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三国志正史スレッド 巻二

1 :世界@名無史さん:01/12/15 22:24
前スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/984237336/l50

さらに正史について語ろう!

ネタ振り歓迎!

2 :世界@名無史さん:01/12/15 22:54
いきなり正史じゃなくてスマンが
華陽国志の和訳ってあるの?

3 :世界@名無史さん:01/12/15 23:00
>>2
前スレにて既出
無いよ

4 :世界@名無史さん:01/12/15 23:02
>>3
ガイシュツスマソやっぱり漢文を読むしかないか…

5 :がばろん@Mたんちゅきちゅき:01/12/16 15:53
過去ログ。
三国志スレッド
http://mentai.2ch.net/whis/kako/947/947876695.html

三国志に関する質問に答えてください
http://mentai.2ch.net/whis/kako/967/967627639.html

総合三国志スレッド
http://mentai.2ch.net/whis/kako/971/971141665.html

後漢を語るスレッド
http://mentai.2ch.net/whis/kako/983/983295324.html

三国志正史スレッドリターンズ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/984237336/


中央研究院
http://www.sinica.edu.tw/
# 二十五史や世説新語などの漢籍が
# 色々読めるうえ検索もできます。

三国地図
http://www.yuanct.com/3g/bxhs/dl/dl.htm
# とくに正史系のサイトというわけではありませんが、
# いろいろな地図が、そろっていて、みてて楽しい。


正史からゲーム・小説にいたるまで、
はばひろく三国志についての話をしたいかた。
三国志・戦国時代板
http://salad.2ch.net/warhis/

漢文で三国志を読んでみたいかた。
■三国志を漢文で読みたい!(古文・漢文・漢字板)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/kobun/964540714/

三国志関連資料(古文・漢文・漢字板)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/kobun/984487725/

廃墟が好きなかた。
三国志@いちごびびえす
http://www.ichigobbs.net/sangoku/

6 :世界@名無史さん:01/12/16 17:24
後漢を語るスレッドは痛い・・・

7 :世界@名無史さん:01/12/16 21:51
張角・・・字も伝わらないのか
三十六万も人を集めたのに・・・

8 :世界@名無史さん:01/12/17 00:11
反乱者(しかも平民)の伝は立たないのかもね。
数ある後漢書の中で一個くらいは伝が立ってた可能性も・・・ない?

9 :世界@名無史さん:01/12/17 01:02
>>2
部分訳なら出てるよ。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3bfb591e4981c0101020?aid=&bibid=01197454&volno=0000
あとここで巻六だけ訳されてる。
homepage2.nifty.com/mikuniko/frame.html

10 :世界@名無史さん:01/12/17 03:26
宮城谷三国志はどうかね?

11 :世界@名無史さん:01/12/17 15:05
華陽国志はあまり面白くない
東観記を読んでみないかね?

12 :世界@名無史さん:01/12/17 19:38
王朗ってどうですか?

13 :世界@名無史さん:01/12/17 21:24
>>王朗ってどうですか?
…って聞かれてもな。何がどうなのか書いてくれなきゃ、考えようもない。

14 :世界@名無史さん:01/12/18 01:18
王朗が魏の元老になれたのは何でだっけ?
色んな人に軽蔑されてなかった?

15 :世界@名無史さん:01/12/18 13:20
司馬炎の曾祖父さんだっけ?>王朗

16 :世界@名無史さん:01/12/18 17:05
最初は陶謙に仕えてた人だよね。>王朗
>>15
そうだね。王朗の息子王粛の娘が司馬炎の母親。

17 :世界@名無史さん:01/12/18 19:59
王朗を絶命させた孔明の反論はいいなあ
誰が考えたのかは知らないが・・・

痰がからんで死ぬ王朗に聴衆大喝采

18 :世界@名無史さん:01/12/18 20:00
張魯のおかん萌え〜

19 :世界@名無史さん:01/12/18 23:55
張魯のおかんは正史では劉璋に殺されとる
陳舜臣の小説はファンタジー

20 :18:01/12/19 00:27
陳さん結構手が広いねw
その小説はしらんかった。なんての?
正史の記述だけでかなり萌えなんだけど
劉璋がおかんと一緒に殺した張魯の弟が
じつわ劉璋の弟って可能性無い??(←電波

21 :世界@名無史さん:01/12/19 01:08
↑秘本三国志では張魯のおかんは「少容」という名前で大活躍。
っていうか主役。

22 :18:01/12/19 01:36
少容…ってそのままやんけっ!!(ワラ

23 :世界@名無史さん:01/12/19 11:03
>>17
そういえば演義だと孔明との論戦に敗れて死ぬんだよね。
かわいそうだ・・。

24 :世界@名無史さん:01/12/19 15:51
王朗があの扱いってのは、
世説新語の「華キン>王朗」のエピソードのせいだろうか。

その華キンも「管寧>華キン」だけど

25 :世界@名無史さん:01/12/20 12:24
>>24
そのエピソードって何?

王朗は魏志ではめっちゃ義人だね。
献帝春秋くらいしか情けない話を書いてない。
まあ、晋の外戚だから陳寿も悪い話は書けないだろうが・・・

26 :世界@名無史さん:01/12/20 20:05
王朗と華キンってどっちが先に曹操に仕えたんだろ

27 :世界@名無史さん:01/12/20 21:10
『三国志考証学』って持ってる人いる?講談社の。
値段いくらします?

28 :世界@名無史さん:01/12/20 22:20
>>28
なんでも人に訊く前にサーチエンジンくらい使おうなボク。

三国志考証学
李 殿元 (著), 李 紹先 (著), 和田 武司 (翻訳)
価格: ¥2,621
単行本 - 464 p (1996/03/01)
講談社 ; ISBN: 4062072912

29 :世界@名無史さん:01/12/20 23:57
>>2
既出ならすみません。
現代語訳ではなく書き下しなのでお役に立つかどうかは分かりませんが、
東洋大学「アジア・アフリカ文化研究所 研究年報」の9号〜33号にかけて
「華陽国志訳注稿(全14回)」というのが掲載されていました。
全文の原文+書き下し文+注釈の構成です。

これを手直しして出版するとかしないとか言う話を聞いたことが
ありますが、そちらの方は未確認情報です。

30 :世界@名無史さん:01/12/21 07:11
>>27
初耳だな・・・
内容どんなんだろ?

31 :2:01/12/21 12:50
なるほど、全訳はないけど
>>9
>>29
というわけですね。
情報ありがとうございました。探してみます。

32 :世界@名無史さん:01/12/21 15:21
>>28
ありがとうございます。
1300円と2700円、二つあったのでどっちかなと思って。
>>30
演義と正史を比較して、信憑性のある裏づけから
演義の虚構を指摘するって感じの本らしいです。

33 :世界@名無史さん:01/12/21 16:01
>>32
ボク扱いされてもキレない長者ぶりに感動した
逆に言えばどこまで演義は真実を伝えているかなんだろうね・・・
興味あるなあ
入手したら感想キボウ

34 :世界@名無史さん:01/12/21 20:02
>>30
中国古典文学の研究者と魏晋南北朝専攻の歴史学者が
正史を駆使し、最新の解釈も織り込んで
『三国志演義』のイベントの虚実を検証し、
つっこみいれたりしている本

らしい。えらい長くなってしまった。。
考証の裏付けがしっかりしてるので信用度は高いみたい。
自分も読んでみたいなあ、高いけど。

35 :世界@名無史さん:01/12/22 01:04
正史と演義とではなく、
正史の本文と注で全く評価が分かれてる人物って誰かいますか?

陳寿の本文だと無能扱いなのに、注では絶賛されてる、など。

36 :世界@名無史さん:01/12/22 12:52
賈クだろう
評価する人間も多いが
裴松之にボロクソに言われている
孫権にも軽蔑されている

37 :世界@名無史さん:01/12/22 20:46
>>36
どんな内容か詳しく教えて下さい。特にその孫権云々ってヤツ。

38 :世界@名無史さん:01/12/23 00:05
巷の三国志サイトを見ていると、
諸葛亮を「孔明」と呼ぶことを、間違ってるとか、若気の至りとか言っているのをチラホラ見かける
酷いのになると素人に、「孔明と呼ぶのは間違い」とか教えてる。
そういう人達は伍子胥や項羽、李卓吾、蒋介石をちゃんと本名で呼び、
字で書いてあるそれを間違ってると思うんだろうか…
皆さんはどう思いますか?

39 :世界@名無史さん:01/12/23 00:25
>>36
荀勗別伝という本に、晋の武帝が欠員司徒の適任者を尋ねた
ところ、「荀勗が適任でない者を登用してはなりません。
昔、魏の文帝は賈クを三公に起用したと聞いてあざ笑い
ました。」と言ったという話がある。(魏志賈ク伝注)
その他にもあるかも知れないけど、こんなところ。
賈クが逆臣に手を貸していたところからの批判かも知れない。

40 :世界@名無史さん:01/12/23 00:30
訂正
「荀勗が、→、荀勗が「

41 :世界@名無史さん:01/12/23 03:29
>>38
そういう物知らずは放置しておきましょう。
個人的には、呼び方なんてどっちでも(本名or字)いいと思います。

ただ字で呼んだ場合、通じにくい人が多いのが難点かと。
まぁ孔明クラスになると別だけどね。例えば、上の賈クなんて「文和」でしょ。
サクッと分かる一般人は、まず居ないと思われるw

42 :世界@名無史さん:01/12/23 03:53
>>38
亮と孔明を続けて呼ぶなでわなくて?
ヴァカだね
全部のサイトのリンクここに貼れば?

43 :世界@名無史さん:01/12/23 15:25
字の方がメジャーな人物って誰がいる?

司馬懿や劉備も結構有名かな・・・

44 :世界@名無史さん:01/12/23 16:30
字じゃないけど文鴦なんかはそのまま呼ばれることの方が多いな。
改名したヤツら(王厳→郎・廖淳→化・李厳→平・陸議→遜)
は有名なほうで呼ぶ傾向がある。

45 :楊戯:01/12/23 16:45
>36
その孫権も陳寿の評ではまるで暴君のような扱い。
確かに晩年の彼は忠臣陸遜を憤死させたりしているが。

46 :世界@名無史さん:01/12/23 21:45
孫権も劉備も晩年は失敗したと・・・
曹操が一番いい老人になったのかも

47 :世界@名無史さん:01/12/24 18:00
晋朝の皇帝に順位をつけるならどうなる?

48 :世界@名無史さん:01/12/24 21:22
司馬炎>>>>>>>>>>>>>>>>>>司馬衷>司馬徳宗

49 :世界@名無史さん:01/12/24 21:44
司馬懿>司馬師>司馬昭>>>>>>司馬炎>司馬衷
だろ即位してないけど。

50 :世界@名無史さん:01/12/24 22:03
司馬炎は色キチだが、なかなか聡明英武な人物です
人材の登用は当を得ている

51 :世界@名無史さん:01/12/24 22:08
↑斉王攸帰藩のゴタゴタや外戚楊氏をのさばらせる原因を作ったりしてて
あんまり良い印象ないけど…

52 :世界@名無史さん:01/12/24 23:31
陳 翔 字 子 麟 , 汝 南 邵 陵 人 也 。 祖 父 珍 , 司 隸 校 尉。

53 :世界@名無史さん:01/12/24 23:37
外戚ねえ・・・
司馬炎の場合、後継ぎに恵まれなかったのが大きなマイナスポイント
後継ぎがまともなら、その後の混乱も避けられたと思われる

光武帝・曹操は後継ぎが優秀だったので国を安定させられたのだ

54 :世界@名無史さん:01/12/25 14:00
八王ってろくなのいないよな・・・
八王・永嘉の乱まで扱った正史ゲーが出て欲しいけど

55 :世界@名無史さん:01/12/25 15:33
あやめタン ハァハァ

56 :世界@名無史さん:01/12/25 20:09
八王の乱と呉楚七国の乱は同質の物ですか?

57 :世界@名無史さん:01/12/25 20:20
↑違うよ。呉楚は諸王の領国を削減するなどの抑圧政策に対する抵抗。
八王の乱は有名無実となった皇帝そっちのけで王族達が繰り広げた天下争奪戦。

58 :世界@名無史さん:01/12/26 21:05
八王の乱がゲーム化されたら

八王とか劉淵・慕容カイなんかがプレイヤーになるのか・・・
やってみたいかも

59 :世界@名無史さん:01/12/27 01:07
祖逖って素敵やん?

60 :世界@名無史さん:01/12/27 12:22
司馬彪萌え

61 :世界@名無史さん:01/12/27 12:41
つーか、三国志の話題じゃないね。

62 :世界@名無史さん:01/12/27 18:27
晋の恵帝は、悪いヤツじゃないんだ。ただ、アホだっただけだ。

63 :世界@名無史さん:01/12/27 18:55
三国志自体はもう語り尽くされてる感があるから
その前後を語るのもまた良し

64 :世界@名無史さん:01/12/27 21:41
学問の発達度でいったら魏>>>>呉>>>>>>>>蜀だね

65 :世界@名無史さん:01/12/27 21:43
詩文だと
蜀>>呉

66 :世界@名無史さん:01/12/27 22:22
>>58
劉淵でプレイして、三祖五宗を祀ってみたり、劉禅に孝懐と諡するの。
孝懐帝禅タン、ハァハァ

67 :世界@名無史さん:01/12/27 22:52
蜀はインドの影響とかあったのかな?
ビルマあたりからとか。。。
その辺のこと正史ではどうなんだろ?

68 :世界@名無史さん:01/12/28 00:09
張華って八王の乱で死んだんだっけ?

69 :世界@名無史さん:01/12/28 04:42
>>67
孟獲はモン族の神話中の英雄モン・フォーとして
ラオスの国定国史教科書に出てるよ。
それから馬援の銅柱はリンガを模したものとの見解が
学界では一般的。

70 :世界@名無史さん:01/12/28 12:51
劉淵は冒頓単于の子孫です
知らない人はいるかな?

71 :世界@名無史さん:01/12/28 18:01
張華の博物誌ってもう残ってないよね?

72 :世界@名無史さん:01/12/28 22:12
>>54 >>58
下のスレッドで要望をだしてみたらどうか。

まったりとMMO三国志作ってみるよ。
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1008261958/

73 :世界@名無史さん:01/12/28 22:24
ゲーム作るとしたら、八王〜東晋初までで出して欲しい
人物って誰?

