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「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか5)

1 :通りすがり:2001/07/05(木) 10:43
「邪馬台国問題」を中心に、「魏志倭人伝」を始めとした
史料読解に関する議論全般を扱うスレッドです。

マターリと議論を楽しみましょう!

<旧スレッド>

邪馬台国はどこですか2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=983026206

「魏志倭人伝」を読む(邪馬台国はどこですか4)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=989770230

その1は行方不明です。
その3は欠番です。

2 :通りすがり:2001/07/05(木) 10:44
<お約束>

・情報ソースは明確にする (自説に信頼性を付与します)

・他者と自身の解釈を分別する (当たり前ですね)

・他者と理解が共有可能な論理構成を心がける (でないと電波になります)

・煽りおよび嵐は一切放置!(ダメ ゼッタイダメ)


皆でこのスレを良スレに育てましょう。

3 :通りすがり:2001/07/05(木) 10:44

    _______________
   |
   |★★荒らしは放置が一番キライ!★★
   |
   |●重複スレには誘導リンクを貼って放置!
   | ウザイと思ったらそのまま放置!
   |
   |▲放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います!
   | ノセられてレスしたらその時点であなたの負け!
   |
   |■反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです
   | アラシにエサを与えないで下さい
   |
   |☆枯死するまで孤独に暴れさせておいて
   | ゴミが溜まったら削除が一番です
   |
   |     。
.  Λ Λ  /
  (,,゚Д゚)⊃ ジュウヨウ!
〜/U /
. U U  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.

4 :鹿苑寺:2001/07/05(木) 12:25
さて、行程記事の方位・距離に関する部分で、魏志と魏略にほとんど差がないということは、西晋の著作郎になる人物がクライアントを意識しつつ転記したであろう記述とそうでない記述の差がないということですから、記述内容にはクライアントの潜在ないし顕在する意図が影響を及ぼしていないと推定できると思います。
よって、クライアントを行程記事の記述主体に含める観点はあまり適切と思えないわけですが、いかがでしょう?

5 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 14:18
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=989770230

これ見るにはどうすりゃいい?

6 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 19:51
荒らしが大量に書き込んで開かないようにさせたと思われ
「西都原」を削除してもらえばいいのではないか?

7 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 23:55
パート4開かない

8 :日本@名無史さん:2001/07/06(金) 00:10
>>1
>その3は欠番です。

やっぱり、3番は偉大なのだな。永久欠番か・・・

>>5 >>7
かちゅ〜しゃなら読めるぜよ。

9 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

10 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

11 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

12 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

13 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

14 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

15 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

16 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

17 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

18 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

19 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

20 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

21 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

22 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

23 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

24 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

25 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

26 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

27 :日本@名無史さん:2001/07/06(金) 07:15
>4
 前スレが見れないので、既出だったり、流れからずれていたら申し訳け
ないのだけど、魏略というのは信頼のおける資料なんでしょうかねぇ?もと
もとが町の好事家が収集した類書的な性格のもので、唐代には散逸してま
すし、後の類書に魏志の内容が魏略として掲載されたりと、後の類書と同
様に、正史として採用されて、現代まで伝えられた魏志とは同列には扱え
ないと思うのですが。
 ただ晋書の倭人伝はオリジナルの魏略あるいはその元となった資料(魏志
も採用したもの)に近いのでは無いかと思いますが。

28 :日本@名無史さん:2001/07/06(金) 08:39
魏略の逸文みると魏志とほとんどいっしょじゃん。
もし魏略の史料的価値を低くみるとすると、魏志の記述もあやしくなるのでは?
少なくとも「魏略はでたらめだけど魏志は正しい」というのは無茶苦茶な議論だろう。

29 :鹿苑寺:2001/07/06(金) 09:06
魏志もそれなりに散逸していて、宋代に収集されたものですね。
通行本がどの程度オリジナルと重なるかは議論のあるところです。
かといって、一字一句をゆるがせにしていいということにはならないでしょう。
史料は、ひとつの証言としてそこにあるのですから、入念に裏を取っていく作業が必要なわけです。

30 :日本@名無史さん:2001/07/06(金) 10:46
>魏志もそれなりに散逸していて、宋代に収集されたものですね。

そうなの?
宋の裴松之が原文に注釈を入れたものしか残っていないのは知っているけど
裴松之は原文全て見ていたんじゃないの?

その後散逸して「裴松之注釈入りの三国志」も全文が残っている訳ではないと
聞いているけど。

その中でも紹熙本とか紹興本が比較的よくそろっている方とか。

31 :日本@名無史さん:2001/07/06(金) 11:33
前スレからの転載です。

<過去の主な荒らしの制裁例>

トレビア〜ン(16 高校生)くんの場合

プロバイダからの契約解除。
両親への厳重注意。
学校への厳重注意要請。
謝罪文。
(以後荒らし行為があった場合は民事での賠償請求に応じると一筆)

トレビア〜ンくん、停学2週間。


偽堕ちた研究者(27 会社員)くんの

プロバイダからの契約解除。
会社からのアクセスもあり、会社への警告文。
本人への民事裁判or全面謝罪要請。

偽堕ちた研究者くん、厳重注意+減俸3ヶ月→転勤→退社。


みなさまも、我慢の限界に達しましたら
是非とも批判要望板の方に通報及び要望を宜しくお願い致します。

32 :鹿苑寺:2001/07/06(金) 17:49
>>30
私の言う宋は北宋の宋で、興国咸平の頃の話です。裴松之の宋は劉宋ですから、話が500年はすれ違ってしまいましたね。

33 :日本@名無史さん:2001/07/06(金) 19:14
あ、そう。

34 :日本@名無史さん:2001/07/08(日) 06:01
>>8
「かちゅ〜しゃ」ってなに?

35 :日本@名無史さん:2001/07/08(日) 13:31
>>34

http://www.google.co.jp/

36 :日本@名無史さん:2001/07/08(日) 21:10
魏志では伊都国の人口千戸となっているのに魏略では萬戸となっている。
どっちが正しいんですか。

37 :通りすがり:2001/07/10(火) 00:58
>鹿園寺さん(>>4

どーも。

出張先から帰ったばかりで、ちょっと忙しいので
お返事はしばらく後になりそうです。

明日にでもお返事を差し上げますのでご容赦下さい。

それではー。

38 :通りすがり:2001/07/10(火) 00:59
訂正です。

一行目

(誤)鹿園寺さん

(正)鹿苑寺さん

大変失礼いたしました。

39 :日本@名無史さん:2001/07/10(火) 14:28
前スレでも書きいたが
陳寿が三国志を書いていた時、まだ晋と邪馬台国の交流は続いており、
邪馬台国の情報は(少なくても政府の要職にある)晋人の中で常識だった。
倭人伝が一人や二人のいい加減な情報を元に書かれたなどと推測する事は
愚の骨頂。
したがってそれほど間違った情報がある筈もなく、魏志倭人伝の記載は
大筋において正しいと言う事を前提に議論すべきである。
大袈裟とか、勘違いとかはほとんどない。ただし、写本を幾度も繰り返した
ために多少転写ミスがあった可能性は排除できないが。

間違いが多い事を前提に話をしては青森やエジプトが邪馬台国になってしま
う。
倭人伝の記述は非常に省略されていて、現代の我々には理解に苦しむ事でも
当時の人にはちゃんと理解できる事で決して間違った記載ではなかった。

40 :日本@名無史さん:2001/07/10(火) 15:49
だって現に海の中でしょ。間違いは間違いでは?

41 :日本@名無史さん:2001/07/10(火) 16:30
郡より女王国に至る万二千余里。
沙里院から海州まで七千余里、海州から唐津または前原まで三千余里
計一万一千里、さらに700里で残り300里少々だ。
一里75,6mで言えば23,4kmで海に出る事はない。

42 :日本@名無史さん:2001/07/10(火) 17:06
そんな1里を作っちゃだめ!

43 :わははははは・・・:2001/07/10(火) 17:28
>間違いが多い事を前提に話をしては青森やエジプトが邪馬台国になってしまう。

エジプト説は、倭人伝はすべて正しくて一言一句修正していないってのがウリなんだけど、知ってた?
イヤ、それ以前のところがとてつもなくあれなんだけど・・・

青森って何だろ?三内丸山説?そんなのあったかなぁ・・・
青森じゃないけど、八幡平も南を北に読みかえるだけでそれ以外は他のどんな説よりも倭人伝に忠実だっていってる。

>魏志倭人伝の記載は大筋において正しいと言う事を前提に議論すべきである。

それをこれから議論しようっていうんだから、論拠を上げて『大筋において正しいと言う事』を論証してよ。

それにしても、『わが輩の説は倭人伝にもっとも忠実である』という説に限ってとてつもなくトンデモなことが多いのはなぜだろう?

44 :日本@名無史さん:2001/07/10(火) 17:43
自分の超絶曲読法以外に頼るものがないからだよ

45 :日本@名無しさん:2001/07/10(火) 18:03
>それをこれから議論しようっていうんだから、論拠を上げて『大筋に
〉おいて正しいと言う事』を論証してよ。

「概ね正しい」事を否定すると、そもそも邪馬台国の位地比定はおろか
その存在すら怪しくなってしまう。

46 :日本@名無史さん:2001/07/10(火) 18:21
その「おおむね」が曲者なわけでしょ?
都合のいいところだけ取って都合の悪い部分をさりげなく無視するための
「概ね正しい」であってはならないってこと。
どの部分が正しくてどこは無視していいのか恣意的じゃだめ。
だから原点に戻って議論してるんじゃないの?

47 :日本@名無史さん:2001/07/10(火) 19:57
>>45
>「概ね正しい」事を否定すると、そもそも邪馬台国の位地比定はおろか
>その存在すら怪しくなってしまう。

いいじゃな〜い。
ここは全ての「予断」を排して股〜理と議論するところなんだから。
邪馬台国が存在するなんていう「予断」を持っちゃいかんよ、君。

議論の末に邪馬台国の実在が怪しくなるくらいなら、
もう邪馬台国論争なぞ止めたほうがいいぞよ。

股〜理とした議論がお嫌いな方は、こちらを宜しく。
最近伸び悩んでるんですよ。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=975949507&ls=10

48 :通りすがり:2001/07/10(火) 20:26
>鹿苑寺さん(>>4

どーも。
遅レスになりました。

>さて、行程記事の方位・距離に関する部分で、魏志と魏略にほとんど差がな
>いということは、西晋の著作郎になる人物がクライアントを意識しつつ転記
>したであろう記述とそうでない記述の差がないということですから、記述内
>容にはクライアントの潜在ないし顕在する意図が影響を及ぼしていないと推
>定できると思います。

 行程記事に関して、記事が再構成される際、「魏略」を改変した箇所はほと
んどないということですね。なるほど。
 クライアントの意向を考慮する場合は、原史料と「倭人伝」の間で明確な差
異を抽出しうることが条件の一つとして挙げられるでしょうね。

>よって、クライアントを行程記事の記述主体に含める観点はあまり適切と思
>えないわけですが、いかがでしょう?

結論的には同意です。

ちなみに、クライアントの意向を記事から読み取ろうとした場合、鹿苑寺さん
は必要な作業として何を挙げますか。よろしければご教示下さい。

それではー。

49 :通りすがり:2001/07/10(火) 20:42
>>46さん

どーも。

>その「おおむね」が曲者なわけでしょ?
>都合のいいところだけ取って都合の悪い部分をさりげなく無視するための
>「概ね正しい」であってはならないってこと。
>どの部分が正しくてどこは無視していいのか恣意的じゃだめ。
>だから原点に戻って議論してるんじゃないの?

おっしゃるとおりです。

このスレでは現在、「倭人伝」の史料批判に関する具体的な議論が進められて
います。各人の解釈を展開する前作業として、議論に共通の土俵を与えようと
する作業ですね。

結論に向けて焦る必要はないですから、
マターリとしましょうよ(´ー`)y-~~~ >All

それではー。

50 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 02:58
呼子と釜山間を海底トンネルで繋ぐ計画があります。
距離はおよそ二百四十キロだそうです。
これを75mで割ると3200になります。
倭人伝の千余里x3という記述は一里75mでよく調和します。

韓伝の韓国は方四千里は韓半島南部が東西300km、牙山より南が南北に
300kmですから一里75mで実によく調和します。

沙里院から牙山まで190km、牙山から海州まで370km。
合わせて560kmは一里75mで約七千五百里となります。
倭人伝の七千余里と実によく調和します。

倭人伝の一里は75m前後としか考えようが無いのです。
一里を75m前後とすれば邪馬台国は九州島から出ることはありません。

畿内に幾ら巨大な古墳が沢山あっても邪馬台国とは無関係です。

51 :みまきいりひこ:2001/07/11(水) 09:00
このシリーズのスレッドのレベルも、頼むから何故か倉庫入りしちゃった

 ttp://mentai.2ch.net/history/kako/952/952922104.html

ぐらいまで揚げられないかなぁ?もちろん、前半の考古学・史学教室裏話のノリ
で。上記スレではせっかくディープな議論ができると思ったんだが。当時の論客
はいったい何処へ?

52 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 09:40
>>50
程度ひくい!
結論にあわせてコース決めて1里の長さも決めればどこだってOKだよ。

53 :https://gw.szk.freecom.ne.jp.2ch.net/:2001/07/11(水) 09:58
あのネ
違うみかたしないとこの話結論つかないよ!

どうして黒板教授が卑弥呼の墓(西都原オサホ塚)を隠蔽しないといけなかったか、そっちの話しようよ!

54 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 10:09
>>55 そうか 張政は地下トンネル通ってきたのか。

55 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 10:51
>>52
漢の時代の一里が435m程度だったと言う事は知っているんだね。
じゃあ周の時代は76m程度だった事はしっている?
唐の時は560m位だった。
時代によって尺度は変わっているのだよ。
倭人伝の尺度が75mであってもおかしくないし、それが実際の距離と
記述内容と調和していればそのように解釈せざるを得ないのでは?

一里435mではとんでもない数字になってしまうから、倭人伝は出鱈目が
書いてあるなどと本末転倒の空しい議論は止めようよ。
韓国が方七百里と書いてあったら一里435と認めてもいいよ。
要は実際の距離と記述内容が調和しているかどうかだから。

邪馬台国は晋が滅びた後も存続していたし、晋が滅びるまで交流があって
邪馬台国へ行った事のある人間は沢山いたはず。
陳寿達にとって邪馬台国は遠い昔の怪しげな記録によってしか知る事が出来ない
国では無かった。
間違いや出鱈目が書ける筈はないと言う事がどうして判らないのかな?

56 :通りすがり:2001/07/11(水) 11:01
>>55さん

どーも。

>倭人伝の尺度が75mであってもおかしくないし、それが実際の距離と
>記述内容と調和していればそのように解釈せざるを得ないのでは?

当該期の度衡量について、他史料からクロスチェックを行っていますか?

57 :通りすがり:2001/07/11(水) 11:05
>>51さん

ネタフリお願いします。

58 :通りすがり:2001/07/11(水) 11:06
あげ直し

59 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 11:19
>>55
>じゃあ周の時代は76m程度だった事はしっている?

そういうトンデモ説が日本のごく一部で信じられていることは知ってるよ。

60 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 11:23
>>53
面白そう。知っているなら色々教えて。

61 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 11:24
いらん!

62 :鹿苑寺:2001/07/11(水) 11:54
>>48
>ちなみに、クライアントの意向を記事から読み取ろうとした場合、鹿苑寺さん
>は必要な作業として何を挙げますか。よろしければご教示下さい。

クライアントの意向の影響を受けているか否か判定したい文章と、そのクライアントと利害関係がない者が著したと考えられる文章を比較して、バイアスの有無を検知する以外には方法がないと思います。

実際に試してみましょう。
魏略と魏志にほとんど差がないと申しましたが、逐語的に見ていくと微妙な表現の違いや誤字のレベルを超えた相違がまれに見られます。以下の部分がそうです。
続く→

63 :鹿苑寺:2001/07/11(水) 11:55
○自帯方至女國萬二千餘里。其俗男子皆點而文、聞其舊語、自謂太伯之後、昔夏后少康之子、封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之吾。今「イ妾」人亦文身、以厭水害也。【魏略】

○自郡至女王國萬二千餘里。男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害。今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。【魏志】
続く→

64 :鹿苑寺:2001/07/11(水) 11:55
魏略の「聞其舊語、自謂太伯之後」が外されて、魏志には「自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫」が挿入されていることがわかります。刺青の話になって、魏略は江南との関連に言及して話題の流れが自然であるのに対し、魏志のほうは話題が飛躍しており唐突であります。
これを、原資料にあった呉の話題を忌避して文章の一部を入れ替えたと推定すると、全体に魏代の外交的成功を記述した文章としての体裁を整理したということになるのではないでしょうか。
続く→

65 :鹿苑寺:2001/07/11(水) 11:55
しかし、これがクライアントを意識した記述であると考えられるかというと、陳寿自身が呉に対して若干の悪感情を抱いていることは経歴上からも文章上からもつとに指摘されている事実でありまして、結局確実な線はなんとも言えないというのが結論であります。
クライアントの意向の影響を推定することはなかなか難しいと言えます。

横道ですが、むしろここで興味深いのは、類推すると、倭と呉との関係について他にも削除された部分があったのではないかという疑念が湧いてくる点で、これを助長する遺物が赤烏年号の紀年鏡として実在するわけです。もちろん疑念という以上の何物でもありませんが。


66 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 12:13
>>59>>56
周の天文数学書である『周髀算経』は知っているかな?
「ある緯度で夏至の正午に長さ八尺の棒(周髀)を地面に立てるとその影の長さが
一尺六寸であり、南に千里離れると影の長さが一尺五寸、北に千里で一尺七寸に
なるとある。冬至での影の長さは一丈三尺五寸である。」
と書いてある。

これを計算すると南北千里毎に緯度が0.69°異なるので、地球の半径から南に
千里で76.9km、北に千里で76.3kmと計算される 。
太陽の垂直からの傾きは夏至で11.3°、冬至で59.3°となる。
観測地点の緯度は北緯35.3°となり、周の都があった洛陽のあたりとなる。

つまり『周髀算経』が周の時代の里が76mであった事を証明している。

(『三国志』蜀書・?統伝七の注に引用される『呉録』)に
「鈍牛は一日に三百里を行く」とある。
鈍牛が一日130kmも歩かないのは自明だろう。
一里75,6mなら一日23km位でさもありなんだが。

67 :通りすがり:2001/07/11(水) 12:32
>鹿苑寺さん(>>62-65

お返答ありがとうございます。
丁寧な解説痛み入ります。

>クライアントの意向の影響を受けているか否か判定したい文章と、そのクラ
>イアントと利害関係がない者が著したと考えられる文章を比較して、バイア
>スの有無を検知する以外には方法がないと思います。 (>>62

ご教示ありがとうございます。
やはり、成立コンテクストが異なる史料間の比較作業が望ましいのでしょうね。

>魏略の「聞其舊語、自謂太伯之後」が外されて、魏志には「自古以來、其使
>詣中國、皆自稱大夫」が挿入されていることがわかります。刺青の話になっ
>て、魏略は江南との関連に言及して話題の流れが自然であるのに対し、魏志
>のほうは話題が飛躍しており唐突であります。 (>>64

なるほど。具体的な記述が提示されると分かりやすいですね。

>これを、原資料にあった呉の話題を忌避して文章の一部を入れ替えたと推定
>すると、全体に魏代の外交的成功を記述した文章としての体裁を整理したと
>いうことになるのではないでしょうか。 (>>64

おっしゃるような解釈も可能かもしれません。

>しかし、これがクライアントを意識した記述であると考えられるかというと、
>陳寿自身が呉に対して若干の悪感情を抱いていることは経歴上からも文章上
>からもつとに指摘されている事実でありまして、結局確実な線はなんとも言
>えないというのが結論であります。
>クライアントの意向の影響を推定することはなかなか難しいと言えます。
>(>>65

「クライアント」を優先的な検討事項から一度外して、史料の成立過程自体を
検討する必要がありますね。原史料が再構成される際の具体的な過程に興味が
あります。

>横道ですが、むしろここで興味深いのは、類推すると、倭と呉との関係につ
>いて他にも削除された部分があったのではないかという疑念が湧いてくる点
>で、これを助長する遺物が赤烏年号の紀年鏡として実在するわけです。もち
>ろん疑念という以上の何物でもありませんが。 (>>65

可能性として当然、浮上する問題ですね。
当該期の諸コンテクストを斟酌した場合、呉と「倭国」の関係も蓋然性の高い
問題として検討されるべきと私も考えます。

ご教示に深く感謝いたします。
それではー。

68 :通りすがり:2001/07/11(水) 12:33
どーも。

>周の天文数学書である『周髀算経』は知っているかな?

いや、そういう問題じゃないのです。

>>56で述べたように、「当該期」の他史料からのクロスチェックが基本作業と
して行われていますか? ということです。よってこの場合、周代の史料から
の引用は参考程度に留まり、問題解決に際しては妥当な論証ではないと考えま
す。

>時代によって尺度は変わっているのだよ。 (>>55

と、おっしゃる以上、「当該期」の史料分析が最優先されるべきなのではない
でしょうか。

ご一考下さい。
それではー。

69 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 12:34
『周髀算経』は周代のものではないよ。後世の仮託。
数字は計算のための例題で、実際の地理のことではない。
鈍牛の三百里を中華書局は30里の誤写として処理。
そんなところだね。

70 :通りすがり:2001/07/11(水) 12:34
>>68の私の発言は、>>66さんに向けてのものです。

失礼しました。

71 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 14:04
>>68
「(『三国志』蜀書・?統伝七の注に引用される『呉録』)に
「鈍牛は一日に三百里を行く」とある。
鈍牛が一日130kmも歩かないのは自明だろう。 」
があなたに向けた回答。

同じ三国志の中だがね。

周の里制について述べたのも魏は周の里を使っていたという話もあるから
参考までに。
同じ三国志でも400m位じゃないと理解できない所も多少はあるが
倭人伝の中では75m程度で読むとすべて上手く当てはまる。

畿内に行く為には途中で単位の切り替えが必要。
しかも漢の里ではなく唐の里(560m)にしないと行き着かない。

72 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 14:24
魏が周の里を使っていたという話なんてないよ

73 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 14:43
畿内信者は自分で距離と日程を細かく示せるか?

どうやって巻向までたどり着くのか検証もせずになんとなく
畿内だと思っているだけだろう。
九州論者がちゃんと根拠を示して論証しようとしているのに
ちゃちゃ入れたりけなしたりするだけで自分達の論拠は出さない。
出せないんだろうが。(ワラ

74 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 15:05
「という話もある」なんてのを根拠と言わないよ
鈍牛は一日に三百里なんて会話中の例え話に出てきてるでしょ
クロスチェックはできてるかって聞かれてるわけでしょ
都合のいい例だけ拾ってきてもだめだよ

75 :通りすがり:2001/07/11(水) 15:30
>>71さん

どーも。

>鈍牛が一日130kmも歩かないのは自明だろう。

いや、そーゆー問題ではないような・・・

かりに「鈍牛」の例を出されるならば、『三国志』などの当該期に関する史料
から「鈍牛」の語句例を分析して、「鈍牛」の1日あたりの歩行可能距離を算
出する必要があるのではないでしょうか。

そしてまた、上記の作業を行う場合でもなお、「里」に対する検討が前提作業
としてあるわけですね。
つまり、>>71さんのお話は循環論法に依拠しているのです。ご注意下さい。

うまく通じるかなあ・・・

76 :鹿苑寺:2001/07/11(水) 15:56
>>75
ええとですね、この文章はそこだけ抜き出しても意味が通じないんです。
ホウ統が呉で人物評をして、陸績を早足の駑馬、顧邵を1日300里行く駑牛と呼ぶわけです。知り合って親しく交際する相手を駄馬、鈍牛と言っているんですね。

ところが、駄馬は駑馬十駕というように麒麟の1割のスピードしか出ない、足が遅いから駄馬なんですが、陸績は「足の速い駄馬」なんです。
陸績は足が速い駄馬だが一人の騎手しか乗せられません。しかし顧邵は何人も乗せて1日300里行く鈍牛なんです。

このとおり、これが1里=4百数十メートルでない証拠などにはならないことは、原典を読めばわかることなのです。

こんなとこでよろしいでしょうか?

77 :通りすがり:2001/07/11(水) 16:06
>鹿苑寺さん(>>76

なるほど、了解しました。

78 :鹿苑寺:2001/07/11(水) 16:12
<言わずもがなの補足>
補足しますと、牛さんの方は何人も乗せて1日300里行ける。馬さんの方は1人しか乗せられない。けれどもどちらも甲乙付けられない立派な人物と表しているのだから、馬さんの方は一人しか乗せられないが1日千里は行ける、つまり麒麟だということなんです。
でも、ひねくれ者のホウ統は陸績を麒麟とは言ってやらない。しかしそう評価していることが解るように話しているわけです。
つまり、牛さんの方は言葉では鈍牛といいつつも、評価は超牛さんなわけです。

79 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 16:20
だからなんなの?
韓は方四千里はどうしてくれるの?
一海を渡る千余里はどう解釈するの?
一番肝心な事に自分の見解も言わずに人の意見にいちゃもん
着けるだけ?
自分の意見言うとたたかれるからね。

80 :鹿苑寺:2001/07/11(水) 16:31
検証っていうのはそういうもんです。

81 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 16:31
あーあ、泣かしちゃった

82 :通りすがり:2001/07/11(水) 16:33
なんでここで切れるかなあ

83 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 16:46
>>78
一日400km 走る馬がいるかね。
牛が一日130kmも歩けない。
それこそ一里が435mでなかった証拠だろ?
違うと言うのは頭がおかしい。

84 :鹿苑寺:2001/07/11(水) 16:58
ひとつの試案なんですが、「1尺四方」のことを「方4尺」と表現するような例が、古いテキストなどで散見されます。
「方四千里」というのが「千里四方」を意味する古いテキストから誤って導き出される可能性も考慮に入れていいのではないかと思います。
それから「方四千余里」でなく「方可四千里」であるという点で、測定値ではなく推定のニュアンスが強いことも勘案すべきだと思います。

85 :鹿苑寺:2001/07/11(水) 17:05
>>83
そもそも俊足の駄馬という形容矛盾があるわけです。比喩の表現を距離単位の証拠に引くこと自体ナンセンスと言えましょう。
文意を解すれば、想像上の俊足動物「麒麟」と、それに比肩し得る「スーパー牛」にひとをたとえているわけです。たとえ話の対象が実在する必要はありません。
ちなみにホウ統は鳳凰の雛、孔明は龍で、どちらも実在しません。

86 :日本@名無史さん:2001/07/11(水) 19:19
>>83
千里眼と言う言葉があるが400キロも先のものが見えるかね。
千里はせいぜい1、2キロだ。
違うと言うのは頭がおかしい。

87 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 00:04
age

88 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 05:43
>>86
いいこと言うねえ。
その通り。400km 離れたら地平線や水平線のしたで見える筈がない。
白髪三千帖式の誇張があったとしても5,60kmがいいところ。

>>85
「麒麟」が想像上の動物でも牛は現実の動物。
その歩行速度は実際の速度と極端に違う事を書くはずが無い。

89 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 06:10
たった一つの希望だったから
おお、こだわることこだわること!

90 :鹿苑寺:2001/07/12(木) 08:30
いずれにしても、学問的に認められる望みのない単位の新発明を以て邪馬台国の位置論を解明しようという試みは、ただでさえ立証の難しい問題をより立証困難な根拠で証明しようという悪循環に陥ることにほかなりません。
やめといた方がいいと思います。

91 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 08:52
>>90
じゃあ半島−九州間の三千余里はどう説明するんだ。
説明してみな。

出来ないなら偉そうな口きかない方が良いと思うぜ。

92 :鹿苑寺:2001/07/12(木) 11:46
「又南渡一海千余里」と類似の表現というと、三国志全体を見ても
 「女王国東渡海千余里、復有国皆倭種」
 「又有侏儒国在其南、人長三四尺、去女王四千余里」
だけになってしまいます。

これら、国名不詳の倭種の国やこびとの国は、中国人が行ったことのない場所であるという点は疑いないところでしょう。しかし千余里単位で距離が明示されています。
倭人が独自にこれらの正確な里数を計測したとは考えがたいので、後者は伝聞に基づいて中国人が相当ラフな数値を当て嵌めたか、或いは山海経など古い物語りに出てくる逸話を流用したかであると考えて良いものと思います。
続く→

93 :鹿苑寺:2001/07/12(木) 11:46
壱岐・対馬とこれらの決定的な違いは、前者は中国人が行ったことのある場所、後者はそうでないという点ですが、文体はほぼ同じです。
それでは、中国人が行ったことのある場所であるから距離表記に高い精度が期待できるかというと、三国志全体を通じて海上の移動距離を正確に計測したという類例がないんです。
したがって、壱岐・対馬の千余里も、後者と同程度の精度しか期待できないことになります。
最も単純明快な解釈は「一海を渡る」という情報の一回につき約千里を機械的に割り当てたということになるのではないでしょうか。


94 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 13:50
移動距離を正確に計測出来ないまでも対岸が視認出来る対馬や壱岐の距離を
400km以上などと間違う筈はなかろう。
海を渡るのに距離も分からずに出港しないだろう。
朝出港して夕刻にはやっと到着出来る位の距離が千里と踏んでいたんじゃないか。
陸上を徒歩で移動できる距離とか、海上を船で移動できる距離を知らなかった筈
はない。
魏が遼東を討つ時も船で帯方郡の方から先回りして公孫淵を挟み撃ちにしている。
海上の距離もかなり正確に知らなければ出来ない事だ。

したがって「三国志全体を通じて海上の移動距離を正確に計測したという類例が
ないんです。」「約千里を機械的に割り当てた」と言うのは却下。

95 :日本@名無史さん :2001/07/12(木) 14:08
ところで今は畿内派と九州派とどっちが優勢なのかしら?

96 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 15:51
アカデミックな方面じゃ九州説の人は消えたようですね。
書店の棚が別々にわかれた感じ。

97 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 16:07
>>95
海上の千里が適当だろうってことではみんな一致してるのかな?

98 :鹿苑寺:2001/07/12(木) 17:32
海を渡って平壌を攻めたことは公孫淵攻めが初めてではありませんが、そのとき海を何里渡ったか記録した人はいません。海上の距離を正確に記録した類例がないことはいかんともしがたく、書かれている壱岐・対馬への距離が正確であると立証するすべはありません。
船を操る人々が所用時間を何更と正しく認識していたかもしれませんが、「何里」という地上での距離の幾許に相当するかという換算の妥当性は知る由もありません。
いっぽう、こびとの国まで実際に行っていないのに何里あるかちゃんと距離を書いた人物が実在します。

対馬や壱岐まで行った人間が海上の里程情報を残したかどうか不明ですし、残したとしても千余里という記録を書いた人間がその情報に基づいて書いたと見なし得る根拠もありません。更に、その情報が正確であるという保証もないのですから、結果として実際の地理とかけ離れている以上、侏儒国・黒歯国並みの精度以上は期待すべきでないでしょう。

99 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 17:54
>>96
森浩一は、今でも「九州説」の旗を降ろしてないんじゃないの?
もっとも、台与東遷説なんて苦し紛れに言ってるから、降ろすに降ろせ
ないってとこかも知れないけど。

100 :h:2001/07/12(木) 18:44
>>96=松本(B)

101 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 18:49
>>99 もう回顧録しかかけないロートルは員数外。
生きてるといえるのは奥野正男くらいじゃないの?

102 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 19:03
>>98
仕事で東海地方のある町に行った事があるけど、その街に住んでいるじいさんばあさんの中に身長150cmを切っている人が大勢いた。
もちろん爺婆人口の10%くらいだったろうけど。
そしてその町にある会社に行った時に勤めていたOLが又、140cm位だった。
その娘に聞いたら「この街には小さい人が沢山います。私のお父さんも小さいです。」
といっとった。
彼らは侏儒国の末裔なんじゃないか?
距離的には四国あたりが手ごろだが四国は行った事が無いので判らん。
四国から東海に移動したかも知れないし。
ミニモニなんかも侏儒国の末裔?(ワラ

103 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 19:18
コロポックルだから北海道です。

104 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 19:33
>>101
地元誘致派の高島、七田

105 :日本@名無史さん:2001/07/12(木) 22:45
>>102
小人国とは、姥捨て山であったか・・・

106 :日本@名無史さん:2001/07/13(金) 02:54
>>1
>その1は行方不明です。

行方不明のその1。

邪馬台国はどこですか?
http://mentai.2ch.net/history/kako/979/979141322.html


その他過去ログ

結局、邪馬台国はどこにあるの?
http://mentai.2ch.net/history/kako/962/962360733.html

結局、邪馬台国はどこにあるの?part2
http://mentai.2ch.net/history/kako/972/972725094.html

結局、邪馬台国はどこにあるの?part3 (現役)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=975949507

107 :日本@名無史さん:2001/07/13(金) 09:21
侏儒国は実在した?
何処かにそれらしい遺跡 残っているの?

108 :日本@名無史さん:2001/07/13(金) 14:17
竹光誠さんはどうなの。なかなか説得力ある九州派じゃない?

109 :日本@名無史さん:2001/07/13(金) 14:32
武光誠は「邪馬台国がみえてきた」(ちくま新書 )で考古学音痴がばれ
無残に信用失墜した模様

110 :日本@名無史さん:2001/07/13(金) 19:32
あの本はあまりに悲惨だった。ほかの著作はまともだ。
あれは学生にやらせたんじゃないのかと思う。

111 :日本@名無史さん:2001/07/14(土) 05:45
侏儒国age

112 :日本@名無史さん:2001/07/14(土) 12:57
>>110
あの本だけじゃないと思われ。。

113 :日本@名無史さん:2001/07/14(土) 15:46
あの本はさすがに程度が低かった。。。内容まちがいだらけだし。。

114 :日本@名無史さん:2001/07/14(土) 18:30
新しい歴史教科書を作る会の教科書並のドキュソ。

115 :日本@名無史さん:2001/07/14(土) 19:12
彼にはとくに偏向はないと思うけど

116 :日本@名無史さん:2001/07/15(日) 00:07
>>115
右、左はないかもしれないけど、九州説べったり。

117 :日本@名無史さん:2001/07/15(日) 19:17
>>98おーい鹿苑寺
侏儒国は実在したって言ってるぜ。
なんか反論しろや。

118 :日本@名無史さん:2001/07/15(日) 21:06
邪馬台国が朝廷から独立したくて勝手に金印貰っちゃったって言うのは駄目ですか?

119 :日本@名無史さん:2001/07/15(日) 23:22
固定ハン達はこのスレのレベルの低さに呆れて
去って行ったに1000銭

120 :日本@名無史さん:2001/07/15(日) 23:29
>>119
そりゃないだろ。夏休みモードじゃないの。

121 :119:2001/07/16(月) 00:41
>>120

そういえば夏休みだね。ゴメン。
ってゆうか、固定ハン達のレスを楽しみにしてるだけなんだけど。
とくに「通りすがり」ね。彼(彼女?)は面白い。

雑談でスマソ。

122 :無学:2001/07/16(月) 02:15
>>113
すいません、よかったら間違い箇所を指摘していただけますか。

123 :日本@名無史さん:2001/07/16(月) 02:46
三国時代の最も優れた馬は一日千里を走りましたが、何か?

124 :日本@名無史さん:2001/07/16(月) 06:40
>>123 ばか?

125 :日本@名無史さん:2001/07/16(月) 08:41
一日7,80km 走る馬がいても不思議はないだろ。
435kmとなるとトンデモだが。

126 :日本@名無史さん:2001/07/16(月) 08:49
で、千里走る馬がいるという文献はどこにあるの?

127 :日本@名無史さん:2001/07/16(月) 09:48
「昔昔、今は日向の國の妻、または都万とよばれる地域を中心に、のちに投馬國
などと魏志倭人伝に書かれた國があったそうな。博多の港から、東へそして南
へと海を二十日間も旅して着くような南の國だったそうな。キリシタンの暦で
いうと紀元二世紀ごろ、対馬、壱岐、北部九州に成立していた、大陸との航海
通商を得意とする海人族(後に宗像とよばれた部族)と、その親戚の瀬戸内海
人族、さらには出雲族までを投馬の「鬼道」「神道」ともよばれる天道信仰
のイデオロギーで合従連衡させ、とどめに南国投馬の兵の強さも幸いして、今
の近畿大和を制圧し、瀬戸内、北九州、山陰にわたる大連合国家を成立させた
そうな。ところがそのヒーロー投馬の征服王が死ぬと、せっかくの帝国連合が
分裂しそうになったのじゃが、日御子という投馬一族の娘をたて、ようやく大
和の三輪山の麓の新興王朝もおさまったそうな。大和の先祖の國、投馬の國は
その後も大和統一王朝の御先祖様の御国ということで、日向とも呼ばれ、大切
にされたそうな。そうそう、博多から大和へ行くには、先ず不弥、後には穂波
とよばれる駅を過ぎ、後に豊前の京都郡とよばれたあたりから船出すると、10
日ほどで、吉備の港に到着して、あとは陸行一月ほどで、大和入りじゃ。まあ、
大和が投馬の肝煎りの大連合軍で征服されたのが二世紀、倭国大乱の頃、その
後は再び日御子の死後、ちょっと揉めたが再び女帝をかついで丸く修めたという
ことじゃ。ところで、いつも帝国の西南辺境を脅かしていたのはクヌとかクマ
とかよばれた野蛮人どもじゃ。そいつらが皆殺しになったのは、三輪王朝より
はるか後のことじゃ。」(稗田の阿禮談)何?これオフレコ?。脚色するの?
太安萬侶さん?

128 :日本@名無史さん:2001/07/16(月) 12:49
そのころの大和って未開人ばっかじゃないの?

