファッションの問題で、深刻なことにはならなかったが。
簡単に言うと、コーヒーはスタバに行くのとドトールに行く程度の違いか?(笑)
所詮はファッションにすぎなかったが、ポーランドにしかみられなかった
現象なので、調べると面白いかもね。

個人的には、サルマチアバロックのコントゥシュを羽織ったのが好き。

89 :78:2001/08/10(金) 18:46
>>81
私は、既に政治的に決着がついた件を蒸し返し、ドイツが旧国境を回復すべし
なんて言ってませんぞ。
誤解されているならば、念のため。

それでも1945年の国境移動(ポーランドにとっては東西両国境)と史上最大の
難民の発生が、ポーランド・ドイツにとって大悲劇であり戦争に伴う犯罪行為
の一つに値するのは事実でしょう。
その事実に対する記憶をお互いに保持しようとする動きは、ポーランド・ドイ
ツ間の教科書協議でもあったしその成果は現に活かされているはずでは。
そのことを言いたかったんですよ。

旧ケーニスベルク地区の話は、政治的にはもはや決着した旧ドイツ東部地域の
件が、予測しがたい歴史の流れ(ソ連・社会主義圏の崩壊)により、再び>>85
氏が紹介しているような形で出てきたことに感慨を覚えただけです。
冷戦崩壊以前は、もう歴史の彼方に消えたと思われる地域が意外な形で復活し
てきたことに対してね。
それに、ポーランド史にも深い関係がある地域だし。

この話題に触れただけで、「ドイツ復讐主義」のレッテルが貼られるのかな?

民度の違いについては・・・、スレ違いと思うので省略。
言葉がいささか不適切だと思うし、東アジアでも様々な取り組みはなされて
ますよ。

90 :フニャフニャディ:2001/08/11(土) 20:31
>>88
非常におもしろいですね。

ポーランドの山岳師団(旅団だったかな?)の制服に、
ジャケットの袖に手をとおさず肩にひっかけるというのがありますが、
あれが伝統的な礼装なのか、
はたまたサルマチア・リバイバルの産物なのか。
謎は深まります。

91 :世界@名無史さん:2001/08/12(日) 02:07
>>82
たしかサルマート族ってイラン系の騎馬民族だったよね。
なんで、ポーランド人が?

92 :世界@名無史さん:2001/08/13(月) 12:02
>>89
>その事実に対する記憶をお互いに保持しようとする動きは、ポーランド・ドイ
>ツ間の教科書協議でもあったしその成果は現に活かされているはずでは

そういうのはポーランド側が西部国境に関してドイツ側に借りがあると考えたから
自制がきいているだけなんじゃないか?政治的産物?

93 :梵阿弥:2001/08/13(月) 12:10
>>91
ポランドの東方(ロシアやウクライナ)の支配を正当化する為。敗戦前に陸軍が義経チンギスハン説を広めたのと似てる。民族意識というものについて考えさせてくれる。
16世紀前半から18世紀後半の現象とされる。
大戦間期のピウスツキの政策にも滲み出ているとも言われる。

94 :世界@名無史さん:2001/08/13(月) 13:24
>>93
ん?
ポーランド人がルーシやウクライナへ覇権を広げたのではなく、
ルーシ(&ベラルーシ)・リトアニア・クールラント・ウクライナ・スロバキア・
ザクセンなどの貴族たちが、ポーランドの貴族資格を求めて自然と
ポーランド共和国が拡大したんですが…。
支配は正当化するも何も、共和国拡大については下層階級との関係(再版農奴制の
広まり)以外もともと何の問題もなかった。
(蛇足だが、共和国内の農民反乱の数は隣国のドイツやロシアと比べると
二桁少なかった)
サルマチア主義が流行した背景は、プロテスタント諸国に急激に広まった侵略思想に
対して、心理的な防衛意識から生まれたロマンティシズムのようなもので、
カトリックと結びついて排外主義の温床となった。トルンかどこかでプロテスタント系
住民とカトリック学生の間で衝突があって、市長を含むプロテスタント側の
住民が9人死罪となった裁判事件があって、これが英国など西欧にポーランドに
対する偏見を助長した。ところがポーランドでの大事件はこれ1件だけだったのに
対して当時の西欧では、宗教に絡む弾圧事件は毎年何百件もあったのは、
ポーランドに敵対していた国々の政治的陰謀を感じさせる。

95 :梵阿弥:2001/08/13(月) 13:59
>>94
詳しいですね。ポランド貴族の資格にはどんな魅力があったのでしょう。
「東欧を知る辞典」によるとサルマティズムは16世紀後半から18世紀前半でした。訂正します。
シュラフタ民主制ってクリルタイと似てませんか。

96 :世界@名無史さん:2001/08/13(月) 14:15
>>95
ポーランド貴族の資格は、基本的には中央政府に
縛られない自由や種種の特権じゃないでしょうか?

サルマティズムはザクセン朝と深い関係があります。
ドレスデンから出ようとしなかった王によって、
政治・経済・文化の中心地がワルシャワからドレスデンへ
移ってしまい、貴族間に文化的頽廃が加速しました。ここに
出てきたのが、わかりやすいサルマティズムだったのです。

シュラフタ民主制は、セイムの構成員に制度としての
自由拒否権があったのがクリルタイとは本質的に異なる点かと。
ここに諸外国の陰謀の付け入る余地があった。もちろん自由拒否権を
廃止しようという動きはあったが、その時はすでに共和国は
周囲の国に狙われていたから、陰に陽に妨害活動がすさまじく、
結局毎回立ち消えになってしまった。極めつけは最後の王、
アウグスト・ポニャトフスキの小泉流改革案だったが、諸外国の
陰謀は、もはや陰謀をこえて露骨な形(第三次分割)で現れ、
国家そのものが消え去ってしまった。

97 :世界@名無史さん:2001/08/13(月) 19:43
>>92
政治的産物だけど政治的知恵ともいえるな。
かなり苦労はあったのだろうけど、利口なやり方だ。
ポーランド側にしても、旧東部領土の難民について正確な知識を後世に遺すことに
意義を見出したのだろう。

98 :世界@名無史さん:2001/08/14(火) 11:42
>>51
コシューシコ(コシチューシコ)は、アメリカの独立戦争の英雄。
若くしてジョージ・ワシントン直属の将軍として、米軍の、主に工兵軍団を指揮した。
戦後、第三次ポーランド分割に際して農民や義勇兵(アメリカ人義勇兵もいた)とともに
クラクフで蜂起。クラクフ郊外に彼の要塞(コシチューシコ山)がある。
蜂起はロシア軍により最終的に鎮圧されたが、本人はフランスに亡命。
亡命後はフランスでポーランド政治と民族運動に関する著作活動などに従事。
アメリカのフィラデルフィアには、彼のアメリカ時代の家がそのまま保存されている。
1920年の対ボルシェビキ戦争と第二次大戦時、アメリカ人義勇兵達が
ポーランド空軍に合流。彼らをコシチューシコ部隊といい、のちには英国へ
移ったPAFのポーランド人パイロット達に引き継がれた。部隊の紋章は、
コシチューシコが蜂起の時に使用したものと同じで、変形の星条旗(自由を象徴)を
背景に交差した大鎌(農民・庶民の力を象徴)をあしらったもの。
また、コシチューシコはいかにも優男風の顔つきで、美形の将軍としても有名。
個人的にはスキージャンプのアダム・マリシュににているような気がする。

99 :世界@名無史さん:2001/08/14(火) 13:44
今日の新聞にEU加盟候補13ヵ国のGDPとその伸び率が載ってたけど、
EU平均を100(ギリシャ68・ポルトガル74・スペイン81)とすると、
ポーランドは39と、ちょっとパッとしないが、実際にポーランドへ
行ってみると、チェコ(58)やハンガリー(52)と生活レベルはそう
違わないし、大都市や田舎はもっと景気がいいようなのに不思議だ。
為替のマジックかな?ポーランドは対外債務が大きいから
レートが実体経済よりかなり低く抑えられていると聞いたことがあるが。
逆にルーマニアが27というのはちょっと高すぎじゃないか?

100 :世界@名無史さん:2001/08/14(火) 16:28
>>99
>為替のマジックかな?

その通りです。基準を変えると、チェコ・ハンガリーと共に、
ポーランドはギリシャやポルトガルを越えているはず。

101 :酔鯨ジョーカー:2001/08/14(火) 20:53
ポーランドの男は外国の女に余りモテナいらしい。
イタリア人、ギリシャ人、ハンガリー人の男は
軽軽しく”愛してるよ”を口にし、女を口説くのが上手いそうだ。

102 :酔鯨ジョーカー:2001/08/14(火) 20:54
ポーランドは正にアメリカの従僕。
数ヶ月前の米英連合軍によるイラク爆撃を
公式に支持したのはポーランドだけ。

103 :世界@名無史さん:2001/08/15(水) 10:10
>>101
シャイなんだろ。ポーランド男についてよく言われている。

>>102
湾岸戦争のときに、フセインによってイラクでのポーランドの石油権益が
損なわれたのを知らない?
予断だが、取り残された一部の在イラク米人を救い出したのは在イラクの
ポーランド人石油技術者達だった。車でイラクの北部国境を越えて避難した。

104 :世界@名無史さん:2001/08/16(木) 11:55
>>99-100
GDPについては為替の要素があるので各国比較は大して重要とならない。
ポーランドのEU加盟に関して最も大きなネックは
1. 土地売買に関する規制
2. 技術者等の職場移動の自由

1は、現在の西欧との土地単価の格差から、EU加盟後にドイツ人などがポーランドの
土地を買い占めて、土地価格のインフレ→バブル経済→貧富の格差の助長に
繋がることを懸念して、EU加盟後にポーランド政府が最大18年間土地売買を監視・
規制することを求めているのに対し、EU側がそれを渋っていること。
(このポーランド側の要求はEUの原則に反する可能性がある)

2は、多数のポーランド人の安価で優秀な技術者や専門家が自由に西欧で
働くようになると現EU加盟国内では労働意欲の高いポーランド人若年層が
専門職の機会を席巻し、自国の専門職等の失業者を大幅に増やすのではないかと
してEU側が、ポーランド人の西欧での職探しに一定の規制を設けることを
検討していること。
(これはEU側の要求がEUの原則に反している)

あとは環境規制などの問題があるが、上記2点の問題に比べれば解決はたやすい。

昨日、シュチェチンにシュレーダー首相が来て、クファシニェフスキ大統領・
ブゼック首相と個別に会談したが、その後の各人のコメントからして、土地と
職の問題については、このドイツ左派の首相が相当な譲歩案を準備していることが
わかった。シュレーダーはポーランドのEU第一陣加盟なくしてはEUの東方拡大は
あり得ないと考えており、今後ドイツ政府はポーランドの加盟交渉を全力で
後押しすることになるだろう。

105 :梵阿弥:2001/08/17(金) 13:34
<98
クラコウやワルシャワから見れば進んで「帰化」したように見えるかもしれないが、「向こう側」から見ればどうだったでしょう。ルブリンの合同にはリトアニアのシラフタに強い反対があり、ウクライナに遠征して王国全体を広げる事でなだめたと聞きます。
シラフタの危機感という点では、平民の力に対するものも大きかったのではありませんか。サルマタイがキリスト教徒だった筈もないので傍から見れば笑止なおとぎ話ですが、そんな物にすがった事情に興味があります。
ヴィタウタスの東方遠征やトルコ傭兵を用いての領国統治も、支配という言葉は似合わないのでしょうか。
東欧の統治機構は騎馬民国家的要素を強くもつのではと考えます。まあ騎馬民国家といっても様々でしょうが。

106 :世界@名無史さん:2001/08/17(金) 13:44
>>105
コシューシコと何の関係が?

107 :世界@名無史さん:2001/08/17(金) 15:24
>>105
シラフタが危機感をもっていたとすればそれは平民に対してなどではなく、
ましてや民族的なものでもなかった。
ポーランドの主要輸出品であった穀物の価格が17世紀中葉以降下落し、
中小の自営農を営んでいたシラフタが経済的に徐々に逼迫して
一部は大シラフタ(マグナート)の雇われ人にまで身をおとし、
残りは都市での知識層に変化していった。
このような中小シラフタ達には当然自分達の将来への危機感があっただろう。

108 :世界@名無史さん:2001/08/18(土) 07:45
>>103
ポーランドの利権は取り戻せたの?

109 :梵阿弥:2001/08/20(月) 13:22
>107
17世紀に穀物(ポランドではライ麦)で儲からなくなったのはなぜ何でしょうね。
収穫高(あるいはグダンスクからの出荷高)自体下がったとも聞きますが。

110 :世界@名無史さん:2001/08/22(水) 11:41
>>107
17世紀になるまでは、西欧諸国と、ドイツ東部やポーランドを始めとする中東欧諸国の
経済は、黒海や地中海とバルト海を結ぶ水運の発達(ヴィスワ・ブーク・ドニエストル・
ドニエプル・オドラ・エルベ・ドナウなどの水系と、それらの水系を互いに結ぶ長大な
運河網−ちなみに現在は有名な観光ルートが多いので東欧の運河の旅はおすすめ−の
おかげ)によって自作農が多く、中東欧の人々は農業生産性の低い西欧諸国に商品となる
穀物を輸出し、西欧より毛織物などの手工業製品を輸入することにより豊かな収入と
消費生活を享受していました。
ところが17世紀にいよいよ大航海時代・西欧の海外植民地経営の発展が本格化すると、
中東欧は穀物の生産地ではあっても、西欧の商品の消費地ではなくなり(大消費地は
西欧諸国の海外植民地にシフトしていった)、西欧の製品の価格上昇が始まり、
ポーランドではそのため、地主の中でも在地の権力がつよいシュラフタ達(周辺国でも
地主となる貴族たち)によって農耕地の独占・小規模自作農の経営破たんが発生し、
自作農であった農民は地主に地代を支払う代わりに徐々に地主に対する賦役を
強制されるようになっていきました。賦役は、初めは小作人一家族につき週1−2日の
程度でしたが、そのうちだんだんとエスカレートして、ついには週8日(つまり
一家族で最低二人は賦役にでなくてはいけない)という状態に置かれて
農民は住地の移動さえままならなくなってしまいました(再版農奴制)。
地主にたいする賦役は強制労働のため、当然のことながら労働にたいする
小作人のモチベーションは低くなり、これが生産性低下の原因となりました。殆どの
地主が在地でしかも小作人(農奴)とは日本の江戸期に似た家父長的関係で強固に
結ばれていたポーランドはともかく、ドイツ諸国・ロシア・ハンガリーなど周辺の
諸国では農奴の反乱が爆発的に増え、これも農業生産性の低下を後押しした一因と
なりました。

111 :世界@名無史さん:2001/08/22(水) 13:10
>>1
カリシュで生産される「カリシア」ブランドのピアノも忘れちゃイカン。
東欧の数少ない一流製品の一つだよ。
解放後、「セールス」という分野が必要になって、資本不足で
販路開拓に難儀している。

有名なウオッカ「ジュブルフカ(ズブロッカ)」のポルモス・ビャウィストクも
今月から売りに出たぞ。日本のサントリーでも資本参加したらどうだ?

112 :世界@名無史さん:2001/08/22(水) 13:54
>>111
カリシュは2世紀のプトレマイオスの地図にも出てくる古い町だよね
バルト海からローマへと向かう「琥珀の道」の宿場町か何かだったとか

113 :酔鯨ジョーカー:2001/08/22(水) 14:08
古代ギリシャ時代のポーランド地域には、
ケルト人が住んでいたのかな?
確か、バルト海沿岸はゲルマン人だったっけ?

114 :世界@名無史さん:2001/08/22(水) 14:39
>>113
南ポーランドは大体ケルト系。ガリツィアのシフェントクシスキ山地は
ケルト時代から神の山。いまはカトリックの聖地。

グダンスク周辺は東ゲルマンのゴート人。周辺部はモレーン丘陵で
土地が悪く、農業に向かないことからかれらはローマ時代に移住を決意。
スラブ人との抗争を避けるためか、部族が固まってヴィスワ川沿いを
急いで南下し現在のポーランドを通り抜けていった。

ペウキーニー人など、ポーランドにいた別の東ゲルマン部族は
ギリシャ時代からローマ時代にかけて他の部族・民族に隷属。
ハンガリーへのフン族侵入以前に消滅。戦争の痕跡が
見つかっていないので恐らく原西スラブ人文化に平和的に同化。

現在のドイツ東部からベラルーシ・ウクライナにかけての森林地帯は
原西スラブ人の居住地。彼らは焼畑農業と狩猟採集が中心の生活で、
一種の軍隊としていつも固まって住んでいたゲルマン人と違い、村々が
互いに離れた形で住んでいた。不作の年には互いに集まり、たびたび
ゲルマン人やケルト人などの集落を襲い、略奪をして次の収穫期まで
なんとかしのぐ生活。

ドイツ南東部からポーランド北西部にかけて栄えたラウジッツ文化は、
原西スラブとケルトの混合文化。イリュリア人やゲルマン人の一部も
包含していた可能性あり。

115 :梵阿弥:2001/08/23(木) 10:32
>>113
青銅器から鉄器に移りつつあったラウジッツ文化は前400頃鉄器を持ったスキタイに
滅ぼされました。
ローマではドイツ辺りをゲルマニア、その東をサルマティアと呼んでいて、
ポランド国家のその地の占拠を正当化するため支配層がサルマタイの末裔だという
一種の神話が作られました。

116 :梵阿弥:2001/08/23(木) 11:31
>>110
中世ポランドの農民反乱はほとんど記録が無いといわれるほど少なかったそうですね。
放棄の指導者が育たなかったのではないでしょうか。

117 :梵阿弥:2001/08/23(木) 12:22
>116 蜂起です。失礼。

118 :世界@名無史さん:2001/08/23(木) 17:17
ポーランド王になったザクセン選帝侯って誰だっけ?

119 :カウニッツ:2001/08/23(木) 18:02
フリードリヒ・アウグスト1世(1670−1733、位1694−)
ですね。

120 :世界@名無史さん:2001/08/23(木) 18:24
コシューシコ

名前がみっともない割には、がんばった男。

121 :世界@名無史さん:2001/08/23(木) 18:39
>>120

がんばったって、あんた。
ポーランドの英雄やんけ。

122 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 04:47
ポーランドは朝鮮起源 ソースもある

123 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 10:12
>>115
>ポランド国家のその地の占拠を正当化するため

梵阿弥様、シラフタのサルマティア起源伝説に関しては、そのような理由は
聞いたことがないのですが、どこから得た情報なのでしょう?

124 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 10:34
>>115
サールマティアは今のウクライナからポーランドのガリツィア辺りにかけて
ですよ。例えばタキトゥスの時代は、現在のポーランド大部分と
ベラルーシ(ポレシェ沼沢地)方面はいまだゲルマーニアでした。
ゲルマーニアに住んでいた諸々の部族をまとめてゲルマーニー人といい、
そのなかにはヴェネディー人のように現在の西スラブ系に属すると
判明した人々や、その他のスラブ系と思われる人々も、後のドイツ系などと
ごっちゃに認識されていました。
スラブ系も(後の)ゲルマン系も、すべてゲルマーニア(と呼ばれる地域)に
住む人々でありながらサールマティア系ともケルト系ともつかない
人々は全てローマにとって未知の蛮人、「ゲルマン人(ゲルマーニー人)」
だったわけです。
後のロマン主義の時代にこれがかなり歪曲されて、スカンジナビアから
ゲルマーニアに南下した部族の系統のみ「ゲルマン」と呼ばれるように
なってしまいました。
昔の「ゲルマン」と今の「ゲルマン」は違うということです。

125 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 10:41
>>118 >>119
ジグムント・アウグストの系統のヤギエヴォ朝の女系の外戚でしたっけ?

かれの時代ワルシャワは首都というより大貴族の高級住宅地だったそうで、
市の政治経済は停滞(王がドレスデンからワルシャワに移住しなかった)
したのに、壮麗な建築群が広がったそうですが、そのころの建築の大部分は
第二次大戦で破壊されてしまいました。勿体無いことです。ただし
ヴェルヴェデール宮殿など、一部の建物は修理・再建されて
現在も使用されているそうです(ヴェルヴェデール宮殿は大統領官邸で
ワルシャワ大学の本キャンパスの隣で)。

126 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 13:20
>>116
蜂起が少なかったのは、蜂起の指導者云々でなくて、
周辺国に比べ、貴族が在地でいつも農民と接する立場にあり、
しかも農民とは家父長的関係にあって、貴族と農民の心理的絆が
ポーランドにおいては特に強かったことを挙げる学者が多い。
「パン・タデウシュ」に出てくるような上下関係が、ごく当たり前の
ようだったらしい。

127 :梵阿弥:2001/08/24(金) 13:32
>>123
1333年でしたか、カジミェシ3世が即位しこの王と先代の時代に諸侯の統合が進み
王国の体裁を整えたと聞きます。分割相続が割に合わなくなってきたのでしょうか。
その二年後にシロンスクを失いそのまた5年後にガリチを併合、ということはポランド
という国は初めから東へと動いてゆく傾向があったように見えます。
自立性が強く利害を同じくしないシラフタが一体感を演出するには何らかの物語を必要
とした筈で、サルマタイ起源説が作られ喧伝されたのではないでしょうか。シラフタ会議
の全会一致の原則も一体感の演出と考えます。15世紀に一リトアニア貴族の議決拒否を
きっかけとして自由拒否権が生まれ何も決められ無くなってゆきますが元来は全会一致
となるまで議会を延長していたようです。
リトアニア大公ヨガイラの入り婿(?)以来同じ大貴族でも東西の間ではかなりの温度差
が会ったようで、外征と領国拡大が順調出なくなってくるにつれ精神的一体感の必要性が
高まり同族説が浮上してきたと考えます。
お断わりしておくと私はシラフタだけがサルマタイ等の血を濃く受けていると考えません。
農民らと変わらず、西のドイツより濃く、東のルシの人々より薄いのでしょう。彼らは
あくまでスラブだと思います。
私の情報源といえば「東欧を知る辞典」を拾い読みしたのが専らで、正当化という語は
私の解釈です。詳しい型に教えていただけるのは有難く思っております。
1920年頃キエフを落したり、東方への宗主意識は根強かったようです。

128 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 13:34
ダ・ヴィンチの「白テンを抱く貴婦人」についての番組がNHKであったが、
オーナーのチャルトリスキ家というのは一家の骨董品で国立美術館が
立ってしまうくらいのトンでもない金持ちだったとは…

129 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 13:51
>>127
>東方への宗主意識

どっちかというと「長兄意識」っすね。
レフ(ポーランド)人は周りのスラブ人に対しての長兄意識が一番強い。
彼らの感覚を大雑把にいうと、チェフ(チェコ)人は
嘆かわしくもドイツやオーストリアにいいなりで、ルス(ロシア)人は
どうにもならない野蛮人で時々兄貴を暴力で脅す、ヴェングリ
(ハンガリー)人は他民族ながらポーランド人と利害関係が似ている。
情けない弟達を持っていつも苦労するのが我々レフ人だと。
グニェズノにバチカンに直結する大司教座をもってドイツ(神聖ローマ)帝国と
同等の独立国としてヨーロッパ社会に仲間入りしてからずっと
ポーランド人にはどこかそのように考える傾向があるそうです。

130 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 14:12
>>127
王国の体裁はどれを基準にするかでかなり違いますが、
大王の時期はむしろピャスト朝の最後(大王には男の子が
いなかった上、マジメなのか何なのか側室を持つことは
しなかった)で、キリスト教を受け入れたミェシコ王の
息子のボレスワフ勇敢王の時代に彼の働き(勇敢王の短い生涯は
まさに東奔西走で、本当にスゴイです、ヨーロッパの劉備元徳か?)で
国家が完全統一されています(ミェシコのずっと前の代からポラニェ族の
国はありましたが、キリスト教を受け入れ、ヨーロッパ諸国に独立国家と
して正式に承認されたのがミェシコの時)。
また、ピャスト朝の初期までがポラニェ族の国としてのポーランドの
統一が真に保たれていた時期だそうです。その後ピャスト朝の側近だった
者達がヴィェルコポルスカ各地に封され、時代が下って、だんだんと
統合が緩んできた、そこでカジミェシュ大王とその親父(名前度忘れ)の
尽力で諸侯の「再」統合がなったそうです。しかし、上に書いたように
王の家系が絶えてしまい、また諸侯の求心力が弱まってしまった。

ところで、現在のポーランドはとくにドイツと接する西側が
ミェシコ時代の領土とほぼ一致するので、ポーランドは戦後やっと
もとの土地に帰ってきたといえるかも?サルマチア伝説の話で
「支配の正当化」云々という認識は、やっぱりちょっと違っていて、
言われたとうり、精神的一体感や高揚といった表現が近いと思います。

131 :梵阿弥:2001/08/24(金) 16:36
>>124
王国の地がローマ時代のサルマティアである事が知られ云々 というのを読みまして。
お説ですとゲルマニアはずいぶん東に広がっていたのですね。ただ、仲間意識で盛り上が
る上では事実はどうでも良くなっていきがちなものです。また、ポランドは東へ伸びて
ゆくという共通認識があったようにも見えるので、サルマティアが東に広がっているのは
丁度よかったのではないでしょうか。
フランスの貴族だったか、自分たちの血は青い、などと言って垣根を作っていましたが、
「我々」意識というものがどのように出来てゆくのか興味をそそられます。近頃身の
まわりでも色々ありますね。

132 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 16:37
>>120-121
アメリカの独立戦争の時の将軍の一人だが、あんなに美形の将軍は
後にも先にも彼しかいない。

133 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 16:40
>>131
ポーランド人にとってもドイツ人にとっても東方というのは人口が少なくて、フロンティアみたいなものだったんじゃないかな。いまのウクライナの方は国土地帯が広がっていて、土地も豊かだったし。

134 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 16:51
>>124 >>131
もっと前のサルマチアは紀元前のギリシャ人の記述に出てくるが、
それはカスピ海の東側にあった。ローマ時代のサルマチアは>>124の通りだが、
ヘレニズム時代にはそこはスキュティアと呼ばれていた。スキタイが
侵入したサルマートに滅ぼされ、そのサルマートの地もフンと
アヴァールに蹂躙されたが、スキタイとサルマートは次々とヴェンドに
同化して西スラヴ諸族を形成していったとされている。
ポーランド貴族の大部分はもともといた各地の豪族やピャスト朝の
家臣団などがその出自となるが、サルマートとの直接の関係は
ないとされている。が、スラブ諸語とくに古い形をとどめるポーランド語と
古代ペルシャ語の間には、インド・ヨーロッパ語族の間でも言語学的に
みて特に興味深い共通性があるという。それについては詳しくは知らん。

135 :世界@名無史さん:01/08/27 11:45 ID:t16vqVSU
タキトゥスの「ゲルマーニア」に出てくるルギイー人はポラビア・スラブ人の
一部族でタキトゥスはゲルマン人として紹介している。
また同じ本でリュギイー人と呼ばれている集団はいわゆるルーク人のことで、
スラブ系・ゲルマン系・ケルト系・或いは一部イリュリア系などの
長い間混住していた地域の人々の汎称で、現在は前400年頃から栄えたラウジッツ文化の
担い手とその子孫達と考えられている。
ここにポーランド・ボヘミア・モラビア・ポモージェ・ルサチアとミルスコの
ポラビア諸国を創った西スラブ人たちと、西スラブ人から分かれて大移動し、
スロヴェニア・クロアチア・セルビア・それにマケドニア諸部族を築いた南スラブ人の
支配層の先祖が住んでいたことが、考古学的に証明されつつある。
タキトゥスはこれらの人々をみんなまとめてスエビ族の一部と勘違いしていたので
後のスラブ人・ゲルマン人に相当する区分の仕方は、ローマ時代はまだ曖昧だった。
そして、タキトゥス時代のヴェネディー人は大部分東スラブ人の先祖かもしれない。

136 :世界@名無史さん:01/08/27 12:03 ID:feYGXIIo
>>135
>ルギイー人

これはラテン語読みからだが、スラヴ語読みを基準にするとルギャニエ人。
北ドイツのリューゲン島に定住した西スラヴ人の一部族。

137 :梵阿弥:01/08/27 16:57 ID:n.6b48Yc
>>134
ケルソン(ケルチ辺り)やボスポロス(ロストフ・ナ ドヌ辺り)などギリシアの殖民都市
が黒海北岸に沢山あって、スキティアやサルマティアはそこから奥地となっていたようですね。
黒海をギリシア人、港から奥をスキタイ人やサルマタイ人と交易を受け持って共生していた
ようです。
アヴァル汗の国が滅んだのが796年で803年に蜂起したのを最後に記録が絶える訳ですが、
一時はバルト海岸まで広がっていたこと、伝説ながらピャスト朝の起源と時期が近いだけに、
ポラニェ人の組織化にあたり何らかの関連を考えることもできるでしょう。ルシはノルマンが
中核となったとされていますね。
リトアニア語とサンスクリット語は共に古態をよく残していますが大変よく似た特徴を持つと
されています。

138 :世界@名無史さん:01/08/27 17:05 ID:Z/42jo/g
日本ではポーランドの啓蒙時代と5月3日憲法の意義があまり知られてないようですね。
フランス革命やアメリカ独立戦争に匹敵する欧米近代史上最も重要な出来事の一つとして、もっと紹介されてもいいと思うのですが。

139 :世界@名無史さん:01/08/27 17:16 ID:7jEdY3L.
>>137
>組織化にあたり何らかの関連

それが時期以外には重要な関連性が見当たっていない。
例えばわかりやすい例では、ピャスト家の代を上へたどると、
ミェシコの父がシェモミスウで、その父がレシェクで、
その父がシェモヴィトで、その父がホシチュシコで、
典型的なスラヴ系の名前が続いている。
ポーランドにいたスラヴ部族はアヴァールの汗とはゆるい主従関係にあったが、
アヴァールがフランクやビザンチンと闘う時にもスラヴ各部族に贈り物を
して援軍を乞う形だった。
当時アヴァールやゲルマン系の各国は、激しい政治活動期だったため、
このような政治的影響は無視できないが、ルーシにヴァリャーグが来たことで
この昔からのしがらみのない外来の部族を中心に各部族の連合がすすんだのとは、
西スラヴ各部族の同化の構造はかなり異なってくる。

140 : :01/08/27 20:35 ID:oW6nd6Zc


141 :梵阿弥:01/08/28 09:25 ID:jHnqr0xc
>>137
ロストフ・ナ ドヌはタナイス、パンティカパイオンがケルチ、ケルソンがセヴァストポリの辺りで、
ボスポロスはアゾフを内海とする王国の名でした。以後気をつけます。

142 :世界@名無史さん:01/08/29 16:52 ID:5Ud6Ggdo
啓蒙時代について話したいのですが、興味のある方いますか?

