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稲作と畑作の民俗誌

1 :いち:02/03/13 16:00
稲作と畑作について考えてみませんか?

2 :いち:02/03/13 16:00
久し振りに概説書を読んでいたら、「盆や七夕には畑作儀礼としての
側面もある」と書いてあったんですけど、これってのは稲作文化よりも
古い畑作文化の存在を前提としているわけですよね?
でも、普通に考えて、その時期は稲の収穫時期ではないわけですし、
旬のものを供えようとすれば、畑作物を供えるというのは、自然なこと
だと思うのに、なぜそれが文化論になってしまうのでしょうか?

こういう疑問に答えつつ、生業や食生活、年中行事などの視点から
稲作と畑作への見直しを図っていく必要があるのではないでしょうか

3 :ひでよし:02/03/13 17:43
江戸時代の文書に「両度の秋」という表現が使われているのを読んだことがあります

これは「秋は稲と麦の収穫時期である」ということを表しているそうで、和泉国(河内国
だったかな?)の平野部
でも麦が重要な位置を占めていたことを示しているのだと思います
出典はよく覚えていないのですが、その表現だけは印象に残ってます

4 :ひでよし:02/03/13 17:46
改行の位置が変ですね
「平野部」と「でも麦が」は同じ行になってると思って下さい

5 :天之御名無主:02/03/13 18:55
>>2
日本は畑作と稲作地域が完全に分離していないということだと思う

だいたい供え物だけが「儀礼」じゃないでしょ



6 :天之御名無主:02/03/13 18:58
いちさん初心者板ではどうもです。
>>3
麦は確かに秋に収穫する場合もありますけども、春に収穫する
方が多いのではないでしょうか?春のことを「麦秋」とも言いますし。
でも江戸時代は違ったのかな〜?秋の麦も多かったのでしょうか。
生業の聞き取りそしていると戦前くらいまでは田植えの時期には田の周りには
麦のハサガケが並んでたって聞くのですけども。稲の収穫と麦の収穫で
年中行事に二つの山があるようにも考えれますしね。
 それからふるいは畑作文化の話になると焼き畑がでてきますよね。
いきなりここまで話が進むと辛いかもしれませんが・・・・・
でもとにかく生業と絡めて民俗を語りましょう!こんな話の方が泥臭い民俗学って
感じがしてイイです!

7 :山野野衾:02/03/13 19:11
ところで稲藁と麦藁の用途、使用地域の分布はどうなっているのでしょうか。
私の知っている広島県の旧焼山村出身の女性(大正生まれ)は昔家の屋根に
麦藁を使用していたと教えてくれました。
他の地域ではどうだったのか、どなたか身近な具体例をご存知無いでしょうか。

8 :天之御名無主:02/03/13 22:59
糯稲の藁は粳稲の藁より強靱なので、藁細工の材料として好まれた。
沖縄では泡盛の材料には黒麹、味噌、醤油の材料には黄麹と
使い分けるが、蒸し米に粳稲の藁灰を振りかけて発酵させると黒麹、
もち稲の藁灰を振りかけると黄麹ができあがるという。
何故かは科学的には解明されていないが。

9 :ひでよし:02/03/14 08:12
>>6
そう言われてみれば、そうですよね
「稲の秋と麦の秋がある」という意味で「両度の秋」という表現が
使われていたのかもしれないのですが・・・・

出典を思い出して、確認しましたら、また書き込みします
(収穫作業の日雇労働に関する文書だったと思います)

10 :いち:02/03/14 17:25
>>5
>だいたい供え物だけが「儀礼」じゃないでしょ

確かにそうなのですが、ほとんどの概説書には畑作物を供えるから、
畑作儀礼としての側面がある、というようなことが書いてありますし、
十三夜と十五夜に関しても同様な説明がされていたりしますし、それ
で実際のところはどうなのかなと気になりまして…

11 :天之御名無主:02/03/14 18:54
>>5
>だいたい供え物だけが「儀礼」じゃないでしょ

っていっても神饌とか供え物はやはり重要なんじゃないでしょうか?
椎葉なんかでは神楽の前に猪の肉を切って供えたりするでしょ。
あんなのはやはり強烈ですよね〜。畑作関係では確か滋賀県では芋くらべ祭りや
ズイキ祭りとかいう有名な祭りもありますもんね(滋賀じゃなかったかな?)。
 しかし7さん8さんを読んでますと藁もやっぱふかいですね〜。何か本でもでしょうかね?