129 :日本@名無史さん:2001/07/16(月) 13:13
なんせ北部九州も首狩族じゃった頃だからのう。

130 :日本@名無史さん:2001/07/17(火) 19:47
「駿馬は日に千里を駆ける」は『史記』刺客列伝にもあるね。
常套句みたいだからいろんなやつに出てくるらしい。

131 :日本@名無史さん:2001/07/17(火) 19:53
業務連絡。業務連絡。
秋山彩香(あやか)さん、秋山彩香(あやか)さん、
いらっしゃいましたら

132 :日本@名無史さん:2001/07/17(火) 20:01
マターリしてていいね、ココ。

133 :日本@名無史さん:2001/07/17(火) 20:29
>>130
つまり三国時代には1里はどうこうだったって根拠には全くならんってことだよね。

134 :日本@名無史さん:2001/07/18(水) 11:32
なんと侏儒国は畿内にあった。
いや畿内にも侏儒がいたと言うべきか?
「日本書紀」の巻第三神武天皇(即位前紀己未年二月)の部分に神武天皇が畿内を
攻略する時、土蜘蛛と言う背が低くて侏儒に似た種族を不意をついて攻め滅ぼした
と書いてある。
侏儒国の記載があるから倭人伝は出鱈目、いい加減と言う意見は通らない。

135 :日本@名無史さん:2001/07/18(水) 12:55
400年以上あとに書かれた本だからなあ。
侏儒国のこととか書いたいろんな中国の本を読んだことのある世代の人が
書いてるんですよね、日本書紀って。
ただ単に歪んだ辺境・異民族観を共有してるってだけじゃないのかなあ。
どっちにしても、それぞれの史料の怪しい部分どうしを
擦りあわせるような方法論は、ムーっぽいていうか
興味本位本っぽいっていうか、あんまり通用しないと思う。

136 :日本@名無史さん:2001/07/18(水) 13:01
>>134
畿内でみつかる弥生時代の木棺は大きいから、神武東征は卑弥呼の時代より前ってことですか。やっぱり。

137 :日本@名無史さん:2001/07/18(水) 15:17
縄文時代や弥生時代の子供の遺体は甕棺に入れられていた。
子供の墓だと思われていた甕棺墓が実は侏儒国人だったのかも。

138 :日本@名無史さん:2001/07/18(水) 15:35
侏儒国って九州?

139 :日本@名無史さん:2001/07/18(水) 15:53
ちっこい壷棺しか出ない集落とかあったらそこが侏儒国・・・って
(そりゃ無いな・・)
星野アキノブが漫画に書きそう!

140 :日本@名無史さん:2001/07/18(水) 19:52
背の低い遺伝子を持った人も現存しているんだし、
侏儒国が無かったとはいえない。

畿内の甕棺って子供用の小さいものしか無かったと思うが?

141 :日本@名無史さん:2001/07/18(水) 21:01
いくらなんでも大人の身長が1〜1.2mってのは無いよ。

142 :日本@名無史さん:2001/07/19(木) 09:00
日本は雨が多いからね。
骨が残っていない事が多い。
侏儒遺伝子かあ。
侏儒の存在はなんとも言えないと言った所。

そう言えば黒歯国だって鉄漿がその存在の証かもしれない。

143 :日本@名無史さん:2001/07/19(木) 21:43
>>140
畿内の甕棺?どこで出てんだい?

144 :日本@名無史さん:2001/07/20(金) 10:58
畿内では壷棺と云うらしいよ。

145 : :2001/07/22(日) 02:23


146 :日本@名無史さん:2001/07/22(日) 06:56
>>144
大人用が甕棺、子供用が壷棺。
つまり畿内は子供用しかなかった。
土佐なんかも壷棺だし、四国に侏儒がいたかも知れないな。

147 :日本@名無史さん:2001/07/22(日) 08:22
あほか大人は木棺だろうが。妄想もたいがいにしろ!

148 :日本@名無史さん:2001/07/22(日) 12:03
>>146
デタラメこいてんじゃねぇよ。九州じゃあ、子供用の甕棺もちゃんとある。
壷と甕じゃ、土器の種類が違うじゃないか。

146は土器の違いもわからないドキュソ

149 :日本@名無史さん:2001/07/22(日) 20:43
それを言うならドキソ

150 :日本@名無史さん:2001/07/22(日) 22:54
くそ

151 : :2001/07/23(月) 01:23
通りすがり帰ってこーい

152 :日本@名無史さん:2001/07/23(月) 01:46
邪馬台国がどこだったかより、邪馬台国があった頃の
この国がどんなだったかを話したいな。誰かそういう
スレ作ってくれ

153 : :2001/07/23(月) 02:10
>>152
君が立てなさい。そして「通りすがり」を召還しよう。
そうすれば、そこそこ盛り上がると思うよ。

154 :日本@名無史さん:2001/07/23(月) 02:21
まあ、そういうこっちゃね

155 :日本@名無史さん:2001/07/25(水) 02:26
イミカ天皇ってなんやねん?

156 :日本@名無史さん:2001/07/26(木) 04:10
あげ

157 :日本@名無史さん:2001/07/27(金) 14:30
あげ

158 :日本@名無史さん:2001/07/27(金) 15:31
結局、「通りすがり」のようなコーディネーターがいないと
スレは盛り上がらんだろ・・・

159 :日本@名無史さん:2001/07/27(金) 15:31
ちなみに俺は158=153ね

160 :日本@名無史さん:2001/07/27(金) 21:24
ま、九州説からは具体的に九州説が正しいとする論拠が提示されたが、
畿内説からは九州説に茶々いれる位で整然とした論拠の提示が無い。

 「通りすがり」も九州説の正しさを認めて退場したんじゃないか?

161 :日本@名無史さん:2001/07/27(金) 21:48
まず何にためにこれを書くのかという動機を知り、
前提となる部分を読んでから倭人伝を読むべきだね。
東夷伝序文、韓伝、倭人伝という順番でいこう。

ところで、学者には東夷伝倭人条なんて書いてる
ドキュソが多いが、彼らの著書に載ってる写真には
ちゃんと倭人伝と書いてあるんだから面白い。大抵は
百納本三国志の該当箇所を接写してある。はっきり
「倭人傳」と見出しに出てるよ。

162 :日本@名無史さん:2001/07/27(金) 22:50
>>160
そういう嘘つくから相手にされないんだよね。

163 :日本@名無史さん:2001/07/28(土) 13:44
今から思うと原田大六先生は偉大だよ。自ら、世界最大の銅鏡「内行花文八葉鏡」
別名「八咫鏡」を発掘復元し、伊都国の王墓を確定し、自ら邪馬台国の比定に
挑み、笠井新也の説を認め、原田自身の澄んだ知性で邪馬台国は「大和三輪」、
卑弥呼の墓は箸墓だと言い切った。今やそれが定説となろうとしている。
旧制中学が最終学歴の日本考古学会正会員。真の学問の徒、真の考古学者。
いかなる権威もものともせず、トンデモ邪馬台国説は、たとえ考古学会の
「権威」の説でも、執拗に喰らいつき論破していった、喧嘩「大六」よ永遠
なれ。原田先生に言わせれば、九州説は当時既に一撃で埋葬された(笑)。

164 :日本@名無史さん:2001/07/28(土) 13:48
↑補足。そして何よりも素晴らしいのはその原田先生がコテコテの
九州人、福岡県人(伊都国人)であったことだ(笑)。

165 :日本@名無史さん:2001/07/28(土) 17:49
単に頭が悪かっただけ。

166 :日本@名無史さん:2001/07/28(土) 19:17
信念の強さと思い込みの強さは同じコインの裏表だし
基礎がないゆえの失敗もした。
でもやはり原田は偉人だろう。

167 :日本@名無史さん:2001/07/28(土) 21:40
信念あっても馬鹿は馬鹿。

168 :日本@名無史さん:2001/07/28(土) 21:44
原田のどこがバカだ!?

169 :日本@名無史さん:2001/07/29(日) 08:04
age

170 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 18:38
韓伝の韓地「方4000里」と調整のため一大国の「方300里」をつかって
一里が75m〜90mとだしたんですよ。それと谷本 茂氏がだした短里(約76m〜77m)
が近かったということです。私の立場は別スレの>335でもうしました。
別スレの>336でわびて下さったのにしつこかったようです失礼。





171 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 20:00
それは順序が逆でしょう。
先に倭人伝の解釈として実際の現代の地図から逆算して
一里が75m〜90mという単位が想定されていた。
しかし中国でそういう単位があったという文献的な裏づけが無かった。
そして探し出されたのが周牌算経だったということでしょう?

172 :日本@名無史さん :2001/08/04(土) 21:01
失礼、このスレで語り尽くされていますし簡単に書いてしまいました。
韓伝の韓地「方4000里」とありますね。南北は測定しずらい、帯方郡との境はわかりずらい。
南も倭地ですから。しかし、東西は両方とも海をもって限りとなすとあるので、
誤差をたっぷりとって300〜360kmでそれを4000里で割ると一里が75〜90mとでますね。
それをさらに一大国の「方300里」をつかい75として75×300=22500km。
一大国は大体22.5kmに内接する大きさです。75〜90mでも、より75mに近い数値をだしたわけです。
そこに、谷本 茂氏がだした短里(約76m〜77m)がでてきたと解釈していますが。

173 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 21:08
他スレから乱入。歓迎するぜ。
下がりっぱなしだったから。

このスレの厨房どもは「周髀算経」を完全無視してたからな。
もっと言ってやってくれ。

174 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 21:11
>論衡の記述から逆算すれば1里は何メートルとか複数ある中から
>魏志倭人伝の合いそうな約76m〜77mになるものを選んだわけでしょ?
>その逆算だって極めて怪しげなものだしね。
この説明が是非ほしいね。

175 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 21:52
>>172
つまり倭人伝と現代の地図を照らし合わせて逆算した短里が先にあって
谷本氏が周髀算経から短里を逆算したのが後でしょう?

176 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 22:07
>>175
谷本氏が周髀算経から短里をだしたのは後ですよ。
後は>172で書いたとうりです。
>倭人伝と現代の地図を照らし合わせて逆算した短里
どうゆうふうにだしたのか説明してくれますか。

177 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 22:31
>>176
それはまさに>>172にあなたがお書きになった内容のことを指しているのですが。

178 :通りすがり:2001/08/04(土) 22:36
>>177
韓伝は倭人伝じゃないよ !

179 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 22:50
倭人伝>一大国の「方300里」をつかい75として75×300=22500km

180 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 22:55
>>174
>174のような方法ではないということです。
もうけっこうです。

181 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 23:01
けけけけけ、人の感情を不愉快にさせることが、俺の仕事

182 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 23:19
>>180
古代中国にはいくつもの宇宙観があり
それらにはそれぞれの世界の広さという数字があるわけです。
普通なら「古代の人間は大地を実際より小さいものだと考えていたんだ」と思う。
ところが発想の逆転で「彼らの把握していた世界に広さは正しい。1里の単位が違うんだ」と考えれば
宇宙観のあった数だけ「短里」が誕生してしまう。おかしいでしょう?

それでは、なぜ論衡から1里を逆算せず、周髀算経から短里を産出するのか?
それはちょうど都合よく75mになるからにほかならないでしょう?
まさに、鍵に合わせて錠前を作っているのと同じじゃありませんか。

183 :日本@名無史さん:2001/08/04(土) 23:58
九州以外の日本のどこか。

184 :日本@名無史さん:2001/08/05(日) 00:44
>>182
韓地の方4000里から75〜90mってだしたんだろ。
そんで倭人伝で調整して75〜90mでは75mにより近い数値
としたんだろ。だったら論衡なんか関係ないじゃん。
周髀算経だって後からわかったことじゃねえか。
論衡から1里を逆算したらどんな数値がでるかおしえなよ。
複数あるんでしょ。

185 :日本@名無史さん:2001/08/05(日) 01:32
55mくらいですね。周髀算経だって後からわかったことですよ。
つまり75mはあくまでも韓伝や倭人伝から出した数字。
周髀算経はその数字に近いから持ってきただけってことでしょう。

186 :日本@名無史さん:2001/08/05(日) 05:26
周髀算経によれば夏至の正午に洛陽付近で八尺の棒(周髀)を垂直に立てた時の
影の長さは一尺6寸、そこから千里南に行ったところでは一尺5寸になる。
又北へ千里行くと影の長さは一尺5寸と書いてある。
南北にそれぞれ緯度が0,69°異なるので地球の半径で南方には76.9m、
北方には76.3m、平均すると76.6kmが千里である。

187 :日本@名無史さん:2001/08/05(日) 05:38
>>184
韓地の方4000里からは300km/4000で75mしか出てこない。
75〜90mという数字は「一海を渡る千里」の部分が狗邪韓国―対馬―壱岐―末盧國
の距離が微妙に違っているからだ。

あまり厨房な発言しないように。

188 :186:2001/08/05(日) 05:42
「千里行くと影の長さは一尺5寸と書いてある」は間違い。
「千里行くと影の長さは一尺7寸と書いてある」に修正。スマソ

189 :日本@名無史さん:2001/08/05(日) 05:47
186以外、周髀算経を見てないんじゃないの?
ちゃんと見てから発言したら。

190 :日本@名無史さん:2001/08/05(日) 10:08
見てるさ。
測定ポイントを明らかにしてないことも知ってる。
だから怪しげなの。

191 :日本@名無史さん:2001/08/05(日) 10:22
186も周髀算経を見てないと思われ
洛陽付近とは書いてない
そうだろうけど、書いてないのだ

192 :186:2001/08/05(日) 14:56
太陽の垂直からの傾きは夏至で11.3°となる。観測地点の緯度は北緯
35.3°となり、周の都があった洛陽のあたりとなる。

193 :日本@名無史さん:2001/08/05(日) 15:16
周髀算経には洛陽付近とは書いてないだろ?
つまり正しく引用してない。

194 :日本@名無史さん:2001/08/05(日) 17:48
8尺表に洛陽で1尺6寸の影が出来ることは古くから観察されています。
1尺5寸になる地点も判明しています。
周髀算経が怪しいのは、なのに測定地点ぼやかしている点なんです。
はっきり書いたらその距離が千里も離れていないことが明らかになってしまうからです。

195 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 05:32
だから千里を435kmとするから「変だ、怪しい」なんて話になるんで
千里が76,7kmなら何の不思議も無い訳だ。

一度「一里=400m程度」の呪縛から離れて考えてみれば?

196 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 06:00
千里=76,7kmを算出した根拠である周髀算経について
「千里が76,7kmなら何の不思議も無い」というのは
循環論法でしょう?

197 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 06:19
周髀算経が具体的な測定地点を一切明らかにしないことは
その記述が非現実的な思弁にすぎないことを端的に表しています。
ここがエラトステネスの科学性と決定的に差のついている点です。

198 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 09:01
>>196、197
おまえら馬鹿か?
計算すれば北緯35.3°位でそこが洛陽の緯度と一致するんだから
周の都であった洛陽と考えればいいのだ。

何がなんでも畿内説にとって都合の悪い証拠は否定したいと言う
畿内派の意図が見え見え。

199 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 09:05
洛陽であることは他の文献からもわかっていますよ。
問題になっているのは
「なぜ周髀は地名を書こうとしないのか?」でしょう。

200 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 11:02
地理書じゃないのに地名が必要な理由が判らん。

201 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 11:32
実測だという証拠がないんですよ。
ちゃんと文献批判しないで使うのは不可です。

202 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 11:47
>>200
地理書じゃないもん使うのが変じゃん!
ただの計算の例題で、現実の地理じゃないかもしれないでしょ?

203 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 12:47
>>200
地名が書いてないことが致命的なんです。
つまり、周髀では太陽の高さ8万里を算出していますが
その数字は実は蓋天説で既にある結論ですから
1寸千里によって高さ8万里が算出されたのではなく
太陽高度8万里から1寸千里が逆算されたことが解ります。

しかし千里南とは実際にどこであるかを
具体的に書いてしまうと、そこが千里先でないことが明白なので
周髀は地名を書けないわけです。

204 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 13:31
何が問題なのか。厨房にも判るように
「そこが千里先でないことが明白」な事を説明キボン。

205 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 14:10
影の長さ1尺5寸を図ったのは陽城で、洛陽から目と鼻の先です。
洛陽−陽城間を千里と記述する文献はありません。
文献に明記されている事項による限り、洛陽から南千里では長江に出てしまいます。
ゆえに当時の地理勘に照らせば千里先でないことが明白なのです。

206 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 15:11
太陽の高さ8万里、大地の南の果てまで1万5千里というのは
大地の中心にある陽城で8尺棒の影が1尺5寸という観測結果から
空想された古代の宇宙観です。
周髀は周代の人物に仮託した算術書ですから
時代を合せるためにこの古代の宇宙観を使いました。

ところが、この宇宙観を正しいものとして現代の知識で逆算すると
必然的に北回帰線まで1万5千里ですから
100mに満たない1里が誕生してしまうわけです。

洛陽では影は1尺6寸ほどですから、当時の人の知識でも
実態と合わないことはわかります。
だから地名が出せないわけです。

207 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 16:14
>洛陽−陽城間を千里と記述する文献はありません。

洛陽−陽城間は実際は何キロあるの?

>文献に明記されている事項による限り、洛陽から南千里では長江に出てしまいます。

だから435mを前提として周髀算経が間違っているでは議論にならん。
435mが正しいか76mが正しいかを議論しているんだから。

初めから違うカギ持ってきて合わないから錠の方が違うと言っているようなもの。
二つカギがあってどちらが錠に合うカギかを論じるのが議論だろう。

208 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 16:30
>>207
なんか根本的に勘違いしてない?
洛陽から陽城まで千里って文献はないんでしょ?
洛陽から長江まで千里って文献はあるんでしょ?
だったら435mには裏付けがあるけど
76mにはないってことだよね。

209 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 17:58
>>208
秦始皇帝が「六尺、歩となす。」といってから、
1里=300歩=1800尺=約435mとなったのではないでしょうか?
それ以前の周において1里が約435mだったとは限らないのでは。

210 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 18:57
「漢書」漢は北に匈奴を退けること万里(賈捐之伝三十四下)。長城から秦漢の里で
1万里行くと北極海に達してしまう。
北方一万里とある匈奴は蒙古高原にいた訳で、万里の長城から7,800kmが
妥当という事もわかる。
または長安から現在のモンゴル国境あたりまででも7,800kmになりこちらを
とってもいい。
漢、又は後漢の時代でさえ、いわゆる短里というのが存在していた可能性が高いと
言える。

211 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 19:14
とりあえず谷本氏の魏志倭人伝と短里(周髀算経の里単位)の最後の部分を貼っとく。

「周髀算経」の天文観測の数値は、実測値と机上の計算値が混在してはいるが、
いずれにしても、一寸千里の法を公理的命題として、一貫して同じ里単位が使われている。
幸いにも、一寸千里の法の根拠が挙げられていることにより、我々は一里が何メートル
であるか正確に知ることができる。
南北に各々千里離れた三地点で夏至の日の影の長さが分かっているのであるから、
三角法の簡単な計算により、観測地点は北緯約三十五度であり、一里は約七十六ないし
七十七メートルと知ることができる。勿論観測の誤差などを考えれば、有効数字としては
慎重に処理しなければならないにしても、従来知られていた約四百〜五百メートルの里
とは明らかに異なる里単位である点を確認することが重要である。

212 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 19:52
>>210
「北に匈奴を退けること万里」って修辞の典型でしょ?
実際一万里って話じゃないよ、それ。

213 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 20:30
そうですね。
>>210の引用する賈捐之伝の言葉は、彼が皇帝に奏上した中で
漢の最盛期を讃える部分です。伝統的に戦果は誇張するものです。

それに、そのほんの少し前の部分で賈捐之は
「行軍は一日30里を行くもの。朕ひとり千里の馬を手に入れても先に行ってどうする。」
という文帝の言葉を引用しています。
ここでは「千里の馬」というのが比喩的誇張表現で
「行軍は一日30里」が実態です。

軍隊が一日2キロちょっとしか行軍できなかったら戦争は無理です。
古典を読むには比喩や賛辞と実質のある数字をちゃんと区別しないと
めちゃくちゃな解釈になるので注意すべきです。

214 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 20:43
こりゃ決定的だ。
同じ人間が続けて話しながら短里と長里ごちゃごちゃに使ったりしないよね。

215 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 20:51
潜中、天柱山あり。高峻二十余里。(魏志、張遼伝)

216 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 21:36
>>215
そこで切るのは誤訳です。
潜山の山中に天柱山がある。高く峻しく二十里あまりの道は険しくて狭い。
だいたい山脈の中にある山ですから海抜を測るのは無理です。

217 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 21:41
文穎曰く「(介山)其の山特立し、周七十里、高三十里」。(漢書、武帝紀)

218 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 21:46
>>211
>「周髀算経」の天文観測の数値は、実測値と机上の計算値が混在してはいるが、
>いずれにしても、一寸千里の法を公理的命題として、一貫して同じ里単位が使われている。

周髀は円の面積を求める問題や太陽の大きさを求める問題などを
周公と数学者の会話という仮託で解説した古代数学書です。
これが天文観測であると解釈することには問題があるでしょう。
まさに蓋天説の宇宙理論から演繹された一寸千里の法を
「公理的命題」として天動説の立場から太陽の高さや大きさを算出しています。
この「公理的命題」が観測の結果であるとすることにはなんら根拠がないのです。

219 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 21:57
>>217
周七十里、高三十里の山が1里75mとすると
周囲5,250mだから山のむこうからこちらまで直径1,671m。
高三十里が高さ2,250mだから、高さが底辺の1.35倍という凄じい山ですね。
そんな山、河北省河東郡にあるでしょうか?地図にはありません。
介山は介子推が老母と山篭りしたところです。
2千m級の険しい山?違いますねえ。
山頂までの山道が三十里なのです。

220 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 22:07
誤:河北省河東郡→正:司州河東郡

221 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 22:10
>>218
ええ、そういうことも全部書いてます。何分長いので最後の部分だけ載せた
私がわるいんです。ところで「周髀算経」における一里は何メートルなんでしょう。

222 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 22:30
作者、成立年代ともに不詳ですからなんとも言いにくいですが
400m前後と考えて大過ないと思います。

223 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 22:40
>222
>幸いにも、一寸千里の法の根拠が挙げられていることにより、我々は一里が何メートル
>であるか正確に知ることができる。南北に各々千里離れた三地点で夏至の日の影の長さが
>分かっているのであるから、 三角法の簡単な計算により観測地点は北緯約三十五度であり、
>一里は約七十六ないし 七十七メートルと知ることができる。

そもそも、この計算方法は間違っているということですね。

224 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 22:48
正確に言うと、計算方法が間違っているのではなく
観察事実でなく「公理」(というより「思想」)である「一寸千里」を
現実の地球にあてはめる方法論が間違っているということでしょう。

225 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 22:57
さらに言えば、「一寸千里」という「思想」は
「王畿千里の思想」にほかならず
曹操あたりなら腐儒的思弁と両断したのではないでしょうか。

226 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:00
>>224
「一寸千里」の法は現代の我々の知識からすれば、なんとも幼稚極まりないし
その方法の誤りも明らかであるが、ともかく、古代の中国人は、一寸千里の法
により天地の大きさを具体的に知ろうとしたのである。と谷本氏本人もいってます。
南北に各々千里離れた三地点がわかっているんです。一里は何メートルですか?

227 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:26
一里は400m前後です。
「一寸千里」原理と現実の乖離を知っていたからこそ
南北に各々千里離れた三地点を敢えてぼかしたのが周牌算経です。

228 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:30
>>227
わかりました。

229 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:35
>>227
>南北に各々千里離れた三地点で夏至の日の影の長さが
>分かっているのであるから

おまえ気が狂ってるね。

230 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:35
古代の中国人が一寸千里の法により天地の大きさを具体的に知ろうと
したのではなく、天地の大きさについての伝説的知識から
一寸千里という原理が演繹されてしまったのです。
周牌算経は話者を周人に仮託したフィクションにしたため
この原理を使わざるをえないわけです。

231 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:39
>>229
観測事実であると証明できる要素が皆無である以上
>分かっているのであるから
とは言えないわけです。
王畿は千里であると書かれていたら周王の領土が千里四方であると
いうことにならないのと同じです。

232 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:40
周髀算経の観測のよる北極四星の動きは「前1122年前後100年
ばかりの間は可成り正確に観測し得たと思はれるもので、その頃の観測
の伝承と見るべきものであると天文学者の能田忠亮氏が「周髀算経の研究」
で書いてるんだと。

233 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:47
書物の記述と現実の地理とが合わないとき
「単位が既知のものと違うのだ。この新発明の単位を使えば合う!」
という発想は、例の倭人伝の解釈の発想と同じです。
同じ方法論で得た結果で相互を証明し合おうというのは
ミュンヒハウゼン男爵が髪の毛を上に引っ張って空を飛ぶ原理と同じです。
短里は存在しません。

234 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:47
周髀算経について「その書物の大部分が(中略)戦国時代(前4世紀後期)か
あるいはそれ以前にまでさかのぼることを信じないのは困難である」。
ジョセフ・ニーダム著「中国の科学と文明」第一九章

235 :日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:55
>>233
>南北に各々千里離れた三地点で夏至の日の影の長さが
>分かっているのであるから

さて、一里は何メートル?

236 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 00:10
>>234
しかし今や、「周髀」が前1100年頃の数学の非常によい記録を残しているという伝統的な評価に固執する人は誰もいない。
ジョセフ・ニーダム著「中国の科学と文明」第一九章

237 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 00:11
>>235
分かっていると言えますか?

238 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 00:16
たいした連中だ。もう寝るよ。

239 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 00:21
周髀算経って見たことないから、あれだけど・・・

これについての議論て、いつでもどこでも判を押したみたいに同じ。
切り札として

>潜中、天柱山あり。高峻二十余里。(魏志、張遼伝)

が出てきて、それが誤読だと指摘される。
出典が一つで、それを鵜呑みにした連中が騒いでるだけみたい。

240 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 00:48
出来の悪いネタ本でも流布してるのかな。

241 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 16:27
>>233
記述と実際が違っているから出鱈目だと言うのもどうかな?
記述した方はまじめに正しい記述をしようとした筈だし。

確か同時代に同じように正史をかいた人物がいて珍寿の三国志を読んで
感銘し、自分の書いた史書は破り捨てたとか言う逸話が有ったと聞く。

かなり信憑性が高いと見なければならないと思う。

242 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 17:03
誰か出鱈目だと言った人、いる?

243 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 17:08
珍寿の三国志は出鱈目な本だと思われ

244 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 17:18
ちょっと質問なんですけど、九州説の人は短里をもちいてとりわけ原文改定などせずに
邪馬台国を九州としているわけですけど、近畿説の人はどうやって邪馬台国を近畿に
もってくるんでしょうか。僕は約5倍に誇張してると思うので、1/5にして九州にもって
くれば良いと思います。近畿説のひとはどうやるんですか?

245 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 19:36
水行二十日+水行十日陸行一月
だいたい、伊都や奴のあたりから邪馬台まで○○里なんてどこにも書いてない。

逆に、九州におさめようと思ったら

『水行二十日+水行十日陸行一月』を無視するか、
『水行二十日』を無視して『水行十日陸行一月』を帯方からの総日程と誤読するか、

あるいは、誤読と承知のうえで、

やはり『水行二十日』を無視して『水行十日陸行一月』は帯方からの総日程と言い張る(原文の誤りとする=原文改訂に当たる)か

しかない。どれにしても無理があり過ぎる。

246 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 21:10
倭人伝も含めてだが漢文は冗長を憎み、簡潔なるを是とする。
重複する記載はしないのが常である。
邪馬台国までの総距離が示されている以上、不弥国−邪馬台国間の距離
を記載すれば重複する事になる。
書かないのが普通なのだ。

又、同じ行程を里と日数の両方で書いた例もあるので『水行十日陸行一月』
は帯方からの総日程としても何ら問題あるまい。

247 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 21:21
そんな例は無いよ。普通じゃなくて狂ってる。問題おおありだ。

248 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 22:06
漢文読めないことが九州説たるものの第一の資格だもんね。

249 :日本@名無史さん:2001/08/07(火) 23:54
三国志にしても周髀算経にしても、九州説の皆さん、原文を読んだことがありますか?

250 :西都原古墳:2001/08/08(水) 01:08
漢文を”正しく読めないヤツ”が畿内説の資格を持つ。

251 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 01:19
その”正しく”ってのがミソだね。
漢学者も中国人も口あんぐりの珍解釈を
臆面もなく”正しく”と称するわけだな。
そういや「師古曰」を「いにしえの師いうに」と読んだ噴飯マンがいたっけ。

252 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 01:27
無知も九州説のお家芸だ。
「三角縁神獣鏡は直径50cmもあり、こんな鏡は中国には無い」
と言った脳梅系九州者も実在する。

253 :ぶらぶら:2001/08/08(水) 01:56
まあこれが本当かどうかはわかりませんが、明石散人の『謎ジパング』(講談社文庫)という本には・・・
@明王朝以前の中国は日本列島をどうやら南へ90度も取り違え、会稽東冶の東にあると考えてた(青山定雄・「元代の地図について」『東方学報』より)。
A倭人伝の記事に戸数が「七万余戸」とあるが・・・
 公孫康に敗れた高句麗が三万戸、卑弥呼と同時代の公孫淵が四万余戸で三十余万人。この換算だと卑弥呼の国は五十余万人の大都市。
B当時朝鮮半島の三韓の王は「候」、公孫氏は「公」。卑弥呼だけが「王」。
以上(まだ他にも理由があるのですが省略。知りたい人は本読んで)から・・・
呉の背後にあたる会稽東冶の東に卑弥呼の支配する「水行十日陸行一月」の広大な領土を領有し、しかも何十万もの人口を有した大国家がある
という事になる。倭人伝が引用した魚豢の『魏略』はもともと呉側に読ませるという前提で書かれた文献なので、つまり呉の東に魏によって「
王」に奉じられた大国があるぞと脅しをかけているようなもんだという事です。
そういえば渡部昇一だったかも誰かとの対談の本でそないな事言っていた様な気がする。

まあとにかく正確な場所云々よりも、呉の東に魏側の大国があるぞという事らしいです。

254 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 02:38
距離とか戸数とか、実数のはずが無いジャン
大体、書かれたのは晋の時代で司馬氏が皇帝だろ?
しかも作者はのパトロンが司馬氏だし。

大月氏国が朝貢してきた時の窓口が曹氏でしょ?
のほぼ同時期に邪馬台国の朝貢の窓口は司馬氏。
大月氏国が遠いとこからきてこれだけの戸数がある。
なら、邪馬台国も戸数及び距離を後世に作者が誇張するのはありえるだろう
大体,距離を誇張するのは充分考えられても,方向を間違えるか?
太陽見りゃ一発だろう。戸数は機内だってあんなの無理だ。

結論としては司馬氏のために曹氏と同じくらい遠くて大きな国から
司馬氏の徳をしたって朝貢にきた国がある
という風に陳寿が距離と戸数を誇張した
普通に考えれば九州だ
九州説も変な解釈持ちこむから馬鹿にされるんだ

255 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 05:35
短里75mというのを信じてる方々、一歩は25cmだと思ってるんですか?

256 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 06:01
長里435mを信じている方々、釜山−唐津間を1500kmだと思っているんですか?

257 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 06:13
ただの雑な記録でしょ?

258 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 08:51
邪馬台国は不淫。
大和は淫。したがって 邪馬台国≠大和。
これ常識。

259 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 09:14
あんまりレベル下げないでね。おねがいだから。

260 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 13:50
大和の先祖アマテラスは弟スサノオと近親相姦して子供膿んだ。
凄い淫。
邪馬台国は「其の俗淫ならず。」

したがって 邪馬台国≠大和。

261 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 14:18
アマテラスが弟スサノオと近親相姦した現場の天安河は九州。
そのアマテラスの生まれは筑紫日向の橘小門。
邪馬台国は「其の俗淫ならず。」

したがって 邪馬台国≠九州。

おー ・・・自滅!

262 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 17:03

中国の史書に邪馬台国の記述を見つけた大和政権が、中国向けに
昔から中国と交流の有った九州の邪馬台国になりすまそうとした
のが記紀の記述。

>アマテラスが弟スサノオと近親相姦した現場の天安河は九州。
>そのアマテラスの生まれは筑紫日向の橘小門。

実は高天が原も天孫降臨もすべて畿内で起きた事。
古事記に記載された大和の淫乱ぶりは恥ずかしくて子供に
聞かせてやれない。
そして大和人は国書に自らの淫乱ぶりを載せて恥ずかしいとも
感じないドキュソ。

邪馬台国が大和である筈がない。

263 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 17:25
そんじゃ
「記紀を読む限り創世神話は九州の話だから邪馬台国は九州としか考えられない」
って言ってる九州説の面々はみんなご臨終ね。
謹んでおくやみ申し上げます。

264 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 19:02
>>262
九州説のつらよごしだから少し黙っててくれる?

265 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 19:14
>264
アンタ畿内信者だろ。

266 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 19:17
僕はれっきとした宇佐説だ。あんたは九州説の恥。

267 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 22:32
東征論か?安本信者?(ワラ

本当かどうか、試してやる。
どうして宇佐にあると思うんだ。逝ってみろ。

268 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 22:47
>>267
宇佐なら水行十日陸行一月が該当する。
女王國東渡海千餘里復有國皆倭種だから東は海。
組合せ式石棺の古墳があり有棺無槨封土作冢が該当。

?(ワラ って何だよ。なんで宇佐と安本信者が関係あるの?

269 :izawaの駄洒落にもううんざりがに:2001/08/08(水) 23:27
邪馬台国は西原!!!!
(九州で一番大きな古墳がある)

270 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 23:30
西都ばかうざい(しかも間違ってる)

271 :西都原のサイト:2001/08/08(水) 23:38
西都バカ→西都バラ
オマエモナー>>270

272 :日本@名無史さん:2001/08/08(水) 23:59
ああ!九州説の恥が二人も来てしまった。カナシイ。

273 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 00:07
269=271
「西都原」は、さいとばる、と読む。お分かりかな?地家君。

274 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 00:31
九州以外の日本のどこか

275 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 00:41
>>268
これでなぜ宇佐なのか、ようわからん。
まっ、せっかく出てきたんだ。
262と九州説同士でじっくり議論して見てくれよ。楽しみにしてるからさ。

276 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 00:56
沖縄周辺で発見された海底遺跡かも?

277 :267:2001/08/09(木) 05:27
>268
>宇佐なら水行十日陸行一月が該当する。

邪馬台国が宇佐なら上陸地点から順を追って地名比定してみよ。
水行十日陸行一月についても詳細を。

記紀を邪馬台国と結びつけて万世一系論を唱えるウヨは単なるアホ。
記紀に記された風俗は魏志倭人伝の邪馬台国の風俗とはあまりにも異なる。
記紀にしろ、巨大な前方後円墳も畿内が邪馬台国で無い証拠でしかない、
と言う事が判らんやつは厨房。

278 :厨房:2001/08/09(木) 09:28
>>277
>巨大な前方後円墳も畿内が邪馬台国で無い証拠。。

やる気があるなら論証して見てよ! ちょっとした暑気払いになるかも知れん(藁
ただし円墳と前方後円墳はチョト違うなんてレベルは勘弁してくれよな!

279 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 10:24
魏志倭人伝によれば倭人は「封土作冢」(土を盛って冢を作る。)だ。
前方後円墳はほとんどが葺石で覆われている。
魏人が葺石積んだ前方後円墳を見て「封土作冢」というか?
「積石爲封」(石を積んで封となす。)だろう。
従って前方後円墳こそ畿内が邪馬台でない証拠なのだ。
三世紀に前方後円墳がなかった地域が邪馬台国なのだ。
解ったかね。

280 :厨房:2001/08/09(木) 10:57
>>279
おいおい。積石と葺石とは根本的に違うんだぜ!
お前さん、邪馬台国に行って「墓はどのように造るのか?」って聞いて
ご覧よ。「土を盛って冢を作りますが、その上から葺石で覆っておりま
す」って答えるんじゃないのか?
もっとも、纏向の石塚・黒塚が完全に葺石で覆われていたかどうかも問
題だし、これらが3世紀前半だとしたら、那珂八幡も3世紀の可能性が
あるかも知れんので念のためにな!

281 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 11:38
>>280
問題は魏人がそれを見てどう思うかだろ。
石が積んであるようにしか見えんだろ。
ホケノ山なんか全く土を盛ったという感じではないな。
木槨の周り石で囲われている。
土を掘って取り除きそこへ石を埋め込んだという感じ。
纏向では墓が巨大化した為に石が不足し、古い墓から石を剥がして
新しい墓に付け替えた可能性有り。
古そうな墓に葺石がないのはそのため。
初瀬川で取れる石は多寡がしれてるし。

282 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 11:42
きっと聞きかじりだけだから
葺き石のない前方後円墳がたくさんあること知らないんだよ。
だけど、土を盛って冢を作るっていうのは方形台状墓のことだよ。
だって葬式が終ったら家族で水浴び(ミソギ)するって書いてあるもん。
前方後円墳じゃなくて一般人の墓のことだよ。倭人伝読んでないんだね。

283 :厨房:2001/08/09(木) 11:54
>>281
ダカライッタジャヤナイノ! 魏使は倭国に滞在してんでしょう?
それなのに見た目だけで、石が積まれていると判断するって決まってる
って言うの? 普通は造営法を聞くでしょうが!
あるいは造営中の墳墓を観察する機会だって無かったとは言えないのよ!

纏向から石を剥がしたって? アンタ戦国時代の築城と間違ってるんじゃ
ないの? そんなのは何の根拠もないアンタの妄想に過ぎないよ!