143 :世界@名無史さん:01/08/29 22:07 ID:FGqHNw06
ジョセフ・ピウツスキ大統領って確かポーランドの人ですよね。
あまりポーランドのこと詳しくないのですが間違ってたら御免なさい。
確かジョゼフの兄が学者で樺太に住んでいたらしく、そこでアイヌの人
と結婚し一男一女をもうけ、亡くなりました。この生まれた子達は北海道に移住し
この男の子(名前を忘れてしまった)のほうは、北海道にあった東大
の森林研究かなんかの作業員をしていて、普段は無口なのだがお酒を飲ますと
こういったそうです。”私の叔父はポーランドの大統領なんだ”と。しかし、
周りにいた教授や生徒たちは笑うばかりで信じなかったそうです。当時、一緒に
お酒を飲んだことのある生徒が彼はその時とてもさびしそうな顔をしていたと
回想してました。その男の子も日本人と結婚し男の子を一人もうけ、今、横浜
に住んでるということをNHKでやってました。ポーランドでもピウツスキ家の兄
の子孫が日本で見つかったと大ニュースになり、ポーランドのピウツスキ家
から招待されていました。ピウツスキ家の男子は彼一人だけらしく娘が二人いる
ようでしたが、ポーランドのピウツスキ家からしきりに男の子を作りなさい
といわれていたのが印象的でした。

144 :世界@名無史さん:01/08/30 10:30 ID:x9XProk.
>>143
ピウスツキ家はもともとリトアニア地方出身のポーランド貴族。
兄弟はロシアによって樺太に流刑になっていた。
弟は早く帰国して軍属に入り、兄貴はアイヌ語研究に重要な足跡を残す。
兄貴の録音したアイヌの歌が日本に大量にあり、日本のアイヌ学に多大な貢献をした。
アイヌ関係はよく知らないが、レコードが北大か東大にあるはず。
兄貴はまた、二葉亭四迷の親友としても有名。
弟は1904年、日本を訪れ、ポーランド独立の支援を日本政府に要請したが、
その時すでに日露戦争の勝利のメドが立っていた日本政府は、これに消極的だった。
兄貴の業績が刺激になったのか、ワルシャワ大学の東洋学科のレベル(とくに
学生と教授陣のレベル)は、ヨーロッパ最高を誇る(資料の量ではオックスフォードと
いわれる)。

145 :梵阿弥:01/08/30 13:15 ID:yb5oNdE6
>>130
支配の正当化という認識は相応しくないとのことですが教えていただけますでしょうか。
◎「支配」は占拠、割拠、統治と置き換える事ができると思います。統治を行わない体制や
国家というものがあるのでしょうか。
◎「正当化」は説明、理論的裏付けと置き換えられるでしょう。まあ、歪曲や独善が起こり
がちで、内輪で受けるほど外からは気味悪がられますが。
あるいは学問的に、俗世間と異なる意味で用いられるのかもしれません。教えていただければ
幸いです。

146 :世界@名無史さん:01/08/30 13:22 ID:0Ieu4amk
>>145
2chでそんな観念論はじまるとみんな逃げちゃうよ。

147 :世界@名無史さん:01/09/03 17:18 ID:smFGQ4NA
オリサデベとゼブラコフとクリシャロビッチの三羽烏が決めて、ポーランド代表は
新しい「歴史」を刻んだということで、このスレでもお祝いしましょう!
ノルウェーはケチョンケチョンにやられてしまいました。
ポルスカはW杯で台風の目になるでしょう。

148 :トルコの駆逐:01/09/07 17:32
モハーチの戦い(1526)以来、ハンガリーに侵入したオスマン・トルコ軍は、
その余勢を駆って、ハプスブルク軍と戦いを交えると共に、ウィーン攻略を企図したが、
成功しなかった。1682年、メフメト4世のトルコ軍20万は、
大宰相カラ・ムスタファ・パシャの指揮の下に、ハプスブルク帝国内部の紛争に乗じて
攻撃を開始した。1683年7月、トルコ軍はウィーンを包囲したが、
ヤン・ソビエスキーの率いるポーランド軍およびその他の国々からの援軍により、
9月12日トルコ軍は撃退せられ、ベオグラードまで退くの止むなきに至った。
そこでカラ・ムスタファは敗戦の責任を問われて処刑された。
1684年、ローマ法皇インノケンティウス11世の提唱により、オーストリア、
ポーランド、ヴェネツィアおよびロシアの神聖同盟が形成せられ、オーストリアと
フランスとは20年間の平和条約を締結する。トルコ軍はこれらの連合軍によって
西部のオーストリア国境の到る処で撃破せられ、1686年の夏にはブダ、
1687年にはトランシルバニアが、それぞれトルコから解放された。
1697年、ゼンタの戦いで、トルコ軍は大敗を喫し、1699年1月28日
カルロヴィッツ条約が調印された。この結果、オーストリアはトランシルバニアを領有し、
テメスヴァル州はトルコ領にとどまった。斯くしてハンガリーのほぼ全域が
ハプスブルク家の領土となり、ヴェネツィア、ポーランド、ロシアも若干の領土を獲得した。

149 :リトル愚礼:01/09/08 22:21
>>148さん
おお!そのとき活躍したのが
ポーランドが誇る騎兵隊「ウィン=フッサー」でしたな。
背中にでかい羽をつけた重騎兵。
ノーマン=デイヴィスの本には「ドゥルムチ(同士)」なる騎兵隊が
存在したとありましたが?
でも、結局最後の笑ったのはハプスブルクだったんだな。

>>122
ついでに、ザクセン朝もカペー朝も朝鮮起源にしておこうか?
ついでに、ハプスブルクの先祖は朝鮮人にしてみたらどうかね?

150 :世界@名無史さん:01/09/08 22:34
歯ぷ巣ぶる具

151 :世界@名無史さん:01/09/09 01:58
ポーラック

152 :世界@名無史さん:01/09/09 02:05
便秘によくきくよね

153 :ジーモン@ブレスラウ:01/09/09 12:36
オーデル・ナイセ川を突破せよ!>ドイツ国防軍

154 :世界@名無史さん:01/09/09 14:28
既出かもしれんが。。。

ポーランドの歴史を学んだ後で
ショパンの革命を聴くと、涙が出そうになる。

芸術も歴史の文脈から発生するもんだよなあ。

155 :ジョーカー:01/09/09 14:41
あれはワルシャワ陥落を聞いたショパンが悲しみの中でパリで作ったんだよね。話しは変わるが、ジャコバンはポーランドやハンガリーの独立運動を支援したんだよね、敵国たるロシア・プロイセン・オーストリアの後方を攪乱すりために。

156 :世界@名無史さん:01/09/09 14:57
ショパンって父親がフランス人だからその辺の芸術的な要素も
受け継いたんだろうね。

157 :世界@名無史さん:01/09/10 11:44
>>151
「(ポーラック)ポラク」はもともとポーランド語で「ポーランド人の男性(単数)」の意味。
女性単数は「ポルカ」。
ポーランド分割後の「大亡命時代」に、特にロシアの圧政から逃れるように
アメリカへ渡った大量のポーランド農民達は、当初言葉の問題があったため
シカゴやニューヨークなどの大都市にコミュニティを作って住んでいたが
後続移民としての「ポーラック」が蔑称となった。最近は戦後の混乱期にアメリカへ
渡ったものが多く、彼らの一世も英語を解さない農民が殆どだったので
同じように蔑まれていた。ただし最近はポーランド系アメリカ人は
自ら「ポーラック」と呼ぶこともあるが、WASPという言葉と同じく、蔑称から
半ば謙遜や自己に対する皮肉をこめた一般名詞化して来ているのが
社会学的に興味ぶかい。「屋根の上のヴァイオリン弾き」はウクライナ地方の
ユダヤ系ポーランド農民(あーややこしい)の話。
ちなみに貴族は多くフランスとイギリスに逃れた。ロシア支配下では、
皇帝に反抗的でない限り、かなりの自治が許され、地元に残った者もいる。

>>155
ポーランドにも同様の組織があったこともお忘れなく。5月3日憲法を中心に
ポーランドの啓蒙時代に関する本を読むと、必ず詳しく載っている。

>>156
ショパンはフランス人の父親がピアノ教師で、音楽の技術は父親によって磨かれたが、
彼の独自の芸術的才能は、本人がポーランドで育ったポーランド人であるからだ、
と言われている。彼の作品は殆ど彼が幼少のころから親しんだポーランドの
様々な民族音楽からサンプリングされている。

158 :梵阿弥:01/09/10 13:08
>>157
東欧の民族音楽の特徴の一つに複合拍子(2+3=5,2+2+3=7等)が挙げられます。馬で駆ける
調子が元になっていて、トルコから東へ広がります。一例としてギリシアのカラマティヤノス
が挙げられ、ヴィンナワルツもその要素を持つといわれます。

159 :世界@名無史さん:01/09/10 13:54
馬ですか…馬が身近である文化があの独特のリズムを生み出したわけですね。
しかし中欧のポルカやマズルカやクラコヴェツもそうですか?
ヴィンナワルツはヴェンド人(スラブ系)の時代から続くリズムだそうですが。

160 :梵阿弥:01/09/10 14:30
>>159
バルカンからアナトリアの変拍子はそういわれています。ポルカ等も含めて定説
と成っている訳ではないかも知れませんが、ドイツ〜イタリア以西では変拍子は
見られないため騎馬文化の流入と考えるのが自然でしょう。
ヴェンド人由来説は存じませんでした。民族主義の偏狭な一面による解釈という
ことはありえないでしょうか。例えばズデデン産地を跨いで分布する
ラウジッツ文化の担い手は、スラブ系学者はスラブの祖としますが、他民族の
学者の間ではゲルマンやケルト説のほうが主流だそうです。

161 :不逞勤人ジョーカー:01/09/10 14:37
>157
そういえば、「欲望という名の電車」でも主人公の
フランス系女性がポーランド系男性を”ポラック!”と罵っていた。

162 :世界@名無史さん:01/09/10 14:44
>>161
あの時代、ポーランドの移民は農民出身の田舎者が多かったからね。
ドイツ人移民が「クラウト(キャベツ野郎)」と呼ばれたりしたのと同じだね。

163 :世界@名無史さん:01/09/13 14:20
>>160
>例えばズデデン産地を跨いで分布する
>ラウジッツ文化の担い手は、スラブ系学者はスラブの祖としますが、他民族の
>学者の間ではゲルマンやケルト説のほうが主流だそうです。

ラウジッツ文化についてスラブ系の国々の学会が「古代西スラブ人のみ」の文化と
主張し、それに対して西欧の学会が「中欧ケルト(一部の人はゲルマン)」文化だと
していたのは1950年代までですよ。このことはよく誤解されている。

考古学の発展によって、現在ではラウジッツ文化というのは特定の民族や語族に
独特の文化ではなく、古代の中欧社会全般に広がっていた「地域文化」であったことが
解明されつつあります。日本でいえば、朝鮮・渤海などと日本とを繋ぐ、
古代の環日本海文化のようなもの。ですがその中心的担い手については、
当初(とくに19世紀)盛んにいわれていた古代イリュリア系の痕跡は実際皆無に近く、
中欧のケルト諸族と古代ヴェンド(西スラブ)諸族と一部のスエービー諸族で
あることは明らかになってきています。このラウジッツ文化の特徴を
もっとも長く受け継いだのは神聖ローマ帝国とポーランド王国とボヘミア王国、
つまりエルベ・ザーレ・オドラ・ヌィサ諸河川に囲まれた地域に部族国家に
分かれて住んでいたヴェンド人の末裔すなわちポラビア・スラブ人だったので、
これが前世紀初頭から半ばまでの「ラウジッツ文化=西スラブ文化」説の
論拠となっていたわけです。

164 :梵阿弥:01/09/13 15:09
>>163
さすがに欧州は現在の国境にとらわれない歴史認識が盛り上がってきたのですかね。我々も
見習わなくては。ところで、スラブ語は11世紀辺りまで地域差が非常に少なかったと聞きます。
したがって7世紀頃までカルパチア北東の丘陵地に固まってすんでいたのではないか、それ故
ラウジッツ文化の担い手とスラブ人を直に結びつけるのは無理なのではないかと考えて居たの
ですが。>160は山地ですね、お恥ずかしい。ただズデデン〜カルパチアの南はマジャルの金
やチェコの銀が出たのに北はろくなものが無かったようですね。一般に地下の物は王のもの
とされがちなのでこの点もポランドの王権の弱さの一要素ではなかったかと思うのですが。

165 :王権が弱かったのは:01/09/13 15:19
男子に恵まれないことがあってたびたび断絶したからじゃないかな?

166 :世界@名無史さん:01/09/13 15:32
>>164
11世紀あたりまでかどうか…たしか8−9世紀ぐらいじゃなかったかと
思うのですが、とにかく地域差が非常に少なかったのは確かです。
しかしこれは「西スラブ系諸語」に言えることであって、ロシア語・
ベラルーシ語・ウクライナ語などの「東スラブ系諸語」は
紀元前数世紀頃という古い時代にに他のスラブ語とは分化していった
そうです。
南スラブ語はもっとも分化が激しいのですが、支配階級の出自と
民族移動のルートから、もともとは大体西スラブ系の言語でした。
だから、ポーランド語(カシュープ方言を含む)・チェコ語・
スロバキア語・(ドイツの)ソルブ語は非常によく似ています。
また、西スラブ人が大移動を始めたのは5世紀ごろ。
その前、ローマ時代ではいくつかの西スラブ小部族はスエービー族の
一部と間違えられてさえいたそうです。

167 :世界@名無史さん:01/09/13 16:59
 ウクライナとポーランドは文化がとても似ていると思います。両国とも昔から
ユダヤ人も多く住んでいて混血も進んでいると思います。全体的にはややウクライナ
人の方が体ががっしりしていてポーランド人よりすこしですが背が低い印象があります。
もちろんこの両民族はロシア人一般より背の高い人が多く、また性格は商人的で
押しが強いように思えます。

168 :世界@名無史さん:01/09/13 17:08
>>167
もともとウクライナはポーランドの辺境地帯だったからね。
ただし庶民階級で見ればポーランド人は西スラブ文化、ウクライナは
東スラブ文化をベースにしている。現代ポーランド人の背が一般に
高いというのは確かにそうです。

169 :世界@名無史さん:01/09/13 17:57
質問j!

王政はいつまであったんですか?最後の王朝の末裔は
ポーランド在住ですか?

170 :世界@名無史さん:01/09/14 03:22
最後の王朝…ってロマノフ朝になるのかな?

171 :世界@名無史さん:01/09/14 06:04
えっ、それってロシアじゃなかったっけ?

ピノチェ(ス)ト朝?

172 :世界@名無史さん:01/09/14 10:49
最後の世襲王朝はヴァーサ朝。ピャスト家(ピノチェト家じゃないよ)の外戚であり、
本家はスウェーデンのヴァーサ家。その後は貴族共和制による選挙王制。
大統領制とほぼ同じだが、各貴族が自由拒否権をもつ全会一致制の
国会によって承認を受ける形態が、その後の大貴族の繁栄と国家の弱体化を招いた。

ピャスト家はキリスト教受容から最初の王朝。ただしポラニェ族(レフ族)は
ずっと以前の時代の記録にも現れており、古代宗教時代にどのような国家形態
および王朝があったかははっきりしていない。10世紀ミェシコ一世の治世に、
モラビアから司教を招いて、ローマ教会からキリスト教を受容。グニェズノに
大司教座を置き、近くのポズナニを首都として、ローマ教会に対しては
神聖ローマ帝国と同等の地位の国家として承認される。ミェシコから3代前までは、
教会の年代記によって明らかとなっている。14世紀カジミェシュ大王の時に
最盛期を迎えるが、その父のボレスワフ勇敢王の時に神聖ローマ皇帝オットー三世が
ポーランドに臣従したこともあった。

選挙王政後の最後の王はポニャトフスキ家の名君スタニスワフ・アウグスト。
若い頃は後のエカテリーナ2世と恋人だった。彼のパトロンでありポニャトフスキ家の
本家にもあたるチャルトリスキ家は大富豪で、ポーランド第三次分割後はパリの
中心に大邸宅を構え、パン・タデウシュの作者ミツキェヴィチや、
アメリカ独立戦争の将軍で大蜂起の英雄コシチューシコなど多くの亡命ポーランド人が
出入りしていた。この貴族のコネクションは、現代にまで至っている。
チャルトリスキ家の膨大な美術コレクションの一部が今日本に来ている(現在京都)ので
是非見て欲しいです。

173 :世界@名無史さん:01/09/14 10:55
>>172 「白テンを抱く貴婦人」ですね。

174 :梵阿弥:01/09/14 11:32
>>171
ピノチェト氏と言えばチリの陸軍人から米国AT&T社の後援でクーデタを起こし
て大統領になった人ですね。酷い圧政によって退任後ブリテンで拘束されて人道
への罪で裁判をやろうとチリとイスパニア王国(何で今ごろ)が綱引きしていた。
>>167
大戦間期の大統領の元ピアノ弾きチャルトリスキも一族ですか。
>>172
ウクライナというのはスラブ語(のどれか)で辺境といった意味ですね。

175 :世界@名無史さん:01/09/14 11:47
>>174
ん?
パデレフスキさんのことですか?

176 :世界@名無史さん:01/09/14 12:06
ポーランドの初代大統領は貴族で有名ピアニストのパデレフスキ。
米大統領リンカーンと同じく典型的なマルファン症候群で
背が非常に高く四肢と手の指が長く、四肢の筋力が弱い。
名ピアニストにはマルファン症候群の患者が多くみられる。

177 :梵阿弥:01/09/14 12:23
>>175
パデレフスキでした。マルファン症候群というのは巨人症とは違うのですか。

178 :世界@名無史さん:01/09/14 12:27
>>177
巨人症とはちがうのでは?
体が細くて筋力が弱いのが特徴だそうだから。

179 :世界@名無史さん:01/09/14 12:30
>>174
ピノチェトが左翼思想人物をナショナルスタジアムに連れて行って、3000人皆殺しにした映像にはちょっとショッキング。

全く関係ないので下げます。

180 :アマノウヅメ:01/09/14 12:40
>>176
ラフマニノフも罹っていたっていう病気ですか?

181 :世界@名無史さん:01/09/14 14:24
バイオリニストのパガニーニもマルファン症候群だったそうだ

182 :世界@名無史さん:01/09/17 10:45
>>172
ヴァーサ朝はちょっとしか続かなかったが、ピャスト家の
外戚にあたるヤギェヴォ家のそのまた外戚にあたる。
ピャスト家直系の最後の王はカジミェシュ(カシミール)三世大王。
かれの父はヴァディスワフ短躯王で、
神聖ローマ帝国をねじ伏せたボレスワフ勇敢王はミェシコ一世の長男。
ちょっと世代が離れてるよ。

現在のポーランド共和国の国境線ははボレスワフ勇敢王が確定した国境線と
殆ど一致しているが、勇敢王の確定した領土は現ドイツの
西ポモージェ(西ポメラニア)地方も含んでいる。これは神聖ローマ帝国の
オットー三世及びローマ教皇も承認し、ドイツ国王(オットー三世)は
公式には聖アダルベルトの遺骸を参拝するという名目でポーランドの
グニェズノ大司教座を訪れているが、これは事実上ドイツがポーランドの
力に屈したという政治的意味があった。そのため中央(高地)ドイツの候たちが
オットー三世とポーランドの関係に不満を募らせた。
また勇敢王は神聖ローマ帝国に敵対する西ドイツ・ロレーヌ地方の帝国内の候たちとの
関係を強化し、ロレーヌ辺境伯の娘を自分の息子に嫁入りさせている。
後に、非キリスト教徒のポラビア・スラブ人のうち西ポメラニアに住んでいた
ヴェレティ族諸国がドイツと同盟を結び、ポーランドの支配から実質上脱したが、
逆に同盟国のドイツから侵略を受け、彼らの国々は崩壊し、
人々はドイツ化されていってしまった。ドイツ人の多くがスラブ系起源と
いうのにはこういった確かな根拠がある。

キリスト教世界における現在のポーランド共和国の西国境線の
歴史的正当性の根拠がここにあるわけです。

183 :梵阿弥:01/09/17 13:37
>>182
民族国家の無かった頃の版図を以って共和国の国境の根拠とするのは無理ですよ。
まあ、貴方の判断ではなくて共和国の見解の紹介かも知れませんが。
第1時大戦後ピウスツキが東部においては軍事占領し同じ新生国家のリトアニアの首都
ヴュリニスを取り上げてしまう一方で西部では住民投票で決めようとし、意に反してドイツ
帰属と出ると蜂起を呼びかけたり一貫しません。この自国さえ広ければ良いという態度が
その後の孤立化の一因になったといえましょう(チェコからもチェシンを…)。
第2次大戦後の国境変更による強制送還でドイツ人500万人が引っ越す羽目になった辺りは
悲劇だと思います。ポランドは対ソ連邦、ロシア、ドイツの英米仏世界戦略で引き立てられて
いますがやや自己中心的な世界観が近隣との溝を深めてしまわないか懸念します。

184 :世界@名無史さん:01/09/17 14:11
第1次大戦後のポーランドの領土拡張主義というと、
「ポーランドのような大国は植民地が必要だ」とマダガスカルを
要求したこともありますね。

185 :世界@名無史さん:01/09/17 14:18
>>183
自己中心的な世界観なんて非難されたのは戦前の周辺国に対する
防衛線強化のための領土拡大時代の話で、21世紀現在のポーランドが
そうだというのは初耳ですな。またビリニュス・チェシン問題には
多分にこういった軍事的に不可避の事情があったからで、これを
曖昧模糊とした民族主義的観点からだけ捉えて自己中心的という風に
皮相な見方は少々問題があるのでは?

