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↑琉球史を世界史としてとらえる↓

1 :尚モナー王:2001/06/04(月) 05:52
日本史板を見てきたが、琉球に関するスレは発見できず。
アジア史としてとらえた方がよいのか?
即死でも構わないので、よろしく。

2 :世界@名無史さん:2001/06/04(月) 06:03
琉球国の独立喪失や消滅は無論日本本土の歴史と直接関連していることは言うまでもないが、その国家としての成立も本土史と深く関係していると思うよ。社会経済的な点からいうと、鉄がもたらされたのは本土からだし(当然のことだがそれによって農業生産性が急速に向上した)、おそらく「国家」という思想もそうじゃないかと思う。日本本土で平安末期から鎌倉、南北朝・室町と動乱期に向かっていったことと、室町期頃に琉球王朝が成立したことには密接な関係がある。そういう点では琉球が中国や東南アジアと関係を持っていたといっても、やはり日本本土史とは質的に異なる関係の深さがあるだろう。

3 :世界@名無史さん:2001/06/04(月) 06:09
>>2最後の部分は日本本土との関係が、他国との関係と比べ、特に密接で、広い意味での日本史だということ。北方や琉球の歴史を本土中央の歴史と相互に関連させて、列島全体の歴史的ダイナミズムを考えると面白そうです。

4 :世界@名無史さん:2001/06/04(月) 08:53
私は、琉球史を東アジア史の一部として観るのは重要だし、興味深いと思います。
もちろん、東アジアの内には日本も含まれますし。

日本との関係史で考える場合も、やはり「東アジア世界の内で」とつけた方がよいように思っています。

5 :尚モナー王:2001/06/05(火) 11:49
そうですね、2さんや3さんが書かれた様につい統一王朝(第2尚氏)以降の
海外進出期がクローズアップされる関係から日本との関連性は希薄なイメージ
がありますね。
それをふまえて4さんが書かれた東アジア史として捉える。世界史という枠で
考えれば、本来日本史自体が東アジア史に含まれる訳ですからね。
琉球史の位置付けはもちろん、琉球王朝全般のスレにここがなればいいんじゃ
ないかと思います。当然、琉球処分以降の近・現代史も含めて構わないです。

6 :世界@名無史さん:2001/06/05(火) 17:14
「琉球関係文献検索システム」って何気に凄いっすね
家譜とかの取り込み精度が少し不満だけど、まあ文句言える立場ではないし


7 :音速の名無しさん:2001/06/05(火) 23:20
age

8 :世界@名無史さん:2001/06/06(水) 08:11
平治の乱で敗れた源氏の人間が沖縄本島に流れて琉球王朝に
関わったという話を聞いたことがあります。
それに関連して源平合戦で壇ノ浦で敗れた平家の一部落ち武者が
南方に逃れたけれども沖縄本島は源氏系なのでいけず
どこかの小島かどこかに砦を築いて、襲来するかもしれない
源氏の追っ手にそなえたなんて話も聞いたことがあります。

9 :名無しさん:2001/06/06(水) 08:32
でも、八世紀の前半に奄美から石垣島まで全島が、大和朝廷に服属してる
よ。
途中で、放置されて離反したとしても、日本史のうちなのでは?


10 :世界@名無史さん:2001/06/06(水) 09:32
でも文書には中国暦使ってるわけだし

11 :世界@名無史さん:2001/06/06(水) 09:34
>>9
ちょっと確認しないとすぐには資料だせませんが。
その頃琉球は、中国の王朝にも服属していた、両属の位置だったはずです。

さらに、後の時代には華商の人々のかなりの規模の入植を受け入れ、同化していたはずです。
この入植同化が、戦国末期までの琉球独自の貿易立国の一助になっているはずです。

ですから、東アジア史の中で日本との関係も整理した方が、より過去の実態に近い、正確な理解が期待できると思います。

12 :世界@名無史さん:2001/06/06(水) 10:21
名スレの予感・・・

がんばってね。

13 :世界@名無史さん:2001/06/06(水) 11:39
>>9
>途中で、放置されて離反したとしても、日本史のうちなのでは?

例えば、パレスチナ(イスラエル)は独立王国であった時期、バビロニアに併合された時期、ペルシアの属国、属領となった時期、ローマ帝国の属国を経て属領となった時期とあります。

古代ローマ史の一貫として、シリア・パレスチナを扱う場合と、一貫性のある地域としてパレスチナ史を扱う場合、同じ地域の歴史でも異なった側面が明らかにされます。
ポイントは、対象地域の社会に自律性・一貫性が(程度の差は時期によって強まったり弱まったりしても)認められるかどうかでしょう。

琉球社会の場合は、私も一貫した自律性が認められると思います。
従って、まず「琉球史」を日本史から相対的に自律した歴史として整理する試みは有意義です。
次に「>>11」で言われている「貿易立国」の側面を考えれば、「東アジア世界の内での琉球史」を考えることも有意義でしょう。

「日本史の部分としての琉球史」を整理すると背景に埋没してしまうような事象も理解さえれるかと期待されます。

14 :世界@名無史さん:2001/06/06(水) 11:42
http://www.okinawa.oiu.ac.jp/index.html

15 :琉ちゃん:2001/06/06(水) 13:20
おもしろいスレなので、参加させてください。

>2
>北方や琉球の歴史を本土中央の歴史と相互に関連させて、列島全体の歴史的ダイナミズムを考えると面白そうです。
沖縄(あるいはかつての琉球)が最も密接に関わってきた国はもちろん日本です。
ですが、沖縄が「日本の一部である」という見方を前提にすると、沖縄という地域の本質が見えなくなるのではと常々感じております。
なので、沖縄(琉球)史を見る場合、

>13
>琉球社会の場合は、私も一貫した自律性が認められると思います。
>従って、まず「琉球史」を日本史から相対的に自律した歴史として整理する試みは有意義です。
のおっしゃるように、沖縄(琉球)を「自律性のある地域」という視点から見たほうが話がすっきりすると思います。

というのも、北方や琉球が、日本本土の政治や社会の方向性を決定するうえで大きく与えた影響というものはなかったのではないかと思うからです。
その逆はありましたが。

日本にとってみれば所詮、辺境地域。日本という国は、そういった地域に決定的に影響を受ける国ではないように思われます。
外国の文化を(表面的に)抵抗なく受け入れたり、外国を日本に同化させようとしたりはしても、外国との付き合いの中で、
日本の本質的な部分が変わったことがあったのでしょうか。

中国から漢字文化を輸入しても読み方は大和ことばのまま。ひらがなまでつくってしまった。
明治期に西欧から「近代国家」を輸入しても、その発展の仕方はまんま欧米流ではない。
外国からシステムや文化をとりいれても「日本」であるというしぶとさは持っていると思います。

それを考えると、「日本」はあっても「日本の一部」という捉え方は果たして可能なのだろうか。
日本とは別に、自律的な地域としての沖縄(琉球)としなくては、沖縄(琉球)史を考える上では限界が出てくるのではないか。

沖縄が日本という「国家」である時期は、正式には明治期の琉球処分からで、
その後第2次世界大戦後の米軍統治期を抜いた本土復帰後の年数を加えても100年程度です。
そのような地域の歴史を見るときに「日本の一部」という発想から始めるのは、何かと縛りが多いのではないでしょうか。

東アジアの歴史としてとらえると、現代にも何か示唆があるかもしれません。

16 :尚モナー王:2001/06/06(水) 21:53
>9
>八世紀の前半に奄美から石垣島まで全島が、大和朝廷に服属してる

実際古代史における大和朝廷の政治版図が即「日本史」の対象域と捉
えることはできるし、その観点からすれば朝貢した段階で組み込まれ
たことと考えることもできるでしょう。例えば、熊襲・隼人が住んで
いた九州南部のことを日本史に含めないと言う人を聞いたことがあり
ません。ここで琉球と異なるのは本土(日本列島における主要3島)
ではなく、直接大和政権からの役人を受け入れた実績がないというこ
とになるのではないでしょうか?その点であえて上述に3島として北
海道(蝦夷地)は抜きました。
基本的に現在の地位=日本国領土となっている以上日本史内として捉
えることは当然でしょう。ただ自分がここで上げたのは【琉球弧】と
しての独自性(政治・文化)からあえて日本史板ではなく、世界史板
にした所以です。琉ちゃんさんが書かれている様々な(示唆)を得た
いです。忌憚ない意見を出せればと思います。

17 :世界@名無史さん:2001/06/07(木) 00:01
>6=14? かなり濃いところですね(ワラ)。活用します!

18 :質問?:2001/06/07(木) 21:13
小説とかで取り上げている作品って知っていますか?
陳舜臣「琉球の風」
ぐらいしか知らないのですが…。
どうしても琉球王国時代の歴史小説は書きにくいの
でしょうね。歴史的人物がマイナー&少ないから仕
方ないとは思うのですが。


19 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 23:50
言語は日本語だろ
日本の一部としても何ら不思議はない

20 :世界@名無史さん:2001/06/08(金) 00:12
>>19
沖縄弁(琉球語)が日本語の一部かどうかはかなり議論があります。
日本語と同系統の言語なのは間違いないのですが、分離したのは2000年程昔と
言われています。
非常に似通った(もちろん違いはあるけど)ポルトガル語とスペイン語や
ルーマニア語とモルダヴィア語が別言語として扱われてる事実もあり
一概に日本語といえるかどうかはわかりません。

政治的な意味で間違い無く沖縄は日本の一部ですが
歴史的に見て名目的に独立国だった時代もあり
また近世の琉球王国は経済体制を明の冊封体制の安定に依存していた事もあり
日本本土に比べ中国からの影響を受けやすい位置にあったのも事実です。

薩摩侵攻ないしは琉球藩設置以前の琉球史を日本史として扱えるかどうかは微妙かと。

21 :世界@名無史さん:2001/06/09(土) 01:47
「日本史」って何よ?
そこが曖昧。
自明の事としてしまって良いのか?

22 :世界@名無史さん:2001/06/09(土) 04:52
基本的に「国」と「民族」と言う捉え方にはかなりの違いがあり
ますよね?
そう考えたとき「言語」とは本来「民族」に由来するものであり
民族間の違いを決める基準になっているものでしょう。しかしそ
の「国」のなりたちにおいて、他国の文化的影響により元来持っ
ていた言葉を失うことは多々あったわけです。たとえば英語を話
すといってもさまざまな国が存在します。
話がずれましたが、琉球の言語に関しては文化的影響は確実に日
本から受けたと思われます。でなければ北京語と広東語的違いを
もちながら中国語として囲める言葉になっていたはずです。
しかし自分もその言語のみをとってのみ判断することは当然でき
ないものと思っていますが。

23 :アマノウヅメ:2001/06/09(土) 05:11
私の国語学の教授は琉球方言は日本語ではないと言う説でした。

奈良時代から分離が始まっていて、これほどの違いがあると
外国語なんだそうです。

きわめて真面目な人でトンデモ説を唱える人ではありません。

24 :世界@名無史さん:2001/06/09(土) 05:31
そもそも言語学では
方言と独立した言語を分ける統一基準なんてないはず。

25 :世界@名無史さん:2001/06/09(土) 06:45
>>23
琉球語がニホン語とは別系統の言語だって言語学者の説はよく聞きますね。
有力説らしいですよ。

26 :琉ちゃん:2001/06/09(土) 09:53
>23、25
>私の国語学の教授は琉球方言は日本語ではないと言う説でした。
>奈良時代から分離が始まっていて、これほどの違いがあると
>外国語なんだそうです。

言語学の研究者で、ジャーナリストのカナダ人を知っているのですが、
彼も「日本語と琉球語(沖縄語?)は違う言葉ですよ」と力説してま
した。

でも「沖縄(琉球)は日本か」という問いには、どういう観点から--
例えば”政治的””文化的””歴史的”とか--見るのかをはっきりさせ
ないと話があっちこっちに飛びそうですね。

日本の場合、概ね「民族」と「国家」が重なっているためにこのふたつ
が同一視されやすいのですが、世界の中ではあまり見ない例なわけです。
世界中の国が多様な民族を抱えて国家としてまとまるのに苦労している
のに対し、日本ではそういう環境になかったために、こういう問題に対しては比較的無頓着だったように思います。

日本人であることと、日本国民であることは別の次元の話じゃないかと
考えるのですがどうでしょう?

27 :世界@名無史さん:2001/06/09(土) 10:23
>>26
>日本人であることと、日本国民であることは別の次元の話じゃないか

うん。そうなんです。
ひとつの方法は、「日本人」を意識的に国民の意味で使うこと。
日系アメリカ人、フランス系カナダ人などと同じように、
琉球系日本人、和人系日本人などの用語法を使って行くこと。

気をつけないといけないのは、これ耳慣れない響きがあるので、コンセンサスとってからでないと使えないんですよね。
民俗学・神話学板のアイヌのスレでアイヌの方が「俺はアイヌ系日本人と言われるのは好きじゃない、〔主観に立てば:?記者補記〕和人系アイヌだ」なんて言ってられたこともありました。

あくまでひとつのアプローチ方法として挙げるだけですが。
「日本人であることと、日本国民であることは別の次元」であることは確かです。

「日本国籍を持つ琉球の人」よりも「琉球系日本人」の方が、文字数が少なくて議論の際は便宜がいい、ってだけではあるのですが。

28 :世界@名無史さん:2001/06/09(土) 11:25
「方言」と「言語」の区分については下記のスレが参考になります。

言語学板 「**方言と言語の境目**」スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=989845700

上記のスレの14が説得力ある。

29 :21:2001/06/09(土) 22:31
琉球史を世界史「として」とらえる、
というところに問題は?

琉球史を世界史「から」とらえる、
琉球史を東アジア史「から」とらえる、
琉球史を日本史「から」とらえる、

それぞれ異なり、それぞれ正しい。

30 :尚モナー王:2001/06/09(土) 23:49
>>29
ご指摘ありがとうございます。スレッド題名としていくつか考えた
中から付けたのですが。ここで「として」としたのはあくまで日本
史板に上げられていない以上、世界史板における位置付けを表そう
と考えたからです。その点で21さんが書かれる「から」の方が本
来求めている切り口を表現していると思います。

時代的な分岐から方言か言語かの違いを理論付けれられるとすれば
言語的見地からは外国と捉えることができそうですね。
そうなるとどうしても「国家」と「民族」の関連上、差異を明らか
にすべきなのでしょうね

31 :世界@名無史さん:2001/06/09(土) 23:51
琉球言葉を日本語の方言とみるか日本語と別の琉球語とするかは、
論者によってかなり鋭い対立があり、なかなか素人には判断しにくい。

32 :世界@名無史さん:2001/06/09(土) 23:59
琉球はまだアイデンティティある方。問題は奄美群島も南・・沖永良部、与論。
ここは完全に琉球王朝だったのに、鹿児島県になった。
しかしここは完全に日本史だろう。ただちょっと喚起しておきたくて。
当然言葉も全然違います。
脱線気味なので下げ

33 :名無しさん@1周年:2001/06/10(日) 13:40
>>31
その対立も政治が絡んでくるからやっかいなんだよなあ。
琉球独立論者は別の言語だって主張したがるし。

34 :アマノウヅメ:2001/06/10(日) 14:51
>>31
文法学者が100人集まると100の学説がある、と言う位ですからね。

私は、大野晋系の学説を教えられましたが、単位取らないと
卒業できないのでやむなく講義に出てただけで、あまり
深くは勉強してません。

ま、素人ですね。
しかし、判断できないのは専門かも同じでしょう。
定説ないんだから。

35 :世界@名無史さん:2001/06/11(月) 00:32
14のサイトの文書って中国語?

36 :日本@名無史さん:2001/06/11(月) 00:59
単になまってるだけで日本語だろ
現地人の言葉との混成ではあるだろうが・・・

37 :世界@名無史さん:2001/06/11(月) 01:05
たしか琉球王国の文書って平仮名の文語日本語で書いてるんじゃなかったっけ?

38 :奄美群島および沖縄独立運動家 :2001/06/11(月) 02:12
1600年代の島津による琉球征伐、それに伴う奄美群島の実質的割譲があり
それが現在の鹿児島県の行政区域として奄美群島が存在することに憤慨する。
さっさと奄美群島を鹿児島から解放せよ。
奄美の民衆はつまんない鹿児島県民になどなりたくないわ。
江戸時代の島津による奄美群島の搾取、「黒糖地獄」と今でも地元で言われる
抑圧の歴史を知れ。朝鮮併合はたかだか30年、琉球併合は奄美群島から見れば
もう400年近くにおよぶ。どうにかしろよ


39 :世界@名無史さん:2001/06/11(月) 04:40
>>38

でも、鹿児島人も平安以前は近畿の奴らに
相当醜く陵辱されているぞ。

まあ、あまりにも時代が古すぎて

本人達は忘れてしまっている
or
忘れていないがどうでもいい。

ってな風になってしまっているが、、、


40 :世界@名無史さん:2001/06/11(月) 04:55
アズマの眷属発見

41 :世界@名無史さん:2001/06/11(月) 05:06
なんか、38さんの論法を拡大していくと近畿人以外の人は全員なんらかの
トラウマを「日本」から受けていることになる。

そして、最終的に近畿人は周辺民族に対して、
究極の罪を負わされることになる。

近畿人に対して合掌

42 :世界@名無史さん:2001/06/11(月) 07:29
>>38
私は親が奄美(二人とも)、自身は鹿児島で生まれ育った人間ですが、
今時声を大にして奄美群島は〜沖縄県にはいれ〜と言う人間はそうそう居ません。
せいぜい「昔はこうだったんだよ」と言う程度。
やはり沖縄の人は意識強いみたいですが。
ただ、明治以後は鹿児島県=中央政府寄り と 沖縄県 を選べば
鹿児島県の方がいろいろと有利だったのも事実。

せっかくだから家にある「和泊町史」(沖永良部)を開いてみると
>>9
やはり大和朝廷への帰属意識は希薄、というか皆無。少なくとも島津の制服までは。
奄美の実質的割譲っていうけど、やはり徳之島以北と沖永良部以南の感覚は違うのが事実みたいです。
少なくとも沖永良部以南は濃厚に琉球王朝の痕跡が残っていますが、奄美大島には・・・・

以上だらだらでした。

ってかここは「世界史として捉える」にこだわらなくてよいのかな?1さんの論旨によると。

43 :尚モナー王:2001/06/11(月) 15:54
>>38
もしその気があれば、米軍政下の段階で本土復帰を叫ばず、あえて
琉球政府への残留を叫ぶべきだったのではないでしょうか?当時の
人民党他、独立肯定派政党が支持されなかったのはイデオロギー的
問題もあるでしょうが、やはり「鹿児島」と言うより「日本=大和」
への帰属意識の高さに他ならないと思います。幸運にも、沖縄本島
に比べ地形上・地理上から軍事的価値の低さが早期返還を実現させた
訳です。
一時、東京または大阪へ行政区域の変更も言われたようですが頓挫、
今に至ります。
もう少しアメリカの統治政策が民主的に実行されていれば、旧琉球
政府統治域は英語を第2標準語として、プエルトリコのような自治
領ぐらいにはなってたかなと思います。ただどちらにしても独立は
困難だったのではないでしょうか。

>>42
「琉球」について史学からのアプローチで取り上げていければいい
と思います。前述のように琉球成立から現代までの様々なテーマが
あっていろんな意見が出てくることが大切かなと。極端に偏ったも
のはちょっと?だと思いますが(笑)。そんな感じです。

言語学的に、「方言」と「言語」との境界の曖昧さがこんなにある
とは始めて知りました。37さんの言われる文書とは『おもろそう
し』のことですか?他の史書もでしたでしょうか?


44 :琉ちゃん:2001/06/12(火) 09:46
>43
>もう少しアメリカの統治政策が民主的に実行されていれば、旧琉球
>政府統治域は英語を第2標準語として、プエルトリコのような自治
>領ぐらいにはなってたかなと思います。ただどちらにしても独立は
>困難だったのではないでしょうか。

私もそう思います。

沖縄戦の時期にさかのぼると(第2次世界大戦?太平洋戦争?でもここは「琉球・沖縄史」のスレなので「沖縄戦」としよう)、
1945年4月に米軍は沖縄本島に上陸した時点で、ニミッツ布告で、日本帝国政府のすべての行政権を停止して、
南西諸島を米国海軍軍政府の管轄下におくとしました。
米国”政府”ではなく、米国”軍”が統治することになったわけです。

私は軍組織に民主的な統治方法はないと考えているので、これが戦後沖縄の政治にとって非常に重要なポイント
ではなかったかと考えています。米軍があまりに強圧的な統治策を取ったために、日本(国憲法)へ寄せる思いが
必要以上に強くなり、美化されてしまった。

アメリカに統治された経験を持ち、アメリカという国を最も身近に感じる地域でありながら、
「民主主義国家」を標榜するアメリカのやり方にこれだけ反発し不信感を抱くところに沖縄のおもしろさがあるな
と感じています。

==あれ、でも「沖縄返還」は米国政府と日本国政府の間で行われたのですよね。
==米国政府が統治するのと米軍政府が統治するのと何が違うんだー。
==詳しい人、教えてくれい。

45 :ななし:2001/06/12(火) 13:11
>>44
要は占領地として軍政を敷くか、アメリカ領土として住民はアメリカ国民と
扱うかというのが非常に大きな違い。外交交渉の場合、当然軍の上に
アメリカ政府があるので、交渉するのはアメリカ政府と。

46 :世界@名無史さん:2001/06/12(火) 19:17
興味深いものがありました。
外国の方がどのように琉球(沖縄)を捉えているか
という部分で読んでみました。立場や情報から様々
な見方があるのは、国内外問わずということを考え
させてくれます。多少読みにくいと思いますが、表
示されたレスから続けて書き込みがあります。

http://www.netomo.com/cgi-bin/transkj.cgi?
http://www.defence.co.kr/bbs/bbs.cgi?
db=history3&mode=read&num=352&page=1&ftype=6&fval=&backdepth=1

47 :46:2001/06/12(火) 19:22
↑だとうまく飛ばないので、こちらに改めて貼っておきます。
http://www.netomo.com/cgi-bin/transkj.cgi?http://www.defence.co.kr/bbs/bbs.cgi?db=history3&mode=read&num=352&page=1&ftype=6&fval=&backdepth=1

48 :37:2001/06/13(水) 05:24
>>43
>37さんの言われる文書とは『おもろそうし』のことですか?
>他の史書もでしたでしょうか?
えーと、>>37の書き込みをしたときに思い浮かべてたのは
室町時代の日本、例えば将軍などと琉球王国が通信するときは
文語日本語を用いていたという話です。
琉球の内部限定で仮名・文語日本語が使われていたかまでは
ちょっと覚えてないです、すいません。

49 :世界@名無史さん:2001/06/13(水) 05:49
46のサイト読んだんだけど、なんかすごいな〜。
百済は東南アジアや中国の江南を支配していたとか真面目に書いている奴いるし。
いままで、ハングル板に書いていることって一部の電波韓国人が言っていることを大袈裟にしているだけかと思っていたけど
それが実際当たり前のように議論の対象にされているコトしって、チョット鬱になった。

関係ないのでsage

50 :46:2001/06/13(水) 19:13
>>49
ここだけですべてを論ずるのは早計ですが、情報の
大切さがわかると思います。それは日本側も同じこ
とではないでしょうか。

>>48
日本に対しての外交文書に仮名入り文を使っていた
ということですか?その点では日本文化の影響大と
言えますよね。他の諸外国(漢字文化圏)であれば
漢文での記載になりますから。

51 :世界@名無史さん:2001/06/15(金) 01:15
>>18
ifもので「琉球三国志」ってのが出てますよ。
あまりにマイナーなんで、本屋で見たことないけど・・・
著者:加藤真司(かとうまさし)
発行:学習研究社

最近、久し振りに「ウンタマギルー」って映画を見直しま
した。今、「ちゅらさん」ってNHKでやってますがまだなま
りが柔らかいですよね。それに比べると「別物?」って思う
ぐらい言葉が異なっている感じです。これを見ると、沖縄弁
というより琉球語とい言いたくなりました。


52 :37=48:2001/06/15(金) 06:04
>>50
>日本に対しての外交文書に仮名入り文を使っていたということですか?
たしかそうだったと思う…。(うろ覚え)
それよりはっきり覚えているのは、
室町幕府の将軍から琉球国王への外交文書が「国書」ではなく、
「御内書」だったか「奉書」だったんだということ。

でも、上のほうに出てる「琉球関係文献検索システム」で
琉球王国評定所文書が読めたんだけど、どう見ても文語日本語でしたね。
もっとも近世以降の文書みたいだけど。

http://museum.mm.pref.okinawa.jp/history/story/epoch3/sangyou_6.html
これも主に近世の話みたいだけど、
文学にも日本文化の影響はそれなりに強いみたい。

53 :世界@名無史さん:2001/06/16(土) 06:05
交易時代に中国・朝鮮以外にマラッカ、シャム、スマトラ等の東南アジア
の諸国と交流を持っていたのは明らかだが、そちら側の資料における記述
はどのようになっているのだろうか?その前に15・6世紀の東南アジア
諸国の史書の存在自体どれほど残っているのか疑問。

日本においては、37=48氏の書かれた「御内書」とするとあくまで国
内勢力の扱いだが。

54 :世界@名無史さん:2001/06/16(土) 10:50
琉球史を日本史として見ようとする奴はコヴァ

55 :名無し:2001/06/17(日) 12:33
↑意味不明。解説求む。

56 :世界@名無史さん:2001/06/18(月) 20:14
↑あまり気にしなくてもよいかなと。

どこに基点を置くかで東洋史的位置付けが合う場合と
日本史(地方史)的位置付けが合う場合とある。ダイ
ナミックなのは王朝時代になると思う。
奄美ネタが出ていたが、奄美において琉球王国時代は
那覇世(なはゆ)と呼んで一統治期を示されていると
ころは興味深い。

57 :名無しさん@1周年:2001/06/18(月) 20:16
   /""""""""彡
  / 〈~~~~~^~~~~ヽ
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 | / ´\  ハ /` |
 |./| ̄ ̄|冖| ̄ ̄|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 (6|~`― ´ |`―‐′ |
 || |    ,,,,, 」,,,,   |  |原田泰造はチョンだ、オラァ!
 |||  【 一 ー 】 /    |
 || \   丁  /    \____________
彡|   \__/ |



58 :世界@名無史さん:2001/06/18(月) 22:29
琉球が明治時代に日本に取り込まれ沖縄県となった背景を語れる人いる?

59 :名無し:2001/06/19(火) 08:34
>56
>奄美において琉球王国時代は那覇世(なはゆ)と呼んで一統治期を示されているところは興味深い。

同感。沖縄では「唐世、大和世、アメリカ世」とよんで、「沖縄世」という言葉を聞いたことがないのに。


60 :世界@名無史さん:2001/06/20(水) 14:14
様々な資料もありテーマを決めるのは難しそうだな。
だったら>>58でもいいかも。

61 :尚モナー王:2001/06/21(木) 10:56
ずれた話になりますが、先日ブルガリアの総選挙で元国王シメオン2世が
率いる「国民運動」が第1党となり東欧初の王族の政治的復活と報道され
ていました。国内情勢の停滞から国民のヒーローを求める世論と絡んで人
気を得たのでしょう。カンボジアのように王政復古となるかどうかはわか
らないようですが、21世紀の今日に興味深いニュースでした。

琉球の場合、琉球処分以降かなりの時間を経たために、アメリカ統治下で
さすがに王政派とかは発生しなかったのでしょうね。まさか存在したなん
てことは無いですよね(笑)?

琉球王(中山王)の国際的立場は薩摩藩支配下においても一国の王として
の扱いでは日本の施政者と同じ立場に合ったと言えるでしょうか。


62 :世界@名無史さん:2001/06/24(日) 10:44
因みに、現当主はどこで何をされてるのかな?
以前ちょこっと聞いたところ、名前が一文字だけど
訓読みになってたような(藁)!

63 :世界@名無史さん:2001/06/24(日) 16:49
琉球国内の公文書と、対明・清の外交文書はすべて中国語(漢文)で書かれています。
かなをつかっているのは「おもろさうし」という民間伝承をあつめたものです。

ちょっと重いのと、検索方法や見方がむずかしいですが、
琉球関係の文書はjpg形式で自由に閲覧することが可能です。
また、一部はテキスト化もされています。

沖縄歴史情報研究会
http://www.okinawa.oiu.ac.jp/

64 :52:2001/06/24(日) 20:14
>>63
あれ?

http://www.okinawa.oiu.ac.jp/okinawa-cgi/cgi-bin/hyoutei1pic/0028.jpg
http://www.okinawa.oiu.ac.jp/okinawa-cgi/cgi-bin/oshimapic/0009.jpg
このふたつ見て日本語だと思ったんだけど…
たんに薩摩関係の文書だったのかな?

65 :名無し:2001/06/25(月) 15:13
> 61
>琉球の場合、琉球処分以降かなりの時間を経たために、アメリカ統治下で
>さすがに王政派とかは発生しなかったのでしょうね。まさか存在したなん
>てことは無いですよね(笑)?
>琉球王(中山王)の国際的立場は薩摩藩支配下においても一国の王として
>の扱いでは日本の施政者と同じ立場に合ったと言えるでしょうか。

琉球王府がそこまで評価できるほどの、琉球統治をしていたのだろうか。
琉球時代のことは詳しくないが、少なくとも明治時代には琉球国王は華族となって
本土に住んでいたわけだし、民衆の支持を集めるほどの活動をしていたとは考えられない。

現在の沖縄人の琉球王国に関する感情は、自分たちで沖縄の政治を行っていたという
象徴であって、琉球王国政府への支持ではないのではない。よって、アメリカ統治下でも、
琉球王族の復活などなかったのだろう。

現代に至っては、王族の末裔が何をしているのかなぞわからりもしない。
尚家のことになるであろうが、あいつらは沖縄のために何かいま活動しているのか?
政治をしろとはいわんが、文化財の保護くらいもっと積極的にやったってよかろうに。
現在の「王族」の役割はそこにしかないと思うが。

66 :世界@名無史さん:2001/06/25(月) 15:46
普天間かおりが王族の末裔らしいけど

67 :世界@名無史さん:2001/06/25(月) 15:53
歌うたってますなヽ(´ー`)ノ

68 :世界@名無史さん:2001/06/25(月) 16:12
>>65
激しく同意!!以前、現在住んでる品川区(?)かどっかに
家宝を寄贈しようとしてどうのこうのって言われてたことが
あったと記憶しているが。

ただ最後の王・尚泰とその嫡男(王子)の代までは葬式もそ
れなりの規模と格式で行われ、市民の参列があったんじゃな
かったかな。

>>63
いいですねここ。
「球陽」や「歴代宝案」等は江戸時代以降の作で、かなり
日本(薩摩)側を意識したものだったかなと思われ。

69 :世界@名無史さん:2001/06/25(月) 16:43
薩摩向けの文書でも暦が違うってのが微妙なとこですね

70 :世界@名無史さん:2001/06/25(月) 18:36
沖縄出身で中山さんていう人がいたら王族。
王族以外は「中」の字は使えなかったからね。

71 :世界@名無史さん:2001/06/25(月) 22:57
厨房を作ってたりして。
http://www.nhk.or.jp/projectx/6kitchen/index.htm

72 :アマノウヅメ:2001/06/26(火) 01:16
68さん

中山王の子孫は品川区(?)に家法を寄贈するってのはホントですか?
これは許せないことです。沖縄に返すのが筋ですね。

福岡藩主だった黒田家は金印を博物館に預けるよう国から圧力を受けました。
収める博物館はそのときの政治事情によってコロコロ変わりました。
黒田家は「福岡のモノはいずれ福岡に返す」と聞き入れませんでした。

20年程前、家宝を安全に保管する余裕が無いとのことで、主なモノはすべて
福岡県に寄贈されました。国宝数点、重要文化財にいたっては数え切れないほど。

これが元の統治者の正しいやり方だと思います。

73 :世界@名無史さん:2001/06/26(火) 01:22
検索して見た。
http://www.google.com/search?q=%8F%AE%89%A4%89%C6+%8Eq%91%B7&hl=ja&lr=

 日本の属国になってからの尚王家は、幕府の政策によって琉球に住むことを禁じられ、江戸に住むよう命
じられた。琉球には一握りの領地だけが残り、琉球を統治することは出来なくなった。明治になって爵位制
度が出来ると、尚一族にも爵位が与えられるが、引き続き東京住まいであった。尚家は今も累続し、子孫が
各界で活躍しているが、昭和35年の沖縄返還を機に、尚一族の数名が那覇に戻って住んでおられる。

http://village.infoweb.ne.jp/~bbf/3hp032.html
どうもずっと東京住いのように読めますが。

74 :世界@名無史さん:2001/06/26(火) 04:35
沖縄は日本ではない。日本の最初の植民地。
音楽、言語、宗教、気候帯、食文化、王政
どれをとっても本土とは異質である。
寧ろ中国や南方の文化に近い。
特に際立つのは宗教である。仏教国沖縄に、
神道は歴史的に浸透していない。
神社は勿論、本土になら無人の小島にもある鳥居なるものさえ
そもそも沖縄には存在しなかった。
今有るものは琉球王国崩壊後に政策的につくったものだけである。
沖縄に神道の歴史はない。
沖縄人が昭和天皇に独特の感情をもっていたのは
決して戦争の問題だけではない。根はもっと深い。
ポビュラーと言わず民謡と言わず、
沖縄のあの独特の音楽は沖縄の独立の狼煙のように思えてならない。

75 :世界@名無史さん:2001/06/26(火) 21:52
「中」が王族ってマジ?
うちのばぁさん「中泊」だが(ワラ

76 :かきつばた:2001/06/26(火) 23:07
何やらもっともらしげで、よくみるとデタラメばかり。

> 74
>沖縄は日本ではない。日本の最初の植民地。

アズマとかサツマ(日本の2ツマ)、奥州、蝦夷地のほうが早いよ。

>音楽、言語、宗教、気候帯、食文化、王政
>どれをとっても本土とは異質である。

言語:
日本語に対する沖縄の言葉の位置づけについては、別個の言語とみる立場と方言とみる立場とがあるが、系統的に近縁関係にある言語であることは、言語学的に確認されている。

> 特に際立つのは宗教である。仏教国沖縄に、
> 神道は歴史的に浸透していない。

「仏教国沖縄」・・・という表現で、74氏が沖縄の人でなく、かつ沖縄の宗教状況にも無知であることがバレバレ。

日本民俗学で何故に沖縄民俗の事例研究が重視されるかといえば、単に沖縄の民俗を解明するというローカル的意義があるのは勿論、本土の民俗事例と比較・対照が可能なほどに近い類縁関係があるからだよ。

伊勢の天照を頂点とするヒエラルヒーには組み込まれていないが、沖縄の土着宗教には、神道と共通する自然観や、神道もかつては保有していたと思われる原始的なシャーマニズムの息吹が色濃く残存している。

> 神社は勿論、本土になら無人の小島にもある鳥居なるものさえ
> そもそも沖縄には存在しなかった。

「鎮守の杜」よりもより原始的な状態で保護されている聖地「ウタキ」がある。

> 沖縄の独立の狼煙
本土人の勝手な思い入れで「独立」を押しつけても、沖縄の人にはメーワクなだけ。

77 :世界@名無史さん:2001/06/27(水) 03:18
と言うことは沖縄に神道があったということか?
類似した土着信仰なら世界中にあるよ。

78 :世界@名無史さん:2001/06/27(水) 03:26
>伊勢の天照を頂点とするヒエラルヒーには組み込まれていないが
天皇制を受け入れた歴史的経緯がなかったということか?