284 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 12:15
>>282、283
魏国内にもない巨大な墓がいくつも有ったら倭人伝に記載してない筈はない。
魏志は墓制に並々ならない興味を持って記載しているのだから。
造営中の墳墓を観察する機会は確かにあったかもしれないが、箸墓が卑弥呼の
墓ならその前から石塚や勝山やホケノ山など沢山魏に比べて大きい墓が有った
事になる。
倭人伝にその記載がない事は魏人が邪馬台国にいる間に卑弥呼の墓以外には
魏国内より大きな墓はなかった事になる。

285 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 14:06
魏国内にはどでかい漢皇帝陵がいーぱいあります。

286 :厨房:2001/08/09(木) 16:12
>>284
一つずつ片づけようヨ。取り敢えず、積石と葺石の問題はワカッタのね?
(本当は見ただけでも、大凡その違いは分かるんだけどね。。。)
だから「封土作冢」ってのが「証拠」にはならないってことで良いよネ!

石塚等の葺石を引っ剥がしたってのも、箸墓の葺石は遙か二上山付近か
ら運ばれたってこともほぼ確実だし、アンタの妄想のレベルに過ぎない
んであって、何の「反論」にもならないってことも分かるよネ!

で。。。今度は、石塚・黒塚・ホケノ(那珂八幡も入れとく?)のよう
な大型古墳を魏使が見れば、記述しない筈がないってこと?
これは >285で了解できるよネ?
確かに魏には薄葬令があったけど、チャイナには始皇帝陵初め漢帝陵や
その縁者の巨大古墳があるから、魏使にしてみりゃあ石塚レベルで驚く
こともないってことも言えるネ。だから、これだってとても「証拠」な
んて言えるもんじゃあないってことも分かるだろう?

はい。。。次なる「証拠」は一体何だろう?
厨房としてはこんな子供騙しのような「証拠」じゃやなくって、モチット
まともなのを期待してんだから、せいぜい頑張ってみてチョ!

287 :西:2001/08/09(木) 18:49


288 :267:2001/08/09(木) 19:42
大きな漢皇帝陵が中国にいっぱいあるから珍しくないだと?
屁理屈だね。
風俗について自分達と似ているとかまで書いてあるのだ。
魏の墓制と違って巨大な墓があれば記載するに決まっている。
前にも言ったように墓制に異常な興味を持っていたのだから。
言い古された事だが、有棺無槨と言う記述にも畿内の前方後円墳は
あっていない。

那珂八幡が唯一、三世紀九州の大きな墓なら卑弥呼の墓と言う事で
決まりだが△鏡が出ているから4世紀の墓だろうね。
確か無槨だった?この辺はうろ覚え。

漏れは明日から旅行に行くんで今日はもう寝る。
後はよろしくね。

289 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 19:50
箸墓=卑弥呼の墓=神宮皇后の墓ってこと?

290 :u9oiytgf:2001/08/09(木) 20:08
http://www.himawari.sakura.ne.jp/%7Eloveseat/index.html

291 :日本@名無史さん:2001/08/09(木) 23:03
>>288
あのね。「記載してない筈はない。」「記載するに決まっている。」たって、そり
ゃあアンタの主観的判断なのよ!
魏の墓制と違うったって、それはチャイナ伝統の墓制に反した、いわゆる薄葬令に
よるものだから、薄葬令なんてものとは無関係な異国において、石塚・勝山レベル
の大型墳墓があっても別に特筆するほどのことはなかったって言う判断も充分あり
得るんだよ。だから石塚・勝山の記述がないなんて何の「証拠」にもなりゃしない!

確かにホケノ山には槨があったが、その他の多くの前方後円墳には槨が確認されて
いない。だから有棺無槨の記述にあってないなんてことも言えんのよ!

まあ、モチットましな「証拠」を持って出直しといでよ。。。期待してるぜ!

292 :日本@名無史さん:2001/08/10(金) 01:36
やれやれ、やっぱり九州説同士の議論は見れないのか。
残念。

293 :日本@名無史さん:2001/08/10(金) 16:27
既出で悪いが夏厨的質問。

卑弥呼の母親は「スセリ」という名前らしいが
これは古事記の「スセリ姫」と繋がらないのだろうか?

294 :日本@名無史さん:2001/08/10(金) 16:30
なんやそれ? どっから出てきた話?

295 :日本@名無史さん:2001/08/12(日) 01:19
奈良板
http://kyoto1.ceo-jp.com/kinki/yamato/index.html
遊びにきてよ〜

296 :解決黒頭巾:2001/08/12(日) 02:15
卑弥呼は公孫氏の娘。

卑弥呼の墓は西都原の男狭穂塚(150mの円噴)

297 :日本@名無史さん:2001/08/12(日) 13:26
また根も葉もないでらためをよく言うよ(溜息

298 :日本@名無史さん:2001/08/12(日) 14:27
精神障害者が紛れ込んでいるね

299 :日本@名無史さん:2001/08/12(日) 21:43
しつもん 狗奴国は何処に在ったのか。

300 :日本@名無史さん:2001/08/12(日) 21:49
300げっと(でもなぜかうれしくない)
>>299
1、南九州(邪馬台国北九州説)
2、四国南部(邪馬台国九州南部説・邪馬台国吉備説)
3、和歌山あたり(邪馬台国畿内説)

301 :日本@名無史さん:2001/08/12(日) 21:58
>>300
4.美濃・尾張から東海地方(邪馬台国畿内説)
ただし、陳寿あるいは陳寿の見た史官の記録において、東と南が誤解
されていたと考える。

302 :電波男:2001/08/12(日) 22:16
>>299
4.浜名湖東方〜天竜川
通常、狗奴はクナと読まれるわけだが、これが中古音ならクナではなくクノである。
狗奴の読みがクノであれば、熊襲からの馬鹿げた連想ゲームによる九州南部説は消える。
この、静岡西部は久努国造のクノである。
この地は、関東と畿内を結ぶ交通の要衝であり、この交通路をめぐっての関西以西とのいさかいは考えられる。
ただ一つの大きな問題は、全く知名度がないことだけ。世に出る前の陸孫と似たようなものか?

303 :電波男:2001/08/12(日) 22:17
>>302
スマソ。5番目でした。

304 :研究者:2001/08/12(日) 22:39
 いや邪馬台国でやまと国と読むのだろう。だから、邪馬台国は奈良県の箸墓古墳の付近で、既に崇神天皇の頃の大和朝廷が成立していたのでは。
 最近、年輪測定法で、卑弥呼の時代は弥生時代というより、古墳時代という説が有力だそうですし。でも、あの頃は魏志倭人伝の通り、牛や馬
は日本にはいないということらしいが。その証拠にその時代の地層から、牛、馬の糞と骨などが見つかっていないらしい。

305 :299:2001/08/12(日) 23:02
>>300 さん 丁寧にご説明頂きありがとうございます。
実は、私は邪馬台国>>大和南部説支持(特に論拠と言えるものは
無いですが)者です。
しかし、狗奴国は九州の可能性を否定しません(同じく論拠無し^^;)
狗奴国の官(狗古智卑狗)は、キクチヒコと読みたいのです。
卑弥呼の読み方も結論出てないようですが、
彼についての論点も出尽くしているのでしょうか >>ALL

306 :日本@名無史さん:2001/08/12(日) 23:04
伊勢神宮です

307 :日本@名無史さん:2001/08/12(日) 23:12
邪馬台国についての新説。

http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/

308 ::2001/08/13(月) 00:18
新説?

309 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 00:24
>>301
>陳寿あるいは陳寿の見た史官の記録において、東と南が誤解
されていたと考える。

どうやったら東と南を誤解するの?太陽をみればすぐにわかるし、
船乗りが方角間違えるかな?間違えたら死ぬよ。
それに陳寿や史官達が「東」と「南」という字を見間違えるかな。
何度も確認するでしょう。

310 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 00:39
>>309
でも伊都国>奴国の魏史の路程は実際の方位とずれてまよね。
(ガイシュツでしょうか)

311 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 01:35
外出だと思うが、
もう一度、魏志倭人伝の原文を載せてみせてくれ

312 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 01:44
奈良盆地の東南部しかないだろ。どう考えたって。

313 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 01:47
>309

俺も確かにそう思うんだよ。
でも、昔の日本書いた地図って、九州から本州へどんどん南に書かれてるんだよ。
何でなんだろ。方角90度間違えるなんて本当に不思議なんだが。

314 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 03:28
>>311
原文(といっても石碑だが)といえるほどのものはないと思われ。

315 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 03:52
>>313
とすると、魏の使いは最初、「東」と報告してきた。
陳寿や史官達は地図を見ながら、実際に倭に行って来た魏の使いの報告
は間違いとして「東」を「南」に書き換えたということか。おもしろい。

316 :315:2001/08/13(月) 04:14
(訂正)「南」を「東」に書き換えなくても済むわけだ。
でも陳寿の時代の話し?

317 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 04:20
>>316
なんで訂正するんですか。眠いの?

318 :315:2001/08/13(月) 05:02
訂正する必要ないね。寝ます。

319 :>309:2001/08/13(月) 14:18
魏志倭人伝
『始度一海、千餘里至對馬國。(略)又【南】渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國』

隋書倭国伝
『經都斯麻國、迥在大海中。又【東】至一支國』

320 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 14:44
まあ太陽がどっちから照ってようが間違いは史上に腐るほどあるんで
間違えるハズガナイ!ハズガナイ!は空念仏ちゅーことや。

321 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 22:00
>>九州説
1里が何メートルであっても奴国>女王国の経路にどんなルートを選択をしようとも
魏史の玄海灘沿岸諸国の路程にかかる方位記載が90度ずれてることは事実なので、
「東と南を間違えたり、書き換えたりしない」とは言えないですよね。

322 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 22:24
伊都国が前原だと認めないという奥の手があるけど
そりゃ自らトンデモ説だと自供したのと同じだな。

323 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 22:26
大和は何時から「ヤマト」だったの?
8世紀に大和「ヤマト」という名前であっても3世紀の邪馬台国とは
関係ないんじゃないの?

324 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 23:05
大和が以前「ヤマト」じゃなかったと証明できなければ
3世紀の邪馬台国と関係ないとは言えない。
言えなければ、少なくとも8世紀には
「邪馬台」とよく似た発音の地名が奈良にあって
そこに3世紀頃から大きな勢力があったという事実が残る。

325 ::2001/08/13(月) 23:12
「ヤマト」=大和
「ヤマト=大和の古記録」 稲荷山鉄剣のワカタケル大王を
磯城の宮の雄略幼武(倭王武)だと認めて頂くこととして、
そのまま、倭王讃まで同地で逆かのぼらせて見ると
だいたい5世紀初頭まで。
現有文献では、これが限度ですね。
後は、新たな金石文系資料の発見を待つしかないです。

326 :日本@名無しさん:2001/08/13(月) 23:14
>>323
魏の時代の「邪馬台」の漢字の発音(中古漢音)では「ia-mba-tao」。
おそらく「ヤマト」に最も近い発音の漢字を使用したのでは?

原田実氏は「優曇華の華さく邪馬台国」で「ヤマト」の語源を
サンスクリット語の「ヤヴァ・ディーパ(耶婆提=稲穂の州)」
と仮定。(インドネシアのジャワ島も同じく「ヤヴァ=稲穂」が語源)

日本の別名「瑞穂の国」という言葉と関係あるようなないような・・・・

327 ::2001/08/13(月) 23:25
無いっす。

328 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 23:26
大馬鹿ちゃんりん法螺吹きぺーの言うことは
相手の言い分はどんなに根拠があっても
「そうとは限らない」「そうとは言い切れない」でかわして
自分の言い分はなーんも根拠が無くても
「でないとは言い切れない」「おおいに可能性がある」でイケイケなんだよね

329 :日本@名無史さん:2001/08/13(月) 23:27
>>327
無いよな。

330 :日本@名無しさん:2001/08/13(月) 23:36
>>326
大野信者か?

331 :日本@名無しさん :2001/08/13(月) 23:47
>>326
あってもなくてもどうでもいいや。電波って事で鑑賞しよう(藁)

332 :326:2001/08/13(月) 23:51
まあ!失礼ね!プンプン(`д´)

333 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 00:07
大野晋者とか?

334 :ジャワ@猿人:2001/08/14(火) 01:02
>>326さんの言いたいこととは、直に関係ないすけど
邪馬台国ジャワ島説の方がいらっしゃいましたよね。
確か、倭人伝の記載どおり船だか筏だか南に南に行くと
1ヶ月でジャワに着くとか。

335 :301:2001/08/14(火) 01:25
>>309

>どうやったら東と南を誤解するの?太陽をみればすぐにわかるし、
>船乗りが方角間違えるかな?間違えたら死ぬよ。
>それに陳寿や史官達が「東」と「南」という字を見間違えるかな。
>何度も確認するでしょう。

ずいぶんと、意見が出ちゃったようだけど一言。
魏使や船乗りが間違うはずがないのはそのとおりだね。しかし仮(あくまで仮にだ
よ)に方向が変えられたとしたら。。。その可能性は次のとおり。

@魏使が敢えて虚偽の報告を行った。
A魏使の報告を、帯方郡の太守あるいは幕僚が改竄して中央に報告した。
B魏の中央官僚が、報告書は既成の地理概念と違っているとして訂正(改竄)した。
C魏の史官が、同様の観点から訂正(改竄)した。
D魏略の著者あるいは陳寿が、同様の観点から訂正(改竄)した。
E後世の複写者が、同様の観点から先の複写者の誤写として訂正(改竄)した。

等があり得ると思います。あるいは倭国の使者等も倭国が南北に広がっているとい
う地理観念をチャイナに植え付けようと努めた可能性もあるかも知れないな!
(@Aの理由も、これに関係しているかもね!)

336 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 01:47
>>335
>魏使や船乗りが間違うはずがないのはそのとおりだね。

隋書の記事なんて、記録したもの(裴清御一行様の中の誰か)のただの勘違いだと思うが・・・・

337 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 04:04
>>336
それがあるなら、記録したもの(梯儁御一行様の中の誰か)のただの勘違いもあるが・・・・

338 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 05:52
方角も距離も勘違い。
邪馬台国が日本だという証拠もないw

339 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 05:55
倭国が日本だという証拠はどこにあるの?
随では、野蛮な国(随から見て)を漠然と指して言ってるだけでしょ。
その国の位置が日本であって、はじめて倭国が日本だと言えるはずなのに、
まず、倭国=日本だと決めつけてから、
方角や距離が間違いだなんだと言ってる理由を教えて欲しいよ。

340 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 08:39
「倭国一名日本」って唐人が言ってるからに決まってんじゃん

341 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 11:15
>>340
>「倭国一名日本」
この「一名」ってなによ?

342 :341:2001/08/14(火) 11:16
>>339
はぁ?って感じだけど、不思議と言えば不思議だ。
>>340
頼むよ。教えてくれ。

343 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 11:20
誰でもいいからお願い。確かな理由を教えてくれ!
気になって仕方ないよ。
>>339が正しいことになったら、まさかそんな!

344 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 11:42
倭一名日本、自云国在日辺故以為称。
武太后長安二年、遣其大臣朝臣真人貢方物。(通典辺防)

「一名」=「またの名を」
つまり同じ国。

345 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 11:48
>>344
原文あるのか?
色々間違いがあるんだろw

346 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 11:59
どんな間違いがあるの?

347 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 12:02
昔は、ジャワを日本と呼んだってこと?

348 :>337:2001/08/14(火) 12:09
あるだろうね。しかし、対馬から壱岐はどう見ても南だ。
対馬最南端から見てようやく東南というところか。

狗邪韓国から倭へ向かう海路が南向きであることは魏志に書かれていることであるし、
裴世渡航当時は、隋書が後漢書の記事を採っていることからも分かる通り、
倭国の都へは南へ南へと進むというのが常識。『在會稽之東、與タン耳相近。』だからな。
したがって、335が書くように渡航者以外が南を東に改変するという可能性はまずない。
また、渡航者が虚偽の報告をする必要性もない。
隋書の場合、この行程記事は裴世の渡航記事だから、
書いたものは裴清御一行様の中の誰かで、その勘違いというのが最もあり得る話だ。

ただ、魏志の場合はそう単純じゃない。書いた人間が誰だか分からないからな。
少なくとも原資料は3つ程度には分かれるだろうし、半島−九州北岸の部分は、後漢代前半まで遡る可能性すらある。

魏志の行程記事の原資料を

>梯儁御一行様の中の誰か

とアプリオリに限定してしまうことは、大きな間違い。
これは、このスレかあるいは前スレで既に議論済のはずだが。

349 :日本@名無史さん :2001/08/14(火) 12:17
「南」を「東」に改変する必要性を一番感じているのは誰なんだろう?

350 ::2001/08/14(火) 12:46
「南」を「東」にしたいのは畿内各説論者
逆に「東」を「南」にしたかったのは倭国南方信者の倭人伝編者

351 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 14:03
冒頭で帯方の東南って言ってるのに
話に出てくる進行方向が圧倒的に南ばっかりなのって
これ矛盾してないか?

352 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 14:04
魏志倭人伝なんて、随に媚びうってたドキュソの事が書いてあるだけ。
日本でない事を願うね。

353 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 14:16
キミ読んだことないね?

354 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 14:31
>>352
空想はどうぞご随意に!

355 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 14:43
>>339
>倭国が日本だという証拠はどこにあるの?

続日本紀などの遣唐使派遣記事と、中国側の記録が一致するからじゃなかった?、
倭国時代から日本時代を通じて。
詳しく書いたやつがどっかにあったけど、忘れた。詳しい人のほろ〜期待。

>随では、野蛮な国(随から見て)を漠然と指して言ってるだけでしょ。

岩波文庫でいいから買って、隋書読もうね。

356 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 14:44
>>351
どして?
帯方の東南にあるのは倭の都じゃなくて、『大海』でしょ。
大海は別に東南の方向だけに広がってるわけじゃない。

357 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 15:06
>>351
帯方郡から狗邪韓国まで「乍南乍東」で東南に向かっている。
渡海では南と言っているが実際は南南東である事も陳寿はちゃんと理解
した上で記述していたのだろう。

358 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 15:50
>>356
大海は別に東南の方向だけに広がってるわけじゃないからこそ
大海の中で倭人は帯方から東南の方向にいるんじゃないの?
>>357
1万2千里のうちで東方向成分の移動はせいぜい4千里かそこらでしょ?
とすると真南より東に20度以下だから南南東じゃなくて
もうもろ南になるはずでしょ?

359 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 16:15
>>358
帯方郡から狗邪韓国まで「乍南乍東」で東南には7千里だよ。
倭人伝読んでないの?

360 :359:2001/08/14(火) 16:21
あ、間違い。「東方向成分の移動はせいぜい4千里」か。
倭人伝読んでないの?
と言うより地図見た事無いの?
だね。

361 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 16:21
>>359
ボクには東方向成分ってことばがむずかしかったかな?

362 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 16:36
>>360
すでに地図と記述が違うのを認めるわけだね?

363 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 16:52
>>360
倭人伝の記述同士に不整合があるという話なのだから
現代の地図どうこうは関係ないんじゃないですか?

364 :360:2001/08/14(火) 17:03
ソウルからみて宇佐ならまさに東南だが
畿内では東か、せいぜい東南東としか言いようが無い。

365 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 17:14
東方向成分って韓伝の韓地「方4000里」のことですよね。
倭人伝ならいざしらず、なんで韓伝において韓地を方4000里としたんだろう。

366 :360:2001/08/14(火) 17:16
既出だが「周髀算経」などでも判るように緯度などを測ることが出来た
中国人だから三角測量法などもすでに発明されていて地図なんかも
かなり正確なものを持っていた。
「倭人伝の記述同士に不整合がある」といいたいのは畿内説の願望。
そうしないと畿内に行く事が出来ないからね。

367 :360:2001/08/14(火) 17:18
>>365
>東方向成分って韓伝の韓地「方4000里」のことですよね。
どこにそんな事が書いてあるの?

368 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 17:32
>>366
願望であろうがなかろうが現に不整合があるでしょ?
それに緯度が測れたんなら
倭が長江なんかよりずっと北だってことがわかってたはず。
自分の言ってることが矛盾してるの、わからない?

369 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 17:35
>>358
狗邪韓国以後、邪馬台に至るまで東南に500里+100里以外は南しか出てこず、
中国人の誰かが邪馬台(正確には女王国)の位置を『計其道里當在會稽東冶之東』と判断したのは史料上の事実。
魏志倭人伝を読んだ范曄が『其地大較在會稽東冶之東與朱崖タン耳相近』と理解したことも事実。
朱崖、タン耳は洛陽の南一万里だから、帯方の東南では『與朱崖タン耳相近』にならない。

後漢書倭伝は『倭在韓東南大海中』ではじまっているので、范曄はこれに特に矛盾があるとも思ってないことになる。
つまり、これを「韓の東南に倭がある」とするのは明らかな誤読であり、
「韓の東南に大海があり、その大海の中に倭がある」と読むべきで、
倭国の都である邪馬台は、韓のはるか南でもいっこうにかまわんわけだ。

370 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 17:36
>>367
読め

371 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 17:54
>>369
ところが残念ながら漢書注に如淳が「在帶方東南萬里」と書いたのは倭人伝の成立前。
つまりここに「大海之中」がつけ加わってしまったために
范曄は矛盾に気付かず、さらに誤読して
風俗が朱崖タン耳に似ているとしか書いてなかったところを
地理的に朱崖タン耳に近いと書いてしまったわけ。

考えてみれば大海は、帯方の南にも、東南にも
東のほうにもずっと広がっているでしょ?
だからあえて東南と書いたのは当然
大海が東南ににあるということじゃなくて倭人が東南にいるってことさ。

372 :三輪@大和国:2001/08/14(火) 19:21
では、そろそろ「3世紀当時の中国人(多分倭人も)は、
倭は楽浪(又は韓)の東南にあったと考えていた。」
ということで結論だしてよろしいでしょうか。

373 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 19:29
>>371
ところが残念ながらその情報は古過ぎる。卑弥呼朝貢以後の情報に基づくものでなければ意味がない。

如淳注は万里であり、万二千里ではない。この二千里の差がどこから出てくるかといえば、
水行20日+水行10日陸行1月のおよそ60日行に、1日30里という郡の移動距離をかけ合わせれば
1800里という数字が出てくる。
つまり、魏志の万二千里は、後漢代の古い情報万里にこのおよそ2000里を加えて出来たものだと考えられる。
従って、如淳注の万里は後漢代の古い情報ということになる。
後漢代の倭といえば、対馬から玄海灘沿岸であるから、これを帯方東南ということに無理はない。
ところが、新たな情報として、さらに南に六十日移動しなければ倭国の都にはつかないということが分かった。
これを、帯方東南ということは差し障りがあるので、東南大海中になったと考えられる。

それと、倭人伝とまったくの同文が魏略逸文にあるので、陳寿の作文ではなく、
魏略・魏志の共通テキストとなったと思われるさらに古い成立の文献によるものだろう。

それから、范曄が誤読しているとあるが、オレは范曄が誤読しているという箇所を知らない。
例をあげて見てくれ。
范曄は、誤読しているのではなく独自の考証を付け加えているに過ぎないと思うのだが。

374 :360:2001/08/14(火) 19:30
>>369
[東行至不彌國百里]って書いてあるじゃないか?
ほんとにちゃんと倭人伝読まずにいい加減な事言うやつが多くて困る。

後漢書を書いた范曄はアンタと同じくらいの厨房。

375 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 19:48
倭人伝スレ中間考査試験

問1)末羅・伊都・第一の奴国の位置を現在の地名を使って同定せよ。

問2)問1で同定した各国の位置関係と倭人伝の記述に差違が生じる場合は、
その理由を説明せよ。ただし、九州説論者は、書換え・書間違え等の
表現を使用してはならない。

376 :360:2001/08/14(火) 20:27
『計其道里當在會稽東治之東』
の『東治』を『東冶』と改訂するから解釈がおかしくなる。
『東治』のまま解釈すれば「朱崖タン耳相近」なんて話にはならない。
会稽山の東の治世が倭に伝わっていると書いてあるのだ。
前後を読めば判るのに一部を取り上げて、しかも原文改訂して間違いの
証拠にするなんて汚いやり口。

377 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 20:52
そんなの中国語として読めないんだよ。
誰からも相手にされないトンデモ説だって自覚してね!

378 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 21:08
>>376
>『東治』のまま解釈すれば「朱崖タン耳相近」なんて話にはならない。

まあ范曄が読んだ時に『東冶』だったから「朱崖タン耳相近」なんて話になったんでしょうねー
はい。おしまい。

379 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 22:18
>>369さん
>「韓の東南に大海があり、その中に倭がある」と読むべきで
> 邪馬台は、韓のはるか南でかまわんわけだ。(引用句一部省略)
>>373さん
>帯方東南ということは差し障りがあるので、東南大海中になったと考えられる。

「東南の大海」の「中」に在るなら、「中身」の方位もやはり「東南」だと
私は読みますが。

380 :大和派:2001/08/14(火) 22:36
>>375
答1)末ラ=唐津・伊都=前原・奴国=博多湾岸
答2)末ラ>伊都 東南陸行100里は東北100里を書換え、1里は250米?
伊都>奴 東南陸行は東北陸行を書換え

381 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 23:00
タイプミス
誤:陸行100里→正:陸行500里

382 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 23:11
>>365
>倭人伝ならいざしらず、なんで韓伝において韓地を方4000里としたんだろう。

倭までの距離がやたらでかいのは倭を遠く見せたかったからじゃなくて
韓をデカく見せたかったからじゃないのだろうか?
韓の反乱で二郡が苦戦したときの戦果を過度に大々的に報告しちゃって
いまさら千里四方とは言えなかったとか。
そこでわざと「四方可千里」を「方可四千里」に間違えて提出した。
その結果、必然的に倭までの距離が水増しされちゃった・・とか

383 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 23:28
>>377
三世紀の中国語の読み方がどうだったか証明できるのか?
現代の読み方で評価してはまずいんじゃないか?

384 :日本@名無しさん:2001/08/14(火) 23:30
邪馬台国はやまとで奈良県です。既に崇神天皇が即位していた、初期大和朝廷です。

邪馬台で「やまと」と読みます。

385 :日本@名無史さん:2001/08/14(火) 23:34
>>383
馬鹿か!出来るから孔子だって司馬遷だって読めるんだろう!
お前みたいな無知無能無教養の輩がデタラメ読んで通用するほど
漢文は甘くないんだよ!
顔洗って出直せ!!!

386 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 00:11
『計其道里當在會稽東治之東』 を原文改訂せずに解釈してみろよ。

387 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 00:18
其の道里を推計すると、ちょうど会稽郡東部侯官治(旧冶県)地域の東にあるはずだ。

388 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 01:38
>>379
太平洋は、富士山の南に広がる大海である。
ハワイは、太平洋の中にある。

これだけの情報で、太平洋という言葉を使わずにハワイの位置を表そうとすれば、

ハワイは富士山の南の大海の中にある、

ってことになるが、富士山の南にハワイがあるわけじゃない。

389 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 01:39
>>376
>しかも原文改訂して間違いの証拠にするなんて汚いやり口。

汚いも何も、漏れが原文改訂してるわけじゃなくて、標点本がそうなってるんだよ。
標点本が東治を東冶になおしている、この事実は重く受け止めたほうがいいぞ。
会稽の東治なんて、中国の歴史の中にはないんだ。

390 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 01:41
>>388 太平洋は富士山の「東南」に広がる大海なのではないですか?

391 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 01:47
>>390
こういう意見が出ないように場所を選んだつもりだったのだがね。
富士山じゃなくて浜名湖だったら満足?

392 :390:2001/08/15(水) 02:12
すいません、レス390は言葉足らずでした。
>>388さんのおっしゃる「南に広がる」と言うのは、
例えば、浜名湖付近の海岸に立って海を眺めた時に
目の前に広がる実際の海のことですよね。
私の言う海は、既に地図等の形で知識化された
仮想イメージとしての大海です。
そのイメージをふ瞰した時には、実際には北海道にいようが、
金沢にいようが、太平洋は東南に広がる大海です。
浜名湖付近の海岸から眺めること出来る程度の「太平洋」の中に
ハワイ諸島を認識するのは不可能だと思います。
388さんの文章に対する私の理解に誤りが有れば、私の浅学の致す
ところであり、あらかじめお詫び申し上げます。

393 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 02:32
海風書店へ行って百納本二十四史の古いところ
(新唐書まででいい)揃えてから議論してほしいね。

394 :   :2001/08/15(水) 02:41
邪馬台国が北部九州(現在の福岡県)にあったことが
証明されました。

395 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 02:57
>>393
揃えるだけでいいの?
適当に読んで、自分に都合の良いところだけツマミ喰いすればいいの?

396 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 03:14
日本だとするのも無理矢理っぽくないわけじゃない。
畿内ってのは無理矢理を通り越して強姦だよ。

397 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 03:17
厨房で悪いけど、倭人伝の中だと、男は(女も?)全身に刺青してたことになってなかったっけ?
俺、それ聞いたときこりゃあ日本じゃないなと思ったよ。
それとも、昔はみんな刺青してたの?

398 :   :2001/08/15(水) 03:28
してたの。最近までしてる地域が日本にはあったの。

399 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 05:46
>>395
少なくとも揃えておけば>>376みたいな惨めなことにはならない。

400 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 06:40
倭人伝成立前から倭は「帯方東南」とされているのだから
倭人は帯方東南にいてそこは大海の中だということでしょう?

やっぱりこの冒頭の一文は
大半が南向き移動で占められる行程記事とは地理観にずれがある。

401 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 06:45
>>397
刺青してた地域ってどこよ?

402 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 06:46
>>376
> 会稽山の東の治世が倭に伝わっていると書いてある
どういう意味?

403 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 06:56
この人は Spring has come.を「春夫が射精した」って訳すよなタイプの人なんだよ。
深く追求するな。むなしいぞ。

404 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 08:32
倭人伝には『東冶』なんて何処にも書いてない。
「男子大小と無く皆な黥面文身す。
古へ自り以來、其の使の中國に詣るに皆な自ら大夫を稱す。
夏后少康之子會稽に封ぜられ、斷髮文身して以て蛟龍之害を避く。
今倭水人好く沈沒し魚蛤を捕ふに、文身亦た以て大魚水禽を厭(はら)ふ、
後ち稍(やや)以て飾と爲す。」
に続いて『計其道里當在會稽東治之東』 が書いてある。
夏后少康之子が會稽山の東において行った治世の影響が遠く東の倭人達に
伝わっている。と陳寿は言っているのだ。
AD235年以後には會稽東冶県は分県されて東冶は建安となっていた事も
留意する必要がある。
陳寿の晋の時代もまだ東冶は建安県だった。
東冶ではなく会稽山から見れば九州はほぼ東と見て差し支えない。

したがって『東治』を『東冶』と改訂する事は許されないし、これをもって
倭人伝の地理観が間違っているとする事も間違い。

405 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 08:48
>>401
九州北部には8世紀位まで黥面の風習が残っていたらしい。
阿曇族とか久目族とか呼ばれていた。
現在でも「倭水人好く沈沒し魚蛤を捕ふ」が日本の他地域が
海に潜るのは女性のみだが北九州では『海士アマ』といって男が
もぐる。
3世紀の風習が今でも残っていることになる。

406 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 09:09
>>404
はいはい かんぶんのよめないぼうやは
はやくおうちへかえりまちょうね

407 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 09:23
>会稽山から見れば九州はほぼ東と見て差し支えない。

北緯30度はトカラ列島あたりだぞ。
きみは日本列島がずっと南だと誤解してる古代人かな?

408 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 09:40
>『計其道里當在會稽東治之東』
>の『東治』を『東冶』と改訂するから解釈がおかしくなる。
>『東治』のまま解釈すれば「朱崖タン耳相近」なんて話にはならない。

んでもって「朱崖タン耳相近」と書いたのは范曄サンですねー。
范曄サンの読んだ魏志にはちゃんと『東冶』って書いてあったんですねー。
誰も『東治』のまま解釈なんかしないし、解釈もできませんよ。文章になってないもの。

409 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 09:41
晋の時代の会稽郡は長江の北、塩城(北緯33度)位までを含む。
丁度、九州の大牟田あたりが33度だね。
東で何の問題も無い。

410 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 09:51
>>405
九州北部には8世紀位まで黥面の風習が残っていたらしい。
阿曇族とか久目族とか呼ばれていた。

この久目族が、天孫降臨のときに即効で日本を裏切った久米かな?

411 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 12:37
>>409
おいおい>>404
>夏后少康之子が會稽山の東において行った治世の影響が遠く東の倭人達に
>伝わっている。と陳寿は言っているのだ。
とかオタンコ超訳をつけたのは自分だろ? ならこの会稽は
>晋の時代の会稽郡は長江の北、塩城(北緯33度)位まで
とかの、會稽山と関係ない後世の会稽なわけないじゃん。
頭だいじょうぶ?

412 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 12:59
>>404
>夏后少康之子が會稽山の東において行った治世の影響が遠く東の倭人達に
>伝わっている。と陳寿は言っているのだ。

いっきに空想的な現代語訳をつけないで、基本どおりまず
『計其道里當在會稽東治之東』
を読み下し文にしてみせてくれますか?
きっと自分の間違いが解るでしょう。

413 :法師:2001/08/15(水) 17:22
「東治」は「東冶」の誤植

「会稽東治之東」とあるのが、「会稽東冶之東」の誤植ではなくて、
何か意味がある言葉だとするなら、「手塚治虫の漫画」とか「太宰
治の小説」なんてのも、摩訶不思議な意味があるように「解読」で
きるかも知れないですね。

このネタ、まだ引っ張りますか?

414 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 19:25
三国志の中に「会稽東冶」と言うフレーズは二度出てくる。
いずれも分郡される(AD235年)以前の事だ。
235年分郡以後にも習慣として「会稽東冶」と言う俗称が通用していた
可能性も否定は出来ないが歴史家として忠実なら「建安」と書く。
陳寿が歴史家として忠実に三国志を記載するなら邪馬台との交流のあった
AD239年から284年までの東冶の事は建安郡と書くはずである。
其の証拠に呉志に264年と274年に「建安に送りて船を作らしむ。」
が出てくる。。
265年にも「其の家属を建安に徒す。」
とあり「会稽東冶」は出てこない。

晋が呉を滅ぼして中国を統一したあと再び会稽郡と建安は統一され再び
「会稽東冶」になるがそれは陳寿が三国志をほぼ書き終えた後の事だ。

従って陳寿が「会稽東冶」と書くとは考えられ無いのだ。

415 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 20:06
だからここ読めってお前ら。

http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/

416 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 20:29
あれ? 分郡はAD260年ではありませんか?
根本的なところが間違いでしたね。

残念ながら分郡される(AD260年)以前から正式には会稽郡東冶県というものはありません。
したがって命題「歴史家として忠実なら「建安」と書く」が真なら
AD260年以前でも会稽東冶と書くはずがないことになります。
ところが実際は「会稽東冶」が使われています。
したがって命題「歴史家として忠実なら「建安」と書く」は偽です。
以上証明終わり。
この話題はこれ以上引っ張る必要はないでしょう。

417 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 20:34
それから
>>409
>晋の時代の会稽郡は長江の北、塩城(北緯33度)位までを含む。

も間違いです。
塩城は徐州広陵郡で、会稽郡はやはり北緯30度程度までです。
ちょっと間違い情報が多すぎますよ。

418 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 20:58
会稽じゃなくて滑稽だったか・・・

419 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 21:46
三国時代の呉の勢力は長江の北まで及んでおり、其処が会稽郡
の範囲である。

会稽山のあるところ一点だけが会稽郡では無い。
長江の南だけでも無錫なんか32度になる。
会稽山からみても北九州は真東から25度位にあり、東といっても
問題ない。

>分郡はAD260年ではありませんか?

これは確かに俺のの間違い。
しかし例示したのは264年の事だから問題あるまい。
235年と言えば「会稽東冶賊随春南海族羅雌刪齊桾タ起。」が頭にあった
のでつい。

>正式には会稽郡東冶県というものはありません。

どういうこと?
会稽東冶は会稽郡東冶県と言う意味だが。
漢書地理志にのっていないから正式じゃないと言う意味?

420 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 21:57
>>419
あほ
後漢のころから杭州湾より北は呉郡に分割されてんだよ

421 :チクリだが:2001/08/15(水) 21:58
http://salad.2ch.net/test/read.cgi?bbs=ymag&key=997850864
今日11時少女漫画版に攻撃を仕掛けるとかほざくヘタレがいます
どうぞ叩いてください

422 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 22:01
わかんねえやつだな
会稽東冶は会稽郡東冶県と言う意味じゃないんだよ
ガイシュツだろ

423 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 22:08
>これは確かに俺のの間違い。
>しかし例示したのは264年の事だから問題あるまい。
<問題おおありだろう
>AD239年から284年までの東冶の事は建安郡と書くはずである。
<倭人伝に出てくる年号はぜんぶ264年より前じゃねえか
 建安郡になる前だろ

424 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 22:13
保因者でないなら  0%
保因者なら    50% 

425 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 22:47
陳寿が三国志を執筆したのは280年から285年に懸けて。

426 :日本@名無史さん:2001/08/15(水) 23:23
記事の外交関係があった時点では存在しない地名を使うほうが
歴史家らしくないじゃん

427 :日本@名無史さん:2001/08/16(木) 01:37
それ以前に、陳寿の文かどうかあって問題があるんじゃない?

