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親鸞仏教の正当性を問う

1 :渡海 難 :2000/10/04(水) 13:04
 親鸞仏教の土台を問う批判・反論が交錯することを期待します。これが、宗教宗派の枠を超えた論議となり、結果的には宗教の本質を社会に問う問題提起として各地で新たな飛び火的議論を巻き起こす一石となれば幸いです。

2 :渡海 難 :2000/10/04(水) 13:05
 これまで、親鸞の考えは、特定宗派という枠組みの中だけで語られ、語り手の考えに賛同する人だけが聞くという傾向が強かったと思います。語り手の考えに賛同しない人や無関心な大衆を、大規模に議論に巻き込む機会は、一部の例外を除けばほとんどなかったと考えます。
 親鸞が死んで七百四十年が経過しています。生前、親鸞の思想は、法然思想とともに、公式に断罪されています。断罪はその後も法的には有効のまま放置されたままになっています。親鸞の場合、明治天皇から大師称号を送られているという事実はありますが、八百年前の断罪に対する政府の訂正はありません。親鸞死後、「親鸞思想は正しい、間違いない」という前提からの発言は、くり返し行われてきました。しかしその間、親鸞思想の正当性そのものを土台から問う問題提起はなかったと思います。
 親鸞の考えは本当に正当なのでしょうか。どこまで正当なのでしょうか。どこは不当なのでしょうか。それ以前に、宗教的正当性とは何か。ここも問題になるでしょう。言葉の定義の問題も含め、インターネットの時代は、民主主義の手続きで衆知を寄せ合い、思想そのものを根幹から大衆レベルで大規模に真正面に検証実験できる時代なのだと私は思います。
 八百年昔、親鸞がどう裁かれたのか、具体的なところは私はよく分かりません。私は、八百年も昔に出された議論をここで蒸し返すつもりは全くありません。資料的に不明確な過去の議論は全てご破算にし、私は現代に生きる自分が仮説として主張する親鸞思想を、議論の叩き台として随時提供したいと思います。
 俎上に上げる対象は、在俗無名の愚禿親鸞という男が七百四十年も昔に主張した思想です。ただ、俎上に上げるリード役は少なくとも初期の内は事実上、渡海になると思います。俎上に上がる実際の対象は、渡海が親鸞思想として仮説的に主張する思想です。仮説の立て方には批判が寄せられるでしょう。仮説の選択方法にも批判は寄せられるでしょう。親鸞仏教の正当性を問うと言っても、議長はいません。裁判官や審判官がいるわけでもありません。私自身がプレーヤーです。様々な覆面的野次馬プレーヤーが入り乱れて衝突しあうと思います。学問的に意味のある結論が出るかどうかは分かりません。親鸞思想に批判的な人からの批判、親鸞の考えには賛成するが、たたき台とする渡海の考えには反対という人からの批判、様々な反論をインターネット上で交錯させることができれば幸いです。親鸞仏教の土台に向けた批判・反論が、宗派の枠を超え、結果的には宗教の本質についての社会への問題提起となり、各地で新たな飛び火的議論を巻き起こす一石となれば幸いです。
 とりあえず、親鸞の主著、教行信証の総序の完結を期限未定の目標とします。私は、ここでは親鸞思想を描写した私の仮説の妥当性を問います。次に、私の仮説の基礎となった親鸞その人の思想の妥当性を問います。私は、私が信じる親鸞思想を実験したいと思います。

3 :渡海 難 :2000/10/04(水) 13:07
 竊(ひそ)かに以(おもん)みれば、難思の弘誓(ぐぜい)は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。<教行信証 総序>

