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オーギュスト(フィリップ2世)を讃える会

1 :世界@名無史さん:2001/08/23(木) 22:53
ドイツ主義者が多いここに
殴りこみをかけたわけでは
ありません。彼の偉大さと当時の様子
とライバル達について語りましょう。

2 :世界@名無史さん:2001/08/23(木) 23:58
もっとフランススレがあってもいいよね。

ジョルジュ・デュビーの「ブーヴィーヌの戦い」は名作だった・・・

3 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 11:06
彼のライバルというと、リチャード1世かジョン王など
眼中にない。

4 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 11:11
日本の教育受けたやつはドイツ史観に毒されてる奴多いからね。
という自分もドイツに偏らないよう常に自省しなければ…。

5 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 14:06
あだ名のオーギュスト(尊厳王)って、何に由来するの?
なにかというと「余の尊厳のため」とか言ってたのかな?

6 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 15:02
たしかオーギュストって(8月生まれ)ってこと
らしい。
ここからきたかどうかはわからない。
OCTOBERとの英語と関係があるかどうかもしらない。

7 :世界@名無史さん :2001/08/24(金) 15:19
>>6
オウガスト(8月)がアウグストゥス
オクトーバー(10月)がオクタヴィアヌスから来ていて、
ローマ初代皇帝オクタヴィアヌスが誕生した月が10月で
彼が特にアントニヌスを破ったか、皇帝に就任した月が
8月だったので、彼の尊称であるアウグストゥスがその名前になった
ってことだったはず
(ちなみにユリウス=カエサルの生まれ月が7月だったので
7月がジューンになったはず)

8 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 15:30
>>7
そうなの?
アウグストゥスが暦をかえて旧暦と新暦でどっちかが8月で
どっちかが10月になったんじゃなかったっけ?

9 :6:2001/08/24(金) 15:32
間違いOCTOBER>AUGAST

10 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 15:34
7月はJULYだよ。>7

11 : :2001/08/24(金) 18:59
予備校でフィリップ2世の別名やったとき、講師が「私はオーギュストというと
どうしても『風と木の詩』のオーギュのほうを思い出しちゃうんですけどね・・・
知ってる?」と風木の話で盛り上がってしまった。

12 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 19:21
>>5
初代皇帝のアウグストゥスになぞらえた尊称だよ。

フィリップはカペー朝の王権を確立した英主だからな。
その努力の一環として、自分がシャルルマーニュ、
ひいてはローマ皇帝の後継者であることを様々にアピールした。
(印章に鷲の紋章を使ったり、妹をビザンティン皇帝に嫁がせたり、
 母方を通じてシャルルマーニュの血を引いてると主張したり。)

で、こういう背景があって、同時代の Rigord という人物が
フィリップの伝記に
Gesta Philippi Augusti (「フィリップ オーギュストの言行録」)
というタイトルをつけて、それが定着した。
(本人も生前に自称してたかも知れん。)

13 :世界@名無史さん:2001/08/25(土) 00:23
>>7>>8
オクトーバーの「オクト」はもともと「8」の意味。もともとは8番目の月だった。
つまり、ローマの暦ではもともと1年は3月からだったのだ。
オクタヴィアヌスの名に由来するわけではない。
7月の「ジュライ」がユリウスに由来するというのはその通り。
これに対抗して、アウグストゥスは8月を自分にちなんで「オーガスト」にした。
そして、7月は31日だったのに、当時、8月は30日だったので、自分の月を長くし
ようとして、8月も31日に変更した。そしてその分を調整するため、2月が29日
だったのがさらに短く28日にされた。

14 :世界@名無史さん:2001/08/25(土) 01:05
フィリップ・オーギュストって若ハゲだったらしい。
これが唯一の欠点か?

15 :299:2001/08/25(土) 01:12
Augustus(”尊厳の”から、ラテン語)=August(フランス語)

16 :世界@名無史さん:01/08/30 00:38 ID:hgm8Mk8.
この方と戦った方って誰がいるんですか?リチャード1世とジョン王と
ヘンリ2世の他は?サラディンもそうか。王権確立したんだから内紛もあったはず
たしか、ドイツ方面でも対立があったはず。知ってますか?

