5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

「魏志倭人伝」を読む(邪馬台国はどこですか4)

1 :通りすがり:2001/05/14(月) 01:10
邪馬台国の所在地論争を含め、「魏志倭人伝」に関する議論全般を
扱うスレッドです。

マターリと議論を楽しみましょう。

<旧スレッド>

邪馬台国はどこですか2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=983026206


2 :通りすがり:2001/05/14(月) 01:14
ああ、ごめんなさい。

このスレッドはPart3でしたね。
まあ、大目に見てください。

3 :日本@名無史さん:2001/05/14(月) 01:22
あなたの心の中にあります(-_-)

4 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:36
847 名前:通りすがり sage 投稿日:2001/05/13(日) 03:46

ちょっと息抜きで放言します。

>>846さん

どーも。
応援?ありがとうございます。

「政治性」を問題にすると、同業者からは白い目で見られたり、「愛国者」の
方々からは怖いこと言われたりでなかなか大変です。
2ch(とくに日本史板)は「愛国者」が多数いらっしゃるようなので、
>>159以降の数レスをご覧のように色々と嫌な思いをしますね。

そもそも、「学問」なり「科学」といったものに対して、我々は少々
ナイーブすぎる思いを抱いているんじゃないかな。

「ガラス張り」の研究とかね。
そんなもの、ありゃあしませんて!
親方日の丸の助成金がないと四苦八苦する研究のどこが
「ガラス張り」なんですか。本当に。
科研費の申請には苦労しっぱなしですよ。ねえ皆さん。

学問の「客観性」なんて「近代」の幻想とともに、とうの昔に
崩れ去ってますよ。違いますか?

#もっとも、一番頭が痛いのは、プロパーの研究者ほどこうした
#問題に対して無頓着というかなんというか・・・・

たとえば「日本の原郷」とか「日本人の心のふるさと」といわれても、
千年以上も前の人間にシンパシーを抱きようがないっていうのが
正直な心境ですね。
「日本人」なんてご大層なものが生まれたのは、せいぜいここ100年じゃ
ないですか。正確にいえば、ここ50年かな?

遙か昔の事象によって自己を確立する社会なんてものは、
自己分裂気味のドッペルゲンガーですよね。全く。
で、「過去」が「捏造」といった問題で否定されたりなんかしたら、
強烈なアイデンティティ・クライシスを起こして、大騒ぎになってるんだから
世話はないですよ。ええ。

といいつつも、これからはますます民族主義的あるいはロマン主義的な
考古学、歴史学がもてはやされるのでしょう・・・
べつにルサンチマンを気取るつもりはありませんが、これからどうやって
荒波に向かっていきましょうかね。楽しみです、ある意味。

あぁ、回線切って逝ってきます。

それではー。848 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 07:52

>学問の「客観性」なんて「近代」の幻想とともに、とうの昔に
崩れ去ってますよ。違いますか?

そういう言い方が不謹慎なんだよ!
トンデモ系が「それみろ」と言うんだ。


849 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 08:48

大学の研究は閉鎖的なんでしょう、出世の為には先人と同じ
事を云わなきゃならない。自分と合わない意見はすべてトン
デモ系でかたずける。自分の生きている間は、例え自説が間
違っているのが判っても、究極的な証拠がない限り絶対に認
めてはならない。素人相手にもネットで頑張って叩きつぶす。
ご苦労さん。


5 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:37
850 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 09:03

ウソ書きまくりで、まともに批判されると学閥批判でお茶濁し
トンデモさんのセオリーだな
つけ込まれるようなこと書く通りすがりも修行不足


851 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 10:29

本音を喋るのは修行不足?


852 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 17:26

修行不足っていうか、まじめな研究者に失礼。
>>849 みたいなトンデモ屋がいい気になるだけ。
内部告発でもやりたいなら、ほかのやり方があるだろう。
自覚が足りないとしか言いようが無い。


853 名前:Henton 投稿日:2001/05/13(日) 17:46

>>848
>>そういう言い方が不謹慎なんだよ!
>>トンデモ系が「それみろ」と言うんだ。

そうやって、大声で恫喝してどうするんですか?
自分のいっていることを絶対化したい?
彼の言っている通りでしょ。854 名前:Henton 投稿日:2001/05/13(日) 17:50

とにかく、現在「畿内説で確定している」という状況
ではないのに、他所の言論を恫喝して黙らせるのがは
たして学問なのか?


855 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 17:53

↑いい気になったトンデモ屋


856 名前:ラーメン大好き@名無しさん 投稿日:2001/05/13(日) 18:04

「九州説」=トンデモって決め付けるだけで何も反論できんくせに。
うざいから、逝ってね。857 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 18:08

あんた過去レス読んでる?
反論くらった九州説のトンデモさんは毎度グウの音も出なくなって逃走しちょるよ。


858 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 18:11

トンデモといわれてるのはHentonだけだろ?


859 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 18:24

やっぱり荒れましたね。

>All

私の発言をよく読んでください。

・学問の「客観性」なんて「近代」の幻想とともに、崩れ去ってますよ。
               ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~             
傍線部の箇所を読み飛ばされても困りますね。

学問の「客観性」の崩壊がすなわち、トンデモな解釈を容認するとは
どこにも書いてないですよ。→とくにHentonさん。

>>852さん

>修行不足っていうか、まじめな研究者に失礼。

どこが失礼なんですか?
どういった研究態度をとれば「まじめな研究者」になれるんですか?

自身の社会に及ぼす影響に対して、全く無自覚な研究態度が
「まじめな研究」なんですか?

私は第2次大戦のような惨劇を日本が再現することを見たくないだけです。
ましてや、自身がその惨劇のお先棒を担ぐなんてまっぴらゴメンです。

>内部告発でもやりたいなら、ほかのやり方があるだろう。

具体的な研究機関や個人名を例に挙げたならば、「内部告発」の範疇に
入るかもしれませんが、違いますよね。
私は考古学、歴史学を例に挙げて、現代における「学問」・「科学」の大いなる
陥穽に言及しただけですよ。

それとも、大日本帝国マンセー! 天皇陛下マンセー!!!といってれば
良いのですか? 残念ながらそれは無理です。

>自覚が足りないとしか言いようが無い。

どんな「自覚」がプロパーの研究者として望ましいのですか?
ぜひご教示下さい。

(続く)

6 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:38
860 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 18:32

>どんな「自覚」がプロパーの研究者として望ましいのですか?

率先して客観性を示す態度と決意


861 名前:ラーメン大好き@名無しさん 投稿日:2001/05/13(日) 18:35

>>学問の「客観性」の崩壊がすなわち、トンデモな解釈を容認するとは
どこにも書いてないですよ。→とくにHentonさん。

別に私がトンデモな解釈が容認されるなどといった覚えはないが。
邪馬台国九州説がトンデモとおっしゃるならその理由について
述べていただきたい。
それと、私の言っていることだけがトンデモと決め付けるなら
その理由について述べていただきたい。
他のスレを含めて、まともに反論した方は誰もいませんよ。

862 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 18:36

(続き)

さて、

>Hentonさん

べつに個人を集中攻撃するつもりはありませんが、私自身の発言が
誤読されるのはイヤなので・・

>>853

>彼の言っている通りでしょ。

擁護していただけるのは誠にありがたいですが、
ちょっと違いますよね。

いいですか、繰り返しますよ。

私は現代における学問の「客観性は」、「近代の幻想とともに」崩れ去った
と発言したのです。
つまり絶対客観の存在を前提とした解釈を肯定するほど、我々は
ナイーブな時代に生きていないのです。

我々は極めてアナーキーな時代に生きているのです。
それが「現代」です。

ただし、最低限の「客観性」は残っています。

それは「他者と共有されうる解釈・理解」です。
絶対客観を前提としない科学の唯一の拠り所は、他者と理解を共有しつつ
命題を定立し、かつ共同して絶えずそれを組み替える作業です。

上記の作業を怠った場合、残念ながらその主張は他者とは共有できない
解釈、つまりトンデモ系ですよね。

トンデモ系の存在は、「近代」、「現代」といった時代の相違を越えて
批判されるべきものです。

学問の「客観性」の崩壊 イコール トンデモ系の容認ではないのです。

それを分かってくださいね。

それではー。

(終わり)863 名前:ラーメン大好き@名無しさん 投稿日:2001/05/13(日) 18:38

結局、最後には論破されるとトンデモと決め付けて
逃げていく人はいましたがね。
正々堂々と反論して欲しいですな。


864 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 18:39

>>860さん

>率先して客観性を示す態度と決意

ですから、その「客観性」自体が批判の対象になっていると
再三にわたって申し上げているわけです。

もし>>860さんのご意見が妥当性を持つとするなら、
>>860さん自身の考える「客観性」の内容規定を提示していただけないことには
話が成立しないのです。

いいですか、それほど科学、学問は現代において危機的な状況に
あるのです。865 名前:ラーメン大好き@名無しさん 投稿日:2001/05/13(日) 18:40

>>862
おっしゃるとおりだと思って恫喝するなといったんですが。
それが何か?


866 名前:henton 投稿日:2001/05/13(日) 18:41

ラーメン大好き@名無しは私です。
ハハ。

7 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:39
867 名前:852 投稿日:2001/05/13(日) 18:42

>学問の「客観性」なんて「近代」の幻想とともに、崩れ去ってます

ということは、ほとんどすべての研究者が「自身の社会に及ぼす影響に対して、全く無自覚」と断じてるんでしょう?
ならば、自身の社会に及ぼす影響を自覚している研究者や、自覚を呼びかけている人々に失礼じゃないんですか?


868 名前:Henton 投稿日:2001/05/13(日) 18:44

それより、通りすがりさんが、九州説または私の言っている
ことがトンデモと思うならはっきり書いていただきたい。869 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 18:51

>Hentonさん

>それと、私の言っていることだけがトンデモと決め付けるなら
>その理由について述べていただきたい。
>他のスレを含めて、まともに反論した方は誰もいませんよ。 (>>861

>結局、最後には論破されるとトンデモと決め付けて
>逃げていく人はいましたがね。
>正々堂々と反論して欲しいですな。 (>>863

もうお忘れですか?

私は>>170前後のレスで、あなたに「正々堂々と」反論しましたよね?
私の反論に対してあなたは途中で、どこかにいなくなってしまいましたが、
あれは何だったのですか?

まずご自身の過去のご発言を思い出してみましょう。
そうすれば、上記のレスは恥ずかしくて言えないはずです。

それとも、続きをこのスレでやりますか?

私は怠惰ですから、別スレを読んでませんので、このスレで
議論はお願いしますね。

やるからには、徹底的にあなたを粉砕する覚悟でやりますよ。
大人げないかもしれませんが、それがあなたのご希望なら仕方ありません。

870 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 18:54

>>867さん

>ならば、自身の社会に及ぼす影響を自覚している研究者や、
>自覚を呼びかけている人々に失礼じゃないんですか?

それは曲解ですね。
批判のための批判という感が強いです。

私にも数は少ないですが、同じ問題意識を持った研究仲間がいますから。

そもそも、「失礼」とか「失礼でない」という問題は、この場合的外れです。
たとえば、オウム事件を追及したら、それは麻原被告に対して失礼なのですか?

871 名前:860 投稿日:2001/05/13(日) 18:54

客観性とは、認識を共有する方法論の確立それ自体であると思っています。
アカウンタビリティにも近い概念だと思うのですが?
通りすがりさんは、客観性への脅威を2次的イデオロギーの領域にまで拡大解釈しているのですか?


872 名前:867 投稿日:2001/05/13(日) 19:02

どうやら私の過剰反応のようです。客観性という概念の違いによるすれ違いのようですね。
私は871に近い考えです。
それではもう退場します。


873 名前:  sage 投稿日:2001/05/13(日) 19:07

邪馬台国=ハワイ

ーーーーー終わりーーーーーーーーー


874 名前:Henton 投稿日:2001/05/13(日) 19:12

>>869

はあ?
そのレスはあなたが、倭宰が日本大使館のようなものと
言ったので、私がそのようなものが古代に存在したもの
と思えないといったら、あなたが肯定したレスじゃない
ですか?
それ以外になにか?875 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 19:14

>>868
だから、誰が九州説はトンデモなんて言ってるんだ?
あんたがトンデモって言われてるだけじゃん!

8 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:40
875 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 19:14

>>868
だから、誰が九州説はトンデモなんて言ってるんだ?
あんたがトンデモって言われてるだけじゃん!


876 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 19:17

>>871さん

>客観性とは、認識を共有する方法論の確立それ自体であると思っています。
>アカウンタビリティにも近い概念だと思うのですが?

一義的にはそのように認識しています。

私の下記の発言(>>862)は、

>それは「他者と共有されうる解釈・理解」です。
>絶対客観を前提としない科学の唯一の拠り所は、他者と理解を共有しつつ
>命題を定立し、かつ共同して絶えずそれを組み替える作業です。

まさしく説明責任の問題と直結するテーゼです。

>通りすがりさんは、客観性への脅威を2次的イデオロギーの領域にまで
>拡大解釈しているのですか?

はい。おっしゃるとおりです。
ただ、拡大解釈というよりも、認識の拡大に関するレベル差とお考え下さい。
物象化された認識の解釈者(×主体)に対する反作用に加え、「実験室モデル」への
批判とも受け取っていただいて結構です。
877 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 19:21

>Hentonさん(>>874

重要な箇所を読み飛ばしてもらっても困ります。

私の発言(>>170

>すいません。おっしゃる意味がよくわかりません。
>現代国家の領域支配概念を、過去(先史、原史時代)に対しても
>同様に適用されるのはどうかと思いますよ。

上記の発言が、あなたへの批判だったのですが・・・
反論は「全く」なかったですよね。

他者からの批判内容に対して、自身に都合の良い解釈は
ご勘弁下さい。

878 名前:Henton 投稿日:2001/05/13(日) 19:21

>>875

どのあたりが?


879 名前:Henton 投稿日:2001/05/13(日) 19:26

>>877

現代国家の領域支配概念云々とは?
「倭人が支配していた」というのと「日本が支配していた」というのと
違うということでしょうか?
それとも、古代国家に支配という概念が存在していなかったということ?
もうちっと具体的に言ってくれないと分かりませんな。880 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 19:33

>Hentonさん(>>879

具体的な説明をしてもよいですが、
あなたはもう少し、自分の頭で考えた方がいいんじゃないかな?
というよりも国語力の問題かな。

私の>>170前後のレスを精読して、それでも理解できなかったら
再度、ご質問下さい。

あなたにも理解できるような説明を用意しますから。

9 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:42
881 名前:Henton 投稿日:2001/05/13(日) 20:04

>>880
結局、国語力のせいにするのですか?困った人だ。
例えば、近代国家の概念を適用するならば、明治時代
まで日本は国家ではないといえると思いますよ。
つまり、幕藩体制は諸大名と幕府の連合だと思います。
杓子定規に近代国家の概念を当てはめればそうなりますね。

古代においても同じじゃないですか?
朝鮮半島内の倭人勢力が、たとえ独立した勢力だったとしても、
古代の国家概念からすれば、倭(日本)に属していたのではないか
という解釈がそれほどトンデモな解釈に思われないのですが。882 名前:871 投稿日:2001/05/13(日) 20:43

>>876 >通りすがりさん
それでは、学の独立が冒されているということであって
学問の客観性が崩壊しているというのとは違うのではないでしょうか?


883 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 21:11

>Hentonさん

お相手は後回しです。あしからず。

>>882さん

助成金云々の話に関しては、「学の独立が冒されている」ことに
なりますが、それでも「学の独立」がアプリオリに措定されていますよね。

近代以降に話を限定しますが、K・ポパーの仮説演繹法に代表される
いわゆる「実験室モデル」のようなメタレベルのコンテクストとして発言しました。

メタセオリー、パラダイムあるいはより身体的なエピステーメーによる
科学への影響、さらには科学自身によるコンテクストへの反作用の問題を
考えた場合、「学の独立」といった本質的な言説がはたして妥当性を
持つのでしょうか。
そもそも、冒されるべき「学の独立」の存在自体に疑義を挟みたいのです。

とりわけ私の場合は、対象として考古学(人類学)を検討しているわけですね。

ちょっと抽象的すぎましたね、ゴメンナサイ。


884 名前:882 投稿日:2001/05/13(日) 21:31

エディプスのパラドックスという問題も出てきますすね。
しかし一義的には、学問の客観性とはオントロギッシュな問題でしょう。
学問の客観性が崩壊しているという表現は針小棒大と感じます。

10 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:43
885 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 21:34

さて、Hentonさん

順々に進めましょう。

私の>>165の発言に対する、Hentonさんのレス(>>167)です。

以下、引用。
------------------------------------------------------------

167 名前:Henton 投稿日:2001/03/04(日) 23:01

>そりゃ、AD4-6世紀の期間中に倭国が伽耶地域と交換活動を営んい
>たことからすると、 倭国の人間が当該地域に在留していた蓋然性
>は極めて高いと私も考えます。
>ただ、その在留行為と「任那日本府」は全く意味する内容が異な
>ることはご理解できますか?

在留していたらその地を支配していたと考えてもおかしくない。

------------------------------------------------------------
引用終わり。

<疑問1>

>在留していたらその地を支配していたと考えてもおかしくない。

「考えてもおかしくない」とする理由をご説明下さい。
「在留」=「支配」とする因果関係が私には理解できません。

<疑問2>

「支配」とはどのような活動ですか?
「倭国」が伽耶地域をいかなる理由で、またいかなる体制で
「支配」していたいのですか?

とりあえず、以上の2点について伺いましょうか。


886 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 21:38

>>884さん

おつき合いいただき幸いです。

>しかし一義的には、学問の客観性とはオントロギッシュな問題でしょう。

上記のご発言に補足説明があるとありがたいです。
場合によっては、私の認識を改める必要がありますからね。

それでは。

#極端にスレ違いのようでしたら、新スレを用意します。
887 名前:通りすがり(補足) 投稿日:2001/05/13(日) 21:42

補足です。

>>884さん

ちなみに私は、「学問の客観性」に関して存在論的というより
認識論的な観点から発言しています。


888 名前:882 投稿日:2001/05/13(日) 22:47

私は自称ゴルギアス主義者で合意された知を実在と捉えているので
認識論ではなく存在論になるのです。
学問もまた、蜘蛛がはった巣のような構造物だと思います。
…スレ違いのようですね…


889 名前:通りすがり(補足) 投稿日:2001/05/13(日) 22:57

>>888さん

スイマセン。さっぱり分かりません(恥)。

もう少し分かりやすくお願いできますか?

>合意された知を実在と捉えているので
>認識論ではなく存在論になるのです。

うーん、よくわからない。

>学問もまた、蜘蛛がはった巣のような構造物だと思います。

メタフォジカルな表現だとちょっと・・・・

#たしかにスレ違いなんですが、どうしましょう。
#とりあえずキリの良いところまで続けますか?

11 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:44
890 名前:法師 投稿日:2001/05/13(日) 23:12

>>827>通りすがりさん

いやはや、どうも、重ね重ねお手数を。

> >>825のご発言を、様々な予断を含む循環論法を回避するための
> 方法論提示として理解してよろしいですね?

 はい、そのように理解していただけると幸いです。

※いうまでもなく、具体的な誰かの具体的な論法がどうであるとい
 う問題ではありません。歴史の問題は、「時代を千何百年戻すと
 邪馬台国ができる」という関係が成り立たないので、本質的に、
「水を熱すると蒸気になる」とかいった意味での証明は不能の問題
 ですから、多かれ少なかれ、何らかの仮定を前提として、推論を
 進めざるをえないわけで、結果として、多少なりとも循環せざる
 を得ないですね。時代を遡れば遡るほど、資料等の傍証が少なく
 なりますから、全く循環せずに論議を進めることは、まあ、不可
 能に近いといってもかまわないでしょう。

>つまり議論の現段階では、
>魏使は「日本列島」に「渡航できた / できていない」両方の仮定が
>「現代の地図上においては」留保(エポケー)されているのですね。

 その点に関しては、記述の本元となった事実関係を確認した者が、
 全体について共通とは限らない(ここではあえて共通ではないと
 は明言しません)ので、ちょっと回答しにくいのですが、「魏の
 使い」に限定するなら、やはり、両様の可能性を考慮しておくこ
 とは、必須ということになりそうですね。

※「魏使は本当は日本列島に上陸なんかしていない」とは、一言も
 いっておりません。当然上陸したものと断定的に仮定して、その
 仮定の上に推論を重ねるのでは、元のほうが一つ崩れたら、後が
 丸崩れになる可能性もあるという「だけのこと」です。

※「現代の地図上においては」という留保については、当時の地勢
 が、現在と極端に違うことはないはずなので、結果として「魏の
 使いなら魏の使い(報告者が異なるならその報告者)が実際に航
 行したときにありうる地勢は、現在と決定的には変わっていない
 はず」で、特に留保する必要はないのではないかと思いますが。

 いうまでもなく、元々の報告者の体験した事実が、そのまま伝え
 られたのなら…ということです。

>いっぽうで、魏使は記載上の「事実」として「倭国」には渡航している、と。

 誰かにどこか別の場所へ連れて行かれて「ここが倭国だ」と騙さ
 れたとか、実際に行くのは危ないとかで、途中でUターンしてご
 まかしたのでないなら、おそらく航行したということになりそう
 ですね。

>検討の順序からすれば、>>825のご発言を議論の最初に提示した方が
>良かったかもしれませんね。

 ご指摘有り難うございます。既にアップした順を入れ替えるとい
 うわけにはいかないですから、その点は、まあ、置かせていただ
 きます。

12 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:45
891 名前:法師 投稿日:2001/05/13(日) 23:13

>>828>通りすがりさん
>私の<疑問1>に対するご返答としては理解できます。
>検討に際し、朝鮮半島〜九州島(正確には「狗邪韓国」〜「対馬国」〜「一支国」〜)に
>対象を限定する理由としては、「「狗邪韓国」〜「対馬国」〜「一支国」〜」の記載が
>「狗邪韓国」から「倭国」に至る渡航の最低条件であること、ということですよね。

 はい、そういった意図です。とにもかくにも、海を渡っておかな
 いとらない話が始まらないと。

※ただし、「狗邪韓国」を必ず経由したか否かは、個人的には、若
 干の疑念を持ちます。理由:海流の関係で、北航するときと、南
 航するときで、同一の航路は取れないと考えた方が、動力船のな
 い当時の航海としては、自然だと考えるからです。もちろん、そ
 れがすなわち「狗邪韓国」の範囲に収まっているとするなら、話
 は別です。

※細かいようですが、「一大(一支)」ですよね。国名の「壱台」
 については「台」で異論はなく、再検討の意志もないです。

>いっぽう、<疑問2>に対するご返答ですが、
>地点間隔比率が渡航の「必要条件」であることを上記のご発言から説明するには、
>当該期の航法について検証が必要ではないでしょうか。
>当該期の航法において、島嶼間を航海する際に地点間隔比率が重要なメルクマール
>となっていたことをご説明していただけるとご主旨がより明瞭になると考えます。

 はい。おっしゃるとおりです。
 その点に関しては、当時の航法について明確になるような資料は、
 特に持ち合わせていないので、特に付け加えることはありません。
 距離音痴で方向音痴では、現代においても、ある程度以上に浜か
 ら離れた航海をすることなど不可能に近いという、まあ「状況証
 拠」のみ提示しておくにとどめます。

 ただし、航海といえる航海をしたことがないどころか、陸上での
 方位を意識することさえもない、現代の都会人がどう考えるかは、
 当時において実際に航海した者とは、有意性のある関連がない、
 全く別の事柄であると考えます。

 また、実際の地勢とかけ離れた、昔の、得体の知れない地図が、
 昔の人の地理に関する誤謬の存在の傍証として持ち出されること
 がありますが、そういった地図は、「現場の人間」には全く無縁
 のもののはずです。

 少なくとも、ある程度の交流がある海域なら、航行は、海を自宅
 の庭のようにしていて、周囲に見える島の具合などから、現在地
 を相当程度に正確に把握できる者が選ばれて担当したはずですか
 ら、そういった得体の知れない誤った地理概念は、ミクロ的には、
 何をどう間違っても混入してくる余地はないはずです。

 ここで念を押しますが、元となった報告がそのまま正しく伝達さ
 れて、結果として倭人伝に記述されたかどうかは、全く別問題で
 す。ただし、皆目見当もつかない地域に関して、何らかの報告の
 聞き書きを作るときに、何らかの予断に則って、予断のほうに整
 合するような操作を、積極的に加えるということは、これは現代
 人の当方の感覚の上でのことですが、あんまりあるとは思われな
 いです。

 さらに、この部分が、何らかの意味での正確さを備えているので
 なければ、以後が全て空論となるなどとは、最初から一言も申し
 ておりません。

13 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:46
892 名前:法師 投稿日:2001/05/13(日) 23:15

>>829>通りすがりさん
>>単に、811で提示された点に関しては、当方が、さらに、意図の説明を追加するまで
>>もない、というくらいの意味でよろしいでしょうか?
>
>おっしゃるとおりです。
>すいません。うまく意味が通ってなかったですね。

 いやはや、こちらこそお手数を。

>法師さんが循環論法に陥っているという私の発言は誤読であると
>いう趣旨でした。
>泣き言ですが、>>825のご発言が最初に提示されていれば、
>私も誤読せずにすんだのに(涙)

 いやはやどうも。

>#余談ですが、「※」印以下のご発言はなくてもよいような・・・
>#揚げ足を取られない表現を本文中で厳選して使用すれば、なにも
>#問題は生じないと思います。

 あ どうもご配慮有り難うございます。揚げ足とおっしゃるのが
 何のことかよく分かりませんが、矛盾点等のご指摘は、非常にあ
 りがたいものです。

>#あえて敵を作っている感が強いです。
>#老婆心ながら、付け加えました。ご一考下さい。

 なぜここで、敵味方という概念が登場するのか、ちょっとよく分
 からないです。何らかの利害を伴った論争ということなら、敵味
 方という概念はあり得ると思いますが、個人的には、別に、利害
 関係はありませんから、どうもピンと来ません。何らかの意味で
 の個人的な敵という意味であれば、別に、ご自由にとしか申し上
 げられません。いうまでもなく、関連した発言が個人の自由の範
 囲に収まっているかどうかは、また、別問題ですが。

14 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:46
893 名前:法師 投稿日:2001/05/13(日) 23:16

 「陸行1月」
1:ホントに遠いから当時の交通事情ではそれだけかかった
2:距離は遠くはないけど当時の交通事情ではそれだけかかった
3:変な病気を持っていないか確認するための検疫で足止めするの
  が常だった
4:使節団は、途中で目一杯おもてなしして、ヘロヘロにしてから
  都に入るようにして、外交を有利に運ぶのが常套手段だった
5:単なる憶測による数値か、誤伝か、もしくは書き間違いか、も
  しくは後世の誤刻や誤植。陸行1日とか1年とか。水行20日
  で陸行1里 9里4里おいしい13里。
7:意図的な情報操作
8:その他894 名前:888 投稿日:2001/05/13(日) 23:20

「学問の客観性」とは、知を共有する手続きの構造それ自体であり
これによって学問は文化的構造物として実体を有すると言いたいわけです。
つまり構造物である「学問の独立性」は容易にイデオロギーの侵犯を受けるが
構造である「学問の客観性」はそう簡単に崩壊はしないと言いたいのです。
…よそでやるべきですね…


895 名前:通りすがり(補足) 投稿日:2001/05/13(日) 23:21

>法師さん(>>890

どーも。

>※「現代の地図上においては」という留保については、当時の地勢
> が、現在と極端に違うことはないはずなので、結果として「魏の
> 使いなら魏の使い(報告者が異なるならその報告者)が実際に航
> 行したときにありうる地勢は、現在と決定的には変わっていない
> はず」で、特に留保する必要はないのではないかと思いますが。
>
> いうまでもなく、元々の報告者の体験した事実が、そのまま伝え
> られたのなら…ということです。

魏使が「記載上」は渡航した「事実」から検討を出発させる意味で、
私は発言しました。

いずれにせよ、議論の交通整理ができて良かったと思います。

さて、どう議論を進めましょうか?

896 名前:通りすがり(補足) 投稿日:2001/05/13(日) 23:34

>>894さん

>つまり構造物である「学問の独立性」は容易にイデオロギーの侵犯を受けるが
>構造である「学問の客観性」はそう簡単に崩壊はしないと言いたいのです。

なるほど、分かりやすいご説明ありがとうございました。
私も理解できました(多分)。

つまり、「学問の独立性」と「学問の客観性」は別次元の問題として処理すべきであり、
私の発言は両者が混同されている、と理解してよろしいですか?

つかぬことを伺いますが、上記に示された概念規定は、「ゴルギアス主義」に
特有なのでしょうか。見当違いな質問かもしれませんが・・・

「ゴルギアス主義」とは初めて耳にする言葉です。
そんなものがあったのですか・・・
ガイダンスまたは参考文献を紹介していただけると幸いです。

また、「ゴルギアス主義」を離れて、私が使用した術語で誤用あるいは誤認識など
あればご指摘下さい。

それでは。897 名前:888 投稿日:2001/05/13(日) 23:48

「自称」と申しましたとおりゴルギアス主義というのは私が自称しているだけです。
知を個の認識ではなく社会的な実在として捉える視点からは
「学問の客観性」は認識論ではなく存在論だと言いたかっただけです。

15 :過去ログ:2001/05/14(月) 01:47
898 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 23:48

>法師さん(>>891

具沢山のレスありがとうございます。

>※細かいようですが、「一大(一支)」ですよね。

おっしゃるとおりです。
その辺は厳密でないといけませんね。

>その点に関しては、当時の航法について明確になるような資料は
> 特に持ち合わせていないので、特に付け加えることは
> ありません。
> 距離音痴で方向音痴では、現代においても、ある程度以上に浜
> から離れた航海をすることなど不可能に近いという、まあ「状
> 況証拠」のみ提示しておくにとどめます。

うーん。私としては地点間距離比率が検討対象になる積極的な理由
がやはり欲しいですね。ある程度の実証性に目をつぶっても良いで
すから、さらなるご説明があるとありがたいです。

>また、実際の地勢とかけ離れた、昔の、得体の知れない地図が、
> 昔の人の地理に関する誤謬の存在の傍証として持ち出されるこ
> とがありますが、そういった地図は、「現場の人間」には全く
> 無縁のもののはずです。

なるほど、「現場」レベルの視点は私にはありませんでした。
「事実情報」の報告段階と記載段階では、地理認識に関してレベル
差を認める必要がありますね。

ここで、法師さんの>>631のご発言、

>う〜〜〜ん、当時の国交関係から考えて、もっと散文的に
>把握してもかまわないんじゃないかと思いますが。

上記のご発言に関する補足説明があるとありがたいです。

(続く)


899 名前:通りすがり 投稿日:2001/05/13(日) 23:52

>>897さん

>知を個の認識ではなく社会的な実在として捉える視点

デュルケムの「構造」理解と同様に考えてよろしいでしょうか?

「知を個の認識ではなく社会的な実在として捉える視点」については、
もう少し私自身が理解を深める必要がありますね。

知識社会学関連の文献をあたれば良いのでしょうか?
900 名前:通りすがり sage 投稿日:2001/05/13(日) 23:54

F1が始まりました。

私へのレスは先延ばしにします。
誠にスイマセンが、ご了承下さい。

16 :通りすがり:2001/05/14(月) 01:49
ちょっと過去ログが多すぎましたね。
日曜日だけでもログを残しておこうと思ったんですが・・・

ひらにご容赦下さい。

17 :日本@名無史さん:2001/05/14(月) 12:30
難しいこと議論してるんですね。
自分は作家の明石散人氏の指摘に目のうろこが落ちた思いをしたのですが。
現代の地理的知識で当時の文献を推し量るから問題なので
当時の中国には日本は90度時計回りに回転した状態で認識されていたことを念頭に置き
素直に字句通り読んでいけば沖縄あたりになるとのことです。
結論は?という感じですが
本州が山口を頭にから千葉・茨城まで直立してる少しあとの時代の地図を見ると
やっぱそれをもとに推論しなきゃウソだろと言う気がしてなりません。
少なくとも現代の地図で考えてる人は出だしから間違ってると思います。

18 :通りすがり:2001/05/14(月) 17:38
>>17さん

どーも初めまして。
「通りすがり」と申します。

>少なくとも現代の地図で考えてる人は出だしから間違ってると思
>います。

おっしゃるとおりですね。
 私と法師さんの議論は、「倭人伝」の地理記載に関して予断を極
力廃する意味で、あくまでも「記載上の事実」から出発しようとす
るものです。

#違いましたっけ? >法師さん

>本州が山口を頭にから千葉・茨城まで直立してる少しあとの時代
>の地図を見るとやっぱそれをもとに推論しなきゃウソだろと言う
>気がしてなりません。

 私も議論の当初は、後代に作成された地図(「混一疆理図」な
ど)の記載を念頭に、古代中国王朝の「世界観」(正確には「認知
地図」)を踏まえた記載の解釈を想定していました。


ただ、法師さんによる下記のご発言(前スレ>>891)・・・

>また、実際の地勢とかけ離れた、昔の、得体の知れない地図が、
> 昔の人の地理に関する誤謬の存在の傍証として持ち出されるこ
> とがありますが、そういった地図は、「現場の人間」には全く
> 無縁のもののはずです。

 上記の法師さんのご発言を伺ってから、「事実情報」の報告段階
と記載段階では、地理認識に関してレベル差を認める必要を感じる
ようになりました。
 つまり「倭人伝」の地理記載を検討するうえで、古代中国王朝の
「世界観」(あるいは「認知地図」)を念頭に置くとしても、そこ
から直接的に記載を解釈することはなかなか難しいと思い至ってる
わけです。
 今後の議論でさらに深化させていきたい問題ですね。

それではー。
お気軽に議論にご参加下さい。

19 :法師:2001/05/14(月) 18:38
 >>18>通りすがりさん
>>少なくとも現代の地図で考えてる人は出だしから間違ってると思
>>います。(?さん >>17 より)
>
>おっしゃるとおりですね。
> 私と法師さんの議論は、「倭人伝」の地理記載に関して予断を極
>力廃する意味で、あくまでも「記載上の事実」から出発しようとす
>るものです。
>
>#違いましたっけ? >法師さん

 いや… あの… その… 「記載上の」という意味について…
 ちょっと… 何というか… まあ、そう言わんでください。


20 :通りすがり:2001/05/14(月) 18:59
>法師さん(>>19

なぬ?

ゴメンナサイ、また私の誤読ですか?
意思統一を図りたいので、「記載上の」に関してご説明が
あるとありがたいです。


21 :法師:2001/05/14(月) 21:26
>>20>通りすがりさん
>ゴメンナサイ、また私の誤読ですか?
>意思統一を図りたいので、「記載上の」に関してご説明が
>あるとありがたいです。

 あ そういった意味ではなくて、元々話がすれ違ったことと関連
 して、こちらの説明不足が…というだけのことです。
 この点に関しては、重ねてのメッセージは特にご心配なくという
 ことで。


22 :法師:2001/05/14(月) 21:30
>>17>?さん(なるべく自称のニックネームを入れていただけると
どなたのメッセージなのか混乱しにくくなるのですが…)
>自分は作家の明石散人氏の指摘に目のうろこが落ちた思いをしたのですが。
>現代の地理的知識で当時の文献を推し量るから問題なので
>当時の中国には日本は90度時計回りに回転した状態で認識されていたことを念頭に置き
>素直に字句通り読んでいけば沖縄あたりになるとのことです。

 方位の記述について「補正」を加えず、かつ、途中で登場する地
 名を、直線的に並べたばあいには(おおざっぱな意味です念のた
 め)、九州南部を通り越して、沖縄とかという解釈も、あるいは
 可能になることがあるかもしれないですね。

 当時において九州辺りから、いわゆる風待ちを入れない正味だけ
 でも、20日とかで確実に行けたかどうかは、判断すべき根拠を
 持たないですが、「陸行」という記述が宙に浮いて行方不明にな
 る点で、少し無理があるんじゃないかと思います。


23 :法師:2001/05/14(月) 21:31
>>17>?さん
「方位関係の問題」
>結論は?という感じですが
>本州が山口を頭にから千葉・茨城まで直立してる少しあとの時代の地図を見ると
>やっぱそれをもとに推論しなきゃウソだろと言う気がしてなりません。

 地理感覚がずれていたという考え方も成立しえますね。

 個人的にも、全部の記述が全部ホントのことだけであるとは、あ
 んまり考えられないので、結果として、「どこかで何かボタンの
 掛け違いがある」だろうと思います。

 邪馬台国を無事に日本国内に持ってくるには、「どのボタンの掛
 け違いがどこから始まっているか/別のボタンの掛け違いはどう
 なっているか?」を、個別に確認していくしかないですね。

 ただし、少なくとも、邪馬台国当時の実際航海者(※)は、時代
 が同じではない点を別としても、「中国の地図などというものは
 見たこともない」はずである点は動かないでしょう。
 また、何かの間違いで「見てしまった」としても、それがもし事
 実を反映していないなら、「何それ? 実地を何も知らない人は
 引っ込んでいてね」だけで、後は一顧もしていないはずです。何
 しろ、ちゃんと生きて往復できたわけですから。

※いうまでもないと思いますが、「どの部分が誰の報告をどこまで
 正確に写しにしたものなのか?」が決定的な問題になるわけです
 し、土台からしてホントに往復したのかも、疑おうと思えば疑え
 る余地はありますね。


24 :法師:2001/05/14(月) 21:33
 「当時の舟はどんなものだったか」
船舶:知らんです。難破して失われたものは、残りようがないはず
ですし、舟としての使用に耐えなくなったとしても、再利用しない
とは、ちょっと考えにくいですね。仮に津波で打ち上げられたとし
ても、苦心の労作を、そのまま放棄するとは考えられないので、結
果として、実物そのものは、まず残らない(というか残さない)で
しょうね。
パドルとかオールのたぐいも全く同様ですね。削って木刀にして、
どこだかよく分からない島で試合するときに、相手を叩きのめすの
に使うこともできるわけで。

動力:基本的に、海流+人力+風力でしょうね。少なくとも、レシ
プロやガスタービンや原子力湯沸かし器は使ってないはずで、焼き
玉ということもなさそうですね。
風力については、キールに相当するものが存在したかどうかで話が
異なりますが、どうでしょうか。予備知識なしでも凄い工夫をして
しまう人はいますし、恐ろしく器用で、無理のない構造を簡単に作
っちゃうな人もいますから、あるいは、あったかもしれないですが、
ちょっと分からないです。
内海タイプなら、喫水の点で難があるのを嫌ったとかもあるかもし
れないですが、ともかく、風さえ受ければ素直に真っ直ぐ進むなん
てことは、当時においてもあるはずがなくて、不安定で危なくて仕
方がないに決まっていますから、生きて何回も外洋航海できた者が
いたなら、当然、そのことは、その範囲では周知で、全く何の工夫
もなかったということはないでしょうね。
双胴船かな? 動きがかなり重いはずだから、風をよっぽどうまく
選ばないと、海流で流される一方になりそうで恐いですね。


25 :通りすがり:2001/05/14(月) 22:53
>法師さん

どーも。

>>21

>この点に関しては、重ねてのメッセージは特にご心配なくという
>ことで。

そうですか。了解しました。

>>23

>邪馬台国を無事に日本国内に持ってくるには、「どのボタンの掛
> け違いがどこから始まっているか/別のボタンの掛け違いはどう
> なっているか?」を、個別に確認していくしかないですね。

そうですね。個別に確認しつつ、読解を進めていくのが一番
確実でしょうね。議論の今後の展望として、上記のご発言を
念頭に置きつつ、解釈を進めて参りましょう。



26 :法師:2001/05/15(火) 20:43
パート2 898>通りすがりさん
 話が後先しますが…

> 「当時の航法」
>うーん。私としては地点間距離比率が検討対象になる積極的な理由
>がやはり欲しいですね。ある程度の実証性に目をつぶっても良いで
>すから、さらなるご説明があるとありがたいです。

 その点、不審に耐えないのですが、「通説」ではどういう説明に
 なっているのでしょうか? 地形に極端な変動はなく、気候にも、
 決定的な違いがないと仮定するなら、当時の実際の航路がどのよ
 うでありえたかは、海流の向きや速さなどを調べれば、ある程度
 は確認できるはずですが?

 まさか、「こちらからの使節団が往復したり、向こうからの使節
 団が来たと書いてあるのだから来たに決まっている」というだけ
 で済ませているわけではないですよね?

> 「得体の知れない地図は現場の人間とは無関係」
>なるほど、「現場」レベルの視点は私にはありませんでした。
>「事実情報」の報告段階と記載段階では、地理認識に関してレベル
>差を認める必要がありますね。

 その点に関しては、実体験者の報告から記述までの間の、どの段
 階の話が、結果として残されているのか?→どの部分の記述にど
 ういった理由でどの程度の信頼を置くべきなのか? という重要
 なポイントに関連して、可能性を確認しておく(=不可能性を除
 外しておく)ため、必要な手順だと思います。

 少なくとも、記述が中国式の例に則っているとしても、その記述
 が、当然のように、当時の中国人の「偏見」を基礎としていると
 いう関係は、必ず成り立つわけではないはずですから。さらに、
 仮に「偏見」を基礎としていたとしても、全体もしくは特定部分
 以降が偏見に基づいて見事に統一されていたものかどうかも、ま
 た別問題です。


27 :法師:2001/05/15(火) 20:46
>>17>?さん
>少なくとも現代の地図で考えてる人は出だしから間違ってると思います。

 はい、おっしゃるとおりですね。全く同感です。

 現代の地図=倭人伝の時点でも決定的な違いはなかったはずなの
 で即ち "当時の実地形" =と、どのレベルまでどういう意味で浸
 透していたのか明確ではない "変な地図" を重ね合わせて、その
 ときに観測される差異を、「その変な地図に従って行動したはず
 がない実際航海者の報告」が残されている部分があるはずの「報
 告書の全体」に、そのまま機械的にあてはめるのは、現代と当時
 の「地図」というものにとらわれて、スタート地点を予断に基づ
 いて定めているとしか考えられないですね。

 誤解のないように添えますが、 "変な地図" の誤った地理概念が
 決定的な「誤記」を招いているということは、もちろん、ありえ
 ますね。


28 :法師:2001/05/15(火) 20:47
 「邪馬台国と魏の間を実際に航海した者」
 具体的な誰という話ではなくて、どういう人物像を想定するのが、
 最も可能性が高いかという話です。

 通しで体験したであろう人物について、動かない見当なのは、邪
 馬台国から直接派遣された使節団だけではないでしょうか。それ
 も、本国から直接的に往復したもので、かつ、無事に帰着できた
 とするなら…という留保が必要ですね。

 航海士の個人については、ほぼ通しだった人もいたはずですが、
 それは、航行の責任者というか、船団長のような立場の人のはず
 で、個々の海域については、各々の海域のエキスパートが、水先
 案内兼気象予報士として採用されたはずです。
 少なくとも、九州なり瀬戸内なり山陰なりの航海と、海峡の横断
 と、半島西岸の航海で、各々のエキスパートが臨時雇いされるこ
 とがなかったと考えるのは、ちょっと難しいと思います。
 行き来がよほど頻繁だったとしたら、なおさら、現地のエキスパ
 ートの助言を求めたはずです。天気図も海図も何もないのに、全
 くの独断で強引に進んでしまうような船乗りは、日本の辺りのよ
 うに台風などの影響が甚大な地域なら、何航海かで普陀落辺りに
 流れて成仏しているはずです。南無南無南無。

 なお、船団長については、使節団の責任者その人と考えても、特
 に矛盾とかはないと思います(あえて論旨を循環させてますがこ
 こは断定ではないんですよ念のため)。


29 :法師:2001/05/15(火) 20:55
 「海路で南に進む」
左手に昇る朝日を見ながら出発し、昼には正面に高い日を受けて進
み、夕方には右手に沈む夕日を浴びて進むということですね。
ナビゲーションが完備した動力船なら、昼夜兼行も何ということも
ない(でもないけど)ですが、人力&人の判断で進むなら、どの時
間帯にどちらに日があるか確認することは、行く先を間違えないた
めに、ほとんど不可欠の重大な事柄となるので、間違えようがない
…というか、んなもんを簡易に間違えるようでは、船乗りとして使
い物にならないですね。
曇っていて日が出ていないからといって、安易に方位を間違えて、
島をぐるぐる回っても気が付かないようで、大差ないので、そく
お払い箱ですね。
それも、1日や2日ならともかく、何十日となると、方位を取り違
えたままで気が付かないというのは、何かの間違いでしかありえな
いはずです。

単なる乗客だったら、取り違えることはあるかもしれないですね。
現代のパックツアーの客のように、自分がどちらに向かっているの
かも、全く何も考えないで添乗員の指示に従って移動するだけなら、
そのほうがむしろ普通かもしれないですね。アメリカのディズニー
ランドと偽って、千葉のディズニーランドに連れて行かれたなら、
まあ、気が付くんじゃないかと思いますが。

その意味で、魏の使いは、文官ではない武官か何かだったはずで、
各地を転戦した経験があったとするなら、初めての土地であっても、
そう易々とは騙されないでしょうね。文官なら現在地に無頓着でも
通りますが、武官としては使い物にならないですから(何か追加説
明が必要でしょうか)。


30 :法師:2001/05/15(火) 20:58
 「当時の天気予報の重要性」
天候や風向きの予測は、ほとんど生死を分ける重大問題だったはず
ですね。その点、現代の都会生活者は、根本的に誤解する可能性が
高いでしょうね。雨が降っても濡れるだけのことで、せいぜい、風
で傘が壊れるくらいのダメージしかないわけですから。
また、風や海流の正体にしても、学校で教わっているわけなので、
自らは何も考えないでも、結果として分かってしまっている点も、
違いが大きいでしょうね。
逆に、いわゆる「雲行き」を、特定の地域において長年に渡って見
続けていれば、天候の行き先は、短期であれば、相当程度に予測可
能になりうるので、短期決戦の航海なら、案外安全だったというこ
ともありえそうですね。


31 :日本@名無史さん:2001/05/15(火) 21:34
なんか、倭人伝の道里の記録を書いた人間が魏使の一行であるとアプリオリに決まってるみたいな議論だね。

32 :通りすがり:2001/05/15(火) 22:08
>法師さん(>>26

どーも。

 私が「地点間距離比率点が検討対象になる積極的な理由が必要」と発言した
ことについての法師さんのレスに対して、これまでの議論の経緯も含め発言し
ます。

>その点、不審に耐えないのですが、「通説」ではどういう説明に
> なっているのでしょうか? 地形に極端な変動はなく、気候にも、
> 決定的な違いがないと仮定するなら、当時の実際の航路がどのよ
> うでありえたかは、海流の向きや速さなどを調べれば、ある程度
> は確認できるはずですが?

 「その点」を、私が「地点間距離比率点が検討対象になる積極的な理由が必
要」、と発言した内容として理解して話を進めます。

 なぜここで「通説」に関する説明をお求めになるのかが、今ひとつ理解でき
ませんが、私は法師さんがとりあえずの議題として、「「狗邪韓国」〜「一大
国」〜」の地点間距離比率が「記載上はほぼ等しい」として、その記載事実を
もとに具体的な比定地を検討する必要性を提示された経緯をもとに、疑問点を
提示しました。

 「「狗邪韓国」〜「一大国」〜」が検討対象地域として採用された理由につ
いては以前にご説明がありました(前スレ>>823参照)。
 いっぽう、地点間距離比率が検討事項として積極的に採用される理由として
は、「無事に「日本入り」するための、一つの(あくまで一つの)重要な検討
事項だと考えるから」とのご説明をいただきました(前スレ>>824参照)。

 私としては、地点間距離比率が「無事に「日本入り」するため」に必要な事
項であることの積極的な理由付けが充分に理解できず、そのため法師さんに追
加説明をお願いしました。
 私個人の考えでは、当該期の航法において、島嶼間を航海する際に地点間隔
比率が重要なメルクマール となっていたことをご説明していただけるとご主
旨がより明瞭になると考えました。

(続く)

33 :通りすがり:2001/05/15(火) 22:37
(続き)

>法師さん

そこで、法師さんによる私の疑問へのご回答です(>>26)。

>その点、不審に耐えないのですが、「通説」ではどういう説明に
> なっているのでしょうか? 地形に極端な変動はなく、気候にも、
> 決定的な違いがないと仮定するなら、当時の実際の航路がどのよ
> うでありえたかは、海流の向きや速さなどを調べれば、ある程度
> は確認できるはずですが?

 「通説」とは当該期の島嶼間航法についてのものでしょうか? 残念ながら、
私は当該期の航法について通じておらず、「通説」について明確な説明をする
ことはできません。ただ、地点間距離比率が航海において重要なメルクマール
であったとするなら、地点間距離比率が検討事項として採用される積極的な理
由付けにはなります。
 逆に、地点間距離比率が検討事項となる理由に対して明確なご説明がない限
り、議論は進展しないと考えますが、いかかでしょう。

 少し視点を変えて、今の議論上に必要なのは、「「「狗邪韓国」〜「一大
国」〜」の地点間距離比率が「ほぼ等しい」と解釈した主体を確定する作業で
はないでしょうか。
 地点間距離比率が地理記載のなかで、「現場レベル」に属するのか、あるい
は「記載者のレベル」に属するのか、現在の議論では不明瞭と考えます。>>31
さんのレスのような疑問も当然提出されるはずです。したがって、ここでいっ
たん問題の整理が必要と考えます。

 また、上記のレベル分けが妥当ならば、地点間距離比率の解釈主体を「現場
レベル」とした場合、当該期の航法からの説明が必要でしょうし、「記載者の
レベル」とした場合はさらに別の説明が必要となるでしょう。

 ご発言を読む限りでは、法師さんは「現場レベル」を解釈主体として考えて
おられるように思いますが、いかがでしょうか?
 仮に解釈主体を「現場レベル」とするならば、「現場レベル」の解釈が実際
の記載に反映されるまでの過程に関してもまた説明が必要となると考えます。
 また「「現場レベル」の解釈が記載に反映されるまでの仮定を検討する際、
当然、「"変な地図" の誤った地理概念」も検討事項として浮上するでしょう。

> まさか、「こちらからの使節団が往復したり、向こうからの使節
> 団が来たと書いてあるのだから来たに決まっている」というだけ
> で済ませているわけではないですよね?

すいません。上記のご発言の意図が理解できません。

それではー。

34 :日本@名無史さん:2001/05/16(水) 16:32
こんにちは。
魏志・倭人伝の頃は、地球は丸いってわかってたんでしょうか?
丸くないと思ってるなら南はいつの間にか東になると思うのですが。
太陽がのぼるのが東と決まっていたならそれはないけど。

35 :法師:2001/05/16(水) 17:46
>>34>?さん
>こんにちは。

 あ こんにちは〜〜〜。

>魏志・倭人伝の頃は、地球は丸いってわかってたんでしょうか?

 良く知りませんが、分かるほどの精密な測定方法が存在したなら、
 分かる人は分かっていたかもしれないですね。「平たいにしては
 何か変だな???」とか。

>丸くないと思ってるなら南はいつの間にか東になると思うのですが。
>太陽がのぼるのが東と決まっていたならそれはないけど。

 えっと、ご主旨がちょっと良く分からないのですが、「特定の点
 から南に向かってスタート」しても、「顔を南に向けた状態で斜
 めに進む」のでないなら、南に進むままのはずですね。

 東なり西だったら、厳密には、カーブして進むことになりますね。

 ただし、倭人伝の範囲が、高緯度地方ではない中緯度地方で、か
 つ、短時間で長距離を、しかも正確に直進できたのでないなら、
「出発点での方位」と「進行した先の方位」が微妙に食い違う点に
 気づくことはなかったはずですね。数百キロとか進んだ位置から
 は、数百キロの彼方にある出発点で、自分が一体どちらを向いて
 いたのか、振り返っても見えないはずですから。

36 :日本@名無し:2001/05/16(水) 19:44
邪馬壱国は福岡県太宰府市にあります。(旧唐書)
卑弥呼は(いみか)と発音し委甕(いみか)天皇が正式です。
邪馬台国は奈良県の橿原市にあります。
元首は富長洲根彦です。

37 :名無しさん@HOME:2001/05/16(水) 19:52
魏志倭人伝に書いてある「南」が現代人のいう南と同じだってどうしてわかるの?

