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心身問題

1 :閉じられた世界とその敵 :2000/10/15(日) 07:00
関係のスレは既に立ってる?
なければ、最新動向、個人的見解などを…
私の立場は、陳腐かもしれないけどポパーの「3世界」説です。



2 :考える名無しさん :2000/10/17(火) 00:49
>私の立場は、陳腐かもしれないけどポパーの「3世界」説です。
存在論としてはそうならざるを得ないかしら。
でも世界3に「芸術作品」も含めてしまうのは、ちょっとねエ。

Davidsonの<非法則的一元論>というのは、どうよ?
けっこう妥当な気がするけど・・・



3 :考える名無しさん :2000/10/17(火) 04:43
法則じゃないのになんで一元って分かるんだそれ?

妄想なの?

4 :考える名無しさん :2000/10/17(火) 08:01
>3

Davidson読め!一元論をとるか二元論をとるかは法則に関係ないじゃろ!!
でも、epiphenomenalismからのがれられないんだよなあ。

5 :微熱症患者 :2000/10/18(水) 00:15
数年前に授業で非法則的一元論の説明を聞いたとき、私は何かうまく騙されたような
気になりました。
論証の過程(どんな手続きだったのかは忘れました)には問題がなさそうなのに、結
論が奇妙で、手放しで受け入れていいものかどうか迷いました。

心身問題について私は漠然と次のような考えを持っています。
第一に、心は宙から降ってきたようなものではなく、その起源は何らかの物理現象だ
ろうと思います。
第二に、心は物に還元できるものではなく、独自の機能や特性をもっているものと思
います。
この二つの考えは緊張関係にあり、どう調停すればいいのか、自分でもよくわかりま
せん。しかし、だからと言ってどちらか一方を捨てて二元論や還元主義を採用する気
にもならない、というジレンマを抱えています。

6 :考える名無しさん :2000/10/18(水) 01:31
>5
>この二つの考えは緊張関係にあり、どう調停すればいいのか、自分でもよくわかりま
>せん。しかし、だからと言ってどちらか一方を捨てて二元論や還元主義を採用する気
>にもならない、というジレンマを抱えています。

それが心身問題の本質ですねー。人間はどう考えても進化の産物ですから、
心についてもなんらかの物理的な説明がつきそうなのですが、どうしても
うまくいかない。なぜ脳という肉の塊に心が随伴すのか、
Mcginnの言葉を借りれば、なぜ脳という水から意識というワインが
湧き出してくるのか不思議で仕方ないです。


7 :考える名無しさん :2000/10/18(水) 11:25
錯覚説はどうでしょうか。

こころという不思議なものが存在すると感じること自体が
さっかくだとは考えられませんか?

8 :考える名無しさん :2000/10/18(水) 11:41
>7
退行した。

9 :考える名無しさん :2000/10/18(水) 11:52
>7
「物理的なものはすべてリアルだが心というものがあると考えること自体が錯覚なのだ」というならば、行動主義や消去物理主義になりますね。でも、いずれにしてもそのような錯覚が起こるメカニズムを説明する必要があります。

私の好きなライルのたとえ話でこういうのがあります。外国から来た留学生があなたに「ぜひ大学を見せてください」といいます。そこで、あなたは大学のキャンパスに連れて行ってあげて、図書館やグラウンド、校舎などをくまなく見せてあげます。ところが、すべて見終わったあとで、彼はこういいます。「図書館や校舎を見せてくれてありがとう。楽しかったです。でも、私が見たいのは「大学」なんです。「大学」はどこにあるのですか?」

これと同様に人間はさまざまな行動に便宜上、心的名前をつけているだけで、「心」そのものなどというものはないというわけです。たとえば、「痛み」という心的用語は、「傷がからだにつく」、「痛いと声をだす」、「神経に傷がつく」などといったさまざまなことを一言でいうために便宜上つけられた名前にすぎないとライルはいうのです。

まあ、今ではライルみたいな行動主義を信じている人はいませんが、ふと思い出しました。


10 :名無しさん@1周年 :2000/10/19(木) 01:19
錯覚、という解釈は、心脳問題のいくつかある解釈の大枠の中では
「随伴現象説」といわれる説に含まれるでしょう。
それに対する反論はいくつも積み上げられています。ここで紹介するのは
けっこう大変なので、暇なときにまた。

ところで、このテーマでもっとも優れた論考は、
依然として廣松渉の「身心問題」だと思います。誰も言及しないので一応。
ちなみに有名どころでもっともアホなのは養老孟司。
ときどき鋭いこと言うのでなおさら始末に負えない。

11 :考える名無しさん :2000/10/19(木) 01:47
http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/FILE/QUALIA1.html

12 :1 :2000/10/19(木) 02:52
Davidsonの「非法則論的一元論(anomalous monismn)」は、
次の3つの命題が真であり、かつ矛盾しないとする説です。

 (1)少なくとも1つの心的出来事は物的出来事と因果関係に存在する。
 (2)任意の出来事間の因果関係は「厳格な決定論的法則」から導出される。
 (3)心的出来事についての「厳格な決定論的法則」は存在しない。

ここで(2)(3)の「決定論的」という表現が気になりますが、
彼は「確率論的」でもかまわないと考えているようなので、あえて問題にしません。

彼が挙げるいくつかの論拠は曖昧で混乱しているところがある
(これは彼のほかの論文についても言える)ので、評価しづらいのですが、
彼は少なくとも、心的出来事を記述するために必要ないくつかの述語
(信念、意図、意味など)は物的出来事に翻訳できない、と考えているようです。
しかし、これは論点先取の謗りを免れない。

さらに彼は、Quine的な意味での「翻訳の不確定性」も論拠に加えているようです。
たしかに「翻訳の不確定性」(それよりさらに根源的な「指示対象の不可測性」)は
かなり強力な意味論(あるいは真理論)なので無視できないのですが、
ここでこの話を持ち出してしまうと、物理理論へ適用せざるを得なくなり、
心身問題以前の話に戻ってしまいます。

ただ、心的述語と物的述語とではそれらの不確定性のレベルは明らかに異なります。
たとえば「嫌い」という感情はせいぜい順序尺度でしか測れませんが、
脳内のアセチルコリンなどの神経伝達物質の量には比例尺度をあてがうことができます。
また「厳格な」「決定論的」という制約を緩めれば、
たとえば脳機能の局在性などを論拠とする「法則論的一元論」に道を開くでしょう。

それからDavidsonは、出来事の同一性は相関関係の存在とは独立であるとし、
それを真理値の同一性によって規定してしまうのですが、
ここに彼の真理条件的意味論の限界を感じてしまう。
よく言われることですが、文の意味を真理条件で定義してしまうと、
トートロジーの「意味」を区別できないわけですからね。


13 :伍長 :2000/10/19(木) 03:00
クワインの名が出ているので訊きたいのですが、
クワインの行動主義というのはどーゆーモノなんでしょうか?
ちなみに私は、クワインの同僚であったスキナーの徹底的行動主義を信奉する心理学マニアですが。


14 :考える名無しさん :2000/10/19(木) 10:59
>13
スキナーと同じものなんじゃないですか?

15 :伍長 :2000/10/20(金) 03:04
>14
そう思って本当にいいの?

16 :考えてる気味の名無しさん :2000/10/23(月) 03:35
>10
廣松渉読んでみました。
もっとも優れたというより、これなしで始めるのが愚かしく思えました。

日本にこんな人がいたとは知らなかった。鬱。

17 ::2000/10/25(水) 14:06
>>7

人間が意識について考えていること、
例えば、
”認識や思考に関する物質とは異質の何かが存在するような気がする。”
などのようなことを、
コンピューターやAIに考えさせることが出来れば、
心身問題は解決したと見なしてよいとおもいますが、
どうでしょうか?

P。S

広松の考えってどんなの教えて下さい。


18 :考える名無しさん:2000/10/25(水) 14:35
>17
でも、そのコンピュータが本当に人間みたいな感覚質をもっているか
はわからないよ。


19 ::2000/10/25(水) 20:04
>18

もし、コンピューターに、
”赤には独特の赤らしさがある”
と考えさせられたらどうですか?

20 :>19:2000/10/25(水) 20:22
同じ様な事言ってた奴が
前にいたような…


21 :>19:2000/10/25(水) 20:22
って同じ方ですか?

22 :考える名無しさん:2000/10/25(水) 21:31
>19

「考えさせられたら」って、本当に考えているか、感じているか
どうかが問題じゃない。赤いものを見せると「赤には独特の赤
らしさがある」とディスプレイに表示するプログラムなんて
簡単につくれますよ。

心の哲学の教科書を1冊読んでみてください。行動主義とか
機能主義の項目をみたらそういう議論がしつくされている
のがわかります。

23 :考える名無しさん:2000/10/25(水) 21:43
心の問題って身近だし、とっつきやすいので、素人でも
それらしい意見をいえるけど、心身問題に本気で取り組むと
ものすごい大変です。

24 ::2000/10/26(木) 11:04
>>22

僕がいいたいのは錯覚説です。

人間の脳のプログラムの何らかの理由で、
”意識とよばれるものが確かに存在する”と、
”赤の赤らしさは物理的方法では説明できない。”とか、
考えてしまうのではないでしょうか。

それと同じようなプログラムをコンピューターに入れて、
同じことは考えさせたり言わせたり出来れば、
心身問題は解決したことになりませんか?


25 ::2000/10/26(木) 11:05
これ以外の方法で、
問題を解決する方法って何かありますか?

26 :考える名無しさん:2000/10/26(木) 11:27
>24
学習の結果です。
環境との相互作用です。脳だけ考えてはだめ。

27 :考える名無しさん:2000/10/26(木) 11:33
たまにこういう
目立たないんだけど
やたらに鋭いスレがあるんだよなあ
目が話せないよ2ちゃん哲学

おまえらに感謝してやまないよ
まいったなぁ

28 :考える名無しさん:2000/10/26(木) 18:08
怪しげな心の理論を反駁する際に便利なツールの
一つとして、進化の観点から批判する方法があり
ます。ニセ物理学を反駁する際は苦労することが
多いですが、心というのはまぎれもなく人間の
進化のたまものですから、怪しげな心の理論を
論駁する際には、進化の観点からみてこの説は
どうだろうか、と考えると、おかしな点が明らか
になることが多いです。(たとえば、epiphenomenalism
などがそうです)

さて、

>人間の脳のプログラムの何らかの理由で、
>”意識とよばれるものが確かに存在する”と、
>”赤の赤らしさは物理的方法では説明できない。”とか、
>考えてしまうのではないでしょうか。

この説が本当だとすると、なぜ人間という生物が
そのようにプログラムされているかがまったく
不明です。「物理的に説明できない」ということが
生物学的にどんなアドバンテージを生むのでしょうか?

それから、たとえそのように錯覚するように作られて
いるとしても、なぜその錯覚から逃れられないか不明
です。錯覚とは正しいものを誤って認識することですが、
普通の錯覚と違って、この場合その正しいものに人間が
アクセスできない理由とは何でしょうか?そのような
理由は論理的にも物理的にも見当たらないと思います。
McGinnがいう、「認知的に閉じているから心身問題は
永久に解明不可能だ」という説にちょっと似ています
が、24さんの考えを悪く解釈すると、単に「神様が
心の謎を解明できないように作っているからわれわれ
は解明できないんだ」というだけのことのような気が
します。

29 :>28:2000/10/26(木) 19:38
なんでそう言う解釈になるかなあ?

30 :考える名無しさん:2000/10/26(木) 21:42
>29

どっちにしろそんなにすごいアイディアかい?

31 ::2000/10/26(木) 23:14
>>22

行動や機能にニューロンの発火を含ませたらどうでしょうか?

”思考や認識に関する非物質的な何かが存在するような気がする。”
という印象を持ったり、
”それは一体なんだろう。”
という疑問をもったりした場合、
必ずそれに対応するニューロンの発火があるわけで、
その発火が何故起こるのか、
これを解明すればいいと思うのですが、どうでしょうか?

>>28>この場合その正しいものに人間が
アクセスできない理由とは何でしょうか?

どのようにしてその錯覚が起こるのか
知らないからだと思います。

錯覚のメカニズムについて、
1つ具体的なアイデアがあるのですが、
誰か興味のある人はいますか?




32 ::2000/10/26(木) 23:24
それから、広松の論考について教えて下さい。

33 :考える名無しさん:2000/10/27(金) 08:00
>31
>どのようにしてその錯覚が起こるのか
>知らないからだと思います。

根拠なしにこういえるのだったら、世の中の謎は
全部錯覚説で解決できるよん
トンデモさん?