12 :天之御名無主:02/03/14 19:25
滋賀県野洲郡の三上神社で行われている祭りですね
坪井洋文氏などがいくつか論文を書いておられると思います

13 ::02/03/14 19:31
打ち間違いました・・・・
>>11の最後は「何か本でもでしょうかね?」
でなく「何か本でもないでしょうかね?」です。
法政大学出版会かどこかから、「鮫」とか「キノコ(松茸か?)」
か「曲物」とかもののなまえそのものの本が出てますがそのなかに
藁はなかったかな?灰の研究は確かあったはずだけど・・・・・

14 :天之御名無主:02/03/14 23:19
55-I 藁I、55-II 藁IIと分冊で出てますね。
未読につきsage

15 ::02/03/14 23:54
>>14
ありがとうです。
それにしても恐るべきは!法政大学出版局ものと人間の文化史シリーズ


16 :天之御名無主:02/03/15 16:34
その本では一括して「藁」とされていて、稲藁と麦藁には分けられては
いなかったんじゃないかな?

17 :天之御名無主:02/03/15 23:19
陸稲は畑作になるんでしょうね〜?だとすると水田と普通の畑と焼き畑の
三種類くらいに農耕は分類出来るのかな?でも畦豆なんてのもあるから
もっと複雑か・・・・それぞれに生業形態にたいしやっぱそれぞれ予祝などの
儀礼があったりするのかな?複雑複雑

18 :いち:02/03/16 16:23
>>12
坪井洋文氏といえば「餅なし正月」に関して書いてる方ですよね
確か「畑作文化が稲作文化を拒否していることの現れ」だというような
ことを書いていたと思うのですが、本当にそうなんでしょうか?

19 :天之御名無主:02/03/17 09:36
>>18
最近は「生業複合」ってよく言われてるから、坪井さんみたいな単純な
図式って否定されてますよね。でも坪井洋文の論は再考するに値する
だけの民俗学の金字塔だと思いますが。稲作文化単一のそれまで民俗学に
正面切って批判したのはこの人が初めてでしょ?


20 :天之御名無主:02/03/18 23:10
>>16
稲藁中心の本ではなかったでしょうか?屋根材については日本民俗地図に載ってるかな?


21 :天之御名無主:02/03/18 23:14
麦藁帽子はあっても稲藁帽子は無いよね。
菅笠は違うし。

22 :天之御名無主:02/03/18 23:17
単に夏前に収穫されるのが麦だから麦藁帽子ってことじゃないと思うのですけどもね〜。
民具系に強い人誰かいませんかね〜。あと藁を叩くと強くなるので、時代劇の夜なべ仕事で
たまに叩いているところを見かけますが、あれは稲藁でしょうか?

23 :天之御名無主:02/03/18 23:18
虚無僧の深編み笠は「稲藁帽子」では?

24 :天之御名無主:02/03/18 23:32
いつのまにやら藁スレと化していますな

25 :6:02/03/19 19:25
>>24
ほんまや!自分が藁ネタを振ったばかりに・・・でも興味深いのですけど。
話題が多岐に及ぶのも何なんですが、先月くらいから各地で
「御田植祭」や「おんだ」といった田植えの神事が初めってますよね。
だから時期的にまずは稲作の話題からいった方が良いかなって気もしますが。
だれか何処かの見に行きました?自分は今年も「飛鳥坐神社」に行けなかった(涙)
一度は見に行きたい。

26 :天之御名無主:02/03/20 01:18
広島県大朝町新庄の「新庄の囃田」か、
千代田町壬生の「花田植」がいいぞ。
六月はじめに笛と太鼓で囃しながら田植えする行事だ。

27 :天之御名無主:02/03/21 23:44
なぜ「御田植祭」とかってするの?予祝?