17 :世界@名無史さん:01/08/30 00:45 ID:O1qjr7ZM
>ドイツ方面でも対立があったはず

1214年のブーヴィーヌ(Bouvines)の戦いで
神聖ローマ皇帝のオットー4世、フランドル伯フェランドと戦って勝ってますね。

18 :カウニッツ:01/08/30 01:19 ID:sSbx41C2
私もフランスの君主の中でも尊敬する人の一人です。
あと、ブーヴィーヌの戦いについて知りたいのですが、教えてもらえませんか?

19 :世界@名無史さん:01/08/30 19:13 ID:ynjPVoVI
>>18
邦訳もあるG・デュビーの「ブーヴィーヌの戦い」がくわしいけど・・・・
一応簡単に。

1203〜1204年の戦争でガスコーニュを除く大陸の全領土を失った英王ジョンであるが、
雪辱の機会が1214年に訪れる。
皇帝オットー4世、フランドル伯フェラン(ド)(Ferand:ポルトガル王家出身)
との連合による、壮大な外線作戦がそれである。

アキテーヌに上陸したイングランド軍に対応すべく、フィリップ2世父子が南進したところ、
フランドル方面で皇帝+フランドル軍が挙兵、
フィリップは王子ルイを後に残して急きょ北上する。
(この時ジョンが十分フィリップを牽制しなかった&皇帝軍の集結が遅れたため、
 十分に外線の効果が発揮されなかったのが、連合軍敗北の一要因。 ≒元亀三年の朝倉義景)

フィリップ軍と皇帝軍は当初、敵の正確な位置をつかめず、複雑なマヌーバーを繰り返すが、
<数を頼みに会戦を求める皇帝軍>
VS<敵をなるだけ自領に引きつけて有利な戦場を設定しようとする仏軍>
というふうに大勢は進行する。

1214年7月27日、ついにMarcq河畔のブーヴィーヌで皇帝軍が仏軍を捕捉、
大激戦の末、仏軍が勝利する。

戦いの経過。
数を頼む皇帝軍が中央突破を図ったのに対し、
仏軍中央は、フィリップ自らが乗馬を失うほどの奮戦を見せ、辛くも持ちこたえる。
一方、両翼では仏軍が連合軍を崩壊させ、
フランドル伯(連合軍左翼指揮官)・ソールズベリ伯(連合軍右翼指揮官)を捕虜にする。
両翼の崩壊後、皇帝軍中央は仏軍の全面的な包囲を受けることとなり、
皇帝は脱出、全軍敗走という結末にいたる。

仏軍の勝因。
1.皇帝軍に背後から追いつかれた際に、
 素早く転回し、布陣を完了した練度の高さ。(≒三方が原の武田軍)
2.あえてMarcq川を背に、背水の陣を挑んだフィリップの敢闘精神。(≒井徑口の韓信)
3.両翼で敵軍を圧倒した、フランス軍騎兵の精強さ。

ブーヴィーヌの戦いは次のような結果をもたらした。
1.カペー朝の王権確立。
 (負けてりゃフランスは「ドイツ化」してたかも。)
2.いわゆる「アンジュー帝国」(the Angevin Empire)の終焉。
3.威信を完全に失ったジョンは封臣の反乱(the Baron's War)を押さえることが出来ず、
 マグナ・カルタを承認するに至る。
4.これも威信を失った皇帝オットー4世は失脚し、
 ホーエンシュタウフェン家のフリードリッヒ2世が登極する。

20 :世界@名無史さん:01/08/30 21:42 ID:XOe/wBQA
王子ルイとは後の<獅子王>ルイ8世ですな
とらえられたソールズベリ伯、フランドル伯はどうなったんですか。

21 :世界@名無史さん:01/08/31 00:41 ID:f.wxlQC6
>>20
ソールズべり伯は、フランドル方面のイングランド軍の指揮官だったわけですが、
「イングランド国王に忠誠をつくしたにすぎない」
ということで、早々に捕虜交換で帰国しています。