79 :世界@名無史さん:2001/06/27(水) 03:28
>>78
要約するならそうでしょう。

80 :かきつばた:2001/06/27(水) 20:53
77
>と言うことは沖縄に神道があったということか?
> 類似した土着信仰なら世界中にあるよ。
「類似」の度合いが著しく高く、本土の民俗事象と同じ土俵で対比が可能、ということです。

76(自己レス)
>>伊勢の天照を頂点とするヒエラルヒーには組み込まれていないが
沖縄の神様たちは、アマツミカミ、クニツカミ、蕃神など日本神道の神様のヒエラルヒーには組み込まれていない、ということです。

77
>天皇制を受け入れた歴史的経緯がなかったということか?
78
>要約するならそうでしょう。

ぜんぜん違います。
上記は、沖縄の固有宗教の本土の神道からの自律・自立性を指摘しただけ。
「沖縄社会に対して「天皇制」が近代以降いかなる影響を与えたか」とは全く別個のはなし。

81 :世界@名無史さん:2001/06/28(木) 03:18
近代以前は沖縄独自の宗教と政治システムだつたと言うことでよろしいのでは?

82 :ナポレオン:2001/06/28(木) 06:22
琉球にはまったくくわしくないので質問だけ。

>かきつばた氏
アズマとかサツマとかオウウとかって、
まあエゾチはともかくとして、
時代が古すぎるよ。
シチリアはイタリア最初の植民地、とか、
ザクセンはドイツ最初の植民地、って言っているようなもんだよ。

日本の神道のヒエラルヒーに組み込まれてないんなら、
類似してても、比較が可能でも、結局は違う宗教なんじゃないの?
ギリシア神話とローマ神話みたいに。

あと、>>78は天皇制という近代の用語を使ってるけど、
別に近代のことを話題にしているとは思えないが。

いずれにしても、わしゃよくしらんので勉強させてもらえるとうれしいな。

83 :かきつばた:2001/06/28(木) 12:44
私の一連の書き込みは、74の

>どれをとっても本土とは異質である。
>寧ろ中国や南方の文化に近い。

という記述への反論です。

81
>日本の神道のヒエラルヒーに組み込まれてないんなら、
>類似してても、比較が可能でも、結局は違う宗教なんじゃないの?

はい、違う宗教だと思います。

ただし沖縄の文化は、宗教の教義だけでなく、言語とか民俗など多くの面で、でも、親族関係にたとえると本土の文化と同腹兄弟ほどの近さがある、と思
います。

84 :世界@名無史さん:2001/06/28(木) 12:50
>>74
君、沖縄板荒らしまわってた、ざるをえない君?

85 :かきつばた:2001/06/29(金) 00:03
>ナポレオンさん
「教え」てさし挙げることが出来るほどの知見は、沖縄についてはないのですが、一応レスします。

82
> アズマとかサツマとかオウウとかって、
> まあエゾチはともかくとして、
> 時代が古すぎるよ。
> シチリアはイタリア最初の植民地、とか、
> ザクセンはドイツ最初の植民地、って言っているようなもんだよ。

「植民地」とは何ぞや、「植民地」という用語における「植民」とは何ぞや、という定義にもよりますが、アヅマと奥羽は古代に、蝦夷地は近代(明治以降)に大規模な「植民」が行われています。奥羽では、エミシ人を故郷から引き離して日本各地に分散して移住させ、入れ替わりに本州中央部人を植民するという、今日でいう「民族浄化」が行われています。

でも琉球=沖縄に対しては、近代(明治以降)に土着の人々の思想改造への試みは行われても、本土人の大規模な「植民」が組織的に行われたことはなかったように思われます。ですから、>>74氏の「沖縄は日本ではない。日本の最初の植民地」という類の言説を見ると、メマイがする程の違和感を覚えます。。

古代のサツマはどうだったんでしょうか。
土着の隼人人を同化しただけなのか、大規模な「植民」も行われたのか、どちらでしょう。

86 :世界@名無史さん:2001/06/29(金) 01:53
一つ言えることは
鹿児島人でそんなことを意識している人は「皆無」ということ。

87 :世界@名無史さん=42:2001/06/29(金) 02:15
上に追伸
しかしながら奄美大島以南では「征服された」意識が多少残っている。
南に行けば逝くほど大きくなる。
具体的には、旧十島村の上三島現三島村と下七島現十島村(注意・紛らわしい)で線が切れる。
ここは米軍の直接統治か日本政府統治だったかの境界線。
そして徳之島と沖永良部で線。ここは琉球王朝の影響力が全然違う。完全に沖永良部は文化的に琉球。
沖永良部は北山王の重鎮が統治していたのだ。ちなみにそれ以北は中山王統一のあと軍隊が派遣されたにすぎない。
厳密に言えば喜界島までは中山王に征服されている。トカラはどうも薩摩と琉球の緩衝地帯だったらしい。
つまり、前「悪い」と指摘されていた用語を敢えて使うが「沖永良部までは琉球の固有の領土」(藁
そして江戸時代に薩摩が一気に沖縄まで攻略したのは周知の通り。
ちなみに中山王の覇権が成立したのが1429。
薩摩攻撃が1609。
そして最期のボーダーは与論島と沖縄本島。ここは当然県の違い。

意識的には前も話したとおりです。
私は鹿児島で生まれ育ち、全く日本人と歴史上の政権には違和感を抱かない。
これは鹿児島人に「明治維新をやって日本を作ったのは我々だ」という感覚が多分に影響を与えているだろう。
いや、かなりかな。
親父は奄美大島。江戸時代の「黒糖地獄」ということは歴史的には知っているが、奄美の人間はやはり鹿児島に目が向いている。
医者になるために必死で勉強して鹿大にいった。
母は沖永良部。母方の祖父と話すると時々鹿児島批判がでてくる。
しかし「西郷流刑」という歴史があり、それなりに鹿児島に対する愛着もある。微妙。
母の妹は沖縄で結婚。ここは言わずもがな。かなり本土とは違う。

とまぁ、そんなかんじ。私の実感では。

88 :ナポレオン:2001/06/29(金) 02:44
懇切丁寧にありがとう>かきつばたさん

でも、今の用語で言うと、「植民地」って「植民」をする場所と言うより、
単なる「本国以外の領土」という程度の意味しかないんじゃない?
またヨーロッパの例でわるいけど、植民活動って結構あるのよ。
古代、中世にも。でもあんまりそれを植民地とは言わないけどなあ。

89 :世界@名無史さん:2001/06/29(金) 04:42
>>87
なるほど。東北人の私にはなかなか掴みにくい話題でしたが、これで
感覚的にはだいたい把握できました。とてもためになりました。あげ。

90 :世界@名無史さん:2001/06/29(金) 05:32
一般論で言うと宗教は宗派が違ってさえも思想や道徳に与える影響は決定的に大きい。
スンニ派やシーア派、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の類似性は
民族・部族や風土の違いと相俟って、違いを克服し得ない。
民族・部族や自然風土は往々に土着信仰の源となり違いを寧ろ強化する。
世界的に拡大した宗教と言えども土着信仰を包含し
変質し拡大せざるを得なかった所以である。
更に政治制度が違ってくると、他の文化的特性が類似していても、
社会の違いが拡大すると思われる。
宗教と政治が違っている同質的な社会とは
そもそもどういう社会なのか?存在し得るのか?いつまで存続し得るのか?
沖縄論は日米安保と言う国際関係上からも、
遠くの国の独立論などよりも身近で切実で興味深い。
「沖縄」の政治的、歴史的、或いは軍事的?位置付けは、
21世紀の極東の小さからぬテーマとなろう。

91 :世界@名無史さん:2001/06/29(金) 07:08
話を混乱させないために、一般名詞として
「属領」という用語を使った方がいいんじゃない?

92 :世界@名無史さん:2001/06/29(金) 07:41
いやむしろ勘違いする輩が現れて荒れそうなのでやめた方がいいと思われます。

93 :かきつばた:2001/06/29(金) 13:52
90
>宗教と政治が違っている同質的な社会とは
>そもそもどういう社会なのか?

エミシやアイヌが本州中央部人とは異系統の集団だったのに対し、琉球=沖縄列島の人々は、本州中央部人と同祖同系で、縄文の末期ないし弥生初期に別個の集団として分化し、独自の発展を続けた社会である、ということです。

琉球=沖縄と本土の「同質的」な部分は、上記の「同祖・同系」である点に由来しています。そして近代以降の歴史の歩みは、「異質」な部分を拡大する方向ではなく、本土社会が吸収する形で「均質」の度合いを強めて行くという方向で推移しています。


>沖縄論は日米安保と言う国際関係上からも、
>遠くの国の独立論などよりも身近で切実で興味深い。
>「沖縄」の政治的、歴史的、或いは軍事的?位置付けは、
>21世紀の極東の小さからぬテーマとなろう。

「歴史」からは離れた話題になるのでsageてレスします。
沖縄の人々の中に「独立」論が存在することは事実ですが、現在のところただ「存在」しているだけで、政治勢力としては現在のところ何の存在意義もありません。沖縄県議会の議員や、沖縄選出の国会議員のなかに、沖縄の日本からの独立を掲げて当選した者は一人もいません(町村レベルの自治体の議会に当選する人が時たまでる程度)。

自社さ連立政権の時に国務大臣だった沖縄選出の五十嵐広三氏が、普天間基地問題とからめて「我々には独立を主張する資格もあるんだぞ」という主旨の発言を行って物議をかもしたことが有りましたが、この発言はロジック的には「現在は独立の主張は行わない」ということであり、「本土と平等・対等の扱い」を要求する文脈の中での発言です。

>「沖縄」の政治的、歴史的、或いは軍事的?位置付けは、
>21世紀の極東の小さからぬテーマとなろう。

沖縄の民意の大勢は「本土との平等・対等を求める」ですから、「沖縄の 独立問題」が「21世紀の極東の小さからぬテーマ」になることは、ないでしょう。「22世紀」、「23世紀」にはどうかわかりませんが・・・。

94 :・・・:2001/06/29(金) 18:31
私、「本土との平等・対等を求める」姿勢じゃありません。
とにかく「日本人」「日本国民」といわれるたびに嫌気がさす、「沖縄人」「沖縄
県民」です。

日本国内での沖縄の平等・対等なんてどーせありえないんだから、
主張しても無駄な気がする。日本が沖縄の主張を無視するなら、沖縄も日本の主張
を無視したほうが、よっぽど話し合いの場ができるんじゃ。

95 :42:2001/06/29(金) 18:35
いや主張を無視したら話し合いの前提が崩れますがな・・・
落ち着きなされ・・・
ただ、このスレの趣旨として、94番さんに「何故そう思うのか」をかたってもらうと実感があってよいと思う。

96 :かきつばた:2001/06/29(金) 20:41
私は関西で通学・通勤をしておりまして、沖縄出身者の知り合いも何人もできました。10年ほど前から、あるていど親しくなると「独立」について聞いてみるということをやるようになりましたが、「独立を支持する」とか「独立運動に従事している」という人にはまだお目にかかったことがありません。

94さんのような方が、沖縄社会の中で少数派なのか、あるいは本土人には見えにくいだけで実は多数派なのか。そして沖縄の方がみた本土・沖縄の関係は本土人とはまた見え方が違っているでしょうから、それらについて、ぜひご紹介いただけたら、とおもいます。

97 :ヒージャーマン:2001/06/29(金) 20:47
 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< >>94  沖縄人に独立妄想をおしつけ
(    )  \ るアホナイチャー発見!
 | | |    \_____
 (__)_)

98 :世界@名無史さん:2001/06/29(金) 21:22
沖縄の政治的自立は、
EUのような共同体ができて初めて可能になると思われ

99 :世界@名無史さん:2001/06/30(土) 01:55
「縄文の末期ないし弥生初期に別個の集団として分化し、独自の発展を続けた社会」
がなぜ「近代以降の歴史の歩みは、「異質」な部分を拡大する方向ではなく、
本土社会が吸収する形で「均質」の度合いを強めて行くという方向で推移」しているのかね。
何千年も独自の社会をつくっていたのがたった100〜200年で同質化するかね?
歴史を随分軽視した考えだね。それとも同質化のプロセスということかな?
では、まだまだ異質な部分の方が多いのかな?
で、その同質化とやらは自発的なものかね、それとも強制的な部分が多かったのかね?
いずれにせよ「独立」を主張する人間が沖縄にはいるわけだ。
そういや20世紀のソ連でも多くの民族が少数派ながら不可能と思われていた独立を求めていたな、、、。
20世紀のアメリカでもインディオの独立運動があったな。
冷戦後初めて日本でもアイヌ出身の議員が出たな。純粋なインディオやアイヌなど
いなくなってるのにな。沖縄はどうするのかね?
冷戦終了後民族の自立の勢いは加速しているね。
自立的?な同質化な方向を歩むのかな?歩まざるを得ないのかな?
それとも、、、、???

100 :世界@名無史さん:2001/06/30(土) 04:15
>>99
きちんと歴史を勉強していれば、数百年あれば同化も分離も信じられないほど
起こり得るっていうのはわかっているはずなんだけどなぁ。

101 :かきつばた:2001/06/30(土) 04:30
>何千年も独自の社会をつくっていた

「何千年も」ではない。
もう一度、引き算をやりなおしましょう。

>なぜ・・推移」しているのかね。

明治以降、日本国の一部となり、今に至っているから。

>たった100〜200年で同質化するかね?

琉球球=沖縄と本土の「同質的」な部分は、両者が「同祖・同系」である点に由来している。>>93を再読。

> 歴史を随分軽視した考えだね。

「軽視」? 事実を淡々と描写しただけだが。

>では、まだまだ異質な部分の方が多いのかな?
>で、その同質化とやらは自発的なものかね、それとも強制的な部分が多かったのかね?

「同質的」な部分は両者が「同祖・同系」である点に由来している。>>93を再読。

明治日本国家は、多様な民俗・複数の民族が存在していた日本社会を統合する際、均一・単一の「国民」を創出する方途を選択した。国民を民族や人種によってカテゴライズし、それぞれの集団間に上下関係を設ける、もしくは平等な権利を認めるという体制に対し、これを「単一民族国家体制」と称することができる。

この体制のもとで、沖縄も含めた日本国内の「均質化」が進行。
「異質」な要素に対する国家の姿勢は、「弾圧」から「保護」乃至は「保存・継承」に取り組む人々の支援へと転換されたが、この「均質化」のプロセスは現在も進行中。その一例。

私の両親は先祖代々の越前人で、福井弁と日本語(関西風)のバイリンガル。今は関西に居住しており、田舎の親戚と話すときなど自分たちは福井弁を話すくせに、その言葉を「恥ずかしい」ものだと考え、子どもを育成する時に福井弁で話しかけることをしなかった。もの心が付いて以降、親戚との交流の機会を利用すれば福井弁を身につける機会はあったはずだが、私はその必要を感じることもなく、日本語(関西風)のモノリンガルで育った。そのような経緯のため、私は純血の越前人でありながら、福井弁を話すことも聞くこともできないが、そうなったのは「自発的」でも「強制された」のでもない。

102 :かきつばた:2001/06/30(土) 04:32
>そういや20世紀のソ連でも多くの民族が少数派ながら不可能と思われ
>ていた独立を求めていたな、、、。

旧ソ連の「独立を求め」る人々は「少数派」ではなかったよ。多数の意思を暴力によって押さえつけていただけ。

「大日本帝国」が解体した際、朝鮮や台湾は「日本への帰属を望まない人々」が多く、日本とは別の国となって現在に至る。沖縄でも一旦は 米軍政下で「日本国家」の統治からは離脱したが、沖縄の人々は「祖国復帰運動」を行い、米国の日本に対する沖縄の「施政権の返還」へとつながった。当時の沖縄の人々の間で、「祖国復帰運動」に対抗して、「復帰」ではなくそのまま独立国を樹立しよう、という運動は起こらなかった。

>日本でもアイヌ出身の議員が出たな。
このアイヌの議員・萱野茂氏が「北海道ウタリ協会」の幹部だった1983年に制定された「アイヌ新法ウタリ協会草案」は、アイヌは日本国民の一員として、アイヌの民族としての権利の恢復を求める、という姿勢でまとめられている。

> いずれにせよ「独立」を主張する人間が沖縄にはいるわけだ。
北海道ウタリ協会加盟者は3万人弱しかいないから、その中の全有権者が結束しても国会議員を当選させるのは非常に困難だったが、沖縄県民は約130万人の人口を擁しながら一人の「独立派」も国会に送っていない。あまつさえ県議会にも一人の「独立派」もいない。

>冷戦終了後民族の自立の勢いは加速しているね。
沖縄では、ちっとも「加速」していない。
沖縄の民意の大勢は「本土との平等・対等を求める」ですから、「沖縄の独立問題」が「21世紀の極東の小さからぬテーマ」になることは、ないでしょう。「22世紀」、「23世紀」にはどうかわかりませんが・・・。

103 :ヒージャーマン:2001/06/30(土) 04:59
>あまつさえ県議会にも「独立派」は一人もいない。

     ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< それは、沖縄の人が「独立」を真面目な政治課題
(    )  \  だとは全く考えていない、ということだね。
 | | |    \_____
(__)_)

104 :世界@名無史さん:2001/06/30(土) 05:43
ということは、異質だった社会をかつては強制的に台湾や韓国同様同化政策をとり、
今は自主的に同質化している過程ということ?嘗ては俗に言う植民地政策だ。
香港あたりでも強制は戦後は少なかった。
沖縄論となるとどうも差別や安保や経済の問題から独立論は嫌がられるようだ。
ただ、歴史的独自性はみとめてもいいんでは?
特に宗教と政治体制の違いは大きい。
民族の伝統が堆積しているから。
ところで、神社や鳥居や天皇制は沖縄になかったの?
だとしたら、先ず明治政府はここから手をつけたんでしょ。
マツリゴトから。
暴力と言うムチでなく戦後は金と言うアメで懐柔してきた
と見たら穿ちすぎか?
そりゃ独立派少ないわ。背に腹は替えられぬ。
日本政府もなかなかのものだ。イギリス顔負けか。

105 :かきつばた:2001/06/30(土) 07:39
>ただ、歴史的独自性はみとめてもいいんでは?
別に否定はしていませんけど。

106 :世界@名無史さん:2001/06/30(土) 11:12
本州中央と同祖同系というところに疑問です。
いまだ日本人の大陸からの流入経路と現在の「だいたいの」居住分布(当然混血が進んでいるから)は確定されていないのでは?
当然南方系も居るでしょうが、堂々と「本州中央部人と同祖同系」と言い切れるのか。
そこが?です。
説明希望。

107 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 00:56
過去ログにあったみたいだけど、高嶺剛監督の作品で使われる
沖縄方言(琉球語)は広東語等の東南系言語の香りがするよね。
あそこまでネイティブに使える人は少数だろうけど。

同祖同系論は、伊波普猷に拠るのかな?

108 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 01:18
>>104
沖縄の人は何を望んでいるの?
参政権その他の権利は本州と全くの平等。
米軍基地がいらないと言うのは理解できるが、それ以外は何?

109 :かきつばた:2001/07/01(日) 01:58
>本州中央と同祖同系というところに疑問です。
>堂々と「本州中央部人と同祖同系」と言い切れるのか。
>そこが?です。
>説明希望。

言語学的には、「言い切れ」ます。
下記の例文を参照(吉屋松金『実践うちなあぐち教本』南謡出版1999, pp.1, 6)。著者は、沖縄語と日本語は別個の言語だという立場をとる人ですが、共通の祖語からわかれたとしています。おなじ内容の序文を日本語と沖縄語の両方で書いてくれたので、それを引用します。

日本語と沖縄の言語が同祖・同系であることを、実物によってあじわってください。ただし引用にあたっては漢字にふられていたルビを( )内に入れて漢字語の右側に置いています。

**************************
「はじめに(日本語版)」
 沖縄語は大和語と基を一にしているものの、現代日本語とはかなり趣を異にする。沖縄語は古い時代に大和語と枝分かれした後、地理的条件などから古代大和語の名残を止めつつも、独自の道を歩み、独特の言語を形成してきたが、・・・・
**************************

**************************
「はじみに(うちなあぐち版)」冒頭部

沖縄語(うちなあぐち)え大和語(やまとぐち)とぅ元(むとぅ)お一(てぃい)ちやしが、現代日本語とおじまま、あい変とおん。沖縄語おかま昔(んかし)うとおてぃ大和語から分かりてぃ後(あとぅ)、地理的条件とぅかぬたみなかい、古代大和語ぬ名残(なぐ)いん持(む)っちいがしい、独一人(どぅちゅい)歩(あ)っちいし来(ち)ちゃあに、独特な言語、作(ちく)てぃ来(ち)ゃるむんやしが、・・・・・
**************************

108さん
>沖縄方言(琉球語)は広東語等の東南系言語の香りがするよね。

ほんとにそんな「香り」がするんですか??
よろしければ、上に引用した「はじめに/はじみに」の広東語訳をお願いできますか。

110 :106:2001/07/01(日) 02:08
なるほど。確かに日本語と大変近親の言語ということは理解できます。
そういう意味で「同質的」=言語の点で、というのはわかりました。
しかしながら明らかに沖縄3王?の割譲から中山王統一までの文化的交流は中国向きだったのではないでしょうか。
つまり少なくとも薩摩の琉球征服までは、「独自の」政治体制、文化、外交のベクトル(中国向き)
そして国民感情としても「日本とは違う」という事でいいのでしょうか??
その辺の皆さんの意見を伺いたいです。

111 :106:2001/07/01(日) 02:11
割譲じゃない
割拠w

112 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 02:22
沖縄って勝手に移住?出来ないってホント?

113 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 02:23

あ、本土(と言う言い方もあれだけど)から。

114 :106:2001/07/01(日) 02:25
ありえません
冗談やめてw

115 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 03:06
「北海道ウタリ協会加盟者は3万人弱」
とは独立したい人間が3万人もいるということ?
だとしたら、他の都道府県では考えられないのでは?

116 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 03:18
>>115
とりあえずここは「琉球」のスレです。
あまり他へ飛び火はまずい。
あくまで「琉球」という特殊事情でここ(世界史)にあるわけだし。

117 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 03:33
沖縄の人間の意識というのは同租系がどうのと言うより
最初は強制も伴い不可避的に同化を選択せざるを得なかったんじゃないの。
類似している云々はまるで明治政府か江戸幕府の御用学問のようだね。
昔中国と島津だか薩摩だかとの二重支配を受け入れた如く
今でも事実上の日米二重支配を受け入れているのではないかな。
生き残る為の強かな?或いは不可避的な?沖縄外交か?
本質的には宗教や言語等の文化の問題ではないね。
沖縄が生き残る為の術でしょう。
つまり文化的歴史的独自性を意識しつつも、同化を受け入れてきた。
或いは自律的に或いは他律的に。
ただ、将来のことはわからんよ。
神の如く予言はやめた方がイイ。
100年間が簡単に予言できるなら歴史家も政治家も苦労はしないよ。

118 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 04:51
>>117
おいおい…
文化と宗教が違うから独立しろ(住民の意見は無視して)といってたのは
どこのどいつだよ……

119 :かきつばた:2001/07/01(日) 05:33
>最初は強制も伴い不可避的に同化を選択せざるを得なかったんじゃないの。

前近代社会の人々の「世界」といえば、自分の暮らす村に近所の村々、年に何度か年貢の取り立てにくる、どこか遠くにいる領主様、というレベルだった。

沖縄が前近代を脱した時、沖縄の人々が初めて接した 近代的な「国民国家」とは、明治日本だった。これは日本の他の多くの地方と同様。

本土の多くの地方の庶民にとっては、「殿様」や「公方様」が去ったあとに「天子様」が現れ、その「天子様」を擁する政府の統治下ではじめて「国民国家」の「国民」に組織されるという体験をした訳だが、沖縄では「殿様」や「公方様」のかわりに「尚王家」があっただけで、沖縄の人々に対する「日本国民」への組織化は、本土の庶民に対するそれと時間的なずれは殆どない。

明治政府は、多民俗集団・複数民族から社会を「単一・均質の国民」からなる「国民国家」へと組織せねばならぬという課題を負い、「国民意識」の造成につとめた。そのプロセスの過程では、「強制」も、人民の側からの「同化の選択」も当然発生したであろうが、それは沖縄だけに生じた特異現象ではない(純血の越前人が福井弁を聴くことも話すこともできないという事例を>>101で紹介済)。

>類似している云々はまるで明治政府か江戸幕府の御用学問のようだね。

沖縄のことばと本土のことばが似ているのはこの二つが「御用学問(?意味不明)」だからではなく「同祖・同系」だからです。

> ただ、将来のことはわからんよ。神の如く予言はやめた方がイイ。

私もわかりません。ただし「本土との平等・対等を求める沖縄の民意の大勢」をかえるような要素は現状ではみあたりませんから、「沖縄の 独立問題」が「21世紀の極東の小さからぬテーマ(>>90)」になることはないでしょう。「22世紀」、「23世紀」にはどうかわかりませんが・・・。

120 :42=87:2001/07/01(日) 12:38
古代大和語との関連は、沖縄は知らないけど奄美に関してはよくわかる。
古語の名残は多くあるし・・・。
この辺は親父(奄美大島出身)のいうところなので詳しく調べてませんが。

しかし中山王の話のネタはいっぱいあっても統一前の話はあまり見つかりません・・・
「現在・将来の沖縄の独立??」なんてネタより
昔のこと語ろう(T_T)。歴史板なんだから・・・

121 :ヒージャーマン:2001/07/01(日) 12:57
∧_∧  ┌────────────────
( ´∀`)< 沖縄の民意の大勢を「本土との平等・対等を求める」から
(    ) │「独立」へと転換しうる契機とは何か。具体的に提示せよ。
| | | │実際に起こりうる事例を提示せぬ限り、>>74=>>90=>>99
(__)_) │=>>104=>>117の「独立」論は「妄想電波」と認定する。
└ ─────────────

122 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 17:27
>120 そうですね。でも、いろんな意見を真剣に聞けるのも
     ここのスレの良さかなとも思います。

>徳之島と沖永良部で線。ここは琉球王朝の影響力が全然違う。
>完全に沖永良部は文化的に琉球。沖永良部は北山王の重鎮が統
>治していたのだ。ちなみにそれ以北は中山王統一のあと軍隊が
>派遣されたにすぎない。厳密に言えば喜界島までは中山王に征
>服されている。トカラはどうも薩摩と琉球の緩衝地帯だったら
>しい。

そう言う流れがあったんですね。ついつい奄美群島とトカラ列島
の間というイメージが強いですよね。ただ統一前は120さんが
書かれているとうり文献その他の資料が乏しく、人名等のを明ら
かにするのは難しいかと思われます。北山王時代にすでに版図に
入っていたとは。
むか〜し、「琉球三国志」なるゲーム(某SLG様に・笑)とか
出ないかなって思ってました。外国勢力に東南アジア諸国、中国、
日本が絡んだりして(笑)。でも武将(人物)を架空名にするの
は嫌だなと。

123 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 18:15
この板すごいおもしろい。
お勉強になります。
あげあげ

124 :名無し:2001/07/01(日) 19:20
すばらしいすれあげ

125 :かきつばた:2001/07/01(日) 19:21
やっと、世界史板にふさわしいネタで投稿できます。
****************

足利将軍より琉球国王宛国書(1414)

御文くハしく見申候、しん上の物ともたしかにうけとり候ぬ
応永廿一年十一 月廿五日
 りうきう国のよのぬしへ(朱印)

(『元亀二年京大本 運歩色葉集』京都大学国語学国文学研究室編、臨川書店1969)

足利将軍による琉球国王宛書簡の特徴

1.仮名書き
2.御内書様式
3.年号記載
4.印章(有徳鄰)使用
5.宛名に「よのぬし」号を使用

1・5・・東アジア諸国(漢字文化圏諸国)の外交には漢文が遣われ、日本が明に、琉球国が明や他の諸国に国書を送る場合は漢文を用いていましたが、日本から琉球への国書にはかなが、琉球から日本への国書には和様漢文が使用されていたそうです。

3・4は足利将軍が琉球を外交扱い、2は家臣あつかいした型式だとのこと。

126 :名無し:2001/07/01(日) 19:21
あげ

127 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 19:24
>>121
そもそも、沖縄は他の都道府県同様に日本国の一部として平等に扱われて
いるじゃないか。

128 :訂正:2001/07/01(日) 19:26
>>119
>明治政府は、多民俗集団・複数民族から社会を
  ↓              。。。。。
明治政府は多民俗集団・複数民族から構成される社会を

>>125
>3・4は足利将軍が琉球を外交扱い
  ↓          。。
>3・4は足利将軍が琉球を外国扱い

129 :かきつばた:2001/07/01(日) 19:32
>>125
>ということは、異質だった社会をかつては強制的に台湾や韓国同様
>同化政策をとり、 ・・・嘗ては俗に言う植民地政策だ。

北海道や千島・樺太とことなり、国家の手による組織的な「植民」活動は行われませんでしたから、琉球に対して「植民地」と称するのは不適切な呼称です。

それに、「大日本帝国」の領土のうち、朝鮮・台湾は「外地」ともよばれ、別個の法体系が運用され、住民は「内地」の住民とくらべて国民としての権利・義務に制限がありましたが、沖縄は、北海道・樺太・千島とともに本州と同一の法体系のもとにおかれていまました。

それに

130 :42=87=120:2001/07/01(日) 19:33
http://www.edu.city.kyoto.jp/hp/saikyo/okinawa/syousi.html
なんか適当に引いてみたらでてきたのでリンク。

かきつばたさんがあげた「国王」は誰なんでしょうかねぇ。
やはり尚かな。

131 :42=87=120:2001/07/01(日) 19:39
追伸ー
統一以前に「琉球領」なのは徳之島までだった。
失礼。大チョンボ

132 :世界@名無史さん:2001/07/01(日) 22:28
>129
そうでした。「外地」って呼び方があったんですよね。
ただ大正期だったか、内国博覧会(だったかな)において
民族展示なるブースがあり、その地域の人の家と生活様式
を見学させていたと思います。そこに台湾・朝鮮・アイヌ
と共に沖縄も入っていたんじゃなかったでしたか?
ほぼ見世物的扱いだったと言われており、当時の「内地」
側の見方がわかる気がします。

133 :132:2001/07/01(日) 22:35
補注 当然そのブース(家)に家族を開催期間住まわせる形を
   とっていたようです。モデルハウス(家族)ですね。

>125
外国扱い(世の主=王)なのに、国内扱い(仮名交じり文)。
琉球→日本は和様漢文。とても興味深いですね。

134 :しょうがないなー:2001/07/02(月) 06:10
沖縄が独立すべきだとはどこにも書いてないがな。
それに21世紀のテーマに沖縄の位置付けがなると書いたが
独立論がテーマになると書いていないよ。主語をよく読もうね。
深読みしすぎ。
独立論に過剰反応しすぎでは?
常に同化の可能性も指摘しているが?

135 :しょうがないのはおまえだ134:2001/07/02(月) 06:59
いつまで独立云々やってるんだ??
ここは「歴史」スレです。
かきつばた氏もそろそろやめようぜ。

136 :世界@名無史さん:2001/07/02(月) 07:12
植民地だの天皇制だのの概念を厳密に使いすぎるとそれだけでスレ立てなきゃ成らないよ。
現代では植民地を入植のみならず支配占領の対象と使うこともあるよ。
どう言う用語をおのぞみかな?属領?併合?占領?
なんか、方法序説みたいな話になっちゃうね。
では、質問
神社や鳥居に象徴される神道と同一の宗教観に基づいて、
天皇を沖縄は明治期以前にうけいれていないね?
イエスかノーか?

137 :世界@名無史さん:2001/07/02(月) 14:41
確かにそんな言葉の端にこだわるのは詮無い・・・
さて、質問への答え
My Opinion
・・・
受け入れてない、と思います。
明治期以前は。あくまで「よのぬし」=領主。

138 :かきつばた:2001/07/02(月) 15:27
琉球国より日本宛国書(1420)

 ただしこの掲示板では返り点を小さいポイントで表現できないので、( )内にいれた。

畏言上
毎年為(二)御礼(一)、令(二)啓上(一)候間、如レ形奉レ棒(二)折紙(一)候、随而去年進上仕候両船、未(二)下向仕(一)候之間、無(二)御心元(一)存候、以(二)上意(一)目出度帰嶋仕候者所レ仰候、諸事御奉行所ヘ申入候、定可レ有(二)言上(一)候、誠恐誠惶敬白、
   応永廿七年五月六日      代主印

進上 御奉行所 十月到来


**********************
>>136
 → >>76 >>80 >>83を再読。

>守護をよく読もうね。
 → >>74を再読。

139 :42=87=120:2001/07/02(月) 15:41
ふむふむ・・・日本国への国書・・・やっぱりターゲットは将軍かな??
しかしながらかきつばたさん、>>130でも言ったけど1414と1420はめちゃくちゃ年が微妙!
1416〜1429は新中山王尚巴志と北山王の内戦中なのよね・・・
まず「琉球国王」とは誰か?というのが疑問。これは非常に??な点。
そしてこれが多分に「外交戦略的」な意図があるようにも思われ、これを以て「日本の影響力」の明らかな根拠になるのかも疑問。
しかしながら上と違いこちらの方はかなり綿密な研究が必要と思われます。
特に日本政権に来た文章だけでは読みとれず、当時の内戦の状況等を現地の記録から読み取らねばならず・・・
郷土史とかやっていらっしゃる方がいないと・・・
前ももうしましたが私は沖永良部の「和泊町史」しか持ってませんし・・・

私はこれから中山王の統一時代(薩摩の征服まで)の日本政権と琉球政権の外交文書を探して見るつもりですが・・・

140 :かきつばた:2001/07/02(月) 16:48
>そしてこれが多分に「外交戦略的」な意図があるようにも思わ
>れ、これを以て「日本の影響力」の明らかな根拠になるのかも疑問。

東アジア諸国が明の軍事支援を受けようとしたり、しょうもない土地の産物で莫大な中国産品をせしめる場合に、「天子の徳を慕って来朝」したという姿勢を見せ、「臣従のカッコをして冊封を受ける」のが有効でした(というか、明と正式の外交関係を結ぶためにはそのような型式をとるしかありえなかった)。

室町時代の日本は、明の君主を「天子」として中心に据えた当時の東アジア国際関係からは基本的に自らを隔離していましたから、琉球にせよ、その他の国々にせよ、日本と何らかの関係を持とうとする場合には、明の冊封を受けている国同士の関係のようにはいきません。

琉球内の勢力が、室町幕府の日本を利用しよう(関わりを持とう)という場合、「国書」のやりとりを、日本宛には「よのぬし/代主」名義の和様漢文書簡で送り、足利将軍からは「御内書」型式のものを受け取る。足利将軍に派遣した琉球使節には室町御所で「臣属儀礼」を行わせるというのが有効であったから、単にそうしただけ、とも解釈できますね。

141 :世界@名無史さん:2001/07/02(月) 17:50
↑納得、納得!!