話はそれますが、その観点(やや自己中心的な世界観が近隣との溝を
深めてしまわないか懸念云々)から最も危険な国は、現代のこの地域では
ポーランドでなくハンガリーです。

186 :梵阿弥:01/09/17 14:19
>>184
マダガスカルはフランス領だったのでフランスに譲渡を頼んだのですか。
ドイツ領のアフリカや南太平洋ならまだしもフランスに頼んでも…。

187 :世界@名無史さん:01/09/17 14:44
フランスだったかは当時マダガスカルの経営に失敗してたんじゃなかったっけ?
で、ポーランド国内に新しく勃興した産業資本家が同島を安価で
手に入れられるかもしれないと期待して、政府を通じフランス側に
打診したことがある。商工業者と農民のうち、とくにユダヤ系が
開拓を希望していた。

188 :梵阿弥:01/09/17 15:24
>>187
新生ポランドの産業育成に地政学的な面から(亡命貴族以来の付き合いもあるし)フランスが
投資していたとすれば金だけ出して手を汚さないというフランスの思惑もありそうですね。

189 :梵阿弥:01/09/17 17:51
>>185
皮相的な傾向はあるやも知れません。それは事情を知らない為かもしれません。
そういうわけで、軍事的に不可避であった事情について教えていただけませんか。
ポランド語話者の多数派でない地域への侵攻への慎重論も
ドゥモフスキ達のように当時在ったと聞きますので。
別に今後国境を変更せよと言ってるわけではないのですよ。

190 :梵阿弥:01/10/01 15:51
あの、本当に心配しているんですよ。ポランドのことを。
このたびの選挙で与党は壊滅し共産系政党が与党となりましたが、何か選挙のたびに与党が大敗
しているようですね。訳があってのことなのでしょうが、こういったダッチロールめいた状態が
続くと国家の求心力を高めんと安っぽい偶像めいたものを求める動きが出てこないでしょうか。
たとえば、ピウスツキを建国の父として祭り上げるようなことです。彼の連邦構想も一つの見識
でしょうけど、民族自決の理念で誕生した国家としての自らの足元を掘り崩すことだったのでは
ないでしょうか。ただ、ソ連邦の骨が固まる前に潰してしまえという思惑で列強に背を押されて
いたのかも知れませんが。彼らの政策はソ連邦崩壊後は自国民からはどのように評価されて
いるのでしょう。もし人口4千万のポランドが反省も無く祭り上げると、千百万のべラルシや
370万のリトアニアの不快感は少なくないと思われます。この2国を再びロシアの方へ押し
やってしまう事にならないでしょうか。なにぶん現地の様子は存じないので、杞憂なら良いの
ですが。ポランドには自省を、マジャルには自制を期待します。

191 :世界@名無史さん:01/10/05 16:27
>>190
ポーランドの現状を見る限り、それは単なる杞憂だと思うよ。

192 :すると、:01/10/05 18:19
>182

 ドイツ国民が、ゲルマンとスラブを起源としているのであれば、現在のドイツ
国外の領域をどれほどドイツ領に収めたとしても間違いではないわけだ。

 現在の国境線の正当性をそんな大昔には求められないな。「正当性が継続」さ
れてないですからね。「正当性が継続されていなくても正当性は認められる」と
か、「古典的正当性だけで国境が決まる」いうのであれば、世界は大混乱に陥る
からね。

193 :けろりん:01/10/05 18:28
>183

 第2次大戦後のドイツ人難民の数に関して何か定説的な資料って
あるんですかね。私は、ポーランド領域・ドイツ東部領から(のみ)
約800万人という資料や、東西ドイツ、オーストリアの難民受け
入れ数が1700万人余り、という資料を目にしたことはあるので
すがソレ以上は……。

 ちょっとここで話すようなことじゃないと思うけど、梵阿弥さん
はお詳しそうだし。死者数の資料なんか……なさそうだなあ。

194 :世界@名無史さん:01/10/05 20:56
>>193殿
梵阿弥氏ではないが、その手の資料はありますよ。
旧西ドイツ政府が50年代に詳しい調査を行っています。

195 :世界@名無史さん:01/10/09 12:06
国民のゲルマンとスラブの混血という観点からでは、(プロイセン)ドイツと
ポーランドは姉妹のような関係にある。伝統的に王権が強かったのが
(プロイセン)ドイツで、王よりも大貴族の権力が強かったのがポーランド。
民衆や貴族階級にはそれぞれの国に、ポーランド系ドイツ系両方がいる。
だからたとえば、ヒトラーは歴史認識の点で致命的な間違いを犯していた。

196 :梵阿弥:01/10/09 13:36
>>193 >>194
いや、あいにく良く知らないのですよ。漠然と500〜600万位かな、と思っていたのですが
そう思う根拠もわかりません。…我ながら無責任ですが>193ですとその2,3倍に成りますね。
ただ、今のドイツ連邦共和国とオステルライヒ共和国の人口を合わせても1億位なので1700万
は当時としては随分多いように感じますが。また、ドイツ民族以外にも共産政権を嫌って逃れた
人も居たかもしれませんね。
戦争末期にデーニッツ提督・総統がある種、軍事面そっちのけで東プロイセンからの難民を
輸送、護衛した事もありました。
そういえばポランド民族もカゾン線以西に引っ越さざるを得なかったのでしょうね。こちらの
様子も知りたいものです。

197 :194:01/10/10 15:55
>>196
平凡社から出ている「カラー世界史百科」(原著はドイツ語)で、第二次大戦後の
難民の状況の概略については把握できますよ。
西独受け入れ難民約1260万、東独は440万、オーストリアは24万となっています。
死者は約300万。
ポーランド人の強制退去者については、約300万とされています。

198 :ナポレオン:01/10/14 19:48
途中で消えた1です。
ポーランドスレ、盛り上がってありがたいことです。
大変勉強になっております。
これからもどうぞよろしく。

199 :世界@名無史さん:01/10/18 19:58
オレはドイツ人だとわめくポーランド人が多いとか。やはり豊かな国がいいんだね。

200 :世界@名無史さん:01/10/18 19:59
200get
早くEUに加盟できる事を祈る。破産状態は解消されたのかな?

201 :【^▽^】ジョーカー:01/10/18 20:33
カーゾン線以東から追われたポーランド人の多くは、
シュレージェン(シロンスク)やポンメルン(ポモージュ)
に移住しました。

202 :梵阿弥:01/10/19 14:21
>>201
やっぱりすいてたのですかね。

203 :世界@名無史さん:01/10/19 18:36
雨だれは小林麻美

204 :【^▽^】ジョーカー:01/10/19 20:18
>202
ブレスラウ改めヴロスラフには、
ルブフ(=リボフ)からの移住者が多かったそうです。

205 :世界@名無史さん:01/10/19 20:56
漏れはルブフはポーランドの街だと思っている。
でもウクライナ人にこんなこと言えない。

206 :【^▽^】ジョーカー:01/10/19 21:02
ルブフはポーランド人の町だから、ウクライナ人を追放。
ブレスラウはドイツ人(及びポーランド系ドイツ人)の町
だから、ポーランド人を追放。・・・が私の理想(?)です。

207 :205:01/10/19 21:10
昔、複数のポーランド人に「おめーらまだルブフとヴィルノ(ヴィリニュス)
に未練あるか」と聞いたことが有る。
全員、「歴史的、文化的に(ポ人にとって)大事な街だけど、
ブロツワフやシチェチィンの方がいいので要らん」と言ってた。

208 ::01/10/19 22:55
たまーに、こうやって大昔からサルベージされたスレの中に良スレがあって
おもしろいね。
ところでなんでみなさんこんなにポーランドについて詳しいんですか?
専門の方ですか?私は史学科の学生ですが、東洋史専攻なんで・・・。

でもこうやって見てみると、西洋もおもしろそうだなあ。
どっちかっていうと、西洋と東洋の緩衝地帯に興味があって、東洋史を選んだんですが、
西洋史からのアプローチも楽しかったかもしれませんね。

209 ::01/10/19 22:57
ポーランドは元共産主義国家で、破産宣告がどうのこうのといわれる
わりには国民の生活は豊かなんですね。
ポーランド語っていうと、どんなもんなんでしょ。

210 :205:01/10/19 23:54
>209
>ポーランドは元共産主義国家で、破産宣告がどうのこうのといわれる
 わりには国民の生活は豊かなんですね。

 これはしばらくポーランドに住んでいた自分にも謎でした。貧乏と思えば
 結構豊かだし、結構豊かだと思えば結構悲惨だったりして、今でも自分
 で理解できません。
 ポーランド語は結構面白いですよ。難しいことは難しいですが。
 自分は他のスラブ諸語を知らないので、詳しいことは他の人に任せますが。
>209
 一度ポーランド史の概説書をお読みになるとよろしいかと。恒文社と山川から
 出ています。

211 :世界@名無史さん:01/10/20 00:02
hage

212 :世界@名無史さん:01/10/22 14:34
>>209
1970年代の後半から80年代の前半に掛けてポーランドの信用格付けが殆ど最低となり、
共産圏諸国ではじめてIMFに加盟するハメになったのですが、「破産状態」云々とは
たぶんそのことを言っているのかと思います。
70年代の初め、ギエレク政権初期に財政が肥大化し、外国からの借款で急速な
経済成長を目指したのですが、対外債務が200億ドルを突破してしまって、
額はともかくその借款で資本財だけでなく、消費財まで外国から購入して
しまうという構造的な問題が発生。これがポーランド自身の首をしめてしまいました。
そのため70年代後半には急激なインフレ政策をとり、当時の政権は国民から
支持を失ってしまい、1980年に連帯による山猫ストが連発、ギェレク政権は退陣し、
かわりについたカニア政権も、国民からの「単なるトップの首のすげ替えだ」との
批判(どこかの国と全く同じ)に、一年と持たずに退陣。カニアは実は
共産党きって改革派だったのだが、国民の不信感は拭えませんでした。そこで
カニアの親友でもう一人の改革派であり、国民が唯一精錬潔白な組織として
信頼していた軍部からヤルゼルスキ将軍(国防相)が首相(国防相と兼任)に選出。
将軍は冬を前にして、逼迫した経済状態を立て直して国民の生命の安全を
保証するため90日間のスト中止(外国との商業契約の履行→全国民が冬を越すのに
必要な消費財の確保)を国民に呼びかけました。
しかし、連帯と過激な労働者組織双方からの山猫ストの頻発と連帯側の
危険な宣言(東側の労働者全体に団結を呼びかけたため、ソ連・チェコスロバキア・
東ドイツ・ルーマニアの各政府が大騒ぎした)、ワルシャワ条約機構軍
(ポーランド軍をのぞく)のポーランド周辺における大規模な軍事演習(ソユーズ'80)に
よる共産主義諸国の威嚇(軍事介入を臭わせた)により、将軍はポーランドを内戦や
ソ連の軍事介入の危険から救うため、ポーランド全土に戒厳令(戦争状態)を宣言、
連帯の解散、過激な活動家の逮捕・拘留、国民の職場復帰を実現し、その後の
数年間のうちに、アメリカのレーガン政権による非難と経済制裁にも関わらず、
対外債務の大幅縮小、経済の安定化、治安の回復をポーランドにもたらしました。
その後連帯の活動再開が認められ、将軍は反体制側との円卓会議など、緩やかな
政治改革を経て1989年、自由総選挙を実施。一部限定的な選挙であったが、連帯側の
マゾビェツキが首相、将軍自身は大統領に選出され、ここについに、共産主義諸国で
初めて非共産党政権が発足。将軍はその後自身の大統領任期を短縮し、再度
総選挙(完全自由)を実施。連帯出身のワレサが大統領に選出され、将軍は引退した。
マゾビェツキ政権では、大蔵大臣のバルツェロビッチの「ショック療法」政策により、
急激なリストラとインフレ率低下を達成、ポーランド経済の成長を軌道にのせ、
政権はその後何度も変わり、大統領はもと共産党の若手クファシニェフスキと
なったが1987-88年の経済成長率は6-7%を記録。
その後ショック療法の副作用と言われるリセッションが近年まで続いていましたが、
今年度から経済成長率は回復の見通しが立っています。9月に総選挙が行われ、
それまでの右翼的色彩の強くEU懐疑派の連帯系に代わって旧共産党の改革派が
中心でEU積極派の中道左派である民主左翼連合が地すべり的に大勝し、実務的な
内閣が誕生することになり(また大統領との政治のねじれ現象の解消も)、
これからはEU加盟への政治改革・経済改革が加速されると見られています。

213 :212(訂正します):01/10/22 15:03
>>212
>なったが1987-88年の経済成長率は6-7%を記録。

これは1997-98年の間違いです。すんません。

214 :世界@名無史さん:01/10/22 16:12
>>209-210
体制変革時は都市部の労働者達の生活が結構大変だったけど、
10年前は製造業に従事していた彼らがサービス業に吸収されつつあります。
サービス業も、始めのうちは卸・小売といった分野でしたが、
最近は様変わりして、とくにIT関連と観光業の伸びが大きく、米経済の
不況突入も、米国への経済依存にその経済の殆どを頼るドイツが
クッションとなっていて、急激な影響を避けることができています。

恒文社の、ポーランド人歴史学者が書いた「ポーランド史」は
古典的名著なので、ポーランドに興味を持った人にオススメです。
ただし、高い割に印刷の質が悪い。原著の質はもっと良くて、
カラー印刷だったと思われ。

215 :世界@名無史さん:01/10/22 16:31
>>209-210
体制変革時は都市部の労働者達の生活が結構大変だったけど、
10年前は製造業に従事していた彼らがサービス業に吸収されつつあります。
サービス業も、始めのうちは卸・小売といった分野でしたが、
最近は様変わりして、とくにIT関連と観光業の伸びが大きく、米経済の
不況突入も、米国への経済依存にその経済の殆どを頼るドイツが
クッションとなっていて、急激な影響を避けることができています。

恒文社の、ポーランド人歴史学者が書いた「ポーランド史」は
古典的名著なので、ポーランドに興味を持った人にオススメです。
ただし、高い割に印刷の質が悪い。原著の質はもっと良くて、
カラー印刷だったと思われ。

216 :●ε●:01/10/22 16:34
http://www.microtsushin.com/mini2/frbbs-usr/katakamu.html

217 :世界@名無史さん:01/10/23 10:18
>>216
何のbbsだ?

218 :世界@名無史さん:01/10/23 10:38
中道左派のミレル政権が発足。中欧一の大国がEU加盟に向けて
大幅な行政・経済改革を開始。要注目。

219 :世界@名無史さん:01/10/23 11:23
>216
●ε● ←ヤルゼルスキさん?

220 :ポーランドの国歌:01/10/24 16:21

 ポーランドは未だ滅びず
 我らが生ある限り
 外敵が力で奪い去りしものは
 剣をもて奪い返さん

   すすめ、すすめドンブロフスキ
   イタリアの地からポーランドへ
   汝の指揮のもと
   我ら、民衆と合流せん

   すすめ、すすめドンブロフスキ
   イタリアの地からポーランドへ
   汝の指揮のもと
   我ら、民衆と合流せん

現在のポーランド国歌の原型は「ドンブロフスキのマズルカ」(Mazurek Dabrowskiego)で、
1797年に、イタリアのレジョでユゼフ・ヴィビツキ(Jozef Wybicki)が作詞し、
ポーランドの伝統的マズルカの曲を付けたものである。
これは、ナポレオン軍の基で編成されたドンブロフスキ将軍率いるポーランド軍の軍歌で、
その後軍隊だけでなく様々な政治的集会などで歌われるようになった。

 第一次世界大戦後、ポーランドが独立すると、「ドンブロフスキのマズルカ」は
(非公式の)国歌(hymn narodowy)に定められた(1918年)。
さらに、1926年には正式に国歌(hymn panstwowy)に制定され、
社会主義時代も通じて現在まで国歌として歌われている。

221 :世界@名無史さん:01/10/24 17:42
>221 ♪イエシチェ ポルスカ ニエ ズギネワ ケディ ムイ ズイイエムイ.

222 :世界@名無史さん:01/10/24 19:40
あの、、、なんかここすごいですね。。実は婚約者がポーランド人でして、もうオーストラリアに移住してるものの、
このスレにひかれてやってきました。専攻は環境経済学でしたのでポーランド史は本でチョコっと読んだ程度ですがいまいち流れなども分かりませんでした、、とほほ。
勉強が大変です。。ポーランド語も難しいです。。英語、ドイツ語までなら何とかなりますが、ポーランド語なんて、今の婚約者に出会うまで聞いたこともなかったもの〜!
話はそれましたが、これからちょくちょくおじゃまさせてもらいますね!勉強しようっと。

223 :世界@名無史さん:01/10/24 21:20
>223
それはおめでとうございます。でも失礼な質問で恐縮ですが、ポーランド女性って
気が強くありませんか?

224 :【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/24 21:22
なるほど、それでポーランド男はオクテなのかな?

225 :【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/24 21:29
『鷲の指輪』で主人公を演じていた若いオ☆ト☆コ可愛い♪

226 :世界@名無史さん:01/10/24 21:33
ON POWIEDZIAL,TY KURWO!
ONA ODPOWIEDZIALA, SPIERDALAJ TY LYSY HUJU!

227 :世界@名無史さん:01/10/25 01:14
ポーランド女性はすごい気が強いですね〜儀母や親戚のおばちゃんがたみてて、つくづく思う。
でも、なんというか、かかあ天下ってかんじですかね!ポーランド人男性は彼と彼の兄、義父、親戚のおじさんしかしらないのですが、そろいにそろって「シャイ」「まじめ」
「照れ屋」ですねぇ。物腰がすんごく柔らかくって義兄なんてゲイかと思いました。世界のなかではバカよばわりされているかもしれないけど(個人的にはおもってないですよ)
討論など苦手みたいなんで、そのせいじゃないでしょうか?

228 :世界@名無史さん:01/10/25 01:18
綺麗な薔薇には刺がある。

229 :世界@名無史さん:01/10/25 01:18
おーーっと、226さん、毛のないち○ぽ?ってこと?やーね、おげれつぅぅぅ。
ちなみにびっちじゃないですよ〜わたし〜

230 :世界@名無史さん:01/10/25 01:29
>227
多分、227さんの彼はインテリの家系でしょう?

>ポーランド人男性は彼と彼の兄、義父、親戚のおじさんしかしらないのですが、そろいにそろって「シャイ」「まじめ」
「照れ屋」ですねぇ。

 労働者の男達はそんなことない連中が非常に多い。
 もっともかあちゃんが強いのはどちらの身分も変わらんが。

231 :世界@名無史さん:01/10/25 02:23
ちなみにこういう表現も有る。TY LYSA PALO!
PALAとはヤネク ヴィシニエフスキを殺したMILICJAが持っていた棒。
要するに警棒ですな。
パンと自由と新しいポーランドのためにヤネク ヴィシニエフスキは倒れた。
けど新しいポーランドはパンも自由も有るけれどパンを買う金がない。
昔 Nie ma chleba bez wolnosci.(自由無くしてパンはない)
今 Nie ma chleba, wolnosc jest bezsens.(パンが無ければ自由には意味が無い)
ヤネク ヴィシニエフスキが誰だかわからない人は、A ワイダ監督の「鉄の男」を見ること。

232 :世界@名無史さん:01/10/25 11:37
>>227
ポーランド女性の気の強さは、名前でわかるという俗説があります。

気の強い女性の名前はアンナとかマウゴジャタ(マーガレット)とか
エリジェベータ(エリザベス)とか。

おしとやかな女性の名前はベルナデッタ(ベルナデット)とか
アグニェシュカ(アグネス)とか。


で、討論が苦手?アメリカのエスニックジョークにそんなのがあったけどそれは
英語の苦手だった移民一世の世代が対象であって、アメリカの弁護士は
ポーランド系がものすごく多いんですよ。当然口八丁で世渡りする悪徳弁護士も
結構いるらしい。また、ポーランド人の自己主張は強烈で、ポーランド人が
2人いれば3つの政党ができるといわれるほど。

233 :232:01/10/25 11:41
>>232
仕事でポーランドに住んでたんだけど、知り合いの中では、
水商売系の「雰囲気」の派手な女性(飯島愛みたいなの)にアンナって名前がスゴク多い感じ。
逆にお嬢様系・インテリ系のおとなしい女の子にはベルナデッタやアグニェシュカが。

234 :世界@名無史さん:01/10/25 11:56
義兄の嫁はアグネシカで、コンピュータープログラマー。いい人だけどちょっと怖い。
友人の姉もアグネシカですが、パン屋の娘で陽気なおデブちゃん。
232さん、そうだったのですか!
彼がおとなしいのは家の中だけなのかもしれません。。。

235 :世界@名無史さん:01/10/25 12:07
>>234
アグネシカって25歳前後の女性に多い名前で、
彼女達が生まれた当時はブームだったそうです。

236 :世界@名無史さん:01/10/25 12:12
アグニェシュカとアグネシカは同じですか?

237 :世界@名無史さん:01/10/25 15:32
同じ 綴りはAGNIESZKA
アグニェシュカの方が多少原音に近い。

238 :世界@名無史さん:01/10/25 15:35
でもポ語をカナで表記するのは不可能に近いから、
カナで書くときはアグネシカでよろしいと思ふ。

239 :世界@名無史さん:01/10/26 11:09
>>190
ミレル首相の政権はかなり期待できますよ。上院では約4分の3、下院では過半数にちょっと
届かないくらいの多数派のSLD(民主左翼連合−西欧的社会民主主義)が中心の
政権(農民党−実際は農民党改革派−との連立)です。この12年間、これだけの
多数派政権は初期のAWS(連帯選挙行動−右派連合)の政権以来ポーランドにはなく、
また大統領もSLDで、やっと政治の整合性がとれました。
ポーランドの改革は新しいフェーズに入ったといえます。
また、シュレーダーのドイツがポーランドの2004-5年のEU加盟に向けての支援に本腰を
いれるつもりです。今週のミレル首相とシュレーダー首相の会談で、ドイツは
ポーランドのEU早期加盟に対する全面的支援を約束し、両国政府は早速これを
前提とした具体的なプログラムの作成に入りました。

240 :世界@名無史さん:01/10/26 11:55
又、前のSLD−PSLの連立のときみたいになるような気がする.
SLDは結局過半数取れなかったのが痛い。
俺の周りのポ人はかなり冷ややかに見ている。左翼嫌いの
インテリだから仕方ないけど。

241 :梵阿弥:01/10/26 12:07
>>239
そうですか。地道に歩んでほしいですね。既得権益でがんじがらめになった日本の将来にも
参考になる点が多いのかもしれません。ただドイツのシュレーダー政権も原子力発電放棄
では業界からの反撃に合いましたし、ドイツへの依存度(茶化しているのではありません)
を一層高めるであろうポランドのことを考えるとその点に一抹の不安ありかも知れません。

242 :世界@名無史さん:01/10/26 13:42
>>240
>左翼嫌いのインテリだから仕方ないけど

とあるが、その人はもしかしてユダヤ系?非ユダヤ教系のインテリと
中産階級は割と中道左派であるところのSLD支持者が
多いんだが(ユダヤ系も多いが)。
低所得層は相変わらず連帯系を支持している。かれらは社会主義時代に
当時の左翼政府に強い恨みと不信感を抱くようになった。現在の生活が
苦しいのも共産主義時代の政府に全て責任があると思っている。
ヤルゼルスキ元将軍の今回の裁判も連帯側は政局を睨んで仕掛けたものだった。
アダム・ミフニクという有名な社会運動家(今は新聞社のオーナー)は
ユダヤ系で、体制変革前は連帯の指導者の一人だったが、今は
極度に右傾化した連帯とは距離を置いている。

>>241
>既得権益でがんじがらめになった日本の将来

いまの日本は1970年代のポーランドと同じ道を歩みつつある。
借金の種類が対外債務か国債かの違いだけだ。1980年代の
ヤルゼルスキ政権のときに対外債務の繰り延べ返済を何度か
実施したためポーランドは信用を失っていったが、このまま
景気が回復しなかったら日本は国債をどうやって償還するの?
金融部門の不良債権処理の原資もないのに。

243 :世界@名無史さん:01/10/26 13:56
ポーランドは旧社会主義国ではめずらしく、安直な原発に一切関わらない
そのかわり電気作るのに煙突にちゃんとした触媒を付けずに石炭を
燃やしていたから、街々の建物が真っ黒になってしまった。
現在大気汚染は劇的に改善されたが、それでも真っ黒になった
ビルの壁の汚れは染み付いちゃって落ちない。

244 :梵阿弥:01/10/26 14:13
>>243
石炭はかなり豊かだそうですね。ウランも採れるそうですけど。或いは反ソ連邦・ロシア
感情が強いので技術提供せず作らせなかったということは無いでしょうか。発電所よりも
爆弾のほうが遥かに簡単に作れますから。実用化も爆弾のほうが先でしたよね。

245 :世界@名無史さん:01/10/26 14:34
>242
おいおい今ポーランドで厳密な意味でのユダヤ人なんて、正確には
知らんがせいぜい数千人へたすりゃ千人切ってるぜ。
三月事件でポーランドのユダヤ人はほぼ完全に滅びてしまったのは
知っているだろう。
大体今のポ人で自分がユダヤ系と堂々と言っているのはミフニクとクーロン
ぐらいしか俺は知らん.
それに何で今回SLDが勝ったのか良く考えた方が良いと思う、SLDに票を入れたのは
基本的に労働達だ(もちろんそれだけではないが)。彼ら殆どがとっくの昔に
「連帯」に期待なんぞ持っていない。
ちなみに漏れの知り合いのインテリは皆敬虔なカトリック。まっSLDを冷ややかに
見るのは当たり前か。ただ旧AWSにも批判的な人が多かった.そりゃ何代かさかのぼれば
どっかにユダヤ人の血がまじっているかもしれないが、大体ポ人に向かって、あなたは
ユダヤ系ですかとは聞けない。

246 :世界@名無史さん:01/10/26 14:37
もちろん彼ら(ミフニク、クーロン)が正しい意味でのユダヤ系といっているわけではない。

247 :世界@名無史さん:01/10/26 14:40
>>244
どうだろう…でもワルシャワ条約機構の体制のなかで、ポーランドが
独自に原爆開発できたとは思えないんだが。ウランや鉄は豊富で、
東南部では石油も出る。地下資源は豊かだったが、これらを散々
ソ連に買い叩かれていた。社会主義の時代でもポーランド政府は
一党独裁じゃなくて、衛星政党や労働者や農民を宥めながら、ソ連との
間で板ばさみになりながらヤルタ体制の中で苦しみつづけた歴史が
あるから、独自に原爆開発に踏み切るような大それたことはできなかったと思うが。

248 :242:01/10/26 14:43
>>245 その口調…俺あんたと個人的に会ったことがあるかもしれない

249 :世界@名無史さん:01/10/26 14:45
この世界は狭いからな。どっかで顔合わせていたとしても不思議ではない。

250 :242:01/10/26 14:46
>>245 俺の知り合いのインテリは皆あんまり敬虔とはいえないカトリック教徒だが、
右派と左派の代理戦争となりそうだからここでやめとこう

251 :242:01/10/26 14:47
ユダヤ系の知り合いもいるが、もちろんミフニクやクーロンのような大物じゃない

252 :世界@名無史さん:01/10/26 14:51
>>245
連帯側のポピュリズムに嫌気がさした浮動票(良識のある労働者といった方がいいか)の取り込みに成功したということでしょう

253 :245:01/10/26 14:56
>250
やはり日本人だな〜、ポ人と討論するとここからが面白くなるのだが、残念。
でも俺にもあまり時間は無いからな〜。

254 :世界@名無史さん:01/10/26 15:02
>252
基本的に同感だが、今回の選挙で第三党を取った、SAMOOBRONA(自衛)の
これからの動きが気になって仕方ない。

255 :242:01/10/26 15:07
>>253 その言い方随分と皮肉っぽくてムカつくがまあいい

いやあんたが俺の考えているあんたなら
いつかどこかでゆっくりと話す機会もあると思うよ
それにポーランド人だって討論ならネット上より実際に
顔つき合わせてやると思うよ

俺の知り合いの間ではあなたはユダヤ人ですかと聞いて
妙な反応するポーランド人はいなかったがそれはあんたと俺
それぞれの置かれた環境によるのだろう

256 :245=254:01/10/26 15:07
ちなみに俺はSLDも旧AWSと同じ位に嫌いだ。

257 :245=254:01/10/26 15:23
>255
皮肉を言ったつもりは全然無いのだが、むかついたなら誤る。
>妙な反応するポーランド人はいなかったがそれはあんたと俺
 それぞれの置かれた環境によるのだろう
俺の印象ではポのユダヤ問題の根は想像していた以上に深かった。
そりゃインテリでは表立ってアンチセミチズム的な発言をする人はいなかったが、
しばしば言葉の端々にユダヤ人に対する反感らしきものを感じたが。
普通の労働者達からはもうしょっちゅう露骨な反ユダヤ発言をきいていたが。

258 :242:01/10/26 15:25
俺もSLDはその出自がとくに問題だと思うが
現実的に見て周辺諸国と調和しながら政治ができる実力政党は
当面彼らしかいないからもっと寛容にとらえるべきで
これからの政策のほうが大切だと考える程度のプラグマティズムを持っているつもりだ

259 :242:01/10/26 15:30
でも反ユダヤ的な考えや自分の政策の失敗の責任を全て社会主義時代に
転嫁するキャンペーンを張るAWS系の連中の方は唾棄するほど嫌い
ヤルゼルスキはいま12月事件をめぐって裁判に掛けられているが、
これなど先の総選挙を睨んだ連中の陰謀の最たるものだ
負けてザマーミロだ

260 :245=254:01/10/26 15:37
確かに実力の有る政党はSLDしかないであろう。
ただし今の失業者問題を筆頭に星の数ほど有る、
国内問題はSLDも旧AWSと同じ轍を踏むと思う。
俺はだから今回の選挙の「自衛」の躍進に非常に
興味がある。

261 :242:01/10/26 15:39
可哀想にヤルゼルスキはいまや歴史と俗物どもの犠牲者だ

262 :245=254:01/10/26 15:46
>261
俗物どもの犠牲者で有ることは間違い無いが。
ヤルゼルスキ将軍の評価は極めて難しい。
調べれば調べる程解らなくなる.
歴史の犠牲者というには早すぎる.