74 :世界@名無史さん:01/12/29 12:56
竹林の七賢の能力ってどう表現すればいいんだろ?
政治もダメ、軍事もダメ、徳も忠誠も?って感じだよね

75 :世界@名無史さん:01/12/29 14:27
王戎が一番実務官僚かも・・・

76 :世界@名無史さん:01/12/29 22:06
建安七子・竹林七賢について語ろう

77 :世界@名無史さん:01/12/30 16:57
孔融・王粲・陳琳・阮[王禹]・徐幹・応トウと誰だっけ?

78 :世界@名無史さん:01/12/30 20:37
劉[木貞]だった・・・
一番著作が多いのは王粲?

79 :世界@名無史さん:01/12/30 22:56
英雄記読みたいよね・・・
王粲ってひっくり返った碁盤を元の通りの目に
並べ直したんだっけ?

80 :世界@名無史さん:01/12/31 02:57
王粲は蔡ヨウの蔵書を全部もらったんだっけ?
相当な秀才だな・・・
著書が伝わらないのは残念だね

81 :世界@名無史さん:01/12/31 13:19
孔融って劉備の推薦で青州刺史になったんだっけ?

82 :世界@名無史さん:01/12/31 19:14
孔融もかなり評価分かれる人物だね・・・
演義では好人物だけど

83 :世界@名無史さん:01/12/31 19:49
孔融は儒学者じゃないよね?

84 :世界@名無史さん:01/12/31 23:01
孔融はガキ二人がDQN

85 :世界@名無史さん:02/01/01 09:31
孔融は儒学者としては異端だろう・・・
学者と言うより文人肌

86 :世界@名無史さん:02/01/01 16:36
曹丕は父と違って孔融の文章を愛好して収集したんだと。

87 :世界@名無史さん:02/01/01 19:18
応トウの叔父の応劭はどう?

88 :世界@名無史さん:02/01/01 19:50
漢官儀と風俗通は大著だ・・・

89 :世界@名無史さん:02/01/02 00:20
阮禹・阮籍は親子で七子と七賢だね

90 :世界@名無史さん:02/01/02 12:41
竹林の七賢って一堂に会した事がないってホント?

91 :  :02/01/02 12:44
三国志版に行けよ。
キミらの為にわざわざ作ってるのだから。

92 :世界@名無史さん:02/01/02 12:49
巻二になってレベルが下がってきたな・・・

93 :世界@名無史さん:02/01/02 18:37
建安七子はほとんど疫病で一・二年のうちに亡くなってるよね
彼らが生きてれば曹植の強力な後ろ盾になっていたと思われる

94 :世界@名無史さん:02/01/02 20:11
曹丕といえば「文選」だが
現存してないのはやはり下手のなんとかだったのか?

95 :世界@名無史さん:02/01/02 20:19
>>91
それを言ったら終わりだな

96 :世界@名無史さん:02/01/02 23:02
文章は経国の大業なり・・・典論の言葉だね
文選は現存しており、曹丕の詩も載っていると思われ

97 :世界@名無史さん:02/01/02 23:10
文選、完全には残ってなかったと思われ

98 :世界@名無史さん:02/01/03 01:49
曹丕は司馬懿・曹真・陳羣といった強力なブレインがいたからなあ
確かに強いかも

99 :世界@名無史さん:02/01/03 16:07
逸書として最も惜しまれるのは青嚢書だな・・・

100 :世界@名無史さん:02/01/03 18:01
百!

101 :世界@名無史さん:02/01/03 20:05
孟徳新書も孔明の兵書も逸書?

102 :世界@名無史さん:02/01/03 22:36
>>91
三国志板は何か厨くさくて居着けないんだよ・・・許してやってくれよ・・・

103 :世界@名無史さん:02/01/04 18:11
古典の注で三国志の人物の施した注があると何かうれしい

104 :世界@名無史さん:02/01/04 19:00
曹奐って父親が生きてるのに皇帝に迎えられた初めての
人物だったの?

105 :世界@名無史さん:02/01/05 02:01
もしもホウトウが生きていたら、
確実に蜀が統一していたろう。
コウメイ→キザン経路で攻め込む
ホウトウ→長安経路で攻め込む

106 :世界@名無史さん:02/01/05 02:10
蜀漢が長安を攻略しても、補給の問題を考えると維持が難しいぞ。
魏が本格的に反攻してきたら、まず持ちこたえられまい。
孔明が、き山(魏を攻めるには明らかに遠回りのルートだ)に固執したのは、
実は彼はそのことを理解していたからでしょう。

107 :世界@名無史さん:02/01/05 02:33
つーか、チョウジンがリュウビの顔を知っていてホウトウじゃなくてリュウビが、
殺されれば良かったんだよ!
んで、リュウゼンを誰かが暗殺してリュウホウが君主になる!!!

108 :世界@名無史さん:02/01/05 03:59
ホウ統の評価が高いのが疑問
私見だがホウ統はどちらかといえば呉、
というより周ユに近い場所にいたと思われ
(周ユの死体持って帰ってるし…)

魯粛は単刀赴会(の注)で関羽に
「土地と人材を蜀に貸し出した」と言っていて
ホウ統は魯粛の推薦で劉備に仕えている

周ユの入蜀計画の引継ぎ役に
魯粛から貸与された人材として、
劉備はホウ統を高く評価していたのではないか

…厨臭くてスマソ。
でもホウ統の死は結構ベストタイミングだったのでは?

109 :世界@名無史さん:02/01/05 09:00
>>105
それ以前にホウ統一人生きてたくらいで
劉氏が2正面作戦やらかして中原統一「確実」なんて抜かすあたりが
かなりイタイ。
そもそも正史読んだことあるのかこのガキは?
スレのタイトル確認したらとっとと三国板に帰れや。

110 :世界@名無史さん:02/01/05 12:25
>>109
罵倒の前にネタふりをしてくれればうれしいのだが・・・
蜀は孔明独裁だからこそ北伐ができたんじゃないか?
トップが二人いたらどっちかが反戦を唱えていた気もする

111 :世界@名無史さん:02/01/05 17:48
管輅を軍師にしたら百戦百勝だったんじゃねーか?>魏軍

112 :世界@名無史さん:02/01/05 20:34
虞翻の卜筮に頼れば呉も百戦百勝

113 :世界@名無史さん:02/01/05 21:21
それを言うならそもそも黄巾党は…

114 :世界@名無史さん:02/01/05 23:50
>>108
面白い説だね。
実はホウ統は暗殺された??
劉備陣営の何者かの謀略で。。。
なんてね。

115 :ネタだよ:02/01/05 23:54
>>114
孔明だろ。
少なくとも一番得をしたのは孔明。
両雄並び立たず。独裁者は2人はいらない。さりとて敵には回したくない。

116 :世界@名無史さん:02/01/06 00:01
まるでコーエーの「曹操伝」みたいだね

117 :世界@名無史さん:02/01/06 01:08
こんなかに院生っていんの?

118 : :02/01/07 01:40
>103
経書関係だけでも周易虞翻注&王弼注・毛詩(詩経)鄭玄箋
三禮(周禮・禮記・儀禮)鄭玄注・論語何アン(日の下に安)集解……

119 :世界@名無史さん:02/01/07 02:07
献帝を上回る流浪を繰り返した司馬衷たん

120 :世界@名無史さん:02/01/07 16:42
司馬衷ってそれ程のバカでもなかったんじゃないの?
少なくとも今の天皇の替わりは十分務められそうな・・・

121 :世界@名無史さん:02/01/07 21:00
この蛙は官の蛙か私の蛙か?
何か深い物を感じる・・・

122 :世界@名無史さん:02/01/07 22:46
>>115
そんなはっきり言わないで!

123 :世界@名無史さん:02/01/08 10:06
このスレもどんどんレベルが下がっていくなぁ

124 :世界@名無史さん:02/01/08 10:52
恵帝って悲惨な死に方をした二代目に送られる諡号なの?

125 :世界@名無史さん:02/01/08 14:29
恵帝って悲惨な1がいるスレに送られる諡号なの?

126 :世界@名無史さん:02/01/08 19:28
呉・蜀の臣でホンマモンの朝廷に立った人間っていたっけ?
入朝未経験者ばかりで作った朝廷ってかなりオリジナリティ
溢れるモノだったのでは?

127 :世界@名無史さん:02/01/08 21:25
司馬衷がまともな人間だったら匈奴・鮮卑に中原を踏みにじらせる
事にはならなかっただろうに・・・
邪馬台国も入貢を続けていたに違いない

128 :世界@名無史さん:02/01/08 21:31
>>126
地方の有力者を牽制するために
表面的にはかなり類型的になると思われ

129 :世界@名無史さん:02/01/08 22:42
>>128
どういう意味?

130 :世界@名無史さん:02/01/08 23:32
土豪によって領地を分割され封建制的な状態になる前に
中央集権的な政治体制を整えようとすると思われ

その際モデルとなる対象はひとつしかなく、
儒者たちが喜んで理論から設計図を復元してくれる

伝統が足りないとかいわないでね。。。

131 :世界@名無史さん:02/01/09 00:29
>>130
というか実際に朝廷のしきたりとか知らない人間ばかりだと
どういう朝廷を作っていいか分からないと思うぞ

蜀で実際入朝した事あるのって劉備だけじゃないかな?

132 :世界@名無史さん:02/01/09 01:04
あえていえば許靖
尚書郎→御史中丞に任官している
ほかにも無名の臣下はいただろう

それ以前に劉エンが既に独立計画を企図しており
その文官集団を引き継いだのだから、
ある程度準備が整っていた筈

133 :世界@名無史さん:02/01/09 01:30
許靖って諸国を流浪して蜀にたどりついた印象があったけど
一応中央にもいたんだね

劉焉自身は車馬を王侯に擬したくらいしか書かれてないのでは?

134 :世界@名無史さん:02/01/09 01:56
張魯を漢中に派遣して長安との連絡を絶ち
独立を目論んだとあるが…

135 :世界@名無史さん:02/01/09 04:59
この時代の鐙について詳しく教えてください。

136 :世界@名無史さん:02/01/10 16:07
>>126
孫策の時代は結構北方士人の登用が多かったからなぁ。
張紘はあるだろう。(張昭はなさそう)

137 :世界@名無史さん:02/01/10 18:41
公孫サンのハーレム ハァハァ

138 :世界@名無史さん:02/01/10 20:49
呉は何度か魏に使い送ってるから入朝だけはしているな・・・
ただ朝臣となった人間は建国時にはいないかも

139 :世界@名無史さん:02/01/10 22:15
公孫サンの易京はすごい防備だがあっけなく落とされたな・・・
三国一の堅城ってどこだろ?

140 :世界@名無史さん:02/01/10 22:20
合肥新城

141 :世界@名無史さん:02/01/11 23:42
公孫サンの引きこもりっぷりはすごいな
楼閣を何百と列ねて城中から男子を追放して三百万石の
兵糧を積んで完全引きこもり体勢
引きこもりの鏡と言えよう

142 :世界@名無史さん:02/01/12 00:49
公孫サンこそ漢と書いてオトコだ!!
崇め奉ろうぞ!!!!

143 :世界@名無史さん:02/01/12 01:50
男子を追放ってなんだ??
どこに書いてあるんだよ?

144 :世界@名無史さん:02/01/12 02:06
sageで書くヤツは厨房と認定する

公孫サンが引きこもりになったのはやっぱ
幽州で無敵だった白馬義従が袁紹に全く通用
しなかったせいだろうな・・・

145 :世界@名無史さん:02/01/12 02:08
どこに書いてんだよ???

146 :世界@名無史さん:02/01/12 02:45
>>144
てかageてんだから
得意げに答えろやゴルァ!!
どこにあんだよ?んな記述?!

147 :世界@名無史さん:02/01/12 02:55
>>144
ウワァァアアアン粘着だよー
みんな助けてーageかよ?!
テメェが厨房だろうが!!!

148 :三戦板住人:02/01/12 03:09
いいから帰ってきなさい。迷惑をかけなさんな。
オトコとか萌えとかはこっちで聴いてあげるからさ。

149 :世界@名無史さん:02/01/12 23:57
公孫サン伝にはほとんど劉備の記述がない・・・
劉備は盧植塾では落ちこぼれだったっぽいから
あまり戦力視されてなかったのか
しかし、関羽・張飛がいたら公孫サンも袁紹には
負けなかったような・・・

150 :世界@名無史さん:02/01/13 13:35
曹操の攻撃を長期耐え抜いたギョウ城、長江を堀にした石頭城なども
堅城だと思う
中国の都市は大体城壁に囲まれてて防御向きなんだけどね

151 :世界@名無史さん:02/01/13 17:40
公孫サンは同姓のよしみで公孫度を頼れば良かったのに・・・

152 :世界@名無史さん:02/01/13 19:14
公孫氏政権は黄巾の乱後から遼東でやりたい放題だから
公孫サン・劉虞とは敵対関係にあったのかも

153 :世界@名無史さん:02/01/13 23:36
異民族・劉虞遺臣・袁紹の三者を敵に回して
民衆にも不評だったらどんな城に籠もってもダメって事だな

劉備がいれば公孫サンの愚行を止められたかもしれんが
194年頃には徐州におさまってたんだっけ?

154 :世界@名無史さん:02/01/14 00:35
日本史板は戦国が分離しても戦国の濃い話題が多いが
世界史板は全くそんなことないね

155 :世界@名無史さん:02/01/14 00:41
「ヨーロッパの剣」とか「密集陣形」とか軍司板の「戦争論」とか・・・。

やっぱ濃いけど人口少ないよね。世界史板の軍事系

156 :世界@名無史さん:02/01/14 00:55
http://medetai.kakiko.com/meijiob/

157 :世界@名無史さん:02/01/14 16:02
ふう・・・
三国志の英雄の墓でも発掘されないかな〜

158 :世界@名無史さん:02/01/14 17:02
>>157
曹氏の墓誌のせいで研究者はてんてこ舞いだと
いうことを知らないDQNは戦国・三国板へどうぞ

159 :世界@名無史さん:02/01/14 17:43
>>158
知ってるなら何か書き込めっつーの

何かといえばsageたり、三国板行けとか言うな厨房

160 :世界@名無史さん:02/01/14 18:14
そもそも研究者のスレじゃないし・・・

161 :世界@名無史さん:02/01/14 18:47
1984年に朱然の墓が発見されたね。

162 :世界@名無史さん:02/01/14 18:58
劉備の墓って成都の廟?

163 :世界@名無史さん:02/01/14 23:20
朱然の遺体はどうなってたの?

164 :世界@名無史さん:02/01/15 09:36
>>160
言い訳してイイわけ?