 「ひそかにおもんみる」。
 親鸞は、事物の表象的現象から離れた背後にこそ、意味あるものがあると思いそれを求めようとするようだ。この姿勢は、私は賛成できる気がしている。
 「難思の弘誓(ぐぜい)は難度海を度する大船」
 釈迦は、祇園精舎に入学してきた人々に自分を先生と呼ばせた。釈迦は、自分を先生と呼ぶ者に対して自らの認識を伝達することを決意していた。釈迦は、人々を一括して大がかりに真理に導く運搬船として「先生」という呼称を選んでいる。
「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。」
 釈尊先生の教育指導は、闇にさまよう多くの人に、自分達が正しく生きていくための道を照らした。
 親鸞は、阿弥陀仏という名で釈迦をなぞらえて創作された架空の教育者を、人格的に捉えた真理そのものとして認識し、そこに釈迦の性格をシフトさせている。仏陀つまり先生という呼称に、自らの救済の原理を見つめている。

4 :名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 19:00
ウザイ氏ね。

===============終    了=================

5 :名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 19:03
       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
Λ_Λ  | 君さぁ こんなスレッド立てるから          |
( ´∀`)< 厨房って言われちゃうんだよ             |
( ΛΛ つ >―――――――――――――――――――‐<
 ( ゚Д゚) < おまえのことを必要としてる奴なんて         |
 /つつ  | いないんだからさっさと回線切って首吊れ     |
       \____________________/

■■□■■どうせならこのスレッドに書き込め■■□■■
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kao&key=963191323

(-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩)


6 :渡海 難 :2000/10/05(木) 16:13
>4,5

 (^^ゞ ぽりぽり。
 あのね。これは大変重要なことなんだよ。(@_@)
 親鸞の思想に正当性がないとしたら、親鸞聖人がこう言っているとか、ああ主張しているという引用の仕方は、誰がなんて言っても全てナンセンスということになるだろう。
 親鸞思想の正当性の検討は、親鸞の言葉を引用する場合、当然その前にしっかり行ってなければならないんだ。先人の語録の引用は、主張の正当性を明確化し、正当性の範囲内でしなければならない。こういうしんどい作業を飛ばして、親鸞聖人はこう言っているとかああ言っているという主張は、全くナンセンスなんだよ。
 坊主スレッドで道元を引用している人がいるけど、それだって先に道元の正当性の検討をして欲しいと僕は思う。既成宗教も新興宗教も、こういう作業をしないから、迷走していくんだ。恐い話だよ。

7 :渡海 難 :2000/10/05(木) 18:07
「しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。」

 「しかればすなわち、」
 これはおかしい。少なくとも僕の皮膚感覚とは異質だ。〔まあ、僕が間違っているんかも知れん。他人は笑うんだろう。御開山様に間違いがあるわけないだろう、と言って〕
 「しかれば」とはしかあればという意味だ。しかあればとは、そうであるならばという意味だ。つまり、先生というものは「先生」いう呼び名を船とする。「先生」いう呼称に乗船してくる者つまり自分を先生と呼ぶ者に真実を開こうと決意しているものなのだ。「先生」いう呼称の船に乗ってくる者に、迷いを晴らす智恵を与えてくる者なのだ。もしこれが正しいとするなら、そこから次の事実が言えてくる。
 「しかればすなわち」という言葉は、「もしこれが正しいとするなら、そこから次の事実が言えてくる」ということを意味している。次の事実とは何か。「調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり」である。
 ここには我々の理解を超えた親鸞一流の論理がいくつもある。

8 :名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 07:54
――――――――――――――
 マスター、氏んでも骨太
__  __ .r――――――――
    ∨   | ダイエットに良いって?
日 凸 U | ______
≡≡≡≡≡| /  .∧ ∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 U ∩ [] ∨% (゚Д゚ ;) < じゃ、俺も飲むかなぁ
__ ∧∧___ .∧∧|つ∽)_  \_____
  (  @`@`)日  .(  @`@`)∇
― /   | ――.../   | ―――
\(__.ノ   \(__.ノ
 ━┳━   ━┳━
 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄┻ ̄ ̄ ̄ ̄