263 :242:01/10/26 15:49
何?
もしかして「自衛」を支持とか?
勘弁してくれ

ミレルがブゼクと違うのは失業者問題や農業問題と絡めて諸改革を
断行する「意思」があること、SLDそのものがAWSのような極端な
利益誘導型政党でないこと、経済テクノクラート出身者を多く
抱えて政策立案能力に優れていること、反民族差別、大統領との
政策の整合性、周辺諸国との対外協調性(とくに西欧の中道左派政権)、
EU加盟推進派であることなど数え切れないほどある。

264 :245=254:01/10/26 16:01
支持しているわけではない。
ポの国内問題は政権が変わったくらいで緩和される問題ではないと
おれは思っている。だからSLD−PSL政権が旨く行かなかった時点で
極右が国民にどれだけ支持されるか、興味を持っているだけだ。
そりゃミレクが成功すれば、それはそれでポが良くなるから、
俺も複雑だがうれしい。

265 :世界@名無史さん:01/10/26 16:04
>>262
>調べれば調べる程解らなくなる.

とはどの点か?
単に当時の状況を詳しく証言できる人々がもう高齢で他界しているからではないのか

例えば今回の12月事件に関しては、当時の状況が彼が首尾一貫して主張している
とうりなら彼は明らかに無罪かせいぜい微罪で済むだろう

266 :265:01/10/26 16:11
ごめん、12月事件じゃない、3月事件だ、間違えた

267 :245=254:01/10/26 16:32
もちろん法的な意味においては彼は無罪か微罪であろう。
この問題はミフニクの言う通り、歴史家が判断すべき問題だ。
只、彼の「より小さい悪」をどう評価して良いか俺には解らない。
ソ連側の複数の証言によって、ソ連軍は介入できなかったと言うのが
かなり有力な説だろう。
かといって当時連帯側も政権奪取の意志も力も無かったわけだ。
この場合乱暴にくくればヤルゼルスキのクーデタという言い方が
出来るわけだが、事はそう単純なわけではない。当時のポーランドは
無政府状態に近かったわけだし、キシチャクだって当時内務省を
把握していたわけではなかった。
ここの所の整合性が俺にはまだ取れない。だから解らないわけだ

268 :245=254:01/10/26 16:34
三月事件のヤルゼルスキの問題は俺は意見を持つほど知識は無い。
概略を説明してくれればうれしい.

269 :世界@名無史さん:01/10/26 16:37
380 名前:世界@名無史さん :01/10/26 16:37
677 :協力しよう! :01/10/24 02:56
http://topia.yam.com/home/aoiryuyu/pages/no2jiken.html

270 :世界@名無史さん:01/10/29 11:48
>>267-268
ヤルゼルスキの自伝(工藤幸雄先生の訳)を読むと、彼の弁明として、
一つのシナリオとしては、ある一貫した、矛盾のない説明が成り立つんだけど。
同書の解説で水谷先生はそれにちょっと遠まわしな反駁(懐疑調の)を試みている。
ところが公平にみてこれがどうも説得力に欠けるんだよな、本(日本語訳)が
出た頃から一昔たった今では。多少当時の反共産主義の熱にうかされていたきらいが
ないわけでもない感じ。一読(あるいは再読?)を薦めます。

271 :世界@名無史さん:01/10/29 11:51
>>267-268
ヤルゼルスキの自伝を読むと、彼の弁明として、一つのシナリオとしては、
ある一貫した、矛盾のない説明が成り立つんだけど。
同書の日本語版(工藤幸雄先生訳)解説で水谷先生はそれにちょっと遠まわしな(と
いうべき)反駁(懐疑調だから)を試みている。ところが公平にみてこの解説がどうも
説得力に欠けるんだよな、本(日本語訳)が出た頃から一昔たった今では。
多少当時の反共産主義の熱にうかれていたきらいがないわけでもない感じ。
政府内部の人間の現状認識に誤りがあったというのはいまでも認められることだが、
これは今だから言えることであって、当時はどうみても仕方のないことだった。
ポーランド人はドイツのナチ関係のように彼一人をスケープゴートにすることによって
自己浄化を計るつもりなのか、それとも微罪程度で済ませるだけの良識をもって
歴史に立ち向かうつもりなのか?
非常に興味深いので、本編共々一読(あるいは再読?)を薦めます。

272 :たしか:01/10/30 19:35
三月事件じゃ、コルチンスキ将軍の対策本部とクリシュコの党機関が別個に
グダンスクにいて、ゴムウカが、ヤルゼルスキ(当時は史上最年少の国防省)を
差し置いてその頭越しに現地に支持を出していた。クリシュコが造船所の
一時閉鎖を決定し、国内保安軍(直接公務執行妨害があったときは、まず
上に向けて威嚇射撃、次に遠目の下に、最後に足元を狙って撃つことが
みとめられていたが、実際にデモ隊に向かって水平射撃をすることは固く
禁じられていた)を造船所に配備してデモ隊の実力阻止を計ろうとした
まさにその朝、コルチンスキ側の誰だったかが造船所の労働者に職場復帰を
求めるテレビ演説をやっていた。事情を知らない労働者が将軍の懇願に
協力してやろうと造船所にやってきたが、そこにはクリシュコの命を受けた
内務省軍がいた、一体政府は何やってんだと怒った労働者が、保安軍部隊に
暴力を働き、収拾がつかなくなったところでガマンできなくなった部隊の
誰かが発砲、いわゆる単なるゼネストが、36人だか44人だかが死亡する
大事件になってしまった。

ゴムウカの老害と、指揮系統の不統一。

273 :梵阿弥:01/10/30 19:45
>>197
その数字はおそらく東欧全体からの引き揚げですね。「東欧を知る辞典」によれば500万
となっていました。
>>247
ええ、ポランドに核技術を渡すと気味が悪いのでソ連邦が技術供与を行わなかったのではないだ
ろうか、といういみで書き込んだのです。この辺は思い付きです。
  第二次大戦前はポランドのユダヤ教徒は300万人と言われてますね。

274 :世界@名無史さん:01/10/31 10:09
>>273
戦前の2300万国民の約13-15%だからそのくらいになるね。
ポーランド系キリスト教徒は当時65%程度。
ポーランドは多民族国家だった。

275 :【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/31 20:12
話は変りますが、ワルシャワ蜂起@『鷲の指輪』で主人公の彼女を
さらっていった兵隊はナチのディレジンガー部隊かな?
それともウクライナ民兵かな?

276 :【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/01 20:51
それにしても、グダンスクの”口髭親父”の無能ぶりには
呆れたな(藁

277 :世界@名無史さん:01/11/02 03:55
>>276
ワレサ(Walesa)のことか?
ポーランド人達にあいつ今何やっているんだと
質問したら、誰も正確に知っている奴いなかったぞ。
何か政治ゴロみたいな事やっているそうだが。
誰か詳しい奴いるか?

278 :世界@名無史さん:01/11/02 13:47
>>276-277
彼は日本のマスコミが熱狂的に賛美したんだよ

279 :世界@名無史さん:01/11/02 14:48
やっぱノーベル平和賞と、日本に招かれたときに日本の経済発展を受けて
「ポーランドを第二の日本に」と言ったのが日本人の琴線に触れたんでしょ。
(あと「日本は友人だが、ソ連(ロシア)は兄弟さ」といった発言もあった。)

280 :世界@名無史さん:01/11/02 17:15
>>276-279
中国の毛ちゃんと同じで、権力に対して戦っているときは有能だったんだよ
権力を握った途端ボケたんだ
こういう人はどこの国でもいるんだよな

281 :炎628:01/11/04 04:32
どうも、軍事板からお邪魔します。
>>275
>話は変りますが、ワルシャワ蜂起@『鷲の指輪』で主人公の彼女を
>さらっていった兵隊はナチのディレジンガー部隊かな?
>それともウクライナ民兵かな?
残念ですが主人公の彼女さらってたのはただの陸軍歩兵でした。
ちなみにウクライナ民兵は『コルチャック先生』という映画の最後の列車移送の
シーンで親衛隊の中に混じってる黒服の人たちです。
他にも『ホロコースト』や『炎628』に出てきます。
それからディルレヴァンガー部隊が出てくる映画は多分日本じゃ公開されてないでしょう…
私も観たい(w

282 :世界@名無史さん:01/11/15 23:07
age

283 :ちょっと遅れたが…:01/11/16 01:11
ワールドカップ出場おめでとう

284 :世界@名無史さん:01/11/16 04:16
何年ぶりだ?

285 :世界@名無史さん:01/11/18 01:02
ポーランドって原発あったっけ?

286 :世界@名無史さん:01/11/18 01:07
ポーランドといえば、現教皇の出身地ですな。

287 :世界@名無史さん:01/11/18 01:27
なんでみんなそんなにポーランドに詳しいん?

288 :ベルナール・ギーの館:01/11/18 01:38
だってヒマワリの油で揚げた子牛のカッツレッツが美味しいんだもの!

289 : :01/11/18 01:56
秋のポーランドは黄金の季節

290 :世界@名無史さん:01/11/18 02:48
>>189
もう今年は終わったな。

291 :290:01/11/18 02:50
ごめん >>189 間違い
    >>289 これ正しい。

292 :世界@名無史さん:01/11/18 03:02
>>274
1939年の時点でポの人口はおおよそ3500万だぞ。
全人口に対してユダヤ系の占める割合は約9%。
2300万の人口って戦争終結時だろ。

293 :世界@名無史さん:01/11/18 12:09
そういえばアンジェイ・ズラウスキーって「悪霊」も撮ったんだっけ?
個人的には「私生活のない女」が一番好き

294 :世界@名無史さん:01/11/18 12:47
>>287
世界史的にはもっとも興味深い国のひとつなんじゃないか?

295 :世界@名無史さん:01/11/18 12:57
>>294
近世前半までの中世的国家としては西スラブ人の雄として
その名をとどろかせ、近代に入ってからの国民国家の歴史はそのまま
東西隣国の独裁権力に対する抵抗の歴史。冷戦体制の崩壊後は
中東欧最大の経済大国として試行錯誤しながらもヨーロッパと
第三世界(特にアフリカ諸国)に重要な地位を確立しつつある
これからも目の離せない国。

296 :世界@名無史さん:01/11/18 18:15
>>295
中東欧最大の経済大国はドイツでしょ。

297 :DQN歴史学者@黒部名水:01/11/18 23:54
現在のポーランドでは、シロンスク(シレジア)を中心に約80万人が残留ドイツ人であると主張している。
しかるに彼等が全員文句なしのドイツ系かと言えば必ずしもそうでない。
ドイツ語、標準ポーランドの他に独自の西スラヴ語(ポーランドともチェコともヴェンド(ソルブ)ともつかない)
を保存している人々もいるとのこと。
大戦後の混乱期に旧西独へ脱出したAussiedlerの中にはこういう半スラヴ系の人も多かったのでは?
(かなり政治的動機が混じっていた、とか・・・)

298 :世界@名無史さん:01/11/19 00:41
>>297
独自の西スラブ語というので代表的なのはカシュープ語だが、これは
シロンスクじゃなくて北部のグダンスクからヘル半島のほうだけどね。
でもこれは現在の言語学ではポーランド語の一方言とみられている。
南部の山間部の方言も同様。
日本語と沖縄方言のような関係。

また、ドイツ(特に旧プロイセン)の庶民階級の多く(や一部の貴族)は
その家系に西スラブ人を先祖に持つので、ナチやプロイセンの人種論の
何と浅はかなことか…。
また逆にドイツ系の苗字をもっている純ポーランド人も大勢いる。
295のいう「国民国家」時代以前にはポーランド人・ドイツ人の庶民や
小貴族は互いに異国人だという意識がまったくといっていいほどなかったので、
それぞれの家同士の結婚も国際結婚だとかいう考え方もなかった。
そんなことがあったから、逆にドイツでもポーランド系と思わしき苗字の
純ドイツ人(近代国家成立時点でドイツ人と登録されていた)も普通に
大勢いるわけなんです。

299 :世界@名無史さん:01/11/19 00:47
あ。ブリキの太鼓の一家だ。
カシュバイ人

300 :世界@名無史さん:01/11/19 00:48
なんかギュンター・グラス自身もカシュバイ人だか、血を引いてるとか
ききました

301 :世界@名無史さん:01/11/19 00:53
>>298
近代国家以前の時代になると、大貴族ならはっきりとどちらの国の
人間かはわかるんだが、それ以下の階級になると、母言語や出身校や
地縁・血縁関係、そして(まあこれがほとんど決定的なんだけど)
本人が自分自身のことを何人と思っていたか、から判断するしかない。

戦前のヨーロッパ民族主義の時代にはナチがコペルニクスを
ドイツ人だと言おうとしたり、同じプロパガンダでショパンが
フランス人になったりしたけど、上のことから判断すれば
コペルニクスもショパンも紛れもなくポーランド人ということになる。
特に両人の家族宛書簡ではどちらもポーランド語がメインで、
また、いろいろな書簡のなかで「自分はポーランド人である」という
ことを書いているのが決定的となっている。

302 :297:01/11/19 00:58
>>298
一部地域ではむしろ宗教の違い(ルター派=ドイツ、カトリック=ポーランド)
が民族帰属意識をつくったとも考えるけど、違うかな?
ロシアに併合されたケーニヒスベルクもカントの時代八割がルター派だったらしい。
でも、ポーランド人が伝承していた「恨み節」に、
ほんとの名は◯◯、なのに奴らはケーニヒスベルクなんてのがあったから、
ポーランド人は本音では潜在主権があると思っているのでは?
大戦後接収した東プロイセン南部は他ならぬ「マズリア」の地(ショパンの作品群でも有名なマズルカの起源の地)だし。

303 :世界@名無史さん:01/11/19 01:15
>>302
宗教の違いはあるね。ただし、ルター派をはじめプロテスタント諸派は
反宗教改革の時代までとうとうポーランド語圏の庶民に根付かなかった。
プロテスタント諸派は商人(ドイツ語を使う人々)と一部の小貴族に
信者を広めただけだった。彼らも2つに分かれて一方はカトリックに
戻り、一方はドイツ語系のコミュニティに入っていった。
ケーニヒスベルク(クルレヴィェツ)はもともとドイツ騎士団の開発した町で、
現代(農業でなく商売の時代)のポーランド人からみればあの
港の自然条件は魅力的であそこがもしポーランドだったらよかった
と思ってるだろうけど、結局はあまり親近感は持ってないようです。
もちろんあの町に潜在主権などあるとは思っていないでしょう。
マズーリ地方の場合、中世後期から大規模にドイツ人の殖民が
あったわけだけれど、あそこはもともとピャスト朝時代の封建貴族が
治めていたところで、ドイツ殖民後も大勢のポーランド(語)人が
すんでいたところ(おっしゃるとうりマズルカというポーランド民謡で
有名な土地でポーランド語を話す人がマジョリティだった)だから、
クルレヴィエツとはすこし違う。

304 :世界@名無史さん:01/11/19 01:31
しかしこの国はヨーロッパ激動の時代には必ずといっていいほど
新しい時代への犠牲となる、「諸民族のキリスト」とはよく言ったもので、
これはポーランド人のうぬぼれでもなんでもないと思います。

たとえば、モンゴル襲来期やトルコ侵入期はヘンリクやソビエスキ率いる
ポーランド人がシロンスクやウィーンで戦い、
ポニャトフスキの啓蒙時代(五月三日憲法)から
ポーランド分割(コシチューシコの反乱など)への一連の時期は
ヨーロッパが庶民をも含む国民国家の時代へと変化していくための
産みの苦しみとなり、第一次大戦の処理から第二次大戦の激動期は
戦前の古い体制が戦後の体制に変わるためにポーランドがもっとも
犠牲(はじめは民族主義に毒され、次にはドイツとソ連の餌食)と
なって(しかしドイツの占領には屈せず多くの市民が地下抵抗を続け)、
共産主義時代はポズナニ暴動から東欧労働運動がはじまり、東欧の
不良分子としてソ連とコメコンから(後には西側)の経済的圧力に
耐えながら共産圏に対する影の抵抗活動を続け、その後は
ヤルゼルスキ政権と労働者の「円卓会議」から東欧諸国の
開放を先導。

自分はこんなところがポーランドの歴史に魅力を感じたひとつの理由です。

305 :世界@名無史さん:01/11/19 01:48
>>304
グルンヴァルドでドイツ騎士団を倒したのも画期だったと思う。

画期の立役者が王(ヘンリク・ソビエスキ)→大貴族(チャルトリスキ・
王にもなったがポニャトフスキ)→小貴族と自作農(コシチューシコ)→
さらに小さい貴族やブルジョワ市民や小作農(第二次大線の戦士たち)→
労働者(「連帯」などの工場労働者たち)ときれいな段階を経て
いくのが面白いし、ポーランドがそれぞれの時代を経てそこに住む
全階級に同様の自己犠牲の意識が共通体験となって
しみこんでいったのがよくわかる。

306 :世界@名無史さん:01/11/19 15:31
LelewelとBemという人の詳しい経歴知っている人います?

307 :世界@名無史さん:01/11/19 15:33
あとヴィソツキ(歌手じゃない。軍人)というひとについても。
この人、死刑にならなかったんでしょうか?

308 :世界@名無史さん:01/11/19 16:17
>>306
ヨアヒム・レレヴェルとヨゼフ・ベム将軍のことですか?
通ですねぇ。

>>307
1831年11月の蜂起の指導者ピョートル・ヴィソツキですか?
シベリア流刑になって多分戻ってきてたしか75才ぐらいで亡くなったと思います。

309 :世界@名無史さん:01/11/20 22:30
>>308

あっ、そうです。1831年の蜂起のヴィソツキです。
彼はシベリアに送られたんですか・・・。
捕まったということは知っていたのですが、
その後どうなったのか知りたかったもので・・・。

レレヴェルとベム将軍については、当時の
亡命者の書簡の中で何度かその名前を見かけたもので
興味を持っていたのです。
11月蜂起について詳しく書かれている本があれば
読んでみたいです。

310 :梵阿弥:01/11/26 12:17
>>285
ありません。

311 :世界@名無史さん:01/12/09 04:40
>>309
いやシベリアには流されていないかもしれない。
パリで大貴族のチャルトリスキが結成したオテル・ランベールグループに
合流して事実上の亡命政府の一員として活動したのでは?
亡くなったのは確かに75歳ぐらいだった。

312 :世界@名無史さん:01/12/12 12:20
age

313 :【^▽^】プロイセン太郎ジョーカー:01/12/12 12:46
ポーランドとフランスの結託の歴史は古い。

314 :ピウツスキ:01/12/12 14:40
口だけなんだから…

315 :世界@名無史さん:01/12/13 14:19
ポーランドかっこいい〜

316 :世界@名無史さん:01/12/13 18:50
>>311
オテル・ランベール・グループについて詳しく書かれた本があれば教えてください。
私の中では、薩摩藩邸か松下村塾かというイメージなんですが。
コシチューシコは坂本竜馬か高杉晋作か。
アダム・チャルトリスキは島津斉彬か。
立場的には違うが、キャラ的にはアウグスト・ポニャトフスキは徳川慶喜。
オーストリア軍を蹴散らしたユゼフ・ポニャトフスキは西郷隆盛か。
アダム・ミツキエヴィッチとかユゼフ・レイタン(?)は、吉田松陰あたりで。

317 :世界@名無史さん:01/12/13 23:07
日本語の本あるんかいな?

318 :世界@名無史さん:01/12/13 23:15
>>316
ユゼフ・ポニャトフスキ将軍の像は大統領官邸(ヴェルヴェデール宮殿)
のまん前にありますね。
コシチューシコの心臓も旧市街のどこかの建物にあるとか。
一度訪れてみたいものです。
パリではノートルダム寺院のあるシテ島近くの
ポーリッシュ・ソサエティ近辺にオテル・ランベールの
建物があるそうです。コシチューシコやミツキェヴィチも
出入りした、まさに薩摩藩邸。

319 :ナポレオン:01/12/13 23:24
ポーランドスレ、未だ健在ですなあ。
スレ立て人としてはうれしい限り。
私は何もしてないけど。

320 :世界@名無史さん:01/12/14 10:46
>>316
私の中ではフーゴ・コウォンタイと吉田松陰がオーバーラップします。

321 :世界@名無史さん:01/12/14 11:28
オテル・ランベール、私も興味あります。
文献ですが、ドイツ語、フランス語あたりなら
見つかるでしょうか?

322 :世界@名無史さん:01/12/14 11:48
日本の不幸は隣国がポーランドではなく朝鮮であること。
ポーランドの不幸は隣国が日本ではなくドイツであること。
中国、ロシアはどっちが隣国でも不幸。

323 :世界@名無史さん:01/12/15 00:10
来月ワルシャワとパリ逝ってきまーす。
商用ですが、時間がないわけじゃないのであちこち見て回るつもりで、
このスレ、とても参考になります。
出張が楽しみになってきた。
防寒対策は抜かりなくやらねば。

324 :世界@名無史さん:01/12/16 12:35
>>323
ワルシャワはモスクワほど寒くないよ。
実際はベルリンと同じだ。

325 :世界@名無史さん:01/12/22 20:55
あげ

326 :世界@名無史さん:01/12/23 02:54
古都グニェーズノの語源ってわかる人いませんか?

327 :世界@名無史さん:01/12/23 02:57
>316
「イスタンブル東方機関」早坂真理 筑摩書房
という本がありますよ。
ヨゼフ・ベム将軍も登場します。

328 :世界@名無史さん:01/12/23 03:25
>>326
「鳥の巣」グニャズドからの転訛というか古語の形態。
そこから「人が密集して住んでいる狭い場所」という意味もある。

329 :世界@名無史さん:01/12/23 03:28
>>327
コッシューシコと並ぶポーランドの国姓爺ですね。
トルコへ行き、イスラム教に改宗、ハンガリーと戦った。
波乱万丈の生涯。
大河ドラマになり得るくらいの豪傑。

330 :世界@名無史さん:01/12/23 21:24
>>327
えっ、ベム将軍が登場する本があるのですか!!
情報ありがとうございました。

331 :326:01/12/24 20:34
>328
ありがとうございます。

332 :世界@名無史さん:01/12/25 00:56
>330
ご存知とは思いますが、「ハンガリー史」恒文社 にも記載があります。
あとオーストリア関係の書籍でもわずかながら記載があるものがあります。
「青きドナウの乱痴気」良知力
ウイーン→ハンガリー→トルコとハプスブルクと戦い抜いた不屈の闘将で
すね。
ブダペスト市内に負傷して片手を吊った状態で指揮をするベム将軍の銅像
がありますよ。

333 :世界@名無史さん:01/12/26 08:44
333だぁ〜

334 :名無的発言者:01/12/26 14:20
なぜ満州を承認した..?

335 :敢闘軍:01/12/26 14:47
>334
「敵(ソ連)の敵(大日本帝国)は味方」だからである。
黄文雄著「満州国の遺産」光文社をお勧めする。

336 :世界@名無史さん:01/12/27 04:27
ポーランドって美人が多いってほんとか?

337 :世界@名無史さん:01/12/27 10:00
>>334
第二共和国はファシズム的要素があったからな。

338 :世界@名無史さん:01/12/27 23:38
>>337
それは誤解。
ファシストのエンデツィアはとうとう共和国政治の主流にはなりえなかった。
ピウスツキのサナツィアは実質的に独裁制の形態を有していたが、
政策的には反ファシストの要素が強い。

339 :337:01/12/28 00:01
>>338
そうか?
「大佐達の政府」はファシズムから影響を受けているとしか思えんぞ。
「ファシズム的要素」と言うのは誤解とは言えぬのではないか。
第二共和国はファシズム国とは言えないのは当然だが。

340 :世界@名無史さん:01/12/29 23:50
>>339
おそらく、富国強兵とファシズムは同義ではないということでは?
前者がサナツィア体制であり、ピウスツキは明治日本の制度に相当影響されていたと思われます。
エンデツィア派の人々はそれだけでは満足できませんでした。
「要素」論では世界中すべての政体をファシズムと関連づけることが可能であり、
境界がなく無限に意味の拡大が行われてしまう恐れがあります。
また、337氏や338氏の知識レベルなら誤解が生じなくても、ここは
いろいろな人々が訪れる掲示板ですから。

341 :339:02/01/03 23:29
>>340
ブジェシチ裁判、ベレザカルトウサ強制収容所、それにCOPの建設
あたりは相当ファシズムの影響を受けているのではないですか?
特にピウスツキ死後はサナツィアがエンデツィアの政策を取り込み
つつあったと自分は考えています。それが具体化、実体化する前に
第二次大戦が始まり、すべてがパーになりましたが。
明治日本のナショナリズムに影響を受けたのはドモフスキの方が強かった
のではありませんか?

342 ::02/01/04 06:36
どっかでみたポーランド人に対する民族ジョーク

家の電球をかえるのにポーランド人は何人必要か?
答え…6002人

電球を押さえるのに1人
椅子を支えるのに1人
家を回すのに6000人

343 :世界@名無史さん:02/01/04 08:17
ポーランド人のどういう資質を皮肉ったものなのか教えてくれ。

344 :世界@名無史さん:02/01/04 11:21
>>341
>明治日本のナショナリズムに影響を受けたのはドモフスキの方が強かった
>のではありませんか

ロシア帝国内での自治という消極的態度とか
誇大妄想狂的反ユダヤ主義が?
ドモフスキが結局主流派から相手にされなくなったのはこの手の
ヤバイ人だったからでは?