たとえば、高句麗伝に『今句麗王宮是也』とあるけど、この宮は正始年間に魏に敗れて北のほうに逃げ去っているから、
ここの『今』は、陳寿が三国志を書いている“今”ではない。
昔の資料を修正することなく、そのままコピペしていることになる。

その他、戸数を表すのに『戸』と『家』が共存していて用語の統一が計られていないなど、
こういうところも、原文を修正することなくそのままコピペしたフシがある。

だから、どこが陳寿の文なのかという検討抜きに『陳寿が○○のように書くはずがない』式の論法は無理。

428 :日本@名無史さん:2001/08/16(木) 06:41
ちなみに「建安」を使い分けてる部分は呉の史書のコピペだね。

429 :日本@名無史さん:2001/08/16(木) 06:55
>記事の外交関係があった時点では存在しない地名を使うほうが
>歴史家らしくないじゃん

280〜285年に外交なかったと思うか?
邪馬台国も晋も存続していれば外交通商関係はあったと考えたほうが自然。

>『今句麗王宮是也』

高句麗全体が豆満江の方へ逃げて行ったので高句麗がなくなったのでなければ
「今」でも「宮」が「句麗王」でも良いのでは?

430 :日本@名無史さん:2001/08/16(木) 08:25
あんまりトンチンカンなことを書くと満座の失笑を買うよ。
そのくらいにしときなさい。あとで史料を調べて一人で赤面するように。
おわり。

431 :日本@名無史さん:2001/08/16(木) 08:46
塩城が会稽郡だってガセネタも訂正しといてね

432 :一応大和説派:2001/08/16(木) 21:02
帯方郡から女王国まで約12000里。
魏史上の倭地は会稽東冶の東の洋上に有る。
女王国は倭地の中心にはなさそうですし、
会稽東冶を江蘇省から福建省までの南北に長い地域とすると
大雑把ながら魏史の1里は、58〜125m。中間地だと100m、これで決まりだ。
漢文も読めないし、算数も苦手だけど断言しちゃお。

433 :日本@名無史さん:2001/08/17(金) 00:58
58mと125mの中間値がナゼ100m?
帯方郡を西に平行移動させた渤海湾中央付近から江蘇省あたりが
直線距離600キロ。南の福建省までなら1400キロぐらいだから
中間点は約1000キロ。1里は120mになると思うが。
それに、帯方郡から女王国までの万二千余里って直線距離なのか?

434 :日本@名無史さん:2001/08/17(金) 05:50
距離を書くのは何日くらいで到着できるかに意味があるんだから道なりの距離さ。
現代の地図を直線で測ってもだめだよ。

435 :432:2001/08/17(金) 09:10
魏史の12000里が帯方郡から女王国までの路程距離だとすると
末盧までで既に10000里だから、その後の路程は2000里しか残らないよ。
オレも大和説だからそれじゃ困るよ。どうすうんのってガイシュツね。

436 :日本@名無史さん:2001/08/17(金) 09:40
>>427
「陳寿の文じゃない」ってのは認めるわな。
だからどうってことはないけど。
どっちかってと、「会稽東冶の東の洋上」の「東」をそのまま真東と
捉えるほうが無理があるような気もするがね。
会稽の北緯が何度だから九州は東かどうかって議論自体がしらける。
あの時代海渡っていくのに北緯数度のズレがないとも思えん。

あ、俺は九州派ね。

437 :日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:16
>どっちかってと、「会稽東冶の東の洋上」の「東」をそのまま真東と
>捉えるほうが無理があるような気もするがね。

わざわざ会稽東冶というある程度狭い領域を指定した上で東と言ってるんだ。
書いたものの意識の上ではほぼ真東だろう。それが事実を反映しているかどうかは別としてな。

例えば、漏れが「硫黄島は東京の南にある」と言ったら、あんた四国の正南でもいいと思うかい?

それにさ、洛陽−遼東間が四千里で、韓半島も一辺四千里ほどなんだぜ。
韓半島の南端が既に揚子江ぐらいまで来てるよ。
例の混一疆理歴代国都之図の馬鹿でかい韓半島を見てごらんな。

438 :日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:33
「会稽東冶というある程度狭い領域」はかなり広い地域と思われ。

439 :日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:46
「会稽東冶5県」という用例があるのでそんなに広くないと思われ
ちなみに「県」は当時の中国人の感覚で100里程度。

440 :日本@名無史さん:2001/08/17(金) 12:54
>例の混一疆理歴代国都之図の馬鹿でかい韓半島を見てごらんな。

韓半島が馬鹿でかいのは1402年に李氏朝鮮でつくられた地図だからじゃないのかな。
韓地を方四千里とした理由にはならないとおもうが。

441 :日本@名無史さん:2001/08/17(金) 12:58
やっぱりその四千里が誇張だったのでは?

442 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 02:45
>>440
>韓半島が馬鹿でかいのは1402年に李氏朝鮮でつくられた地図だからじゃないのかな。

山東半島も異様にでかいぞよ。

>韓地を方四千里とした理由にはならないとおもうが。

いや、べつに・・・
混一が気に入らないなら、方四千里の半島を頭の中で想像してもらってもいいけど・・・

443 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 07:11
漢の時代、漢は方四千里を治めたと言われ(『漢書』に県はおよそ方百里であり、
県(道・国・邑)の数は千五百八十七とある【百官公卿表七上】前漢の国土をほぼ
県が40×40=1600個並ぶ方形と見なすと、その一辺はほぼ四千里に相当す
ることになる)、これが長里の435mにはまるものであることは言うまでも無い。

これに対して韓の方四千里を大げさに記載したで通用するだろうか。
韓が漢に匹敵する、魏より広い領域を持っていたことになる。
中国人が大げさにでもこんな事を書く筈はない。
陳寿の書いた方四千里は短里7,80mを年頭に書かれたと見るのが正しいだろう。

444 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 07:23
ハズガナイはトンデモの常套句

445 :名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 08:06
で、今は畿内派と九州派とどっちが優勢なの?

446 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 08:11
九州派のほうが論理的で優勢かな。

447 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 08:14
おいおい!どこが論理的だ?それこそ非論理的な自画自賛で醜い。

448 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 08:19
逃げ回ってないで、はやく
『計其道里當在會稽東治之東』
を読み下し文にしてみせてくれますか? 意訳じゃだめですよ。

449 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 08:36
いいかげんに思い込みの「短里」から解放されたら?

450 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 09:10
>>442
>山東半島も異様にでかいぞよ。
なにがいいたいの?そんなことを言い始めたら朝鮮半島にくらべて
中国本土は小さいとかインドが小さいとかケチのつけあいになるでしょう。
>いや、べつに・・・
混一が気に入らないなら、方四千里の半島を頭の中で想像してもらってもいいけど・・・
混一図は日本列島が南北に描かれていることに意味があるのであって、
方四千里の理由になるのか?

451 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 09:26
いい加減理屈に合わない長里から開放されたら?

452 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 09:44
韓伝と倭人伝は長里なんて言ってないだろ。
里程記事はインチキなの。

453 :難升米:2001/08/18(土) 10:29
太夫のワタシになにか

454 :邪馬台国優良サイト:2001/08/18(土) 11:17
http://www.mirai.ne.jp/~kat/gisi/
魏志倭人伝なぞ解きの旅(畿内説)

http://cgi.din.or.jp/~washi/cgi-bin/mult/
邪馬台国の位置と日本の起源(北九州説)

http://www1.gateway.ne.jp/~kojin/
邪馬台国と天皇の血統(新説宮崎県説)

Q:なんで優良なんですか?
A:図があるからです。

455 :日本@名無しさん:2001/08/18(土) 11:35
邪馬台国=崇神天皇(ハツクニシラススメラミコト)が君臨する初期大和朝廷?

456 :難升米:2001/08/18(土) 13:16
お呼びがないので自己フォロー
私は「田道間守(たじまもり)」ではございません。
高級官僚ですから、(^.^)は立派なホリモノで見事なものです、
武器は自慢の「矛」、これは大陸から特別に送って貰ってまだ新しく
他国へは伝わっていません、
関八州ではヤマトタケルが、又出雲や吉備ではスサノオが大分
暴れているようですが、まだまだ我等の敵ではないでしょう
女王は、一歩も外へ出ませんから、お転婆な皇后と間違われるのは
心外であります。

457 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 15:48
>>450
>混一図は日本列島が南北に描かれていることに意味があるのであって、

本光寺の図は知ってる?

>方四千里の理由になるのか?

だから、理由だなんていってないんだけど。
方四千里で地図を書いたら、混一のようになるよってことなんだが。

話題がズレてることを悟ってもらえないだろうか?

458 :日本@名無史さん:2001/08/18(土) 15:51
>>450
>なにがいいたいの?そんなことを言い始めたら朝鮮半島にくらべて

李氏朝鮮製だから半島がでかいっていう>>440にこたえたんだが・・・
半島だけじゃなくて、あの辺り一体がでかいって。

459 :掖邪狗:2001/08/18(土) 19:27
漏れも率善中郎將なんだけど、難升米に比べて影薄いな。

460 :日本@名無史さん:2001/08/19(日) 01:31
>>459
ご同情申し上げる。

461 :日本@名無史さん:2001/08/19(日) 06:29
>>456
あなたは大久米の先祖ですか?
阿曇族との関係は?

462 :都市牛利:2001/08/19(日) 11:42
>>459
漏れも影ウス。まあ、率善校尉だからね。
だけど漏れってさ姓があるじゃん。難升米よりもカッコいいじゃん。なぁ。

463 ::2001/08/20(月) 09:39
「伊都国」もカッコいいですよね。漢字の読み書きが出来たんですよね。
王さまもいたことになってますよね。すげーなぁ。

464 :伊聲耆:2001/08/23(木) 01:21
漏れの方がもっとかわいそうだと思わないか?
漏れも率善中朗将ダド・・・・たぶん・・・・・・・・・

465 :日本@名無史さん:2001/08/23(木) 02:44
>>462
難升米の「難」も姓で奴国の出身を表すという説もあるね。

しかし、こんなスレまだあったんだね。驚いたよ。
内容はいつの間にかマッタリモードになってるし。二度驚いた。

466 :日本@名無史さん :2001/08/23(木) 14:39
北九州ダミー首都説!
魏志倭人伝の邪馬台国は北九州で、畿内の本物の首都に似せて作った。
って言うのはどうかしら。同じ名前の街があるのも頷けるけど(笑

467 :日本@名無史さん:2001/08/23(木) 16:29
九州にあったのは対中外交用の行宮って考えもあるよ。

468 :掖邪拘:2001/08/23(木) 20:14
>>464
貴方と私は異音の併記で、同一人物と思われ。
だから、かわいそさも同じと思われ。

469 :伊聲耆 :2001/08/23(木) 20:17
>>468
いやいや、もしかしたら私が姓で貴方が名前かも。
だとしたら、私(達)も難升米よりカッコイイと思われ。

470 :難升米:2001/08/23(木) 20:24
漏れは、自分でもよくわからんんが、姓があったかもと思われ。
もしかしたら、当たり前の姓だったので、珍タンがウッカリと、
初出なのに書きわすれたのかも。
どうして当たり前だったかと言うと、
倭国で一番の姓「倭」だったからかもして。
だとしたら、漏れってサイコーだなし。

471 :日本@名無しさん:2001/08/25(土) 04:26
ところでムー大陸が当時あったら問題解決?

472 :伊支馬:2001/08/25(土) 14:04
>>470 こおーんなこと言われたら、私たちの立場ないっす。

473 :正始四年@名無史さん:2001/08/25(土) 16:42
おれたちも忘れないでくれ〜〜。
掖邪拘と一緒に率善中朗将になったのに、名前すらわからないんだ(・・;)

474 :The 率善中朗将's@名無史さん:2001/08/25(土) 20:40
そうだそうだ。
ところで中朗将ってそんなにエライのか?

475 :日本@名無史さん:01/08/26 12:29
>>474 率善中朗将は第四品の位です。校尉もだいたい四品職。
えらいと思えばえらいが、ぜんぜんえらくないとも言える。

476 :日本@名無史さん:01/08/26 17:30
>>475
倭国内じゃあ、卑弥呼の親魏倭王に次ぐ二番目だろ。
当然エライ。

477 :故国原@高句麗王:01/08/26 21:28 ID:GGB8HMs2
>>476 私は、征東大将軍であるが何か?

478 :卑弥呼@親魏倭王:01/08/26 21:33 ID:GGB8HMs2
>>477 アナタのは燕王からもらったヤツ、しかも楽浪公ね。
ワタシは魏皇帝からもらったね。ワタシって最高にえらそうーね。


479 :卑彌弓呼@狗奴国王:01/08/26 23:32 ID:GGB8HMs2
>>478
ホントにあなたは偉かったと思う。
同時期の諸韓国の首長クラスは良くて中朗将、普通は校尉クラスである。
これは、邪馬台国が大国だったからで、北九州の小国連合の長ぐらいでは、
魏のここまでの評価は得られないでであろう。

480 :日本@名無史さん:01/08/26 23:41 ID:ri9ZAT8k
>>479
これこれ、畿内説の一人遊びかな。
IDが同じだぞい。

481 :日本@名無史さん:01/08/30 06:54 ID:ZQQYd9NE
名前だってほぼ同じでんがな。
一人遊びでさびしそうと思ったら何か書いてやれや!―>あげ

482 :    :01/08/30 11:37 ID:WeaHxFQk


483 :日本@名無史さん:01/09/01 16:01 ID:ZvlIyQg.
通りすがり今いづこ

484 :日本@名無史さん:01/09/01 17:15 ID:.K.Num72
冷静に読めば邪馬台国は、沖縄と考えるしかない。

485 :日本@名無史さん:01/09/01 17:29 ID:ZvlIyQg.
誰もがみな自分を冷静で常識的で素直だと思ってるところが
邪馬台国問題の病根の深いとこだよな。

486 :日本@名無史さん:01/09/01 18:50 ID:DRkiCwUI
おれは484を支持する !!!

487 :日本@名無史さん:01/09/01 19:27 ID:4RuUqars
倭人伝に書いてある事って海辺の民を思わせるよね。

488 :日本@名無史さん:01/09/01 19:33 ID:ZvlIyQg.
倭寇に悩んでた頃の朝鮮の人々は
倭人はみんなフンドシ一丁で日本刀ぶちこんだ海賊と思ってたろう。
アメリカ人はみんなカウボーイと思ってる日本人もいるんじゃないか?

489 :日本@名無史さん :01/09/01 19:42 ID:4RuUqars
>>488
それはあたらないよ。魏使は倭に来てるんだからさ。
アメリカ人をカウボーイと思ってる日本人だってアメリカに
行けばみかた変わるでしょう。

490 :日本@名無史さん:01/09/02 10:48 ID:Z5qzk/u2
倭人伝の對馬から奴国までは、皆海辺の民のクニ。

491 :日本@名無史さん:01/09/02 17:57 ID:vuvdlXs.
そもそも「倭」というのは「おとなしい、従順な、小さい」などと言う意味がある。
後に中国に逆らったりするようになるのは朝鮮人が大量移住してきた事と無縁ではない。
朝鮮人といえば天皇の祖先だから。

492 :日本@名無史さん:01/09/02 18:40 ID:IGizVo1I
>491 「朝鮮人といえば天皇の祖先だから。」
またぁ。桓武天皇の母方が百済系だからって、何時まで言ってんだか。

493 :日本@名無史さん:01/09/02 19:32 ID:K4ARhGPI
なんちゅうか硬直化した脳細胞の持ち主が多いですな。それとも軟化しすぎ?
証拠を出せっていうと怒るしね。

494 :日本@名無史さん:01/09/02 20:24 ID:c3mblrLM
>>492
おいおい、違うだろ。

495 :日本@名無史さん:01/09/02 20:32 ID:7TtAY.AA
なにが違うの?

496 :日本@名無史さん:01/09/02 20:49 ID:Gd/wjVMA
天皇家の先祖は呉の太伯であると、かの林羅山先生も仰っておる。
従って天皇家は周王室の本家に当たるのじゃ。
だから日本は一族が中国人に滅ぼされたことの復讐のため中国へ出兵したのじゃ。
>>491は何を血迷っておるのか。

497 :日本@名無史さん:01/09/02 22:32 ID:vuvdlXs.
倭人達は争いが起ったとき話し合いで卑弥呼を共立するなど平和を愛する民族だったのだ。
一方天孫族は熊襲を騙し討ちにするなど卑怯極まりない方法を使って倭人を征服してしまった。
いかにも半島人のやりそうな事ではないか。
あ、韓国人じゃなくて北朝鮮の事を言っているのだから誤解しないように。
>>496
 邪馬台国は呉の太伯の後裔かも知れんがね。
大和は違う。

498 :日本@名無史さん:01/09/02 23:16 ID:EaRvkcnk
考えてみたら天皇家に女王卑弥呼に該当する人物はいないね。

499 :日本@名無史さん:01/09/02 23:21 ID:iC/zt6sw
当時の倭の首都は西都
4世紀になって、畿内に遷都した
倭→大倭になったのはその時から

500 :日本@名無史さん:01/09/02 23:38 ID:EaRvkcnk
古事記、日本書紀ともに銅鐸に関する神話・説話類が
ひとつもないというのは、天皇家が畿内で生まれたのではない
ということを表していると思う。やっぱり九州だよね。

501 :日本@名無史さん :01/09/03 00:06 ID:.cbnAiYw
>>498
ミマキイリビコの大叔母で、三輪の大物主の妻になる
ヤマトトトビモモソヒメノミコトを卑弥呼に、ミマキ
イリビコをその弟に比定する説がありますが……。

502 :日本@名無史さん:01/09/03 00:58 ID:XIAmjB9Y
>>501
倭迹迹日百襲姫命を女王卑弥呼に比定する説だけど、
卑弥呼は一国の主権者だよ。中国に使者を派遣してるんですよ。
倭迹迹日百襲姫命は天皇じゃないですし、音だって似てないし、
中国に使者を派遣した事績などなにひとつないでしょう。

503 :日本@名無史さん:01/09/03 02:06 ID:.cbnAiYw
>>502
別にヤマトトトビモモソヒメノミコトを卑弥呼とする説を
信じているわけではないのですが……。

>天皇家に女王卑弥呼に該当する人物はいないね。
に対し、ヤマトトトビモモソヒメ説があるっていったのに、
>倭迹迹日百襲姫命は天皇じゃない
って反論するのは、変。

それから、ヤマトトトビモモソヒメが主権者でないって、
何を根拠に否定できるの? 天皇じゃなきゃ主権者じゃない?
天皇と巫王が同立の可能性は?

>(ヤマトトトビモモソヒメが)中国に使者を派遣した事績など
>なにひとつないでしょう。
って断定的、あるいは推論的ですが、何を根拠にしています?

んなわけないっていう説に反論をかますのは結構ですが、確固
たる論拠がないと、では、なかったことを証明しろと迫られる
のがオチですよ。

504 :日本@名無史さん:01/09/03 10:15 ID:BKZIBT7E
九州から遷都したと言う可能性はないな。
それだと卑弥呼が魏に朝貢した記録が残っていないと言う畿内派に対する批判は
当たらない事になる。

>>503
記紀に単なる巫女として書いてあるからだろ?
大王は別にいた。

箸でホトをついて死んだと言われているが三世紀には倭人は箸を持っていなかった。
箸を使うようになったのは6世紀ごろと言われている。
だから箸墓の伝説は6世紀ころに出来たものだろう。

505 :日本@名無史さん:01/09/03 17:43 ID:XIAmjB9Y
>>503
「その国、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐すること暦年、
乃ち共に一女子を立てて王となす。」
「卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百歩、殉葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、
国中服せず。更々相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立てて
王となし、国中遂に定まる。」
↑で明白だと思います。女王卑弥呼は巫女であり第一主権者たる大王だと思います。
たとえば、倭迹迹日百襲姫命が女王卑弥呼だとしたら、自殺した後に、奴婢百余人が殉葬されたとか、
天皇が交代してその即位を不満に思い国中が大争乱におちいったとありますでしょうか?
それと、倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼?)の宗女である壱与って誰でしょう。壱与も第一主権者でなければならない
と思います。違うという論拠になっていませんか?

506 :日本@名無史さん:01/09/03 18:45 ID:85XaxcKA
>>505 横レスですが。。。
2・3世紀の部族王国連合、或いはこれが収斂する過程においては、宗教的権威の果た
すウエイトが強く、祭祀王(シバシバ宗教カリスマ的な性格の強い女性であった)と世
俗王(軍事・行政を施行する男性)では、前者が上位を占めていたのでは無いでしょう
か?(連合を象徴的に統轄するのは祭祀王であった)

しかし、4世紀以降は部族王国連合から、統一的王国に変化が進み、次第に軍事・行政
と言う現実政治のウエイトが強まったことにより、世俗王が上位を占めるに至ったので
は無いかと思うのです。
特に5世紀に高句麗との覇権争いが激化したため、その傾向が一層強まり彼等の記憶・
伝承からも祭祀女王の存在が薄れていったのではないでしょうか?
(神功皇后が国運を賭けた高句麗との半島争覇戦で、クローズアップされているのも、
この様な祭祀王の伝統が蘇ったのかも知れませんが。。。)
ただ祭祀女王(基本的に世俗王の親族)は、原則的に独身であったため、直系の子孫を
残すことが無かったのに対し、世俗王は確実に子孫を残したので系譜も明確に記憶され、
その存在がより強く伝承されたと思うのです。

従って、卑弥呼や壹与は、記紀においては神との親密性が強調されている倭迹迹日百襲姫
、倭飛羽矢若屋比売等に姿を変えて記述されている可能性があるのではないでしょうか?
なお、この様な女性祭祀王と男性世俗王の残滓は、沖縄に置いて近世にまで見られるとこ
ろだとも思います。
なお「箸」は神話的象徴であり、現実として3世紀に存在したかどうかを論じるのは、如
何なものかと思います。
(天皇や大臣というのは、遙かに後世に生まれたものですが、古墳時代の大王制度におい
ても当然のように使用されています。神話的伝承に後世の器物や制度が援用されるのは特
不自然とは言えないのでは?)

507 :補足:01/09/03 18:56 ID:R4I438Ks
例えば、従来はまったくの荒唐無稽な神話としか考えられていなかった
中国古代の女性祭祀王も、三星堆の発見により歴史的事実の神話的反映
として見直されつつあるようです。

弥生期における江南米作文明との関係が解明されると共に、古代女性祭
祀王の存在と、男性世俗王への権威・権力移動が一つのテーマとして見
直されるかも知れないと思っています。(今のところは、単なる可能性
に止まらざるを得ないのは、承知していますが。。。)

508 :補足の補足:01/09/03 19:17 ID:7JsNvfu2
もともと、卑弥呼のような女性祭祀王が権威を持っていたのも、弥生人
(倭人)における最高神=太陽神が女性神格を持っていたことと関係し
ているのかも知れません。
世界的には太陽神は男性神格を持つのが常識であり、朝鮮においても日
光受胎神話があるように基本的には男性神格です。もちろん卑弥呼のよ
うな女性祭祀王が女性太陽神話の原点だという考え方もあるでしょうが、
僕は逆に女性太陽神話があった(もっとプリミティブなものだったかも
知れませんが。。。)からこそ、混乱期において卑弥呼のような女王の
存在があったのではないかと思うのです。(一つの可能性です。。。)

509 :日本@名無史さん:01/09/03 21:29 ID:XIAmjB9Y
>>506
卑弥呼は巫女であり第一主権者たる倭の女王であると思います。卑弥呼と壱与が
歴代天皇の中にその名をとどめていないことはおかしなことです。
7.80年続いた倭国内の混乱は多くの民を苦しめたことでしょう。卑弥呼が即位したことで
混乱はおさまり、人々は安堵し、彼女の即位を心から歓迎したことと思う。
華々しい中国との外交、魏の詔書、親魏倭王の印綬、魏から送られたおびただしい宝物。
祭祀王から世俗王へと権力が移ることにより倭の女王である彼女の事績が宮廷内・民たちの
記憶から消えてしまうなどとそんなことがありえるんでしょうか?
古事記、日本書紀にある神話や説話は多くのかたりべ達によって語り継がれてきたと思います。
かたりべ達の能力を侮ってはいけないと思う。
また、日本書紀編纂時においては遣唐使などにおいて三国志とか隋書など多くの中国史書
を手に入れていたと思われます。当然、卑弥呼や壱与の存在を知っていたことでしょう。
何故、彼女達が天皇として名を残さなかったのか不思議です。

510 :日本@名無史さん:01/09/03 22:43 ID:cjrb8LUY
册封体制からの離脱、ミニ中華国家としての日本の独立を求めていた聖徳太子
は、意図的に卑弥呼や台与を歴史から抹殺した、という説が有ります。本来
「女王」など中華思想から見れば蛮夷の証であり、侮蔑的記述であったわけ
で。太子は推古帝が女であることを必死で隋に対し隠蔽していたくらいです(藁。

511 :日本@名無史さん:01/09/03 22:48 ID:erQfTfbg
>>509
おっしゃるとおり、古代人の伝承能力については決して侮ってはいけないと思います。
だからこそ倭迹迹日百襲姫等の神との交流として語りつがれたのではないでしょうか?
箸墓の葺石が神と人によって、大阪山から運ばれたという伝承は、鉱物学的に確認さ
れていますが、箸墓造営が3世紀末から4世紀初とすれば、実に400年近く正確に伝わ
っていたのですから。。。
で。。。まず魏との関係については、宋と五王の関係と同様に、6世紀頃に敢えて抹
殺されたと考えます。これは国土を神の創造による神国とし、大王のレジテマシーを
神の直系孫であることとし、チャイナとの対等外交を国是としたことによる当然の帰
結であって、大王家の祖先がチャイナから王に封じられたり、将軍に任じられたりし
た屈辱の歴史は、あってはならないものとされたはずです。
大王位についていえば、卑弥呼はあくまでも祭祀大王として君臨したのであって、世
俗王は別に存在したと思うのです。しかし後世の政権が世俗王中心に構成されたこと
により、祭祀王という存在自体が大王概念と相容れないものになってしまったという
ことなのです。(その痕跡は、わずかに斎宮・斎王という形で後世に伝えられた?)

かなり分かり難いのは承知していますが、ようするに卑弥呼や台与は後世の天皇の
ような意味での、世々統を継ぐ大王ではなく、あくまでも大王家の女性から撰ばれ
た、一身専属的な祭祀大王であった。したがって大王としては認知・伝承されなか
った。。。ということで如何でしょうか?

512 :日本@名無史さん:01/09/03 23:59 ID:XIAmjB9Y
万世一系に朝貢・册封の歴史はすべて削除ですか?やりにくいな。

513 :506:01/09/04 10:20 ID:/poLN8sc
例えば、仮に開化・崇神が魏時代に(大)王として実在したとします。その場合に神武
はどう考えるべきでしょうか?(面倒なので後世の漢風諡号で示します)
まず、彼等のおおよそ8世代前の祖先という意味ならば、これは100%存在します。
先祖のいない人間など、この世に存在しませんから(W

それでは、その人物はおおよそ紀元前後(?)にイワレヒコと称する、大和地方を中心
とする支配者であったか? この辺になると何とも言えませんが、当時に日本列島には
光武帝から金印授受された王がいたことから察すると、日本列島には既に王と見なしう
る人物が多数存在していたことは想像できる。とすれば少なくとも大和の部族王的な人
物であった可能性は否定しきれないと思う。しかしこれが同一人(近親者)かどうかと
言うことであれば、かなり否定的にならざるを得ないでしょう。

つまり開化・崇神の祖先である神武が、倭奴国王より劣位の大和の小国王だった可能性
はあると思いますが、彼を後世の大王(天皇)的に見るのは困難でしょう。
記紀が彼を天皇としているのは、後世の天皇の先祖としての脚色とするのが妥当でしょ
うね。(続く)

514 :506:01/09/04 10:39 ID:Sg1RV30s
それでは、彼は九州から大和に侵入し、支配権を獲得した部族王(小国王)だったのか?
この辺になると、もう想像の世界でしかありませんが、僕は古代伝承が意外に真実を伝
えていることがあり、考古学的にも弥生期に大規模な戦乱があったことが認められつつ
あるところから、全くの荒唐無稽な神話とは言い切れないような気がします。

あるいは、倭奴王の一族(?)がその支援を受け、吉備方面の勢力を糾合して大和に侵
入した可能性があるかも知れないと思っています。その後彼の子孫が次第に周辺を勢力
下におさめ、九州をも傘下に入れたのが倭国大乱であり、それを精神的(宗教的)に主
導し統合したのが祭祀大王とも言うべき卑弥呼であった。。。
同時にこれを実行成功した世俗王が崇神であり、初代の大王として後世ハツクニシラス
スメラミコトと称された。。。こういった想像も有り得ると思うのです。

さらに言えば、神武から崇神までの系譜は、王統譜というよりもむしろ本来は血統譜
(伝承)であり、例えば大彦なども一族としていわゆる王位にはついたが、後世にお
いては血統譜がそのまま王統譜と見なされたため、結果的に王統譜からは除外された
。。。というようなこともあったかも知れないと思っています。

515 :日本@名無史さん:01/09/04 12:04 ID:DGGvzicY
>>511
「紀」に神功皇后が魏に朝遣したかのような記述が有るのをなんと解する?

516 :日本@名無史さん:01/09/04 12:41 ID:yxk2cO4I
日本書紀編纂者らは倭の女王である卑弥呼や壱与の存在を知っていた。
にもかかわらず、神功皇后紀に卑弥呼や壱与の事績を放り込んだんだよね。
しかし、神功皇后紀ってへんですね。卑弥呼や壱与が天皇家にいないもんだから
辻褄合わせのために特別に作られたんじゃないだろうか?

517 :日本@名無史さん:01/09/04 13:14 ID:uWvComVE
>>515
「紀」は、讖緯説により神武即位を紀元前660年に遡及させましたね。しかし系譜を
捏造することは出来なかったたため、歴代大王の年齢を異常な数値にして辻褄をあわ
せたと思われます。
その結果、神功も百歳以上の年齢となってしまいましたが、おおよそ100年〜150年
くらい年代が古くなり、魏時代と合致したので参考記事として挿入したのでしょう。
しかし、魏志のうち親魏倭王の册封、黄幡の授与、狗奴戦闘 については記紀の論理
(神国思想)に従ってまるで無視しています。

ただ朝献自体は聖徳太子も行っていますし、その後も平安期に至るまで断続的に行わ
れていますから、 別に神国思想に反する訳ではありません。これを朝貢と見なすか
どうかは、チャイナの理解であり日本の知ったことではないと言いうるのですね。
(書紀は逆にチャイナ外交を「呉」の朝貢と記述していますからね)

さらに、神功はもともと天照大御神の直系孫たる天皇ではなく、皇后摂政(天皇は
あ くまで応神)ですから、この記事を出しても(仮に神功が倭女王として魏と通
交したとしても) 天皇の尊厳にはかかわらないと判断したとも考えられます。

僕は、この手法は「天皇棚上げ国王擬制外交」として、聖徳太子が発案実行(推古
の棚上げ)し、後世の足利国王・徳川大君外交にいたる擬制外交の基本になったと
思っていますが、書紀編纂者にも、そういった後付解釈があったのかも知れません。

518 :補足:01/09/04 13:28 ID:i3Z3yWzU
ただし聖徳太子は、結果的にあくまで天子(皇)の名分を貫きとおしました
ので、国王擬制外交にはいたらなかったと見るべきですが、外交の正面から
推古を棚上げし、自らが摂政元首として対処したという意味です。

519 :日本@名無史さん:01/09/04 19:00 ID:BkJqD6cI
>>517横レススマソ。
>魏時代と合致したので参考記事として挿入したのでしょう。
神功紀が特立された背景を考えるべきではないでしょうか。
卑弥呼の不在がその原因ではないかと思います。
>これを朝貢と見なすかどうかは、チャイナの理解であり日本の知ったことではないと言いうるのですね。
中国に他国から使者が来たら、すなわち朝貢とみなすのが中国ではないでしょうか?
それと、朝貢・册封の歴史はすべて削除というのは乱暴すぎませんか?
日本書紀と中国史書などとの矛盾を安易に解決しようとしているとしか思えないのですが。


520 ::01/09/04 21:13 ID:2ge2wpvA
>>朝貢・册封の歴史はすべて削除というのは乱暴すぎませんか?
しかし、事実でしょ。

521 :日本@名無史さん:01/09/04 22:43 ID:WKahICxs
>>519
意味が分からないのですが、魏志に記述された卑弥呼が倭国の伝承に残っていなかったとして、
記紀編纂者(あるいは当時の天皇家)に何か不都合がありますか?
貴方にとっては、親魏倭王の金印授受は名誉なことかも知れませんが、神国思想に立って天子
を称してからの天皇家にとっては、チャイナからの册封は忌まわしい過去でしかないのです。

だから、漢から金印授受した倭奴国王や、倭国王帥升や、近くは倭武王についてだって、何知
らずってのが書紀の基本的姿勢なのですよネ。

チャイナが華夷思想によって、他国の遣使を朝貢と見なしたのはおっしゃるとおりです。倭国
においても武王時代までは、チャイナへの朝貢・册封を求めたのも事実でしょうネ。
しかし書紀においては逆に「仁徳58年 呉(実際には宋)国・高麗国並朝貢」のようにチャイナ
や他国からの朝貢と記述しているのです。
で。。。矛盾の安易な解決というのは、どういう意味(どの部分)なのでしょうか?

522 :日本@名無史さん:01/09/05 08:35 ID:oEpzFEkY
>>521
「三十九年。是の年、太歳己未。魏志に云ふ。明帝の景初三年六月、倭の女王(卑弥呼)、
大夫難升米等を遣わして、郡に詣り、天子に詣らむことを求めて朝献す。」
「六十六年。是の年、晋の武帝の泰初二年なり。晋の起居注に云ふ。武帝の泰初二年十月、
倭の女王(壱与)譯を重ねて貢献せしむ、と」(神功紀)。

これらの朝貢記事は参考などではなく卑弥呼と壱与の事績をさも神功皇后の事績として載っている
ものです。過去において中国史書に精通している人物が日本書紀を読めばすぐにおかしいとわかって
しまうことです。これがあなたの言う神国思想ですか?また、これらの朝貢記事は神国思想に反して
いますよ。皇后摂政だからというのは言い訳にはならない。天子を称してからの天皇家にとっては
チャイナからの册封は忌まわしい過去というならなおさらですよ。
また、倭の五王の場合、古事記(仁徳〜雄略)には南朝との外交記事はありません。倭の五王たちが
激しい戦いを繰り返した高句麗との対戦記事もありません。たしかに朝貢・册封の歴史はすべて削除
というのは当たっているようにも思える。でも、神国思想に立って天子を称したのなら高句麗との対戦を
「勝った.ぞ。勝ったぞ。万々歳!」で見事に飾ればいいと思いませんか?
それと日本書紀にある神功皇后が羽白熊鷲と田油津媛を討伐した記事は古事記には載っていません。
景行天皇の九州への一大遠征譯も古事記には載っていないんです。
これらの華々しい功績が削除されているんですよ。あなたのおっしゃるような神国思想にもとづく云々は
明確な規則性があるんでしょうか?

523 :521:01/09/05 11:29 ID:kyRqJx/k
>>522
そうですか?
書紀は「この神功皇后摂政時代に当たる時期に、魏志にはこういう記事があります」
と言っているわけですね。そしてチャイナの史書では「これを朝貢としています」と
言ってるだけのことです。
読者にとっては、チャイナが華夷思想に基づいて、他国との外交はすべて朝貢関係と
しているのは周知の事実ですから、ああ例によってチャイナの奴等は「朝貢としてる
んだな。。。」と言うだけの話です。
書紀は神功皇后が「朝貢」したとは一言も書いていないのですから、書紀の論理(神
国思想)からしても何の問題もありません。
(擬制外交はあくまでも付け足しですが、そういった言い訳も有り得ると言うことです)

倭の五王時代とは年代的に一致しませんが、(従来から言ってるとおり書紀の年代は無
茶苦茶ですから)応神〜雄略にかけて「呉」との通交記事が頻発しているのは、ご承知
のとおりです。これらは神国思想に形を変えた宋との通交(事実は册封・朝貢)を示し
ているのではないでしょうか?

524 :日本@名無史さん:01/09/05 11:40 ID:wPhR7CCA
そりゃ、書紀の本文じゃなくて注だろ。
誰が書いたか、わからんよ。

525 :521:01/09/05 12:34 ID:V35Eln1c
>>552
そしてまた、史実である高句麗との激戦記事は一切ありませんね。同様にあれほど
「三国史記」に繰り返し記述されている新羅への侵略・略取記事もほとんどありま
せん。これも書紀の神国思想からすれば極めて理解しやすいことであって、、

「韓半島南部は神の創造した国土ではない。しかし神の意志によって神の子孫である
大王家(特に神の意志を体現している応神、およびその子孫)に付随すべき土地なの
である。その証拠には、応神を胎内に納めた神功皇后が彼の土地に赴くやいなや、ろ
くすっぽ抵抗もなしに服従したではないか。。。」
と強調しているのです。

新羅に対する侵略・略取も同様で、あくまで新羅が神の意志によって差し出したも
ので、武力によるものではないとしているのですね。だから「勝った.ぞ。勝ったぞ。
万々歳!」ではむしろ不都合なのです。

しかし、後世(継体以降)においては新羅は神意を恐れず、ともすれば神の子孫であ
る天皇家に反抗している。これは極めて遺憾な事態である。(もちろん書紀の編纂者や
高官達も、現実的には神の意志ではなく武力・国力の問題であるとは承知していますよ!)
だから事と次第によっては、武力を行使してでもこの神意を復興せねばならない。。。
これが書紀(当時の天皇家)の神国思想であり、韓半島南部支配の大義名分(?)なの
ではないでしょうか?