165 :世界@名無史さん:02/01/15 11:10
朱然の遺体はどうなってたの?

166 :世界@名無史さん:02/01/15 15:29
>>165
自分で調べろ、役立たず

167 :世界@名無史さん:02/01/15 17:41
教えてくれたっていいじゃないか
それとも自分も知らないのでは?

168 :161:02/01/15 18:55
>>163
ゴメン、遺体はわからんや。自分も教えて欲しいっす。
副葬品や陶磁器なんかがほぼ完全な状態で出てきたらしい。
盗掘にはあってるみたいだけど。。

169 :世界@名無史さん:02/01/16 01:13
三国志や晋書には時々生けるが如き遺体が出てきたという記述が
あるけど、何で中国だけにそういうのがあるんだろ?
他の国のはほとんどミイラミイラしてるというのに・・・

170 :世界@名無史さん:02/01/16 11:26
水銀で防腐処理したんじゃないかなぁ?

171 :世界@名無史さん:02/01/16 14:38
生けるが如き死体って漢〜魏にかけてのがほとんどじゃない?
それ以降の墓でもそういう記述があったら教えてくれ

172 :世界@名無史さん:02/01/17 10:53
国相と諸王ってどういう関係だったんだろ
相は王に何らかの礼を行ってたのかな?

173 :世界@名無史さん:02/01/17 13:27
漢初期は国王が直接相を任命してたんだっけ?


174 :世界@名無史さん:02/01/18 09:13
漢の諸王って演義でも正史でも全く何をしてたんだか
書かれてないよね・・・
魏の諸王はギョウに集められて実際は赴任しなかった
気がする

175 :世界@名無史さん:02/01/18 11:23
後漢では帝の兄弟・子孫は国王に封じられてるよね
跡継ぎがいる限り続いたみたいだけど
全部で王国っていくつあったんだろう・・・

176 :世界@名無史さん:02/01/18 11:47
曹操の時に異姓の王が立てられたのは何年ぶりなの?
王莽は王になってたっけ?
劉氏にあらずば王とせずっていう国法を破るのは余程
の事だったんだろうな・・・
そりゃ荀ケも反対するわな

177 :世界@名無史さん:02/01/18 14:16
>>174
後漢書を読むと袁術が陳に侵攻したとき陳王が殺されたりしてるよ。
魏の諸王がギョウに集められたのは、楚王彪擁立未遂事件後だったんじゃないか。

178 :世界@名無史さん:02/01/18 16:09
弘農王弁はどこで殺されたんだっけ?

179 :世界@名無史さん:02/01/19 12:38
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1009292984/54n
ねえねえ、この書き込みって、世界史板的にはどーよ?

180 :世界@名無史さん:02/01/19 17:12
>>179
DQN板のスレなんぞこっちに持ってくるなガキ

181 :世界@名無史さん:02/01/19 17:39
>>180
汝には狂犬の号を与える

ところで、タイ侯夫人の遺体に弾力性があったのは
液体に浸かってたかららしいね
やっぱり空気に触れてたら弾力なんて残るわけないわな

劉表の遺体もおそらく同じ方法で埋葬されてたんだろう

182 :世界@名無史さん:02/01/19 20:08
劉備の穆皇后は何で呉穆皇后といわれないの?
呉国を憚っての事?

183 :世界@名無史さん:02/01/19 20:42
劉備に苦渋を飲ませまくった呉の字が皇后の名については
まずいって事で姓を隠したのかも

184 :世界@名無史さん:02/01/19 21:22
>>183
魏延伝があるんだぞ(w
だいたい次の張飛の娘だって敬哀皇后じゃないか

185 :世界@名無史さん:02/01/20 15:55
>>184
敬哀は長さの関係じゃないか?
魏延は約しようがないからだろう

sageて書くとレスがあった事に気づかないんだけど・・・

186 :世界@名無史さん:02/01/20 15:56
というか魏延伝が書かれたのは晋においてだから
関係ないな
穆皇后は敢えて呉をつけない習慣があったのでは?

187 :世界@名無史さん:02/01/20 17:40
徐庶が石トウと曹操陣営に走った時期っていつ頃?
母云々は演義の創作らしいが・・・

188 :世界@名無史さん:02/01/21 17:29
徐庶は劉備を見捨てたという事か?

189 :世界@名無史さん:02/01/21 17:32
>>188
チンピラに命預けられるか?

190 :世界@名無史さん:02/01/21 21:47
sageは無視
徐庶が孔明と劉備陣営に同時にいたっていうのが
いまいちはっきりしないんだよな・・・
孔明を紹介したのだけは記述があるんだけど

191 :世界@名無史さん:02/01/21 22:08
徐庶程の義人が劉備を見捨てる訳はないと思うが・・・

192 :世界@名無史さん:02/01/21 22:13
>>191
なんだそのレスは根拠を示せ

193 :  :02/01/21 22:54
>>191
いろいろ人には言えない事情があったんだよ。
ほらっ、あんたにもあんだろ!そんなこと。

194 :世界@名無史さん:02/01/22 02:59
しかし、孔明の友人が軒並み魏に仕えているのは腑に落ちないよな・・・
蜀に仕えたのはホウ統と向朗くらいか・・・

195 :世界@名無史さん:02/01/22 09:28
>>194
下らん!何を言下でいいたい?

196 :世界@名無史さん:02/01/22 11:49
>>194
そいつはしょうがないだろう。
襄陽にいた連中で目的を持って行動してない奴等は支配下になった
曹操にそのまま庇護されてるからな。扱いも悪くなかったろうし。
家族らもそこにいたのであればなおさら。

孔明は曹操が嫌いだったようだし(徐州の件)特別なんじゃない?
他の連中は劉備に会ったわけでもないしね。
元々孔明は他の奴等と距離を置いてたんだし、孔明が出ていった
からってついて行く奴もそうそういないだろ。

197 :世界@名無史さん:02/01/22 13:15
荊州知識人の代表である王粲・宋忠なんかが降伏論者だったからなあ
あの辺とつながりがあったなら追従も当然だ
ただ、徐庶は劉備に孔明を推薦までしておきながら自分が曹操の下に
行くというのが不自然

198 :世界@名無史さん:02/01/22 22:46
三才図絵とかに司馬衷の画像とかあるのだろうか?

199 :世界@名無史さん:02/01/23 19:56
三国志の人物絵がある中国のHP知ってる人いる?

200 :世界@名無史さん:02/01/24 12:10
>>197お母さんの元へ返る為じゃないの?その辺の件は、正史も同じじゃなかったけ?

201 :世界@名無史さん:02/01/25 02:09
>>200
その記述が見つからないんだよ
どこに載ってる?

関係ないが、中国の簡体字サイトに入るとIEが落ちるんだけど
どうすればいいんだろう

202 :世界@名無史さん:02/01/25 02:20
>>201
マイクロソフト逝って繁体字表記出来るようにしろ。
簡体字もついでにな。
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
ここ読めるようになってからここに来い

203 : :02/01/25 02:55
 演習で中華書局の『三国志』(『魏書』)を訳している
のですが、参照した方が良い版本は何がありますか?




204 :世界@名無史さん:02/01/25 03:13
>>203
死ね。
てめーのためのそんなもんねーよ。
『漢語大詞典』『大漢和辞典』使いこなせないヤツがここ来るな。
厨房レヴェルのクソ大学生が偉そうな口叩くな。
ちゃんと注・校勘記読んでから質問しろ。
そして注・校勘記に出ている文献のことっとと調べろよ。
早く研究室逝って調べな!

205 :がばろん@Mたんちゅきちゅき:02/01/25 06:33
>>201たん。
三国志 蜀書 諸葛亮伝の冒頭のあたり。
劉Nが曹操に降って劉備らが南に逃亡。
このとき劉備らは曹操に追撃されて徐庶の母も捕虜に。

この話につていは程G伝の裴松之の注にも、
すこしばかり記載されています。

ブラウザについてはIEをやめてMozillaにしてみるとか。

>>194たん。
亮たんを「尊兄」と呼んでた馬良たんとか。


よかったら、こちらスレにも遊びにきてね。

三国時代の社会構造や民衆の生活について
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1011791883/

206 :世界@名無史さん:02/01/25 10:05
>>202 204
は狂犬  誰にでもかみつくので注意が必要だ


207 :世界@名無史さん:02/01/25 18:29
>>206
わかんねーかなぁ?愛情だよ。
安易に人に頼る様になっちゃダメだからな。

208 :世界@名無史さん:02/01/25 20:14
宦官って去勢されても凶悪な人間多いよな・・・
去勢されると大体おとなしくなりそうな気がするんだが


209 :世界@名無史さん:02/01/25 23:23
>>207
一理あるな…。疑問系で書きっぱなしの奴が増えてきた。
答える気にもなれんから、議論にもならん。
あとウザイのが「…じゃなかったけ?」とか「…だったと思う」とか書く奴。
確信がないなら最初から書き込むんじゃねえよ。

210 :世界@名無史さん:02/01/26 00:42
>>207 =209
分かりやす過ぎる自演だな・・・
何故そこまでこのスレで暴言を吐くのか
問いつめたい 二三分程

211 :世界@名無史さん:02/01/26 00:45
>問いつめたい 二三分程
ワラタ

212 :世界@名無史さん:02/01/26 11:23
>>210 =211
分かりやす過ぎる自演だな・・・


213 :211:02/01/26 14:35
自作自演じゃ無いんだが。
そう思いたいならいいけど。
攻撃的なだけだよな。
実際なにも言ってない。
このスレが不愉快なの?

214 :世界@名無史さん:02/01/26 14:46
>>202-204にはかなりの愛を感じるのだが…
このスレでここまで基本的なことを言ってるヤツはなかなかいない
三国板とここの違いって、要するにそこにあるわけでしょ

215 :世界@名無史さん:02/01/26 15:42
素直に三国板逝けやクソ厨が!!
って言えばいいのに。

216 :世界@名無史さん:02/01/26 17:34
死ねとか書いておいて愛があるってオイ・・・
ウザければレスするな
しかもわざさざsage入れてまで
まったりノリでやりたい人間には非常に迷惑

217 :世界@名無史さん:02/01/26 17:39
顔良を祀る村ってどこにあるの?

218 :世界@名無史さん:02/01/26 17:56
>>217
こういう質問厨房がいる限りマターリなどできんな。
「三国板逝けやクソ厨が!! 」

219 :世界@名無史さん:02/01/26 18:54
狂犬は無視でお願いします

220 :207:02/01/26 19:18
あのなぁ、俺は自作自演してないってーの。
お前もかなりエゲツない奴だな、210よ。
速攻で自作自演をかますとは恐れ入ったぜ。

221 :世界@名無史さん:02/01/26 19:53
レベル低くなったな〜(w

222 :世界@名無史さん:02/01/26 20:09
狂犬は荊州に使いに行かせる事が決定しました
皆で送別の宴を開きましょう

223 :世界@名無史さん:02/01/26 23:47
>>205
サンクス!
徐庶はやっぱり母親の為に劉備の下を去ったんだね
石韜も身内が捕らえられたのかな?

しかし、程c伝に注があるから程cが偽手紙を書いた
ストーリーにしたのかねえ、演義は・・・

224 :世界@名無史さん:02/01/26 23:51
質問厨ぐらい無視して下さい。

225 :がばろん@Mたんちゅきちゅき:02/01/27 05:15
じゃ三国志板の質問スレ。

☆スレッドたてるまでもない三国志での質問
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/983652841/
●初心者歓迎!スレたてる前にここで質問を●
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/996452552/

そこまで神経質になるのなら、
世界史板で「三国志」スレを建てるのは、
もう、やめてしまえば、よいのではないでしょうか。

で、巻三は魏晋南北朝というタイトルのスレにしてカモフラージュ。
ついでに下のスレも併合して勢いをつける。

五胡十六国を語る
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1008035063/

# 最近、世界史板もスレ建ちすぎでマイナーなテーマのスレは、
# 油断すると、すぐに書き込めなくなるし。
# それに、この三国志スレにも晋代の話題とか、でてるし。
# ただ、むこうのスレは、こことの併合をいやがるかもしれないが。

226 :がばろん@Mたんちゅきちゅき:02/01/27 05:27
ただ、これをやると、
タイトルに「三国志」を入れたスレが忘れたころに建てられ、
三国時代が魏晋スレとで二分されるので素人には、おすすめできない。

まあ次スレの1たんは、
三国志板の質問スレにもリンク貼っておけってこった。☆彡←メカゴノレゴ風ながれぼし


227 :世界@名無史さん:02/01/27 11:55
イヤ、かみついてるのは一人だけだよ
(これいうと、一人じゃないとか言い出すけど)
レス番号がもろ三国時代だよね・・・
出師の表(w

228 :世界@名無史さん:02/01/27 12:22
トレビゾンド帝国は?

229 :世界@名無史さん:02/01/27 12:22
228です。
誤爆でした。
スマソ

230 :世界@名無史さん:02/01/27 21:42
前に王莽の玉璽が発見されたってあったけど発見したのは劉淵の匈奴が見つけた
みたいだね。

231 :世界@名無史さん:02/01/27 21:53
もっと質の高いレスが付くようになれば
レベルの低いレスは自然に無視される。
しばらく放置しとけばいい。

232 :世界@名無史さん:02/01/27 23:22
レベル云々いうヤツって本当にレベルが高いのかどうか・・・

ところで、玉衣の中の遺体ってほとんどカスのようになってるのが
ほとんどみたいだね・・・
玉の保存効果って皆無なんだろうか?

233 :231:02/01/27 23:30
漏れのレベルは低いよ。
そのレスに反応が返ってくることが何よりの証拠。

234 :世界@名無史さん:02/01/28 00:04
これ以上レベルを求めても人が来なくなるだけじゃないの?
適当に正史関連の話題を続けていけばいい。

ミイラの詳しいHPあったな・・・
FLASHとか使いまくりで重かったけどかなり詳しかった

235 :世界@名無史さん:02/01/28 03:08
孔明も死んだな・・・
孔明って血液型何型だろう?

236 :世界@名無史さん:02/01/28 12:27
孔明ってB型っぽいとどこかで耳にした・・・
あの頃の時代で血液型が分かる人物っているのかな?

237 :世界@名無史さん:02/01/28 14:23
あ〜、質問厨うぜぇ〜!
言っとくけど、質問厨は一人だけ。
(これいうと、一人じゃないとか言い出すけど)

238 :世界@名無史さん:02/01/28 18:04
>>237
答えられないならうぜぇ〜とかいうな・・・
君は荊州に行ったんじゃないの?