>32
知らないですが、おそらく認知科学などをふまえた現代の心の哲学とは
あまり関係なのではないかしら。


34 :考える名無しさん:2000/10/27(金) 10:14
天皇陛下万歳

35 :考える名無しさん:2000/10/27(金) 15:30
勝手な想像なのですが、たぶん31の方は、きちんとした
認知科学や心の哲学の教科書を読んだことがなくて、
ブルーバックスのペンローズだとかクオリア関係の
軽い本を読んだことしかないような気がします。
哲学屋から見ると言葉の使い方がナイーブというか、
なんというか。違うかな?

以下のような定評のある真面目な教科書をいったん
読んでみてください。

Paul M. Churchland@` _Matter and Consciousness_@` MIT Press
Jaegwon Kim@` Philosophy of Mind@` Westview
David Braddon-Mitchell and Frank Jackson@` _Philosophy of
Mind and Cognition_@` Blackwell.

日本語だとあんまり体系だった本がないけれど、

信原幸弘「心の現代哲学」けい草書房
中才敏郎「心と知識」けい草書房



36 ::2000/10/27(金) 18:04
確かに私は素人ですが、
心脳問題って、バックグラウンドってあるんでしょうか。
例えば、相対性理論の話を、
数学やニュートン力学の知識が無い人間にするのは、
極めて困難ですが、
心脳問題にはそれに対応するものってないのでは。

失礼ですが(ケンカを売る気はないのですが)、
哲学者の方が言葉の使い方がナイーブだと思います。
例えば、哲学では”心的表象”という言葉がどう言う意味で
使われているのかきちんと説明できますか?


37 ::2000/10/27(金) 18:08
錯覚のメカニズムについて、
こういう案がありますが、
意見を聞かせて下さい。

人間には、空気の振動や皮膚への圧力を感知する感覚があるように、
ニューロン自体を感知する感覚があると考えます。
それによって、脳でどのようなことが行われているか把握することができます。

例えば、何か物をみているとき、
”いまわたしはこれをみているんだな”と感知することができます。

そのために、
”この音が聞こえますか?”や”これが見えますか?”
などの質問にこたえることが出来ます。

逆に感知していない例として、
無意識や”ブラインドサイト”などがあります。

自分にそのような感覚があることを知らないために、
錯覚が起きるのではないでしょうか。

もし、聴覚に関する知識がなかったら、
”音とは何だろうか”という疑問が発生したはずです。
同じことがニューロンの発火についても
起こっているのではないでしょうか?

”音は空気の振動である”という表現が可能であるのと同じ意味で、
”意識はニューロンの発火である”という表現が可能になります。

具体的には、

ニューロンを感知する。
→何かを感知していることを感知する。
→それが何か説明出来ない。
→それに意識という名をつけて疑問に思う。

というプロセスです。

一応オリジナルのつもりですが、
過去に同じことを主張したひとはいますか?



38 :考える名無しさん:2000/10/27(金) 19:17
心身問題というのは哲学上の問題であって、バックグラウンド
はもちろん必要です。たとえば、「意識」ということならば、
学際的なアプローチが可能であり、心理学や言語学や脳生理学
などからそれぞれ違ったことがいえますが、心的なものと
物理的なものの関係について研究しているのは基本的に
哲学だけです。

心的表象についてもちゃんとした定義があるわけで、
それが分からないのは(ちょっと失礼ですが)7さんが
その用語を完全に理解していないからだと思います。
心的表象というのは命題的態度において命題を表わす
部分のことです。もしも心的表象がいいかげんな
定義しかされていなかったら、そもそも心的表象に
関するディスカッションを哲学者がすることなど
できません。

39 :考える名無しさん:2000/10/27(金) 19:32
>37

はっきりとは理解できなかったのですが、こういうことですか?
つまり、心と脳の結び付きについては、「あるニューロンが発火する
とこういった心的現象がおこる」という事実だけは脳生理学的に
分かっても、なぜそうなるのかは、まるで盲点や無意識のように
して人間からはアクセスできない仕組みになっている、という
ことですか?私がわからないのは、「錯覚」だという根拠は
何かということです。根拠なしに「解明不可能なのは錯覚だ」
ということが可能ならば、宇宙の謎も、数学の謎もすべて
錯覚だから解明できないという「逃げ」が可能になって
しまいます。<つづく>

アリゾナ大学のChalmersという人はこういった問題をhard
problemsと読んで、たとえ科学がどんなに進んでも意識の
問題は解明できないと考えています。(普通の脳生理学や
神経科学などが取り扱っているのが意識のeasy problems
です)空間や量などの物理学の概念がこれ以上細かいものに
分けて説明できないように、意識も世界を構成する基礎的な
ものであって、これをこれ以上分解して還元的に説明しよう
としても無理だ、という二元論を提唱しているわけです。

40 :考える名無しさん:2000/10/27(金) 19:34
間違えました。<つづく>は無視してください。

41 :微熱症患者:2000/10/28(土) 00:32
私も心身(心脳)問題については素人で、この問題のバックグラウンドをあ
まりよく知らないのですが、一連のやりとりを読んで興味が出てきました。
そこで7さんの考えを私なりにパラフレーズしてみました。
誤解があれば指摘して下さい。

1.人の意識とは、その人の脳の中のニューロンが発火するという現象にほか
 ならない。よって、心に関する問題はニューロンの発火現象に関する研究
 によって解明されるものであり、その他に解明する手段はない。
2.1に対して、意識とニューロンの発火とは別物だと考えてしまう傾向が人
 間にはある。しかし、それは錯覚である。
3.2の錯覚は、人が自分の脳の中で起こっているニューロンの発火現象につ
 いて不完全な認識しか持っていないことに起因する。すなわち、人はニュ
 ーロンが発火するとき
 a)ニューロンが発火していることを感知するが、
 b)ニューロンが発火していることを感知していることを感知せず、
 c)何かを感知しているということだけを感知する。
 という認識レベルにとどまる。
4.3のcの「何か」を補完するために、人は「意識」という名を与えるが、
 それは不完全な認識から生じた概念であるので本性が明らかではない。
 そこで、人は意識についてさまざまな疑問を抱き、混乱した考えに至る。
 意識とニューロンの発火は別物だという考えもそのような混乱の一つであ
 る。

これはかなり説得力のある意見だと思います。ただ、私がひっかかるのは、
3の部分です。原文では、
>>37
>ニューロンを感知する。
>→何かを感知していることを感知する。
>→それが何か説明出来ない。
という箇所です。ここで使われている「感知」という言葉の用法がよくわか
らないのです。
たとえば「人が"感知"する対象は事物なのか事態なのか」「人が何かを"感
知"するとき、その関係は直接的なもので誤りの余地はないのか、それともそ
の関係は間接的なもので誤りの余地があるものなのか」というような疑問が
生じます。もしかしたら「何かを感知していることを感知する」という文で
は、最初の「感知」と二番目の「感知」は意味が違うのではないかという気
もするのです。


42 :考える名無しさん:2000/10/28(土) 01:18
>41さんまとめてくれてありがとうございます

ということは、(錯覚があるにせよ何にせよ)結論としては
「意識はニューロンの発火である」ということなのですか?
そうだとすると普通の還元物理主義の考えになりますが、
それだと、たとえば、Jacksonの知識論法などをどう解決
するか、といった問題が生じます。

知識論法とはこういうことです。

メリーという名の未来の脳生理学者がいます。この時代、
物理学や生理学はすべて完成しており、彼女はこれらの
知識をすべて持っています。そのため、例えば、ある
痛みを感じたときに、それがどのようなニューロンの
発火と結び付いており、どのような神経現象が体内で
起きているか神経生理学的に理解できます。ところで、
彼女は生まれたときから白黒の壁に囲まれた部屋に
住んでいます。テレビも白黒で、持っている教科書も
すべてモノクロです。

その彼女がある日外に出ることを許され、赤く熟れた
トマトを見たときに、彼女はまったく新しい何かを学び
ます。すなわち、「赤いものを見るということはどの
ようなことか」ということです。

それゆえ、たとえ物理学や神経生理学が完成しても、
それらには網羅しきれない何かが存在することになる
わけです。


43 :考える名無しさん:2000/10/28(土) 01:25
あと、意識がニューロン発火とむすびついていること自体
を否定する人は哲学者でも認知科学者でもいません。ですので、
それが何で問題になるのかも私にはよくわかりません。


44 :1=12:2000/10/28(土) 02:14
当初の不安をよそに、議論が盛り上がりを見せていますね^^;。

これまでのところ、ニューロンと心的表象の関係が主な論題
になっているようですね。ただ問題は、ある特定のニューロン
の発火と、ある<トークン>の(=個別の)心的表象との間に、
一意対応の因果関係が存在するかどうかです。
私はせいぜい、ある<タイプ>との間にしか存在せず、
もし存在するとしても観察はできない、と考えます。
そして、たとえ理想的な実験条件の下でも、
被験者の自己の心的表象の報告は言葉や描画など記号表現を
介さざるを得ないので、
やはり脳神経レベルの出来事と心的表象との間には
<厳密な、決定論的な>因果関係は観察できない、と思います。
脳内の生理学的・化学的状態と心的表象の状態とを
どこまで厳密に対応できるかについて、大脳生理学、神経心理学など
の動向に詳しい方がいれば、お教えください。

また、これまでの議論では、ニューロンの心的表象に対する作用など、
物的出来事の心的出来事に対する作用が言及の主な対象になっていますが、
反対に、心的出来事の物的出来事に対する作用の存在ついてはどうでしょうか。
これについての古典的例証としては「火事場の馬鹿力」などがあり、
もっと身近な例として「恐れを感じると鳥肌が立つ」などがあるでしょう
(ちなみに、最近よく耳にする「トリハダものだね」という言い回しは、
やはり誤用と言っていいんでしょうか? 生理現象としては忠実だったりして…)。
これらの現象があるという点で私は「3世界相互作用説」に親和的なのですが、
みなさんはどう説明されますか?



45 :考える名無しさん:2000/10/28(土) 11:02
>私はせいぜい、ある<タイプ>との間にしか存在せず、
>もし存在するとしても観察はできない、と考えます。

「せいぜい」というのならば、タイプじゃなくてトークンの間違い
じゃないですか?タイプ同一説はすべてのトークン間の同一性を
含意しますが。

>反対に、心的出来事の物的出来事に対する作用の存在ついてはどうでしょうか。
>これについての古典的例証としては「火事場の馬鹿力」などがあり、
>もっと身近な例として「恐れを感じると鳥肌が立つ」などがあるでしょう

心的なものが物的なものに作用する例ならば、単純に、
「手を挙げようと思うと手が上がる」とかもそうですよね。




46 :名も無き冒険者:2000/10/28(土) 14:20
>>39

逃げではないですよ。
心脳問題は、

>>41

1、2は、私の言いたいニュアンスとは違います。
”なぜ、意識とは何かという疑問をもつのか?”もしくは、
”その疑問をもっていることに対応するニューロンの発火は、
何故起こるのか?”
これを説明できれば、心脳問題は解決したことになるのではという
考えです。

3ですが、事態とか直接とかの意味がよくわからないので、
疑問の意味がわかりません。

メカニズムですがこうかけば分かるかもしれません。

もし、”音は空気の振動を感知したものだ。”という知識がなければ、
人間は”音とは何か”をいう疑問をもつはずです。
(子供の頃、実際にこういう疑問をもった人がいるかもしれません。)

それと同じことが意識にもいえるわけです。
つまり、”人間はニューロンを感知することができる。”という知識が
ないので、
”意識とは何か”いう疑問をもつということです。

47 :名も無き冒険者:2000/10/28(土) 14:29
>>39
逃げではないですよ。
心脳問題は、
”なぜ、認識や思考に関する非物質的な何かが存在するような気がするのか”
”なぜ、それに意識をいう名前をつけて疑問に思うのか”
という問題に帰着できるという提案をしているわけです。
また、その答えも提案しています。>>37



48 :名も無き冒険者:2000/10/28(土) 14:49
>>42

”知識論方”というのはクオリアについての
話ですか?

クオリアについても同様のことを考えています。
”赤の独特の(物質とは異質の)赤らしさとは何か?”
という疑問もしくはその疑問に対応するニューロンの発火が
なぜ起きるのか、
これを解明すればいいと考えています。

>>45

こんな当たり前のことはわざわざ言いません。
もう一度読んでください。




49 :7=46、47、48:2000/10/28(土) 14:52
一つ確認したいのですが、

”空気の振動や皮膚への圧力を感知する感覚があるように
ニューロンを感知する感覚がある。”
これは理解していただけますか。

50 :考える名無しさん:2000/10/28(土) 16:58
>48

>”知識論方”というのはクオリアについての
>話ですか?