142 :42=87=120:2001/07/02(月) 19:03
つまり、日本の方としてはほとんど関心が無かったが、琉球の内部勢力(やはりどこの王かはわかりませんでしたか?)の方から日本と接触を持って利益を得ようとした、という解釈でしょうか。
少なくとも中国もほとんどの朝貢国に対しては「形式上臣従」だけでそれ以外は無関心でしたし。
私もそう思いますが、かきつばたさんの解釈と合致しているのかな??

143 :たいした研究心!:2001/07/02(月) 20:57
但し、朝貢国が即ち中国の皇帝制度や儒教を取り入れたわけではない。
多分に外交政策的なもの。
それを琉球が真似たのでは?
つまり寧ろ中国外交の琉球への影響。

144 :ヒージャーマン:2001/07/03(火) 01:44

 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< >>127 ひとり当たりの米軍基地面積を「全国平均」
(    )  \ 「沖縄県平均」「沖縄以外の全国平均」で対照せよ
 | | |    \_____
 (__)_)

145 :世界@名無史さん:2001/07/03(火) 04:07
御岳は石を並べた単なる礼拝所であって、建築物としての神社とは違うよ。
単なる自然信仰としての神社の源となった森や山などの自然の場
そのもののことだとしたら
今はそれをだけで神社とは呼ばないよ。

146 :世界@名無史さん:2001/07/03(火) 04:49
>>144 「ちゅらさん」見てますね(笑)。ゴーヤーマンとマンつながり。
    ヒージャー=山羊でしたっけ?

    「沖縄県平均」>「全国平均」>「沖縄以外の全国平均」
    といったところじゃないかな。

ヒージャーマンさん に質問。「球陽」「歴代宝案」「おもろそうし」
「琉球家譜」の編纂年を教えてください

147 :世界@名無史さん:2001/07/03(火) 15:16
>102 かきつばた様
当時の復帰派と独立派の争いは歴史から抹殺されたのでしょうか。
あれほど大々的に論争が巻き起こったのに。

148 :かきつばた:2001/07/03(火) 18:25
142
>私もそう思いますが、かきつばたさんの解釈と合致しているのかな??

はい、合致してます。日本に臣従の姿勢を示してみせた隣国といえば、平安時代の渤海国もそうでした。しかしかの国のこの姿勢を根拠として日本が旧満州・沿海州を「支配」していたとか、「領土」にしていたとはいわない。

琉球が本土勢力の支配下にはいったと、誰の解釈の紛れもなくいえるようになるのは、薩摩による侵攻以降だと思います。

************
>>145
私も>>83で別個の宗教だと述べています。

***********
>>147
>あれほど大々的に論争が巻き起こったのに。

沖縄選出の国会議員とか沖縄県議会の中には、「大々的な論争」 の痕跡は現在は全くないですね。「当時の状況」がいかに「大々的」であったかについて具体的に知ることのできる新聞・雑誌の記事など、なにかソースをご紹介いただけると幸甚にぞんじます。

149 :世界@名無史さん:2001/07/03(火) 20:08
渤海が日本に臣従の意志を見せたのだって
貿易上の利益とか新羅牽制のために必要だったから、
という面があっただろうわけだし。
琉球の日本外交も同じように評価できるわけか。

150 :かきつばた:2001/07/03(火) 23:37
全近代東アジア国際関係における国家間の「臣属」関係の常として、「臣従」した側の国がしょうもない自国産品を「貢物」として「献上」するのに対し、遙かに値打ちのある「回賜」を行わなければならない。渤海の遣日本使のしばしばの来航に対し、平安日本側では音を上げて、インターバルをもっとあけるよう申しいれたそうな。

日琉関係は、琉球に薩摩の支配が確立されて以降、このようなほのぼのとした関係から、日本(直接には薩摩)の琉球に対する搾取体制へと質的に大変化を来したといえます。

151 :世界@名無史さん:2001/07/03(火) 23:46
>>150
足利義満のときの勘合貿易でもなにやら似た話がありましたな。

152 :世界@名無史さん:2001/07/04(水) 05:41
沖縄はいろいろな地域の文化の影響を受けながらも
独自の文化を形成してきたでいいんじゃないの。
舞踊などはインドネシアからとも、、、。墓の形は中国とも、、。
胡弓もあったらしい。木綿は薩摩からとも。
でも、やはり明の影響は大きかったようだね。
ところで、サツマイモが主食だったってほんと?

153 :142:2001/07/04(水) 06:16
対飢饉として有効でしたがかなり生活に浸透していたのでは??
少なくとも沖縄>鹿児島>日本てのは常識ですがね・・・
鹿児島では「からいも」っていうんだよー

154 :世界@名無史さん:2001/07/04(水) 06:51
からいも・・・か〜。他地域は焼き芋とかって「べにあずま」のような
赤い芋が中心だけど、鹿児島は「黄金千貫」っていう黄色い芋が中心。

渤海が日本に朝貢していたって初めて知った!!
勉強になったage

155 :世界@名無史さん:2001/07/04(水) 07:34
確かに源氏物語かなんかで渤海の占い師が源氏の将来を占っていた様なきが・・・

156 :世界@名無史さん:2001/07/04(水) 21:56
>>151
それは日本→明、それとも琉球→日本ですか?

157 :151:2001/07/04(水) 22:04
>>156
日本→明っス。義満っておっさんは、ずいぶんしたたかだったよう
ですから。勘合貿易でガッポガッポ儲けていたらしいです。そして
ついには明側から「頼むからもうちょっと間を空けて来てくれ」と
泣きつかれたそうです。

158 :世界@名無史さん:2001/07/04(水) 22:30
↑それでいくと、琉球→明はじめ、ほとんどの朝貢国側が
有利な形になる。
基本的に、中国側は頂点に立っているという前提があり、
その威信を見せなくてはいけなかった訳ですからね。

159 :151:2001/07/05(木) 02:52
>>157に追加。
義満がおっ死ぬと(一説によれば暗殺)、生前から険悪な仲だった息子の義持は、
親父への対抗意識からか「朝貢形式の貿易は屈辱的」として勘合貿易を中止
しちゃいました。ですがその義持が死ぬとあっという間に勘合貿易は復活。
それくらいオイシイ貿易だったようです。ちなみに義持在位約30年間は、財政
は逼迫しっぱなしでした。(笑

160 :世界@名無史さん:2001/07/05(木) 02:58

      ___
      「_ 」 日本と同じ主権国家として
     ( ´∀`)   明に使いを出しておりましたが、
    /     ̄ ̄|    小国故の苦労も沢山ありました。
  /  |     |_」  それも今は昔の話。我が子孫は魂を売り
  |__|    |      名前を訓読みにし、皇族ならぬ大名家と
     |_____|       縁を結んでしまいました。
      (_)(_)
御主加奈志前

161 :世界@名無史さん:2001/07/06(金) 16:33
渤海と琉球とは関係がなかったんですか。
周辺諸国との関係をしりたいですね。

162 :世界@名無史さん:2001/07/06(金) 18:17
>>161
渤海(698−926)と
舜天王の建国から数えるとしても
12世紀の末まで国家らしい国家の起源が遡れない琉球とじゃ
国際関係らしい関係なんて持てないよ…。

でも確か、朝鮮王国やマラッカ王国まで
琉球の貿易船と使節が行ってたんだよね。

163 :世界@名無史さん:2001/07/08(日) 12:49
>>162
そうそう、東南アジア諸国との通交があったってことは
よく出るよね。ただ、中国等の東アジアと違い、本当に
漢文でやり取りしていたのか不思議。今のイメージでは、
イスラム国家で漢字とは無縁ってかんじだから。

164 :名無しさん:2001/07/08(日) 13:10
>>160
おおっ!尚モナー王殿下だ!
琉球王国は李モナー王の朝鮮に朝貢していたと言う話を聞いたのですが、
本当ですか?

165 :陛下:2001/07/08(日) 13:57
      ___
      「_ 」
     ( ´∀`)     知っている方がいたのですね?
    /     ̄ ̄|    しかし「陛下」です、あしからず(笑)
  /  |     |_」    
  |__|    |      朝鮮とは関係はありましたが
     |_____|        「朝貢」関係ではありません。
      (_)(_)
     御主加奈志前

166 :アマノウヅメ:2001/07/08(日) 14:06
>>155
臣下の子に扮した幼い源氏の人相を見て、君主にすれば国が乱れるが
君主を補佐する人ではない、と不思議がったのは高麗の「相者」です。

末摘花の父の形見のかわごろも(毛皮のコート)は、渤海製ですが。

167 :世界@名無史さん:2001/07/09(月) 16:46
>166
なかなか渤海と言う「国」として印象を受ける
出来事や関係を知る機会は少ないと思われ。

168 :世界@名無史さん:2001/07/16(月) 09:57
琉球自体が、ハブの役目を担っていた点はその地理関係から
理解しやすいのですが、朝貢国として独自の特産物(?)は
あったのでしょうか?それとも貿易で得た海外製品だったの
でしょうか?

169 :しょう:2001/07/17(火) 02:37
世界史にも琉球・沖縄の話題があるのには気がつきませんでした。

>世界@名無史さん
>尚家のことになるであろうが、あいつらは沖縄のために何かいま活動しているのか?
目だっていないだけで、それなりに活動をしていますよ。

>政治をしろとはいわんが、文化財の保護くらいもっと積極的にやったってよかろうに。
尚泰以下の人々では旧互選貴族院議員に尚順さん、尚琳さん
首里市長・県議会議員をつとめた尚秀さん、副知事に尚弘子さんらがおり
現在知事の側近にも尚諭さんがいて政治的な働きもしています。
御殿家(王子・按司家)を出自とする方々を含めれば、
県会議員に高嶺朝教さん、伊江朝助さん
立法院議員に護得久朝章さん
衆議院議員に高嶺朝教(前出)さん、護得久朝惟さん
互選の貴族院議員に伊江朝助(前出)さん
国務大臣に伊江朝雄さんらがおります。

文化財の保護ももちろん行っております。

170 :しょう:2001/07/17(火) 02:44
>世界@名無史さん
>現在住んでる品川区(?)かどっかに
>家宝を寄贈しようとしてどうのこうのって言われてたことが
>あったと記憶しているが。
品川区ではなく台東区でしたが、結果はすべて県や各市町村へ、
すべて譲渡されました。
このたび世界遺産に登録された玉陵や識名園もそのなかの一つです。

>ただ最後の王・尚泰とその嫡男(王子)の代までは葬式もそ
>れなりの規模と格式で行われ、市民の参列があったんじゃな
>かったかな。
尚泰・尚典さんの葬儀は沖縄で行われ、規模も大きく盛大なものでした。
尚昌さんの葬儀についての詳細はわかりませんが、
墓所は東京となっています。
尚裕さんの葬儀は本葬は東京で行われましたが、
沖縄でも那覇市民会館で行われ、多数の列席がありました。

171 :しょう:2001/07/17(火) 02:52
>アマノウヅメさん
>沖縄出身で中山さんていう人がいたら王族。
>王族以外は「中」の字は使えなかったからね。
そんなことはありません。
いわゆる現在の和名では、王族は基本的に「尚」を名乗ります。
なお尚泰さん以下の尚典・尚寅・尚順・尚光・尚時の系統が
現在「尚」を名乗っています。

王子家では「伊江」「金武」「名護」「羽地」
などの間切名を現在の和名として用いています。

ただ「中」ではなく、「中城」の使用はある次期からできませんでした。
それは世子の采地が中城であったため、
これと同名を忌避するという理由で「中城」は使用されていません。

172 :しょう:2001/07/17(火) 02:59
>世界@名無史さん
>昭和35年の沖縄返還を機に、尚一族の数名が那覇に戻って住んでおられる。
ここの一文はすべて正しくありません。
沖縄返還は昭和47年で、東京を離れることが許されなかったのは
尚泰さんだけで、尚典さんは沖縄で亡くなっています。
また尚寅・尚順さんは置県後しばらくして居を沖縄に移しています。
のちに尚秀さんも移りました。

173 :しょう:2001/07/17(火) 03:53
172の引用文の元記事拝見しました。
http://village.infoweb.ne.jp/~bbf/3hp032.html
明らかな誤りの3点についてに訂正しておきます。

>尚王朝だけでも15代続いている。
最後の第二尚氏王統だけでも19代続いており、
第一尚氏を加えると26代続いたことになります。

>日本の属国になってからの尚王家は、幕府の政策によって琉球に住むことを禁じられ、江戸に住むよう命じられた。
東京へと居を移すよう命じられたのはそれこそ琉球処分のときで、
その間誰一人として東京(江戸)に移った王はいません。

>沖縄の若者に第15代琉球王尚真のことを訊ねても-中略-
>「さぁ?分かりません」という人が殆どである。
最後の王が19代ということは先に触れましたが、
それは尚泰王で、尚真王は3代王です。

174 :かきつばた:2001/07/17(火) 10:13
>>169-173

あがー、関係者さんの書き込みだぁ!
これからも、お願いしますねー。

175 :アマノウヅメ:2001/07/17(火) 12:51
>>171
私はそのような書き込みをした覚えはありませんが。
家宝を寄付するのなら現在の居住地でなくて沖縄県にすべきだと
言ったのは私です。

176 :しょう:2001/07/17(火) 13:01
>アマノウヅメ
申し訳ございません、引用を誤ってしまいました。

他意はありませんのでご宥恕下さい。m(__)m

177 :アマノウヅメ:2001/07/17(火) 14:04
>>176
お気に為されません様。
レス番号の間違いなら私もしょっちゅうやってますから。

178 :世界@名無史さん:2001/07/17(火) 14:18
琉球には中世の日本の倭冦みたいに東シナ海で暴れ回る
海賊集団とかはいなかったのですか?

179 :世界@名無史さん:2001/07/17(火) 18:31
おぉ〜、しょうさん登場で、より一層「ためになる」スレ化が進行!
期待増大です!!

180 :世界@名無史さん:2001/07/18(水) 13:00
>178
根拠地の1つだったのでしたっけ?

181 :しょう:2001/07/18(水) 22:51
>178世界@名無史さん
>琉球には中世の日本の倭冦みたいに東シナ海で暴れ回る
>海賊集団とかはいなかったのですか?
私の浅学からかもしれませんが、そのような事は聞いたことがありません。

>180世界@名無史さん
>根拠地の1つだったのでしたっけ?
それは違います。
琉球船は倭寇を攻撃し、捕虜となっていた朝鮮人を解放し、
保護・帰国させ、朝鮮国王から歓迎・返礼をうけています。
また倭寇の跋扈により海路を閉ざされていた朝鮮は、
琉球のすぐれた造船技術をみとめ、琉球の船大工・吾甫也古を朝鮮に招聘し、
その技術から同型艦を製造し、倭寇対策を行っています。

確かに後期倭寇と関係があった云々という説もありますが、
支持は得られておらず、私もそれはどうかと考えています。
すくなくとも根拠地の1つということはないでしょう。

182 :しょう:2001/07/18(水) 22:56
一番肝心なはずの
>1尚モナー王さん
へのレスが遅れていました。

日本史板の琉球関係スレッドです。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=994920665
まぁそれほど濃い内容ではありませんが。

あと過去ログとなっていますが、ニュース議論板のものです。
http://kaba.2ch.net/news2/kako/991/991397822.html
最後あたりが私の書込となります。

183 :しょう:2001/07/20(金) 12:11
以下可能な限り、比較的新しい疑問・誤りに対して。

>168世界@名無史
>朝貢国として独自の特産物(?)はあったのでしょうか?
>それとも貿易で得た海外製品だったのでしょうか?
時代によって変わってきていますが、貿易で得た海外製品はもちろん含まれます。
それ以外の独自の特産物には
馬や硫黄(両方とも軍事への転用。もちろん硫黄は火薬の原材料として)
ヤコウガイやタカラガイ(内殻に独特の光沢があるため、工芸品の原材料)
などがあります。

「貿易で得た海外製品」には無論日本から得たものも含まれます。

184 :しょう:2001/07/20(金) 12:23
>162世界@名無史さん
>でも確か、朝鮮王国やマラッカ王国まで
>琉球の貿易船と使節が行ってたんだよね。
記録に残されておりハッキリしているものだけで
シャム(タイ)、ジャワ・スンダ・パレンパン(インドネシア)、
アンナン(ヴェトナム)、ルソン(フィリピン)、マラッカ(マレーシア)
などの諸国と交易があったことがみとめられています。

185 :しょう:2001/07/20(金) 12:29
>160世界@名無史さん
>我が子孫は魂を売り名前を訓読みにし、
たしかに昌さんや彦さんあたりで音読みは最後になっていますが、
それでも強引に和名を名乗らされなかっただけ良いと思っています。

天皇家が日本で唯一苗字を持たない家であれば、
尚家は和名を持っていない家ですからね。

186 :しょう:2001/07/20(金) 12:57
>152世界@名無史さん
>舞踊などはインドネシアからとも、、、。墓の形は中国とも、、。
>胡弓もあったらしい。木綿は薩摩からとも。
舞踊については憚りますが、
墓の形とくに亀甲墓についてはやはり中国がルーツとみられます。
胡弓についてはもともと中国と同型が使用されていましたが、
つい最近(と言っても大正期以降)独自の改良が加えられ、
現在使用されているものは中国のソレとはイコールのものではありません。
木綿についてはまぁ薩摩からになりますが、薩摩の人が伝播させたのではなく、
麻平衡(儀間親方真常)が上国のおり持ち帰って栽培し、
ちょうど薩摩から琉球にきていた女性に織り方を学び、以後普及をみました。

>ところで、サツマイモが主食だったってほんと?
すくなくとも王朝時代には、
いわゆるサツマイモは農民しか食さなかったようですね。
名前は失念しましたが、ある冊封使が滞在しているときに、
なぜイモを食べないのかと琉球の官吏にたずねたところ、
「そんなものは下賎の食べるものだ」
という旨の発言をしたことが、その冊封使の記録した文書に見えます。

なお続いて153さんも触れていますが、
いわゆる「サツマイモ(以降蕃薯)」は琉球をへて日本に伝わったのですが、
この蕃薯を琉球国内でひろめた功労者は、
先の木綿の話でもでてきた麻平衡(儀間親方真常)でした。
(ただし琉球へ蕃薯を持ち込んだのは總管野国です)
彼は産業界の先人・偉人として琉球の五偉人に数えられています。

187 :かきつばた:2001/07/20(金) 13:10
>しょう 様

琉球王朝と近隣諸国が国書を交換する際の書式について
ご紹介いただけますと、幸甚に存じます。

188 :しょう:2001/07/20(金) 13:47
>148かきつばたさん
>沖縄選出の国会議員とか沖縄県議会の中には、「大々的な論争」 の痕跡は現在は全くないですね。
>「当時の状況」がいかに「大々的」であったかについて具体的に知ることのできる新聞・雑誌の記事など、
>なにかソースをご紹介いただけると幸甚にぞんじます。
ちょっとソース検索がまだできていませんが、
復帰派や独立派に分かれての論争があったのは事実です。
共産党なんかは独立にむけてのメッセージもだしていたはずです。
(まぁ徳田球一なんかがいましたからね)
なにぶん「大々的」だったかどうかは私は時代を生きていなかったのでわかりません。

ソースは引き続き探してみます。

189 :しょう:2001/07/20(金) 13:59
>187かきつばた
>琉球王朝と近隣諸国が国書を交換する際の書式について
>ご紹介いただけますと、幸甚に存じます。
行き違いの書き込みだったようですね(^^;

近隣諸国との外交文書はすべて漢文が用いられていますよ。
日本に対しては次期により候文体も用いられています。

190 :世界@名無史さん:2001/07/21(土) 23:23
継続希望

191 :世界@名無史さん:2001/07/22(日) 03:15
門中とか門中墓とか、とても日本の一部とは思えないのですが・・

192 :海賊好き:2001/07/22(日) 03:22
図説世界史の地図見ると、倭冦の侵入範囲に明、朝鮮、ベトナム北部だけでなく琉球も入っているのですが、
やはり、かなり荒らされたのでしょうか。

193 :世界@名無史さん :2001/07/22(日) 16:05
 歴代法案は疎開がなされず、戦災の中で失われたものだと私は思いこんでいた
のですが、実は国頭郡の方に移されていたようですね。ちり紙などとして使用
され消滅したと聞きました。どうしてこんなことになったのでしょうか。

194 ::2001/07/23(月) 20:18
>>182

195 :尚モナー王:2001/07/23(月) 20:30
↑ミス

>>182
わざわざレスありがとうございます。日本史板のにもあったのですね
関連スレが。失礼しました。
ただ、日本史として捉えるだけでは本来琉球の持つ独自性が鮮明にな
らず、その歴史のダイナミズムも議論しずらいと考え、あえて世界史
板のいスレを立てた理由です。
幸いにも様々な方の書き込みによって想像していた以上に中身がある、
有意義なスレに育っているのではと思います。

今後とも、しょうさん、他の方も含め、よい形で意見情報を交換しあ
っていければと思います。宜しくお願いします。

196 :しょう:2001/07/25(水) 12:40
>>191
>世界@名無史さん
>門中とか門中墓とか、とても日本の一部とは思えないのですが・・
まぁ異なる部分があって当然です。
琉球が日本国に名実ともに統治されてからまだ100年も経ちませんからね。
これで慣習や文化が同一であれば、そのほうがおかしいというものです。

197 :しょう:2001/07/25(水) 13:14
>>192
>海賊好きさん
>図説世界史の地図見ると、倭冦の侵入範囲に明、朝鮮、ベトナム北部だけでなく琉球も入っているのですが、
やはり、かなり荒らされたのでしょうか。
倭寇関係は正直あまり詳しくはありませんが、
他国に比較して荒らされていなかったことが予想されます。

すでに181でも触れていますが、その頃の琉球の戦闘能力は高く、
倭寇によって捕虜にされていた朝鮮人を帰郷させていたり、
軍事技術(造船技術)の輸出も行っています。

また那覇港にも倭寇の侵入があったようですが、
那覇港には北と南に三重城(ミーグシク)と屋良座森城(ヤラザムイグシク)という両砦が、
天然の防御壁であるリーフの力もあり高い防御力を保持していて、
倭寇を撃退しています。

この両砦+リーフによって守られた那覇港の防御力はかなりのもので、
のちの1609年の薩摩軍は、この防御力をおそれ那覇港からの侵入を避けています。

198 :しょう:2001/07/25(水) 13:37
>>193
>世界@名無史さん
ただの変換ミスとはわかっていますが、知らない方のために。
『歴代法案』ではなく『歴代宝案』です。

ご指摘の通り『歴代宝案』は国頭地方へと移されましたが、
「戦火」は避けられたものの、「戦禍」は避けられずに
ちり紙として使用されてしまったようです。
しかし全てが失われてしまったわけではありません。

以下は『歴代宝案』について簡単にまとめられているページです
http://village.infoweb.ne.jp/~fvgm0090/kennkyuukai/121kai/121kai-1.htm

199 :しょう:2001/07/25(水) 13:43
>>195
>尚モナー王さん
私もこのスレッドを世界史に立てた意義は大きいと思います。
やはり日本史の範疇に組み込むのには多少無理がありますからね。

これからも有意義な議論と知識の提供・享受ができれば幸いです。

200 :しょう:2001/07/26(木) 12:49
>>146
>世界@名無史さん
>「球陽」「歴代宝案」「おもろそうし」
>「琉球家譜」の編纂年を教えてください
まだ回答がなされていないようなので。
その前に一応入力ミスの訂正をしておきます。
『おもろそうし』→『おもろさうし』。

『球陽』・・・初回編纂開始が1743年で、初回編纂終了は1745年。最終記載年は1876年です。
『歴代宝案』・・・1集が1697年、2集が1729年と1858年の2度編纂、3集は1867年以降の編纂です。
『おもろさうし』・・・1巻が1531年、2巻が1613年、3〜22巻は1623年とみられています。
家譜・・・1650年には一部の士族で、1689年には全ての士族層に家譜の編纂が命じられています。

201 :タイガー徳田はみかんもらわないヨ!:2001/07/29(日) 12:24
わたつみの宮は、古琉球(龍宮)?

玉依姫、豊玉姫はうちなんちゅう?

鵜の産屋や赤子に蟹を這わすのは琉球習俗という伊波の指摘は本当?

202 :世界@名無史さん:2001/08/02(木) 19:10
素朴な疑問なんですが、琉球の五偉人って誰なんですか、
教えていただけると嬉しいです。

203 :世界@名無史さん :2001/08/02(木) 19:32
スレタイトルハイロウズみたい・・・

204 :世界@名無史さん:2001/08/02(木) 21:29
琉球も明・清に事大主義(朝貢外交)をしましたが、琉球はその豊かな産物ゆえに李氏朝鮮より常に格上に扱われていたそうです。
そのことは李王朝のプレッシャーになっていました。

205 :世界@名無史さん:2001/08/03(金) 17:18
それは知りませんでした.
さすがに、南の小さな(それも当時としてはまだ
新興国)琉球よりという意識はあったのでしょうね。

206 :世界@名無史さん:2001/08/06(月) 19:13
ageてもいいですか

207 :尚モナー王:2001/08/07(火) 17:03
暑中御見舞い申しageます。

夏と言えば沖縄・・・、などとミーハーな感覚に
流されず(笑)、やっていきましょう。

しょうさんの登場で、ちょっと尚モナー王の「尚」
を使うのが憚れる気がしますが、許して下さい!

208 :さいたまkitty:2001/08/08(水) 00:53
昔読んだ本で、琉球人が外国でどう見られていたか、について書いた本があったんですが、
東南アジアでは、琉球人と日本人は区別されていたようです。
当時東南アジアに進出していたポルトガル人は「レキオ」と呼んでいたようですが(そういう名前の雑誌があったような記憶がある)。
彼らによると、琉球人の評判は、
「高貴で礼儀正しいが、商売相手の契約不履行に対しては、刀(日本刀のようです)を突きつけてでも取り立てる」
というものだったようです。

倭寇全盛期だった日本人の評判が
「八幡大菩薩のむしろ旗をおったてた船に乗っている、野蛮で小汚い獰猛な連中」
というものだったのとは対象的だった、とその本には書いてあったような記憶があります。

209 :世界@名無史さん:2001/08/09(木) 13:58
あげ

210 :世界@名無史さん:2001/08/09(木) 15:28
age

211 :世界@名無史さん:2001/08/10(金) 02:18
おお、結構ageが続いていますねぇ〜
わたしも密かに続行楽しみなんですけどしょうさん最近見えませんね。

212 :しょう:2001/08/11(土) 12:39
>>201
さて、どうでしょうか。
すくなくとも『球陽』では文字は1186年以前は無かったと伝えています。
もし玉依姫、豊玉姫が琉球人であれば、名前も不伝なはずです。
琉球最初の王統である天孫氏王統でも、25代続いたとはありますが、
その名は不伝です。

あと伊波普猷先生の指摘については私の浅学から何のコメントもできません。

213 :しょう:2001/08/11(土) 12:57
>>202
以下にその名と理由を簡単に列挙します。

麻平衡(儀間親方真常) 木綿や糖、イモの伝播を行い産業の礎を築いた。
向象賢(羽地王子朝秀) 政と祀の分離をはじめさまざまな改革を行った。彼の改革以前の時代を古琉球という。
程順則(名護親方寵文) 学問の普及をはかった。『六諭衍議』の輸入を行い日本の教育にも多大な影響を与えた。
蔡温(具志頭親方文若) あらゆる改革を遂行し、後の世に「三司官は4人いる」といわしめた政治家。
向有恒(宜湾親方朝保) 琉球処分という一大転換期の三司官として著名。秀逸の歌人でもあった。

214 :しょう:2001/08/11(土) 13:05
>>204
>>205
そうですね、中国皇帝が与える皮弁冠で格付けがわかりますが、
朝鮮より琉球のほうが上位の格となっています。

215 :世界@名無史さん:2001/08/11(土) 13:09
天孫氏←この名前なんかいいなー。読みはわかっていないのかな?

216 :しょう:2001/08/11(土) 13:13
>>208
その本とはトメ・ピレスの『東方諸国記』ではないでしょうか。
当然その時代は日本人と琉球人は区別されています。
「レキオ」はポルトガル人による琉球の呼称で、
その呼称は琉球新報の週間『レキオ』としても生き続けています。

217 :しょう:2001/08/11(土) 13:17
>>215
天孫氏はもはや現代では「てんそんし」と発声しています。
残念ですが本来の発声は失われてしまっているようです。

最近では「チフィジン」も「きこえおおきみ」が一般化していますからね、
悲しい限りです。
(漢字表記では「聞得大君」)

218 :しょう:2001/08/11(土) 13:30
せっかくですから前述『東方諸国記』からの引用。

「マラヨ(マレー)人はマラカの人々に対し、ポルトガル人とレキオ人との間には何の相違もな
 いが、ポルトガル人は婦人を買い、レキオ人はそれをしないだけであると語っている。」

「われわれの諸王国でミラン(ミラノ)について語るように、シナ人やその他のすべての国民は
 レキオ人について語る。かれらは正直な人間で、奴隷を買わないし、たとえ全世界とひきかえ
 でも自分たちの同胞を売るようなことはしない。かれらはこれについては死を賭ける。」

「シナ人よりもよい服装をしており、気位が高い。」

「レキオ人は自分の商品を自由に掛け売りする。そして代金を受け取る際に、もし人がか
 れらを欺いたとしたら、かれらは剣を手にして代金を取り立てる。」

219 :世界@名無史さん:2001/08/14(火) 02:39
天孫氏に姓はあるのですか?

220 :かきつばた:2001/08/14(火) 05:06
>「かれらは剣を手にして代金を取り立てる。」

『東方諸国記』はいつごろ成立の史料でしょうか。
琉球の人たちは、いつから「平和を愛する諸国民の正義と公正に信頼して、我
らの安全を保持しようと決意した」みたいなことをやりはじめるんですか。

武装解除は本国だけで、海外渡航者は武装を継続していたんでしょうか。

221 :しょう:2001/08/15(水) 19:39
>>219
いえ天孫氏には姓はありません。

>>220
『東方諸国記』は1512-1515年に著されたものです。
禁武政策が最初に行われたのは尚真王代(1477-1526)ですが、
この頃は日常携帯を禁止するにとどまったようで、
1534年に来琉した冊封使の記録には、武器についての記述もあり、
武備が整っていたことがわかっています。
(実際に尚清王代に大島の征討を行っていますし)

しかし1606年に訪れた冊封使の記録には、あまりの武器のなさに驚き、
彼があわてて武器を用意させたとあります。
1534-1606年の間に大がかりな武器の撤廃を行ったことがわかります。

あとご指摘のように海外渡航に際しては武装を継続しています。

222 :世界@名無史さん:2001/08/15(水) 20:02
統一以降、宮古・八重山方面、奄美方面と外征がなされますが、
その時の征討指揮官と迎え撃つ当地の土着勢力の頭目等の名称
は資料に残されているのでしょうか?
宮古の何とかアカハチ(忘れてすいません)ぐらいしか聞いた
ことがないのですが・・・。

223 :あやめ:2001/08/16(木) 19:50
尚眞の治世の八重山征伐は日本の明應九年のことで、そもそもの事端は
八重山の堀川原赤蜂と宮古の仲宗根玄雅との抗争に発したものです。
「球陽」では堀川原赤蜂は一人の人物のように書かれていますが、実は
石垣のオヤケ-アカハチと八重山のホンガワラの2人のようです。
それ以前はこれら先島は首里に服属してたのですが、赤蜂は進貢を怠り
宮古への攻勢を示すに至って、仲宗根方は首里へ急を告げましたので、
中山王は八重山征討に決し戦船46隻に3千の兵を載せ、大里ら9将が
これを率いて仲宗根勢と共に石垣・登野城・新河等に上陸して、赤蜂勢と
戦って遂にこれを虜にしました。このとき戦功を賞された中に久米島の
女巫の君南風(キンハエ)のように女性の身で従軍し、筏に炬火を点じて
流す疑兵の策を献じ八重山方を混乱に陥れた者もおります。
ところで最近になって韓国の学者がアカハチは朝鮮の伝説的英雄である
洪吉童と同一人物だという説を提唱しているそうです。
琉球本島においてもそれまで各地の城(グスク)に按司(アジ)が割拠し、
ややもすれば志魯・布里・護佐丸・阿麻和利のように反乱を起こす傾向が
ありましたが、尚眞の時代には按司全員を首里に集住させ位階制により
組織化し、また久米島や与那国をも征討し琉球全土の実効支配に成功し
ました。
奄美に対する軍事行動としては尚徳の文正元年の喜界島の親征、尚清の
天文六年の大島征討があります。ただし琉球史料と奄美史料ではかなり
相異があり、「中山世譜」では與湾大親という者が叛情を讒言されて、
罪なくして討たれたものと伝えており、「奄美大島史」では伊鬼與穂之
兵屋・與見之知鬼與の兄弟が、屋喜内の名柄八丸と共に中山への貢物を
略奪するので、芝為宗という者が首里にこれを訴えたので尚清は征討の
命を下し、金武按司の尚朝を主将とし摩文仁を副将として大島に討入り
これを平定したとしています。

224 :222:2001/08/17(金) 13:00
>>223
非常に勉強になりました。
なかなか既存の資料・出版物でわからない部分なので
助かりました。

ありがとうございました!