そしてまた、史実である高句麗との対戦記事は一切ありませんね。同様にあれほど
「三国史記」に繰り返し記述されている新羅への侵略・略取記事もほとんどありま
せん。
これも書紀の神国思想からすれば極めて理解しやすいことであって、韓半島南部は
神の創造した国土ではない。しかし神の意志によって神の子孫である大王家(特に
神の意志を体現している応神、およびその子孫)に臣従すべき土地である。

その証拠には、応神を胎内に納めた神功皇后が彼の土地に赴くやいなや、ろくすっ
ぽ抵抗もなしに服従したではないか。。。と主張しているのです。
しかし、後世においては新羅は神意を恐れず、ともすれば神の子孫である天皇家に
反抗しているこれは極めて遺憾な自体である。
事と次第によっては、武力を行使してでもこの神意を

526 :521:01/09/05 12:37 ID:TYF40UxY
「そしてまた。。。」の部分二重コピーしてしまいました。
不手際をお詫びします。

527 :521:01/09/05 13:15 ID:PrLp9/PY
>>524
なお、ここで述べられている衍文説ですが、僕もその可能性は充分あると思っています。
ただこれが原文であったとしても、以上の説明で解釈可能だと思うのですね。

528 :日本@名無史さん:01/09/05 14:21 ID:Kyk4wORE
>>527
日本書記が天皇家中心主義、もしくは神国思想によって書かれていることは
いまさらあなたから講義を受けなくても承知していますよ。僕が言っているのは
朝貢・册封の歴史はすべて削除しているなどという論法にたいして批判しているんです。
規則性なんかないでしょう。また、神功紀に倭の女王とあれば読者は神功皇后のことだと
まともな人間だったら思うでしょうね。倭人伝を知っていれば不信に感じるでしょう。
それと神功皇后の三韓征伐と倭国にとって何100年にも渡って宿敵だった
高句麗とは一緒に出来ないと思いますね。敵にたいして容赦しない説話。
残酷な説話だってあるんですから。

529 :528:01/09/05 14:36 ID:Kyk4wORE
「三韓征伐」はたしか後世の造語でした。「新羅征討」に変更。

530 :521:01/09/05 16:16 ID:RcbDtmUM
>>529
どうも良く分からないのですが、書紀にはチャイナの册封・朝貢の歴史が書かれてないことは
事実なのでしょう?その理由は、書紀の神国思想に照らしてみれば、自ずから明らかだと言っ
てるんですよ!

神国の神の子孫である「天皇」(本来は大王でしょうが、書紀は「天皇」であるとし、チャイ
ナ皇帝と対等であるとしているんです)がチャイナから王や将軍に任命されたなんて書紀に書
くわけがない。。。誰が考えても当然のことじゃないですか?
(貴方が書紀編纂者なら、そんな矛盾したことをワザワザ書きますか?)

神功紀に、魏志の卑弥呼記事を書けば、読者はこれを同一人物だと思うでしょう。
しかし、神功が魏と通交したところで何の問題もありませんネ。(書紀時代には
唐と通交してるんですから)そして魏志の册封記事に気がついても、それは例に
よってチャイナがそういう風に考えていたんだな。。。で済むことなんです。

現在の我々だから、チャイナの記録の方が正確だと思うんですが、書紀においては
それはチャイナの受け取り方で、日本の歴史にはそんな事実はないと言っても別に
何の不信感も与えません。仮に不信感を持ったとしても、それが日本正史の公式見
解であると言えばそれで済むことなのですから。
(同様に倭五王についても、我々はこれが册封・朝貢だと理解してますが、日本の
正史見解としては、チャイナの朝貢だとしているんです。何も問題はありません)
こんなことは、史書においては別に不思議でも何でもありません。高句麗碑文にお
いては、倭国の正規軍であっても高句麗の大義名分で「倭賊」としているのも同じ
論理です。元が日本侵略を「日本征伐」としているのも同じです。日本にしてみれ
ば「征伐」さるべき理由なんてまったくありませんネ?)

一体この書紀論理の解釈のどこに問題があるとお考えなのでしょうか?
(僕は書紀の論理が歴史的に正しいと言ってるのではありません。書紀はそういう
論理に立っているから、その論理に沿って解釈すべきだと言ってるだけですので、
念のため)

531 :521:01/09/05 17:25 ID:t46XlADg
このような書紀(日本)の史実を曲げた公式見解は、唐との外交においても、奇妙な擦れ違い現象
を引き起こします。唐の高官にすれば倭(日本)国と言えば、漢光武帝の金印授受から、魏の親魏
倭王、宋の武帝上表までの通交(册封・朝貢)の歴史を当然に想起します。チャイナにしてみれば
夷荻にしては破格の待遇を与えてきた国だという思いがあります。

しかし、日本国の使者達はこれも当然のこととして、書紀の記述するところによって、その様な册
封・朝貢等の歴史は一切ないと主張しますネ。

これが、唐書や旧唐書にいうところの、、、
「日本國者倭國之別種也以其國在日邉故以日本爲名或曰倭國自惡其名不雅改爲日本或云日本舊小國
併倭国之地其人入朝者多自矜大不以實對故中國疑焉」
「惡倭名更號日本使者自言國近日所出以爲名或云日本乃小国爲倭所并故冒其號使者不以情故疑焉」

使者達は驕慢で(册封・朝貢などの)事実を認めようとしない。ひょっとしたら彼等の日本と旧来
通交があった倭国は別の国なんだろうか??? なんて誤解を生んだりしているのです。

532 :日本@名無史さん:01/09/05 20:38 ID:oEpzFEkY
>>530
>書紀にはチャイナの册封・朝貢の歴史が書かれてないことは事実なのでしょう?
日本書紀を読んだ読者(中国史書などに精通した)が神功紀の魏志の卑弥呼や壱与の
記事を見たら朝貢外交してたのか?とか、なんで二人の事績が入っているんだとか
疑念を持つでしょう。それと推古紀の外交記事なんかも明白に朝貢とある国書に
返書を返していますね。すなわち朝貢外交を受け入れたということじゃないでしょうか。
それとは別に、中国皇帝の遺詔を雄略紀に挿入したり、「名を闕せり」とか
「未だ詳ならず」というのもたくさん出てきます。日本書紀にある景行天皇の九州平定譯は
古事記にはないです。これ程の功績を古事記が削る理由がわからない。
これらをみると吏官たちが創作したのかとか、どっからかもってきて載せたのかもしれないと
いう疑いもあると思うんです。そうゆう一面も日本書紀にはあると思います。
倭の五王について古事記には南朝との外交記事も高句麗との対戦記事もありませんが、
日本書紀には南朝が貢献してきたという形に書き換えられて出てきます、
古事記にまったくないというのを僕としては重要視します。僕としては書紀の論理の中に
神国思想以外に他資料からの挿入なども疑っていますので朝貢・册封の歴史は削除
というような法則で解釈するのに抵抗があるんです。わかってもらえたでしょうか?

533 :日本@名無史さん:01/09/05 21:36 ID:Ocgy.ZC6
神国日本が漢字も知らず、百済から字を教えた貰ったなんて書いてあるのは
なんと解釈する?

534 :521:01/09/05 22:22 ID:sO2w.QJs
>>533
神国思想と漢字知識とに、何の関係があるのでしょうか?
書紀には漢字の知識がチャイナからコリアを経て日本に渡ってきた事実が率直にかいてある
だけのことで、解釈の必要などはありません。

535 :日本@名無史さん:01/09/05 22:48 ID:wV7t1xQ6
>>533
そう言えばウヨって日本の漢字使用の来歴をどういうふうに
言いつくろっているのでしょうか?
古来より神国には「神代文字」が使用されていたが、蛮夷で
ある中・韓の輩と相対するためにやむなく使いはじめたんでしょか?

536 :521:01/09/05 22:59 ID:VAV4RfPo
>>532
はっきりいって、僕には貴方の論点が分かりません。古事記と書紀の相違が問題なので
すか? 僕の論点はそんなところにはありません。書紀が神国思想に立った思想的史書で
あり、従ってこれに反する册封・朝貢という歴史的事実が書かれていないのは当然のこと
である。。。これだけのことですヨ。

推古紀の記事について言えば、(何度もいいますが)チャイナが他国との通交を朝貢と見
なしているのは、周知の事実なのですから別にどうと言うことはないのです。
問題は倭国が朝貢と認めていたかどうかであって、それを否定しておけば神国思想に反し
ないわけです。この場合は隋の国書に「皇帝問倭皇。。。」と書いてあり、返書に「東天皇
敬白西皇帝。。。」と書いたとしているのですから、結果として「皇と皇」の対等外交です
ね。これで神国の大義は充分通ったと判断したのでしょう。
(そもそも、こんなのは嘘っぱちで、隋が倭「皇」と書くはずがないし、「東天皇敬白西皇
帝」なんて国書を公式的に認めるはずがないのですが、隋書においてもその前の段階で「其
國書曰日出處天子致書日没處天子無恙云云」としているので、聖徳太子はあくまでも「皇=
天子」であることを貫きとおしたのです)

537 :521:01/09/05 23:36 ID:70MhUjC2
あまり聖徳太子や倭五王に関わるのはスレ違いになるので、卑弥呼に戻しますが、神功紀に
魏志の卑弥呼朝献記事や、晋の起居注の壱与貢献記事を注記しているのは、(衍文でないと
すれば。。。)極めて巧妙な情報操作だと見ることもできます。
確かにこの記事の読者は、卑弥呼と神功を連想するでしょう。しかし同時に「壱与」って何
だろうとも思うはずですね?
書紀には神功の後継者(宗女)である女王なんて、当然ながら影も形もありません。ここで
読者は魏志を見直すでしょう。そしてそこで邪馬台国が「南至。。水行十日陸行一月」とか
「自郡至女王國萬二千餘里」とかいう記事を発見することになりますネ。

彼等にとって邪馬台国は当然のこととして大和です。しかし郡から萬二千餘里であれば、まさ
に琉球のさらに果てになってしまうのに気がつくはずです。(彼等は短里なんて考えませんか
らね)そこで、彼等はチャイナの奴等は好い加減なことばかり書きおって。。。と笑い転げる
ことになり、親魏倭王の册封とか朝貢なんてのも例のチャイナ電波だと思い込むという寸法で
す。実に巧妙なチャイナ史書不信への操作だとすら思えるのですね。。。(W

538 :日本@名無史さん :01/09/06 07:40 ID:eVQAigyo
箸墓をテーマにした推理小説がトーハン総合2位とはビックリ!
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SE/Genre?dcode=06&ccode=99
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539 :日本@名無史さん:01/09/06 09:11 ID:KOyiyI3Q
え!樋■さんが殺されちゃう?モデルが露骨すぎないか?
寝台特急の中で十二人の正直な九州説論者にメッタ刺しにされるとか?

540 :日本@名無史さん:01/09/06 11:05 ID:.2m6uyjw
>>536
旧唐書や短里を持ち出したところを見ると、アンタもだいたい察してるようだけど、
532は古田の九州王朝説に未練があるんだろうな!

541 ::01/09/06 11:30 ID:x0t2c3vM
九州で一番大きな古墳が卑弥呼の墓。
西都原オサホズカ

542 :日本@名無史さん:01/09/06 11:41 ID:URLlR8D.
しかし程度の低い議論だね。
魏志倭人伝なんてノート2ページ分くらいの記述しかないのにそれだけで邪馬台国の位置なんてわかるわけないだろう。
もっと知恵働かしてさあ、朝鮮や中国のほうが古いのだからいろんな書物を総合的に読み比べて判断しないと魏志だけ頼っていたって
いつまでたっても判らんぞ!
卑弥呼の邪馬台国なんて当時の日本の首都なんだから1800年後の教科書に「東京」がどこにあったか特定できないなんて馬鹿な話ないわけで
卑弥呼の巨大な円墳(歩径100歩)が見つかればそれですむ事だろう。
まさか卑弥呼の墓が前方後円墳だったなどと抜かすキチガイいないだろうな。
それより戦前の政府がどうして卑弥呼の墓を隠蔽しなければならなかったのか。
どうして政府は古墳の調査をさせないのか?どうして奈良時代の資料を正倉院に保管して非公開(隠蔽)にするのか
もう少しアタマはたらかせて考えてミロ。!!!

543 :日本@名無史さん:01/09/06 12:38 ID:YUjjhCb6
程度が高いか低いかは、お前さんの理解能力によるが、各史書を総合的に読み比べれば、
落ち着く先は隋書の「都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」ってことになる。
この時期の倭国の都がヤマトにあったことは否定できない(古田信者は除く)から、大和
説で決まりってことだ。

しかし、後世の隋書の言うことが正しいとは限らないってことで、結局は魏志に還ってくる
わけだ。三国志以降の後漢書や晋書、宋書といっても、みんな三国志のコピベだし、朝鮮に
は記紀より古い書物なんて現存するわけがない。ここまでは分かるだろう?

後の「陵墓(参考地)発掘不許可」以外は、単なるお前さんの妄想だよ!
卑弥呼の墓だって「大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」としか書いていないんだから、解釈
次第ではどうにでも読める。別に円墳と決まってるわけでもないね。

544 :日本@名無史さん:01/09/06 16:22 ID:wbBRabDk
「徇葬者奴婢百餘人」の対応するのは宇佐だけだね。

545 :日本@名無史さん:01/09/06 17:28 ID:.rnbbgR.
>>544
USA が? USO やろ?

546 :日本@名無史さん:01/09/06 18:20 ID:JoJXRmi2
>>543
徑百餘歩って、円墳の言い方じゃないの?
前方後円墳だったら、徑百餘歩ってどの長さを言うんだろうか?

547 :日本@名無史さん:01/09/06 20:47
>>543
だから、日本書紀、古事記以外の古史古伝も大事なんでさあ。
日本書紀は天皇教のキョウギみたいなもので妄想なんだから、わかりっこないんだって。
榎説の言うとおり大和畿内説もいいけど天皇制を盲信するあまり畿内の邪馬台国が現在の天皇制に通じる
という被害妄想的ロマンもいいけどさあ。(チョンの奴隷化にあった日本という意味)
どんなにがんばっても九州しか考えられない。
まあ政治的主義主張から離れることだね。(畿内説を盲信する奴らに昭和天皇の戦争責任を追及する奴はいないだろう)

マア、お前さんが嫌がるカンダン古記でもよんでみろ。

548 :日本@名無史さん:01/09/06 20:50
訂正
榎説のいうとおりで、>>

549 :日本@名無史さん:01/09/06 21:06
>>546
徑百餘歩って、円墳を言った実例を出してみそ

550 :543:01/09/06 22:02
>>547
カンダンコキか。。。流石にこれは参ったね(W
お前さん、本当にこれ読んだことあるの? 下手糞な漢文で読みにくかったけど、俺は少しは読
んでみたよ。途中で余りのコリアマンセーずくめに馬鹿馬鹿しくなって、座布団にくるんで枕に
したが悪い夢を見た(W

はっきり言っとくが、歴史の真実を考察するに当っては、政治的主義主張から離れることだ。
イデオロギーのフィルターを通してたんじゃ、真実は見えてこないぜ!
天皇の戦争責任と邪馬台国の所在地を絡ませて、桓檀古記を読んだ結果が九州説とは。。。
真面目な九州説支持者が涙をこぼすだろうぜ!

551 :日本@名無史さん:01/09/07 22:51
昔は、九州説を支持していた。神話の中身、火のないところに煙は立たず、
と思ったので(皇祖が九州である旨のストーリー)。
最近は、やっぱり奈良盆地では?とも思う。箸墓古墳などの物的証拠を
見るにつけ・・・。
それにしてもあの時代、どのような過程で諸国統一がされたのだろうか。
とても興味深い。

552 :日本@名無史さん:01/09/07 23:06
レベルの低い話かも知れないけど、
卑弥呼の後継ぎの「台与」は「とよ」ですよね。
「台」って「と」って読めるの?
じゃ、「邪馬台国」は?
(次元の低い話だったらごめんなさい)

553 :日本@名無史さん:01/09/07 23:25
>>552
原文(?)は「邪馬壹国」「壹与」だけれど、この「壹」は「臺」の誤写
の可能性が高い。
そうだとすれば「邪馬臺」「臺与」は「ヤマタ(ダ)イ」「タ(ダ)イヨ」
あるいは当時の発音(異論はある)から「ヤマト」「トヨ」と読むべきです。

「邪馬臺」を「ヤマタ(ダ)イ」と読みながら「臺与」を「トヨ」と読むの
は明らかにおかしい。なお「臺」と「台」は本来別の字ですが、代用されて
いるだけです。

554 :日本@名無史さん:01/09/08 00:17
魏志倭人伝によれば、日本には女王がいたことになっている。一方、日本側の史料では、
女帝はいなかったことになっている。
隋書によれば、日本には男の君主がいたことになっている。一方、日本側の史料では、
女帝がいたことになっている。
そもそも、中国側の史料にある日本に関する記述って、信用していいものなの?
日本以外の国々、例えば朝鮮やベトナムについては、どうよ?
唐以降の史料にある日本に関する記述は、どの程度正確なの?
知ってる人は教えて!

555 :日本@名無史さん:01/09/08 02:16
>>554
日本には、少なくとも700年初に記述された史書があります。おそらくその伝承は、不完全にしろ数百年は
遡り得るものと推定できます。そしてその推定を裏付ける金石文や古代集落遺跡、また木簡・古墳等も不完
全ながら確認されていますね。
しかし朝鮮には金石文(質的には非常に優れている)は若干残っていますが、何故か木簡その他の資料はほ
とんど発見されておらず、史書は12世紀のものしかありません。(もちろん当時この基礎となった書籍等
はあったのでしょうが。。。)

その他の諸国もほぼ朝鮮と同様です。従ってその正確性(信憑性)を判断するのは極めて困難ですが、チャ
イナの史官の歴史に対する態度から見て、大筋において正確である可能性が高いと思います。しかし本当に
正確なのかどうかは、神様とトンデモさん以外には分からないといったほうが良いでしょう。(史書には誤
写や誤入も避けられません)

そこで、チャイナ史書と日本史書(記紀)の相違点についても、何らかの解釈によって大筋整合性があるな
らば、それが史実である蓋然性ありと判断すべきでしょう。(この整合性・蓋然性の判断が、史学の本質と
いえるのです。)

このスレ(その他の関連スレ)においても、女王問題をはじめとして、これらの解釈が様々に出されていま
すので、良くお読みになって貴方自身の基礎知識と判断力を磨くことをお勧めします。
(僕が参加しているのも、この目的があるからですが。。。ということでオヤスミナサイ)

556 :素人:01/09/08 04:11
ベスト新書から出ている、関裕二著の 検証 邪馬台国論争ってどうなの ?

中身はぶっちゃけた話、魏志倭人伝の記述からは場所は特定できない、
考古学的資料から三世紀に近畿に最大勢力があったとは言えるが、それが
即、邪馬台国であると断言するには、まだ材料不足。

 日本側の文献、日本書紀の記述の裏を読み解こう、というスタンスの
本で、神宮皇后 = 台与という視点で持論を組み立ててるようです。

557 :日本@名無史さん:01/09/08 05:51
>原文(?)は「邪馬壹国」「壹与」だけれど、この「壹」は「臺」の誤写
の可能性が高い。

江戸時代の医者が写し間違えたと聞いたことがある。
その後、邪馬台国と言われるようになった。

したがって、「邪馬壹国」は存在したが「邪馬台国」はもともと存在しなかったことになる。

558 :日本@名無史さん:01/09/08 09:18
卑弥呼は本当は「女王」では無いんでしょう?。ほとんど人と会わず見る人も少ない
のに、政治的権力を持っていたとは思えない。実際には「ヒ巫女」でしょう。

559 :日本@名無史さん:01/09/08 09:36
>>557 その江戸時代の医者っていうのは范蔚宗っていう中国人医者かい?

560 :日本@名無史さん:01/09/08 12:28
>>557
そりゃ違うよ。後漢書をはじめ三国志以外のすべての史書は、「臺」あるいは「堆」
等になっているので、「壹」は誤写ではないかというのがもともとの通説だったんだ。
それに対して古田が誤写ではなく、本来「壹」が正しいと主張したのがS46年頃の
「邪馬台国はなかった」だ。「臺」を「台」にしたのは単なる略字使用でしかない。

なお、多くの史書(写本)を比較検討した結果でも、この古田説を支持する学者は
誰もいないと思うよ。(チャイナの古墳から三国志の古写本でも発見されない限り、
「壹」説は日の目を見ないだろうな。。。)

561 :日本@名無史さん:01/09/08 13:37
>>558
むしろこの問題は「巫女」をどうして「ミコ」っていうかってことでしょう。
おそらく「(神)の御子(ミコ)」が、後にその価値が下落するとともに「巫
女」という漢字があてられたのではないでしょうか?
そうすると「ヒミコ」は「日御子」であり、太陽神の子としてのある種の称号
(尊称)だった可能性があると思います。僕はこれを男性世俗王より優位に立
っていた女性祭祀王の称号ではなかったかと思っているんですが。。。>>506

ところが、これを称号だったとすると、「臺与(トヨ・タイヨ?)」は何だとい
うことになりますね。僕は「卑弥呼」は別に諱名を持っていたが、既に祭祀女王
となっていたので、称号で呼ばれ記録された。。。「臺与」は日御子に就く前の
諱名が知られており記録された。。。こういう可能性を想定してるんですが?

562 :日本@名無史さん:01/09/08 13:42
>>558
巫女としての能力が政治を左右していたとおもうけど。

563 :日本@名無史さん:01/09/08 13:48
同時に武力を持つ筆頭者も存在したはず。
時代によってどちらが重視されるか変化していてもおかしくない。

564 :日本@名無史さん:01/09/08 13:55
>>551 >箸墓古墳などの物的証拠
漏れも大和説支持派だが、箸墓が三世紀墳だとはとても思えないのだが…
邪馬壹国の位置論争に決着を付けるのには、卑弥呼の塚か親魏倭王印を発見
するしか無いのだが、「物的証拠」の真贋は「古文献屋」の解釈だけでは、
無く「地面掘り」の意見も入れて判断してくれ。

>どのような過程で諸国統一がされたのだろうか
魏史にある卑弥呼擁立の過程がそうだろう。

565 :日本@名無史さん:01/09/08 14:11
>>563
武力を持つ筆頭者を誰に想定するかだけど、倭人伝からだと
男弟とか一大率のリーダーとか黄幢を賜ったのは難升米だったかな。
この人達はおそらく一定の支配領域をもった王(部族の長)と呼べるような存在
だったとも思える。誰だと思う?

566 :皮島紀子:01/09/08 14:13
最近思ったことは21世紀になって本当によかったと思うこと。インターネットが普及したおかげで
誰でも気軽に田布施のタブーに触れることができるのだから。一昔前なら、このことは田布施町民と皇族と総理大臣クラスぐらいしか知らなかった秘密だから。(案外中学,高校の日本史の先生も知ってる。ただし休み時間の話だけど)(授業中はもちろん明治天皇は実子!)
本当にいい時代がきたと思う。。・・
天皇制タブーを取っ払ったとき初めて真実の歴史が見えてくるから。
まだ、日本史版にも時の権力者にとってつごうのいい歴史(通史)が全て正しいと思い込んでるバカものいるけど。(藁)

大室明治天皇論が理解できて初めて黒板勝美教授が卑弥呼の墓(邪馬台国は西都原)(九州で一番大きな円墳が卑弥呼の古墳)。を隠蔽した理由もわかるし
(神武天皇と妻卑弥呼が朝鮮からやってきた事実を隠すため政府が隠蔽した。神武天皇様を生んだ神聖なる朝鮮民族を植民地化などできる分けナイとなる)
義経が平泉で死んだことになってるのに北海道のいたるところに義経滞在の石碑が残っているし修学旅行北海道だったけどいたるところでどれだけジンギスカン鍋食べさせられたことか。(藁)
朝敵になった義経が中国大陸でヒーローになったのでは、天皇を中心とする八紘一宇のイデオロギーは崩れる。それでは困るから政府が隠蔽して義経が平泉で死んだことにした。
天皇制は宗教だからこの根拠亡きタブーを除去しないとどうしても真実が見えてこない。

まだ橋本が言うように50年早いだろう。(このことを発表するまで)。日本が大統領制に変わるまで50年はかかるはずだ。このことを言うとキチガイ扱いされるうちはまだ天皇制利権にありついた方が賢明のようだ。もう少しオレ様に情報独占させてくれ。
                                                                                                                   (終)

567 :日本@名無史さん:01/09/08 14:21
>>566
禿同。
教科書どうりの歴史観ひけらかすやつマジうぜー。
卑弥呼の墓を隠蔽ってどうゆうことや?おしえてたもれ。

568 :日本@名無史さん:01/09/08 15:23
>>565

伊支馬だろう。
難升米は末盧國の水軍王。

569 :日本@名無史さん:01/09/08 17:09
伊支馬が男性世俗王。

570 :日本@名無史さん:01/09/08 17:23
魏志倭人伝の邪馬台国官は伊支馬、次官に弥馬升、弥馬獲支、奴佳てい
と記載されている。では伊支馬は伊古麻(生駒)、
弥馬獲支は御真木入彦(崇神天皇の名)、弥馬升を孝昭天皇の観松彦香殖稲に、
奴佳ては額田とされている。いずれも河内、大和に由縁のある地名である。
伊支馬には活目入彦五十狭茅(垂仁天皇)とも想定される。コピペ

571 :日本@名無史さん:01/09/08 17:27
>>566
あのなぁ〜もともと義経は朝敵といっても、天皇家に刃向かったわけでも何でもない。大天狗に
散々利用された挙げ句に捨てられ、頼朝の恫喝によって朝敵にされただけのことだ。

そして義経ジンギスカン説は、明治の馬鹿国粋主義者(アンタらのいうウヨだネ!)が日本人の
優秀性や大陸雄飛の夢を掻きたてるためにデッチアゲたトンデモ説だよ。北海道に残る石碑も、
それに迎合した国粋主義者のブッタテタものだ。(ごく一部にはそれ以前の判官ビイキによるも
のもあるがね) 幾ら明治政府でも、こんなトンデモに乗るわけにはいかないけれど、かといって
隠蔽など行う理由なんてまったくないよ。アンタが天皇制に反対するのは勝手だし、俺はそんな
ことには興味はないが、歴史を語るならセメテこの程度のことは弁えておけ!

572 :日本@名無史さん:01/09/08 17:45
ウヨサヨ論争に発展するからヤメー。

573 :日本@名無史さん:01/09/08 18:14
当時の倭は、まだゆるやかな小国の連合体
対馬・壱岐〜九州中・南部程度までが「倭」と呼ばれる地域の中心だった
その後、4世紀に初頭に、倭国内は一種の戦国時代を迎える
北部九州、南部九州(いわゆる熊襲や隼人)、出雲、吉備、畿内など
有力地域の王達によって、数十年の間その覇権が争われた
この間の歴史が「ヤマトタケル」の伝承として語り継がれている
書記にある崇神〜応神までの天皇は、年齢や諸伝から、実在性は疑問視されて
いるが、実際には、同一時代に存在したこれら諸地域の王達の歴史を
縦軸に直して当てはめて、畿内に連続した王権があったように見せかけている
だけである
群雄割拠の時代にピリオドを打ったのは、朝鮮半島における国の勃興であり
北部九州をその本拠地としていた神功〜応神勢力が、畿内に大王として
迎えられて、大和朝廷が誕生する
書記の編者達は、それを知っていたので、神功記に卑弥呼とトヨの事績を
書いた
倭→大倭となったのは、「倭」よりも、さらに広い環(ワ)を統合したという意味
しかし、大倭に至るまでの、統一過程がいかなるものであったのかということに
ついて、その詳細はよくわかっていない
ヤマトタケルを祭る神社が全国の至る所にあることから、この時期の戦乱が
大規模であり、かつ、おそらく相当に熾烈なものだったということは
推測できるが、それ以上のこと(原畿内王朝や、原出雲、吉備王朝の実態)は
闇に葬られたままである
ちなみに、倭人伝には官の名前は出てくるが、「その国は昔、男の王が治めて
いた」とか「男弟が政治を助けた」、「卑弥呼の後、男王が立ったが…」
等々、男の王の名が記録されていないのは偶然なのだろうか…

574 :日本@名無史さん:01/09/08 19:03
>>573
ってえと。。。天理・桜井にある箸墓・渋谷向山・行燈山等の巨大古墳は何時頃の
造営になるの? そして誉田山や大山は? アンタの意見なら箸墓は、戦国時代が終
わった4世紀中頃以降ってことになるのかな? そして5世紀初までの五十年間にこ
れらの巨大古墳がすべて造られたってこと? 僕は箸墓は遅くとも3世紀初だと思う
な(早ければ3世紀末まで)! そしてこんな馬鹿でかい古墳を造り、続いて渋谷向
山や行燈山等の古墳を造り続けた勢力が、戦国を戦った地方勢力とはとても思えな
いんだけどね?

575 :日本@名無史さん:01/09/08 20:21
>>546 「大作冢徑百餘歩」が円墳を意味するかどうかだけど、
>>542によればこれを「前方後円墳」と抜かすのはキチガイだそうだね(W・W
だけど実際にはこの表現でもって、「円墳」と断定するのには無理がある。
「徑」って言葉は、もともと「小道」「近道」という意味であり、そこから「差渡」
というような距離(長さ)を示すようになった。これが球体や円形に使われれば、
「径寸玉」のようにいわゆる直径(diameter)を意味することになる。
しかし、もとの意味から縦の長さや南北の長さに使われていことも多いんだね。
だから、仮に前方後円墳の大きさを示そうとすれば、縦(後円部端から前方部の端)
の長さを「徑」で示すこともあり得るということになる。(もちろん「長百歩」と
いう言い方もあるだろうけどね)
また、魏使が前方後円墳を見たり、墳墓の構造を聞いた場合には、後円部分を墓
(塚)と理解し、前方部分を葬礼儀式の場所と理解することもあり得る。その場
合には後円部分の直径のみを記録することも考えられるだろう。

576 :横槍:01/09/08 21:27
>>574 「僕は箸墓は遅くとも3世紀初だと思う」 >4世紀初の誤記かな。

ご参考までに >> http://homepage2.nifty.com/minami3/iseki/hashi.htm

577 :日本@名無史さん:01/09/08 21:36
>>576
本当だ! 誤記してますね。ご指摘ありがとうございました。

578 :日本@名無史さん:01/09/08 22:36
">>"を使ったレス指定のリンク機能が切れてるみたいだけど皆さん大丈夫?

579 :546:01/09/08 23:15
>>575
ありがとう。径百歩の塚が円墳とは限らないことがよく分かりました。
出来れば >>542 さんのご意見もお聞きしたいと思うけれど、無理ですか?

580 :日本@名無史さん:01/09/08 23:55
>>578
できるかな。

581 :日本@名無史さん:01/09/09 00:49
>>581
未だ出来ない・・・

582 :あほーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!:01/09/09 03:32
ダダだからね。邪馬台国が畿内な分けないの。ワカル?
本当に畿内説なら中国からの使者が瀬戸内海を横断する途中の例えば、周防大島
とか因島とか小豆島とか淡路島とかの様子の記載があってもいいわけだろ!
対馬とか壱岐とかの様子の記載が魏志倭人伝にかかれてて、瀬戸内海のこれらの島々の
様子は書かれてないだろ。だからね邪馬台国が畿内説などはじめから無理があるわけ。
悔しかったら魏志倭人伝から瀬戸内海のこれらの島々の記述を拾い上げてみろヤ!

583 :日本@名無史さん:01/09/09 03:47
>>583
あのね。魏使は、邪馬台国には行ってないの。
伊都国までしか行ってないの。
魏書にそう書いてあるの。
九州内のことだってあまり書いてないだろ。
訳文でいいから一度読んでみてね。

584 ::01/09/09 03:49
間違えた 583は >>582ね。

585 :日本@名無史さん:01/09/09 04:25
だったら榎説で十分だろ。
いってもいない偽・死倭人伝を今ここで議論し会ってるんじゃなかったのか稲?

586 :馬鹿には同じコビベ100がきく!!:01/09/09 04:42
卑弥呼の古墳を隠蔽した男・黒板勝美
1 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/06/09(土) 23:15

東大教授 黒板勝美。 西都原古墳オサメズカに土を持って変形型前方後円墳にしたてたのが彼の犯行。
それだけにはあき足らず、総督府修史委員会顧問として大正12年7月、対馬に史料採訪を行ったとき、朝鮮に関係ある文書古記録等が多数あることを知り、・・・古文書類66469枚 古記録類3576冊 古地図34枚 古画類18巻および53枚を押収。これら全てを焚書。
偽史シンジケートの指揮官 日本の恥 東大酷使学の教授 黒板勝美を考える。

587 :馬鹿には同じコビベ100がきく!!2:01/09/09 04:45
卑弥呼の古墳を隠蔽した男・黒板勝美
1 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/06/09(土) 23:15

東大教授 黒板勝美。 西都原古墳オサホズカに土を持って変形型前方後円墳にしたてたのが彼の犯行。
それだけにはあき足らず、総督府修史委員会顧問として大正12年7月、対馬に史料採訪を行ったとき、朝鮮に関係ある文書古記録等が多数あることを知り、・・・古文書類66469枚 古記録類3576冊 古地図34枚 古画類18巻および53枚を押収。これら全てを焚書。
偽史シンジケートの指揮官 日本の恥 東大酷使学の教授 黒板勝美を考える。

588 :畿内説馬鹿ウヨに昭和天皇の戦争責任問う者はいませんね!:01/09/09 05:04
馬鹿ウヨ三原則>>
一、誤字だった。
ニ、ヒトのせい
三、ウソのつきまくり。

歴史に天皇教持ち込むと全てトンデモ(トンデマ)の歴史になりますね。(結果、歴史教科書問題に行き着きます。)

589 :竹村健一も鹿島昇と同じこと言ってた:01/09/09 05:10
本当にいい時代がきたと思う。
天皇制タブーを取っ払ったとき初めて真実の歴史が見えてくるから。
まだ、日本史版にも時の権力者にとってつごうのいい歴史が全て正しい
と思い込んでるバカものいるけど。(藁)
大室明治天皇論が理解できて初めて黒板勝美教授が卑弥呼の墓(邪馬台国は西都原)
(九州で一番大きな円墳が卑弥呼の古墳)。を隠蔽した理由もわかるし
(神武天皇と妻卑弥呼が朝鮮からやってきた事実を隠すため政府が隠蔽した。
神武天皇様を生んだ神聖なる朝鮮民族を植民地化などできる分けナイとなる)
義経が平泉で死んだことになってるのに北海道のいたるところに義経滞在の石碑が
残っているし修学旅行北海道だったけどいたるところでどれだけジンギスカン鍋
食べさせられたことか。(藁)
朝敵になった義経が中国大陸でヒーローになったのでは、天皇を中心とする八紘一宇の
イデオロギーは崩れる。それでは困るから政府が隠蔽して義経が平泉で死んだことにした。
天皇制は宗教だからこの根拠亡きタブーを除去しないとどうしても真実が見えてこない。

まだ橋本が言うように50年早いだろう。(このことを発表するまで)。日本が大統領制に
変わるまで50年はかかるはずだ。このことを言うとキチガイ扱いされるうちはまだ天皇制利権に
ありついた方が賢明のようだ。もう少しオレ様に情報独占させてくれ。
                                       

590 :日本@名無史さん:01/09/09 06:07
>>573
倭人はいざこざがあったとき話し合いで解決(卑弥呼の共立など)する大人しい民族だった。
それが倭人(大人しい人)と言う意味だから。
一方、畿内人はと言えば日本武尊のように他部族を騙し討ちにしてまで征服する凶暴な民族だ。
だから畿内人は倭人では無いし、邪馬台国でもありえない。

591 :>>585:01/09/09 12:22
ダダだからね。邪馬台国が九州な訳ないの。ワカル?
本当に九州説なら中国からの使者が伊都国から同じく狭い島内にある邪馬台国
までの途中にある例えば斯馬とか已百支とか伊邪とか都支とか彌奴國とかの様
子の記載があってもいいわけだろ!
対馬とか壱岐とかの様子の記載が魏志倭人伝にかかれてて、九州島内のこれら
の国々の様子は書かれてないだろ。だからね邪馬台国が九州説などはじめから
無理があるわけ。
悔しかったら魏志倭人伝からこれらの国々の記述を拾い上げてみろヤ!

592 :日本@名無史さん:01/09/09 12:37
>>590
あのー、畿内でのタケル様はとてもお優しいお方でおはす。
東国ではたいそう悲しゅう事になられ白鳥に成られたお方どす。
他人に騙された事はあっても騙すような方ではおまへん。
ホムダの大王が攻め上られて来た後にそちらの別のタケル様のお話が
間違えて伝えられたのではないですか?タケル様って多い名前でしょ。

593 :日本@名無史さん:01/09/09 15:14
だからね、3世紀初頭は、前方後円墳が主流じゃないのよ。円墳が主流なの。ワカル?

594 :日本@名無史さん:01/09/09 17:23
>>593
貴方は卑弥呼の没年を何年頃だと言いたいわけ?

595 :日本@名無史さん:01/09/09 18:15
箸墓古墳って本当に卑弥呼の墓なの。

596 :日本@名無史さん:01/09/09 18:34
何だか急にレベルががたがたに落ちてしまったね。
数少ないまともなスレだったのに、悪貨は良貨を駆逐するって本当なんだ!