28 :天之御名無主:02/03/22 01:20
今の時期だと予祝儀礼ですね。
例外的に秋にやるところもあるそうですが、これは何でしょう?

29 :天之御名無主:02/03/22 10:54
豊作祈願の儀礼ではあるのは確かなんでしょうけど、予祝とはまだ
起こっていないことを「予め祝っておく」という意味ですので、実際に
苗を植えているわけですし、予祝って感じはしないんですけど…

30 :山野野衾:02/03/22 14:13
>26
古式が分かるのは大朝の方でしたか。元々周辺地域でも行われたそうですね。
他には岡山県、鹿児島県のものも面白いかと。どなたか地元の方はおられま
せんか。

31 :天之御名無主:02/03/22 15:07
>>29
ほんまですね!そういわれれば予祝じゃない。「田植え」自体を芸能とみなし、
神に奉納しているってことなのかな?
それから>>28さんの書いてる秋にするとこってどこですか?

32 :26:02/03/22 21:48
囃田の儀式はまず代かきから始まる。鞍と幟で飾られた牛が代掻き歌に
挽かれて田を均し、田植えの準備をする。
準備が整った田に田植えの一団が到着し、ささら、大太鼓、笛で囃しつつ
田の神「サンバイ様」を招く歌を斉唱する。
「歌い初めをまずサンバイにまいらしょう ヤーハーレヤレ まず
サンバイにまいらしょう さんばいはヤーレ 何処から降りゃる
宮の方から 宮の方からヤーレ 葦毛の駒に手綱よりかけ・・・」

次に苗取り歌と共に早乙女が苗をとりまとめる
「苗取り上手が苗をとるを見やれ 水も揺るがぬ 苗をとるを見やれ」
準備が整い、あとは笛太鼓の演奏にのせて歌いつつ田植えをする。
これもサンバイの名を持つ音頭取りが一小節を歌い、続けて早乙女が
斉唱、三度繰り返して次の歌を続ける。
「ホトトギス小菅の笠を傾けて 聞けども飽かぬホトトギス」
「なんと早乙女さんや 浅う植えてたもれや
  浅う植えりゃ 一反で二斗の米が多いよ」
夕暮れ、田植え終わりが近づき、日暮れの歌を歌う。
「音戸ノ瀬戸で清盛公はの 日の丸の扇で お日を招きもどいた」
「今日の田友達は名残惜しや友達 洗い河原で文をまいらしょうやれ」
田植えのハレの日は男女交歓の場でも有ったのだ。


33 :天之御名無主:02/03/22 23:22
>>32
田の神「サンバイ様」ってイイッスね!
サツキ サミダレ サオトメ と「サ」って言うのは
稲となんか関係あってって聞いたことあるけど。
関西では田植えの終わりを「サナブリ」って言ったりするし。

いや〜でもエエっすね〜。これぞ民俗って感じ。26さん報告ありがとう!

34 :28:02/03/23 00:37
御田植祭は豊かな実りを祈念して行うもので、
田植えを祝うものではありませんぜよ。
ですから田植えと同時に行っても予祝行事です。
早いところでは例えば大神神社が元旦に行いますし、
遅いところでは宇佐神宮などで7月下旬です。

秋…と言ったのは大分県国見町城山社の9月上旬です。
旧暦の9月から新暦に移す時に違いが出たのだと思いますが
新暦の9月だと収穫前ではあるにせよ実りは決まってしまっていて
ちょっと遅いような気がします。

35 :ひでよし:02/03/23 13:55
>>9
『近世賎民制と地域社会 和泉国の歴史像』(藤本清二郎、清文堂出版、
1997)に引用されていた文書で、弘化3年(1846)に書かれたものです