225 :世界@名無史さん:2001/08/18(土) 20:59
琉球三国志をコーエーにつくってもらいますか(笑)?!
八重山=孟獲、奄美=公孫淵みたいな。

226 :しょう:2001/08/19(日) 13:06
>>222
すでにあやめさんの回答も出ているようですが、以下補足と訂正を。

征討指揮官と土着勢力の頭目についてですが、『球陽』をはじめ諸家譜や、
『八重山島年来記』『八重山島大阿母由来記』等に残されています。

227 :しょう:2001/08/19(日) 13:09
>>222
オヤケアカハチ・ホンガワラに関することは、
以前別スレにて触れているので、そこを紹介しておきます。

http://kaba.2ch.net/news2/kako/991/991397822.html
ここの158以降のレスが該当レスです。

228 :しょう:2001/08/19(日) 13:24
オヤケアカハチ・ホンガワラを首魁とするこの蜂起は、
実はまだ不明点がおおく、定説がないのです。
なにせ一人なのか二人なのかもわかっていない状態ですから。

史料でも一人と二人を示すもので分かれています。
『球陽』では<遠弥計赤蜂保武川>
『八重山島年来記』では<赤蜂><堀川原>
『八重山島大阿母由来記』では<おやけ赤発><ふんがわら>
(「ホンガワラ」は尊称とみなす一人説もあり)

229 :しょう:2001/08/19(日) 14:15
>>223

>ややもすれば志魯・布里・護佐丸・阿麻和利のように反乱を起こす傾向が
>ありましたが
志魯・布里の争いは王位継承を巡っての内部抗争ですから、
反乱というのはどうかと思います。

また奄美地方に対する征討は何度かあるのですが、
喜界島については回数不明で、
奄美大島に対しては2回・あるいは3回の征討が行われたとされています。

『球陽』では1537年、1571年の2回、
奄美の家譜などでは嘉靖年間(1537-1566)にあと一回島大阿母由来記』等に残されています。
1537年を第一次、奄美家譜のものを第二次、1571年を第三次征討とすると、
あやめさんが挙げている與湾大親讒訴のものが第一次、
伊鬼與穂之兵屋・與見之知鬼與の兄弟の乱が第二次征討となります。
『奄美大島史』は家譜の記述を無批判で収録しているため、3回となっています。

該当家譜の記録はその出自の部分は、明らかに『中山世鑑』の写しであり、
信頼できるものではありません。
大将とされる尚朝(金武按司)という人物もそうですが、
彼の記録は『球陽』はもちろん『王代記』や家譜にも見出せません。
だいたい按司位の人物は尚姓ではありません。
(しかも征討の時代には向姓でもない)

それでも真境名安興先生などは尚朝栄(大里王子)と尚享仁(金武王子)を取り違え、
「栄」の文字が欠して、位階も間違えたのではないかと、
かなり好意的に解釈してはいますが、これには簡単に頷くことができません。

芝家や師玉家(芝家から養子をもらい存続している)が、
一門にハクをつけるために捏造したものではないかという見解があります。

230 :しょう:2001/08/19(日) 14:21
訂正

>奄美の家譜などでは嘉靖年間(1537-1566)にあと一回島大阿母由来記』等に残されています。

奄美の家譜などでは嘉靖年間(1537-1566)にあと一回の征討記録が残されています。

231 :あやめ:2001/08/19(日) 17:24
>しょうさん
たいへん勉強になりました、ありがとう、これからも御教示ください

232 :あやめ:2001/08/19(日) 17:33
つい先日のことですが小葉田淳先生が高齢で亡くなられました。先生は現在は
鉱山史の泰斗として知られていますが、台北大学教授当時に琉球と南方圏との
交流の歴史の研究に先鞭をつけられました。先生の業績は現在の沖縄史学界で
どのような評価をされているのでしょうか?

233 :名無しさん:2001/08/20(月) 21:33
☆歴代宝案
://www.media.osaka-cu.ac.jp/~sibayama/rekidai1.html
>この「宝案」史料を利用して小葉田淳著『中世南島通交貿易史の研究』、
>伊藤忠太・鎌倉芳太郎著『南海古陶瓷』、秋山謙蔵著『日支交渉史研究』、
>東恩納寛惇著『黎明期の海外交渉史』、安里延著『日本南方発展史』といった
>多くの研究成果が刊行されている。

>「台湾」:「台湾大学本」計249巻。
>台湾大学本は1935(昭和10)年台北帝国大学の小葉田淳助教授(現京大名誉教授)が沖縄を訪れ、
>久場政盛氏に筆写を依頼して作成させた旧台北帝国大学蔵本で、
>現在は台湾大学研究図書館に所蔵されている。

写本が台湾に残った事で
戦災から免れる事が出来、のちの研究に大きな貢献となった...

うーむ...うまく言えないケド
「戦前の沖縄の泡盛の黒麹菌を保存した東京大学の故・坂口謹一郎教授」を連想したよ(^^;)

234 :世界@名無史さん:2001/08/22(水) 11:19
昔、琉球王国は、どうやって平和を守ったか。元が九州に攻め込んできたという
元寇というのがありました。実は二度とも沖縄にも攻めてきたが、元は琉球を
征服できなかった。琉球は戦わず、元に水や食料を与えた。東南アジアには
たくさん海賊がいましたが沖縄が襲われたことがない。琉球王国は、
交流、交易によって平和を守っていた。

13世紀にモンゴル帝国(元朝)のフビライは、当時サハリン島に住み、モンゴルに服属していたキツリメイから、毎年コツガイに襲われているとの救助要請に対し、モンゴル軍をサハリンに派遣します。
この「コツガイ」が、アイヌ民族らしいとのこと。
その後、フビライは、サハリンへ軍隊を派遣し、大規模なアイヌ攻略を始めます。
この間に、南方から日本に軍隊を送っているのですが、それが元寇です。九州からの2度の攻略に失敗したフビライは、再びサハリンへその矛先を向けます。
アムール川下流域で、アイヌとモンゴル軍の戦いの記録があるそうです。同時期に、琉球へも攻め入っているようで、当時のモンゴルの勢力のすごさがうかがえます。
1308年に、アイヌ側は元軍に降伏。実に、44年間の戦いでした。
毎年元朝に対して、毛皮などの貢ぎ物をする約束となります

235 :世界@名無史さん:2001/08/24(金) 21:46
↑日本、朝鮮などの主要国以外、周辺国には周辺国の歴史がある訳ですよね。
スレと関係ないですが、この頃統一政権ができていればアイヌもまた異なる
歴史を刻んでいたのでしょう・・・。

236 :世界@名無史さん:01/08/26 14:12
琉球自体は元と朝貢関係をむすんだのでしょうか?

237 :名無史:01/08/26 18:27 ID:dDmztNZk
いいですね。ここ。
今後50年の琉球を考えているので参考にさせてください。

238 :世界@名無史さん:01/08/28 11:22 ID:.LZ.vnfk

http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/

従来ほとんど無視されてきた沖縄の諸資料をとり入れることにより、
失われた日本古代史を復元しようとする考えらしい。

239 :世界@名無史さん:01/08/29 16:17 ID:nwH82HjM
先週の朝日新聞に大城立裕さんが、2003年開館予定の国立組踊劇場
のこけら落しに向けて新作の台本集『楽劇集真珠道』を書き上げた。
戦後創作の台本が現存していないため、この作品が本当の意味で新作と
なるようです。

琉球舞踊自体、日本の歌舞伎・能・狂言や中国の歌舞(京劇等か?)を
参考に作られたものだそうですが、歌舞伎や能にある家元(流派)みた
いな存在はあるのでしょうか?あと影響があった中国の歌舞は前述の京
劇と考えて大丈夫でしょうか?

240 :世界@名無史さん:01/08/30 07:12 ID:8xhuaKZA
日本史板にも書いたのだが、今沖縄タイムスで連載している琉球「武」の諸相はどう思う?
沖縄が平和国家であったという話は本当だったの?

241 :世界@名無史さん:01/08/31 01:08 ID:lBZcGG2.
>>240
どう言う内容の連載企画なんでしょうか?

242 :世界@名無史さん:01/08/31 07:11 ID:GH0LFPjI
昨日までに3回、掲載されているけど、全体的には沖縄の人も武器を手にとって争いを興していたんだなあ、と言う内容。
日本と同じような過程を踏まえて1429年の三山統一が完成されていく様子が書かれている。
正直言って沖縄は風土的にもっと穏やかなものと思っていたが、かなり殺伐とした時期があったんだと少し驚いた。
沖縄タイムスのHPに9月中頃辺りに多分掲載されるよ。

243 :世界@名無史さん:01/09/03 19:33 ID:hoQYoiCE
全く武器を持たないと言う国家は存在しえない。
琉球も戦闘を行っている以上例外ではないのでは。
ただ薩摩支配以降の持ちたくとも持てない状況が
武器の無い国としてのイメージを膨らませたと思
う。戦闘要員の絶対数が少ないので、周辺諸島を
制圧した後領土拡張は困難だったろうが、もし展
開していたとすれば、やはり台湾?

244 :名無しさん:01/09/03 22:51 ID:PaVZ9qWs
世界遺産に指定された「沖縄のグスク群」
そのうちのひとつ北山(ほくざん)=今帰仁城【三山時代(1416)以前造営?】
周囲をぐるりとめぐらせた本格的城砦
織田信長の安土城(1576年)に先駆ける事約200年(!)

>243
三山統一(1429年)以前は「国家」と言いづらいかと>琉球
中国(明)に使者をつかわして「国王」と認められてからが「琉球国」
有る意味「貿易の権利獲得の戦い」だったのではないかと>三山のあるじ達

三山統一以降〜薩摩侵攻までのおよそ200年ほどは
国内的にはともかく対外的には「不武」の姿勢をとったほうが得、だったのではないかと>貿易立国


>236
元の時代は琉球は統一以前なので朝貢関係は結べません
琉球は周囲をさんご礁が取り囲んで居るので
よほど航海術に優れ、地形に明るくないと座礁の危険が大です

245 :世界@名無史さん:01/09/03 23:07 ID:cQNaAwtw
琉球が武器を持たない平和国だったなんてデマは、今では本土の人たちの方が勘違いさせられてると思う。沖縄では小学生だって、「琉球王国の時代に、ここに砲台(琉球の)の跡がありました・・・」って作文かいてるよ。
沖縄タイムスのHPで「高良倉良(まともな歴史家)」って検索してみると、それなりに結構武装してたのが良くわかる文章が読める。
デマは政治的に都合よく解釈されて、昔元気だった左翼革新系の人達によって誇大宣伝されただけだと思う。
沖縄内で「武器を持たない・・」話をやたら言う人たちは、間違った学び方をさせられたか、確信犯的県内左翼支持者達位でしょ。
モンゴル系軍隊が攻めてきた時もおっぱらってるし、倭寇だっておっぱらってる。防衛体制が尚真王の頃からかなり特殊な形になったので、それを「武器を持たない・・・」と誤った解釈されたりしたようだ。

246 :ど〜でもいいけど:01/09/03 23:16 ID:ruROmB06
>>244
あのぉ、別に琉球が大元に朝貢したなんて主張するわけではないので
すが、琉球に3つの政権が分立していた時代にも、それぞれ明に朝貢し
て冊封を受けていたんだと思いますけど。
特に、統一政権でないと、朝貢できないということもないのでは.....

247 :世界@名無史さん:01/09/03 23:19 ID:cQNaAwtw
245のつづき
琉球・沖縄の歴史はまだ、日本人に教える「日本の歴史」のなかに正しく組み込まれてはいない。それをやると、大きな騒動になると思う。
「日本で最初に・・が伝わったのは・・・で」って土地(本土の地域)が、実は琉球の方が早かったりするので、教科書も書き換えなきゃならなくなったりする。
琉球・沖縄の興味深い歴史は沖縄内ばかりを主にぐるぐるまわってるのが実状です(沖縄オタ、沖縄通の学者はのぞく)

248 :世界@名無史さん:01/09/04 01:47 ID:THImvqS6
ヤフー沖縄関連(難しい話関連)で、ここの様なレベルの高いスレは無い。沖縄基地問題あたりで、琉球の歴史を知ったか馬鹿やってるお粗末な奴等に教えてあげたいくらいだ。

249 :名無しさん:01/09/04 12:06 ID:Aq7hRCvE
>945
>高良倉良
「高良倉吉」のこと?

>琉球王国時代の砲台の跡地
どこ?三重城?
いつ(薩摩侵攻前?後?)ですか?

250 :245から>249:01/09/04 20:22 ID:THImvqS6
>249

訂正します。「高良倉良」じゃなくて「高良倉吉」でした。すいません

それと、俺が聞いた砲台の跡地は屋良座森城。1554年だから、薩摩侵攻前。


251 :世界@名無史さん:01/09/05 07:32 ID:mQHdYkPY
沖縄タイムスの連載記事である琉球「武」の諸相は昨日、先史時代編が終了したが内容的に斬新だった。
これまで沖縄では古い時代から戦争と沖縄の人が関わっていることは知られていたと思うが、具体的にどうのような武器を用い、どのような戦いをしていたのかは漠然とした印象しか持っていなかったと思う。
それをこの連載では食糧問題と集落同士の貧富によって戦いが生み出され、倭寇による侵入によってより沖縄の「武」が洗練されていく。グスクが現れる前夜あたりに矢じりの激増、そしてグスクに見られる防御的工夫というような流れで具体的に説明をしていた。
これだけの戦いの素地が沖縄であったわけで、この事実を歪曲してまで沖縄平和国家論を語るのはどうかと思った。
しかし、沖縄にも平和的な時期が一時あったわけでその時期に限定しての沖縄平和国家論を提唱するならば問題無いと思われる。
ここの人のほとんどは県外と思うけど、タイムスの琉球「武」の諸相(計4回連載)は必見と思われり。

252 :世界@名無史さん:01/09/05 12:14 ID:rKvNn/CI
Webで掲載とかされないのかしら?

253 :世界@名無史さん:01/09/05 12:28 ID:zylOAqcA
>252
沖縄タイムスのHPに掲載されている。
http://db.okinawatimes.co.jp/cgi-bin/search.pl
第4回目は9.10頃に掲載されるはず。

正直言ってこの記事を読んで沖縄に対するイメージが変わった。
琉球の人々は平和を愛する民ではなくて、海賊に対抗するための航海術と戦法を持っていたんだと初めて知った。
新聞では絵図も掲載しているから生々しい戦いの様子が手に取るように分かったけど。
結局、中世の琉球はいつも海賊からの恐怖に怯えていたというわけか。

254 :世界@名無史さん:01/09/05 15:44 ID:754Jdfmg
そのきょういからかいほうしたのがさつまです。

255 :あやめ:01/09/05 18:43 ID:.k0.u2lI
>>246
琉球は統一以前からそれぞれの政権が明の冊封を受けていました。その封号は「琉球
國中山王」「琉球國山北王」「琉球國山南王」です。三山統一後も中山王が「琉球國
王」の封号を得るということはありませんでした。
このような冊封の形式は変則的なもののように思われますが、統治の東南アジア諸国
には稀に例が見受けられます。例えば婆羅(文莱、ブルネイ)・爪哇(ジャワ)・蘇禄(スー
ルー)などにはそれぞれ東西両王が並立しており、蘇禄では更にドウ(山偏に同)王と
いう者も存在しました。封号は例えば「婆羅國東王」「爪哇國西王」「蘇禄國ドウ王」
といった形式になります。つまり琉球も東南アジアの諸国と類似の政体と認識されて
いたものでしょう。

256 :あやめ:01/09/05 18:46 ID:.k0.u2lI
>統治の東南アジア諸国
当時の東南アジア諸国
の変換ミスです

257 :世界@名無史さん:01/09/05 21:59 ID:ati0G6T2
俺は249だけど、沖縄が平和を愛する民なのは事実だよ。沖縄戦があったし、大きな基地を抱えてるし(戦争になったら大変だ)。
ただ、「平和を愛する」のは沖縄人に限った事ではなく、現代においては沖縄人も含めた日本人全体が「平和を愛する民」といえるだろう。平和を愛しすぎるがゆえに、「平和ボケ」という言葉が使われたりするんだが。

258 :名無しさん:01/09/06 00:01 ID:kMGc82j6
>257さん
「249」は私ですぅ(^^;)

「沖縄人は〜だ」とひとくくりにした言い方はしたくないけど(知ってる範囲では)
「友達と認識した相手には饒舌」
「『目に見えないモノ』に畏敬の念持つ人わりと居る」
「ラテン的陽気(なんくるないっさ=なるようになる)な人が多い」

259 :世界@名無史さん:01/09/06 00:54 ID:bE.WuiXU
沖縄出身の叔父に聞いたんだけど
沖縄の人は死んだら仏じゃなくて神になるってホント?

260 :世界@名無史さん:01/09/06 00:57 ID:8h7.csQo
>>259
呼び名が違うだけで、ヤマトでも同じことじゃないかな。
ひとくくりに「祖霊信仰」と言ってもよいと思われ。

261 :世界@名無史さん:01/09/06 07:08 ID:3CDZj1PY
>253
このアドレスでは開けないので、
http://www.okinawatimes.co.jp/で「琉球史における『武』の諸相」と検索すれば読めるよ。

262 :世界@名無史さん:01/09/06 11:28 ID:5y0mYkSk
heiwa wo aisurutami dehanaku busayoku!

263 :世界@名無史さん:01/09/06 12:18 ID:aAogjZaY
平和を愛するのではなく平和を意識しているだけであって、時代の流れが変われば沖縄人も武器を手に取って戦争する。
タイムスの琉球史・・・諸相でも武力を通しての政治的結合が加速度的に進んでいったと言っているし、人種に関係なく戦争はおきると思う。

264 :世界@名無史さん:01/09/06 13:58 ID:SoSh0aTs
257の俺から>258さんへ

すまん。間違えた。「俺は245だけど」に訂正。

265 :239:01/09/10 23:52
やっぱり琉舞に関しての情報は難しいのかな?
まぁ、流派とか家元とかって聞いたことはないけど、
例えばもと踊奉行みたいな人間がその後家元とか
なっていてもおかしくないと思ったのですが。

266 :世界@名無史さん:01/09/11 05:00
最近しょうさん見えませんね。

ところで240以降で武器がどうのと記述があるけど、
別スレでガイシュツなかんじ。

267 :日本放送禁止協会:01/09/11 19:20
今日夜11時30分教育テレビ「日本史」で「薩摩の琉球支配」ってのをやるみたい。
短い時間でこのスレほどの中身があるか分からんが、暇人は見てみてよ。

268 :世界@名無史さん:01/09/12 04:38
見落としてしもうた!
再放送あるんかい?

269 :世界@名無史さん:01/09/13 14:36
>>267
内容的にはどうでしたか?もし見ていたら教えてください!

270 :前からこのスレのファンでした。:01/09/13 18:07
講師は山本博文東京大学教授。専攻不明。テキストあり。再放送は翌日の昼。
レベルは高校の教科書か資料集程度。『歴代宝案』なんかもちらっと触れてた。
俺もあちこちチャンネル変えながらテレビみてたのとウチナーンチュなのに
琉球史に無知でこの程度の解説しかできません。ご容赦ください。いろいろ
勉強してからじゃんじゃんカキコしますのでどうぞよろしく。age。

271 :尚モナー王:01/09/14 06:01
お久し振りです。早くも9月半ば、秋っぽくなってきました。
270さんの言葉で歴史板にスレ立てしてよかったって思います。
何より、このスレに書き込んでもらう方々の知識・見解にいつも
感心させられます。本当に自分も勉強になってます。

ところで・・・
のろに関してなのですが、現在生きていらっしゃる方々は王朝時代から
代々世襲してきた家になるのでしょうか?また奄美の方々もその流れを
くむ家なのでしょうか?よろしくお願いいたします。

272 :世界@名無史さん:01/09/15 20:39

なんか見つかったみたいだよ

↓沖縄タイムスHP

http://navigation.helper.realnames.com/framer/300/262/default.asp?realname=%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9&url=http%3A%2F%2Fwww%2Eokinawatimes%2Eco%2Ejp%2F&frameid=300&providerid=262&uid=17391053

273 :世界@名無史さん:01/09/15 20:47

↓沖縄の新聞のHPの検索で「ユタ」でやってみるのもいいかもよ。

http://navigation.helper.realnames.com/framer/300/262/default.asp?realname=%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9&url=http%3A%2F%2Fwww%2Eokinawatimes%2Eco%2Ejp%2F&frameid=300&providerid=262&uid=17391053

274 :世界@名無史さん:01/09/16 04:04
先日沖縄行って、帰ってきてから初めてこのスレ見ました。
行く前に見ておけばよかったなー。ためになりますです。

機会があって、上にでてる高良倉吉さんにお会いしてお話を伺う機会が
あったんですが、気のいいおやっさんでした。すみません関係ないのでさげ。

275 :尚モナー王:01/09/16 16:57
272&273の情報、ありがとうございます!

ユタというと、王朝時代には一つの行政(宗教的意味あいが強いが)に
関わる存在というイメージが興味深かったものですから。

>274
高良さんと会われたんですか?単純にうらやましいですね(笑)。

276 :世界@名無史さん:01/09/16 17:03
沖縄タイムス誌での「琉球史における『武』の諸相」ではユタと戦争との関係をやってほしかったな。
戦勝祈願でユタを同伴させるのは古琉球では良くありました。

277 :世界@名無史さん:01/09/16 17:06
「琉球・・・諸相」は素人から見ても分かり易かった。
しかし沖縄では舟上からの弓戦や海上でのゲリラ戦が得意だったみたいだけど本当かな?

278 :世界@名無史さん:01/09/18 12:15
>276
戦勝祈願ですか。戦場における方角や風向き等の占いはしなかったんですか?

279 :世界@名無史さん:01/09/19 07:13
>278
残念ながらそこまでの記述はなされておらず、詳しい内容は分かっていません。但し、八重山や宮古では戦いにおける女酋長伝説がいくつか見られることから、霊力が高いとされる女性が戦いの指揮を執っていたとも考えられる。

280 :278:01/09/20 14:28
>279
ありがとうございます。女酋長もいたのですね。イメージ的には、赤壁における
諸葛亮です。祭壇で祈り風を呼ぶという感じ。
どちらにせよ、様々な場面で政治的にも軍事的にも関わっていたのかと想像しま
すが、どうでしょうかね。

281 :世界@名無史さん:01/09/22 20:50
俺のお勧めページ(琉球歴史の謎とロマン)劇作家  亀島 靖

http://www.rik.ne.jp/toku/ryukyu/kamesima.html(安心してクリックしてくれ)

282 :世界@名無史さん:01/09/25 14:43
↑色使いといい、イイ感じですね!

内容も判り易く書かれてるし、取っ付き易いでした。

283 :世界@名無史さん:01/09/27 13:11
昨日NHKでやってた「地球に乾杯」(琉球王朝メロディー〜)は興味
深い内容でした。でも見始めたのがすでに半分程過ぎた頃(涙)。
ベトナムに残っている宮廷楽士のような方はさすがに残っていないの
でしょうね。

284 :世界@名無史さん:01/09/27 13:33
>>239
琉球時代に京劇はまだ成立してません。
琉球の歌舞演劇は能の影響が強い。
元は中国からの使者を接待するために冠船踊という舞踊があったそうですが、
18世紀に玉城朝薫が能、狂言の影響を受けて琉球の芸能を集大成して
作った楽劇が無形文化財に指定されている組踊です。
能の「道成寺」を翻案した「執心鐘入」などの作品があります。

285 :しょう:01/09/28 11:27
>>232
小葉田淳先生については>>233で触れられているように、
『歴代寶案』完訳プロジェクトのリーダー的存在として名高いですね、
完成を見ずに他界されたのが残念でなりません。

286 :しょう:01/09/28 11:42
>>234
それ以降のレスで多少触れられていますが、
禁武政策が本格化するまでは、かなりの戦闘力をもっていたことがわかっています。

しかしこの二度にわたる元寇の規模は、
日本の文永の役や弘安の役にくらべればとても小さいものです。

287 :しょう:01/09/28 11:43
>>236
元とは朝貢関係を結んではいません。

288 :しょう:01/09/28 11:55
>>239
王国時代には流派という概念は存在せず(踊奉行という公職はありましたが)、
現代のように会派・流派名を名乗るようになったのは、置県以降のことです。

職を失った士族が舞踊で生活してゆく過程、
芸術文化の保存という観点からの後続教育、
概ねこの二つの潮流からそれぞれ会派・流派にわかれています。

289 :しょう:01/09/28 12:07
>>240以降の「武」の諸相について
私の立場からすればべつに驚くに値する内容ではありませんが、
あまり地元の歴史を学んでいない方々にとっては驚きの内容だったようですね。

しかしこれをして<「武器がない国」は嘘だ!>と声高に言うのもどうかと思います。
歴史を流れとして捉えず、ただポイントポイントだけを見ての判断はやめてください。

武器があるのかないのかとは、武備がととのっているかどうかです。

290 :しょう:01/09/28 12:39
>>271
そうですね、ノロは現在世襲となっているようですね。

あと注意して欲しいのですが、「ノロ」と「ユタ」は別物ですよ。
前者はもともと公職で、王府からの辞令をうけて就任するもので、
後者は自然発生的に、「カミダーリ」などを経てなるものです。

戦には「ノロ」のような人物を随行させていたいた事がわかっています。

>>278
政治的には「ノロ」の力は向象賢(羽地王子朝秀)の改革のときに無くなっています。
それ以降は軍事行動もありませんので、「ノロ」が歴史に登場することもありません。

291 :世界@名無史さん:01/09/28 15:54

      ___
      「_ 」
     ( ´∀`)     久し振りのしょうさんだ!
    /     ̄ ̄|    やっぱり勉強になるage!!
  /  |     |_」   
  |__|    |     
     |_____|      
      (_)(_)
     御主加奈志前

292 :世界史板コピペ:01/09/28 19:21
204 名前:世界@名無史さん 投稿日:2001/08/02(木) 21:29
琉球も明・清に事大主義(朝貢外交)をしましたが、琉球はその豊かな産物ゆえに李氏朝鮮より常に格上に扱われていたそうです。
そのことは李王朝のプレッシャーになっていました。

293 :世界@名無史さん:01/09/29 23:04
ノロとユタってつい同一視しがちだったけど、別物
だったんですね。

294 :しょう:01/09/30 21:41
>>291
直接291さんにレスと言うわけではありませんが、
以前から気になっているので少し。

「御主加奈志前」の「奈」は「那」の字を宛てます。
たまに「奈」の字の表記が見られますが、正しくはありません。

295 :しょう:01/09/30 21:51
>>293
そうですね、ノロはあくまで公的な役割で、ユタは私的なものに関わります。

都市部ではいろいろと旧慣が廃れ、ノロも実質的・社会的にその職能を失っていますが、
昔からの行事の残る地域、たとえばウスデークやウンジャミなどを行っている地域では、
現在でもノロは祭祀を取り仕切る役目を担っています。
ユタはあくまで私的なもので、このような祭祀には関わりを持ちません(持てません)。

あと、これも向象賢(羽地王子朝秀)の改革の一つですが、
ノロの政治的権力の剥奪と同時に、ユタの弾圧も行っています。
ノロは祭祀遂行の職務(人心の統一)が与えられ、
それを乱すユタを取締るという統治方針です。

296 :世界@名無史さん:01/10/01 00:03
私の勤務先に「尚」と書いて「しょう」と読ませる姓の方が居ますが、やはり琉球王朝
関係の方なんでしょうかね。大手の電機メーカではありますが。

297 :しょう:01/10/01 10:20
>>296
存命中の方ですと、ちょっとプライベートな問題にも関わってきますので、
ノーコメントとさせてください。

私のガイドラインとして
1.尚家直系
2.御殿・殿内家の現当主
3.社会的な功績のあるかた
4.すでに名前が知られているかた
5.重要な継承資産を保持しているかた
の名前は明かしていいとは思っていますが、
どこそこで勤務しているという情報は一線を越えると判断します。
もちろんその職業から知名度をもつかた、
たとえば桃原農園社長の尚厚さん、料理研究家の尚道子さんなどは別です。

あと以前調べたことがあるのですが、日本にも「尚」という苗字はあるようです。
それと中国から帰化したかたにも「尚」を名乗る方がいます。

一番良いのは本人にそれとなく聞いてみることでしょうね。

298 :名無しさん:01/10/02 18:26
ノロは「神女」
ユタは「巫女(または巫人)」だったと記憶>表記

風水(フンシー)見は男性に多いはず

>女酋長伝説
「サンアイ・イソバ」だと与那国島の伝説に出てくるけどね

299 :しょう:01/10/04 13:23
>>298
漢字表記については、
ノロには「祝女」という表記もあり、
ユタが「巫」なのに対し、トキは「覡」と表記されます。

>風水(フンシー)見は男性に多いはず
「はず」の用法で捉え方がかわるのですが、
沖縄の方でしょうか?
日本人の使用する「はず」と沖縄人の使用する「はず」とでは意味が違いますからね。

王朝時代には公式的には風水見は男性しかいません、
その時代に女性が就ける公職は神職と城内の女官くらいしかありませんから。
女性の風水見は近現代に入ってからの登場です。

>女酋長伝説
私もサンアイ・イソバくらいしか思いつきませんね。
あと当時の戦の慣例(?)として、武力による戦闘の前に、
呪力による戦闘から入り、それぞれノロのような人物が先頭に立ち、戦をはじめます。
しかし戦闘全体の指揮をとることはありません。

戦闘指揮まで執った女性はサンアイ・イソバくらいしか知りません。

300 :しょう:01/10/04 13:31
>>299
ちょっと補足を

>王朝時代には公式的には風水見は男性しかいません、
>その時代に女性が就ける公職は神職と城内の女官くらいしかありませんから。
別に「風水見」という官職が存在したわけではありません。
「地理見」とかと表記されている例もあり、
碑などには「この場所は×××が選んだ」として登場します。

301 :605:01/10/05 07:04
>女酋長伝説
実は八重山のオヤケアカハチが女性であったという説も出ている。

302 :世界@名無史さん:01/10/06 02:32
オケヤアカハチが女性なんですか?長田大主の娘クイツバと結婚してますよね?
どんな説だか興味あります。ワクワク。

303 :605:01/10/06 15:25
>302
去年あたりに琉球新報に出ていたような。
地元に残る口承から女性とするのが妥当とのことらしい。

304 :世界@名無史さん:01/10/07 12:18
始めて聞きました!女性の酋長とは、卑弥呼みたいですねw!

305 :世界@名無史さん:01/10/09 22:05
10月5日に瀬長亀次郎さんがお亡くなりになったそうで。
沖縄の戦後史にかかせない人ですね。94歳。ご冥福をお祈りします。

306 :世界@名無史さん:01/10/10 15:35
↑どういう方だったのですか?
よく知らないので・・・、お願いします。

307 :世界@名無史さん:01/10/10 17:54
>306
検索してくれ。沖縄タイムスHPで
http://navigation.helper.realnames.com/framer/300/262/default.asp?realname=%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9&url=http%3A%2F%2Fwww%2Eokinawatimes%2Eco%2Ejp%2F&frameid=300&providerid=262&uid=17391053

308 :世界@名無史さん:01/10/10 22:00
那覇市長だったけど、アカだということでアメリカがすごい瀬長おろしをして
那覇市への補助金打ち切りで市長やめさせようとしたものの、市民が次々に
納税に訪れて過去最高の納税率を記録した。結局短期間で辞職することになった
けど、沖縄人民からの人望は篤かったようです。

309 :世界@名無史さん:01/10/11 20:52
>307,308
わざわざありがとうございます。そう言う人物だったのですね。

310 :世界@名無史さん:01/10/14 02:28

      ___
      「_ 」
     ( ´∀`)     しょうさんの指摘により正しい表記に
    /     ̄ ̄|   直します。今後ともご指導よろしく
  /  |     |_」      お願いします。
  |__|    |    
     |_____|     
      (_)(_)
     御主加那志前

311 :世界@名無史さん:01/10/15 14:03
サンアイ・イソバの伝説とはどのような内容なのでしょうか?

312 :世界@名無史さん:01/10/18 12:50
>>290
「カミダーリ」って何なのですか?

313 :世界@名無史さん:01/10/19 17:08
>309
ついでに言えば人民党の初期メンバー、
復帰後共産党に合流したあとも
半生を沖縄の政界で過ごした人物です。
沖縄戦後史を代表する人物の一人でありますな。
彼が体現したのは「基地を押し付けるアメリカへの抗議」の念、か。
沖縄人の政治的立場ってのは、
彼をはじめとする数人の人物によって多面的に表現されてるのかも。

314 :名無しさん:01/10/22 12:34
>312
>カミダーリ

近い言葉で言えば「神がかり」
「変性心理状態」のことらしい

>313
>カメジローの名言
(演説の際)
#わたしが声をはりあげれば百人に届く
 おきなわのみんなが声を出せばアメリカまで届く

315 :あやめ:01/10/22 17:53
>しょうさん
御教示いただきたいことがあります。
終戦直後いろんな政党が乱立した中で、この際だから琉球処分以前に戻してもらって、
かっての宗主国であった支那に帰属するのが順当であるということで、中華民國に併合
してもらう運動を推進してた政党があったと仄聞してます。苗字まで族譜にあるような
唐姓を称していたとか。詳細をごぞんじでしたら教えてください。

316 :世界@名無史さん:01/10/22 21:58
>311
サンアイ・イソバは15〜16世紀の与那国島の英雄にて女傑。
ある時宮古軍が与那国に攻めてきて、祖内按司を生け捕りにする。
救援に向かったのは妹サンアイ・イソバ。宮古軍の大将の前に立ちはだかり、
両足をつかみ逆さ釣りに。大将は両足を引き裂かれそうになり降参し、
イソバの兄を解放する。宮古軍はほうほうのていで与那国を脱出。
この戦いを機にイソバは島に統一を呼びかけ、与那国島の大首長となる。
貧しい島与那国では人口を減らすための二つの悪習があった。
一つは何の前触れも無く島中の男たちを集め、遅れた男を斬り殺す、
ひとつは妊婦に岩の割れ目を飛び越えさせ、無事飛び越えられたものだけ
出産させる。イソバはこれらの悪習を止めさせた。また水田を開き、
牧畜をはじめ、移民を奨励し、島を豊かにした。村祭りも行い人心を安定させた。
なおイソバの身長は2m40cm、肩幅90p、乳房は4つあった。
現在もイソバの子孫は与那国に住んでおり、海岸には足跡が残っている。

317 :宮古人:01/10/23 14:42
>>316
女に逆さ釣りされ、
そのうえ又裂きにされ「ごめんちゃい」する大将。。。
鬱だ。。。

318 :311:01/10/24 14:15
>>316
そんな開明的な女傑だったんですか!
ちなみにイソバの子孫の方はその後、王府の役人には
なれなかったんでしょうね、叛乱者とされたのでしょうか
ら。。。やはり、イソバ姓ですか、それとも祖内姓ですか?