597 :日本@名無史さん:01/09/09 18:39
なんでそんな言い方するのか?単純な疑問です。>>576のリンク先見たら、
「最古型の埴輪などの破片が三千点以上出土していた。」
埴輪が出るということは、「徇葬者奴婢百餘人」に反するきがする。
陵のまわりにお供の人々が生きたまま埋められている悲惨な様子をみた垂仁天皇は
以後は殉死をやめて土で人や馬の形をつくって陵のまわりに立てるようにしたのが
埴輪のはじまりですから。

598 :日本@名無史さん:01/09/09 18:46
>>595 畿内説に立てば有力候補のひとつだね。ただし、決め手はない。
最近の考古学的成果によれば築造は3世紀半ばごろまで溯る可能性もあるそうだ。
ただし、墳型は当初より「前方後円」だったことが確認されたようなので、
卑弥呼墓円墳論者からは支持されない。もっとも円墳論者は九州説の人々だが。
私は、箸墓より古そうなホケノ山の方がふさわしいと思うのだが、金石文でも
出てこないことにはどうしようもない。
前の方のレスに箸墓発掘報告記事のWEBURLがあるから見てね。

599 :西都原からサンカクブチシンズイキョウたっぷり発掘:01/09/09 19:13
至るは途中駅につく事を示す言葉。
到るは目的地に到着する事を意味する言葉。

600 :日本@名無史さん:01/09/09 19:16
魏志倭人伝って中国古代の書物でしょ。
どのくらい信頼できるものなの?
ちゃんと、日本の過去の正しい事実を、正しい視点で書かれているのかなぁ?

601 :597:01/09/09 19:18
>>598さんありがと。見てみる。

602 :550:01/09/09 19:24
はっきり言っとくが、歴史の真実を考察するに当っては、政治的主義主張から離れることだ。
イデオロギーのフィルターを通してたんじゃ、真実は見えてこないぜ!
>>ダ   ・   カ   ・   ラ
畿内説論者に昭和天皇の戦争責任追及する奴いないだろうが
ヤマトではなく別倭、もしくは秦王国で今の皇室とは縁もゆかりもないの!関係ないの。
ついでに畿内説論者に日本書紀、古事記がカルト天皇教の嘘っぱち宗教本だと批判する奴いないのよ。
そろそろカルト天皇教のトンデモ妄想から目を冷ましなさい。
歴史教科書問題でお前らのせいで国民の血税、ODAという名目で何十兆円もゆすり取られている事に早くきずけよ。

603 :日本@名無史さん:01/09/09 19:30
古事記や日本書紀を経典みたいに盲信してる人なんて、一人もいないと
思うよ。

604 :https://gw.szk.freecom.ne.jp.2ch.net/ :01/09/09 19:31
もういいから。

違うみかたしないとこの話結論つかないよ!
どうして黒板教授が卑弥呼の墓(西都原オサホ塚)を隠蔽しないといけなかったか、そっちの話しようよ!

605 :日本@名無史さん:01/09/09 19:51
>>602
もうアンタの言いたいことは、だいたいわかったからいいよ。
だから、アンタ、どっか別の板でスレ立ててくんない?
他の九州説の人たちが迷惑してるよ。

606 ::01/09/09 19:59
>>604 九州で一番大きな古墳が卑弥呼の古墳であるわけないだろうよ(藁

607 :日本@名無史さん:01/09/09 20:02
そもそも、ある古墳を卑弥呼の墓と仮定する場合、その根拠は何なの?

608 :日本@名無史さん:01/09/09 20:05
>>607
さんかくぶちしんずいきょう

609 :日本@名無史さん:01/09/09 20:11
物証での決定は仮定する根拠になっても、確定する根拠にはならない。
もらった人から奪い取ったものかも知れないし、複数の古墳から出るかもしれない。

610 :日本@名無史さん:01/09/09 20:20
>>607 多くの状況証拠とほんの少しの比定者の願望。
確定するには、墓誌またはそれに類する金石資料が必要。

611 :日本@名無史さん:01/09/09 20:23
「卑弥呼」って、固有名詞なの?

612 :日本@名無史さん:01/09/09 20:31
>>611 貴方はどう思うの?

613 :日本@名無史さん:01/09/09 20:33
「卑弥呼」が特定の個人を指す言葉でなければ、「卑弥呼の墓」を特定する
こともできない。

614 :日本@名無史さん:01/09/09 21:24
卑弥呼は人名じゃないの?

615 :日本@名無史さん:01/09/09 21:26
ミマナとミマキとか、卑弥呼と日巫女とか、卑弥呼と姫子とか、
古代史って、ダジャラーの巣窟?

616 :日本@名無史さん:01/09/09 21:30
当時の倭では、ヒミコ(?)は固有名詞として使われていなかったと思うが、
魏書での「卑弥呼」は固有名詞と使われている。

617 :日本@名無史さん:01/09/10 02:21
なんかのほんで読んだけどさあ。
「倭」は土人(倭人)という意味で
「邪馬台国」の邪は邪悪な邪で
「卑弥呼」の卑は卑劣の卑だから
倭の邪馬台国の卑弥呼という事は、土民の住む島国の邪悪な国の卑劣な女王という意味になり
自分の国の人民(この場合日本人)が自分の国の王女に向かってこんなこといわないから
やはり中国史観で中国人が日本を見下した史観らしい!!。

618 :日本@名無史さん:01/09/10 02:23
cdd

619 :日本@名無史さん:01/09/10 02:45
卑弥呼は「フェニキア」の意。

620 :日本@名無史さん:01/09/10 02:47
なんで?

621 :日本@名無史さん:01/09/10 13:39
>>617
東夷伝の序を良く読め。
長老「異面の人、日の出所の近くに有り」と説く。・・・中略・・・
夷狄の邦といえども、俎豆の象存り。中國礼を失し、これを四夷に求む、猶お信あり。
其同異を列し、以って前史の未だ備わざる所を接ぐ。

長老がいうには「異面の人(即ち顔に入墨をした人)が日の出所の近く(日本の事)に住んでいる。」と教える。
中国において礼が失われた時、四夷の国にこれを求めよう。夷狄の邦といえども猶お信あり。
・・・よって前史(書)に記載されていないことを補う為にこれを(東夷伝)を書くのである。

つまり漢から正式に譲位されて国王となった魏の皇帝に対し、中国では蜀や呉が逆らって戦争が続いている。
今や昔、孔子が言った、「我これを聞く、天子、官を失すれば学は四夷に在りと、猶お信なり。」
の通り東方に倭人の国あり、公孫氏を滅ぼすやただちに正当な王朝である魏に朝貢をしてきた。
誠に「夷狄ながら礼節をわきまえた国である。
であるからこの国の事を書き記すのである。」
と言っているのだ。
中国人が日本を見下した史観ではなく呉や蜀より立派な国だと言っているのだよ。

622 :日本@名無史さん:01/09/11 00:19
>>621
まだこんなこと言ってる。多少は進歩したようだが
東夷伝は倭人伝のためにあるんじゃないよ。

623 :日本@名無史さん:01/09/11 19:12
「箸墓幻想」が流通最大手の日販で1位だ!
http://news.yahoo.co.jp/ranking/php/book/a.html
総合(日販調べ 2001年9月10日) 毎週火曜日6時 更新
順位 前週 書名 著者 出版社 価格
1 - 箸墓幻想 内田康夫   毎日新聞社 1700円
2 1 十二番目の天使 オグ・マンディーノ 坂本貢一訳  求龍堂 1200円
3 2 プロジェクトXリーダーたちの言葉 今井彰   文藝春秋 1238円
4 - ふぐママ 室井滋   講談社 1280円
5 7 日本を救う9人の政治家とバカ1人 浜田幸一   双葉社 1400

624 :デンパ?:01/09/11 19:22
卑弥呼=日霊女?

625 :デンパ?:01/09/11 19:30
621貸間に聞きたい。
水行10日で熊本ならわかるがそこから大分経由で陸行1月はどうかな。
サイトなら陸行17日では?

626 :紋次郎:01/09/11 19:33
二位尼曰く
「波の下にも都はございます。」よって瀬戸内海。

627 :集計結果だよ:01/09/11 19:48
http://www.enquete.ne.jp/hundred/survey/20000919-4/stat/やはり九州説だね

628 ::01/09/11 19:57
98/09/10
今日のニュース報道で、箸墓古墳の年代が、3世紀終期と伝えられました。
出土物からの推定です。ヤマタイ国畿内説の方々は困るでしょうネ。

629 :日本@名無史さん:01/09/11 20:01
東西1.3km南北3.2km
の日本最大規模の西都原古墳群です
昭和27年に国の特別史跡に指定され
ました。311基ある古墳で代表的なも
のは、ニニギノミコトの御陵といわれる
「男狭穂塚」(オサホツカ)とコノハナサ
クヤヒメの御陵といわれる「女狭穂塚」
(メサホツカ)であります。大勢の人でにぎわいます。

630 :どうして宮内庁はサイトの古墳を調査させないの:01/09/11 20:25
このように西都原古墳郡は謎めいた神秘的な場所です。330基もある古墳のうちほとんどの古墳がまだ発掘されず、古代のままの形で残されているのです。これから発掘されるなかで思わぬ太古のロマンが解明されるかもしれません

631 :日本@名無史さん:01/09/11 22:39
a

632 :日本@名無史さん:01/09/11 23:15
>>628
えーかげんなニュースで一喜一憂せんよ。

633 :日本@名無史さん:01/09/15 09:52
>>628
別に困らんよ。

634 :日本@名無史さん:01/09/15 10:37
>>628
だーかーらー 箸墓は大和最古じゃないんだってば

635 :日本@名無史さん:01/09/15 12:12
で、その出土物って何かな?
布留0とか言ったら嗤うよ。

636 :日本@名無史さん:01/09/15 12:59

どうせ九州説の人のいうことは出所不明の怪情報さ

637 :>>628:01/09/15 16:51

>98/09/10
>今日のニュース報道で、箸墓古墳の年代が、3世紀終期と伝えられました。
98年9月10日付ってやけに古いニュースソースやね。
確か箸墓周辺の考古調査は今年も実施してたと思ったが。

638 :日本@名無史さん:01/09/15 18:16
おばかの九州者の手口はいつもそうだ。
とっくに否定されたような古い説をほじくり出してきて
「画期的な新説がでて畿内説は苦しくなったな」とか嘘ついてアオル。
今回のは日付入りで馬脚・・・

639 :日本@名無史さん:01/09/15 18:51
しかし 01/09/11 19:57付けで

>98/09/10
>今日のニュース報道で、箸墓古墳の年代が、3世紀終期と伝えられました。
>出土物からの推定です。ヤマタイ国畿内説の方々は困るでしょうネ。

って書く>>628の感覚って何? 今日はいつ?

640 :日本@名無史さん:01/09/15 18:59
>>630
そうやね、西都はもっと調べて欲しいね。
でも、漏れは畿内説だけど。

641 :日本@名無史さん:01/09/15 19:47
98/09/10 を今日のニュース報道という>628は繰っテルと思われ

642 :日本@名無史さん:01/09/16 22:32
628は
「98/09/10
 今日のニュース報道で、箸墓古墳の年代が、3世紀終期と伝えられました。
 出土物からの推定です。ヤマタイ国畿内説の方々は困るでしょうネ。」
の全文がコピーで自分の意見は一切入っていない模様。
どっかのBBSで見た記憶あり。

643 :日本@名無史さん:01/09/16 22:43
どっちにせよ昨今の九州説支持者のレベル低下を物語る投稿だな
痛ましい限りだ

644 :日本@名無史さん:01/09/16 23:05
違うな。3年前から低かったという記録だ。

645 :日本@名無史さん:01/09/17 00:36
で畿内説の皆さんは、卑弥呼の墓はどこだと。
やはり箸墓?それともホケノ?石塚?勝山?東田?それとも・・・

646 :双方に聞かないと不公平だからね:01/09/17 00:40
で九州説の皆さんは、卑弥呼の墓はどこだと。
やはり・・・・あれ!候補がない!!

647 :日本@名無史さん:01/09/17 12:01
福岡ドーム

648 :着ない説盲信する奴らにカルト(天皇)狂の疑いあり:01/09/17 17:43
東西1.3km南北3.2km
の日本最大規模の◎◎古墳群です。

邪馬台国はどこにあると考えますか?
(回答総数 100)
[カテゴリー] [件数] [%]

1. 畿内 32 32.0

2. 九州 51 51.0

3. 吉備 1 1.0

4. 四国 7 7.0

5. その他 7 7.0


無回答 2 2.0





0%→ ←100%


--------------------------------------------------------------------------------

649 :旧習説盲信する奴らに脳梅の疑いあり :01/09/17 19:24
0% ←知性

650 :   :01/09/17 19:41
近畿で遺跡がみつかると、これが邪馬台国!と叫ぶブアカ。
エジプトだとでも言っておけ。

651 :日本@名無史さん:01/09/17 20:02
九州で遺跡がみつからないので
これが邪馬台国!と叫びたくても叫べないハイザンシャ。
海の底だとでも言っておけ。

652 :    :01/09/17 20:15
九州に遺跡があるのを知らない、ヴアカ。
前方後円墳以外は遺跡でないと叫ぶ、ヴアカ。

653 :日本@名無史さん:01/09/17 21:06
あるあるとだけはいえても遺跡名はいえないヴアカ。

654 :日本@名無史さん:01/09/17 21:08
西都原

655 :日本@名無史さん:01/09/17 21:12
その一言をいえるヴアカ。

656 :邪馬台国はエジプトじゃ:01/09/17 23:21
九州の遺跡で具体的に名前が上がるのは西都原だけか(ワラ

657 :日本@名無史さん:01/09/17 23:23
w最高バカw

658 :大室寅之スレGK 25歳:01/09/17 23:25
平原遺跡があるだろ

659 :邪馬台国はエジプトじゃ:01/09/17 23:37
>>658
平原が邪馬台国じゃあ、魏志倭人伝と全く一致しないじゃん。

660 :大室寅之スレGK 25歳:01/09/17 23:41
>>659
魏志倭人伝と全く一致しないから、でしょ。
吉野ヶ里、甘木、早良・・・・
いくらでもあげられるでしょ。

661 :邪馬台国はエジプトじゃ:01/09/17 23:47
>>660
>吉野ヶ里、甘木、早良・・・・

全然場所が違うようだが。
一体どこが邪馬台国なんだい?

662 :邪馬台国はエジプトじゃ:01/09/17 23:48
>>660
そうそう、忘れちゃいけないよ。
今の問題は、卑弥呼の墓はどこか?だ。

ちゃんと流れを読もうな。

663 :日本@名無史さん:01/09/18 00:05
径百余歩っていうからには円墳だから前方後円墳なわけはない!!
        って言い張る人に限って
平気で平原とか言うんだよねー
        あれ四角いのにねー

664 :大室寅之スレGK 25歳 :01/09/18 00:08
宇佐の大元山はどうでしょ?

665 :       :01/09/18 00:11
場所は未確定。
近畿説は最初っから論外(笑)。

666 :日本@名無史さん:01/09/18 00:15
自説の確定も出来ないで他説を論外とか強がり言うのは惨めさの極みだな

667 :日本@名無史さん:01/09/18 00:16
>>664 なんか出てる?

668 :日本@名無史さん:01/09/18 00:21
>>665
あらあら! >>653であざ笑われた
       “あるあるとだけはいえても遺跡名はいえないヴアカ”
を実践しちゃったねぇ。。。

669 :大室寅之スレGK 25歳 :01/09/18 00:27
>>667
いや、宇佐神宮の神域内なので発掘どころか一般人は立ち入る事さえ出来ません。

戦後、GHQも簡単な測量をしただけです(しかも神官らが測量・・・・)

670 :日本@名無史さん:01/09/18 00:35
神域にゃ入れなくたって、ヒミコの都があったくらいなら
普通まわりでなんかクサいものが出るじゃん!

671 :大室寅之スレGK 25歳 :01/09/18 00:59
出てますよ。勾玉とかいろいろ。

672 :日本@名無史さん:01/09/18 01:14
宇佐説は、コヴァ

九州ならせいぜい福岡湾沿岸、川添平塚、吉野ヶ里くらいが候補

673 :日本@名無史さん:01/09/18 01:58
妄想と未確認情報だけが九州説者の生きる糧ってわけだ

674 :日本@名無史さん:01/09/18 02:17
何かレスが荒んでますね。
ところで、倭人伝の卑弥呼の墓には殉葬が行なわれたことになってる
けど、この問題をクリアできる方法って有るんでしょうかね・・・
大型円筒埴輪がその痕跡だと言う話もありますが。どうでしょ?

675 :日本@名無史さん:01/09/18 05:59
奴隷用には埋葬施設がないので痕跡なしに2000モナー

676 :日本@名無史さん:01/09/18 10:36
>>674
吉備で特殊器台を埋葬用に使っていた例があるから
卑弥呼の墓説が有力な箸墓の特殊器台も同じ使い方をした可能性があると思う
巨大な円筒埴輪を殉葬に使ったとする説は平原弥生古墳の発掘で知られる原田大六氏が
ずっと以前から主張していました ちなみに彼は当時から箸墓=卑弥呼の墓説でした

677 :大室寅之スレGK 25歳 :01/09/18 14:00
>>672-673
別に九州説にこだわってる訳じゃないけれど・・・・
まあ、室町後期の本願寺みたいなもんじゃないっすか?邪馬台国って。

ここいらで引っ込んどきます。あとはよろしゅう。

678 :日本@名無史さん:01/09/18 20:23
石山本願寺?

679 :日本@名無史さん:01/09/18 22:02
先入観を除いて読むと
畿内まで含めた大きな地域を対象にしているとは思えないんだけど…
対馬〜壱岐〜伊都までって結構詳細に書いてて
今の地図でも何となく場所がわかりそうじゃん
トモ国とヤマト国は離れてそうな感じはするけど
もっと遠い国もあるし、その国々までの距離はわからないって
書いてるよね
女王国の尽きる奴国の南にクナ国があり、女王国の東に千里行くとまた倭人がいる
ってことは
九州島の範囲内で書いてるって考えた方がわかりやすいと思うんだけど…
推古期に隋の使者が来た時、水上での出迎え儀式に10日費やしたことを
書いてて、それをトモやヤマトへの距離に当てはめようとしている議論があったな

680 :日本@名無史さん:01/09/18 22:46
卑弥呼の墓論争を楽しみにしてたのに、罵倒合戦だけで九州軍団は撤退
しちゃいましたね。日本の年代年輪学の実証性とか、「無槨」の古墳の
話とか期待してたんですが。私も畿内大和派なんですが、AD250頃の150m
級で手頃なものは、そんなに無いと思うんですが・・・
>>679 倭人伝の記載全体を整合性つけて解釈しようとすると「電波」に
なるしか無いとおもいますけど。

681 :日本@名無史さん:01/09/19 00:40
>>679
>畿内まで含めた大きな地域を対象にしているとは思えないんだけど…

これを先入観といふ

682 :>680:01/09/19 00:50
年輪年代法は、むかしここで議論してたな。
橿原研のやつまででてきて必死に防戦しとった。

まあ、年代法は、いいいかげんもんよ。
Mしか、やっとらんから、実証しようがないわな。
そもそも九州の木製品は、測定しとらんとこなんか
政治的だしな。

683 :日本@名無史さん:01/09/19 06:02
>>680
魏では薄葬令がでていて墓の大きさは小さかったと言う議論は既になんどもなされた。
箸墓を卑弥呼の墓に想定すると箸墓以前にホケノ山や勝山、石塚など魏やその周辺国
に見られない巨大な墓があったことになる。
魏使がこれを見たら邪馬台国には「大きな墓がある。」と書かない筈がない。
東夷伝には各国の墓制について詳細に記載されているのだから。
つまり巨大古墳の存在が畿内邪馬台国説を否定している。

684 :日本@名無史さん:01/09/19 10:23
「箸墓以前にホケノ山や勝山、石塚」だなんて、箸墓が傑出しているでしょ
う。同時期で箸墓に匹敵するなら西殿塚でしょうが、ひょっとして箸墓を
卑弥呼・台与合葬として、西殿塚はミマキイリヒコイニエノスメラミコトで
しょうか?

685 :日本@名無史さん:01/09/19 10:58
>>677
箸墓の特殊器台に殉葬の痕跡が見られればまた一つ問題が解決するが

686 :日本@名無史さん:01/09/19 18:04
>>683
おいおい。。。魏は薄葬だったが、漢代の墓を見慣れた魏使からすれば、ホケノ・
勝山・石塚程度ではとても巨大だなんていえない。。。って議論もあっただろうが?

687 :日本@名無史さん:01/09/19 18:16
そだね! 石塚が巨大ならば、北九州最古の前方後円墳(?)らしい
那珂八幡だって巨大じゃないかって話になって、この話は終わったよ
うな気がする。(もっとも那珂八幡が石塚とほぼ同時期かどうかは未
決だけど、同時期だと言ってたのは確か九州説論者だった)

688 :日本@名無史さん:01/09/19 19:25
どっちにせよ現に「大いに冢を作る」って書いてあるんだから大きいんだよ。
>>683は毛が三本足りない人物と思われ。

689 :日本@名無史さん:01/09/19 21:04
とにかく、検証 邪馬台国論争(関裕二著)を読んでから来てくれ。
話はそれからだ。

690 :日本@名無史さん:01/09/19 21:09
やだねったら、やだね。

691 :日本@名無史さん:01/09/19 21:33
一生呉下阿蒙でいな。

692 :日本@名無史さん:01/09/19 21:41
あの文脈はどうにでも解釈できるって言っちゃったら終わりだと思うんだけど

693 :日本@名無史さん:01/09/19 21:42
>>689
関裕二?おいおい、古田や安本をはるかに超える電波じゃないか(馬鹿藁)

694 :日本@名無史さん:01/09/19 21:47
>>689 おいおい。。。関裕二だって?
まさか「カゴメカゴメ」を読めってんじゃなかろうな(藁屑

695 :名無し:01/09/19 21:50
魏志倭人伝は、古事記だってさ。日本人が話したのを歴史として書いた。
卑弥呼は日の御子だ。
だから古事記に似ているじゃなくて、古事記そのものなんだ。

696 :日本@名無史さん:01/09/19 22:35
>693,694
おいおい、読んでもいないのに書評を書く評論家、乗ったことも無いのにロード・インプッレッションを書く自動車評論家。
奴らをどうこういう権利はお前たちにはないな。
お前らがオナニーを2回我慢したレンタル・ビデオ代で買える金額だ。
こんなにありがたい話があるか?(藁

697 :日本@名無史さん:01/09/19 23:01
「読む気も起こらない、乗る気もしない」も評論のうちだ。

698 :日本@名無史さん:01/09/19 23:05
ホントのところアカデミックなところでは邪馬台国ってどうなの?
その実在とか比定地とか、もうどうにもならんことのように思える
のですが。

699 :日本@名無史さん:01/09/19 23:28
世には、わかっているやつと、わかっていないやつ、この2種類の人間しかいない。
そして、わかっていないやつをバカと呼ぶ。
>「読む気も起こらない、乗る気もしない」も評論のうちだ。
と厚顔無恥を、わかっていないやつという。

700 :日本@名無史さん:01/09/19 23:36
アカデミックなところではもう決定事項。
アマチュアは九州と叫ぶ。

701 :日本@名無史さん:01/09/19 23:38
>>699
そんなゴネてまでセキユージ持ち上げて、あんたどーすんの?(憫笑)

702 :日本@名無史さん:01/09/20 02:26
いいから読めよ、タコ助(w

703 :日本@名無史さん:01/09/20 05:47
>>570
魏志倭人伝の邪馬台国官は伊支馬、次官に弥馬升、弥馬獲支、奴佳てい
と記載されている。では伊支馬は伊古麻(生駒)、
弥馬獲支は御真木入彦(崇神天皇の名)、弥馬升を孝昭天皇の観松彦香殖稲に、
奴佳ては額田とされている。いずれも河内、大和に由縁のある地名である。
伊支馬には活目入彦五十狭茅(垂仁天皇)とも想定される。コピペ

ってすごくないですか?

704 :日本@名無史さん:01/09/20 06:52
>>702 やだ

705 :連載復活「風雲児児たち」:01/09/20 08:55
安彦良和の漫画「ナムジ」「神武」では、九州の山門に建国されて、
その後、奈良県の三輪に移ったってことになってたな。
んでもって、山門に残った一部のが、さらに南下して、どこだったっけ、
九州南部に新邪馬台国(ヤマト国)つくったとかなんとか、
詳しくは、読んでみて下さいませ。


【情報!!】
コミックトム(三国志とかTPぼんとか掲載)で連載されていた、
関ヶ原から幕末までを描く大河ギャグロマン漫画
みなもと太郎作、「風雲児たち」が連載復活!!

応援スレッドはココ!!
http://salad.2ch.net/test/read.cgi?bbs=comic&key=988339487

706 :日本@名無史さん:01/09/20 14:51
あのな〜安彦良和の元ネタが関裕二なの。

707 :日本@名無史さん:01/09/20 20:01
>>706
うそばっかついて、まあ(笑)

708 :日本@名無史さん:01/09/20 23:40
う〜ん、わからん世界だ。

709 :>700:01/09/21 01:21
>アカデミックなところではもう決定事項。
>アマチュアは九州と叫ぶ。

素人相手にデマは、やめようぜ。
少なくとも森や奥野は、お前よりは、「アカデミック」だな。

710 :>687:01/09/21 01:29
那珂八幡は、庄内期で三角が出土した珍しい古墳だが、三角は第2主体から出土からだわな。
柳田氏は、奈良と同時期だと想定しているが、橿原研の連中は、当然そうは思っとらんわな。

711 :日本@名無史さん:01/09/21 01:49
>>709
ただのボケジジイじゃん。

712 :日本@名無史さん:01/09/21 01:50
>>709
素人相手にデマは、やめようぜ。
少なくとも森や奥野は、もうご隠居様だわな。

713 :>712:01/09/21 02:01
>少なくとも森や奥野は、もうご隠居様だわな。

樋口のボケよりはマシだな。

714 :へんなくま:01/09/21 21:49
交換希望

当方福岡

大阪近鉄バファローズの古久保と、邪馬台国が有った権利を
交換していただけないでしょうか?

商談成立後、邪馬台国は、近畿にあったということで結構です。

なんでしたら、おまけに鳥越を付けます。

715 :日本@名無史さん:01/09/21 22:25
古田と安本のトレードはいかが?

716 :日本@名無史さん:01/09/21 22:52
>>714
奈良と大阪を何でトレードせなあかんのや?

717 :日本@名無史さん:01/09/21 22:56
どっちが損するんだろう。微妙だ。

718 :日本@名無史さん:01/09/22 00:32
九大で畿内説は、西谷くらいだな。

719 :日本@名無史さん:01/09/22 00:57
おいおい、小田や武末はどうした?

720 :日本@名無史さん:01/09/22 00:59
古田信者かかってこいや。

721 :賛成:01/09/22 01:02
平和憲法はかつてない危機にあります。
いまこそ、憲法の精神をしっかりと生活の中に実現させ、
歴史に悔いをのこすことのないよう、取り組みをつよめましょう。
こころあるすべての人びとが思想・信条・立場の違いを超えて協働して立ち上がるべきときです。
明日からではなく

自衛隊海外派遣を阻止しましょう。
憲法調査会の改憲妄動を阻止しましょう。
アジアの人びととともに戦争への道を許さない力強い運動をおこしましょう。
市民団体・個人のつながりをひろげて行きましょう。

722 :日本@名無史さん:01/09/22 01:30
年輪年代法信者は、消えたか

723 :日本@名無史さん:01/09/22 09:13
箸墓はナガズネヒコの墓ということで決着がついています

724 :あぼーん:01/09/22 09:16
あぼーん

725 :日本@名無史さん:01/09/22 10:22
>>714
福岡に『邪馬台国が有った権利』なんてないだろ。
これは詐欺として立件できそうだ。

726 :日本@名無史さん:01/09/22 12:08
邪馬台国が有ったと言い張る権利は、憲法で保障された基本的人権のひとつです。

727 :¥¥¥¥¥:01/09/22 17:37
q

728 :1234:01/09/22 17:38
邪馬台国の場所を隠蔽するわけ1.
1 名前:竹村健一も鹿島昇と同じこと言ってた 01/09/09 05:23
松尾タカシ・・・「邪馬台国の位置はわかっているのに隠蔽しないといけないリユウがある。」と
発言。
竹村健一「狗邪韓国は南朝鮮と九州の宇佐両方にテリトリーがあったことを認めないから、邪馬台国が判らない」
と発言。※鹿島昇と同じ意見。
これが理解できないと邪馬台国が畿内などという妄想トンデモになります。

卑弥呼の古墳を隠蔽した男・黒板勝美
東大教授 黒板

729 :日本@名無史さん:01/09/22 23:35
吉外には自分が正常で自分以外の世界じゅうが発狂してるように見えるんだろうなあ

730 :日本@名無史さん:01/09/22 23:52
そもそも倭人伝だけで古代史を解明しようとするから、こんなことになってしまったんじゃない。

731 :あのなぁ:01/09/23 00:26
滋賀県の国友に行って聞いて来いよ、そんなの。
たしか資料館があったぞ。
あるいは大阪府の堺で聞いてこい。
ここには鉄砲保存会がある。職人住居は非公開。
なんなら種子島まで行くか?
あそこも鉄砲保存会があるぞよ。

以上

732 :あのなぁ:01/09/23 00:30
スマンナ・・・
書き込んでる間にすれに引っ越されてこうなった。

733 :日本@名無史さん:01/09/24 07:06
時代は下る話だけど14C年代と年輪年代とのクロスチェックが楽しみだな
日本でも年輪年代法の研究者が増えて信頼性を確認することが必要だ
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn01092306.html
 出雲大社境内遺跡で取り上げられた、平安時代末から鎌倉前期とみられる本殿の心御柱(しんのみはしら)の伐採時期を、放射線炭素年代測定によって探るためのサンプル採取が二十二日、松江市の県埋蔵文化財調査センターであった。
 国立歴史民俗博物館の今村峯雄教授、名古屋大年代測定総合研究センターの中村俊夫教授らが、二十一日に取り上げた心御柱の北側材(樹齢約百十年)の底面から採取した。
 植物内の放射性炭素量が一定の速度で減るのを応用して年代を判定する手法で、樹皮から年輪十年ごとに約一グラムずつ摘出した。処理後、加速器質量分析にかけ、伐採年をつかむ。建築時期を推測する大きな資料になる。
 出土土器や文献から、遺構は一一九〇(建久元)年か一二四八(宝治二)年の造営とみられる。昨年秋に取り上げた宇豆柱は今回と同じ測定で「一二三〇年前後十五年」伐採との報告が出ている。心御柱の測定結果が注目される。
 大社町教委は、気候変動などを加味した樹種ごとの年輪パターンで時代を探る年輪年代測定も予定。より総合的に建築年代の特定を目指す。

734 :日本@名無史さん:01/09/24 12:09
だけどイト国から(前原)水行10日、陸行1月なのにどうして北九州説になるの?
少なくとも九州地方南部でなければおかしいだろ。
九州地方南部で一番大きな遺跡が見つかればそれで解決だろう。

735 :悔しかったらサイトの古墳調査させろ(発掘したら困ることあるの(藁:01/09/24 12:16
邪馬台国の場所を隠蔽するわけ1.

1 :竹村健一も鹿島昇と同じこと言ってた :01/09/09 05:23
松尾タカシ・・・「邪馬台国の位置はわかっているのに隠蔽しないといけないリユウがある。」と
発言。
竹村健一「狗邪韓国は南朝鮮と九州の宇佐両方にテリトリーがあったことを認めないから、邪馬台国が判らない」
と発言。※鹿島昇と同じ意見。
これが理解できないと邪馬台国が畿内などという妄想トンデモになります。

卑弥呼の古墳を隠蔽した男・黒板勝美
東大教授 黒板勝美。 西都原古墳オサホズカに土を持って変形型前方後円墳にしたてたのが彼の犯行。
それだけにはあき足らず、総督府修史委員会顧問として大正12年7月、対馬に史料採訪を行ったとき、朝鮮に関係ある文書古記録等が多数あることを知り、・・・古文書類66469枚 古記録類3576冊 古地図34枚 古画類18巻および53枚を押収。これら全てを焚書。
偽史シンジケートの指揮官 日本の恥 東大酷使学の教授 黒板勝美を考える。

本当にいい時代がきたと思う。
天皇制タブーを取っ払ったとき初めて真実の歴史が見えてくるから。
まだ、日本史版にも時の権力者にとってつごうのいい歴史が全て正しい
と思い込んでるバカものいるけど。(藁)
大室明治天皇論が理解できて初めて黒板勝美教授が卑弥呼の墓(邪馬台国は西都原)
(九州で一番大きな円墳が卑弥呼の古墳)。を隠蔽した理由もわかるし
(神武天皇と妻卑弥呼が朝鮮からやってきた事実を隠すため政府が隠蔽した。
神武天皇様を生んだ神聖なる朝鮮民族を植民地化などできる分けナイとなる)
義経が平泉で死んだことになってるのに北海道のいたるところに義経滞在の石碑が
残っているし修学旅行北海道だったけどいたるところでどれだけジンギスカン鍋
食べさせられたことか。(藁)
朝敵になった義経が中国大陸でヒーローになったのでは、天皇を中心とする八紘一宇の
イデオロギーは崩れる。それでは困るから政府が隠蔽して義経が平泉で死んだことにした。
天皇制は宗教だからこの根拠亡きタブーを除去しないとどうしても真実が見えてこない。

736 :サイトから三角縁神獣鏡出土したらしいじゃないか!:01/09/24 12:23
東西1.3km南北3.2km
の日本最大規模の●都○古墳群です。

邪馬台国はどこにあると考えますか?
(回答総数 100)
[カテゴリー] [件数] [%]

1. 畿内 32 32.0

2. 九州 51 51.0

3. 吉備 1 1.0

4. 四国 7 7.0

5. その他 7 7.0


無回答 2 2.0

737 :日本@名無史さん:01/09/24 13:44
二人にひとりは脳たりん

738 :教えてクン:01/09/24 13:59
しつも〜ん。
デムパな人は何故いつも同んしコピぺばっかしを使うの?
だれ〜もお返事書いてくれないからかなー。
ふつ〜な人達は、どうしてお返事してあげないのかな?

739 :有栖川宮調査班:01/09/24 16:41
ここで騒いでる西都バカ

品川区●●●●3-13-21-305



740 :日本@名無史さん:01/09/24 22:55
水行10日、陸行1月は帯方郡からの日程だっちゅうの。
「距離は万二千余里、水行で10日と徒歩で一月かかるよ。」
と言っているにが判らない馬鹿。

741 :日本@名無史さん:01/09/24 23:17
それは漢文としてはありえない、と言っているにが(原文ママ)判らない馬鹿。

742 :きゅうしゅう:01/09/24 23:54
帯方郡から女王国まで一万二千里、
帯方郡から伊都国まで一万五百里、
九州以外にどこが考えられるかな。

743 :日本@名無史さん:01/09/25 01:56
九州説のひとは脳みそが単純でいいね。心底うらやましいよ。

744 :>743:01/09/25 01:58
年輪年代法を信仰して疑わない畿内説信者は脳味噌が単純でいいね

745 :日本@名無史さん:01/09/25 06:42
>>741
漢書西域伝に難兜国と「ケイ」賓国の距離を
西南至「ケイ」賓三百三十里。
東北至難兜国九日行。とある。
同じ行程を行きと帰りで片方は里程、片方は所要日数で書かれている。

漢文として有りうる事だ。判らんかね。

746 :日本@名無史さん:01/09/25 07:02
はいはい(あきれ顔)
難兜国の条に「西南至るケイ賓、三百三十里」って書いてあって
ケイ賓国の条に「東北至る難兜国、九日行」って書いてあるんでしょ!
だからどうしたの?

747 :日本@名無史さん:01/09/25 07:19
漢文よめないことが九州教に入信できる第一条件どすえ

748 :日本@名無史さん:01/09/25 13:29
>>746 330里=九日行 330里÷9日=36.7里/日
陸行五百里到伊都國 500里÷36.7=13.6日
陸行一月 30日×36.7=1,101里
至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月 水行10日+1,101里

計算しました、あってる??

749 :やっぱりきゅうしゅう:01/09/25 18:39
邪馬台国は「魏志倭人伝」に出てる国でしょう。
だったら「魏志倭人伝」に出てる条件で探すべきでしょう。
読み方によりどことでも解釈できるような部分はさておき、

「帯方郡から女王国まで一万二千里、
帯方郡から伊都国まで一万五百里、」

これは単純ですよね。この条件に合った地域から
探せばいいでしょう。
どう考えても近畿にはならないね。
近畿を掘り返して探してみても邪馬台国以外の国
があったということは証明できても、上記の条件を
満たさない限り「邪馬台国」とは言えないでしょう。

750 :日本@名無史さん:01/09/25 19:56
伊都国から千五百里で畿内近くまでOK

751 :きゅうしゅう:01/09/25 20:51
末盧国〜伊都国 五百里
伊都国〜近畿 千五百里 (藁

752 :日本@名無史さん:01/09/25 22:01
>>748
魏の里と漢の里の違いがここに出ている。
36.7里/日 に435mを掛けると16km/日でやや一日の移動距離としては短い。
唐津-前原間約30kmを500里で割ると60m。
1里は60m程度になってしまう。
前原から畿内までは800km位。
800km/1500里では533m。
同じ行程の中で単位が9倍近く変動する事が変だと感じないのか?

753 :日本@名無史さん:01/09/25 23:30
べつに。
一緒に取材された資料だなんて根拠ないもんね。

754 :日本@名無史さん:01/09/26 00:44
>>752
>同じ行程の中で単位が9倍近く変動する事が変だと感じないのか?

9倍?途中までが里でその後は日数なんだが・・・
どうやって○倍って計算するの?

こういう議論は、怪しげな算術を採用して明記されてる日数表記を無視することによってのみ成立する。

755 :日本@名無史さん:01/09/26 06:52
>>754
「自郡至女王國萬二千餘里」と書いてあることを忘れているらしい。

女王國は九州にある別の国で邪馬台国ではないなんて馬鹿なことを言う畿内馬鹿もいるが。(ワラ

伊都国(不弥)までは距離(万500里)が書いてあるから残りは1500里となるのは議論の余地は無いだろう?