そうです。Frank Jacksonが1982年に発表した
Epiphenomela Qualiaという有名な論文に載っています。
タイトル通りまさにQualiaの話です。

>こんな当たり前のことはわざわざ言いません。
>もう一度読んでください。

タイプ同一説といったら、SmartとかArmstrongみたいな
初期のものすごく強い心脳同一説と同じになりますよ。
つまり心的現象は100%脳の現象ということになります。
それを信じている人は今いません。トークンとタイプの
意味を混乱されているのでは?

>49

あなたが一生懸命自分の考えを説明している情熱は
伝わってきましたが、なんだかいろんな人がはいって
きて何がなんだかわからなくなりました。だいたい、
どれがあなたのご発言かもわからないし。。。
(私の発言もそうですね^^;)

よかったらもう一度まとめてもらえませんか?
何を解明したいのか、なぜそのような解明すべき謎が
生じるのか、どうやって解明できるのか、を書いてもらえ
たらうれしいです。

51 :考える名無しさん:2000/10/28(土) 17:04
ああ、44と48が同じ人かと思って上記のレスを
つけましたが、違うんですね。44の意見に反論したら
48に「こんな当り前のことはいいません。もう
一度よくよんでください」とあるからてっきり
48=44かと思いました。ますますややこしい。
45で私が書いたのは44への意見であって、
49の方への反論じゃないんですけど。^^;)

52 :考える名無しさん:2000/10/28(土) 21:23
あげ

53 :微熱症患者:2000/10/29(日) 00:23
>>46
>1、2は、私の言いたいニュアンスとは違います。
>”なぜ、意識とは何かという疑問をもつのか?”もしくは、
>”その疑問をもっていることに対応するニューロンの発火は、
>何故起こるのか?”
>これを説明できれば、心脳問題は解決したことになるのではという
>考えです。
なんとなくわかってきました。
心身(脳)問題を真正な問題とみなして、その問題領域の内側で理論を立てた
り、さまざまな考察を巡らしたりするのではなく、そもそも心身問題などとい
う問題設定を行うこと自体が錯覚の産物であると示すことによって、問題その
ものを解消してしまう立場ですね。


>3ですが、事態とか直接とかの意味がよくわからないので、
>疑問の意味がわかりません。
「事物/事態」という対比は、ある程度哲学に親しんだ人ならわかると思った
のですが……。これは「モノ/コト」と言い換えることもできます。
たとえば、「ニューロン」は「事物・モノ」ですが、「ニューロンの発火」は
「事態・コト」です。

「直接/間接」という対を使ったのは、あとから考えると失敗でした。私が言
いたかったのは、「……を感知する」というとき、「……」に当てはまる対象
について可謬的なのか不可謬的なのかということです。
「可謬的/不可謬的」という語の対については説明する必要はないと思います
(ちょっと硬い言い方ですが、辞書的な意味以上の含みはありません)。


54 :考えてる気味の名無しさん:2000/10/29(日) 02:13
あげ

55 :考える名無しさん:2000/10/30(月) 00:18
あげ。

56 :名無しさん@1周年:2000/10/30(月) 12:18
ここは、発言主が混乱しているという弊をのぞけば、
クオリア茂木のやってる心脳問題MLよりよっぽどまっとうな知識共有の場に
なってるなー。
あっちはひどいことになってるもんなあ。

57 :考える名無しさん:2000/10/30(月) 15:44
クオリア茂木氏の方はどんな感じなのですか?
クオリア、クオリアって、茂木氏は日本ではクオリアの
権威みたいな感じですけど、欧米で十数年前から
議論されていることを日本に紹介しただけのような
気がしないでもないです。ペンローズとかチャルマーズ
の流れにうまくのったのかな?

58 :考える名無しさん:2000/10/30(月) 18:20
すみません、48は>>45ではなく>>43の間違いです。

>>53

錯覚説については、その通りです。

事とか物とかがまだ分かりません。(すみません、素人なもので。)
謬=誤るですよね。
自分は赤を見ているを思っていたら、
実は青を見ていたというのはないと思います。



59 ::2000/10/30(月) 22:17
58は僕です。

三世界説は私は認めません。
心的表象と直接相互作用する物質は、ニューロンだけでしょ。
(鳥肌はニューロンじゃないですが、
心的表象→ニューロン→鳥肌と間接的な相互作用です。)
ニューロンも他の物質も同じ物理法則に従っているのに、
なぜニューロンだけが特別なのかそれが理解できません。

60 :考える名無しさん:2000/10/30(月) 23:18
「心的表象がニューロンと相互作用する」って
ものすごい言葉の使い方だなあ。^^;)

61 :1:2000/10/30(月) 23:59
7さんへ
>>59
うーん、ちょっと分からないです。
心的表象(「表象」という語が気に入らなければ「状態」や「事態」
でもかまいません)がニューロンや皮膚の物の事態と相互作用する
ことは認めるわけですよね。すると、3世界説と矛盾しないと思いますが。

それから、「錯覚説」の展開を私も知りたいので、詳説していただければ
幸いです。



62 :微熱症患者:2000/10/31(火) 00:09
心的表象とニューロンが相互作用する、ということは、
心的表象とニューロンは別ものだということでしょうか?

すると、心身問題は単なる誤解の産物ではなくて、
「心的表象とニューロンがいかに相互作用するのか?」
という問いを中心とした、真正の哲学的問題ということに
なりそうです。

あくまでも「錯覚説」を貫くなら、
「心的表象=ニューロン(の発火)→鳥肌」と言うべきでしょう。


63 :1:2000/10/31(火) 00:28
>>62
>心的表象とニューロンが相互作用する、ということは、
>心的表象とニューロンは別ものだということでしょうか?

といいますか、科学の現状では、それらが同一であるとは
言い切れないのではないか、と思うのです。
確かに言語や記憶などの機能自体については脳の生理的記述
によってある程度説明されつつあるようですが。

もし同一説に立たれるなら、
たとえば自由意志はどう説明されますか?
また、S.Kripkeの「固定指示子」論に基づいた同一説批判を
どう評価されますか?

64 :微熱症患者:2000/10/31(火) 01:23
>>63
62で私が言いたかったのは、心的表象とニューロンが同一だということ
ではありません。
7さんの錯覚説をとるなら、心的表象とニューロン(またはニューロン
の発火)が「相互作用する」と言ってはいけないのではないか、という
ことを言いたかっただけです。

ちなみに、私は心的出来事(「心的表象」というのはよくわからないの
で、こちらを使います)とニューロンの発火という出来事が同一だとは
考えていません。
もし両者が同一だとすれば、脳から適当にニューロンを抜き出して、そ
れに物理的刺激を与えて発火させれば、それが心的出来事でもあるとい
うことになるでしょうが、これは直観的に信じがたいからです。
一歩譲って、「心的出来事とはニューロンがしかるべき状況のもとで発
火するという出来事と同一である」というテーゼを立てるなら、検討の
余地はあるかもしれませんが、その場合は「しかるべき状況」を形成す
る周囲の環境をいかにして特定するかという問題が生じます。
現代の脳生理学ではまだまだこの問題に答えることはできないでしょう。

物理的決定論と自由意志の問題については即座に回答できませんが、何
となく両立するのではないかという気がしています。

クリプキについては、恥ずかしながら『名指しと必然性』の第二講義以
降はちゃんと読んでいないので、彼の同一説批判がどのようなものだった
か、忘れてしまいました。

65 ::2000/10/31(火) 13:19
>>61
59は背理法です。
三世界説が正しいと仮定して矛盾を導いているわけです。
仮定としてそういう立場にたっただけで、
”心的表象がニューロンや皮膚の物の事態と相互作用する”ことは
認めてません。

錯覚説ですが、
心脳問題は、
”認識や思考に関する物質とは異質の何かが存在するような気がする”から、
発生した訳で、
何故そのような気がするのか説明できれば、心脳問題自体を消去することが
出来るという考えです。

そして、その説明として、”ニューロン感知説”を提案しています。

人間は感知することによって、思考や判断が出来るようになります。
たとえば、
廊下を目をつぶって歩くのは危険ですが
目を開けて歩くのは安全です。
目を開けると、電磁波を感知できるので、
”このまま曲がらないと壁にぶつかる。”とか、
”まっすぐいっても大丈夫”とかの
判断ができるようになるからです。
同様に、
皮膚への圧力や空気の振動の感知しています。
それらを同じ意味で、
人間はニューロンを感知しています。
”この音が聞こえる?”とか、”この色が見える?”とかの
質問に答えられるのはそのせいなのです。
また、無意識と意識の違いは感知しているかいないかの違いだと考えています。

もし、”音は空気の振動を感知したものだ。”という知識がなければ、
人間は”音とは何か”をいう疑問をもつはずです。
(子供の頃、実際にこういう疑問をもった人がいるかもしれません。)
それと同じことが意識にもいえるわけです。
つまり、”人間はニューロンを感知することができる。”という知識が ないので、
”意識とは何か”いう疑問をもつということです。







66 :すずらん:2000/10/31(火) 15:18
>>65
7さんの言ってる事と現在の標準的な解釈。つまり、微熱症患者さんが提示された
>>64の、「心的出来事とはニューロンがしかるべき状況のもとで発
火するという出来事と同一である」というテーゼとの違いがよく分かりません。
結局7さんがおっしゃられる「ニューロン感知説」もニューラルネットが
あるパターンになった時「認識や思考に関する物質とは異質の何かが存在
するような気がする」という心的出来事が起こるわけですよね。
これは結局『対応原理』を用いてるわけで、何ら現在の標準的な解釈
と違いはないですよ(素朴な2元論)。澤口さんに言わせれば、その感知ニューロンは
前頭葉にある。というのでしょう。茂木さんやチャルマースさんの立場は
ニューロン発火のパターンがどのようなメカニズム(決して対応ではない!)
で赤の赤らしさ(質感・クオリア)が我々の意識に上らせるのかを示さねば
一元論的説明とは言えないと言う事でしょう。


67 :すずらん:2000/10/31(火) 15:24
そうそう、この問題個人的には大好きなんですが、現時点では深入りしても
どうにもならんので、ほどほどで皆さん出来る所(多分、生物系、情報系、心理系この辺からアプローチが正解だと思う)
から脳と心の問題に向かいましょう。

68 :電波猫>7さん:2000/10/31(火) 18:38
自らの「心」を知覚ですか?
ニコラス・ハンフリーという人が(この人のオリジナルかどうかは知りませんが)
ゴリラの研究などから意識というのは自分の内面を観察する事で、
他者の心を推測出来るようになる事から進化したという説を唱えていたと思います。



69 :考える名無しさん:2000/10/31(火) 19:25
>66
やっともののわかりそうな人がでてきてよかった。
けんかを売っているわけではないですが、
7さんと微熱症患者さんの話は哲学屋として
ついていけないです。(とくに「ニューロンが
mental representationと相互作用する」とか)

>7さんの言ってる事と現在の標準的な解釈。つまり、微熱症患者さんが提示された
>>64の、「心的出来事とはニューロンがしかるべき状況のもとで発
>火するという出来事と同一である」というテーゼとの違いがよく分かりません。

私もよくわかりません。で、違いがないとすると、7さんが
おっしゃっているのは40年くらい前の心脳同一説みたいな
ものになるんですよね。クリプキとかタイプ同一説とか
でてきましたが、正直いって、心の哲学では何が問題に
なっていて、どこまで議論されていて、何がまだわからない
のか、おわかりになっていない気がします。

>前頭葉にある。というのでしょう。茂木さんやチャルマースさんの立場は
>ニューロン発火のパターンがどのようなメカニズム(決して対応ではない!)
>で赤の赤らしさ(質感・クオリア)が我々の意識に上らせるのかを示さねば
>一元論的説明とは言えないと言う事でしょう。

その通り。でも、実際物理主義者たちもそこまで強い意味での
物理主義が完成するとは考えていないですね。

70 :すずらん(ver.お家):2000/10/31(火) 20:43
>>69
この話は楽しいんでつい参加してしまう…自分の研究やれ俺(笑)。
ところで、クリックさんや茂木&慶応グループが行ってる両眼視野闘争
の実験をご存知でしょうか?これは結構意識と関わっていて面白そう
何ですよね。また、似たやつで下條さんのMRIで視覚に穴を空けるのも
あります。この辺から主観に迫るのはかなり良い線を言ってると思うのですがどう思われますか?