このソールズベリ伯は本名を William the Longspee と言って
ヘンリー2世の庶子、つまりジョンの異母弟らしいです。
余談ですが、息子がWilliam the Longsword という名前の人物で、
ルイ9世の第6回十字軍に参加し、
マンスーラ(Mansoura)の戦いで名誉の戦死を遂げたそうです。

フランドル伯フェラン(Ferand, Fernand)はポルトガル王家の出身ですが、
フィリップ2世が自分の与党として見込んで、
フランドル家の姫にめあわせ、伯にしてやった人物だそうです。
したがって「飼い犬に手を咬まれた」仏王の怒りは深く、
フェランはフィリップの没後まで幽閉され、
フランドル伯領も10数年の「空位期」という混迷時代を耐えることになります。

22 :カウニッツ:01/08/31 00:59 ID:At9KiXXs
>>19さん、どうもです。凄く分かり易かったです。
それにしても、日本や中国の武将の戦いを例に挙げるところ、
広い知識を感じます。

23 :世界@名無史さん:01/09/20 03:22
最高!       

24 :ロズウェル@星の変人:01/09/20 10:41
オーギュストは、確かに尊称でもありますが
一方で、中傷表現でもあったみたいです。
「オーギュスト=フィリップ」というと
「威張り屋のフィリップ」という意味でもあったとか。

で、孫のルイ九世はどうよ?

25 :世界@名無史さん:01/09/25 15:34
たしかマニ教ってあったはずらしいよね
ルイ9世はどのように弾圧したんですか?

26 :世界@名無史さん:01/09/25 15:48
age

27 :アマノウヅメ:01/09/25 16:19
マニ教そのものより、マニ教の影響を受けたカタリ派(アルビ派)のほうが
問題だったと思います。もっとも、ルイ8世の時に全滅してます。

28 :世界@名無史さん:01/09/25 19:56
>>27
「ルイ8世の時に全滅」ってのはどうかな?

いわゆるアルビジョワ十字軍は1208-29年だが、
ルイ8世の治世は1223-6年だから、
オーギュストの統治末年とルイ9世の初年も十字軍の時期に入っている。

ただし、ルイ8世は、太子時代を含めて3度の南征を行うなど、当時のカペー家で最も熱心だったのは事実。
(彼なりにオヤジを凌ごうと、一生懸命だったのか。)
オーギュストはイマイチ熱心ではなかったし、
ルイ9世期には母后ブランシュ・ド・カスティーユが摂政で、もっぱら戦争終結を急いだ。

さらに、ただし、であるが、
1218年までは、十字軍の指揮をとっていたのはブルターニュの豪族シモン・ド・モンフォール。
(同名の息子は、ヘンリー3世と争い、議会制の発生に寄与したとされる英国史上の著名人。)
彼が1213年のミュラ(Murat)の会戦でトゥルーズ伯領&アラゴン王国の軍を破り、
アラゴン王ペドロを敗死させたのが、アルビジョワ十字軍全体の帰趨を定めた点で決定的だった。
(ただし彼は、トゥールーズ包囲で、女性の発射した石に当たるという間抜けな最期を遂げている。)

さらに、ただし、であるが、
南仏のカタリ派の残党が滅びたのは1244年(ルイ9世時代)の
モンセギュール(Montsegur)の陥落とされることが多い。
(堀田善衛の「路上の人」という小説は、この事件を題材にしている。)

29 :アマノウヅメ:01/09/25 20:08
>>28
すみません。年表が手元に無かったんで(仕事中)記憶に任せて書きましたので。
ルイ9世は幼少で即位したというイメージにとらわれてました。
モンセギュールの近辺では今でもカタリ派の戦いを先祖の戦いと考えている人が
いるそうですね。

30 :リトル愚礼:01/09/25 23:13
モンゼキュールは、確か
断崖絶壁の上にある要害でしたっけ?
で、この陥落の際、ルイ九世は
カタリ派五百人を火刑に
…オドレほんまに聖王か?