345 :世界@名無史さん:02/01/09 08:10
>342
よく分からない。

346 :ha:02/01/10 17:47
age

347 :世界@名無史さん:02/01/13 12:27
倉庫から。
http://yasai.2ch.net/kokusai/kako/980/980409080.html

348 :339:02/01/13 17:47
>>344
ドモフスキが主流派にならなかったのは、
最初から最後までピウスツキと対立していたからであって
誰にも相手にされていないということでは無いです。
彼のエンデツイアは第二共和国時代を通じて有力政党でした。
誇大妄想といえば第二共和国自体が最初から最後まで
誇大妄想の塊だったと思います(キエフ侵攻からチェシン駐留まで)。

349 :世界@名無史さん:02/01/13 22:29
スレ全部読んでないけど、キュリー婦人とザメンホフ出ました?
あとピアニストでルービンシュタインとパデレフスキ。
パデレフスキは首相でもあるらしいけどそっちはよく知らない。

350 :世界@名無史さん:02/01/13 23:50
なんかポーランドはかわいそうな国だというのだけ最近わかった。

351 :世界@名無史さん:02/01/14 00:02
>>350
最近はそうでも無いとつつくづく思う。
栄光の時代(15、16世紀)が有るだけ随分まし。
あのあたりは現在まで存続できなかった民族が結構ある。

352 :梵阿弥:02/01/16 14:09
>>349
昔パデレフスキを大統領と書いてしまいましてそれっきりになっておりました。すいません。
首相時代の元首は国家主席のピウスツキでした。
シマノフスキは民族音楽の要素を取り入れた音楽家と言われます。(聞いた事無いけど)

353 :左翼だけどガス室はなかったと思う男:02/01/18 10:53
ピウスーツキーについて、誰かお話して下さいませんか?

http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

354 :【^▽^】ジーモン・ブレスラウ@ケー二ヒスベルク:02/01/19 14:12
ポーランドはシュレージェン・シュテッティン・東ポンメルン・
東ブランデンブルク・東プロイセン南部をドイツに返還せよ!
さもなくば、ドイツはポーランド人を排斥し、定住は勿論、
ドイツへの入国も認めるべきではない。


355 :世界@名無史さん:02/01/19 17:00
ポーランドなんて人工国家だろ。ドイツロシアオーストリアの一部だったし。
日本との繋がりと言えばポーランドあたりにチンギスハーンこと源義経の軍隊
が攻め込んだことがあるけど。

356 :世界@名無史さん:02/01/19 17:26
・・・・・

357 :世界@名無史さん:02/01/22 12:50
>>355
激しくワロタ

358 :世界@名無史さん:02/01/22 13:18
何年か前、渋谷のヘルスでポーランド女性とプレイした。
プラス10Kで本番OKよ、と言ったが俺が5Kしか持っとらん
と言ったらそれでさせてくれた。

359 :世界@名無史さん:02/01/23 00:45
>>354
いいよジーモン、そういうのはもう飽きたよ。

>>355
そういう意味なら、人工じゃない国家なんてどこにもないよ。

>>358
いいなあ。
でも風俗だとポーランド最近はどこにもいないよ。
外人パブに少々程度。

360 :世界@名無史さん:02/01/23 00:48
ポーランドといえば世界一の地図製作国だって知ってた?
中世からの伝統。

361 :世界@名無史さん:02/01/23 04:39
>>359

ルーマニア、ロシア娘は結構いるけどね。

362 :ヒトラーは嫌いだが:02/01/23 17:04
このサイトを見てください。
http://www.nsjap.com/marco/
この記事には間違った個所も多数あるが、結論は正しいと思う。
ポーランド人は、この問題をどう考えているのだろうか。

363 :世界@名無史さん:02/01/23 23:07
ポーランド人はガス室の存在そのものを問題にはしていないようです。
重要なのはナチがどんな政策を行ったか。
しかしそれでさえ現在では完全に歴史学の領域になりつつあり、政治的には
第二次世界大戦はほとんど何の具体的影響もありません。ドイツ側も同様。
ポーランド・ドイツ間の第二次世界大戦における歴史認識の扱いは
政府でも民間でも非常に協力的です。
イスラエルやアメリカのユダヤ人団体にとってはその民族的性質上政治的な
影響力もまだまだ強く残っています。

364 :世界@名無史さん:02/01/23 23:13
>>363

恐らくポーランドでは寧ろナチスの後にやってきたソ連に対して
感情が悪いのでは?
ソ連が挟まっているために対独感情は悪くないと推測します。
台湾の対日感情同様。

365 :嵐を呼ぶ男:02/01/23 23:20
この本は読みましたか?
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

366 :世界@名無史さん:02/01/23 23:25
>>364
ドイツは5年、ソ連は40年ポーランド人を苦しめたからね。
それに西ドイツ→新生ドイツは真摯な態度を示し、国民国家そのもの
さえ否定し始めてているのに対し、ロシアではいまだに旧時代的な
民族主義的発言が散見される。

367 :世界@名無史さん:02/01/23 23:47
>>365
ガス室などの問題はポーランドにとってもドイツにとっても
今はすでに遠い過去の問題を扱う学問の分野だからタブーというのは
全くありません。これからも歴史的な研究は続けられます。

タブーがあるとすればアメリカなどのポーランド出身のユダヤ人団体や
イスラエル(建国当初からポーランド出身の人々が政治経済の中枢の
大半を占めている)においてでしょう。

ところで数年前、アウシュビッツの遺跡周辺を十字架で囲んだ馬鹿がいましたが、
首謀者は(軽犯罪法の適用か何かで)逮捕され、また教会や国民から
大変な批判を浴びました。もちろん十字架は撤去されました。
また、オシフェンチムに巨大ディスコ(クラブ)を作ろうとした商売人がいて、
マスコミにすっぱ抜かれ、まだ犠牲となった人々とその関係者の
悲しみがいえたとはいえない時期だからそういうのは自粛すべきだと
いう論陣が張られて、草の根の反対運動も起き、結局それは
開店しませんでした。
これらはタブーというよりも、基本的には犠牲(マルコポーロ的には犠牲となった
「かもしれない」)となった人々や関係者の気持ちを慮ってのことで
きわめて常識的であって、十字架で囲んだり外国人相手の
遊戯施設を作るなどというほうが非常識だというべきでしょう。

368 :嵐を呼ぶ男:02/01/24 02:44
アウシュヴィッツ周辺にも、若い人は住んでいるでしょう。
彼らがディスコで遊びたいのを禁止する権利は誰にも無いの
ではないかと思います。
http://www.nsjap.com/marco/

369 :>ALL:02/01/24 03:55
いかにもなハンドル、議論のための議論、リンク先の執拗なコピペ、リンク先の内容。

・・・そこまでして議論したいという人格には、なんらかの寂しさ、人とのコミュニケーションを求める反面、
ある種の凝り固まった自我が散見します。

あまり、あいてしないほうがよろしいでしょう

370 :世界@名無史さん:02/01/26 03:40
ポンメルン公国は30年戦争の時代に滅びました。

371 :世界@名無史さん:02/01/29 15:17
ここは超優良スレですな。
亀レスだが、
>>30
ポーランドの現在の一人当たりGDPは約9000ドルですぞ。チェコは6000ドル弱。
田舎は日本の東北地方同様殆ど自給自足経済だが、都市の発展は目覚しい。
ここ2年くらい不況で失業率も非常に高いがEU参加のための構造改革期なのだから当然。
これはEUからの経済支援で乗り切るだろう。人口4000万の巨大市場は何としても育て上げていかなくてはいかん。
10000ドルクラブ入会はEU加盟前後でしょうな。

372 :世界@名無史さん:02/01/29 17:16
>>366
>国民国家そのものさえ否定し始めてているのに対し、

どこの電波を受信したんですか?


373 :世界@名無史さん:02/01/29 22:31
>>372
ドイツのEU構想ってそういうことだよ

374 :世界@名無史さん:02/01/29 23:21
>>371
都市や西部・南部と東部農村の格差がけっこうあるそうなので
都市民の多くははよっぽど金持ちなんだろう。

375 : :02/01/30 00:55
>ドイツは5年、ソ連は40年ポーランド人を苦しめたからね。

40年間政治的な圧迫(あと将校の大量虐殺)をしてきた国と、5年とはいえ、
人口の5分の一の600万を殺し、都市町を徹底的に破壊してきた国を
あなたならどちらを憎むでしょう?

376 :世界@名無史さん:02/01/30 02:06
ポーランド人はどっちも嫌い。
ポーランド人は建国当初から後にドイツ人と呼ばれる人々と
絶えず抗争をしていたし、
露西亜人とは16世紀以来不倶戴天の敵だ。
「ポーランド人にとってカトリックとは露西亜とドイツと戦うための弾丸だ」
とゴンブロヴィッチは言っていたくらいだ。

377 :世界@名無史さん:02/01/30 06:30
>>375
どっちも。

378 :世界@名無史さん:02/01/31 18:55
>>376
そんなに簡単じゃないよ。
「寛容」を最大の美徳とする国民性もあるし。

379 :世界@名無史さん:02/02/12 00:10
Na gorze.

380 :世界@名無史さん:02/02/16 11:36
禿



381 :世界@名無史さん:02/02/16 14:02
KGBの創設者のフェリックス・ジェルジンスキーはポーランド人だね。
どういういきさつでボルシェビキに入ったのかな?

382 :世界@名無史さん:02/02/16 23:09
>>381
多分
ユダヤ系であることから、スターリンの元での保身など複雑な事情があった。
ポーランドのナショナリストでなく、筋金入りの共産主義者だったこと。
ポーランド民族に対する特別な感情がなかった。

383 :観光情報:02/02/16 23:33
>>381
ワルシャワの「銀行広場」(中央銀行があったから)は
共産主義時代「ジェルジンスキー広場」だったが、
体制変換後「銀行広場」もどった。
西端には中央銀行のネオ・バロックの巨大な建物、東端に巨大な総ガラスのソニー・ビルがある。
広場南端のホテル・サスキの一階のフィシェルとデル・エレファントと
いう2つのバーは最高!!
北端に地下鉄駅があるが、そこにKFCとピザハットがある。

384 :世界@名無史さん:02/02/19 17:03
ポーランド南部に、ヴイェリチカ岩塩坑というところがありますけど、
ここってすごいですねえ!
岩塩で作られた彫像、レリーフ、シャンデリアなど。
ポーランド王ボレスワフ・フストドリビとの結婚のため、
ハンガリーから輿入れしたキンガ姫が見つけたという伝説があるみたいですけど。
ヨーロッパでこれだけ岩塩があるところはオーストリアのザルツブルクとか、
ドイツのバイエルン州ぐらいしか思いつきません。
もっともここで働かされた労働者は悲惨だったかもしれないけど。

385 :世界@名無史さん:02/02/19 17:09
>>384
あのレリーフやチャペルは中世から連綿と労働者によって作られたものの上に、
近代に観光用に彫ったものが付け足されたわけで、
社会主義時代に観光収入期待して即席に作ったものではないんですよね。
岩塩鉱の労働者の仕事は大変だったけど、収入はすごくよかったそうです。

386 :コワルスキ:02/02/19 18:09
その後のポーランドとドイツの歴史を考えれば、タンネンベルクの戦いの後、
プロイセン貴族を全て抹殺し、庶民を全ポーランド人化して諸悪の根元の
プロイセン騎士団を壊滅して橋頭堡を潰しておけば、その後のドイツの
東方侵略にある程度対抗できたのではないだろうか。

387 :世界@名無史さん:02/02/19 18:48
>386
そんな単純なものじゃないと思うけど。
やっぱり根本的な原因はポーランドの「選挙王制」にあったと思う。


388 :世界@名無史さん:02/02/19 22:35
>>386
いまの、というかちょっと前の「国民国家」の時代を経た今では
ポーランド対ドイツ騎士団というのは、ポーランド民族対ドイツ民族みたいに
思われがちだけど、あの抗争当時はそうじゃなかったんだよね。
こういうところだから、全部説明しきれないけど、簡単に言うと、
ドイツ騎士団の進出(リトアニア貴族は相続によって代が変わると土地が
細分化していってしまうのに対し、ドイツ騎士団のは、土地が公共の
所有物だから相続で減ることがないわけ)危機を感じたリトアニア貴族の
利害関係(経済問題つまり当時は土地問題)に(どっちかというと
あんな土地の痩せた北の方じゃなくウクライナの方への殖民に
興味があった)ポーランド貴族が巻き込まれて、抗争になったわけ。
だから、確かにポーランドはドイツ騎士団に勝ったんだけど、民族戦争じゃなく
経済戦争だったから、当時ドイツ人皆殺しという発想は
全く思い浮かぶはずがなかった。
いまから考えれば、ドイツ人皆殺しておけば、あとでプロイセンやナチに
ポーランド人があれほど苦しめられることさえなかっただろうというのは否定しない。

389 :世界@名無史さん:02/02/20 01:01
>>ポーランド貴族が巻き込まれて、抗争になったわけ
と言う言い方は順当ではないと思われ。
なんと言ってもヴィスワ川とバルト海の商業利権は莫大だ。
ポーランド貴族はヴィスワ側河口地帯を騎士団に取られてから
そこを足場に内陸部をどんどん騎士団に侵食されていたからね。
このままじゃジリ貧だと思ったポーランド貴族がハンガリー王の
娘ヤドヴィガの王位継承権と引き換えにリトアニア大公ヨガイラと
の結婚を画策したのだ。(リトアニア側にはローマキリスト教化を要求)
リトアニアの方もポーランドと同君連合が組めれば、ポーランドに適用されてきた
欧州諸法の権利が認められ、ラテン的国際社会に入れるのだから、ポーランド
貴族の画策に飛びついたからでしょう。


390 :389:02/02/20 01:47
それからもしトルンの講和後、後に独逸人と呼ばれる人々を皆殺しに
したら。ポーランドの黄金時代と言うものは確実にこなかったぞ。
というより、あの地域の発展は独逸東方殖民とその子孫たちなしには
成立しなかったあるYO。
騎士団自体、ポ分裂期にマゾフシェ公に古プロイセン人対策のために
招聘したわけだから、東方殖民の一環であるな。
まあすぐにポーランド諸侯の言うことを聞かなくなって、暴走を始めたから、
とんだ疫病神を呼び寄せたわけだ。

391 :世界@名無史さん:02/02/20 22:06
ポーランドの南東部にザモシチという街があるけど、ここはポーランド貴族
ヤン・ザモイスキが16世紀にヴェネツィアの建築家に命じてつくらせた
ルネサンス風の街。
それにしても一人の貴族が一つの街をまるごとつくってしまうとは・・・
いかにこの時代のポーランド貴族が金持ちだったかわかるね。

392 :世界@名無史さん:02/02/20 23:40
>>387
いやー、それよりもカジミエシュ -ノッポ- 大王に嫡子がいなくて、
ピヤスト王朝が廃絶したのが大きい。


393 :世界@名無史さん:02/02/21 15:38
17世紀にはバルト海の覇権をめぐってスウェーデンとも戦っているしね。
それにしてもポーランドではなぜ貴族の力が増す方向にいったんだろう?

394 :世界@名無史さん:02/02/21 20:44
Na gorze.

395 :世界@名無史さん:02/02/21 20:57
>>393
>>392氏が言及したのと関係がある。
王朝の家系断絶が重なったのが原因。
また、貴族達は外国の王族と親戚だったりした。
さらに、集権的なプロイセンを嫌ってポーランドに移った元ドイツ人貴族の
家系があるように、ポーランドは貴族の楽園だった。
ヨーロッパの王権の歴史というのは、貴族の自由との確執の歴史。
ポーランドは元々大貴族が非常に豊かだったことも。

396 :世界@名無史さん:02/02/21 21:02
>>389
>>388じゃないけど。
リトアニアと組もうとしたのはポーランド貴族の一部だし、
リトアニアの方に切実な危機感があったんだよ。
そのポーランド貴族達を引き入れたのはリトアニア人で、
それと引き換えにポーランド人が同君連合を持ち出したはずだよ。
ちょっと確かめてみるわ。

397 :396:02/02/21 21:04
あと
ポーランド+リトアニア 対 ドイツ騎士団
の戦いを
ポーランド人+リトアニア人 対 ドイツ人
と捉えると、認識がおかしくなるよ。

398 :世界@名無史さん:02/02/22 00:40
>>389-390
自分も>>388では無いわけだが、
現在のヨーロッパでは全く時代遅れの中世史観だが、キミは一体どこでそんな知識を吸収したのかね?

399 :世界@名無史さん:02/02/22 01:36
世界一高いテレビ塔はいまどうなってるの?

400 :世界@名無史さん:02/02/22 01:49
>>399
テレビ塔でなくラジオ塔。
全世界のポーランド人に向けて放送していた。NHKのラジオ日本のようなもの。
のど自慢まで放送したりして、そこまでNHKそっくりだった。
政治的事情で海外に中継局が作れないので、仕方なくあんな高い塔を建てた。
もともとワイヤーで固定した華奢な構造で、数年前に倒壊してしまって、いまは無いよ。
もう全世界に中継局があるし、ネット放送もしてるから、もう必要ない。

401 :世界@名無史さん:02/02/22 15:18
ポーランドとウクライナの関係はどんなものですか?
ウクライナのリヴォフあたりは昔ポーランド領だったと聞きますが。
このあたりはゴシック様式やバロック様式の建築物が多いですね。

402 :世界@名無史さん:02/02/22 15:48
>>387
国会の全会一致制にも。亀レスなのでsage

403 :世界@名無史さん:02/02/22 16:12
>>401
どの時期の関係?
あそこの国際関係は複雑で、時代を絞らないと説明するほうも難しい。
でないとものすごく大雑把な答えになってしまう。

404 :世界@名無史さん:02/02/22 17:00
>>403
第二次世界大戦後に絞ってお願いします。

405 :世界@名無史さん:02/02/22 17:12
>>404
まだまだ大雑把だけど、
戦争中から戦後すぐは大変だった。ウクライナ極右を初めとする
ウクライナ人強盗団がポーランド内を徘徊して、
ポーランドの住民(ポーランド人だけとは限らない)に対して
強盗殺人を働いていた。とくにマウォポルスカ・ガリツィア両地方に行くと
農家の大半は家族の誰かが不良ウクライナ人に殺されている。
共産主義政権が安定してからは、シロンスクとウクライナを結ぶ貨物鉄道が
敷かれ、経済関係が緊密になる。
現在はポーランド・ウクライナ関係は政治的に良好。先進国企業が
ウクライナに進出する際は、ポーランドを窓口としている。
ウクライナ側の農業政策の混乱で、ポーランドから野菜やジャガイモなどが
輸出されている。

406 :世界@名無史さん:02/02/22 18:33
>>405
ありがとうございます。
ガリツィアは旧ハプスブルク帝国領でしたね。

407 :世界@名無史さん:02/02/22 20:43
>>405
たぶん、UPA(ウクライナ蜂起軍)の事を指しているのだろうけど、
「ウクライナ人強盗団」とか「不良ウクライナ人」と言う言い方は
適当ではないと思われる。

408 :世界@名無史さん:02/02/23 00:21
>>407
まさかUPAだけってことは無いでしょ。

409 :世界@名無史さん:02/02/23 14:02
ポーランドはピウスツキの死後、国内がいくつものグループに分かれて
争う状態になりましたが、やはりピウスツキの個人的権威に依存した
体制だったことが原因ですか?

410 :世界@名無史さん:02/02/23 18:45
はっきり言ってそうです。第2共和国の不幸はドキュソな建国の父の
権威のみで統一を維持してきた面があることです。


411 :世界@名無史さん:02/02/23 21:40
ピウスーツキってどこがドキュソだったんすか?
戦間期のポーランドつーか東欧ってやっぱりソ連とドイツを考えないとあかん気がします。
しかもポーランドはあんなひろーい領土とっちゃったからなー。

412 :世界@名無史さん:02/02/23 22:52
ピウスツキ支持者の与党陣営を「サナツィア」と呼ぶけど、
左派から穏健派、親ファシスト派にいたるさまざまな傾向を
内包していて、決して同質な集団ではなかった。


413 :世界@名無史さん:02/02/24 10:32
>>410
彼自身がドキュソだったというのは皮相な見方だ。第一次大戦後のドイツ・ソ連に
挟まれた環境の中でスタートした多民族国家として、ある種の「国民統合の生ける象徴」を
必要としていたポーランドの事情を考慮すると、一時的にせよああいう
人物が必要だったのは否めない。国論はピウスツキ存命中も分裂していたが、
民族政策的にはリベラルだった彼の元でまとまることで国力をつけていくしか、
道は無かった。ポーランドの政治的立場を考慮すれば、近代化に必要な社会的安定の
ためには、他の選択肢は現在でも考えられない。

414 :410:02/02/26 18:45
>>413
確かに、常に不安定だった第2共和国においてピウスツキは国民統合の象徴として役割は決定的であった。
しかしながら、完全に時期を逸したキエフ侵攻や26年クーデター、その後の政治オンチの中途半端な
政治関与、救いようのない旧式な軍事思想等、彼の政治家や軍人としての能力や行動をみると、
目立ちたがりの土泣訴と言わざる得ない。
漏れは適切ではないと思いつつ、同時期のチェコスロバキアのマサリク大統領やフィンランドの
マンネルハイム元帥と比較する誘惑を禁じ得ない。

415 :世界@名無史さん:02/02/26 20:42
>>414
ただ、マサリクには西欧を理想化しすぎる傾向がありましたね。
あと、ズテーテン・ドイツ人地区の非ゲルマン化を示唆したりしていた。

416 :世界@名無史さん:02/02/26 21:05
http://www.learn.co.uk/versailles/countries/poland.htm

↑ピウスツキの画像

417 :世界@名無史さん:02/02/26 21:10
上の写真はまだ比較的若いな。

418 :世界@名無史さん:02/02/26 21:23
http://www.ampolinstitute.org/images/old/pilsudsk.JPG
http://www.poloniatoday.com/history14.htm

↑こっちの写真はだいぶ年取ってる。

419 :世界@名無史さん:02/02/26 21:57
すみません、ポーランドのジャーナリストで、
「ヴィヴォルシャ」紙外報部長で、「ダビッド・ワルシャフスキー」の
ペンネームで評論家としても活躍していたコンスタンチン・ゲーベルト
という方をご存知ですか?
ユーゴスラビアでの内戦のとき、日本のメディアでも紹介されてましたが
彼は今いずこに・・・

420 :世界@名無史さん:02/02/27 15:01
>>419
ポーランドにいる。
たしかユダヤ系月刊誌Midraszの編集長をして、
ガゼタ・ヴィヴォルチャのアダム・ミフニクよりも
突っ込んだ民族活動をしているはず。

421 :世界@名無史さん:02/02/27 15:18
>>420
ありがとうございます。
彼はもともとバルカン半島から地中海沿岸諸国の専門家だった
らしいです。
旧ユーゴスラビアで紛争が勃発してからは、しょっちゅう現地に足を
運んで調査を重ねていました。
インタビューで、
「私が知る限り、少なくとも初期の段階のボスニア紛争は、ギャング
の闘争以外の何ものでもありませんでした。」
と語っていましたが・・・
あと、反ユダヤ主義についても心配していました。

422 :世界@名無史さん:02/02/27 17:42
1939年春以降、英仏がソ連と相互援助条約を結んだときも、
ポーランドは対独戦がはじまった場合のソ連軍の自国通過権を
最後まで認めなかったわけですが、もしこれを認めていれば、
独ソ不可侵条約は結ばれることがなかったのでしょうか?

423 :世界@名無史さん:02/02/27 17:48
>>422
独ソ不可侵条約が先で、ポーランドの英仏との相互援助条約が後でしょ?
独ソ不可侵条約へに対抗措置として。

424 :世界@名無史さん:02/02/27 17:50
毒素8月23日。
波英波仏8月24日。毒素の秘密議定書の内容はバレバレだった。

425 :世界@名無史さん:02/02/27 18:09
ドイツとソ連の接触は4月頃から始まって、
英仏とソ連の同盟交渉は6月から始まった。
ソ連は両天秤をかけていた。

426 :世界@名無史さん:02/03/01 21:01
ドイツ軍のポーランド侵攻前、ポーランド政府はどんなことをやってたんですか?
かなり準備をしていたのですか?

427 :世界@名無史さん:02/03/01 22:23
>>426
簡単に言うと、ピウスツキ死後の政府の行動は出たとこ勝負の混乱状態。
ドイツと組もうとか、ソ連と同盟すべきだとか、政策は全く一致せず。
そんななかで、リトアニアとチェシンの併合という外交・軍事的「成功」を
誇張して何とか国民の支持をつなぎとめようとしていた。それだけ。
もちろん政府・軍・国民にも、そんな状態に警鐘を鳴らす人々がいたが、
ピウスツキ時代からの政治的独裁体制の下で、弾圧こそされなくても、無視された。
1918年の独立以降、国外からの投資案件の大半はすべてドイツの銀行を
代理店としていて、ワイマール時代はよかったが、ナチ時代になって実質上
ドイツ経済に完全に搾取されてしまって、財政に事態打開のための余裕がなくなってしまった。

428 :世界@名無史さん:02/03/01 22:41
軍事的にも、政府の混乱から、まずい戦術を取った。
ドイツの電撃戦の規模を予想できず、自軍の兵力を国境地帯に
広く分散させ、相手の侵入のタイミングを見て包囲し、
砲兵を使って敵の装甲部隊を個別に破壊することを狙ったが、
飛行機の時代になって、制空権を握られることがどのような結果を
もたらすかが、読みきれていなかった。
飛行機の支援がなければ、ドイツ軍の速度は格段に落ちた。

429 :427:02/03/01 22:45
>1918年の独立以降、国外からの投資案件の大半はすべてドイツの銀行を
「大半はすべて」、じゃなくて単に「大半は」ね(w

430 :世界@名無史さん:02/03/01 22:54
>>427
リトアニアは併合していないよ。まあ恫喝して無理矢理外交関係結ばせたし
ゆくゆくは併合するつもりだったかもしれんが。
だいたい第2共和国(ピウスツキ)自体が最初から最後まで出たとこ勝負の
大博打ばかり。結構博打運が良かったが最後に身ぐるみ剥がされてすってんてん。
うん、これこそポーランド史だな。
でも今の第3共和国はさすがに足が地に着いているな。最初の完全自由選挙の時の
小党乱立を見てどうなることやらと思ったが。


431 :世界@名無史さん:02/03/01 22:57
>>430
そうそうリトアニア併合は筆が滑った、どうも。

432 :428:02/03/01 23:03
>>428
>ドイツの電撃戦の規模を予想できず
これはちょっと言い方が酷すぎるYO。独逸の陸空共同の電撃戦は
まさに軍事革命だったから、予想しろと言われても。
でも個々の戦いを見るとポ軍はよく戦ったと思う。ポの兵隊さんは
勇敢で強かった。

433 :世界@名無史さん:02/03/01 23:06
>>430
戦前は、みんなテンでバラバラの多民族国家。
ピウスツキの独裁を許すか、国家がメルトダウンするかどちらかだった。
戦後は、強制的な住民交換や移住によりポーランド人ばかりの
単一民族国家になり、統一した教育と社会政策によって、
真に「ポーランド民族」が成立したといえる。
そして今は、「ポスト民族主義の時代」に入りつつある。代償は、高失業率。
農業部門は遅れていると言うが、農薬や化学肥料を大量に使用する大規模農業を
反省すべき時代に来ていて、ポーランドやそのほかの国の小規模農業を
有機農業の基盤として見直す動きもあるが、経済性とどうやってバランスを取っていくかが課題。

434 :世界@名無史さん:02/03/01 23:07
>>432
でもね、電撃戦そのものの基本プランは、ポーランドでも軍事専門家は
研究していたが。。。まああまり厳しい見方は確かに酷かもね。

435 :世界@名無史さん:02/03/01 23:13
>>433チェコやウクライナなんか酷いもんだからな>大規模農業

436 :世界@名無史さん:02/03/01 23:18
>>435
数少なかったポの集団農場の結末も悲惨だぞー。

437 :世界@名無史さん:02/03/01 23:25
>>436
確かに旧集団農場の現況は悲惨。
でも元々ポでは農家の9割以上は個人農。

438 :世界@名無史さん:02/03/01 23:32
ポーランド農業の課題と将来性について
http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/wadai/paiz11.htm

439 :436:02/03/01 23:33
>>437


440 :438:02/03/01 23:34
低コストに加え品質と安全性の高さが特徴で、近代化が課題

441 :436:02/03/01 23:38
へまった。
>>437
だから「数少なかった」って書いているだろ。
まあ一般農家の大半は非常に厳しい。

442 :世界@名無史さん:02/03/01 23:40
>>440
ポの農産物(と加工品)だと、日本ではキュウリの漬物・グースダウン・
ウォッカくらいしか見かけないが、
安全性が問題となるこのご時世、なんかあと日本で輸入できるものあるかも?

443 :世界@名無史さん:02/03/01 23:44
ソーセージやハム等の肉加工品や乳製品は実に美味なのだが、輸出は難しかろう。

444 :437:02/03/01 23:45
>>441
ん?
何が不愉快?
俺は別に全否定してないし、言葉尻を問題にしてるわけじゃないが?
まあマターリと良スレまもろうぜ。

445 :世界@名無史さん:02/03/01 23:56
>>443
何でも難しいとか厳しいとか言って片付けるのは簡単
商売ってのは何をするんだって結局は投下資本と企業意識の問題だyo

446 :世界@名無史さん:02/03/02 12:34
>>432
ドイツとポーランドの戦車は40対1、飛行機は7対1だったらしいね。
9月17日に今度はソ連が東ポーランドに侵入。
ワルシャワは9月27日に陥落。

447 :世界@名無史さん:02/03/03 12:47
以前「ニューズウィーク」に、ドイツ人が一番好きな国民はフランス人、
嫌いな国民はポーランド人というアンケートの調査結果が載っていたが、
やっぱり戦争責任問題をめぐってゴタゴタしてるのかな?