>>753
魏使や郡使が何度も邪馬台国に行っている事を忘れては困る。
報告書が一つか二つなら魏の里と漢の里が混じって記載される可能性もあるが、何度も行っていれば間違いも訂正されるだろう。
魏使の誰かがウソをついたとかいう話も何度も行っている事を考えればウソが通用しない事も自明。

756 :あなたたちみんなバカですか:01/09/26 10:41
こんなところでマジスレしても、邪馬台国の場所わかるわけないじゃん
総バカなんですか、みなさん

757 :日本@名無史さん:01/09/26 11:02
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々!

758 :日本@名無史さん:01/09/26 18:42
魏使が距離を報告したなんて根拠はないね。

759 :日本@名無史さん:01/09/26 23:56
>>755
>伊都国(不弥)までは距離(万500里)が書いてあるから残りは1500里となるのは議論の余地は
>無いだろう?

余地はあるよ。1万2千余里って、どうやって出したんだい?
GPSでも使ったのかな?

で、あいかわらず日数表記は無視したままなのね(ワラ

760 :日本@名無史さん:01/09/27 00:00
仕方ない間を取って、ハワイてことで・・・
時が経てばハワイは三陸海岸にぶつかり、
日本領になる!!

761 :日本@名無史さん:01/09/27 00:07
魏志倭人伝も伝聞でしょうから、数値がどこまで信用できることか……
結局、親魏倭王の印綬でも出てこない限り、確定は難しいかな。

762 :日本@名無史さん:01/09/27 00:32
九州でも大和でも倭人伝の記述どおりでは辿り着けないのは、
明らかでしょう・・・ 
やはり考古学的資料で解決するしかないのでは?
当方は、大和・三輪説ですけどね。

763 :卑弥弓呼:01/09/27 00:52
魏使はぜったい卑弥呼に会ってないね。伊都までしか行ってないでしょう。
だから、その後の記述は信じるに値しない。

764 :建忠校尉梯儁:01/09/27 01:31
>>763
会わなければ、私の首が飛びまする。
臣儁は、天子様の名代としてちゃんと卑弥呼殿に詔書と印綬を手渡したましたでござる。

765 :日本@名無史さん:01/09/27 01:34
>>763 そりゃそうだ。倭人伝に卑弥呼は男弟を従えて他人とは、
会わないって書いてあるし・・・

766 :日本@名無史さん:01/09/27 01:36
>>765
少ないとは書いてあるが、会わないとは書いてない。

767 :765:01/09/27 01:48
>>766 そりゃそうだ。メンゴ。

768 :日本@名無史さん:01/09/27 02:20
>>764
あんた、帯方郡の人(早い話が朝鮮人)じゃん。
洛陽(魏の都)に行ったことはあるのかい?

769 :日本@名無史さん:01/09/27 06:49
>>768
拙者、さきごろ帯方郡に赴任してまいった軍人で、地元の者ではござらぬ。

770 :畿内じゃない:01/09/27 08:35
>余地はあるよ。1万2千余里って、どうやって出したんだい?
>GPSでも使ったのかな?

足し算で出したんでしょう。
帯方郡から伊都国までは一万五百里でその先が千五百里だったてことでしょう。

771 :畿内じゃない :01/09/27 11:00
西ケ原!

772 :日本@名無史さん:01/09/27 13:49
親魏倭王印が大陸から出たら笑える

773 :日本@名無史さん:01/09/27 14:42
親魏倭王印は晋に交代したときに返却したとも言われてるから、
別に笑うような話じゃない。
限りなく0に近い確率だろうけどね

774 :名無しさん:01/09/27 16:31
奴国王の金印貰ったのって崇神天皇の頃で良いの?
スレ違いかな?

775 :日本@名無史さん:01/09/27 19:39
>>774
大まかに(100年単位)言えばそうだが、違うような気がする。

776 :日本@名無史さん:01/09/27 19:44
>>773 中国では王朝が交代すると前王朝の印璽を回収するんですかぁ。

777 :日本@名無史さん:01/09/27 19:46
>伊都国(不弥)までは距離(万500里)が書いてあるから残りは1500里となるのは議論の余地は
>無いだろう?

って言うやつと

>足し算で出したんでしょう。
>帯方郡から伊都国までは一万五百里でその先が千五百里だったてことでしょう。

って言うやつと、論理がぐるぐる循環してるな。

778 :日本@名無史さん :01/09/27 20:00
>>774
そうか。ありがとう。
畿内崇神系列奴国王朝が北九州応神系列倭王
朝(邪馬台国)と合併したとか考えてたんだけど。
でも奴国王の金印って九州の田んぼからでたん
だっけ。全然駄目じゃん(;;)

779 :日本@名無史さん :01/09/27 20:01
>>778
>>774
>>775
の間違い。鬱

780 :石川県羽咋市出身品川区●●●●3-13-21-305:01/09/28 19:06
東西1.3km南北3.2km
の日本最大規模の●都○古墳群です。

邪馬台国はどこにあると考えますか?
(回答総数 100)
[カテゴリー] [件数] [%]

1. 畿内 32 32.0

2. 九州 51 51.0

3. 吉備 1 1.0

4. 四国 7 7.0

5. その他 7 7.0


無回答 2 2.0

781 :石川県羽咋市出身品川区●●●●3-13-21-305:01/09/28 19:08
bakaには同じこ日べで充分!
悔しかったらサイトの古墳調査させろ(発掘したら困ることあるの(藁 :01/09/24 12:16
邪馬台国の場所を隠蔽するわけ1.

1 :竹村健一も鹿島昇と同じこと言ってた :01/09/09 05:23
松尾タカシ・・・「邪馬台国の位置はわかっているのに隠蔽しないといけないリユウがある。」と
発言。
竹村健一「狗邪韓国は南朝鮮と九州の宇佐両方にテリトリーがあったことを認めないから、邪馬台国が判らない」
と発言。※鹿島昇と同じ意見。
これが理解できないと邪馬台国が畿内などという妄想トンデモになります。

卑弥呼の古墳を隠蔽した男・黒板勝美
東大教授 黒板勝美。 西都原古墳オサホズカに土を持って変形型前方後円墳にしたてたのが彼の犯行。
それだけにはあき足らず、総督府修史委員会顧問として大正12年7月、対馬に史料採訪を行ったとき、朝鮮に関係ある文書古記録等が多数あることを知り、・・・古文書類66469枚 古記録類3576冊 古地図34枚 古画類18巻および53枚を押収。これら全てを焚書。
偽史シンジケートの指揮官 日本の恥 東大酷使学の教授 黒板勝美を考える。

本当にいい時代がきたと思う。
天皇制タブーを取っ払ったとき初めて真実の歴史が見えてくるから。
まだ、日本史版にも時の権力者にとってつごうのいい歴史が全て正しい
と思い込んでるバカものいるけど。(藁)
大室明治天皇論が理解できて初めて黒板勝美教授が卑弥呼の墓(邪馬台国は西都原)
(九州で一番大きな円墳が卑弥呼の古墳)。を隠蔽した理由もわかるし
(神武天皇と妻卑弥呼が朝鮮からやってきた事実を隠すため政府が隠蔽した。
神武天皇様を生んだ神聖なる朝鮮民族を植民地化などできる分けナイとなる)
義経が平泉で死んだことになってるのに北海道のいたるところに義経滞在の石碑が
残っているし修学旅行北海道だったけどいたるところでどれだけジンギスカン鍋
食べさせられたことか。(藁)
朝敵になった義経が中国大陸でヒーローになったのでは、天皇を中心とする八紘一宇の
イデオロギーは崩れる。それでは困るから政府が隠蔽して義経が平泉で死んだことにした。
天皇制は宗教だからこの根拠亡きタブーを除去しないとどうしても真実が見えてこない。


736 :サイトから三角縁神獣鏡出土したらしいじゃないか! :01/09/24 12:23
東西1.3km南北3.2km
の日本最大規模の●都○古墳群です。

782 :日本@名無史さん:01/09/28 19:14
西都でいいんじゃないの?
日数表記は、当時そういう定説があったってことで
高天原の神話等を見ても
少なくとも畿内に行くまでは、九州に本拠地があったっぽいんだから
西都で決まりでいいでしょ?

783 :石川県羽咋市出身品川区●●●●3-13-21-305:01/09/28 19:29
まず、魏志倭人伝の読み

最後の水行10日陸行1月の部分以外全て無視!
もちろんいと国からの話しだが。

例えば領収書を改ざんする時¥1000に「0」を付け足す時、¥1000「0」こうはしても¥10「0」00こうは
しないよねえ。だから魏志倭人伝の誤りは最後の陸行1月の部分のみでそれ以外全て正しい。
榎説でジュウブン。
三角神獣鏡も出てるし卑弥呼の墓も遺跡自体も最大なら何もサイトがそれほどトンでもか?
宮崎神話タブーもある。それに名前も西都(西洲(九州)の都)という意味で名前にも都の文字がついてる。
まあ政府が隠蔽しようとした形跡から何もサイトが邪馬台国で無いのならほっとけ、ほっとけというわけ。

784 :日本@名無史さん:01/09/28 19:39
西都だと仮定して
問題点は
1、考古的に見れば、当時は畿内の方が発達していた
  例:箸墓等の築年代
2.隋書倭国伝との不一致
  隋の使者が大和まで行ってるのなら
  「大和は魏史にあるところの邪馬台である」
  とか書いてることとの整合性が不明

785 :石川県羽咋市出身品川区●●●●3-13-21-305:01/09/28 19:47
着ないは前方後円墳3世紀後半からでしょ。
卑弥呼の時代は弥生の終期から古墳時代の初期(円墳が主流の時代)でしょ。

786 :石川県羽咋市出身品川区●●●●3-13-21-305:01/09/28 20:04
大体電話ちょうに簡単に載せるかよ。
まあその辺の発想がトンデモなのよ(わら

>>品川区●●●●3-13-21-305

787 :石川県羽咋市出身品川区●●●●3-13-21-305:01/09/28 20:07
たまたま竹内文書と大室姫の話が羽咋の隣町から話題に
なってることを知り
(来年の大河ドラマの舞台)驚きです。関連あるのでしょうか?
以下コビベです。
<宝達山>
1)元火山&放送アンテナが建つ山としての宝達山
 宝達山は、宝達駅などから東側の山をみるとすぐわかります。
なぜならNHKなどのアンテナなどがいっぱい建っているからです。
位置は押水町になります。約3000万年前に噴火した火山の外輪山
の1つが宝達山(標高637m)となったものである。今でも、
北麓、志雄町にある新宮温泉など、周囲には温泉が湧き出し火山の
名残を留めている。新宮温泉は国民宿舎新宮荘と新宮温泉湯元の
2軒ある。ここからは、宝達山へのドライブウェイが通じていて、
周辺を観光する基地として利用でき便利である。
2)鉱山としての宝達山(名前の由来)
 ここの山の名称の由来だが、天正4年(1576・安土城ができた年)
から元和4年(1617)まで、つまり戦国のまっさかりの時期から、
江戸時代初期までの約40年間、大量に金銀が採掘されたことが
わかっています。ピークは慶長年間の20年だったようですが、
頃、以上の理由から宝達山と名がついたようです。今でも歩いて
いると蛍石、オパール、瑪瑙、水晶などが見つかることがあると
言います。また川へ行き砂利をすくと多少ながら砂金などとれる
ようです。金鉱山で働いていたもの達は、江戸時代黒鍬者と呼ばれ
ていましたが、その後金沢の辰巳用水や、高松町の長柄用水、
兼六園の日本武尊の石垣・・・・などなど色々な加賀藩の土木事業に活
躍したようです。
3)モーゼの伝説を持つ山としての宝達山

788 :邪馬台国出身:01/09/28 20:53
>>785
卑弥呼の没年については、3世紀中葉のAD240年代で問題は無いでしょう。
畿内古墳の出現時期については、いろいろ議論のあるところですが、
箸墓は別にしても3世紀前半築造と考えられる古墳は畿内にもあります。
今後の考古学的所見の展開に期待しているところです。

追伸1 何度も同じコピーを使用されていますが、全く理解できない内容
です。そのようなことを繰り返されても無意味であり迷惑でもあります。
その点、ご一考いただきたい。

追伸2 名前の一部に住所地が特定できる表現が使用されています。
別人(悲しいことに畿内論者)の書込みだと思いますが、最初にアップされた
レス739を含め削除依頼を出されますよう進言します。

789 :日本@名無史さん:01/09/28 21:34

                    _... -──-- ...._
                 ,,:''"";:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;';';';'ヽ
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          -="--ッ:;:;:;:;:;:;:,ク´-;-、 `  ヾ:;;',´,.-;-、゙'::;:;:;:;:;:;:;:;:`''- .._
            , ':;:;:;:;-、゙, <´|'.ij | ゛     ´|'.ij |`>/ィ-、:;:;:;:;ヽ ̄ ̄   .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           /;:;:;:;:;:;゙、 ぃ  _i__ノ_        _i__ノ_ ./ノ .ノ;:;:;:;:;:;:;゙、      .| バックスクロール学園、
         <´;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヾ_゙,        i      ’/_;-':;:;:;:;:;:;:;:;:;:丶,   | 演劇部部長、
          `'''─-ッ;:;:;:;:;:;゙,.       __     /;:;:;:;:;:;:;;──'''""    | 篠崎愛です。
           _..-':´イ:;:;:;:;:;:;:;:` :.,   `´   .,:;";:;:;:;:;:;:;:;:、       < シルビィを演じます。
                  i;:;:;:;:;:;:;;:;:;:;:;:;`i : ,  _. : i´;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:゛、       |___________
              i:,:;:;:;:;:;,:;:,:"7/.|  `''´  .|ヽ;:;、;:;、- ::_;:;:;:;:゙,
              lハ;:;:;,:' i;i .!i_..i      ト、i;| ヽ,゙、  `'': '、!
                V  リ, :'!! ノ      ゙:,!゙リ、  ゙'
          , -- ._    _.. -''"  l!       .!ノ::::`''- .._   _.. - ''"ヽ
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790 :日本@名無史さん:01/09/30 07:23
最近古墳の外からでた木片なんかで年代測定して古墳の築造年代早める動きがあって畿内説が盛り上がったけど、年輪年代法の怪しさも指摘されているし、何より墓の外から出た物で墓の年代を云々するのはどうかと思う。

やはりこれまで通り古墳の築造年代は三世紀後半、280年頃とするのが妥当だと思う。

箸墓は300年より後。

791 :日本@名無史さん:01/09/30 07:36
俺はやっぱり畿内説。
もとは九州説信者だったんだけど、ここ10年ほどは畿内説に乗り換えている。

「邪馬台国への道のり」は「奴国」で方角を間違えてしまえば、問題ないと思う。

「奴国」=「那の津」で物資に溢れ、九州でもとりわけ栄えていたのだろう。
この機能が後の大宰府に引き継がれているんだと思う。
ここから船に乗ったとすると、途中で船はぐるっと旋回しなければ関門海峡を通
れない。この時に海外の人が方角を間違えてもおかしくはない。また、日本人に
とっても正直に言わないでおく方が何かと好都合なので黙っていたんだろうね。

792 :日本@名無史さん:01/09/30 08:03
(ここからは、完全に素人探偵系なので見たくない人は見ないように)
ただし、仮に神武東征伝説が何らかの事実を反映しているものだとすれば、
邪馬台国は卑弥呼よりもずーっと前は畿内ではなかったんでは?というの
は問題ないかもって思うんだよね。
魏史には卑弥呼以前の王については何の記載もない。だから、その先代や
先々代が九州出身でも、魏史とは何ら矛盾しないと考えられるね。

(以上、単なるアマチュア推理)

793 :日本@名無史さん:01/09/30 10:58
>>790
>年輪年代法の怪しさも指摘されているし

年輪年代法の何も知らないあんたが勝手に言ってるだけだろ?
じぶんに都合が悪いから理由もなく難癖つける。やらしいねえ。

794 :日本@名無史さん:01/09/30 12:15
ここでコピペ繰り返している馬鹿にかわって邪馬台国=西都原説を説明。

投馬(投与の誤記)=トヨ=豊前・豊後地方

邪馬台国=日向全域

漏れ個人としては、九州、畿内、どっちも可能性ありと。

795 :日本@名無史さん:01/09/30 13:03
ああいうコピペ馬鹿がいるおかげで
南九州説全体が白い目で見られる。

796 :日本@名無史さん:01/09/30 13:08
>>794
>漏れ個人としては、九州、畿内、どっちも可能性ありと。

考古無視すればね。
まあ、考古無視なら、日本中どこでも、八幡平だって可能性はある。

797 :日本@名無史さん:01/09/30 13:12
>>790
>年輪年代法の怪しさも指摘されているし

790が「年輪年代学」という偶像を勝手に作りあげて、自分でけなしてるだけ。
例外はいるようだが、ほとんどは期待しながらも絶対視はしていない。

スレちがいだから、790はあっち行ってムツゴロウと遊んどれ。

798 :日本@名無史さん:01/09/30 14:04
>>790
あんた、箸墓が300年より後だって理由なんか一つも言えないだろ?

799 :地震来るから遷都せんと:01/09/30 14:41
>>798
お前が箸墓が300年より前だって理由なんか一つも言えないだろ?

800 :   :01/09/30 14:45
800だぞ

801 :794:01/09/30 14:47
バカ
投馬国は薩摩

それくらい勉強しとけ

802 :着ないキチガイ:01/09/30 14:50
あははははははははははははははは!
コピペ馬鹿、本当にひっかかってやんの(馬鹿藁)

始めに「S区●●●●3-13-21-305」と書いたのは俺本人だよ(笑)

S区●●●●・・・・

@渋谷区 宇田川町 恵比寿西 恵比寿南 千駄ヶ谷 代官山町

A品川区 東五反田 西五反田(コピペ馬鹿はここで間違えた 藁)

B新宿区 赤城本町 赤城下町 市谷台町 市谷田町 市谷柳町 神楽坂町 歌舞伎町
     喜久井町 北山伏町 南山伏町 新小川町 高田馬場 西早稲田 西五軒町
     東五軒町 二十騎町 津久戸町 馬場下町 早稲田町 下宮比町

C杉並区 阿佐谷南 阿佐谷北 高円寺南 高円寺北 上高井戸 下高井戸

D世田谷区 上祖師谷 駒沢公園 三軒茶屋

E幸区 古向西町 東古市場 小向西町

F栄区 鍛冶ヶ谷 小菅ヶ谷 長尾台町 東上郷町

G瀬谷区 阿久和東 阿久和南 阿久和西 阿久和町 上瀬谷町 五貫目町 二ツ橋町

前にも書いたけれど、俺は埼玉県さいたま市(旧大宮市)のから十年も前に引っ越してきたから
徐住民票をさいたま市で請求しても、5年以上経過しているから残ってないから!
(徐住民票は5年経過したら処分するのサ!)

803 :kinai 説のやること802はやることがキチガイ!:01/09/30 14:56
1 :竹村健一も鹿島昇と同じこと言ってた :01/09/09 05:23
松尾タカシ・・・「邪馬台国の位置はわかっているのに隠蔽しないといけないリユウがある。」と
発言。
竹村健一「狗邪韓国は南朝鮮と九州の宇佐両方にテリトリーがあったことを認めないから、邪馬台国が判らない」
と発言。※鹿島昇と同じ意見。
これが理解できないと邪馬台国が畿内などという妄想トンデモになります。

東西1.3km南北3.2km
の日本最大規模の●都○古墳群です。

邪馬台国はどこにあると考えますか?
(回答総数 100)
[カテゴリー] [件数] [%]

1. 畿内 32 32.0

2. 九州 51 51.0

3. 吉備 1 1.0

4. 四国 7 7.0

5. その他 7 7.0


無回答 2 2.0

804 :kinai:01/09/30 14:58
\   _・・・だってさ_____/
      \/   ∧_∧ゴニョゴニョ・・
           ( ´Д`) ∧_∧
         / \/ )(´Д` ) __畿内に邪馬台国があったって?!
        /  \___//       \誇大妄想狂かよ・・・                         (´´
  __   .|     | / /\_ _ \ \_____                (´⌒(´⌒;;
  \   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(__ノ   \    \__)      \   ≡≡≡≡(´⌒;;;≡≡
  ||\             \  .||\            \≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄  (´⌒(´⌒;;
  ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||    ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||(´⌒(´⌒;;

805 :おしえて:01/09/30 16:20
東西1.3km南北3.2km
の日本最大規模の西都原古墳群です。

>>
畿内にも九州にもコレ以上大規模な古墳群の遺跡はあるの?

806 :日本@名無史さん:01/09/30 18:12
>>805
一か所に300基もの古墳があるのはここだけ。
ここに数百年に渡って強大な勢力があったことは疑いようがない事実。

807 :日本@名無史さん:01/09/30 19:56
>>806
新沢千塚はおよそ600基ほどあると言われている。
年代無視して数だけ誇っても駄目よ。

808 :日本@名無史さん:01/09/30 20:05
>>807
そうだYONE

809 :日本@名無史さん:01/09/30 21:16
>>801
投馬国が薩摩なら、それじゃ邪馬台国はどこにあるんだよ。
太平洋の中に入っちまうじゃねえか。
それともおまえは邪馬台国土佐説か?

810 :日本@名無史さん:01/09/30 21:41
↑ヴァカ発見。

811 :日本@名無史さん:01/09/30 22:32
西都原は狗奴国だよ。
前方後円墳は邪馬台国の敵だった証拠。

812 :邪馬台国はフィリピンにあった!:01/09/30 22:39
フィリピンミンダナオ島の近くにヤマタイ島とかがあって
そこの女酋が代々ヒミカって言うの知ってた?漏れは知らないけど。

813 :日本@名無史さん:01/10/01 01:29
>>811
jじゃあ、邪馬台とその味方の地には何があるんだい?

814 :卑弥弓呼@狗奴国王:01/10/02 00:29
漏れと部下の狗古智卑狗の名前は、どういう風に発音すれば善いのかのぉ。

815 :法師:01/10/02 18:11
>>814「狗古智卑狗の発音」

分からんですね。
陳寿先生が書き残されたものは、当時の倭人が発音したものを、当
時の中国人が聞き取って漢字に写したもののはずで、その発音が上
古音なのか中古音なのかも定説がないから、「分からない」としか
いいようがないですね。

上古音なら『狗古智卑狗』は「kug-kag-tieg-pieg-kug」(みたい
な音)になるはず。

ただし、カタカナで書いて、現代日本人の読み方をしちゃったら、
「アップル」とか「マリリンモンロー」みたいな、原形をとどめな
いデタラメ表記になって、無茶苦茶になっちゃうから要注意ですね。
逆に「メリケン」とか「ヘボン」みたいに、元の発音にかなり近い
ものだった可能性もありますから、何ともいえないですが。

816 :日本@名無史さん:01/10/03 09:18
西都原以外に考えられないんじゃないか?
だいたいあれほど多数で広大な規模の古墳群があるのに意図的(政治的)に
ほとんど手がつけられてこない事実を誰も変だと思わないのか??
つまり都合の悪い事実があるんだよ。
海外の研究者はとっくにこの点に最も注目してるのに。

817 :日本@名無史さん:01/10/03 13:00
西都原???
確かに古墳の数は多いが、後世の開発が遅れたために残ってるだけじゃないの?
そもそも、何であれが3世紀の邪馬台国と関係があるの? 時代が2百年以上ず
れた中型の前方後円墳と群小古墳があるだけじゃないか(W

ああ。。。黒ちゃんの改造なんて根も葉もないオハナシは、見飽きてるんだから
コピベは勘弁してくれよな!

818 :ha:01/10/03 21:45
狗古智卑狗

819 :日本@名無史さん:01/10/03 21:53
天皇陵全部調査すればすぐに結論でるよ
ていうか西都です

820 :日本@名無しさん:01/10/03 21:59
>>819
>海外の研究者はとっくにこの点に最も注目してるのに。

なら具体的な名前挙げてみ。

821 :日本@名無しさん:01/10/03 22:00
インディアナ・ジョーンズ博士(アメリカ)

822 :日本@名無しさん:01/10/03 22:03
男挟穂古墳が戦国時代に城が築かれて、変形したのを知らないのかね。

823 :早稲田大学理工学部:01/10/03 22:11
西都原程度の古墳なら、東京にもあるじゃねえか。

824 :日本@名無しさん :01/10/03 22:32
>>824

825 :日本@名無史さん:01/10/03 22:45
>>825

826 :日本@名無史さん:01/10/04 06:38
そもそも前方後円墳は畿内が邪馬台国でなかった証拠。
畿内説では
1.240年ころ既に前方後円墳が出来ていた。
2.そして北九州はその数十年前から畿内の支配化にあった。
3.伊都国は畿内政権の重要な拠点。

だったらどうして北九州に前方後円墳ができるのは4世紀後半からなのだ?
本島の方では三世紀の末から4世紀初頭にはかなりかなり広い範囲で前方後円墳が作られているのに
九州は四世紀後半からぼちぼちだ。
つまり畿内政権が九州まで勢力を伸ばしたのは四世紀後半になってからという事になる。
従って前方後円墳は畿内が240年ころ九州を有効支配はしていなかった証拠になる。
九州を支配していない畿内が魏に朝貢できる筈が無い。
よって畿内は邪馬台国ではない。

827 :日本@名無史さん:01/10/04 06:44
前方後円墳は3世紀中ごろから北部九州にあるので、すべて却下。

828 :日本@名無史さん:01/10/04 06:49
>>826はいくらなんでも基礎知識がなさすぎだな

829 :日本@名無史さん:01/10/04 07:13
違う視点から。
まず疑問に思うことは、なぜ「西都」という地名なのだろう?
「都」って地名につけるにはそれなりの理由があるはず。
古来、京都以外には都などと呼称することは許されなかったはず。
宮崎県にはこの西都の他にも都城、都農といった具合に「都」のつく
地名が多い。これはどういうことだろうか?

由緒のある地域はそれなりの地名で呼ばれるものだ。
その点を考察した人間はいないのだろうか?

830 :日本@名無史さん:01/10/04 09:02
客観的に推理してみると、近畿より九州の方が文明発祥は早いだろう。
大陸や半島との地理的関係を見れば明らかだと思うが。

831 :日本@名無史さん:01/10/04 09:55
>>826
那珂八幡は纏向と同時代だってのは、九州説論者の意見じゃないのか!

>>829
宇都宮なんかは、「都」と「宮」だぜ!

>>830
そんなことは誰も疑ってないだろ?
弥生期の北九州(平原等)が近畿に先行してることを前提にして、3世紀
の日本列島の中心を議論してんだよ!

まあ西都原古墳を3世紀より遙かに後代の前方後円墳と認めた(つまりは
邪馬台国論争とは無関係)のはほめてやるがね(w

832 :客観という名の主観:01/10/04 09:56
客観的に推理してみると、ワシントンよりニューヨークの方が文明発祥は早いだろう。
イギリスやヨーロッパ諸国との地理的関係を見れば明らかだと思うが。

だから、アメリカ大統領のいる場所はニューヨーク以外にはありえない。

833 :畿名無しさん:01/10/04 10:20
おはよう
それで朝鮮半島から黒潮に乗って出雲に着くとか言う話はあんまり関係無いのか?
伊都=出雲路線で。

834 :日本@名無史さん:01/10/04 10:26
>>833
朝鮮半島から「黒潮」に乗るんですか?
無理ですよ(ワラ

835 :畿名無しさん@死亡:01/10/04 10:47
Σ( ̄ロ ̄;)黒潮は無理ですな
まぁ、なんかに半島から潮に乗って出雲に着くのは
自然どおりとかなんとか書いてあったんだけど

836 :日本@名無史さん:01/10/04 22:16
>日本に「ある一族」が鉱物資源を求めて遣って来た。その一族の一派は日向にたどり着き、鉱物の採取を行っていたが、品質若しくは採取量が少ない為に、既に日本に遣って来ていた「もうひとつの一派」の領地を占領しようと目論む。
>その領地からは現在でも産出されれる程の資源が採れたのであった。テロの末、領地は奪われ日本の大王として君臨する事になる

>「イクメイリヒコノスメラオオカミ」で生目(いきめ)
>の語源なったのだとしたら、これは恐い、日本史がひっくり返るほどの大問題だとこの前の古墳シンポジウムでおっしゃっていたパネラーがいらっしゃいました。あれでしょう?崇神天皇のあたりで王朝交替があったとされる
>「イリ王朝説」が巷をにぎわせているのでしょう?
そのイリ王朝の始祖の出所が現在の宮崎市生目地区だとすると・・・

西都の被葬者はニニギノミコトとその妻と言われています
ニニギといえば、アマテラスの命を受け、高天原から地上に下りてきた
(天下ってきた)皇孫と言われていますが
実在性はよくわかっていません(というか実在はしないだろう)
ニニギの陵墓に比定されたのも、明治28年だそうですから
それ以前は、一体どんな伝承があったのか…?

837 :829に同意:01/10/05 19:14
ソレに付け加えるが西都がトンデモなら、どうして卑弥呼の時代、日向地方の人口密度
が、九州一高かったのか証明してごらんナサイマセ!!

ソレと遺跡の規模>>805だが例えばあの有名な吉野ヶ里でも東西600メートル、南北1キロ
の規模でとても西都の規模にはかないません。

838 :22:01/10/05 19:15
それは
http://www.max.hi-ho.ne.jp/%7Ehttp/

839 :日本@名無史さん:01/10/05 19:26
>>831卑弥呼のオサホヅカは元は円墳だよ。尻尾の部分の土質を考古学的
にちょうさしたところ、あとから付け加えられた事がわかったんだ。
土質が違うから・・・
明治以後に付け加えられていた事も分かった。(三角縁神獣鏡も出土)

黒板教授は東大の国史学教授で「神の手」と呼ばれていた。(最近も似たような事件無かった?)
誰も黒ちゃんの権力に逆らえないんだ。

840 :日本@名無史さん:01/10/05 19:48
馬鹿が出てきちゃ道理が引っ込むっきゃないね。
どうして卑弥呼の時代に日向地方の人口密度が九州一高かったなんて言えるの?

841 :日本@名無史さん:01/10/05 19:57
もちろん遺跡の数からさ>>840

842 :日本@名無史さん:01/10/05 20:03
>>827
おやおや!古墳群の大きさと環濠集落の大きさ比べてるよ・・ あきれたね

843 :早稲田大学理工学部:01/10/05 21:38
>西都バカへ
じゃあ、多摩川下流域古墳群は?明治以来、小規模な古墳は土地開発でかなり消滅してるけれど
新編武蔵国風土記稿を見ていけば大小あわせて600基以上あった事が確認できるぞ。

844 :日本@名無史さん:01/10/05 22:17
西都原マンセーさんへ

西都原女狭穂塚古墳 墳長176m
吉備造山古墳    墳長360m

吉備には弥生期最大の墳丘墓、楯築遺跡や、埴輪の原型と
いわれる特殊器台などがあります。

吉備のほうがスゴクない?

845 :日本@名無史さん:01/10/05 22:32
同時代で西都以外にも繁栄していた地域はあったと思います
ただ、神代の話にある程度(といってもホントに少しだけ)
史実からの反映を認めるならば
幸彦兄弟の悦話や、ニニギとサクヤの伝承等
西都に大和朝廷の前身と思われる勢力があったことは確かだと思います

846 :日本@名無史さん :01/10/05 23:41
>>821
おいおい、今度のインディー・ジョーンズは、邪馬台国が舞台かよ?(失笑)

847 :このスレお仕舞だね:01/10/06 00:51
漏れが思うには、邪馬台国は石川県には無かっただろうと。

848 :日本@名無史さん:01/10/06 03:16
なんかコメントの付けようがないひどさになってきたな。
もはや時空を飛び越えてSFの世界に突入している。

いっそのこと、火星にあったことにしようか。
いや、イスカンダルの方がいいかな・・・

マゾーンの大艦隊が東遷してイスカンダルに作ったのが邪馬台国じゃ!

と言うくらいひどい。

849 :日本@名無史さん:01/10/06 06:33
おもうんだけどさ、「近畿は古墳がすくなそうに」見えるだけだよ。
長年、都近くにあったから土地利用の転換が激しかったんだよ。
掘をため池に改造なんて序の口で、墳丘をキレイに削ってしまって
田畑かなにかにしてしまったぞ@武士の時代、て話を聞いたことも
あるし。みんな知ってるように、合戦の時の城にはもってこいだっ
たしね。
大阪城の敷地を古墳跡ではないか、と考える先生もいるぐらいだ。
あそこはその昔「石山」と呼ばれていたし、その更に昔はあの場所
には神社があったらしいし、近くに「玉造」という地名もある。

ただ単に、後々の時代に人口密度の低かったところのほうが、よく
残っているだけだと思うんだけどなあ。
違う?

850 :日本@名無史さん:01/10/06 10:43
>849
うん、違う

851 :日本@名無史さん:01/10/06 11:01
>>850
「人口密度の高かったところが比較的古墳を壊されやすかった」という考えに対して
「違う」とキッパリ断言できる証拠を見せてよ。

852 :日本@名無史さん:01/10/06 12:15
>>849
>おもうんだけどさ、「近畿は古墳がすくなそうに」見えるだけだよ。

この前提がそもそもおかしい。
奈良だけでも、いちいち数え上げるのが馬鹿馬鹿しいほど多いんだよ。

ttp://www.page.sannet.ne.jp/senior-t/kofun1.html

から引用。

>大和は国のまほろぼ、3世紀から7世紀にかけて、大小さまざま、たくさんの古墳が築かれています。
>全長100メートルを超す古墳だけで70基、全体では、いま、知られているので6,000基、地表から確認できないのを含めると
>1万基に及ぶだろうという「奈良県はわが国古墳文化の中心地」(大和の考古学50年・学生社刊p.61)。

853 :852は、反省するように。:01/10/06 12:28
今、話題になっている古墳は3世紀築のやつのことね。

854 :日本@名無史さん:01/10/06 13:05
卑弥呼の時代は未だ古墳時代にはなっていなかった、というのが定説。
10年位前までは畿内論者の中でも卑弥呼の大きな墓がきっかけとして古墳時代に突入した、
と言われていた。
箸墓を卑弥呼の墓に比定したいやつが年々古墳時代の到来を早めて、ついには年輪年代法
を持ち出して古墳時代が220年頃に始まったと言い出した。
土器編年により280年前後が古墳時代の始まりとする寺沢説でさえ、これまでより2,30年
繰り上げてきたのに百年も繰り上げる年輪年代を信じるやつは馬鹿。

855 :日本@名無史さん:01/10/06 13:21
倭人伝の卑弥呼の墓は古墳だな。
あれを古墳じゃないというのはデムパであろう。

856 :日本@名無史さん:01/10/06 13:45
>>853
そだね! ようするに西都原のような5世紀頃の古墳群を話題にする
のが間違ってら(W

857 :日本@名無史さん:01/10/06 13:51
>>854
卑弥呼の時代は未だ古墳時代にはなっていなかった、という
な〜んにも理由のない「定説」を信じているのかな?
繰り上げる繰り上げるというが
間違った説で年代が繰り下げられていたというのが正解。

858 :自分勝手に流れを決めるな:01/10/06 16:36
この流れでどこをどう読んだらそうなるんだい。
西都原の300基から造山でこんどは大阪城だろ。
今の流れは年代なんてふっとんでる。

859 :あっ、いけね:01/10/06 16:42
858は853へのレス。しかもsage忘れた

860 :日本@名無史さん:01/10/06 18:50
>>858はCね!!

861 :日本@名無史さん:01/10/06 19:22
>>843
お前早稲田でナニ勉強してやがる。
どこの世界に邪馬台国関東説なんてあるんだ。
ココは日本史板だろ。何も知らない理工の人間はダ〜トレ。このおとボケヤローーー!!!!

862 :日本@名無史さん:01/10/06 19:29
>>844
キビなんて説信じている人100人中1人くらいしかいないよ。

>>803

863 :日本@名無史さん:01/10/06 19:30
西都原説ってのは関東説と同じくらい馬鹿げてるし
まともに相手にされてないってことさ。
おわかり?

864 : :01/10/06 19:35
図・場・利沖縄!

865 :日本@名無史さん:01/10/06 19:50
西都ふくむ日向地方って神話伝承の数のうえからも出雲地方についで2番目らしいじゃない?
いいんじゃないの。西都原が邪馬台国でも。そんなにトンデモな意見ですか?