71 :69:2000/10/31(火) 22:29
>70
すずらんさんは、認知系の方ですか?私、哲学専門でしかも長らく海外にいる
ので(いいわけ)両眼視野闘争というのは知らないんです。よろしかったら
教えてください。特に意識の問題とどう関わるのか知りたいです。お願いします。

72 :微熱症患者:2000/10/31(火) 23:13
>>69
>7さんと微熱症患者さんの話は哲学屋として
>ついていけないです。(とくに「ニューロンが
>mental representationと相互作用する」とか)
再度、注意を喚起しておきますが、私は「ニューロンと心的表彰が相互作
用する」などと一度も主張していません。もしそのように主張するなら、
どのような事柄が帰結するかを述べただけです。

前にも書きましたが、私は心の哲学についてはほとんど専門的な知識をも
っていません(『心と知識』も『心の現代哲学』も難しくて途中で放り出
してしまいました)。どうやら、私の文章の書き方が混乱を招いてしまっ
たようなので、しばらくこの問題については静観しようと思います。



73 :考える名無しさん:2000/11/01(水) 00:26
あげ


74 :考える名無しさん:2000/11/01(水) 00:48
>72
「ニューロンと心的表象が相互作用する」と微熱症患者さんがおっしゃって
いないのはわかります。そのことを問題にしているのではありません。
私がいいたかったのは、「ニューロンと心的表象が相互作用するか、しないか。
したらここがおかしい」などといった言葉使いがあたかも普通の哲学の議論
みたいにして取り扱われているのが非常に奇妙だといっているわけです。なぜ
なら、相互作用とか心的表象という用語はそういう時に使うものではないから
です。

たとえば、あの花はきれいだと信じるという命題的態度があるとき、「あの花
はきれいだ」ということを心の中で表わす心的表象があると考えられます。当り
前ですが、この心的表象というものは物質(substance)ではありません。これ
に対して、ニューロンというのは物理学が取り扱う、まさに物質です。という
わけで、前者は概念、後者は物質なわけです。

ところで、「相互作用する」というのはたとえば、デカルト的な心身二元論を
とる人が、心的なものと物的なものが互いに因果的に作用しあうときに使う
用語です。しかし、この場合ですら、心的なものというのはあくまで物質な
わけです。心的な物質が物的な物質とどのようにインタラクトするかが問題
になるわけです。

ですので、みなさんが議論しておられるような、「心的表象という「概念」
とニューロンという「物質」が相互に作用しあうかどうか」などというのは
問題自体非常に奇妙なわけです。(説明がへたくそですが、わかって
いただけますか?)

75 ::2000/11/01(水) 01:10
>>71
http://www.qualia-manifesto.com/news.html

>>66
全然違います。私の立場は一元論(唯物論)です。
”意識とは何か?”という問題ではなく、
”認識や思考に関する物質とは異質の何かが
存在するような気がするのは何故か?”や、
”意識とは何かという疑問をなぜ持つのか?”という問題に
直接答えることができれば
心身問題は解決したことになるという考えです。
(念のためにいうと、”気がする”や”疑問”というのは、
厳密にはニューロンの発火をさします。)



76 :微熱症患者:2000/11/01(水) 02:03
>>74
「しばらく静観する」と言っておいて、のこのこ出てくるのもどうかと思ったのですが、少しだけ。

私は7さんの議論についてコメントするときには、よけいな混乱を避けるため7さんの用語法をその
まま用いています。「心的表象」という言葉はすべて括弧に入れて使うべきだったかもしれませんが、
そこまでの厳密さは必要ないだろうと思っていました。
ただ、自分の意見を述べる場合には「心的表象」では具合が悪いと思ったので、64では「心的出来事」
という言葉を使いました。また「相互作用」という言葉も避けています。
とはいえ、使用と言及の区別をはっきりさせておかなかったために、私自身が「ニューロンと心的表
象が相互作用するか否か」という問題設定のもとで議論をしているかのように誤解させてしまったの
は確かです。

ところで、私には「心的な物質」という表現のほうが奇妙に感じられるのですが……。この文脈での
substanceはむしろ「実体」と訳すほうが無難だと思いますが、いかがでしょう。

77 :すずらん:2000/11/01(水) 11:35
>>71
自分は「認知系」じゃないです。M2の物理系でANN(人工ニューラルネット)を勉強途中の
卵です(笑)。『両眼視野闘争』については>>75で7さんが紹介してくださっています。
読みやすい本では、『心が脳を感じる時』(茂木:講談社)に紹介されてます。
一言で言うなら、同じ視野に違う刺激を入れたときに『意識に上る』(つまり見えること)
刺激とそうでない刺激が競争してますよ。という実験です。


78 :すずらん:2000/11/01(水) 12:02
>>75(7さん)
まず私の立場を明確にします。
1、クオリア(感覚・心的表象)の問題はある。しかし、現時点でそれを解くのは
難しい(従ってそれを解く具体的なアイデアなど持ってません)。
2、今出来る『対応関係』(ニューロンの発火パターンとクオリアを結びつける事)
を用いて行けるとこまで行ってみる。
3、結論:哲学系の方から見た私の現時点の立場は『素朴実在論』で、
『2元論』(デカルトやもう少し広げればプラトンもかな??)
になるのだと思います(違っていたらゴメンなさい)。
7さんへの反論
>例えば、何か物をみているとき、
>”いまわたしはこれをみているんだな”と感知することができます。
>>37から引用)
ここが大問題な訳です!波が網膜から外側室状体を経てV1視覚野へ行く
その後高次の視覚野へ行き連合野へ達し私たちは『見える!』。
この最後の過程が「クオリア」の問題です。なぜ、V1では意識に上らなかった
(つまり見えなかったという事)「クオリア」が連合野において
ニューロンがある発火パターンになった時私たちに見えるのか??
…つづく




79 :すずらん:2000/11/01(水) 12:24
>>75(7さん)
気になるのですが、7さんは1元論と主張するからには、
『物』の実在は認めているのですよね。
つまり、この世の中は全て脳が作る幻であるという『認識論』の立場
じゃないですよね??(それだと話が変わってくるのですが…)

もう1つ7さんのモデルにおいて考えます。
キスをしたとして、唇や舌に対応する体性感覚野のニューロンが反応する。
ここで、「感知ニューロン」が反応したら「キスの感覚を感じ、自分はキスをしてるな
と実感する」。ここで、「感知ニューロン」が反応しなければ「自分はキスをしてるな
と実感する」という事が起こらない。これは、なぜ「感知ニューロン」が
反応したら「自分はキスをしてるなと実感する」のかというメカニズムを
説明してないわけですよ。つまり、「感知ニューロン」と「自分はキスを
してるなと実感する」とを対応させている訳ですよ。チャルマースさんや
茂木さんはそこを問題としているわけです。そして、この考え方はデカルトが
松果体と意識を結びつけた2元論の衣替えなわけですよ。松果体が
ニューロンの発火状態になっただけという訳です。
(長文失礼)


80 :電波猫:2000/11/01(水) 22:45
理系はなぜバカなのか。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=971344782&ls=50
の103で頓珍漢な事を言ってしまったため116の方を誤解させてしまいました
まだいるかどうかわかりませんが、宜しければ正しい説明をしていただけませんでしょうか>69さん



81 :1:2000/11/02(木) 00:31
>>45
>「せいぜい」というのならば、タイプじゃなくてトークンの間違い
>じゃないですか?タイプ同一説はすべてのトークン間の同一性を
>含意しますが。


レスが遅くなってすみません。
心脳問題を論じる哲学での「トークン」と「タイプ」の用法は曖昧だ
と思うんです。
「トークン」=<個別的出来事>、「タイプ」=<それを含む同類の
事例の集合>とすると、45さんの言うようにタイプ同一説はトークン
同一説を必然的に含意します。
 ところが、心脳問題を語る哲学での一般的用法は「トークン」=
<単独的出来事>のようです。つまり、トークン同一説は、<同類集合
に属する個別の出来事>ではなく、<あの時点、の、あの出来事>つまり
<単独的出来事>としての心的出来事と物的出来事が同一であるとする
説です。もしそうでなければ、法則的説明形式であるタイプ同一説への
批判は無意味になります。
 だから、トークン同一説に基づく理論は、単独的出来事の間の対応関係
ないし因果関係を記述するものでしかないので、説明理論として反証の
対象にすることはできません。近年の同一説は、心的出来事を例えば
茂木さんのように、複数のニューロンの発火の複合的パターンと
同定しますが、これは「トークン同一説」とは言えないのではない
でしょうか。

>タイプ同一説といったら、SmartとかArmstrongみたいな
>初期のものすごく強い心脳同一説と同じになりますよ。
>つまり心的現象は100%脳の現象ということになります。
>それを信じている人は今いません。トークンとタイプの
>意味を混乱されているのでは?

もし心脳「随伴」説の意味ではない心脳「同一」説なら、
「心的現象は100%脳の現象」としなければ「同一」説
とは言えないのではないですか? 「心的現象は100%
脳の現象」ではないのなら、心的出来事の物的出来事
からの自律的存在を認めなければならないと思います。


82 ::2000/11/02(木) 19:06
>>78

別に感知出来るニューロンと出来ないニューロンが
あっても私の理論は崩壊しませんよ。

ニューロンをどういうしくみで感知しているのかは、
現段階ではわかりませんが、
テレパシーとか千里眼とは違って、
なんらかのしくみがあってもおかしくはないです。

対連合野にはそういうしくみがあって、
対V1にはないんでしょ。ただそれだけ。

>>79
はい、唯物論の方です。

音を感知するニューロンが反応したら、
音がするのと同じです。




83 :すずらん:2000/11/02(木) 19:46
>>82
7さんの理論は崩壊してないんじゃなくて、『感覚』(クオリア)の説明に
なってないと言いたかったのです。
>音を感知するニューロンが反応したら、
>音がするのと同じです。
ですから、そこが問題なわけですよ。例えば「あ〜」という音を聞いたとして
それに対応するニューロンが反応する。しかし、「あ〜」という音そのものと
ニューロンの発火は違いますよね。そこで、どのようなメカニズム
(つまり、例えば原子を構成要素に分解すると原子核・中性子・電子になりますよね。
逆にそれらの構成要素を組み合わせれば原子ができるわけです(原理的には)。
それと同様に「あ〜」という音を分解(決してフーリエ解析のことではないですよ!)
してその構成要素としてニューロンの発火になりかつ、ニューロンの発火を構成要素
としてその組み合わせにより「あ〜」という音そのものを作り出せれば
『一元論』という事になるのです)
でニューロンの発火が「あ〜」という音を意識させるのか?7さんのおっしゃる
「ニューロンの発火」が「「あ〜」という音と一緒だ」というのは対応させてるに
過ぎないわけですよ。
つづく



84 :すずらん:2000/11/02(木) 20:05
>>82
つまり、『感覚』(クオリア)というものは『物質』に還元できない(決して因果関係ではない!)のでは?
というのがクオリア問題なわけです。そして、この『感覚』を大袈裟ですが
世界を形作る基本要素と認めるか認めないかという問題な訳です。
そこに対応関係を持ち込めば>>81で1さんが述べられてるように、
『心脳随伴説』になります(現在の標準的解釈、2元論)。7さんのモデルは
この枠組みに入ってると思いますよ。と言うのが私の意見です。
最後に、脳(ニューロン発火)が感覚と因果関係にあるという事は
疑うはずもないですし、多くの哲学者もそう考えてますよ。
ただそれと一元論二元論の話は全く違います!


85 ::2000/11/02(木) 21:10
クオリアについては次のような説明を考えています。

例えば、赤の赤らしさなら、

(視覚としての)赤と赤に対応しているニューロンを感知する。
→何故、赤とこのニューロンが対応しているのか疑問に感じる。
(例えば、赤のニューロンと青のニューロンが交換されていても矛盾は
生じないでしょ。そういう意味での疑問です。)
→”赤は何故このようにみえるのか”という疑問や
理屈では説明できないことをみた驚きが発生する。

以上のことを無意識のうちに行われることがクオリアの正体だと思います。


86 :すずらん(ver.お家):2000/11/02(木) 23:25
>>85
ダメです。そもそも、その説明は問題をより複雑にしています。

>赤とこのニューロンが対応しているのか疑問に感じる。

そこで使われている「疑問の感じ」とは何なのでしょうか?これは『感覚』(クオリア)
とは違いますが、おそらく「思考」とは何かを問わなければなりません(意味もかな?)。
また、「驚き」の感覚はどのようにして起こっていると説明されるのですか??


