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真如苑から、脱会させたい。

1 :うみ:2001/01/28(日) 21:58
母が信仰しています。それは、明らかに母にも家族にもマイナスになってます。
もう、18年もたってしまい、信じきってしまって私たちの話を聞こうとしません。
頭ごなしに言っても無理なので、自分なりに真如苑について調べて見ようと思います。
何か、参考になる事をご存知の方教えて下さい。

660 :645:2001/05/06(日) 19:11
>>654
>私は「敢えて無視している」などというつもりは毛頭ありません。
>こういう表現は、明確な根拠なしにはやや無礼な表現に感じられますね。

たぶんあなたは「敢えて無視している」のではなく、確信犯的にやって
おられるのでしょうね。その根拠は、どこにあるというよりも、615さんの
発言全体を通じて感じることですが。
ある行為が利他的であると言われる場合、その発言が行為の主体から
発せられる場合と、客体から発せられる場合ではそこに表現される意味は
異なるということはおわかりですよね。早い話、ある人から感謝されるよう
な行為をした場合でも「いや当たり前の事をしたまでです」と、一つの
行為をめぐって別々の評価がなされる。それが他者とのかかわりあいに
おける真実というものであり、そういう関係性を視野から外して独我論的
に「利他=利己」と言っても意味がないということです。それが意味を
持つのは、せいぜい行為の主体である自身から発して、「いや当たり前の
ことをしたまで」とへりくだる範囲までです。他に使えるとすれば、等式
の右辺と左辺を入れ替えて、自己の利己的行為を利他的と言い替えるか、
他人の行為を利己的と貶める場合だけですが、人を怒らせるために使え
こそすれ、片方でいくら常識的な事を仰っていても人を納得させることは
毛頭できないと思います。

661 :615:2001/05/06(日) 20:13
645さんへ
「確信犯的」つまり「私が判った上で行っている」と決めつけて
おられますが、はっきりとそう確認できるものをあなたはお持ち
なのですか?あなたはそれほどに他人のことがお判りなのですか?
信者さんの多くは、議論に詰まるとこういうことを言い出します。
非常に失礼ですよ。ご自分の理解の埒外にあるものに対しての
拒否反応と言うのは、ご自分の狭量さを示すだけだと思いますが。
また、いくらご不快でも中傷はしないでいただきたい。
こちらが荒らしや罵詈雑言を吐いているならともかく、私はきちんと
議論をしているつもりですよ。ご自分の間尺に合わないからと言って
相手を「確信犯」呼ばわりするのは卑怯ですね。教えが泣きますよ。
また、主張されていることも非常に独善的であり、よく言っても
曖昧で判りにくい内容です。
>ある行為が利他的であると言われる場合、その発言が行為の主体
>から発せられる場合と、客体から発せられる場合ではそこに表現
>される意味は異なるということはおわかりですよね。
言葉を発する主体の違いによって違った意味を持つから、どうだと
いうのでしょう?そのことで「利他行為は、実は自己の欲求を満足
させるためのものではない」ということが説明できるとお思いですか?
あくまで「利他」を行う自分が、実はどうなっているのかでなければ
意味などないはずです。


662 :615:2001/05/06(日) 20:15
さて、私が主張していることは、「行為をなす主体として、利他行為も自分の欲求を満たすために行っているということを認識すべき」ということです。ある面で他人が感謝しようがしまいが構わないという姿勢でなければ、利他などは意味を持たないと申し上げて
いるのです。で、相手が感謝して礼を言ったことに対して「当り
前のことです」ということはこれまた当り前すぎる話で、そもそ
もこれまでの話を充分に理解されているなら、少なくともこういう
言葉が自然に口から出ないうちは、利他と言っても所詮底が知れてます。
他人の目を意識するから「関係性」などということに話が及んでしまうのですよ。もちろん、他人との関係は厳然と存在します。しかし、そういうものにとらわれるのではなく、過去の書込みを読めば「自分の存在を空と見切る」ことが利他の本質だと述べていた信者さんもおられるではありませんか?
どうもあなたは多少憤りを感じられたようですが、何故そうなるのでしょう?
私は「利他と言っても、こういう側面があるのだ」と言うことを主張したいだけですが、あなたは「自分のやっていることは『尊い』利他行為である」というご自分のプライドを傷付けられて憤られているのではありませんか?
そうであれば、それこそ「自分のための利他行為」の典型例です。
何故かと言うと、あなたが守ろうとしているのは「あなたのプライド、優越意識」だからです。(違ったなら失礼!)
そういうケースにおいて、私の主張は意味を持つと思っています。
本当に「利他行為は、自分のためのことでもある」或いは「自己のことでなく、まず他人のことを考えるのが利他行為」と理解していたら、怒る必要などないのですよ。
さて「人が納得するか否か?」はあなたでなく、この掲示板をご覧になっている方々の判断に委ねたいと思います。失礼ながら明快な反論がない中でのあなたの判断では、こちらも毛頭判断材料にはなりません。悪しからず。

663 :645:2001/05/06(日) 21:58
>>661=615
>「利他行為は、実は自己の欲求を満足
>させるためのものではない」ということが説明できるとお思いですか?