日 凸 U ∇ U
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
 U ∩ [] ∨   _  _
___ ヘヘ__/ ⌒ \
    ノ   @`)っ  U(   )ヽ
― /   つ――― ヽ|ヽ|
  (__.ノ
 ━┳━   ━┳━
 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄┻ ̄ ̄ ̄ ̄

    〜_ __ ∧∧
    ⊂⊂⌒ ⊃(- -)っ


9 :名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 07:57
      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    /な、なかはダメ〜〜
    | はにゃ〜〜〜〜ん!!
    ∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           /⌒⌒ヾ\
         ((ll.l__ll)))
           ((□-□ |'
            | J  ノ ヒヒヒヒヒ
    @`   ― ノ)   ヽ∀ /
  γ γ~   \ /ー' ー―\
  |  / 从从) )   |  ノ  )
  ヽ | | l  l |〃 ヽ  人/  ノ
  `从ハ~σノ)/ ∧ /  /ノ
    |ヽ `  \ /_ y  / /
 ι  | ペ ノ  ノソ )/  (
    | // /'〃ノ)ー   | ノノノ
    ( ノ ヾ / y  ノて/  ノ
    ‘  / / / //  /ピクピクピク
      / イ (/ /  /
     /  / | ) ( )(
    ( /  /  /  ヽ  \
    ‘uノ (__/∴∵ \ \
      ∵∴∵∴∵∴∵ヽ (
        ∵∴∵∴∵( /∴∵
              ∴∵∴∵∴∵
                 ∵∴∵


10 :名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 17:35
            o
            /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /
           /   このスレは無事に  /
           /  終了いたしました    /
          / ありがとうございました  /
          /                /
         /    モナーより      /
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
  ∧_∧  /                /∧_∧
 ( ^∀^) /                /(^∀^ )
 (    )つ               ⊂(    )
 | | |                   | | |
 (__)_)                  (_(__)


11 :目撃ドキュン :2000/10/06(金) 21:57
      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    /うわっ!。私は名無しの9番よ。8番さん間違えないで。
    | はにゃ〜〜〜〜ん!! 中はいやーん。
    ∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           /⌒⌒ヾ\
         ((ll.l__ll)))
           ((□-□ |'
            | J  ノ ヒヒヒヒヒ
    @`   ― ノ)   ヽ∀ /
  γ γ~   \ /ー' ー―\
  |  / 从从) )   |  ノ  )
  ヽ | | l  l |〃 ヽ  人/  ノ
  `从ハ~σノ)/ ∧ /  /ノ
    |ヽ `  \ /_ y  / /
 ι  | ペ ノ  ノソ )/  (
    | // /'〃ノ)ー   | ノノノ
    ( ノ ヾ / y  ノて/  ノ
    ‘  / / / //  /ピクピクピク
      / イ (/ /  /
     /  / | ) ( )(
    ( /  /  /  ヽ  \
    ‘uノ (__/∴∵ \ \
      ∵∴∵∴∵∴∵ヽ (
        ∵∴∵∴∵( /∴∵
              ∴∵∴∵∴∵
                 ∵∴∵


12 :渡海 難 :2000/10/06(金) 22:04
            o
            /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /
           /   このスレは一日休  /
           /  みます。御期待感謝    /
          / いたします。       /
          /                /
         /    モナーより      /
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
  ∧_∧  /                /∧_∧
 ( ^∀^) /                /(^∀^ )
 (    )つ               ⊂(    )
 | | |                   | | |
 (__)_)                  (_(__)


13 :名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 22:08
>11
sage入れろよ。

14 :名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 22:11
この公害スレは常時sage入れてください。