448 :世界@名無史さん:02/03/03 15:21
>>447
戦争責任問題は無い。
終戦時に住民交換をやったことで歴史的なトラウマがあるが、
それはポーランド人でもソ連にやられた事。
やはり半世紀にわたってワルシャワ条約機構軍の主力がポーランドに進駐し、
ドイツの柔らかい腹に匕首突きつけていたというのもある。

しかし、アンケートから読み取るべきは現在のドイツ人はポーランド人がそれほど好きではない、
という程度の意味で、別に特に嫌いというわけではない。単純にドイツ人に対してポーランドが
積極的に何か利益になることをもたらしたという歴史がないから。それと、
ドイツ人は豊かなフランスに対して盲目的な憧れを持っている。これは一人当たりGDPとか
強かったドイツマルクとか、そのようなものでは払拭できない宿命的な劣等感。

449 :世界@名無史さん:02/03/03 15:29
>>448
隣国でありながらチェコやハンガリーほどにはドイツと関係が深くないからな
ポーランドは移民や何かの人脈関係でどっちかっていうとアメリカやフランスとの関係が深いだろう
ポーランドのものって必ずといっていいほどアメリカとフランスが関っている

450 :世界@名無史さん:02/03/03 15:46
フランスやアメリカの飛び地みたいな陽性の文化圏がすぐ東側に
壁のように立ちはだかってたら、そりゃドイツにとっては不可解だろうし、
不可解なものをなかなか好きになれないのは人間だったらよくあることだ。
プロイセンやナチ時代の妄想から醒めた現代のドイツ人が
隣国のポーランドを大好きにはなれない理由といったらこんなとこだろう。

451 :世界@名無史さん:02/03/03 15:51
>447
冷戦時代のジョークで
「フランス人はドイツが大好きなのでたった一つしかないよりも、二つあったほうがイイ!」
ってのがあった。
漏れも
「日本人はコリアが大好きなので、二つあったほうがイイ!」
「日本人は中国が大好きなので、沢山あったほうがイイ!」

452 :世界@名無史さん:02/03/03 20:22
>>448
フランスについては、戦後アデナウアーやドゴールのような両国の政治化が
関係改善に努力したことも大きいと思う。

453 : :02/03/04 01:15
>>452
ポーランドに関しては「ポーランドの田中角栄」ギェレクと、
新時代ドイツ先導した宰相ブラントとの外交的成果が挙げられる。

454 :世界@名無史さん:02/03/04 01:56
ポーランドは第二次大戦で開戦当時3000万の人口のうち5分の1に相当する602万人を喪失したと記録されている
うち半分の300万人はユダヤ系ポーランド人
もちろん犠牲者の大半はドイツやソ連との戦闘行為ではなく、強制収容所で命を落とすか、もしくは政治犯として処刑されたものだった
ソ連もカチンの森での虐殺事件のようにナチス顔負けの虐殺行為を行っている
ポーランドはナチスによるドイツ化計画が最も強力に推進されただけに、被害も大きかった


455 :世界@名無史さん:02/03/04 09:30
>454
確か知識人を根絶しようとしたんじゃないかな。
ソ連占領地域では150万人が流刑になり、半数が死亡。

456 :梵阿弥:02/03/04 13:00
>>411
確かにポランドは歴史的にドイツとロシアに挟まれて苦労もあったでしょうけど、第一次大戦直後は
珍しく圧力をそれほど強く感じなかったのではないでしょうか。ドイツはワイマル共和国で軍備を
ひどく削られたし経済的にもポランドを侵略する力は無かったでしょう。ロシア帝国も崩壊し、
ソ連邦も干渉戦争(一枚噛んだ)に忙殺され、一段落後も社会の再編に忙しく、少なくとも軍事侵攻
はありえなかった。欧州で水平的改革運動が時に暴力を伴い広がったのは、即ちソ連邦の圧力・操作
というわけでもありませんね。上シュレジェンや東プロイセン南部の住民投票が思わしく行かないと
蜂起を企てたり、東方で領土を1.5倍に広げたり、隣国の敵意を増してしまったのはどうだったか。
>>430
1918年に独立を表明した新生リトアニア共和国に侵攻し首都でありユゼフ・ピウスツキの出身地
でもあるヴィリニュス周辺を「中部リトアニア」として独立させた上で住民投票を行い併合しま
したね。反併合派は棄権したのでこの投票の評価は難しい。

457 :梵阿弥:02/03/04 13:26
>>413
確かによく比較されるドモフスキはローマ普遍宗国教化等国民の均質化を唱え、中央政界を退いて
からは教育に打ち込みますが後にユダヤ教徒弾圧を行う人材が育ってくる。本人も晩年は自由石工
がどうのこうのと妄想にはまってしまったとか。ピウスツキにはそういう話は聞きません。しかし
農地改革を行わず、東部のポランド系大地主とウクライナ系小作人の対立では地主側にはっきり
立っていたと言えます。この辺は民族問題でもあり階級闘争でもある。かつてのシラフタを模範的
国民とする風潮の中ではやはり少数民族抑圧になって行くことは避けられません。勿論ピウスツキ
一人の責任ではありませんが、東方に拡張したことにより問題を拡大してしまったといえます。
小党乱立で議会が混乱していた訳ですがこれも領土拡張で地域・民族に基盤を置く政党を増やし
混乱が増した可能性がある。議会の機能不全を乗り切るための個人崇拝的権威主義だったとよく
言われますが、混乱を助長した張本人の絶対的権威化、と言い得るのならば何とも皮肉な話です。
議会では「翼賛無党派」の増大を図り選挙干渉を繰り返し、反抗的野党人をブジェシチ
(現ベラルシ領ブレスト)の収容所に送ったとか、「大佐グループ」を重用し軍の官僚機構への
浸透が進んだ、とかどことなく東西の隣国を思わせます。尤もこれらは不況期に重化学工業化を
図る時に良くある事なのかもしれませんが。

458 :世界@名無史さん:02/03/04 13:37
>>456
>ドイツはワイマル共和国で軍備をひどく削られたし経済的にもポランドを侵略する力は無かったでしょう

全くの誤解であって、それはワイマール共和国が平和的共和国だという
誤った大前提の下に立てられた誤った推論にしか過ぎない。
1918年のドイツの敗戦によってではドイツは世界の民衆が考えていたほど
弱体化はしていなかった。国土は戦場とならず、工業とインフラは殆ど無傷だった。
領土においても、当時の「民族自決の原則」という偽善に守られ、
ヨーロッパではロシアに次ぐ大国の地位は守られた。ハプスブルグ帝国は崩壊し、
代って多くの若い、歴史的必然として互いに敵対する小国が生まれ、
また、ポーランドなどの国家がロシアとの間に成立したおかげで
緩衝地帯が出来て、ドイツはこの時代に、真にヨーロッパのヘゲモニーを
確立するための諸条件、つまり政治的資産を満喫した。つまり軍事的敗戦は
政治的勝利であったこと、つまり、ドイツの国力はいつでもその再軍備を可能にし
さらにポーランドに対してプロイセンの領土的野心を完遂るには十分なくらい
温存されていた。
これを忘れると変な善悪論でポーランドなどの東欧諸国の歴史観を歪めることになる。
さらに、実はワイマール共和国の歴代政府は外交的にはプロイセンに他ならず、
領土修正の圧力の矛先をポーランドに向けていたことも見逃してはいけない。
ポーランドにとってはワイマール共和国も「危険」な存在だったのである。
(ヒトラーは「領土修正」でなく、東欧全域の征服を考えていたので、
この点がワイマール共和国の政策と異なる。そのためナチはポーランドを
打ち負かせばそれで満足してそこで止まってしまうであろうプロイセン的な
ドイツ軍の意識を当初ポーランドへは向けさせず、オーストリアと
チェコスロバキアをまず最初の標的としたのである)
対ポーランドという点ではある意味ドイツの「戦争」は1918年から始まっていたという認識が必要。
かといって他の東欧諸国と同様、ポーランドは対独安全保障の為に
いざというときにはソ連軍をポーランド領内に引き入れる方策を採ることは
当然出来ない相談だった。ポーランドは貴族政治からブルジョワ資本主義への
転換の方向で国づくりを進めていたのにくわえ、火急の際一旦ソ連軍が
ポーランド領内に進駐するようなことがあれば、あとで少なくとも東部領土から
ソ連軍を帰国させることは殆ど不可能だと考えられたからである。時が経って
ソ連が国力をつけてくれば1920年の対ソ勝利の再現のようなことが
ありえないことは火を見るより明らかだった。
ドイツとロシアの狭間で、戦間期のポーランドの苦悩はいみじくも>>456
指摘されたような彼らの混乱した外交政策にも現れている。
戦間期のポーランド史は、単純な善悪論では片付けられない、
大国に挟まれた東欧新興諸国の激動の歴史の一部を形成している。

459 :世界@名無史さん:02/03/04 13:41
>>457
前時代の貴族主義からブルジョワ資本主義へと未だ脱皮
できなかった当時のポーランドとしては当然。
国家のエリートは大半が貴族階級出身者だった。
そうなると当然のことながら同様に貴族主義的であった
19世紀半ばまでのプロイセンと似た内外政策を取ることになる。

460 :世界@名無史さん:02/03/04 13:52
>>459
ヨーロッパ最後の貴族国家ともいえる

461 :世界@名無史さん:02/03/05 12:44
>460
現在のポーランドに、大貴族の末裔という人たちはどのくらいいますか?
ロシアの貴族みたいに、国外に亡命した人たちも多いの?

462 :世界@名無史さん:02/03/05 14:30
>>461
貴族と言うのは便宜的言い方で、厳密にはポーランドは日本の江戸時代と同じ士族制。
公爵・伯爵などという爵位を持っている人々は、外国の社会で授与されたもので、
ポーランド以外のヨーロッパ社会でその地位と認められている。ポーランド国内では、
実態は違ったが、原則的に士族はその財産の多寡に関らず、すべて法的には平等の
地位が約束されていた。実際には平等とはいえなかったが、それは中央政府の権限が
弱かったため法制度が有名無実化していただけ。つまり、日本人にわかり易く言うと、
将軍家も地方の郷士も法的には平等であったというようなわけで、これが日本の
士族制度とポーランドのそれが異なるところ。類似点は国民全体に占める
その割合。日本の士族は10%弱、ポーランドでは10%強。中世から
厳密な登録制になっていて、登録された士族は一人残さず記録されている。
族に大貴族といわれる大地主の士族(マグナート)は大きな家系を持っていて、
分家まで含めると大変な数になる。大亡命時代(ポーランド分割時代)に西欧へ、
その後アメリカへ移住したマグナートが多いが、ポーランドに残ったものも多い。
現在のポーランドに何人いるのか、士族制を廃止した現在ではわからない。
最も代表的なのはチャルトリスキ家、ここの当主は現在家族の財団を運営し、
クラクフのチャルトリスキ美術館の館長で、日本で
やっている(いまは横浜美術館)チャルトリスキ・コレクション展の
展示品選択を担当した。ヤン・3世・ソビエスキ王の家系のソビエスキ家は
本家がアメリカにある。本家のお嬢様はハリウッド女優(リリー・ソビエスキ)。
その他、ポトツキ家・ラジヴィウ家・ザモイスキ家なども大資産家として
英仏などに住んでいるが、ポーランドにも帰ってきている。ザモイスキ家は
去年クラクフ近郊の先祖の旧城を、ポーランド政府から買い戻した。

463 :世界@名無史さん:02/03/05 17:07
>>449
チェコの場合、ハプスブルク時代から、ヴルダヴァ川の水系が、
ボヘミアをドイツ北部や北海へと近づけていた。
ボヘミアで生産された品物は、エルベ川を下って北海河口の商業都市ハンブルクで
取引された。


464 :世界@名無史さん:02/03/05 19:00
>>462
ザモイスキ家といえば、ザモシチというルネサンス様式の街をまるごと
ひとつ造ってしまった。
16世紀、イタリアに留学したヤン・ザモイスキが、
「いつか祖国にルネサンスの街を造りたい」
と夢見たことがきっかけ。
いまでもポーランドのルベルスキェ県に残ってる。


465 :世界@名無史さん:02/03/05 19:52
俺の知ってるポーランド人ってみんな
いい奴ばっかなんだよな

466 :世界@名無史さん:02/03/06 00:19
いま爆笑問題の番組観てて思い出した。太田は物知りだなあ。
ポーランド人作家、テオドル・ヨセフ・コンラド・ナレツ
英名ジョゼフ・コンラッド
彼の短編「闇の奥」は映画「地獄の黙示録」の原作。
彼は天才。
ポーランドに興味があってもこれを見落としてる人多いんだよな。

467 :世界@名無史さん:02/03/06 00:34
>>466
岩波文庫

468 :世界@名無史さん:02/03/06 00:53
>>466
コンラッドの本当の本名は、ヨゼフ・コジェニョフスキだよ。
太田ホントすごいな。

469 :世界@名無史さん:02/03/06 01:36
>>465
ポーランド人であることを誇りに思ってるのはいい奴らが多いんだけど、
西欧(つーかアメリカ文化)にカブレて異星人みたいな若者も多いよな。
特にアメリカに留学してる奴らはすっかり舞い上がってる感じで、
どこか日本人バカ留学生に似ている。とくに女。
でも総じてポーランド人って好感の持てる奴多いね。

470 :世界@名無史さん:02/03/06 01:47
>>466
おっ、コンラッド!
彼はイギリスに引っ越す前、ワルシャワの
新世界通り(ul. Nowy Swiat)47番に住んでた。

471 :世界@名無史さん:02/03/06 01:52
あ、「闇の奥」が原作なのか。
いわれてみればそうだね。
「西洋人の目には」読みかけでやめてしまった。

472 :世界@名無史さん:02/03/06 17:37
コンラッドは英国に帰化したあとも、常にポーランドのことを思いつづけて
いたんだ。しかし、彼は帰らない燕だった。彼はひどく醒めた目でポーランドと
その国民を見ていたようだね。彼は文学の目的は、国境や文化圏を超えた人間たちの
〈連帯〉の感情の確認、同朋意識の表現にあると考えていた作家だが、またきびしく
ボヴァリズム、つまり現実の厳しさから目をそらす傾向を批判しつづけた思想家でもあった。
彼はポーランド人でいながら、英国流のリアリズムに帰依した人間なんだよ。
コンラッドは自分が安易な夢、素朴な希望にのめりこむことを認めなかった。
そんな彼には、祖国ポーランドの人々は政治に対するリアルな目をもたず、
大きすぎる希望に身を投げかけては、くり返し挫折と幻滅におちいるロマンチストに
見えたらしい。現実的な視点からすれば、とうてい達成不可能なものを希望するのが
ポーランド国民の特徴であり、それはまたパセティックな挫折感と一体を
なしている、と彼は指摘しているんだ。ロマンチックすぎる昂揚感と、パセティックな
挫折感、それを繰り返すことをコンラッドはどうしても認めたくなかった。
平凡きわまりない日常よりも、美的な悲劇性に共感する傾向、それは日本人と
ポーランド人の共通項のひとつだとぼくは思っている。〈灰とダイヤモンド〉に
もそれはあると思うね。この国では、希望は常に幻滅と重なりあっている。
しかし、この国の人々はみな、コンラッドに指摘されるまでもなく、本当は
無意識のうちにそのことを予感しているんだ。でも、必ず悲劇に終わるだろうと
予感されている希望ほど美しいものはない。いいかい、鬼頭君。きみが東京の
〈虚栄の市〉をはなれてこのワルシャワに惹かれている、そこなんじゃないのかね。
もちろんポーランド人はただの安易な楽天家じゃない。ダイヤモンドが
灰のなかにしか転がっていないことを、歴史の体験で感じてるんだよ。
この街にあるのは苦い希望だ。しかし日本人はちがう。東京は二十一世紀のマンハッタンに
なるだろうと、皆がひそかに信じているのさ。口では日本に明日はないかも
しれないなどと不安がってみせても、じつは経済大国の地位は永遠につづくと
思いこんでいるんだ。こんなわれわれの単純な希望こそ、コンラッドが批判する
安易なオプチミズムと言うべきじゃないのかね。

473 :世界@名無史さん:02/03/06 18:37
現代のワルシャワも十分「虚栄の市」の資格有り。

474 :世界@名無史さん:02/03/06 23:01
映画「ブリキの太鼓」(ギュンター・グラス原作)で、カシューブ人という
ドイツ人でもポーランド人でもない意識を持った人たちがでてきますが、
彼らは今のポーランドでは少数民族として扱われているのですか?

475 :世界@名無史さん:02/03/06 23:08
>>474
言語的にいうと、じつはカシュープ語というのはポーランド語の強い方言で、
カシュープ人というのは日本では沖縄人(琉球語も日本語の方言の
一種)みたいなもの(たとえばアイヌ語は別系統の言葉だが)。
少数民族というより、生活面では完全にポーランド化していて、
ポーランドの文化的共同体の中の一部分をなしている。しかし
長くドイツ語圏に阻まれポーランド人文化の離島となって
いたカシュープ人の伝統文化の価値はポーランドでも見直されている。
やはり沖縄文化にたとえて理解するのがちょうどいい。

476 :世界@名無史さん:02/03/07 16:22
>475
ありがとうございます。
第一次世界大戦から冷戦時代にかけての東欧諸国の少数民族対策というのは、
それじたい大いに興味深いテーマだと思います。
ポーランドなんかまだましなほうだったんじゃないかなあ。


477 :世界@名無史さん:02/03/07 22:06
>476
そうか?
ウクライナ人やユダヤ人に対する扱いはかなり土泣訴だったと思うが。
他の国は通り一遍の事しか知らんので、何とも言えんが。

478 :世界@名無史さん:02/03/07 23:25
>>477
ウクライナ人やユダヤ人に関して戦間期のポーランドは基本的に
ボルシェビキと結託していたから、ポーランドにソ連型革命を呼び込む
敵性民族という扱い。公安は常にチェックしていた。こういう緊迫した
状況下ではドキュソと一言でいえない。巷のポーランド史に関する読み物は
この点を書かないところに少々問題がある。

479 :478:02/03/07 23:27
>>478
>ウクライナ人やユダヤ人に関して戦間期のポーランドは基本的に
>ボルシェビキと結託していたから

ウクライナ人やユダヤ人に関して戦間期のポーランドは基本的に
(彼ら少数民族がそれぞれの理由で)ボルシェビキと結託していたから

480 :世界@名無史さん:02/03/07 23:48
>>477
バルカン諸国のアルーマニア人や、ブルガリアのトルコ人の場合、
その存在すら認められなかった。
ルーマニアでの少数民族の扱いもひどかったんじゃないかな。
旧東ドイツだけはソルブ人やソルブ文化の保護もおこなったが。

481 :世界@名無史さん:02/03/07 23:53
>>480
>旧東ドイツだけはソルブ人やソルブ文化の保護もおこなったが。

ヴェンド人(ソルブ人)は西スラブ人だからね。
体制改革後になってみて、この政策だけは正解だったことがわかった。

482 :世界@名無史さん:02/03/08 00:38
ギボンの『ローマ帝国衰亡史』に、
「ポーランド議会のように六万人の騎士階層ないし貴族が馬に乗って
選挙という戦いの場へ集結する風習」
という文章が出てくるのですが、ポーランドの国王選挙は
実際にこんな感じだったのですか?

483 :【^▽^】故郷損失者ジーモン@ケー二ヒスベルク:02/03/08 00:41
私はは8分の1ゾルべンです。

484 :【^▽^】故郷損失者ジーモン@ケー二ヒスベルク:02/03/08 00:42
訂正:私はは⇒私は

485 :世界@名無史さん:02/03/08 00:49
>>482
そうです。で一人一票。リヴェルム・ヴェト(自由拒否権)もあった。
しかし資金力のあるマグナートたちを中心に派閥があったので、セイム(議会)は
常に根回し工作で決着。たとえば初代王家のピャスト(16世紀までシロンスクの候家)を
奉ずる派、ピャスト王朝の外戚(外国の王族)を挙げる派、別の外戚を
擁立する派などに分かれて、根回しのために大金が動いた。
そういうわけだから王に選出されたものも、基本的に政治的立場が弱く、
これが王権の伸張を阻み、大貴族は財を成して勢力を誇り、王権は
貴族の権力を超えることは出来なかった。たとえば元ドイツ系の貴族は、
プロイセンの王政に嫌気が差し「自由のポーランド」に移ってきたわけで、
多くの周辺国貴族にとってのシェルターだったから、国内政治そのものも
そんな無政府的な性格になってしまっていた。ヤン3世・ソビエスキ王の
時代とスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ王の時代を除いて。
最後の王は慧眼の君主だったが為に周辺国の警戒心を煽り、ポーランド
分割という野蛮な暴挙に突進していった。

486 :世界@名無史さん:02/03/08 00:50
ジーモンもジョーカーもポーランド人をことさら卑下するから嫌い

487 :【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/03/08 00:53
このジョーカーはアンチ・ポーリッシュではございません。
それはジーモンです。

488 :世界@名無史さん:02/03/08 00:58
良スレで来てるのに邪魔スンナよ【^▽^】
例の口調はみんな飽きたよ
一年も二年もよく続くよな、同じネタでさ

489 :485:02/03/08 01:43
>>482
選挙は首都郊外の巨大な野原の中心に四角く幕をはって、代表者が列席し、
それぞれの代表者の背後、幕の後方の原っぱに、馬に乗ったかあるいは徒歩の
数万の貴族たちが取り囲んでいた。まさに壮観。

490 :世界@名無史さん:02/03/08 02:46
>>478
そうなんだよね。
第二次大戦中日本人のいないカウナスに領事館なんか建てて
杉原千畝を置いたのは何故かってことさえ、答えている一般書はほんのちょっと。

491 :世界@名無史さん:02/03/08 10:11
>>490
彼が腕利きの情報収集者であったことは最近よく知られつつあるのではないか。


492 :世界@名無史さん:02/03/08 12:12
>>477
この時代、ポーランドに限らず、世界中でユダヤ人とボルシェビキを結びつける
陰謀論が流行しましたね。
ポーランドには「ブント」という労働者党があったけど、この党は
ボルシェビキとは対立的だったと思いますが。

493 :世界@名無史さん:02/03/08 12:36
>>492
大戦間期は、ポーランド・ソ連戦争を通じて
ポーランドに関しては「論」の範囲をすっかり越えていたから。
ユダヤ系の社会民主主義組織であったブントに関しては、その性質上、
後のソ連国内ではいわゆるメンシェビキだったから。労働者の組織化を
支援したが、ブンド自体は労働者よりもインテリが主体だった。
ポーランドでの彼らはロシアのそれと独自に活動し、大戦間期にも
国内ユダヤ人をバックにしてしっかりした基盤を持って社会党の左派を
形成していたが、ナチのホロコーストとスターリンのブンド弾圧により
弱体化して、戦後は統一労働者党がポーランドの政権を担うことになって
たしかそこで政治団体としては解消したと思う。
反ボルシェビキ・反シオニズム・国際的社会民主主義の派閥で、
ユダヤ人を基盤にしたリベラルな組織。いまでもアメリカにある。
現在アメリカのユダヤ系団体から出たと見られるリベラルな社会運動は
ほとんどこのブンドの人々から。それだけ現在でも国際的な影響力が強い。

494 :世界@名無史さん:02/03/08 12:46
>>491
しかし独ソ不可侵条約の締結を期にドイツへの決定的な不信感を得た日本政府が、
ナチスドイツの版図の隅々にまで張り巡らせたポーランド亡命政府(ロンドン)と組んで、
対ドイツ諜報組織を作り、在カウナス領事館の杉原のもとにポーランド軍諜報員が結集して
大日本帝国や満州国のパスポートを持って自由に飛び回っていたこと、さらに
カウナスを閉鎖したあともストックホルムの日本大使館(小野寺)と
ポーランド公使館(ブジェスクフィンスキとリビコフスキ)が密接に
連絡を取り合って対独諜報活動を進めたこと(リビコフスキは岩信平太という
日本名で満州国人として自由に飛び回っていた)、そしてその諜報活動から、
ドイツの対ソ作戦とその失敗を見事に予測して見せたこと、など
やっぱりあまりにも紹介が少ない。

495 :494:02/03/08 13:04
>>494
>ナチスドイツの版図の隅々にまで張り巡らせたポーランド亡命政府(ロンドン)と組んで、
は、「。。。ポーランド亡命政府(ロンドン)の諜報組織と。。。」

大戦時のポーランド亡命政府は、昔のポーランド分割時代に遡る伝統的な
あらゆる諜報手段を使って、ドイツとその占領地のすべてに
網の目のような諜報組織を張り巡らせていた。ドイツ人に扮した
ポーランド人だけでなく、ナチ政策に反対する多くのドイツ人も
エージェントとして参加していた。

496 :494:02/03/08 13:16
>>494
>ドイツの対ソ作戦とその失敗を。。。
は、「ドイツの対ソ作戦とその失敗のシナリオを。。。」の方が適切か。

497 :世界@名無史さん:02/03/08 14:37
3週間後日本代表が遠征するウッジはポーランドのマンチェスターのようなところ。
森岡逝けないそうだが、彼無しのフラット3であのポーランドの速攻をしのげるのか?

498 :497:02/03/08 14:40
>>497
歴史と関係ない話でageてしまったスマソ
ちなみにウッジは産業革命時から繊維工業で大きくなった町なのでマンチェスターみたい。

499 :世界@名無史さん:02/03/08 15:01
>>1のナポレオンは多分カバテマン

500 :世界@名無史さん:02/03/08 15:49
東欧諸国の少数民族といえば、ロマも入るけど、第二次世界大戦では
悲惨だったね。
ユダヤ人同様、ナチスの人種撲滅政策の対象になった。
クロアチアではロマ人口の98%が死亡したといわれる。
最近は西欧や北米に流出するロマも多いらしいけど。

501 :世界@名無史さん:02/03/09 18:01
このスレもめでたく500を越えたねえ・・・
スレたてた人は50レスくらいつけば成功かな、なんて書いてたけど。

ところで最近「環バルト海協力構想」という言葉がよくきかれるように
なったけど、ポーランドはこれにどう関わってくるのかな?

502 :世界@名無史さん:02/03/09 18:46
>>497
オリザベデのスピードとフェイントテクには、3人を持ってしても十分
振り回されそうだ。(また松田がPA内でファウル取られそう…)

ところでポーランド代表でドイツでプレーしてるヴァルドフ(Waldoch)と言う選手が
おるが、名前や生まれがグダニスク(ダンツヒ)からしてドイツ系と思われ、
反対にドイツ代表にはラメロウ(Ramelow)という選手がいて、後綴りが...owの
スラブ性起源と思われ、代表選手の名前を見るだけで互いの民族交流の歴史を
思い浮かばせられて面白い。

503 :世界@名無史さん:02/03/10 22:51
>>502
ポーランド人とドイツ人は互いの言語圏が異なるだけで、
家系を辿ると殆ど混じっている。苗字の残らない母系なども考慮したら、
血筋が均質化してしまっていて、境界線がないと考えていい。
確かリトバルスキーも祖父母の時代にポーランドから引っ越してきたんだっけ?