319 :世界@名無史さん:01/10/24 19:36
現在はイソバ姓ではなく「栄」という姓です。
秋に行われる島仲祭りは今でもイソバの子孫が中心となって行っています。
栄家にはイソバが海賊から奪い取った日本刀が家宝としてあるそうです。
子孫が役人だったが叛乱者とされていたかは分かりません。

関係ないけど、沖縄の本屋に行くと、沖縄でしか手に入らないような
歴史本、風俗本が結構あっておもしろい(どんな小さい本屋でも)。

320 :しょう:01/10/25 12:29
>>301-303
オヤケアカハチ女性説ですか、私はちょっと聞いたことがありませんね。

しかし302さんも指摘しているように、
アカハチと古乙姥(姥は尊称)は婚姻をしており、
少なくともアカハチが女性であるということはないでしょう。
(由来記や家譜、史料にはこの関係しか確認することができません)

となるとすなわち二人説に立脚した上で、
ホンガワラ=女性ということなのでしょうね。

321 :しょう:01/10/25 13:00
>>305-309
>>313
瀬長亀次郎さんは、まさに戦後沖縄史の代表的な登場人物の一人ですね。
映画化もされた、その激しい郷土と沖縄人民への愛・情熱は、
琉球・沖縄史に名を刻むのに相応しい人物だと感じています。

>>308
さんが簡単に触れてはいますが、
ここでは言及しておかなければならいことがあります。

「結局短期間で辞職」と記載されていますが、そんなものではありません。

これは現代の米国にも見られる体質なのですが、
既存のルール(法律)で自分のほうの分が悪くなると、
ルールそのものを自分の都合に合うように変更するというきらいがあります。

この時もそうで、彼らが標榜する民主主義を掲げた、
初の市長選(それまでは任命制)であったにもかかわらず、
反米的な瀬長亀次郎が当選するやいなや、
補助金の打切り、銀行融資の停止、市預金の凍結を行い、
最終的には市町村自治法と市町村選挙法を改正し、
(その間那覇市議会が市長の不信任案を提出するが、
 議会解散後の市議会選挙で、反瀬長派は議席を失い不信任案の再可決はなし)
不信任案が可決できるように改定、ついに瀬長亀次郎は「追放」されたのです。

のちの人民党事件では追い討ちをかけられ、
ついに被選挙権まで剥奪されるというところまで追い込まれました。

当時のカリスマ的存在であったと要約することができるでしょう。

322 :しょう:01/10/25 13:06
時間がないので続きは次回ということで。

>>310
いえ、それこそ御主加那志前にご指摘するのはマズいかと思ったのですが(笑)

323 :尚モナー王:01/10/28 18:50

      ___
      「_ 」
     ( ´∀`)      >しょうさん
    /     ̄ ̄|   逆に恐れ多い事です(笑)!!名前ともに、このスレのマスコットとして大事に扱います。
  /  |     |_」      しょうさんはご存知だったのでしょうが、このAAは沖縄板の三司官さんの考案みたいです。
  |__|    |       
     |_____|        尚モナー王を沖縄掲示板のキャラにしよう! (このスレ自体は5月のうちに沈みました)
      (_)(_)       http://www.machibbs.com/okinawa/bbs/read.cgi?BBS=okinawa&KEY=990780751
     御主加那志前     

324 :世界@名無史さん:01/10/28 19:00
>>319
沖縄文庫でしたっけ?シリーズ名がわからないのですが。
赤い表紙の単行本の記憶があります・・・。
高良先生の著作ほかかなり地元密着のテーマが多
かったと思います。

325 :世界@名無史さん:01/10/31 12:38
琉球新報社が出したもの。。。

326 :世界@名無史さん:01/11/03 19:15
ひるぎ社の出版してる沖縄文庫です。

沖縄と言うわけではないのですが、奄美を含む南島方面の書籍に
力を入れている奄美の本屋(あまみ庵)さんです。

ttp://www.synapse.ne.jp/~amamian/index.html

327 :Cavabien:01/11/03 19:33
あ、あまみ庵のサイトがあったとは‥。
あの朴訥なおっちゃんがこんな事をしていたとは驚きなり。

南島関係の書籍はかなり多いです。
資料じゃなくて書籍の数でいえばひょっとしたら県立図書館(奄美分館)より
多いかもですね。

328 :世界@名無史さん:01/11/07 07:38
琉球に鉄砲ってどれだけあったのですか?

329 :世界@名無史さん:01/11/09 18:57
いつの話ですか?

330 :世界@名無史さん:01/11/10 20:31

高良倉吉氏の話

「琉球王国は尚真王以後も、二、三千人の常備兵と五十艘(そう)の軍艦、そして有事の際には二千人の兵員を動員できる軍事力を保持していた。
実際に、この軍隊は、王府に背こうとする奄美・先島など離島の鎮圧にたびたび出動した。
薩摩藩が琉球に侵攻する数年前の琉球の軍備は、軍隊を指揮する高官の一人が管理していた分だけでも、弓類五百張、甲冑(かっちゅう)三百領、大小の銃二百丁、兵士一人ひとりに行きわたるだけの鉾(ほこ)類のほか各種の武器、武具におよび、軍事訓練も怠らなかった。」

331 :世界@名無史さん:01/11/10 21:42
>330
安里進氏の話では?
沖縄タイムスの記事ですよね?

332 :330>331:01/11/10 22:57
すまなかった。安里氏の文章だった。これからは気をつけます。

333 :世界@名無史さん:01/11/12 18:53
戦後沖縄史の重要人物のひとり、
西銘順治氏も死去。

ついさきごろ亡くなられた瀬長亀次郎氏が沖縄革新勢力のドンなら、
西銘氏は保守政界のドンとして長く君臨した人物でありまして。

どちらもすでに現役を引退して久しい方でしたが、
こうして変わり行く歴史を見せられると一抹の感慨を禁じ得ません。
ともかく両氏のご冥福をお祈りする次第。

334 :スタン・反戦:01/11/12 21:40
1945年4月1日の時点で、ドイツ第3帝国よりも長く抵抗できると誰が予測できたであろうか?
この事実だけでも、世界戦史に明記すべきであろう。

335 :世界@名無史さん:01/11/14 15:15
↑誤爆ですか?

336 :しょう:01/11/14 21:53
>>315
あやめさん

返答のほうおそくなりましたが、
結論から述べるとご期待に添える回答ができません。

終戦直後というか、終戦後にはたしかにいろいろな党が結成されましたが、
清への併合を主張したという政党については、私の記憶にはありません。
(気になって調べてみたのですが、現段階では発見できていません)

終戦後に出来た党で、独立を旨とした琉球国民党や、
置県後のいわゆる頑固党なら知っているのですが、
これらのことということではなさそうですね。

主要メンバーの名前がわかれば、そこから調査できるかもしれません。
ほかに心当たりがありましたらお知らせください。

337 :しょう:01/11/14 22:09
>>314
補足として

「瀬長一人が叫んだなら50メートル先まで聞こえる。
 ここに集まった人たちが声をそろえて叫べば、全那覇市民まで聞こえる。
 沖縄の90万人民が声をそろえて叫んだならば、
 太平洋の荒波を越えてワシントン政府を動かすことができる。」

1950.9.13 沖縄群島知事選挙において

338 :しょう:01/11/14 22:18
>>316-319
いろいろとサンアイ・イソバについては語られますが、
伝説化されている人物ですので、そのままそれらを鵜呑みにはできません。
すくなくとも装飾された伝説をもってして、
開明的という評価を下すのはどうかと考えます。

あと栄家についてですが、これは現在の当主なのでしょうか。
祀事継承は最近まで女系で継承されてきているはずですが、
私の資料では島袋家となっています(1980年ごろの調査)。
ご存知であれば調査年を教えて下さい。

339 :しょう:01/11/14 22:26
まだレスをつけたいものがありますが、今回も時間がおしているのでこのへんで。

最後に>>334-335
誤爆ではないと思いますよ。

私もこの書き込みを見て気がついたのですが
1945.4.16 ソ連軍がドイツへ侵攻
5. 2 ベルリン陥落
5. 8 ドイツ降伏
なのに対し
1945.4. 1 米軍が沖縄島へ上陸
6.23 沖縄守備軍の組織的抵抗の終了(司令官・牛島満の自決)
7. 2 米軍の沖縄作戦終了宣言
ですね。

340 :世界@名無史さん:01/11/14 23:19
フランスのゲラン提督のファーストネーム分かる人いない?
後何でもいいので情報を

341 :世界@名無史さん:01/11/15 01:27
>しょう様
316=319です。ソースはむぎ社の「沖縄の英雄伝」(91年発行)。その本には
「イソバの子孫といわれる栄家には、イソバが海賊から奪い取ったという
『永正5年(1508年)備州長船清松』の銘の入った日本刀が、今に伝わり残っています」
と書かれています。

この本正しいのかなぁ。責任編集・考証は伊波勝雄さんです。なんか不安になってきた。

342 :世界@名無史さん:01/11/16 02:54
>>340
今度こそ誤爆ではないでしょうかW?

スタン・反戦 さんスマソ。。。国名が出ていたので、
単純に国家として言ってると考えてしまいました。

343 :しょう:01/11/17 12:55
>>341
『沖縄の英雄伝』ですか、こんど探して一読してみることにします。
1991年発行ということは、あるいは最新の情報かもしれませんね。
(栄さんに直接お尋ねするのが一番ですが(世帯数が少ないので可能))

344 :しょう:01/11/17 13:02
>>342
じつはこれも誤爆ではありません。

1855年に琉球に訪れています。
残念ながら340さんの求めているファーストネームは私にもわかりません。

下のアドレスは参考までに。

評定所文書の世界
http://www.okinawa.isp.ntt-west.co.jp/original/hyojyo/news.html

345 :しょう:01/11/17 13:07
>>323
尚モナー王さん

なつかしい書き込みですね。
どこかでこのキャラクターを見たことがあるとは思っていましたが、
まちBBSでだったんですね。

あそこは書き込んでいる方々の質が、
私からすればかなり悪かったので今は行っていませんね。
せっかくの沖縄の掲示板なのに、ああいったレベルなのが残念です。

346 :世界@名無史さん:01/11/17 21:44
>>345
そう、あそこ(まちBBS)はレベル低い(一部スレを除いて)。参加者(沖縄人、本土人共に)もいい加減すぎる。やふー掲示板ではすぐまともなレスがつくような質問でも、あそこはDQNがちゃかして終わり。

347 :尚モナー王:01/11/23 15:15
>>345
憶えてらしたんですね。実際まちBBSに琉球史に関するスレが
あるかと見たのですが、346さんも書かれてるように的を得ない
レスが多すぎて残念でした。それ故、こちらの方がしっかり情報
を交換できると思いスレを立てた訳ですが、レスを読むにつれ書
き込まれる方々から勉強させてもらえ喜んでいます。

「尚モナー王」はあちらを見ていた時、愛嬌があり活かしたいなと
考えていたため、こちらでたまに出演(?)させているという感じで
す(笑)。

348 :スタン・反戦:01/11/24 22:25
1945年8月12日夜、沖縄海域に展開していたアメリカ海軍機動部隊は、
日本が降伏しそうだとの報を受け、戦勝祝賀の前祝いをしていた。
そこに突如として特攻機が出現し、開戦時の太平洋艦隊旗艦「ペンシルヴァニア」
に命中し、砲塔に大損害を与えた。
米兵たちは改めて「日本軍恐るべし」を実感したのである。

349 :世界@名無史さん:01/11/26 12:48
私の先祖のことですが、安里大親といい、
尚円を即位させたと亡くなった祖父から聞かされました。

あとその安里大親の墓もあると聞きましたが、
すくなくとも私の親とかは知らないようです。

ごぞんじであれば、情報をください。
教えて君ですみません。

350 :世界@名無史さん:01/11/28 21:23
安里大親は具志頭花城村に住んでたから、そこら辺で調べてみたらわかるかも。安里の娘は南山(糸満)王だった父を持つ南風原按司守忠の子を産んだ(守忠を安里が家にかくまっていた時にできたらしい)。
その子の名は守知。守知は後に尚円王(金丸)の王子(子供)の養父となる。王子は1477年に13歳で即位し(尚真王となる)、守知は後に紫冠の親方にまで昇進する。
守知の孫娘、思戸金(ウミトガニ)は尚真王の側妻となり、尚清王を生んだ。これより守知家は貴族の位を得る。1511年に守知は死去。

351 :350:01/11/28 21:33
安里大親に関しては↓(ここ)で知識を得てみてはどうですか?。自分は全部読んでないのでわからないのですが、もしかしたら墓の事も書いてあるかもしれません。

http://google.yahoo.co.jp/bin/query?p=%b0%c2%ce%a4%c2%e7%bf%c6&r=%2fRegional%2fJapanese_Regions%2fOkinawa%2fCities%2fGushikami%2f&y=y&hc=0&hs=0

352 :世界@名無史さん:01/12/01 19:20
落ちてるよ

353 :しょう:01/12/01 19:25
>>340
わかりましたので、書いておきます。

Nicholas Francios Guerin

がフルネームとなります。
なお琉仏条約は1855.11.24日付で締結されています。

354 :しょう:01/12/01 19:32
>>330-332
高良倉吉さん、安里進さんのどちらのものでもありません。

上里隆史さんのものです。

355 :しょう:01/12/01 19:37
>>341
『沖縄の英雄伝』のほう見つけましたので、
とりあえずサンアイ・イソバの項だけ軽く目を通しました。

単刀直入にいえばその内容の信用性は低いとしか評価できません。
あくまで伝説を扱った、つまり作話の域を出てはいません。

まぁそれと栄家が祭祀遂行を行っているかどうかは別の話ですが。

356 :しょう:01/12/01 19:51
>>349
安里大親の後裔ですか、氏は「毛氏」、名乗りは「清」です。
(今ご自分の名前の頭が「清」の文字を使用されていれば、
それは安里大親の後裔が等しく名乗ってきたものです。)

さて件の墓地のほうですが、知っています。

那覇市にあり、地番は詳しくわかりませんが、繁多川か識名になる場所です。
馬氏小禄家の墓の近くとなりますが、
ピンポイントで場所を説明するとなると、ちょっと難しいですね。

関ヶ原石材or識名宮はご存知でしょうか、
そこがわかればそこから教えることができます。

とりあえず以上に挙げた地名、場所をどこまでご存知でしょうか。
返答いただければ、教えやすいかと思います。

あと350さんも触れていますが、そのように伝わっています。

357 :世界@名無史さん:01/12/02 18:45
349さんはどうしてるのかな

358 :349:01/12/03 20:40
すみません、返事が遅れました。
350さん、しょうさん情報のほうどうもありがとうございます。

>とりあえず以上に挙げた地名、場所をどこまでご存知でしょうか。
識名は知っていますが、それ以外はわかりません。
(識名霊園くらいです)
これだけで説明可能か不安ですが、よろしくおねがいします。

359 :世界@名無史さん:01/12/04 07:38
上里隆史氏で思い出したけど、沖縄タイムスで『琉球史における武の諸相』近世編が始まったね。
真栄平房昭氏が戦争について書いているのはとても興味深いよ。

360 :doudou:01/12/04 18:57
はじめまして。

 たまに読ませて頂いてます、皆さん本当にお詳しいですね。
 そんな皆さんにお聞きしたいのですが、石垣島の士族だった大濱氏について
何かご存知の方はいらっしゃいませんか?明の時代に中国へ派遣され留学した
人もいるらしいのですが、何の文献も残されておらず、謎が多いのです。
 石垣の豊野城を中心に住んでいたらしいのですが。宜しくお願い致します。

361 :世界@名無史さん:01/12/05 07:39
>359
おいおい、本日連載2回目の真栄平先生、そんなこと書いてもいいのかよ。

362 :世界@名無史さん:01/12/07 02:14
みんな検索とかすればいいのに。

363 :尚モナー王:01/12/07 14:21

      ___
      「_ 」
     ( ´∀`)      師走になり、このスレでいろいろ教えて
    /     ̄ ̄|   頂く師たる方々もお忙しいようです。
  /  |     |_」      検索は大切です。ただここに書き出す
  |__|    |      ことで新たに知る人もいると思います。
     |_____|       節度を持って互いに楽しみましょうぞ。
      (_)(_)
     御主加那志前

364 :世界@名無史さん:01/12/07 23:01
>>360
それは調べるのかなり難しいよ。
俺の持ってる沖縄の士族関連の本にも載ってない。検索しても無い。

365 :世界@名無史さん:01/12/08 10:27
363に同意。
いつも読んでいるだけだが、かなりためになる。

366 :世界@名無史さん:01/12/09 01:56
日本の戦後にあった「皇族内閣の時の総理大臣の義理の姉だか妹だかが沖縄の人だったと思うけど、
琉球新報に去年載ってたその記事を記憶してる人がいたら、おおざっぱにでもいいから教えてください。

367 :世界@名無史さん:01/12/12 19:55
上里氏の『琉球史における武の諸相』古琉球編の記事に屋嘉比収氏が反論し、栗野真一郎氏が屋嘉比氏の反論を今日、沖縄タイムス誌で行っている。
実証史学と思想史との対立はなかなか、激しいものがあって読み応えがある。
是非とも御一読あれ。おまけだが真栄平房昭氏の「武の諸相」近世編も結構、面白かった。
これらまとめて一冊の本にならないかな。

368 :349:01/12/12 22:14
>>356
その後識名宮、関ヶ原石材ともに場所を調べました。
お返事のほうはゆっくりでも構いませんのでよろしくお願いします。

369 :しょう:01/12/15 20:35
349さん

識名宮、関ヶ原石材の場所はつかめたようですね、それなら説明しやすいですね。

関ヶ原石材から識名宮むけへすすむと、
関ヶ原石材前の信号のある交差点から識名宮までの間に、
右手側に琉球新報の配送所が角にある小道がありますが、そこに入っていきます。
(この先は車を止める場所がありませんのでご注意ください)

道なりにあるいてゆくと、
みどりヶ丘マンションという建物があると思います。
その建物の左側の小道をさらにすすんでいくと墓地にでます。
墓域にはいると、ちょうど右上方20mくらいでしょうか、
その近辺に安里大親の墓所があります。
付近の墓とは雰囲気を異にしているので、すぐにわかるかと思います。

なお墓域に入ってすぐ左手側にある、小さい碑が建っている墓が、
いわゆる馬氏小禄家の墓です。

ところで349さんは『球陽』とかに目を通したことはありますか?

370 :しょう:01/12/15 20:44
今日も時間がないものでレスがつけられませんが、
ひとつこのスレに関して提案を。

人名にかんしてですが、〜氏との呼称は避けたほうが良いと考えます。
スレの内容自体が近現代に固定されていれば、問題は少ないとは思いますが、
王国時代の内容も散見するなかでの「氏」の使用は、混乱を招くおそれがあります。

具体的に言えば>>360でdoudouさんが記述している「大濱氏」は、
どういう意味で「氏」を使用しているか単純にはわかりません。
(血族の氏なのか、采地名(いわゆる和名)の氏なのか不明)

この提案いかがでしょうか。

371 :世界@名無史さん:01/12/19 16:22
age

372 :世界@名無史さん:01/12/20 20:26
とりあえず上げ

373 :世界@名無史さん:01/12/20 20:40
 「上海は一千万人以上が住む大きい街。高いビルが東京よりもどんど
ん建ってますよ」「日本人のほとんどはみけんにしわを寄せて、怖い顔を
していますね。中国人はもっとおおらかな顔をしてます」「中国はこれから
ますます発展しますよ。日本はそれに比べてどんどんだめになっていま
すね」
彼女は、こちらが話の内容に興味を持ったと勘違いしたのか、「どこの出
身ですか。山形? よく知りませんね」「上海生まれの私には、上海市長
だった朱鎔基首相は誇りです」などと話し掛けてくる。

彼女の話はさらに「日本ではいろんなところに行きましたけど、北海道、京
都、奈良が好きです」と続いた。「沖縄にも行きました。本当に海がきれい
ですね」。ここまではよかった。

 「でも、沖縄はもともと中国の領土でしたからね」

 話がにわかにおかしくなってくる。「沖縄がもともと中国の領土? いや
そんなことはないですよ」と反論すると、「沖縄の文化や風俗は中国によく
似てますよ。沖縄の歴史は中国と深いつながりがありました。それに沖縄
は長い間、中国とは特別な関係にありました」と譲らない。
沖縄が琉球王朝時代に中国に朝貢していたことを「特別な関係」と強調
したいらしい。

 「それは朝貢というんですよ。一種独特の制度で、だからといって、沖縄
が中国だったとはいえませんよ」と持ち合わせていた朝貢制度に関する
知識をフル回転して再反論を試みる。

 だが、彼女は「中国にいたときに、沖縄は中国の領土だったということを
何かの本で読みました」とこだわった。

 「本当ですか。中国では、そう教えているんですか。そんなことを言いだ
したら遣唐使を出していた日本も中国の領土になってしまいますよ」

 気まずい沈黙の後、「日本の男性は自分の気に入らないことがあるとす
ぐに怒りますね」と彼女がつぶやき、やがて会合はお開きになった。

374 :世界@名無史さん:01/12/21 00:52
>>373
これ何?どうしてほしいのこれを?
知識の偏った中国人と日本人の会話?

375 :世界@名無史さん:01/12/21 18:21
>374
無視しろって。
世界史板はその名に反して、
きわめて厨房が乱入しやすい板だからな。

376 :世界@名無史さん:01/12/22 01:35
でもここはやっぱり優良スレだな

377 :世界@名無史さん:01/12/22 03:46
様々な教育があり、様々な価値観が生まれる。
それは国の違いだけでもない。
ただそれだけのこと…。

それは置いといて・・・
しょうさんが提案されている件ですが、ちなみに
王国時代においては『氏』の呼称はやはりなかっ
たのでしょうか?そのあたりも含めて知りたいです。

378 :しょう:01/12/23 09:35
>>360
何の文献にも残されていないのであれば、調べようがありません。
というかただの作り話の可能性が大ですよ。

それよりも大濱氏という氏は、士族の氏をあらわすものでしょうか、
そうではなく采地名のほうでしょうか。

浅学な私の記憶では大濱氏という氏は存在しませんが、
采地名であるとすると、該当する氏と年代の幅を縮めることができます。

379 :しょう:01/12/23 10:02
>>370
私の提案ですが、ちょっとわかりにくいので書き換えます。

近現代の人物への敬称として、「氏」を用いる場合と、
士族の門中をあらわす「氏」が同一スレで混用されると、
判断に困る場合がありますので、
近現代の人物への敬称としての「氏」の使用は避けたほうがいいのではないでしょうか。

380 :しょう:01/12/23 10:10
>>377
単刀直入に回答をしますと「氏」の使用はあります。
しかし日本語でいう「氏」とは概念が異なるのです。

以前このことについては、日本史板で言及したことがありましたが、
過去ログへ移行していますね。
---------------------------------------------------------
50 名前: しょう 投稿日: 2001/08/15(水) 18:59
>>44
日本語の概念のそれと、琉球・沖縄における概念が異なっているものがあり、
置県前は「氏」=「姓」で両者の区別はありません。
置県後は「姓」は「氏」とは別に「苗字」と同一として捉えられています。

基本的に血族をあらわす「氏」は王や王府からの下賜・認定が必要で、
現代の沖縄人が使用している「苗字」は
@先祖の采地名
A先祖の事蹟に関係のあるもの
B先祖の位階称号(役職名)
C先祖の住居地や何かしらの関連地
D適当につけられた
の5つに大別され(もちろん例外もあります)、士族を出自とする方々は@〜B、
平民を出自とする方々はC・Dの理由で「苗字」を持ちました。

好き放題名乗れたか?ととわれると、確かにそうかもしれませんが、
自らとその先祖にまったく関係のない名前は名乗らなかったようです。

381 :しょう:01/12/23 10:17
>>379
訂正ばかりですみません。
>近現代の人物への敬称としての「氏」の使用は避けたほうがいいのではないでしょうか。

采地名(いわゆる苗字にあたる部分)+氏の使用は避けたほうがいいのではないでしょうか。

382 :349:01/12/24 21:05
しょうさん
どうもありがとうございます。
今日探しにいったのですが、おかげでお墓を見つけることができました。
ネット上での情報交換がもとで、ここまで感動おぼえたのは初めてです。
本当にどうもありがとうございした。
あと球陽ですけど読んだことはありません。

383 :世界@名無史さん:01/12/29 14:24
あさって大晦日、1年が終わります。
王国時代に使用された暦というのは薩摩侵攻以前と以降では
異なるのでしょうか?
例えば以前は中国側王朝からのもので、以降は幕府が作る
日本側のものとか。
漢字文化圏(中国文化の影響のある範囲と言う意)は陰暦使
用でしょうが、元号はどちらのものなのかも知りたいのですが。
宜しくお願いします。

384 :世界@名無史さん:01/12/31 21:00
確か、和文文書でも、中国年号を使ってたはずです。
「乾隆?年」とか..
琉球処分のとききた松田の命令に「日本年号を使え」というのが
あったような..

385 :名無しさん:02/01/01 04:58
>383

1771年の八重山を襲った大津波(「明和の大津波」)は
「乾隆36年の大津波」とすべき、て意見も有りますね

386 :尚モナー王:02/01/03 23:46

      ___
      「_ 」 謹賀新年
     ( ´∀`)   
    /     ̄ ̄|    今年も世界史的でもそれ以外の切り口でも
  /  |     |_」    琉球について情報を交換し、理解を深めて
  |__|    |       いければと思うので、宜しくお願い致します。
     |_____|     
      (_)(_)
     御主加那志前

387 :名無し:02/01/04 00:12
尚モナー王陛下と李モナー王陛下の間には何か関連がおありでしょうか?

388 :世界@名無史さん:02/01/08 23:34
尚モナー王陛下が掛詞としては面白いかなとW。

王国時代とは離れますが、米国統治下時代に長として
派遣されていた『高等弁務官』と言うのは、どのよう
な位置付けになるのでしょうか?また現在に至るまで
他の地域で高等弁務官が存在した米国統治地域ってあ
るのでしょうか?

389 :世界@名無史さん:02/01/09 00:10
尚モナー王様に対しては、「陛下」ではなく「殿下」と及びもうし
あげるのが伝統にそっているかなという気がするのですが、いかが
でしょうか。

390 :世界@名無史さん:02/01/11 15:27
↑ 伝統に沿うと言うことは、琉球王国では王に対して
『陛下』ではなく、『殿下』を使っていたと言うことですか?
現在はイギリス初め国王に対しては,『陛下』と使いま
すよね。

391 :名無しさん:02/01/14 14:05
>388
「沖縄の」高等弁務官は↓見てちょ
http://museum.mm.pref.okinawa.jp/ok/uscar/prez.html

米国以外ではアフガンとかへ国連難民高等弁務官が派遣されてるよ

本来は「国連に委託統治の提案するまでの間」だったんだけどね>米軍が沖縄に駐留
1952年にサンフランシスコ条約で沖縄を切り離してから
日本もアメリカのどちらも「国連に」話を持っていかなかったから
(沖縄の高等弁務官制度は1957年から)
一番の特徴は「文民」でなく「軍人」だった事かと>沖縄の歴代高等弁務官たち

392 :388:02/01/15 16:04
>391
ありがとうございました!
その地における大統領のような存在といっ
たところですか。。。

やはり軍人が最高施政者となれば民意に
沿わないことも多くなる訳ですね。

393 :名無しさん:02/01/16 19:13
>392
>その地における大統領のような

「大統領」なら民意で選べるんですけど(^^;)
強いて例えるなら「植民地における総督」が近いですね
現地住民の権利より本国の利益が優先事項ですから

394 :世界@名無史さん:02/01/19 22:02
age

395 :世界@名無史さん:02/01/22 22:21
>>392
そう考えると、『総督』の政治力が発揮されるされないの
問題ではなかったってことですね。
その辺りを考えて教育行政をちゃんとしてくれれば、今頃
英語学習で苦しまないで済んでたのに(笑)。

396 :世界@名無史さん:02/01/22 22:53
>395
誤解されがちなのですが、
「米軍統治」と「アメリカ領土化」とは違いまっせ。

あくまで米軍が持ってるのは「施政権」、
領土としては日本のもの(名目上、ですけどね)。
最終的に米国領にするってわけにはいかない以上、
英語教育オンリーにするのは無理がありすぎたのです。

あと、戦後わりと早い時期に
「日本と教育システム一緒にしよう運動」(そんな名前じゃねーけど)が
教職員たちの間でさかんになったこともあります。

397 :395:02/01/22 23:16
>>396
そういうことなんですか。勉強になりました!

ただ396さんが書かれている「施政権」と言うのは
金融や教育等全てを含むものではないのですか?
ドルの使用が行われたことを考えれば、公用語にする
とまでは言わなくても、英語教育等の充実を図ってく
れていればと思ったものですから。

398 :世界@名無史さん:02/01/22 23:19
図ってくれていれば?

399 :395:02/01/22 23:39
↑もう少し英語の習得具合もよかったかなと。
まっ、個人の資質と努力が大切なんですけどね(笑)。

400 :世界@名無史さん:02/01/23 19:13
琉米和親条約は国際法上成立しますか?
成立するとなれば、米国はあくまで当時の琉球の
立場と言うのは理解した上で交渉した訳ですよね。

401 :名無しさん:02/01/24 02:12
>400
>琉米和親条約

1854年7月11日にペリー提督と結んだ奴?(日米和親〜は54年3月)
ベッテルハイムの報告で琉球と日本の関係を把握してたんでしょうね
清国との交易の関係上「琉球は独立国」という建前でしたから

402 :クサムニー:02/01/25 00:52
>395
>396
大方のヤマトゥンチュが抱く米軍統治下時代の最大の誤解は沖縄は完全に
言語や生活習慣に至るまで「アメリカ化」を強制された、つまり帝国主義
時代の植民地をイメージしていることではないかと思う。いまだにある程度
の年齢をいった本土人のなかには沖縄出身だから英語はぺらぺらでしょうと
平然と言ってくる人がいる。まあこういう無教養な御仁が官製報道鵜呑みに
して沖縄旅行を中止にするんだろうけど(藁)。それはともかく俺が言いた
いのは通貨や交通、行政機構といった「ハード面」では確かにアメリカに組み
込まれていたかもしれないが、言語や教育といった「ソフト面」ではそれほど
徹底した施策や圧政は見受けられない気がするということだ。沖縄は地政学的
に重要という「前提」から近年の沖縄問題やこのスレが随分盛り上がっている
んだけどそんなに重要なら言語を強要する圧政くらいあってもおかしくは無い。
沖縄や日本は言語や宗教で大きな大差や対立がなかったから「宗主国」の言語
を共通語として押し付ける必要がなっかったのかもしれないけどね・・・。

沖縄の歴史や思想についてものすごい各論的に踏み込んでいるこのスレでこんな
大雑把なカキコで恐縮モノだがそれでも平気でカキコするのでよろしく。あと余談
だけど1月26日付けの産経新聞投書欄のテーマ投稿は「沖縄」だそうな。

403 :名無しさん:02/01/25 03:10
>402 

「英語を公用語に」と言う動きは有ったよ>米軍統治初期
だけど強硬に押し進めようにも教師の協力が得られ無かったので断念
(アメリカ本国から連れてくるのはコストかかりすぎ)

402の言う「日本語教育は押し付ける必要が無かった」もある意味誤解
沖縄で「方言」は下手したら他府県との「それ」以上に
シマごとの変異が激しかったりする(宮古・石垣や与那国などが顕著)
それを忘れると「首里ことばが沖縄方言」とする過ちに陥る

せまい「うまれシマ」だけで暮らしていくならそれで済むが
明治以降、渡海が自由になって人の往来が盛んになると
意志の疎通も困難だと経済活動や社会制度インフラ構築が難しい
そこで「標準語」が励行されたのです
(年輩の方だと「方言フダ」の記憶も有ると思う)

ちなみに琉球王府時代
王府の貿易担当は中国語と薩摩言葉の習得が
(出世にかかわるので)懸命に勉強したようですが
庶民は「シマことば」で済ませてたのではないかと

404 :395:02/01/26 13:46
>> 402&403
追加説明ありがとうございます。

>沖縄や日本は言語や宗教で大きな大差や対立がなかったから
「宗主国」の言語を共通語として押し付ける必要がなっかった
のかもしれないけどね・・・。

自分もちょっとこの文章の意味が解り辛かったのですが。


405 :世界@名無史さん:02/01/26 15:04
>404
たとえばインドみたいに多数のまったく相互に通じない言語が入り乱れてる地域を統治するには、
なんらかの共通語が必要になるわけで、
そういうことから(イギリス領)インド帝国の公用語は英語が取り入れられ
その流れをひきついで現在のインドの公用語のなかに英語は健在。

沖縄の場合、戦前の共通語教育の歴史もあって
各島ごとの方言がさほど行政の不都合につながらなかった、ってことでしょ。

406 :395:02/01/26 16:40
了解です!

時代背景とかの違いもあるでしょうが、言語教育は
そのレベルで判断されていると考えれば良い訳です
か…。単純に英語教育は日本でも行われていたこと
ですし、外国語としてでも力を入れといてくれれば
(シンガポールの様に)よかったのになと思ってい
たんですよね。

407 :しょう:02/01/26 22:04
>>382
忙しくてなかなか書込みができませんでした。
件の陵墓は見つかったようで、なによりです。

『球陽』のほう読まれたことがないということなので、
349さんやその他の方のために、以下『球陽』より抜粋をしたいと思います。


408 :しょう:02/01/26 22:37
『球陽』巻三 尚円王代より一部抜粋

<毛興文神に逢って宅を授け、以って金丸に献す>
「成化年間、泊村に安里大親という者がいた。もともとは大城掟(おおぐすくうっち)
と称し、姓は毛、名は興文、名乗りを清信といい、性質篤厚かつ才知ある者であった。
 ある日安里橋の付近である不思議な老人に出会い、それがもとでその地に宅を構え
ることとなった。
 時に金丸が御鎖側官として宅の前を通りかかったとき、その相から金丸をただ者で
はないと看破した安里大親は、金丸の前に跪き、
「吾、公ノ相ヲ見ルニ、天日ノ表、竜鳳ノ姿アリ。他日必ス億兆ノ上ニ坐セン」
と述べた、その他にもいろいろと安里は述べたが、このときの金丸にはその言を聞き
愕然驚起し、安里と別れた。
 それから数十年、金丸は果たして王位に就いた。尚円王である。王は践祚したのち
このときの安里の言に感じ、彼を抜擢し安里地頭職を授けた。またその地の霊異から
宗廟を創建し、寺院を構え、これを崇元と名づけました。」

かなり原文をカットして訳してみました。
崇元寺の由来の記事ですね。

409 :しょう:02/01/26 23:09
『球陽』巻三 尚円王代より一部抜粋

<尚円王 附紀>
「成化四年(1468年)八月九日、金丸は尚徳王の暴虐をみかね、ついに職を辞し、
内間へ隠遁した。金丸54歳のときであった。
 翌年四月に尚徳王が薨じた。当時の法司は王の世子立てるべく、典例に遵い
群臣を城内に集め、その旨を伝えた。群臣は法司の権勢を畏れ、誰も異論をと
なえることができなかった。
 しかしそこに白髪の老臣が単身進み出て、声高らかにこう言った、
「国家ハ及チ万姓ノ国家ニシテ、一人ノ国家ニアラザルナリ。ワレ先王尚徳ノ
 所為ヲ観ルニ、暴虐無道ニシテ、祖宗ノ功徳ヲ念ハズ、臣民ノ艱苦ヲ顧ミズ、
 朝綱ヲ廃シ、典法ヲ壊リ、妄リニ良民ヲ殺シ、擅ニ賢臣ヲ誅ス。国人胥怒シ、
 天変累加シテ、自ラ滅亡ヲ招ク。此レ天ノ万民ヲ救フ所ナリ。幸ニ今御鎖側
 官金丸ハ、寛仁大度、更ニ兼ヌルニ恩徳四境ニ布ク。民ノ父母タルニ足ル。
 此レ亦天ノ我君ヲ生ム所ナリ。宜シク此時ニ乗シテ世子ヲ廃シ、金丸ヲ立テ
 以ッテ天人ノ望ニ順フベシ。何ノ不可カ之レアラント。」
言葉が言い終わらないうちに、群臣は声をあげそれに同意した。
 尚徳王の貴族近臣はこの声を聞き、先を争い城から逃げ出した。王妃と世子
は兵に追われて殺されてしまった。
 群臣は王衣を携え、内間に隠遁中の金丸を訪れ、即位するよう請うた。
 金丸はこのことを聞き大いに驚き、
「臣ヲ以ッテ君ヲ奪フ忠ナルヤ、下ヲ以ッテ上ニ叛ク義ナランヤ」
と貴族や賢徳ある人をもって王にすべきであると、涙を流しながら固持した。
 しかし群臣の強い要望には金丸も折れ、ついにそれまで着ていた衣を脱ぎ、
王衣をまとった。」

この中に登場する白髪の老臣が安里大親であると言われています。

410 :しょう:02/01/26 23:25
>>383
暦はいわゆる琉球処分まで中国のものが利用されています。

とはいえ『球陽』などでは、基本的に王の在位年を用い、
即位元年に「〜があった」、尚育三年に「〜があった」と記述され、
記事の中で補足的に中国の年号が出てきます。
また『球陽』附巻では中国暦は用いられていません。

家譜では基本的に王代で見出しがついていますが、
久米系のもにはこの王代の見出しはありません。


411 :しょう:02/01/26 23:32
>>389-390
王に対しての呼称は「陛下」でも「殿下」でもなく、
基本的に「御主加那志前」を使用します。

また王名+御主加那志前という用法ではなく、
(尚円御主加那志前とは用いないということ)
「御主加那志前」のみの呼称で在位中の王を指すことになります。

発声は「うしゅがなしぃめー」です。

412 :しょう:02/01/26 23:42
いつもいつも半端ですが、今回もこのへんで。
最後に>>400さん

国際法上成立するかどうかは微妙ですね、
条約締結にさいして琉球側は架空の役職、
担当官は偽名を名乗り条約の締結にのぞんでいます。
その意味で公的に結ばれた条約ではないのです。

しかしながら琉球処分を敢行したのちに、諸外国に対し、
琉球と締結した条約その他については、日本政府が引き継ぐという旨通達しています。

もちろんペリーはそれなりに琉球の実情を理解した上で、条約を締結しています。


413 :383:02/01/27 00:54
>410
しょうさん、丁寧に説明頂きありがとうございます!