38 :日本@名無史さん:2001/05/16(水) 20:13
魏志倭人伝のものを含む全ての時代に渡る文献を探しても、
現代の「北」や「東」や「西」に当たるものの意味で「南」と
いう標記を使った例が見つかっていないからだろう。

39 :日本@名無史さん:2001/05/16(水) 20:34
>>34
中国人は何千年も前から地球が丸いことを知っていましたよ。
だからこそ、日食や月食の予測ができたんです。
まあ、予測は古くからの記録によって見いだされた周期性に基づいていたようですが、
月や地球の影に入って食が起きるという原理は理解していたようです。

40 :日本@名無し:2001/05/16(水) 20:36
公文書である旧唐書に全部正解が書いてあるから図書館で借りて見ろ!
以上終わり。

41 :実習生さん:2001/05/16(水) 21:42
実は春日部にあったりして・・・

42 :法師:2001/05/16(水) 21:53
>>33>通りすがりさん
 「倭人伝における地理関係記述のソースに関して」
> 少し視点を変えて、今の議論上に必要なのは、「「「狗邪韓国」〜「一大
>国」〜」の地点間距離比率が「ほぼ等しい」と解釈した主体を確定する作業で
>はないでしょうか。

 そうですね。倭人伝に残されている地理関係の記述について、ど
 の部分がどういうソースによっているのか? それらが、そのま
 ま伝えられてそのまま残されたのか? それとも何らかの操作が
 加えられた状態で残ったのか? という点を検討してみる、とい
 う観点も、良いかもしれませんね。

> 地点間距離比率が地理記載のなかで、「現場レベル」に属するのか、あるい
>は「記載者のレベル」に属するのか、現在の議論では不明瞭と考えます。>>31
>さんのレスのような疑問も当然提出されるはずです。したがって、ここでいっ
>たん問題の整理が必要と考えます。

 そうですね。元スレッドであるパート2で当方が述べている点を
 お読みでないと、 >>31 の方のように、魏の使いなり、邪馬台国
 からの使節団なり、特定の者が通しで観測した結果がそのまま一
 貫して伝わっていると判断した上で論じているという風に、意図
 を誤解される方が出ることもありえますね。

 当方の趣旨は、倭人伝の地理関係記述の航海に関する部分につい
 て、「実体を相当に正確に把握している者が判断を担当するので
 なければなければマトモに行き来できるはずがない」という、当
 たり前といえば当たり前のことを前提として、もし、実体を相当
 に正確に把握している者の情報が残っている部分があるなら、そ
 れは、距離数値ではない概算…たとえば距離比率などに多いはず
 …という推論を元にして、のっけの部分の、半島と島々の間隔を
 示していると思われる部分に注目してみた…ということです。

※ここですかさず加えますが、当方は、対馬なり壱岐なりであると
 断定して、その上で論じているのではありません。全く逆です。
 記述のように、とりあえず、半島西岸中部辺りから半島西岸を南
 下してから東に転じて、その辺りから南に海を渡ったと仮定する
 なら、現在においても当時においても、対馬があることに変わり
 はないので、とりあえずそれを「対馬国」と仮定し、そこから、
 ほぼ同じだけ南に海を渡ると何があるか? そこからさらにほぼ
 同じだけ(ここでは方位が書いてないので海流に従って流され気
 味に)進んだらどの辺りに出るか? を想定してみているだけで
 す。

※いうまでもなく、「現代の地勢図(大まかな地形の地図)」を見
 ながらの話です。地質時代としては寸前にすぎない、千何百年前
 の当時の実地勢が、現在と決定的には変わっていないはずである
 点については、意味がないので補足説明はしません。

 (続く)


43 :法師:2001/05/16(水) 21:54
>>33>通りすがりさん
> また、上記のレベル分けが妥当ならば、地点間距離比率の解釈主体を「現場
>レベル」とした場合、当該期の航法からの説明が必要でしょうし、「記載者の
>レベル」とした場合はさらに別の説明が必要となるでしょう。

 前者については、なぜ追加説明が必要になるのか、ちょっとよく
 分かりません。風波をものともしない船体や動力とか、正確なナ
 ビゲーション機器や天気予報の類いとかがない状態であれば、現
 代においても、最低限、方位の感覚がデタラメでは正常に航海は
 できないです。また、距離感覚も、仮に、2日行程で1日進めば
 半分は来るはずのところで、2日3日とかかっても半分に来ない
 というときに、何かおかしいと気が付かないほうが、何かおかし
 いです。そのことは、別に、現在でも当時でも同じはずです。

 海流を無視すれば予定外のところまで流され、強い向かい風を無
 視すれば下手をすると元に戻され、台風を無視すれば海の藻屑に
 なることも、当時と今で変わりはないです。唯一、櫂をこぐ力が、
 現在の人間とは桁違いに強かったとするなら、話は別となります
 が、そうではないなら、物理的に、そうならざるを得ないですか
 ら。

 後者は、即ち、「現場の証言が無視された(もしくは無視された
 に等しい)」ということですね。それもありえますね。
 ただ、実証的な著者であったとするなら、自身が確認してもいな
 い地域の記述について、積極的な情報改変を行うということは、
 ちょっと考えにくいと思います。あくまで「実証的な著者」なら
 の話です。陳寿先生が、その点に関してどういう著作態度を取ら
 れたかという点も、傍証の一つになりそうですね。もちろん、実
 証的であったからといって、記述が全部事実ばかりになるという
 ことはないですし、非実証的であったとしても、記述が全部絵空
 事になるともかぎらないと。

 (続く)


44 :日本@名無史さん:2001/05/16(水) 21:59
ま、39は幻想ってことで。
で後漢ごろの常識のひとつとしては
夏場正午の太陽は洛陽の真南1万6千里ほどの上空だから
洛陽の東北5千里からさらに1万2千里も東南の倭だとどうなるか?

太陽は南西の空に南中するんじゃないの?
つまり真昼の太陽が右から照ってたら東南に進んでると。

45 :日本@名無史さん:2001/05/16(水) 22:08
>>42
「船団長については、使節団の責任者その人」
「魏の使いは、文官ではない武官か何かだったはずで」って書いてるんだから

「魏の使いなり、邪馬台国からの使節団なり」を前提に論じているんだろ?

46 :法師:2001/05/16(水) 22:13
>>33>通りすがりさん
> ご発言を読む限りでは、法師さんは「現場レベル」を解釈主体として考えて
>おられるように思いますが、いかがでしょうか?

 あ! それが、話のすれ違いの根元だと思います。こちらの意図
 は、そうではありません。

「現場レベル」というものが全く念頭にないのでは、地理関係の記
述について、その記述の意味するところの事実を、正確に「復元」
することはできない可能性がある

もし「現場レベル」の報告が伝わったなら → 記述は意外なほど
に正確なことも「あり得る」

 …という「だけ」のことです。

> 仮に解釈主体を「現場レベル」とするならば、「現場レベル」の解釈が実際
>の記載に反映されるまでの過程に関してもまた説明が必要となると考えます。

 「解釈」ではなくて「その情報の報告者」ですね。いうまでもな
 く、それも「報告者が解釈を行った上での報告」ではありますが、
 もし倭人伝の記述が「体験談」を元にしているなら、ここでとり
 あえず問題としている距離関係記述も、「書類の判読等」ではな
 い「実体験の報告」が根底にあることになります。その「実体験
 の報告」の段階がいかなるものであったのか(いかなるものでし
 かありえなかったのか?)に遡って検討しておくのでないと、他
 の報告(風俗とかのこと)が、一体どの程度まで信頼できるもの
 なのか、基準も何もなくなってしまう可能性があるということで
 す。いいかえると、「倭人伝の記述」は読まないで、「何か別の
 基準に則って何々であると断定してしまう」危険がある、という
 だけのことです。

 上述の通りですから、差し当たっては、付け加えることは特にあ
 りません。


47 :法師:2001/05/16(水) 22:18
>>33>通りすがりさん
結果として、問題の部分が、「何らかの予断に基づいた架空の記述」
であるということも、可能性としてはあり得ます。また、元々の報
告さえも、「何らかの予断に基づいた架空の報告」であるというこ
とも、可能性としてはあり得ます。

ただ・・・

 航海の実体験者の地理認識は、現代的な計測器などが存在しなか
 った当時としては、意外といえるほどに正確だった可能性を全く
 考慮しないのか? 考慮しているなら、具体的などの部分につい
 て、どの程度に考慮しているのか?

 倭人伝のいう邪馬台国が日本国内の特定の位置にあったと断定し
 ているなら、その「可能性」は、当然、考慮して、その上で、比
 定作業を行っているのではないのか? こちらが伺いたいところ
 です。

 極端にいうなら、もし魏志のいう邪馬台国が現代の日本の範囲内
 に存在した国々の一つとは別モノだったりしたら、何らかの予断
 に則って、記述を予断に則って読み違えることによって、歴史を
 枉げ、事実を覆い隠すことになります。当方が危惧するのは、一
 義的には、そのことだけのことです。

> また「「現場レベル」の解釈が記載に反映されるまでの仮定を検討する際、
>当然、「"変な地図" の誤った地理概念」も検討事項として浮上するでしょう。

 はい、そうですね。その地理概念がどの程度まで普遍的なものだ
 ったのか? それが、実体験者の報告に影響を及ぼすことがあり
 得たのか? 最終的な記述に、どれだけ影響を及ぼし得たのか?
 その地理概念が「(当時における実際の地形と大きく食い違うも
 のであるなら)誤って適用」されてしまったとするなら、それは、
 どの部分なのか? 特定部分以降であっても、そういった誤った
 地理概念を適用してしまうことがありそうにない部分はないか?

 繰り返しになりますが、個々の記述は、部分部分で、後世の誤写
 などもありえますから、事実をそのまま伝えていることも、そう
 ではないこともありえます。後世の誤写の可能性も含めるなら、
 全編を一律に「補正」するのでは、事実を復元するには充分とは
 いえないことになるはずです。

 ごく簡単ですが、とりあえず、以上です。


48 :日本@名無史さん:2001/05/16(水) 22:22
その割にゃ、方位だけは無条件に正しいといいたげだが…

49 :通りすがり:2001/05/16(水) 22:42
>法師さん

非常に丁寧なご回答、痛み入ります。

内容が前後しますがご了承ください。

1.地点間距離比率が検討事項になる理由

 「狗邪韓国〜一大国〜」の地点間距離比率が、主な検討事項として採用され
る理由は、私がしつこく法師さんに伺っていた疑問点でした。

そこで、法師さんによる下記のご発言です(>>42

>当方の趣旨は、倭人伝の地理関係記述の航海に関する部分につい
> て、「実体を相当に正確に把握している者が判断を担当するので
> なければなければマトモに行き来できるはずがない」という、当
> たり前といえば当たり前のことを前提として、もし、実体を相当
> に正確に把握している者の情報が残っている部分があるなら、そ
> れは、距離数値ではない概算…たとえば距離比率などに多いはず
> …という推論を元にして、のっけの部分の、半島と島々の間隔を
> 示していると思われる部分に注目してみた…ということです。

 上記のご発言のうち、「もし、実体を相当に正確に把握している者の情報が
残っている部分があるなら、それは、距離数値ではない概算…たとえば距離比
率などに多いはず…という推論」が、まさに私が求めていた内容であり、上記
の内容のご発言を伺えれば、私は満足です。

 議論上のひとつの起点として、地点間距離比率が採用された以上、仮定でも
結構ですから積極的な採用理由を私は欲していました。
 また、上記のご発言を伺った以上、私も心おきなく議論を先に進めることが
できます。私の疑問に関して、長々とおつき合いいただいて誠にありがとうご
ざいました。

(続く)

50 :法師:2001/05/16(水) 23:02
>>45>?さん
おっとっと、スレッドが別になっているので誤解されたようですが、
元スレッドの「パート2」のほうも読んでみてください。「…であ
ったと仮定したら」としかいってないんです、はい。


51 :法師:2001/05/16(水) 23:02
>>48>?さん
>その割にゃ、方位だけは無条件に正しいといいたげだが…

 全くの気のせいです。


52 :通りすがり:2001/05/16(水) 23:03
(続き)

>法師さん

2.「倭人伝」における地理関係記述のソースに関して

2-1. 解釈主体のレベル分け

私が>>33で発言した下記の問題提起に関して・・・

--------------------------------------------------------------------
 少し視点を変えて、今の議論上に必要なのは、「「「狗邪韓国」〜「一大
国」〜」の地点間距離比率が「ほぼ等しい」と解釈した主体を確定する作業で
はないでしょうか。
 地点間距離比率が地理記載のなかで、「現場レベル」に属するのか、あるい
は「記載者のレベル」に属するのか、現在の議論では不明瞭と考えます。
>>31 さんのレスのような疑問も当然提出されるはずです。したがって、ここ
でいったん問題の整理が必要と考えます。
--------------------------------------------------------------------

上記の問題提起に対する法師さんのご回答です(>>42)。

>そうですね。倭人伝に残されている地理関係の記述について、ど
> の部分がどういうソースによっているのか? それらが、そのま
> ま伝えられてそのまま残されたのか? それとも何らかの操作が
> 加えられた状態で残ったのか? という点を検討してみる、とい
> う観点も、良いかもしれませんね。

ご賛同いただき幸いです。

 私が「解釈主体のレベル分け」と称した問題は、記載の情報源とも密接に関
わる問題ですので、「倭人伝」に対する史料批判の一環として今後の検討課題
としたいものです。


また、私の下記の発言(>>33)に対する法師さんの疑問提示です(>>43)。

--------------------------------------------------------------------
 また、上記のレベル分けが妥当ならば、地点間距離比率の解釈主体を「現場
レベル」とした場合、当該期の航法からの説明が必要でしょうし、「記載者
の レベル」とした場合はさらに別の説明が必要となるでしょう。
--------------------------------------------------------------------

>前者については、なぜ追加説明が必要になるのか、
>ちょっとよく分かりません。

>>49で述べたとおり、私が法師さんによる>>42のような内容のご回答を欲して
いたからです。ただ、私が納得のいくご回答を得られた以上、追加説明の必要
はございません。

(続く)

53 :通りすがり:2001/05/16(水) 23:13
(続き)

>法師さん

>>46

>あ! それが、話のすれ違いの根元だと思います。こちらの意図
> は、そうではありません。
>
>「現場レベル」というものが全く念頭にないのでは、地理関係の記
>述について、その記述の意味するところの事実を、正確に「復元」
>することはできない可能性がある
>
>もし「現場レベル」の報告が伝わったなら → 記述は意外なほど
>に正確なことも「あり得る」
>
> …という「だけ」のことです。

私の発言が適切でなかったようです。

 法師さんのご主旨は理解しています(多分)。
 ただ、私が申し上げたかった内容は、検討過程の必要上、「現場レベル」を
解釈の起点としつつも、検討の現段階においては、「記載者のレベル」を加味
する必要があるのではないか、ということです。
 つまり、>>31さんや>>48さんのご発言のような批判を回避するための、論理
階梯が必要という私の認識です。

(続く)

54 :日本@名無史さん:2001/05/16(水) 23:24
>>53  法師さんのご主旨は理解しています(多分)。

果たしてそうかな?
結局彼は、方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない、って言いたいだけだよ。
長広舌はただの韜晦。


55 :通りすがり:2001/05/16(水) 23:35
(続き)

>法師さん

2-2. 「事実情報」から「記載」へ

 「倭人伝」の地理記載が、実際の見聞から記載へ至る過程に関する問題につ
いて、私の下記の発言(>>33 誤字を修正して引用)に対する法師さんのご回
答です(>>47)。

--------------------------------------------------------------------
 また「「現場レベル」の解釈が記載に反映されるまでの過程を検討する際、
当然、「"変な地図" の誤った地理概念」も検討事項として浮上するでしょう。
--------------------------------------------------------------------

>はい、そうですね。その地理概念がどの程度まで普遍的なものだ
> ったのか? それが、実体験者の報告に影響を及ぼすことがあり
> 得たのか? 最終的な記述に、どれだけ影響を及ぼし得たのか?
> その地理概念が「(当時における実際の地形と大きく食い違うも
> のであるなら)誤って適用」されてしまったとするなら、それは、
> どの部分なのか? 特定部分以降であっても、そういった誤った
> 地理概念を適用してしまうことがありそうにない部分はないか?

法師さんのご発言を整理します。

a)「"変な地図" の誤った地理概念」の普遍性に関する問題。
b)「"変な地図" の誤った地理概念」が実際の見聞と記載に与えた影響。

 a)の問題に関しては、「"変な地図" の誤った地理概念」の具体的な内容が
検討課題となります。いっぽう、b)の問題に関してはやや難しく、現在の議論
では仮定上で「現場レベル」を起点としている関係で、循環論法に陥る危険性
があります。

 私自身、簡単には結論的なことを述べることができませんので、法師さんの
お考えを聞きつつ、深化させていきたいと考えています。

尻切れトンボになってしまいましたが、いったん終わります。

長文・乱文ひらにご容赦。

それではー。

56 :法師:2001/05/16(水) 23:37
>>44>?さん
>で後漢ごろの常識のひとつとしては
>夏場正午の太陽は洛陽の真南1万6千里ほどの上空だから
>洛陽の東北5千里からさらに1万2千里も東南の倭だとどうなるか?
>
>太陽は南西の空に南中するんじゃないの?
>つまり真昼の太陽が右から照ってたら東南に進んでると。

 なるほど。

 生きて往復できた実地航海者であれば、方位を確認するときには、
 昼の太陽の高度とか、夜の北極星の向きとかも、おそらく考慮に
 入れたであろうと考えても、明確に矛盾することはないんじゃな
 いかと思いますが、それとは別の意味で、重要なポイントになり
 そうですね。


57 :法師:2001/05/16(水) 23:38
>>54>?さん
>果たしてそうかな?
>結局彼は、方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない、って言いたいだけだよ。
>長広舌はただの韜晦。

 ナント、そうだったんですか。う〜〜〜ん。なるほど。


58 :通りすがり:2001/05/16(水) 23:39
>>54さん

どーも。

私は論証過程を最重要視しているのであって、
かりに法師さんが「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」と結論づけた
としても、その論証過程が妥当ならば、ひとつの解釈として最大限に尊重します。


59 :日本@名無史さん:2001/05/16(水) 23:44
妥当じゃないから韜晦してんだろ、せこく誘導しながら。
妥当に論証できるならとっくに理路整然とやってんじゃないの?

60 :通りすがり:2001/05/16(水) 23:53
>>59さん

それでは、問題のある具体的な箇所を明示してください。
加えて、あなた自身のお考えを「理路整然」とご提示下さい。

そうでなきゃ、アンフェアでしょ?


61 :法師:2001/05/17(木) 00:33
>>58>通りすがりさん
>私は論証過程を最重要視しているのであって、
>かりに法師さんが「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」と結論づけた
>としても、その論証過程が妥当ならば、ひとつの解釈として最大限に尊重します。

 あ 当方の趣旨をご理解いただけて、誠に幸甚です。
 当方も、重視しているのは「結論」ではなくて、それに至る「過
 程」です。仮に、結果が…

なんでそ〜〜〜なるの?

 …という意味不明のものになったなら、そこから改めて再検討を
 始めれば足りる…というような考え方です。何ということはない、
 普通の考え方ですね。

 その意味で、幸いにしてというか何というか、日本周辺の地勢も、
 海流や季節風などの傾向も、当時と現在で、決定的に違っている
 と推定できる根拠は存在しないはずなので、とりあえず、それを
 根底に置いて、実際に航海した者であれば、その過程をどのよう
 に把握したであろうかを推定してみると。いってしまえば、まあ、
 それだけのことです。


62 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 00:36
なんでアンフェア?
仮定として言い出したことをいつのまにか仮定といわなくなるとか
ぜーんぶ観念論で倭人伝の一行も引用しないで話をすすめるとか
そういう話の進め方が詐欺めいてるって指摘してるだけだよ。

63 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 00:43
論証って、論証なんかやってる?
可能性のひとつだけ取り出してそれを連呼することで可能性が大きいと錯覚させるようなしゃべりかたしてるだけでしょ?
そういうのがせこいテクニックだっていってるのよ。

64 :通りすがり:2001/05/17(木) 00:53
>法師さん(>>61

どーも。

> あ 当方の趣旨をご理解いただけて、誠に幸甚です。
> 当方も、重視しているのは「結論」ではなくて、それに至る「過
> 程」です。仮に、結果が…
>
>なんでそ〜〜〜なるの?
>
> …という意味不明のものになったなら、そこから改めて再検討を
> 始めれば足りる…というような考え方です。何ということはない、
> 普通の考え方ですね。

おっしゃるとおり、「普通の考え方」なんですけど、
まあ、ここは2chですから・・・

いっちゃあ悪いけど、「頭の不自由な人」が紛れ込んでも
放置するしかないですね(´ー`)y-~~~

>>62さん
>>63さん

自作自演ご苦労様です。

もしかして、読めない漢字が多かったかな?
漢字は少ない方がいいかな、ボク?

いや、別にあなたにご意見を求めてるわけじゃないので、
そんなに熱くならなくても大丈夫ですよ。

いわゆる「放置」ってやつですか。



65 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 00:56
続けて書いたら何で自作自演?

66 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 01:00
具体的な事実を何一つ加えずになにを論証してるっていうの?
あんただ、だべってるだけでしょ?
いまだに一行も倭人伝読んでないじゃないか?
それで都合が悪い意見は放置で知らん顔かな?

67 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 01:03
ま、いいや。二人でマタ〜リしてて!
そのうち鈍いあなたも
>結局彼は、方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない、って言いたいだけ
ってことに気づくよ。
じゃね。

68 :通りすがり:2001/05/17(木) 01:05
>>65さん

あ、自作自演じゃなかったですか。
ゴメンナサイ。典型的な自作自演に見えたもんで。

>>66さん

ですから、私あるいは法師さんの議論のなかで、どこが具体的に
問題であるのか、またその問題に対して>>66さんご自身の対案を
提示されない限りは、私としても積極的なご回答を>>66さんに対して
出せないのです。

今のままでは、私は>>66さんに対しては、ただの「煽り」としての
認識しか持ち得ません。

印象批評も結構ですが、できるだけ具体的な批判あるいは問題提起を
期待しています。

その辺をどうかご理解下さい。




69 :通りすがり:2001/05/17(木) 01:11
>>67さん

>>66さんと同一人物ということでよろしいですか?

>そのうち鈍いあなたも
>>結局彼は、方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない、って言いたいだけ
>ってことに気づくよ。

いやですから先ほども申し上げたとおり、「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」
と法師さんが結論づけたとしても、私はその論証過程さえ妥当と判断できれば
O.K.なのです。

また、論証過程に問題があれば、仮に結論が私と同様な場合でも、
それを是とはできないのです。

とにかく、文章の引用などの「具体的な」批判をお願いします。




70 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 01:19
いや、ボクあたま悪いし漢字も読めないから、どこが論証なのかわからないや。

というわけで論証仮定どころか論証が存在してないって言ってんだけど
もし、ここまで何らかの論証が存在して、んで少しでも進展してたんなら
 1 AはBである
 2 しかるにCはDである
 3 よって○○と考えられる
みたいにまとめてもらえると、頭の悪いボクとしては助かるんだな。
それができないんなら、論証は存在しなかったってことじゃないのかな?

71 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 01:21
論証仮定じゃないや、論証過程。
過程があったのか聞かせてよ。

72 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 01:22
煽りは2ちゃんの花。しかし煽りじゃなくて、中間まとめ要求とでも理解して!

73 :通りすがり:2001/05/17(木) 01:53
>>70さん(>>70−72で良いのかな?)

レスありがとうございます。
具体的なご批判は大歓迎です。

>中間まとめ要求とでも理解して!

了解しました。
たしかに議論が煩雑になる傾向にあるので、ここら辺で中間整理が必要でしょ
う。

>というわけで論証過程どころか論証が存在してないって言ってんだけど

 おっしゃるとおり確かに「論証過程」と呼べる内容は未だ展開されておりま
せん。現段階では、論証の前提内容について議論が交わされています。
 その点をご理解のうえ、以下の文をご覧下さい。

まず、法師さんによる最初の問題提起は下記の内容です。

>半島→対馬→壱岐→九州の間隔がほぼ等しいとい
>うのは、単なる偶然以上と考えてもよろしいんじゃない
>でしょうか。(前スレ>>638

またさらに下記の問題提起。

>まず、元々の記述のどれ(どういった部分)がどの程度に信頼しうるのかを
>検討してみようということです。
>如何でしょうか? (前スレ>>655

 上記の問題を提起されたうえで、法師さんは議論上の前提仮定として下記の
点を提示しました。

・「倭人伝」の地理記載は実際の見聞に基づき記述された箇所が存在する。
・「狗邪韓国〜一大国〜」に関する距離記載、とりわけ地点間距離比率を「事
  実情報」に基づいた記述として仮定する。

 上記の仮定に基づき、「狗邪韓国〜一大国〜」の地点間距離比率から具体的
な比定地を想定しようとするご発言でした。

 なお、上記の法師さんによる問題提起の背景として、下記の法師さんの発言
を引用します。(前スレ>>827

>倭人伝の距離に関連する記述はデタラメであるとしたら、「邪馬
> 台国は日本国内に存在した」という仮定を元にした循環論法以外
> で、どうやって日本に上陸することができるか?

 上記のご発言を、私は様々な予断を含む循環論法を回避するための方法論提
示として理解しております。

 なお、私が法師さんの発言内容のうちで興味を持った点は、アプリオリに
「現代の地図上の比定地」を想定せずに、あくまでも記載内容から検討すると
した方法論提示であることを申し添えます。

(続く)

74 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 02:02
>「狗邪韓国〜一大国〜」に関する距離記載、とりわけ地点間距離比率を「事
  実情報」に基づいた記述として仮定する。


これ変でしょ?
結論そのものが仮定されてない?

75 :通りすがり:2001/05/17(木) 02:11
(続き)

>>70さん

 現段階では、法師さんにより提示された前提仮定の吟味が主たる議論内容と
なっています。
 また私の問題提起(>>33)により、「倭人伝」の地理記載の成立過程そのも
のについても議論の範囲は広がりつつあります。私の問題提起は、記載の情報
源とも密接に関わる問題である以上、「倭人伝」に対する史料批判の一環とし
てなされるべき内容としてご理解下さい。

 総括としては、現段階ではあくまで、法師さんによる前提仮定の内容吟味に
ついて議論が交わされているということです。
 議論が遅々として進まない印象を持たれたかもしれませんが、議論の場がWe
b掲示板である以上、ある程度仕方のないことでしょう。
 また、議論の参加者が可能な限り、自身の発言内容を明瞭なものとする必要
もあります。

 議論に関する私個人の感想としては、法師さんの前提仮定はややもすれば容
易に循環論法に陥る危険性があるので、いかにそれを回避しつつ議論を進展さ
せていくかという問題にあります。

駆け足ですが、中間報告ということで。

これからもご批判をお待ちしています。
また、補足説明などのご要望がありましたら、お気軽にどーぞ。

なにより、議論に参加されることを切に希望しております。

それではー。

76 :通りすがり:2001/05/17(木) 02:14
>>74さん

すいません。
正確にいえば、「狗邪韓国〜一大国〜」の地点間距離比率に関する記載は、
実際の見聞に基づくという仮定です。

一番良いのは、法師さんによる追加説明ですが、また次の機会ということで。

さらに、仮定そのものに対するご批判もお待ちしています。


77 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 08:34
もっと短くいうと
1 まだ論証はぜんぜんしてない。これから始める。
2 とりあえず「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」という結論が
  一本道で出るような「狗邪韓国〜一大国〜の地点間距離比率に関する記載は
  実際の見聞に基づく」等という仮定が提案された。
  これがおかしくないか、とか可能性はどうかとかいう検討はこれからする。

ってことでいいのね? OK?

78 :通りすがり:2001/05/17(木) 19:30
>>77さん

どーも。
ご質問について、個々にご回答します。

> 1 まだ論証はぜんぜんしてない。これから始める。

 まあ、そういうことになるでしょうね。

 ただ、議論というものは、意見の食い違いを極力回避するために、前提に対
する吟味にもっとも多くの時間が割かれるべきということは、もちろんご理解
をいただいてますよね?

> 2 とりあえず「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」という結論が
>   一本道で出るような「狗邪韓国〜一大国〜の地点間距離比率に関する
> 記載は実際の見聞に基づく」等という仮定が提案された。
> これがおかしくないか、とか可能性はどうかとかいう検討は
>  これからする。

 結論が「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」とは、どこにも設定され
ていませんよね。よく私あるいは法師さんの文章を読んでください。
 ましてや、議論の前提仮定が「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」と
いう結論に「一本道」に至るようなものとして設定されているわけでももちろ
んありませんね。

 なお、私の中間整理はあくまで「私の」整理に過ぎず、一義的には前スレよ
び本スレの私と法師さんの発言を参照してください。

 逆に>>77さんに伺いたいのですが、どの箇所を読んだらこの議論の結論が
「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」と設定されていると解釈できるの
でしょうか。具体的な箇所をご指摘のうえ、ご回答下さい。


それでは、ご回答をお待ちしています。

79 :通りすがり:2001/05/17(木) 19:46
>>77さん

補足です。

 議論が未だに本格的な論証過程に入っていないと書くと、「論証過程が存在
しないのに、それが妥当も糞もないだろう」という揚げ足取りが提出されるこ
とが「容易に」予想されるので補足しましょう。

 議論の現段階では、前提仮定の設定過程そのものに対して検証が進められて
いることをご理解下さい。つまり、設定過程に問題がある場合、設定された前
提仮定に対して疑義が挟まれ、再検討する必要があるということです。
 言葉を換えれば、前提仮定に対しても、妥当であるかどうか判断すべき論証
過程が存在するということです。

というわけで、>>78で私が提出した質問へのご回答をお待ちしています。

80 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 22:35
>>79
> 結論が「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」とは、どこにも設定され
ていませんよね。よく私あるいは法師さんの文章を読んでください。

635 名前:法師 投稿日:2001/04/25(水) 00:13
方位の記述には、基本的に誤りはないと仮定するなら、「通説」の比定が間違っ
ているというだけのことになりますね。

ここで「方位は正しい」という仮定から「マツロ国は松浦じゃない」って結論が設定されてるよね。


42 名前:法師 投稿日:2001/05/16(水) 21:53
それを「対馬国」と仮定し、そこから、ほぼ同じだけ南に海を渡ると何があるか?
そこからさらにほぼ同じだけ(ここでは方位が書いてないので海流に従って
流され気味に)進んだらどの辺りに出るか? を想定


ここでも、「狗邪韓国〜一大国〜」の地点間距離比率に関する記載は、実際の
見聞に基づく(意外に正確に把握されていた)という仮定から
「マツロ国は松浦じゃない」って結論が設定されてるよね。> ましてや、議論の前提仮定が「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」と
いう結論に「一本道」に至るようなものとして設定されているわけでももちろ
んありませんね。


891 名前:法師 投稿日:2001/05/13(日) 23:13
 距離音痴で方向音痴では、現代においても、ある程度以上に浜か
 ら離れた航海をすることなど不可能に近い

29 名前:法師 投稿日:2001/05/15(火) 20:55
人力&人の判断で進むなら、どの時間帯にどちらに日があるか確認することは
行く先を間違えないために、ほとんど不可欠の重大な事柄となるので
間違えようがない

って想定に

42 名前:法師 投稿日:2001/05/16(水) 21:53
実体を相当に正確に把握している者の情報が残っている部分があるなら

って仮定をかけあわせると「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」って結論が
「一本道」に出るでしょ?

81 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 22:47
>>79
>議論が未だに本格的な論証過程に入っていないと書くと
>「論証過程が存在しないのに、それが妥当も糞もないだろう」という
>揚げ足取りが提出されることが「容易に」予想されるので

なんでそんな揚げ足取りが予測されるの?
前提仮定への検証って論証の一部でしょ?
前提仮定の妥当性をどんなふうに検証してるのかを
中間まとめに書いてくれりゃいいだけなのに。


82 :通りすがり:2001/05/17(木) 22:48
>>80さん

肝心の「末盧国」の「ま」の字も本文中に出てきてないのですが・・・

それとも、あなたの脳内には出現しているのですか?

とりあえず、脳内麻薬の分泌を控えて貰ってから、
冷静にご自身と法師さんの文章を読み直してください。

83 :通りすがり:2001/05/17(木) 22:51
>>81さん

なんか、私があなたに中間整理をすることが義務のような発言ですが、
勘違いして貰っても困ります。

中間整理をしたことにより、私はあなたに感謝されこそすれ、非難される
覚えはないですね(´ー`)y-~~~

中間整理で理解できなかったら、あなた自身が本文を読み直せば
すむことでしょ? 違いますか。


84 :法師:2001/05/17(木) 23:36
>>64>通りすがりさん
>おっしゃるとおり、「普通の考え方」なんですけど、
>まあ、ここは2chですから・・・

 なるほど。そうだったんですか。なるほど。

>いや、別にあなたにご意見を求めてるわけじゃないので、
>そんなに熱くならなくても大丈夫ですよ。

 いや いや、ご意見であれば、むしろ、歓迎すべきではないでし
 ょうか。


85 :法師:2001/05/17(木) 23:38
>>66>?さん
>具体的な事実を何一つ加えずになにを論証してるっていうの?

 どういった話なのかお分かりですか?

>あんただ、だべってるだけでしょ?

 ちょっと分かりにくいですが、「あんただ」とは何のことですか?
 「あんただち」とかいった複数形ですか? それとも、「あんた
 ただ」とかのミスタイプですか?

 「だべってるだけ」とは、そうですね、そのようにご覧になる方
 には、そのように見えるかもしれませんね。

>いまだに一行も倭人伝読んでないじゃないか?

 え? どういった論議がされているか分かりの上で、そのように
 問いかけておられるわけですか?

>それで都合が悪い意見は放置で知らん顔かな?

 どのメッセージのご意見のことですか? こちらの見過ごしとかも
 あり得ます。番号を明示してください。また、「都合が悪い」とは、
 具体的にどういう意味ですか?


86 :通りすがり:2001/05/17(木) 23:44
>法師さん

>>84

>いや いや、ご意見であれば、むしろ、歓迎すべきではないでし
> ょうか。

はい。私も彼(彼女)からご意見を伺おうと思いましたが、結果は
上記のスレッドの通りです・・・

多分、噛みつきたいだけなんでしょう。
誰しも、そういう年齢を経過して大人になりますから。

87 :通りすがり:2001/05/17(木) 23:48
>法師さん

私が>>73>>75で整理した内容について、追加説明あるいは訂正など
ございましたら、おっしゃってください。

よろしくー。

88 :日本@名無史さん:2001/05/17(木) 23:53
>>82
633 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/04/25(水) 00:03
通説どおり末盧国が唐津で伊都国が前原なら
唐津→前原は北東方向だけど
倭人伝は東南と書いてる。


635 名前:法師 投稿日:2001/04/25(水) 00:13
>>633
誤伝とかの可能性はとりあえず別問題として、方位の記述には、
基本的に誤りはないと仮定するなら、「通説」の比定が間違っ
ているというだけのことになりますね。


635は633へのレスだから、「「通説」の比定が間違っている」というのは
「通説どおり末盧国が唐津で伊都国が前原」が間違ってるって意味でしょ?
違う?
「末盧国」の「ま」の字もあなたの脳内に出現しない?

89 :通りすがり:2001/05/18(金) 00:02
>>88

いやーなかなか頑張りますね。感心感心。

>635は633へのレスだから、「「通説」の比定が間違っている」というのは
>「通説どおり末盧国が唐津で伊都国が前原」が間違ってるって意味でしょ?
>違う?

うんうん、そうですか(笑)

うーん、まいいや。
まあこれからも頑張ってください。

あなたのお好きにどーぞ。

それじゃ。


90 :日本@名無史さん:2001/05/18(金) 00:06
あらあら、都合が悪くなると誤魔化しですか?
「末盧国」の「ま」の字もあなたの脳内にも出現した?
それともまだ出現しない?
回答できない?
自分の間違いを認めたくない?

91 :日本@名無史さん:2001/05/18(金) 00:08
事実を認めるの、そんなにイヤ?(典型的な自作自演)

92 :日本@名無史さん:2001/05/18(金) 00:13
ま、いいや。二人でマタ〜リしてて!
そのうち、すっご〜く鈍いあなたも
>結局彼は、方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない、って言いたいだけ
でひたすら循環論法でがんばってるってことに気づくよ。
じゃね。

93 :通りすがり:2001/05/18(金) 00:15
>>90-91

おー、まだ頑張りますか。
もっと楽しませてくださいな。

>あらあら、都合が悪くなると誤魔化しですか?

おやまあ。

>「末盧国」の「ま」の字もあなたの脳内にも出現した?
>それともまだ出現しない?

いやー残念です。
あと60年ほどすれば私にも見えると思います。楽しみですね。

>回答できない?
>自分の間違いを認めたくない?

自身の間違いを認めるのは、やぶさかではないですねえ。

>事実を認めるの、そんなにイヤ?

イヤじゃないですねえ、全く。


もっと聞きたいことある?

94 :通りすがり:2001/05/18(金) 00:15
>>92

さよーならー(涙)

95 :日本@名無史さん:2001/05/18(金) 00:28
泣いてくれるなら帰ってくるぞ!
あんたのこと実は好きなんだから。

>>635の「「通説」の比定が間違っている」が
「通説どおり末盧国が唐津で伊都国が前原」が間違ってるって意味じゃないことを
論証してくれ!

96 :通りすがり:2001/05/18(金) 00:44
>>95さん

どーも。

>泣いてくれるなら帰ってくるぞ!
>あんたのこと実は好きなんだから。

ちょっと微笑んでしまいました。
「好き」と告白されたからには、誠実にお答えするべきでしょうね。

>>>635の「「通説」の比定が間違っている」が
>「通説どおり末盧国が唐津で伊都国が前原」が間違ってるって意味じゃないことを
>論証してくれ!

了解しました。

ご期待に添えるような回答を用意したいと思います。

ただ、今日はもう夜も遅いので、明日にでもキチンとした答えを
提示します。
それでよろしいでしょうか?

#できるだけ「煽り」文体はやめていただけないでしょうか・・・
>>95さんもご存じの通り、私は前スレとこのスレで集中攻撃の
#対象になってるみたいなので、どうしても「煽り」文体は敬遠
#してしまうのですよ。

というわけで、いったん失礼します。


97 :日本@名無史さん:2001/05/18(金) 00:46
性分だからなぁ…

98 :通りすがり:2001/05/18(金) 00:47
ワラタヨ

んじゃまた。

99 :通りすがり:2001/05/18(金) 22:18
>>95さん

どーも。

> >>635の「「通説」の比定が間違っている」が
> 「通説どおり末盧国が唐津で伊都国が前原」が間違ってるって意味じゃない
>ことを論証してくれ!

 最初に、下記の文章は、法師さんの発言に対する「私の」解釈ということを
まずご理解のうえ、読み進めてください。
 あるいは、法師さんの名を借りた私のこの議論での解釈スタンスとでもご理
解下さい。

 法師さんの発言(前スレ>>638)、

>宮崎先生とかも述懐しておられるとおりですが、このス
>レッドは、取りあえず「魏志のいう邪馬台国とはどこの
>ことか?」という話でよろしいのでは?

 上記のご発言のうち、「魏志のいう邪馬台国とはどこのことか?」という発
言が問題を端的に表しています。
 つまり、現代の「正確な」地図をアプリオリに念頭に置いた記載の解釈とい
った予断を極力廃して、あくまでも記載事実を起点にした比定地解釈に関する
方法論を法師さんは提示されているわけです。

 アプリオリな記載解釈をもとにした比定地論議は、結局のところ循環論法に
過ぎず、結果的には「魏志倭人伝」という史料そのものをないがしろにした議
論に堕する危険性が大いにあり得るのです。

 ここで法師さんのご発言(前スレ>>635)を参照しましょう。

>誤伝とかの可能性はとりあえず別問題として、方位の記述には、
>基本的に誤りはないと仮定するなら、「通説」の比定が間違っ
>ているというだけのことになりますね。

 私がこれまで述べてきた内容を念頭に置きつつ上記の発言を読むと、法師さ
んはあくまでも記載事実を起点にした比定地論議の必要性を説いていたことが
読みとれるはずです。

 つまり、「方位の記述には、基本的に誤りはないと仮定するなら」という発
言の意図には、記載事実を起点にした検討の提唱があり、「「通説」の比定が
間違っているというだけのことになりますね」という発言の背後には、記載事
実をないがしろにした検討への警鐘があるわけです。

 そこで、法師さんのご発言(前スレ>>655

>逆に、「具体的な比定地が先にあって、倭人伝の記述をその都合に合わせて
>読み替える」という弊害が生じていると思います。当方の主張の眼目は、倭
>人伝の記述の内で、どれがどこまで信頼できるか確認しながら、たどってみ
>たらどうなるか?ということです。

 上記の発言に法師さんの意図が凝縮されていると私は考えます。


 ここで注意しなければならないことは、記載事実を起点にした検討が、すな
わち記載事実がすべて「事実」に基づいているとして記載内容を盲目的に信奉
することを意味しないということです。記載事実を起点にした検討が矛盾に陥
った場合、背理法的な解決で検討過程の再検証が必要となります。


(続く)

100 :通りすがり:2001/05/18(金) 22:19
(続き)

>>95さん

 このあたりでまとめましょう。

 「「通説」の比定が間違っている」という発言は「通説どおり末盧国が唐津
で伊都国が前原」という「通説」の比定が間違っていることを直接的に意味す
るのはありません。語弊はありますが、「通説どおり末盧国が唐津で伊都国が
前原」という「予断」をもとにした検討の危険性を提示しているに過ぎないわ
けです。
 検討過程に問題がなければ、検討の結果として「通説どおり末盧国が唐津で
伊都国が前原」という結論に落ち着いたとしても全く問題ありません。また検
討の結果、「通説」と矛盾したとしても、「通説」と本スレッドの検討過程の
両者を再検証すれば良いだけです。私が以前のレスのなかで、重要なことは検
討の結果ではなくあくまで検討の「過程」と説いた内容は、まさにこの意味に
おいてです。


 駆け足となりましたが、以上で説明を終わります。
 追加説明あるいは疑問などあれば、お気軽におっしゃってください。

それではー。

101 :日本@名無史さん:2001/05/19(土) 00:57
>>99
> つまり、現代の「正確な」地図をアプリオリに念頭に置いた記載の解釈とい
>った予断を極力廃して、あくまでも記載事実を起点にした比定地解釈に関する
>方法論を法師さんは提示されているわけです。

ところが

>>42 名前:法師 投稿日:2001/05/16(水) 21:53
>それを「対馬国」と仮定し、そこから、ほぼ同じだけ南に海を渡ると何があるか?
>そこからさらにほぼ同じだけ(ここでは方位が書いてないので海流に従って
>流され気味に)進んだらどの辺りに出るか? を想定

しているということは、現代の「正確な」地図をアプリオリに念頭に置いて
松浦以外に末盧国を想定しようとしているわけで、結局そのために都合のいい仮定を
恣意的に選択してたててるにすぎないでしょ?

「倭人伝の記述の内で、どれがどこまで信頼できるか確認し」というのは
実際は新たな仮定を主観的に述べ立てるに終始してるし
「記載事実を起点にした検討が矛盾に陥った場合」に「背理法的な解決で
検討過程の再検証」をすることを一向に実施しないわけで
ようするに言ってることとやってることがちがうじゃないかと言いたいわけ!

102 :日本@名無史さん:2001/05/19(土) 01:06
いま進めてるのは「記載事実を起点にした検討」じゃなくて
頭の中で考えただけの仮定を起点にした検討だし
それが矛盾に陥った場合に背理法的な解決で検討過程の
再検証をしようという努力がいっこうに見られないから
美辞麗句と長広舌で韜晦してるだけだ!とヤジとばしてるわけよ。
ワカル?

103 :通りすがり:2001/05/19(土) 01:19
>>101−102さん

どーも。

とりあえず今、お返事を書いているので
もうちょっと待っててね。

104 :通りすがり:2001/05/19(土) 01:45
>>101-102さん

えーと、>>95さんと同じでいいのかな?
紛らわしいので、捨てハンで結構ですので何か適当な呼び名を
下さるとありがたいです。

引用文を適宜、句読点を補いつつ改行位置を変更しています。

>>101

>現代の「正確な」地図をアプリオリに念頭に置いて松浦以外に末盧国を想定
>しようとしているわけで、結局そのために都合のいい仮定を恣意的に選択し
>てたててるにすぎないでしょ?

 >>101−102さんがおっしゃる「現代の「正確な」地図をアプリオリに念頭に
置いた」想定を、「狗邪韓国〜一大国〜」の記載を関する法師さんのご発言で
あるとして話を進めます。

 まず、「狗邪韓国〜一大国〜」の距離間隔の数値比率が「ほぼ等しい」と記
述されていると法師さんは指摘されたわけですね。あくまでも「ほぼ等しい」
数値比率とは記載についてであって、この場合、現代の地図上での数値比率は
問題とされていません。具体的な発言箇所として、前スレ700番台のレス応酬
をご参照下さい。

 つまり、法師さんのご発言が現代の地図をアプリオリに念頭に置いた内
容であるとする批判は、この場合不適切なものとなります。

 ただ、法師さんによる上記の指摘については、私も以前は疑問を感じていま
した。具体的には「倭人伝」の地理記載中には「狗邪韓国〜一大国〜」に関す
る記述以外にも、具体的な数値を示して距離を記述している箇所が複数存在す
る一方、なぜ「狗邪韓国〜一大国〜」についての記載のみが検討事項となる積
極的な理由が法師さんのご発言のなかでは不明瞭でした(私の主な疑問は前ス
レの>>820を参照)。

 まず、「狗邪韓国〜一大国〜」が検討対象地域として採用される理由は、法
師さんのご回答によると下記の通りです(前スレ>>824)。

>無事に「日本入り」するための、一つの(あくまで一つの)重要な検討事項
>だと考えるからです。というか、「日本を通り越してどっか行っちゃわない
>ための必要条件の一つ(あくまで一つ)」になりうると考えるからです。

 さらに、「狗邪韓国〜一大国〜」の地点間距離比率が検討事項になる理由は、
下記のご回答です(本スレ>>42)。

>もし、実体を相当に正確に把握している者の情報が残っている部分があるな
>ら、それは、距離数値ではない概算…たとえば距離比率などに多いはず…と
>いう推論を元にして、のっけの部分の、半島と島々の間隔を示していると思
>われる部分に注目してみた…ということです。

 むしろ、妥当な批判が可能な箇所は、上記に示した法師さんによる検討事項
の選択理由でしょう。検討事項の選択理由に対する批判、すなわち前提仮定の
批判ですね。
 かりに方法論が適切でも、設定した仮定が不適切な場合は期待すべき検討成
果を望むことは困難になります。私自身は>>101−102さんに対して、上に挙げ
た検討事項あるいは前提仮定へのご批判を期待します。

(続く)

105 :通りすがり:2001/05/19(土) 01:46
続きは、セリエAダイジェストの後で。

106 :捨てハン1号:2001/05/19(土) 02:09
>>104
 >>101−102さんがおっしゃる「現代の「正確な」地図をアプリオリに念頭に
>置いた」想定を、「狗邪韓国〜一大国〜」の記載を関する法師さんのご発言で
>あるとして話を進めます。

ちがーう。

>それを「対馬国」と仮定し、そこから、ほぼ同じだけ南に海を渡ると何があるか?
>そこからさらにほぼ同じだけ(ここでは方位が書いてないので海流に従って
>流され気味に)進んだらどの辺りに出るか? を想定

の部分。そこ(壱岐)からさきに同じだけ(対馬海流に流され東方向にに流され)
進んだらどの辺りに出るか?(糸島半島か博多湾か?)を想定してるってこと。
つまり唐津松浦以外を想定しているって結論が事実上ここに書いてあるわけ。
で、結論から逆算するかのように前提仮定が選ばれてるから
その選択理由が恣意的なのだっちゅーことを言いたいわけ。


107 :通りすがり:2001/05/19(土) 02:30
まあ、ローマで決まりでしょう。
つまらないサッカーだとしても。

それはともかく。

>捨てハン1号さん(>>106


>そこ(壱岐)からさきに同じだけ(対馬海流に流され東方向にに流され)
>進んだらどの辺りに出るか?(糸島半島か博多湾か?)を想定してるって
>こと。

「同じだけ」の発言は、「狗邪韓国〜一大国〜(末盧国)」の地点間距離比率
が「ほぼ等しく」記載されている内容に依拠するものでしょう。
 また「(対馬海流に流され東方向にに流され)進んだらどの辺りに出るか?」
については、法師さんは「ここでは方位が書いてないので」と明記しています
よね。

 よって、「(糸島半島か博多湾か?)を想定してる」発言は捨てハン1号さ
んご自身の「予断」でしょう。法師さんはそこまで踏み込んで発言してません
よね。

>つまり唐津松浦以外を想定しているって結論が事実上ここに書いてあるわけ。
>で、結論から逆算するかのように前提仮定が選ばれてるから
>その選択理由が恣意的なのだっちゅーことを言いたいわけ。

 おっしゃる意味は理解できますが、上述したように、捨てハン1号さんの予
断に基づくご主張である以上、ご批判の内容はこの場合不適切と判断せざるを
得ません。

 「唐津松浦以外を想定しているって結論」が明示されていない以上、「事実
上ここに書いてある」とは判断できません。行間を読む作業も必要ですが、明
らかに明示されていない発言を元にした批判は誤読とせざるを得ませんよね。

とりあえず。

108 :捨てハン1号:2001/05/19(土) 02:39
史料には出てこない海流まで読み込んでの想定は
「現代の「正確な」地図をアプリオリに念頭に置いた」想定にあたらないの?

109 :通りすがり:2001/05/19(土) 02:45
>>104の続き)

>捨てハン1号さん

>「倭人伝の記述の内で、どれがどこまで信頼できるか確認し」というのは
>実際は新たな仮定を主観的に述べ立てるに終始してるし、

 捨てハン1号さんが「主観的」と判断された理由をもう少し明確かつ具体的
に述べていただけないことには、こちらとしても何とも言いようがないです。

>「記載事実を起点にした検討が矛盾に陥った場合」に「背理法的な解決で
>検討過程の再検証」をすることを一向に実施しないわけで 、
>ようするに言ってることとやってることがちがうじゃないかと言いたい
>わけ!

 現段階では、法師さんの仮定に基づいた検討の結果が提出されていない以上、
「一向に実施しない」とのご批判は不適切ですね。検討結果が出てから、批判
を加えても遅くはないはずです。

>いま進めてるのは「記載事実を起点にした検討」じゃなくて
>頭の中で考えただけの仮定を起点にした検討だし

 「頭のなかで考えただけの仮定」の意味がよく理解できないのですが、仮定
とは頭のなかで考えるものではないでしょうか。少なくとも、法師さんは仮定
を提示する際、原文記載をもとに発言されています。

>それが矛盾に陥った場合に背理法的な解決で検討過程の
>再検証をしようという努力がいっこうに見られないから
>美辞麗句と長広舌で韜晦してるだけだ!とヤジとばしてるわけよ。

 ですから、現在の検討は「それが矛盾に陥った場合に背理法的な解決で検討
過程の再検証をしよう」という段階ではないのです。

 現段階において有効な批判は、法師さんにより提出された「方法論」と「仮
定」に対する内容です。検討の段階差を無視した批判は、全く有効ではありま
せん。分かりやすくいえば、適切な「問い」が設定されているのか? という
疑問あるいは批判のみが議論を生産的なものとし、かつ「問い」の提出者に再
検討を促すものと私は考えます。


>ワカル?

コラ! 「煽り」口調はやめてねって言ったでしょう!
「ご理解いただけますか?」でしょう、望ましいのは。


110 :通りすがり:2001/05/19(土) 02:49
>捨てハン1号さん(>>108

>史料には出てこない海流まで読み込んでの想定は
>「現代の「正確な」地図をアプリオリに念頭に置いた」想定にあたらないの?

難しいところですよね。
たしかにご批判のとおりかもしれません。

ただ、法師さんのご発言には当該期と現代においては地勢に極端な変更がない
という前提がありますからね・・・

まあ確かに、法師さんの発言には「前提」が多すぎるとも感じますが・・・
前提に関して充分な説明があれば、こちらも対応のしようがありますが、
正直なところ、充分な説明があるとは言い難いですね。
その辺は法師さんも考えて欲しい問題です(説明不足について)。




111 :捨てハン1号:2001/05/19(土) 02:50
>ですから、現在の検討は「それが矛盾に陥った場合に背理法的な解決で
>検討過程の再検証をしよう」という段階ではないのです。

遅々として次の段階に進まないことに「牛歩してんのか、ゴルァ!」的な
まなざしを注いでいるわけ。
ご理解いただけますか?」

112 :捨てハン1号:2001/05/19(土) 02:55
んでねッ、前提仮定をまた前提仮定で説明する方向に進んじゃって
前提仮定から演繹した結果なんか矛盾が出ないかって調べる方向と逆に進んでるから
背理法的な解決で検討過程の再検証をしようっちゅう段階に永遠に進まない
気がするわけね。
ご理解いただけますか?