ところで、蜀の北伐は荊州から呉と共同作戦というのが一番効率
良かった気がするんだがどうだろうか?

239 :世界@名無史さん:02/01/28 19:52
どうも漢中から兵を出すと防御されやすそうだ・・・
だが、孔明のプライドからして呉の力を借りるのは
イヤだったんだろうな。

240 :世界@名無史さん:02/01/28 23:35
>>238
585 :無名武将@お腹せっぷく :01/11/21 18:26
蒋エンの漢水を下って魏を攻める北伐計画の方が勝ち目がありそう
呉との連携プレーもできそうだし
孔明はなぜあれほどまでに北のルートにこだわったのだろう?

586 :無名武将@お腹せっぷく :01/11/21 19:28
>585
その逆だろ。呉は蜀が荊州方面に兵を動かすことには相当神経を尖らしていた。
宗預伝にも蜀が永安、呉が巴丘の守備兵を増員したことが外交問題に発展したことが書かれている。
漢水を下って魏を攻めればかえって呉の猜疑を招いて、関羽・夷陵の再現となりかねない。
諸葛亮は生涯をとおして親呉を貫いているので漢水方面からの侵攻をしなかったのは不思議じゃない。

というやりとりがかつてあったが…
ほんの数年前、凄惨な殺し合いを演じた国家同士が同じ戦場で手に手を取り合って…
ってのはかなり無茶な気がする。

241 :世界@名無史さん:02/01/31 21:42
>>240
234年は孔明と孫権の両方が魏に出兵してるけど、孔明が死ななければ
同時侵攻・共同作戦はその後も行われたと思われ・・・



242 :世界@名無史さん:02/02/01 11:32
司馬懿の成り上がりストーリーすごいな・・・
荀ケとか古参の参謀クラスでもないのに丞相にまで
登りつめるとは

243 :世界@名無史さん:02/02/01 16:35
荀ケ・陳羣の家は司馬氏の家臣みたいになっちゃったね。

244 :世界@名無史さん:02/02/01 20:22
程cの子孫もぱっとしないな・・・
満寵の子孫は司馬昭に殺されてたっけ?
劉曄は発狂死

興業の謀臣は必ずしも報われてないよね

245 :岳火:02/02/02 18:21
やっぱ劉備、関羽、張飛ってドキュンだったの?

関羽は塩の密売人で、劉備はわらじ売って、
張飛は・・・。ヤクザ??

246 :世界@名無史さん:02/02/02 18:28
関羽私塩密売人説のソースきぼんぬ

247 :世界@名無史さん:02/02/02 21:58
ドキュンって何だよ
普通の庶民の事か?
平民出身の人間ってあの時代は名を残すの難しかった
後漢末の混乱で成り上がった人間もいただろうが極わずか

248 :世界@名無史さん:02/02/02 23:21


249 :世界@名無史さん:02/02/02 23:41
蒼天とか無双だと夏候惇が曹操に敬語つかわないで、
慣れなれしく話し掛けてるのだが、
正史でそのことは書かれてる?それとも漫画のオリジナル?
公の場ではさすがに臣下の礼を取ってるけど。

250 :世界@名無史さん:02/02/03 00:02
>249
正史には曹操のほうが夏侯惇を尊重して友人として待遇したのを
夏侯惇が頼み込んで臣下待遇にしてもらったとある。

ゲームや漫画のは片目=勇猛、というイメージからくる演出と思われ。

251 :世界@名無史さん:02/02/03 00:26
>>249
蒼天の設定だと、曹操は曹、夏侯兄弟の中で最年少という扱いになってたからな。
史実では最年長のハズ。

252 :世界@名無史さん:02/02/03 01:02
曹操の本当の祖父の名前は分からないの?


253 :249:02/02/03 01:50
>>250 >>251
情報ありがとう。
俺は曹操と対等に話す夏侯惇がなんか好きだから、実際もそうだとよかったんだけど。
なんか残念だな。
でも、
>>曹操のほうが夏侯惇を尊重して友人として待遇
とあるから、全くイメージが違うというわけでもなさそうだからいいけど。

254 :21歳学生:02/02/03 22:26
劉備が役人を木に吊るしてしばいたのは
本当ですか?実は演義ではそれを張飛
のしたことになってるけど・・・。


255 :世界@名無史さん:02/02/03 23:41
>>254
史実では、関羽が自分のヒゲで役人をシバキあげたらしい。

256 :世界@名無史さん:02/02/04 00:52
>>255
ヤツを吊るしたのが劉備の耳だったことを忘れるな!!

257 :世界@名無史さん:02/02/04 22:08
ネタは三国板で・・・

258 :世界@名無史さん:02/02/04 22:18
だって、>>254がネタふるんだもん。

259 :世界@名無史さん:02/02/05 00:40
郭嘉の子孫もあまりぱっとしない・・・
東晋時代になるともはや三国志に全く登場しない人物の
家系が重臣を占めているな

260 :世界@名無史さん:02/02/05 00:43
おい。俺はエンショウが好きなんだ。
エンショウは正史ではどんな奴として書かれてんだYO!
全然だめ?

261 :世界@名無史さん:02/02/05 14:17
>>246
関羽の出身地が塩の生産地で闇商人が多かったことからの憶測。
でもここから生まれた商人ネットワークが関羽信仰を各地に広げ
後の時代に関羽は神に祭り上げられた。

262 :世界@名無史さん:02/02/05 20:12
>>260
袁紹のやった事は演義とほぼ同じ
ただ袁紹が死ぬと、冀州の民は皆父母を亡くしたように
泣いたとある


263 :世界@名無史さん:02/02/05 21:38
塩の密売人が反乱の核になるのは、それ以後の時代もそうだから、
関羽が塩の密売人というのはそれなりの説得力はあるな。

264 :世界@名無史さん:02/02/05 21:48
関羽って反乱者だったか?

265 :世界@名無史さん:02/02/05 21:56
>>262
でも曹操がやってくると住民こぞって歓迎し迎え入れるのだな(w

266 :世界@名無史さん:02/02/05 22:28
>>261
もともと商売の神として奉られたいたのではない。
三国演義以降に商売の神として祀られる様になった。
その主な理由は義の神であったから。
商売にあって信用を得る事こそが最大の秘訣とされたからだ。
>>265
魏の統治時代にも、袁紹の統治時代を懐かしむ声が冀州ではよくあった様だ。
正史にあっては袁紹の評価は低いが、実際はそうでないのかもしれないな。
事実、学会の間でも袁紹の評価を見直す動きが活発になってる。

267 :世界@名無史さん:02/02/06 16:51
袁隗の字の字陽ってどこに記されてるの?
後漢書では次陽だよね
字に字っていう字を使うかな〜(わかりにくい)

268 :世界@名無史さん:02/02/06 19:24
↑そもそもどこに「字陽」って書いてあったんだ?

269 :世界@名無史さん:02/02/06 20:12
>>268
どこだろう?
忘れちった・・・
ネットで検索するとそう出てくるから思いこみでは
ないよ

270 :世界@名無史さん:02/02/06 20:36
ちょっと調べてみたら、徳間書店の「三国志全人名事典」で字陽ってなってるから
そのサイトもこれを採用したんじゃないかと思う。

271 :世界@名無史さん:02/02/06 23:31
ところで李儒って幻なのか?正史にはいないよね…

272 :世界@名無史さん:02/02/06 23:35
>>271
漢書にいる。

273 :272:02/02/06 23:38
後漢書だ・・・鬱死

274 :世界@名無史さん:02/02/06 23:52
<<265
降参した7・8万の兵を、食料がないために生き埋めに
されたら本音では歓迎したくないのでは?
ちなみにその後名前が出ない高覧はこのときに?

275 :世界@名無史さん:02/02/07 04:28
>>270
徳間の間違いか!
しかし、何か元ネタあるのかも・・・

276 :世界@名無史さん:02/02/07 04:32
>>271
李儒は本来まじめな男だったが、董卓の命でしょうがなく少帝を
毒殺したんだと。
しかし、献帝はそれを許さず、李儒は自殺?したらしい。

277 :世界@名無史さん:02/02/07 04:55
三国志板に行けよお前ら。ウザイから

278 :世界@名無史さん:02/02/07 10:36
>>277
禿げ胴。特にお前とか。

279 : ◆OtJW9BFA :02/02/07 13:30
>>265
プノンペンにクメールルージュがきたときも住民は大歓迎したよ。

280 :世界@名無史さん:02/02/07 18:55
曹操死後45年で魏は滅んだが、曹操の晩年の子はまだ壮年だね・・・
生きてたのは何人くらい?


281 :世界@名無史さん:02/02/08 01:46
鍾ヨウって真面目なふりして密かに女がらみのエピソードの多い
エロジジイだな

282 :世界@名無史さん:02/02/08 20:39
age

283 :世界@名無史さん:02/02/09 21:26
鍾会は鍾ヨウが70過ぎてからできた子だぜ・・・
キモイヨ 鍾ヨウ

284 :世界@名無史さん:02/02/09 21:42
>281
幽霊女に誑かされたって話もあったね

285 :世界@名無史さん:02/02/09 22:59
鍾ヨウはガリガリだったらしいのに精力絶倫なのね・・・
というかやりすぎでガリガリになったのか

286 :世界@名無史さん:02/02/09 23:04
ち、安易な鍾会ネタにはしりやがったな。

287 :世界@名無史さん:02/02/10 01:08
>>286
狂犬?
鍾会と鍾毓が年子っていうのは演義のみの設定だったかな・・・

288 :世界@名無史さん:02/02/10 01:45
こ、怖いヨー(ブルブル
ちょと毒だすと狂犬扱いされるヨゥ

289 :世界@名無史さん:02/02/10 20:54
尋ね人
呉征討戦で晋軍の先鋒として活躍した周旨って正史にいますか?
敵の大将を討ったりしたら多大な恩賞を受けたと思うんですが
どうしても見あたりません。

290 :世界@名無史さん:02/02/11 18:34
>>289
正史には見つからなかったけど
調べたら少なくても晋書にはあるみたい。

晋書 列傳第四 羊コ 杜預(杜錫)
http://www.njmuseum.com/big5/wbsk/esss/jinshu/jins034.html

291 :世界@名無史さん:02/02/11 19:28
>>290
ありがとうございます。
具体的に誰々を斬ったという記述は無いようですね。
自信無いですが・・・


292 :世界@名無史さん:02/02/11 22:19
いつの間にか呉が滅んでる・・・

293 :世界@名無史さん:02/02/12 19:15
三国志集解っていくらするの?
つーか誰が書いた本?

294 :世界@名無史さん:02/02/14 22:31
孫皓って色々無駄な改革を行ったようだけど
ヤツは実は天才肌ですか?

295 :世界@名無史さん:02/02/15 01:45
孫皓廃立計画が水泡に帰したのが残念だな・・・

296 :院生:02/02/15 03:14
>>293

盧弼『三国志集解』中華書局

最近あんまり見ないけど、7000円前後くらいかな。

297 :世界@名無史さん:02/02/15 05:28
>>296
ども!
でも聞いたことも無い名前だな・・・
レア情報満載なのかなあ。


298 :世界@名無史さん:02/02/15 23:11
そろそろ八王の乱に突入ですな・・・
八王の性格をそれぞれ把握できてる人いる?

299 :世界@名無史さん:02/02/16 00:22
チョウサオウガイカコイイ!

300 :世界@名無史さん:02/02/16 12:36
晋はアホみたいに王公を置きすぎたのが失敗だろう

301 :世界@名無史さん:02/02/16 15:31
http://kansas.ceser.hyogo-u.ac.jp/~sugiyama/cgi-bin/sin2_/index.html
この三国志ゲームかなりよくできているぞ!


302 :世界@名無史さん:02/02/16 19:48
>>301
開けるの怖い・・・

ところで西晋の重臣って何であんな贅沢したというか、できたんだろ


303 :世界@名無史さん:02/02/16 23:59
ある意味あの時代が続いてたら究極のグルメ国家になっていた気がするな

304 :世界@名無史さん:02/02/17 00:13
人間の乳で育てた豚食べたいな〜

305 :世界@名無史さん:02/02/17 04:07
曹操をかばって死んでしまった曹昂はどのような人物?
曹丕と比べるとどちらが魏帝にふさわしかったのでしょうか?

306 :世界@名無史さん:02/02/17 10:04
>>305
正史ではどのような人物かよく判りません。
ただ曹丕自身、生きていてもおのずと限界(帝位につくこと)があった・・・
などと語ってますが。(w
でも兄を殺した帳繍を恨んでいびり殺したから
それなりに兄想いだったんでしょうね・・・曹丕。(オイオイ)

307 :世界@名無史さん:02/02/17 15:12
日に一万銭を食事に使ったっていうけど今で言うとどれくらいなんだろ?
いまいち実感沸かないけど・・・

308 :世界@名無史さん:02/02/17 17:11
元帝が江南で「長壽萬年」と書かれた神璽を見つけたらしいけど
これって誰が作ったのかな?
ねつ造の疑いもあるが・・・

309 :世界@名無史さん:02/02/18 00:00
曹操の子で一番器だったのは曹沖
でも生きてたら簒奪しなかった可能性大

310 :世界@名無史さん:02/02/18 00:04
>309
でもよ、芯だのが13歳だから実際どうだか判んないよ。
神童だったかもしれんが・・・

311 :世界@名無史さん:02/02/18 19:30
何曾は一日の食事に一万銭を費やしたが箸を下ろす物はわずかだった
何家の召使いたちが残りを平らげたに違いない
おいしい

312 :世界@名無史さん:02/02/18 21:02
司馬懿が牛金を毒殺した話知ってる?

313 :世界@名無史さん:02/02/18 22:56
曹家の[言焦]県
司馬家の温県
などは租税免除などの特別待遇を受けてたの?

314 :世界@名無史さん:02/02/18 23:49
沛国(高祖の出身地)や南陽(光武帝の出身地)は特別待遇だったみたいだね

315 :世界@名無史さん:02/02/18 23:54
司馬家のご先祖って誰だっけ?

316 :世界@名無史さん:02/02/19 01:00
>315
殷王司馬ギョウ?

317 :世界@名無史さん:02/02/19 01:48
顧雍の生没年が178-243(243年に66才で死んだから)。
その孫の顧譚は221年に20才そこそこで孫登の賓友に選ばれたとあるので、
これから考えると生年は202年前後。
また、交州に流されて2年目に41才で死去しており、交州に流されたのは
陸遜が死んだのと同時期と考えると、生年は206年くらい。

では、顧雍の息子で顧譚の父である、顧邵は何年生まれなのか?
顧雍と顧譚の生年から考えると、顧雍も顧邵も多めに見積もって13,4才で子供作ったことになる。
鍾[月缶系]みたいに歳いった人が子供作った例はしってるのだけども、
この時代、10才やそこらでも結婚して子供作ってたんでしょうか?