87 ::2000/11/03(金) 11:35
そもそも、二元論が支持される理由は、意識とクオリアでしょう。
”思考や認識に関する非物質的な何かが存在するような気がする。”
”赤の赤らしさには非物質的な何かが存在するような気がする。”
このような気がするから二元論が出てきた訳で、
もし、なぜそのような気がするのか一元論で説明できれば、
それで心脳問題は解決したことになります。

また、二元論にはいくつか欠点があります。
なぜ、心的出来事はニューロン以外の物質と相互作用しないのか。
なぜ、物理法則の研究の中で心的出来事という概念が発生しなかったか。
仮に赤の赤らしさが実在するものとして、それを感知することの進化上のメリットはなにか?

”疑問”とは、ニューロンの発火です。
理論的には、ニューロンの発火をしらべれば、
何を考えているのか分かるはずです。
そういう意味での思考です。
驚きは、”赤は何故このようにみえるのか”が
説明できないことに対する驚きです。

88 :考える名無しさん:2000/11/03(金) 12:42
「気がする」というのも質感をもったクオリアじゃん。
クオリアをクオリアで説明してるじゃん。妄想か?

89 :考える名無しさん:2000/11/03(金) 12:58
妄想野郎は放っておけ

90 :すずらん:2000/11/03(金) 18:39
>>87
>このような気がするから二元論が出てきた訳で、
>もし、なぜそのような気がするのか一元論で説明できれば、
>それで心脳問題は解決したことになります。
ここが問題です。「何故そのような気がするのか」に対応する「ニューロンの発火パターン」
を同定する事は可能になるかもしれない(私もそれを見つけたいと思ってます)。
そして7さんはそれが見つかったら、「一元論で、心脳問題(心身問題)は解決された」
と主張することでしょう。しかし、間違いなく哲学者や科学者の一部そして、
一般の方の多くは納得せず「私のこの『感じ』(クオリア)がどうして出るのか?」
と質問する事でしょう。7さんはそれに対して「それは錯覚です。」とでも言うのでしょう・
そして質問者は再び「それでは錯覚でも良いから、その錯覚の『感じ』とはなんですか?」
と質問されるでしょう。7さんはそれに対しどう答えるのでしょうか??

>なぜ、心的出来事はニューロン以外の物質と相互作用しないのか。@
>なぜ、物理法則の研究の中で心的出来事という概念が発生しなかったか。A
>仮に赤の赤らしさが実在するものとして、それを感知することの進化上のメリットはなにか?B

@全く不思議です。そもそも、ニューロン以外の物質に『感覚』は無いと言って
良いのかも分かりません。
Aこの疑問にはあまり興味を覚えません(哲学・科学史の人に任せます)。
B確かにそうですが、進化論ってタイムマシーンが出来ない限り実証
不能に見えるんで(その他の方法思いつく人いますか?)程々にしか信じてません
余談になりますが、同様に宇宙論もいい加減にしか信用してなかったりして
時間を扱う科学は難しいですよ(叩かれますかね?)。



91 :すずらん:2000/11/03(金) 18:53
続き
>>87
>”疑問”とは、ニューロンの発火です。理論的には、ニューロンの発火をしらべれば、
>何を考えているのか分かるはずです。

それは実際上出来るかどうかは別として、原理的に出来るであろうという
ことに関しては全く異論はないです。ただそれと一元論二元論(参考>>81)の話は全く
別物ですよ。どうも、7さんは二元論に対して誤解を持ってらっしゃるように
思うのですが?? 『物質』と『感覚』(クオリア)に因果関係があっても
二元論は全く揺らぎません!『感覚』の構成要素(そもそもこれが何なのか
想像すら出来ない所に心身問題の本質があるのですが…)として「ニューロン発火パターン」
に行き着けば『二元論』は間違っていた!という事になります。



92 :考える名無しさん:2000/11/04(土) 01:22
>確かにそうですが、進化論ってタイムマシーンが出来ない限り実証
>不能に見えるんで(その他の方法思いつく人いますか?)
>余談になりますが、同様に宇宙論もいい加減にしか信用してなかったりして

化石、放射性同位元素、赤方偏移。
だんだんトンデモさんの理論お披露目
スレッドになってきたぞ。

93 :考える名無しさん:2000/11/04(土) 06:13
>>87(七さん)
検証は可能でしょうか。

人間にクオリアがあるのは問題ないとして、
人間のクオリアを引き起こしていると思われるニューロンの発火パターンが
見つかった場合、そのパターンを持たない生き物(以外でもいいですが)
にはクオリアがないと予想できます。
また、そのパターンを持ったコンピュータにはクオリアがあるでしょう。

しかし、どうやってそれを判定すればいいのかちょっと思いつきません。

なにかうまい方法があるのでしょうか。

94 ::2000/11/04(土) 13:58
>>90-91>>93

クオリアは、カニッツァの三角形のようなものです。
みえるけど存在はしないということです。
なぜ見えるのか説明できればいいわけで、
その三角形がどこにあるか示す必要はありません。
「それでは錯覚でも良いから、その錯覚の三角形とはなんですか?」
とはいわないでしょう。
つまり、”なぜ赤の赤らしさに物質とは異質のものを感じるのか”
これを説明すればいいわけです。

P.S

すみません、>>85を訂正します。

(例えば、赤のニューロンと青のニューロンが交換されていても矛盾は
生じないでしょ。そういう意味での疑問です。)

この部分を削除します。
交換の思考はクオリアとは別に存在しますね。
けれど、大筋には影響ないはずです。


95 :OFR:2000/11/04(土) 20:51
(横から失礼。議論がだいぶ煮詰まってきたと思うので、勝手に
「クオリア(心的表象)を巡る論議」の整理をやってしまおう。)
1.一元論(というより還元論というべき)の立場
 クオリアは存在しない。何故ならそれは「クオリアなるもの」に対応する
「ニューロン発火の一定パターン」が未知なために仮定された存在だから。
「『クオリアなるもの』のクオリアなるもの」に対応する「ニューロン発火
 の一定パターン」が解明されれば、「クオリアなるもの」は消える。
2.二元論(というより本質論というべき)の立場
 クオリアは存在する。クオリアと「ニューロン発火の一定パターン」が
 因果論的あるいは対応論的に説明されたとしても、心的に存在するクオ
 リアは消えない。
つまり、「クオリア」という言葉で両者は異なる対象を指しているのです。
還元論者がいう「クオリアなるもの」といった存在を「仮象」(みかけの
存在)と呼びます。それは「錯覚」というと誤解しやすいので、用語として
避けるべきでしょう。錯覚はそれに気づけばそれ自体が消えるが、仮象は
科学的な説明によってそれ自体が消える訳ではなく、「心的な実在」として
は相変わらず残るでしょう。そもそも「科学的な説明」というのは仮象
(直接的な現れ)を本質存在(媒介する根拠)から導出する認識活動であり、
本質は諸現象(本質的仮象)間の関係の総体として立てられた実体的な存在
ですから、直接的な実在ではない。特に感覚、表象、認識といった主観的
活動自体を客観的対象とする科学部門については、「関係への関係」(自己
関係)という領域を立てなくてはならないでしょう。唯物論と言っても機械
論的(素朴因果論的)なものではなく、弁証法的な反省が必要となります。
「心は脳の機能であるが、それは世界(関係的総体)を対象とする独特な
 活動であり、直接的実在を超えた観念的(非実在的)なものに向かう。」
 という視点が重要です。

96 :95:2000/11/04(土) 20:57
 誤 : 名前: OFR
 正 : 名前: OFW(Old-Fashioned-Well)

(やはり固定HNは止めとけばよかったかな。鬱だ、氏のう。)

97 :考える名無しさん :2000/11/04(土) 23:01
>>95
意味不明

98 :考える名無しさん:2000/11/05(日) 00:38
全部意味不明

99 :考える名無しさん:2000/11/05(日) 12:12
あげ


100 :考える名無しさん:2000/11/05(日) 15:40
なんとも無駄な議論だ

101 :OFW:2000/11/06(月) 01:32
(説明が抽象的過ぎたようなので、具体的な言葉で再度整理します。)
1. クオリア(心的存在)に対する生理学的説明の問題点
・ 心的な存在とは本来生物固有のものだから、生物学的な議論領域にある。
それをニューロン発火という生理学的レベルに還元することは、生物固有の
環境−刺激受容−興奮―行動という環境世界との合目的的相互作用、および
生体のホメオスタシス(自己保存機能)などとの「有機的」連関を断ち切る
事になる。その関連こそが心を生むのではないでしょうか?
・ 生物は単なる物質ではなく、主体的な活動体(生き物)であるから、
「誰が(あるいは何が)何を感知するのか?」という主語および対象に
ついて敏感でなくてはならない。たとえば「ニューロンが感知する」と
いう言い方は誤りでしょう。
2. クオリア(心的存在)に対する心理学的説明の問題点
・ (脳を含め)身体なしの心は存在しないという点を否定できない以上、
二元論は維持できない。ただし、有機体の環境への合目的的な適応行動
の一貫として一定の進化段階において、「目の前にはない対象」を対象
とする事は十分理解できるし、それは単に因果論的な説明方法を超える
説明要素を必要とする訳です。いきなり非物質的な存在を仮定しなくても、
知覚―記憶−表象という活動が、有機体にとって「あたかも現前している
かのような対象」(表象)を中心としている事は十分説明できるでしょう。
・ 意識の問題はまたレベルを一段上げた議論が必要であり、多分人間
だけに固有の現象でしょう。それは社会的な言語と密接に絡みます。

102 :考える名無しさん:2000/11/06(月) 02:26
へえ、そういうことなら何とか理解できる。
今までの議論はおかしいぞ!ってことね。
だったら同意。

103 :さすらいの暇人:2000/11/06(月) 03:05
私は量子力学的な確率性の向こう側に意識の素のようなものが
潜んでいると思うぞ。もしそうだして不確定性原理からいえば、
結局人間には意識について解明することはできない
ということになるな。

いづれにしても解明されてない土台にたって、感覚とは
ということを論じていても無駄ではないかね。

つまりこういうことだ。確かにニューロンが興奮することと
我々の感覚には相関がある。しかしここで感覚に関する因果関係
というものを考えてみる。触角について、針で指を刺す->感覚細胞が
刺激を神経に伝える->神経が信号を脳に伝える->脳のどっかの部分の
ニューロンが興奮する。という手順となる。
さて実際に感覚を感じたのはどの部分でであろうか。ここであげた
因果での最後のニューロンが密接にかかわっていることは予想される。
しかし、我々は空間や時間が少なくともプランク長までは
細分化出来そうである事を知っているので、ニューロンが興奮した
というだけではミクロな観点からは正確ではない。
因果関係はさらに細かく考えることができるのである。
さてそう分割したときに一体どこが感覚にかかわっていたか
などということが分かるのであろうか。ニューロンが興奮したと
いうことは針を指に刺したというのと同様に因果関係の
途中に位置していないということがいえるのであろうか。
このようにしてニューロンに執着することはあまり意味がないと
判断できる。

ミクロな構造がマクロな構造を形成するときにその機能には
マクロな視点から変化がある。しかし、ミクロで不可能なことは
やはりマクロでも不可能である。またマクロで実現される機能は
ミクロの機能による。このことはソフトウェアや物理では
証明が必須かもしれないが常のことである。それでは意識においては
どうであろう。我々の心は脳全体の機能におっている。
記憶は脳に依存する、ロボトミーで人格が変わるなどの例から
明らかであろう。では、この脳をニューロンに切り分けることには
意味があるのであろうか? 心は細分化できるのであろうか?
もしもニューロンに切り分けてそこに感覚の素のようなものを
求めるとすれば、心は細分化でき、ミクロな単位において物質と
密接な関係があるということになる。(物質と現象は特に区別しない、
物理学において両者は一つの事実に対する事実認識の違いに過ぎない)
これ以上の議論は憶測にすぎなくなるのでしない。しかし
もしそうであるとすると意識は分割できるということになる。
なかなか面白い。脳梁切断術を施した患者の頭の中には
二つの意識があってもいいことになるな。

私の意見としてはそんなわけだから「人は死んだらどうなるのか」
スレッドのようにアニミズム的であって、意識自体は
その辺にもあるんだが全体として「心」というレベルで機能するには
人間の脳のような高度にネットワーク化されたマクロな構造が
必要になるのではないかってところだ。そういう仮説を立てたにしても
説明できないことは多いがな。