やはり話が噛み合っていませんね。
私は別に「利他行為は、実は自己の欲求を満足させるものである」
そもそもこのこと自体を取り上げて反論しているわけではありません。
多面性を持つ人間の心の一側面としてはしごく当たり前に認められるものです。
ただ、これを一つの言説としてとらえるなら、いかなる主体間の関係性に
おいて発せられるべきかという前提を欠いたままでは意味内容を持たない、
あわよくば、よくある独我論、ニヒリズム的な言説ともなる危険性がある、
ということを述べたまでです。あなたは次の書き込みにおいてようやく
「行為をなす主体として」と語を継いでおられますが、文章の他の部分
では充分に慎重でありながら、この部分において慎重さを欠いておられる
のは、未必の故意の疑いありです。
また、感謝してくれた相手に対して「当たり前のことをしたまでです」と
いう場面を例に挙げたことをもって、それを何か殊勝のことのように言い
なしていると仰っていますが、それは主体間の関係性が主になるというこ
とを強調する意味であって「他人の目を意識する」どうこうでなく、そこ
から自身を二次的なものと観ずる道筋もあると言えなくもないわけですが、
それは置いても、他意があるわけではないことはご理解いただきたいと思
います。

以上、これ以上の発展性の望めない議論におつきあいする気持ちはありま
せんので、コメントを頂いてもお返事しないことがあるかも知れません。
悪しからずご了承下さい。

664 :615:2001/05/06(日) 23:27
645さんへ
「悪意」もしくは「未必の故意がある」と決めつけたところから
話を始めておられるので、それは噛み合うわけがありません。
仰るように私の書込みに矛盾を感じられるなら、その部分を
説明して下さるだけで事足りるはずです。(それでも、私には
納得がいくかは保証しかねますが)
そういうことをなさらず、いきなり「確信犯」、「未必の故意
の疑いあり」とは、あなたは心理学者ですか?或いは議論の
「裁き手」のおつもりでしょうか?
苑の信者さんというのはこういうものかと、今更のように
残念に思います。
従って
>他意があるわけではないことはご理解いただきたいと思います。
如何にこう言葉で表現なさろうとも、いきなり石をぶつけるような
ことをなさり、謝罪も無しですから無理な相談です。

で、お話の内容についてですが
> いかなる主体間の関係性に おいて発せられるべきかという前提を欠いた
>ままでは意味内容を持たない
このご主張は全く理解できません。私は「他者との関係性の有無に関らず、
あくまでも自分がどうであるか?」を問題にして「利他=利己」と言って
いると再三お伝えしています。
他者との関係を度外視しても、「行為はすべて自らの快感を満たすために
行われる」と言う主張が成立たなくなるわけではありませんから。
また、あなたは「よくある独我論、ニヒリズム的な言説・・・」
とも述べておられますね。仰るまでもなく、私は自分の主張が
ニヒリズムに通じる部分があることを承知していますよ。
しかし、明確な理由なしにそれが「危険なもの」とは思いません。
むしろ、私は人間存在の虚無性を認識しない宗教、教えなどは茶番
だとも思っていますので・・・。
いずれにしろ、もう話は続かないでしょうね。

665 :645:2001/05/07(月) 00:01
>>615さん、
>悪意」もしくは「未必の故意がある」と決めつけたところから
>話を始めておられるので、それは噛み合うわけがありません。

そうですか?論点に明確な食い違いがあるにすぎないと思いますが…
(それとも何か精神的な事を仰ろうとしている?)

>このご主張は全く理解できません。私は「他者との関係性の有無に関らず、
>あくまでも自分がどうであるか?」を問題にして「利他=利己」と言って
>いると再三お伝えしています。
>他者との関係を度外視しても、「行為はすべて自らの快感を満たすために
>行われる」と言う主張が成立たなくなるわけではありませんから。

分かりました。この違いを確認して終わりということにしておきましょうか。
特に後半は、はっきり申し上げてそんな単純な主張で事が足りるのは赤ん坊
くらいですから、全然話になりません。そんな所に立ってニヒリズムを振り
まわすのは危険です。

666 :名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 00:35
>645
>また、「世間の人の声を通して仏の声を聞く」ということはこの教えの重要な部分だと思っていますが、こういう事がより厳しく求められるようになるのかも知れません。

なんて言うのだったら、615さんとちゃんと話をしたら?
あなたは至極当たり前のことに関して、わざわざ難しい言い回しを用いて、虚勢を張っているようにしか思えませんよ。




667 :名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 00:44
>666
禿げしく同意。なんで苑の人の発言てわかりにくのだろー
ホントのところ教義等々わかってないんちゃう?