318 :世界@名無史さん:02/02/19 01:52
↑正史の顧雍の生年だか没年だかが間違ってるってどっかのサイトで見た覚えがある。
たしか三国志集解で指摘されてるとか…

319 :世界@名無史さん:02/02/19 02:16
おとうさんって大臣だったの?

320 :世界@名無史さん:02/02/19 06:26
>>319
だーれーのーじゃー?

321 :世界@名無史さん:02/02/19 13:58
>>316
ビンゴ!河内に都を置いたという。

322 :317:02/02/20 01:03
>>318
なるほど。個人的には、死んだ歳が76才なのかなぁ??と
あまり根拠もなく思っていたのですが。
ありがとう御座いました。

323 :世界@名無史さん:02/02/20 12:12
>>318
いや、正史のミスじゃなくて「ちくま訳」のミスだったはず。

324 :世界@名無史さん:02/02/21 16:23
劉曜が即位した場所の赤壁ってあの赤壁?

325 :脱税三国志:02/02/21 19:58
 三国志を語る前に、荘園制を理解しとかねばならない。後漢は荘園制が非常に進
んだ時代であった。荘園とは、脱税地。多くの人々が、戸籍に登録されず、国税も
納めない、荘園の隷属民になっていったのである。
 だから、魏にも呉にも蜀にも国軍がほとんどおらず、兵隊のほとんどは、各荘園
領主の私兵だったのである。
 人材を求める、という事の実態は、人材=荘園領主の私兵を連れてきて欲しいと
いう事なのである。わざわざ船の船頭を増やしたがる者はいない。
 荘園領主は、私兵という財産の浪費を恐れる。さらに、荘園制は領内の自給自足
に傾き、天下統一による広域経済圏を求めない。だから、真剣に戦う理由が少なく
て、ハッタリ戦術に傾きがち。たまにいる本気戦士は、ものすごく目立ってしまう。
それが、関羽、張飛。しかし、まわりは、付いていけんわ。


326 :世界@名無史さん:02/02/21 20:22
孔明が戸籍とかをきっちり調べない訳無いと思うがな
私兵が多かったのは呉でしょ?
孫皓の豪族弾圧もその辺に理由があったのかもね

327 :脱税三国志:02/02/21 20:40
 蜀の戸数が100万以下でした。漢の盛事の1/10だそうです。9/10も死
んだと思えますか?
 一番の勘所では、支持者に迎合せねば権力者たりえませんよ。孔明もね。

328 :世界@名無史さん:02/02/21 21:52
魏での屯田民は戸籍には入っておらず、晋になって屯田制が廃止されたとき
晋の(戸籍上の)人口が倍増した。
呉も蜀も事情は似たようなもんだと思う。

329 :世界@名無史さん:02/02/21 22:17
>>327
あれだけ戦争すりゃ難民や戦死者が相当出たと思うが・・・
蜀は劉焉親子が豪族をかなり減らしたから私兵を持つ豪族は
あまりいなかったという印象だが?

330 :世界@名無史さん:02/02/21 22:28
魏の兵戸も普通の農民より一段低く扱われてたってどっかで読んだ

331 :世界@名無史さん:02/02/22 00:58
蛇矛は晋の時代にはあったみたいだね
張飛が使ってても不思議はない
関羽の偃月刀は見あたらない
大刀・長刀で検索すればいいのかな?

332 :脱税三国志:02/02/22 17:51
 訂正  100万戸じゃなくて100万人

>>329
 宗教対立がからまない限り、近代以前の戦争の死者数は少ないです。日本でも、
戦国時代の姉川の戦いは、双方で約4万人中、数百人ずつ死んだだけです。川中島の
数千人はウソ。わずか数%の死傷で軍が瓦解するのが、非宗教・非イデオロギーの野戦
の常態だったようです。
 さらに、中国的な戦争は、極めて政治的。戦闘よりも、多数派工作で決着が着くので、
軍人の社会的地位が低く、士気がが低かったようです。

333 :世界@名無史さん:02/02/22 18:05
>>332
をいをい。戦闘における直接の死者なんかより、社会不安による
農業生産がガクンと落ちこんだり、乳幼児死亡率がドカンと上るのが
はるかに深刻だよ。

334 :脱税三国志:02/02/22 18:09
 日本の戦国時代は、人口が増加していましたよ。それに、戦争による出費には
失業対策・支出による乗数効果もあります。

335 :脱税三国志:02/02/22 18:20
 我々は、第一次大戦以降の大量死戦争と、それのもたらす反戦運動によって、
「戦争は悲惨だ」と刷り込まれています。
 しかし、近代以前は、あまり死なないし、死者数発表も誇大報告が常だったし
で、あんまり悲惨ではなかったらしい。だから、第一次大戦以前は、強力な反戦
運動なんてなくて、無邪気に武勇を誇れる社会だったのでしょう。

336 :世界@名無史さん:02/02/22 19:54
なんで戦国時代や近代のことを三国時代にあてはめんの?

337 :世界@名無史さん:02/02/22 21:49
>>334
をいをい。社会システムがまるで違うのに、それを考察しないでそのまま
当てはめるのはドキュンのやることだぞ。

338 :世界@名無史さん:02/02/22 22:18
永嘉の乱なんかでは死者何万ってごろごろ数字が出てくるよ

339 :世界@名無史さん:02/02/23 22:23
蜀って海産物食えなくて可哀想じゃない?

340 :世界@名無史さん:02/02/24 00:40
人口把握に関しては論文がある。妙に納得。
>339
日干しとかならくえるのでは?

341 :世界@名無史さん:02/02/24 01:43
>>335
まぁ、戦争以外にも飢饉や疫病など
悲惨で過酷な生活を送ってるもんね、昔の人は。

342 :世界@名無史さん:02/02/24 02:14
>>339
海のそばに居るものは山のものは食えないだろう。
可哀想とかそーゆーレベルでは・・・

343 :世界@名無史さん:02/02/24 04:12
蜀犬日に吠ゆって本当の話か?

344 :世界@名無史さん:02/02/24 12:20
>>343
中国人は大袈裟だから。
あまり日が照らないから、たまに日が出るとビビッて犬が吠えるってヤツだろ?

345 :世界@名無史さん:02/02/24 19:05
何で7時間で140まで下がってるんだろ
誰かage荒らししてんのか?

346 :世界@名無史さん:02/02/24 21:31
漫画「蒼天航路」の中で孔明の目に瞳が3つあると描かれていますが
出典はあるのでしょうか?
自分でも調べているのですが中々見つからず、聞きにきました。
知っている人がいたら教えてください。お願いします。

347 :世界@名無史さん:02/02/25 00:46
>>346
堯だか舜だかが瞳が三つあったんじゃない?

ところで易京は五胡の時代も現役要塞で
あまりの堅城さを憎まれて石虎に破壊されたらしい

348 :世界@名無史さん:02/02/25 13:32
陸抗の子陸機の愛犬は洛陽から呉郡まで手紙を持って往復したらしい

349 :世界@名無史さん:02/02/25 20:25
蜀の人口は100万弱という記述が正史にあった気がするけど,
兵士および官吏が15万ということは,
兵戸とか含めた人口は200万以上あったの?

厨房的質問許してちょ.

350 :世界@名無史さん:02/02/25 20:29
>349
それでも魏の国力は蜀の5倍・・・

351 :世界@名無史さん:02/02/26 01:39
>>350
五倍どころじゃないって。20倍だよ。

352 :世界@名無史さん:02/02/26 08:27
蜀の人口は100万。ただしこれに異民族はふくまれない。

蜀呉魏の総合国力比は、およそ1:3:6。
ただしこれがただちに軍事衝突時の戦術的・戦略的な有利不利さに直結するものではない。


353 :352:02/02/26 12:38
もう少し正確にいうと三国時代初頭の人口は
魏=約240万。呉=約140万。蜀=約90万。合計で500万に満たず。いずれも異民族ふくまない。

354 :世界@名無史さん:02/02/26 13:09
魏=450万
呉=230万
蜀=90万

じゃなかったっけ?

355 :世界@名無史さん:02/02/26 13:16
ちなみに前漢の最盛期は7000〜8000万人と言われる。
後漢も5000〜6000万人いたらしいから、後漢末の乱世での荒廃ぶりの凄まじさがうかがえる。

356 :世界@名無史さん:02/02/26 14:16
何で人口とかがそんな気になる?


357 :世界@名無史さん:02/02/26 14:30
>>354
実際の人口はこの2倍以上はあるだろう。
晋になっていきなり人口増加したとも思えないし。
既出だが、屯田民は別計算だ。

358 :世界@名無史さん:02/02/26 14:58
中国は戦乱期になると、とたんに人口が減ります。
実際に人口が減るわけではなく、戸籍逃れをする人間が増えるのでしょう。

754年の人口は5000万人を超えていますが、760年には安史の乱の影響で、
それが2000万人以下に減っています。

中国の戸籍上の人口は、その時の政権の人民掌握力を示しているものと考え
ればいいのではないでしょうか。

でも、この時期は漢代と比べて人口が少なかったのは事実であると思います。

359 :世界@名無史さん:02/02/26 19:43
だから論文がいっぱいでてるって・・
さぞかし自分が説いたように言うな。
しかも魏の人口とかいってるけど、出典はなによ?
・・・とえらそうにほざいておきながら厨房的質問。。
三国志はなんで「志」なの・・?(←氏ね)

360 :世界@名無史さん:02/02/26 22:09

孔明が劉備についたのは劉備がバカだったから自分が主導権を握れると思った野心から、
徐庶が曹操についたのは劉備のバカさ加減に愛想をつかしたから、
ホウ統は周喩のスパイで、それがバレて劉備に殺された。
馬良は家から一番近い高校に通う感覚で・・・
つまり劉備のために働いた軍師はいない。
これが世界の定説、世の中は横山光輝に毒されすぎ。

361 :世界@名無史さん:02/02/26 22:42
>>360
今でも、サイババは勝手だと思いますか?

362 :世界@名無史さん:02/02/26 23:23
>>360
最初の2行と4行目はありえるとしても、3行目はトンデモ。
そうでないというなら、その主張の根拠を述べよ。
それと、5行に異議あり。正史を読む限り、孔明よりも劉備に信頼されていたと思われる法正はどうした?
あと、どうでもいいが、横山光輝は単に吉川英治の小説をマンガ化しただけ。
したがって、6行目は横山光輝でなく「吉川英治に毒されすぎ」とすべきだったな。

363 :世界@名無史さん:02/02/26 23:27
>>362
360が一番横山光輝に毒されています

364 :世界@名無史さん:02/02/26 23:41
>>361-363
三戦板からの迷子だろう。そんなに苛めるな。

365 :世界@名無史さん:02/02/26 23:52
蜀政権のテイ族の扱いとかってどうだったの?

366 :349:02/02/27 03:44
>>353
いやさ,この蜀の90万という人口には兵戸や官吏の家族は含まれていないと
記憶してるんだが.違ったっけ?

でないと,蜀の滅亡時の記録にある人口が90万で,兵士数が15万というのは
どう考えても変でしょ.

>>356
動員兵力と関連するからかな?
正史を見てると意外と動員兵力が少なくて,驚くけどね.

劉備vs陸遜 4万対5万
関羽が215年に呉と対峙したときの兵力 5000

てな感じだったと記憶している.

367 :世界@名無史さん:02/02/27 15:43
電波な説や厨房くさい説を唱えるものを
三戦板の住人と決め付けて排斥してはならない。
そのようなことをすれば、我々と三戦板の住人との間に、
禍根が生じるおそれがある。

我々は次のことを忘れてはならない。
中国板に居づらくなって、世界史板に逃げ帰ってきた過去や、
世界史板で上げ荒しに利用され、世界史板から排斥された過去や、
荒しによって三戦板が壊滅して、ここに三度帰ってきた過去を。

元来、ここで三国志スレを立てた意味は、
三国志だけに捕らわれない中国史全体からの視点、もしくは世界史的視点から、
三国時代を分析し、語ることのできる人間の参加を期待してのことで、
あったかとおもう。

かつて、創設間もない中国板を失ったときや、
あるいは、世界史板から排斥された時のように、
もし再び世界史板にいることができない、
あるいは、ここで三国志を語ることが無意味化したときには、
我々は再び三戦板に帰らなければならないのだから。

368 :世界@名無史さん:02/02/27 15:45
ただ、参加者に対して歴史について語ることを期待されたスレで、
小説・ゲームの話をする厨房や、なんの論証もされていない、ある
いは投稿者本人も論証しようとしない、ただの奇説だけをふりまこ
うとする厨房は、皆で叩くか、あるいは、皆でやんわりと諭して、
別の板なりスレなりへ、お引取り願わなければならないかもしれな
い。

なにが板違いであり、スレ違いであるかは、その板もしくはスレへ
の参加者によって決定される。ここを歴史を語るスレとして維持す
るためには、そういった期待されていない投稿を書き込みにくい雰
囲気を作らなければならないだろう。

たとえばそれは、歴史に関する実のある投稿を、ほかの参加者が継
続的に行なうことで、当該スレにおいてはどのような投稿が期待さ
れているかを、新たな参加者に対して明確化することであったり、
個々の参加者がスレ違いと判断した投稿を排斥することにあるのだ
から。

369 :世界@名無史さん:02/02/27 16:25
>>335
官渡の戦いで、捕虜をまとめて生き埋めにしたりとかなかった?