なんかこのスレッドとちょっとずれてるような気もするが、
暇だから投稿ってことでよろしく。誤字脱字の文句は受け付けぬ。

104 :93:2000/11/06(月) 07:23
>94

世界は原理的に還元可能だ、という立場から
クオリアが錯覚だけじゃないと考える必要はない、
ということを受け入れたとしても
錯覚のプロセスについての仮説は検証する必要があるのでは。
別のプロセスもありえますから。

と思ったのですが、よく考えたら検証できますね。
ある人に色のクオリアをなくすと予想される処置をして
その人がクオリアがなくなったと言うかどうかとか。

というわけで、93は撤回します。失礼しました。



105 :すずらん(ver.お家):2000/11/06(月) 10:03
この辺で長レス最後にしときます(>>67の理由で…)。
>>92
ハハハ、確かにその辺ではトンデモかも…でも、ドップラー効果は理解してますので。
>>94(7さん)
7さんはコンピューターと比較して考えてことはあるでしょうか?2ビット(2*2)
で考えて、00,01,10,11にそれぞれ、ディスプレイが「○」「△」「□」「×」をコードします。
すると、外部入力が「00」に対応する入力であったならディスプレイは○に対応する
パターンを出力します。当然、「00」に「×」が対応していればディスプレイは×に
対応するパターンを出力するわけです(当然その物理的メカニズムはコンピューター
とディスプレイの物理的デバイスにあるわけです)。さて、脳と比較してみます。
脳において「00」に対応するものは7さんが、そして現在の標準的解釈は
「ニューロンの発火パターン」という事になります。もうお分かりのように、
ある「ニューロンの発火パターン」が起こると「赤」が見えるとします。
この「ニューロンの発火パターン」と「赤」の間にあるべき、物理的メカニズム、
物理的デバイスに相当するものは何なの?という事です。これが説明できれば
一元論が正解ということになります。しかし、現在のところその手がかりさえも
見当たらないというのが現状なのだと思います。
>>101
申し訳ありませんが自分には理解不能…もう少しわかりやすい言葉で説明して下さると
幸いです。
クオリア(心的存在)に対する生理学的説明の問題点についての質問
1、「有機的」連関って何?
2、「有機的」連関を断ち切るとは?
3、「その関連こそが心を生む」の意味も不明?


106 :考える名無しさん:2000/11/06(月) 10:55
>>103


つまりこういうことだ。確かにニューロンが興奮することと
我々の感覚には相関がある。しかしここで感覚に関する因果関係
というものを考えてみる。触角について、針で指を刺す->感覚細胞が
刺激を神経に伝える->神経が信号を脳に伝える->脳のどっかの部分の
ニューロンが興奮する。という手順となる。
さて実際に感覚を感じたのはどの部分でであろうか。

その”脳のどっかの部分のニューロン”も
感知の対象になっているというのが私の説です。

脳のどっかの部分のニューロンが興奮する。>感覚細胞が 刺激を神経に伝える->神経が信号を脳に伝える->脳の別のどっかの部分のニューロンが興奮する。
となっているのではないでしょうか。

ただ、ニューロンとニューロンをつなぐものとしてシナプス結合がすでに発見されているので、
感覚器官としてそれを考えるのは不自然ではないでしょう。こうなります。

脳のどっかの部分の ニューロンが興奮する。>シンプス結合>脳の別のどっかの部分の ニューロンが興奮する。

こう書くと”ニューロンがシナプス結合で結ばれているのは新しい発見でもなんでもない”
という反論があると思いますが、
私は、空気の振動や電磁波などの外部刺激に対して用意されている思考や判断のプログラムが
ニューロンに対しても用意されていると考えます。
今まで、”ニューロンを感知している。”といっていたのはこういう意味です。

そのプログラムが、
”心的表象というなにか非物質的なものが存在する気がする”や、
”赤の赤らしさには何か非物質的な物が存在する気がする”などの錯覚を起こしたわけです。

107 ::2000/11/06(月) 12:22
>>105

あらかじめことわっておきますが、
私も、赤の赤らしさというのは、すずらんさんと同じように感じています。
ですから、すずらんさんということは理解してます。
その上での反論です。

クオリアに関係する疑問は、
(例えば、この「ニューロンの発火パターン」と「赤」の間にあるべき、物理的メカニズム、
物理的デバイスに相当するものは何なの?等)
赤の見えかたに説明できない何かがあるように感じているから発生したわけです。

カニッツァの三角形の問題が、
なぜ三角形があるように感じるのか説明できれば解決できるように、
クオリアの問題も
なぜ説明できないなにかを感じるのか説明できれば解決します。

すずらんさんの一元論の解釈は間違っています。



108 :考える名無しさん:2000/11/07(火) 18:10
あげ

109 :OFW:2000/11/07(火) 23:24
>>105(すずらんさん)
>1、「有機的」連関って何?
 有機的連関とは生命体固有の関係様式を指しており、その特徴は全体的な
 統合性という点でしょう。つまり、部分の総和が全体になるという機械的
・ 外的な関係性(作用)でもなく、また、部分が全体と相互作用すると
いう化学的・反発的関係性(反応)でもなく、全体的な統一(個体性)が
部分に浸透して、部分は全体の契機(器官)であり、全体は部分の存立
根拠(組識体)になっているという、内的な関係性(反射・反映)です。
その点で有機的生命とは一つの内在的な存在(自己関係性)です。
>2、「有機的」連関を断ち切るとは?
 上記の全体こそが有機体だという点を壊して、部品に解体することです。
 生理学=有機物質の物理化学は「活きた全体」を部分から構成しようと
 するが、諸機能部分間の相互作用を外的に接合することはしても、活動的
 全体がその根拠になっていることが導けない。「生命体は見事に諸部分間
 の調整を行い、均衡ある全体として『合目的的な』活動を行っている」と
 は言うが、更に「その目的は何か?」と尋ねると、「自己保存」とか「種
 の保存」といった無内容な答え(無目的な目的)しか返ってこない。せめ
 てそれが「種は進化する」とどう両立するのかくらいの知見は欲しいもの
 です。(つづく)

110 :OFW:2000/11/07(火) 23:27
(つづき)
>3、「その関連こそが心を生む」の意味も不明?
 まず「心」は「意識」とは別の存在概念ですから、区別すべきでしょう。
 心はゾウリムシのような単細胞生物にもあると言えるが、意識は少なくと
 も現在の所はヒトだけが持つ働きでしょう。つまり、心の話には別に脳の
 存在を必要としない。さて、心と呼ばれるものは何か。私はそれを「有機
 体が持つ外界の表象機能(表象する働き)」と定義します。これは単に
 心理学的(そこでは心を説明原理として前提している)な定義ではなく、
 生物学的な定義でもある。つまり生物は対象的(目的的)活動であると
 いうことを踏まえている。では「表象」とは何かと言えば、「対象措定の
 働き」と言えます。主体が「なにものかが存在する」としてそれに向かう
 ことが表象です。活動する有機体は外界からの刺激を信号として目標物を
 感知(弁別)し、探索し、知覚し、追跡し、把捉します。無機的自然は
 主体化され、有機的・環境的世界として表象される訳です。たとえば、
 ゾウリムシは光を感知して、そちらに向かう。それは光刺激を受けて
 それが欠乏する生体にとって充足(全一性)を与えてくれる「何か」を
 表象(代表、象徴、予示、前兆)するからこそ、それに向かう訳です。
 ここで重要な点は、表象と表象の対象は異なるという点です。対象は
 「世界の内に現れる」が現れは対象自体ではない、という存在の二重化
 こそが表象特有の働きです。現れるという事態は一つの心理的事実でし
 ょうが、「何かが現れている」という区別作用(認知)が実在的感受を
 超えて観念的(形相的・非実在的)な「対象存在」(それ自体)を措定
 する。しかしそれは仮象的な(あたかも存在するかのような)存在であり、
 実在しない。「全体的な表象は実在しない」のです。それが心的なものの
 存在性格(関係自体)です。また、「見えている」という意識はその反照
 (関係の関係)でしょう。世界の中に私が存在する(実在)のか、はたま
 た私の中に世界がある(表象)のか。古来から論争が絶えない。

111 :考える名無しさん:2000/11/09(木) 10:32
日本語で書け。意味わかんねーよ。

112 :考える名無しさん:2000/11/09(木) 13:44
そんなこといったら
哲学者の日本語訳なんて
みんなこんなもんだよ。
日本語なんてどこにもないよ。
ゆっくりと咀嚼すれ

113 :すずらん:2000/11/09(木) 18:21
どうもこの問題大好きなんですよね(苦笑)。
>>107(7さん)

>すずらんさんの一元論の解釈は間違っています

私は哲学を知らないのでその可能性は大きいと思います。
私の立場は物理主義(全ての出来事(心的現象も含む)は物質と『因果関係』がある)で
二元論(物質に『還元』できない感覚(クオリアなど)がある。)
だと思っていたのですが、間違っていたかもしれません。
宜しければ一元論の定義、日常的な言葉で教えて下さい。
>>109-110
OFWさん。わざわざ時間を割いてレス下さる事は感謝です。
109は複雑系の方が似たような事をいってらっしゃる気がします。
ある力学系(とは、方程式で考える物全部の事です)を扱うさい、普通に考える(例えばNeuton方程式をまともに解くような)
と大きい自由度(ほとんど無限次元)を少数の自由度に落として(結構、勝手に落としてる気がする…)
力学系全体の動き(低次元の関数にできると言う事です。正確には位相空間上での(方程式の)解の挙動)
を定性的に把握しようとしてますけど、そんな事ですか??
110は分かりません。もう少し日常的言語で説明して下さると感謝です。

114 :すげーひさしぶりに来た:2000/11/10(金) 00:12
>110
生物と環境世界の有機的連関という話は、まあいわゆる生の哲学以来
100年くらい(あるいはシェリングの自然哲学以来200年)
語られてきたことで、おおむねぼくもそういう立場ですが、
110の人は、生物の指向作用に先立って
環境世界の実在を前提しているために、
表象と「表象の対象」を区別しています。これに反対します。
指向する生物以前に存在するような「世界」は
すでに環境世界ではありません。それこそ、
生の哲学がまさに乗り越えようとしたカント的な「もの自体」
(=110の言う表象しえない「表象の対象」)でしょう。
ベルクソンや近年のギブソニアンは、表象なしで知覚を
説明しようとします。「有機的連関」の論理をつきつめると、
そういう方向に行き着くのではないでしょうか。
ついでに、表象なしで説明を押し進めれば、ゾウリムシにも
意識はあるということになるでしょう。
意識を意識する自己意識はないでしょうけれど。



115 ::2000/11/10(金) 23:15
>>113


”赤の赤らしさとは何か”ではなく、
”なぜ赤に独特の赤らしさがあるように感じるのか?”
それ自体を説明できれば、
一元論でクオリアを説明できたことになります。
ただ単にそれだけです。



116 :代理いぬ:2000/11/11(土) 06:59
ええと、このスレには参加したい。
ログを読むのが長くなりそうだから、先にまず提案を。

「クオリアは必要ない」
と機能還元主義者(わし)が言いました。
さて、御反論は?