668 :645:2001/05/07(月) 00:48
>>666
すみませんね。
615さんと話をするやり方としては、いまの自分にはこれが精一杯です。

669 :615:2001/05/07(月) 00:55
645さん
あなたは、どうも人を見下すところがあるのですかね。或いは、ご自分の主張
が理由なく正当なものだと勘違いをされているのでしょうか?
>「特に後半は、はっきり申し上げてそんな単純な主張で事が足りるのは赤
>ん坊くらいですから、全然話になりません。そんな所に立ってニヒリズムを>振りまわすのは危険です。」
あなたは具体的には、このことに変わる考え方を明快に説明することは一切
なさっておられないのですよ。従って「全然話にならない」というのは、
議論においては全く説得力がありません。少なくとも「何故そう思うか?」
ということを記されない限りは。これは議論のイロハであって、それこそ赤
ん坊でも判る話です。
議論の相手はしばしばあなたの意見も「全然話にならない」と考えているも
のだということも、お判りになりませんか?それを言っては身も蓋もないから
説明をするんですが、あなたはそれを回避して「話にならない」とか「赤ん坊
でも判る理屈」と言う。他の書込みにもあるように、あなたのご主張がそう
やすやすと人に理解されているものだと考えるのは危険ですね。
どうぞ、謙虚な目をお持ち下さい。
>そんな所に立ってニヒリズムを振りまわすのは危険です。
これも何故でしょう?何が危険かの説明もありませんので、これこそ「お話
にならない」としかいえません。ニヒリズムを視野に入れない宗教こそ、
お手軽で自己中心的な「遊び」の域を出ないものだと言う考えもあると、
私は思うんですけどね。
まあ議論はもう続かないでしょうが、このような場での議論においてはもう
少し「相対的」な目を持っていただきたいものです。
あなたの認識は完全ではありませんし、私もまた然り。そのために言葉を
用いるのであって、あなたのように「話にならない」とか「危険だ」で事足
りるならば、そもそも議論などしなければ良いのです。それを言うならば私
も「苑の信者は分かっていない。片手落ちのの『利他』に酔っている」と申
し上げて話を切り上げてますよ。そういうやり方は、信者さんは不本意で
しょうに。
しかしあなたは同じことをなさっているわけです。
こんなこと、こ難しい理屈をこねまわすよりも常識の範疇ですよ。



670 :645:2001/05/07(月) 01:25
だから…

>「赤ん坊でも判る理屈」と言う。

「すべての行為を自らの快感を満たすために行っている」
のは赤ん坊だけ、って言う事を言ってるだけなんですが・・・。
この程度のことから誤解が始まるくらいだから、これ以上やり合うのは
やめておきましょう。お互いに。

671 :615:2001/05/07(月) 01:35
645さん
最後に追加ですけど、失礼ながらその程度の認識でこれまでの
書込みをなさったのなら、これまでのことは全く理解していない
のは明白ですね。(ちょっと呆れました)
「自分の事には盲目」ということなんでしょうが、赤ん坊のみな
らず、あなたもそうだということが、お判りになりませんか?
あなたも「すべての行為を自らの快感のために行っている」の
です。(本当に理解できませんか?あ〜、やっぱりこんなことも
分かっていなかったのね)
そういう意味ではあなたこそ「赤ん坊なみ」です。おそらくこの
議論は無理でしょう。
このことが理解できないのであれば、もう一度ごゆっくりログを
お読み下さい。
これは「相互の誤解」ではなくて、おそらく理解不足ですね。

672 :名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 01:53
666です。

>645
>615さんと話をするやり方としては、いまの自分にはこれが精一杯です。

何をもって精一杯なのですか?
あなたの文章はそもそも相手の理解を得ようとする姿勢に欠けていると指摘しただけなのですが・・・。
お解りになりませんか?


673 :名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 01:54
615さんは“か○て信者”さん、645さんは“虚○僧”さんかな?


674 :名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 01:58
ついでに666は”ぱ○○○○○oぱ”さんかな

675 :666:2001/05/07(月) 01:59
ばれたか・・・・・あはは

676 :666だにゃ:2001/05/07(月) 02:02
結局は同じ面子で同じ内容で囲んでしまうわけだにゃ。
進歩がないにゃ。

うにゃうにゃしてないではやくねるんだにゃ。


677 :名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 02:07
きゃーひさしぶりぃ〜>>666さん
思わずお似合いのNoと言ってしまいそう(はあと