113 :通りすがり:2001/05/19(土) 02:57
>捨てハン1号さん(>>111

>遅々として次の段階に進まないことに「牛歩してんのか、ゴルァ!」的な
>まなざしを注いでいるわけ。

まあそう言わんと。
ビールでも飲んでマターリしましょう。

プロパーの研究者として言わしてもらえば、議論あるいは論争では
方法論や前提条件の吟味にもっとも多くの時間が割かれるわけです。
お気持ちは理解できますが、生暖かく見守ってくださいよ。
もちろん、ご批判やご質問など議論へのご参加は大歓迎です。

>ご理解いただけますか?」

そうそう(笑)



114 :通りすがり:2001/05/19(土) 03:02
>捨てハン1号さん(>>112

>んでねッ、前提仮定をまた前提仮定で説明する方向に進んじゃって
>前提仮定から演繹した結果なんか矛盾が出ないかって調べる方向と逆に進んでるから
>背理法的な解決で検討過程の再検証をしようっちゅう段階に永遠に進まない
>気がするわけね。

確かに。
上記のご発言内容は私も危惧するところです。
この辺で、再整理とダイエットが必要でしょう。

検討上で、必要な前提仮定とそれほど必要でない前提仮定が
混ざっている気がしますね、現状では。

基本的に、法師さんが前提仮定を提出されるときに、充分な説明が
なされていないことに最大の問題があると私は思います。
まあ、その辺はご本人に伺うのが一番早い気がしますが。



115 :日本@名無史さん:2001/05/19(土) 03:06
魏志・倭人伝を読むだけでは狭くなっちゃうんじゃないかなぁ
結局海に沈むことにならないですか?果たしてあれは正解のある暗号と見て
いいのでしょうか。
「南」だと書いてあるわけで、書いた人は南だと思ってたんだろうと
思う。すると倭人伝に関する限り答えは海の中になるんじゃないのでしょうか。
東とは書けなかった書かなかった理由がある、みたいな勘ぐりはダメですか。


116 :捨てハン1号:2001/05/19(土) 03:10
> 「頭のなかで考えただけの仮定」の意味がよく理解できないのですが、
>仮定とは頭のなかで考えるものではないでしょうか。
>少なくとも、法師さんは仮定を提示する際、原文記載をもとに発言されています。

ちっちっち。たとえばこれ

28 名前:法師 投稿日:2001/05/15(火) 20:47
 航海士の個人については、ほぼ通しだった人もいたはずですが、
 それは、航行の責任者というか、船団長のような立場の人のはず
 で、個々の海域については、各々の海域のエキスパートが、水先
 案内兼気象予報士として採用されたはずです。
         …
 なお、船団長については、使節団の責任者その人と考えても、特
 に矛盾とかはないと思います。

117 :通りすがり:2001/05/19(土) 03:20
>>115さん

どーも。
ご発言を大変興味深く読ませていただきました。

>魏志・倭人伝を読むだけでは狭くなっちゃうんじゃないかなぁ

そうですね。おっしゃるとおりと思います。
 ただ、「魏志倭人伝」の記載をおざなりにした議論が多いことも事実と考え
ています。原文記載から出発しない議論が史料軽視につながることを危惧して
いるわけです。むろん、「倭人伝」以外のたとえば「東夷伝」全体の記述も出
発すべき史料としてあるわけですが。

>結局海に沈むことにならないですか?果たしてあれは正解のある暗号と見て
>いいのでしょうか。

 そうですね。素直に原文を読むと、竜宮城にご案内でしょうね。

>「南」だと書いてあるわけで、書いた人は南だと思ってたんだろうと思う。

そう、そこが大事な点なんですよ。
 あくまでも、原文には「南」と書いてあるわけです。その事実から検討を出
発する必要を強く感じています。

>すると倭人伝に関する限り答えは海の中になるんじゃないのでしょうか。
>東とは書けなかった書かなかった理由がある、みたいな勘ぐりはダメですか。

 いや全然ダメじゃないと思います。
 少なくとも「南」と記述されている以上、記述者は「南」と認識していたわ
けで、問題とすべきは「南」と記述されたコンテクストでしょうね。
 そこで、そのコンテクストをどう考えるかで意見が分かれているのだと思い
ます。

118 :通りすがり:2001/05/19(土) 03:29
>捨てハン1号さん(>>116

どーも。

>ちっちっち。たとえばこれ
>
>28 名前:法師 投稿日:2001/05/15(火) 20:47
> 航海士の個人については、ほぼ通しだった人もいたはずですが、
> それは、航行の責任者というか、船団長のような立場の人のはず
> で、個々の海域については、各々の海域のエキスパートが、水先
> 案内兼気象予報士として採用されたはずです。
>         …
> なお、船団長については、使節団の責任者その人と考えても、特
> に矛盾とかはないと思います。

 上記の法師さんによるご発言は、確かにまあ、ツッコミ甲斐のある内容なん
ですけど。第三者的な説明を加えると、あくまでも記載事実をもとにした検討
である以上、記載の情報源として一義的には実際の見聞者を想定する必要があ
ると。そこで、実際の見聞者の具体的な内容提示として、上記の発言がなされ
たと解釈すればよいのかな。発言意図は分からなくもありませんが、まあ言わ
なくても良い内容かなと私個人は考えます。

119 :捨てハン1号:2001/05/19(土) 03:30
んでもって方法論として

1「まず元々の記述のどれ(どういった部分)がどの程度に信頼しうるのかを
検討してみよう」というアプローチと

2「アプリオリに「現代の地図上の比定地」を想定せずに、あくまでも記載内容から
検討するとした方法論」

を同時にやること自体に問題は無いの?


2のほうの与件は史料の記載内容だけってことでしょ?
で、1のほうは史料の記載内容の中でも選別するってことでしょ?

だから「矛盾に陥った場合に背理法的な解決で検討過程の再検証をしよう」
っていっても「矛盾」するのは史料の記載内容同士でしかありえないわけで
これを信頼性による選別で矛盾を解消しちゃうと
「背理法的な解決で検討過程の再検証」がはじまらないわけだ。

ここでもし信頼性による選別が主観的だと、行き着く先はトンデモ説だったりしないの?

ご理解いただけますか?(真意:わがんねか ゴルァ!)

120 :捨てハン1号:2001/05/19(土) 03:41
>実際の見聞者の具体的な内容提示として

「仮定を提示する際、原文記載をもとに発言されています。」
という認識は甘いんじゃないのか、原文記載に基づいていない想定が
あまりに多いと言ってるわけですよ。

ご理解いただけますか?(本音:わがんねか ゴルァ!)

121 :通りすがり:2001/05/19(土) 03:47
>捨てハン1号さん(>>119

>同時にやること自体に問題は無いの?

(・∀・)イイ! ところ突きますね。

>だから「矛盾に陥った場合に背理法的な解決で検討過程の再検証をしよう」
>っていっても「矛盾」するのは史料の記載内容同士でしかありえないわけで
>これを信頼性による選別で矛盾を解消しちゃうと
>「背理法的な解決で検討過程の再検証」がはじまらないわけだ。

ビンゴ!
そうなんですよ。そこが問題なんですよ〜。
記載内容のなかでグルグルと循環してしまうんですよね。
再検証の定点が定まっていないですから。
極めて蓋然性が高い定点を用意しない限り、検討結果は証明不可能に
なってしまいますね。つまり自己言及的な不完全定理の罠に陥ってしまいます。

難しいところですね、全く。

>ご理解いただけますか?(真意:わがんねか ゴルァ!)

わかってるよ ゴルァ! (゚Д゚)y ─┛~~

122 :通りすがり:2001/05/19(土) 03:49
>捨てハン1号さん(>>120

俺も苦しいんだよ ゴルァ! (゚Д゚)y ─┛~~


123 :通りすがり:2001/05/19(土) 03:50
訂正

>>121 最後から4行目

(誤)不完全定理 → (正)不完全性定理

124 :日本アメリカ化計画:2001/05/19(土) 03:51
A型は徒党を組んで国民を操ろうとする。注意せよ!
特に全国民の5%しかいないAA型は偏固で神経質。



125 :捨てハン1号:2001/05/19(土) 04:01
>>117
> 少なくとも「南」と記述されている以上、記述者は「南」と
>認識していたわけで、問題とすべきは「南」と記述されたコンテクストでしょうね。

それについてマツロ、イトの通説的比定地では方位がずれてるから、方位の記述そのものは
信頼性が劣るんじゃないかって意見がでたわけだよね?
これは「まず元々の記述のどれ(どういった部分)がどの程度に
信頼しうるのかを検討してみよう」というアプローチそのものだったと思うわけ。

ところがこれは「アプリオリに「現代の地図上の比定地」を想定せずに、あくまで
も記載内容から検討するとした方法論」によって
「方位の記述には、基本的に誤りはないと仮定するなら、「通説」の
比定が間違っているというだけのこと」と却下されたわけだ。
これって実は矛盾が生じないように与件の範囲を限定しただけで
このことで結果的には考古学の成果より「仮定」が優先されちゃってる。
ここでも背理法が活躍する機会が消されたんじゃないの?
ご理解いただけますか?(本音:どう思っちょんじゃ? ゴルァ!)

126 :捨てハン1号:2001/05/19(土) 04:04
>>124
偏固で神経質で悪いか ゴルァ!

127 :通りすがり:2001/05/19(土) 04:20
>捨てハン1号さん(>>125

>「方位の記述には、基本的に誤りはないと仮定するなら、「通説」の
>比定が間違っているというだけのこと」と却下されたわけだ。

べつに却下はしてませんよね。
あくまで、方法論上の可能性としてあり得るというだけで。

>このことで結果的には考古学の成果より「仮定」が優先されちゃってる。

「考古学の成果」が文献史料に依拠する以上、「考古学の成果」と
「仮定」(正確には検討の結果としての「仮説」)は等価に置かれるべきと考えます。

>ご理解いただけますか?(本音:どう思っちょんじゃ? ゴルァ!)

寝るぞ ゴルァ! (゚Д゚)y ─┛~~



128 :通りすがり:2001/05/19(土) 04:26
一部、私の発言でお見苦しいところがありましたがお許し下さい。
携帯電話の電波作用と思われます。

それでは寝ます。

129 :115:2001/05/19(土) 11:53
>>通りすがりさん
お疲れさまです。口挟み発言にお答えありがとうございます。
テーマをまずぎゅっと絞るべき、という考えもわかります。でもまた脱線
します。当時のこの列島がどんな状態だったかを喋るのもいいのでないで
しょうか。別スレに出てたけど群雄割拠の混沌なのか西日本は徐々に統一?
に向かっていたのか、とか。
親呉倭王のハンコを貰った国はなかったんでしょうか。当時の大国という
のはだいたいどういう場所、地形に町を作っていたのか、とか。
邪馬台国の魏訪問がヌケガケだったのか倭国統一の兆しの証だったのか、
魏が誘っただけだったのか、ただの偶然(漂着)だったのかが知りたいです
が、・・結局推理想像するしかないのかなあ。

130 :通りすがり:2001/05/19(土) 23:21
>>115さん(>>129

どーも。

>お疲れさまです。口挟み発言にお答えありがとうございます。

いえいえ、「口挟み発言」なんておっしゃらずにどんどん発言しましょうよ!
このスレは私と法師さんの専有物では「断じて」ないのですから。

>テーマをまずぎゅっと絞るべき、という考えもわかります。

あー、その必要があるのは、法師さんとの議論についてです・・・

>でもまた脱線します。

ありがとうございます。ネタフリ大歓迎です!!

>当時のこの列島がどんな状態だったかを喋るのもいいのでないでしょうか。

そうですね。いろいろとやってみましょう。

 では、>>129さんによる問題提起を、「魏志倭人伝」に記述された時期の日
本列島における諸コンテクストに関するものとして、お話を進めます。

>別スレに出てたけど群雄割拠の混沌なのか西日本は徐々に統一?に向かって
>いたのか、とか。

 うーん。難しい問題ですね。まず文献史料からみた場合、「倭人伝」の記載、
たとえば「共立」という語に着目すると「徐々に統一?に向かっていた」と想
定することもできるでしょう。また「大人・下戸」という語に着目すれば、当
該期の日本列島のなかである地域は階級社会的な要素を備えていたことを想定
できるでしょうし、「一大率」、「卑奴母離」などの語からは、なんらかの支
配組織を想定することもできるでしょう。

 ただ注意しなくてはならないことは、上述した想定はあくまで、「倭人伝」
の記述者の解釈に依拠するものであって、当該期の日本列島の実情をそのまま
反映しているかどうかはまた別問題でしょうね。文献史プロパーの意見を参考
にしたいです。

 いっぽう、考古資料からみた場合、当該期に関する年代比定の問題もありま
すが、たとえば高地性集落は弥生時代終末期〜古墳時代前期初頭(庄内式併行
期)には日本列島規模で出土例が激減しており(たとえば庄内式併行期の「高
地性集落」は愛知県の見晴台遺跡ぐらいじゃなかったかな?)、環壕集落も衰
退の傾向にあります。というよりも環壕集落自体がなくなる時期ですね。

 高地性集落や環壕集落の性格をどう捉えるかによって解釈は変動しますが、
少なくとも高地性集落や環壕集落を必要としない社会へと移行した時期として
当該期を評価できますね。また前方後円墳などの古墳の出現も、「倭人伝」に
記述された時期とはそう隔たらないと考えられます。

 さらに、当該期からは遡る時期ですが、環壕集落内部で、方形環壕を伴う
「内郭」とその他の「外郭」の区分が発生している状況(吉野ヶ里遺跡が有名
ですね)から、集落構成員のなかである種の「区分」が成立していた状況を伺
うことができると思います。その「区分」を「階級序列」として解釈すること
も可能でしょう。

(続く)

131 :法師:2001/05/19(土) 23:28
>>79>通りすがりさん

※遅ればせですが、アップしておきます。

そういうことなんですよね。
でも、それ、ややこしいから意味を取り違える人が出ても仕方ない
かな?
要するに「ちがうんだよおおお! ワシはそんなこといっておらん
のだよおおお!」ということなんですが…


132 :法師:2001/05/19(土) 23:29
>>80>?さん
※他からの引用と地の文が区別しにくいので、文責が分かりにくく
 て困ります。他から引用するなら、単なる無断転載とならないよ
 うにするために、引用部分の全ての行頭に、いわゆる引用符(>
 記号など)を添付するようにしてください。

>ここで「方位は正しい」という仮定から「マツロ国は松浦じゃない」って結論が設定されてるよね。

 ちがうんだよおおお!

>って仮定をかけあわせると「方位は正しい、マツロ国は松浦じゃない」って結論が
>「一本道」に出るでしょ?

 ちがうんだよおおお!

※重くて連続書き込みがままならないです。続きが今日書けるかど
 うか分からないですが、その点はご容赦ということで。


133 :法師:2001/05/19(土) 23:30
>>87>通りすがりさん
>>73 より)
> 上記のご発言を、私は様々な予断を含む循環論法を回避するための方法論提
>示として理解しております。

 はい、正にそういった意図です。

>>75 より)
> 議論に関する私個人の感想としては、法師さんの前提仮定はややもすれば容
>易に循環論法に陥る危険性があるので、いかにそれを回避しつつ議論を進展さ
>せていくかという問題にあります。

 証明不能の問題=再現不能の問題=「時間を千何百年戻すと邪馬
 台国ができる」という厳密な意味での証明が成り立ち得ない問題
 =に関しては、当然の帰結として、何らかの意味で論法を循環さ
 せなければ成り立たないわけですが、常にその危険性を意識し、
 循環を少しでも減らす=前提として仮定した事柄の一部が崩れた
 としても、他が諸共に丸崩れにならないように補強する=ことは、
 それが「内容のある論証」といえるための不可欠の要素ですね。

 ご賢察のように、当方の論旨も、循環の危険をはらんだものであ
 ることは、明確に認識しています。関連した具体的なご指摘を、
 これは、通りすがりさんにかぎらず、積極的に期待したいところ
 です。

PS:>>99 >>100 >>110 など、深夜に至るまで、誠にお手数を。


134 :法師:2001/05/19(土) 23:31
>>101>捨てハン1号 さん(ですよね?違っているならお知らせく
ださい)

 当時においても、地球は存在したはずで、海と陸も存在したはず
 です。それは「本質的に証明不能の事柄」なのですが、千何百年
 前に地球が存在せず、海も存在せず、概念として必然的にそれに
 対応するべきところの陸も存在しなかったとするなら、現在にお
 いて観察される事実を整合的に説明することは、ほとんど全く不
 可能となるはずです。

「当時においても地球は存在し、海も存在し、陸も存在した」とい
 う仮定を前提とするのは、何かマズイところがありますか?

※連続で行けるかな?


135 :法師:2001/05/19(土) 23:34
>>108>捨てハン1号さん
>史料には出てこない海流まで読み込んでの想定は
>「現代の「正確な」地図をアプリオリに念頭に置いた」想定にあたらないの?

 ここで「アプリオリ」という用語を使われるのは、理由がどうも
 よく分からないです。たとえば「千何百年前の先祖も地球上にい
 た」という事柄は、アプリオリの認識に基づくものではなくて、
 アポステリオリの経験から導き出されるべき問題のはずで、アプ
 リオリの認識とは次元が異なる問題のはずです。アプリオリの認
 識ならば、たとえば、論理的に整合していると把握される事柄は、
 それ自体が経験的なものでしかありえないところの「論理」に整
 合しているのではなくて、経験に先行して、経験とは無関係に、
 論理的に整合しているものと「規定」しておくこと…などを指す…
 のかな? あれ? 何か違ってるかな? ま いいか。

 ともかく「前提として想定する」というような意味でしょうか?

 当時においても物理的な法則の類いは現在と同じだったという仮
 定を前提とするのは、何かマズイですか? もちろん、「将来的
 に "時代を千何百年戻して" 再確認のための諸々の実験」を行う
 ことは「不可能」ですけど。


136 :法師:2001/05/19(土) 23:34
>>115>?さん
そうです そうです、全くその通りですね。その可能性を、「アプ
リオリ」に排除してしまって、それで…

お天道様(※)に申し訳が立つとお思いかい?

…ということですね。

※仮の例です、仮の例。


137 :法師:2001/05/19(土) 23:34
>>119>捨てハン1号さん
その疑問は、全くごもっともです。

ここで一言。

 ちがうんだよおおお!


138 :通りすがり:2001/05/19(土) 23:46
(続き)

>>115さん(>>129

>親呉倭王のハンコを貰った国はなかったんでしょうか。

 どうでしょう、難しいですね。「魏志倭人伝」が魏を正当的な王朝とする見
地から記述されているので、その他の王朝関係の記述が意図的に省かれた可能
性も強いですから、もしかしたらおっしゃっているようなことがあったかもし
れませんね。
 呉の年号である「朱鳥」銘がある銅鏡が、日本列島の古墳から出土している
状況から判断して、なんらかの関係があったことを想定できるでしょうね。

>当時の大国というのはだいたいどういう場所、地形に町を作っていたのか

 当該期の大規模集落遺跡、たとえば纒向遺跡(奈良県)や比恵・那珂遺跡
(福岡県)を例にしますと、纒向遺跡は奈良盆地の縁辺部、纒向川水系の扇状
地上(あるいは河川堆積によりうまれた微高地上)にあり、比恵・那珂遺跡は
福岡平野の中心部、御笠川と那珂川にはさまれた中位段丘上にあります。いず
れの遺跡も、周囲を囲繞する環壕が検出されていません。集落域を区画するよ
うな溝状遺構が検出されています。

>邪馬台国の魏訪問がヌケガケだったのか倭国統一の兆しの証だったのか、

 「倭人伝」の記述された語句、「共立」や「女王国」あるいは「親魏倭王」
などから判断して、中国王朝は卑弥呼を「倭国」の代表者として認識していた
ようですね。

>魏が誘っただけだったのか、ただの偶然(漂着)だったのかが知りたいです。

 魏による公孫氏攻略の直後に、「倭国」が魏に使節を派遣していることから
判断して、「ただの偶然(漂着)」というよりも当該期の東アジア全体の政治
コンテクストを考慮に入れる必要がありそうです。

>・・結局推理想像するしかないのかなあ。

 現段階で、分かることと分からないことをキチンと区別しさえすれば、ある
程度の解釈は成立しうると思いますよ。


私の単なる感想に過ぎないですが、いったん終わります。

それではー。

139 :通りすがり:2001/05/20(日) 00:40
>法師さん(>>137

具体的なご説明があるとありがたいです。
捨てハン1号さんによる>>119の批判に関しては、
私も同意する点があるので・・・

#ちなみに、私は来週月曜日からしばらく旅に出ます。
#長くて1ヶ月ほどになると思うので、私個人に対する
#ご質問・ご批判などはお早めにお願いします。


140 :法師:2001/05/20(日) 23:41
>>139>通りすがりさん
「地図」と「純粋な地形図/地勢図」を区別するというだけのこと
です。
「旅」とは研究関係のフィールドワークでしょうか。では、続きは、
慌てることもないので、帰られて、整理とかが一段落した後という
ことで。成果をお祈りします。


141 :通りすがり:2001/05/20(日) 23:55
>法師さん(>>140

ご返答ありがとうございます

私の下記の発言(>>121)についてはいかがでしょうか。

>記載内容のなかでグルグルと循環してしまうんですよね。
>再検証の定点が定まっていないですから。
>極めて蓋然性が高い定点を用意しない限り、検討結果は証明不可能に
>なってしまいますね。

私自身がうまく解決策を見いだしていない状況であるので、
上記の私の発言について、法師さんのお考えを伺うことができれば
幸いです。

>「旅」とは研究関係のフィールドワークでしょうか。

はい。しかも僻地です(相変わらず)。ネット環境はないに等しいと
思いますので、しばらくはこちらにアクセスできないと思います。
明日出発ですが、久しぶりのフィールド調査でワクワクしているところです。

それではー。



142 :日本@名無史さん:2001/05/23(水) 11:29
age

143 :日本@名無史さん:2001/05/24(木) 06:46
◆韓国出土の日本系土器は近畿ではなく北陸や九州製

 韓国・釜山市や周辺の三−四世紀の遺跡で見つかり、近畿地方から渡ったとされた土器が、実際は北陸や九州から持ち込まれた可能性の高いことが、考古学者らでつくる「庄内式土器研究会」(代表、奥田尚・奈良県立橿原考古学研究所共同研究員)の調査で、二十三日までにわかった。土器の移動など、畿内勢力が朝鮮半島にも及んでいたというのが、邪馬台国畿内説の柱の一つだが、これを崩しかねない発見で、論争に一石を投じそうだ。 [詳報]

144 :日本@名無史さん:2001/05/24(木) 06:46
◆韓国出土の日本系土器は近畿ではなく北陸や九州製

 韓国・釜山市や周辺の三−四世紀の遺跡で見つかり、近畿地方から渡ったとされた土器が、実際は北陸や九州から持ち込まれた可能性の高いことが、考古学者らでつくる「庄内式土器研究会」(代表、奥田尚・奈良県立橿原考古学研究所共同研究員)の調査で、二十三日までにわかった。土器の移動など、畿内勢力が朝鮮半島にも及んでいたというのが、邪馬台国畿内説の柱の一つだが、これを崩しかねない発見で、論争に一石を投じそうだ。 [詳報]

145 :日本@名無史さん:2001/05/24(木) 06:50
「土器の移動など、畿内勢力が朝鮮半島にも及んでいたというのが、邪馬台国畿内説の柱の一つ」だなんて誰が言ってるんだ?
またもいいかげんなヨタ話か?

146 :日本@名無史さん:2001/05/24(木) 12:34
>143
 奥田氏の分析ははっきり言って眉唾、結論もころころ変わる。それに土器の胎土分析だけで
なぜそこまで断言できるのか疑問。論文等で引用する際はご注意を。



147 :日本@名無史さん:2001/05/25(金) 15:54
仕切やさんがいなくなって寂しくなったな。
ところでまきむくの遺跡がどんどん古くなるのはどういうわけなの?

148 :日本@名無史さん:2001/05/28(月) 00:19
もともと学会の主流派が新しく見せたがってた

149 :日本@名無史さん:2001/05/28(月) 01:09
奥田さんって追手門大学に居た人じゃない?
邪馬台国近畿説だったと思うけど。

150 :日本@名無史さん:2001/05/28(月) 22:08
    

151 :日本@名無史さん:2001/05/28(月) 22:14
奥田さん正真正銘の邪馬台国近畿説でしょ?
っていうより考古学者に九州説はいない。
つまり>>144の記事が変ってこと。

152 :日本@名無史さん:2001/05/29(火) 01:44
あげ

153 :日本@名無史さん:2001/05/29(火) 01:58
九州じゃ九大の西谷スクール以外の考古学者は九州説だぞ。

154 :日本@名無史さん:2001/05/29(火) 03:52
三国呉との通交についても語っておくれ

155 :日本@名無史さん:2001/05/29(火) 06:00
>154
赤烏鏡だけだしねぇ〜。後の日本で中国の事を何故「呉」と
呼んだのかという疑問はあるけど・・。

156 :日本@名無史さん:2001/05/29(火) 06:08
>>153
個人名は?

157 :日本@名無史さん:2001/05/29(火) 06:43
佐賀県教育委員会関係者以外は九州説なんていないんじゃない?変だよあそこ。

158 :風紀委員50:2001/05/29(火) 22:46
告知

荒らし防止のため、これからは以下の規制をこの板全体にかけたいと思います。
つきましては、ご異議のある方は取り急ぎ、「日本史版 風紀委員会」まで
ご意見をお聞かせください。

 <規制案>
proxy規制、ID表示、連続投稿禁止規制、連続スレッド立ち上げ禁止規制
<規制の趣旨>
アラシ行為の撲滅(スレ立てアラシ、スレ上げアラシなどの予防措置)
<異議の受付>
五月三十一日まで・風紀委員会へどうぞ
<規制の実施時期>
管理人に依頼し、できるかぎり早期の実施を予定。

日本史版 風紀委員会
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=990956059

159 :日本@名無史さん:2001/06/03(日) 06:44
佐賀県ってなんで‥

160 :日本@名無史さん:2001/06/03(日) 11:15
ヨシノガリ公園を観光名所として盛り立てたい行政方面の意向

161 :日本@名無史さん:2001/06/03(日) 11:23
そもそも倭人伝みたいないいかげんな資料だけを頼りに解釈するのが間違い


162 :世界@名無史さん:2001/06/03(日) 11:35
>161
同意。
現代ですら、よく外国の本で日本を誤解して書いているものがある。
まして魏の時代に書かれた日本の記述なんて誤解だらけと考えるのが
自然。魏志倭人伝の一字一句にこだわる人のおかしさよ。

163 :日本@名無史さん:2001/06/03(日) 11:41
倭人伝なんて田舎に飛ばされたダメ役人が暇つぶしにいい加減に書いた報告者だよね。
アフリカに飛ばされた商社マンがあることないこと面白おかしく言うジャン
あれと同じようなもんだ


164 :この板に迷い込んだ人:2001/06/03(日) 14:22
「邪馬台国はどこですか」の1はどこ逝ったの?
あるんだったらリンク貼っといて欲しいな。

165 :日本@名無史さん:2001/06/03(日) 21:33
倭人伝だけに頼らない「〜どこですか」スレも欲しいかな。
そして九州と畿内の喧嘩だけじゃなく

166 :大和朝廷のルーツは:2001/06/03(日) 21:37
大分県宇佐市にありました。宇佐神宮の歴史はおもしろいよ。

きちょくれ大分に!!

167 :日木@名無史さん:2001/06/03(日) 22:43
宇佐神宮の歴史は面白いけれど、卑弥呼の墓まで宇佐神宮にあったというのは胡散臭い。
むしろ神功皇后が「天日矛」の末裔で、「隋書」に出てくる「秦王国」と何らかの関連があったと
する方が意外と筋が通るような感じがするが。


168 :通りすがり:2001/06/03(日) 22:55
お久しぶりです。

仕切屋の通りすがりです。

接続環境をなんとか確保できたので、
とりあえず書き込みました。

>>162さん

>魏志倭人伝の一字一句にこだわる人のおかしさよ。

上記のご発言は、私と法師さんの議論に対するものでしょうか。
そうであるなら、私と法師さんの議論に対して、>>162さんご自身の
ご意見をより詳しくお聞かせいただけると幸いです。

可能な限り、ご回答差し上げます。
私の過剰反応だったら、ゴメンナサイ。
ただ、後ろから刺されたように感じたものですから。

>>164さん

1スレは行方不明です。

>>165さん

このスレでいいんじゃないですか。
私と法師さんの議論は思考実験みたいなものですから。


そういえば、勝山古墳の年代観が年輪年代法を用いて
提示されたらしいですね。
邪馬台国論争に直接的に影響するかどうかは別としても、
センセーショナルな報道の先走りを少々心配しています。

それではー。
暇を見つけて書き込みます。

169 :日本@名無史さん:2001/06/04(月) 06:39
>157
吉野ヶ里を迂闊な発表で邪馬台(周辺国の一部)と大々的に報道され、勢いで、
工業団地予定地(当然周辺住民は仕事を得るなどして潤う)を、後には誰も来
なくなるであろう歴史公園にしちゃったもんだから、今更、実は九州説では
ありませんとは口が裂けても言えないんじゃないの?

170 :日本@名無史さん:2001/06/04(月) 07:04
>>157>>169
ここでは、九州説が圧倒的に真面目に説明しようとしているように見えます。
また、10年前の教科書でも九州説が優位でした。

九州説が滑稽無糖で有り得なくなったのはどういうわけなのか、否定的すべき
理由の説明を希望。


171 :日本@名無史さん:2001/06/04(月) 07:05
↑推敲しよう。
否定的???

172 :日本@名無史さん:2001/06/04(月) 11:23
考古学的に遺物の発見は畿内の方が圧倒的に多く、関係ない話も、
本来は畿内否定になる材料まで畿内にあった証拠!!とマスコミがセンセーショナルに
報道するものだから厨房の畿内信者が増え、さらに悪い事には万世一系を奉じる右翼
がまじめな九州説を脅迫的に非難否定している、と言うのが現状。

173 :名無しさん@1周年:2001/06/04(月) 11:47
>>172
妄想も甚だしい、九州説はもはや電波と同じ(w

174 :世界@名無史さん:2001/06/04(月) 12:06
162>168
>私と法師さんの議論に対するものでしょうか。

いえ、このスレの特定の人やご意見、議論を指しての発言ではありませ
ん。
そもそも(失礼ながら)このスレの過去のカキコミもほとんど読まずに
書いたものでした。
魏志倭人伝の一字一句を綿密に解釈したあげくに、トンデモ本を出した
りしている人を揶揄したものとお考えください。そういう人は読者への
影響も大きいと思いますので。
2chのような場で議論する分には、どんな説を展開するのも自由だと
思います。けっして後ろから刺したつもりではありませんでしたが、ご
不快に思われたとしたら、失礼しました。

私自身は、前述のように魏志倭人伝自体が史料としてそう信用できるも
のとは思っていないので、邪馬台国がどこかという問題への文献的アプ
ローチには限界があり、現段階では畿内とも九州とも、断定はできない
と考えています。

三角縁神獣鏡が話題になった時は、私も一時、畿内説に傾きましたが、
(魏志倭人伝で「邪馬台国までの距離がどれぐらい」とか「邪馬台国はこ
ういう国だ」という記述は信用できませんが、「鏡を贈った」というのは
魏側の事情なのでかなり信用できると思います)どうもその後の研究で
は、この鏡にはいろいろ疑問もあるようなので。
今は、今後のさらなる考古学上の発見や研究に期待、といったところで
す。

175 :日本@名無史さん:2001/06/04(月) 13:50
>>170
それは事実でない。九州説は循環論法を駆使したり、出所不明の怪情報を振り回したりで、まじめに議論するそぶりは全く見えない。
恥を知って欲しいと思うばかりである。

176 :日本@名無史さん:2001/06/04(月) 15:06
>>174 万世一系を奉じる右翼や韓国差別主義者がへんてこりんな九州説を唱えて
学会の正式発表を非難否定している、と言う現状もあったりして。
思想話はお互い様なので持ち込まないように。


177 :通りすがり:2001/06/04(月) 17:11
>>174さん

どーも。
適宜、引用箇所の段落部分などを改変しております。

>いえ、このスレの特定の人やご意見、議論を指しての発言ではありません。

 そうでしたか。こちらの勘違いのようでした。失礼しました。
 なお、私と法師さんの議論については、>>73>>75>>99>>100の私によ
る要約をご参照ください。

>私自身は、前述のように魏志倭人伝自体が史料としてそう信用できるものと
>は思っていないので、邪馬台国がどこかという問題への文献的アプローチに
>は限界があり、現段階では畿内とも九州とも、断定はできないと考えていま
>す。

 私自身も、「倭人伝」に対し厳密な史料批判を経た議論が望ましいと考えて
おります。ただ、厳密な史料批判の必要性がすなわち、「「魏志倭人伝」が史
料としてそう信用できるものとは思っていない」と直接的につながるものでも
ありません。

 >>174さんが「倭人伝」の史料価値に疑念を抱かれるのならば、その疑念に
至るまでの経緯を具体的な史料批判を交えて開陳されてはいかがでしょうか。
アカウンタビリティとまでは申しませんが、>>174さんご自身のご意見をでき
るだけ具体的に他者に提示することが、議論の活性化につながり、ひいては
「トンデモ系」の闖入を予防することにもつながると私は考えます。

たとえば、

>三角縁神獣鏡が話題になった時は、私も一時、畿内説に傾きましたが、
>(魏志倭人伝で「邪馬台国までの距離がどれぐらい」とか「邪馬台国はこ
>ういう国だ」という記述は信用できませんが、「鏡を贈った」というのは
>魏側の事情なのでかなり信用できると思います)どうもその後の研究で
>は、この鏡にはいろいろ疑問もあるようなので。

 上記のご発言の場合、距離や「邪馬台国」の社会組織(社会体制)に関する
記述には信頼が置けず、「銅鏡100枚」に関する記述には信頼が置けるという
ご主旨について、結論的な当否はともかくとして、その結論に至るまでの過程
が明示されないことには、第三者側からの反応が非常に難しいと考えます。
 私個人が考える「トンデモ系」の要素として、検討過程を明示せず結論を連
呼する態度というのがありますので、どうしても>>174さんのご発言に引っか
かるものを感じた次第です。ちなみに、>>174さんご自身を「トンデモ系」と
認定しているわけでは「全く」ないことをご理解ください。

議論へのご参加を期待しております。
それではー。

178 :通りすがり:2001/06/04(月) 17:30
>>176さん

どーも。
適宜、改行部分を変更して引用しています。

>>174 万世一系を奉じる右翼や韓国差別主義者がへんてこりんな九州説を唱
>えて学会の正式発表を非難否定している、と言う現状もあったりして。
>思想話はお互い様なので持ち込まないように。

 「学会の正式発表」の存否はともかくとして、「邪馬台国問題」に関して、
昨今のロマン主義的な風潮も災いしてか、とかくイデオロギーの影響を受けや
すいテーマであると私は評価しています。「邪馬台国問題」に関しては、実証
的な検討もさることながら、議論のイデオロギー的側面も重視すべきという立
場を私は採っています。むしろ、「邪馬台国問題」に潜む「政治性」の問題こ
そ、現代において活発に議論されるべきテーマではないでしょうか。科学の客
観性の問題を含めて検討したい問題です。

 なお、関連する話題として、前スレの>>847以降の発言をご参照ください。
本スレの>>4以降に過去ログが掲載されています。

 蛇足ながら、個人的にはいわゆる「畿内説」のほうが万世一系イデオロギー
との親和性が高いと感じます(関連する話題として私の発言、前スレ>>210
ご参照ください)。また「韓国差別主義者」に関しては、むしろ古墳時代の話
題に関して出没が認められるようですね。私自身、前スレで随分苦しめられま
した。

それではー。

179 :日本@名無史さん:2001/06/04(月) 18:08
いまどき神武天皇実在説なんて言ってるのは九州説のF田やY本だけど…
Y本はつくる会系だったっけ?

180 :通りすがり:2001/06/04(月) 18:20
たびたびすいません。
通りすがりです。

書き込めるときに一気に書き込まないと・・・

勝山「古墳」について雑感を。
長文になりましたので、小分けにして投稿します。

1.年代観について

 年輪年代法を用いて、AD.3世紀前半に属する分析結果が出たようですね。相
対年代と絶対年代の性格の相違を踏まえると、さほど驚くような結果ではない
ような気がしますが、「倭人伝」に記述された時期と関連する以上、ある程度
世情を騒がすのも仕方のないことかもしれません。

 ただ、「邪馬台国」の所在地論争に対する影響についてですが、前スレおよ
び本スレで私が繰り返し述べているように、文献史料の「邪馬台国」と考古資
料の「ヤマト政権」が論理的に別次元である以上、慎重に議論すべきと考えま
す。ただ、「卑弥呼」が勝山「古墳」の被葬者に関して、何らかの情報を有し
ていた可能性は否定できませんね。

(続く)

181 :通りすがり:2001/06/04(月) 18:21
>>180の続き)

2.「邪馬台国」は「古墳時代」か?

*勝山「古墳」は「古墳」なのか?

 はじめに、古墳時代の内容規定に関わる問題を考えてみましょう。古墳時代
の重要なメルクマールとして、前方後円墳の出現を考えるならば、勝山「古墳」
が前方後円墳の条件を備えているかどうかが問題になります。すなわち、古墳
時代=古墳の出現という図式ですね。従来、多くの研究者が箸墓古墳をもって、
前方後円墳の出現と意識的・無意識的に評価してきました。埴輪、段築、葺石
などの外部施設、また竪穴式石室(石廓)などの内部施設などの諸条件の総和
として、前方後円墳は規定されています(もっとも箸墓「古墳」が上に挙げた
諸条件を全て備えているかどうかは論議の的です)。

 勝山「古墳」が上記に挙げた諸条件を満たすならば、前方後円墳(すなわち
「古墳」)と認定可能することも可能でしょう。したがって、勝山「古墳」は
古墳時代に属し、かつ「邪馬台国」も古墳時代に含まれると考えることも仮定
上は可能になります(この場合、上記の文献史料と考古資料のレベル差は留保
します)。

 いっぽうで、難しい問題もあります。

 どこからどこまでが古墳なんだ?という疑問です。本レスでは「どこからが
古墳なんだ?」という疑問ですね。

 従来、定型的な前方後円墳として箸墓古墳を評価することで、箸墓古墳の出
現を古墳時代開始の重要なメルクマールと認定してきました。しかし、先ほど
もちらりと述べましたが、箸墓古墳を「定型的」と評価するにはいくつかの問
題があります。埴輪、段築、葺石などの外部施設、また竪穴式石室(石廓)な
どの内部施設などの諸条件の総和として前方後円墳は規定した場合、箸墓古墳
は既定条件の全てを満たしていないのです。たとえば、段築に関しては、3段
築成をメルクマールとした場合、箸墓古墳は後円部は6段ないしは5段築成であ
り、前方部に関しては段築の有無は?です。
 また竪穴式石室(石廓)などの内部施設に関しては、諸般の事情で発掘調査
が困難であるため、不明といわざるをえません。

 つまり、従来、メルクマールと評価された箸墓古墳自体に大きな矛盾を孕ん
でいるわけで、議論の起点に大きな問題を抱えているわけです。

 また、諸条件の総和としてメルクマールを設定した場合、諸条件を完備した
定型的な要素は往々にして、時代の画期には出現しません。箸墓古墳はその最
たるものですね。したがって、諸条件の完備には一度目をつぶり、「ある程度」
条件を備えたものを画期として認定することになります。この「ある程度」の
「程度」に対する評価が、研究者間で意見が分かれる内容です。
最悪の場合、「出た/いや出ない」の議論に陥り、議論が迷走しがちとなりま
す。
 考古学における、特徴的な要素をメルクマールと認定する作業の難しさといえ
ましょう。

 では、果たして勝山「古墳」は古墳なのでしょうか?
 言葉を換えれば、勝山「古墳」は古墳と認定可能なメルクマールを「どの程
度」備えているのでしょうか。勝山「古墳」に限った場合、問題となるのは年
代観よりむしろこのメルクマールの認定作業でしょう。おそらく、研究者間で
早くも意見が分かれていると想像します。

(さらに続く)

182 :通りすがり:2001/06/04(月) 18:47
>>181の続き)

ここで視点を変えましょう。

 古墳時代の内容規定として、前方後円墳などの特徴的な考古資料の出現では
なく、社会構造の前段階からの変化に着目する視点もあります。

 階級社会の成熟、あるいは「国家」の成立をもって古墳時代を規定しようと
する考えです。この場合、前方後円墳などの古墳はあくまで、古墳時代の葬送
活動の一形態として評価されます。人類学経由の「初期国家論」などを踏まえ
て、古墳時代を規定する研究者も最近増えているようです。

 この場合、たとえば「初期国家論」を踏まえた規定で議論となるのは、「国
家」あるいは「初期国家」の内容規定です。また、「国家」あるいは「初期国
家」の概念整備もさることながら、規定された概念と経験レベルの考古資料を
つなぐミドルレンジの検討過程も大きな問題となります。

 つまり、勝山「古墳」は「古墳時代」に属するのか?という疑問に移行する
わけですね。

 「邪馬台国」は「古墳時代」か?という疑問に関しては、上述のように幾多
の関門が控えています。私が危惧する点は上述の問題を飛び越えた、センセー
ショナルな議論の先行です。

 では最後に、「邪馬台国」は「古墳時代」なのか?

 私個人の考えは、勝山「古墳」からは「なんともいえない」です。
 まず第一に、「邪馬台国」が記述された「倭人伝」と考古資料をつなぐ過程
の議論が必要となります。別次元に属する史料・資料である以上、直接的な節
合は議論を袋小路に追い込むだけです。

 また、勝山「古墳」を「古墳時代」に属するか否かについては、上記の問題
が大きくクローズアップされます。当該時期のプロパーではないので、断定的
なことは何も申し上げることはできません。ただ私個人の立場としては、「古
墳時代」の社会全体を視野に含めた概念整備に基づいた、古墳時代観の再構築
を経てこそ、はじめて当該期の評価が可能になると考えています。「日本列島
で食料生産経済が開始された時代」として弥生時代を規定した場合、古墳時代
を特徴的な資料で規定する方式は、論理上の陥穽に陥ると考えるからです。


というわけで、相変わらず煮え切らない発言でした。
長文・乱文ひらにご容赦ください。

ご批判などは、時間の許す限りお答えいたしますので、反論される方は気長に
お待ちくださるようお願い申し上げます。

それではー。

183 :院生:2001/06/05(火) 01:10
>182

邪馬台国云々は、それほど詳しいわけではないが、
結局、畿内説が有利になったというのは、池上曽根遺蹟やら今回の勝山古墳の木材の年輪測定
により、畿内の古墳時代が繰りあがったからと聞いている。

しかし、年輪測定法は、本来「伐採年数」しか明らかにしないものだ。
木材というのは、土器と違って再利用がありうるし、他所からの移築などざらに
ある。古建築をやっている人間なら「伐採年数=建立年数」などとは思わないものだ。
そもそも、法隆寺や極楽坊の事件を見ていると「伐採年代」自体ちゃんと測定できるのかあやしそうだが。

このようないい加減な証拠で畿内の古墳時代を繰り上げるというのは、無謀としかいいようがない。
特に、橿原研の連中がマスコミにリークしまくって畿内説で決着というムードを作り出しているのは、
学者としてどうだろうか?

そういえば、最近旧石器時代が繰り上がったことがあったね。


184 :>182:2001/06/05(火) 01:23
箸墓は、定型化してないと言うが、
段構成が少し違うくらいでほかは、そんなに違わないでしょ。
前方部にも正面には段があるし、竪穴であることはほぼ間違いないでしょ。

185 :日本@名無史さん:2001/06/05(火) 01:25
勝山だって、類似のが周りにいくつもあるわけだし、何が問題なの?

186 :世界@名無史さん:2001/06/05(火) 12:56
174>177

軽い気持ちで書いたのが発端で、なんかとんでもないことになってきたような。

>「トンデモ系」の要素として、検討過程を明示せず結論を連
>呼する態度というのがありますので、どうしても>>174さんのご発言に引っか
>かるものを感じた次第です。

ごもっとも。こりゃ、私もトンデモ本の作者のことを笑えないですな。
以後は気をつけることにします。

ちなみに私は、綿密に魏志倭人伝を読み込んで、ここはこういう根拠で信用できな
い、などときちんと考察したわけではありません。
情報の発達した現代ですら諸外国の日本に対するイメージや日本の記述に甚だしい
誤解があることが多いことから類推し、中華以外の人間には偏見も激しかったであ
ろう魏の人が、言葉もろくに通じなかったであろう倭人の国の位置や社会について
書いた書物にもさぞ誤解が多かったことだろうという程度です。
検討過程の開示もなにもあったものじゃないですな。

>議論へのご参加を期待しております。

造詣の深いみなさんの意見を読んでいるうちに、素人考えで偉そうなことを書いた
のが恥ずかしくなりました。以後はみなさんの議論に口ははさまず、拝見するだけ
にさせていただきます。
お騒がせしました。

187 :日本@名無史さん:2001/06/05(火) 13:38
ずいぶん以前から「古墳の年代観はC14や年輪年代によって不当に繰り上げられているが、そんなのはエセ科学だ!」式の発言を繰り返している人がいるが、口調から同一人物だと思われ。
もじろん事実は「祟神天皇は紀年論によれば何年の人だから祟神陵は何年ごろ築造」式の考えが見直され、徐々にしりぞけられてきただけ。
嘘の宣伝や「陰謀だ!」式デマに注意。

188 :日本@名無史さん:2001/06/05(火) 19:15
邪馬台国の時代に畿内に都市があったとしてもそれが
邪馬台国とは限らない。
邪馬台国が畿内にあったとしてもそれはその後の大和
政権ではない。

189 :日本@名無史さん:2001/06/05(火) 19:20
邪馬台国の時代に畿内に都市があって
99%それが邪馬台国だが
それはその後の大和政権とは限らない。


190 :院生:2001/06/06(水) 00:05
>187

エセ科学とは思わないが、年輪測定法はその「伐採」年しか判明できないものであり、
これをもって、古墳時代の繰り上げは、無謀だと言っているんだよ。

偉そうな口を叩く君は、法隆寺や極楽坊の件をどう思っているのかな?
あんな恥ずかしいことがあっても口をぬぐっているつもりかね?

191 :>187:2001/06/06(水) 00:28
C14の測定では九州の須恵器が弥生時代という結果が出てしまうとの噂が
ありますが、本当でしょうか?
もしそうなら現行の年代測定に補正が必要ではないでしょうか?

192 :日本@名無史さん:2001/06/06(水) 01:17
>>190
馬鹿で困る。>>187は年輪測定法で古墳時代が繰り上げられてるんじゃないと言ってるのは中学卒業程度の国語力があれば理解可能。
ほんとに院生?相当偏差値低い大学?

193 :院生:2001/06/06(水) 01:26
>192
勘違いなら申し訳ないが、187でいわれていることは、ちょっと違うと思うが。

194 :日本@名無史さん:2001/06/06(水) 01:40
やはり馬鹿

195 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 01:17
器内説信者は、反論できず逃亡かよ

196 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 01:20
畿内です

197 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 01:24
わけもわからずただ駄々こねられてもねぇ。
関係ない話されて反論しろって言われても困る。

198 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 01:27
やはり逃亡だな

199 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 01:44
言ってることがわけわからん。
年輪測定法で古墳時代が繰り上げられてるんじゃないことは、ちょっと調べればわかるはず。
自分で創作して、創作した架空の敵を否定して、さあ反論しろって言われたって
だれも反論しないけど。

200 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 01:45
>>195
スレ違いだよ。

201 :大室寅之祐:2001/06/07(木) 01:59
邪馬台国が九州にあったことを隠すために、わたしが明治天皇になりました。


202 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 09:12
>>183
>木材というのは、土器と違って再利用がありうるし、他所からの移築などざらにある。
>このようないい加減な証拠で畿内の古墳時代を繰り上げるというのは、無謀
>特に、橿原研の連中がマスコミにリークしまくって
>畿内説で決着というムードを作り出しているのは、学者としてどうだろうか?


いいかげんなデマ中傷はやめてくださいね。ここはまじめに議論する場であってほしい。

(奈良新聞 2001年5月31日)寺沢薫・県立橿原考古学研究所調査第1課長は
「木材を加工して使うまでの期間が不明。転用の可能性もあり…」
と慎重な姿勢

203 :通りすがり:2001/06/07(木) 12:47
どーも。
なんか揉めてますね。
手短に。

>院生さん(>>183)

>邪馬台国云々は、それほど詳しいわけではないが、
>結局、畿内説が有利になったというのは、池上曽根遺蹟やら今回の勝山古墳
>の木材の年輪測定 により、畿内の古墳時代が繰りあがったからと聞いている。

 実年代の解釈云々の「邪馬台国問題」に対する直接的な影響については、そ
れほど大きく考える必要はないと思います。
 強いていえば、「邪馬台国」に関する「倭人伝」の記載内容と近い時期の考
古学的な情報が増えたという程度でしょうか。

 年輪年代法に対するご批判についてですが、むろん伐採年代と使用年代の誤
差を視野に含めた解釈が調査担当者により提示されていると思いますが、いか
がでしょうか。>>202さんのご発言の通りですね。
 どちらかというと、院生さんのご発言は、年輪年代法に対する「紋切り型」
の批判の典型的なものですので、まあ余り相手にしたくない部類ですね。

>このようないい加減な証拠で畿内の古墳時代を繰り上げるというのは、無謀
>としかいいようがない。

なるほど、「いい加減な証拠」ですか。

>特に、橿原研の連中がマスコミにリークしまくって畿内説で決着というムー
>ドを作り出しているのは、 学者としてどうだろうか?

べつに橿考研の方々は「畿内説で決着」とは考えてないと思いますよ。
というよりも、「邪馬台国」の所在地論争自体にそれほど大きな関心を払って
ないと思います。知人も何人かいますし。

あの・・ 一つお聞きしたいのですが、あなた本当に「院生」ですか?
煽るつもりは全くないのですが、ご発言のレベルがちょっとアレなので。
少なくとも考古学がご専門ではないですよね?
まあ、院生といっても本当にピンキリですので、なんともいえませんが。

それでは。

204 :通りすがり:2001/06/07(木) 12:58
>>184さん

>箸墓は、定型化してないと言うが、
>段構成が少し違うくらいでほかは、そんなに違わないでしょ。

「そんなに違わない」の内容が問題となるわけですね、この場合。

>前方部にも正面には段があるし、

前方部側面の段築の存否はいかがでしょうか。
といったように、各要素の存否を問題にした場合、視点が些末になる傾向
>>181で指摘したつもりなのですが・・・

もう一度、>>181の私の発言を引用します。

----------------------------------------------------------------------
したがって、諸条件の完備には一度目をつぶり、「ある程度」
条件を備えたものを画期として認定することになります。この「ある程度」の
「程度」に対する評価が、研究者間で意見が分かれる内容です。
最悪の場合、「出た/いや出ない」の議論に陥り、議論が迷走しがちとなります。
 考古学における、特徴的な要素をメルクマールと認定する作業の難しさとい
えましょう。

----------------------------------------------------------------------

う〜ん、>>180−182の私の発言は分かりにくかったかな?
どちらかというと、方法論上の問題点を重視して、古墳時代の画期設定の
難しさを述べたのですけど・・・

205 :名無しさん@ピンキー:2001/06/07(木) 13:09
九州で一番大きな古墳が宮崎にあるだろ。そこが卑弥呼の古墳だ!
邪馬台国は西都原!!(昔、黒板勝美というバカな教授が土を盛って卑弥呼の墓を隠蔽した。歩径100歩だろう。みてみろ!!)

206 :名無しさん@ピンキー:2001/06/07(木) 19:23
何を!

207 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 19:33
なりすまし、煽りは井沢スレにてお願いします。

208 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 20:03
>>207
<`∀´>、他スレ来てまで井沢板の煽りか?