どうしてクオリアについて考えることが必要なのか、お聞かせ願いたい。
よろぴーく。

117 :代理いぬ:2000/11/11(土) 07:49
>28
>心というのはまぎれもなく人間の進化のたまものですから、
>怪しげな心の理論を論駁する際には、進化の観点からみてこの説はどうだろうか、
>と考えると、おかしな点が明らかになることが多いです。
いや、それは正しくないと思うな。
"進化"なんてものは、思ったより都合よくいっていないものだよ。
例えばストレスなんて何の特にもならないばかりか、しばしば身を滅ぼすことさえある。
にもかかわらず、我々は依然としてストレスから離れられない。
こういった、生物の構造上の都合の悪い部分(構造の不完全性とかいうらしい)は、
いたるところにある。
だから、進化の観点から心について判断を下すということが良いとは思われないね。
もちろん、うまくいく場合もあるんだろうが、
むしろ、これに頼ってはトンデモ説を導きそうな気がするよ。

>31(7)
>必ずそれに対応するニューロンの発火があるわけで、
>その発火が何故起こるのか、
>これを解明すればいいと思うのですが、どうでしょうか?
まさに、そういうことをやっている数理物理学者ってのがペンローズだね。


118 :ネオ生茶:2000/11/11(土) 15:00
クオリアとやらを三ヶ月ほど前から聞くようになったが、
未だ何等の文献も読んでいない。
クオリアの説明を求めて70くらいまで読んだが意味不明。
とはいえ「赤の赤らしさ」がクオリアと呼ばれているのが分かった。

それで質問なのだが、クオリアというのは物質側に有るのか、
それとも見る側に有るのか、その点を誰か説明してもらえないだろうか。
このスレを読んだ限りではその区別が全くなされていないように思えたので、
ついに、観察者と被観察者は区別されえないという思想が哲学板を席巻したのかと思えた。

119 :代理いぬ:2000/11/11(土) 17:33
>42
>メリーという名の未来の脳生理学者がいます。
この例え話の決定的におかしな点は、脳と意識(心)をごっちゃにしている点だ。
私は、(機械機能的な)脳と(現象的生成物である)意識は別個に扱うべきだと思う。
メリー(の意識)が如何に色に関する知識を得たからといって、
メリー(の脳)が色を"体験"したわけではあるまい。

ちなみに、私の態度は二元論ではなく強力な随伴説だ。
「意識は脳の生成物である」
という言い方をすれば、私のスタンスが最も良く伝わるのではないだろうか。

>68(電波ネコ)
>自らの「心」を知覚ですか?
>ニコラス・ハンフリーという人が(この人のオリジナルかどうかは知りませんが)
>ゴリラの研究などから意識というのは自分の内面を観察する事で、
>他者の心を推測出来るようになる事から進化したという説を唱えていたと思います。
!!!
私の考え方はそれにかなり近い!
私の場合はむしろそれと逆で、他人を行動を分析する過程で、
自らの内面に"私"という仮想人格を作り出したのではないか考えている。
ニコラス・ハンフリーなんて全然知らなかった。(有益な情報をありがとう)
彼の著作を見てみなければわからないが、しかし彼の考え方だと、
自分の内面にある"心"が一体どこから来たのかということに説明がつかないような気がする。

うーむ。

120 :OFW:2000/11/11(土) 17:34
>>113(すずらんさん)
>109は複雑系の方が似たような事をいってらっしゃる気がします。
 複雑系とは最近耳にするが内容はまったく知りません。社会システム論者
 ルーマンが「複雑性の縮減」とか言っていたが、大して面白そうではな
 かった。情報理論(学習機械)の方が余程おもしろそう。
>110は分かりません。もう少し日常的言語で説明して下さると感謝です。
 そうですか…。たとえば、鮭が流体力学に逆らってまで急流を溯るのは、
「産卵行動」と呼ばれる。それは、観察者から鮭の行動を見ると、
「あたかも何らかの目標を目指している」かのように見える。無論それは
 力学法則に反したものではなく、有機体の持つ栄養物質の生化学反応を
「利用」している合法則的な運動ですが、行動全体を説明するためには、
「産卵」という生物学的な原理が必要ですね。観察者がそこに単に物理的で
 はない精神的・主体的な働きを認め、それを「鮭の行動」と言い、感覚
 −X−運動の連鎖を繋ぐXとして主観的(主体的)な存在を仮定する。
 それを表象と言った訳です。鮭自身はそれを意識していない(本能)が、
 確かに科学者の見る客観的世界とは別の合目的的・主観的な世界が鮭に
 とって存在しており、その関連は行動において直接表現されているが故
 に、むしろかえって鮭には対象として現象していないという事です。
 (ヘーゲルが使い出した難解用語で「即自的」「対自的」と言います。)
>>114
>110の人は、生物の指向作用に先立って環境世界の実在を前提している
 それは違います。「環境世界」ではなく、「客観的世界」の実在を前提
 しているのです。それは科学的に定立され、現実的な実践により確証され
 た実体的存在です。それはモノ自体ではなく、「自然」と呼ばれます。
>表象と「表象の対象」を区別しています。これに反対します。
 困りましたね。それでは想像と現実の区別が無くなる。
>ゾウリムシにも意識はあるということになるでしょう。
 意識は自己意識と不可分でしょう。意識とは「弁別作用の弁別」と言える
 から、弁別する「私」なるものが対象的になっていないと成立しない。

121 :代理いぬ:2000/11/11(土) 17:34
>78(すずらん)
>この最後の過程が「クオリア」の問題です。なぜ、V1では意識に上らなかった
>(つまり見えなかったという事)「クオリア」が連合野において
>ニューロンがある発火パターンになった時私たちに見えるのか??
このへんは、量子力学におけるコペンハーゲン解釈の問題点と、
非常に良く似ていますよね。
「一体、観測者内部のどの時点で波束の収束は起こるのか?」
ペンローズがココに噛み付いた気持ちもわかります。

七さんは上記の問題に答えられない限り、
何も説明したことにならないんですよねえ。

>94(七)
>クオリアは、カニッツァの三角形のようなものです。
>みえるけど存在はしないということです。
>なぜ見えるのか説明できればいいわけで、その三角形がどこにあるか示す必要はありません。
>
>つまり、”なぜ赤の赤らしさに物質とは異質のものを感じるのか”
>これを説明すればいいわけです。
このへんは非常に同意できる。

>118(ネオ生茶)
>クオリアの説明を求めて70くらいまで読んだが意味不明。
>とはいえ「赤の赤らしさ」がクオリアと呼ばれているのが分かった。
実際、それだけのことですよ。
痛みや、辛さ、不安な感じ、赤の感覚など、
私だけが体験できるように思われるあの感覚のことです。

>それで質問なのだが、クオリアというのは物質側に有るのか、
>それとも見る側に有るのか、その点を誰か説明してもらえないだろうか。
さあ、どっちなんでしょう?
我々の内にあるのか、それとも両者の境目にあるのか?
私や七さんに言わせると、それは現象であって存在物ではないので、
「何処にあるとは言えない」という事になるんでしょうか。
カルテジアン劇場(頭の中のもう一つのスクリーン)なんて、
頭蓋骨を切り開いても見つかるはずはないのですから、
クオリアが表出する"場所"なんて、あるはずないでしょ。

122 :114:2000/11/11(土) 23:59
>120
想像と現実の区別がつかない、というのは、表象なしで知覚を説明した
ベルクソンに対してサルトルが行った批判と同じです。
サルトルの場合、ベルクソンに対する批判は
読みが足りないための見当はずれの批判だったわけですが、
OFW氏は実在論であることを宣言したので、
サルトルの二の鐵を踏んでいるというわけではなさそうです。
実在論と有機体論が折り合いをつけられるとも思いませんが・・

ちなみに自己意識と意識に関しては、両者を区別して研究する
のが現在の心の哲学および認知科学の主流でしょう。
意識を「弁別作用の弁別」と定義したのが誰かは知りませんが、
それを言い換えると「弁別する私」を意識することが「意識」だ
と述べていることになります。だから、
>意識とは「弁別作用の弁別」と言えるから、
>弁別する「私」なるものが対象的になっていないと成立しない。
というOFW氏の言明は、意識の定義を同語反復しているだけで、
意識と自己意識が不可分であることの説明になっていません。
まあ、おそらくは、conscientiaをcogitoへ引きつけたデカルト
から、経験的意識は根元的的統覚(自己意識)によって
支えられているとするカントへと至る近代哲学の正統的意識概念を
念頭においてのことだと推測します。
ただ、仮に経験的意識が究極的には自己意識に根拠づけられている
としても、観察される現象面では両者は区別して取り扱われるうる
のです。だからこそ90年代半ばからクリックのような人の
「意識は自然科学的に解明されつつある、でも自己意識は
まだ先よ」といった発言が出てくるのです。
ついでに、「経験がコギトの管轄下にあるなんてふざけんな」
ということこそ20世紀の思想の最大の主張であったのです。

123 :1:2000/11/12(日) 02:21
同一説のアポリアといわれるクオリアの問題は、それが感覚
の<質>であるかぎり名義尺度(青ではなく赤い感じ)か順序
尺度(この痛みはあの痛みより大きい)でしか測れず、物的
出来事を測る比例尺度や間隔尺度で記述できないことに由
来している思います。つまり、クオリアに関する言明を心的出
来事の観察言明として認めるならば、心的出来事の物的出
来事による説明は物理学や化学などのレベルの厳密性は保
持できない。そのことが脳科学者の悩みにつながっているので
しょう。

私は以前、自由意志の存在を理由に同一説を認めませんでし
たが、最近の研究では、自由意志の原因が脳にあることが確
証されつつあるようです。1980年代初期のある実験では、被
験者が「手を動かそう」と思う数十〜百ミリ秒前に、脳内の運
動準備電位が高まったそうです。サルを使った実験では、サル
の手が動く1〜2秒前から大脳前頭葉の背内側部の補足運動
野にあるニューロンが活動を始めるそうです。この活動の変化
は補足運動野に隣接する運動前野などではほとんど見つから
ない。また、運動実行を担う第1次運動野のニューロンは運動
開始から数百ミリ秒前から活動を始めるに過ぎず、自発運動
以外の運動でも活動するそうです。そして、こうした前頭連合
野の出来事には、ドーパミン(特にそのD1受容体)が重要な
役割を担っているそうです。つまり、<自由>意志に基づくと
みなされてきた随意運動の前に、それに対応すると思われる
物的出来事が脳内で生じている、というわけです。

ただ、こうした随意運動に先行するニューロンの活動が何によ
って引き起こされるかは不明です。その不明さゆえにPenrose
やEcclesは「量子力学的」効果の介在を主張するのでしょうが、
その説明がたとえ確率論的ではあっても<決定論的>なもの
になるという説には、私は否定的です。なぜなら、その法則を
知るということは、それを裏切ることもできるわけだから。

124 :代理いぬ:2000/11/12(日) 03:42
>123(1)
>1980年代初期のある実験では、
>被験者が「手を動かそう」と思う数十〜百ミリ秒前に、
>脳内の運動準備電位が高まったそうです。
>
>サルを使った実験では、サルの手が動く1〜2秒前から
>大脳前頭葉の背内側部の補足運動野にあるニューロンが活動を始めるそうです。
どっちの実験も疑わしいな。
「動かそうと思う瞬間」ってのは、いったいどうやって判断したんだ?

>なぜなら、その法則を知るということは、それを裏切ることもできるわけだから。
あまい!
あなたがその法則を知って裏を斯こうとすることも、宇宙の予定調和なのだ!

125 :すずらん:2000/11/12(日) 14:31
>>115 7さん
7さんの意見(熱意も)は理解しているのですが、『一元論』の標準的な定義が
7さんの述べられている物とは思えないんですが…。
>>119 代理犬さん
どうも初めまして♪
>私の態度は二元論ではなく強力な随伴説だ
自分も今の所随伴説ですが、随伴説って二元論じゃないのですか(哲学に無知な物で)??
まあ、この立場は現在最もメジャーな主流派の立場ですよね。
でも、もっと強力に一元論的(還元論的)に説明したいと言うのが
自分の本当の所の気持ちだったりする。
しかし、自然は自分の気持ち通りじゃなかったりする(笑)。



126 :すずらん:2000/11/12(日) 15:48
>>120 OFWさん
大変分かりやすい説明で感謝です!>>110>>120を比較すると
よく理解できます。ただ確かに、心を「有機体が持つ外界の表象機能
(表象する働き)」と定義すると、概念的な話になりますよね。
私は、「心」というより「意識」「知覚」「思考」「記憶」「感情」「運動」
と言うものそれぞれのメカニズムとその相互作用が知りたいです
(というか、その総体を心と言ってます)。物理系の者なので、
完全に物理帝国主義かも(古い人なのかな)。
物を知らない若輩者なのでガツンと言って下さい(笑)。
つまらないことですが、学習機械は『計算理論』(オートマトンとか)のほうですよ
普通、『情報理論』というとシャノンの情報理論を指す場合が多いです。
情報伝達の信頼度とか確率的に扱います。多分哲学畑の人はあまり興味ないかも….
>>123-124
確かイタリアの神経科学者の論文でしたよ…(定かではないけど)。
まあ、この手の実験はホント難しいと思います。結局実際実験やる際において
最も問題となる点は「実験に客観性をどのようにもたらせるのか」
と言う事ですよね。今まで自然科学が扱っていた題材は、客観性が
保証され易い物ばかりだったのに、脳と心を探ろうとすると、必ず
主観をどう扱うかと言う問題が残ります。こうやって考えるとなんか
ホントに複雑系の人が扱っていることに近くなるな…(複雑系嫌いだけど)。