678 :615:2001/05/07(月) 02:18
正直なところ、信者さんのあまりの無理解に呆れたので、少し
説明します。
そもそも
>「すべての行為を自らの快感を満たすために行っている」のは
>赤ん坊だけ
この主張自体、考えが非常に浅いと私には思えます。何故か?
表面の行為だけをとっても、赤ん坊は良く泣きます。泣くのは
赤ん坊にとって快感か?いや、泣くという行為そのものは、決し
て快感ではないでしょう。むせたり、沢山汗をかいたりする行為
ですから、単に「快感」を追求するためなら泣く必要はない。
にこにこ笑っている方が良いに違いありません。では何故か?
非常に多くの場合、赤ん坊が泣くのは何かを求めているからです。つまり、泣くことによって大人がそれに注意を喚起され、赤ん坊に
何かをしてやるか、何かを与えたりする。
仮に欲しいものが手に入ったり、自分を不快にしているものが
除去されれば、赤ん坊はいずれ泣き止むでしょう。
つまり、泣くこと自体が快感ではなくて、「将来の快感」を得る
ためにしばしば赤ん坊は泣くわけです。
大人の行動も、泣くことは少ないでしょうが基本的には同じ構造を
持っています。一時の「不快感」を選択することはあっても、そ
れは「時間が経てば、そのことで相対的に良い結果が得られる」と
判断するから、そのときに一見不利益で不快感の伴う行動を選択
しているのです。つまり、これも「将来の自己の欲求充足=快感
を得るための行動」という面では、赤ん坊と同じです。
大人の場合、更に物質的、刹那的な快感でなく、精神的な充足や
自己の価値観の充足ということも「快感」の一つになります。
更に、自己にとっては精神的、物質的な負担が増すだけであっても
それが自分にとって至上の価値ならば、その行為を選択することが
あります。それに従い、価値観(宗教の場合は教義かな)に従っ
た行為を行うことが快感につながるからです。
これが主体の行動という側面から見た「利他行為」の本質です。
客体がどう感じるかという「関係性」はこの後の問題です。

679 :615:2001/05/07(月) 02:27
やっぱり、わかる人にはわかるんですね。(当然か)
そうです。私は「かつて信者」です。新年度からHNを変えようと
思って、旧HNは使わなかったけど、意味なかったね。ははは。
ぱ○○○○○っぱさん、お久し振りですね!
でも、645さんは「虚○○」氏とは違うような気がしますけどね。
まあ、そうであっても彼なら名乗らんだろうが・・・。
むしろ私には「G○○○S氏」のような感じもしますね。
(そんなこと、どうでもいいけどね。)
あ、それから667さんも、知ってる人みたいな気がする・・・。

680 :なんだかなあ:2001/05/07(月) 05:49
http://www.japanese.asian-house.com/ura/1999-11/1046_y33.jpg

681 :名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 06:50
>>670
でました。信者得意の逃げ、ですねー

682 :zzz:2001/05/07(月) 14:33
「かつて信者」さんへ
ご丁寧なレスをありがとうございます。
仰っている意味は良く分かりました。しかしながらあなたの仰られる「利己的」とは
世間一般で言われている「利己的」とは、やはり少しニュアンスが違うものであると
思いますよ。誤解を招かないようにするためにも表現を変える事をお勧め致します。
それから以下の部分ですが、(たぶんこの様な返答が帰ってくると思ってました。)
>>見返りを求めないことは大切な事ですが、それは「利己的な行為の結果だ
>>から」ではなく「利他的な行為の結果だから」でしょう。
>これには違和感があります。あくまでも「自分の価値観を充足するために、
>自分が良いと思ってやっていること」なのだから、見返りを求めるのは間違
>っているのです。
私の申し上げている「利己的」とは「他の利より自分の利を優先させる行為」ですか
ら他に利がでれば「誰のおかげで得をしたのだと思っているんだ!」となる訳です。
たとえそれが自分の利益を追求した結果であってもです。ですから見返りを求める
行為は「利己的な行為の結果である」といえると思います。
つまり「見返りを求めない事が大事」なのは、それが無いと「利他的な行為」と成ら
ないからです。しかしながら「利己的」な行為であっても見返りを求めない事もある
ので、私の表現は適切ではありませんでした。その点、訂正させていただきたいと思
います。
あと祖父のことですが、祖父は宗教家でもなければ哲学者でもないので、そういった
価値観を持っていた訳ではありません。ただ此処で出てくる「金」「道」「川」といっ
たものは「この様な性質のあるもの」といった、象徴的な意味とお考え下さい。