ちなみにルイ八世は、フランス国王としては唯一
イングランドに攻め入ったはず。

31 :世界@名無史さん:01/09/25 23:38
>ちなみにルイ八世は、フランス国王としては唯一
>イングランドに攻め入ったはず。

反ジョンの諸侯連にイングランド王位に付くよう要請されて・・まだ王子でしたが。
タイムリーなことにジョンが死んでくれて、幼君のヘンリー3世に同情票が集まったので、
ルイは手を引きました。
暗君も最後にイングランドの為に役立ったようです。

32 :Cavabien:01/09/25 23:54
カタリ派懐かしい・・。世界史への入り口だったから。
笠井潔氏のミステリ「サマー・アポカリプス」にも出てきますね。

33 :世界@名無史さん:01/09/26 06:59
ライヴァルのリチャード1世の尊称は、
「獅子心王=ライオンハート」だったらしいが、
らいおんはーとと聞くと別のものを連想してしまう・・

34 :世界@名無史さん:01/09/27 11:58
きみをまも〜るた〜め〜 そのためにう〜まれて〜きたんだ〜♪

35 :世界@名無史さん:01/11/17 01:31
>>34
レベルの高いこの板ではじめてのカキコだ!
その曲はミニー・リパートンのラビング・ユーのパクリでーす。
なんかレベルの低いレスでごめん。

36 :世界@名無史さん:01/11/19 17:36
こいつは悪人だとおもうんですが
シャンパーニュ伯、ローマの経済人から、金を借りた挙句、
教皇から返せといわれてもかえそうとせず、さらに自分の
領土にいたローマ人を人質に保釈金を求める始末、
たしか、オーギュストの時代の方だったと思われるの
ですが、詳しい人、この方の情報を、教えてください。

37 :世界@名無史さん:01/12/02 00:09
>28
このシモンのモンフォール家は
ブルターニュのモンフォール家ではなく、
イル・ド・フランス地方の
モンフォール(ル・アモーリー)家。
分家はティルスなど、十字軍地域の領主にもなっている。
まあ、後にカペー系ドリュー家を通じて
ブルターニュ公に家系は続くことにはなる。

38 :世界@名無史さん:01/12/21 00:49
>31
記憶がかなり曖昧ですけど、リチャード1世の即位を支援するために、
フィリップ2世がイングランドに攻め込んだとかいう話があったよう
な・・・。

勘違いならすいません。

39 :世界@名無史さん:01/12/21 02:33
フィリップ・オーギュスト良いねぇ。
コーエーのチンギス・ハーン4でももっとも能力値の高いキャラの一人だよ。

>>38
確かもともとはフィリップ2世がリッチー&ジョンとその父親のヘンリー2世が
仲違いするように仕向けたんじゃなかったっけ?

40 :世界@名無史さん:02/01/06 13:10
>>39
フィリップ2世は最初はリチャードの兄のヘンリーに反乱させて失敗し、ヘンリーが
亡くなった後は、リチャードの弟でジョンの兄であるジェフリーを援助していた。
だが、ジェフリーも亡くなったため、リチャードを支援して反乱させた。
リチャードの旗色が優勢とみたジョンは、父を裏切ってリチャードの側についたそう
です。
フィリップ2世は、ヘンリー2世が亡くなったと知って、「大物は片付いた」と喜んだ
そうです。

41 :世界@名無史さん:02/01/09 08:09
この人主役で映画作ってくれないかな〜

42 :世界@名無史さん:02/01/10 17:49
>>40
ヘンリー2世が大物とはね。

43 :世界@名無史さん:02/01/11 00:51
>>42
名君が少ないイングランドでは、ヘンリー2世は貴重な名君だそうで。
妻子のおかげで評価を落としてますが。

44 :世界@名無史さん:02/01/12 09:27
>>43
「名君が少ないイングランド」(藁

45 :世界@名無史さん:02/01/26 03:23
もっと讚えようよ。


46 :世界@名無史さん:02/01/26 08:58
>>36
>こいつは悪人だとおもうんですが
自分もこのイメージ。
「仁義なき戦い」だと、金子信雄ですね。

財政収入の規模で言うと
フランス王領=ノルマンディ+イングランド
(イングランド王は他に大アンジュー・ギュイエンヌ・ポワトーを支配し、
 ウェールズ・アイルランド・ブルターニュ・スコットランドの宗主権を持っていたから、
 上の等式は、総合的には右辺の大な、かなり極端な不等式になる。)