127 :すずらん:2000/11/12(日) 19:25
やっぱいい加減な事は言っちゃいけませんね。
>>126
>確かイタリアの神経科学者の論文
大嘘でした(スイマセン)。これは『ミラーニューロン』についての論文でした。
恥ずかしい…。


128 ::2000/11/13(月) 18:09

>この最後の過程が「クオリア」の問題です。なぜ、V1では意識に上らなかった
>(つまり見えなか>68(電波ネコ)
>自らの「心」を知覚ですか?
>ニコラス・ハンフリーという人が(この人のオリジナルかどうかは知りませんが)
>ゴリラの研究などから意識というのは自分の内面を観察する事で、
>他者の心を推測出来るようになる事から進化したという説を唱えていたと思います。
!!!
>私の考え方はそれにかなり近い!
>私の場合はむしろそれと逆で、他人を行動を分析する過程で、
>自らの内面に"私"という仮想人格を作り出したのではないか考えている。
>ニコラス・ハンフリーなんて全然知らなかった。(有益な情報をありがとう)
>彼の著作を見てみなければわからないが、しかし彼の考え方だと、
>自分の内面にある"心"が一体どこから来たのかということに説明がつかないような気がする。

私の考えもニコラスに近いですね。
”心”がニューロンに変わるだけです。
心はどこから来たのか考えなくてもすむ分、私の考えの方がいいです。

>私の考え方はそれにかなり近い!
>私の場合はむしろそれと逆で、他人を行動を分析する過程で、
>自らの内面に"私"という仮想人格を作り出したのではないか考えている。

これはおかしくないですか?
例えば、自分が実は耳栓をつけているのを知らないとします。
このとき、何か音がでること(太鼓をたたく等)をした場合、
音は意識されますか?
推測を自分に当てはめているだけなら意識されるはずです。

>この最後の過程が「クオリア」の問題です。なぜ、V1では意識に上らなかった
>(つまり見えなかったという事)「クオリア」が連合野において
>ニューロンがある発火パターンになった時私たちに見えるのか??
このへんは、量子力学におけるコペンハーゲン解釈の問題点と、
非常に良く似ていますよね。
「一体、観測者内部のどの時点で波束の収束は起こるのか?」
ペンローズがココに噛み付いた気持ちもわかります。

七さんは上記の問題に答えられない限り、
何も説明したことにならないんですよねえ。

これ意味不明なんですが。
ただ単に感知のしくみがあるのかないのかのちがいでしょ。
自分の前はみえるけど後ろはみえないのと同じです。
なんでそんなに問題になるんですか。



129 :考える名無しさん:2000/11/14(火) 00:58
あらゆる生命には意識があるのでは?
心という剰余をもったのがヒトではないか?
意識と器官とのあいだに心という余剰をもったのでは?

130 :考える名無しさん:2000/11/14(火) 01:37
ヒトは意識と器官とのあいだのを非常に複雑怪奇にした。
そのためそれが心の病となっているみたいな。
病というのは便宜的表現で、心の存在そのものと言うべきですけど。

131 :代理いぬ:2000/11/14(火) 02:41
>125(すずらん)
>自分も今の所随伴説ですが、随伴説って二元論じゃないのですか(哲学に無知な物で)??
二元論ということになると、精神と肉体を各々独立に用意することになる。
肉体からの入力が精神に昇り、精神からの判断が肉体に降る。
単純に考えて、(非物質的な)精神が(物質的な)肉体に影響をするとすれば、
ごく基礎的なエネルギーの保存則すら壊してしまいかねないので、
昔から反論が多く、今日でも不人気。

随伴説とは別物です。

>128(七)
>これ意味不明なんですが。
>ただ単に感知のしくみがあるのかないのかのちがいでしょ。
そんなに簡単じゃあない。

どうしてV1視覚野ではクオリアの表出が起こらないのに、連合野ではそれが起こるのか?
連合野を電気刺激すれば、それでどこかにクオリアが発生していると言えるのか?
連合野にだけそのような機能があるとはどういうことか?
V1視覚野と連合野にはどのような構造の違いがあるのか?
どの構造的違いが、クオリアを生成する機能を実現しているのか?
その構造を実現すれば、人工的にクオリアを生成できるのか?

クオリアという存在自体が、
"取り出して扱う"ということの全く出来ないものですから、
これらの疑問は突き詰めても明確な答えは出ないでしょう。
もしかすると、七さんは、
「どうして、そんなどうでも良いことに答える必要があるんだ!」
と思うのかもしれませんが。

132 :だぶれむ:2000/11/14(火) 04:33
>>123
>最近の研究では、自由意志の原因が脳にあることが確証されつつあるようです。
>1980年代初期のある実験では、被験者が「手を動かそう」と思う数十〜百ミリ秒前に、
>脳内の運動準備電位が高まったそうです。

http://www.ncbi.nlm.nih.gov:80/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=6640273&dopt=Abstract

がその研究の原著論文です
このデータはその後のいくつかの追試によって確認されています
少なくとも随意運動を起こす場合
脳の活動がおきてから自由意志が現れることがここでは示されています
結局意識も自由意志もその原因は脳の活動であり
決して脳とは独立した何か(魂とか?)が原因で脳の活動がでてくるわけではないという
心身一元論を示唆する結果と考えられています

133 :考える名無しさん:2000/11/14(火) 05:32
変な結論だな。
>結局意識も自由意志もその原因は脳の活動であり
って言うなら結局は二元論じゃん。
意識って何よ? 自由意思って何よ?
二元論を否定するために二元論的発想をする。よくあるやつだな。

134 :だぶれむ>133 :2000/11/14(火) 06:37
批判の主旨がよく理解できないのでもう少し教えていただけませんか?
わたしの理解では
二元論とは意識や心を脳から独立した過程として捉え
その間に種々のパターンの相互作用を想定する立場であり
一元論とは「心や意識は脳の活動」であり同じ過程を別のことばで表したものです
「クオリア」という概念設定はわたしからみると非生産的に思えます
少なくとも上のような無意味な議論を行うより
もし上の「クオリア」仮説を支持するためには
どのような実験系が可能かを考えていった方がいいのではないでしょうか

135 ::2000/11/14(火) 14:48
クオリアと心的表象は違います。
”認識や思考に関する物質とは異質の何かが
存在するような気がする”のが心的表彰で、
”赤の赤らしさがような気がする”のがクオリアです。

それぞれ過去ログで説明しています。
よく読んでください。




136 :>132@`134:2000/11/15(水) 04:41
132では
脳の活動 → 意識や自由意思 → 随意運動
と言っている。こういう言い方は二元論的である(としか俺には思えぬ)。
「脳の活動」と「意識やら自由意思やら魂やら」とでは「どっちが先か」などという順序はどうでもよい。

134では
脳の活動 → 脳の別の活動(=意識や自由意思) → 随意運動
と言っているのかな?
だとすると、「意識や自由意思」は脳の活動にすぎないということを言っているだけだな(確かにその限りでは一元論だが)。

だいたい、「自由意思の原因が脳にある」と言っておきながら、「自由意思=脳の活動」だと言う。
じゃ、「脳の活動」の原因は「脳の別の活動」ってことか。つまり、
脳の活動 → 脳の別の活動 → 脳のさらに別の活動 → ・・・・
ってことか?
この流れのどっかに随意運動が生じるワケか。
でも、フラスコの中の脳だけでも自由意思という脳活動はありそうだな。
(揚げ足取りじゃないぞ)

さらに、「脳の別の活動 = 意識や自由意思」って、本当にイコール関係か?
(もう一度訊くが、「意識や自由意思」って何だ? その指示対象が「脳の別の活動」ってことか?)
それに、この「脳の活動」と「脳の別の活動」は切り離せるのかな?
また、こんなに単純な図式だと思うか?(それとも俺の誤読か?)
そもそも、「(最初の)脳の活動」の原因は何だ?(←ココが一番問題だな)
(その原因は、その一つ前の「脳の活動」だ、なんて言うなよ)

137 :136:2000/11/15(水) 04:49
>でも、フラスコの中の脳だけでも自由意思という脳活動はありそうだな。
(訂正)↓
・・・・・・という脳活動があるってことになりそうだな。


138 :考える名無しさん:2000/11/17(金) 22:58
age


139 :考える名無しさん:2000/11/18(土) 04:53
136のイライラは理解できるが、
で、結局どんな立場を主張したいのか?


140 :考えてる気味の名無しさん:2000/11/22(水) 01:44
age

141 :考える名無しさん:2000/11/22(水) 01:44
age

142 :考える名無しさん:2000/11/22(水) 02:39
>139
行動主義が一番イライラが少ないかな。
でも、よくわからんのよね。


143 ::2000/11/22(水) 15:49
>>131

心的表象については>>65
クオリアについては>>85、できちんと説明しています。

間違っているという批判ならわかりますが、
何も言っていることにならないというのは納得できません。

クオリアも心的表象も”どうでもよいこと”とは思っていません。
なぜそれがあるように感じるのかを説明する必要があると思っています。


144 :OFW:2000/11/23(木) 09:52
>>122(114さん)
>実在論と有機体論が折り合いをつけられるとも思いませんが・・
 どういうことでしょう?「有機体論」とは何を指しています?
>意識を「弁別作用の弁別」と定義したのが誰かは知りませんが、
 私なりの定義です。メタレベルの作用とでも難しく言った方が
 分かりやすかったかな。学者は難解を好み、権威を重んじる。
>それを言い換えると「弁別する私」を意識することが「意識」だ
>と述べていることになります。
 全然違います。反省的(反照的)な対象関係作用(区別作用)が
 意識であり、自己関係的作用(自己の区別)が自己意識です。
 両者は相互反照的(対象的―非対象的)(不可分)で同一ではない。
>>143(七さん)
(横レスながら)
>なぜそれがあるように感じるのかを説明する必要があると思っています。
 >>75で「物質とは異質の何かが存在する気がする」という言葉があり、
 その曖昧さこそがクオリア問題らしい。「何かを感じる」「何かが存在す
 る」「何かがあるという気がする」「何かを意識する」「何かを表象する」
 等について、わざと曖昧に議論を提出しているのがクオリア論者のようだ。
 「物質と異質の何かが存在する」、これは信念であり、感覚ではない。そも
 そも「物質」自体を感覚できないから「物質と異質」とは無意味な言葉で
 しょう。物質とは本質概念であり、実在的(質的)概念ではない。本質は
 反省的思考(科学)の対象です。
 「何かを感じる」のは質感であり、単細胞生物でも細胞膜での刺激受容−
 膜興奮反応として運動ですから、それは反射的運動サイクルのトリガーと
 なる。一方「気がする」のはその(感じの)意識であり、ヒトのみに現れ
 る(それは感覚ではなく表象です)。説明として「意識を司るニューロン群
 が興奮すること」でも良いが、「無意識な質感」とは事柄を曖昧にするだけ
 でしょう。繰り返しますが、「感覚」とは現実的なものとして(現在進行
 形の)対象的活動です。

145 :考える名無しさん:2000/11/23(木) 14:06
やっぱりクオリアってインチキ臭いな
どう考えても

146 :考える名無しさん:2000/11/23(木) 17:12
清涼飲料水の名前みたいだしね

147 :>145:2000/11/23(木) 17:37
持ってないんか?ひょっとして

148 :1:2000/12/03(日) 00:01
随伴説をとる人に伺いたいのですが、
すべての心の出来事が脳の出来事に随伴して生起し、
前者は後者で完全に説明できるとするならば、
なぜ心というものはあるのでしょうか? つまり、
心というものは何のために生まれたのでしょうか?
もし自分の脳をモニターするためだとしたら、
それは心に脳から自律的に作動する部分があるからだともいえないでしょうか?


149 :わかりません:2000/12/03(日) 03:41
心身論というんで読んでたら心脳論になっちゃってて、
わかりません。

150 :考える名無しさん:2000/12/03(日) 21:00
>149
わかるね

151 :伍長:2000/12/07(木) 01:12
反論を求む。皆さんよろしく。

心理学板「心ってどこにあるの?」
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=974569037


152 :考える名無しさん:2000/12/07(木) 05:04
↑なるほどね。
こっちよりそのスレの方が面白い。
こういう議論はアリだな。
妙に納得。
誰か反論してみて。

153 :考える名無しさん:2000/12/09(土) 06:14
↑おいおい、
なんつーか、遠征軍は木っ端みじんに粉砕されてるじゃないか。
おい、代理犬! いつも偉そうに言ってるんだから、
ちょいと遠征して何か言ってやれ!

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