15 :名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 22:16
僕の体験を・・・
いけない事なのかもしれないけど、身近と言う事で妹とです・・・
小さい頃は一緒にお風呂に入っていました。
これは結構あることじゃないでしょうか?
一緒に入り体を洗い合う。ただソレだけのことですから。
お風呂の中で遊ぶのも楽しみの一つでした。
ある日アソコを洗ってもらったら得も知れぬ快感が走りました。
その頃はオナニーすら知りませんでしたから、これは一体なんだと思ったのです。
そうして数年が過ぎました。
オナニーも知り、女の子にも興味が出てきました。
そしてあの日の事。妹からアソコを洗ってもらい気持ち良かったことが蘇ったのです。
「また洗ってもらいたいなぁ」と、僕は思ってました。
でも妹も既に12歳だし、もう知っているだろうから・・・
友人から自分でするより、してもらったほうが気持ち良いと言う話を聞いていました。
他にも色々と聞いていたので女の子には興味津々でした。
ある晩僕は決心しました。妹にしてもらおうと・・・
流石に一緒にお風呂に入ろうと言うと、嫌と言われました。
そこで夜中になるまで待ちました。
妹が眠りかてたころを見計らって妹の寝室に侵入しました。
妹は微かに寝息をたてていました。
なんて可愛い寝顔なんだろう。
僕はパジャマのズボンとパンツを脱ぎ,妹に近づきました。
そして妹の手に僕の者を握らせようとしたのですが眠っているので握れません。
仕方ないもで妹の手に勃起した僕の者を乗せ、自分で動かしました。
妹の手は暖かく柔らかく気持ち良かったです。
そうこうしているうちに妹が目を覚ましました。
僕は咄嗟に脱いだ物をはきました。
妹はナニが何だかわからない様子でした。
「どうしたのお兄ちゃん?」
「いや、お前と一緒に寝たいなぁと思って・・・」
適当な事を言って誤魔化そうとしました。
すると妹は「良いよ」と言うではありませんか。。。


16 :笑撃ドキュン :2000/10/06(金) 23:21
>13
 お前なんかに命令されたくない。

17 :名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 09:20
河野美香氏の「17歳の性」(p.67)によれば、
性交を求められたときどうするか、との問いに対し、
CQCQ71990年の高校生の女子は20%が受け入れ・30%強が拒否CQCQ0、
と答えていますが、
CQCQ71993年の高校生の女子は30%強が受け入れ・25%が拒否CQCQ0、
と答え、受け入れと拒否が逆転し、しかも、
CQCQ71996年の高校生女子では40%が受け入れ・20%が拒否CQCQ0、
と、驚くべき回答をしていると発表しています。


18 :名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 13:25
なんじゃこりゃぁ
下げ の まんまで ええやんけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ


19 :名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 16:42
 ┌───────────┐
 │ アナウンサー学校 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 │      ∧_∧   | 「すぐ沈む、駄スレ
 │     ( ´∀`) <
 └───(    )─ | 立てンな!糞厨房。」 ハイ。
       | ̄ ̄ ̄ ̄|  \___________
   ∧_∧  ∧_∧  ∧_∧
  (    ) (     ) (     )
  ∧_∧ ) ∧_∧ ).∧_∧ )
 (    ) (     ) (     )
 (    ) (    ) (    )



20 :名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 16:47
                                  /⌒\ マルミーエ
                                 (  /⌒\
                                 | (・∀・ )
  またアツマッテール                   /⌒\⊂  .|
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄      ∧_∧  モウイイヨ  (・人・ )(⌒)ノ
__∧_∧∧_∧ __     (・∀・ ;) (-_-)   |  つ |
| __(*・∀・(・∀・ ;)   |     ( ∩⊂ ) (∩∩)   ヽ(⌒)  .|
|\ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒ \ )) (_(__) ∧_∧    |   |
|  \               \ )) シコシコ (・∀・ ;)   (・∀・ )
\  |⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒|      ([0)]]⊂ ).   )   (
  \ |_________|  カシャ、カシャ (_(__)  (__Y_)