209 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 20:13
>べつに橿考研の方々は「畿内説で決着」とは考えてないと思いますよ。

方々ではないかもしれないが、約一名、困ったちゃんがおるのではないか。
しかも、いつの間にやら昇進したらしい。

これが司馬懿が太傅に昇格したときのような事実上の左遷であればいいのだが。

210 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 21:03
煽り中傷おことわり

211 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 00:00
煽るつもりはないが、どうしてあの記者発表資料からご存じのとおりの報道になるのか、
ちょっと考えたほうがいいんじゃないか。そうとう問題じゃないかね。
変な風に考古学に対する不信感を煽ることにもなってるし。

断っとくが、おれは九州説じゃねぇぞ。本当に心配してるんだ。

212 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 00:32
いまどきそんなニュースバリューある話でもなし、騒ぎすぎ。
過剰反応して逆デマ流す輩も現れる始末も困ったもの。

213 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 00:47
じゃあ聞くが、畿内説で決まりだって情報流したの誰だ?
発表資料にゃ、そんなこと一言もないだろ。

214 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 00:53
記者発表資料は記者発表資料 報道は報道
まともな研究者が報道資料をもとに研究するわけでもなし

もっとも,日経読んで経済理論組み立てるような(たとえ話だよ)者が
研究者やってるつーなら話は別だけど


215 :>210:2001/06/08(金) 01:42
そりゃあ、寺沢はそうかもしれんが、所長はどうかね。
煽りに乗ってしまうマスコミもいかんけどさ




216 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 01:44
>>213
じゃあ聞くが、畿内説で決まりだって情報流したの誰だ?
名前と発言内容を記せ。

217 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 01:48
結局悪いのは、マスコミであろうか?しかし樋口は、いまだに△鏡魏鏡説を唱える
電波だけに、どうも疑っちゃうね。橿原研にもいろいろいるけど。



218 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 01:49
魏鏡だよ。

219 :>203:2001/06/08(金) 01:50
「文切型の批判」にもあんたらがまともに答えられないことがこのスレッドで判明したな

220 :>218:2001/06/08(金) 01:51
電波発見

221 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 01:55
邪馬台国は、エジプトです

222 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 01:59
>>219
単なる決め付けや中傷で、まるで批判になってないでしょ?

223 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 02:00
>>220
これも電波電波と連呼するだけで理由を述べられない。

224 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 02:00
倭人伝みたいないい加減な資料元に古代史の研究をすんのが間違いだと思うけど
記紀をちゃんと研究する方法をとった方がマシだよね。

225 :>223:2001/06/08(金) 02:01
ほう、面白い、あんたが△を魏鏡とする理由を伺おうじゃないか。
教えてくれよ

226 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 02:03
>>225
先に魏鏡じゃないと言った人が理由を書いてね。

227 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 02:05
>>225
それじゃ、おやすみ。
今夜のうちに魏鏡じゃないという理由を書いといてね。あした読んであげるから。ばいばい


228 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 02:37
>>223
そうだね。

229 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 07:04
なんか三段論法みたいな別の結論を引き出す意図があるからこうして
畿内と九州は争うのかね?それとも2チャンだから?


230 :通りすがり:2001/06/08(金) 07:36
う〜ん・・・・
なんで荒れるかなあ。

ちょっと軌道修正。

私が>>180−182で指摘した方法論的な問題に関しては、
どなたからもコメントをいただけないのでしょうか?

#やっぱり2chだと無理かな・・・

231 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 08:39
>方法論的な問題
 考古学で,必要十分条件を備えた定義なり分類をするのは
 容易ではなさそう
 これが,「これは,Aという類型の墳墓,これがBという類型の墳墓」て言ってるうちは格別
 ここからが,古墳で,ここからが古墳時代で,ここから政治体制が
 なんて言われだした日には (極端な話しです)

 抽象化,法則化が望ましいし必要なのはいうまでもありません。
 ただねー
 もっと,資料をきっちり収集,評価して とは思ってますよ。


232 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 08:50
>>230
少なくとも真剣に読んでもらうには、省略されない長さで簡潔にまとめることが必要だね。

233 :通りすがり:2001/06/08(金) 08:57
>>231さん

コメントありがとうございます。

特徴的な資料をメルクマールにした画期設定の
問題点を指摘したのですが、おっしゃるとおり
そう簡単な問題ではありませんね。

ただ考古学の特性上、特徴的な資料を
メルクマールにする限り(むろん、Childの文化定義に
従えば特徴的な資料による画期設定にならざるをえない部分が
あるのですが)、画期設定において「ある/なし」の議論に陥り、
コンテクストを視野に含めた議論が進展しないと考えるのですよ。

また、抽象化、一般化の必要性はまた別の問題と考えます。

>もっと,資料をきっちり収集,評価して とは思ってますよ。

この点はおっしゃるとおりです。
その一方で、画期設定の問題は実証性とはまた異なる次元で
検討が進められるべきとも考えています。
ただ蓋然性の問題もあって、難しいところですが・・・
いずれにせよ、考古学とは因果な商売ですね。


234 :通りすがり:2001/06/08(金) 08:59
>>232さん

ごもっとも。

言い訳になりますが、極力ミスリーディングを避ける目的で
あえて長文投稿を意図しています。
ただ、それが読みやすいか否かは別問題ですね。
気をつけます。


235 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 10:42
ミスリーディングを避けるには、やはり適度な長さと明快さだと思う。
相当程度の低い読者を念頭に置くという話ではなく、行政向けの文書なんかでも30秒で読める分量とか要求されませんか?

236 :通りすがり:2001/06/08(金) 13:00
>>235さん

ご指導ありがとうございます。
できれば、具体的な指摘があるとありがたいです。
たとえば、>>180−182の私の発言の内で該当の問題箇所は
いずれでしょうか?


237 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 13:42
>>235
つーか、2chは行政向けの体裁なんて関係ないだろ。
いやなら、あんたが読まなきゃいいだけじゃん。
俺は別に長文でも構わないけど、あんたの国語力を
基準にされても困るな。偉そうに。

もう来ないでね。

238 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 14:27
簡潔でよろしい。馬鹿そうだが。

239 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 15:13
>通りすがり

あんたも律儀に対応しすぎだって!
文句だけしか言えないやつは放置に限る。

まあ、律儀なあんたがいてこそ、このスレも盛り上がることは
否定できないけどさ。

240 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 15:39
>>236
 端的に言えば、箸墓を画期とする考え方を否定するようでありつつ勝山を古墳と認めるでもなく、第三の立場を表明するかと言うと「古墳時代観の再構築」を待たねばならぬと結論が先送りになっているわけで、そこに自分なりの展望が見えないというか、うにゃうにゃと言うか、二千六百字余りを費やして煮えきらん!と言おうとすると自分でそう言ってるわけで、もちっと歯切れよく語らんかい!というところですな。

「日本列島 で食料生産経済が開始された時代」と弥生時代を規定してよいのかという問題もこれありですが、古墳プロパーの人は実際には「古墳時代を特徴的な資料で規定する方式」ではなく、「特徴的な資料」を通じて再構築した政治的関係で古墳時代を規定しているのではないでしょうか?でなければ纒向型は墳丘墓だが庄内式は土師器という矛盾が生き続けているわけはないのでは?


241 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 15:41
>>239
律義でないあなたにも良いところはある。
簡潔でよろしい。とても馬鹿そうだが。

242 :通りすがり:2001/06/08(金) 16:26
>>240さん

どーも、ご丁寧に。

>「日本列島 で食料生産経済が開始された時代」と弥生時代を規定してよいの
>かという問題もこれありですが、

 佐原さんの定義に依拠しましたが、もちろん問題はあるでしょう。
 特徴的な資料に基づく画期設定に対するアンチテーゼとして、挙げたまでで
すのであまり深い意味はないですね。

>古墳プロパーの人は実際には「古墳時代を特徴的な資料で規定する方式」で
>はなく、「特徴的な資料」を通じて再構築した政治的関係で古墳時代を規定
>しているのではないでしょうか?

 「「特徴的な資料」を通じて再構築した政治関係」が「古墳時代を特徴的な
資料で規定する方式」と同義であることにはお気づきでしょうか?
 よーく考えてみてください。ヒントはあげませんよ。

>もちっと歯切れよく語らんかい!というところですな。

 歯切れの良い言葉(たとえば「政治関係」なんかね)を使用して、説明でき
ればどれだけ楽か・・・
 特徴的な資料を通じて、その歯切れの良い「政治関係」とやらはいかにして
解釈・復元しうるのでしょうか。ぜひご教示願いたいですね。

 >>240さんはきっとコンテクストといった言葉とは無縁の世界の住人のよう
で、まったくうらやましい限りです。私も学生のころ(学部生ぐらいだったか
な)はそうでした。わかりますよ、お気持ちは。

それではー。

243 :通りすがり:2001/06/08(金) 16:29
>>239さん

どーも。

>あんたも律儀に対応しすぎだって!
>文句だけしか言えないやつは放置に限る。

それはそうなんですが、「分かってないなあ・・・」と感じさせる発言には
むやみに反応してしまいますね。
しかも、同業者ほど無力感を感じさせる発言をなさるようで、業が深いですよ。
いわゆる「日本考古学」というやつは。


244 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 17:10
>>242
「分かってないなあ・・・」の人なんだからヒントなんかではなく詳説してください。
それでは「古墳時代を特徴的な資料で規定する方式」とは具体的にどういうことでしょうか?
具体例でお願いします。

245 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 17:11
(追伸)できれば比較的簡潔に。(拝)

246 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 17:34
てゆーか、更に端的に言えば、せめて
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
がでないように配慮してちょーよ!読みにくうてかなわんって言ってるだけなのに
なんでボロクソ言われんとあかんの?

247 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 17:41
てゆーか、更に「ばかにもわかるように平明に書いてちょ」って言うと
また2ch読者なめとんのかとか言われるだろと思って
プロパー研究者なら予算がどーとかで役所に出す文書だった書くだろうから
役人相手にもこんな文章書くの?ってグチたれたわけよ。
プライド高いなら謝るし頭も下げるから簡潔明瞭端的直截に自分の考え書いてよ。
匿名掲示板なんだからいーじゃん!

248 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 17:46
まともな人間すくないんだから、よりまともであってほしいわけよ。

249 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 18:33
>>214
>記者発表資料は記者発表資料 報道は報道
>まともな研究者が報道資料をもとに研究するわけでもなし

まともな研究者と、報道のみが頼りの一般人との間の情報の乖離が問題だといってるんだがね。
何も知らない人が読んでもおかしいと思うような理屈で
“3世紀のごく初めに古墳が存在することが決定的”何てことを言うから、
それを読んだ読者が考古学ってのはこんないいかげんなもんなのかと思ってしまう。
藤本捏造事件の直後だけになおさらな。

>もっとも,日経読んで経済理論組み立てるような(たとえ話だよ)者が
>研究者やってるつーなら話は別だけど

そういう自称研究者が実際におるわけだ。安本とかな。
で、報道は明らかにおかしいから、新聞記事をもっともらしい理屈で叩いてやれば、
安本マンセーになるわけだ。

その揚げ句、考古学など信じるに足りない。考古学者の言うことなど無視
して邪馬台国は九州じゃ〜〜〜という連中が後を絶たない。

問題だと思わないか?


原文付けとこ。新聞に載った橿考研某氏の話だ。名前は伏せておくが、モロわかりだろ。

「 3世紀のごく初めに古墳が存在することが決定的になり、成果を高く評価した
い。ホケノ山古墳は出土した鏡などから3世紀中ごろまでの古墳と考えられ、こ
のころ纏向遺跡に古墳が点々としていたことがいろいろな方法で確かめられた。
2世紀代の古墳も予測でき、古墳の発生とかかわる国家の起源も古くなり、大和
政権の成立は約1世紀さかのぼることになると思う。3世紀の卑弥呼が活躍した
時代と、立派な古墳の発生が重複している。邪馬台国大和説を補強する材料が
出てきたと考えている。 」

また、テレビでは

「中国文献に邪馬台国がかかれているその同時代にこのような大きな古墳があることが証明されている。邪
馬台国とどう関係があるのか、関係ないという方が難しい。これで邪馬台国論争に、決着がついたんじゃないかとも
思いますけど」

と言ったらしい。

この男、ホケノ山のC14でもミソ付けたヤツだ。このときはホケノ山について

「ホケノ山古墳は3世紀中ごろと発表したが、今回の測定結果から築造も3世紀前半と見ていいだろう」

と言っていた。なんだこのいいかげんさは。


250 :>214:2001/06/08(金) 18:33
>>214
>記者発表資料は記者発表資料 報道は報道
>まともな研究者が報道資料をもとに研究するわけでもなし

まともな研究者と、報道のみが頼りの一般人との間の情報の乖離が問題だといってるんだがね。
何も知らない人が読んでもおかしいと思うような理屈で
“3世紀のごく初めに古墳が存在することが決定的”何てことを言うから、
それを読んだ読者が考古学ってのはこんないいかげんなもんなのかと思ってしまう。
藤本捏造事件の直後だけになおさらな。

>もっとも,日経読んで経済理論組み立てるような(たとえ話だよ)者が
>研究者やってるつーなら話は別だけど

そういう自称研究者が実際におるわけだ。安本とかな。
で、報道は明らかにおかしいから、新聞記事をもっともらしい理屈で叩いてやれば、
安本マンセーになるわけだ。

その揚げ句、考古学など信じるに足りない。考古学者の言うことなど無視
して邪馬台国は九州じゃ〜〜〜という連中が後を絶たない。

問題だと思わないか?


原文付けとこ。新聞に載った橿考研某氏の話だ。名前は伏せておくが、モロわかりだろ。

「 3世紀のごく初めに古墳が存在することが決定的になり、成果を高く評価した
い。ホケノ山古墳は出土した鏡などから3世紀中ごろまでの古墳と考えられ、こ
のころ纏向遺跡に古墳が点々としていたことがいろいろな方法で確かめられた。
2世紀代の古墳も予測でき、古墳の発生とかかわる国家の起源も古くなり、大和
政権の成立は約1世紀さかのぼることになると思う。3世紀の卑弥呼が活躍した
時代と、立派な古墳の発生が重複している。邪馬台国大和説を補強する材料が
出てきたと考えている。 」

また、テレビでは

「中国文献に邪馬台国がかかれているその同時代にこのような大きな古墳があることが証明されている。邪
馬台国とどう関係があるのか、関係ないという方が難しい。これで邪馬台国論争に、決着がついたんじゃないかとも
思いますけど」

と言ったらしい。

この男、ホケノ山のC14でもミソ付けたヤツだ。このときはホケノ山について

「ホケノ山古墳は3世紀中ごろと発表したが、今回の測定結果から築造も3世紀前半と見ていいだろう」

と言っていた。なんだこのいいかげんさは。


251 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 21:48
で、KKKのK部長の発言のどこが問題?

252 :日本@名無史さん:2001/06/08(金) 23:59
>250
 まともなやつは理解してるだろうし,そうでないのはそれなりに
 いずれにしても,別スレ立ててそこでやったら

253 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:07
ちゃんとスレ読めよ。

一つは、>>216 の『名前と発言内容を記せ』に答えたものだ。

それから、今回の結果は、非常に問題が多い。多くのことを吟味しなければ結論には至らないだろう。
ひょっとすると、謎のまま残るかもしれない。だから今の段階で、

>3世紀のごく初めに古墳が存在することが決定的になり
>2世紀代の古墳も予測でき、
>大和政権の成立は約1世紀さかのぼることになると思う。

などいう乱暴なことが言えるはずがないのだ。まともな研究者ならな。
記者発表資料だって、『勝山古墳の推定築造年代を3世紀前半の中におさまるものと考えたい。』
という、抑制の効いたものだ。

それから、かつてC14の結果をもとに自分でホケノ山の年代を三世紀中頃から
三世紀前半にあがると発表しておいて、今度は知らんぷりして3世紀中ごろまでの古墳と言っている。
それじゃあ、前の発表はなんだったのってことになるだろ。

254 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:11
>変な風に考古学に対する不信感を煽ることにもなってるし。
たとえば ?
君の不信感か ?

255 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:18
たとえば、

ttp://cgi.din.or.jp/~washi/cgi-bin/board/read.cgi?file=0061010101

どうも、この勝山の発表で腹に据えかねたらしい。
書いてることはデタラメだがな。
もう少しまともな報道だったら、この投稿はなかっただろう。

256 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:32
>>253
>一つは、>>216 の『名前と発言内容を記せ』に答えたものだ。

216 ってこれ?
>>じゃあ聞くが、畿内説で決まりだって情報流したの誰だ?
>>名前と発言内容を記せ。

これへの答えだっていうなら >>250 の引用には
「畿内説で決まり」とかぜんぜん書いてないじゃん?

>三世紀前半にあがると発表しておいて、今度は知らんぷりして3世紀中ごろまでの古墳と言っている。

河上は同じ文章の中で「3世紀中頃」とも「AD200年からAD245年」とも書いてるから中ごろというのは具体的には40年前後あたりを指してるんじゃないの?
べつに知らんぷりして修正してるんじゃなくて「中ごろ」という言葉があいまいなだけじゃないの?


257 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:34
「年輪測定法の問題性」と
「記者発表資料とKKKのK部長の発言との乖離」とが
どうリンクするんだろ


258 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:34
コヴァ信者は、やはり逃亡したな。
さすがに、2ちゃんねるで特鋳説を袋叩きにされるのは避けたいらしい。

259 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:38
しかし、このスレッドの畿内説の人は、年輪測定法で古墳時代が繰り下がったのではないと
主張しているようだけど、ほかの理由なんてあるの.


260 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:38
>「畿内説で決まり」とかぜんぜん書いてないじゃん?

って

>これで邪馬台国論争に、決着がついたんじゃないかとも思いますけど」

書いてあるじゃん。

261 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:40
>>227
>それじゃ、おやすみ。
>今夜のうちに魏鏡じゃないという理由を書いといてね。

といわれた人が理由を書かずに逃亡しちゃったからあきれて立ち去ったんじゃないの?

262 :>257:2001/06/09(土) 00:43
今回の問題は年輪年代法の結果の評価の問題だろ。
で、それをそのまんま認めて

>3世紀のごく初めに古墳が存在することが決定的になり、

って言ってるだろ。
で、こういう風に安易に考古学者は年輪年代を信用してしまうものだと思いこんでしまったのだな、
彼の御仁は。

それにしても一人で四方八方を相手にするのは疲れた。
頼むから、もう少しまともに読んでくれ。

今日はもう寝る。

263 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:43
>>260
「と言ったらしい。 」と書いてあるけど?

264 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:44
>>263
放送を見たわけじゃないからな。
ヤフーニュースにあったんだ。でどこは、朝日放送。もう消えてるけど。

265 :>261:2001/06/09(土) 00:45
つーか、中国の考古学会で完全に否定された時点であの人たち終わってんじゃない

266 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:50
>>255
>どうも、この勝山の発表で腹に据えかねたらしい。

過去ログを見ると、この人はだいぶ前からこのての発言を繰り返してる様子。
常習の確信犯かも。

>書いてることはデタラメだがな。

御意。

267 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:51
「考古学関連情報」
(記事作成2001年1月17日)
◎「年輪測定法」めぐり真偽論争
=次々とさかのぼる年代に「弥生時代見直しを」=
ー「クロスチェック必要」との慎重論もー

 「年輪年代測定法」と呼ばれる新しい年代特定法によって、弥生時代などの遺跡の年代を測る試みをめぐり、考古学界で真偽論争が続いている。遺跡から出土した木製品をこの方法で測定したところ、土器様式を基に割り出した年代よりも100―200年も古い年代とされるケースが相次いでいるためだ。従来の考古学的手法が信用できるのか、年代測定法の方が正確なのか、決着が付くまでは時間がかかりそうだ。
 年輪年代法は、樹木の年輪幅が年代によって異なることに着目。年輪を1年ごとに測って、パターン化した「年輪の物差し」を木製品に当てはめて、使われた木材の伐採年を知る方法だ。
 もともとは、米国で考案された手法で、1929年、40カ所以上のインディアンの遺跡から出土した木製品に適用し、年代を特定することに成功。以後、欧米で幅広く採用される年代測定法となった。しかし、日本では、地域によって気候や地形が複雑なので、年輪の出現パターンを標準化するのが難しく、「年輪物差し」の作成は困難とされていた。
 この難問に挑んだのが、奈良国立文化財研究所の光谷拓実発掘技術研究室長だ。約20年前から、日本の気候や地形などを考慮した独自の年輪年代測定法の研究を続け、1990年代には現場に応用できる手法を完成させた。
 そして、「考古学に新たな1ページを開く」と注目される測定結果が得られたのが、1996年のこと。弥生時代の大阪府池上曽根遺跡から出土したヒノキ製の柱を紀元前52年の伐採と確定、一緒に出土した土器の様式では紀元後50年ごろとされており、通説を100年もさかのぼらせ、考古学界に衝撃を与えた。
 その後も、同じ弥生時代の下之郷遺跡(滋賀県守山市)や武庫庄遺跡(兵庫県尼崎市)などで、通説よりも「100年―200年」も古い年代測定結果を出し、その真偽をめぐって論争が巻き起こった。
 奈良女子大の広瀬和雄教授(考古学)は、年輪年代法を支持した上で、「弥生時代の始まりが従来の紀元前4―3世紀から、紀元前7―6世紀にさかのぼる可能性が出てきた。水田稲作の伝来時期も古くなるのでは」と期待を込める。
 一方、奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫調査第一課長は、伐採後に木材が使い回しされたケースなども想定できるため、「年輪年代は遺構の年代よりも古く出ることもある」と問題点を指摘。さらに、「木材の樹皮のすぐ下の最終年輪が残っていない木製品の年代は推定にすぎない」とも話し、ほかの年代測定法との厳密なクロスチェックをする必要性を強調する。
 年輪測定法が日本の考古学に登場してまだ数年しかたっておらず、「クロスチェックを積み重ねて、十分なデータに基づいてその真偽についての結論を出すべき」というのが、考古学界の大方の意見だ。(了)



268 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:58
>>265
そういう事実はないようです。

269 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 00:59
安本が言い始めじゃないけど北九州と畿内の地名の一致ってのは、まともに研究すべき話だよね。
なぜ彼以外あまり言わないのかね。



270 :>268:2001/06/09(土) 01:01
「完全」ではないが、「ほとんど」は否定してる。
少なくとも否定派が主流であることは間違いない。
言い逃れはやめろ、コヴァ信者



271 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:15
特鋳説って若草伽藍が発見された後に、「2寺説」などという珍妙な理論の法隆寺非再建説を
唱えていた連中そっくりなみじめさだな。
いくら師匠が言っているからってこんなもん唱えて赤面せんのかね


272 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:28
主流であることが間違いないなら、主張している学者の名前を3名以上挙げよ。

273 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:29
>>269
そりゃ、どっちがオリジナルの地名だか確認する方法がないんだから
まともな研究者は言わんよな。

274 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:31
>>271
中古鏡を下賜したって説ほどみじめでもなさそうだが。

275 :>273:2001/06/09(土) 01:33
それはそれでちゃんと検証すべき問題だよね。
畿内の地名を九州につけたにしろさ。


276 :>274:2001/06/09(土) 01:35
いや、そっちのほうがまだ説得力あるよね(笑)
考えすぎると嘘っぽくなるって典型だよね

277 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:35
>>270
コヴァって呼ぶのやめてくれる!?ゴー宣みたいでやだ。
ユッキーって呼んでくれや。

278 :>275:2001/06/09(土) 01:37
確認する方法がないもんはしゃーないがや。

279 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:38

あれって斉明天皇が朝倉に都移したときに九州に畿内の地名をつけたんじゃないの


280 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:39
ぜんぜん「倭人伝を読む」になってないぞ。
別スレ行こう!

281 :>280:2001/06/09(土) 01:43
倭人伝のようないいかげんで短い資料で古代史解明など無理無理


282 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:46
コジキ・ニホンショキを読め!ですかニシオカさん。

283 :>278:2001/06/09(土) 01:46
いくらでもあると思うが。
都合の悪い事実を隠蔽しようとする畿内説コヴァ信者の癖が出たな

284 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:46
もう荒らすなよ。通りすがりが泣くぜ!

285 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:48
>>283 あるなら心の中で思ってばかりいないで書いてみ!

286 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:48
なあ!他のスレでやろうぜ!

287 :>282:2001/06/09(土) 01:51
昔の本読むとさ、「記紀は、天皇制イデオロギーを支えるため捏造が多い」
とか書いてるジャン。
でも、そんなこと言ったら、倭人伝だって中華思想に基づいて書かれてるわけでさ、
ほとんど意味のない言説だよね。古代にイデオロギー的でない書物なんかあるわけねえよ。
その挙げ句、「騎馬民族がやってきた」とかになっちゃうんだからあきれる


288 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:52
わかった。おれ(魏鏡論者)はここからおさらばする。(そしてもう寝る)

289 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 01:54
イデオロギーどうこうでなく史料の鮮度の問題でないの?
記紀上代は出来事と執筆までの間があきすぎ。

290 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 02:00
結局あれかね。九州説さんは倭人伝は捨てて記紀で邪馬台国を解明しようって方向?

291 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 02:01
・・・と、さりげなく倭人伝に戻ろうとする・・・

292 :>290:2001/06/09(土) 02:02
倭人伝だろうと記紀だろうと九州説にも畿内説にもなりうるでしょ。
ただ、記紀だと東遷が確実になるだけじゃん。

293 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 02:04
なんで?

294 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 02:05
畿内説信者は、「記紀なんて信用できない」というが、
倭人伝よりはマシだよね。
そんなに信用のおける資料ならなんで沖縄説やら四国説なんて出てくるんだろうね?

295 :>293:2001/06/09(土) 02:06
自分で考えろ

296 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 02:18
説明できないとマタそれか!

297 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 02:19
>>294
>そんなに信用のおける資料ならなんで沖縄説やら四国説なんて出てくるんだろうね?

答え:馬鹿がいるから。

298 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 02:24
邪馬台国っていうのは魏志倭人伝に出てくるのであって記紀ではないんだから
基本的に倭人伝によるしかないんでないの?

299 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 02:26
ああ!通りすがりの冗長な文章がなつかしいぜ!

300 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 08:50
西都原

301 :257:2001/06/09(土) 09:07
> 262
 どうも 彼の御仁を皮肉ったつもりだったんですが。いずれにしてもサンクスです。

>で、こういう風に安易に考古学者は年輪年代を信用してしまうものだと思いこんでしまったのだな、
 彼の御仁は,むしろ,考古学者は年代年輪法のあてはめ結果等で強弁している等と言いたいんだと思われ。
 また,彼の御仁は,別スレでも,年輪年代の問題点・原因を適切に指摘できずに,
 1,2の反例をあげて誤りだ誤りだと繰返すばかり。ここでも同じだったしね。
 彼の御仁の課題は,彼自身の論理構成能力(評価,判断能力)でしょうな
 そのうち,267あたりの書き込み見て,やっぱり俺が正しかったんだとでも書いてくるんでしょう。


302 :通りすがり:2001/06/09(土) 10:13
>>244-248さん

どーも。
ゴメンナサイ。また長文になります。

>プロパー研究者なら予算がどーとかで役所に出す文書だった書くだろうから
>役人相手にもこんな文章書くの?ってグチたれたわけよ。

 たしかに行政書類も書きますが、このスレでは議論のための投稿ですよね。
行政向けと議論向けの文書では自ずから体裁も変わるも思うのですが、いかが
でしょうか。
 また、私は2chではプロパーの方々のみを対象にしているのではないので、
必要以上に投稿が冗長になります。できるだけ、懇切丁寧な文章を心がけたい
と思っています。あとまあ、2ch特有の「揚げ足取り」防止が目的でしょうか、
長文になる理由は。

 さらに、私の投稿内容が結論不在なのは意図する部分もあって、ネタフリと
して作用して議論を誘発できればいいなあ、という甘い考えもあります。
あくまで、考える材料を提供したいという思いですね。

>プライド高いなら謝るし頭も下げるから

プライドが高いのではなくて、
2chにいると防御本能が大きくなるのですよ(涙)。

(続く)

303 :通りすがり:2001/06/09(土) 10:22
(続き)

>それでは「古墳時代を特徴的な資料で規定する方式」とは具体的にどういう
>ことでしょうか?
>具体例でお願いします。

 私の>>180>>182の投稿をご覧になればご理解いただけると思いますが、端
的に言えば「勝山の年代観が遡ったら、古墳時代の画期設定も見直さないとい
けないの?」ということです。

こういう一行レスでいいのかなあ・・・
追加説明が必要ならおっしゃってください。


304 :通りすがり:2001/06/09(土) 10:31
>>250さん

ご主旨に同意します。
K部長はまあ、ああいう方なのでアレですが・・・

>まともな研究者と、報道のみが頼りの一般人との間の情報の乖離が問題だと
>いってるんだがね。

 おっしゃるとおりです。

 プロパーとその他の方々との間の「乖離」の問題には、私も頭を痛めていま
す。さらに深刻なのは、この問題に関してプロパーの研究者の間にある種の被
害者意識が存在することですね。いったい何様のつもりなんでしょうか。

305 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 10:37
古墳時代の画期はどこだと考えますか?
私は、箸墓がメルクマールだけれどそれは到達点としてのモニュメントであって古墳時代の画期は前倒しに考えるべきだと思うんですが。

306 :通りすがり:2001/06/09(土) 11:05
>>305さん

こんにちは。

> 古墳時代の画期はどこだと考えますか?
> 私は、箸墓がメルクマールだけれどそれは到達点としてのモニュメントであ
>って古墳時代の画期は前倒しに考えるべきだと思うんですが。

 うーん、古墳時代をいかに規定するかによって変わってくるのではないでし
ょうか。古墳時代についての解釈は、政治史的な文脈で捉えられることが多い
ようなので、たとえば「階級社会」、「(初期)国家」といったような社会概
念(あくまで例です)のうちで、いずれを妥当な解釈として採用するかどうか
でメルクマールは変動すると考えます。

 結果として、墓制がメルクマールとして採用された場合、さらに>>305さん
がおっしゃるように箸墓が特徴的なメルクマールとして採用された場合、箸墓
を築造した社会体制(つまり「前倒し」)が問題となるわけですが、考古学的
には「社会体制の結果としての」箸墓をもって画期として評価せざるをえない
部分があります。

 ただ、アプローチとして、>>305さんのお考えはコンテクストを視野に含め
るという意味で、極めて有効と私は考えます。

 私の考えですが、うーん、ちょっと保留ということでご勘弁ください。

307 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 11:34
古墳時代の画期を箸墓でピンポイント的に決めると布留0ということになるだろうし、前倒しで定型要素が集約される過程のどこかの段階に求めるとすれば庄内のどこか。極端な場合には纏向1ということになるんだと思いますが。
後者の場合やはりどうしても勝山の年代観の影響を受けるのではないでしょうか?

308 :通りすがり:2001/06/09(土) 11:41
>>307さん

あくまで墓制をメルクマールとして最大限に評価すれば、おっしゃるとおりの
評価に落ち着くと思います。

その場合、>>307さんは古墳時代の社会をいかに規定されるのでしょうか。

#茶々と思って聞き流してくださっても結構です。


309 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 12:00
「定型要素が集約される過程」の中に各地域のもつ求心性と独自性をみるという程度の認識です。

310 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 12:02
独立性は自立性と言い換えてもいいと思います。

311 :通りすがり:2001/06/09(土) 12:03
>>309さん

なるほど。
なんか最近、「求心性」が流行ってますね。
イデオロギーに関する中心地再分配と解釈していいのだろうか。
また、人類学理論の文脈からはいかに捉えれば良いのでしょうかね。


312 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 12:26
人類学のことはよくわかりません。
古墳プロパーの人の間には中央からの一元的波及という考えはなさそうだし
この方が「共立」の概念とオーバーラップするからでしょう。


313 :通りすがり:2001/06/09(土) 12:33
>>312さん

なるほど。


314 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 16:23
このスレッドで年輪年代法信者が「古墳時代が繰りあがったのは、年輪年代法のせいじゃねえ」
と主張しているようだが、これは真っ赤な嘘。

このスレッドには初心者もいるようなので言っておく。
ほとんどの繰り上げ論者の主張は、C14か年輪年代法の年代をそのまま根拠としている。
以下の代表的な畿内説論者の発言を参照して頂きたい。

畿内説を唱える九州大学教授の西谷正氏は、こう話す。
「・・・畿内の出現期の古墳が卑弥呼の時代に近づいた。・・・年代測定法に
 科学的な根拠が与えられる年輪年代法が確立されたことは、考古学にとって
 大きい。」

白石正太郎
「古墳の時代の出現期は、3世紀なかばまで遡ると考えています。
 その根拠のひとつが古墳の副葬品に多く見られる「三角縁神獣鏡」です。
 ・・・「景初3年」など中国の年号が記してあり、西暦240年頃に政策された
 ものと思われますから、・・・
 古墳の出現期を3世紀なかばとする考えは、最近の年輪年代法によって弥生時代中期
 末の暦年代が一世紀ほど繰りあがったことと矛盾しません。」

こうしてみると、年輪年代法と今となっては、ほとんど意味のない鏡の年号を根拠としている
ことが良く分かる。
畿内説信者が、狂ったように年輪年代法を擁護するは、「それしか根拠がないから」
なんだよ。

315 :314:2001/06/09(土) 16:25
このスレッドでM氏らしき人物が全くまともに反論できないことから見ても、
西谷の言うような「科学的な根拠が与えられるもの」ではないことがよく分かる。

316 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 17:06
またデマ煽りですね。こまりましたね。
西谷氏や白石氏は別に「繰上げ論者」ということはありませんよ。
西谷発言をきちんと読めば、インタビューされてただ賛辞をよせただけであることは明白だし、白石氏の発言は「その根拠のひとつが」です。

317 :>316:2001/06/09(土) 17:09
じゃあ、「それ以外の証拠」を挙げてくれるかな。
そんなもんねえよな(笑)。


318 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 17:20
土器編年、画文帯神獣鏡の製作年代などですね。
それから、三角縁神獣鏡の年号も意味のないものなどではありませんよ。

319 :>318:2001/06/09(土) 17:34
土器編年や鏡の様式による分類は、相対的なものにすぎません。
また、△が中国で出土しない以上、年号に意味があるとは思えません。

320 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 17:43
中国製青銅器は年号があるものや中国の出土状況で絶対年代の判明しているものから実年代の目安が得られています。
土器編年は相対的なものでも、共伴する青銅器からいくつかの定点を求めることができ、多くの学者が実年代の目安を持った編年表を作成しています。
また、三角縁神獣鏡の製作地がどこであれ、製作年代がBC240年前後に遡ることは大半の研究者の共通認識となっているといえるでしょう。

321 :>320:2001/06/09(土) 17:56
年号があってそれが、実年代であると推測されるものならそうでしょうが、
また、中国の遺跡は、日本の弥生時代の遺跡と違って慕銘など年代の明記、
歴史書などによって実年代が明らかなものがほとんどです。

土器年代にしろ青銅器にしろ日本の場合は、ほとんど年号が記されておらず、
共伴しようがしまいが明確な年代が分かろうはずがありません。
また、遺跡自体の年代も不明確です。
△の制作年代も単なる推測にすぎません。
様式論による年代の断定は、法隆寺論争にも見られるとおり、
決定的なものではありません。


322 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 18:02
>また、三角縁神獣鏡の製作地がどこであれ、製作年代がBC240年前後に遡ることは大半の研究者の共通認識となっているといえるでしょう。

オイオイ、なってねえよ。


323 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 18:06
青銅器は中国における製作年代の幅が概ね明らかになっていますので、それらに根拠なく一律100年の伝世期間を想定するような昔の編年法が放棄されたのは自然の流れです。
三角縁神獣鏡の年号を疑う理由も特に無いと思います。

324 :>323:2001/06/09(土) 18:11
>青銅器は中国における製作年代の幅が概ね明らかになっていますので、それらに根拠なく一律100年の伝世期間を想定するような昔の編年法が放棄されたのは自然の流れです。

中国鏡でない以上、「中国における制作年代の幅」など関係がありません。
また、△が伝世鏡でないことは使用の痕跡がほとんどないことから明らかです。

>三角縁神獣鏡の年号を疑う理由も特に無いと思います。

日本で作成された鏡である以上疑うのは当然のことです。


325 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 18:17
つーか確実に魏鏡で年号入りのヤツがあるけど、あれって尚方だよね。
下賜品なのに尚方でないわけねえよ。


326 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 18:18

          ζ
       / ̄ ̄ ̄ ̄ \
      /          \
     /\    ⌒  ⌒  |
     | |    (・)  (・) |
     (6-------◯⌒つ |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     |    _||||||||| |  < チョンは出てくるな、コラァ!!
      \ / \_/ /    \_________
        \____/
     ______.ノ       (⌒)
    //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
   / /:::::::::::|  /:::::ノ__ | .| ト、
   | /:::::::::::::::| 〈 ̄   `-Lλ_レ′
   レ::::::::::::::::::|/::: ̄`ー‐---‐′




327 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 18:29
>>324
>中国鏡でない以上、「中国における制作年代の幅」など関係がありません。

画文帯神獣鏡の話ですが。


>日本で作成された鏡である以上疑うのは当然のことです。

なぜですか?

328 :>327:2001/06/09(土) 18:42
帯獣鏡にしても、同じことです。
ホウ製であれば中国製品と年代のずれがあるでしょうし、
輸入鏡であっても制作年次と古墳築造年次とは当然異なります。
どちらにしろ、確実な年代を断定できるものではありません。

景初4年鏡のようなものある以上、年号については疑ってかかるのが当然でしょう。

329 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 18:44
年輪測定法信者が逃亡したな

330 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 18:48

          ζ
       / ̄ ̄ ̄ ̄ \
      /          \
     /\    ⌒  ⌒  |
     | |    (・)  (・) |
     (6-------◯⌒つ |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     |    _||||||||| |  < 光谷出て来い、コラァ!!
      \ / \_/ /    \_________
        \____/
     ______.ノ       (⌒)
    //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
   / /:::::::::::|  /:::::ノ__ | .| ト、
   | /:::::::::::::::| 〈 ̄   `-Lλ_レ′
   レ::::::::::::::::::|/::: ̄`ー‐---‐′


331 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 18:56
>279
>新しい土器が入っていたらその土器の年代より古くなる事は
>有り得ないのだと言う事を理解して物を言ってほしいね。

土器型式は、新旧の相対関係の指標に過ぎず、単独では年代が分からないことを理解すべし。
フズリナやアンモナイトで、時代区分は出来るけど、年代は別に決めているのと同じ。

それを理解していないから、縄文土器の年代について、放射性炭素年代を無視したような
醜態を演じたのである。その学習効果がある人と、そうでない奴らとがいるようだな。

>3世紀の鏡と5世紀の剣が一緒に出てきたらその墓は5世紀
>の墓と断定される。

両方の遺物の年代決定が妥当であれば、その解釈は当然のこと。でも、年代決定が
間違っていたらその話は脆くも崩壊する。

魏や呉の紀年鏡は、古墳時代の遺跡からしか出土していないのに、いつまで経っても、
根拠なく、この時期を弥生時代にし続けたように、蒙昧さは呆れる。
在野の考古学者で平原弥生古墳の発掘者として知られる原田大六氏は、
箸墓古墳を卑弥呼の墓とする説を支持していたが、この説は何故か皇国史観と言って
攻撃するか黙殺するのが常だった。
江戸時代の国学者たちは、卑弥呼が中国に朝貢し冊封された記述が気に入らないから、
九州説を宣伝したのであって、箸墓古墳=卑弥呼は皇国史観とは逆のはずだが、変なの。

332 :日本@名無史さん:2001/06/09(土) 18:57
なんか荒しが入ってますね。

>>328
>帯獣鏡にしても、同じことです。
>ホウ製であれば中国製品と年代のずれがあるでしょうし

画文帯神獣鏡の話ですが、どうしたのでしょうか?
ホウ製とは何のことですか?

333 :>332:2001/06/09(土) 23:57
ホウセイ(変換できない)ってのは日本製ってことじゃないの


334 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 00:03

画文帯神獣鏡は、舶載鏡だと思うが

335 :>畿内説の皆さん:2001/06/10(日) 00:27
結局このスレッドを見る限り、古墳時代の繰り上げの根拠は、

@年号鏡
A年輪測定法
B中国青銅器との時代の照合

ってことらしいが@、Aは、いうまでもなく怪しいし、
Bも
・青銅器の埋蔵年と製造年は、当然違う
・そもそも日本製なら話にならない
・日本に伝わるのは、当然遅れる(物にしろ、様式にしろ)
なんじゃない。
繰り上げを断言できるような話じゃないじゃん




336 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 00:40
畿内説信者は、皇国史観のコヴァです

337 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 01:13
畿内説の中にも「後の大和政権に潰されたのが邪馬台国」
というのもあるんよ。

338 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 01:44
>>335
といっても、繰り下げを正当化すようなものは何も無いが。

339 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 01:49
要するに年輪年代を何が何でも否定しないと九州説は終わりだという危機感があるわけだね。

340 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 02:02
よくわからん議論になってるが、年代繰上ってなんのこと?

古墳時代の繰り上げ?

布留0の年代そのものを三世紀末から三世紀中頃に上げるってことか?
それとも、庄内を四世紀前半から三世紀に上げるって話か?
あるいは、相対年代で布留0より前(つまり庄内だな)に上げようって話か?

いずれにしても、年輪年代はまったく関係ないな。う〜ん、全く見えん議論だ。
誰か、整理してくれ。

341 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 02:20
こんな整理はどう?
気の狂った九州説論者は、庄内を4世紀から3世紀に訂正することを繰り上げと呼ぶ。
まともな九州説論者は、布留0を3世紀第4四半期から3世紀半ばに繰り上げることをそう呼ぶ。


342 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 02:25
畿内説内部では、古墳時代の始まりが布留0ではなくて庄内だとすることを繰り上げと呼ぶ。

343 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 14:37

@年号鏡
A年輪測定法
B中国青銅器との時代の照合

ってことらしいが@、Aは、いうまでもなく怪しいし、
Bも
・青銅器の埋蔵年と製造年は、当然違う
・そもそも日本製なら話にならない
・日本に伝わるのは、当然遅れる(物にしろ、様式にしろ)
なんじゃない。
繰り上げを断言できるような話じゃないじゃん


344 :>349:2001/06/10(日) 14:39
白石が言っている初期古墳の誕生の繰り上げのことじゃない。
要は、おおやまと古墳群の年代がいつかってことじゃないの。

345 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 14:50
>>343 相当あせってるな?

346 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 15:35
ばぁーか。
火山の噴火があって沈んで
島ごと国が消滅してしまったんだよ
氏ね

347 :これで仕切って議論しようぜ:2001/06/10(日) 15:46
じゃあさ、布留0の出現の繰り上げの是非で仕切って議論しない。

348 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 15:51
賛成

349 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 16:52
誰か、カキコせいや

350 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 17:36
倭人伝を素直に解釈すれば邪馬台国は、沖縄です

351 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 17:38
「素直」って「馬鹿」って意味?

352 :>351:2001/06/10(日) 17:39
水行10日を素直に読めばそうなります

353 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 19:38
どうやら畿内説信者は、繰り上げの理由を説明できないようですね。
所詮年輪測定法頼りということが判明しましたね


354 :あれ?:2001/06/10(日) 19:56
75番以下無いけど

355 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 19:58
>>353 だから繰上げって何?
なんだかわからんこと説明できないね。

356 :>355:2001/06/10(日) 19:59
フル0でやろうって仕切られたんじゃなかったけ?

357 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 20:07
早く答えろ畿内説信者

358 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 20:29
どうやらMだけではなく、橿原研の連中も出てきているようだね。
袋叩きにしてやるぜ

359 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 20:37
>>357 何に? 

360 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 20:45
>>356
それじゃ繰上げって言ってるのは、布留0はAD何年ごろであるはずものを引き上げてると言ってるの?

361 :日本@名無史さん:2001/06/10(日) 21:33
これまで古墳時代は布留0の箸墓からって言われていたのが
ホケノ山もどう見ても古墳という認知が広がって
結局庄内はもう古墳時代、3世紀も前半のうちに古墳時代開始って具合
に繰り上がってるんじゃない?
これは繰り上げ論者どうこうって話じゃないか・・・

362 :名無しさん@1周年:2001/06/11(月) 03:51
電波な九州説の言う古墳時代の始まりが4世紀に下ると言う根拠はないだろ
繰り上がりも何も漢式鏡の記年や年輪年代とか3世紀で
30年以上前から平原弥生古墳を発掘した原田大六氏は伝世論に疑問を呈し
箸墓=卑弥呼の墓説を支持していた

363 :日本@名無史さん:2001/06/11(月) 10:10
年輪年代法で古墳の築造年代を繰り上げるのには橿原考古学研究所の内部にも
疑問を呈している人がいるみたいだね。

内部からさえ支持を受けていない年輪年代法を鬼の首を取ったみたいに
大騒ぎするマスコミと馬鹿学者に躍らされる厨房がここに出てくる畿内説論者。

364 :日本@名無史さん:2001/06/11(月) 10:45
寺沢薫・県立橿原考古学研究所調査第1課長は
「木材を加工して使うまでの期間が不明。転用の可能性もあり…」
と慎重な姿勢を見せる。
年輪年代法を否定しているのではない。その数字の適用に否定的なだけ。

365 :日本@名無史さん:2001/06/11(月) 11:06
古田とか安本のように九州説で電波飛ばしまくっている奴以外は、
その筋の権威をあからさまに前面否定は出来ない。
自分の将来無くなっちゃうからね。
やんわりと否定したと解釈すべき。
薬害エイズの時、官僚もその他の医者達が権威に対して無力だった事
でも明らか。

366 :>363:2001/06/11(月) 12:31
じゃあ、年輪年代の成果を全く採りいれていない、
寺沢の実年代案は認めるということでいいな。

これでようやく共通の土俵ができたと思うが。

367 :名無しさん@1周年:2001/06/11(月) 15:52
>>366
電波な九州説信者のヴァカ発見
相対年代ではなく、漢式鏡の記年と年輪年代・14C年代以外に、実年代推定は不可能だろうが

368 :日本@名無史さん:2001/06/11(月) 16:32
>>367 あんただれ? 畿内説支持者とは思えないが。

369 :日本@1周年:2001/06/11(月) 21:20
卑弥呼の古墳を隠蔽した男・黒板勝美 西都原古墳オサメズカに土を持って変形型前方後円墳にしたてたのが彼の犯行。
それだけにはあき足らず、総督府修史委員会顧問として大正12年7月、対馬に史料採訪を行ったとき、朝鮮に関係ある文書古記録等が多数あることを知り、・・・古文書類66469枚 古記録類3576冊 古地図34枚 古画類18巻および53枚を押収。これら全てを焚書。
偽史シンジケートの指揮官 日本の恥 東大酷使学の教授

370 :日本@名無史さん:2001/06/11(月) 21:42
>365
 単に氏は慎重なだけだろ。はっきり言って学者より現場に立っている
埋蔵文化財行政内研究者の方が遺構・遺物については詳しい。土器屋で
もある氏はご自身が設定した布留0式の年代が繰り上がることに疑問 or
抵抗があるのでは?

371 :中国関係専攻:2001/06/11(月) 22:03
魏志倭人伝には、日本人(というより、倭人か)の風習として、
柏手をうつ、なんてところがある。
あんまり注目されていないけれど、これって神社で柏手をうつように、
日本独特の風習(世界に類似例はないんじゃないかな。誰か知ってたら教えて)
とりあえず、あそこで記述されている倭人の風習は、
現代日本直系の祖先であることは、風習面からは言えるかも知れない。
……ちょいと本題から離れているので、sage

372 :>367:2001/06/12(火) 01:33
あなた、素人?考古学に関わってる人間なら、年輪年代法の怪しさについては、すでに周知でしょう。
別スレで議論されていますよ。
橿原研らしき人物が必至に反論してますが。
C14について言えば、北九州で一部のスエキが弥生時代との結果が出てしまっています。
あなたは、こんなものをまともに信じるんですか?

漢鏡云々は、何の証拠にもなりません。

373 :日本@名無史さん:2001/06/12(火) 05:46
>372
考古学にかかわっているものなら、周知って・・。それは2chの中だけでしょう(苦笑)
違うと言うのなら、年輪を疑問視する論文等をあげて、学界の中で周知である証拠を出し
てくださいな。それと一部の須恵器とc14ですが、どこでの結果か詳しく教えていただけ
ます?

374 :名無しさん@1周年:2001/06/12(火) 11:04
年輪年代法は14C年代の補正にも重要であり確立された方法だ
個々の研究者によってテクの差はあるが学問的には正当な手法である
電波な九州説信者がヴァカなことを言うではない

375 :日本@名無史さん:2001/06/12(火) 11:27
>>372
>漢鏡云々は、何の証拠にもなりません。

「なりません」証拠をおっしゃって!

376 :目の付け所が名無史さん:2001/06/12(火) 21:09
鋭い!

377 :日本@名無史さん:2001/06/14(木) 10:34
根拠を聞かれると沈黙するのは九州馬鹿の常

378 :日本@名無史さん:2001/06/14(木) 10:43
九州馬鹿では面白くない。馬鹿九と言おう。

379 :日本@名無史さん:2001/06/14(木) 15:52
古墳は夫余族、高句麗人によって作られました。

したがって畿内は倭人の国では有りません。

倭人の国邪馬台国は畿内にあった筈は有りません。

380 :日本@名無史さん:2001/06/14(木) 19:34
いってるそばから馬鹿九かい?

381 :日本@名無史さん:2001/06/14(木) 21:31
>380
相手しない方がいいよ。下手に刺激すると、包丁持って小学校へ乱入しかねないから(藁

382 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 14:54
倭人伝には「その俗淫ならず。」と書いてあります。
一方高句麗伝には「淫なり。」とかいてあります。
古事記を読めば畿内人たちがいかに淫乱だったかがよく解ります。
貴族達が近親相姦やりまくりじゃないですか。
したがって「大和国は淫なり。」で邪馬台国ではないのです。
高句麗の淫な風俗を引き継いでいるのです。
おわかりですか?

383 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 16:12
おわりですか?

384 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 16:30
終ってますね、九州説。

385 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 16:36
淫乱朝鮮人の子孫。
まともな反論できないみたいだね。

おいらは淫じゃない倭人の子孫さ。

386 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 17:36
通りすがり帰ってこ〜い!
まだ出張中か。。。

今となっては、奴の冗長な発言こそが懐かしいな。

387 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 17:58
>>386
激しく同意。


388 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 18:20
>382
どうも真性やなぁ〜・・・。

389 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 18:59
下手に刺激したから淫乱になった(藁

390 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 19:27
スマソ 電波は黙殺が鉄則だったね。

391 :日本@名無史さん:2001/06/15(金) 23:52
tt

392 :>373:2001/06/16(土) 00:20
年輪年代法信者がまた出てきたな。
法隆寺と元興寺の件は、どう言い訳するんだ?
教えてくれよ。

393 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:22
>>392
分かったから、もう巣へ帰ってくれ。
頼むよ。

ここは元々、良スレだったんだから、もうこれ以上
荒らさないでくれ。頼む。

394 :>393:2001/06/16(土) 00:27
反論できないのかよ?
正直に言えよ

395 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:28
年輪年代法しか根拠のない畿内説信者哀れ

396 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:30
>>394
正直に言ったら千円くれるか?

397 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:33
畿内説信者の盲点、橿原研M

398 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:41
いい加減、スレ荒らすのやめろよなあ。
せっかく、通りすがりが根気よく育ててきたのに・・・

もう十分気が済んだろ?