683 :かつて信者:2001/05/07(月) 21:11
zzzさんへ
レスおよびご忠告有難うございます。仰っていることはある程度は解ります。
やりとりの途中から、「利己的」という言葉に対するお互いのニュアンスが
多少違っているという気はしていましたからね。
言ってみれば、zzzさんはやや狭い意味で「利己」をとらえ、私の方はと言
えばもう少し広い意味で考えているのでしょう。
確かに、世間一般では「利己的」を「わがまま、自分勝手」という意味で
使っている場合もあります。そういうケースを指して「表現を変えた方が
良い」というアドバイスを下さったのでしょうね。その点、ご親切にお礼
を申し上げます。お話の通り、今後は「利他行為」でなく「自分にとって
メリットがある行為」ということでも構いません。(まあ、私にはどっち
でも同じように思いますが。所詮は言葉を変えただけで、中身は同じです
からね)
しかし、話を無用に長引かせるつもりはありませんが、私はむしろ苑の信者
さんの「利他」という言葉こそ表現を変えるべきだと思っているんです。
「利他」といっても「自分の満足のために行っていることは否定できない」
のですから、そのうち「他人に良いことをしている」ということだけを取上
げて言うのはおかしいという気がして仕方がないんですね。


684 :かつて信者:2001/05/07(月) 21:13
zzzさん、ちょっと追加ですが
具体的な例を挙げてもう少し詳しく説明すれば、苑における「利他行」の
場合は、これまで書いてきたことよりも更に「自分のため」という傾向が
強いものだと思いますよ。だって、お救けとかその他の利他行と言っても、
苑のシステム内で行う限りは先に「霊位向上・・・自分の悟り」という明白
な「利益」があるからです。信者さんは「そういうことは目標で、そのため
に行う利他行は意味がないものとされている」といったような説明をよくな
さいますが、やはりそれは内部の方にしか通じない理屈だと私は思います。
「利他」と言っても、それを行う信者さんが「そのことで、教団内で何がし
かのメリットを得る」というのは、多少とも今のいろいろな教団の在り方を
知っている人には、容易に想像がつきますから。
そういう利他は、実はやはりかなり「実は、自分のために行っている」と
いう色彩が強いのではありませんか?しかも、この場合は具体的な見返り
(霊位、信仰心の向上など)を求めて行っているのですし。
もし「そういうことは意識しない」と仰っても、真如苑内で納得して自発的
に修行する以上は、これは既に目標として与えられているんですね。
与えられた修行を行っている以上は、いずれそのような「霊位向上」や
「悟りの境涯」を得ることにつながることを知っているわけです。
今すぐではなくとも、いずれそのような境地に達することをいやがっている
わけではない、いや、殆どの場合はそれを望むから修行するのでしょう?


685 :あんなあ:2001/05/07(月) 23:03
宗教信者の言う利他(掃除)とか主婦がすぐ言うボランティアとか
よく似てるとおもうけど
「ごみとかをポイ捨てすると罰金」なんて状態に国がなったら
なりたたないよ。
そのへんにごみとかなかったら成り立たん利他って何???

そういう意味で現在信者さんらが言ってる利他は本当に利他ですか?
それって「ほらほら神様みて、あのひとはごみをすてたけど
僕はひろってるよ!!」って行為だ。
行為の表面だけをみて「善」だの「悪」だの言い過ぎるから
「宗教の信者は・・」っていわれる。
その行為、ある行為をしたその裏にある感情とかが見れる人間って
安易に「善」だのいわないもんだよ。
だってそこに「自分はこれだけ徳積みしてる」という感情があったりしたら
げんなりするでしょ。それは利他ではなく利己だからね。
実際みてげんなりしてる人はたくさんいるし。
やってる行為そのものは大概どの宗教団体でもやってるもんよ。
特別真如苑だけがやってるわけじゃない。
でも「ここでやるのは特別。よそと同じ行為だけど特別」っていう感情がある。
改めて言葉にだして問うと必ず「そんなこと思ってない」とかいうけど
言葉の端々にでてくる。だからかんじわるーいといわれるのです。



686 :名無しさん@1周年:2001/05/08(火) 00:02
666だぎゃ

利他利他言うのなら、立川の苑の施設にそう度々行くんじゃないんだわ。
近所の迷惑を考えて、人の多いときはあえて避け、人のいないときにお参りする。
そういう形の利他なんてのもあるのではないのかや?
自分も嬉しいし相手も嬉しい、でもその行為は決して押し付けるものではなく、あくまでも自然に振舞うことから生じる。
そういうものの方がとうとまれるのではないのかい?

どうも苑の信者さんってのは、苑が示したフォームでしか何も出来なくなってないかい?
自分で考えて、行動する。人間の基本を忘れてないかい?
朝の奉仕もお助けも、苑の価値観からの行動でしかないのだよ。
返って不気味だと思われたり、疎まれたりするのはどうしてか、分かってほしいんだわ.