「年両度之秋人足百八、九十人より弐百人年々差出候」とあり、枝郷である
嶋村から本郷である福田村に約200人の人足を出しているという内容です
藤本氏は「春秋の麦・稲の収穫時」の人足だとしていますが、それが妥当だ
と思います

僕の記憶違いでしたのので、訂正しておきます

36 :29:02/03/23 15:37
>>34
>御田植祭は豊かな実りを祈念して行うもので、
>田植えを祝うものではありませんぜよ。
>ですから田植えと同時に行っても予祝行事です。

正月に松葉を苗に見立てて、田植えの所作をするというようなのが
予祝だと思ってたんですけど…

37 :天之御名無主:02/03/24 18:10
>正月に松葉を苗に見立てて、田植えの所作をするというようなのが
と本当に田植えをする行事と同列にあつかっても良いもんでしょうか?
正月とかって稲魂がどうこうとかも、いったりしますね。


38 :ひでよし:02/03/25 11:44
正月に行われる歩射や粥占なども予祝儀礼として位置付けられていますからね
「予祝」の定義について、改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか

39 :天之御名無主:02/03/27 21:12
なぜに多くの地方で山の神がおられて田の神がおられぬのか教えを乞う。

40 :天之御名無主:02/03/27 21:23
>>39
九州南部は有名な田の神さん地帯です。お地蔵さんみたいなカッコの
「タノカンサー」(田の神さん)が田の傍らなどに祀られています。
田の神と山の神は循環しているという話もありますね。秋に田の神が
山に帰り、春に降りて来るとか。


41 :天之御名無主:02/03/27 21:36
かつて杜氏は秋に来て春に帰りましたが、九州南部では
田の神は春に降り来て、秋にやまに帰られたのですね。

42 :天之御名無主:02/03/28 21:56
滋賀県なんかに多い「野神」ってあれは何の神様ですか?田畑?

43 :42:02/03/28 21:57
意味なく下げてしまいました・・・・上げときます。

44 :ひでよし:02/03/30 11:03
福田アジオ氏のムラ・ノラ・ヤマ(ハラ)の同心円構造でいうと、
生産空間である「ノラ」に祀られている神で、田の神の一つだと
されていますよね

「野神」が「ノラ」の神なのだとすれば、田の神だけではなく、畑の
神でもあるということになるのだと思います

ここが簡潔にまとめられていますので、参考までに・・・・
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/judi/forum/forum7/rez001.htm

45 :天之御名無主:02/04/01 07:39
戦国時代を舞台にした小説を書いています。尾張、美濃で歌われた
田植え歌の歌詞をご存知の方、教えて下さい。

46 :山野野衾:02/04/01 22:20
>45
田植えかどうかはさておき、小唄位でしたら「上井覚兼日記」等に出ています。
うちの隣の○松(人名)は○○(地名)の戦に頼まれて一年経っても帰りゃせぬ二
年経っても帰りゃせぬ三年経ったら首が来た(歌詞うろ覚え)
これで駄目でしたら地域の田植え歌でも参考になさっては。ほとんどが近世のもの
ですが。

47 :天之御名無主:02/04/01 22:36
中国地方の田植え歌なら「田植草子」という良い本がある。

48 :45:02/04/01 23:08
レスありがとうございまいた。

49 :26:02/04/02 21:18
広島県千代田町壬生の「花田植」の歌詞の例

笠の端は揃うたがどこ笠が揃うた つつき笠 京笠にや大和笠が揃うた
大和笠よりや大仙笠が揃うた ヤーハーハーレ ヤーハレ 大仙笠が揃うた

皐月の早乙女と春の鴬はの 面白い音を出す 春の鴬はの

京の清水寺の滝の水 滝の水 やれ流れて行くのは加茂川の

京の三十三間堂の仏の数はなんぼうか 三万三千三百三十三体ござる げにやれ

宮島の千畳敷はどなたが建立なされた 飛騨が匠の竹田が番匠清盛様が建立よ

田主殿の前田にや咲くのは何の花やれ  稲の花銭の花 咲いて徳の花やれ

50 :ひでよし:02/04/03 12:00
「諸国の百姓田稲を苅り取るの後、其の跡に麦を蒔き、田麦と号し、領主等件の麦の
所当を徴収す」ることが行われているが、それは「租税の法」ではないから、「自今以後、
田麦の所当を取るべ」きではなく、これは「農民に依怙を為」す(農民に味方をする)よう
にしろという法令が鎌倉幕府から出されています