よくサバイバルしたものだ。
もっともバリバリの武闘派リチャード1世は、オーギュストにグスンとも言わせなかった。
(ちょっとこのスレでは獅子心王の評価が低いような・・・)
オーギュストが中世君主にふさわしい武勲を立て、殿堂入りするのはやはりブーヴィーヌの戦いによってですね。

47 :世界@名無史さん:02/01/26 10:54
>>4

ドイツ史観って何?簡潔に教えて。

確かに日本はドイツ寄りだとは思う。世界的にはマイナー言語のドイツ語、が
恐らく最も多くの人が選択する第二外国語だし。

48 :世界@名無史さん:02/01/26 11:41
>47
そうですね。
フランス語やスペイン語は使用人口からいうともっと
多くの人が選択していいと思います。

49 :世界@名無史さん:02/01/26 19:14
>>48

単純に第一言語とする人・国の数ではスペイン語は英語以上かも知れないです。
その多くが発展途上国ではあるが。

でも多くの大学では選択できるのは独語か仏語だけですね。

50 :世界@名無史さん:02/02/09 20:46
age

51 :世界@名無史さん:02/02/25 00:30
15歳で即位してヘンリー2世が築いたアンジュー帝国を崩壊させた。
謀略と戦争でである。この方の手腕は凄いですね。

52 :通りすがり:02/02/25 01:43
ちょっと、スレ違いな発言になるかなとも思いますけど、
リチャード1世は、確かに、
戦闘に対しては有能でしたから、
会戦では勝ったかもしれません。

でも、基本的に外交や内政には不向きというか、
あまり興味がなかったようですし、
ジョンの失態に繋がる、
いわゆるアンジュー帝国内の財政状況を、
極度に悪化させたのは彼ですから。
(ex.十字軍、身代金)

その点、フィリップ2世は、
総合的に優秀だと思います。

53 :世界@名無史さん:02/02/25 23:50
exじゃ「〜を除く」だと思われ。
おそらくegと言いたかったんだろうね。(藁

54 :世界@名無史さん:02/02/27 00:52
>>52
リチャード1世の評価について言うと、伝統的には以下の2つの見方があった。

中世:「十字軍=偉業」に従事した英雄、騎士道の鑑として、シャルルマーニュやアーサー王並みの扱い。

17世紀頃〜20世紀前半:イングランドの国富を戦争に浪費したドキュソ君主、猪武者、財政音痴。
(決定的な役割を果たしたのは啓蒙主義者ヒュームの「英国史」。
 彼は「文明=商業の精神」という立場から、「十字軍=愚行」と断じ、リチャードを酷評した。)

ところが、ここ30年ほどの間にリチャード評価は再上昇し始めている。
1.単なる猪武者ではない戦略家
2.先端的な軍事技術の知識(シャトー・ガイヤールの築城など)
3.洗練された外交戦略の構築力(皇帝・有力諸侯とのカペー家封じ込め同盟)
4.中世君主にふさわしい武勲と、人格的魅力。
5.リチャードによって財政が破綻したという主張を裏付ける証拠は必ずしも存在しない。
 (1204〜5年のノルマンディー・アンジュー失陥に際してジョンには十分な財政的リソースがあった、ということ。)
(「暗君」ジョンは戦略構築能力も、行政的能力も兄以上のモノを持っていた。
 逆に、ジョンに欠けていたのは、4の要素。
 猜疑心の強い性格は封臣の反乱を招き、
 softsword「へなちょこ」とあだ名された武勲の無さは侮りを招き、
 弱い決断力は、決定的な場面での尊厳王との対峙を回避させた。)

ただ
>その点、フィリップ2世は、総合的に優秀だと思います。
これは、やはりそのとおりだと思います。

55 :世界@名無史さん:02/03/23 12:18
ヘンリー2世が主役の「冬のライオン」に出てました。
結構格好良かったので、一見の価値あり。

56 :世界@名無史さん:02/05/11 23:09
age

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