399 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 00:51
>>398
同意。

一部でいろいろと言われているけど、やっぱり通りすがりはエライよ。
煽りや嵐にもまともに対応していたからなあ。たまに煽り返してたけど(w
スレのこの惨状を見たら、奴も悲しむだろうなあ・・・

ちゅうわけで、>>392よ。
そろそろ、帰ってくれんか。
どう考えても、君がこのスレを荒らしているとしか思えない。


400 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 01:05
激しく同意。

401 :素人考えですが:2001/06/16(土) 01:16
魏側の都合を考えると、遼東の公孫淵を攻めるのに際して「朝鮮」と「倭」
に好意的中立の立場を取ってもらいたいから使節を送ったわけで

1.九州と大和が並立していた場合には、九州に使節を送たはず
2.西日本に大和を中心とした(緩い)部族連合が出来ていたならば、もち
  ろん大和に使節が来たはず

とおもう

402 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 02:45
1の理由がよくわからん。

403 :日本誕生:2001/06/16(土) 02:54
「天皇」の誕生
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-17.html
日本人および日本の誕生
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-43.html
古代朝鮮・韓民族の形成とニッポン
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-52.html
「ニッポンの始まり」について---「中国」を軸に「朝鮮」を回廊にして
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-55.html
ニッポンとは「梅干し」か、それとも「ラッキョウ」か
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-54.html
数詞からニッポン人を考える
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-60.html
和漢二重複線言語・日本語の歴史
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-62.html

404 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 05:31
>397
Mって誰?話の流れからして光谷氏の事なんだろうな。彼は国立奈良文化財研究所所属だ。
最近まともに考古学を学んでいないのに、ちょっと一般向け図書を読んだだけで、考古学の
権威であるかのように妄想して、偉そうに話す奴多いなぁ〜。またそういう奴を盾にして
後ろから相手の弱点だけを罵る無知なお子ちゃまも多い多い。

405 :通りすがり:2001/06/16(土) 13:51
お久しぶりです。
通りすがり@長文野郎です。

>>401さん

どーも。

 当該期の諸コンテクストから「邪馬台国」の所在地を検討するのも、面白い
アプローチですね。「倭人伝」地理記載のみの検討とはまた違った考察が可能
になると思います。

 >>401さんのお考えを進める上で、必要な検討事項を列挙してみます。
ご参考ください。

>魏側の都合を考えると、遼東の公孫淵を攻めるのに際して「朝鮮」と「倭」
>に好意的中立の立場を取ってもらいたいから使節を送ったわけで

 「好意的中立の立場を取ってもらいたい」魏側の都合を、より具体的に論証
できればいいですね。

>1.九州と大和が並立していた場合には、九州に使節を送たはず
>2.西日本に大和を中心とした(緩い)部族連合が出来ていたならば、もち
>  ろん大和に使節が来たはず

 大陸との交渉権がいかなる形態を呈していたか?
 仮に、「倭国」になんらかの「統一的」な政治権力が成立していたと考える
場合でも、大陸との交渉権を一元的と考えることはまた別問題と考えます。
また、最初から交渉権の窓口を一元的に考える必要はないかもしれませんね。

 思考順序としては、まず第一に当該期の「倭国」の政治体制を想定してのち
に初めて、大陸との交渉権の所在から「邪馬台国」の所在地を検討することが
可能と考えます。

 つまり、大陸との交渉権を含め、「倭国」の政治体制をいかに想定するかと
いう問題に集約されるわけですね。

 具体的には、「倭人伝」記載の語句、例えば「一大率」、「卑難母離」とい
った語句を検討されてはいかがでしょうか。
 考古資料からは、韓式土器(瓦質土器、陶質土器)などの大陸に由来する資
料の分析が必要となるでしょう。
 上記の史料・資料の検討を踏まえて、交換形態から当該期の政治権力のあり
方を考えるのも面白いかもしれませんね。

それではー。

#なんか荒れてますね・・・
#議論の当事者が互いの論拠を明確にすれば、ある程度の混乱は避けられると
#思うのですが、楽観的すぎますか?

406 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 14:13
何もまとまりませんがとりあえず。
四道将軍だの景行だのタケル(の、伝説)だのが邪馬台国より
後でしょう。あのあたりを仮に信じるとなると、少なくとも邪
馬台国=畿内=書紀のいうところの大和政権ではない、と思っ
たりするのです。

407 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 14:23
残念ながら楽観的すぎると思います。意図的に情報を撹乱しようとしている人には通用しないから。いわゆる荒氏さんですね。
煽りに乗らない忍耐力を参加者全員に要求するのは難しいし、やっぱり中立的仕切り人の価値を痛感しました。
また、いくら聞かれても自分の言っていることの出典を徹底的に隠す一部の九州説論者の態度に大いに問題があります。
誠実さに欠けます。

408 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 14:56
>>406
後なんでしょうか?景行の宮都は纏向ですよね。
何をどう信じるかで結論が180度変わりますが。

409 :通りすがり:2001/06/16(土) 18:00
>>407さん

どーも。

>残念ながら楽観的すぎると思います。

やはり。

>意図的に情報を撹乱しようとしている人には通用しないから。
>いわゆる荒氏さんですね。

残念ですが、同意します。

>また、いくら聞かれても自分の言っていることの出典を徹底的に
>隠す一部の九州説論者の態度に大いに問題があります。
>誠実さに欠けます。

「九州説論者」の態度云々についてはノーコメントですが、
少なくとも議論を建設的に楽しもうとする方々には、できるだけ
情報ソースを明確にしたうえで、自身の解釈を他者にも理解できる
形で提示していただきたいですね。

私の希望はそれだけです。

あとはまあ、議論が錯綜した際に「交通整理役」を買って出る人が
どれだけいるかでしょう。「仕切屋」との批判を甘受する覚悟が必要ですが・・・

最近のこのスレを傍観する限り、あまりにも惨い状況なので
イヤなことを言ってみました。

これからも議論を楽しみましょう!>All


410 :>407:2001/06/16(土) 18:01
Mの測定法を盲信し、疑わないお前らの方がよっぽど問題。

411 :通りすがり:2001/06/16(土) 18:08
>>406さん

「倭人伝」よりも『日本書紀』に対する検討が優先される
理由が?です。

とはいっても、『日本書紀』の記述者が「卑弥呼」を「神功皇后」と
同一視していた可能性は興味深いですね。
『旧唐書』の「邪馬台国」=「畿内」とする記述と同様に、面白い
問題と思います。

ただ『日本書紀』の史料批判が厳密になされない限り、建設的な
成果は望めそうにありませんが。


412 :通りすがり:2001/06/16(土) 18:11
>>410さん

あなたが年輪年代法について批判的な立場を採用する理由は
なんでしょうか?

本件に関して、年輪年代法の「具体的な」問題点を指摘してください。

その際には、伝聞情報の所在を明確にして、かつあなた自身のお考えが
盛り込まれていると良いですね。

誠実なご返答を期待しています。

413 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 18:30
邪馬台国の場所は永遠に解らないでしょう
卑弥呼の墓と書かれた古墳が発掘されたりしないかぎり無理

414 :>412:2001/06/16(土) 18:33
一番のオオポカは、法隆寺じゃないの。


415 :>413:2001/06/16(土) 19:27
そうだよね。
なんで畿内説信者って相対年代しか分からない土器や怪しい年輪年代法で
断定するんだろうね?
不思議だよ

416 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 19:38
年輪年代法が怪しいのは全てこれまでの想定年代より100年位古い値が出ることだ。
史書に書かれて実年代がわかっている物まで古い年代になる。
これは初めから物差しが狂っていることを意味している。
これを信じろと言う方が狂っている。

417 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 19:41
243 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/06/16(土) 18:49

>>236
底から30〜50cm浮いた状態で発掘されたと言うことは
どのように解釈するのが妥当なのかな?
何十年も経って周溝が埋まってから捨てられたと考えた方が
より妥当な考えだと思うが。
それ以外の妥当な考えがあったら聞かせてほしい。244 名前: 236 投稿日: 2001/06/16(土) 18:57

>>243
それ以外ないと思います。


245 名前: 名無しのオプ 投稿日: 2001/06/16(土) 19:00

>>243
地形や周囲の状況によっても異なるが、30cmぐらいならすぐ埋まるよ。
雨で土が流れたり崩れたりするからね。
数年で十分でしょ。場合によっては1年位でも埋まる。
もちろん、何十年という場合もあるけどね。


246 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/06/16(土) 19:29

じゃあ新しい墓の上で儀式やっている内に50cmも埋まってしまったんだ。(藁

周辺は平地でそんなに周囲から土砂が大量に流れてくる地形とは思えんが。


247 名前: >242 投稿日: 2001/06/16(土) 19:35

じゃあ、畿内説信者がそのあやふやな相対年代を根拠にして「邪馬台国は、畿内で決定」と喚き散らすのはオカシナ話だよな。




418 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 19:43
>>415
相対年代で作った物差しを中国製青銅器などで得た定点に当てて測るから判るのです。

419 :>416:2001/06/16(土) 19:44
むしろ「百年ずらすと年輪年代法はだいたい当たってる」と
考えるべきではないか。
法隆寺にしろ、池上曽根にしろまともな年代になるよね。

420 :>418:2001/06/16(土) 19:46
ぜんぜん判らねえよ。
中国製青銅器の制作年と古墳の制作年が一致する保証は、どこにもない。
というより遅れるはず。
よって意味なし



421 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 20:01
>>420
主な定点は前漢系の遺物と後漢系の遺物の遺物が交代する時期、貨泉の流入時期をはじめとする複数事例を物差しに当てて総合的に判断し、物差しを固定する方法をとるわけです。

422 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 20:02
地方に飛ばされた官僚が、暇つぶしに書いた倭人伝をまじめに解釈したって
何も出てくるわけがない。
そもそも中国の外伝は、滅茶苦茶。

古代史は、記紀と考古学でやるべし。

423 :>421:2001/06/16(土) 20:08
それも相対年代にすぎません。
「固定」などできるわけがありません。
土器と変わらないレベルです。

424 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 20:09
新聞やテレビより2CHの方がよほどまともだね。

425 :>424:2001/06/16(土) 20:12
黒塚で「邪馬台国決定」だもんな。呆れちゃうよ。
どうせ橿原研の連中が言わせてんだろうけどさ。


426 :日本@2周年さん:2001/06/16(土) 20:54
晋書には卑弥呼は公孫氏の女とかいてあるのにどうして無視する?

427 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 20:57
明史には、秀吉は、信長を殺したと書いてあるそうな

428 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 21:03
>>426
あほか。あれは漢文よめない鹿島昇が勝手に誤読して主張したこと。
ほんとは晋書には「卑弥呼は公孫氏の女」なんて書いてないんだよ。
(「宣帝が公孫氏を平定した時、卑弥呼は云々」と続く文。)

429 :日本@2周年さん:2001/06/16(土) 21:09
宮内庁はどうして古墳に柵をめぐらして調査の妨害(隠蔽)しようとする。
発掘されたらやばいものでもあるのか?

430 :日本@2周年さん:2001/06/16(土) 21:11
それに正式には邪馬壱国

431 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 21:23
それは誤写

432 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 21:27
>>423
なにがなんでも認めたくないんだな、都合が悪いから。

433 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 21:28
果たして九州で一番大きな円墳が(西都原オサメ塚)卑弥呼の古墳だ(邪馬台国は西都原)と主張する鹿島昇は電波家?

434 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 21:30
東大教授 黒板勝美。 西都原古墳オサメズカに土を持って変形型前方後円墳にしたてたのが彼の犯行。
それだけにはあき足らず、総督府修史委員会顧問として大正12年7月、対馬に史料採訪を行ったとき、朝鮮に関係ある文書古記録等が多数あることを知り、・・・古文書類66469枚 古記録類3576冊 古地図34枚 古画類18巻および53枚を押収。これら全てを焚書。
偽史シンジケートの指揮官 日本の恥 日本史歴史教科書問題が朝鮮 中国政府 マスコミにたたかれてる現在、その元の原因を作った男。

435 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 21:39
隠すな!ヒ
隠すな!ミ
隠すな!コ
隠すな!ノ
隠すな!古
    墳!隠すな
    ヲ!隠すな
    隠!隠すな
    ス!隠すな
    ナ!隠すな
    !

436 :通りすがり:2001/06/16(土) 22:24
えー、年輪年代法に関する問題点を伺ったところ、いろいろな方(?)からご
返答をいただいたので、一括して集合名詞的に扱います。
仮コテハンなんかあったらいいなあ。

#引用箇所の改行部分などを適宜、改変しています。

>>414さん

>一番のオオポカは、法隆寺じゃないの。

当該事例に関して、「具体的に」年輪年代法の問題点をお聞かせください。

>>416さん

>年輪年代法が怪しいのは全てこれまでの想定年代より
>100年位古い値が出ることだ。
>史書に書かれて実年代がわかっている物まで古い年代になる。

 「これまでの想定年代」を疑うには至らないのでしょうか。
「史書に書かれている実年代」(性格には「暦年代」でしょうね)とは別に、
暦年代を推定することが困難な多くの考古資料についてはいかがでしょうか。

>これは初めから物差しが狂っていることを意味している。

 上記のご発言では、調査担当者の技術的問題なのか、あるいは年輪年代法自
体が抱える問題であるのかが不鮮明です。上記の問題を分別したうえで、年輪
年代法が内包する方法論的問題点を「具体的に」ご指摘ください。

>>417さん

 セクションの観察結果はいかがでしょうか。年代を考えるうえで、重要事項
は層位学的観察です。年輪年代法の分析結果を否定するに足る、>>417さんご
自身の観察結果をご提示ください。

説得力のあるご返答を大いに期待しています。
それではー。

437 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 22:52
おお、通りすがり登場!!

期待してるよ

438 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:06
通りすがりの手法の欠点は、バカには通用しないことだよ。

439 :417:2001/06/16(土) 23:10
■ 年輪年代学に物申す! ■
の方で既に結論がでたようなのでコピペしただけだよ。

440 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:12
>438
馬鹿はお前だろ。

441 :通りすがり:2001/06/16(土) 23:18
>>439(=>>417)さん

そうですか。失礼しました。
>>439さんご自身のお考えはいかがでしょうか。


442 :通りすがり:2001/06/16(土) 23:20
>>438さん

うう・・・

たまに頭の中で「馬の耳に念仏」や「のれんに腕押し」といった
言葉がぐるぐる回るときがあります(w


443 :通りすがり:2001/06/16(土) 23:23
相変わらずていどの低い論争やってる。

444 :通りすがり:2001/06/16(土) 23:25
申すまでもないですが、

>>443は騙りです。

その手で来たか(w

445 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:26
>>442
>>417 の引用したのがその典型のようだ。

446 :P&A:2001/06/16(土) 23:26
以下コビベを読んでください(「信長の野望」の発売は光栄です・・・)

井沢板の管理人を怒らせると怖いよ!

最近思ったことは21世紀になって本当によかったと思うこと。
インターネットが普及したおかげで
>>2m君のように誰でも気軽に井沢板に投稿することができたのだから。
一昔前なら、「大韓帝国」のことは、2ちゃんねるのハングル板と
「井沢板」の常連ぐらいしか知らなかった秘密だから。(案外中学,高校の
日本史の先生も知ってる。ただし近現代史の話だけど)(授業中はもちろん飯島愛!)
本当にいい時代が去ったと思う。私がこのすれ立てたのも井沢板でビッグべン(大便)
を排泄しようと思ったから。加藤茶の「タブー」を再開した時初めて
ドリフのギャグの偉大さが見えてくるから。
また、日本史板でも「アズマ」や「新井」「臭吉」とかいう荒らし馬鹿スレばかりが全て
と思い込んでるバカものいるけど。(藁)

西原理恵子皇族論が理解できて初めて「できるかな」(鴨志田穣は西原の旦那で最近入院中のカメラマン)。
を隠蔽した理由もわかるし(りえママと徳松爺さんが東京からやってきた事実を隠すため土佐女子が退学させた。
坂本竜馬様を生んだ神聖なる高知県をズべ公の出身地などできる分けナイとなる)
義経が平泉で死んだことになってるのに北海道のいたるところに義経滞在の石碑が残っているし修学旅行北海道だったけど
いたるところでどれだけ大麻が自生しているのを見せ付けられたことか。(藁)
逆賊となった光秀が徳川幕府の宗教顧問になったのでは、光秀による信長殺害のイデオロギーは崩れる。
それでは困るから徳川幕府が隠蔽して光秀は小栗栖で死んだことにした。
徳川家は存続しているからこの根拠亡きタブーを除去しないとどうしても真実が見えてこない。

まだ井沢板が再開されるのはまだまだ早いだろうか。(この電波を発信するまで)。
井沢板が一時閉鎖されるまで一週間以上かかったはずだ。このことを言うと常連扱い
されるうちはまだ2ちゃんねるにありついた方が賢明のようだ。
そろそろ井沢板を再開させてオレ様に電波を出させてくれくれ。                                                                                                                




447 :>436:2001/06/16(土) 23:28
法隆寺5重の塔が582年建立ということは、ありえない。
よって、測定の間違いである
ただそれだけ。

448 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:29
反論できないので本当に荒らしになったか・・・
末期症状だな(藁

晒しあげ

449 :>447:2001/06/16(土) 23:30
理由は、別スレッドに書いてある

450 :通りすがり:2001/06/16(土) 23:34
>>447さん

どーも。

>法隆寺5重の塔が582年建立ということは、ありえない。

「ありえない」理由をお聞かせください。

>よって、測定の間違いである

 暦年代と年輪年代法による測定年代は、本来クロスチェックの必要があるの
ではないでしょうか。

 またこの場合、年輪年代法自体に方法的問題を抱えているのか、あるいは測
定者に問題があるのかどちらでしょうか。

 さらに、年輪年代法が抱える方法的問題点をご教示ください。

>ただそれだけ。

上記のご発言では著しく説得力に欠けます。

それではー。



451 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:34
苦しい時の通りすがり頼りか?
ところで通りすがりさんよ。
「底から30〜50cm浮いた状態で発掘されたと言うことは
どのように解釈するのが妥当なのかな?
何十年も経って周溝が埋まってから捨てられたと考えた方が
より妥当な考えだと思うが。
それ以外の妥当な考えがあったら聞かせてほしい。」

についてはどのように答えるのかな。
底から30〜50cm浮いた状態で発掘された物を
出来たばかりの新しい墓の周溝に直後に捨てられたと判断する方が
頭がおかしいと思うのだが。

勝山古墳はゴミタメとして築造されたと言う結論を出したようなもの。
橿原考古学研究所の正式見解として発表されたものなら自らドキュソと
認めた事になる。
あ、M氏は橿原考古学研究所じゃなかったか。


452 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:35
>>447
伐採年=築造年代だと主張している人などいないのだから
再利用、備蓄、移築の可能性が無いことを立証しないと
測定の間違いと言う結論は出ないでしょう?

453 :>438:2001/06/16(土) 23:35
>>447
荒らしはお前だろ!!

454 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:38
>>451
>出来たばかりの新しい墓の周溝に直後に捨てられたと判断する方が頭がおかしいと思うのだが。

そういう判断は誰がしたんですか?

455 :>通りすがり殿:2001/06/16(土) 23:39
582年建立でないのは、

・書記に全部焼けたと書いてある
・若草伽藍に焼失の跡があり、そっちが伽藍様式、瓦様式から古い
・はしっこが重なっていたので併存して建っていたものではない
・様式的に飛鳥時代でない部分がある。

などなど




456 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:42
M氏は自分で自分の測定結果がおかしいと気がつかないのかね。
それとも間違った物差しで沢山の年代測定発表してしまっているから
おかしいことに気が付いていても後に引けなくなってしまっているのかな?

457 :通りすがり:2001/06/16(土) 23:44
>>451さん

どーも。

>「底から30〜50cm浮いた状態で発掘されたと言うことは
>どのように解釈するのが妥当なのかな?
>何十年も経って周溝が埋まってから捨てられたと考えた方が
>より妥当な考えだと思うが。
>それ以外の妥当な考えがあったら聞かせてほしい。」
>
>についてはどのように答えるのかな。

アイタタタ。
あなたそんなことも分からずに強弁していたのですか・・・
なんか拍子抜けですね。

 「地山から30〜50cm浮いた状態での出土」が「何十年も経って周溝が埋まっ
てから捨てられた」ことを意味しないことは自明に理でしょうが・・・
重要なのは、前後の層位との関係なんですけど。ご存じでしたか?

一度、発掘調査に参加されたらいかがでしょう。

で、あなたご自身のセクション観察結果はどうなりました?
そこまで強弁されるからには、一次資料の観察結果をもって主張されているの
ですよね?

早く教えてくださいよ。あなたの観察結果を。



458 :通りすがり:2001/06/16(土) 23:46
訂正です。

最後から7行目。

(誤)自明に理
(正)自明の理

失礼しました。

459 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:46
>>454
橿原考古学研究所の新聞発表だろ。
新聞がかってに判断したってか?

460 :通りすがり:2001/06/16(土) 23:49
>>455さん

ご返答ありがとうございます。

>582年建立でないのは、
>
>・書記に全部焼けたと書いてある
>・若草伽藍に焼失の跡があり、そっちが伽藍様式、瓦様式から古い
>・はしっこが重なっていたので併存して建っていたものではない
>・様式的に飛鳥時代でない部分がある。
>
>などなど

鈴木嘉吉さん(建築史)の解釈はご存じでしょうか。

また、年輪年代法自体の方法的問題点についてはいかがですか?



461 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:51
「前後の層位との関係」ってなに?



462 :日本@名無史さん:2001/06/16(土) 23:53
わざ

わざ

九州くんだりから、古材を持ってくる理由がわからんね。

後世の穿った、都合のいい心理描写曲解以外に、なにもない。
ほんと〜〜〜に、なにもない。

あほらし。電波板逝けよ。

463 :>460:2001/06/16(土) 23:54
・心柱だけを他寺から移すことはありえません。
・移築の跡は、確認されていません。
・百年以上も乾燥させることはありえません。
・飛鳥寺からの移築説は電波です

測定法自体は、M氏の独占ですのでよく分かりません。
検証しようがないでしょう。
ただ、測定結果が間違っていることは確実です。

464 :通りすがり:2001/06/16(土) 23:58
>>461さん

>「前後の層位との関係」ってなに?

あなた本当に何も知らないのですね・・・

発掘調査の基本中の基本なので、それぐらいはご自身で調べては
いかがでしょうか。私はそれほど親切ではありません。

本当に、発掘調査に参加されてはいかがですか?
なんなら良い現場をご紹介しますよ。


465 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:01
>>463さん

どーも。

>・心柱だけを他寺から移すことはありえません。
>・移築の跡は、確認されていません。
>・百年以上も乾燥させることはありえません。
>・飛鳥寺からの移築説は電波です

なるほど。了解しました。
暦年代についてはとりあえずとして・・・

>測定法自体は、M氏の独占ですのでよく分かりません。
>検証しようがないでしょう。

そんなことないですよ。
年輪年代法自体がドイツから移植された方法ですから。
「独占」ってことはないでしょう。

>ただ、測定結果が間違っていることは確実です。

なるほど、そこまでおっしゃるのなら、光谷さんをご紹介しましょう。
直接、光谷さんご本人に会って、批判されたらいかがでしょうか。

466 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:06
通りすがりさん
一番底から出で来きたら儀式の直後に廃棄されたと考えてもいいが
上の方からから出てきたら何時廃棄されたか見当がつかない。
これ常識だと思うが。

発掘現場なんかひまが無くて行けないな。


467 :>465:2001/06/17(日) 00:07
M谷2ちゃんねるデビューか?

468 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:07
>>462さん

そろそろ断末魔ですか。

ところで、私の質問へのご回答はどうなりましたか?
年輪年代法への批判をそこまで強弁されるからには、さぞかし
ご立派なご見識を持ち合わせているのでしょう。

ぜひご教示ください。

もう一度書きますよ。

年輪年代法自体に内包される方法論的問題点を、
測定者の技術的問題を踏まえたうえで
ご指摘ください。

#もうちょっとかな(w


469 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:11
かかってこいや、光谷

470 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:14
>>466さん

どーも。

>一番底から出で来きたら儀式の直後に廃棄されたと考えてもいいが

 地山直上出土がすなわち、「儀式の直後に廃棄された」には直結しないので
すよ。「一括遺物」という言葉はご存じですか?

>上の方からから出てきたら何時廃棄されたか見当がつかない。

ですから、セクションを観察して前後の層位関係から判断するのです。
もちろん共伴遺物も重要です。

>これ常識だと思うが。

失礼ですが、どこの現場の「常識」でしょうか?
少なくとも、世界中どこを探してもおっしゃるような「常識」は存在しません。

>発掘現場なんかひまが無くて行けないな。

そうですか。残念です。
最寄りの現地説明会に行かれてはいかがでしょうか。
調査担当者に質問すれば、疑問に対して気軽に答えてくれると思いますよ。


471 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:15
>出来たばかりの新しい墓の周溝に直後に捨てられたと判断する方が頭がおかしいと思うのだが。
>橿原考古学研究所の新聞発表だろ。
>新聞がかってに判断したってか?

橿考研の記者発表資料
「これらの遺物は、周濠底面から30pから50p程度浮いた状態で出土しており、墳丘築造後一定期間を経た後に投棄されたものと考えられる。」
「これらの遺物は、墳丘上で執行された何らかの祭祀で使用された後、一括廃棄されたものと考えられる。出土土器から、廃棄の時期は、寺沢編年の布留0式期と推定される。」
「木材の伐採から製材、加工にかかる時間幅、および、使用から廃棄に至る経緯やその間の時間幅をも考慮する必要があることは言うまでもない。残念ながら、現段階ではこれらの時間幅を明らかにするてだてはないが、それを極端に長く見積もる必要はないものと考えられる。」
「勝山古墳の推定築造年代を3世紀前半の中におさまるものと考えたい。」

あなたの書いてることとぜんぜん違うんですけど?

472 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:16
>>469さん

残念ながら、私は光谷さんではありません。当たり前ですが。
旧スレと本スレをご覧になればご理解いただけると思いますが・・

>かかってこいや、光谷

私でよければ、いつでもお相手しますよ。

それで、ご質問はなんでしょうか?


473 :>468:2001/06/17(日) 00:17
Mのデータって公開されてないんでしょ?
検証できるわけないじゃん。


474 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:18
>>471さん

情報ありがとう。
結局、彼(彼女)の妄想だったんですか・・・

養護学校に勤務する友人がいるのですが、彼の苦労がしのばれます。


475 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:20
>>473さん

日本語が通じない人だなあ・・・

>Mのデータって公開されてないんでしょ?
>検証できるわけないじゃん。

データと方法論の違いって理解できますか?
私がお聞きしているのは、年輪年代法の「方法的」問題点です。


476 :>通りすがり殿:2001/06/17(日) 00:23
測定結果が間違っているということが、一番の問題です。


477 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:26
>>476さん

うーん、困ったな・・・

>測定結果が間違っているということが、一番の問題です。

ですから、その「測定結果が間違っているということ」の具体的な
方法的問題点をお聞きしているのですが・・・

お断りしますが、私は年輪年代法マンセー! ではないのですよ。
ただ、批判される方にはそれなりに説得力のある理由があるのかなと
思っただけです。

むしろ、私自身がいろいろと教えていただきたいぐらいです。


478 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:27
>>476 間違っていると主張する理由を聞かれてるんでしょ?

479 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:27
橿原研総出で反論とはおもしれえ。

注目しろや
>マスコミ

480 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:28
クバプロが出した「理化学分析法は考古学に何をもたらしたか」(題名違うかも)に
年輪年代法に関してガイダンスが掲載されています。

書店にて入手可能ですので、一度ご覧になってはいかがでしょうか。

481 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:29
>>479さん

私は橿考研ではないですねえ。残念ですが。

で、あなたのご質問はなんですか?

お気軽にどーぞ。


482 :>477:2001/06/17(日) 00:33
私は、古建築が専門であり、例の測定法の専門家ではありません(そもそも日本に1人しかいないでしょ)
ので、測定法自体にどういう問題があるのかは知りません(というよりM氏以外誰も分からないでしょう)。
ただ、結果は、間違っています。
なぜ間違いなのかは、すでに書いたとおりです。
古建築の専門家であれば、ほとんどが同じことを言うでしょう。



483 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:37
>>482さん

なるほど、建築史の方でしたか。

再度申し上げますが、建築史の解釈、考古学の解釈、年輪年代法の解釈は
等価に位置するものであり、互いのクロスチェックが必要なのはご理解いただけ
ますよね?

>ただ、結果は、間違っています。
>なぜ間違いなのかは、すでに書いたとおりです。

なんか糸井重里の名言、「あるとしかいえない」を彷彿とさせますね。


484 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:42
年輪年代法の問題
まず三世紀の樹木の年輪年代を知るためには前二、三世紀から現在まで生きた
樹木の年輪を同種の木で少なくとも数十本調べなければならない。
さもなければ正確な年輪パターンを作成できない。
年代の確認できる同種の木の数代に渡る木の年輪を継ぎ接ぎしてパターンを作る
事になる。
しかし正確を期するには更に何百本もの樹木の年輪を調べていかなければならない。
継ぎ接ぎで正確なパターンを作るのは殆んど不可能に近い。
と言って2千年以上の樹齢の木を何十本も切り倒して調べることも出来ない。
多くの学者が年輪年代法に取り組みながら途中で放り出してしまったのはこの為だ。
更に日本は地方によって気象気候が違うから巻向の遺跡から発見したものは畿内の
樹木によって作られたパターンでなければならない。

M氏は物凄い樹木年輪のデータを持っているそうだが果たして??

485 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:44
>>484さん

お疲れさまです。
そうそう、具体的な問題点をおっしゃってくれると良いのですよ。
事例に則した問題点ならばなお良しですね。


486 :>483:2001/06/17(日) 00:45
おっしゃるとおり、クロスチェックが必要です。
しかし、法隆寺の場合、上に上げたような理由で582年伐採の可能性は
限りなく低いと考えざるおえない以上、測定が間違っているとした方が自然です。

元興寺の場合は、古材の転用の可能性もあるでしょう。
しかし、ないかもしれない。
(「転用があるかないか分からない」というのも大きな問題ですが。)

いずれにせよ、こんなもので庄内期を繰り上げるのは、危険極まりないことです。
第2ののゴッドハンドでないことを祈ります。


487 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:50
>>486さん

どーも。

少なくとも、法隆寺の事例に関しては、建築史の立場から「?」がつく
ということでよろしいですね。

光谷さんからのコメントは何かご存じですか?

>いずれにせよ、こんなもので庄内期を繰り上げるのは、危険極まりないことです。

たしかに私も勝山の事例に関して、早急な結論を危惧しています。
もっとも現場レベルの判断ではなく、マスコミを含めた二次情報についてですが。

>第2ののゴッドハンドでないことを祈ります。

世論誘導が怖いですね。



488 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:52
>>486さん

勉強になりました。
ありがとう。


489 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:54
北大農学部での研究で、ヒノキの年輪幅がもつ同時性の地域の広がりの目安になる統計的な信頼限界距離が約350kmという数字が出ています。パターンのサンプルが畿内のものでなければというほど狭くはないでしょう。

490 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:54
いい加減、スレ違いなので、年輪年代法に関してはそろそろお開き
ということでいいかな? >All

スレの本来に戻りましょう。

491 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:55
>>489さん

なるほど、参考になります。メモメモ。


492 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 00:58
>>486
誰かこれで庄内期を繰り上げると言う発言をしているのですか?
聞いたことがありません。事実ですか?

493 :通りすがり:2001/06/17(日) 00:59
そろそろ寝ようと思いますが、何かありますか?
なければ寝ます。

494 :通りすがり:2001/06/17(日) 01:01
>>492さん

どーも。

>誰かこれで庄内期を繰り上げると言う発言をしているのですか?
>聞いたことがありません。事実ですか?

あうー。これも妄想ですか・・・

あのですね皆さん、情報ソースは明確にしましょう。
最低限の態度と思いますが、いかがでしょう。

#いい加減にしてくれよ・・・
#もうつきあいきれない。


495 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:06
350km
なんて数字は何処からきたの?
日本は西日本は猛暑なのに東日本は冷夏なんてことは良くあるぜ。
北陸山陰と太平洋岸でも全く違っている。

496 :通りすがり:2001/06/17(日) 01:12
>>495さん

頑張るなあ・・・・


497 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 01:30
北海道大学演習林研究報告 野田真人「樹木年輪幅の時系列変動の解析」1996

498 :通りすがり:2001/06/17(日) 01:32
>>497さん

ありがとう!


499 :通りすがり:2001/06/17(日) 01:38
年輪年代法については、とりあえず終了ということでよろしいか? >All

500 :通りすがり:2001/06/17(日) 02:00
では皆さん、本筋に戻りましょう。

そして何より・・・

議論を楽しみましょう!

・情報ソースは明確にする
・他者と自身の解釈を分別する
・他者と理解が共有可能な論理構成を心がける

良スレになればいいですね。

501 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 02:03
賛成。ではおやすみ。

502 :通りすがり:2001/06/17(日) 02:04
>>501さん

お疲れさまでした。
おやすみなさい。



503 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 06:28
年輪年代法出してきてやぶ蛇になったようだね。畿内説。

504 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 10:36
↑もうこういう手合いは無視でいいのでは?

505 :よこやりくん:2001/06/17(日) 10:45
年輪年代法について
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=991994652&ls=100
の 203,216 にかなり中立的なカキコ
引用されてる他のホムペとして
http://www1.ocn.ne.jp/~topaz308/bunkahonki2.html (中立的)
http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2001/0610/04.html (書評)

506 :通りすがり:2001/06/17(日) 12:55
>>505さん

ご教示ありがとうございます。
今後の参考とさせていただきます。

ただ、そろそろ年輪年代法の話題は終了ということでいかがでしょうか。
該当スレもあることですし。

>>504さん

了解です。

無用の煽り・嵐は一切、常温で放置しましょう >All


再掲します。

<お約束>

・情報ソースは明確にする (当たり前ですね)

・他者と自身の解釈を分別する (でないと電波になります)

・他者と理解が共有可能な論理構成を心がける (煽り・嵐はこの手です)

・煽りおよび嵐は一切放置!(ダメ ゼッタイダメ)


皆でこのスレを良スレに育てましょう。

507 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 13:40
じゃあ
>>382

「倭人伝には「その俗淫ならず。」と書いてあります。
一方高句麗伝には「その俗淫なり。」とかいてあります。
古事記を読めば畿内人たちがいかに淫乱だったかがよく解ります。
貴族達が近親相姦やりまくりじゃないですか。
したがって「大和国は淫なり。」で邪馬台国ではないのです。
高句麗の淫な風俗を引き継いでいるのです。」

は上の条件に全て合致しているのでちゃんと俎上にのせて議論してくれる?

508 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 14:34
だから、邪馬台国は西都原です。

509 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 14:41
以下コビベを読んでください(「信長の野望」の発売は光栄です・・・)

西原理恵子の旦那はヘロイン中毒だから困るよ!

最近思ったことは21世紀になって本当によかったと思うこと。
インターネットが普及したおかげで
>>君のように誰でも気軽に井沢板に投稿することができたのだから。
一昔前なら、西原理恵子のことは、一部のマンガ雑誌ぐらいしか知らなかった事実だから。
(案外中学,高校の先生も知ってる。ただしここの話だけど)(授業中はもちろん伊集院静)
本当にいい時代になった思う。私がこのすれ立てたのも日本史板でちょっとした騒ぎを
を起こさせようと思ったから。ラテン音楽の名曲「タブー」を聞いたとき時初めて
ドリフのギャグの偉大さが見えてくるから。
また、日本史板でも「アズマ」や「新井」「臭吉」とかいう荒らし馬鹿スレばかりが全て
と思い込んでるバカものいるけど。(藁)

西原理恵子皇族論が理解できて初めて「できるかな」(鴨志田穣は西原の旦那で最近入院中のカメラマン)。
を隠蔽した理由もわかるし(りえママと徳松爺さんが東京からやってきた事実を隠すため土佐女子が退学させた。
坂本竜馬様を生んだ神聖なる高知県をズべ公の出身地などできる分けナイとなる)
義経が平泉で死んだことになってるのに北海道のいたるところに義経滞在の石碑が残っているし修学旅行北海道だったけど
いたるところでどれだけ大麻が自生しているのを見せ付けられたことか。(藁)
逆賊となった光秀が徳川幕府の宗教顧問になったのでは、光秀による信長殺害のイデオロギーは崩れる。
それでは困るから徳川幕府が隠蔽して光秀は小栗栖で死んだことにした。
徳川家は存続しているからこの根拠亡きタブーを除去しないとどうしても真実が見えてこない。
オレ様に電波を出させてくれくれタコラ。  


510 :通りすがり:2001/06/17(日) 14:48
>>507さん

・他者と理解が共有可能な論理構成を心がける

上記の条件に合致しないので、私は相手をしません。
それだけです。

他の方は知りません。

また、もし相手をして欲しいのならば、それなりの態度でもって
接するのが筋ではないでしょうか。


511 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 14:54
他者と理解が共有可能な論理構成を心がける

>>九州で一番大きな古墳が卑弥呼の古墳と子供でもわかる論理を主張!
(邪馬台国は西都原)

512 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 18:59
>・他者と理解が共有可能な論理構成を心がける

高句麗伝には「その俗淫なり。」
大和の風俗は淫乱(記紀によれば)

これで畿内が高句麗の後裔であると推測するに不足があればもう一つ

高句麗の積石塚古墳と言うのは形式がホケノ山古墳とよく似ている。
高句麗の積石塚古墳は前方後円墳や前方後方墳と同じように祭壇つき。

墓の様子も高句麗伝に「石を積みて封となし」と書いてあり魏志は高句麗の墓が
積石塚であった事を正確に記載しているが
倭人伝には「土を封じて冢と作す」とあり畿内の石を葺いた古墳とは違う
ように思われる。

魏志に書いてある高句麗の様子は大和に重なるものが多く、倭人の様子は
九州のものだ。

畿内が高句麗の後裔であることはほぼ間違いない。

513 :通りすがり:2001/06/17(日) 19:13
>>512さん

ごめんなさい。放置します。

#念のためお聞きしますが、荒らしてるんですよね?


514 :通りすがり:2001/06/17(日) 19:34
>>512さん

さきほどは失礼しました(>>513のレスです)。
私事で気が立っていたもので、失礼なレスを返してしまいました。
お詫びいたします。

>高句麗の積石塚古墳と言うのは形式がホケノ山古墳とよく似ている。
>高句麗の積石塚古墳は前方後円墳や前方後方墳と同じように祭壇つき。
>(以下略)

上記のご発言は森浩一さんの著書が出典でしょうか。
よろしければ、情報ソースを明示してください。

 前方後円墳の起源を高句麗の積石塚古墳に求める解釈は、北朝鮮の政治的プ
ロパガンダの文脈で検討する必要があります。お気をつけください。

お説を拝読した限り、

・情報ソースが不明確
 →他者の解釈に依拠する場合は、出典をできるだけ明記しましょう。

・論証が不十分で、第三者的に理解が困難
 →他者と理解が共有可能な論理構成を心がけましょう。

以上の2点に問題点を指摘できます。

もう一度、ご自分の文章を読み返して、他者が理解可能な内容に改善されるこ
とを期待します。

それではー。


515 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 20:07
>>514
前方後円墳の起源そのものはともかく
葺石の起源を高句麗の積石塚に求めるのは合理的な議論であると思います。
ただ、古墳文化を一元的に北方起源とするのは暴論であって
逆に西日本各地の葬制を総合的に集約したものと見るべきで
当時の政治的環境を推定する貴重な手がかりであろうと思います。

516 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 21:02
情報ソースは魏志東夷伝の中の高句麗伝だよ。
積石塚の写真を見た事があるが瓢箪型とか長方形型のものが在った。
何かその筋の権威による裏付けがほしいの?

http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012f2.jpg

これは自分の見た写真のものとは違うけど祭壇は確認できると思う。

これ以上の論証する位なら自分で本書いて新学説として発表するさ。
自分の専門じゃないからねやるつもり無いけど。

『墓の様子も高句麗伝に「石を積みて封となし」と書いてあり魏志は高句麗の墓が
積石塚であった事を正確に記載しているが
倭人伝には「土を封じて冢と作す」とあり畿内の石を葺いた古墳とは違う
ように思われる。』
と言うのが他人に理解できない?

魏志によれば倭人の墓は土を盛っただけであり、「石を積みて封となし」た高句麗の墓は
石を積んで作られたホケノ山古墳や古墳全体に石を葺いた大多数の古墳に似ていると
考えるのが妥当ではないかと言うことが良くわかると思うが。


517 :日本@名無史さん:2001/06/17(日) 21:27
ホケノ山古墳は石を積んで作られたものではありませんが?

518 :通りすがり:2001/06/17(日) 23:03
>>516さん

どーも。

>何かその筋の権威による裏付けがほしいの?

 はあー。「権威」なんぞはどうでもいいです。
>>516さんご自身の解釈であるのか、他の方の解釈であるのかが不明確だから
です。情報ソースを明確にする必要性はご理解いただけますよね?

>魏志によれば倭人の墓は土を盛っただけであり、「石を積みて封となし」た
>高句麗の墓は 石を積んで作られたホケノ山古墳や古墳全体に石を葺いた大多
>数の古墳に似ていると 考えるのが妥当ではないかと言うことが良くわかると
>思うが。

 >>517さんもおっしゃっていますが、ホケノ山古墳は積石により墳丘が築造
されてはおりません。さらに埴輪などの外部施設、埋葬主体部などの内部施設
についてはいかがでしょうか。様々な要素の相関関係を検討することが必要な
作業と私は考えます。

 「斬新な」解釈の提示も大いに結構ですが、まずは基本的な情報収集から始
められてはいかがでしょうか。大事なことです。

実りある考察を願っております。
それではー。

519 :通りすがり:2001/06/17(日) 23:10
>>515さん

どーも。

>葺石の起源を高句麗の積石塚に求めるのは合理的な議論であると思います。

なるほど。
「合理的」と>>515さんが判断するに足る理由が欲しいですね。
よろしければ、葺石という要素が高句麗系譜で倭で「選択的に」採用されるプロセス
をご説明願えますか。

よろしくお願いします。

520 :日本@名無史さん:2001/06/18(月) 00:35
>>519
萩原1号のような初期古墳の要素を備えた積石塚を、定式化した古墳に注ぐ一つの流れと考えたときに、葺石のルーツが明快に説明できるのではと考えています。
ホケノ山や中山大塚の葺石が積石帯を持っていることを、在来の封土作冢と融合するプロセス上の形態と理解する訳です。
讃岐の積石塚が列島上で系譜を辿れないことから高句麗と結びつける考え方は東潮流ですが、納得できるものだと思っていなす。

521 :日本@名無史さん:2001/06/18(月) 00:48
あっと、萩原1号とホケノ山の共通性については言葉を費やす必要もないと思いますけど、吉備系要素、北部九州的要素、東瀬戸内的要素など定式化古墳に流れ込む要素の中で、なぜ葺石が残り木槨が脱落するかとか、そのへんまでは説明できません。
ただ、中間的形態を辿って「選択的に」採用されるプロセスを追尾できるのではないかというアイデアび留まります。

522 :日本@名無史さん:2001/06/18(月) 06:52
高句麗人が日本で墓を作るにあたって石が足らなかった。
そこで土を盛ってその上に石を被せた。
高句麗の墓は石槨が殆んどだが、日本に来た時豊富な木材があったので
木槨を作ったと考えれば納得がいく。
古墳は畿内で発生して次第に全国に広まったようないわれ方をしているが
前方後円墳だけでなく前方後方墳や四隅突出墓も含めれば出雲、北陸、東海、
四国、南東北まで三世紀末から四世紀初頭に同時多発的に発生している。
畿内の弥生遺跡に鉄製の武器など殆んど見つかっていないのに、これほど短期間の
内に畿内勢力が全国を支配することが出来ることなど、自然発生した国家としては
無理だろう。
何らかの外来勢力が関係したと考えるのが合理的というもの。


523 :日本@名無史さん:2001/06/18(月) 08:48
古墳文化の発生にかかわる夫餘系統の影響を過小評価すべきではないと思いますが、あくまでもファクターの一つであり、日本列島固有の要素が多数であります。
またその諸要素の発生時期についても2世紀末葉から3世紀初頭に溯るものがほとんどであり、3世紀中葉以降に中国人が観察した倭人の姿は既にこれらを反映したものであると考えるのが妥当だと思います。


524 :通りすがり:2001/06/18(月) 08:51
>>520-521さん

どーも。
ご返答ありがとうございます。

#引用箇所の改行部分、誤字を適宜改変しています。

>中間的形態を辿って「選択的に」採用されるプロセスを追尾できる
>のではないか

上記のご発言を問題提起として進めます。

>萩原1号のような初期古墳の要素を備えた積石塚を、定式化した
>古墳に注ぐ一つの流れと考えたときに、葺石のルーツが明快に説
>明できるのではと考えています。 ホケノ山や中山大塚の葺石が積
>石帯を持っていることを、在来の封土作冢と融合するプロセス上
>の形態と理解する訳です。

なるほどなるほど。

>吉備系要素、北部九州的要素、東瀬戸内的要素など定式化古墳に
>流れ込む要素の中で

上記のご発言を踏まえて理解いたします。

>なぜ葺石が残り木槨が脱落するかとか、そのへんまでは説明でき
>ません。

 そうですね。難しいところです。「選択」という行為を問題にする限り、具
体的なプロセスを説明する際には実証的な経験レベルを越えた説明が必要にな
るでしょうね。「主体性」のような漠とした言葉で説明されることが多いよう
ですが(たとえば弥生文化成立期における文化複合の受容など)。
 ただ、葺石が出現期古墳に採用される一つの説明としては、私も首肯すると
ころが多いです。

>讃岐の積石塚が列島上で系譜を辿れないことから高句麗と結びつ
>ける考え方は東潮流ですが、納得できるものだと思っています。

うーん、可能性としては理解できますが・・・
 高句麗系譜で倭に至るまでのプロセスあるいはコンテクストについて、追加
のご説明があると第三者的な理解が容易になると考えます。というよりも、当
該のプロセスあるいはコンテクストに対する説明がないかぎり、ひとつの解釈
として成立しえないとも考えられます。いずれにせよ、難しい問題です。
 東さんはその辺をいかに説明されているのでしょうかね。不勉強につき申し
訳ありません。

大変、参考になりました。
これからもいろいろとご教示ください。

それではー。

525 :通りすがり:2001/06/18(月) 09:08
>>523さん

どーも。

>古墳文化の発生にかかわる夫餘系統の影響を過小評価すべきでは
>ないと思いますが、

「夫餘系統の影響」について、具体例を交えた追加説明があると第三者的な理
解が進むと思います。

よろしくお願いいたします。
それではー。

526 :日本@名無史さん:2001/06/18(月) 10:36
>>525
夫餘的要素とは書いてみて些か針小棒大であったかもしれませんが、埋葬施設が地表面より高い位置に築かれる特異な形態は時間・空間的に見れば高句麗積石塚が最も近しいものであります。
また高句麗積石塚の埋葬部遺構から発見される釘と思われる鉄製品が棺の遺物か槨の遺物かと考えると、同族である夫餘が「有槨無棺」であること(東夷伝)を鑑みれば、木製の槨室的構造物が存在していたことを想定してよいと思います。
石囲木槨が板石積上げによる石槨構築と別系統の技法であることなども勘案すると、萩原1号と高句麗積石塚の類似性は過小評価すべきでないと考えます。過大評価すべきでないことは言うまでもありませんが。


527 :通りすがり:2001/06/18(月) 16:51
>>526さん

>>515=>>520=>>521=>>523=>>526でいいのかな?
#仮ハンドルネームがあると助かるなあ。

ご返答ありがとうございます。

 葬送行為に関する高句麗(あるいは夫餘)の影響について、個々の要
素の類似性を認めるのは私もやぶさかではありませんが、全体的なコ
ンテクストを踏まえた解釈となるといかがでしょうか。高句麗あるいは
夫餘からはるばる日本列島に影響をもたらした主体、あるいはそのプ
ロセスについてご説明があるとありがたいです。今までのお話のみで
は、類似性を有する点と点をつないだ解釈として表層的な理解に留ま
りかねません。単に類似性をもって影響を考えるのは少々抵抗があり
ます。

 また、当該の交換活動に関しては、高句麗(あるいは夫餘)から日本
列島への一方向的なものとして想定されているのでしょうか。葬送イデ
オロギーの交換として本事例を検討する場合、逆ベクトルの影響は看
取できませんか。一方向的な交換活動として解釈する場合は、かなり
限定された状況を想定する必要を感じるのですが・・・

 さらに付言ですが、例として>>526で挙げられた高句麗積石塚の影
響は萩原1号墓に限定されるのでしょうか。あるいは他の事例にも相当
する要素が存在するのでしょうか。ご教示ください。

 以上3点にわたり愚にもつかぬ疑問を長々と書き連ねてしまいました
が、ご検討くださると大変ありがたいです。ご参考ください。

それではー。

528 :日本@名無史さん:2001/06/18(月) 21:12
古墳すべてじゃないの?
円墳であれ、方墳であれ、三世紀以降に築造されたほとんどの古墳には葺き石がある。


529 :日本@名無史さん:2001/06/19(火) 00:18
また、電波が発生してらあ。
レベル低いねこのスレッド

530 :考古学専攻:2001/06/19(火) 01:06
積石塚と前方後円墳とは何の関係もない。
こんなものは学会では誰も相手にしていない。
フルシン以下だね

みんなも電波は、無視しようぜ。

531 :日本@名無史さん:2001/06/19(火) 01:07
倭人伝なんて言わずに東夷伝と呼ぼう。

532 :鹿苑寺:2001/06/19(火) 06:14
>>527
>今までのお話のみでは、類似性を有する点と点をつないだ解釈として
>表層的な理解に留まりかねません。

おっしゃるとおり点と点を線でつないだに過ぎません。仮説を帰納するには事例が十分とはいえないので、過大評価は禁物でしょう。過小評価すべきではないと言っているに留まります。

>葬送イデオロギーの交換として本事例を検討する場合
>逆ベクトルの影響は看取できませんか。

現状では事例として観察できないと思います。
かなり限定された状況を想定することになるでしょう。
ただ、文化の移転は人の移動を前提とはしてもイコールの関係で捉える必要はないし、それぞれの固有性を現地的変容と捉えれば、更に想定される状況は限定的です。
ひとつの背景として、萩原1号と帯方で画文帯の兄弟鏡が出ていることは、広域間の交流を示す事実です。

>萩原1号墓に限定されるのでしょうか。

鶴尾周辺の事例も勘案すべきと思いますが、典型例は萩原と思います。

533 :日本@名無史さん:2001/06/19(火) 06:22
合理的根拠を示して主張するのは電波ではない。

>積石塚と前方後円墳とは何の関係もない。
>こんなものは学会では誰も相手にしていない。

学会の権威に頼らなければ議論も出来ないのか。厨房。
東夷伝くらいしっかり読んで来い。
学会にも倭人伝しか読んだ事無い厨房が大勢いる。特に畿内説論者に多い。

534 :日本@名無史さん:2001/06/19(火) 06:45
九州論者には何も読まない人が多い

535 :通りすがり:2001/06/19(火) 07:49
>>522さん

どーも。
お返事が遅れましてすいませんでした。
お詫びします。

#秀丸君の調子が悪いのですよ。
#マクロの「桁折」がうまくいかない・・・

#改行位置を変更しています。

>高句麗人が日本で墓を作るにあたって石が足らなかった。 そこで土
>を盛ってその上に石を被せた。 高句麗の墓は石槨が殆んどだが、日
>本に来た時豊富な木材があったので 木槨を作ったと考えれば納得
>がいく。

 うーん、「高句麗人」とはえらく場当たり的な行動をとりますね・・・
「高句麗人」はどういった事情で日本列島に渡来したのかな?

>古墳は畿内で発生して次第に全国に広まったようないわれ方をして
>いるが 前方後円墳だけでなく前方後方墳や四隅突出墓も含めれば
>出雲、北陸、東海、 四国、南東北まで三世紀末から四世紀初頭に同
>時多発的に発生している。

 「古墳」をいかに規定するかによって解釈は変わってきますね。内容
規定が必要ではないでしょうか。

>畿内の弥生遺跡に鉄製の武器など殆んど見つかっていないのに、こ
>れほど短期間の 内に畿内勢力が全国を支配することが出来ることな
>ど、自然発生した国家としては 無理だろう。

 当該期の「争い」について具体的状況を勘案してはいかがでしょうか。
集落構成員数や生産力などの要素から最適化された「争い」の具体的
内容を想定しない限り、地域間の政治的関係を軍事的要因から解釈
することは難しいと思いますよ。

ご参考のうえ、今一度検討してみてください。
それではー。

>>529−530
>>534

いいかげんにしなさい。
煽る暇があったら、>>522さんのようにネタ振りをしてみてはいかがですか?
以後、放置します。

536 :名無しさん@1周年:2001/06/19(火) 07:54
高句麗の積石塚なんて超小さいゴミのようなもので全然関連無いだろ(w
技術的には秦の始皇帝陵・漢の武帝陵など中国の技術導入だな

537 :通りすがり:2001/06/19(火) 08:12
>鹿苑寺さん(>>532

ご返答ありがとうございます。
また、早速のコテハン感謝です。

#改行位置を変更しています。

>おっしゃるとおり点と点を線でつないだに過ぎません。仮説を帰納する
>には事例が十分とはいえないので、過大評価は禁物でしょう。過小
>評価すべきではないと言っているに留まります。

 おっしゃるとおりなんですが、お話を踏まえたうえで当該事例から高句
麗と倭地域の関係を考える場合、経験レベルを越えた仮説提示の必
要を考えますが、いかがでしょうか。「類似」がすなわち「影響」とは
限りませんよね。経験レベルの表層的な理解から「影響」といった語が
一人歩きすることを懸念します。

>現状では事例として観察できないと思います。 かなり限定された状
>況を想定することになるでしょう。

了解しました。
「限定された状況」をどのように想定されますか。

>ただ、文化の移転は人の移動を前提とはしてもイコールの関係で捉
>える必要はないし、それぞれの固有性を現地的変容と捉えれば、更
>に想定される状況は限定的です。

「限定的」の意味が少し異なるような・・・

>ひとつの背景として、萩原1号と帯方で画文帯の兄弟鏡が出ているこ
>とは、広域間の交流を示す事実です。

なるほど。
途中経路の問題はいかがでしょうか。

>鶴尾周辺の事例も勘案すべきと思いますが、典型例は萩原と思います。

了解しました。
萩原1号墳から出現期の前方後円墳にいたる過程についてはいかが
でしょうか。

「教えて君」で失礼しました。お気を悪くしないでくださいね。
それではー。

538 :鹿苑寺:2001/06/19(火) 09:03
>類似」がすなわち「影響」とは限りませんよね。経験レベルの表層的な理解から「影響」といった語が
一人歩きすることを懸念します。

アプリシェイトせよという話ではなくアンダーエスティメートは「?」と言っているだけなので、詳しく聞かれて答えれば答えるほどその懸念が増すというアンビバレンツがありますが…

>「限定された状況」をどのように想定されますか。

という具合にです。

>「限定的」の意味が少し異なるような・・・

リジッドな仮定を重ねるという意味ではまぁ同じかと。

>途中経路の問題はいかがでしょうか。

これも中華圏との交渉を示す一遺物に過ぎませんから、桓仁と結ぶ途中経路だなどと言う積りはありません。ただ交流範囲の広がりを表わす指標として挙げただけです。

>萩原−ホケノ山−中山大塚というラインを、古墳祭祀形成に向う蛸足的プロセスの足の一本と見ています。
古墳祭祀を構成員各地の要素を貪欲に取り込んだキメラ的存在と認識することで、3世紀のゲオポリティカルな状況を窺知できると考えています。



539 :鹿苑寺:2001/06/19(火) 09:08
【訂正】
>萩原1号墳から出現期の前方後円墳にいたる過程についてはいかが
でしょうか。

萩原−ホケノ山−中山大塚というラインを、古墳祭祀形成に向う蛸足的プロセスの足の一本と見ています。
古墳祭祀を構成員各地の要素を貪欲に取り込んだキメラ的存在と認識することで、3世紀のゲオポリティカルな状況を窺知できると考えています。

540 :522:2001/06/19(火) 09:40
> うーん、「高句麗人」とはえらく場当たり的な行動をとりますね・・・
>「高句麗人」はどういった事情で日本列島に渡来したのかな?