この法令によって鎌倉時代には稲と麦の二毛作が広く行われていたことと、裏作の麦は
徴収するべきではないとされていたことがわかります
これは租税としてほとんどを徴収されてしまう稲に対し、麦は百姓にとって重要な食料と
されていたからだと考えられています

51 :天之御名無主:02/04/05 08:52
「貧乏人は麦を食え!」(by池田勇人)

52 :天之御名無主:02/04/05 17:21
 麦ってどうやって食べてたんでしょう?全てうどんにしたり
したわけでもないでしょうし、すべて米と一緒に麦飯にしたわけでも
ないでしょうし。

53 :天之御名無主:02/04/05 21:18
麦の食べ方だが、大麦の場合は麦飯か麦粥、もしくは麦焦がしにした。
小麦は粉にしてすいとんにして食べた。
饂飩や饅頭は手間がかかるので御馳走だった。

54 :天之御名無主:02/04/05 21:48
          阪神ワッショイ!!
      \\  阪神ワッショイ!! //
  +   + \\ 阪神ワッショイ!!/+
                             +
   +    ⌒*⌒  ⌒*⌒   ⌒*⌒
      ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
 +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ  +
       ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
       (_)し' し(_) (_)_)


55 :いち:02/04/06 07:28
池田勇人首相の「貧乏人は麦を食え!」発言(暴言?)からも明らかなように、
ほんの数10年前までは麦が重要な食物であったにも関らず、麦に関しては
知らないことだらけです
例えば、麦飯の麦と米の割合とか、播種から収穫までの作業とか、それ以外
にもいろいろとあると思います

これらのことに関して詳しく書いている文献がありましたら、教えて下さい

56 : :02/04/06 13:20
 

57 :天之御名無主:02/04/06 14:17
>>55
ごめんなさい、質問が↓は、
>池田勇人首相の「貧乏人は麦を食え!」発言(暴言?)からも明らかなように、
何がこの発言により明らかにされているの?

>麦飯の麦と米の割合とか、播種から収穫までの作業
これらについてだと、各地の報告書、市町村史などを見た方がわかりやすいと思われ。

それ以外はちょっと今調べ中。


58 :いち:02/04/06 15:35
池田勇人首相といえば、所得倍増計画を掲げた人物だっとと思うのですが、
その際の具体的な目標というのが白いご飯を食べられるようにするということ
だったのだと思うのです(ちょっと違うかも…)

その当時はまだ麦飯を食べている民衆が多くいたからこそ、「貧乏人は麦を
食え!」という発言が出てきたのだと思うのですが、その時代の食生活という
のが、どのようなものであったのかがよくわからないのです
民俗調査をしたことは何度かあるのですが、麦の話というのはほとんど聞いた
ことがありませんので、それでこういうスレを立てて情報を希望している、という
わけです

59 :天之御名無主:02/04/06 16:10
『田畑と雑木林の民俗』という本がある。
平成6年頃発行されたもので、埼玉県の麦作儀礼について詳しい解説がある


60 :天之御名無主:02/04/06 18:06
麦に関する有名な俗信

「戌の日に麦蒔きをしてはいけない」
昔、弘法大師が中国に留学したときに初めて麦という作物を見た。
日本に持ち帰って広めようと思い、畑から穂を盗み取ったところ、
犬に見とがめられて吠えつかれた。しかし、事情を知らない飼い主は
「坊様に失礼なことする」と、その犬を殺してしまった。