やはり中国暦を使用したんですね。ただ薩摩や幕府に対して
送る場合には日本の元号を使ったのでしょうか?

多忙な中恐縮ですが、無理されずご教授お願い致します!

414 :世界@名無史さん:02/01/27 19:21
中国に併呑される沖縄
ttp://www.cosmos.ne.jp/~ryunosuk/jp/jno13.html

琉球王府が中国に傾斜したことには訳がある。この点がまた、琉球王国が国家としの
レジテマシーに欠ける部分でもある。
 
琉球は14世紀ころから明国に朝貢するようになった。そして琉球王は中国皇帝の冊封
を受ける。朝貢貿易の返礼は「唐一倍」と呼ばれ、琉球王府は十割近い儲けを亭受す
るようになった。

また1491年に即位したとされる尚真王は、権力基盤を確立するため沖縄に身分制度を
設け、刀狩りを行い、有力士族には家禄を与えて王府首里に住まわせた。

ところが民衆は「地割制」というシステムに組みこまれ農奴と化する。土地私有はい
っさい禁じられ、一定年限ごとに村落ごと耕作地を交代させられた。さらに離島農民
へは人頭税が課せられ、本島農民の三倍以上という重税が課せられた。


415 :世界@名無史さん:02/01/27 19:21
しかし琉球の実質的統治者は、じつは琉球人ではなかった。これこそが中国移民、
客家である。
 
琉球では彼らを唐栄と呼んだが、王府首里城では、旧正月に琉球王がこの唐栄の
号令に従って、北京の柴禁城の方角に向い三跪九叩の礼を行った記録もある。

また、かつて琉球王国は広く海外交易に従事したと流布されているが、県民性に
はそういった特性は見いだせない。

明治34年8月、地元出身、漢那憲和海軍中尉(のち少将、大正10年昭和天皇皇太子
時代、欧州御外遊時の御召艦艦長)が那覇で行なった講演で、「本県人が海に心を
掛けているのは、一部分の糸満はあるけれども一般は冷淡で海を恐れること甚だ
しい」と述べている。

琉球の海外交易の話は、この客家の存在で十分説明がつく。また沖縄民俗学の祖と
いわれた伊波普猷氏も「廃藩置県は半死の琉球王国が破壊されて琉球民族が蘇生し
たのは寧ろ喜ぶべきことである」と述べているのだ(『沖縄新聞』明治42年12月)


416 :世界@名無史さん:02/01/27 19:22
話は昭和に転じる。
 
昭和21年、沖縄出身の日本共産党書記長・徳田球一氏が党大会において「沖縄民族は
少数民族であり歴史的に搾取、収奪された民族である」と発言し、沖縄独立論を唱導
した。またその前年、沖縄人連盟が東京で発足(会長、伊波普猷氏)。そのテーゼに
「朝鮮人連盟と連帯する」というテーゼが採択され、連盟の会員は一時、いわゆるポ
ツダム・マルキストを含め全国に7万人を数えた。

そしてこれを見た当時のGHQまでもが、「沖縄返還にあたっては、日本復帰か独立
か住民投票にかける」と公言したのである。

以上、現在とまったく異なった琉球史の真相を吐露したが、昭和40年代初頭より
琉球史が本土への極端な抵抗史観的視点で描かれるようになった。そこには、本
土復帰運動が活発になるかで、敢えて半日的な気運を醸成するための策動があっ
たことも否定できない。
 
従来、沖縄の復帰運動は米軍政府に対し国旗揚揚、国家斉唱の自由を求める純粋
な民族運動から出発した。ところが、昭和42年ころから過激なイデオロギー闘争
に変質し、反米軍、反日といった色彩が強くなっていったのである。

417 :世界@名無史さん:02/01/27 19:22
沖縄県副知事は日ごろ、「私のルーツは福建省」と公言してはばからない。与那
国町は台湾へは110 キロ、福州市までは直線距離で400キロしかない。台湾人え
さえ約7割は福建省、客家の出身とされているから信憑性はきわめて高い。

福建沖縄友好会館の建設計画書の冒頭にこういう文言がある。「福建省と沖縄は過去
6百年にわたる長い交流の歴史がある、かつて琉球王朝時代、我々は福建省を始め
中国から幾多の恩恵を受けてきた。・・・歴史的に得てきた恩恵、昨今の福建省の
沖縄に対する特別な配慮に対する県民の感謝の気持ちを表す施設として建設する」。

「中国との関係をつよめていきたい、これは沖縄県民の素直な気持ちです。現在の
状態から沖縄の未来をどうつくっていくかは(日本)政府の課題です」沖縄県副知
事は中国側にことさら日本政府の沖縄支援策を強調している。わが国政府内におけ
る沖縄の優位性を中国側に認識させるためであろう。

418 :世界@名無史さん:02/01/27 19:23
左翼勢力から「在日米軍基地の七十五%が沖縄に集中している」とか、「琉球王国
(沖縄の中国名)が日本の侵略を受けて滅びた」などと言われると、政府は沖縄に
やみくもに補助金を増やしている。一九七二年から二〇〇〇年までの二十八年間に
実に10兆4018億円を投入しているのだ(中国ODAの約四倍)。

政府がこれほどまでに県内の反基地勢力や知事を甘やかしたために、もはや沖縄の
戦後世代は政府が沖縄にいかに高額な補助金を付与したとしても、それを「見舞金」
としてしか解釈できなくなっている。政府は自らまいた種で、今後も沖縄問題で
苦悩していくことであろう。

419 :名無しさん:02/01/28 14:08
>>414->>418

長文引用おつかれさん
参考文献が文芸春秋と産経新聞が主だと記してないようですが?


420 :世界@名無史さん:02/01/28 22:59
>418
>一九七二年から二〇〇〇年までの二十八年間に実に
>10兆4018億円を投入しているのだ(中国ODAの約四倍)。

それだけで国防費が浮くなら安いわな。アメリカの国防費が毎年40兆円くらいなんだろ。
こんなはした金で「甘やかされてる」沖縄が情けない。
日本政府もこれだけで「苦悩」する外交なんかするから自業自得だ。

421 :age:02/01/28 23:00
age

422 :世界@名無史さん:02/01/28 23:05
>415
>しかし琉球の実質的統治者は、じつは琉球人ではなかった。
>これこそが中国移民、 客家である。

>417
>沖縄県副知事は日ごろ、「私のルーツは福建省」と公言してはばからない。

それがどーかしたんでしょうか?何が問題?
誰だって先祖をたどれば純粋な「〜人」なんていやしませんよ。

「沖縄が独立したら中国に占領される」って論を展開したそうなのがみえみえだよ。
いかにも産経あたりが言いそうなことですねぇ。
日本がしたことは全て正当化、他は認めないって。やだねったらやだね〜。

 

423 :世界@名無史さん:02/01/28 23:07
>414-418
岸信介の「共同防衛範囲」の議論を知らないんだねえ。
日本がこういうガサツな論理を振り回しつづける限り、永遠に「苦悩」は続くだろうね。


424 :世界@名無史さん:02/01/29 02:45
沖縄が独立したいんならすればいいんじゃない?
沖縄が単独で防衛を全う出来る見込みがあるなら日本も余計な手間が省けてめでたいね。

425 :世界@名無史さん:02/01/29 02:55
沖縄に基地があるのは米の戦略であって、本土の人間が 沖縄に頼んだ訳ではない。
しかも米ちゃんはそこを自分達が切り取った土地だと勘違いしてる。(キャンプシュワブとか)


426 :世界@名無史さん:02/01/29 03:01
つーか、沖縄の県議会を初めとして独立派の議員なんて
1人もいないし。その程度の支持者しかいないよ、独立派なんて。

427 :世界@名無史さん:02/01/29 03:30
琉球王朝が倭寇とつるんでいた時期があるって聞いたんだけど本当?


428 :世界@名無史さん:02/01/29 04:25
博物館で、島津が作って幕府に差し出した琉球の地図見た。
「おきなわ」が「悪鬼納」という当て字になってた。


429 :世界@名無史さん:02/01/29 11:07
>423
>岸信介の「共同防衛範囲」の議論

あの、詳しく説明していただけるとありがたいのですが。

430 :世界@名無史さん:02/01/29 11:12
>426
>つーか、沖縄の県議会を初めとして独立派の議員なんて
>1人もいないし。その程度の支持者しかいないよ、独立派なんて。

「独立派」を名言しなくても、それに近いことを言ったら支持はされんの?
「独立」を主張しないから、国内の他の自治体と同じ位置付けに賛成、という単純な図式なのか?

前副知事の吉本さんて、「特別自治政府構想」持ってたんでしょ。
そういう構想持って選挙に出たら、沖縄では票はとれないのかい。

431 :世界@名無史さん:02/01/29 13:17
>429
423じゃあないが、多分これのことだと思われ
軍事板の「各国の対日感情」スレより引用。

955 名前:名無し三等兵 投稿日:02/01/19 20:23
>951
「国」というわけじゃないのだが、対日感情という意味では沖縄もある意味ネタになるのかもな。

岸内閣の安保改定は、米国による日本の占領を事実上認めた旧安保を
対等な相互防衛条約に改めるというのが主眼だった。
その改定の骨子は相互防衛義務の明示で、具体的な場所として沖縄を含んでいた。
つまり「沖縄を防衛するために日本も軍を出す」と言ったわけだ。
サンフランシスコ条約によって当時の沖縄は
「領土としては日本の領土だが、具体的な施政権はアメリカが持つ」という状態であった。
沖縄側からしてみれば「日本の独立のために売られた」との感情が強かったため、
岸の安保改定論は「日本は沖縄を見捨てたわけじゃなかったノカー!!」と
教職員会などからも賞賛の声があがったという。

…が、そんな沖縄世論は日本政界の議論を聞くにつれて失望へと変わっていった。
野党や自民党の多くからは、
「対等な安保は日本がアメリカの戦争にまきこまれる」という反対の声があがったからだ。
沖縄からみればその声は「沖縄などのために日本人が血を流すのはごめんだ」と、
キツい言い方をすれば「また捨石になってもらいます」と言われているのに等しかったのだから。
この一件は、戦後すぐの時期の復帰運動にあった
「俺たちは文化的にも日本人だから日本に復帰するのが当然だ」という素朴な感情をぶち壊し、
「経済的に日本に復帰するのが有利」という経済主義的復帰論への変質をもたらした。

「沖縄県民カク戦へリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
この電文を残して自殺したことで、
太田少将を悪く言うヒトが沖縄ではかなり少ないということともあわせて考えてみると、
沖縄県人の対日感情というものの底に流れるものが見えてくるかもしれない。
先日亡くなった西銘元沖縄県知事は生前こう言っていた。
「日本人になりたくて、でもなれない、それが沖縄人なんだ」と。


432 :世界@名無史さん:02/01/29 15:56
>431
「俺たちは文化的にも日本人だから日本に復帰するのが当然だ」という素朴な感情をぶち壊し、
「経済的に日本に復帰するのが有利」という経済主義的復帰論への変質をもたらした。

では、経済的に日本国の一員であることが不利であるならば独立だ、という理屈は成り立つんだな。
沖縄人とか日本人とかは大きな問題ではない。それは個人のアイデンティティの問題。
沖縄県民の場合は、「日本国民」になるかならないか、が議論の対象になるはずだ。

その場合、沖縄は日本から独立して経済的にやっていけるのか、
一方で、日本は沖縄なしの安全保障政策を出せるのか、について案を出す必要がある。



433 :世界@名無史さん:02/01/29 15:58
森嶋通夫が、沖縄を独立させてアジア共同体の首都にしたらよい、という構想を主張している。
EUのベルギー・ブリュッセルが念頭にあるようだ。

超長期的な議論だろうが、アジアの将来を考えるうえではおもしろい議論ではないか。

434 :歴史教科書悶題:02/01/29 17:37
なん中華、本中華。毛沢山先生辞任。あぼーん・まんせー!
森嶋「魅痴欧」ちゅ〜〜か(藁

435 :世界@名無史さん:02/01/29 23:29
↑ ?????????

436 :世界@名無史さん:02/01/30 00:26
「なぜ日本は没落するか」だっけ

437 :世界@名無史さん:02/01/30 00:38
壇ノ浦で敗れた平家の中で
沖縄に南下した人は居なかったのか?

438 :世界@名無史さん:02/01/30 01:21
侵略した鹿児島

教わったとおりに育つ良い子たち
脳みそないのね。
還暦になってもおんなじように繰り返して
いるんだろうな。


439 :世界@名無史さん:02/01/30 01:23
俺もそう教わった。
鹿児島って琉球を侵略したわけじゃないの?
正しいと思うところを聞かせてくれ。

440 :世界@名無史さん:02/01/30 01:51
19 :くしなだ神社@千早 :02/01/20 20:17 ID:1ANlWnxm
琉球王国時代に、民衆は武器を一切持たなくなり(そのかわり空手で身を守る)、
海洋民族らしい平和を愛する伝統があるそうです。
武器を持たないがゆえに、簡単に薩摩島津の支配下に入ってしまったことを聞いた時、
「もし武力を持っていたら、支配下に入らずに済んでいたとは思いませんか?」と
聞いてみたかったのですが、時間が来て聞けなかったのが本当に残念でした。
この質問にどう答えるのかって、かなり大事なことだと思うので。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/01/20 21:30 ID:Bl7/dd7d
>19
多分武力ではなく、戦う意思の問題であったとオレは思う。
沖縄では薩摩に武力で支配されたというのが定説だが、それだけ聞くと薩摩がいかにも
大量の軍隊を送りこんだように思う。しかし2000人(だったっけ)の軍隊という、ごく
わずかな数しか送りこまれなかったんだ。王宮の兵だけでも戦えない数ではない。
なぜ戦わなかったかというと、その背後に控えた薩摩との正面衝突をさけるという政治
判断もあったと思うんだが、根本の原因は、自主独立の気概というか、民族としての
プライドに欠ける琉球の体質があると思う。
それは、中国のさく封(変換できない…)体制化にどっぷりとつかりすぎたのがオレは
原因だと思っている。その点で日韓併合を無抵抗で受け入れた某国と非常によく似ている。
元に服従を迫られたのを正面きって蹴っ飛ばした日本とは対照的だ。
また、今になって、それを快く思っていない点も某国と沖縄は似ている。
尤も、某国と沖縄ではうざさが決定的に違うんだが。
沖縄人の平和を愛する気質が、琉球王朝時代に作られたことは納得だが、
それは中国様の支配があってこその平和で、少し違うんじゃないのといいたい。
今の日本を鑑みると非常にいたいんだが。。。

441 :世界@名無史さん:02/01/30 01:51
53 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/01/21 11:29 ID:B40he07f
沖縄の民が平和を愛するがゆえに島津に抵抗しなかったというのは嘘。
抵抗したけど弱かったから征服されたというだけ。
武器をなくしたのも王家が反乱を防ごうとしたためであって、秀吉の刀狩と似たようなもの。
「沖縄=平和の島」というのは精神勝利法の一種で、欺瞞だと思う。
まあ、当時の島津の軍隊は東アジアでも最強クラスだったから、その辺は多少割り引いてもいいと思うが。
ついでにいうと、沖縄とはあくまでも沖縄本島の名称であって、宮古・八重山・奄美は別個の存在だった。
沖縄が周辺の諸島嶼を武力で征服して「琉球」を建設したんで、「琉球=沖縄」と決め付けるのは
「日本=ヤマト」とひとくくりにしてしまうのと同じこと。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/01/21 15:14 ID:2a3O7Uy8
>53
同意
平和を愛し、そのため武器を廃止し、島津が攻めてきても平和を愛するが
ゆえに抵抗しなかったかのようにこのスレで言われているがはたしてそうか
53が言うように八重山諸島は本島とは別の勢力圏であり言葉も首里方言と
本土の並の差が八重山と本島にはある。
そしてその八重山を琉球王府が武力をもって侵略したのが島津の琉球侵攻の
100年ぐらい前とそれほど過去でなく、それ以後も引き続き八重山を支配下に
収めるため軍事的介入を推し進めこれにはむかうオケヤアカハチやイソバアブ
などの乱に対し武力弾圧を沖縄はしていたのではないのか。
本当に平和を愛してるのならこのようなことをするか?
実力がなかったから負けたことを認めたくないための言い訳ではないのか。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/01/21 21:20 ID:sFDxdlY/
>67
同意。八重山は沖縄とは別だ。
有名な人頭税に代表される八重山への過酷な支配については
沖縄人はあえて目を向けぬようにしている。
八重山支配を認めてしまうと、沖縄=被害者の図式が崩壊するのだろうな。
先日も新報のコラムに大和政権の租などと人頭税を同列に扱うものがあった。
ああいうのを歴史捏造というのだろう。
ちなみに、八重山の人間の意識は、沖縄人よりはるかに我々に近い。

442 :世界@名無史さん:02/01/30 02:11
参議院議員に初当選した社民党の太田元沖縄県知事も、
沖縄の帰属は 中国であるべきと考えているらしいね。

443 :439:02/01/30 02:18
侵略じゃないということを説明しているのかと>>440-441を読んだが、
どうやらそうではなかったのね。

444 :名無しさん:02/01/30 02:45
>442
>大田元沖縄県知事も沖縄の帰属は中国であるべきと考えているらしい

そのような発言は初耳
ソースの提示きぼーん

445 :世界@名無史さん:02/01/30 03:13
>439
侵略は間違いなく事実。

ただ、それをどう位置づけるかはまた別の問題。
少なくとも>438みたいに、戦後日本の失政でこじれた沖縄問題の鬱屈から
やつあたり的に歴史改変をしたがるような行為は、歴史板としてふさわしい態度じゃない。

>440の「30」も似たような過ちを犯してるな。
そんなこといったら冊封体制下にあったすべての諸国家が征服に対して従順でなくちゃならんことになる。
日韓併合を持ち出したあたりで馬脚を現したという感じで、
薩摩の琉球侵攻と日韓併合とは、それに至るまでの展開があまりにも違う。
典型的な武力侵攻でしかない薩摩のそれにくらべ、
日韓併合は(こんなこと言ったらなんだが)数十年をかけ、
韓国を日本の戦略的・経済的領域に取り込むため、熟慮に熟慮を重ねて行われた行為だ。
この二つを同列に扱うのは、要は
「今になって、それを快く思っていない点も……」と言いたいだけ。
沖縄で薩摩侵攻を理由に反日を唱える馬鹿はまずいない、
ほとんどの反日感情は沖縄戦と戦後の扱いからきてるってことを意図して無視してる。

>441は「53」以外はあまり見るべきレスがないな。
「53」が最後に言ってる「沖縄島以外の歴史への観点」は歴史板にふさわしいレベルの問題提起だが、
話の流れが「平和島沖縄テーゼ」に偏ってしまって正直もったいない。
ありゃ単なる戦後サヨの「反戦」宣伝でしかなく、
正直言ってあれを叩いたところでほとんど実のある話にはならんのだが。
サヨが歴史を曲解するのはいつものことだが、
それと沖縄そのものを同列に並べて叩いても沖縄=サヨっていう浅薄な思い込みを露呈するだけ、
反日感情とサヨと地元アイデンティティが入り混じってるという現状を理解しないことには話が進まない。

>442
個人について言及するときには出典を明記すんのがマナーだぞ。


446 :世界@名無史さん:02/01/30 04:06
沖縄には日本が琉球に侵攻し、併合したのを、根に持ってる人が、沢山いるようですが、
しかし、今の日本人にそんな昔の事を責められても困ります。
でも民族的な感情としては理解できます。
日本人だって、どこかの国に併合されたら反発するでしょう。

30年前の「沖縄返還」の時、3つの選択肢がありました。
1.グアムやサイパン、ハワイのように米国の一部になること
2.日本の一県に戻ること
3.かつての琉球王国のように、独立国になること
沖縄の人が選んだのは「2.日本の一県に戻ること」でした。

なぜそれを選んだのか、その真意はナイチャーの俺が知る由もないのですが、もう潮時でしょう。
独立してください。
国民投票でもすればほとんど賛成すると思います。
同等の独立国として、対等に付き合う方が双方にとってベストだと思います。

ハワイでも同じような話が出てきてるらしいです。
ハワイ語教育などもだいぶ進んでるらしいです。
ハワイ出身の相撲取りが簡単に米国市民権を捨て、日本に帰化するのは、自分が余り米国人でないと思っているからです。

独立して、独自のやり方で沖縄を運営してください。

447 :世界@名無史さん:02/01/30 04:57
>446
>日本が琉球に侵攻し、併合したのを、根に持ってる人が、沢山いるようですが

いないよ。 

>30年前の「沖縄返還」の時、3つの選択肢がありました。

お願いだから、どれでもいいから一冊、ちゃんと資料に基づいた沖縄返還交渉の本読んで。

こんな知識もなにもない、思い込みだけで発言するヤマトンチューが多すぎるから
ますます沖縄で反日的言辞が受け入れられていくようになる。



448 :世界@名無史さん:02/01/30 05:21
ここでの議論はとても勉強になる。
他の板と違って妙な感情論に偏ってないし冷静。。。
これだけでも書き込む人の意見をしっかり
読みたくなるもんね。

449 :世界@名無史さん:02/01/30 14:22
>>446のように思っちゃうのはしかたない。
サヨの人たちの声は大きいからね。(本土も同じか)
「ここがヘンだよ日本人」の沖縄編見てもわかる。
独立派なんて、一般人の中で探すのは難しい。
学生にはいるかももしれん。

450 :世界@名無史さん:02/01/30 16:16
>445
薩摩の琉球侵攻について「典型的な武力侵攻」ということですが、
その内情について少し補足を。

侵攻当時の薩摩藩は朝鮮出兵、関が原とうち続く出兵で財政はガタガタ、
さらに藩内では義久、義弘、家久の派閥が反目しあい分裂寸前でした。
琉球出兵は、琉球の領土(奄美大島)を家臣に与えて不満をそらし、
藩内の権力を統一しようという、藩の命運をかけたプロジェクトでした。

その頃、徳川幕府は朝鮮出兵後で断絶した明との国交回復を琉球に
交渉させようとしており、琉球がこれを拒否した時点で薩摩の出兵を
許可したのです(幕府の要求は琉球に従属を強いる内容で、独立国で
あった琉球は当然拒否しました)。

琉球へ侵攻する薩摩軍は三つの派閥の混成部隊でチームワークもなく、
一部の薩摩兵は命令を聞かず勝手に動きまわって統制がとれない状態でした。

薩摩軍は戦闘が数ヶ月長引けば撤退する方針でした。
長期戦になれば派閥争いで薩摩軍が自己崩壊する恐れがあったからです。

薩摩は当時の東アジアでも屈指の軍事力を持ってはいましたが、
琉球がゲリラ戦に持ちこめば勝てる機会は十分にあったと思います。

琉球侵攻事件は、薩摩側にとっても綱渡りのような状況だったのです。


また、414以下のやり取りのように、現在の不満からやたらと一面だけの
歴史を持ち出して問題にするのはどうかと思います。
歴史をきちんと捉えた上での議論でなければ不毛のような気がします。

ちなみに薩摩の侵攻を免罪する意図では全くないので誤解なきよう。
私は沖縄出身です。

451 :世界@名無史さん:02/01/30 22:17
沖縄が日本国に貢献できることといったら、

「自国を守るに足る武力と、それを使いこなす能力がなければ国は亡びること」

だと思う。沖縄の歴史がそうなんだから。
ほとんどの日本国民は、日本がアメリカの属国と同じ存在だと感じないほど
問題意識を持ってないけど、その目をさましてあげることができるでしょう。

沖縄の日本での役割はそれしかない。


452 :世界@名無史さん:02/01/30 22:17
沖縄が日本国に貢献できることといったら、

「自国を守るに足る武力と、それを使いこなす能力がなければ国は亡びること」

を教えることだと思う。沖縄の歴史がそうなんだから。
ほとんどの日本国民は、日本がアメリカの属国と同じ存在だと感じないほど
問題意識を持ってないけど、その目をさましてあげることができるでしょう。

沖縄の日本での役割はそれしかない。


453 :世界@名無史さん:02/01/31 00:43
沖縄が日本国に貢献できることといえば一つだけ。
「国を守るだけの武力と、それを使う能力がなければ、国は亡びる」ことを教えること。
なんせ薩摩の侵略と沖縄戦で身をもって証明してるんだからな。



454 :名無しさん:02/01/31 01:17
>451〜453

書き込みボタン押す前に推敲する習慣つけた方が良いよ


455 :世界@名無史さん:02/01/31 01:25
沖縄が日本国に貢献できることといったら、

「自国を守るに足る武力と、それを使いこなす能力がなければ国は亡びること」

を教えることだと思う。沖縄の歴史がそうなんだから。
ほとんどの日本国民は、日本がアメリカの属国と同じ存在だと感じないほど
問題意識を持ってないけど、その目をさましてあげることができるでしょう。

沖縄の日本での役割はそれしかない。




456 :世界@名無史さん:02/01/31 03:00
>454
荒らしのつもりじゃねえの?


457 :世界@名無史さん:02/01/31 06:49
韓国が日本国に貢献できることといったら、

「自国を守るに足る武力と、それを使いこなす能力がなければ国は亡びること」

を教えることだと思う。韓国の歴史がそうなんだから。
ほとんどの日本国民は、日本がアメリカの属国と同じ存在だと感じないほど
問題意識を持ってないけど、その目をさましてあげることができるでしょう。

韓国の日本での役割はそれしかない。






458 :世界@名無史さん:02/01/31 06:50
Win用ゲーム戦国史

□本体
http://www.max.hi-ho.ne.jp/asaka/index.html
古琉球史シナリオ付属

□追加シナリオ 琉球三国志
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Queen/1275/sengokushi/



459 :世界@名無史さん:02/01/31 23:35
↑こう言うゲームがあったんだ。感心、感心。。。

460 :世界@名無史さん:02/01/31 23:57
「自国を守るに足る武力と、それを使いこなす能力がなければ国は亡びること」

戦争に負けた国全てに当てはまるような事言われても、物理的に不可能な
場合はどうするのでしょうか。

461 :世界@名無史さん:02/02/01 02:22
「物理的に不可能」って、どういうこと?

462 :世界@名無史さん:02/02/01 03:19
>>461
 隣国との国力差が数倍違えば、自国を守るに足る武力
を持つこと自体が不可能なのでは ?

463 :世界@名無史さん:02/02/01 14:06
沖縄の武道と舞踊の関係、融合性を解説した好著ないでしょうか?
身体文化論の角度から沖縄の歴史を調べてみようかな、と思ってまして・・・。

464 :名無しさん:02/02/02 02:36
>463
「沖縄の武道」には
徒手空拳の「手(てぃー)」と
武器を使用する「古武術」がありますが?

古武術だと↓からリンク先など調べて見ては?
ttp://www.isc.meiji.ac.jp/~siun/ryukyu.htm

465 :世界@名無史さん:02/02/03 07:35
琉球の昔の写真
http://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/academic/bull/photo/index.html


466 :世界@名無史さん:02/02/03 16:07
↑すばらしいですね。色付けとは言え、きれいなカラーで見ると
イメージが全然異なることがわかりました!
古首里城がどんな状態だったかや庶民の姿が印象的です。

467 :世界@名無史さん:02/02/05 01:49
やっとよみ終わりました。最近になって沖縄に魅了され、独学で琉球の民俗、
神話、歴史を勉強しているナイチャーですが、このスレは勉強になります。

琉球史の独立性についての議論がたびたびもちあがっていますが、個人的には
琉球が歴史的、あるいは政治的に独立国であるかどうかはさておき、琉球人の
意識レベルで疑義の余地なく、現在も琉球は独立した文化圏と考えています。
なによりわかりやすい事象として、琉球人は現在も「ウチナンチュ」という
言葉を自らにあてはめる事実があります。彼らはウチナンチュとナイチャー
あるいはヤマトンチュという呼称によって、自らの共同体と倭を分けて意識
しており、強い帰属意識を捨てていません。彼らは日本国内にあって常に
琉球と倭を相対的に意識し、民族意識を保っています。
琉球人が沖縄国独立運動という方向に琉球民族のアイデンテティを求めないのは、
それを国家という形態でなく郷土への帰属意識に求め、それが現在も生きている
からではないでしょうか。彼らは戦後のアメリカ世、ヤマト世を通じて、むしろ
その帰属意識を強め、自覚し、日常に定着させているのだと思います。

468 :467:02/02/05 01:56
また、琉球語ですが、言語学的には日本語の地方方言ではなく、
日本語と源流(古日本語)を同じくする日本「方言」と対等の
琉球「方言」と捉えるのが有力な学説になりつつあるようです。

469 :世界@名無史さん:02/02/05 23:52
今日のNHKのプロジェクトX見た人いますか?
首里城の復元に携わった方達についてやってましたね。

私は去年沖縄に旅行した時に、高良倉吉さんにお会いして首里城の案内を
していただく機会があったんですが(随分前にも一度レスしました)、
首里城を回りながら建物の歴史的背景と同時に復元作業の苦労なども
語っていたのが印象的でした。

ちょっと自分語りになってしまった。すまそ。

470 :世界@名無史さん:02/02/06 03:25
見落とした(涙)!!木曜の再放送は絶対録画しよう!!
ガイシュツだったと思いますが、コンクリート造りになってし
まった部分(お土産店か何か入ってる向かって右側の建物?)
があるんでしたっけ?
ちなみに現尚家の当主の方とかもう行かれたのでしょうか?

471 :世界@名無史さん:02/02/06 04:19
歴史マニアは言語学音痴が多いね

472 :世界@名無史さん:02/02/06 07:43
T氏は金儲けのためならどんな復元でも構わないとのたまわった。こんな人間がテレビに出て美談化されるのはどうか。
首里城南殿、北殿には自動ドアを付けてるし、内部は鉄筋だし。

473 :世界@名無史さん:02/02/06 08:15
げっ、そうなの?自動ドア萎え〜。。。

474 :世界@名無史さん:02/02/06 09:28
沖縄の世界遺産の写真
ttp://www.ne.jp/asahi/okinawa/hiro/okinawa1.htm
ちゅらさんの撮影場所らしい
ttp://www.ne.jp/asahi/okinawa/hiro/kinjyo.htm
首里城の写真
ttp://www.ne.jp/asahi/okinawa/hiro/syuri2.htm
↑すごく立派な石垣だねぇ


475 :世界@名無史さん:02/02/06 09:29
アメリカは,北太平洋での捕鯨船の寄港地確保と中国進出の足場として,
日本を開国させねばならなかった。日本との交渉が難航した場合に備えて
中継貿易で栄え,清とも交流のある沖縄を占領しようと計画していた。
ttp://www.nichibun-g.co.jp/shakai/kyoshitsu/024/k240609.htm

ペリーの一行が見た日本と沖縄
−琉球のクーリー達は,快活,敏活,忍耐強いといった性質の典型で
あり,常に命令を待っており,決して顔つきや言葉つきで不満の情を
示さなかったのだ。
……その村はとても繁栄しており,イギリスの田園のように清らかな
村である。琉球の村の清潔さと規則正しさとは,中国の不潔と汚穢とに
慣れた我々の心を二重に爽かにしてくれた。−
ttp://www.nichibun-g.co.jp/shakai/kyoshitsu/024/k241315.htm

476 :世界@名無史さん:02/02/06 15:31
TV番組といえばお正月に、ケーブルのヒストリーチャンネルで
「うちなーの遺産〜沖縄・世界遺産を巡る〜」見た人います?
家はこのチャンネル入らなくて、正直悔しかった。


477 :世界@名無史さん:02/02/06 21:10
首里城はテーマパーク。史跡でも何でもない。
ほとんどがここ10年の建物。しかも無理な復元をしているため入城料が高い。

478 ::02/02/06 22:46
ペリー一行の記録をみると、琉球の美しさは凄く賛美されてるよね
自然だけでなく、街並みの美しさも。
貧乏な家でさえ、清潔に保たれてると
美食の点に関しては、日本中国よりも上だと書いてる
戦前まであった沖縄の街並みの美しさはもう無いが・・・
文化、風習、言語に関しては日本と繋がってると見抜いてた(ベースが)
琉球人の容姿については多くは日本人風、ついで中国風、マレー風だとか




479 ::02/02/06 22:48
>473
気にするな
彼は沖縄では左側の人たちから疎まれてるのだよ
クールな歴史学者なのでね

480 ::02/02/06 22:49
彼ってT氏の事です

481 :世界@名無史さん:02/02/07 01:13
料理に関しては中国は脂っこくてくどかったらしい。
で、日本は薄味すぎたそうだ(ほとんど少量の塩で味付け)。
琉球料理が一番ペリーにとって調度良い味付けだったらしい。

482 :世界@名無史さん:02/02/07 03:37
>>476
漏れも見たかった!!内容知りたいけどどっか載ってないかな。
尚家の今の当主は当然東京在住なんだろうけど、さすがにテーマ
パーク「首里城」には入城料払ってまで行ってないのでは。

483 :世界@名無史さん:02/02/07 07:48
>>479
百歩譲っても大金出して何が何でも首里城復元していこうとする姿勢はどうかと思う。
早急な復元は適切な史跡保存に適さないばかりか金儲け本意となれば、観光客だけでなく土建屋などが絡んできて大変なこととなる。
左の人ではないが左の人でなくともT氏の発言はどうかと思う。
でも沖縄の人が過去を捨て去ってしまって良いと考えているならば、それも一興ではあるが。
ただ、史跡としての在り方に対して歴史学の大学教授がトンデモ発言しているので気になっただけです。

484 :世界@名無史さん:02/02/07 07:58
13 名前: ちゅらさん 投稿日: 2002/02/05(火) 12:25 ID:/ddn3b.M [ fw02.nirai.ne.jp ]

首里城の黒字で基金を作って、海外に流出した琉球王朝の文化遺産を取り戻す計画とのこと。
教授から直接聞いた話。見た目はヤクザだけど沖縄を愛してるいい人だよ。

教授とは高良さん。現在の沖縄歴史界の宝 。右でも左でもなくあくまで事実を確かな資料にもとづき調べていく
どんな事もわからない内は保留にしとく良心的な学者
主観に基づいて勝手に断定しない
だから県内革新左翼系から煙たがわれる事もよくある







485 :484:02/02/07 08:22
興味のある人は、沖縄の革新新聞沖縄タイムスで高良倉吉で検索してみてください
新聞紙上でも、バリバリ現役沖縄左翼とのバトルの極一部が見つかる(読める)よ。
どっちがまともかは日本全国の人に見せたら一目瞭然(もちろん高良)
ちなみに俺は海兵隊いらない派
おれがこのレスでいう左翼とは、歴史を政治的イデオロギー闘争に利用するために歪曲して広める悪達の事
「沖縄は武器を持たない平和国だった」とかね
沖縄の小学生でも郷土史の自主的な学習で気づいてる子がいるというのに、
大の大人達(主に左翼)が「沖縄は非武の島だった」とか本まで出す始末
歴史を右だの左だのの闘いで勝手にゆがめるなと言いたい
教科書を作る会も馬鹿なら左翼も馬鹿だ
高良氏は沖縄を愛するがゆえに、一部左翼達が広めたデマ、脚色しすぎの歴史物語に終止符を打てるお方
左翼から口撃されても、教科書を作る会の奴等のように(個人的に好きな人もいるけど)
右にぷっつんする事なくクールで柔らかい頭を持ち続ける高良氏は沖縄歴史界の宝
桜井よしこさんも高良氏の事を評価してた
高良氏は沖縄をめぐる政治に関しては「良質のマキャベリズムが必要だ」という考え方の人
こういう所も県内左翼から嫌われる(w


486 :世界@名無史さん:02/02/07 18:19
T氏も気がつかない内に政治的イデオロギーに呑み込まれ、右の人達に利用されている。
歴史的事実以前に政治的イデオロギーが全面に押し出されているのは結構、昔から。
沖縄の現状を憂い、それを如何に打破していくのかを歴史という材料に拠ったまでで、彼は歴史学者ではない。
そのような背景があるのを気がつかずにT氏の立場を中立として信じていること自体、盲目と言えよう。
彼を取り巻く人と彼のおかれている立場を無視してまで彼は歴史的事象に忠実に有り続けているというのは如何なものと言える。
状況がそうさせないのは必然と言える。

487 :補足:02/02/07 18:24
>右にぷっつんする事なくクールで柔らかい頭を持ち続ける高良氏

彼がそうであっても彼の言を借りて歴史を歪曲する連中は沢山いる。
そういう連中が彼の元に集まる時点で、彼の立場は不動で有り続け得ない。

488 :世界@名無史さん:02/02/07 22:12
誉れ 謗られや世の中の習い 沙汰も無い者の何が役立つか 蔡温

489 :世界@名無史さん:02/02/08 04:58
ごめん、首里城復元がどういう過程でそうなったのか知らないんだけど、
実際金儲けのために行われたの?あんな金かけて儲けあるの?