漢が楽浪郡を作った時、又は魏が公孫氏、および高句麗を討った時に半島から
逃げてきた可能性が有るとおもう。
一番可能性の高いのは魏の高句麗討伐だね。
この時は魏がかなり徹底的に高句麗を追い回したらしいから高句麗だけでなく、
周辺の沃沮国人なんかもやってきただろう。

>>古墳は畿内で発生して次第に全国に広まったようないわれ方をして
>>いるが 前方後円墳だけでなく前方後方墳や四隅突出墓も含めれば
>>出雲、北陸、東海、 四国、南東北まで三世紀末から四世紀初頭に同
>>時多発的に発生している。

> 「古墳」をいかに規定するかによって解釈は変わってきますね。内容
>規定が必要ではないでしょうか。

高句麗の積石塚は大抵が30m以下の小さいものだ。
これは後漢や魏による薄葬令の影響を受けてのものだろう。
高句麗の積石塚は長方形や瓢箪形が多いが、江上波夫氏が
北朝鮮に行って調査した時に四隅突出型も確認したそうだ。
これは私の推測だが高句麗人は魏の追跡を逃れて日本各地に
来た時、それぞれ好き勝手な墓を作った。
薄葬令の影響から逃れて巨大な墓を作るようになった。
この辺が真相の様な気がする。
瓢箪形は前方後円墳に、長方形は前方後方墳に変化した。
とりあえず後円部や後方部だけが大きくなった。
これが小さい祭壇部を持つ初期古墳だ。
円墳や方墳は中国にも有るから高句麗の影響とも言えない
が葺石は高句麗の影響と考えられなくはない。
四隅突出墓は江上氏の調査が真実なら言うまでもない。

>当該期の「争い」について具体的状況を勘案してはいかがでしょうか。
>集落構成員数や生産力などの要素から最適化された「争い」の具体的
>内容を想定しない限り、地域間の政治的関係を軍事的要因から解釈
>することは難しいと思いますよ。

九州では弥生時代から鉄の武器が沢山使用されており、戦争をした形跡
も見つかっている。
畿内に突然現れた古墳を作った人々は武器も持っていたろうが、畿内の
弥生遺跡には鉄製の武器はほとんどない。
突然現れた古墳を作った人々と言うのは外来人と考えるのが妥当。
ろくな武器を持っていなかった畿内の弥生人を征服するのは簡単だった
ろう。


541 :日本@名無史さん:2001/06/19(火) 10:36
魏が公孫氏を討ったときは高句麗は魏に協力しているので逃げる理由がありません。
毋丘倹が高句麗を討ったときは北に向って撤退しています。
年代的にも古墳の発生は正始5年より溯るでしょう。

後漢は薄葬令は出していません。薄葬は魏の文帝遺詔です。高句麗の積石塚はもっと古いので、年代的に合いません。

542 :522:2001/06/19(火) 11:31
>毋丘倹が高句麗を討ったときは北に向って撤退しています。
>年代的にも古墳の発生は正始5年より溯るでしょう。

「其後高句麗背叛、又遣偏師致討、窮追極遠、踰烏丸、骨都、
過沃沮、踐肅愼之庭、東臨大海。」
東の方に追いつめたと書いてあるぜ。
当然海に逃げて南下して日本に来たのもいるだろ。

古墳の発生が三世紀前半に溯ると言うのはまだ証明されていない。
年輪年代法が限りなくうそ臭い事がこのスレでも証明済 。
これまでの常識通り三世紀後半が妥当だろう。

543 :日本@名無史さん:2001/06/19(火) 11:49
後漢の時、武帝だったかの墓が盗掘にあって以後、後漢が薄葬令を出したと聞いた
事がありますけど。
径百歩以内とか決められていた。
漢の時の百歩って140mになるから結構大きいけど。後漢の時の一歩は何センチ?
魏はそれを引き継いで薄葬にしたのでは?
魏の墓ってほとんど見つかっていないけど30m以下の小さいものだから。
卑弥呼の墓も魏に倣って30m以下って話もありますね。

544 :日本@名無史さん:2001/06/19(火) 12:41
>>542
豆満江方面です。日本海を渡って南へというのは飛躍でしょう。
古墳時代の開始はともかく古墳(もしくは古墳的特徴を備えた弥生墳丘墓)の出現がもっと溯ることは確定的ですし、四隅突出墓がもっと溯ることは説明が要らないと思います。
また、別に年輪年代がうそ臭いとも思いません。
>>543
出典を教えてください。
後漢の百歩も約140mだと思いますが?

545 :鹿苑寺 :2001/06/19(火) 13:27
>>543
西谷、鶴尾ともに、どう考えても3世紀中ば以降に持っていくのは時系列的にみて無理でしょう。
年輪年代について攻撃的な態度をとられているようですが、正当とは思えません。土器編年を介してC14との整合性が概ねとられていると見てよく、これはクロスチェックが効いていると判断してよいのではないでしょうか。

546 :通りすがり:2001/06/19(火) 16:01
>鹿苑寺さん(>>538−539)

ご返答ありがとうございます。

>アプリシェイトせよという話ではなくアンダーエスティメートは「?」と言
>っているだけなので、詳しく聞かれて答えれば答えるほどその懸念が
>増すというアンビバレンツがありますが… (>>538

 うーん、「説明」という語句に関して、私と鹿苑寺さんの間で相違があ
るようですね。私としては、当該期の諸コンテクストに対して何ら言及さ
れずに、「影響」という語を使用する態度に非常に不満を持っているの
ですよ。経験レベルの資料群が擬人化された表現としか思えないです
ね。経験レベルの観察から直接的に、「影響」という上位のレベルの説
明を加えることを私は「説明」とは思っておりません。「影響」という語句
を使用する際には、この場合、よりメタレベルの説明が必要になるので
はないでしょうか。

#「日本考古学」とはそういうものだ、とされるのならば
#致し方ありませんが・・・ (「煽り」じゃありませんよ、念のため)
#ただ他分野の方々は理解を共有可能でしょうか。ちょっと疑問です。

>萩原−ホケノ山−中山大塚というラインを、古墳祭祀形成に向う蛸足
>的プロセスの足の一本と見ています。
>古墳祭祀を構成員各地の要素を貪欲に取り込んだキメラ的存在と認
>識することで、3世紀のゲオポリティカルな状況を窺知できると考えて
>います。 (>>539)

 上記のご発言に関してもそうですね。
 「古墳祭祀形成に向う蛸足的プロセスの足の一本」や「3世紀のゲオ
ポリティカルな状況」といった明らかに経験レベルを越えた解釈が提示
されているにもかかわらず、諸コンテクストに対する言及がなされてい
ないことに大きな懸念を抱いています。

>詳しく聞かれて答えれば答えるほどその懸念が増すというアンビバレ
>ンツがありますが… (>>538

 「詳しく聞いている」というよりも、諸コンテクストを踏まえた説明を求
めているにすぎないのですよ、私は。それがアンビバレンツとは思いま
せん。仮説演繹法を採用するか否かにかかわらず、諸コンテクストを踏
まえた「説明」がこの場合は必要になるとは思いませんか。

 あるいは実証主義的な態度を貫かれるのならば、この場合「影響」な
どの語句を一切使用せず、AとBは「類似」していると言明するに留まっ
た方がよいでのはないでしょうか。それならば、私も納得がいきます。
ただその場合は、類縁関係を親縁関係と混同されることのないよう
に・・・

いろいろとご託を並べましたが、とりあえず。
それではー。

547 :鹿苑寺:2001/06/19(火) 19:22
>「古墳祭祀形成に向う蛸足的プロセスの足の一本」

これは
(515 :2001/06/17(日) 20:07)
「(古墳祭祀は)西日本各地の葬制を総合的に集約したもの」
(520 投稿日:2001/06/18(月) 00:35)
「萩原1号のような初期古墳の要素を備えた積石塚を、定式化した古墳に注ぐ一つの流れと考えたとき」
及び(521 投稿日:2001/06/18(月) 00:48)
「吉備系要素、北部九州的要素、東瀬戸内的要素など定式化古墳に流れ込む要素」
という文脈の中でご理解ください。
「3世紀のゲオ ポリティカルな状況」は「当時の政治的環境を推定する貴重な手がかり(515)」と同じく解明すべき対象として提示したものであり、これから「経験レベルを越えた解釈」を施そうとする対象それ自体ですから、それ自体が解釈を提示しているわけではありません。

>あるいは実証主義的な態度を貫かれるのならば、この場合「影響」な
どの語句を一切使用せず、AとBは「類似」していると言明するに留まっ
た方がよいでのはないでしょうか。

それですと時間軸上の前後関係の概念を含みません。AとBが独立した事象でなく且つA>Bという前後関係があるならばAからBへの「影響」があるわけで、独立した事象であるかないかの判断も含めて相関関係を評価する上で「影響を過小評価すべきではない」と申し上げているわけです。両者の類似性を適正に評価し、更に時間軸上の前後関係と交流の可能性を勘案すれば「影響」を見積もることが出来ると思うのですが。
 もちろん親縁関係などまで立ち入るには余りに情報が不足しています。


548 :日本@名無史さん:2001/06/19(火) 20:54
ところで魏人から見て前方後円墳などをどのように表現するのでしょう。
「石を積みて封となし」か、「土を封じて冢と作す」か。

完成した姿は「石を積みて封となし」のような気がします。
完成前なら「土を封じて冢と作す」ですかね。
50mを越す前方後円墳が沢山あったらもうちょっと別の表現に
なっただろうと思います。

549 :飯島愛:2001/06/19(火) 21:06
あほか!九州で一番大きな古墳が卑弥呼の古墳であるわけない。



550 :鹿苑寺:2001/06/19(火) 21:19
封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飮酒
已葬 舉家詣水中澡浴 以如練沐

こう続けて読む限り、古墳に葬られるような首長層の葬儀を観察したものではないように思われます。
木棺直葬の方形周溝墓(台状墓)を表現したと考えるのが妥当なところではないでしょうか。

551 :通りすがり:2001/06/19(火) 22:44
>鹿苑寺さん(>>547

ご返答ありがとうございます。

>これから「経験レベルを越えた解釈」を施そうとする対象それ自体です
>から、それ自体が解釈を提示しているわけではありません。

おっしゃるとおりですね。
この件に関しては、私の誤読でしょうか。
お手数をおかけしました。ペコリ。

>両者の類似性を適正に評価し、更に時間軸上の前後関係と交流の
>可能性を勘案すれば「影響」を見積もることが出来ると思うのですが。

おっしゃるとおりですね。
私が必要とする説明は、まさしく上掲のご発言の内容です。
とりわけ「交流の可能性」ですね。

>もちろん親縁関係などまで立ち入るには余りに情報が不足しています。

同意です。
型式組列の編成が親縁関係にすり替わる議論をできるだけ避けたいも
のです。

#なお、以下は余談です。本件とは直接関係がありません。

 型式学を方法論の主軸におく限り、経験レベルの観察から直接的に
「影響」などの因果関係を説く議論は避けられないと感じます。型式組
列による「一系的」あるいは「樹形図」的な系列の編成作業が、異なる
レベルの親縁関係または系譜問題の議論にすり替わる恐れを常に感
じています。むろん、方法論相互のクロスチェックにより、ある程度、問
題は回避できると考えますが、型式学を方法論の主軸におく「日本考
古学」はどうでしょうか。あー、でも「日本考古学」に対してちょっとステ
レオタイプすぎる理解かな。反省反省。

以上、余談でした。聞き流してくださって結構です。

それではー。

552 :通りすがり:2001/06/19(火) 22:45
>>548さん

どーも。

>ところで魏人から見て前方後円墳などをどのように表現するのでしょう。

面白いですね。
興味深い問題提起として、考えてみたいです。

多種多様な造墓活動に関して、『三国志』などの文献はいかに記述しているのでしょうか。気になりますね。

それではー。

553 :鹿苑寺:2001/06/19(火) 23:04
>>551
>とりわけ「交流の可能性」ですね

その「交流の可能性」を示す指標が萩原1号と帯方の画文帯のような
 中華圏 <―> 列島
しか見出せないので、私も「影響」に関して消極的肯定に留まっているわけです。

554 :日本@名無史さん:2001/06/20(水) 00:05
このスレッドは、低レベルスレッドに指定すべきだな。
フルシンとチョソンマンセーが大手を振っているのはここくらいだぜ

555 :以下、入レス禁止:2001/06/20(水) 00:12
@古田信者
A井沢信者
B北朝鮮に洗脳された522

556 :世界@名無史さん:2001/06/20(水) 01:31
ちんぽ

557 :日本@名無史さん:2001/06/20(水) 01:45
>>555
流言蜚語誹謗中傷はやめてください。
522はれっきとした朝鮮民族差別主義者です。

558 :通りすがり:2001/06/20(水) 01:57


  kkkkkkkkkkkkkkkkk
  k 邪馬台国=西都原  k
  kkkkkkkkkkkkkkkkkkkk

559 :通りすがり:2001/06/20(水) 07:40
>鹿苑寺さん(>>553

>その「交流の可能性」を示す指標が萩原1号と帯方の画文帯のような
> 中華圏 <―> 列島
>しか見出せないので、私も「影響」に関して消極的肯定に留まっているわけです。

ひとまず了解しました。
これからもご教示くださいね。

>>558

騙りはやめれ。

560 :日本@名無史さん:2001/06/20(水) 10:29
魏志東夷伝で墓に付いて書いてあるのが
夫餘 有槨無棺
高句麗 有槨無棺
東沃沮 有槨無棺
韓国 有棺無槨
倭国 有棺無槨

北九州 有棺無槨
前方後円墳 有棺有槨


561 :名無しさん:2001/06/20(水) 10:37
卑弥呼架空の人物説ってどうなの?


562 :鹿苑寺:2001/06/20(水) 10:42
これもよく出てくる誤解なんですが、歴史的なタームとしての「槨」と現代考古学用語の「槨」は全く別のものですので混同なさいませんよう。


563 :井沢元彦、松本清張。:2001/06/20(水) 10:46
邪馬台国は大分県宇佐市の宇佐神宮周辺にあった。

564 :鹿苑寺:2001/06/20(水) 15:03
ちょっと訂正。
萩原1号と帯方の画文帯の関係は兄弟ではなく親子ですね。不用意な言葉づかいでした。

565 :>563:2001/06/20(水) 23:17
井沢氏んじゃは、入スレ禁止

566 :日本@名無史さん:2001/06/20(水) 23:33
フルシン立ち入り禁止

567 :日本@名無史さん:2001/06/20(水) 23:50
なんか今日のNHKは九州をイメージしてるっぽかったね。

568 :>567:2001/06/20(水) 23:53
何よそれ?詳しく教えて緒

569 :日本@名無史さん:2001/06/20(水) 23:55
その時歴史が動いた
邪馬台国の女王・卑弥呼・動乱の中国に使者を送る

570 :567:2001/06/20(水) 23:59
番組内ではっきりとは言及しなかったけど、何となく九州臭あり。
でも、隋と外交したのは聖徳太子と言い切った。

571 :日本@名無史さん:2001/06/21(木) 10:45
卑弥呼は公孫氏に朝貢するつもりで帯方に使者を送ったのに、
帯方は魏の手に落ちていて仕方なくその使者は機転を利かせて
魏に朝貢しに来たと言った。

と言う学説はない?

景初2年と言う記載はその方が納得がいくんだけど。

572 :日本@名無史さん:2001/06/21(木) 11:15
きのうのNHKでのコメンテーターは九州説の人なの?
九州説ぽかった

573 :日本@名無史さん:2001/06/21(木) 11:21
中国史が専門て言ってたな。

574 :日本@名無史さん:2001/06/21(木) 11:26
ゲストの大庭脩(大阪府立近つ飛鳥博物館館長)は当然畿内説。
バランス上九州説を庇うコメントが入ったんでないの?

575 :日本@名無史さん:2001/06/21(木) 11:46
たしか三角縁神獣鏡魏鏡説寄りの人だよね。

576 :正夢:2001/06/21(木) 12:49
諸葛孔明はホントにげ現役時に世界的に有名だったの!?

577 :日本@名無史さん:2001/06/21(木) 12:50
なんか正反対では? もう一人別のコメンテーターいたのかな?

578 :日本@名無史さん:2001/06/21(木) 12:59
読みが浅いんでないの? 彼は明らかに「畿内説」だ。
もっとも今は「畿内説」は余裕たっぷりで、「九州説」を余り追い詰め
ないようにしてんだよ。いわゆる「ソクインノジョウ」ってやつだな。

579 :日本@名無史さん:2001/06/21(木) 13:59
何を聞いても自分の支持する説に都合よく聞こえるようになったら要注意!

580 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 06:06
age

581 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 10:02
そもそも郡から邪馬台国まで万二千余里、伊都国(前原)から残り1500里では
長里435mをとっても畿内まで辿りつけない。
国道の最短距離でも前原−桜井間が700kmを越える。
船でも一ヶ月掛けていく訳だからあちこちで泊っていくとなるとこれより長くなるし、
陸上でも当時の道は整備されていないからもっと長くなるだろう。
1000kmを越えたはず。
それに対して1500X435では650kmにしかならない。

このあたりを畿内信者はなんと説明するのかな。
畿内信者はこんな小学校3年生の計算も出来ないのかな?

582 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 11:17
最短距離なら誤差7%で超正確じゃん

583 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 11:26
>>581
それは言い尽くされた話です。
2chでも散々出ました。
が、うやむやのままです。
倭人伝の解釈とかで、なんかこう・・・

584 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 11:44
小倉−神戸は船で452kmだよ。1500里ってまぁいい線じゃないの?

585 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 11:57
九州大名の参勤交代もほとんど船

586 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 12:01
べつに倭人伝に出てくるわけでもない数字を引き算で出して、これが現実とあってないからダメだとかいう理屈自体がおばか。
2倍3倍違うから変だって言うならまだしも誤差何割かってレベルだろ?
十分でないか?

587 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 13:42
>>584
小倉−前原間は?神戸−奈良間は?
フェリーなんかどこにも寄港せずにいくからほぼ直線距離だろ。
帯方から九州まではジグザグで九州から畿内までは直線で距離を測るのか?
>>586
帯方から伊都国までは 1/4から1/5 になっちゃう事はどう考えるんだ?

588 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 14:29
<587
帯方から伊都国までは 1/4から1/5 に間違ってるんでしょ?

589 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 14:56
>>581
3世紀の中国人が日本に来て正確な距離を測ってたと考えるほうがヘン

590 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 15:31
>>581
「畿内信者」とか「小学校3年生」とか煽り文句はやめたほうがいいですよる

591 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 16:41
>>581

ネタ振りはいいんだけど、煽り口調は勘弁してくれ。
頼みます。

スレをもう荒さんでくれ。

592 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 17:25
あのね、周の時代には中国ではすでに地球が丸い事さえ解っていたらしいの。
三角測量法も知っていたし、距離を測る事なんか当たり前だった筈。

周の天文数学書である『周髀算経』に、ある緯度で夏至の正午に長さ八尺の棒(周髀)
を地面に立てるとその影の長さが一尺六寸であり、南に千里離れると影の長さが一尺
五寸、北に千里で一尺七寸になるとあります。

これはガリレオより先に地球が丸い事を知っていたとしか考えられません。
このように進んだ国が三角測量をしていても不思議はないですよね。
倭人伝に書いてある里は実測値を誤差も考えて丸めて百里、千里単位で記載
したものと考えるべきです。
したがって万二千余里は伝聞に頼ったものではなく実測値です。
私たちがこれまで考えていたより正確なのは当たり前なのです。

593 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 17:53
それだと倭国が洛陽の真東だってことが判ってることになるよ。
でも実際はずっと南だと思っていることは確定。
ゆえに>>592 が間違いなのも確定。
残念でした。

594 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 18:39
>>592
魏の人間は方角はわかっていたが地球が丸いとは知らなかったという話
もある。
だから少しずつズレる。南が東に。でもよく言われる例の勘違いほどの
誤差が出るかどうかは不明。

595 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 19:19
中国4千年の歴史を馬鹿にするよくないあるよ。
春秋戦国時代を経て私達は戦争のために地理計測は世界中で一番進んだ技術を持っていたあるよ。
だから韓半島の地理も戦略的にすごく重要で正しい地図も持っていたあるよ。
「韓国は方四千里」と言うのも韓半島横断300kmに対応して1里75mで全く正確だし、
帯方郡から狗邪韓国まで七千里も全く1里75,6mでピッタリするあるよ。
本当に測量したみたいあるね。

596 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 19:30
>>595
なるほど。てことは・・・
正確なのか、白髪三千畳の類なのか、いい加減な伝聞であったのか。
結局わからん!

597 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 19:35
『男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。
夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害。
今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。
諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。
計其道里、當在會稽、東治之東。』

って地理のことをいっているわけじゃなくて夏后少康之子が
會稽山の東で行った治世が遠く倭の地まで及んでいるらしい
と言っているんでしょ?

598 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 20:46
>>597 は きわめて低水準な誤読

599 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 21:09
だって前後の文脈から言って風俗の話だから地理の話
ではないと思うよ。

600 :日本@名無史さん:2001/06/22(金) 21:40
漢文の基礎を勉強してね。

601 :通りすがり:2001/06/22(金) 22:40
楽しい話題ですね。

マターリと見守ってます。

602 :法師:2001/06/22(金) 22:50
>>597
1:他の本の同じとおぼしい記述に「会稽東冶」とあって、会稽と
東冶なら地名として存在するから意味が通る
2:「東治」を「東を治める」と解するのでは中国語になっていな
い。
…とかいう話ですね。

603 :法師:2001/06/22(金) 22:51
あ! ADSLでも書き込めるようになったみたいですね。
良かった良かった。

604 :法師:2001/06/22(金) 22:57
>>168>通りすがりさん
>接続環境をなんとか確保できたので、
>とりあえず書き込みました。

お務め、ご苦労さんでござんした。後の整理のほうが、圧倒的に大
変なはずですし、そのほうが本業であられるはずですから、少なく
とも、当方に対するRESとかは、慌てずに、ごゆっくりというこ
とで。

ちなみに、こちらは、ADSLが開通してから、おそらくプロクシ
制限に引っかかったようで、読み出しはできるけど書き込みができ
なくなったみたいなんですが、今試してみたら、書き込めました。

605 :579:2001/06/23(土) 00:08
東夷伝の序に以下の文があります。
長老説有異面之人、近日之所出、遂周觀諸國、采其法俗、小大區別、各有名號、可得詳紀。
雖夷狄之邦、而俎豆之象存。中國失禮、求之四夷、猶信。故撰次其國、列其同異、以接前史之所未備焉。
長老「異面の人、日の出所の近くに有り」と説く。遂に諸國を周觀し、其法俗、小大區別を采る。
各に名號あり、詳紀するを得る。夷狄の邦といえども、俎豆の象存り。
中國礼を失し、これを四夷に求む、猶お信あり。故に其國を撰次し、其同異を列し、以って前史の未だ備わざる所を接ぐ。

これに『男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。
夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害。
今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。
諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。
計其道里、當在會稽、東治之東。』 が繋がっているのです。

つないで読めば私の読み方が妥当だと言うことが判ります。

夏后少康と言うのは夏の王でその子が會稽に封ぜられた時、領民に蛟龍之害を避けるために
斷髮文身をさせた事と倭国の入墨を対比させて「當在會稽東治之東」と言っているのですから、
地理の事を言っているのでは在りません。

「中国において信禮が失われた時、つまり国乱れてあい争っている時、四夷に信禮が伝わっており
これを夷狄の邦に教えられる事も在りうる」「それは入墨をした日の出る所に近い人々だ」と序の方で
言っておいて「當在(正に在るべし)東治之東」なのです。
倭人は信禮を忘れず正統な王朝である魏や晋に朝貢してきたのですから。
まさに邪馬台国こそ中国失禮した時、夷狄の邦といえども猶信の伝えられた邦なのです。
「當在會稽東治之東」で陳寿は地理を言ったのでは無いことは以上の事から判ります。

606 :日本@名無史さん:2001/06/23(土) 00:16
めちゃくちゃ言っても駄目なものは駄目。
漢文法の基礎を知らないから誤読する。
勉強してね。

607 :日本@名無史さん:2001/06/23(土) 00:28
>>605
懲りないねぇ。前にも同じこと言ってたじゃないか。
何度書いてもだめなものはだめだよ。

608 :鹿苑寺:2001/06/23(土) 00:51
中国語として意味の通らない曲読は慎むべきでしょう。「當在○○」は「ちょうど○○に在るはずだ」という熟語です。この程度の常識がないと文献解釈は無理だと思います。
會稽東冶という地名は三国志に何度も出てきますが、じつは「東冶」を「東治」と写し間違えた箇所は三国志通行本にもう一箇所あって、それは孫權が東治に行っている留守に曹操に内通する事件が未然に発覚したという記事です。
「會稽東冶之東」も地理のことであることに疑問の余地はありません。

609 :日本@名無史さん:2001/06/23(土) 07:52
高句麗は淫乱。
大和国も淫乱。
邪馬台国は淫ならず。
って話はどうなった?
個人的には一番興味があるんだけど。

610 :通りすがり:2001/06/23(土) 08:42
本当に楽しい話題だなあ。
期待した展開になってきた・・・
もっともっと!


>>597>>605さん

もっと食い下がっていいと思いますよ。
このスレは論客が揃ってますし。
私もいろいろと勉強させてもらってます。

#ただ荒れるのは勘弁ね。


>法師さん(>>602−604)

お久しぶりです。

>お務め、ご苦労さんでござんした。

あうー。まだ出先です・・・
とりあえず、出先のPCに「かちゅ〜しゃ」をインストールしたのは我なが
ら情けない。ADSLですか、うらやましい限りです。当地はパルス回線
です・・・


>鹿苑寺さん(>>608

どーも。

>中国語として意味の通らない曲読は慎むべきでしょう。

おっしゃるとおりでしょうね。
良い機会ですので、私もこのスレで勉強させてもらってます。

611 :日本@名無史さん:2001/06/23(土) 08:43
ネタだろ?
真面目な話の邪魔。

612 :通りすがり:2001/06/23(土) 08:46
>>609さん

>高句麗は淫乱。
>大和国も淫乱。
>邪馬台国は淫ならず。
>って話はどうなった?
>個人的には一番興味があるんだけど。

エロジジイの私は大いに興味ありです。
「淫乱」、「淫」は記述の中でどのような意味を持つのでしょうか。

だれか教えてくんろ。

613 :通りすがり:2001/06/23(土) 08:47
>>611さん

まあそう言わず・・・

614 :597:2001/06/23(土) 09:30
長老説有異面之人近日之所出遂周觀諸國采其法俗小大區別各有名號可得詳紀。
雖夷狄之邦而俎豆之象存。中國失禮求之四夷猶信。故撰次其國列其同異以接前史之所未備焉。

は東夷伝そのものが邪馬台国(異面之人近日之所出)を描くために書かれた事を示しています。
そして邪馬台国の風俗や、中国(魏晋)に 忠節を尽くす国民は中国ですでに失われてしまった信義を
未だに持ちつづけている。
そしてその国民性はかって中国から伝えられたものだ、と言うことを陳寿は言いたかったのでしょう。

現代漢文としての読み方には多少の無理があっても晋の時代にはどうだったでしょう。
邪馬台国の位置は「倭人在帶方東南大海之中」と「自郡至女王國萬二千餘里」で
既に書いてありますから更に言う必要はありません。
陳寿は地理のことを言いたかったのではないと解釈すべきです。

615 :日本@名無史さん:2001/06/23(土) 09:36
多少の無理じゃなくて全く無理でしょ。
これに「現代」漢文なんてものはない。漢文そのものが古典漢語です。
こじつけはやめて!

616 :日本@名無史さん:2001/06/23(土) 12:31
>>614
>は東夷伝そのものが邪馬台国(異面之人近日之所出)を描くために書かれた事を示しています。

バカ丸だし。評はどうすんだよ。

617 :日本@名無史さん:2001/06/23(土) 12:37
しかし邪馬台国の位置を「東南大海の・・」としながら
再度「まさに会稽東冶の・・」と来るところは、
しきりにそのあたりにこの国を持っていきたいという意
志を感じてしまう。のはダメですか。
陳寿を勘ぐってみても何も出てこないかな・・

618 :日本@名無史さん:2001/06/23(土) 20:51
淫乱大和国age

619 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 02:13
邪馬台国が大和でなにが問題?

620 :通りすがり:2001/06/24(日) 02:20
>>619さん

所在地自体ではなくて、所在地を比定するに至る論証過程が
問題となっていると私は思いますよ。

正直、私は畿内だろうが、九州だろうが、徳島だろうがどっちでも
いいです(´ー`)y-~~

621 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 07:17
>>620
619の真意は、>>618 のような所在地を比定するに至る論証として余りにも脆弱・稚拙なロジックを連呼する人の動機に疑惑を感じると述べているのでは?
つまり「邪馬台国が大和でなにが問題? 」=「個人的になにか余程困ることでもあるのか?」の意では?

622 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 07:40
>>616
は「長老説有異面之人近日之所出遂周觀諸國采其法俗小大區別各有名號可得詳紀。
雖夷狄之邦而俎豆之象存中國失禮求之四夷猶信。故撰次其國列其同異以接前史之所未備焉。」
が読めない。
馬鹿丸出し。
「異面之人近日之所出」って倭人(日本人)の事だろ。異面之人は半島にも居たろうが
近日之所出なのは日本だ。
「以接前史之所未備焉」故に前史(史記、漢書)に欠けている所を補い続かせるのである。
邪馬台国を描くために他の道行きの国もついでに書き記したと解釈すべき。

近日之所出と言えば東冶の東では洛陽から見て日の出る所に近いと云う感じではない。
洛陽から見てほぼ東の方向にあったと理解していたと考えても差し支えあるまい。
やはり原文を「冶」と書き直したのは間違いで「治」のまま解釈すべき。

第一、240年前後「会稽東冶」は無かったということも考慮する必要がある。
後漢書を書いた范曄の時代には「会稽東冶」が存在していた。
みな范曄の勘違いから起きたことだ。

なぜ畿内派は倭人伝の記述を書き換えたがるのかな。

623 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 08:06
「会稽東治」を「会稽東冶」の誤字として書き改めたのは中国の研究家です。畿内派だとか何とかは関係ありません。
またまた、私は出典を知りませんが、陳寿が235年のことを書いた記事に「会稽東冶」という地名を使っていることが「大論争」という掲示板で指摘されています。
つまり240年前後「会稽東冶」が無かったというのは間違いなわけです。

624 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 08:21
計其道里、當在會稽、東冶之東。
その道のりからすると、まさに會稽の東冶の東にある。

「計其道里」って書いてあるんだから疑問の余地なく地理の話ですよ。
些細な誤字を突破口に奇妙な解釈をしたってそれは無理というものですよ。

625 :奈良県人:2001/06/24(日) 11:27
邪馬台国は大和にあった。
間違いありません。
奈良に住んでるのでわかります。

626 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 11:39
↑煽りの九州説の人? なぜわかるのか書かないとね。

627 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 11:42
すまん。最近、ウソで畿内説と名乗ってワザと馬鹿なことを書く人が出没してるので、ちょっと猜疑心が沸いているのだ。

628 :宮崎県人:2001/06/24(日) 12:55
邪馬台国は西都原にあった。
間違いありません。
西都市に住んでるのでわかります。

629 :奈良県人:2001/06/24(日) 13:14
いえいえ奈良です。
卑弥呼の亡霊がいます。

630 :井沢元彦、松本清張説。:2001/06/24(日) 13:19
大分県宇佐市、宇佐神宮にあった。

631 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 14:37
卑弥呼の亡霊なら全国で出没してるよ。巡業してるやつもいる。
つまんない結論ONLY2行レスは、や・め・と・く・れ!

632 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 17:40
正確に倭人伝を読めば、沖縄です。
決定

633 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 18:43
邪馬台国は、四国です。やはり亡霊が現れました

634 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 18:46
昭和初期にエジプト説を唱えた人もいたらしい(これマジ)。
倭人伝ってどうとでも読めるもんね。

635 :622:2001/06/24(日) 19:15
>>622
の240年前後「会稽東冶」は無かったというのは訂正する。
晋の時代260年以後は「会稽東冶」は無かったと改める。
理由は以下に述べる。

>「会稽東治」を「会稽東冶」の誤字として書き改めたのは中国の研究家です。

それは范曄だ。
范曄が間違えたのは漢の時代にはやはり東冶県は会稽郡に属していた。
そして范曄の時代南宋時代にも東冶県は会稽郡に属していたからだろう。

そして三国呉の時代永安三年260年に分郡されて東冶県は建安郡に属した。

>陳寿が235年のことを書いた記事に「会稽東冶」という地名を使っている

・・・嘉禾四年(235年)会稽東冶賊・・一時併起。ってあるね。
これは当然、永安三年260年以前のことだから。

陳寿が倭人の事を述べている(倭人伝を記載している)時には東冶は
建安東冶であって会稽東冶では無い。

歴史家として陳寿はこの辺は実に正確だ。

636 :奈良県人:2001/06/24(日) 21:14
邪馬台国が大和(奈良)でない根拠をどうぞ。
普通に考えれば奈良でしょう。

637 :宮崎県人2:2001/06/24(日) 21:20
邪馬台国は大和だと思うけど
三輪の神と関係あると思います。

638 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 21:23
基礎的なことを間違えておられるようですね。
建安東冶という地名はありません。
永安三年260年以前には会稽郡東冶県だったという事実もありません。
後漢の頃からずっと正式な地名は会稽郡の東部侯官なのです。
つまり歴史家として陳寿はこの辺はまるで正確ではなく、一般に流布している会稽東冶という地方名を一貫して使用しているのです。
235年に会稽東冶であれば同条件で執筆時点現在も会稽東冶なのです。

639 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:28
>>634
エジプト説は木村鷹太郎ですね。
一種のイロニーとしてそういう説を唱えたと言われています。

640 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 22:54
>>634
どうにでも読めるって、さすがにエジプトまで辿りつけるのは、鷹太郎だけだと思うぞ。
なんといっても、出発点がベネチアだからな。

641 :622:2001/06/24(日) 23:11
一般的に東冶と呼ばれる事はなかったが東冶が建安になった事は
間違いない。
三国志でも永安三年を境に東冶と言う記載はなくなり、同地域は
建安と記載されるようになっている。

642 :法師:2001/06/25(月) 00:51
>>610
>あうー。まだ出先です・・・

 どわっとっとお! そうでしたか・・・

>ADSLですか、うらやましい限りです。当地はパルス回線です・・・

 それじゃあ、通信費が・・・ うっうっう(←もらい泣き)

643 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 02:33
>>641
単純な間違いです。
侯官が建安になったのです。
しかし一般に東冶という地名は使い続けられていました。

644 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 06:54
>一般に東冶という地名は使い続けられていました。

三国志の中で永安三年以降の「東冶」と「建安」がどれだけ出で来るか
数えた事がある?
個人の手紙とか、発言をそのまま載せて「東冶」があっても公式の地名
記載とは云えない。
史書としての価値は公式にはどうなっていたかを記載する事だ。

645 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 09:55
そう言うことですな
http://osaka.yomiuri.co.jp/nara/hakkutu/010622.htm
「邪馬台国は大和」論争に決着!? 2001/06/22

勝山古墳の調査成果を踏まえて邪馬台国について話す辰巳助教授

 桜井市の勝山古墳が年輪年代法などの調査により、三世紀初めの邪馬台国時代の築造と判明したことを受け、奈良市在住の辰巳和弘・同志社大助教授(55)(古代学)が二十一日、河合町の総合高齢者施設で「邪馬台国論争の終結」と題して講演した。「邪馬台国は大和としか考えられない」と結論付け、約百人の町民らが熱心に聞き入った。

 「奈良ニッセイエデンの園」が月三回、一般公開している文化教養講座の一環。当初、「アズマのクニの考古学」というテーマだったが、勝山古墳の成果のニュースが大きく報じられたことを受け、緊急に内容を変更した。

 辰巳助教授は年輪年代法や県立橿原考古学研究所による勝山古墳の調査などについて説明した後、「二〇〇年代前半から巨大な王墓を連続して造っているのは大和しかなく、中国からみればそれが邪馬台国だった。天理市の東大寺山古墳から出土した中国の『中平』という年号(一八四―一八九)を刻んだ鉄刀は、二世紀後半の倭国争乱後、卑弥呼が共立された際にもたらされたと理解できる」と所在地論争は決着したと指摘した。

 さらに、神仙思想に基づく壷(つぼ)形を模した墳形(前方後円形)を採用し、思想的背景も確立されていたと述べ、「古墳文化は卑弥呼の時代に生まれたことを年輪年代法の成果がはっきりさせた」と総括した。

646 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 10:15
>>612
フリーセックスみたいなのがあったのではないでしょうか。
ちなみに夫余も「男女淫なり。」と記載されていますよね。

大和朝廷の風俗も記紀に記載されている事や、平安時代の
源氏物語に記載されている恋愛の仕方、和歌集の歌垣等は
まさにフリーセックスであったと思われます。
フリーセックスといっても不特定多数といつでもセックス
する訳ではなく恋愛感情をもってでしょうが。

清少納言の歌に次のようなものがあります。
「夜を込めて鶏の空音は謀るとも世に大阪の関は許さじ」
多分男が「今夜いくからね。戸を開けておいてね。」とか
言うのに対して「あんたみたいなのは嫌い。夜通し鶏の
鳴き真似しても戸を開けてやらないよ。」と言ったものと
思われます。
気に入れば二人でも三人でも男を招きいれたのではないで
しょうか。

高句麗のその俗淫なり、夫余の男女淫なりが、男や女が
一定の相手を定めず付き合う様をいっているならば、
高句麗や、夫余の風俗が畿内に伝わっていたと言うのも
あながち否定できないでしょう。

647 :おいみんな。:2001/06/25(月) 10:24
>高句麗のその俗淫なり、夫余の男女淫なりが、男や女が
>一定の相手を定めず付き合う様をいっているならば、
>高句麗や、夫余の風俗が畿内に伝わっていたと言うのも
>あながち否定できないでしょう。
素知らぬふりして韓国人がでっちあげしてるぜ。

648 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 10:28
>>645
アズマだの壷だの、2chなみだな(ワラ

649 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 10:33
>一定の相手を定めず付き合う様をいっているならば、
相手が何人もいるのは古今東西のプレイボーイの共通点
じゃねえか。なにが高句麗や、夫余の風俗だよ。(藁)
しかし平安文学はその淫乱を芸術の域まで高めたが、
朝鮮人はそんなしゃれたことはしなかったよな。

650 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 11:25
>相手が何人もいるのは古今東西のプレイボーイの共通点

畿内では女性が主導権をもっていたと思われます。
清少納言の歌でも判るでしょう。
倭人たちは「其俗、國大人皆四五婦、下戸或二三婦」
でも「淫ならず。」ですから。
「婦人不淫」であれば淫乱ではなかったのです。

高句麗、夫余も多分女性の主導権のもと自由恋愛を
していたのではないかと。

651 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 11:57
>>644
わからん人ですな。永安三年以前も「東冶」は正式名称ではないのです。
しかし陳寿は使っている。事実を見なさい。
つまり彼が引用した元資料の違いにすぎないのです。

652 :通りすがり:2001/06/25(月) 15:32
暑い・・・暑いぞ・・・
クーラーぐらい設置しろよ、ゴルァ!
仕事にならんぞ(゚Д゚)y─┛~~

仕事にならんから、2chで遊びます。

>>646>>650さん

どーも。

#改行位置をちょこっと変更しています。

>フリーセックスみたいなのがあったのではないでしょうか。ちな
>みに夫余も「男女淫なり。」と記載されていますよね。(>>646

そうですか。夫餘も「淫なり」ですか。

>大和朝廷の風俗も記紀に記載されている事や、平安時代の 源氏物
>語に記載されている恋愛の仕方、和歌集の歌垣等は まさにフリー
>セックスであったと思われます。 フリーセックスといっても不特
>定多数といつでもセックス する訳ではなく恋愛感情をもってでし
>ょうが。 (>>646

「フリーセックス」ですか。
うーん、現代的な概念を適用できるかどうか。

>高句麗のその俗淫なり、夫余の男女淫なりが、男や女が 一定の相
>手を定めず付き合う様をいっているならば、 高句麗や、夫余の風
>俗が畿内に伝わっていたと言うのも あながち否定できないでしょ
>う。 (>>646

記述中の「淫」を訓古学的に解釈するとどうなるのでしょうね。
「淫」という語句を、性交を中心とした意味のなかで捉えてもよい
のでしょうか。

また、「高句麗」、「夫餘」、「倭国」の他に、「淫」の語句が使
用されている記述はあるのでしょうかね。気になります。

#煽りは極力慎んでね >All

それではー。

653 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 15:47
>高句麗、夫余も多分女性の主導権のもと自由恋愛を
>していたのではないかと。
多分をつけりゃどんな嘘だって言える。何か裏づけは無いのか?

654 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 16:11
>記述中の「淫」を訓古学的に解釈するとどうなるのでしょうね。
>「淫」という語句を、性交を中心とした意味のなかで捉えてもよい
>のでしょうか。

夫余伝に「男女淫」とあり、高句麗伝は結婚の話の中に「淫」が
出てきます。
これは性を中心とした意味のなかで捉えも差し支えないでしょう。

>また、「高句麗」、「夫餘」、「倭国」の他に、「淫」の語句が使
>用されている記述はあるのでしょうかね。気になります。

東夷伝ではありませんが「明帝紀」「三少帝紀」「鮮卑伝」に「淫」
の語句があります。
「帝紀」の方は妾を囲って入り浸る話などですから、淫はやっぱり
性の話でしょう。

655 :鹿苑寺:2001/06/25(月) 16:49
>>652
>そうですか。夫餘も「淫なり」ですか。

違いますよ!
「男女淫」は死刑だって書いてあるんです。夫餘は厳しいんです。

656 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 19:05
>違いますよ!
>「男女淫」は死刑だって書いてあるんです。夫餘は厳しいんです。

そうですね。検索で引っかかったのを前後を読まずに書いてしまいました。
御免なさい。「男女淫、婦人嫉、皆殺之。」
夫餘ではフリーセックスは死刑ですか。やきもちを焼いても死刑。
ほんとキビシー。兄弟国なのにすごい違いですね。

ところで鹿苑寺さんは
「其俗作婚姻、言語已定、女家作小屋於大屋後、名壻屋、壻暮至女家戸外、
自名跪拜、乞得就女宿、如是者再三、女父母乃聽使就小屋中宿、傍頓錢帛、
至生子已長大、乃將婦歸家。其俗淫。」
はどのように解釈されますか?
私は畿内の風俗に繋がるものがあるような気がするのですが。

657 :通りすがり:2001/06/25(月) 21:12
いやー蒸しますね。

#引用箇所は改行位置を変更しています。

>>654さん

どーも。

>夫余伝に「男女淫」とあり、高句麗伝は結婚の話の中に「淫」が
>出てきます。
>これは性を中心とした意味のなかで捉えも差し支えないでしょう。

なるほど。
手元に漢和辞典がないのですが、「淫」の語義はどういったものでしょうか。
やっぱり性交を中心とした語義なのでしょうかね。

>東夷伝ではありませんが「明帝紀」「三少帝紀」「鮮卑伝」に
>「淫」 の語句があります。 「帝紀」の方は妾を囲って入り浸る
>話などですから、淫はやっぱり 性の話でしょう。

 「魏」の周辺地域に関して、「淫」という語句はいかなる文脈で使用され
ているのでしょうか。基本的に、「淫なり」or「淫ならず」という文脈なの
でしょうか。であるとしたら、風俗記載を記述する際、記述者が「淫」に関
する記事を選択した意図が気になりますね。

>鹿苑寺さん(>>655

どもども。

>違いますよ!
>「男女淫」は死刑だって書いてあるんです。夫餘は厳しいんです。

ありゃりゃ、そうでしたか。
「淫」ではないのですね、「夫餘」は。

情報のご提供に感謝いたします。
それではー。

658 :日本@名無史さん:2001/06/26(火) 00:35
黒塚古墳で三角ぶちが周りに数多くおいてあったのに対して
画文帯(だっけ?)が頭部に一面だけあった。
いわゆる卑弥呼の鏡はこっちらしい。

659 :日本@名無史さん:2001/06/26(火) 06:40
「淫」
1.みだりがわしい。みだらにする。
2.ふける。度をすごす。おぼれる。むさぼる。
3.まどわす。
まあ、あまりいい意味は無いね。
やっぱり1の「みだら」というのがピッタリするね。

>「帝紀」の方は妾を囲って入り浸る話などですから

は2が当てはまるのかな。

でも飛鳥時代の近親相姦とか平安時代の妻問婚をみたら
魏人たちはやっぱ「淫」って言ったんだろうね。

こういう畿内の公家たちの風俗は何時からあったのかな?

三世紀なら畿内が邪馬台国ではなくなるし、
五世紀くらいなら邪馬台国が畿内にあったとしても滅ぼされて
別の民族が畿内を支配する事になったと考えられる。

660 :日本@名無史さん:2001/06/26(火) 08:28
風俗なんて外からの影響で変化するもんだから、そんな短絡的なことは言えない。
それじゃ明治と平成でも異民族になっちゃうよ。

661 :鹿苑寺:2001/06/26(火) 10:04
思うに、魏志倭人伝に言う倭人の「其風俗不淫」の「淫」というのは、次に髪型や服装の話が続いていることから見て、後段の「婦人不淫、不(妬)忌」の「淫」とは別のコンテクストで考えるべきなんでしょうねぇ。

高句麗の風俗は明らかに招婿婚のようですが、ここで出てくる「其俗淫。」はすぐ次に「男女が結婚した後は…」と続きます。高句麗で「淫」がもう一ヶ所出てくるのは高句麗王の伊夷模に子が無く「淫灌奴部」で、生れた子の位宮が次の王になるというくだりですから、これらを同じコンテクストで考えると、婚姻外の男女の仲のことを「淫」と言っているのではないでしょうか。
この高句麗の「淫」は、未婚の男女が席を同じうする程度のことまで含んでいるのではないかと思うのですが、根拠の文献がいま手元に無いのでまた後日。

662 :日本@名無史さん:2001/06/26(火) 14:05
高句麗では娘が年頃になると別棟の女屋を建てて住まわせる。婿屋ともいう。
男は夕暮れに婿屋の前にくると名を名乗り拝んで娘の部屋に入る許可を願う。
このような事を再三繰り返す。娘の父母すこれをゆるし小屋中の宿に入れさせる。
(男は)傍らに金品を置いていく。その俗は淫らである。
生まれた子供が大きくなると女を妻として家に連れ帰る。

娘が年頃になると別棟の女屋を建てて住まわせる。って夜這い自由って事で
婚姻外交渉があったと解釈して良いのかな?
だから「淫」なのか?
それとも「傍らに金品を置いていく。」のが売春みたいで「淫」なのか?

平安時代の妻問婚はまったく金品の授受はなかったのかなあ?
源氏物語の中に「援助交際」みたいな記述のある部分があったような。

663 :鹿苑寺:2001/06/26(火) 14:38
「娘が年頃になると」なんて原文にありますか?
ここは「言い交わした男が出来ると」という意味で、男は娘の親に再三頼んだ上で許可をもらうのだから、けっして「夜這い自由」などではないでしょう。
ここで無理難題を言い渡すのがスサノオと大国主ですね。
金品を置いていくのは結納の常。
「淫」というのは、親の承諾が出る前に若い男女が言い交わしていることに問題があるんじゃないですか?

664 :日本@名無史さん:2001/06/26(火) 15:51
「娘の父母これをゆるし小屋中の宿に入れさせる。」
のが一人ではなく複数だったとしたら「淫」じゃないかな。

だから子供が長大になり自分の子供と確認するまでは家に
連れ帰らなかった。

665 :鹿苑寺:2001/06/26(火) 16:24
>>664
なんか高句麗に怨みであるんですか?
「その習俗は、婚姻をするのに」「壻(ムコ)」と明記されてますんで、もう婚姻が前提になってるのでしょう?
ならば男性は一人ですよ。中国人にとって娘一人に婿は一人なのだから、複数なら婿とは書きません。

666 :常識人:2001/06/26(火) 19:07
2世紀から3世紀にかけて東アジアは「小氷期」になっていたそうですよ。
そうすると大和なんか雪とか降ったりしたんじゃないかな。

そうすると、「魏志」にある倭国の説明で、”温暖”とか”裸足で歩いている”とか言う表現と矛盾するんじゃないかな。畿内説は。

冬でも暖かい地域とくれば、南九州しかないよね。さらに「径百余歩」(直径140m)の古墳とくれば、「西都原の男狭穂塚」しかないよね。
それに倭人伝には”邪馬台国”とは書いてないし、”邪馬壹(いち)”と書いてあるのだから、”やまいち”あるいは”やまい””やばい”が正しい発音だよね。
どうころんでも「やまと」にはならんよ。

667 :日本@名無史さん:2001/06/26(火) 20:15
常識人と名乗ると常識なし
自分が普通だとあえて言うやつは異常
世の中皮肉なもんだ

668 :日本@名無史さん:2001/06/26(火) 20:46
>>665
「淫」の理由を探しているだけだよ。それが大和の風俗と一致しているのではないかもね。
単に正式結婚ではないが婚約者として同棲して子供が生まれ、その子が乳児死亡率の高い時期
を過ぎるまで大きくなって始めて妻と認め、家に連れて帰る。
と解釈できなくもないが、結婚前提で1対1の付き合いをしているなら「淫」とは書かない
のじゃないかというのが私の意見。
男の方は正式に結婚している訳でもないのに子供が生まれて大きくなるまで女の家で大人しく
過ごしている筈も無いし、三つや四つは掛け持ちしていたに違いない。
そうなると女の方も別に男を引き込んでも不思議は無い。出来るような仕組みが出来ていた。
それが婿屋だ。これが「淫ら」の理由ではないか?
もちろん一人の男を守る女もいたとは思うが。

大和の妻問婚も似たような感じだったのじゃなないかな?女さえ許せば男の出入りが自由。
このような状態だから兄妹の近親相姦なども頻発したんじゃないか。
しかも、古代大和では母親が違えば兄妹の結婚も許されていた。
さすがに同腹の兄妹は禁止されていたが。
どうしてか?
それは形式的に父を同じくする異母兄妹といっても、本当の父親は誰か判らないというのが
常識だったから。

私が思うに高句麗の「淫」な風俗は大和朝廷の風俗に引き継がれている。
魏志倭人伝に描かれた「不淫」な邪馬台国は大和朝廷に繋がっているとは考えられない。
というのが私の論点だ。

669 :日本@名無史さん:2001/06/26(火) 20:54
結論が先にあって めちゃくちゃな解釈が次にあるわけか

670 :日本@名無史さん:2001/06/26(火) 23:22
まじめに相手した鹿苑寺が憐れ

671 :「」:2001/06/27(水) 04:52


672 :鹿苑寺:2001/06/27(水) 08:39
みじめですぅ…>吾人

673 :通りすがり:2001/06/27(水) 11:52
>鹿苑寺さん

どーも。

>これらを同じコンテクストで考えると、婚姻外の男女の仲のこと
>を「淫」と言っているのではないでしょうか。
>この高句麗の「淫」は、未婚の男女が席を同じうする程度のこと
>まで含んでいるのではないかと思うのですが (>>661

>「淫」というのは、親の承諾が出る前に若い男女が言い交わし
>ていることに問題があるんじゃないですか? (>>663

そうそう、私は上掲のようなご返答を期待していたんですよ。
多謝です。

 「倭人伝」の語句を解釈する際、我々の「常識的判断」に基
づく規範的(Normative)な態度でよいのか、という問題を私は
提起したいのです。
 今回は「淫」を例に取りましたが、他にも様々な解釈が我々
の規範的な解釈に基づく可能性があります。それをご指摘い
ただけたらと考えた次第です。

他に検討すべき語句はありますか >All (とくに法師さん)

>みじめですぅ…>吾人 (>>672

うーん、2chの場合、「常識的判断」の危うさを白日の下にさら
すことができれば御の字ではないでしょうか。変な煽りが返っ
てくるよりはマシですよ(´ー`)y-~~

それではー。

674 :日本@名無史さん:2001/06/27(水) 13:07
実際には、非常識な判断の危うさを天下に晒ただけのような気もする・・・

675 :668:2001/06/27(水) 14:20
>鹿苑寺さんへ

>これらを同じコンテクストで考えると、婚姻外の男女の仲のこと
>を「淫」と言っているのではないでしょうか。
>「淫」というのは、親の承諾が出る前に若い男女が言い交わし
>ていることに問題があるんじゃないですか?