687 :いまだ信者:2001/05/08(火) 00:50
なーんだ、久々盛り上がってると思ったら615さんて、かつて信者さんでしたか。
かつて信者さんが言いたいのは、昔からある日本のことわざで、情けは人の為ならず、周り回って自分のため、って事をちゃんと認識しろって事ですよね。
僕も同意ですよ。
僕が感じるのは、苑の人(と言っても、数えれば二桁で済むでしょうが)は、人の為に何かをしている自分に酔っている、と感じてしまう部分がありますね。
ま、これは非常に鬱屈した僕の考えからくるものですけどね。
人の為になることなら、世の中にある仕事というものは、ほぼすべてが、人が必要とするからこそ、存在して、そこに金銭は介在すれど、金銭以外のやりがいを見つけていく事自体は、仕事という部分を超越したモノで、そこには自分のやりがいを成し遂げていくと同時に、自然と人の必要とするものに準じていくことにもなりますよね。そこには、直接「人のために」という思いは存在しなくても、知らないうちに人の為になってたりするもんですし。
ここには徳は存在しないのかな?
というか、苑では、これをすれば、徳が積めると限定して言うから、そっちにばっか目を向けている人が多いとは思う。
早朝奉仕するのは良いけど、自分の部屋はどうなの?家の前は?近所は?ゴミ捨て場は、きれいに仕分けされてる?仕分けされてないなら、してみるってのは?
一人で何かをするのは危険が伴うこともあり、しない方が良いという考えもあるでしょう。
駅前を掃除するのが、悪い事じゃない。でも、それだけってのはどうかと思う。

688 :いまだ信者:2001/05/08(火) 00:55
(続き)
まあ、お助けに関しては、宗教独特の考えであり、それは仕方がなくあるものかもしれない。
やっぱ自分が良いと思うモノは、人に勧めたいモノがスジってもんだし。
でも、そこに徳という付加価値をつけてるから困ったもんだ。だから、お助けにも自己顕示欲と強引さが出てくる。ついでに、会座への切符も手に入るしね。
会座にすわりたいから、お助けする。みるからに欲が表面に出てる。
そりゃ、お助けし、接心を受けて、会座に座って、考えが間違っていたって事に気づくもんなんでしょう。でも、そこまで、たどり着く間に自分がお助けした人が離れていったり、嫌悪感を感じて、あまり近づかなくなってしまった人は、結局自分がそこに気づくまでの踏み台になった事にも気づいて欲しいね。
すべては、自分がそれに気づくまでの為に犠牲になってしまった事をちゃんと見返らないと、やばくなるね。
自分のために存在した他人を、お助けってのは、どうなんだ?
「お助け」って言葉自体が、ちょっと気持ち悪い。
ま、自分をお助けするためって意味なら、納得できるけど、まだそんな解釈は聞いたことが無い。
というか、かーなり、行ってないから、今は知らないけどね。


689 :GRASS:2001/05/08(火) 01:25
どうも。645=GRASSです。
>「かつて信者」さん
もう話は続かないと思ってましたが、>>678で図らずも「かつて信者」さんの「利他
行為」観を読ませてもらうことになりましたので、ちょっと議論進展ということで。
これは利他行為の本質について述べているというよりも、人間の本質は利己だと言わ
れているように受け取った方が自分にはしっくりきますね。確かに相当虚無入っ
てますし、自分自身につきつけて感じるものがないわけじゃありません。しかし、
快・不快原則以外にも人間には論理的に自分の行動を律する力があり、普通の大
人なら両者がきちんと内面化されてバランスを取っているわけで、何も快・不快
原則に一方的に支配されているわけではないと思いますよ。何故なら、両方とも
観念だからです。物質なり性欲を人間の行動の基礎に持ってくるような人間観に
対する批判的検討は済んでるような気がします。…なんてことが「かつて信者」
さんの鬱屈をやわらげることができるか、分からないですけどね!…どうせなら、
自己への執着を離れるべく般若心経をお唱えして座禅でも組んでみられたら(苑
の「利他行」は相当お嫌いなようですから(笑))よっぽどすっきりするんじゃ
ないかと思ってみたりしますが…(笑

あ、それと「全然話しにならない」とか言っておきながらのこのこ出てきていき
なり何をぬかすか!というのがありましたらどうぞ気の済むように仰ってくださいな。

690 :名無しさん@1周年:2001/05/08(火) 01:31
>人間には論理的に自分の行動を律する力があり、普通の大人なら両者がきちんと内面化されてバランスを取っているわけで

666だけど、そうかい?