490 :世界@名無史さん:02/02/08 07:42
>489
首里城復元がされて以降、沖縄でも1,2位を争う観光スポットとなっている。
周辺の飲食店や売店への経済効果は絶大である。
また、各種イベント盛りだくさん。組踊りや王府儀礼の復活、首里城祭りと財団法人首里城公認の露店は暴挙的な値段で酒、つまみを売りつける。
あな、あさましきことかな。


491 : :02/02/08 11:02
みなさんお馬鹿連中のレスに気をつけてください
詳しい事は高良倉吉の「琉球王国」岩波新書を立ち読みでもいいから読んでください
ここで私がいくら説明してもせっかくの良スレが荒れるだけですから
まちBBS沖縄掲示板で厨房レベルの書き込みをしてるような馬鹿がここにもときたま現れてるので気をつけて下さい


492 : :02/02/08 11:07
>489 
 日本が世界に誇る文化遺産の修復がみんな金儲けの為に行われた卑しいものだと思うような電波を発したいなら勝手にそう思っててください
 

493 :世界@名無史さん:02/02/08 12:12
>485
「バリバリ現役沖縄左翼」って誰ですか?沖縄以外の左翼とは、何が違うのかがわからなくて。

あと高良さんが他の先生方と「沖縄イニシアチブ」を出した時点で、すでに中立的な立場は自ら放棄しているのではないですか。
どこかの本に「”独立論”への見解や解説を求められるのは、沖縄の歴史家の運命なんだろう」みたいなことを書いてましたが、
これも、一種のイデオロギーの解説のために歴史を利用していますよね。

まあ、全ての責任は一歴史家に現在の沖縄社会や、政治思想についての解説をさせたり、表舞台に引っ張り出す沖縄の連中にあるから。


494 :世界@名無史さん:02/02/08 12:45
>491
馬鹿と決めつけて議論を進めないのは貴殿の思考停止であると見なして良いでしょうか?
>492
「日本が世界に誇る文化遺産の修復」というが世界に誇れるレベルの修復を行っているのか?
修復は悪と入っていない。ただ金儲けに目的のレベルの低い修復を行っていることを問題としているのだ。
論題のすり替えも甚だしい。
>493
同意。




495 : :02/02/08 14:57
落ち目の革新左翼君達の矛先は日本政府だけでなく同胞達にも年中向けられる
赤新聞では沖縄を罵倒する沖縄左翼も現れてるし、たかがアムロにも政治的な事がらみで“もっともらしい”屁理屈こねくりまわした批判があったりするもんな
なんでもかんでも政治色からめてしかみれない、沖縄革新左翼が落ち目なのも無理はない
本土の人達にはわからないと思いますが、沖縄ではもう革新左翼がぼろ負け状態できてます


496 :世界@名無史さん:02/02/08 16:21
高良さんの話は別でやってくれ
もういいよ
このスレが荒れるからもう無しね


497 :世界@名無史さん:02/02/08 18:17
>496
激しく同意。
せっかくの優良スレなのに。
退場してください。

498 :尚モナー王:02/02/08 18:19

      ___
      「_ 」
     ( ´∀`)   
    /     ̄ ̄|    様々な見解を持たれる方々と思います。ただここは一個人に
  /  |     |_」    関するイデオロギー論を言い合う場で無いと考えます。
  |__|    |       ご理解、宜しくお願い致します。
     |_____|     
      (_)(_)
     御主加那志前


499 :世界@名無史さん:02/02/08 20:18
尚モナー王、いいタイミングで来てくれた
みんなまったりといこうね
歴史はみんなのものだから、くだらない喧嘩はやめようね

500 :世界@名無史さん:02/02/09 00:23
「歴史はみんなのもの」

ふーん。そうなんだ。

501 :世界@名無史さん:02/02/09 00:32
琉球王国にも、いわゆる「行政改革」をした人はいるのですか?
江戸時代の恩田木工とか、山田方谷みたいなひと。

名政治家といえば、蔡温とかしか聞いたことないんで。


502 :世界@名無史さん:02/02/09 01:10
昔も今も、沖縄に名政治家はいません。



503 :名無しさん:02/02/09 02:07
>488
こちらの琉歌も有るけど

「誉(ふみ)めらりん好かん、謗(すし)らりん好かん、浮世穏やしく渡りぶしゃぬ」 名護親方(程 順則)
意味:ほめられるのも悪口を言われるのも好まない、この世を穏やかに暮らしたいものだ

504 :488:02/02/09 03:05
>503
この二つの歌は対照的な二人の生き方を象徴していて
興味深いですよね。

505 :世界@名無史さん:02/02/09 08:24
首里城、グスクを研究している人で誰がいますでしょうか。

506 :世界@名無史さん:02/02/09 11:23
>503

親方なのに、のんきな人だ。

蔡温のほうが、アクが強そうですね。

507 :名無しさん:02/02/09 13:17
>503
>親方なのにのんきな人だ

まぁ「政治家」と言っても
「政争」でなく「文学者、教育者」の道あゆまれた御方ですから...(別名:名護聖人)
☆名護親方の簡単なプロフィール
ttp://www.city.nago.okinawa.jp/ijin/ijin_index.html


508 :世界@名無史さん:02/02/09 23:56
江戸時代においての琉球宮廷は、取り敢えず独立国の政体として
存在していたんですよね。京都の朝廷と異なりいろいろ国政を取
り仕切らきゃならない分、良くも悪くもいろんな政治家がいたの
でしょうね。興味深いです。


509 :世界@名無史さん:02/02/10 16:24
>508

そうそう、江戸時代の日本とは違った政体について知りたいんですよ。
一応の政教分離ができていた日本とは違って、琉球王国は政教が一緒の政体だったんだよね。
それが、日本の近代化に追いつけずに、独立を保てなかった原因ではないかと。

510 :世界@名無史さん:02/02/10 17:16
>509
独立を保てなかった原因ってひとくちに言うけど、
その「独立を失ったとき」っていつだと思う?

511 :世界@名無史さん:02/02/10 19:49
薩摩にやられたからその後の歴史が大きく変わるんであって、訳のわかんない事言ってちゃ駄目よ
琉球は軍事面をもっと重視してたらかなり手強かったであろう地形・城を持っていたとテレ東で昔、渡部昇一がやってたタカ派番組で田久保とかいうタカ派のおっさんと語りあってたよ
現在の首城周辺の地形も昔と違うし、首里城自体昔のまんま復元する事は不可能な周辺の状況になっちゃったみたいだから、軍事的観点でみた上でのかなり優れた点が想像しにくいけど






512 :世界@名無史さん:02/02/10 21:41
>>502
イチラヂチ・チョーチュー。

513 :世界@名無史さん:02/02/10 21:57
同時代史としての現代史においても沖縄つまり琉球は世界史的存在である。

514 :丸木舟:02/02/11 00:23
今インドネシア(昔のジャワ)に仕事で住んでます。沖縄にはジャワやその他のアジアの
海洋王国の文化もずいぶん入ってきてるんですか?チャンプルーはインドネシア語で
混ぜ物の意味。また安里屋ゆんたの歌詞の中にマタハリという言葉が挿入されてますけど
これまたネシア語で太陽の意味。知り合いの沖縄出身のおばさんは琉球王国時代に入って
きたんだよって言うんですけど。大航海時代の琉球王国の活動が詳しく紹介されているページ
や本があれば紹介していただけませんか?全くの初心者なので。

515 :名無しさん:02/02/11 01:09
>514

☆琉球の大交易時代
ttp://www.urban.ne.jp/home/ngsek/mikanokireki_002.htm
☆古琉球の東アジア交易圏
ttp://museum.mm.pref.okinawa.jp/history/story/epoch2/daikoeki_1.html
↑の「沖縄の歴史」から目を通してみたら判りやすいと思う

516 :世界@名無史さん:02/02/11 01:40
>>514
日本の着物文化の中に、東南アジアから琉球を経て入ってきたものもあるとのこと


517 :名無しさん:02/02/11 01:56
>516

絣(かすり)?
紬(つむぎ)?

518 :516:02/02/11 02:34
絣だったけ


519 :世界@名無史さん:02/02/13 00:25
>丸木舟さん
初めて知りました。
琉球の交易に関しては、どうしても「中国との」って部分が中心に
なっており、なかなか東南アジアの国々との関係がわからないです。
いろいろネシア情報も絡めて教えて下さい。

520 :世界@名無史さん:02/02/13 02:48
ものすごいスレ違いの予感かもだけど、インドネシアもバリとかとその他の地域
(すごい大雑把な分け方だけど)でかなり文化とか違うんだよね。民族も?

ちょっとだけ沖縄と日本の位置関係に似てるかなーと思った記憶が。乱暴だけど。

521 :世界@名無史さん:02/02/13 09:26
バリはインドネシアの中では異質文化を持った島として考えられているそうです。
(宗教上の考え方の違いがあるそうです)
スハルト大統領だったときに、彼のお母さんがバリ島出身だったから愛着を持っていて
バリ開発に積極的だった、と本で読んだことがあります。



522 :世界@名無史さん:02/02/13 10:28
バリはヒンドゥーの影響が強くて、その他の島はイスラムの影響が強いのでは?

523 :世界@名無史さん:02/02/13 17:44
沖縄の土着宗教と、日本の宗教である神道とは何が違うんですか?

沖縄にも神社はあると聞いていますが、テレビで見るのはお年寄りが「うたき」という場所でお祈りしているとこしか見たことありませんが。

524 :名無しさん:02/02/14 01:10
>523 
>沖縄の土着宗教

ひらたく言えば「祖霊崇拝」
仏教と道教の影響が濃い
現世の住宅は「仮のすまい」であり
「陰宅」である墓(一族の墓=門中墓:もんちゅうばか)を重要視

先祖のたましいの行くところ→後生(ぐそー)は
うみのかなた(ニライカナイ)とする見方も有るし
地の底に有るとも言う
前者は「浄土」で、後者は「冥界」かもしれぬ

沖縄では「先祖霊」のほかに
ちまたにいろんな「目に見えぬもの」が徘徊してると考えられ
あるときは「障り」を怖れ、あるときは加護を望み
聖域(この世とあの世の境)である「御獄:うたき」を参る
地域によっては線香とともに紙銭(ウチカビ)も燃やす風習も有る
(ここんとこが「道教の影響濃い」と見られる所以)

525 :世界@名無史さん:02/02/15 01:33
>>509
原因が政教一体だったというのは、ちょっと違うのではないかと思います。
「近代化に追いつけずに独立を保てなかった」というのが明治における
廃藩置県のことを指しているのならば、それは当時の幕藩体制に
組み込まれていた琉球王国の処置を巡っての日本と清の駆け引き等の
外的要因が大きく関わっているのではないかと思われます。

526 :世界@名無史さん:02/02/18 13:16
>524
そう考えたとき、沖縄における宗教は「土着信仰」であり
呼び方としては「神教」とも「仏教」とも言えない訳ですね?

527 :世界@名無史さん:02/02/18 14:10
沖縄における宗教で中心をなしていたのは何なのでしょうね。
だれか詳しい人がいたらよろしく。

ちなみに、昔の琉球に伝わっていた主な宗教は、道教、仏教、神道
でした。その他の土着信仰では祖先崇拝やニライカナイ信仰、太陽信仰
などがありました。

528 :名無しさん:02/02/18 21:27
>沖縄の宗教で中心をなしていたもの

「アマミキヨ」「アマミク」で検索してみてください>琉球の創世神話


529 :世界@名無史さん:02/02/21 03:58
>528
アマミキヨ、アマミクというのは「奄美」の語源とか
になった訳ではないのですか?

530 :世界@名無史さん:02/02/22 01:27
沖縄だけでなく、奄美における信仰も、薩摩侵略以前以後で変わったのでしょうか?

531 :世界@名無史さん:02/02/22 13:52
宗教とはちと異なるかもしれぬが、儒教の影響はどうなんだろう?

532 :世界@名無史さん:02/02/22 18:52
儒教は中国の影響があったな
仏教系は薩摩と関係なしに入ってたよ
今日現在の沖縄はなんでもありって所だな(w

533 :世界@名無史さん:02/02/23 13:07
↑首里城の隣に王家の菩提寺である円覚寺があったしね。
いまは総門しか残っていないけど。

534 :しょう:02/02/23 13:55
久しぶりにきましたが、かなりレスの数が増えていますね、
簡単に目を通しましたが、レスをつけるのは次回に譲りたいと思います。

話は変わります。
沖縄県内では琉球新報で報じられていましたが、
先日、尚道子さんが亡くなりました。
最後の国王・尚泰さんの孫、尚明夫人です。
タコウインナーの発案者としても知られている方です。

ご冥福を祈り合掌。

535 :世界@名無史さん:02/02/23 23:12
道子さんの旦那(故人)さんってあのプロジェクトXに主役的登場人物で出てた事ある人だよね
義理だか実だか忘れたが妹さんは料理の鉄人でおなじみだった岸朝子
岸朝子さんのお父さんは牡蠣の画期的な養殖法を生み出して世界の牡蠣王と呼ばれた宮城しんしょう。
朝子さんの叔父さんは日本陸軍の参謀だった

536 :世界@名無史さん:02/02/23 23:26
奄美と琉球は別なの?

537 :世界@名無史さん:02/02/23 23:39
奄美は、薩摩侵攻以前は琉球王国の支配体制に組み込まれていました。
薩摩侵攻後は琉球王国から切り離されてしまいました。

538 :Cavabien:02/02/23 23:40
>>529サン
 転勤で来ているだけで現地育ちでは無いのですが、奄美居住者として解る範囲で。
 奄美の語源はどうも「美しい天、天美」らしいですね。
 
 神話の方のアマミキヨ、アマミコは広く琉球、南西諸島で創生神として伝えられており、
 一説には古代に本土や大陸から渡来して様々な技術を伝えた人々を表したものではないかと
 いわれているそうです。

上記、数人の話を元に構成した聞き書きですので間違い等ありましたら訂正ください。

539 :世界@名無史さん:02/02/24 00:10
よく考えてみたら、太平洋の小さな孤島にこれだけの文化が栄えていた
ってのは実は凄いことなんじゃないかと思った。
勿論周辺の国々の影響を受けていたってのもあっただろうけど。

540 :世界@名無史さん:02/02/24 00:23
>539
民芸運動で有名な故人柳宗悦なんかは沖縄の多種多様な文化を絶賛してた
他にも一つの島にたくさんの多様な文化がある事にあきれてしまう本土のインテリとかいろいろいたね
まさにチャンプルーなわけだ


541 :540:02/02/24 00:28
戦争その他歴史的変動により多くの価値ある遺産が焼失、あるいは破壊されて、貴重な資料も紛失してる
外国にも貴重な宝物が多く流失してたりしてそれらの調査研究は大変苦労するらしい


542 :539:02/02/24 00:40
>>541
今でも時々地元紙でそういったものが返還されたなどという
記事を目にしますね。やはりそれらの収集はかなり大変でしょうね。
特に先の大戦で貴重な遺産や資料等が破壊・紛失したのは非常に
惜しまれます。

543 :529:02/02/24 12:46
>>538
そうなんですか、「美しい天、天美」→奄美。
鹿児島(薩摩)領に入って400年経ち、また元々が琉球と異なる
部族集団が存在したことからも、雰囲気(文化等)が奄美にはあ
るのでしょうね。



544 :世界@名無史さん:02/02/24 17:53
無能力、無努力、
なる沖縄人がいまのざまなのは当然だ
貧乏貧乏、米軍基地に環境破壊
すべて低脳無努力沖縄人が原因。
薩摩侵略?ありがたいとおもえ!
琉球など、東アジアで国でおれるほどの力など
はじめからなかったんじゃ。
朝鮮などは内部犯がでて、征服は無理じゃったが、
琉球がごとき小国、造作もなかったわい。
それより、明治維新の立役者薩摩に侵略されたこと
誇りにおもえ。
お前らが、持ち込んだ芋も、薩摩ブランドにして
日本全国に普及させてやったのじゃ!
とにかくも、沖縄人は低脳が多い。
貧乏なんてあたりまえじゃろ
低脳であるがゆえに、もうこの日本とアメリカの
便所(くっさ〜)(藁
光栄なる安楽市を望む





545 :世界@名無史さん:02/02/24 20:55
>544
沖縄掲示板でDQN扱いされてた奴がここにも現れましたね
次はどこにいくのかな?

546 :名無しさん:02/02/24 23:14
薩摩を装ってカキコしても
甘藷の事で馬脚出してるのに気付かないDQNは放置でいいんじゃない?
(鹿児島では甘藷は「唐芋」「琉球芋」と呼ぶ)

547 :世界@名無史さん:02/02/24 23:37
>544は放置。

548 :世界@名無史さん:02/02/25 07:06
>>534
久し振りですね。お忙しそうで、なかなかしょうさんの解説が
読めないのは寂しいですね。

尚道子さんとは、副知事(だったかな?)をされた方ですか?

549 :世界@名無史さん:02/02/27 00:48
あげ

550 :世界@名無史さん :02/02/27 10:53
大城立裕「小説琉球処分」を最近読了したんですが、
あれってどのくらい史実に忠実なんでしょうか?

551 :世界@名無史さん:02/03/01 14:20
結局、尚家の方々は首里城を訪れたのでしょうか?

552 :世界@名無史さん:02/03/03 11:01
時代祭りみたいなのがあれば、国王役で出演・・・しないでしょうね。

553 :世界@名無史さん:02/03/04 02:24
>551
その質問は徳川家の子孫の方々は江戸城を見物した事があるのでしょうかって質問と同じでしょ
尚家の子孫の人達は沖縄にも本土にもいるわけだし、復元された首里城くらい見てるでしょ


554 :世界@名無史さん:02/03/04 06:21
琉球に存在した王朝の最大版図ってどんなものなの。

555 :世界@名無史さん:02/03/06 11:59
いくつかの寺院が焼失してますが、円覚寺は戦前まで
存在していたんですよね。と言うことは、住職もいたの
でしょうし、改めてその伽藍を復元しようとは、本山も考
えなかったのでしょうか?

556 :世界@名無史さん:02/03/06 23:02
>555
住職は主に本土から歴史的に呼んでた
琉球に帰化した大和人坊さんもいる
詳細書き写そうと思ったが、難しい漢字いっぱいすぎて面倒じゃな
勘弁して頂戴


557 :世界@名無史さん:02/03/07 07:45
円覚寺全面発掘で遺構がかなり出てきたって噂は本当なの?

558 :世界@名無史さん:02/03/07 09:04
544 は極端でも、琉球処分は東アジア国家の存続のためには妥当な策だったのでは?

明治政府が琉球を日本に取り込まなかったら、すぐに欧米列強の植民地になり
東アジアの軍事進出拠点になったはず。
ペリーが琉球に寄ったのも、幕府に開国を拒否されたら、琉球を侵略するぞというつもり
(脅しにせよ、本気にせよ)だったわけだし、
実際、ハワイは日本の影響力が及ばず侵略されてしまったし。


559 :尚モナー王:02/03/07 11:12

      ___
      「_ 」
     ( ´∀`)   
    /     ̄ ̄|   3月になりました。まだまだ寒い日が続きます。
  /  |     |_」    ここはまったりと、琉球の光に照らされるがごとく
  |__|    |        暖かく語らいましょうぞ。。。
     |_____|     
      (_)(_)
   御主加那志前




560 :世界@名無史さん:02/03/07 11:18
>>558
そうなん?そういう考えは初めて聞いた。
544は「まちBBS」にも現れた単なる煽りだから気にしないように。

ペリーは琉球を橋頭堡として日本開国に臨んだ。
ぺりーが琉球を合衆国の管理下に置くという考えをもっていたというのは確かだけど、
あくまで目的は日本を開国させることであった。任務達成後にすぐ帰国している
ところを見ると、占領ということにはあまり深い関心はなかったと思われます。
それは違うよ!という部分があったら指摘をよろしく。

琉球処分は、あくまでも当時の明治政府の国家政策の一環として行われた
ものです。明治維新後、明治政府が行ってきた近代国家への変遷の課程で、
日清両属という曖昧な立場にあった琉球の領有をはっきりさせる必要があった。
しかし、琉球を統一国家に編入するためには、中国から冊封を受けていた等の
歴史的な特殊性を清算する必要があった。そのために廃藩置県をはじめとする
各種の政策による「琉球処分」が行われ、それによって沖縄県が誕生した。
多分ここまでは知っているでしょう。

>琉球処分は東アジア国家の存続のためには妥当な策だったのでは?
>実際、ハワイは日本の影響力が及ばず侵略されてしまったし。

この部分がよく分からない。琉球処分が、当時の東アジア諸国家の存続のためには
妥当であったということに直接的・間接的に結びつくのかどうか。
特にハワイの部分は本当に???なので、よかったらもっと詳しい説明をよろしく
お願いします。


561 :558:02/03/07 19:49
>>560

まず、ペリーが開国を迫ったのは、直接的には、捕鯨と貿易のための港が欲しかった
からだろ。そのためには日本じゃなく琉球でも良かったと思われる。
それに当時の西欧には、野蛮人の住む無主の地は植民地化してもかまわない、
というかむしろ、文明とキリスト教を教えてやることは善だから積極的に進出すべしという
宗教・経済一体となった大方針があった。
だから、日本は国を存続させるために開国して、日本を西欧の物差しでの文明国にしようと
したわけだけど、琉球が日本とも(清でも)独立した別の国であるとしたら、
西洋的国家の体裁をもたない琉球は、神がキリスト教徒に下さった無主の地ということ
になり、列強が植民地にするのは道に500円玉が落ちてれば拾うくらいに当然。

ペリーの琉球侵略の意思については、沖縄県のサイトでも触れている。
(ペリー 沖縄 で goole 検索するともっといろいろでてくる)
ttp://museum.mm.pref.okinawa.jp/history/story/epoch4/syobun_1.html (8ページ続く)

それからハワイは王国からハワイ共和国を経てアメリカ合衆国になるわけだけど、
ハワイ共和国の初代大統領はドール。あのパイナップルで有名なドール。
それだけで経緯は大体想像つくと思われ。 後にクリントンが謝罪したらしいが。

日本は日系移民が多かったのと、同じアジアの王国としての立場から(ひとごとでない)
軍艦をハワイに数ヶ月停泊させるまでして牽制したけど
結局アメリカを敵に回すのが怖くて阻止できなかった。

参考リンク(リリウオカラニ ハワイ共和国 ドール で検索するといろいろ出てくる)
ttp://www.mainichi.co.jp/eye/iwami/sunday/2001/0722.html
ttp://www2.justnet.ne.jp/~yoshiro/no_frame/history/honbun/hawaii.html

長文スマソ。

562 :558:02/03/07 20:18
続き。

つまり、琉球を沖縄県として日本国に組み入れなければ、琉球はすぐにハワイのようになり、
プランテーション化、軍事拠点化され、欧米の東アジアへの砲艦外交圧力ははるかに高まっていただろうということ。
そうなれば日本も、朝鮮とともに欧米の覇権に組み込まれ、九州、北海道と割譲圧力を受け、
列強に分割支配される恐れも十分あったと思うのだが、どうだろうか。
当時は戦争による領土拡張が「あり」だった時代だよ。

ところでぎもん。
>>560
>ぺりーが琉球を合衆国の管理下に置くという考えをもっていたというのは確かだけど、
>あくまで目的は日本を開国させることであった。任務達成後にすぐ帰国している
>ところを見ると、占領ということにはあまり深い関心はなかったと思われます。

管理下と占領ってどう違うんでしょう。

563 :560:02/03/07 23:34
>>561-562
長い説明をどうもありがとうございます。お疲れ様です。

>管理下と占領ってどう違うんでしょう。

ああ、この場合は「占領」という意味と同じ意味あいなので、特別な意図はないです。
変に勘違いをさせたのなら今後は気をつけます。


俺がハワイの部分を「???」としたのは、文章構成としてつながりがよく分からなかった
からです。琉球処分の話なのに、ハワイの話が突然出てきては混乱する人もいるわけだから、
「例えば類似の事例として・・・」などのような書き方をしないと文章構成としては
解りにくいです。それに琉球処分とハワイの合衆国併合は同じ土俵で語ってもいいのでしょうか。
ハワイが合衆国になったのは琉球処分とは大分事情が違うと思うのですが。

それから幾つかの点に対する意見を述べさせてもらうと・・・

ペリー来航の目的について。
当時は太平洋での捕鯨が盛んであり、アメリカにとっては捕鯨のための燃料補給、食料や薪水等の
補給のため、また嵐などの緊急の避難港を確保するためには、日本を開国させることは早急かつ
絶対に必要とされていました。もちろん貿易の目的もあった。
しかし、ペリーは日本への来航途中で小笠原や琉球などの石炭貯蔵のための候補地を確保して
いたため、日本との通商よりもその背後にある中国市場および中国へ至る太平洋航路の開設を目的
としていた部分もある。
ここらへんはペリーと当時の合衆国大統領フィルモアとのちょっとした相違の部分。
よってあくまでも日本の開国が中心であって、琉球でもよかったというわけではないと思う。

確かにペリーは日本との交渉が失敗したときには琉球を占領する可能性もあるということを示唆
してもいたが、それはなされなかった。
それよりも、日米和親条約を締結しているときに琉球で起こった水兵の死亡事件(ボード事件)
はペリーの功績にとって唯一の汚点となったため、あまり強い態度にでることはできなかった
と思う。
『遠征記』を読むと、琉球や日本と接するうちにその考えが変化してきているのがよく判る。


>つまり、琉球を沖縄県として日本国に組み入れなければ、琉球はすぐにハワイのようになり、
プランテーション化、軍事拠点化され、欧米の東アジアへの砲艦外交圧力ははるかに高まって
いただろうということ。

もし琉球がどこにも属さず独立国のままの体裁を保っていたとしたならば、東南アジアへの
橋頭堡として利用されていた可能性はあるかもしれない。面白い意見だと思う。
しかし、その場合には薩摩侵攻まで遡って島津氏の琉球支配がなかったことにしないといけない
という前提を伴わなくてはいけないので、それはまた別の話になると思われます。

琉球処分はあくまでも明治政府の日本国内の問題として行われたものであり、それが東アジア
諸国家への影響として現れるかどうかについては、自分はあまり影響はないと考えます。


長々と失礼!

564 :コリアンエンジェル ◆YvZEd3qU :02/03/07 23:38
うなことよりアメちゃんの日本処分の方が重要だろ。
西側に取り込まれて去勢された日本の将来が暗い。
スレ違いで悪いね。^^

565 :ななしさん:02/03/08 00:09
あなたが住むべき国が違っているのです。

北に帰れ。

566 :558:02/03/08 00:46
>>563
解釈は違うけど、事実認識はだいたい共通してるようだし
マターリスレに波風たてるのもなんなので、簡単にレスです。

>琉球処分はあくまでも明治政府の日本国内の問題

これはどうなんでしょう。
琉球を日本に組み入れるために、国内問題として処理したということではあっても、
幕末の段階(開国前)で、日本に琉球は日本国内だという認識があったのか?
対馬は対馬藩として江戸幕府体制に組み入れられていたのと違い、琉球には王が存在したわけだし、
「琉球」は中国から認められた国号なわけだし。
ま、国家とか国境とかいう概念自体、明治以降のものなのでしょうけど。

>>564
別に琉球と朝鮮併合を一緒にして語ろうってつもりは無いです。事情が違います。ご心配なく。

567 :560:02/03/08 02:03
>>566
あ、別にこっちも波風をたてるつもりはないので・・・。
なんかこういう議論をするのって面白いなーと。。。
このスレは比較的良スレだから、マターリがいい。

一応俺の意見は前に述べた通りだけど、もしかしたら間違っている部分も
あるかもしれない。だから、それは違うよという指摘があれば他の人でも
いいから訂正をしてほしいと思う。その方が議論も深まるし。

幕末時点での幕府の琉球に対する考えについては、あまり詳しく調べたことない
ので誰か詳しい人がいたら説明よろしく

568 :名無しさん:02/03/09 00:10
ペリー来航以降の時系列をちとおさらい

1853年4月:ペリー琉球に来航
1853年6月:黒船(ペリー艦隊)浦賀沖に現れる
1854年  :日米和親条約
(1855:日露和親条約、1856:日蘭通商条約、1857:日米通商条約)

1868年:鳥羽・伏見の戦い>江戸城明け渡し>明治維新

1871年:台湾で琉球漁民殺害事件
1873年:征韓論で明治政府内で論争(西郷・板垣、明治政府から下野)
1874年:征台の役(台湾出兵)
1877年:西南の役
(1875〜1879:琉球処分)

1894〜95:日清戦争(李氏朝鮮をめぐる戦い)

うーむ、台湾出兵(征台の役)を論じようとすると
その直前の「征韓論」が「まったく無関係」とも言いきれないよーな気もする...

569 :555:02/03/12 11:17
>556
そういう形をとっていたんですね。557さんが書かれたように
遺構が出てきたからといってそこに再建したりはしないでしょ
うね。でも本山に金があって古来の建築法で建てるなら見て
みたい気も。。。

570 :アズマ消防:02/03/14 06:16
沖縄が日中両属のままだとアメリカの植民地にされちゃうの?
それって逆じゃない?

沖縄が日本にだけ属していたら欧米からの侵略に対して後盾になってくれるのは日本だけでしょ。
日中に両属してたら日本と中国と両方が後盾になってくれるじゃない。

後盾一つより後盾二つの方が強いと思うんだけど。

571 :世界@名無史さん:02/03/14 07:37
船頭多くして船山に登る。


572 :世界@名無史さん:02/03/14 23:23
>>570
近代国家で「日中両属」なんてあり得ない。
日本国沖縄県でも中華人民共和国琉球省でもどちらでもあり、てなことは考えにくいが。


573 :名無しさん:02/03/15 19:50
>570
当時(ペリー来航時)の清国は
「アヘン戦争」でイギリスに敗れて
とても「琉球の後ろ盾」になれるような状態でありませんでした

(「長期戦だったらイギリスは勝てなかった」と言うのは別の話)

574 :世界@名無史さん:02/03/18 11:41
>>561
ハワイ王国末期の国情について、知りたいなと思ってたのでとてもよかった。
情勢がそうさせたのだろうけど、カラカウア王の姿勢は興味深かった。

575 :世界@名無史さん:02/03/19 01:13
良いスレですね

576 :世界@名無史さん:02/03/19 01:18
マオリ族もちゃんと王制を採っていたし、歴史があるときいたが?

577 :世界@名無史さん:02/03/19 01:34
マオリ族の女王は今もいるみたいだよ。
1996年に日本を訪問している。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nz/data.html

578 :世界@名無史さん:02/03/19 12:32
マオリに女王がいたなんて初めて知りました。
こっそり消えていった王国としては「シッキム」もって感じでしょうか。
インドに併合。。。

579 :世界@名無史さん:02/03/19 15:17
宮古島は粗暴犯が流された流刑の島だと、よく聞くんですが
ほんとのところはどーなんしょう?
検索しても引っかからなかった。。。


580 :世界@名無史さん:02/03/19 15:27
>>579
そういうことはあったかもしれないが、宮古が「流刑の島」として
位置付けられていたかは分かりません。
沖縄本島から見た場合、流刑というと周辺離島のどれかに島流しする
ということになるでしょうから、宮古だけではなく他の地域にも流されて
いたのかもしれませんね。

581 :世界@名無史さん:02/03/19 16:14
>>580
レスどうも。

波照間には政治犯が流されたっていうのは見つかったんですが
宮古関係では多良間・水納くらいでした。
でも、これも政治犯だし。。。
わけわからんです。

582 :世界@名無史さん:02/03/21 07:08
>当時(ペリー来航時)の清国は
>「アヘン戦争」でイギリスに敗れて
>とても「琉球の後ろ盾」になれるような状態でありませんでした

大平洋戦争に負けた日本が韓国の後ろ盾になった例もあるけど?
もちろん日本単独ではなくてアメリカと込みで北朝鮮の侵略から守った。
やっぱり二枚後ろ盾は一枚より強そう。
ただし近代国家としては認知されない。これ両刃の剣。

583 :世界@名無史さん:02/03/21 08:27
>>582
それは比較する事例がまったく違います。戦争で負けた国が他国の後ろ盾に
なったことがあるという例を議論しているのではない。
当時の清国の国内情勢では自国のことだけで手一杯で、とても琉球のこと
にまでは手がまわらなかったと思います。

朝鮮戦争はアメリカと旧ソ連の対立が表面化して現れたもの。
当時の日本の状況を考えた場合、日本がアメリカと一緒になって北朝鮮の
侵略(この場合はこの表現が適切かどうかちょっと疑問もあるけど)から守った
というわけではないと思う。

過去から現代にいたるまで、後ろ盾がいくつもついていたという事例は
多くあるよ。こないだのアフガンでの戦争もそうでしょ?