370 :世界@名無史さん:02/02/27 19:22
魏・呉・蜀が増設した州郡県について教えてちょ

371 :世界@名無史さん:02/02/27 19:47
>370
数え切れないくらいある。無理だ

372 :世界@名無史さん:02/02/27 19:53
>>366
三国時代“初頭”っていったでしょ。滅亡時のことなんかいってないよ。

373 :世界@名無史さん:02/02/28 13:17
もしこの時代にいたら蜀に天下を取らせる事ができたであろう
人物っている?
またその方法は?
韓信あたりがその筆頭かと思うが・・・
やっぱ一戦一戦奇策で戦闘を勝ち抜いていくしかないか

374 :脱税三国志改め金魚:02/02/28 19:23
前漢の平和な時代に、多くの中国人は城(町・都市)から郊外へと進出しました。
だんだんと近郊の狭い耕地よりも、郊外の広い耕地に移動したのです。やがて、
夜間も城には帰らず、郊外で寝起きするようになりました。これが前漢の人口
増加の実態です。 広い中国大陸の点(城)に住んでいた漢民族が、大陸の面に
広がり、村に定住しだしたのです。この村の領主が後の読書人・清官であり、
「人材」であります。
 特権の乱用や、後漢の成立時の事情により、村は脱税可の荘園となっていきます。
荘園の隷属民は、政府の戸籍には載りません。戸籍とは、徴税可能人口の登録簿
なのです。
 核兵器も機関銃も無く、国民の総力戦も無いのに、人口が1/10になどなる
ハズがありません。また、広大な中国大陸全土が一斉に不作になる可能性もゼロに
近いでしょう。豊作地への逃亡を、節税のために、死亡とカウントされる事は多いで
しょうけど。人口の多くは、脱税のために登録されなかったのです。
 おそらく人口は減少してなかったと思います。大減少してたなら、他人の土地を
奪いに戦争を起こす必要がありません。むしろ、若年人口の増加が、好戦的気風を
培った可能性が高いと思います。
 後漢では人材登用の際に、故郷での評判による郷挙里選という制度がありました。
「人材」達は登用されるために、お互いに褒めちぎりあいます。三国時代の大げさな
人物評価は、この影響なのです。

 自給自足の荘園制のために天下統一の経済的理由に乏しく、「人材」の財産であ
る私兵の戦意は低く、「人材」はお互いに大げさに誉め合う・・・・三国志の時代
とは、ハッタリと宣伝の戦争の時代であったのです。ハッタリと宣伝だから、後に
おもしろい小説を作りやすかったのでしょう。


375 :世界@名無史さん:02/02/28 19:24
>>371
2・3例を挙げてみてよ

376 :世界@名無史さん:02/02/28 20:03
>核兵器も機関銃も無く、国民の総力戦も無いのに、人口が1/10になどなる
>ハズがありません。また、広大な中国大陸全土が一斉に不作になる可能性もゼロに
>近いでしょう。

やれやれ。こういうドキュンはどうしたものか・・・・

377 :世界@名無史さん:02/02/28 20:30
魏は地方官に蒋[王宛]・費[示韋]クラスの優秀な人材を
まわせたからな・・・
孫呉といえどもなかなか攻略は難しかろう

378 :世界@名無史さん:02/02/28 20:51
核兵器も機関銃も無いかわりに病院や薬がないとか言ってみる(w

379 :世界@名無史さん:02/02/28 21:32
三国板からの迷子です。皆さん言ってる事が専門的で興味がそそられます。
もっと続けて下さい。ageageageage


380 :世界@名無史さん:02/02/28 21:36
人口ネタはつまらんのに争いにまで発展するとは・・・

381 :世界@名無史さん:02/02/28 23:19
>>373
どの時点から話を始めるかで変わると思うが。漢中王スタートなら徐庶が
いてくれれば荊州を失う確率が大幅に減っただろうし、第二次北伐以降
なら誰がいても無理な気がする。


382 :世界@名無史さん:02/03/01 00:11
>381
徐庶が居ても変わらん・・・つーか、徐庶ってそんな玉じゃない。
単なる文官だぜ!
どの道、劉備に天下を取る可能性は無いとみる。
天下統一を狙えたのは曹操だけ。

383 :世界@名無史さん:02/03/01 01:08
>>376
ただ374が論じるように実際にこの時期には,豪族による農民の囲い込みが進んで,
政府の戸籍に乗らない人口が急増した時期なんだよね...




384 :関係ないけど   :02/03/01 01:14
人名に苦労している人はネット上で検索すれば三国志辞書や
世界史辞書はすぐにみつかりますよ。
なお、辞書登録の方法はPC系各板の初心者スレッドで
お願いします。



385 :脱税三国志改め金魚:02/03/01 12:34
 金魚の「荘園脱税説」は、歴史学者宮崎一定氏の説に、台湾人小説家安能務氏の説
を当てはめたものです。中国史の王道・本道と言って良いでしょう。

 337氏や376氏と、金魚のどちらがドキュンなのでしょう?

386 :世界@名無史さん:02/03/01 13:17
安能務といえば、妙に張飛を高く評価してたよな。

387 :世界@名無史さん:02/03/01 13:29
親漢派は魏諷の乱で滅ぼされたのかな?
興漢滅魏を掲げて自立する勢力って皆無だったな

388 :世界@名無史さん:02/03/01 13:41
>>385
核兵器がないから大量殺戮は起こらないとか、中国全土が一度に不作にならないと
飢饉にならないとか考えてるあたりはドキュソと呼ばれてもしょうがないかなあ
とかいってみる(w

389 :世界@名無史さん:02/03/01 13:58
ドキュンかどうかは別として、337氏376氏と金魚氏とでは、金魚さんの方はとれない。

宮崎一定は漏れも好きだし彼の説に依拠して語ることは多いけど、個人崇拝はよくないね。
宮崎さんだっておかしなこと主張してることはあるよ。
しかも彼はあきらかに学界の異端児だったんで、中国史の王道・本道ってのはちょっと・・・。
それとも今じゃ権威なのかな?

390 :371:02/03/01 14:07
>>375
[晋書]地理志・益州(訳は適当)
初平元年、劉璋巴郡を分け永寧郡を設置。
建安六年、永寧の名を巴東に、巴郡の名を巴西と改称。
 同時にフ陵郡を設置。
建安二十一年、劉備巴郡(巴西?)を分け固陵郡を設置。
章武元年、固陵郡を巴東郡に、巴西郡を巴郡に改称。
 広漢を分割して梓潼郡を設置。健為を分けて江陽郡を設置。
 蜀郡属国を漢嘉郡と、健為属国を朱提郡と改称。
建興二年、益州郡を建寧郡と、広漢属国を陰平郡と改称。
 建寧・永昌を分け雲南郡、建寧・壯河を分け興古郡を設置。
 広漢郡を分けて東広漢郡を設置。
景元五年、蜀制圧。東広漢郡を省く。

晋武帝泰始二年、益州を分割、梁州(漢中など)を置く。
泰始七年、益州を分割、寧州を置く。
ここにいたって益州、八郡四十四県、十四万九千参百戸。

こんなぐあい。中央はもっと組み替えが激しいから掲示板じゃ全部書き出すのは無理。

391 :世界@名無史さん:02/03/01 14:27
鉄道もトラックもない時代。黄河・長江間の運河さえ、できるのは隋代だ。
ある地方が不作の時、他の地方から人力や馬等で運び込める食料なんてたかが
知れているぞ。しかも、人力、馬力で輸送すると場合、輸送を行う人や家畜そ
れ自体が食料を消費するときている(これは行軍の際も同じ)。

392 :脱税三国志改め金魚:02/03/01 14:47
>391 
 人間が流亡すれば良い。

>388
 狭い日本でも、源平合戦時は、東日本が豊作で、西日本が不作。江戸時代の東北の
飢饉の時は、西日本が豊作。なお、この時でも、東北の人口が激減などしていない。
村の全滅は局所的な事だった。
 日本の近世史が良い参考になるのは、前近代でありながら、戸籍等・検地等、記録面
では近代的だからだ。
 中国全土の人口の9/10も殺戮する方法を教えて欲しい。そんな方法があるなら
どんな戦争でも勝てる。

>389
 それって中共系を主流としたならばの話でしょう?

393 :プーチン:02/03/01 14:57
お邪魔します

こんなスレたててみました。
http://mentai.2ch.net/whis/index.html#8

394 :世界@名無史さん:02/03/01 14:58
>>393
初心者め…。やり直せ。

395 :世界@名無史さん:02/03/01 15:12
>>392
平安末期は武家だけの戦争だよ。
江戸時代には米の流通はとんでもなく進んでいたのを知らない?
社会システムについて知った口を叩いているけど、根本から間違っているよ。

396 :世界@名無史さん:02/03/01 15:43
>>392
人間が殺されなければ死なないとでも思ってるのか(w

397 :脱税三国志改め金魚:02/03/01 16:59
>395
>平安末期は武家だけの戦争だよ。

 だからその時代に、不作による食糧不足で、人口大激減が起こりましたか?

>江戸時代には米の流通はとんでもなく進んでいたのを知らない?

 飢饉の際に、白河で流通をせき止められた事を持って、松平定信が批判されてま
すよ。
 飢饉に本当に苦しんだのは、米作をすべて商品作物に転換していた農民です。商品の
暴落により、米を買えなくなった。それでも、人口が大激減するほど死んでませんよ。

>396人間が殺されなければ死なないとでも思ってるのか(w

 だから、なんで、死んだんだよ?広大な中国大陸の人口の90%を死なすモノって
なんなのさ。南が干ばつなら、北は豊作。北が冷夏なら、南が豊作。もちろん、農民
の生命は、荘園領主の財産なので、死なぬ程度には蓄えがある。荘園領主=人材が
よほどのアホでない限り、広大な地域の人口が激減などしない。





398 :世界@名無史さん:02/03/01 17:05
>>397
ちょっと呆れた

399 :世界@名無史さん:02/03/01 17:30
>397
コテハンでやるのなら、トリップをつけておくれ。

それから、治承・寿永の乱は、実は必ずしも武家だけの
戦争とは言えないんだな。日本史ネタなのでsage。

400 :世界@名無史さん:02/03/01 19:27
人口論が今学会の主流なの?

孫権の海外政策なんかの方が面白そうだが

401 :世界@名無史さん:02/03/01 19:35
>>390
サンクス
益州を分割したのは広すぎって事なのかな?

後、幽州が分割されて平州ができたんだっけ?

402 :世界@名無史さん:02/03/01 19:37
>>397
人口の大減少は混乱期に戸籍もれが多数発生したとか、
あるいは豪族の私有民となった例が多発したんじゃないの。


403 :371:02/03/01 19:59
>401
もともとデカイ州だったのを蜀が開発して人口が増えたから一人じゃ
管理しきれなくなったんだろう。

>幽州が分割されて平州ができたんだっけ?

他に隴右が秦州、交州が分割されて広州になったり。
あと司隷が司州に。

404 :世界@名無史さん:02/03/01 20:02
>>402
通説

405 :世界@名無史さん:02/03/01 20:31
>>404
他に合理的な説明ができるのか?
戦乱や飢饉で其処まで人口が減少するとは
思えない。


406 :世界@名無史さん:02/03/01 20:34
>>405
そういう理由で通説になってるんだよ

407 :世界@名無史さん:02/03/01 20:46
つまり>>402の説がディフォルトなんだろ。


408 :世界@名無史さん:02/03/01 21:08
>>407
それを金魚が核だの脱税だのと聞いてもいない知識をひけらかすもんだから
煽られまくったわけか・・・

でもこのスレがこれだけ賑わったのって久しぶりだな。

409 :世界@名無史さん:02/03/01 22:18
曹操スレでも勘違いした知識を披露したあげく
ことごとく論破された曹参→曹操説に執着してる馬鹿がいたが
ここの金魚って奴と同一人物か?

410 :世界@名無史さん:02/03/04 17:33
>>392
> 人間が流亡すれば良い。
この考えに基づいて、飢饉で食えなくなった地方の農民が流賊化して
よその地方の食料を奪う。そうすっとその地方の食料を食いつぶされた
農民もまた流賊となってよその地方に食料あさりにいかねばならなくなる。
こうして雪だるま式に流民が増えていって、さながらイナゴの如く行く先々を
食い尽くしてまわるため、あっという間に中国全土総流賊と化してしまう
一方で、食料さえ確保できれば一朝にして何万もの大軍を手中にする
事も出来た。





・・・・と、司馬遼太郎の小説に書いてありました。

411 :世界@名無史さん:02/03/04 17:43
昨日、NHKの「クイズ日本人の質問」で、曹操が流行させた化粧法は、という問題が出た。
正解は、眉毛が一本につながるように描くというものだった。
しかし、それについて、国が3つに分裂していたから、ひとつになるようにという思いから
眉をつなげたのではないか、という推測はなんかウソくさいぞ。

412 :世界@名無史さん:02/03/04 17:57
眉毛繋がってかっこいいのか?
曹丕に馬鹿にされてそう

413 :世界@名無史さん:02/03/08 19:43
劉禅って伝でもいきなり太子→即位となって幼年時代のエピソードなど
まるで伝わってない・・・
普通、仲のいい友人とか好学だったとか趣味は何だとか記述があって
良さそうなのに全くそういうのが無いね。
余程何もしない人間だったのだろうか。

414 :世界@名無史さん:02/03/09 21:24
幽州・并州とかってめっちゃ冬寒そうだよな〜
あんな地域によく住んでられたもんだと思うんだけど?


415 :世界@名無史さん:02/03/10 18:14
冬の間は劉備とかも蒙古襲来絵詞の元軍のような格好をしてたんだろうな・・・

416 :世界@名無史さん:02/03/12 13:38
子に策・権と名付ける孫堅の野望ありありな所が萌え

417 :世界@名無史さん:02/03/12 19:05
この板いつの間にか第二次大戦板になってねえか?
東洋史スレが上位にあるのが珍しいくらいだ

418 :世界@名無史さん:02/03/12 19:22
>416
じゃあ翊、匡、朗(庶子)ってどんな意味だったんかなー
策権 翊匡朗、人の名前みたい。サクケン ヨクキョウロウ

419 :世界@名無史さん:02/03/12 21:38
翊は 助ける 飛び越える
匡は 助ける 正す 救う
朗は 明らか ほがらか

三男・四男は上を助け、末子はただ明るく楽しく育って欲しい
という事かも

420 :世界@名無史さん:02/03/12 21:48
三国志のネットゲームです。参戦お待ちしています。
http://kansas.ceser.hyogo-u.ac.jp/~sugiyama/cgi-bin/sin2_/index.html

421 :世界@名無史さん:02/03/14 19:21
三好徹の小説ってどう?

422 :夜叉:02/03/15 13:32
>>421
結構ありきたりやで。

423 :世界@名無史さん:02/03/16 13:38
子供に禅・理・永と名付ける劉備は何だか野望なさげ

424 :世界@名無史さん:02/03/16 21:28
子供に覇と名付けた夏侯淵は大胆だな

425 :世界@名無史さん:02/03/17 00:19
>>423
でも劉禅と養子の劉封の名をあわせると、「封禅」なんだよな・・・・・・
これはこれで野望が高いように思えるが?
もちろん劉封の方は劉備が名付けたわけではないが。

426 :世界@名無史さん:02/03/17 01:22
>>425
よく気づいたな・・・

427 :世界@名無史さん:02/03/17 19:20
曹丕が金鏤玉衣を禁止したのには訳が・・・

428 :世界@名無史さん:02/03/18 00:46
征東大将軍とか鎮南大将軍だとかの大将軍位が置かれたのは
魏が初めて?