ガンガンイクーゼ イキソー     フェーラサイコー
  ∧_∧ .∧___∧       ∧_∧      モウデソー  アソーコカラオトガ
 ( ;・∀・)( *・∀・)      (・∀・ ;)      ∧_∧∧_∧ デテハズカシー
 (  つ/   つ    ∧_∧   つ     (; ・∀・)∀・*)
 . ) )(___⌒)    (    )  /     Oノ   へつ⊂ノ
 (__)_).(_) .  / /  つ(⌒)    (_(⌒)へ_ノ
            ( (  ノ ングング        クチュクチュ
           (⌒)(⌒)

 |こんばんわ、現場のモナーです。
 |今、乱交プレイの真っ最中です(ワラ
  \__  _____________
      |/
     ∧_∧       Λ_Λ
     ( ´∀`)Φ    ○)∀`; )
      (   ⊃‖   O□]⊂   )
      | | |       | | |
      (_(__)      (_(__)
                ∧
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄
俺、しーらねっ・・・
________________




21 :渡海 難 :2000/10/07(土) 20:52
たくさんの人が注目してくれているね。張り切んなくちゃ。 ピース (^^)v

 「調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。」

 親鸞はここで浄土教の起源を語る。浄土教はどのようにして始まったのか。かつてインドにマカダ国という大きな王国があった。釈迦は国王の顧問をしていた。あるとき大事件が起こる。王子<闍世>が父王を殺し、母后<韋提>を牢に幽閉して王位に着く。母后は牢から泣きながら釈迦の名を呼ぶ。釈迦は牢に進入して母后に対面する。悲しみに泣き叫ぶ母后に釈迦は阿弥陀仏国土の素晴らしさを説き、阿弥陀仏国土への行き方を教える。
 観無量寿経というお経に書かれている物語である。どこまでが史実で、どこからが脚色かは必ずしもハッキリしないが、親鸞はどうやらこれを浄土教の原点と思っているようである。
 観無量寿経に書かれているこの物語をもって浄土教の原点と考えることは、親鸞の思想全体で考えるとぎこちない。何を考えているんだろうと言う不信感も否めない。
 親鸞は言う。真実の教を顕さばすなわち『大無量寿経』これなり、と。真実の教は、大無量寿経が明らかにしているのだ。『観経』は化身・化土を顕しているという。化身・化土とは、親鸞の考えでは仮という意味だ。調達・闍世事件は、そのような仮の『観経』を説く契機になった事件である。契機とはいえ、仮の教えに過ぎないものに親鸞は注目している。真実の教えの契機は何か。大無量寿経に如来現瑞という言葉で指定されている。親鸞は、真実の教えが説かれるきっかけについては注目しない。仮の教えを説くきっかけになった事件に注目している。これは奇異ではないか。同じ契機なら、真実の教えが説かれるきっかけにこそ注目すべきではないか。私はそう考えるのだ。
 親鸞は、仮の教えを説くきっかけになった事件を引き合いに出す。先生というものは「先生」いう呼び名を船とする。釈迦は、生徒に自分を「先生」と呼びなさいと指示した。「先生」と呼んでくる者、指示に乗って来る者に真実を開こうと決意していた。そしてそのように行動していた。釈迦は、物事に極めて真剣に、しゃにむにぶつかって行った人なのだろう。調達・闍世事件には事態収集に必死に向かっていた釈迦の姿勢が経典の随所に見えている。ものごとに真剣に向かっていくその姿にこそ、自分を先生と呼ぶ者に真実を開こうと決意している教育者としての素晴らしい姿が目撃されてくる。親鸞はそんな釈迦のあり方に、真理そのもののありかたの原点を見つめているのだろう。
 そう考えると次の言葉の意味が分かってくる。「逆害を興ぜしむ。…選ばしめたまえり」。親鸞は使役動詞を使っている。釈迦は別に操り人形を操っているのではない。釈迦が調達や闍世を操ったわけではない。釈迦は自分を先生と呼ぶ者にひたすら真実を開こうとしていただけだろう。先生が、自分を先生と呼ぶ者にひたすら真実を開こうとその動きがあるところで、ものごとは遠からず自ずから収まる場所を得ていく。水は方円の器に随うものだ。起きるべき事件は起きるが、収まるべきものは遠からず収まっていく。自然の流れの中で、事件は起き、自然の流れの中で韋提希という母后に浄土教が説かれてくる。自然の流れの中心には、自分を先生と呼ぶ者に真実を開こうと決意し、その一点で動く釈迦の決意と行動が実存する。親鸞にはそう見ているのだろう。