5世紀の遺跡と言うけどさあ。それを言うなら854レス読んだら箸墓だって最大100年もずらしたみたいじゃん。
つい最近、遺跡発掘捏造問題でカミノテ(つまり教授の権力のこと)騒動あったけど。
あの人たちって平気で捏造するみたいじゃない。
西都原を200年くらいずらすってなんてことないんじゃナイ?権力さえあれば。
だって箸墓だって年代、ずらすくらい(>>854)だから(笑)人のこと言えないよ。

866 :これホンとのことですか:01/10/06 20:20
日本@名無史さん 2001/05/06(日) 20:39
東北旧石器文化研究所の藤村新一・元副理事長による旧石器発掘ねつ造問題に伴い、全国で初めて再調査が行
われた福島県安達町の一斗内(いっとうち)松葉山遺跡で石器2点が見つかった。同町教育委員会が6日、発表した。
同遺跡ではねつ造発覚後の4月に、全国で初めて再調査が行われ、99年10月に藤村氏らが発見したとされる地点
など11カ所を2週間再調査した。しかし、石器類は見つからないまま終了し、「ねつ造の疑惑は残る」とされていた。
同町教委によると、掘った土砂を埋め戻すため1日と2日に改めて調べたところ、1×2センチ、3×5センチのだ円形
の石器が見つかった。藤村氏らが発見した地層とほぼ同じで、50万年前よりも古い地層という。同町教委は7日、
専門家による調査指導委員会を緊急に開いて検証する。
http://www.asahi.com/culture/update/0506/001.html
752 名前:日本@名無史さん :01/10/06 17:05
http://hpcgi2.nifty.com/HAYAKASA/godhand.cgi?df=bbs.dat&prm=TAT&lspg=20&pg=2&no=0128#0128
[0128 河合さんも、アッチへ行っちゃったか…。]
でのキツイ批判を受けて、以下の文は消されてしまう可能性が大きい。
コピペしておくよ。
http://isweb10.infoseek.co.jp/diary/nobukazu/page/news.html
[藤村氏告白と、毎日新聞すっぱ抜き]
忌まわしい旧石器遺跡ねつ造の発覚から約11カ月。雲隠れし、沈黙する藤村新一氏が、
ようやく 真実の一部を語った。しかしその報は、真実の探究という目的にとって、たぶんあまりプラスにな
らない形でもたらされた。
9月29日付け毎日新聞朝刊は、「ねつ造二十数遺跡も」という見出しで、日本考古学協会特別
委員会の戸沢充則委員長が医師・弁護士同席の上、数回、藤村氏と面談し、その際、藤村氏が関東、
東北、北海道の二十数遺跡でねつ造をしていたことを告白した、というニュースを一面トップで
すっぱ抜いた。
 この中には、すでに行われた検証発掘でねつ造であることがほぼ確定した福島県 一斗内松葉山、
山形県袖原3、埼玉県 長尾根北、同長尾根南、同小鹿坂、北海道総進不動坂 が含まれている。
ただし、同紙が挙げた遺跡の中には、現在焦点の一つに浮上しつつある 宮城県座散乱木、
同馬場壇A の他、岩手県瓢箪穴洞窟 は含まれていない。
その日の夕方、都内の日本考古学協会で記者会見が行われた。本来は、協会が検証に向けて整えた
特別委員会の5つの作業部会立ち上げをお披露目する場であったが、会見ではその話題は脇へのけら
れ、居並ぶ記者から藤村氏の告白についての質問が集中することになった。会見に応じた同協会総務
委員の矢島國雄・明治大学教授は、面談の事実のあったことは認めたものの、個別遺跡の確認などに
ついてのコメントを避けた。当然にして、妥当な対応だった、と評価したい。
そもそも藤村氏の告白は、遅すぎるものであり、告白があろうとなかろうと、協会は多くの研究者
の参加により、検証のための5つの部会を立ち上げ、しかも第一部会など一部の部会は科学的対応で
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
明日はテレビで捏造発表会だね。

867 :日本@名無史さん:01/10/06 20:24
読解力のない奴がいるな。
他人の意見をよく読んだ上で、発言しろ。

同士討ち(wしてる奴がいるし。
考証材料として現代に伝わるものを例示
している人に「勝手ヤロウ」と言う奴も。

もっと「相手が何を言いたいのか」読め。
今は不況でどの会社も苦しいんだから、
そういうことができないと大変だぞ。

868 :日本@名無史さん:01/10/06 20:30
先月号の「歴史読本」の井沢の発言読んでみそ。
言うてまっせ〜。
「西都市の古墳は卑弥呼の墓・・・・」

どうする?
どうする?
どうするの〜?

869 :日本@名無史さん:01/10/06 20:31
>>865
捏造やらかしたのは考古学の世界に侵入した横好きアマチュアおじさん。
箸墓の年代をずらそうとしてるのは九州説のアマチュアさん。

870 :日本@名無史さん:01/10/06 20:39
>>868
だから何なの?
トンデモさんがトンデモ言うのは至極当然のことだが?

871 :日本@名無史さん:01/10/06 20:44
>>870
井沢元彦は鹿島ほどトンデモかよ

872 :>>738:01/10/06 20:50
>>738

873 :日本@名無史さん:01/10/06 20:53
1 :竹村健一も鹿島昇と同じこと言ってた :01/09/09 05:23
松尾タカシ・・・「邪馬台国の位置はわかっているのに隠蔽しないといけないリユウがある。」と
発言。
これフジテレビの報道2001のことでしょ。
俺も見たけど

874 :日本@名無史さん:01/10/06 20:57
面白半分の連中ばっかりじゃん

875 :日本@名無史さん:01/10/06 21:10
畿内説ってのはお笑いと同じくらい馬鹿げてるし
まともに相手にされてないってことさ。
おわかり?

876 :日本@名無史さん:01/10/06 21:17
あの文脈はどうにでも解釈できるって言っちゃったら終わりだと思うんだけど
>>おいおいキュシュ説の輩はいつもそうだよ

877 :日本@名無史さん:01/10/06 21:21
だけどイト国から(前原)水行10日、陸行1月なのにどうして北九州説になるの?
少なくとも九州地方南部でなければおかしいだろ。
九州地方南部で一番大きな遺跡が見つかればそれで解決だろう。

878 :日本@名無史さん:01/10/06 21:22
いまどき九州説なんていってるのは無学な連中とか
面白ければなんでもいい芸人とか
馬鹿だまして印税かせごうとしてる売文屋だな

879 :日本@名無史さん:01/10/06 21:25
まあ畿内説は魏志倭人伝を改造して読んでいくからな。

880 :日本@名無史さん:01/10/06 21:28
まあ九州説は魏志倭人伝を捏造して読んでいくからな。

881 :日本@名無史さん:01/10/06 21:28
いつまでも不毛な論争やっててね、暇持て余してる皆さん。

882 :日本@名無史さん:01/10/06 21:29
関裕二?おいおい、古田や安本をはるかに超える電波じゃないか(馬鹿藁)


>>井沢元彦もサイトの可能性示唆したけど関や古田のような電波なの?

883 :井沢ファン:01/10/06 21:31
井沢が電波って何だよ

884 :日本@名無史さん:01/10/06 21:34
>>871
鹿島は故意捏造のトンデモ。井沢は無知蒙昧のトンデモ。
どちらがよりトンデモかを判定するのは極めてむつかしいね(WWW

885 :井沢ファン:01/10/06 21:35
呼子と釜山間を海底トンネルで繋ぐ計画があります。
距離はおよそ二百四十キロだそうです。
これを75mで割ると3200になります。
倭人伝の千余里x3という記述は一里75mでよく調和します。

韓伝の韓国は方四千里は韓半島南部が東西300km、牙山より南が南北に
300kmですから一里75mで実によく調和します。

沙里院から牙山まで190km、牙山から海州まで370km。
合わせて560kmは一里75mで約七千五百里となります。
倭人伝の七千余里と実によく調和します。

倭人伝の一里は75m前後としか考えようが無いのです。
一里を75m前後とすれば邪馬台国は九州島から出ることはありません。

畿内に幾ら巨大な古墳が沢山あっても邪馬台国とは無関係です。

886 :日本@名無史さん:01/10/06 21:39
韓国は海岸を船で行くって書いてあるのに勝手に上陸させちゃだめだ。
辻褄をあわせるために倭人伝を改造して読んでる典型だね。
所詮九州説はこんなもんだな。

887 :日本@名無史さん:01/10/06 21:48
>>885
倭人伝に使われている単位がみな同じなんて保証はないのだから
理屈として成り立ちませんね。

888 :名無しさん:01/10/06 23:02
伊都国が九州って言うのは動かないわけ?

889 :日本@名無史さん:01/10/07 00:36
不美(=宇美?)までは九州内という比定はほぼ確定してると思う
後は…
日数表記と方角の解釈は割れてってとこなのかな…?

890 :日本@名無史さん:01/10/07 03:30
>>867
>同士討ち(wしてる奴がいるし。

同士討ちのどこが悪い。これが邪馬台国論争の一番良くない所だ。
同士討ちなんて言葉が出てくることじだい、867が根本を見失ってる証拠だ。
語るに落ちるってヤツだな。

同意出来ないことがあれば、畿内説同士だろうが九州説同士だろうが議論するがよい。

>考証材料として現代に伝わるものを例示

ふざけんなよ。『伝わる』じゃなくてでっち上げだろ。
大坂城なんか、トンデモもいいとこ。三世紀の海岸線がどうなってたか、考えたことあんのか。
天王寺の辺りは難波高津宮があったところだ。玉造ぐらいあるだろ。

>している人に「勝手ヤロウ」と言う奴も。

だったら、849のどの文言から三世紀限定と判断出来るのか、きちんと示せ。

891 :日本@名無史さん:01/10/07 03:34
しつこいが、北九州から方角を誤ったと思うよ。
「更に海を渡って東側にも倭人がいる」んだろ?
それ、佐渡島。
クナ国は、おそらく今で言えば東海地方だろ?
ヤマトタケル伝説で東海地方に遠征する話がある
じゃん。
おそらく熊野地方出身の王が治めていたんだろう。
東って書いてある→事実は北。
南って書いてある→事実は東。

やっぱ邪馬台国=やまと国=今の奈良県だよ。

892 :日本@名無史さん:01/10/07 03:37
>>890
まあまあ、そうカッカなるなって。

893 :日本@名無史さん:01/10/07 10:24
>>891
物凄い電波w
恐ろしいこじつけだな。
海にいたら日の昇る方角、沈む方角を90°も間違えるなんてありえるわけがないのに。
こいつは真性のドキュソだな、ぷ

894 :日本@名無史さん:01/10/07 10:29
まちがった実例があるのに「間違えるなんてありえるわけがない」の連呼しか出来ない九州説支持者って哀れだな。
九州説そのものの根底が思い込みでしかないってことさ。

895 :853:01/10/07 10:45
858=852かな? 遅レスごめん。
>今、話題になっている(卑弥呼の)古墳は(当然)3世紀築のやつのことね。
って書けばお馬鹿な貴方でも読解できたかな?

896 :日本@名無史さん :01/10/07 10:49
>>894
間違った実例はおまえのその馬鹿な脳味噌だろ(藁
哀れな奴。何が何でも畿内にしたいらしいな。
そこまでいくと狂気の沙汰だな。

897 :日本@名無史さん:01/10/07 10:50
単位を捏造してまで「卑弥呼の墓は小さかった」と主張する九州説哀れ。

898 :日本@名無史さん:01/10/07 10:53
古代人は方向音痴だったという苦しいいいわけを晒してまで
畿内説に固執する897はカワイソウな偏執狂の馬鹿

899 :日本@名無史さん:01/10/07 11:01
事実を認められないで個人的な思い込みを他人に押し付ける896は哀れな敗残者。

900 :日本@名無史さん:01/10/07 11:01
倭国内の方位90度回転問題を何度も蒸し返す人がいますね。
だけど、次の2つを無視した意図的カキコはしないでね。
@魏使等が方位を誤認するわけがない。(正)
A倭人伝の倭国内方位記載は90度ずれている。(正)

901 :日本@名無史さん:01/10/07 11:04
倭人伝の方位が絶対正しいって言い張る馬鹿者には
マツロ国やイト国を正しく比定することができない
つまりトンデモぶりを自白してるのと同じ

902 :900:01/10/07 11:05
訂正:Aの「倭国内」は北九州内の誤記(畿内論者なのでつい・・)

903 :名無しさん:01/10/07 11:13
別々の国説は駄目なわけ?

904 :日本@名無史さん:01/10/07 11:27
「倭人伝が全面的に間違ってる」って説は「おかしい部分的もある」って説より劣るだろう。

905 :早稲田大学理工学部:01/10/07 13:58
>>861
>>863
おいおい、俺のカキコをちゃんと読んだのか?
どこに「邪馬台国=関東説」って書いてある?
俺は「西都なみの数の古墳群が多摩川下流域にもあった」としか言ってねえぞ。
繰り返す。もう一度ちゃんと読んでくれ。

906 :日本@名無史さん:01/10/07 14:17
>>905のようなことがあるから、>>867で注意を促しているの。

907 :日本@名無史さん:01/10/07 14:19
>>905
俺も「関東説」などとは思わなかったよ。
読解力のないのがいるんだわさ。
>>904
同意。

908 :日本@名無史さん:01/10/07 14:27
今日赤になってないか?

909 :早稲田大学理工学部:01/10/07 14:29
>>906
>>907
感謝。

910 :日本@名無史さん:01/10/07 14:40
>>891 >>894 >>896 >.898 >>900
魏志倭人伝の文脈はどうにでも解釈できるって言っちゃったら終わりだと思うんだけど

911 :サイトばか井沢、鹿島、原田実:01/10/07 14:54
魏志倭人伝の最後の水行10日、陸行1月の部分。
陸行1月→陸行17日の誤り。
それ以外全て正しい。
(それ以外榎説で上等!)
消去ほうから言っても畿内説なら、魏志倭人伝の誤記の部分が九州説より多くなる。
誤記は1ヵ所くらいが限界。それ以上なら畿内説者は捏造モノと批判されても帰す言葉無いであろう。

912 :日本@名無史さん:01/10/07 15:07
>>886辻褄をあわせるために倭人伝を改造して読んでる典型だね。

>>891東って書いてある→事実は北。
南って書いてある→事実は東。

やっぱ邪馬台国=やまと国=今の奈良県だよ。ふざけんなよ。891を捏造と言わずしてなんというんだ。

913 :日本@名無史さん:01/10/07 15:24
西都原古墳群は、南北約3千kmの台地に、大小311基の古墳がある日本最大の古墳群です。大体3世紀代から造られはじめており、
3世紀には最盛期を迎え、4世紀、
5世紀初めまで西都原古墳時代は続いたと言われています。
その中でも男狭穂塚(ニニギノミコト)、
女狭穂塚(コノハナサクヤヒメ)と
いわれている古墳は全国的にも有名で、宮内庁の御陵墓参考地に指定されています。

「古事記」「日本書紀」に記されている神話は歴史的示唆に富んでおり、そこに展開されるダイナミックな建国神話の中では、禊払い、海幸山幸伝説、天孫降臨、神武東遷等といった日向神話がその中核を占めており、西都はその日向の中心地でした。


現在は、「記・紀」の道としてゆかりの事跡が多数残っており、歴史のロマンをたどる散策コースとなっています。


詳しくは<西都市役所:商工観光課 TEL.0983-43-1111

914 :日本@名無史さん:01/10/07 16:04
>>912
何度も話題に出ていることなのですが、方位問題は九州説に不利です。
倭人伝の北九州での地名比定が定説どおりなら不彌國までの路程では、
東北を東南と記述しているわけですからそれ以降の女王國に至る路程
についてだけズレは在り得ない等と言うことは出来ません。

915 :日本@名無史さん:01/10/07 16:14
記紀を邪馬台国と結びつけて万世一系論を唱えるウヨは単なるアホ。
記紀に記された風俗は魏志倭人伝の邪馬台国の風俗とはあまりにも異なる。
記紀にしろ、巨大な前方後円墳も畿内が邪馬台国で無い証拠でしかない、
と言う事が判らんやつは厨房。

916 :qq:01/10/07 16:32
どうして黒板教授が卑弥呼の墓(西都原オサホ塚)を隠蔽しないといけなかったか、そっちの話しようよ!
>>隠蔽すると言う事は「西都が邪馬台国です」と自ら自供したようなもんじゃないか。
好太王の碑文荒らしたのもどうせ明治天皇を中心とするアホウヨだもんな。
総督府修史委員会の実態も焚書が目的だもんな。
ホンとウヨってひとのせいにするもんな。歴史教科書問題にしても・・・捏造と隠蔽がお前らの18番だもんな。
九州か畿内で一番ドデカイ遺跡が見つかればそれで邪馬台国論争解決するだろう。
「墓荒らしダ!」みたいなトンでもな事言ってるからいつまでも分からんのだよ。
悔しかったら宮内庁が今管理している古墳の全ての発掘調査させろよな。

917 :日本@名無史さん:01/10/07 19:01
>記紀を邪馬台国と結びつけて万世一系論を唱えるウヨは単なるアホ。

なるほど!記紀欠の史八代も含めて1代10年だから卑弥呼は西暦なん年とか言ってる「つくる会」協力エセ学者とかのことだね?
まったく九州説の人って困ったものだね。

918 :日本@名無史さん:01/10/07 19:25
>九州か畿内で一番ドデカイ遺跡が見つかればそれで邪馬台国論争解決するだろう。

それは纏向遺跡です。邪馬台国論争は解決してます。

919 :日本@名無史さん:01/10/07 19:34
>>916
なら、なんで男狭穂塚と女狭穂塚をくっつけて、巨大な古墳に仕立てなかったんだ?
神武天皇陵なんか3つもの古墳を無理やりまとめたものじゃねえか。

920 :日本@名無史さん:01/10/07 19:46
「みんなの知ってる歴史は実は改竄されたもんだ。本当はこうだ!」
とか言って歴史を改竄しようとする連中。
最低だよね。

921 :日本@名無史さん:01/10/07 20:02
>>917-920 コピペにレスしてもしゃーないやろ。

922 :日本@名無史さん:01/10/07 20:15
このスレ、他のに比べて罵倒が多い。
おこちゃまな反応するんだね。
反論って、相手を殴ることじゃないだろ?

923 :日本@名無史さん:01/10/07 20:21
箸墓の被葬者はトヨ
東遷したのもトヨ
モモソビメは、天の岩戸がくれで、死ぬ機織りの女と基本的に同じエピソード
邪馬台国は西都

924 :日本@名無史さん:01/10/07 20:53
>>923
禿胴!
まさにその通りだな
>>922
ほんとだよ
その糞反応だけでそいつの低レベルがわかるのにねww

925 :日本@名無史さん:01/10/07 21:06

     /⌒\
   ( ´∀`;)
   |     |
   /    | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  /      /< オマエモナー>>924
 ( ・∀・/   \________
  )   (
 (__Y_)

>>924

926 :日本@名無史さん:01/10/07 21:20
>>922-925 寒すぎ。

927 :大野晋:01/10/07 22:27
????????
?????????????
???????
???????????
????????????
?????????????
??????????????
????????????????????
???????????????????
????????????????????

928 :日本@名無史さん:01/10/08 00:09
>>895
大坂城を古墳と信じてるお馬鹿な貴方は

>今、話題になっている(卑弥呼の)古墳は(当然)3世紀築のやつのことね。

って書かなくても意志の疎通が計れると思ったわけね、あの文脈で。
もう一度『こくご』の勉強やり直そうね、古代史の前に。

929 :日本@名無史さん:01/10/08 05:02
うっせ、カス!

930 :日本@名無史さん:01/10/08 08:36
>>923
同意
どう考えても西都原だな邪馬台国は。
畿内説は、トンデモこじ付け大魔王ww

931 :日本@名無史さん:01/10/08 11:10
どうでもいいけど>>922に同意。
最近ここにいる者同士でクソミソに叩き合うそのセリフ、
当初に両方の説を論議していた人間まで一緒に批判する
ことになるんだよ。
そんなカキコこそ馬鹿発言だね。相手を全面否定する事
がイコール自分の意見を正しいと宣告することにはなら
ない。
こんな状態じゃ、マトモな人達がここに来るわけない。
むしろはじめの連中はみんな帰っちゃったんじゃない?
もうここにカキコしているの5人以下だよ。

932 :日本@名無史さん:01/10/08 11:21
でも西都はバカ

933 :928は反省するように:01/10/08 12:02
ここは邪馬台国スレなんだが、ヌシは何故に7世紀の古墳の話を
持ち出してしまったことに拘るんかのぉ。お馬鹿だからか?

934 :親魏倭王卑弥呼:01/10/08 15:36
>>930
西都説は、未だに根拠が理解できないんだが、
他人に自説の合理性を認めてもらえるような話の展開をしてもらえないかな。
いつも同じコピペばかりじゃ読む奴はいないって。

>>928
アンタは、卑弥呼の墓の所在を論ずべき場所で他人の意見への反発だけの目的で
話を7世紀まで拡大するようなオツムを冷やかされてるのだが。わかるか?

>>932 >>933 煽るなよ。無駄にレス数を消費するだけじゃん。

こんな奴らしかいないんじゃ誰も新スレは立てないだろうなぁ。

935 :倭人:01/10/08 16:07
新スレじゃなく新レスで
 卑弥呼の朝貢の中に、絹が有りますが当時絹技術は(養蚕に限らず)極秘扱い
 であったのは事実のはず、北九州以外(はっきり大和と言いますか?)で絹の発掘が
 されるのは、大和朝廷設立ごろのはず。
 邪馬台国の会った頃絹を産していたと思われるのは九州北部しか確認されてないよ
 「邪馬台国の東上そして大和朝廷へ」論者でした

936 :日本@名無史さん:01/10/08 16:14
>>934
九州最大規模の古墳郡遺跡が邪馬台国の跡で悪い?

937 :日本@名無史さん:01/10/08 16:33
まあ国家権力さえあれば畿内説を天皇制に結びつけるために100年から200年くらいずらす事くらい
なんてことないだろう。
朝鮮には古事記、日本書紀より古い歴史書残ってないだと。
ふざけるなよ。
偽書であるはずのカンダンコキを必死になって焚書しようとした輩こそ、戦前のアホウヨ系御用学者
だろうが。こんな事だからいつまでたっても邪馬台国の場所特定できんのだよ。
畿内馬鹿(万世一系信者)に論理的な根拠の一つもないだろう。
マア箸墓を卑弥呼の墓に比定したいやつが年々古墳時代の到来を早めて、ついには年輪年代法
を持ち出して古墳時代が220年頃に始まったと言い出した。
土器編年による、寺沢説でさえ、これまでより2,30年
繰り上げてきたのに百年も繰り上げる年輪年代を信じるやつは厨房だね。

938 :日本@名無史さん:01/10/08 16:36
>>935
その「邪馬台国のあった頃」っていうのが循環論法になっているのがおわかりでない?

939 :日本@名無史さん:01/10/08 16:45
>>937
まあそう無知無教養と偏見を剥き出しにしないで落ち着いてね。

940 :日本@名無史さん:01/10/08 16:53
あなた戦前にカンダンコキ焚書があったとか信じてるの?
もう九州説ってトンデモしか残ってないわけ?

941 :日本@名無史さん:01/10/08 17:53
>>soudayo
omaeno
younanoga
sitandayo

942 :畿内説@東京人:01/10/08 18:25
>>936
アンタ、だから、それ以外に論理の展開ができないのかって言われてんだろ。

>>937
畿内説だと「万世一系」で九州説だと「朝鮮王朝」なのか?
なんでそう思うの。アンタが九州説&王朝交代論なだけだろ。
寒いぞ。

>>938
>邪馬台国の会った頃絹を産していたと思われるのは・・・(以下略)
どこが循環してるんだろ?アンタの頭がか?

943 :日本@名無史さん:01/10/08 18:32
>>936
最大で176m程度じゃん。
その程度の勢力じゃ近畿まで来て征服王朝たてられないよ!

944 :日本@名無史さん :01/10/08 19:01
>>942.943
誰がなんと言おうと、
邪馬台国は西原!

945 :日本@名無史さん:01/10/08 19:05
その程度の勢力じゃ近畿まで来て征服王朝たてられないよ!

>>この糞狭いニホンに倭と別倭(つまり秦王国)、2つの異なるクニが存在して悪い?

946 :日本@名無史さん:01/10/08 19:13
>>942
>どこが循環してるんだろ?

邪馬台国の時代が古墳時代じゃないって前提でそのころの畿内に絹がないって云うんだろ?
で、邪馬台国の時代が古墳時代じゃないって理屈はどこから来るわけ?
循環論法でしょ?

947 :.:01/10/08 19:31
>>944
「理恵子」がぬけてるw

948 :日本@名無しさん:01/10/08 19:44

         邪馬台ワッショイ!!
     \\   畿内だワッショイ!! //
 +   + \\   九州ワッショイ!!/+
                            +
.   +   /■\  /■\  /■\  +
      ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
 +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  +
       ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
       (_)し' し(_) (_)_)

949 :942:01/10/08 22:03
>>946
違う。時代区分の問題じゃない。
3世紀の畿内遺跡から絹関連遺物の出土が無いという事実が有るんだ。
嘘だと思うなら自分で確認してごらん。

950 :日本@名無史さん:01/10/08 22:11
初めてカキコするが、論理的思考をすれば邪馬台は九州で中心は日向だろう。
西都原は不可解な点が多すぎる。その過去の調査過程において。
畿内論者にとっては非常に不都合なものが多いからだ。
第一、刺青人など隼人以外の何者でもないではないか。
畿内説は余りにもコジツケだらけで読んでいてウザい。

951 :倭人:01/10/08 22:24
946さんへ
 >邪馬台国の時代が古墳時代じゃないって理屈はどこから来るわけ?
 >循環論法でしょ?

  ↑これって邪馬台国が古墳時代だって主張ですか?

始めから読んでないのですみませんが、もしそうなら東夷書(倭人伝はもちろん)
に書いてある風俗が古墳時代って主張されるのですか?それはあまりに無理が有りますよ

952 :日本@名無史さん:01/10/09 06:50
どういう無理があるぼ?

953 :日本@名無史さん:01/10/09 17:58
西都である証拠。
1、地名から(都という文字が後ろにつく。コレは東京「都」、京「都」に近いから宇「都」宮とはワケが違う。「宮」城県が首都でないことからも明らか。最後に「都」という文字がつくのがポイント。)
 西都の「西」。もちろん日向地方は九州地方南東部でありさらに西都は東、海岸沿いにある。だから西都の「西」を「ニシ」と読むなんてオカシイではないか。
 だからこの西都の「西」とは東西南北の「西。にし」のことではなく、西洲(九州)の都という意味。
2、三角縁神獣鏡も出土。
3、どうして21世紀、ブロードバンドの時代に西都は宮内庁の管理化と言う名目で遺跡(古墳)の発掘調査させないのか。
  9割5分以上手付かずというではないか。出土したら困るものでもあるのか?悔しかったら古墳の発掘調査させろよ。
4、初出だがそもそも邪馬台国の場所が特定できないと言うのも変な話である。長岡京や藤原京の場所が特定できるのになぜ邪馬台国だけ特定できないのか?(ある政治的意図(天皇制)を感じざるをえない)
 卑弥呼の墓が特定できないと言うのならまだわかる。しかし古代の最大都市であるはずの邪馬台国に魏からの使者、交易求めてやってきた商人、観光目的でやってきた人々・・・等誰か一人くらい自分の日記に邪馬台国の
 場所くらいの記載を残したとしても悪くないはず。魏志倭人伝以外全ての古史古伝を偽書のレッテルはりに終始してる畿内説(ウヨ)は正直ウザイ。
 仮に京都のような都がどこにあったか特定できないとする。原爆2回落とした上ブルトーザーで更地にして工場なり住宅地にでもなっているのならわからないかも知れない。
 だから邪馬台国ほどの規模の遺跡は日本のどこか(九州か畿内)にあるはず。街全体が3世紀のことだからわからないというなら3世紀よりはるかに古い中国の漢の首都もメソポタミヤ文明の首都もエジプト文明の首都もどこも特定できないではないか。
 政治的にある意図が感じられるのである。
5、九州(いや畿内含め)最大規模の古墳群遺跡が西都にはある。ついでに九州で一番大きな古墳(オサホズカ)がある。
6、神話伝承の数の上からも日向地方は出雲地方についで2番目に多い。その日向地方の中心地こそ西都。
7、弥生時代(つまり卑弥呼の時代)日向地方は人口密度が一番高かった。遺跡の数の上から。。。人間が過去そこに住んでもいないのに遺跡だけが残っていたならオ・バ・ケ!
8、朝鮮総督府修史委員会の奇妙なウワサ。「黒板を中心とする焚書のウワサ」
  コレだって火のないところに煙は立たないであろう。卑弥呼の墓に尻尾をつけると言うことは卑弥呼の墓が円墳であった証拠。やはり240年代は前方後円墳の時代ではないのだ。
9、まあ好太王の碑文アラシ、カンダンコキの焚書しようとした形跡からこいつ等が卑弥呼の墓を隠蔽しようとしたと疑われても返す言葉ないであろう。
  記紀を天皇制に結び付けたい気持ちもわかるが現実は神武も卑弥呼も朝鮮からきたのよ。
  コレ認めたくないから邪馬台国の場所がわからないわけ。まあ畿内の仁徳稜にしても同じこといえるが西都の発掘調査させるなら
  一気に邪馬台国論争解決するだろう。(ついでに義経ジンギスカン説もね)

まあ、それまでいつまでもだらだらと不毛な論争楽しみなさい。頑張れや。

954 :日本@名無史さん:01/10/09 18:23
>>953
で、井沢がなんだって?ありゃ西都市のタクシー運転手の話だろ。

955 :がはは:01/10/09 20:05
古代(Ac550〜600年頃)の関東人の容貌
http://www.evam.ne.jp/niouson/haniwa-musee.html
あれっ、自称縄文人の末裔じゃなかったの?(藁
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=140/27/17.089&scl=500000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/40/05.950&size=500,500

       

956 :953はいいかげんにしてほしい:01/10/09 22:05
なが〜いのをどうも。コピペじゃないけど中身はコピペね。
折角だからすこしだけレス。
1について   西都原の地名起源はわかんないですね。だから、反論できない。
2・3について そうだね。貴方が発掘したいのはメサホ・オサホだけ何だろうけど。
        早く宮内庁が廃止にでもなればいいね。
4について   邪馬台国の位置は特定されてるよ。特定された場所がた〜くさんあるだけ。
5・6について そうだね。単一名称で呼ばれる古墳群として面積だけは日本一。
7について   西都原って日本一密度の薄い古墳群だよね。300個ぐらいだっけ?
8・9について 卑弥呼の墓が宮崎県にあったと決まっても畿内説等の職業学者等が
        一時的に困るだけだと思うが。
あと、サービスで西都市のホームページを紹介しといてあげる。
    http://www.city.saito.miyazaki.jp/tanhou/index.html
 

957 :日本@名無史さん:01/10/09 22:20
なんかネタっぽいな。
>>953
>1
そもそも西都という地名がいつの時代まで遡ることができるのか疑問。
少なくとも「西」「都」という漢語を受け入れてからつけられた地名だろうから
3世紀までは遡れないだろう。純然たる和語で、当てられた漢字から意味がとれ
ないような地名のほうが古くからあると思われ。
>2
三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではないって九州説の人は言ってなかったっけ?
>3
あほらし。
>4
東夷伝倭人条が不正確だから。
な〜んで近畿説がウヨなんだYO!
もともと九州説っていうのは天皇が中国皇帝に頭下げてたってのがイヤだった
国粋主義者が考え出した代物じゃん。
>5
一番でかいのはメサホズカのほうだろ?メサホズカは5世紀ぐらいの古墳じゃ
なかった?
>6
じゃなんで出雲が邪馬台国ではないんだYO!
>7
お墓が継続して作られていることと,人口密度はあまり関係ないと思われ。
同時代にどれだけ労働力を集めることができたかという観点からなら,
お墓の規模のほうが目安になるんでないか?
>8
主観にかんするものにはコメント必要ないよね。
>9
好太王碑に改竄のないことは中国の研究者が確かめて決着ついてるYO。
桓壇古記なんて正真正銘の電波。いつ書かれた本なのか知ってる?

958 :日本@名無史さん:01/10/09 22:38
>>953
>卑弥呼の墓に尻尾をつけると言うことは卑弥呼の墓が円墳であった証拠。

ジツニ オモロイ論理もあったもんじゃ(藁藁
もともと卑弥呼の墓とわかってるなら、証拠も糞もないじゃろが。。。(藁
男狭穂塚に尻尾がつけられようがどうしょうが、卑弥呼墓かどうかは分からん。
誰の墓か分からんもんが仮に本来は円噴じゃったとして、それがどないして卑弥呼
の墓が円噴ちゅう証拠になるのやら、サッパリ分からんぞ(藁

959 :日本@名無史さん:01/10/10 00:47
>>949
>違う。時代区分の問題じゃない。
>3世紀の畿内遺跡から絹関連遺物の出土が無いという事実が有るんだ。

時代区分の問題を事実と誤認してるんじゃないの?
じゃ、下池山古墳や纏向遺跡の絹が3世紀じゃないって誰がどうやって決めたの?

960 :このスレの偉大なアイドルであるサイト君についての考察:01/10/10 01:03
好きな人  竹村健一、井沢元彦、松尾タカシ (バラエティ系が好み)
嫌いな人  黒板教授、宮内庁官僚、畿内論者 etc
好きな言葉 ウヨ・インターネット・ブロードバンド・日本最大の古墳群西都原
嫌いな言葉 おバカ・コピペ・デムパ・厨房
得意なこと コピペ・連続投稿・自作自演・夜更かし
苦手なこと 他人の文章の読解・自分の脳内状況の論理的説明
彼の人生  宮崎県西都市で生まれ、中学2年まで同地ですごす。
      その後、父親の転勤に従い上京、転校先に馴染めず登校拒否>引篭りとなる。
      父親の愛読書である週間ポスト・現代等を暇つぶしに読む内に竹村、井沢等
      に影響される。また、今年の誕生日に買い与えられたパソコンで2chの存在
      を知り現在に至る。

以下は彼の足跡です。お暇な方は見てあげて下さい。続けて読むと面白いですよ。

>>500 >>541-542 >>547 >>566 >>586-589 >>593 >>602 >>604 >>624-625
>>627-630 >>648 >>728 >>734-736 >>782 >>803 >>805-806 >>816 >>819
>>826 >>829-830 >>837 >>839 >>868 >>877 >>915-916 >>922-924 >>930
>>937 >>944-950 >>953

961 :949:01/10/10 01:07
>>959
ごめん。>下池山古墳や纏向遺跡の絹 って何? わからないなぁ。

962 :>>960:01/10/10 01:17
>>868>>922-924 のシリーズはサイコーっす。(大w

963 :日本史素人からのお願い:01/10/10 16:49
日本史は厨房なんだけど古代史関連は面白いから、たまに覗いてます。
このスレ6に続くんなら邪馬台国と大和朝廷の繋がりとか絡めて
やってくんないかな。 まあ、鹿島説はたまにOKくらいで。
日本史板のみなさん、よろしくお願いします。

964 :日本@名無史さん:01/10/10 19:33
>>961
畿内で絹の出てる遺跡は当然知ってるんでしょ?
だからそれが3世紀じゃないって主張してるんだろうと思うんだけど
「時代区分の問題じゃない」って言われるとこっちもわからないなぁ。

965 :日本@名無史さん:01/10/10 20:56
新スレ立てといたから今後そっちで話してくれ。
これ以上書き込むと読めなくなっちゃうから。

966 :日本@名無史さん:01/10/10 21:00
あ、アドレスかくの忘れた。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1002714692/

これね。

967 :日本@名無史さん:01/10/12 15:58
w

968 :日本@名無史さん:01/10/26 05:53
松本清張の本は面白いな

969 :日本@名無史さん:01/10/27 17:41
.

970 :日本@名無史さん:01/11/06 20:47
倭が百済を吸収合併し、存続会社は倭、新社名は日本となりました。

971 :日本@名無史さん:01/11/11 04:41
倭with百済 → 日本

972 :日本@名無史さん:01/11/16 14:53
正確には日本へと名称変更した時期は少しずれるけど、
おおよそそれで正しい。

973 :日本@名無史さん:01/11/28 23:26
重い!けどage

974 :宇佐磨瓶:01/11/29 05:29
新羅with(倭+百済)→新倭→日本

975 :日本@名無史さん:01/11/29 05:31
>>974
うむ、こちらの方が正しい。

976 :日本@名無史さん:01/11/30 18:47
初めてカキコするが、論理的思考をすれば邪馬台は九州で中心は日向だろう。
西都原は不可解な点が多すぎる。その過去の調査過程において。
畿内論者にとっては非常に不都合なものが多いからだ。
第一、刺青人など隼人以外の何者でもないではないか。
畿内説は余りにもコジツケだらけで読んでいてウザい。

977 :日本@名無史さん:01/11/30 19:17
畿内カルト天皇教ヲタ殲滅運動強化週間

978 :日本@名無史さん:01/11/30 19:22
宣伝するぞこの野郎!!
待望の第2弾、長渕スレ

第1弾
どんなに批判されても長渕剛が好きな人!
http://music.2ch.net/test/read.cgi/music/1003172239/

桑田VS長渕 犬猿の仲?スレ
http://music.2ch.net/test/read.cgi/music/1000755082/

長渕剛クラブは、オフィシャル公認のファンクラブです。
http://www.nagabuchi.or.jp/club.html

ここは長渕 剛を心より愛する方のための情報交換の場です
http://wwhttp://music.2ch.net/test/read.cgi/music/1006450638/l50
待望の第2弾、長渕スレhttp://music.2ch.net/test/read.cgi/music/1006450638/l50

979 :元、オニャン子 KS:01/11/30 19:30
長渕剛くん私の顔にマヨネーズ塗ってなめるの?

980 :日本@名無史さん:01/12/02 00:53
畿内カルト天皇教ヲタ殲滅運動強化週間

981 :日本@名無史さん:01/12/06 19:19
以前西都原の発掘調査の関係者の方の

「ぼやき」を聞いたことがあります。

「西都原の古墳を発掘するとね、朝鮮との関係、被葬者が朝鮮からの渡来民であるとしか

考えられないような物が出てくる。つまりは『天皇家のルーツは朝鮮にあり』って言ってるみたいな物だから、
西都原の本当に調査されなければいけないような古墳は発掘許可が下りない

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>>953 なんだ!?飛んでる!」 スパンダム「おれのチ○コは強力なポンプにもなる!」
スパンダム「飛び散る子銃・・・“絶頂(ゼッチョウ)”!」 ドビュビュビュビュ!ビュパァン!
ルフィ「うわっ!なんだこの液!カウパーか!くそっ、体がヌルンヌルンして上手く動けねェ!」
スパンダム「死ね!欲式奥技!“菊門突破(クリーミー・マム)”! ドズン!!!」
ルフィ「グフッ・・・!」ドサッ
スパンダム「ぎゃははははは!あと4人!」

今週終わり しさん23投稿日:2000/12/28(木) 23:12
>875
お前イカレテルヨ。ログ読んでみな。
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