429 :世界@名無史さん:02/03/18 03:33
司馬懿の母の名前が分かる人いる?

430 :世界@名無史さん:02/03/18 03:38
>>425
ああ、昔漏れもそれに気付いて偶然かどうか考えた覚えあるな。

431 :世界@名無史さん:02/03/18 23:24
晋の皇帝って先祖の司馬懿は陰険だが、時代が降るといい人多いね

432 :世界@名無史さん:02/03/19 00:07
恵帝はぼんくらだが三代〜十代まではまともな君主が続いたんでは?
短命が多いのは後漢もいっしょだが。

433 :世界@名無史さん:02/03/19 22:34
聡明な君主ほど早死にした魏王朝

434 :世界@名無史さん:02/03/20 01:57
愚鈍な天子ほど長生きするの法則

435 :世界@名無史さん:02/03/20 20:27
後漢末の学者 蔡ヨウ・鄭玄・応劭 一番功績が優れているのは誰?

436 :世界@名無史さん:02/03/20 20:51
後世への影響では比べるまでもなく鄭玄

437 :世界@名無史さん:02/03/20 21:13
正史読んだけれど
司馬懿はそんなに陰険かなあ。
確かに切れ者というイメージはするけれど
陰険になりだしたのは、曹叡没後の権力闘争を
生きぬく為仕方無しという感じがするけど。

438 :世界@名無史さん:02/03/20 21:43
>>436
応劭は文化学の鼻祖だよ。
蔡ヨウは著述がすごそう。
鄭玄は儒学的研究しかしてないからな〜
しかも注釈ばっかだし。


439 :世界@名無史さん:02/03/21 00:18
>>437
司馬懿の伝は晋書に書かれてるハズだろ?

440 :世界@名無史さん:02/03/21 00:24
公孫淵討伐の際の虐殺や王凌討伐のときの手際の良さなんかは
陰険というよりも冷酷という表現のほうが適当だと思う。

三国志は晋に仕えた陳寿が書いたからどうしても司馬家に関しては
「生き抜くためにやった」的な書き方になるんじゃないか?

441 :世界@名無史さん:02/03/21 02:07
司馬懿はその性格を曹操に警戒されていたのでは?

442 :世界@名無史さん:02/03/21 07:03
>>440
確かに。司馬懿は曹叡の差し向けた使者を、痴呆老人を装って欺いてるからね。
本当に生き抜く為だけだったら、そのまま余生を過ごすハズ。
ただ、息子らの立場も危うかったから、一族の為にやったという言い方はできるな。

443 :世界@名無史さん:02/03/21 21:52
司馬懿は曹一族を完璧に封殺する体制を作ったんじゃない?
ギョウに王族を集めたり。
司馬師・司馬昭に盤石の状態を作ってやった事も権力志向
の現れかと・・・
司馬懿を牽制するほどの気骨を持った朝臣がいなかったの
が魏の運の尽きだね。
後漢には結構気骨ある重臣が多かったのに。



444 :世界@名無史さん:02/03/22 03:49
羊コのオヤジって蔡ヨウの娘と孔融の娘を娶ったらしい。
すごい人物だったのだろうけど正史には記述無し。
羊コは蔡ヨウの外孫に当たる。
しかし、孔融の子供って全員処刑された訳じゃないのか?

445 :442:02/03/22 12:59
○曹叡の差し向けた使者を
×曹爽の差し向けた使者を

446 :世界@名無史さん:02/03/22 19:50
魏の三公ってヨボヨボの死にかけになって初めて任命される
人間が多かったような。
権力は側近が握ってたんだろうね。
それを排除して権力を徐々に集中させたのが司馬親子。

447 :世界@名無史さん:02/03/22 20:41
孔融の妻子は皆誅殺されたってあるね。
嫁に行ってても容赦無しで殺されたのか。
その子供は生きて魏に仕えたみたいだけど・・・

448 :世界@名無史さん:02/03/23 21:58
蔡ヨウは儒学者?歴史家?文章家?

449 :世界@名無史さん:02/03/24 01:58
何かカキコするヤツ少ないな
このスレ
三国板でも正史はあまり語られてないのに・・・

450 : :02/03/24 02:22
全て空想

451 :のび太:02/03/24 02:39
みーんな僕の夢

452 :世界@名無史さん:02/03/24 08:07
なぜここにのび太が・・・?

453 :世界@名無史さん:02/03/24 20:20
石頭城と建業ってどういう位置関係にあったの?

454 :世界@名無史さん:02/03/24 22:34
石頭の方が防備が固かったという話だが・・・

455 :世界@名無史さん:02/03/25 17:18
江南政権は余程の勢力の差がないと滅ぼせないみたいだね。
南朝しかり、南宋しかり
長江が防衛戦になっているのは分かるけど黄河は防衛戦には
ならないのかな?

456 :世界@名無史さん:02/03/25 22:59
孔融は儒学を軽んじていた・・・のでは?

457 :世界@名無史さん:02/03/26 11:35
孔融の態度は竹林の七賢にも通じる物がある。

458 :世界@名無史さん:02/03/26 13:16
孔一族で何番目に有名なの、融さんは?

459 :世界@名無史さん:02/03/26 19:01
孔頴達・孔安国の次あたり?
子思の方が有名か?

460 :世界@名無史さん:02/03/27 12:25
孔子の子孫は永嘉の乱以後、南北どちらで暮らしたのかね?

461 :世界@名無史さん:02/03/27 21:40
劉禅に学問や兵法を教えたのは誰なんだろう?
劉備なら一流の人間を揃えられたはずだが・・・

後継者育成では曹操・孫権に一枚も二枚も落ちるなあ
劉永・劉理もさえない人間だったっぽいし

462 :世界@名無史さん:02/03/28 01:06
光武二十八将の家系で三国時代まで高位高官でいつづけた家系ってある?

463 :世界@名無史さん:02/03/28 12:00
ケ芝は父・祖父の名も分からないからなあ・・・
劉封は寇恂の子孫だったりするのだろうか?


464 :世界@名無史さん:02/03/28 17:37
ケ氏・竇氏・梁氏の権力が大きくなって外戚の弊害を生んだんだな・・・
曹魏が建国の将軍の子孫を中央に入れなかったのもその辺を考慮して
の事か

465 :世界@名無史さん:02/03/28 21:10
>>462
馮異の子孫がどっかにいなかったか?
>>464
竇融は二十八将じゃないぞ。

466 :465:02/03/28 21:22
二十八将に入ってた。リストの洩れだ・・・すまぬ。

467 :465:02/03/28 21:26
うぬぬ、二十八人越えるぞ。28という数字はなんだ?

468 :世界@名無史さん:02/03/29 21:05
武田二十四将、みたいなもん?

469 :世界@名無史さん:02/03/31 18:04
>>468
つーか元ネタ



470 :世界@名無史さん:02/03/31 21:03
潁川の鍾氏と陳氏は古くからのおつき合い。
陳紀と鍾ヨウが同世代のようだ。
だが、陳羣と鍾会の世代は離れてるな・・・

471 :世界@名無史さん:02/04/02 23:21
漢〜魏晋南北朝の時代を生き抜いた名家ってある?

472 :世界@名無史さん:02/04/03 19:56
劉禅は関興や張苞と遊んだり、酒飲んだりしたんだろうか?


473 :世界@名無史さん:02/04/04 01:01
>>471
夏侯氏?

474 :世界@名無史さん:02/04/04 01:30
琅邪王氏は絶えた?

475 :世界@名無史さん:02/04/04 02:58
孔明や子喩の系列じゃないけど、魏の諸葛氏が一応生き残ってるんだよね?

476 :世界@名無史さん:02/04/04 23:30
弘農楊氏は楊貴妃の時代まで続いてたといわれる

477 :世界@名無史さん:02/04/05 17:51
資治通鑑は正史裴注の他に何かネタ本に採用してる?

478 :世界@名無史さん:02/04/05 19:55
http://www.kiseido.com/printss/p3-j.htm
肘を裂かれた関羽の流血がすごいっす
絵の作者は北斎の娘
江戸後期の作品

479 :世界@名無史さん:02/04/06 01:21
郭淮について語ろうぜ

480 :世界@名無史さん:02/04/06 01:21
三戦板では↓のようなスレが立ってまーす
ちゅーも〜〜〜っく☆

所詮、正史は晋の捏造なんだよバーカ。
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1017816058/

481 :三国志バカは殺す:02/04/06 01:35
三国志バカは語りだすと止まらないんだよな〜。

482 :世界@名無史さん:02/04/06 01:37
>>478の華佗は眼鏡かけてないか?

483 :世界@名無史さん:02/04/06 01:46
三戦板で正史を語る気が起こるってすごいな・・・

484 :世界@名無史さん:02/04/06 06:35
1: 2ちゃんねる最萌トーナメント〜戦国板の野望〜 (310) 
2: 今の政治家にパラメータをつけてみろ! (307) 
3: 【稚児】男色を好む大名、君主を上げろ【稚児】 (41) 
4: あなたの街の呂布を探そう! (92) 
5: デ、アルカ (153) 
6: おはようございます!趙子龍です!! その3 (314) 
7: イケてる戦国史跡を教えてくれ (150) 
8: @雑談・質問スレッド@ (696) 
9: スーパー大河ドラマ「利家とまつ」第4夜 (375) 
10: ■色部長実VS色部スレの8=17■ (378) 
11: 信長の野望 〜 嵐世記? 〜 って買いですか? (710) 
12: 横山三国志縦書きスレ (820) 
13: 織田信長vs武田信玄 (432) 
14: 俳句、川柳、短歌 IN 三戦板 (365) 
15: 泣いて馬謖起きる (295) 
16: 【春】厨房のいいそうな事スレU・厨房群雄伝【嵐】 (223) 
17: 信忠・秀忠・氏政・勝頼・景勝・輝元 (285) 
18: 所詮、正史は晋の捏造なんだよバーカ。 (275) 
19: 【●】2002年3月より無意味に生き残るスレ・戦三 (14) 
20: 第四次 八頭身の武将はキモイ〜弱小四君主〜 (289)

三戦板上位20スレッドだ・・・

ここで歴史を語るのは正直場違いというものだろう
三国志ファンとして恥ずかしい

485 :世界@名無史さん:02/04/06 12:54
>>476
>弘農楊氏は楊貴妃の時代まで続いてたといわれる

その時代の楊氏ってのは鮮卑族の普六茹氏の漢風姓じゃなかった?
ま、もちろん弘農楊氏の子孫だと名乗ることはありえたろうけど。




486 :世界@名無史さん:02/04/06 18:14
せっかくできた三国板を厨房板とした戦犯は誰?

487 :世界@名無史さん:02/04/06 23:38
別名光栄板だからなぁ。
リアル厨房が来てもしゃーないしょ。
それでも名スレは幾つかあるよ。
このスレより気合いも入ってるし。

488 :世界@名無史さん:02/04/06 23:42
つーかねえ、頭の悪い煽りがどうしてもつきまとうでしょ、あの板
普通に論じるなら世界史板の方が合ってるんじゃないの?
アソコに書き込む気がどうしても起きないんだよな〜


489 :世界@名無史さん:02/04/07 00:16
じゃあ論じてみろ

490 :世界@名無史さん:02/04/07 03:04
このスレの活気の無さの方が酷いと思う。煽りや厨房が何だってんだい?
延々と疑問符が飛び交うだけのスレになってる。議論にすらなってないじゃん。
一行レスはやめて濃い議論をしようって人がいないよ、このスレ。

491 :世界@名無史さん:02/04/07 03:13
一行レス別にいいんじゃないの?
それより板の95%が戦国系&ネタというのが問題なんだよね。
論じるも何も単なる揚げ足取りしかやってない気もするし。
もっとまともなスレがいっぱい立ってもいいんじゃないの?>三国板
正史限定で話してる分まだ世界史板は有意義でしょ。
人が来ない以上議論にもならないし、淡々としてしまうのは
しょうがないかと。


492 :世界@名無史さん:02/04/07 03:18
しかし、三国板でここの質問をぶつけてもろくに
答えられないヤツがほとんどなのでは?
まともな研究者で三国板に積極的にカキコしてる人いるの?


493 :世界@名無史さん:02/04/07 03:42
>>491
その前に議論になってないじゃん。最後に疑問符がつく一行レスだけで、
まともに答えらる奴がいない。三戦板の正史スレの方がよっぽどマシだよ。
キミは厨房に煽られたもんで、ココに帰ってきてベソ掻いてるのか?
このスレの惨状を見る限り、耳クソ目クソだよ。あやめ氏がいた頃が懐かしいね。

494 :世界@名無史さん:02/04/07 04:19
議論なんてする必要ない。
単に知識の補完ができればいいんだよ。
魏晋ははっきり言って史料限定されすぎて論争すべき
点なんてそんなに無いだろう。
見解も大体落ち着くとこに落ち着いてるからなあ。
三国板でしてる議論とやらも今まで何度となく繰り返されてる事に過ぎない。

まあ、正史以外に話をふくらませると、とたんにレスの可能性が低くなるからねえ。
五胡十六国スレの盛り下がりを見て推して知るべしだな・・・

495 :世界@名無史さん:02/04/07 04:21
惨状つーか、ネタ切れ気味ではあるんだよね。
細々と調べた事や細かい疑問を書き込むスレになってはいる。

後、他のコテハンがどうとかって人に頼るよりまず自分がそれなりに
語れないとねえ。




496 :世界@名無史さん:02/04/07 06:33
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1016/10166/1016635248.html
http://freehome.kakiko.com/sims99/LiuShanVer2.swf

このを見ちゃうと、高飛車に構えてるこっちより
あっちのが全然楽しそうに見える・・・。

497 :世界@名無史さん:02/04/07 07:09
ネタスレじゃねーか
高飛車なのは>>489みたいなヤツをいう

498 :世界@名無史さん:02/04/07 12:06
昔はどうだか知らないが、今の戦国・三国志板は、
日本史板世界史板が荒れるたびに流れてきた難民が居着いて
けっこうな人数が隠れすんでる模様。
物知りが登場すると素直に感心しながらきく連中が多いし、
マターリした議論が続いたりして居心地はいいよ。
まあもちろんネタスレの方が圧倒的に多いんだが、学問板じゃないんだからそれはそれで。
日本史板や世界史板の方がよほど殺伐としてるよ

499 :世界@名無史さん:02/04/07 13:47
>>494
このスレのどこで知識の補完が出来る?
冗談も休み休み言え

500 :世界@名無史さん:02/04/07 14:06
>>499
君がどのレベルを知識と言ってるのか分からないとなあ。
そんじゃ試しに君は歴史上に名の現れている孔子の子孫を
孔融以外に何人知ってる?