691 :GRASS:2001/05/08(火) 01:39
ん?僕につきつけて言われてる?
言われてみれば、あんまり普通の大人じゃない気はするなあ(^^;

692 :かつて信者:2001/05/08(火) 01:59
あはは、やっぱりGRASSさんだったか・・・。
相変わらず難解な表現がお好みですねえ。「人間の本質は利己」
であるということでもいいと思いますよ。ではそういう存在の
行為はこりゃ「利己的」になるでしょう?
私は、666さんと同じ意見ですよ。私に言わせりゃ、「快・不快
原則」以外のものなどありゃしませんがね。
もしかして、また言葉を表面で捉えておられるかとも思いますが、
私のいう「快感」というのは「将来、快感が得られること」も含
みますよ。また「物質なり性欲・・・」以外のものも含むことは
678をお読みになったのならお判りですね。
つまり「快感」の意味は「自分が心地よい」ということで、これ
は何がしかのメリットの享受や、無形の価値の取得も含みます。(皆、自分にとって良いことだからね、これは)
だから「物質なり性欲を・・・」っていうのは、読みが浅いです。
そういう前提で、あなたの仰る「両者がきちんと内面化されて
バランスを取っている」ような行動の例を挙げられますか?
どうも、失礼ながら「優等生的」に感じちゃうんですよね。
あなたのお話って。理屈は知ってるんだけど、突っ込みが足りない
っていうか・・・。




693 :かつて信者:2001/05/08(火) 02:17
具体的にいきましょうね。
人間の持っている「論理的に行動を律する力」ってのは、確かに
あります。しかし、何のために律するか?それは「与えられた条件
の中で、自分にとってのメリットを最大限に獲得しようとする
ため」に律するのです。
例えば、何かをしたいけど良く考えて我慢するとしましょう。
それは「したらこうなる。しなかったらこうなる」ということを
自分の頭で秤にかけて判断した結果です。単に「しないという行為
を選択する」つまり「我慢する」方が、将来の自分にとってのメリットが大きいと判断したからにすぎません。その意味で、我慢も
広い意味で快感だとも言えるんです。将来、その件については相対
的に明るい予測を持てるんだから。
物理的或いは欲望と言う観点から全く損な判断をしたとしても、
それは別の価値観が勝った結果です。そういう意味ではすべて
「自己充足のためにベストと思う判断をしている」にすぎません。
どちらもいやな結果をもたらす場合でも、人は必ずそれを軽減す
るか、或いは別の面でそれに代わるメリットを得られる判断を
下しています。何か、これに反する例を挙げられますか?
こういうことが内蔵されているのは、当然なのですよ。人間もまた
「生きる」ために最適な行動を取るようにセットされた生物には
違いないんですから。(現代人はちょっと複雑になって、ヒネて
きてますけどね)

ということで、少なくとも私の書込みをお読みになったのなら、やっぱりもう少し深くものをお考えになった方が良いと思います。
私には特別過剰な鬱屈はなくて、むしろ自由な思考ができる境地を
楽しんでいます。GRASSさんも下らない煽りはやめて、もう少し
深くものを考えた方が良いと思いますよ。(もっとも、GRASSさん
タイプの信者さんには難しいかな・・・^^;;;)
では。

694 :名無しさん@1周年:2001/05/08(火) 13:21
>それに@`篤信教徒はこのような不浄な処には興味さえ
>示さないものです。開くことさえオゾマシイからです。

ここをROMしてる信者さん!
虚無僧とか言うカスを何とかしろよ!!
ちょっと非道すぎやしませんかね?


695 :zzz:2001/05/09(水) 00:07
「かつて信者さん」どうも
話ついでにちょっとお聞きしたいのですが、「三つの歩み」って、
「利他行」なのですか? 苑でその様に明言しているのですか?
私は特にその様には思っていませんでしたね。その行動の根本には
「大乗利他の精神」という物が在るのかもしれませんが、その行為
自体は特に「利他行」だとは思っていません。
だって全て「自分の修行」としてやっている事でしょう?「早朝奉
仕」にしたって駅の清掃が目的だとは思えないですね。少なくとも
駅を綺麗にしたい一心で取り組んでますって人は私は知りません。
(そういう方がいらっしゃいましたら御免なさいね)でもそれはそ
れで良いと思うのです。別に悪いことしているわけでないですし。
「利他行」とは別のことを指してるのかと思ってましたよ。
「修行が目的」で在る以上「利他」とは言えないのではないでしょ
うか?
非信者さんばかりでなく信者さんからの意見も是非お聞きしてみた
いですね。


696 :GRASS:2001/05/09(水) 01:28
>>695 zzzさん、
どうも、「慈善」と「利他行」とを混同されているように思います。
駅の清掃が目的でない、というのは、つまり「慈善」ではないということでしょうか?
たしかに、「早朝奉仕」は「慈善」とイコールではないと言われています。
そして、「慈善」と「慈悲」は似ているようで異なります。
「慈善」とは善を共に行うこと。
「慈悲」は他の苦しみに同化し、それを抜こうとすること。
その「慈悲」から行うのが利他行です。

697 :zzz:2001/05/09(水) 07:11
GRASSさんへ
つまり「早朝奉仕」とは「慈悲」から行う「利他行」である。
ということですか?

698 :名無し:2001/05/09(水) 07:30
また同道巡りをやるつもりか?