22 :名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 21:36
>たくさんの人が注目してくれているね。張り切んなくちゃ。
>ピース (^^)v   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
  /   @`――――-ミ
 /  /  /   \ |
 |  /   @`(・) (・) |
  (6       つ  |
  |      ___  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |      /__/ /  < 誰も注目してねえだろ!
/|         /\   \__________


23 :名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 21:39
  ゝ‐――――∂――∂――――∂――∂――――ゝ
          /   /       /   /
          /   /       /   /
          /   /  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         /   / < すでに終わってるよな!
        /   /   \__________
        /   /       /   /
       /   /       /   /
     Λ_/Λ  /     Λ_/Λ  /  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( /∀´)/     (´∀` ) / < 渡海教祖ってどうよ?
    (つ   つ     ⊂/   つ   \__________
   ←λ_ ~) ~)ヽ   ←λ_~) ~)ヽ
   ヽー(__)_) ゝ  ヽー(__)_) ゝ ゝ


24 :渡海 難 :2000/10/07(土) 22:05
22さん
>誰も注目してねえだろ!

 いやいや。22さん。あなたが注目してくださっているんですよ。ほらね。貴方は自分が見えますか?

>23さんへ
>すでに終わってるよな!
 終わりが始めの始め。これからが面白くなるんですよ。ピース (^^)v

25 :名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 23:23
   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
  /   @`――――-ミ
 /  /  /   \ |
 |  /   @`(・) (・) |
  (6       つ  |
  |      ___  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |      /__/ /  < 22番。てめえが注目してんだろ!
/|         /\   \__________


26 :渡海 難 :2000/10/08(日) 22:38
<急に静かになったね。しばらく静粛にして人の話をしっかり聞こうという気になったのかな。いい傾向かも知れない(笑)。>

 「浄業機彰れて、」

 親鸞の主張は分かりにくいところがある。浄業機とは何か。何が現れて釈迦は韋提に安養を選ばせたのか。
 安養とは、安養浄土つまり極楽浄土だと思う。観無量寿経で韋提希夫人は「我いま極楽世界の阿弥陀仏の所に生まれんと楽(ねが)う」と言っている。それでは浄業機とは何か。ここが問題となる。
 機とは器である。入れ物である。器(うつわ)とは法が宿る場所という意味だ。極悪非道の人間にも、殺戮の戦場にも、真実は宿る。ナイフを持ってバスをハイジャックし、乗客を殺す少年の言葉にも真実は宿る。極悪非道の人間そのもの、殺戮の戦場そのもの、バスをハイジャックした少年の言葉そのもの、いずれも真実を人々に見せてくれる器である。真実は器に収まってその姿を示す。
 真実は器に収まる。真実はどんな器にも入る。真実は器を離れて抽象的には存在しない。真実は、器に収まって人を真実に導く。浄業とは、器に収まった真実が人々を真実に向けて導く働きを言うものだろう。親鸞が言う浄業機とは結局、浄業が備わったそんな器という意味だろうと僕は思う。
 釈迦は、自分を先生と呼ぶ者に向け、様々な器に真実を備える人だったのだろう。起きるべき事件は起きる。我々の世界ではある面でやむを得ないむきがある。釈迦には、起きるべき事件は起きるべくして放置した面があるのかもしれない。親鸞が「逆害を興ぜしむ」と言っているのはそういう意味かも知れない。しかし、釈迦という人は、そんな事件さえ器とする。器にしっかりと真実を備えてくる。真実は、器に収まって仕事する。このとき韋提希は安養浄土に至る道を釈迦に求めた。
 では、安養浄土に至る道を韋提希に求めさせるということには、いったいどういう意味があるのか。親鸞の論理はいかにも飛んでいる。私にはそんな感じがしてならない。