504 :世界@名無史さん:02/03/10 22:57
>>501
具体的にはそれについての現政権の政策ははっきりしていない。
現在、対外的にはEU加盟と対露友好、ウクライナへの資金・技術援助が三本柱。
おそらくバルト海云々に関してはEU加盟と関連して早期のシェンゲン協定加盟を目指しているんだろう。

>>502
オリサデベね。外人の名前は難しいね。

505 :世界@名無史さん:02/03/11 03:14
>>502
デュデクを相手に点を入れられるストライカーも日本にはいませんね。
イタリア以上といわれるディフェンス陣に対して日本の中盤は機能するのか?
パスミスをカットされてカウンターくらって恥かきそう。。。
速いのはラトー時代から元々ポーランドのお家芸で、なにもオリサデベだけが速いわけじゃない。
今月のウッジでの試合は気が重い。

506 :世界@名無史さん:02/03/11 14:58
>>500
面白いのは、1990年代に東欧では唯一ポーランドでロマが増加している。
バルカンや旧チェコスロバキア・ハンガリーでの迫害を避け、難民として流入した。
ポーランドでもロマに対する差別はあったのはBBCなどのレポートにあったけれど、
他の東欧諸国よりはよっぽどマシだったらしい。しかしワルシャワ東駅構内などに野宿して
住み着いてしまいすぐに大きな社会問題になった。1994年ごろ政府がロマ難民の為に
低所得者用住宅を用意して殆どがそこに収容されたが、路上で乞食をするほうが
収入がいいらしく、中心街をめざして郊外の住宅から出て行くのも多かった。
最近はまた南方の国々へ移動していったそうだ。

507 :世界@名無史さん:02/03/11 20:50
>>502 505
選手たちはともかくファンはポーランドをなめきっているだろうな。
ファンも選手も地獄を見るような気がする。そうなったら楽しいな。


508 :【^▽^】酔鯨ジョーカー@司牡丹:02/03/11 20:54
ルーマ二ア、チェコ、ハンガリーでは自由化後の
混乱・不況のはけ口をジプシー(シンティ・ロマ)に
ぶつける輩が多くいるようだからね。特にスキンへッズとか。

509 :世界@名無史さん:02/03/11 22:07
>>503
リトバルスキーの先祖はロシアからの移民で、曾祖父母の代まではロシア語を
喋れたらしい。(本人が本で述べてた)

あとドイツでプレーしてるクローゼというポーランド系FWが、ポーランド代表要請を
断ってドイツに帰化して、ドイツ代表に入ってのは残念(あれがいれば攻撃力が
更にUPしてたのに...)


510 :世界@名無史さん:02/03/12 00:38
>>509
ロシアのどこだろう?
リトバルスキという名前はポーランド風なので、旧ポーランド領だろうと思う。
出身地の名前はわかる?
そしたら調べてみよう。

511 :世界@名無史さん:02/03/12 00:46
>>462
リリー・ソビエスキ主演の映画「グラスハウス」、今週末よりお台場で公開。
綺麗だよねー、彼女。

512 :世界@名無史さん:02/03/12 12:09
>>511
米国上院議員のバーバラ・ミカルスキはポーランド移民3代目。
ポーランド移民が多い米国のボルティモアでは「カチンの森虐殺の像」
を作る計画があるらしい。
彼らはヤルタ会談でルーズベルトがスターリンに譲歩を重ねたのを
残念がっているとか。

513 :世界@名無史さん:02/03/12 23:33
ポーランドの知識人はやたらとラテン語のフレーズを使うので、英語で話してても
ラテン語の氾濫に時々何言ってるのか判らなくなることがある。こんなことで悩んでるのは
自分だけかと思っていたら、東大の小森谷先生も同じ悩みを抱えてるようで
なんか同情してしまう。ラテン語の次にはフランス語もあるが、ちょっと俗っぽい人ほど
フランス語を会話の中に入れてくる。

514 :世界@名無史さん:02/03/13 20:47
>>513
それはやっぱりペダントリーをひけらかしたいということですか?

515 :世界@名無史さん:02/03/13 21:24
ttp://www2.wbs.ne.jp/~wolf/europa.html

ゲルマン人にはラテン人に対する飽くなき憧れ、劣等感のような意識が潜み、
それ故に神聖ローマ帝国やナチス帝国の樹立などが行なわれたという見解があるが
、それはあながち穿った見方とばかりは言えないと感じられる。
昨今では血統主義的な国民の定義を改める政策などを打ち出すに到っているが、
根本的にゲルマン人にはラテン人の寛容さに対して、相容れないもの、或いは、
自らの欠陥を見い出しているかのような節が感じられる。
几帳面で理路整然とした真面目さ、その性質を合理的で優位なものとして
何とか正当化したいのであるが、絶えずその試みは歴史によって跳ね除けられる。
やむなく、その生真面目さ故に、また一歩引いた態度を取らざるを得なくなる。
その一方で無邪気で放埓なラテン人の方が、歴史に厚遇され続ける。
そちらの方が楽で良いかとも思うが、しかし自らの性質は変えようにも簡単には
変えられない。そして、いつも煮え切らなさに付きまとわれる羽目になる。
と、まあ、そんな感じであろうか…。その煮え切らなさは、同じゲルマン人で
ありながら、互いに牽制し合うオーストリア人とドイツ人の様子を窺っていても
感じられる点である。ラテン人とより深く交わっているオーストリア人と、
ゲルマン人であることを強く意識するドイツ人との皮肉のやり取り、
これは眺めていて興味深い。ドイツ人の批難は、勿論、オーストリア人の雑然とした
部分に向けられたものである。

 ところで、私が滞在していたポーランドという国は、いかがであるかと言うと、
これまたラテン諸国に憧憬を有する国であり、いわば永遠なる劣等感を抱えた国で
あると言うことができよう。ポーランド人は他民族に対し比較的寛容な人たちである
と言われたりもするが、今日の中国人やベトナム人に対する蔑視の態度や、
過去のユダヤ人との軋轢の事象などを見ると、やはりラテン諸国の人たちとは異質の
気質を備えていると言わざるを得ない。そこには後発の地域に共通した、
何か倒錯した意識がある。例えばフランス人が、文化を育む気概を失い金の亡者と
成り下がった日本人に対し侮蔑を表わすのとは異なる、つまり、
「文化」を心底敬うのとは異なる非ラテン的な要素が息づいていると感じられるので
ある。彼らにラテン人のような異質なものへの寛容さはあまり感じられない。
単にブランド名に弱いという側面が浮かび上がるだけという局面が多い。
アジア人の中で日本人だけを特別視する傾向についても、それは今日の日本の経済的
なステータスが物を言っているのだと感じざるを得ない。もし彼らが「文化」に対する
真の包容力を有しているのなら、十分すぎるほどの文化的背景を有する中国人や
ベトナム人を蔑視することなどできようはずはない。
その一方で、日本は経済力だけでなく文化的にも洗練されているなどと軽々しく
口にしてしまえたりする。

 ヨーロッパという概念を考える上で、ラテン諸国の寛容性を無視することは
できないと私は改めて思う。ゲルマンにせよスラブにせよ、彼らは構成要素と
言うより、やはり受け容れられている側であり、ラテン人のその包容力こそが
ヨーロッパという枠組みの大きな源泉なのであると…。今日のEUという機構も、
それは決してドイツの寛大さによって牽引され成り立っているという類のものでは
ない。根本的には独自性なるものなど気にしなくともやってゆけるラテン人の
その鷹揚さに従った恰好のものでこそある。排除よりも受容、
規律よりもコミュニケーションに社会の円滑化の鍵を見い出す彼ら。
私はそこにヨーロッパを見、またヨーロッパなるものの普遍性を見い出す。
そして、何が真の強さと言えるのかについて考えさせられる。

最近こんなコラムを読んだけど、どうかなあ?
ちょっとラテン諸国のことをほめすぎかな、戸も感じるけど。


516 :世界@名無史さん:02/03/13 21:29
>>494
杉原氏がコヴノ在任時、小野寺少将は既にストックホルムに着任していましたっけ?




517 :世界@名無史さん:02/03/13 22:08
>>516
記憶違いがなければ、その後だと思う。
つまりカウナス閉鎖後。

518 :世界@名無史さん:02/03/13 22:11
>>515
ラテン以外の人々のラテン文化(というか土地かな?)への憧憬については
その通りだと思う。
しかし中国人・ベトナム人に対する差別はスペインやイタリアのほうが
遥かに酷いのに、ラテンの方が寛容だとは、何を考えてるんだろうこの人は
という感じ。

519 :517:02/03/13 22:19
>>516
ちょっと思い出した。たしか40年の夏にカウナスが閉鎖されて、
小野寺がストックホルムに着任したのが翌年の正月。

520 :518:02/03/13 22:25
>>515
ああ森木先生ね。それなら納得。そういう事言いそうだ。

521 :世界@名無史さん:02/03/13 22:36
>>514
何だろう。
ポーランドのインテリは中小貴族の系譜を引く(血統的にも
かなりの部分そうだし意識の面ではもっと)から、
クラス意識があるのかもしれない。
あるクラス独特のジャーゴンというのはどんな社会にもあるが、
ポーランドではそれがラテン語からくるものが多いということかもしれない。

ペダントリーというと、嫌味なのはどちらかというとフランス語の
フレーズを使う連中かな、個人的な体験からだけど。

522 :世界@名無史さん:02/03/14 14:49
オーストリア人はラテン的?それともゲルマン的?
なんかあの国ってよく分からない。
オーストリア現代史なんてほとんど取り上げられないし。

523 :親切な人:02/03/14 14:53

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524 :世界@名無史さん:02/03/14 22:13
>>521
公用語としてポーランド語の他にラテン語が使われていた時代が他のヨーロッパ諸国よりずっと長かったからというのもあると思う。

525 :世界@名無史さん:02/03/14 23:20
ナポレオンのポーランド妻として有名なマリア・ヴァレフスカですが、
この人の生んだ子供が、ナポレオン3世の時代に彼の下で働いたんですよね?

526 :梵阿弥:02/03/18 14:45
>>458
1920年代のドイツはそんなに強かったのですかね。私は超インフレーションや死刑廃止の印象が
強かったもので。ドイツ資本のポランドへの浸透はどんな具合だったのでしょうね。30年代だと
基幹産業の8割方は外資だったそうですが、大恐慌まではブリテン、フランスの割合が高かったの
ではないかと漠然と考えていたのですが。
私はあまり善悪を考えないようにしているつもりなのですが。(功罪は考えます)むしろ国内の
矛盾・混乱を軍事的活動で糊塗し、常に勝ち組に付いてきたために大破綻を迎えた、という点で
他人事でないといいますか。
>>459
強制収容所の話などは、私は実態をよく知りませんが(プリピャチ沼沢地の近くで環境悪そう)
ちょっと格好悪いですね。東の鉄の親方を思い出します。

527 :世界@名無史さん:02/03/18 15:11
>>526
あの超インフレは日本の第二次大戦後の債務処理と同じで
ドイツ経済回復への第一歩だったという認識が無くちゃ。
ポーランドについては、ポーランドに限らずだけど、西側からの
金融支援はドイツの銀行が代理店になっていて、一回ドイツの
銀行に入ることによって金利を掠め取っていた。
1930年代になると封鎖通貨制度というのがあって、東欧諸国の
農産物や工業用原料をドイツが優先的に買い上げる代りに
代金はドイツの銀行の封鎖口座で決済、ドイツの工業製品(第一次大戦で
ドイツの工業施設は破壊されなかったし、産業資本が負わされていた負債も
インフレでチャラになっていたから戦間期のドイツの工業は強いままだった)などの
購入用にしか引き出せなかった。
相対的に弱い新興東欧諸国に対してドイツは知恵を絞ってその弱体化を計った。
ポーランドはアメリカの援助でグディニャにグダンスクを凌ぐ港湾施設を建設したり、
強力な独裁による産業資本集中を行って工業化を進めたが、製品の
販路をドイツに握られていた。その際共産主義者などは日本の富国強兵時代と同様、
徹底的に弾圧された。収容所にしても網走監獄を思い浮かべさせる。
単なる推論だけど、日本の戦前の政策を様々な面で相当意識したところが
あったのではないかと思う。

528 :527:02/03/18 15:28
ごめん網走が政治犯を入れてたかどうかは知らん

529 :世界@名無史さん:02/03/18 17:04
>>528
網走は、「ゾルゲ事件」でスパイとして捕まったヴーケリッチが
入れられてたところじゃなかったかな。
でもこれはスパイだから。

530 :世界@名無史さん:02/03/19 19:48
最近読んだナチス時代のドイツを舞台にした小説に、
「イワンもトミーもアミもプワリュも嫌いだけど、何が嫌いって、
ポラッケほど嫌なやつはないわ。不潔な、虱だらけの、怠け者の、どん百姓」
「石鹸を知らない、木の靴しか知らない、一本のマッチを四人で使う哀れなポラッケ」
というセリフが出てきたのですが、
こういうドイツ人のポーランド人に対する蔑視感情というのは、いつ頃から出てきたの
でしょう。
まさか中世からだとは思えないし。

531 :世界@名無史さん:02/03/19 20:01
>>530
分割後、しばらく経っても同化政策が遅々として進まず、ドイツ(プロイセン)は
いらだっていたのが原因(ポーランド人はポーランド人で抵抗の地下活動を
していた−キュリー夫人は秘密のポーランド学校で学んだ)。
当然プロイセンの経済搾取は過酷で多くの人が自由なオーストリア領ポーランドへ
移ったりしたが、産業革命時にはまた多くの人が炭鉱のあるライン地方に
移住していった。そこにポーランド人居住区があり、インフラなども
整備されていない典型的な被搾取労働者街で、ここのスラムに近い
生活状況を見たドイツ人が「汚いポラッケン」と呼ぶようになった。
新聞等を通じてドイツ社会の悪意あるプロパガンダもあったように思う。
エンクロージャー・産業革命後、職を求めて都市に集まり、悪い労働条件で
働かされたイギリスの労働者の暮らしは有名だが、あれを思い浮かべて欲しい。

532 :531:02/03/19 20:09
(>>531の続きとして)
「ポーランドを知るための60章という本」にわかりやすい解説がある。
ところが同時にそこには、ポーランド人の生活の実態というのは、
「汚いポラッケン」「酔っ払いのポラッケン」とは正反対のものだったことを
示す、アレックス・ウィルの文章も紹介されている。
また、ルール炭鉱地帯からフランス領のリール炭鉱地帯に送られたポーランド人の
居住区(コロン)写真が掲載されている。

プロイセンの悪意あるプロパガンダというのは真実のようだ。

533 :世界@名無史さん:02/03/19 20:28
>>530
自分は全くポーランドとは関係ない、只のヨーロッパ史ヲタだが、
でも厭だな、そういった小説などの印刷物などを通じて、
当時とは遠く離れた現代の、しかも当事者たちとは関係の無い日本で、
そういった蔑視やランク付けが蘇っていくなんて。
>>530氏が妙な差別感情を持たないように願うばかり。

一方、ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」に対する現代アフリカ黒人の
不快感もあるわけだが。

534 :530:02/03/19 20:37
>>533
いえ、こういう小説の記述を通じて私がポーランド人に対する偏見を
もったということではありません。
中世には、ドイツ人のポーランド人に対する偏見はそれほど激しく
なかったように見えるのに、なぜ近代になってこれほどポーランド人に
蔑視感情を持つようになったのか、それが不思議だったからです。

535 :世界@名無史さん:02/03/19 22:17
>>505
クリシャロヴィチが絶好調じゃないですか。
MFではサラブレッドのスモラレク(小野のチームメイト)がイイ!!
これで伝統の堅いディフェンスに加えて攻めが強力になった。

日本戦本気出してくるかな。
怪我を嫌がって当たりで手加減したりして。

強く当たってくれた方が日本代表の練習(ベルギー対策)としてはうれしいのだが。
仮に日本が負けたとしても。

536 :世界@名無史さん:02/03/19 22:22
日本代表はあの巨大なDF陣の壁をどう突破するかだな

537 :世界@名無史さん:02/03/20 16:18
>>536
案外チビですばしこいモリシあたりがよかったりして。

538 :世界@名無史さん:02/03/21 00:36
>>525
http://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/n-cmb01.html
アレクサンドル =フロリアン=ユーゼフ=コロンナ・ヴァレフスキ伯爵
Alexandre-Florian-Josef-Colonna Walewski


--------------------------------------------------------------------------------
"Napoleon's Second illegitimate Son" [ 1810 - 1868 ]
--------------------------------------------------------------------------------
ナポレオンの二番目の庶子で、彼の誕生が皇后ジョセフィーヌとの離婚を決意させた。
母はマリア・ラチンスカというポーランド貴族の女性で、17歳で70歳の老人と不幸な
結婚をさせられ、1807年にポーランド愛国派の手で皇帝に差し出される。
それは偶然を装われ、御者が馬車馬を交換するのに立ち寄った町でまずデュロックに
よってそれとなく紹介され、次にワルシャワの舞踏会で引き合わされた。
ナポレオンは美しい20歳の彼女の虜となり、パリやシェーンブルン宮など皇帝の
いくところには彼女が付き従った。”皇帝のラ・ヴァリエール”が彼女のあだ名と
なる。そして1810年5月4日、男の子をポーランドのヴァレビエツ(郷里)
で出産したのである。
この子供は疑いの余地なくナポレオンの息子であったが、老ヴァレフスキ伯爵は
体面上、自分の子としてその名跡を継がせた。母子は皇帝にの居るパリに移り、
特別待遇を受ける。皇帝がマリー=ルイーズと再婚して後も二人の関係は変わらず、
新皇后にだけは秘密にされて、1812年11月からはジョセフィーヌとともにマルメゾン
に居を構えた。( 愛情深い伯爵夫人は皇帝に一つの金の指輪を贈っていた。
それは中が空洞になっていてそこには彼女の髪の一房が収められ、”たとえ貴方が
私を愛して下さらなくなった時にも、私は貴方をお慕いしていますことをお忘れに
ならないで下さいませ”という一文が彫られていた。 )
1814年4月6日の運命の日、彼女は夜十時ごろフォンテーヌブローに駆けつけたが、
ついに皇帝に会うことはできなかった。その後しばらくして、皇帝がエルバ島に
いることを知り、皇后が後を追うことがないことがはっきりすると、彼女は息子を
つれて出発。彼女たちはエルバ島を訪れた唯一の人であった。
1814年に老ヴァレフスキ伯爵は亡くなっていたため、エルバ島でナポレオンは正式に
アレクサンドルを息子として認める。1815年、母子はエリーゼ宮に居を構え、
敗戦の後は6月26日マルメゾンで失意の皇帝と別れのときを過ごした。
( ヴァレフスキは生涯こと日のことを鮮明に記憶していた。 )
1816年、リエージュに亡命。ここで恐らくナポレオンの意を汲んで、母ヴァレフスカ
は皇帝の従兄弟にあたるドルナノ伯と再婚し、ヴァレフスキを養子とする。
しかしヴァレフスカは翌年12月15日に健康を崩して28歳の若さで病没してしまう。
母の死後、ヴァレフスキはポーランドに帰って教育を受けるが、同じ頃ポーランド
ではロシアの圧政が強まり、祖国と父の宿敵であるロシア軍に徴用されるのを嫌って
同国を脱出。1830 年、七月王政が始まるとルイ=フィリップにより外交任務で
ポーランドに派遣され、翌年にイギリスに派遣されたおりジョージ・サンドウィッチ
(六代)伯爵の末娘キャサリンと結婚。( 彼女の死後再婚 )フランスに帰化して
軍隊に入るが、1837年、従兄弟のルイ=ナポレオンの反乱の余波で軍籍を辞して、
文人の道を進む。
ルイ=ナポレオンが大統領となると、ロンドン公使として赴任。第二帝政で外務大臣
(1855-60年)に就任。クリミア戦争を終結させるパリ条約で議長役を務め、
1855-65年元老院議員、さらに議会議長を二年務めた。ただし政治家や個人として
同時代人の評価はあまり芳しくない。


539 :世界@名無史さん:02/03/21 22:20
ポーランドサッカー協会は分割時代にすでに発足しとるぞい。
鉄道会社のPKPもそうだ。

540 :世界@名無史さん:02/03/22 13:29
世界史上、有名な偽書に「ピョートルの遺書」というのがあって、
ロシアが世界征服のためにたてた計画という内容なのですが、
この偽書のモトネタは、コシチューシコの反ロシア蜂起に参加して、
フランスに亡命したソコルニツキというポーランド軍人が、
フランス政府に提出したものらしいです。

また、1812年にフランスのレジュールが公刊したものも
ありますが、ロシア攻略を目指すナポレオン1世の意図がその背後に
あったとみられています。

ここから先はポーランドと関係ない話になりますが、この偽書は
ナチス時代のドイツや冷戦時代の英米でも攻撃されました。

541 :世界@名無史さん:02/03/22 23:06
関連スレッド

http://life.2ch.net/test/read.cgi/world/1014568529/l50
ポーランドについて教えて


542 :世界@名無史さん:02/03/23 15:22
デイヴィッド・イグネイシアス『神々の最後の聖戦』(文春文庫)という小説に、

ボスポラスから東へ30キロほど入ったところにポロネズコイという村があって、
そこに住んでいるのはクリミア戦争でオスマン・トルコについて戦い、スルタンから
感謝のしるしに土地を与えられたポーランド人兵士の末裔だ、

という意味の記述があったのですが、本当にそういう歴史的事実があったのですか?

543 :世界@名無史さん:02/03/23 15:26
>>542
ベム将軍とチャルトリスキ家とオテル・ランベールと1848年をキーワードにして調べてごらん。

544 :世界@名無史さん:02/03/23 17:12
>>543
日本語の本あるのかな?

545 :世界@名無史さん:02/03/23 18:17
>>543
ベム将軍については、オスマン帝国の軍事力に頼ろうとして、
表向きイスラムに改宗してムラート・ベイを名乗り、
最後にはシリアのアレッポに退いてそこで病死したとか。

チャリトリスキ家については、11月蜂起の敗北後、西欧に亡命し、
パリのオテル・ランベールに居を構えて独立運動を指導。
英仏のロシア干渉によってポーランドの独立を実現することを
方針にしていたが、さらにオスマン帝国の支持を求めたり、
イタリア・ハンガリーの対オーストリア独立戦争を支持。

546 :世界@名無史さん:02/03/23 20:50
>>545
すごい人達もいたもんだ。。。

547 :世界@名無史さん:02/03/23 22:49
ポーランド国王に、フランス王子アンリ(ヘンリク)が選ばれたことが
ありますが、ポーランド国王に選出されるための条件というのは
どんなものがあったのですか?
例えば、カトリックでないといけないとか?
結局、アンリは兄のシャルル9世が死んだあとフランスへ帰ってしまいますが。

548 :世界@名無史さん:02/03/23 23:15
>>405
>>407
超亀レスですが、UPA(ウクライナ・パルチザン軍)は最初ドイツ軍の
穀物徴発に対して農民が武装して自衛することから始まりました。
ドイツ軍撤退後、UPAとソヴィエト軍の間で激しい戦闘が開始されます。
1947年にはポーランド国防次官スベルチェフスキー(対UPA掃討軍
ポーランド側責任者)が戦死。
この当時、UPAの主力はウクライナ・ポーランド・チェコスロヴァキア
三国の国境周辺の山岳・森林地帯を根拠地にしていたらしいです。

549 :世界@名無史さん:02/03/23 23:18
>>547
パクタ・コンヴェンタとヘンリクの緒条項のこと?

550 :549:02/03/23 23:23
前者は国王が自費で軍隊招集費用の一部を負担したり国家の財政赤字を補填したりする約束。
後者は国王に対する国会の政治的優位性の制度的保障。

551 :549:02/03/23 23:25
ヘンリクはシャルル9世存命中からフランス国王の座を狙っていて、
ポーランドに滞在して4ヶ月目、兄の「急死(急死ねぇ…)」を知ると、
夜陰に乗じてポーランドから逃走した。

552 :549:02/03/23 23:27
彼に関してはヤン・マテイコによる絵が有名。

553 :世界@名無史さん:02/03/23 23:28
>>550
ということは、国会が承認さえすれば、どんな人物でも国王に
なれるということですか?

554 :世界@名無史さん:02/03/24 01:28
>>553
その通り。驚いた?
まず数人の候補者が王朝の血筋や政治的能力などを判断され選出され、
貴族(国民の一割近い)の国会での直接選挙によって選出。
現代の民主制とあまり変わらなかった。
しかし互いに牽制しあう大貴族による金権政治となって国会運営の寡頭状態が続き、
そこへつけ込んだ諸外国(スウェーデン・プロイセン・オーストリア・ロシア)による
買収もからんで国家が弱体化(無政府化)していった。
それを何とかしてポーランドを再建しようと立ち上がった「一門」がチャルトリスキ家。
彼らの努力に危機感を抱いたプロイセンの旗振りで、ポーランドは分割され消滅した。

555 :554:02/03/24 01:31
どんな人物でも、と言っても当然「貴族」からね。
しかしポーランドの貴族登録は完全に登録されていて、国家消滅前の
数百年間一人残さず記録されている。
ちなみに平民から貴族になった人は371人とか何とかそんな数字。

556 :世界@名無史さん:02/03/24 03:29
そういえば、ポーランドに関しては「貴族」っていう言葉よりも「士族」
って言葉を使ったほうが、日本人的には的確かつわかりやすいよね。

557 :世界@名無史さん:02/03/24 13:11
>>556
人口全体の一割が貴族で、有産者から無産者までしかもあらゆる職業の人がいて、
貴族社会だけで一つのポーランド人世界を作っていたからな。
だから士族(武士階級)という表現でもいい。
ところが日本の士族(武士)と決定的に違うのは、父系の血筋による
ほぼ完全な閉鎖社会であること。>>555にあるごとく、厳密な登録制度があって、
平民から貴族(士族)になれた者は数百年でたった400人弱であった。
父系の血筋による制度だから、女性が婿を取ることは滅多になかった。
ただし外国の貴族に嫁にいった場合は、「家」から出ても先方の家系の
社会制度に準じた。たとえばポーランドの王が外国人の場合、このような
外国の女系の筋でつながっていることがある。

558 :世界@名無史さん:02/03/24 13:29
>>557
外国人でポーランド国王になったのは、先に述べたフランス王子アンリと、
ザクセン出身のアウグスト2世、アウグスト3世かな。
あと、ハンガリーのバートリ家からも選出されたと思う。

559 :世界@名無史さん:02/03/24 18:08
>>531
ポーランドはオーストリア・プロイセン・ロシアの三国に分割されたけど、
オーストリアの支配が一番寛容だったのかな?
プロイセンやロシアの場合、「同化政策」をとったみたいだけど。

560 :世界@名無史さん:02/03/24 21:50
海外生活板のポーランドに関するスレで「ポーランド男性は日本でモテル」
と書いてあったけど、日本以外の国ではどう?
日本人は、わりと繊細な顔立ち(優男風)が好きだけど、アメリカとかでは
マッチョ風がモテルと聞いたことがあるけど。

561 : :02/03/24 22:55
>>560
フランスでもポーランド男性がモテるかも。
ほんの一例だが、ソフィー・マルソーの旦那とか。
サッカー元ガンパのピョトル(現マルセイユ)もモテる。

562 :世界@名無史さん:02/03/24 23:02
>>559
同化政策はロシアは貴族をロシア宮廷の支配下に置こうとして貴族階級まで。
ポーランド地域の地方自治はポーランド人貴族に任せた。
ナポレオン戦争後緒規制が厳しくなった。
プロイセンは平民まで全てで、ポーランド語さえ使用禁止した。
ポーランド人児童・生徒は秘密学校で学んだが。
オーストリア領は大幅な自治権が付与され、ユダヤ人に対しても寛容だった。
しかし独立運動は禁止。

563 :世界@名無史さん:02/03/24 23:16
>>561
ソフィー・マルソーの旦那はアンジェイ・ズラウスキーですね。
日本のレンタルビデオ・ショップに最近「ワルシャワの柔肌」
という映画が並んでました。

564 :世界@名無史さん:02/03/25 12:30
関連スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/988648183/
ポーランド語ってどうよ

565 :世界@名無史さん:02/03/25 12:49
独語落第で国外追放?
オーストリアで珍法案
 オーストリア政府が発表した「外国人同化法案」が波紋を広げている。
移民だけでなく仕事のために滞在するビジネスマンやその家族にも、
ドイツ語学習を強制する内容。法案を額面通り解釈すればウィーン国立歌劇場
音楽監督に就任する小沢征爾氏も、ドイツ語学校に通うはめになるという
“珍法案”だ。法の対象となる日本や米国など投資国からは
「一体、どういうわけ」という戸惑いの声が噴出している。
(ウィーン、富田光)
法案はもちろん排外主義を掲げる、与党で極右政党の自由党が発案した。
同党の事実上の指導者であるハイダー前党首の意向が反映されていることも
確実だ。同党の協力がなければ政局運営が苦しいシュッセル首相(国民党)
は法案に同意している。
対象者は一九九八年一月以降、同国に入国した外国人。欧州連合(EU)
加盟十五カ国とアイスランド、ノルウェー、リヒテンシュタインは対象外。
しかし日米中ロの大国のほかカナダやドイツ語圏以外のスイス、韓国、
オーストラリアなどは対象となる。
法案では、対象国の人が二年以上、同国に住みたい場合、入国後二年以内に
内務省指定のドイツ語学校に通い、語学とオーストリアの歴史を学ぶ必要が
ある。学校のコースは百時間以上に及ぶ見通しだ。
移住後、二年を経ても受講を開始しない場合、百ユーロ(約一万千四百円)
の罰金。三年後まだ勉強を始めていなければ滞在ビザの延長が拒否され、
四年たって受講を終了していなければ、一気に国外退去処分となる。
一方、移住後、一年以内に受講を終えれば、滞在ビザが自動的に二年間延長
されるという“アメとムチ”型の法案だ。
また学費は半分自己負担。自由党幹部は「例外をもうけてはならない」
としており、このままだと小沢氏ら芸術家、大企業の支店長クラス、
新聞社の特派員も仕事の合間をぬって机を並べて“お勉強”だ。
ドイツ語学校では通常、テストがあるため、これに失敗すれば
“落第国外追放”という大恥をかく恐れもある。

オーストリアでこんな珍法案が出ましたが、もしこれが実現すれば
中東欧諸国にはどういう影響がでるのかな。


566 :世界@名無史さん:02/03/25 13:50
>>565
とりあえず、EU 諸国からの猛反発があると思われ。

567 :566:02/03/25 13:52
いくら EU 加盟国は対象外なのでとりあえず関係ないといっても、
この手の占め出し法は歓迎されないし、オーストリアはかねてから
EU 諸国の反発を買うような真似をしているからね。

568 :世界@名無史さん:02/03/25 14:28
>>565
資本の引揚げが起こってオーストリア経済が破綻するだろうな。
ドイツでも似たようなことを検討しているからオーストリアから東ドイツへは資本移動はしない。
ポーランド人やチェコ人は大量の資本流入が期待できて実は嬉しかったりして。
ヴィシェグラード諸国の先進国化に拍車がかかるだろう。

569 :世界@名無史さん:02/03/25 21:33
関連スレ
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/oversea/994584307/
▲▼東欧総合スレ▼▲

570 :世界@名無史さん:02/03/25 22:12
>オーストリア領は大幅な自治権が付与され、ユダヤ人に対しても寛容だった。
>しかし独立運動は禁止。

トーマス・マンの『ヴェニスに死す』(ヴィスコンティが映画化した)
のなかで、ポーランドから来た貴族の一家というのがでてくるけど、
オーストリア領だったポーランド西南部から来たという設定なのかな。


571 :世界@名無史さん:02/03/26 00:04
Ja jestem prawdziwym Polakiem, kurwa jego mac. O co tu chodzi?