だから、それが「女さえ許せば男の出入りが自由。」「 出来るような仕組み(婿屋)が出来ていた。
「結婚前提で1対1の付き合いをしているなら『淫』とは書かない 。」になる。
私の発言にどこか問題があるかな。
私としては大真面目な発言をしているつもりだが。

言い古された事はもうウンザリしているから、新しい視点、搦め手から邪馬台国
を探っていこうとしているだけ。「目から鱗」という向きもいるのでは?

「です、ます」調は疲れるのですこし乱暴な口調だが許してちょ。

676 :日本@名無史さん:2001/06/27(水) 17:07
>「目から鱗」という向きもいるのでは?

自分で言うなよ・・・

677 :日本@名無史さん:2001/06/27(水) 17:11
「淫」の一字で目に鱗

678 :668:2001/06/27(水) 17:29
>「淫」の一字で目に鱗

それもまたよし。
自分の信仰心に疑いが出れば。

679 :鹿苑寺:2001/06/27(水) 18:06
「高句麗では娘が年頃になると」
原文に無い言葉を挿入してはいけません。原文では「その習俗は、婚姻するのに約束が決まると」です。ぜんぜん意味が違いますよね?相手が決まってから婿用の家を建てるわけです。特定の相手なのは明らかですし「婿」と明記しているのだから結婚相手です。

「別棟の女屋を建てて住まわせる。婿屋ともいう。 」
これも誤訳です。
正しくは「女の実家では母屋の後ろに別棟を建てて、これを婿屋という。」
「娘が年頃になると別棟の女屋を建てて住まわせる。って夜這い自由」の建物などではありません。決まった相手である婿のための家です。

「女さえ許せば男の出入りが自由。」
これも違いますねぇ。ご自分で「…娘の部屋に入る許可を願う。 このような事を再三繰り返す。娘の父母すこれをゆるし小屋中の宿に入れさせる。」と書いているでしょう?

やはり「淫」とはこういうものだと決め付けて読むと、普通に読めば当然見えるものが見えないのではないですか?
信仰心を少し疑ってごらんになっては?

680 :日本@名無史さん:2001/06/27(水) 19:40
>>678

君さあ、もう少し考えて書き込みなさいよ・・・
>>673>>679でも読みなよ。

煽るつもりないけど、ちょっと君は読解力なさすぎ。

681 :日本@名無史さん:2001/06/27(水) 19:48
>>678

>それもまたよし。
>自分の信仰心に疑いが出れば。

なんか曲解してる

682 :日本@名無史さん:2001/06/27(水) 19:58
>相手が決まってから婿用の家を建てる

のなら婿は娘の親に再三頼んだ上で許可をもらう必要は無いのでは?

683 :日本@名無史さん:2001/06/27(水) 20:03
それはあんたの常識
そう書いてあるんならそういう風習なんだろう

684 :名無し:2001/06/27(水) 22:34
魏志倭人伝は日本人の話した古事記を当時の支邦人が歴史として書いたものだ。
卑弥呼は「日の御子」の音を感じで表したもの。
邪馬台国は言うまでもなく大和である。

距離がどうのと言うが,支邦の本は科学的ではないから,本気で調べても
しょうがない。化け物が跳梁する山海経まであるのだから。

685 :Henton:2001/06/27(水) 23:08
なぜまっとうな史書を出さず、山海経を例に出すのやら。(ため息)
ここのデタラメさはいつものことだけど。
山海経によれば、春秋の頃、倭人は北京の近くに住んでいたみたいですね。

686 :日本@名無史さん:2001/06/27(水) 23:27
キミのいない間はすこしはマシなんだが。

687 :法師:2001/06/28(木) 00:09
 「持衰の正体・考」
こういった「業務員」が、渡海のときにかぎったものなのかどうか
知らないですが、渡海のときにかぎって考えるなら、気象観測…と
いうか、いわゆる観天望気の専従者だったということもありえます
ね。
ワシ自身はそこまでの境地に到ったことはないですが、精進潔斎し
ていると、湿度などを含めた気象の変動に敏感になるということは、
どうやらあるらしいですから。
倭人伝によるなら、持衰というのは「使節団員」の数に勘定される
ほどの身分の者で、少なくとも、単なるその他大勢ではないような
ので、「鬼道」を旨とする国の「その筋の人」だったということも
ありえますね。

なんてのはいかがでしょうか?

688 :法師:2001/06/28(木) 00:11
 「鬼道と気象予報」
土台からして「鬼道」というのが、「何らかの意味での予知/予言」
も含めたものであるとするなら、農耕なり漁労なりに直結すべき気
象予報は、「鬼道に信頼を抱かせるための重要な小道具」になった
可能性はありますね。
ってゆ〜〜〜か〜〜〜、実生活に何の利益ももたらさないような意
味不明の寝言を並べるしか能がないようでは、たとえ古代といえど
も、広く崇敬など、されるはずがないと〜〜〜思うのですう。
それは別に天気予報に限ったことではないわけですが、何らかの実
利が全く伴わなかったとは考えにくいと。そう思いませんか? 思
わなくてもいいけどワシはそう思う。

倭人伝でいう「鬼道」が、孔子などの伝統に則った、自らを律する
こと→あくまで理性を重んずることを尊ぶ生活規範(のようなもの)
とは相容れない存在の全般をさす…と把握するなら、そういった、
「(根拠が分からない)勘による予測」は、まさに「鬼道の範疇」
ということになりうると思います。
何しろ、当時は、風の正体が何なのかということも分かっていなか
ったはずですから、それを含めた天候の類いが、どの範囲でどの程
度まで予測が可能となるべき事柄であるかも、論理の組み立てよう
がなかったはずですね。
それじゃあ、「雲行きを見て晴雨を予測する」程度のことであって
も、「当たるも八卦の怪しげな魔法」にしか見えないと。雲行きか
ら見て大雨が来そうだから破れやすい土手を補強しておかにゃなら
んと「予測」したのが当たったとしても、正体不明の魔法でしかな
いと。そんな面もあり得ますね。

689 :&;:2001/06/28(木) 00:55
邪馬台国が奈良であることを証明する発掘が
行われる事を希望する。
やっぱり飛鳥かなぁ。
藤原宮あたりかなぁ。

690 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 02:26
ここ見ると、高句麗語と日本語は関係有りそう
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=987824592&ls=50

とくに基礎語彙の数詞はかなり一致すけど、どうよ
http://teri.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=989685587&st=618&to=618&nofirst=true


  日本語 高句麗語 朝鮮語
1 pito   ーー  hana
2 puta   ーー  tuwul
3 mi     mil   seis
4 yo    ーー  neis
5 itu    utu  tases
6 mu    ーー  yesse
7 nana   nanun  ilgop
8 ya    ーー  yedal
9 kokono  ーー  ahop
10 towo   tek   yel

691 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 02:30
高句麗語って何?
朝鮮語の音韻史料は12世紀にならないと出てこないけど
そんなんで8世紀の日本語を解明できるのか?

692 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 06:54
「オモニ」というのはどっち系統なのかな?
高句麗語か。 朝鮮語か?
日本でも母を「オモ」と言うのは方言として記紀に記載がある。

693 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 08:58
どちらにしても言語学者の意見は
「半島と列島とも基層となる共通の古モンゴロイドが住んでいた」
「弥生人の中に高句麗と祖先を共有する大集団があった」
「渡来を含む頻繁な交流の結果多量の借用語がある」
などなど。
日本の古墳文化は高句麗人が作ったなどというトンデモ説の出る幕はない。

694 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 09:27
自炊と卑弥呼は同じなのである。
後悔が失敗すれば自炊はコロされる。
だから戦に負ければ卑弥呼も……
という、上下に責任のしわ寄せをする社会だった、というのは
どうでせうか。

695 :鹿苑寺:2001/06/28(木) 10:22
倭人伝に「唯有男子一人給飮食」とあります。
ゆえに卑弥呼は自炊していない。
…え? 話が違う?

696 :668:2001/06/28(木) 11:33
持衰は殺されると書いてあるし。
「以死」は単に死んだのでと訳して問題ないでしょう。

697 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 13:01
>>693
基礎語彙、特に数詞は借用されにくいって知ってるの?

698 :通りすがり:2001/06/28(木) 13:05
>>693さん

どーも。

>どちらにしても言語学者の意見は
>「半島と列島とも基層となる共通の古モンゴロイドが住んでいた」
>「弥生人の中に高句麗と祖先を共有する大集団があった」
>「渡来を含む頻繁な交流の結果多量の借用語がある」
>などなど。

 歴史言語学には、言語間の類似性を歴史的親縁関係として解釈しが
ちなる傾向があります。そのあたりを注意してお含み置きください。

>日本の古墳文化は高句麗人が作ったなどというトンデモ説の出る
>幕はない。

 ナチス・ドイツによる大ゲルマン主義は、歴史言語学の解釈により
補強されました。どちらかというと、歴史言語学はいわゆるトンデモ
系に利用されがちであり、なによりも時の政治イデオロギーに利用さ
れた経緯を見逃してはならないと私は考えます。

それではー。

699 :通りすがり:2001/06/28(木) 13:26
>法師さん

どーも。
早速の語句解釈ありがとうございます。

>倭人伝によるなら、持衰というのは「使節団員」の数に勘定され
>る ほどの身分の者で、少なくとも、単なるその他大勢ではないよ
>うなので、「鬼道」を旨とする国の「その筋の人」だったという
>こともありえますね。(>>687

「持衰」は「鬼道」の構成要素に含まれるのでしょうか。

>土台からして「鬼道」というのが、「何らかの意味での予知/予
>言」も含めたものであるとするなら、農耕なり漁労なりに直結す
>べき気象予報は、「鬼道に信頼を抱かせるための重要な小道具」
>になった可能性はありますね。(>>688

>倭人伝でいう「鬼道」が、孔子などの伝統に則った、自らを律す
>ること→あくまで理性を重んずることを尊ぶ生活規範(のような
>もの)とは相容れない存在の全般をさす…と把握するなら(>>688

 上掲のご発言から、法師さんが「持衰」を「鬼道」の構成要素の
一つとお考えになる理由の一端は伺えますが、実際の資料解釈から
はいかがですか。資料中の記載(「倭人伝」に限りません)から「鬼道」
と「持衰」の関係を解釈できる箇所があればご指摘ください。

それではー。

700 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 13:33
>「弥生人の中に高句麗と祖先を共有する大集団があった」

なら
日本の古墳文化は高句麗人が作ったという正当説の出る幕があるのでは?

>「渡来を含む頻繁な交流の結果多量の借用語がある」 ?

朝鮮系は少ない。少なくとも確認されているのは多くない。
ただ朝鮮語を理解できていたらしいふしはある。

701 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 13:49
>日本の古墳文化は高句麗人が作ったという正当説の出る幕があるのでは?

何百年も時代が違うでしょが!

702 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 13:53
>>697
ちゃんと人のカキコ読んでるの?

703 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 14:24
>>697 そういや、イチ・ニー・サンは古代倭人語だって主張してる電波がいたな

704 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 14:34
>>日本の古墳文化は高句麗人が作ったという正当説の出る幕があるのでは?

>何百年も時代が違うでしょが!

弥生時代ってさ。三世紀前半まで続いていたんだよ。
時代はほぼクロスするのさ。
ちゃんと考えて物言ってね。

705 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 15:23
あ、なるほど!
言語学者の主張してる内容をなんにも知らないわけね。
あなたはいつもの「古墳=高句麗、ノノシリ→光谷」さんですね。

706 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 16:53
ほう
言語学者は弥生時代と古墳時代は何百年も離れていたといっているのかな?
それとも弥生時代は高句麗人がもたらしたとか?
聞いた事ないね。
紀元前後の高句麗は山の中で農業なんか出来なくて、周辺の国から年貢とって
生活していた。
農業を日本にもたらす筈はない。

707 :日本@名無史さん:2001/06/28(木) 17:05
もう少し勉強してね。

708 :katyu-syaだからミスった:2001/06/28(木) 19:30
畿内説有力age

宮内庁は仁徳天皇稜他、の古墳の開放をしてくれ。
俺が調べに逝くから。

by 堺市民

709 :法師:2001/06/28(木) 21:35
 「陸上の行程」
日本列島辺りの「地勢」は、当時と現在で、大きな変化はないと仮
定しても、交通の事情は、当時と現在で全く違うはずなので、現代
の地図を見て、そのまま線を引いても、当時における可能性を正確
に探ったことにはならないですね。

その意味で、幅の広い河川や湿地帯の存在する平野の下流部は、も
ちろん個々の状況によって全然違うわけですが、一般論としては、
行程としてあまり好ましいとは思われませんし、逆に、山の尾根筋
は、険阻といえるものではないなら、谷筋よりもむしろ適している
とはいえ、労力や食糧の補給などの点で難があるので、荷物を担い
だ大人数の移動には適していないですから、結果として、使節団の
ような大人数の団体であれば、山裾を縫うような具合で、集落をた
どりながら進んだと考えるのが、もっとも可能性が高いということ
になりそうです。

ただし、日本列島と半島/大陸の間を往復するのなら、どこを起点
/終点にするとしても、途中で海を渡らざるを得ないわけですから、
当時において「フェリー」があったと仮定するのでないなら、船路
の出発点で手配した船を徹底して利用するのが便宜に決まっている
ので、日本列島の側においてあえて陸路を取ったなら、何か理由が
なければおかしいことになりそうです。

710 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 05:17
畿内説の言う日本国内の陸行「1月」はおかしいという意味でしょうか?
「1月」は「1日」の間違いと言う説は畿内説の中でも主流になっていない
のはどうしてでしょう。
大和川を使って内陸に入り込んでから、陸行1日なら可能性ありのような
きがします。
ほかの部分は沢山書き換えしているのに、ここは書き換えしないのは何か
出来ない理由があるのでしょうか。

711 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 06:24
/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
           /  / ̄\  ヽ
          /   /  \  ヽ、、、ヽ
          |  /u 个    个 | |
          |  |   ⌒  つ⌒ | |
          |  | ***___**|│ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          |  | u  \__/  | .| < アッ アッ ウッ アン ♪
          ゝ‐イ\.   ・u  /ノ  \________
             / ∧  ̄ ハ \
            /´ 丿 ヽ_ ノ | .ノ\
           /:ヽ、 /( ___.___)`>__:)
          (:::::::/ ̄ /::::( uuu)(uuu)
           ヽ┴-i┴─彡川川ミ  クチュピチュ・・
         /⌒\__|   彡川川川ミ/⌒ \
   i.⌒i  /\ 丿 / ´ ̄ノノ川川川 ̄ヽ、 /ヽ   /┐
   .|  レ ´  ノ \_ /     ___ i  |.:く  \// /
    | |  /    (  λ /::: :::: ::::`ヽ丿 \   / /
    .し /       ヽ__ノ V : : ヽ:/: ::::\_   \ι/
                i⌒i ::::__人__::: /. `i⌒i
                 |  ||/    \|:  |  |
.                |  |        ̄||  |
                |   |        |_丿

712 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 06:37
どこも書き換えしませんよ。

713 :697:2001/06/29(金) 06:51
>>702
ゴメソ イッチワル

714 :通りすがり:2001/06/29(金) 07:35
>>710さん

どーも。
横レスで失礼します。

>畿内説の言う日本国内の陸行「1月」はおかしいという意味でし
>ょうか?
>「1月」は「1日」の間違いと言う説は畿内説の中でも主流になっ
>ていないのはどうしてでしょう。

「畿内説」or「九州説」の構図に捕われている気がします。
過去ログをご覧になればお分かりになると思いますが、「畿内説」
あるいは「九州説」といった「予断」を排除しつつ、「倭人伝」の
記述を解釈する必要性を法師さんは説いています。

#なお過去ログについては、私による要約(>>73>>75
>>99>>100)をぜひともご参照ください。

>ほかの部分は沢山書き換えしているのに、ここは書き換えしない
>のは何か出来ない理由があるのでしょうか。

「書き換え」という「予断」自体に問題があると考えてはいかがで
しょうか。

#私はこのスレに漂う「畿内説 / 九州説」の二項対立に
#大きな懸念を抱いています。
#安易な解釈図式は史料軽視につながります。

ぜひご一考ください。
それではー。

715 :通りすがり:2001/06/29(金) 07:41
>法師さん(>>709

どーも。

>当時において「フェリー」があったと仮定するのでないなら、船
>路の出発点で手配した船を徹底して利用するのが便宜に決まって
>いるので、日本列島の側においてあえて陸路を取ったなら、何か
>理由がなければおかしいことになりそうです。

なるほど。
あえて陸路を採用した「理由」について、法師さんご自身はなにか
お考えでしょうか。ぜひお聞かせください。

それではー。

716 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 08:44
ただ伊都国が内陸だという珍説を持ち出して邪馬台国が九州だと言いたいだけなんじゃないの?
「予断」を排除とかいうのはポーズだけ。

717 :710:2001/06/29(金) 08:56
法師さんではありませんが。

あえて陸路を選ぶ最大の理由はなんといっても安全でしょう。
瀬戸内海のような内海ではあまりおきませんが、外洋では
突然の高波などもきますし、台風でも来れば瀬戸内海でも
遭難してしまいます。

後、考えられるのは陸地の主要国の王に対する表敬が必要
であったかもしれない。くらいですか。

718 :通りすがり:2001/06/29(金) 09:04
>>716さん

>ただ伊都国が内陸だという珍説を持ち出して邪馬台国が
>九州だと言いたいだけなんじゃないの?

該当レスを明示してご説明ください。

#ただの煽りですか?

719 :通りすがり:2001/06/29(金) 09:16
>>710さん(>>717

ご返答ありがとうございます。

>あえて陸路を選ぶ最大の理由はなんといっても安全でしょう。 瀬
>戸内海のような内海ではあまりおきませんが、外洋では 突然の高
>波などもきますし、台風でも来れば瀬戸内海でも遭難してしまい
>ます。

魏使の目的地をどこに比定するかで変わってきますね。
ただ、安全上の問題は見逃してはならないと私も考えます。目的地
に至る地理情報が不足するならなおさらでしょうね。
地理情報が不足する遠隔地までの紀行に関して、「倭人伝」以外の記載も
検討に含める必要がありそうですね。

>後、考えられるのは陸地の主要国の王に対する表敬が必要
>であったかもしれない。くらいですか。

「表敬」は面白いですね。
威力偵察もあったのかしらん。

隋使(裴世清)や「白村江の戦」後の唐使の経路は
参考になりますか?(目的地はあくまでも例としてお考えください)

それではー。

720 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 09:24
>>718

>>709 の「荷物を担いだ大人数の移動には適していないですから、結果として、使節団のような大人数の団体であれば、山裾を縫うような具合で、集落をた
どりながら進んだと考えるのが、もっとも可能性が高いということになりそうです。」
「当時において「フェリー」があったと仮定するのでないなら、船路の出発点で手配した船を徹底して利用するのが便宜に決まっているので、日本列島の側においてあえて陸路を取ったなら、何か理由が
なければおかしいことになりそうです。」

これは末ろ国から伊都国が陸路で書いてるので伊都国が前原と考えるのはおかしいという、かなり言い古された九州説の論理そのもの。
つまり「予断」を排してるふりをして九州説に誘導する問題提起をしてるって疑ってるわけ。
しかも倭人伝の記事は「使節団のような大人数の団体」の通ったコースであるという「予断」まで入ってる。

721 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 09:25
>>718

煽りは放置って自分で言ったろ!

722 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 09:42
>>721 それじゃあ都合の悪い指摘を煽りと断定して自分勝手な議論が出来てしまう。
相手の真意を糾す通りすがりの態度は正しい。

723 :通りすがり:2001/06/29(金) 09:44
>>720さん

どーも。
批判理由を先に書いてね。

>これは末ろ国から伊都国が陸路で書いてるので伊都国が前原と考
>えるのはおかしいという、かなり言い古された九州説の論理その
>もの。
>つまり「予断」を排してるふりをして九州説に誘導する問題提起
>をしてるって疑ってるわけ。

あーなるほど。

ところで、法師さん(>>709)は「末盧国」→「伊都国」に話題を
限定してましたっけ? 違いますよね。

あくまで、「倭人伝」の記載中に「陸行」という語句が使用されて
いる「事実」からの類推と思いますが、いかがでしょうか。

どちらかというと、>>720さんご自身が「九州説 / 畿内説」といっ
た「予断」に捕われているような気がしますが・・・(煽りじゃな
いですよ。念のため)

>しかも倭人伝の記事は「使節団のような大人数の団体」の通った
>コースであるという「予断」まで入ってる。

まさか魏使が独りで行ったわけじゃないですよね!?

それではー。

724 :通りすがり:2001/06/29(金) 09:48
>>722さん

どーも。

おっしゃるとおりなんですが、批判理由を同時に書いていただけないことには
こちらも対応のしようがないというのも事実です。

批判は大いに結構ですし、議論を活性化させる効果があります。
ただ、批判をされる方は極力、批判をする理由を明示されることを
強く希望します。

#馴れ合いはイヤですからね。

それではー。

725 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 10:04
唐津から前原まで船でいくほうが楽なのに魏の使節が山越えをするのは変で、末廬国からの方角は東南なのだから伊都国は吉野ヶ里だ!という典型的な九州説があるのは事実だ。
法師氏の問題提起はどうもこれを踏まえているのではないか?「畿内説」「九州説」といった「予断」を排除しつつ「倭人伝」の記述を解釈する態度というのは見せ掛けではないか?
とまあ、こういった疑いが出てくることは否定できないと思う。
しかし避けて通れる議論かと言うとそうではないのだから、これはこれで検討しておくべきだと思う。

726 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 10:23
>>723
> ところで、法師さん(>>709)は「末盧国」→「伊都国」に話題を
限定してましたっけ? 違いますよね。

あーつまり、>>720は 法師さんが自説を隠してヒレツなユードーをして
るって言いたいわけね。限定したら九州説だって見え見えだから。
そこまで懐疑的にならんでもいいだろう。話を先に進めようではないの。
ただ彼は確かにイト国=前原って比定が間違ってるという主張はしてた
と思うが。
それで彼は具体的にはどこの話をしてるのだろう?

727 :鹿苑寺:2001/06/29(金) 11:05
>>723
>>しかも倭人伝の記事は「使節団のような大人数の団体」の通った
>>コースであるという「予断」まで入ってる。

>まさか魏使が独りで行ったわけじゃないですよね!?

魏志や魏略の行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだという考え自体が予断だと思います。
もとより隋書の場合と違って誰がこの行程を進んだとは書かれていないわけですし、文体の比較研究からこの記事がいろいろな情報の寄せ集めであるとされていることは文献史学のほうでは常識と思っていましたが。

728 :710:2001/06/29(金) 12:15
「末盧国」は本当に唐津だったんでしょうか?
「末盧国」が唐津ではなく「伊都国」も前原でないかもしれない。

と考えて議論すれば新しい展開が出来ませんか?

「末盧国」が前原で「伊都国」は博多。
「伊都国」の人口千戸は間違いで「奴国」と取り違えている?
と考えると考古学的にみて矛盾が少なくなるのでは?
とすれば末盧国と伊都国間を陸行したとしてもおかしくはないでしょう。

むしろ「末盧国」を唐津と決め込んで、自分達の弱点を突かれるのでは
>>720氏のような発言をする事の方が予断を持っているような気がします。

729 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 12:39
>>728
それでは奴国はどこ?

730 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 13:34
>>729
どこか予断を持たずに可能性として、どのあたりが妥当か
考えては?
伊都国と人口記載が入れ替わっている(仮定)のですから
千戸程度の集落なら候補は沢山出てきそうなきがします。

731 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 14:02
そういう書き換えを前提にした議論はどうもなあ・・・
あなたの考えは?奴国はどこ?

732 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 15:21
>>731
あなたの考えは?奴国はどこ?

古賀市、新宮町、久山町、粕屋町、篠栗町、須恵町、志免町、宇美町、
春日市、大野城、那珂川町

733 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 15:32
博多駅南。
しかしひとに聞く前に自分の考えを言うべきでは?

734 :鹿苑寺:2001/06/29(金) 17:18
>>728
その比定は、新たにまた別の矛盾を生んでしまうでしょう。
海峡を渡っていると思われる記述には「又」(=「さらに」の意)で連続して進んでいることが明示されているので、この場合方位の記述が略されている一大→末廬は、對馬→一大の進行方向が継続していると読むのが史書での通例です。
書かれていなければ西でも東でも構わないというのは、この場合には健全な解釈ではありません。末廬国を前原方面に持って行く比定は、方位の記述と矛盾することになるわけです。

735 :日本@名無史さん:2001/06/29(金) 17:52
>「又」(=「さらに」の意)で連続して進んでいることが明示されている

ふうん。そうなんですか。
方向までは書いてないというふうに解釈してましたが。

それは漢文の常識なんですか?
それは三国時代も同じだという証拠はありますか?
東南(南南東かな)を南と書いたくらいですからそんなに厳密
でなかったかもしれませんね。

それに前原だってほぼ東南でしょ。
90度も狂っている訳じゃない。

736 :通りすがり:2001/06/29(金) 17:59
>鹿苑寺さん(>>727

どーも。
いやはや暑いですね。

>魏志や魏略の行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだとい
>う考え自体が予断だと思います。
>もとより隋書の場合と違って誰がこの行程を進んだとは書かれて
>いないわけですし、文体の比較研究からこの記事がいろいろな情
>報の寄せ集めであるとされていることは文献史学のほうでは常識
>と思っていましたが。

「常識」と来ましたか。なるほど。

 議論の現段階で、鹿苑寺さんのような方に私が望みたいことは、
「常識」(これまた随分な表現ですが)の判断ではなく、「常識」
の具体的な内容を提示しつつ批判を加える作業ではないでしょうか。
折角ですから、鹿苑寺さんの「常識」を私の常識にも加えてください。

 また、「倭人伝」の行程記事に対して史料批判を加える必要はも
ちろんですが、「倭人伝」に「そのような」記述が盛り込まれてい
る事実そのものに対しては検討が加えられないのでしょうか。

ご一考ください。
それではー。

737 :通りすがり:2001/06/29(金) 17:59
>>725さん
>>726さん

激しくガイシュツです。

>>714で私が掲示した過去レスに加えて、>>107>>109
>>110->>127のレスをご参照ください。

また、批判対象レスを明示のうえでご発言された方が良いかと。

738 :通りすがり:2001/06/29(金) 18:00
710さん(>>728、730)

どーも。

予断を極力廃した議論には私も大賛成ですが、記述ミスを前提とし
た発想自体が「予断」であると私は感じます。

>>731さん
>>732さん
>>733さん

比定地論議も結構ですが、理由を明記されないことには第三者側か
らの理解が進まないと考えますが、いかがでしょうか。

それではー。

739 :通りすがり:2001/06/29(金) 18:11
>鹿苑寺さん(>>734

ちょっと気になったもので・・・
茶々と思ってください。

>海峡を渡っていると思われる記述には「又」(=「さらに」の意)
>で連続して進んでいることが明示されているので、この場合方位
>の記述が略されている一大→末廬は、對馬→一大の進行方向が継
>続していると読むのが史書での通例です。

「通例」ですか。

 本スレッドは、当該期の文献史プロパーばかりではありません。
「通例」あるいは「常識」といきなりご発言するばかりでは、他者
との共通理解が深まることはないように感じますが、いかがでしょ
うか。
 ご面倒でしょうが、「通例」あるいは「常識」といった認識の具
体的な内容について明示されると、議論がより活性化されると考え
ます。史料批判を加える場合はなおさらではないでしょうか。

老婆心ながら申し添えます。
それではー。

740 :日本@名無史さん:2001/06/30(土) 07:22
鹿苑寺氏はかって四国の萩原1号古墳についてホケノ山古墳との関連を
述べておられたが、ひょっとすると邪馬台国を徳島あたりに比定したい
のかもね。

あ、これは余談。

741 :通りすがり:2001/06/30(土) 07:32
>>740さん

予断にマジレスは無粋かもしれませんが・・・

>鹿苑寺氏はかって四国の萩原1号古墳についてホケノ山古墳との関連を
>述べておられたが、ひょっとすると邪馬台国を徳島あたりに比定したい
>のかもね。

いやそれはないでしょう。
というより、ホケノ山古墳云々と比定地論議は基本的には異なる次元の
問題でしょうから。

742 :通りすがり:2001/06/30(土) 07:32
訂正です。

1行目

(誤)予断 → (正)余談

失礼しました。

743 :710:2001/06/30(土) 19:01
>通りすがりさん

>予断を極力廃した議論には私も大賛成ですが、記述ミスを前提とし
>た発想自体が「予断」であると私は感じます。

でもね、これまで景初2年や、会稽東治や、南の方位なんか記述ミス
として改定されている訳だし、解釈改定みたいなものも多数ある。
この際もう一つ位追加しても良いかなと思ってしまいますけど。

学会の偉い先生だけが記述ミスの判定ができる訳ですか?
無理やり畿内に持っていくための改定もあるように思いますが。

当時の地勢から見て、唐津から前原へ陸路を行く事は殆んど不可能に
近いのですから、何か新しい解釈が必要です。

全く倭人伝の改定なしに読む限り唐津に上陸すれば東南へ五百里では
吉野ヶ里付近を伊都国と断定せざるを得ません。
しかし、それでは二万戸の大国奴国を比定するのが難しいでしょう。
又、博多付近が当時から大国だった筈で、これがその他の餘旁国扱い
では変です。「其餘旁國遠絶不可得詳。」

これらを無視して倭人伝の記述だけに頼った邪馬台国探しは無意味な
気がします。
やはり考古学的事実と文献との照合しながら文献の方を修正しなければ
いけない事も在るでしょう。
無論できるだけ文献に忠実にしたがってどうしても文献と発掘とが
一致しなくて合理性を欠く場合に限られますが。

その修正が妥当だったかどうかは邪馬台国が何処にあったか確定して
初めて判る事です。

744 :>743:2001/06/30(土) 20:46
>当時の地勢から見て、唐津から前原へ陸路を行く事は殆んど不可能に
>近いのですから、何か新しい解釈が必要です。

これは同意できるけど、

>全く倭人伝の改定なしに読む限り唐津に上陸すれば東南へ五百里では
>吉野ヶ里付近を伊都国と断定せざるを得ません。

これはだめだなぁ。吉野ケ里では東に行き過ぎる。
可能性としては、やはり、佐賀あたりでしょ。
このへんも遺跡の密集地だよ〜ん。

しかし、それ以前の問題として、やはり複数の資料をつなぎ合わせて
倭人伝の行程記事が出来上がっていると考えるのが普通。
分けるとしたら、狗邪韓国〜末盧、伊都〜不弥、投馬〜邪馬台でしょう。
末盧〜伊都間の行程は本来記録にはなかったのかもしれない。

例えば、

A 壱岐から船に乗って末盧に着く。ここから東南に500里ほど陸行し、目的地に着く。
B 壱岐から海を渡る。その後、末盧国を経由して伊都に向かう。伊都から100里で奴国。さらに東に100里で不弥国。

という資料があったとする。Aは、唐津から有明海方面に抜ける時の行程。
Bは、それとは別の玄海灘沿岸を移動する場合の行程で、全て水行。
Aには行き先が欠けており、Bでは移動手段が欠けているのがポイント。

これが間違って合成されると、末盧−伊都間陸行という倭人伝の行程が出来上がる。
もちろん、これは一つの試案であってこれが絶対などということはない。

とにかく、行程を論ずるのであれば、その前に行程記事が如何にして出来上がったのかという
成立過程の議論がなければ、行程を論ずるだけ無駄である。

そして、成立過程を議論すると、やっぱり、行程は論ずるだけ無駄であるという結論に行き着くと思うのだが。
そうでないと思うヤツは、がんばってみてくれ。

>しかし、それでは二万戸の大国奴国を比定するのが難しいでしょう。

これは、同意。唐津から南下すると必ずこの問題に突き当たる。
ただ、線引きの仕方次第でどうにでもなると言えばなる。
しかし、その後の投馬5万と邪馬台7万はどうにもならない。

よって、唐津から南下という仮説は棄却されることになる。

>その修正が妥当だったかどうかは邪馬台国が何処にあったか確定して
>初めて判る事です。

これも同意。

745 :法師:2001/06/30(土) 22:47
>>203>通りすがりさん
 ※ADSL弾かれで遅くなりました。
>実年代の解釈云々の「邪馬台国問題」に対する直接的な影響については、そ
>れほど大きく考える必要はないと思います。
>強いていえば、「邪馬台国」に関する「倭人伝」の記載内容と近い時期の考
>古学的な情報が増えたという程度でしょうか。

「いわゆる科学的な測定」も、本質的に、多かれ少なかれ、誤差を
内包せざるをえないものであるという事実を正確に認識しているな
ら、そのような態度で接するのが、客観性を確保することによって、
「学問」の領域に踏みとどまるための「王道」であると思います。

「王道」を行くのは、中々に辛気くさいことでもあるわけですが、
その辺は、まあ、適当ということで。←意味不明のセリフ

一方、世間には、「科学的な測定」というと、「無条件に正確なも
のである」という誤解が蔓延しているようで、甚だしいばあいは、
「科学的な測定というのは、内容に関わらず、動かしがたい真理そ
のものである」といった具合の、何というか「信仰」に近いような、
ワケの分からん奇妙な観念を抱いている人が少なくないのは、どう
も不審に耐えないところです。何をどう間違えるとそうなるのか?
小中高校の教え方が悪いのでしょうか?

過去の事柄は、全て、科学的な意味での証明は不能の問題であると
いうことが正確に周知されていないことから考えると、小中高校の
教え方に、何か重大な欠陥があるような気もしますね。ごく最近の
初〜中等教育の事情は、浅学にして存じないですが。

あと、闇雲に「明確な結論」に向けて突っ走ろうとする人がいて、
度々閉口することがあるのですが、あれは、「マルバツ式試験」の
弊害でしょうか。

単純にマルかバツかで割り切れるのは、あくまで、その問題が、単
純にマルかバツかで割り切れるように作られているからであって、
世の中の事象は、必ずしも、マルかバツかで割り切れるわけじゃな
いんですが、マルかバツかで割り切れるように作られている問題ば
っかり解いていると、それがすべてであるという誤った固定観念が
生成されてしまいやすい傾向があるかも。

「マルバツ式試験」というのは、「持ち合わせている知識の数を短
時間で正確に計測できる」という点で、確かに有意義ではあるので
すが、反面、「採点するのが簡単で、かつ、採点について苦情が出
にくい」=試験する側の手抜き…という「意義」もあるんですよね。

「マルバツ式試験」は国を害すること深厚

…というべきかもしれません。

746 :法師:2001/06/30(土) 22:52
>>710>?さん
>畿内説の言う日本国内の陸行「1月」はおかしいという意味でしょうか?

 スレッドが複数にまたがっていて、かつ、話題が輻輳しているの
 で、誤解されるのも無理はないと思いますが、「倭人伝の記述は
 ホントに半島から海を渡った日本列島の当時の状況を伝えている
 のか?=空出張とかじゃないのか?」とうことからして、頭っか
 ら疑ってかかるという基本姿勢で、かつ、話の進み具合の関係で、
「まだ日本列島に上陸してない」から、国内の陸行がどうというと
 ころに行ってないんです。

 先のメッセージは、純粋に物理的な事情から考えて、日本列島の
 ような地勢の地域を移動するばあいには、どういう具合であらざ
 るを得なかったか? という、単なる一般論です。

 ここで「純粋に物理的な事情」というのは、荷物を携帯した状態
 で海を渡るなら、当時においては、人力を主な動力とする船を使
 うしかなかったはずである…とか、そういった船で半島と対馬の
 間を往復するばあいには、海流の関係で東に流されるに決まって
 いるから、少なくとも、南下するばあいと北上するばあいで、実
 際に取ったルートは同一ではなかったと推定せざるを得ない…と
 かいった事柄です。

>「1月」は「1日」の間違いと言う説は畿内説の中でも主流になっていない
>のはどうしてでしょう。

 「月」と「日」にかぎらず、「元々の誤伝に基づく事実に反する
 記述」とか、「成立以後の誤写のたぐい」は、すべての記述につ
 いて、疑っておく必要がありますね。

 もっとも、それではキリがないから、とりあえず「魏志倭人伝を
 そのまま読むとどうなるか?」を確認しておこうと。

>大和川を使って内陸に入り込んでから、陸行1日なら可能性ありのような
>きがします。

 別に大和川にかぎらず、海だけではない川の行程も念頭におくこ
 とは必要かもしれないですね。

>ほかの部分は沢山書き換えしているのに、ここは書き換えしないのは何か
>出来ない理由があるのでしょうか。

 あれ? ここで「書き換え」とは、倭人伝の記載のことですか?

747 :法師:2001/06/30(土) 22:54
>>699>通りすがりさん
>どーも。

 あ ど〜も。暑いですね〜。

>「持衰」は「鬼道」の構成要素に含まれるのでしょうか。

 「自炊」だったら、下宿とか山小屋とかの料金構成要素に含まれ
 ますが、「持衰」はどうなんでしょうか? 下宿はとんとやった
 ことがないですし、近頃山登りをサボっていて、行くときも、車
 でなるべく高くまで行って、車の中で寝泊まりしているので、事
 情がちょっと分かりませんです。

> 上掲のご発言から、法師さんが「持衰」を「鬼道」の構成要素の
>一つとお考えになる理由の一端は伺えますが、実際の資料解釈から
>はいかがですか。資料中の記載(「倭人伝」に限りません)から「鬼道」
>と「持衰」の関係を解釈できる箇所があればご指摘ください。

 その辺りは、どなたかのご指摘を待ちたいところですね。

 当方の意図は、「卑弥呼さんが能くしたという鬼道」には、五斗
 米道よろしく、何かの実利的なヨロクが必ずあったと睨んでいる、
 ということで、いってしまえば、森さんより小泉さんのほうが、
 ヨロクを自分でガメちゃいにくそうな顔をしてるから、ワシにも
 ヨロクが回ってきそうな気がする、とかいったことです。

※あくまで仮の例です、仮の例。森さんはいかにも強突張りのよう
 な顔をしているとかいないとか、実在の人物団体等とは、一切関
 係ないです。

>それではー。

 電話料金大丈夫ですか? ←よけいなおせわ

748 :法師:2001/06/30(土) 22:55
>>717>?さん
>法師さんではありませんが。

 あ わざわざどうも〜。

 「基本的に船で行けるのに陸路を取る理由・考」
>あえて陸路を選ぶ最大の理由はなんといっても安全でしょう。
>瀬戸内海のような内海ではあまりおきませんが、外洋では
>突然の高波などもきますし、台風でも来れば瀬戸内海でも
>遭難してしまいます。

 そうですね。確実を期する点では、陸路のほうが安心ということ
 はありますね。

>後、考えられるのは陸地の主要国の王に対する表敬が必要
>であったかもしれない。くらいですか。

 それも、相当に重要そうですね。先進国のお土産を分けてやれば、
 荷担ぎぐらい何人でも供出したでしょうし、腰が抜けるほど歓待
 してくれるんじゃないかと。          ↑
                変な意味ではないです念のため
                        ↑
                      ホントかな?

 逆にいうと、山賊に襲撃されないように防御してくれる以前の問
 題として、経由地の国自身が、お土産を丸取りする危険はない、
 という保証もあった…ということにならざるをえないですね。

749 :法師:2001/06/30(土) 23:00
>>726>?さん
>ただ彼は確かにイト国=前原って比定が間違ってるという主張はしてた
>と思うが。

 だ〜か〜ら〜 ワシは〜 そんなことは〜 いっておらんのです
 ってば。ワシは全部ハンドル書いてるから、メッセージをアップ
 しているスレッド=このスレッドと…

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=983026206

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=975949507

 …の3つを検索して、どこで「イト国=前原って比定が間違って
 る」と書いているというのか、捜してみてください。絶対にそん
 なことは書いてないです。

 なお、見つけたなら見つけたで、見つからないなら見つからない
 で、ハッキリとどうぞ。

750 :法師:2001/06/30(土) 23:02
>>727>鹿苑寺さん

 色々どうも〜〜〜。さっそくですが…

>魏志や魏略の行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだという
>考え自体が予断だと思います。

 はい。その通りだと思います。行程関係の問題にかぎらず、倭人
 伝の記述の各部分について、ソースが何にあって、どこまで信頼
 に値するものなのか、予断を排して検討することは、不可欠の必
 須の事柄だと思います。

※「法師のメッセージは何らかの予断に基づくものである」と、闇
 雲に思いこんでおられる方がいて、その関係もあって誤解してお
 られるのではないかと思いますが、こちらは、土台からして、ホ
 ントに日本列島の話なのか?からして疑ってかかっています。結
 果としては、おそらく日本列島の話であり、誰かが半島と列島の
 間を往復した=全くの架空の話ではないであろうことは間違いな
 い見当だろうとは思っていますが。

>もとより隋書の場合と違って誰がこの行程を進んだとは書かれてい
>ないわけですし、文体の比較研究からこの記事がいろいろな情報の
>寄せ集めであるとされていることは文献史学のほうでは常識と思っ
>ていましたが。

 特定の人物がたどった行程の記録であるからといって、無条件で
 信頼に値するというわけではないですし、逆に、複数経路の情報
 の寄せ集めであるとしても、全て、もしくはいずれかが事実を伝
 えているということもありうるわけで、一律には論じられないで
 すね。

 ところで、「文体の比較研究」によると、どの部分範囲がどうい
 った方面から来たものと考えられているのでしょうか? いうま
 でもなく、先行する書物の敷き写しとおぼしい部分も多いわけで
 すが、逆に、陳寿先生のオリジナルとおぼしい部分も判明してい
 る、ということですよね?

751 :710:2001/06/30(土) 23:28
>>全く倭人伝の改定なしに読む限り唐津に上陸すれば東南へ五百里では
>>吉野ヶ里付近を伊都国と断定せざるを得ません。

>これはだめだなぁ。吉野ケ里では東に行き過ぎる。
>可能性としては、やはり、佐賀あたりでしょ。
>このへんも遺跡の密集地だよ〜ん。

佐賀ももちろん候補には入るでしょう。
だから吉野ヶ里・付・近・としたのです。

>しかし、その後の投馬5万と邪馬台7万はどうにもならない。

この問題の解決は
魏使が邪馬台国の説明をそのまま鵜呑みにしたと解釈すれば
いいと思います。
千戸や五千戸なら一目で数える事ができても万を越えると数え
切れません。
伊都国までは郡使が度々訪れていたので正確な把握が可能でも
卑弥呼の住む都は数回でしょう。
その時邪馬台国の範囲や人口について聞いても大国ぶりたい
邪馬台国側が大げさに言っても確かめようが無かったと考え
られませんか。
「あの山の向こうも邪馬台国の領地で人口何千人住んでいる。
こっちの山の向こうには何万人」とか。
魏使も邪馬台国の実態を把握しようとある程度は探ったとは思
いますが把握し切れなかった。

投馬国は全く言った事がなく単に伝聞か、数回通過しただけで
やはり魏使が自ら人口を確かめられなかったとかんがえます。

752 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 00:08
整理すると
ここまでに原文改訂が1か所と
原文が間違いであるところが2か所あるという説ね?

753 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 00:20
隋書では邪馬台国に阿蘇山ありと書かれていたから阿蘇山の見えるところでは??

754 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 00:56
書いてねえよ

755 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 02:25
倭人が「7万戸」と言っても魏使が信用するわけはない、と思う。
「7万戸」は勘違いではなく、後の捏造だったように思う。
倭人伝の狙いは、
1・7万戸の邪馬台国が魏の味方であったとすること
2・それが会稽東冶の東にあったとすること
だから東を南と意図的に書き換えさらに道順をめちゃくちゃにした
のである、と思う。だからといって畿内だったということにはなら
んが。

756 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 06:54
>>755は陳寿の為人を考えたことはあるのか?

757 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 10:13
>>751
>佐賀ももちろん候補には入るでしょう。
>だから吉野ヶ里・付・近・としたのです。

そりゃだめだ。佐賀と吉野ケ里じゃあ伊都と奴の間の距離くらい違うぜ。
佐賀と吉野ケ里を“付近”で一括りにするってなあ、
伊都と奴が同じ場所にあるといってるのと同じだぜ。
却下である。

>千戸や五千戸なら一目で数える事ができても万を越えると数え切れません。(以下略)

これもだめだぁ。
そもそも、伊都=前原、奴=福岡っていう定説を袖にしてわざわざ唐津から南下しようってのは、
“原文を訂正しちゃなんねぇだ!!!”っていう強いポリシーによるもんだ。
その先進んで人口が都合が悪いから人口は間違ってるなんてのは、ご都合主義の見本みたいなもんさ。
従って、これも却下である。

758 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 10:33
>>757
同感

759 :通りすがり:2001/07/01(日) 10:36
>710さん(>>743

どーも。
丁寧なご返答、痛み入ります。

>でもね、これまで景初2年や、会稽東治や、南の方位なんか記述
>ミス として改定されている訳だし、解釈改定みたいなものも多数
>ある。 この際もう一つ位追加しても良いかなと思ってしまいます
>けど。

確認ですが、「改定」の主語を「倭人伝」の読解者と認識してよろ
しいですね?

>学会の偉い先生だけが記述ミスの判定ができる訳ですか? 無理や
>り畿内に持っていくための改定もあるように思いますが。

うーん、ちょっと話がずれているようですね。
私は「記述ミス」の判断基準を問題にしているのですよ。
詳細は後述します。

#しかしながら>>710さんがおっしゃるように、私自身の発言のなか
#に「学会の偉い先生だけが記述ミスの判定ができる」と読める記
#述があるのならばそれは問題ですね。もちろん、決してそのよう
#な「思い上がり」は当方にはございませんが、そのように解釈で
#きる部分があるならば私の不徳の致すところです。
#私自身、そのような「特権者意識」を激しく憎む者です。

では、「記述ミス」の判断基準に関する問題について。

 まず「記述ミス」の内容についてですが、なぜ距離記載あるいは
方位記載が「記述ミス」と判断されるのでしょうか。それはあらか
じめ、「記述ミス」と判定する者の念頭に、現代の地図上に具体的
な比定地が想定されているからではないでしょうか。なぜ、その他
の記載については「記述ミス」との判断が下されないのでしょう。
現代の地図上に比定される具体的な地名を念頭にした解釈は、明ら
かに循環論の相を呈しています。いま、私と>>710さんの間で問題
にすべきは、「記述ミス」とする我々の判断基準ではないでしょうか。

(続く)

760 :通りすがり:2001/07/01(日) 10:36
(続き)

>710さん(>>743

>全く倭人伝の改定なしに読む限り唐津に上陸すれば東南へ五百里
>では 吉野ヶ里付近を伊都国と断定せざるを得ません。 しかし、
>それでは二万戸の大国奴国を比定するのが難しいでしょう。 又、
>博多付近が当時から大国だった筈で、これがその他の餘旁国扱い
>では変です。「其餘旁國遠絶不可得詳。」

 比定地論議とは若干離れますが、私は「倭人伝」が「そのように」
記述されている「事実」に興味を抱きます。
 複数の原史料により成立した記載として「倭人伝」を検討する史
料批判的な読解とは別に、史料成立の最終形として地理記載のコン
テクストを考える必要を感じるのです。


>これらを無視して倭人伝の記述だけに頼った邪馬台国探しは無意
>味な気がします。 やはり考古学的事実と文献との照合しながら
>文献の方を修正しなければいけない事も在るでしょう。 無論で
>きるだけ文献に忠実にしたがってどうしても文献と発掘とが 一致
>しなくて合理性を欠く場合に限られますが。

 「記述ミス」に問題を限った場合、文献史料と考古資料のクロス
チェックはまた別の問題です。
 論理次元上の問題として、「倭人伝」などに対する史料解釈が考
古学的解釈に先行することを忘れてはなりません。匿名性の極めて
高い考古資料に、固有名詞的性格を付与するものは文献史料です。


>その修正が妥当だったかどうかは邪馬台国が何処にあったか確定
>して初めて判る事です。

おっしゃるとおりです。
上述のように、「記述ミス」の「修正」はこの場合、別次元の問題
です。
ただ、上掲のご発言を読む限り、>>710さんと私の相違点が分から
なくなってきますが・・・


いったん失礼します。
乱文ひらにご容赦。

761 :710:2001/07/01(日) 12:12
>>757さん
あなたなら伊都国と奴国を何処に比定されるんですか?

762 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 13:48
普通のとこじゃないの?

763 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 17:37
>>761
定説どおり。

ただ、むりやり唐津から南下するとしたら、伊都から東南−東とすすんで不弥。
不弥からは南に船でドンブラコと移動しなきゃならないんだから、
不弥国は、筑後川河口あたりになきゃいけない。
とすると、伊都はそれよりは西じゃないとね。

764 :日本@名無史さん:2001/07/01(日) 17:39
スマソ、下げちゃった。
で、age

765 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 02:27
イト国は「委奴国」の金印の当たり。

766 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 02:48
>>765
委奴はイトとは読めない。

倭人伝の他の倭人音と対応させると委あるいは倭は全くの例外にあたっており、
委奴のうちの“委”は、倭語を中国音に写したものではないと見られる。
すなわち、倭語の音訳は“奴”だけであり、それに、
中国人が日本列島に住む人々に付けた名である“倭”が加えられたもの(倭と委は音通)と考えるのが自然。

767 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 03:36
>>765 完全に葬り去られた前世紀前の謬説の亡霊か。

768 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 11:26
>>736
>「常識」と来ましたか。なるほど。

通りすがりさんも含めて、ここの参加者の少なからぬ面々が、これらの行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだという考えが既に暗黙の了解になっているようですから、それがここの「常識」なのでしょう。私は別の「常識」があることを対置してみせただけです。
お聞きしているのは、なぜ「魏志や魏略の行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだ」と考えるのかです。

> また、「倭人伝」の行程記事に対して史料批判を加える必要はも
>ちろんですが、「倭人伝」に「そのような」記述が盛り込まれてい
>る事実そのものに対しては検討が加えられないのでしょうか。

これは具体的にはどういうことでしょうか?