584 :名無しさん:02/03/24 22:13
阿波根 昌鴻さん、101歳の生涯を閉じる...合掌

米軍との土地闘争の心構え

・会談の時は必ず座る
・耳より上に手をあげない
・大きな声を出さず、静かに話す
・うそ・いつわりを絶対に語らない
・怒ったり悪口を言わない
・反米的にならない
・軍を恐れてはならない
(以下・略)

585 :世界@名無史さん:02/03/25 19:12
↑遂に亡くなられたのですね。反戦地主のシンボルとして良く取り上げられていた
記憶が強いです。


586 :世界@名無史さん:02/03/26 02:22
放射性物質の廃棄所にすれば軍隊はこないよ!

587 :世界@名無史さん:02/03/26 07:52
age

588 :世界@名無史さん:02/03/26 08:18
>>586
586の家の隣に廃棄所を造ってくれい。治安も安定するぞ。

589 :世界@名無史さん:02/03/27 07:05
日本が国内情勢で手一杯の時は清国を後ろ盾にしておく
清国が国内情勢で手一杯なら日本を後ろ盾にする
これ最強
ただし両方とも元気な時に取り合いが起きるかも知れない
これ諸刃の剣
素人にはお薦めできない

590 :世界@名無史さん:02/03/31 11:25
1月にヒストリーチャンネルでやった沖縄関連の番組(>>476)、どんな内容
だったか知っている方はいないでしょうか?

591 :尚モナー王:02/04/01 22:44
      ___
      「_ 」
     ( ´∀`)   
    /     ̄ ̄|   私が最近はまっているのはラ・ビータのプリンパンです。
  /  |     |_」    ウソです、4月になりましたからね(笑)・・・。
  |__|    |        私はこっそり、ちいるんこうが好きなんですよ。
     |_____|     
      (_)(_)
   御主加那志前


592 :世界@名無史さん:02/04/01 23:27
>>591
尚モナー王!私もちいるんこうが好きです!
あの中にちりばめられているなにやら訳のわからないもの、好きです。

593 :世界@名無史さん:02/04/02 18:04
謝名親方、名護良豊、浦添朝師以前の三司官て誰だったかおせーて。

594 :しょう:02/04/02 19:19
ご無沙汰しております。
年末から忙しい日々が続き、閲覧もままならないのですが、
ゴールデンウィークあたりからは手が空きそうなので、
ボチボチ復活しようかと考えています。

まぁ少ないですが、何点か特に目についたものにレスをします。



595 :しょう:02/04/02 19:45
>>535
そうですね、明さんはNHKのプロジェクトXでもとり上げられていましたね。
あのダイニングキッチンは、沖縄の人々にも広く知られて欲しい事実ですね。
ちなみに番組の中では言及していませんが、現在でも、
「住まいのリフォームコンクール」において、国土交通大臣賞などとともに、
尚明賞という特別賞としてもその名は残っています。

尚道子さんと岸朝子とは実の姉妹で、ご記憶の通り宮城新昌さんの娘さんです。
道子さんが長女、朝子さんが次女となります。

なお岸朝子さんの旦那さんである故・岸秋正さんの収集した資料などは、
沖縄県公文書館に寄贈され、歴史研究の資料として閲覧することができます。


596 :しょう:02/04/02 19:47
>>551
>>553
まぁ重要度はありませんが、即答できますので。
もちろん首里城は訪れております。

私的な訪問は割愛しますが、公人としても尚弘子さんがいますよ。


597 :しょう:02/04/02 19:51
>>593
>謝名親方、名護良豊、浦添朝師以前の三司官て誰だったかおせーて。
その三人の間にも何名かいて、合計40名近くになりますよ。

挙げられるのですが、入力する時間がないもので今回は他の方に譲ることにします。

598 :世界@名無史さん:02/04/02 20:17
>>597
同意。実際に全員挙げるとなるとチト面倒くさいッス。
ネットなどで調べた方が早いと思います。

599 :世界@名無史さん:02/04/03 09:51
伸びゆく琉球(1)

 これは、一九四五年以来の米国統治下で、琉球諸島が達成した大進歩を語る
連載(さい)記事の第一回です。次号からは経済的、政治的、社会的な進歩発
展を、具体的に述べていくこととします。

★沖縄の発展をふり返る★

 沖縄は、ときには世界地図にも見当たらない西太平洋上の一小島だが、国際
的な新興地域(いき)の開発競争では、一やく群をぬいてトップに立ちはじめた。

 沖縄本島と付近の島々から成る琉球列島は、シャンハイの東南七二〇キロ、
東京とマニラのほぼ中間にあって、戦略上重要な地点を占(し)めており、
ここ十数年の間に二〇世紀中期の時勢に追いついてきた。

 米国が琉球で統治を始めたのは一九四五年で、その後の一七年間に米国の最
新技術と外部からの資金援(えん)助、それに近代感覚に目覚めた琉球人の勤
勉努力が加わって、新しい社会が築き上げられた。戦禍(か)のあとには、
琉球史上空前の数多くのりっぱなビル、舗装(ほそう)道路、公共施(し)設
などが建設されたのである。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/colo/ryukyu630102.html

600 :尚モナー王:02/04/03 10:34
>>592
お〜っ、ご存知でしたか「ちいるんこう」を。
ケーキ状で、卵の味が濃厚に残る懐かしい味わいの逸品と思います。
つい「ちんすこう」と間違われますが(笑)。他に「たいちいちゃう」、「は
なぼうる」などがありますね、琉球菓子としては。
ちなみに「あの中にちりばめられているなにやら訳のわからないもの」
は、食紅で色付けしたピーナッツですよ。

>>594
お疲れ様です、しょうさん。お忙しいようですが、情報を楽しみにして
います!

601 :535:02/04/05 07:39
>>595
ダイニングキッチンの話にしてもそうだし、その他県外で活躍した&してる沖縄系の人達の足跡について知らない沖縄県民が多いのは悲しい事です
県内で何かした人達ばかりがローカルメディアで伝えられても物凄く偏った沖縄知識しか身につかなくなるような気がします(特に若い人とか)。
県内県外問わず、政治的な事で区別差別する事なく活躍した&今もしてる沖縄系の人達の事を集めた本なりが一冊位出版されてもいいのにと思ってます。
自分にとっても、まだ知らない偉人等がたくさんいますしどうにかならんものか
地方出版が盛んな沖縄なんだからあってもおかしくないのに・・・・・


602 :世界@名無史さん:02/04/05 11:35
土人の巣窟スレとはここですか?


603 :んが:02/04/05 11:40
ガイシュツであれば失礼なのですが、
琉球の文書で使われていた文字は日本語の字なんですよね??

604 :世界@名無史さん:02/04/05 11:53
>>603
そうです。琉球で使われていた文字は、漢字と平仮名です。

605 :世界@名無史さん:02/04/05 13:17
>>599
過激な琉球独立論者のページかと思ってリンクを辿ったら、そういうことだったか。
「東京とマニラのほぼ中間にあって、戦略上重要な地点を占(し)めており」なんてところはいかにも雨らしい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/colo/ryukyu.html


>八月十五夜の祭日には、海軍側が第二九陸軍軍楽隊を島に招いた。奥武島の住民たちも
>むかしから伝わる郷土の音楽やおどりで第四中隊の隊員やその家族たちをもてなした。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/colo/ryukyu630103.html

8月15日に米軍人と友好というのも無茶な。
離島でやり、それを記事にして大々的に紹介というやり方もうまいなあ。

606 :というか:02/04/05 16:58
>>603
>>604
「日本語の字」の定義を「漢字」まで含めるかどうかですね、
中国でも日本語の字を使用していると言えますね。

平仮名使用の頻度は漢字に比べれば低いものですよ。

607 :世界@名無史さん:02/04/05 18:00
>606
中国の文字、というときに漢字かな混じり文は存在しないっしょ。
この場合はそういうことを聞いているのではないとおもうのだが?

608 :というか:02/04/05 18:21
>>607
いや、だって殆どの文書は漢文でしょ。


609 :世界@名無史さん:02/04/05 19:13
>>608
この当時、極東アジアでは確かに漢字が「公用」の文字として使われていた。
でも、

>「日本語の字」の定義を「漢字」まで含めるかどうかですね、
中国でも日本語の字を使用していると言えますね。

↑この考えは一寸おかしいんじゃないの?殆どの文書が漢文であっても、
それが中国語になるというわけではないだろ?同じ漢字を使っていても
中国語と日本語は違うぞ。
>>607の言うように、ここではそういうことを聞いているのではないです。


610 :んが:02/04/05 20:14
混乱させてしまった様で申し訳ないっす。
琉球では日本語で文章が書かれていたかどうか知りたかっただけです。


611 : :02/04/05 21:14
そもそも琉球土着の文字としては絵文字が使われてました。数字については
バラザンが知られています。これは藁の結び目の数で数字を示すものです。
古日本語が琉球に伝わったのは12世紀で、仏教と共に伝わったとされてます。
盛んに使われるようになったのは13世紀から。ですから日本語が基本だったと
考えていいでしょう。
琉球王国は周知の通り中国(明、清)と進貢貿易を行い、冊封体制下に
ありましたから、外交上の公式文書は主に漢文を用いたようです。
ですが、国内でのやりとりは和文だったそうです。

612 :世界@名無史さん:02/04/05 22:09
そもそも「沖縄」なんてあり得ないんですよ。

613 :世界@名無史さん:02/04/06 00:49
611の説明は何か変じゃないかな

一つの仮説にすぎんのに言い切ってしまっていいのかな(伝来の話)
もっと古くからという説もあるし、そもそも九州から南下した縄文人・弥生人と南方から北上した南方系の人間が混ざり合って住んでたんだから琉球には単一の言葉も人種も無く数種類の言語・人種
が古く存在してた。地域による違いもあるしね
あと、付け足しとして中国とは漢文、本土とは日本語、琉球国内においては公的文書は日本語って


614 :613お詫び:02/04/06 00:51
最後切れてしまった

日本語って感じかなと言いたかった

615 :611:02/04/06 03:31
>>613
ん? 断言してないですよ。
伝来については確かな史料が残っているものについてです。

>琉球には単一の言葉も人種も無く数種類の言語・人種が古く存在してた。
これも否定してない…というか触れてないだけで。
どこまで溯るかによるけど、沖縄といっても琉球弧でとらえれば
大雑把に奄美、沖縄本島、宮古、八重山、与那国でそれぞれの
文化圏を形成していたようですしね。ただしどこでも絵文字が
主流だったのは確かなようですよ。
とりあえず話題は和文と漢文についての話のようだったんで。

なお、琉球王国が「成熟に従って」外交文書は漢文、他は和文という
形式は正しいと思われます。ただし、中国に対して和文を送っていた
史料はあります。


616 :613:02/04/07 03:54
>615
あ、御免、御免。
喧嘩売ったわけじゃなく素朴な疑問としてちょっとつっこんでみただけです
なんかいろんな説があるからね
貴方はいい人です(w


617 :世界@名無史さん:02/04/07 05:41
琉球には難破した遣唐船やら貿易船が流れ着いていたんじゃないの?
平安時代以前にも日本や中国の文物が入っていただろう。
沖縄独自の言語って無い気がするが?

618 :611:02/04/07 06:05
>>616
いえどうも。私もケンカはしたくないです。またーり(;´Д`)
確かにいろんな説ありますからね。三山時代以前の史料は多くないし、
6、7世紀あたりでほとんど神話と変わらないくらい謎ですしね。

>>617
それは「独自の言語」をどう定義するかにも関わるような。
日本語だってアルタイ語族とくくってしまえば独自とはいえなく
なるでしょうし。

619 :世界@名無史さん:02/04/07 06:21
こうしてみると、琉球、沖縄は昔も今も海の十字路なんだね。
日本語と中国語と英語がさまざまな時代と立場で使われてきた。
昔の日本語が残り、最新の流行歌の歌手も輩出してきた。
薩摩藩と琉球はイングランドとアイルランドの関係に似ていた。
今でもアイルランドと沖縄は文学と音楽の才に恵まれる。
しかし、沖縄は自然の恵みと地の利においてアイルランドに優る。


620 :世界@名無史さん:02/04/12 12:51
元ちとせさんは沖縄の出身かと思っていました。

元(はじめ)姓って珍しいし・・・

621 :思兼:02/04/12 14:54
>>620
元ちとせさんは奄美の出身。
奄美は琉球王国の版図で文化のベースは沖縄と共通。
詳しくはないけど、奄美は沖縄以上に複雑な歴史を歩んでるので。

622 :世界@名無史さん:02/04/12 21:11
薩摩の琉球侵攻後、琉球が薩摩の支配下にあることを中国側に知られないように
するために数々の政策がとられました。その中の一つに大和風の苗字を名乗ることを
禁止したものがあった。大和苗字は中国風や琉球風に改められたそうです。
例えば、中村は仲村、仲村渠(なかんだかり)、中間は名嘉真(なかま)などというように。
特に琉球から割譲された奄美ではその政策が徹底されたらしく、中国風の一文字の
苗字にさせられたという歴史があるらしい。もしかしたら元さんという苗字も
そのときのなごりかもね。

そういえば、中曽根も沖縄では仲宗根と書くし、仲間、名嘉元(なかもと)という
苗字もあるけど、それらもそうなのかな?それとも元からあった苗字なのだろうか。

623 :世界@名無史さん:02/04/15 01:58
>>621
ベースは共通の部分もありますが、琉球と離れてからの時間の方が長く、
奄美は奄美の独自性も持っていると言えると思います。

元さんが習得した‘島唄’。奄美の民謡なのですが、琉球民謡と音階も異
なり、どちらかと言えば本土のものに近い感じです。ただ歌い方が独特で
裏声の多用に特徴があり、哀切な曲調をもちます。歌い手のことを唄者
(うたしゃ)と言います。
思兼さんが書かれてように琉球弧でも文化的にも歴史的に複雑でしょうね。

624 :世界@名無史さん:02/04/15 09:31
奄美が琉球王国から切り離されて400年近くになるからなあ・・

625 :世界@名無史さん:02/04/15 12:30
沖縄って名称はどこから来たの?

626 :世界@名無史さん:02/04/15 13:03
>>625
「オキ(海の沖)のナバ(漁場)」や「大きなナバ(漁場)」に由来する
など諸説紛々です。

627 :思兼:02/04/15 14:39
>>625
>>626の説の他にも、ナハを「魚場」でなく「ナ(方)ハ(所)」と解き、
海から渡来した人たちにとって大きな島だったので「オキ・ナハ=大きな所」
という説も。これは「那覇」「瀬名波」「我那覇」等、沖縄のいくつかの地名に
使われている「ナハ」の音が「所」を意味するという言語学上の分析から。
要するにオキが「大きい」か「海の沖」なのか、「ナハ」は「漁場」なのか
「所」なのかも定かではありません。

628 :世界@名無史さん:02/04/15 18:20
>627
鑑真のいう「あこなは」の「あこ」は?

629 :思兼:02/04/15 19:09
>>628
すんません。私にはわかりません(;´Д`)
唐大和東上征伝に登場する「阿児奈波」ですね。難破した遣随使の船が
阿児奈波に漂着したとされ、「おきなわ」がはじめて文献に登場した
事例とされてますが。「あこ」は大和人の聞き違えだった可能性も
ありますし、古い発音だった可能性も考えられますし、もしかしたら
沖縄ではなくもっと小地域の名称だった可能性もあるのではと。
通説や定説を知っている方は発言きぼんぬ。

630 :世界@名無史さん:02/04/15 19:16
阿児奈波だったっけ
鑑真どうだらこうたらの話
地元民達による島の呼称からだったから、「琉球」よりもある意味由緒正しいよな
「琉球」の方が由緒正しいと錯覚してる人達は結構いるんだよね(昔琉球王国だったからとか単純に決め付ける)
琉球は中国とのかねあいで「後」から決まったようなもの
「沖縄」はかなり古くからある地元民達の呼称にある程度準じてる

631 :世界@名無史さん:02/04/15 19:21
しかし、あれですな。沖縄県が成立してから120年ぐらいなのに、もうすでに
県名の由来についてよくわからなくなっているってのも不思議ですね。
最初に県名を考えた人は、どういう理由で「沖縄」と付けたのでしょうね。

632 :世界@名無史さん:02/04/15 19:27
>631
いくらなんでも120年前にぽっと涌いてきた名前じゃあないぞ。

633 :世界@名無史さん:02/04/15 19:35
>>632
いや、ここで言いたいのは、「オキナワ」という読み自体は昔からあったのかも
しれないが、「沖縄」という字が当てられているのは何故?ということが疑問だったのです。
スレの流れに従って書き込みをしたつもりなのですが・・・。

634 :思兼:02/04/15 19:56
>>633
土着の名称である「おきなわ」に「沖縄」という漢字をあてた初出ということ
であれば17世紀の儒学者、新井白石著作の「南国志」というのが定説。
漢字の当て字に語源との関連はありません。

たとえば波照間(はてるま)島も当て字ですが、はてるまの名称は
語源では「果てのうるま(珊瑚礁の島)」という意味ですね。

635 :思兼:02/04/15 20:02
なお、おきなわの読み方が土着の呼称だというのは定説ですが、
中国の文献にリュウキュウが登場するのも7世紀、隋の時代から
ですので、こちらもかなり古い呼び方であるのは確かです。

636 :633:02/04/15 20:38
>>634-635
わざわざご説明ありがとうございます。感謝です。
なるほどね〜。

637 :620:02/04/16 19:01
そう考えると、奄美以南の地名が沖縄的(と言うのはおかしいのですが)な響きですよね。
名瀬、古仁屋、花良治 等・・・

638 :世界@名無史さん:02/04/16 19:20
琉球よりも沖縄の方が「地元民による自分達が住んでる所の呼称(本島とかを言ってたらしい)」に
準じてるのは事実だよ
琉球はあくまで「外から」与えられた呼称を使用するようになったにすぎないらしい
週間ポスト逆説の日本史の琉球編でも「沖縄」の方がいけてる(古式ゆかりのとでもいうべきか)ように説明されてた(井沢のおっちゃんに)

639 :世界@名無史さん:02/04/16 19:23
度人があつまっているね。(藁)

640 :思兼:02/04/16 23:10
沖縄が土着の名称だということはおいといて…。
沖縄は島国ですので、それぞれの島=国と認識する意識が古くからあり、
今でも琉球弧の中で「オキナワ」といえば沖縄本島のみを指し、八重山や宮古は
そこに含まれません。石垣島はイシガキであり、宮古島はミヤコなのです。
そう考えると「琉球(=王国)」の方が歴史的に地理的により広い範囲を指し示す
言葉だということは言えると思います。もっとも、沖縄県のことを琉球と呼ぶ
うちなーはいないと思いますけどね(;´Д`)

また、私はうちなーではないので断言はしませんが、「外から与えられた」と
いっても琉球王国当時の沖縄人のナショナリズムという立場に立って考えると、
人種的に南方系、日本系、中国系など雑多な人種の血が混在した土地であり、
特に琉球王国は明、清の冊封を受けて、王国にとって極めて重要で良好な
関係だったことを踏まえれば、琉球という呼称にさして抵抗はなかったのでは
ないかと思います。

641 :世界@名無史さん:02/04/16 23:17
そういえば、宮古の人は沖縄本島に行くことを「沖縄に行く」なんて言い方
をしますな。最初聞いたときには奇妙に思いましたね。「?? 同じ沖縄でしょ?」
てな感じで。
他の島や、八重山の人達もそういう風に言うんですかね?

642 :思兼:02/04/16 23:23
>>641
私が八重山にいったときもそうでした。NHKでやった「ちゅらさん」
でもないちゃーとうちなーでの意味の錯誤を思わせる会話があります。
ないちゃーにとっては「沖縄=沖縄県」が先に思い浮かぶんですが、
うちなーには「沖縄=沖縄本島」が先に思い浮かぶんじゃないかと。
歴史的に、宮古、八重山、奄美などは沖縄本島の琉球王国に征服されて
行った場所ですし、そういう認識があるのだろうと思います。

643 :通りすがり:02/04/17 07:53
高校時代、スコットランドからの留学生がいたのだが、
先生に「イングランドからの〜」と紹介されて、
ちょっとムッとしていた。

きっと、どこの国(地域)にも、そういうのはあるのでしょう。
外の人間には、判りにくいのでしょうけど。

スレ違いなのでsage

644 :世界@名無史さん:02/04/17 08:15
>>641
>>642
そんなに深い意味はないのでは?
沖縄に行く=沖縄島に行く(沖縄本島という島はない、これポイント)
宮古に行く=宮古島に行く
石垣に行く=石垣島に行く
ただそれだけの話でしょ。

ようは聞き手と話し手が「沖縄」を島の名前として捉えているのか、
それとも県名として捉えているかでしょ。


645 :世界@名無史さん:02/04/17 11:18
>>644
この場合は、沖縄県の主島という意味での「沖縄本島」ですから、島の名称を
指しているものではありません。あまり「沖縄島」という言い方は聞かないですね。
「(沖縄)本島に行く」などのように、「沖縄本島」を使う方が多いと思う。


646 :世界@名無史さん:02/04/17 11:29
>高校時代、スコットランドからの留学生がいたのだが、
>先生に「イングランドからの〜」と紹介されて、
>ちょっとムッとしていた。

そりゃいかんなあ。



647 :思兼:02/04/17 16:56
>>644
まあ、いわれてみればそうやね(笑)

648 : :02/04/20 18:01
本島に対する離島 ってのもあるぞい。
しまちゃび=離島苦(とで訳そうか)
今でもあるのか?

649 :世界@名無史さん:02/04/21 17:29
今でもあるところにはあるんじゃないですかね。

今現在は、交通システムの発達によって離島と本島の距離は大分縮まっていますから。
高速船の運行や、橋がかかっている島も多くありますし。

650 :世界@名無史さん:02/04/27 21:35
GWに入り、来週行く。那覇の友人宅を基点に史跡巡りやるけど、
やっぱり首里城からですかね。コンクリート造りと書かれててちょ
っと幻滅してますが・・・。

651 :世界@名無史さん:02/04/28 00:27
琉球人は、薩摩人の公衆便子でした。
たくさんのスペルマが彼らにぶっかけられたのです。
これだけ膣をかき回したのに、あいもかわず日本を恨んでいるようですね。


652 :世界@名無史さん:02/04/28 09:20
>>650
そうですね。首里城からが定番のコースでしょうね。
首里城を復元するに当たって、正殿以外の施設はその内部構造をとらえるための
資料が得られなかったそうです。それで正殿以外の施設は躯体はコンクリート、
外観は板張りの外観復元の方法がとられたそうです。
首里城はいまでも発掘調査が続いています。全体像が明らかになるのはいつのことやら。

でも、首里城からの眺めは最高ですよ。那覇市街が一望できます。


653 :世界@名無史さん:02/04/28 21:28
琉球の旧家と中国が今でも密かに交流し、
頃合を見計らって琉球独立を画策している
というようなことは現実にあるかな?
尖閣諸島も騒いでいるのは本土の利権政治家
ばかりで沖縄では盛り上がってないし。

654 :世界@名無史さん:02/04/28 22:47
妄想の世界ではありえるかもしれませんな。

655 :世界@名無史さん:02/04/29 00:18
>>653
大田元知事は北朝鮮を訪問し、チュチュ思想を賛美しました。
日本からの独立を画策していたと思われる節もあります。
沖縄で盛り上がっていないのは、2大左翼新聞が偏向報道を繰り返しているせいです。


656 :世界@名無史さん:02/04/29 17:53
あの鑑真和上が沖縄上陸したときって奈良時代だよね。
和上自身の手記だとか当時を知るための文献って意外に少ないよね。
それ以降はいくらでもあるのにね。戦火で焼失したのもあるのだろうけれど。
ただ和上自身はもうその時目はみえなくなっていたそうだけど・・・・・・。


657 :世界@名無史さん:02/04/30 01:34
>>651
薩摩の農民達が薩摩内でいかに酷い境遇にあったかを知った奄美の某インテリは薩摩に対する恨みが薄らいだと沖縄の地方出版物で語ってました
故司馬も(小説家)も薩摩農民達の哀れさについていろいろ書いてますね
>>655
それについては事実はちょっと違います。取り巻き連中の中に北賛美馬鹿がいたのと社交辞令(社民党馬鹿がやらかす)でしかたなく言ったというのが事実です
これは実際に大田北挑戦訪問に同行した奴から聞きました。ちなみに沖縄は現在は沖縄ローカル新聞で多くの県民を洗脳できるような状況ではないです。
これも高度情報化社会のなせるわざですね。

658 :世界@名無史さん:02/04/30 19:31
>657
つーか653=655だとオモハレ(藁

659 :世界@名無史さん:02/05/02 04:45
原子力発電所と再処理施設 もんじゅ
米軍核武装部隊AND慰安所 売春産業
産業廃棄物 カジノ賭博 在留外国人難民

全部受け入れナよ     (・∀・)イイ!!(・∀・)イイ!!

660 :尚モナー王:02/05/04 12:29

      ___
      「_ 」
     ( ´∀`)   
    /     ̄ ̄|   5月に入り、GWも終盤ですね。
  /  |     |_」    新緑も雨に映えるよい季節になりました。
  |__|    |        私に黄金週間は…関係ないですかな(笑)。
     |_____|     
      (_)(_)
   御主加那志前


661 :世界@名無史さん:02/05/04 14:38
タイトルと合いませんが、無駄に新スレ作るのもあれなんでここで書きますが
沖縄では時々米軍による少女暴行事件が起こりますが、
私はあれはたまたま明るみに出ただけで、本当は見えない所で事件が多発しているのではないかと思います。
そして質問ですが、
復帰以前は植民地だったからこのような事件は今よりもっと多かったのでしょうか?
そう考えると政府は基地返還を何よりも優先すべきだと思う。
現在沖縄は日本国だし、沖縄があの戦争で犠牲になったからこそ今の豊かな日本の姿があるのだから。


662 :あなたの後ろの名無しさん:02/05/04 18:49
>661

「植民地」ではなく「信託統治」
カイロ宣言でアメリカは「領土不拡大」と明言した以上
沖縄を「植民地」として獲得は出来ません

◆カイロ宣言
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1943Cairo.html
日本から「基地の島」として借り受ける条件として
サンフランシスコ条約と日米安全保障条約が成立

663 :世界@名無史さん:02/05/04 20:05
>>660
おおっ!尚モナー王、お久しぶりです!今年も那覇ハーリーの季節がやってきましたね。
例年この時期は梅雨も近く雨が多いと思いますが、今年のハーリーは大丈夫でしょうか?
なんにせよ沖縄では暑い日々が続いているのでしょうね。

>>661
米兵による様々な事件というのは実際に数多く起こっています。そしてそれらの
殆どは本土のニュースで話題に上ることはありません。
質問は復帰以前に類似のニュースが多かったのかということですが、やはりそうだった
らしいです。当時は今以上に不公平な裁判などが多かったと聞きます。
事件事故の類の中には、小学校にジェット戦闘機が突っ込んだという、今では考えられ
ないような事故もありました。

沖縄の基地のことですが、現実問題としては基地地主の多くはその地代収入により生活
しているという人達が多く、また、基地関係の仕事に従事している人達も数多くいるわけ
です。雇用や経済的な収入源に乏しい沖縄において、基地の経済的影響というものは無視
できないわけでして・・・これ以外にも諸々が絡んでくるわけですな。
こういう基地問題というのは、問題の質が大きくて特殊なため、少しずつ前進させていくしか
なさそうですね。

664 :世界@名無史さん:02/05/04 20:06
>661
沖縄だけでなく本土でもおきてるよ(昔も今も)。レイプ事件はね。
沖縄の場合は一県での過重負担が問題。過重だから本土全体でおきる米兵事件数と沖縄一県でおきる事件数が同じ位だったりする(年によって多少異なるが)
過重負担は良くないね。でもこのスレからズレぎみな話題でもあるな

665 :世界@名無史さん:02/05/04 20:08
>661
もちろん多かったですよ。
どころか鉄屑拾いの主婦をわざわざ呼び止めて射殺だの、
飲酒運転で子供ひき殺して無罪だの、そんな話は米民政府時代にはごろごろしてます。
そのたびに湧き上がる反基地感情がだんだん組織化されてきて
基地の運営にも支障をきたしかねないという段階にまで至ったことが、
沖縄復帰の米国側のひとつのモチベーションになってるのは史家の一致するところ。
もちろん他にもいろいろ事情はあるのですが。

アメリカは世界戦略上どうしても日本に基地をおく必要があり、
日本政府は憲法9条と日米安保という矛盾、観念的議論しかできない安保論議、
そして極端な軍事アレルギーにこりかたまった有権者とマスコミ、これらの悪条件をかわすため
米軍基地を沖縄に集中させる政策をとりつづけてました。
なんっつーても沖縄の米軍基地が全国の米軍基地に占める割合は
復帰後になってかえって上昇したのですから。
本土の基地の返還には熱心でも沖縄の基地の返還には興味が無かった、と言われても仕方ない。

そんなわけなので、沖縄の米軍機地を返還するために努力する、というのは簡単ですが
現実には二重三重にもからんだ戦後史の難題が立ちふさがってます。
沖縄の基地問題は日本の戦後史をどう総括するかという問題を避けては通れない問題なのです。

666 :世界@名無史さん:02/05/05 00:47
米軍基地が負担というが、例えば淡路島なんかと面積的には大差ないのに
人口は他の離島と比べてけた違い多い。
基地がなければ離島でそれだけの人口を支えることは不可能と思う。
沖縄の産業は3K(基地・観光・公共事業)というが、
観光オンリーならせいぜい清里高原くらいの雇用しか得られないだろう。
公共事業は基地の存在にたいする日本国としての受益費の還元のようなもの。

どう考えても、沖縄の基地を縮小・移転することは沖縄の負担を取り除く
というより、沖縄の仕事を取り除くということのようにしか思えないが。

667 :世界@名無史さん:02/05/05 00:54
>>663
>米兵による様々な事件というのは実際に数多く起こっています。そしてそれらの
>殆どは本土のニュースで話題に上ることはありません

そうか?一件の暴行事件があれほど繰り返し大々的に報道されたという例は
沖縄の米兵の事件以外には聞かないが。普通レイプ事件が報道されるのって
一人で何十件もしでかしたような、とんでもない事件だけだろ?
DQN女がナンパされた男にやられた、なんて事件がかつて全国報道された
ことってあるのかよ??

668 :663:02/05/05 01:34
>>667
何を言いたいのかがよくわからないのだけど??。
俺は>>661さんの質問に答えただけなんだが。俺のレスで何かおかしな箇所があった?


669 :世界@名無史さん:02/05/05 01:42
アメリカは最強だ!

670 :あなたの後ろの名無しさん:02/05/05 12:17
>666
>基地縮小は沖縄の仕事を取り除く

大分の湯布院は米軍基地の機能移転には賛成してる?
「訓練の時だけの一時移動」だけでなく「常駐」だったら
地元の雇用が増えるんじゃない?



671 :世界@名無史さん:02/05/05 12:57
>666
いわゆる「芋・はだし」論ですな。

基地がなければ公共事業は行われるべきではない、と?
沖縄のインフラ整備が進んだのは復帰後、基地への懐柔策として行われたわけですが
これでやっと他府県と同レベルになったに過ぎないのです。
復帰前は基地に関係してこない領域への公共投資はかなり立ち遅れていたので。

この程度の「恩恵」を与えるために全国の米軍基地の大半を沖縄が引き受けなければならない、
その一方で本土の米軍基地は縮小を続けている。

これ、本当につじつまあってると思いますか?

>667
たとえば4月下旬、沖縄の米軍基地関連で何が起こったかご存知ですか?
たった二週間の間に、米軍機からの部品の落下事故複数、
そして空中給油機の燃料まきちらし事故。
これらはたまたま海上で起きただけのことで、事故の性質上人口密集地上空で起きてもなんの不思議も無い事故でした。
このうち一件でも本土で報道されましたか? サヨと名高い朝日新聞(東京版)ですら、これらの事故はまったくの無視です。
どれも本土でおきていたらさんざん報道されたでしょうね。

これが本土マスコミの行う「沖縄報道」の現実です。
有事法制云々でいつ来るか分からない危機を騒ぎ立てる一方で、
現実に基地密集地で起きている事故は平気で無視。 おなじ口で「人権」だの「平和」だの言うんですからあきれてモノも言えません。


672 :世界@名無史さん:02/05/07 14:34
結局攻めてくる周辺諸国をはじき返す力がないとこういう目に会うといういい見本だね>琉球

673 :世界@名無史さん:02/05/07 14:39
にしても、いくら軍備縮小していたとはいえ、あまりにもあっさりと
一地方大名にすぎない島津に攻略されてしまったなぁ。

674 :世界@名無史さん:02/05/07 17:03
まあ、無能民族の末路なんてこんなものですよ。


675 :世界@名無史さん:02/05/07 19:07
>>673
当時の琉球は財政難や中国からの冊封使を迎える準備やらでごたごたしていたことも
ありました。
刀狩を行って武器の国有化をしたことも、迅速な対応を妨げた原因の一つかもしれま
せん。当時の有力按司(豪族、大名)の中には、個人所有の弓が500張り、銃が300挺、
甲冑300領を所有していたという記録がありますが、全部が全部そうではなかったでしょうし。
琉球の戦国時代が終わって170年。最後(だったと思う。間違ってたら誰か訂正して)
の奄美大島の征伐から38年が経って、それ以後は戦争らしいものが無かったみたいですから、
つい最近まで「戦国で鍛えてました」という薩摩とは軍事面での差がやっぱりあったのかも
しれません。

当時の薩摩軍ってかなり強力だったと聞いたことがあるけど、誰か詳しい人いません?

676 :675:02/05/07 19:25
>>675の訂正

>当時の琉球は財政難や中国からの冊封使を迎える準備やらでごたごたしていたことも
ありました。

↑これは薩摩の琉球入りの前の段階のことでした。秀吉の朝鮮出兵の頃の琉球の国内状勢。
スマン。

677 :尚モナー王:02/05/11 09:56
>>663
いえいえ、こちらこそ。月一の挨拶ばかりで…(汗)。
早くも南西諸島が梅雨入り。私も一度くらいハ−リーに汗してみたいものです(笑)。

678 :世界@名無史さん:02/05/11 13:30
>>675
当時の薩摩軍と琉球軍を例えるなら、
マッチョのプロレスラー集団とお役所仕事してる公務員が
戦うようなもんですよね。
これじゃー武器持ってたって・・・(;´Д`)


679 : :02/05/13 00:04

今夜の実況は こちらで

NHKアーカイブス ◆ 沖縄 ・ 具志堅用高
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