501 :世界@名無史さん:02/04/07 14:31
>>496
ネタスレかと思って読んでたら、途中から凄いマジな議論してるじゃん。
ちょっと面白かった。

502 :世界@名無史さん:02/04/07 15:14
あやめたんが懐かしいというのには同意。
でも、このスレは惨状という程の荒れようでもないのでは。
書き込みが少なくて、ちょっと寂しいくらいで。

三戦板の正史スレも、
中々読み応えのあるレスが多くていいね。

世界史板、三戦板とこだわる必要もないよね。
またーりまたーり。ヽ(´ー`)ノ

503 :世界@名無史さん:02/04/07 17:23
三国板、何か「ガオー!」とかいうスレに何百もレスついてたり
するの見るともうここは歴史を語る板じゃないなと思うよ。
学術目的なら学術板でやるのがいいだろう。
アソコはたまにネタとしてなら見て笑う時はあるけどね。

つーか、ここは三国志を調べていって新たな発見があったり
した時に徒然に書き込んでいってる感じだ。


504 :世界@名無史さん:02/04/09 00:23
>>502
同意。

まぁ、このスレの活気の無さをみると、少なくとも2ちゃんで正史について
議論を交わそうって人自体が現状では少ないのかとも思えるし。



505 :世界@名無史さん:02/04/09 02:15
そんな事を書く前にネタをふればレスするんだが・・・

506 :世界@名無史さん:02/04/09 20:11
漢の皇室以外で劉姓を名乗ってた人間って結構いたっけ?
匈奴を除いて・・・



507 :世界@名無史さん:02/04/09 20:47
劉姓を賜った項伯と婁敬の子孫は三国志には出てこないだろう。

508 :世界@名無史さん:02/04/10 22:55
皇覧の編者劉劭は家系書いてないけど邯鄲の人って事は
趙王の家系かな?
説略論とか都官考課とか著した法家的な人物のようだが・・・


509 :世界@名無史さん:02/04/11 19:55
1: ★ひたすら侍口調で殺伐とし合うスレ★ (366) 
2: 第四次 八頭身の武将はキモイ〜弱小四君主〜 (399) 
3: スーパー大河ドラマ「利家とまつ」第4夜 (644) 
4: 戦国武将しりとりで1000いかせてスレU (850) 
5: 学研「歴史群像」シリーズ (144) 
6: 横山三国志縦書きスレ 第二巻 (27) 
7: KOEI水滸伝天導108星を語る (172) 
8: 自分が君主ならどんな3人を選ぶ? (806) 
9: ひたすらに血みどろの合戦を繰り広げるスレ (174) 
10: 田代まさしなら天下統一は容易 (16) 
11: 【春】厨房のいいそうな事スレU・厨房群雄伝【嵐】 (302) 
12: EZweb・H"LINK版『信長の野望』 (380) 
13: 武田騎馬軍団 対 この板潰す君 (45) 
14: 3: 2ch人気トーナメント 〜三戦板の野望〜 伍 (310) 
15: 「ピー」が入りそうな言葉を連発するスレッド (8) 
16: 泣いて馬謖起きる (297) 
17: みんなで敦盛を舞い信長を降臨させるスレ8 (629) 
18: 信長の野望 烈風伝with PK その3 (531) 
19: 三国志ダジャレ (690) 
20: 信長の野望 〜 嵐世記? 〜 って買いですか? (802)

今日の三戦板TOP20

駄スレほどレスがつく印象があるなあ・・・
歴史群像シリーズスレだけはまともそうだが。


510 :世界@名無史さん:02/04/11 20:26
劉邦以前の劉姓の人物だと誰が有名?

511 :世界@名無史さん:02/04/11 20:30
509たん
その手のレスは世界史か三戦の雑談スレへどうぞ

512 :世界@名無史さん:02/04/11 20:40
>510
79以降などはどうか
■以外に知らない漢の時代
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1011714461/l50

513 :世界@名無史さん:02/04/12 17:24
合肥太守として民に慕われていた劉馥も家系は書いてないね。
でも、沛国出身だから言うまでもなく劉邦と関わりあるんだろうけど・・・

演義では曹操に刺し殺されたとなっているが、正史には記述がない・・・
うーん、どうして?
ねつ造?

514 :世界@名無史さん:02/04/13 13:19
陳羣の家はかなり下層階級だったようだ・・・
世に顕れたのは陳羣の祖父の陳寔の時代

515 :世界@名無史さん:02/04/13 13:45
>>513
赤壁前に曹操の作った詩を「不吉だ」って言って、
酔っていた曹操がブチ切れて殺しちゃうんだよね。
やっぱ曹操を貶めるための演義の創作なんじゃない?
演義の作者が赤壁の前後に死んだ曹操配下の人間をみつけたんで
それを曹操の悪名に利用したんじゃないかと。

だってそんな最期を遂げたんなら、正史で伝が立ってるほどの人物なのに
全く触れられないかなあ。荀[或〃]だって「憂悶のうちに死去」とかなんとか
ほのめかされてるのに。

516 :世界@名無史さん:02/04/13 16:15
>>515
赤壁のとき劉馥は合肥にいたんで全くの創作だよ

517 :世界@名無史さん:02/04/13 22:01
正史で曹操が手ずから人殺した記述ってある?

518 :世界@名無史さん:02/04/14 19:38
袁紹・袁術兄弟は享年も分からなくてかわいそうだ・・・
という事で大体何年生まれだったのか、考証してあげて
下さい。

反董卓軍を立ち上げた時、それぞれ何歳くらいなんだろ?
袁紹>曹操>袁術で考えると分かりやすいかな?

519 :世界@名無史さん:02/04/14 20:42
俺的予想は袁紹150年、袁術157年くらいの生まれと思う。

すると、袁紹は享年53、袁術は43。
旗揚げ時は41、34って事か。
大体これくらいでしょ。

呂布も年齢謎だよね。

520 :世界@名無史さん:02/04/15 00:20
袁紹の父の袁逢は没年が定かじゃないんだよね・・・

521 :世界@名無史さん:02/04/15 01:01
呂布は何年生まれなんだろ・・・
劉備を賢弟呼ばわりしていた事から(演義だけ?)
161年より前に生まれていたのは分かるが。
董卓と父子関係にあったという事は・・・
って董卓の年も分かんねーや。
案外年が分かってる群雄のが少ないのね。

522 :世界@名無史さん:02/04/15 01:09
もしかして董卓は相当な年寄りかも・・・

523 :世界@名無史さん:02/04/15 03:16
呂布=アントニオ猪木説を提唱したい
破天荒さ加減、節操無さ加減とか

524 :世界@名無史さん:02/04/16 13:59
曹操と武帝ではどちらが優れた王者だろうか?

525 :世界@名無史さん:02/04/16 14:42
梁の武帝?

526 :世界@名無史さん:02/04/16 20:48
呂布を俳優が演じるなら若い頃の猪木はぴったりだな・・・
力道山=董卓ではないけど。

>>525
惜しい 晋の武帝でした・・・ってちがーう

527 :世界@名無史さん:02/04/16 21:32
劉玄徳・・・

幼少の頃から「俺は皇帝になる。」と言い放ち、大きくなってからは自分は
漢室の一員だとのたまう。
平民ながら世の乱れとともに頭角をあらわす。
群雄として、負けに負け、逃げに逃げながらも地元の豪族と計り蜀を乗っ取り
三国の一角へ・・・
息子の名前は封と禅。封禅・・・
やがて劉邦に習い、漢中王から皇帝へ。


もしかして乱世の奸雄ってこの人なんじゃ・・・

528 :世界@名無史さん:02/04/16 21:35
なにを今更・・・

529 :世界@名無史さん:02/04/16 21:54
劉備は落ちぶれたりとも県令の孫じゃなかった?
平民ではなかろう。


530 :世界@名無史さん:02/04/17 09:19
平民でないとするとどう呼べば妥当だろうか?
さすがに貴族ではないし役人になっていたようでもない。
爺さんが県令になったなら地元に勢力があったかもしれないし、遊学するほどの
財力もあった。
とすると豪族か富豪の出身か。
でも富豪は平民になるのかな?

531 :世界@名無史さん:02/04/17 12:09
士・民に分かれるんじゃなかった?
士は役人の家柄
民は農民とか商人
だったような

532 :世界@名無史さん:02/04/19 23:38
劉備は父親の名が分かっているが、劉表・劉焉は父親不明じゃなかった?

533 :世界@名無史さん:02/04/20 00:06
遊学資金の出所は、叔父だったはず。
まぁそれも、劉雄の蓄えた財産なのかな?
当時の県令って郷挙里選だったっけ。

534 :世界@名無史さん:02/04/20 12:51
郷挙里選なんて名目だけでは?
中央の縁故による推薦がほとんどだと思う。
孝廉に挙げるのも大体が地方長官だし。

535 :金魚:02/04/20 14:21
 「荘園が脱税のためにある」なんて厨房レベルの知識の無い奴のパニックには
参った。

 さて、三国志の時代は、荘園(脱税公認の私有地)が多かった時代である。人材とは
、荘園領主の事。普通は、あれこれ口をはさむ「人材」など求めないもの。にも
関わらず、この時代は、「人材」を募集するという名目で、多数派工作しなければ、
大勢力を形成できなかった。
 魏と呉の違いは、魏は、曹操の一族の私兵の割合が高く、それが、準国軍として
機能していたこと。呉は、孫氏の一族の私兵の割合が高くなく、国軍が成立せず、
「人材」=荘園領主の連合体という面が大きかった。
 また、蜀の成立は、流れ者の傭兵隊長、劉備による乗っ取りであろう。乗っ取り
される側の同意者が多かったのがミソ。
 おそらく、無税による荘園領主の荘園経営意欲に高まりによって、戸籍に登録
されない若年人口が増加中であり、それが好戦的気風に繋がったのだと思う。
もし、人口が激減中だったら、戦わなくても無主の土地が大量に手に入るのだ。戦う
理由が無い。

536 :世界@名無史さん:02/04/20 14:38
後漢書郡国志によると、益州の人口は桓帝の頃、500万近くあった
そうだが・・・

537 :世界@名無史さん:02/04/20 16:44
>>535
おまえが煽られるのは態度が悪いからだぞ。
言いたいことがあるならジサクジエンでもいいからネタフリくらいしたらどうだ?

それかこのスレ↓にでも書き込め。
【三国時代の社会構造や民衆の生活について】
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1011791883/l50

538 :世界@名無史さん:02/04/25 13:15
群雄の中で復権orスポットを当ててやりたいといえば誰?

539 :世界@名無史さん:02/04/25 13:39
張楊

540 :世界@名無史さん:02/04/25 15:12
張楊は呂布の友人。

541 :世界@名無史さん:02/04/27 20:26
袁遺や孔[イ由]は最後どうなったの?

542 :世界@名無史さん:02/04/28 09:48
辺章って群雄の一人だよね?

543 :世界@名無史さん:02/04/28 20:01
涼州の軍閥ってややこしいよね。
王国って何か名前だけみると国みたいだし。
北宮伯玉の伯玉って字か?
馬騰なんて涼州では下っ端の方だったのかも。
演義で韓遂と義兄弟ってのは事実じゃなかったんだっけ?

544 :世界@名無史さん:02/04/29 20:13
韓遂の年齢も七十才説があるけど
演義だと馬騰の義弟で曹操と同年代になってるな・・・

545 :世界@名無史さん:02/04/30 03:16
三国時代の朝廷って群臣はイスに座ってたの?
それとも筵に座ってたの?

546 :世界@名無史さん:02/05/01 12:20
業Bは春秋時代、斉に属していた?

547 :世界@名無史さん:02/05/01 13:33
張魯の漢中王国も捨てがたい。
道家の理想郷であったと言えないか?

548 :世界@名無史さん:02/05/02 00:56
旅人への優遇がいいよな、漢中教国

549 :世界@名無史さん:02/05/02 20:24
書を読むとき、五行一度に読み下すと言われたのって誰だっけ?

550 :世界@名無史さん:02/05/05 20:35
中国で熱く戦わされた魏蜀正統論。
あなたはどちらを正統としますか?

551 :世界@名無史さん:02/05/07 09:58
法正は斉の王族の子孫。
薛綜は孟嘗君の子孫だったな・・・

552 :世界@名無史さん:02/05/07 11:15
>>549
林羅山

553 :世界@名無史さん:02/05/07 12:56
>>552
それは本家じゃないでしょ、多分

554 :世界@名無史さん:02/05/08 10:04
>>550
魏。内情は知るべくもないが、ともかくも後漢から禅譲を受けたんだからこれを
正統とするべきだと思う。魏に比べると、蜀は正当性では単に勝手に後継を
騙っているだけだし、力においては比べるまでもない。

555 :世界@名無史さん:02/05/08 21:23
>>550
今さら、正統も閏統も関係ない。

かつての中国でそれらの論争が行われたのは、
当時の王朝の正当性やそれぞれの思想の主張と密接に関わっていたからだぞ。

背景となる思想や現実的な問題との繋がりをもたないなかで、
正統云々といったところで滑稽でしかない。

556 :世界@名無史さん:02/05/09 04:36
正統論って、具体的な文献としてはどういうものがあるんでしょう?


557 :世界@名無史さん:02/05/09 11:35
朱子とかの著作にあるらしいが。
まあ、晋を正統とするなら魏が正統になると思うけど。
蜀は漢と称していたから、正統とする余地は十分あるかも。
つーか、蜀王朝は蜀と自称していないんだっけ?

558 :世界@名無史さん:02/05/09 19:06
司馬光は魏を正統としたのだっけか?

559 :世界@名無史さん:02/05/10 11:40
後漢→蜀漢→晋ってながれもあっただろ

560 :世界@名無史さん:02/05/10 22:57
なかったと思う。蜀漢が正統とされたのは中国が異民族に占領された時期
だったと聞いた覚えがあるんだけど。おおっぴらに楯突くことができないから
占領した奴らを魏に、自分たち漢民族を蜀になぞらえて憂さ晴らしをしてたとか
してないとか。

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