769 :鹿苑寺:2001/07/02(月) 11:29
あれ?名前が出ない!? 768は私です。

>>739
>「通例」あるいは「常識」といきなりご発言するばかりでは、他者
>との共通理解が深まることはないように感じますが

>海峡を渡っていると思われる記述には「又」(=「さらに」の意)
>で連続して進んでいることが明示されているので
と理由を明記しております。
「又」という言葉は現代日本語と違って「引き続き」の意味であります。ですから
 「又南渡一海千余里…至一大国」
 「又(南)渡一海千余里至末盧国」
()内は節略と「読むのが史書での通例」という実態を申し上げただけです。
加えて「南北市糴」とも書かれているので、進行方向を南と読むことが通例になっている実態があるわけです。
 そう「書くのが史書での通例」であったかどうかは、史書に方位が明示されている例さえ現実どうりで無い例が多数ありますので明証を得ているとまでは言い難いですが、節略されている例でも現実の地理と合致する例を枚挙げることは可能です。ただ完全に同時代の文献でないから信用しないという反論には対抗できないので、労を惜しみます。

 ただ一つ言えるのは、ここで「東南」を「南」に含める4分法を採用した場合は、8分法を採用している末盧国以降と別ソースと考える必要があるということです。

770 :Occam:2001/07/02(月) 12:08
不弥国をまあ「宇美」(福岡県糟屋郡)と比定しましょう。さて、
その後、今までの里程表ではなく突然表れる「水行二十日、「水行
十日、陸行一月」の部分を白鳥博士の亡霊を呼んで真っ黒に塗つぶ
してもらい、後で挿入された「無かったこと」として倭人伝を読み
なおすと、あら不思議。不弥国のすぐ南にトゥマ(妻)國、そこに
は何とミミナリ(耳成?)という官名が有る。そのまた直ぐ南にヤ
マトゥ(山門)國、さらに南に隣接してクヌゥ國、クヌゥ國の官に
は、あらまあ御丁寧にもクコチヒコ(菊池彦?)と出来過ぎでいる。
さて、邪馬台国論争の根底にあるものは、正に不弥国までの里程表
から一転した「水行二十日」、「水行十日、陸行一月」の部分にある
と思われるが如何。じゃあそこだけ黒く塗りつぶせば、全て素直に
おさまりませんかねぇ?大和王朝?さあねぇ、そりゃまた別のお話
でしょう。そんな女王國の遥か東の海の果ての國の事は、分かりま
せんねぇ。以上オッカムの剃刀流倭人伝解読法より。

771 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 12:44
>白鳥博士の亡霊を呼んで真っ黒に塗つぶ
してもらい、後で挿入された「無かったこと」として倭人伝を読み
なおすと、あら不思議。

呪われませんか?

772 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 14:34
洛陽より△△まで○○里、次の◇◇まで洛陽より××日のような
表記は三国志の中に多数あるそうです。

黒く塗りつぶさなくても水行10日、陸行1月は邪馬台国までの
全行程とみなしても問題ないのでは?

773 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 14:37
そんねのねぇよ!ガゼネタ

774 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:05
>>770
都合が悪いから黒く塗りつぶすってのは感心しないで寒心する。
どだい萬二千餘里が合わないでしょうが!
>>772
なんか出所不明の誤情報が乱れ飛んでますな。
まともな議論を希望!

775 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 16:43
>>774
出所いうと又、罵倒のあらしになるから言いたくないけど、
古田氏が「邪馬台国はなかった」の中で実例を挙げて言って
いたと記憶しています。
手元に「邪馬台国はなかった」は持ち合わせていないので
これ以上は言えませんが。

776 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 17:20
問題は誰が言ったかじゃなくて本当かどうかだから憚る必要なし。
ただし孫引き+記憶で書くのは無責任。

777 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 17:37
誤情報垂れ流しは社会の害悪だぞ!
ここはいいスレにしたいから襟を正そう。

778 :鹿苑寺:2001/07/02(月) 18:05
>>775
たぶん漢書西域伝の記憶違いでしょう。しかし、かなり違います。
「次の◇◇まで洛陽より××日」というような書き方ではありません。ひとつひとつの国の説明に近隣隣国までの距離と長安、陽関からの距離が併記してあるのです。
全日程という読み方(文章としてありえないのですが)が間違いである証明になる資料です。

779 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 18:30
私の記憶違いでした。失礼しました。
古田氏は陳寿が漢書西域伝を参考に書いたので
漢書西域伝にある同一ルートを一方は里で書き
一方は日程で書いてあるから不弥国までを里で
書いて、邪馬台国までを日程で書いたのである。
といっているのでした。
御免なさい。

780 :779:2001/07/02(月) 18:33
またまた間違い。
同じ行程を里と日数で表す事もある、と言う
意味でした。

781 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:43
saitobara

782 :日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:48
saiteibaka

783 :770:2001/07/03(火) 06:23
>774
 「黒塗り」がダメなら、切り取っては如何(笑)? 冗談はさておき、里程か
ら日程への不自然な移行、しかも投馬國への突然の長距離ワープ、更には「南」
を都合よく「東」と言い換えるなど、牽強付会を最大の拠り所とする畿内説も
この点に関する限り、白鳥流「削除」とあまり違わないように見えるが(笑)。

 また、「萬二千余里」については帯方郡から不弥国「宇美」(福岡県糟屋郡)
までで既に一万七百余里を経ており、問題は残り千三百里となれば、奴国・不
弥国間百里を基準として、不弥国→トゥマ(朝「妻」、御井=ミミ、耳成=ミ
ミナリ)に比定される高良山・耳成山系北麓、筑後川左岸まで八百里、さらに
南のヤマトゥ=山門・八女郡へ、五百里では如何かな?ちょっと里程が多すぎ
ますかね?おや、結局、言い古された古典的九州説に回帰してしまいました
とさ(藁。

784 :P.S.(770):2001/07/03(火) 06:54
↑あくまで自嘲的にぼやいておりますので誤解無きよう。九州だろう
が、大和だろうが別にどうでもいいのですが、果たして最小の「牽
強付会」で倭人伝を読んだ場合、やっぱり里程→日程への不連続な
移行を「切除手術したいなあ」という許されぬ(?)願望によるぼ
やきであります。どうぞこの点(里程→日程への移行)に関して諸
氏の御高説をお聞かせくださいまし。小生個人的には、倭人が魏使
に対し不弥国まではちゃんと里程を説明し、中核たるトゥマ・ヤマ
トゥの「位置」については、軍事的観点から、大ぼら吹いたに神獣
鏡三千枚(藁。

785 :鹿苑寺:2001/07/03(火) 08:38
さきに漢書西域伝の例が出てきたとおり、同じ記事に里程と日程が混在することは珍しくありません。ごく普通です。根拠なく切除することは矢張り許されないでしょう。
また「筑後川左岸まで八百里、さらに南のヤマトゥ=山門・八女郡へ、五百里」という内訳が判明しているのに記録に残らず、一方で日程及び総計の万二千余里が記録に残るという状態がなぜ生じたのでしょうか?

786 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 09:26
「大論争」の方で狗邪韓国−末ラ国間は一里75mで実測すると
4千里になり、千余里X3は余里と言う言葉の中に千里プラス
して考えるべし、と言う議論がありました。

この説によれば不弥国から邪馬台国までは残り3百里になります。

787 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 09:30
賛成者は誰もいませんでした。

788 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 09:47
まあ歴史は多数決できめるものではないけどな

789 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 09:53
誰も賛同しないことにはそれなりの理由があると思う。

790 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 09:56
そんなことを言うとダブハンを誘発するだけなので
説をちゃんと論理的に展開するよう求めるべきである。

791 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 10:00
>>790 誘発って、最初から本人が「この説によれば」とかダブハンこいてんじゃん!

792 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 10:08
どっちにせよ書かれている日数とは合わないですね。

793 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 10:55
>>784
日数が伝聞だという根拠は何?

794 :通りすがり:2001/07/03(火) 11:23
>法師さん(>>745

どーも。
直接的なレスではありませんが、「反歌」ということでご勘弁くだ
さい。

知識所有の構造的な問題について述べます。
雑感に近い素描ではありますが、ご容赦ください。


●1.知識所有の権力構造

●●1−1.専門知の発達

 現代社会では知識の専門化が進展しています。専門知に対するア
クセスの容易性は幻想と化し、アマチュアリズムへの期待は牧歌的
な追憶とともに無力化しています。また知識の専門化に伴い、知識
所有の分業化が同時進行する状況も見逃してはならないでしょう。

●●1−2.アカデミズムの専制

 知識の専門化・分業化が進展する現代において、専門知は事実上
アカデミズムにより独占され、アマチュアあるいは他分野の研究者
による専門知へのアクセスはアカデミズム経由にならざるをえない
状況です。それゆえ、知識への渇望は必然的に、知識の所有形態に
おいてある種の権力構造を創出し、アカデミズムの専制化を招来し
ます。

(続く)

795 :通りすがり:2001/07/03(火) 11:24
(続き)
>法師さん(>>745

●2.信仰としての「科学」

●●2−1.「科学」に対する「信仰」の誕生

 知識への渇望は、知識所有の権力構造のなかで編成されます。知
識の渇望者は、アカデミズムを「聖なる牧羊者」(パストラール)
として位置づけ、自己を知識の託宣を待つ存在へと変化させます。
「科学」を専門知の集合体として捉えれば、「科学」に対する「信
仰」の誕生です。

●●2−2.パストラール的権力としてのアカデミズム

 本来、批判を甘受すべき専門知はアカデミズムの専制化に伴い、
「真理」へと変化を遂げます。「真理」への渇望は、「真理の託宣
者」としてアカデミズムを定立し、アカデミズムをパストラール的
権力として渇望者の自己の中に定立します。「窺い知ることのでき
ない知識」、すなわち「真理(イデア)」への渇望はアカデミズム
を特権的地位に上昇させるのです。

●●2−3.「結論」を求める渇望者

 専門知の発達に伴うアカデミズム専制化の産物として、知識の形
成過程の隠蔽化を挙げることができます。隠蔽された知識の形成過
程は、結果として、専門知の渇望者にとって「結論」のみが理解さ
れるべき存在として表象されます。本来、形成過程こそが問題とさ
れるべき専門知は、渇望者にとって「結論」が神聖化された救済と
して表象されるのです。また、アカデミズムにとって、「結論」の
みを求める渇望者は「衆愚」として表象され、自己を知識形成に携
わる特権者として定立する傾向も見逃してはならないでしょう。ア
カデミズムの自己権威化です。

(続く)

796 :通りすがり:2001/07/03(火) 11:24
(続き)
>法師さん(>>745

●3.知識の共有

●●3−1.共有の場の解体

 知識の共有は、その形成過程に対する批判的吟味においてこそ成
立しえます。しかるに、知識の共有は、知識所有の権力化に伴う隠
蔽された形成過程により解体されます。また、形成過程に対する批
判的吟味を「客観性」が生成しうる場として評価するならば、「客
観性」自体の危機と捉えることもできます。
 なお、共有の場の解体は専門知の発達の必然であり、時系列的な
過程ではないことを申し添えます。

●●3−2.共有の場の再編成

 本来的な意味での知識の共有は、知識の専門化・分業化に伴い解
体されました。共有の解体を、アカデミズムと渇望者の直接的なコ
ミュニケーションの喪失と評価することもできます。知識へのアク
セス、すなわちアカデミズムとのコミュニケーションに対する渇望
は、共有の場を再編成します。現代においては、教育とマスメディ
アが主な共有の場として機能しています。
 ここで注意すべきは、アカデミズム、渇望者、教育とマスメディ
アの三者が独立して存在するのではなく、三者が一つの構造として
循環する状況です。
 アカデミズムに所有された知識は、教育とマスメディア経由で渇
望者に伝達され、またアカデミズムの構成員は教育により育成され
ます。さらに知識所有の分業化が進んだ現代においては、他分野の
アカデミズムはマスメディアにより知識を入手します。すなわち、
アカデミズムと渇望者はそれぞれ交換可能な両義的性格を持つので
す。

(続く)

797 :通りすがり:2001/07/03(火) 11:24
(続き)
>法師さん(>>745

●4.知識をめぐるせめぎ合い

●●4−1.不信感

 知識の渇望者はアカデミズムに対し常に不信感を抱きます。隠蔽
された「真理」の啓示者であるパストラールとしてのアカデミズム
に対し、渇望者は絶えず「託宣」を要求します。
「私は救われるのだろうか?」

 いっぽう、アカデミズムは渇望者に対して不満を抱きます。自己
の知識が「正しく」伝達されているのだろうかと疑います。えてし
てアカデミズムは渇望者に対しルサンチマン的な疑念を抱くのです。
アカデミズムの渇望者への不信感は、渇望者を「衆愚」として表象
することにつながり、知識の伝達を自己放棄します。
「どうせあいつらには理解できやしないさ。」

●●4−2.教育とマスメディア

 相互不信の関係にあるアカデミズムと渇望者は、共有の場として
の教育とマスメディアにおいて交わります。ここにおいて、教育と
マスメディアは「仲裁者」として、またアカデミズムと渇望者が相
互に交換する場として特権的な地位へ上昇します。さらに、教育と
マスメディアは、様々な次元の知識に対する渇望が錯綜する場とし
て、権力の磁場を形成します。昨今の「歴史教科書問題」あるいは
藤村氏による「捏造問題」は、この文脈において検討されねばなら
ないでしょう。


●5.展望(まとめにかえて)

 専門知の発達した現代において、必然的な知識所有の権力化は知
識所有者であるアカデミズムと知識の渇望者の間で深刻な亀裂を生
じさせています。
 いっぽう、相互に交換可能な両義的存在としての両者は、共有の
場としての教育とマスメディアで交わり、新たな権力の磁場を生起
させています。
 現代において、我々が採りうる「戦術」はいったい何でしょうか。
相互了解を可能にする「客観性」の確保を至上命題とするならば、
知識の共有の場を検討する必要があるでしょう。その意味において、
知識の所有者(アカデミズム)と知識の渇望者の直接的なコミュニ
ケーションが可能なWeb媒体に期待を寄せるのは少々楽観的すぎる
かもしれませんが、ひとつの方策を与えてくれるかもしれません。
絶え間ないコミュニケーションを意図しながら、共有の場を模索し
続けることが我々に与えられた使命と考えます。(了)


#激しくスレ違いですが勘弁してね。
#教育とマスメディアについては、もっと深く検討する必要を
#感じています。今後の課題とします。

乱文ひらにご容赦。
それではー。

798 :通りすがり:2001/07/03(火) 11:37
>鹿苑寺さん(>>768

どーも。

>通りすがりさんも含めて、ここの参加者の少なからぬ面々が、こ
>れらの行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだという考え
>が既に暗黙の了解になっているようですから、それがここの「常
>識」なのでしょう。私は別の「常識」があることを対置してみせ
>ただけです。

うーん、私の「暗黙の了解」を明示していただけたら、ご返答のし
ようもあるのですが・・・
なお、史料成立に関する私の問題提起は、>>52>>53前後のレスを
ご参照ください。

>これは具体的にはどういうことでしょうか?

 少なくとも、「倭人伝」には「魏志や魏略の行程記事が魏使の辿
った経路」として記述されている「事実」を検討することに興味を
抱いているということです。

それではー。

799 :鹿苑寺:2001/07/03(火) 11:59
>>798
>うーん、私の「暗黙の了解」を明示していただけたら、ご返答のし
>ようもあるのですが・・・

これは振り返って指摘するまでもなく、いま

>少なくとも、「倭人伝」には「魏志や魏略の行程記事が魏使の辿
>った経路」として記述されている「事実」を…(後略)

とお書きなので、通りすがりさん自身がここに実に端的に「これらの行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだという考えが既に暗黙の了解」になっていると認めていることをお示しになったのではないですか?

800 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 13:29
魏使の辿った道かどうかは判らないが、郡使が普段通った道である
可能性は有ると思うね。

邪馬台国へ行くにはこのように行くのだと記載しているのだから。

801 :日本@名無史さん:2001/07/03(火) 14:25
推測の域ではあるけれどね。

802 :通りすがり:2001/07/03(火) 16:16
>鹿苑寺さん(>>799

どーも。
なかなかこちらの意図が通じないようですね。
困ったもんだ。

>とお書きなので、通りすがりさん自身がここに実に端的に「これ
>らの行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだという考えが
>既に暗黙の了解」になっていると認めていることをお示しになっ
>たのではないですか?

再度述べます。

 「倭人伝」の行程記事には、魏使が実際に通行した事実が描写さ
れているか否かに関わらず、魏使が通行した「記載上の事実」とし
て記述されていることを問題にしているのです。鹿苑寺さんがおっ
しゃるところの史料成立論とはまた別の次元を問題にしていること
をどうか御理解ください。

 この場合、魏使が「倭人伝」の行程記事通りの行動をとったか否
かは問題にしていないのです。「倭人伝」の行程記事をひとつのテ
クストとして読解するアプローチを思案しているのです。「倭人伝」
には魏使の行程について「そのように」記述されている。ではその
「記載上の事実」から読解をスタートするアプローチもあり得るの
ではないか、という問題提起です。

意図は通じるかな?
追加説明が必要でしたらお申し出ください。

それではー。

803 :通りすがり:2001/07/03(火) 16:22
>鹿苑寺さん(>>799

補足です。

 なお、私は「倭人伝」の行程記事が、実際の歴史的事実を反映し
た可能性については問題にしておりません。あくまで「記載上の事
実」を問題にしています。その点で>>800さんとは意見を異にして
います。ご注意ください。

804 :鹿苑寺:2001/07/03(火) 16:45
>>803
それでは私も>>727 の発言を再掲します。
魏志や魏略の行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだという考え自体が予断だと思います。
もとより隋書の場合と違って誰がこの行程を進んだとは書かれていないわけで…(以下略)

つまり、私は「倭人伝」の行程記事が実際の歴史的事実を反映ているという認識(を持っている人もいます)はもとより「『倭人伝』
には魏使の行程について『そのように』記述されている」という認識が、史料事実に基づかない「暗黙の了解」事項であって、予断であると申し上げているわけです。

双方含めて「これらの行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだという考え」と述べていることは>>727の「もとより隋書の場合と違って」以下の発言に注意していただくことでコンテクストを把握していただけると思います。

805 :鹿苑寺:2001/07/03(火) 16:52
補足です。

「倭人伝」の当該記事の執筆者が、魏使の行程を念頭において行程記事を書いたと、そう判断し得る史料上の事実が存在しないと申し上げているわけです。

806 :イナホの女:2001/07/04(水) 01:08
皆さん、相当な知識がおありのようですので
ここに書くのはどうかと思えてしまうのですが
今までの定説や魏志倭人伝を事実に基づいて書かれたモノかどうかと疑うのであれば
面白い記述があります。

「星からのメッセージ」
http://www.hoshinet.jp/hoshi/

あるチャネラーが受け取ったメッセージなのですが
ここには興味深いことが書かれています。
これが事実ならば、現在ある日本史を根底から覆すことになりそうです。
信じるも良し、信じないも良し。
少なくとも私は興味深く拝見させて頂きました。

807 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 01:20
>>806
ウザイ!消えろバカ!!
あっちこっちに書きまくりやがって。ええかげんにせいよ(怒

808 :名無しさん@1周年:2001/07/04(水) 02:03
邪馬台国は奈良だ。
なら出ないと言う根拠は何?

809 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 05:47
いっぱいある。
ここでもおなら出ない証拠は沢山提示された。

810 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 05:47
九州説人みたいな言い草はやめてね。

811 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 06:28
>>809
臭気がない等

812 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 06:58
腹したのは、日本の某スパイ探索機関に居た二十歳の女性。理由。米軍が進駐すると聞き、すでに前から目標とされていたため逃れぬと考え、知人の某軍医に立会を頼んで自決した。
 状況。当夜軍医はピストルを用意して約束の基地に赴くと、女はすでに黒装束に紺の袴をはいて来ており、『切腹に便利なように、じゅばんの下はいっさい何も着ていないものですから、苦しんでも見ぐるしくならないように袴にしました』とはにかみながら話した。切腹の作法は祖母に教わり、臍の上を切ると食物が出るから、恥ずかしがらずにじゅうぶん腹をあらわして切ること、浅く大きく切るのは剣道の心得がないとむずかしく、痛くて堪えられないから幅は少しでも思い切り深く切るようにといわれてきたという。
 東に向かって正座すると、するりと肌を充分に表し(腋毛はきれいに剃っていた)、『もし仕損じたらよろしく介添えください』というと、左手で左脇腹をぐっとつかんで腹壁を緊張させ、一刀で二寸近くも突き入れた。思わず『しっかりして』と叫ぶと、はっきり『大丈夫です』といいながら、ギリギリとゆっくり六、七寸も、臍のかなり下を引き廻し肩で息をして、刀を突き入れたまま左手を前についた。はじめ血がシュッとしぶくと、少しして血と腸が一面にあふれ出し、女はかろうじて刀を抜くと前に置いて両手をつき、あえぎつつ『苦しい、気が遠くなりそう、……お願いします』というので、抱き起し、懐剣を左乳下に突刺すと、後に一度のけぞり、バタッと前に倒れ絶命した

千葉徳爾『切腹の話  日本人はなぜハラを切るか』(講談社現代新書287、絶版)より

813 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

814 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

815 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

816 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

817 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

818 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

819 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

820 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

821 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

822 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

823 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

824 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

825 :770=784:2001/07/04(水) 07:16
>793
「日数が伝聞だという根拠は何? 」

少なくとも魏使は伊都國までは到達し滞在していた(倭人伝)という記載ゆえ
に。それより先、奴、不弥、投馬、邪馬台国まで赴いたという「証拠」は無い
(証拠なきはこれを罰せず(藁))。当時は伊都がいわゆる「鴻臚館」と思わ
れ(無論、その証拠もこれまた無いが、そこは最小の牽強付会ということで)。

>鹿苑寺さん

「一方で日程及び総計の万二千余里が記録に残るという状態がなぜ生じたので
しょうか?」

正にそれが謎です。それゆえに「日程」の部分を(白鳥庫吉先生同様)疑うの
です。里程及び日程の並列にしても、せっかく不弥國までは里程表を記載し、
さあいよいよというところで厄介な「日程」に転じるというタイミングが恣意
的です。なぜ、それ以前に日程を使わない?その気分じゃなかったから?じゃあ
どうして、ここぞ一番邪馬台国というときに日程にかわるのか?ひょっとして
奴=春日、不弥=海(の中道)あたりで 「南」は「東」のことでありそこから
二十日も東へと「水行」するからか?(不弥=宇美では水行のしようがない)。
でもそれじゃ、萬二千余里とは何?矛盾だらけ。じゃあということで「日程」
を切り取る恐怖のオッカムの剃刀!(藁。

826 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 07:30
西都薔薇

827 :825:2001/07/04(水) 07:39
補足。じゃあ「萬二千余里」を切り取って素直に水行二十日、陸行
一月、さらに水行十日と遥かなる大和へと船出すればいいじゃない
かという突っ込みに対しては、

 「だって、それまで延々一万三百余里も足し算してきたから」

今更、里程は消したくない、ということで(藁。

828 :通りすがり:2001/07/04(水) 08:36
>鹿苑寺さん(>>804-805)

どーも・・・
おっしゃりたいことは理解できますが、もう少し互いの論点をすり
合わせる努力を払ってはいただけないでしょうか。鹿苑寺さんと私
の論点が別次元に属することを御理解いただけたら、議論が平行線
をたどることもないと思います。どうも、議論が堂々巡りになって
いる感が強いですねぃ(´ー`)y-~~ 。

>魏志や魏略の行程記事が魏使の辿った経路を記述したものだとい
>う考え自体が予断だと思います。
>もとより隋書の場合と違って誰がこの行程を進んだとは書かれて
>いないわけで…(以下略)(>>804

>双方含めて「これらの行程記事が魏使の辿った経路を記述したも
>のだという考え」と述べていることは>>727の「もとより隋書の場
>合と違って」以下の発言に注意していただくことでコンテクスト
>を把握していただけると思います。 (>>804

なるほど。
行程記事の「主語」の設定に問題があるのかな?
私は行程記事の「主語」をとりあえずは魏使に設定していますが、
「主語」を設定する作業自体に問題があるのならば意見を修正しま
す。その程度の修正は全く許容範囲内です。

(続く)

829 :通りすがり:2001/07/04(水) 08:38
(続き)
>鹿苑寺さん(>>804-805)

ただですね・・・

>つまり、私は「倭人伝」の行程記事が実際の歴史的事実を反映て
>いるという認識(を持っている人もいます)はもとより「『倭人
>伝』 には魏使の行程について『そのように』記述されている」と
>いう認識が、史料事実に基づかない「暗黙の了解」事項であって、
>予断であると申し上げているわけです。(>>804

>「倭人伝」の当該記事の執筆者が、魏使の行程を念頭において行
>程記事を書いたと、そう判断し得る史料上の事実が存在しないと
>申し上げているわけです。 (>>805

上掲のご発言の意図は理解できますが、私の主旨に関わることなの
で再度詳述します。

 >>803で述べたように、私は行程記事に関して、記事内容が歴史
的事実を反映する可能性については問題にしておりません。

 私の提起したパースペクティヴは、記事内容を歴史的事実の反映
と解釈する「実在論的アプローチ」とは異なり、記事の全体的意味
内容を問題にする「意味論的アプローチ」を採用しています。記事
内容の背景に対応関係が想定される歴史的事実(魏使が実際に記事
に沿った行動をとったか否か)は括弧に括られ、行程記事自体が照
射するところの意味内容を問題として還元する立場です。

 ただお断りしておきたいことは、歴史的事実に関して完全に判断
停止を決め込む立場ではありません。意味内容の検討に際しては、
背景となる歴史的事実も当然、ひとつのコンテクストとして考慮に
入れられます。

(続く)

830 :通りすがり:2001/07/04(水) 08:39
(続き)
>鹿苑寺さん(>>804-805)

 例として、江戸初期に描かれた『洛中洛外図屏風』(岡山池田家旧
蔵本)を挙げましょう。『洛中洛外図屏風』の画面を構成する個々
の要素、例えば御所や二条城などの構成要素について、実数で表現
可能な表現(構成要素間の距離など)を考証学的に検討した場合、
つまり「実在論的アプローチ」から検討した場合、当然実際の「地
理的事実」と齟齬をきたす部分が出てきます。

 しかし一方で『洛中洛外図屏風』の「構成」を検討すると、屏風
図の左隻と右隻で二条城と御所が対照的な関係にあり、さらに両者
間に壮麗な行列が描かれていることを読みとれるはずです。二条城
と御所の位置的関係と両者間に描かれた「行列」に注目することで、
屏風図の意味内容(主題)が「東福門院和子の入内」であることを
読みとれることができ、かつ屏風図の製作意図を解釈可能な視座が
用意されます。これが史料の全体的意味内容を問題にする「意味論
的アプローチ」です。

 いっぽうで、屏風図の構成要素(二条城、御所、行列など)に関
する考証や構成要素から景観年代を推定する作業を無視しては、屏
風図の主題あるいはコンテクストを解釈することはできないでしょ
う。すなわち先程述べた「意味内容の検討に際しては、背景となる
歴史的事実も当然、ひとつのコンテクストとして考慮に入れられる」
はこの意味においての発言です。

 文献史料の読解に際し、絵画史料の解釈例を挙げることは不適切
かもしれませんが、あくまでもアナロジーとしてお考えください。
 なお、『洛中洛外図屏風』(岡山池田家旧蔵本)の読解に関して
は黒田日出男氏の解釈を参考にしました。

 以上の説明で、私が再三申し上げている、「実在論的アプローチ」
と「意味論的アプローチ」が別次元に属するということを御理解い
ただけたでしょうか。

さらなる追加説明が必要でしたら、引用箇所をご明示の上お申し出
ください。生産的な議論を期待しております。
それではー。

831 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 08:47
>通りすがりさん

あなた一体何者・・・?
素直に感動するよ

832 :鹿苑寺:2001/07/04(水) 08:47
>>827
「水行十日」及び「水行二十日、陸行一月」を切り取った場合には、「萬二千余里」のうち既経過分「一万三百余里」との差である約千七百里相当も切り取らなくていいのですか?
この日程と移動距離の関係は妥当性があると思いますが。

833 :トンコ:2001/07/04(水) 08:54
あーら、チーズ(はどこへきえた?)の頑固小人さんの様の人。
文献ばかりが正しいのではナインよ。
あの著者は2チャンだけはカキコ止めて、と言ってるそうだけど、はるか異国の人が書いたそうね。遠くにいる人の方が広い目で見れるようね。
あーそう言えば「井の中の蛙」という言葉もあったわね。
ところでガンチャン、あなたが攻撃しているあの情報に「ヒ ヤソ踊り」の「ササラ」って言葉が出てくるけど、ちゃんと行事として隠され残っているんですよ。
頭からバカにしているととても無理だけど、この事からでも日ユ同祖論が何故出てきたかわかるのよ。もちろんそれだけではないイッパイ謎が解けて面白かったけどね。
まあ言論の自由だモンいいじゃない。

834 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 08:55
>通りすがり

つーか、仕事せい(藁

835 :鹿苑寺:2001/07/04(水) 09:03
行程記事の意味内容(主題)が「魏使の至倭」であるとは読みとれないことをご理解いただければ、それ以外の点で異論はありません。
「魏使」と「郡使」も区別して考える必要がありますし、これらのもたらした情報に一貫性が無くてはいけないのだという「証明されていない暗黙の前提=固定観念」があるというのが、私が参加者の皆さん全般に向けて注意を喚起したい点であります。

836 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 09:28
行程記事が魏使のものであれ郡使のものであれ大勢に影響ないと思うがね。
女王国に至るには万二千余里、水行十日、陸行一月は極一般的な道程を
述べたもので、一番安全で早い道程だろう。

魏使と郡使が違う道を通ったと言う合理的根拠もない。

837 :827:2001/07/04(水) 09:56
>鹿苑寺さん

『「水行十日」及び「水行二十日、陸行一月」』が「約千七百里相
 当」との対応に於いて、「妥当性」があるとお考えですか?
末盧國→伊都國間五百里、伊都國→奴國間百里、奴國→不弥國間百
里、このゲージを用いると、千七百里は北部九州圏内に落ちつかざ
るを得ない。「萬二千余里」と不弥國→邪馬台國の「日程」記述は
両立しえないのです。距離ゲージの変更(禁じ手)以外は。日程を
「削除」しないなら、「萬二千余里」を削除しましょう、そういう
事です。倭人伝は「ゲージ不変」ではありません(藁。

838 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 10:04
>>837
倭人伝は「ゲージ不変」ではありませんってことは
距離ゲージの変更可なわけね

839 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 12:22
>> 835
そこで納得してはいけないのではないか?

例えば、A氏が“広島から大阪まで新幹線で2時間かかった”と報告したとする。
B氏は“大阪から東京まで飛行機で1時間だった”と報告したとする。

さてここで別のCが“広島から東京に出張した”と報告があった。
この場合、C氏が広島から大阪まで新幹線で行き、大阪から飛行機で東京へ向かった、
としてしまうのがナンセンスあることはあきらかだ。
C氏は飛行機で広島から直接東京へ行くか、さもなくば、全行程新幹線で行くであろう。

倭人伝の行程にもこれと同じことが言える。この行程が複数の資料をつなぎ合わせたものならば、
“C氏が広島から大阪まで新幹線で行き、大阪から飛行機で東京へ向かった”と同じことに
なっているやもしれない。
倭人伝の行程は、魏使や郡使のみならず、大陸・半島から邪馬台に向かう誰一人として
辿ることがなかった行程なのかもしれないのだ。

だからこそ、行程を議論するよりさきに行程記事の成立過程をまず議論する必要がある。
この行程記事が複数の試料のつぎはぎであった場合、原資料の数はいくつか、つなぎ合わせた場所はどこかなどにより
議論は全く別のものになる可能性がある。

成立過程を議論しないまま進めば、これまで繰り返されてきたあちこちに「予断」の入り込んだ訳のわからない議論に終始することになるだろう。

840 :鹿苑寺:2001/07/04(水) 12:29
>>837
そうですね。「ゲージ不変」がありえないことは東夷伝全体を通読することで容易に理解できるものと思います。
また、陳寿や張華にとって『「水行十日」及び「水行二十日、陸行一月」』と「約千七百里相当」との対応に「妥当性」があることは言うまでもありません。 一方で、彼らには「伊都國→奴國間百里」や「奴國→不弥國間百里」にどのようなゲージが使用されたかを確認する手段があったと考えるべき根拠は史料上に何ら見出せないわけです。
この「ゲージ不変」というのが、情報に一貫性が無くてはいけないのだという「証明されていない暗黙の前提=固定観念」の典型でありましょう。

841 :鹿苑寺:2001/07/04(水) 12:49
>>839
まぁ、よろしいんじゃないでしょうか。
通りすがり氏はあくまでもコンテクストの解読という明確な認識を持っているわけで、不用意な「魏使」という主語さえ削除していただけば、さしたる語弊はないと思います。
問題は、これら記事に任意の主語を挿入して一つのメッセージと見せることによるミスリードです。

842 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 13:35
っていうか、「魏志倭人伝を読む」ならいいですが
「邪馬台国はどこですか」になると魏志倭人伝だけを
もってしてもねぇって感じです。

843 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 14:17
魏使あるいは郡使は邪馬台国まで何度も来ているのだ。
しかも陳寿は280年くらいに三国志を書き始めた。
晋の時代も邪馬台国との付き合いはあったし、陳寿の生きた時代にまだ邪馬台国と
の交渉は続いていた可能性は強い。
邪馬台国に行った事のある人物から直接話を聞く事だって出来た。

複数の報告資料があって繋ぎあわせた結果おかしな記載が出来上がったなどと
考えるのは予断以上捏造みたいなものだ。
そもそも邪馬台国の事を知っている人間が多数いたかもしれないのに、いいかげんな
距離、日程記載をすれば笑われてしまうだろう。
書くに当たっては複数の報告書があっても齟齬のないように調査し、正確期した
はず。
写本時に写し違った可能性は100%否定はできないがね。

最終行程、不弥国と邪馬台国の距離記載がないのは七千余里、千余里、千余里、
千余里といずれもかなり大きな誤差を含んだ距離の合計が千二百余里にたいして
残りは誤差の中に収斂してしまう位の小さな距離だからであろう。

あるいはトータル距離が出ているのだから、最終行程の距離は書かなくても残り
千(三百)余里?は書かなくても判る筈、と言う陳寿の論理かもしれない。

844 :通りすがり:2001/07/04(水) 15:50
あー暑い。
クーラー入れてくれー
ちょっと休憩。

>鹿苑寺さん(>>835>>841

どーも。
お返答ありがとうございます。

#失礼ながら、あなたとの議論はなーんか感情的な方向に
#流れがちでやや不本意ですね。マターリと逝きましょうよ(´ー`)y-~~

>行程記事の意味内容(主題)が「魏使の至倭」であるとは読みと
>れないことをご理解いただければ、それ以外の点で異論はありま
>せん。 (>>835

お互いの接点を見いだせたようですね。
なによりです。

>「魏使」と「郡使」も区別して考える必要がありますし、これら
>のもたらした情報に一貫性が無くてはいけないのだという「証明
>されていない暗黙の前提=固定観念」があるというのが、私が参
>加者の皆さん全般に向けて注意を喚起したい点であります。(>>835

史料成立論の観点からは全く同意です。

>問題は、これら記事に任意の主語を挿入して一つのメッセージと
>見せることによるミスリードです。

 「主語」の問題についてですが、行程記事などの「行動主体」と
は別に、「倭人伝」(あるいは『三国志』全体)の「語り手」の
「主語」を検討するのはいかがでしょうか。むろんこの場合、「語
り手」は一義的には陳寿を中心とした編纂者を意味しますが、クラ
イアントとしての中国王朝(西晋)を「語り手」の意味に含んで検
討したいですね。史料成立コンテクストの問題であり、編纂意図の
問題です。


それではー。

845 :通りすがり:2001/07/04(水) 15:50
>>839さん

ご返答ありがとうございます。
批判は大歓迎です。

>だからこそ、行程を議論するよりさきに行程記事の成立過程をま
>ず議論する必要がある。
>この行程記事が複数の試料のつぎはぎであった場合、原資料の数
>はいくつか、つなぎ合わせた場所はどこかなどにより議論は全く
>別のものになる可能性がある。

>成立過程を議論しないまま進めば、これまで繰り返されてきたあ
>ちこちに「予断」の入り込んだ訳のわからない議論に終始するこ
>とになるだろう。

 ご主旨はもっともですが、>>829−830で述べたとおり私は史料成
立の問題を括弧に括ってはおりません。行程記事をはじめとした
「倭人伝」の記事をひとつのコンテクストとして読解する際、記事
の構成要素に対する考証は不可避の作業として実行されねばならな
いと考えています。

該当する私の発言を以下に再掲します。

-------------------------------------------------------------
 いっぽうで、屏風図の構成要素(二条城、御所、行列など)に関
する考証や構成要素から景観年代を推定する作業を無視しては、屏
風図の主題あるいはコンテクストを解釈することはできないでしょ
う。すなわち先程述べた「意味内容の検討に際しては、背景となる
歴史的事実も当然、ひとつのコンテクストとして考慮に入れられる」
はこの意味においての発言です。 (>>830
-------------------------------------------------------------

ご参考ください。
それではー。

846 :通りすがり:2001/07/04(水) 16:07
>鹿苑寺さん

追加レスです。

史料成立の問題に関してですが、行程記事の成立過程について具体
的な原史料の記載を挙げてご説明していただけるとありがたいです。
他記事についてでも構いません。

史料成立論に関しては一度、腰を据えて検討することが今後の議論
に有益と考えます。
議論の交通整理とお考えください。

#「仕切屋」ということでご勘弁を・・・

よろしくお願いします。
それではー。

847 :通りすがり:2001/07/04(水) 16:07
>法師さん(>>747

遅レスで申し訳ありません。

>その辺りは、どなたかのご指摘を待ちたいところですね。

了解しました。
語句解釈については、安易な「常識的判断」を極力慎みたいですね。

>当方の意図は、「卑弥呼さんが能くしたという鬼道」には、五斗
>米道よろしく、何かの実利的なヨロクが必ずあったと睨んでいる、
>ということで、いってしまえば、森さんより小泉さんのほうが、
>ヨロクを自分でガメちゃいにくそうな顔をしてるから、ワシにも
>ヨロクが回ってきそうな気がする、とかいったことです。

ひねりすぎです(笑)
訳わからんですヽ(´ー`)ノ

>電話料金大丈夫ですか? ←よけいなおせわ

皆様の尊い血税が私の通信料金として費やされています。

それではー。

848 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 16:07
>>843
>複数の報告資料があって繋ぎあわせた結果おかしな記載が出来上がったなどと
>考えるのは予断以上捏造みたいなものだ。

と言い切る根拠がただの憶測なのだからまいったね

849 :通りすがり:2001/07/04(水) 16:18
>>842さん

どーも。

>っていうか、「魏志倭人伝を読む」ならいいですが
>「邪馬台国はどこですか」になると魏志倭人伝だけを
>もってしてもねぇって感じです。

おっしゃるとおりですね。
ただ、議論参加者の皆さんは「倭人伝」のみを意識されているわけでは
ないと思いますよ。


****************************

ところで、次スレの題名はどうしましょうか。>All
そろそろ考えた方がよさそうですね。

「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか5)    
  ↑
これでいかがですか。「等」を加えました。
「邪馬台国はどこですか」の語句はスレッド検索の際に必要と思います。

レスが900になった時点で新スレを立てましょう。

850 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 16:28
>>843
>そもそも邪馬台国の事を知っている人間が多数いたかもしれないのに、いいかげんな
>距離、日程記載をすれば笑われてしまうだろう。

現に12000里なんていいかげんなことが書いてあるんだから
邪馬台国の事を知っている人間たくさんいたり
直接話を聞いたりはしなかったってことが
証明されてるってことなんじゃないのかな。

851 :鹿苑寺:2001/07/04(水) 18:06
>>844
>むろんこの場合、「語り手」は一義的には陳寿を中心とした編纂者を意味しますが
>クライアントとしての中国王朝(西晋)を「語り手」の意味に含んで検
>討したいですね。史料成立コンテクストの問題であり、編纂意図の問題です。

行程記事の「郡〜伊都国」部分及び総距離「万二千余里」が魚拳魏略の記述とほとんど同文であることを鑑みますと、行程記事に関してクライアントとしての中国王朝(西晋)を「語り手」の意味に含めることには問題があると思います。つまりクライアント(西晋)の意図を斟酌しない先行史料記述者を念頭に置かねばならない可能性が高いからです。

いずれにせよ、まず注意すべきは、「史料事実」と把握している部分に「解釈」が紛れ込んでいないかという点であると思います。

852 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 19:51
>>841
そうかな?通りすがりはこう書いている。

>魏使が通行した「記載上の事実」として記述されていることを問題にしているのです。

>少なくとも、「倭人伝」には「魏志や魏略の行程記事が魏使の辿
>った経路」として記述されている「事実」を検討することに興味を
>抱いているということです。

これについて、通りすがりは

>行程記事の「主語」の設定に問題があるのかな?

と言っているので、主語を『誰か』に変える。

『誰か』が通行した「記載上の事実」として記述されていることを問題にしているのです。

少なくとも、「倭人伝」には「魏志や魏略の行程記事が『誰か』の辿
った経路」として記述されている「事実」を検討することに興味を
抱いているということです。

ここでは『誰かが通行した』、あるいは、『誰かが辿った』ことが「記載上の事実」であるといっているわけだが、これは間違い。
ここには、『誰かは分からないが、とにかく誰かが倭人伝に記載された行程によって邪馬台に行ったと記載されている』という「予断」が入り込んでいる。

「倭人伝の行程にしたがって移動すれば邪馬台に到着する」と書かれていることは史料上の事実であるが、
「この行程にしたがって誰かが邪馬台国に行った」ということは史料上の事実−通りすがり用語では『記載上の事実』−ではない。

これははっきりと峻別すべきと思うが、いかが?

>>851
>いずれにせよ、まず注意すべきは、「史料事実」と把握している部分に「解釈」が紛れ込んでいないかという点
>であると思います。

御意。これが分かってるなら、あそこで納得しちゃいけない。

853 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 19:51
sage

854 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:14
ほんとに馬鹿だね。
倭人伝に記載されている邪馬台国を探すのに倭人伝信用しないでどうするの。
邪馬台国語る資格ないね。

陳寿が三国志に取り掛かる十四年前まで晋は邪馬台国と確実に交渉があった。
それ以上続いていた可能性も高い。
ただ266年の邪馬台国(台与か?)の遣使までが記載されている。

邪馬台国の使者が隠密裏に晋を訪れた訳ではない。
一般庶民にまで判るように堂々と華々しく迎えられたに違いない。
当然、邪馬台国に対する関心も高まり、皆にも邪馬台国の情報は伝わっていた。
邪馬台国の情報も一つや二つではなく、たくさんあった。
庶民まで正しい情報があったかどうかは定かではないが、晋の政権内では魏使や
郡使から正確な情報を得ていた筈である。
陳寿が三国志を書き始めるたった14年前のことだ。
出鱈目が通用する筈がない。
倭人伝の記載に省略が目立って後世の我々にとってわかりにくいものになって
いるが、当時の人には全て既知の事で書いてなくても判ったのだろう。

畿内説にとっては倭人伝が正確であっては困るから出鱈目、いい加減な記載で
あった事にしたいだけだ。

通りすがり氏や法師氏や鹿苑寺氏は自分の考えを明らかにせず、曖昧な発言を
続けているが、そろそろ本心を明らかにしてもらいたいものだ。
それとも明らかにすれば罵倒されるのが2CHの常だから怖いのかな?

855 :日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:23
と・・予断の人は語るのだった。

856 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 05:40
通りすがりは完全中立みたいだからこういうの一人位いても良いんじゃない?

857 :バカ キチ外 宮崎勤をムショへ:2001/07/05(木) 06:29
――――――――――――――――――
マスター、徳仁と雅子様を宮内庁が必要以上に囲うのはなぜ???・・・
__  __ .r――――――――――――――――――
    ∨   | 明治天皇は1年で40センチ背丈がのびた???・・・
日 凸 U | ______
≡≡≡≡≡| /〃∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 U ∩ [] ∨%(´∀` ) < ソレはネ、秋篠宮様(北朝)とちがい徳仁は大室家(南朝)から岸が養子にしたから
                     宮内庁の役人も政治家(橋本、麻生太郎も)もいつこのことが国民にばれるのか
__ ∧ ∧__∧_∧___)_ |        ヒヤヒヤしているからサッ!!!。
  (   ,,)日(    .)□     \______________
― /   | ― (     )―――   .
\(__.ノ    ━┳━)
 ━┳━   └ ┃―・゛
 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄ ┻ ̄ ̄ ̄

858 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 06:38
>>854
倭人伝の書いてることが正確なら海の中にいっちゃうでしょ?

859 ::2001/07/05(木) 08:07
f

860 :通りすがり:2001/07/05(木) 08:32
>>852さん

ご批判ありがとうございます。
ただ私の主旨に関して誤解をお持ちのようなので、詳説します。

>ここには、『誰かは分からないが、とにかく誰かが倭人伝に記載
>された行程によって邪馬台に行ったと記載されている』という
>「予断」が入り込んでいる。
>「倭人伝の行程にしたがって移動すれば邪馬台に到着する」と書
>かれていることは史料上の事実であるが、
>「この行程にしたがって誰かが邪馬台国に行った」ということは
>史料上の事実−通りすがり用語では『記載上の事実』−ではない。

 行程記事の「主語」(行動主体)に関して特定の団体(個人)を
想定する「予断」を排除する必要は、鹿苑寺さんのご指摘により理
解しております。議論の現段階においては、「行動主体」の存在を
行程記事の記述中に認めるか否かについても検討が必要であると考
えています。鹿苑寺さんのご指摘に深く感謝する次第です。

 さらに、私の発言をご覧になればお分かりいただけると思います
が、私の述べるところの「記載上の事実」とは行程記事のコンテク
ストに重点が置かれています。かりに、>>852さんがおっしゃるよ
うに、『誰か』(「行動主体」)に対しての分析が重点的な検討事
項として要請されるならば、行程記事の記述形態について分析を進
めた時点で、記事中に「行動主体」の存在が抽出可能な場合であり、
かつ「行動主体」の特定が行程記事のコンテクストを読解する際の
不可避の作業として定立される場合においてのみに限定されます。

>これははっきりと峻別すべきと思うが、いかが?

おっしゃるとおりです。
 上述のように、コンテクスト全体としての行程記事とコンテクス
トの構成要素としての「行動主体」(「行動主体」の存在を記事中
にに認めた場合)は集合論的にも論理階梯的にも、それぞれ属する
範疇が異なります。

以上の説明で御理解いただけたでしょうか。
追加説明が必要ならばお申し出ください。

それではー。

861 :鹿苑寺:2001/07/05(木) 08:39
>>852
>>行程記事の「主語」の設定に問題があるのかな?

>と言っているので、主語を『誰か』に変える。

いやいや。続けて
「『主語』を設定する作業自体に問題があるのならば意見を修正します。」
とあるので、「主語」を入れ替えるだけの修正を意味するとは解していないのですが、そのあたりは本人からの明確な回答があった方がいいんでしょうね。

862 :鹿苑寺:2001/07/05(木) 08:40
あ、前後しましたか。

863 :通りすがり:2001/07/05(木) 08:56
>鹿苑寺さん(>>851

ご返答ありがとうございます。

>行程記事の「郡〜伊都国」部分及び総距離「万二千余里」が魚拳
>魏略の記述とほとんど同文であることを鑑みますと、行程記事に
>関してクライアントとしての中国王朝(西晋)を「語り手」の意
>味に含めることには問題があると思います。

 原史料の編纂者を念頭に置く場合でも、「倭人伝」(あるいは
『三国志』)が編纂された時点で、原史料が再構成された状況を鑑
みる必要性を考えます。原史料中の該当記事が一度、本来のコンテ
クスト(原史料)から分断され、新たなコンテクスト(「倭人伝」)
に移植される事情を斟酌する必要があるのではないでしょうか。

>つまりクライアント(西晋)の意図を斟酌しない先行史料記述者
>を念頭に置かねばならない可能性が高いからです。

コンテクストが変換される以上、「語り手」もまた別途に考慮され
るべきと考えます。

#なお、鹿苑寺さんのご発言について、
#私の誤認識があればご指摘ください。

いずれにせよ、当該の問題を考えるうえで、「倭人伝」の史料成立
過程に関する議論は必要な作業として要請されますね。


ほいではまた。

864 :フレディ@クロマティ高校:2001/07/05(木) 09:04
はじめまして。初めてこのスレ見ました。
最近読んだ新書に邪馬台国について少し触れていたものがあったので
参考までにカキコします。ガイシュツだったらスマソ。

「天皇家はなぜ続いたのか」(梅澤恵美子/ベスト新書)

 ここでは当時、畿内にあるヤマトの名声を九州の熊襲が利用したという
 邪馬台国偽称説をとっています。大元は本居宣長の説だとか。

トンデモ本なのかどうかはオイラは馬鹿なので判断できません。
興味ある方は読んでみてはいかがでしょうか。

865 :通りすがり:2001/07/05(木) 09:10
>鹿苑寺さん(>>851>>861

追加レスです。

>いずれにせよ、まず注意すべきは、「史料事実」と把握している
>部分に「解釈」が紛れ込んでいないかという点であると思います。
>>851

全く同意です。
今後も貴重なご指摘よろしくお願いいたします。

>いやいや。続けて 「『主語』を設定する作業自体に問題があるの
>ならば意見を修正します。」 とあるので、「主語」を入れ替える
>だけの修正を意味するとは解していないのですが、(>>861

ご賢察の通りです。
私は自説について、「主語」を入れ替えるだけの修正を
意図しておりません。
詳しくは>>860をご参照ください。


それではー。

866 :854:2001/07/05(木) 09:16
>>854
まだそんな事いってんの?

倭人伝読む限り一里は60mから90mの短里しかない。
帯方郡(沙里院)から狗邪韓国(海州)まで7000里、も
狗邪韓国から末盧國まで千里X3も60mから90mの短里
でしか理解できないでしょ。

長里435mを取りたいのはやはり倭人伝を出鱈目と言いたい
畿内説の人間しか言わない事。

867 : :2001/07/05(木) 09:28
自問自答・・・

868 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 09:48
>>866
倭人伝倭人伝と言っても三国史の中の東夷伝の中のさらに一部分の通称なわけでしょ?
つまりそこで短里とか言うなら、九州説の誰かが言ったゲージ不変を自己否定してるってことだ。

869 :あれと一緒にされたら卑弥呼も浮かばれない:2001/07/05(木) 09:58
西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原西都原

870 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 10:00
>>866
あなたは△鏡スレで、鏡作神社に△鏡の鋳型があってその鋳型で作られた鏡も発見されてるって言ってた人でしょ?
どこから発見されてるの?
何度も聞いてるんだけど。答えがありません。

871 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 10:03
>>866
西都原arasi も貴方?

872 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

873 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 10:06
九州だ。鹿児島の隼人町だ。そこでおろちを倒したんだ。(たぶん)

874 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

875 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

876 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

877 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

878 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

879 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

880 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

881 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

882 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

883 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

884 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

885 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

886 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

887 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

888 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

889 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

890 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

891 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

892 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

893 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

894 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

895 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

896 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

897 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

898 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

899 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

900 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

901 :通りすがり:2001/07/05(木) 10:30
では、新スレを立てます。

902 :通りすがり:2001/07/05(木) 10:46
新スレを立てました。
皆さん移動しましょう。

「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか5)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=994297399

#なお、本スレでの発言はこれ以降、sage進行でお願いします。

903 :日本@名無史さん:2001/07/05(木) 13:49
<過去の主な荒らしの制裁例>

トレビア〜ン(16 高校生)くんの場合

プロバイダからの契約解除。
両親への厳重注意。
学校への厳重注意要請。
謝罪文。
(以後荒らし行為があった場合は民事での賠償請求に応じると一筆)

トレビア〜ンくん、停学2週間。


偽堕ちた研究者(27 会社員)くんの

プロバイダからの契約解除。
会社からのアクセスもあり、会社への警告文。
本人への民事裁判or全面謝罪要請。

偽堕ちた研究者くん、厳重注意+減俸3ヶ月→転勤→退社。


みなさまも、我慢の限界に達しましたら
是非とも批判要望板の方に通報及び要望を宜しくお願い致します。

904 :日本@名無史さん:2001/07/16(月) 11:56
おお、読めるようになっている。
サンクス。
みんなここは読むだけね。

書き込みは下へ。
「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか5)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=994297399

905 :日本@名無史さん:2001/07/16(月) 23:37
>>904 下がってたものをわざわざ上げるんじゃない。

2chはログが512Kを越えると表示されなくなるので、もうここには書くな!!

455 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

>>101−102さんに対して、上に挙げ
た検討事項あるいは前提仮定へのご批判を期待します。

(続く)になにか?875 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/13(日) 19:14

>>868
だから、誰が九州説はトンデモなんて言ってるんだ?
あんたがトンデモって言われてるだけじゃん! ビューでも発言している。特ヲタを名乗り、ましてや作品のファンなら当然知ってる事。 H ダセェwwww昭和ダセェwwww昭和ダセェwwww昭和ダセェwwww

みんながわらえるこぴぺ 4714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471" target="_blank">>>1447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471447144714471
>>14471447144714@顏/test/read.cgi/history/989770230/">★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)