699 :かつて信者:2001/05/09(水) 08:47
zzzさん、お返事が遅くなりました。

これは言葉の使い方の問題で、「三つの歩み」というのは「三つの
修行の柱はこれです。基本的に、信者はこれを修行の中心として行って
いったら良いですよ」ということです。そういう根拠は、本来の仏教には
「六波羅蜜」という基本的な修行がありますが、苑では「開祖がそれを、
取組みやすいように三つに要約して下さった」として「三つの歩み」を
修行の柱においているからです。
ですから、この点から見れば修行です。しかし、苑には「利他行」という
言葉が頻繁に使われるように、自分のことでなく、「他人のためになるこ
とを行うことが修行に通じる」という考えが濃厚にあります。
まあ布施に当る「歓喜」は微妙ですが(これとても「他人の役に立つよ
うに」などと祈って行う人が多いですから、利他の側面はあります)
「ご奉仕」と「お救け」は完全に「人のための行為」とされていますよ。
だから勧誘のことを「人を助ける」という意味で「お救け」というのです。
私に言わせれば、zzzさんが仰るように「何だかんだ言おうとも自分のための
修行である以上『人だすけ』はおかしい。不純だ」と思ってますけどね。
でも、苑では「利他の善行」、「利他の聖行」などとよく言いますけどね。

700 :GRASS:2001/05/09(水) 23:12
>>697 zzzさん、
そう言っていいでしょうね。
詳しくは智流院で習えます(それが前回あえてsageで書いた理由です)

ただし、利他行の「行」には2つ意味があると思っています。
一つは、慈悲の心をもとにした”行い”ということ。
もう一つは、慈悲そのものは理念的に把握し切れないほど大きいものだから
心底から他に慈悲を運べるようになるための”修行”があるということ。

701 :名無しさん@1周年:2001/05/10(木) 02:18
GRASSさんへ
>「慈悲」は他の苦しみに同化し、それを抜こうとすること。
>その「慈悲」から行うのが利他行です。

>心底から他に慈悲を運べるようになるための”修行”があるということ

つまり”早朝奉仕”とは、早朝奉仕を行う事によって、慈悲の心を促し
他人に気をつかえるようになる”修行”であるという事なのですか?
ここで言う結果論としての”修行”とは誰の為にやるものなのでしょうか?
己の為ですよね、、、、結局「利己」ですよね。

次に
>他の苦しみに同化し、それを抜こうとすること。
ですが、、、、
”それを抜こうとすること。”は誰が思うのですか?
己ですよね、、、結局「利己」ですよね。

じゃあ利他っていうのは、かつて信者さんが言っている事に賛成している
訳なのですね。

age

702 :701:2001/05/10(木) 02:41
GRASSさんへ
>652
>組織が何を目指しているかを説明する上で具体的な例を何も
>出すべきでないとすればそれはあまりにナイーブな気がします。
>現実的な物事はある程度適当なバランスの上に行われるのが健全でしょう。

つまり、”早朝奉仕”の”己の為の修行”がある程度適当なバランスの上に行われて
いるとおっしゃりたい訳なのですね。
なるほど、、、そう言われてみれば納得します。
しかし、信者の方達の多数は勘違いをしていると思いますよ。

”早朝奉仕”をやらないと、「徳を積めない」=「因縁を断ち切れない」と、、、、
               ↑
バランスの話であるなら、「・・・ない」と思う必要は無いと思うのですが、、、

703 :名無しさん@お節介:2001/05/10(木) 03:40
教えて2と内容がかぶってきたのと
二つで同じような議論が繰り返されてるので
一つにまとめたいと思います。
こちらでの議論に区切りがついたら
新スレに移行していただければ幸いです。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=989433358&ls=50

704 :zzz:2001/05/10(木) 07:11
GRASSさんへ
ご回答ありがとうございます。
GRASSさんにとって「利他行」とは何でしょう?結果的に「他」に利益を与えれば
「利他行」とお考えですか?
私は少なくとも「早朝奉仕」に関しては、日時を指定されてやっている以上、自発
的な行為とは思えず、与えられてやっている修行にすぎないと思います。そういっ
た行いが”慈悲心”から行われているとは思えないのです。
もっとも、”慈悲心”を促す行為であることは間違いないと思いますが・・・。
(慈悲心とは自発的な心の中に在るのではないでしょうか?)

705 :名無しさん@1周年 :2001/05/11(金) 00:28
安芸 寅之助

706 :名無しさん@1周年:2001/05/13(日) 12:09
age

707 :名無しさん@1周年:2001/05/15(火) 00:26
age

708 :名無しさん@1周年 :2001/05/17(木) 23:23
接心でここに書き込めと言われない・・・・あげ

709 :名無しさん@一周年:2001/06/13(水) 15:10
接心でここに書き込めと言われない・・・・あげ



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