572 :世界@名無史さん:02/03/26 00:40
kurwa lamusy
zamknijcie juz te mordy w pizdu

573 :世界@名無史さん:02/03/26 01:04
nie badz taki przemadrzaly,bo nie wiadomo kto tu jest Prawdziwym
Polakiem. A poza tym ten twoj rynsztokowy jezyk jest
obrzydliwy...(ble...) To ze potrafisz przeklinac i zamiast
przecinka uzywasz "kurwa" swiadczy tylko i wylacznie o twej niskiej
kulturze osobistej...


574 :世界@名無史さん:02/03/26 17:59
Nie przejmuj sie o moja kulture osobista, kolesiu.

575 :世界@名無史さん:02/03/27 15:59
アダム・ミツキエヴィッチの詩に「ポトツカの柩」というのがあるけど、
クリミアにはケリム=ギライが、そのいたく愛した囚われの女のために
円屋根を頂く東洋風の墳墓をたてたという伝説があって、その女は
ポーランドのポトツキ家の出であるといわれているらしい。
『タウリダ旅行記』の著者ムラヴィエフ=アポストルはこの伝説には
根拠がないといってるけど、実際はどうなのかな?
ウクライナのコサック反乱のときに大勢の民衆が連れ去られてタタールに
売られているけど。
ポーランドにはポトツキ姓のシュラフタは多いから、その中の一人かな?

576 :YP:02/03/28 01:58
ポーランド弱い・・

577 :世界@名無史さん:02/03/28 02:44
>>575
プーシキンの「バフチサライの泉」のもとにもなった伝説ですね。

クリム・ギライなるクリミア・ハーンはたしかに実在しますが、
その在位は18世紀の後半、ハーン国がロシアに併合されるほんの十数年前のことで、
そのころのクリミア・タタールがポーランドの貴族を略奪するほど
力を持っていたとは考えにくいということです。

578 :世界@名無史さん:02/03/28 09:52
ポーランド ミサイル4基盗まれる
---------------------------------------------------------------

【ベルリン27日=関厚夫】ポーランドからの報道によると、二十六日深夜、
同国中部ウッジの貨物駅に停車中の軍用貨物列車から地対空ミサイル四基が
盗まれた。
ミサイルは輸出用に出荷される途中だった。同国国防省は
「ミサイルは可動性に富んでおり、テロ組織の手に渡れば危険な武器となる」
として警告している。


579 :世界@名無史さん:02/03/28 11:20
ポーランド人が馬鹿であるならば、
なぜ、コンピュータで使われる数式の特殊な記述方法を
ポーランド記法と呼ぶのか?

答え:
数式の右辺と左辺を理解できない人達のために作られたから。

580 :世界@名無史さん:02/03/28 19:15
「シュラフタ」は低地ドイツ語のシュラーゲン(高い出自、軍事的な勇敢さを
意味する)が語源らしいね。


581 :世界@名無史さん:02/03/31 16:33
>>580
ルソーが『ポーランド政府論』のなかで、
「ポーランド民族は、すべてであるシュラフタと、無である市民、無以下の農民、
の三つの身分からなる」
と述べているね。

582 :世界@名無史さん:02/03/31 17:12
淋しき村にいでたれば
ここはいずこと尋ねしに
聞くも哀れやその昔
国滅びたるポーランド

583 :世界@名無史さん:02/03/31 19:42
>>582
これの英訳と波訳があるそうですが、知ってますか?

584 : :02/04/02 11:23
>>580
そこから直じゃなくてチェコ語を介して。

585 :世界@名無史さん:02/04/05 20:49
ドイツ語シュラーゲン→チェコ語シュレヒタ→ポーランド語シュラフタ
もともとミェシュコ1世やボレスワフ1世の従者だった。
彼らに軍役と交換に領地が与えられ、13世紀になると彼らの領地に
不輸不入の権が認められるようになった。

586 :世界@名無史さん:02/04/05 20:56
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1017265182/l50
国際情勢板
ポーランドについてのスレッド

587 :世界@名無史さん:02/04/08 21:29
最近、ポーランド男性と結婚して英国に住んでいる日本人女性の
書いた本を読んだ。
「ポーランド本国では、結婚披露宴ともなると、2〜3日間飲み食いに
明け暮れるものだという」
「正統派ポーランド料理でもてなそうとすると、下準備だけで2〜3日は
かかり、慣れない私には大仕事である」
「概して、英国人と違い、ポーランド人はお節介焼きである」
といった記述があったが、やはり西欧に比べると古い体質が残っているのかな。
もっとも、若い世代はまた違うのかもしれないけど。


588 :世界@名無史さん:02/04/08 21:32
ポーランドはロシア、ドイツ、オーストリアの弱体化
の隙をついて出来た日和見国家。

589 :世界@名無史さん:02/04/08 21:40
>>588
それをいうなら他の東欧諸国も同じ。

590 :世界@名無史さん:02/04/08 23:07
アメリカにあったパデレフスキーのお墓は、
もうポーランドに移されたの?

591 :世界@名無史さん:02/04/08 23:46
>>\588
ロシア、ドイツ、オーストリアが崩壊しなくてもポーランド人は
いずれ独立しただろうなと思うよ。
まあ10年20年は遅れるにしてもだ。

592 :世界@名無史さん:02/04/09 00:09
 既出かもしれないがソビエトSF映画「惑星ソラリス」の原作をかいた
スタニスワフ・レムが好きだ。『ソラリスの陽のもとに』『砂漠の惑星』
『完全な真空』『泰平ヨンの航星日記』 とかが好きだ。
 東欧SFってどこか無国籍な雰囲気があるから、アメリカSFよりもより
未来って気がするんだよね。

593 :世界@名無史さん:02/04/09 00:16
>>588
つーか世界初の近代国家に転換するまさにその時にプロイセンの旗振りで
ロシアとオーストリアの三国が分割してしまったんだよ。1918年に
独立を回復したときはボロボロだった。そこから国家・国民をまとめるための
struggleの中で再びドイツとソ連に潰されたんだよ。
最初の話については五月三日憲法前後の時代を読むべし。直前まで
ポトツキ家を通じてポーランド統合の切り崩しを計っていたプロイセンが
当時いかに慌てたかは、プロイセンの大臣ヘルツベルグの言葉に象徴される。

594 :世界@名無史さん:02/04/09 00:19
>>587
とくに地方はそのまんまです。
在外ポーランド人コミュニティにもそういったウェットな事があります。
逆に都市部では個人主義的なところも。

595 :聖母の騎士:02/04/09 01:28
コルベ神父様の国ですね。
カトリックの信者としては、いってみたい。

596 :世界@名無史さん:02/04/09 01:38
>>595
あー、確かに学者や歴史ヲタじゃなくても、カトリックの人なら
いろいろ興味を持って旅行できるかもしれませんね。

597 :世界@名無史さん:02/04/09 01:40
>>592
へー、詳しいっすね。

598 :YP:02/04/09 01:43
モンゴルのボグド・ハーン宮殿にある小さな仏像が、ポーラ
ンドで鋳造されたものだとモンゴル人のガイドがしきりに云っ
てましたが、「何故にポーランドなの?」と突っ込んで聞い
ても納得出来る返事が来ませんでした。
ポーランドは鋳造技術とか有名なんですか?

599 :世界@名無史さん:02/04/09 12:15
>>594
ありがとうございます。
ロシア人なんかは、西欧よりもポーランドのほうがリラックスできるらしい
です。
西欧だと、あまりにも異質すぎるから。

600 :世界@名無史さん:02/04/09 13:16
>>598
別に有名ってほどじゃないけど、例えば鉄鋼は昔から盛ん。
シベリア鉄道の東シベリア一帯部分のレールなどは当初すべてポーランド製。
帝政ロシア時代に船でウラジオまで運んで、そこから敷いていった。
最近はアルミ地金や合金も。
ボグド・ハーンの宮殿逝った事があるけど、それは知らなかった。
ポーランドには少しだけどラマ教徒がいるからそれは関係あるのかな?

>>599
ロシア人(旧ソ連人)の担ぎ屋は沢山ポーランドに来てるよ。
ポーランドで品物を買って、でかい布袋に入れて列車に積み込んで
ロシアや旧ソ連の個人商店などに卸す。
ワルシャワのヴィスワ川右岸にある市場はロシア人、カフカス人、
モンゴル人、ベトナム人、中国人などが互いに取引していて面白い。
右岸地帯の安ホテルや簡易宿泊所にはそういう人たちが泊まっている。
そういう場所があるからある程度は居心地のよさを感じるのかもしれない。
普段のポーランド人は彼らに対してはイギリス人のように「寛容なる無関心」で接しているようだ。

601 :世界@名無史さん:02/04/09 17:45
>>592
ロシア・東欧といえば幻想文学も捨てがたい。

602 :世界@名無史さん:02/04/09 18:22
言葉の響きは世界一かわいい国ぽーランド。

603 :世界@名無史さん:02/04/09 18:37
ポーランドといえばショパン・コンクールは日本人でも
知ってる人が多いと思うけど。
ブーニンとかの名前と関連して。

604 :世界@名無史さん:02/04/09 19:39
>>157
>ショパンはフランス人の父親がピアノ教師で、音楽の技術は父親によって磨かれたが

遅レス失礼。ショパンの父親がピアノ教師とは初耳。
彼はフランス語の教師かなんかだったと思うが?


605 :世界@名無史さん:02/04/09 20:33
ポーランドとフランスの関係ですが、ルイ15世の王妃マリー・レクチンスカ
はポーランド国王スタニスラス・レクザンスキの娘。
後に彼は国を追われてロレーヌ公位につきました。
今でもナンシー市庁舎の前には彼の像が立っています。

606 :YP:02/04/10 01:21
>>600さん
レスありがとうございます。
へえ、認められる程ポーランドにラマ教徒がいるんですか。

ガイドがポーランドで鋳造したと言ってた仏像は、原形は初代活仏ザナバザル
がこさえた複数顔違いの縦30センチ程の仏像群の事です。
(あれれ、観たのボグド・ハーンだったかなぁ? 自信無くなってきた)
正直、モンゴルの仏像は観るに耐え得る完成度は低い。

607 :世界@名無史さん:02/04/10 01:42
「ラマ教」じゃなくて、チベット仏教だろう。

608 :世界@名無史さん:02/04/10 10:29
>>587
街ではもうそんなことしない。
2年前農家出身の友人の結婚式に出たが、
二日二晩ぶっ続け田舎楽士付の大宴会だった。

609 :世界@名無史さん:02/04/10 19:05
>>596
確か「黒い聖母」という有名な絵がありますね。

610 :世界@名無史さん:02/04/10 20:34
>>606
ザナバザルの仏像群だと、国立博物館に大量のコレクションがありましたが。。。

>>607
え?
ラマイズムとチベット仏教は違うのですか!?

611 :世界@名無史さん:02/04/10 21:20
>>596
すみません、「ポピウシュコ司祭暗殺事件」とはどういう事件
だったのですか?


612 :世界@名無史さん:02/04/11 02:10
>>611
なんか、前ログにあったよ。

613 :世界@名無史さん:02/04/11 02:11
【ロサンゼルス佐藤由紀】「アパートの鍵貸します」など、都会派コメディー作品で
知られる巨匠、ビリー・ワイルダー監督が27日、肺炎のためビバリーヒルズの自宅で
死去した。95歳。

 1906年、現ポーランドのズーハ生まれ。ウィーンでの事件記者を経て映画界に。
ナチスによるユダヤ人排斥を逃れて34年に渡米したとき、100語の英単語しか
知らなかったという。

 英語を学びながら、「青髭八人目の妻」(38年)、グレタ・ガルボ主演の
「ニノチカ」(39年)などのコメディーの脚本家として頭角を表し、アルコール
依存症を正面から描いた「失われた週末」(45年)でアカデミー賞の作品、
監督、脚色の各賞を受賞した。グロリア・スワンソンを起用した50年の「サンセット大通り」では
ハリウッドの内幕を描いて同脚本賞を受賞。オードリー・ヘプバーンのラブストーリー
「麗しのサブリナ」(54年)「昼下りの情事」(57年)、マリリン・モンローの「七年目の浮気」
(55年)、「お熱いのがお好き」(59年)などを次々と発表。60年の「アパートの鍵貸します」では、
同賞史上初めて、作品、監督、脚本の3賞を同時受賞した。ヘプバーン、モンローらスター女優と組んで
その個性を引き出し、「お熱いのがお好き」で起用したジャック・レモンとは、81年の遺作
「バディ・バディ」に至るまで、長くコンビを組んだ。


614 :613(続き):02/04/11 02:11
ほかにも初期のスリラー「深夜の告白」(44年)、リンドバーグの回想録を基にした
「翼よ!あれが巴里(パリ)の灯だ」(57年)、マルレーネ・ディートリッヒ主演の
ミステリー「情婦」(58年)など、幅広いジャンルを手掛けた。乾いたユーモアと
機知に富んだセリフが持ち味だった。アカデミー賞ノミネートは20回に上った。
88年には長年の映画界への功績に対し、アービング・サルバーグ記念賞を贈られた。

 昨年末に呼吸困難で入院していた。

 映画評論家、川本三郎さんの話 私を含め日本の50〜60代の映画ファンを
とりこにしたハリウッド黄金時代の監督の一人だった。オーストリア出身なので
ヨーロッパ的デカダンスのテーストがあり、洗練された大人の喜劇を作り、喜劇の質を
非常に高めた。(毎日新聞)

独立前の旧オーストリア領ポーランド出身。
移民時たった100語のボキャだったのにそこから苦労して偉大な監督になった。
当初はきっと典型的なアメリカの対ポーランド人ジョークのネタになるような人だったろう。


615 :世界@名無史さん:02/04/11 13:15
>>611
彼は秘密警察に暗殺された。

616 :世界@名無史さん:02/04/11 13:55
>>615
そんなのは誰でも知ってんだよ。
事件の経緯とか真相とかを教えろって言ってんだよ。

617 :世界@名無史さん:02/04/11 13:56
>>615
秘密警察じゃなくて内務省公安部。
当時超保守派が巣食っていた。

618 :617:02/04/11 13:57
旧体制ポーランドには東ドイツやチェコスロバキアやルーマニアのような
秘密警察組織はなかった。

>>616
まあまあ。もちょっと丁寧に訊きなさいよ。

619 :世界@名無史さん:02/04/11 14:05
>>617
超保守派がヤルゼルスキ政権に泥を塗って困らすためにやったというのが真相だったね。

620 :世界@名無史さん:02/04/11 14:17
>>619
このときが政教関係が一番緊張したときだったかも。
ただし、教会側は執拗な追求は行わず、政権側の対応を注視していた。
政府も、異例の速さで事件の概要を発表し、関係者の裁判を公開して、
教会首脳の意向を汲み取ることに専心。

621 :世界@名無史さん:02/04/11 14:26
>>620
政権も教会も、そして連帯も真相判明の前にすでにどんな連中がやったか
検討がついてたんだろうね。

622 :世界@名無史さん:02/04/11 17:46
>>610
http://www.google.co.jp/search?q=cache:uzDNUvQj3qsC:www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/buddhism01.htm+%83%60%83x%83b%83g%95%A7%8B%B3%81%40%83%89%83%7D%8B%B3&hl=ja
http://www.google.co.jp/search?q=cache:iTAsNCEzT9YC:www.kokonor.com/mmba/lama/+%83%60%83x%83b%83g%95%A7%8B%B3%81%40%83%89%83%7D%8B%B3&hl=ja



623 :世界@名無史さん:02/04/11 21:21
>>595
第二次世界大戦期に、ボレスワフ・ピャセツキの「ファランガ党」が、
首都陥落後に「国民同盟」と「嵐部隊」を結成したけど、この連中は
ロンドン亡命政府を認めていなかったので、亡命政府系組織の所在を
独ソ両軍へ通報し、亡命政府の国内基盤の弱体化を図った。
彼らは教会に対しても、聖職者や信徒の処刑・追放、教会・神学校・修道院
の閉鎖や破壊を行っている。
この時期、ポーランド教会は占領軍に加えてピャセツキの組織からも
被害を被って、統一組織としての活動を実質的に停止せざるを得ない状況
に陥っている。


624 :YP:02/04/12 00:59
>>607 >>622
多分、610氏も承知の上でしょう。
中央アジア史かじってる人だったら、それくらいの分別はあるものだろうし。

俺はどーーせ厨房だから、適当な事書くけんど、
“○ チベット仏教   × ラマ教 ”
は、正論であっても、意外と日本共×党みたいな損が好きなマイノリティー派が噛
み付きたいだけの独特の机上正論の類いかもよ。
‘外人じゃない外国人といえ!’‘ハーンじゃないカァーンだ!’程度の。

参考にならないけど、仏教徒では無いモンゴル人は‘ラマ黄教’と言ってました。
それに、そもそもモンゴル人がチベットが歴史上親しい国とは云え、半ば自分の国
の国教を‘チベット仏教’と言うのかなぁ?? それが疑問だ。

スレと関係ないのでsage

625 :YP:02/04/13 00:52
げげ・・ 俺ってばスレッドストッパー??

626 :世界@名無史さん:02/04/13 21:03
>>562
このプロイセンの「同化政策」が日本の植民地政策のモデルになった、という
説があります。
それにしても何でプロイセンはそんなに「同化」にこだわったのかなあ。
ただ単にポーランドの支配権さえ確保できればいいと思うけど。

627 :世界@名無史さん:02/04/15 13:13
>>626
簡単。
プロイセンの敵はポーランド貴族群。
農民はドイツ人農民でもポーランド人農民でも同じ農民でしかない。

628 :世界@名無史さん:02/04/15 18:13
>>603
優秀な音楽家が西欧に流出してしまうらしいね。

629 :世界@名無史さん:02/04/15 23:22
>>628
一旗挙げて、それで案外帰ってきちゃうのがポーランド人。
ふるさとは誰にとってもふるさと。
分割時代や戦後は移民しちゃう人が多かったけどいまは平和になったから。

630 :世界@名無史さん:02/04/16 21:15
>>629
ショパンもフランスにいても、決してポーランドのことを忘れていません
でしたね。

631 :世界@名無史さん:02/04/16 23:50
第二次世界大戦で、ドイツがポーランドに侵攻する前、ポーランド人の
中にはドイツの戦車はボール紙でできていると思っていた連中がいたそうな。

632 :世界@名無史さん:02/04/17 16:45
>>631
ボール紙戦車は秀吉の一夜城と同じで、ドイツ軍が本気で考えていた戦術。
ドイツ軍がこのようなかく乱戦法を検討しているという情報が、ドイツ内に張り巡らされたポーランド諜報機関から流れてきていた。
実際にとられた戦法は航空機を使った電撃戦だった。
ちなみにポーランド諜報網は終戦までドイツの隅々に張り巡らされていた。
日本がポーランド軍諜報部と協働してドイツをスパイしていたのは有名な話。

633 :世界@名無史さん:02/04/17 17:06
ありがとうございます。
この時代のポーランドはソ連を破って意気軒昂だったらしいけど、
ソ連、リトアニア、ドイツ、チェコと周りの国をすべて敵に回してますね。
だから英国と相互援助条約を結んだんだろうけど。

634 :世界@名無史さん:02/04/20 11:17
>>604
ショパンの父のニコラは、1802年に、ジェラゾヴァ・ヴォラの領主
スカルベク伯の息子の家庭教師になりました。
1810年にはワルシャワ中学のフランス語教師になっています。

635 :世界@名無史さん:02/04/26 20:05


636 :世界@名無史さん:02/04/26 20:47
ロシア語には「マット」と呼ばれる罵り言葉があって、公共の場で
これを使うと軽犯罪法違反になるらしいんだけど、ポーランド語にも
そういう言葉はあるのかなあ?
一般にヨーロッパの言語は日本語に比べて罵り言葉が豊富だけど。

637 :世界@名無史さん:02/04/27 08:08
「クールバー」「スピエルダーライ」

638 : :02/04/27 19:20
17C初頭にナポレオンやヒトラーも成し遂げなかったモスクワ占領をしましたが、
そのときもヤン・ソビエスキだったんですか?

639 :世界@名無史さん:02/04/27 20:14
>>637
直訳すると、どんな意味ですか?

640 :世界@名無史さん:02/04/28 02:05
KURWAR「売春婦」 SPIERDALAJ「うせろ」をもっともっと
汚くしたニュアンス。SPIERDALAJはまだ定訳はないと思う。
漏れもいろいろ考えているが上手い訳が見つからん。たしか「糞食らえ」って
訳した人もいたな。

641 :世界@名無史さん:02/04/28 11:05
>>638
このときはジグムント3世だったと思います。
いわゆる「偽ドミトリー2世」がポーランドにかつがれて
モスクワへやってきましたね。

642 :世界@名無史さん:02/04/28 16:20
>>638
ナポレオンはモスクワ占領したでしょ、
一ヶ月くらい。


643 :世界@名無史さん:02/04/28 21:37
読んだことあるよーな、ないよーな
そんな微妙なページ見つけた。
http://plaza6.mbn.or.jp/~GNW/euro2.html#po
ヤン・ソビエスキーとかアウグスト2世ぐらいの話しがのってる。


644 :世界@名無史さん:02/04/29 23:23
関連スレッド
http://mentai.2ch.net/whis/kako/958/958485420.html
ワールシュタット

645 :世界@名無史さん:02/04/30 20:03
>>638
このときの占領期間は約2年間。
その後ロシア軍はポーランド軍からモスクワを開放して、
ミハイル・ロマノフがツァーリに選ばれ、ロマノフ朝が成立。
1630年代にもスモレンスクを中心とする西ロシア地方の帰属をめぐって
戦っている。
これ以後ロシア側は軍事技術の近代化、西欧からの技術専門家の受け入れを
はかるようになる。
それを飛躍的に発展させたのがピョートル大帝。

646 :世界@名無史さん:02/05/01 01:27
>>645
ドイツもロシアも強力な中央集権で近代化を図ったが、
ポーランドの中央政府はその権力が小さかった、ということだね。
ソビエスキの世襲王政への野心や、ポニャトフスキの世界初の立憲君主制設立も
中途で頓挫した。後者では、憲法制定までは行ったが。

647 :世界@名無史さん:02/05/01 23:30
>>646
確か、「五月三日憲法」に不満を抱くシュラフタたちが「タルゴビツァ連盟」
というのを結成して、ロシアに対してポーランドに軍事介入させるように
仕向けたと思う。
この結果、ロシア軍だけでなくプロイセン軍まで国境を越えて侵攻してきた。
(これはタルゴビツァ連盟の連中も予想していなかったらしい)。
そして第二次ポーランド分割。

648 :世界@名無史さん:02/05/02 02:43
>>647
当時チャルトリスキ家の啓蒙思想に反発していたポトツキ家など。
今のポトツキ家の人々を非難するつもりは全くないけど。

649 :世界@名無史さん:02/05/02 15:28
ナポレオンとロシアのアレクサンドル1世との間のティルジット条約で、
形だけ「ワルシャワ大公国」というのが復興された。
ザクセンのフリードリヒ・アウグストが君主。
ナポレオンのモスクワ遠征の敗北で、再び三国によって分割。
ドンブロフスキ将軍を中心とするポーランド軍団はナポレオン帝政と
運命をともにする。
あまり知られていないけど、この時代ポーランド軍は実力でガリツィア
地方を奪還したことがある。

650 :世界@名無史さん:02/05/02 23:05
でもポニャトフスキー元帥は溺死。

651 :世界@名無史さん:02/05/05 20:39
>>650
ポーランド国王の甥のユーゼフ・ポニャトフスキですか?

652 :世界@名無史さん:02/05/07 09:43
>>648
イグナツィ・ポトツキを指導者とする「共和派」グループ
(親プロイセン、反国王派の傾向を持っていたらしい)について
教えてください。




653 :世界@名無史さん:02/05/08 02:09
>>652
教えるって、例えば何を?

654 :世界@名無史さん:02/05/08 03:46
そういえばポーランドも日本も憲法記念日は同じ5月3日だったんだな

655 :世界@名無史さん:02/05/12 11:38
エドワード・ギボンが、アウグスト2世の死後の王位継承をめぐる
ポーランド議会(セイム)の紛糾について、
「近年いかにしばしばポーランド議会が流血で汚され、かりにも多数党
たるものが、みすみす驕激な煽動の前に屈せざるをえなかったか、
おそらく記憶にも新しいことであろう」
と書いていたけど、
ひょっとしてこの時代のシュラフタって、武装して議会に出かけていたのかな?


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