そこで、その犬を弔うために戌の日には麦蒔きしないのだ。

61 :天之御名無主:02/04/07 15:25
焼き畑の農耕儀礼を教えて下さい。

62 :57:02/04/08 23:41
>>58
>その際の具体的な目標というのが白いご飯を食べられるようにするということ
>だったのだと思うのです
なるほど、そういうことなんですね。
そうそう、『日本民俗大辞典』によると1960年代から70年代にかけて
麦飯から白飯(白米のみ)に変わったそうですよ。

>その時代の食生活というのが、どのようなものであったのかがよくわからないのです。
その時代というのは、昭和30年代後半ですよね。
コレは結構、調査に、話を聞きにいけば聞ける話だと思いますが。
身近にいる50代以上の人に聞くだけでも結構聞ける気が…。

でも、詳細な事例は市町村史、報告書がいい気がするんだけど…、だめ?
『長野県史』の民俗編なんか異様にたくさん出てるしなー。

それから、水稲耕作が伝わる以前に水田に出来る芋(ちょっとどういうものかわかんないんで、すいません)を作っていたから、水稲耕作をすんなり受け入れることが出来た、
という話を聞いたことがあるんだけどソースがわかんねー。



63 :かいば:02/04/09 01:17
どういう調理のしかたを知ってるかで、
稲作と麦作が別れたんじゃないかと、
思ったりしてます。

64 :ひでよし:02/04/09 17:15
『日本の食文化 昭和初期・全国食事習俗の記録』(成城大学民俗学研究所編、
岩崎美術社、1900)には「救荒食」の項目が設けられ、昭和飢饉の際の食生活が
報告されているそうです
(僕はまだ読んでいないので、これ以上は書けません)

飢饉の際の救荒食として畑作物が重要な役割を果たしたという指摘は歴史学の分野
からもなされています
菊池勇夫氏の『飢饉の社会史』(校倉書房、1993)や藤木久志氏の『戦争と飢餓の戦
国を行く』(朝日選書、2001)などはお薦めです

65 :天之御名無主:02/04/14 07:28
>>61
http://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/yakihata.html

椎葉村に伝わる火入れの際の歌だそうです

66 :天之御名無主:02/04/14 07:29
「歌」じゃなくて「祝詞」(?)ですね

67 :いち:02/04/20 08:37
赤飯の由来に関して、古代の赤米祭祀の影響が残っているんだと
いう説や火を重視する焼畑文化の影響ではないかという説がある
のですが、これはどうなのでしょう?

確かに「赤」という色に特別な意味を見出すことはできるのでしょうが、
それを赤米や焼畑などにそのまま結び付けることができるのかという
気がするのですが…

68 :天之御名無主:02/04/28 22:53
もう田植え始まってるところありますよね〜。
早稲となかてと晩稲って今でも作りわけてるんでしょうかね?

69 :山野野衾:02/04/28 22:57
>62
遅レスですが、現在九十歳以上の人からアワ飯の話を聞かせて頂いた事があ
ります。しかし現在では何処の民宿でも出るものは(故意にでも無いと)変
わりがありませんね。

70 :57:02/04/29 21:10
>>69
商品化すると…、ってことでしょうかね。



71 :天之御名無主:02/04/29 21:35
江戸時代に南部藩などでは畑作から稲作への転換がはかられ、
それ以降、東北では飢饉に対する抵抗力を失った

・・・と、宮本常一は書いている。


72 :天之御名無主:02/04/29 21:38
>>65
それ、「寺川郷談」に出てるのといっしょだ。
ビクーリ!
寺川は高知県土佐郡本川村にあります。
水田がなく、米が一粒もできないところで、
藩政期には年貢が免除されてたことで有名。
みんな焼畑で食べてたところ。

73 :天之御名無主:02/05/02 16:01
>>71
なるほどね。目から鱗。
宮本の言うことってのは、いちいち鋭い。

>>72
それも宮本が報告してるのを読んだことあるような・・・
「民俗学への道」だったかな?

74 :天之御名無主:02/05/04 23:36
もう田植え真っ盛りなんじゃない?あげ!

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