27 :名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 23:20
ゝ‐――――∂――∂――――∂――∂――――ゝ
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         /   / < 渡海教祖ってどうよ?
        /   /   \__________
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     Λ_/Λ  /     Λ_/Λ  /  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( /∀´)/     (´∀` ) / < めっちゃすごいと思う
    (つ   つ     ⊂/   つ   \__________
   ←λ_ ~) ~)ヽ   ←λ_~) ~)ヽ
   ヽー(__)_) ゝ  ヽー(__)_) ゝ ゝ

28 :名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 17:47
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  /|   ⊂⊂ 二   /ζ_ζ   ζ_ζ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( 人  ⊂⊂二   /( ´ー`) ノ ( ゚Д゚)< シラネーヨ!
 ( ノ\  ⊂    / \。゚\  / νν \_______
  ( ゚。ノ\__\  /λλ )λ_λ゚/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (   。ο。(Ο ) ̄ ̄ ( ´∀`)<  神をナメンナー
   ( Ο        。ο。 ̄/    \_______
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  。 ヽU。       。U。。U。


29 :名無しさん@1周年 :2000/10/10(火) 08:12
age

30 :渡海 難 :2000/10/10(火) 22:31
「これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す」。

 何がすなわちなんでしょうね。権化の仁とは、神仏が仮に人間の姿をもって現れてきた方という意味だそうです。権化とは、現代では悪の権化のように悪い意味で使います。仁とは素晴らしい人を御仁とも言いますので、権化の仁とは神々に匹敵するほどの素晴らしい人という意味でしょう。
 これすなわちの「これ」は、何を指しているんでしょう。調達・闍世・釈迦・韋提の全体を指しているのか、釈迦・韋提を指しているのか。釈迦・韋提のどちらか一方を指しているのか、はっきりません。後に「世雄の悲」という言葉が出ていますから、権化の仁には釈迦を含まないでしょう。世雄とは、釈迦を指す言葉です。大無量寿経で、「今日、世雄、仏の所住に住したまえり」と出てきます。
 親鸞の和讃を参考にします。
 釈迦韋提方便して 浄土の機縁熟すれば 雨行大臣証として 闍王逆悪興ぜしむ。
 釈迦韋提方便してとはどういう意味でしょうか。釈迦は韋提に対して手段的手法を使ったという意味ではないでしょう。もしそうなら、「浄土の機縁熟すれば」という言葉が浮く感じです。釈迦韋提方便とは、二人力を合わせて手段的手法を使ったという意味でしょう。浄土教を説く器が出そろったとき、雨行大臣を闍王の見方に付けさせ、手段的手法によってクーデターを起こさせたという意味でしょう。
 こう考えると、権化の仁は、韋提だけを指していると考えられます。韋提は、どうして権化の仁なんでしょう。調達・闍世・韋提を含め、もともとは聖者であり、この人達は仮に人間の姿をとって現れてきたに過ぎないという考えが、古い中国にはあったそうです。この考えを否定したのが中国の善導大師です。親鸞は善導流仏教の流れにありますが、ここは思想が先祖返りした雰囲気があります。
 韋提は、基本的には斉しく苦悩の群萠を救済しようとしていた素晴らしい人格者だった。これが親鸞の読みでしょう。だからこそ、韋提は生涯、釈迦を求めた。釈迦は逆と謗と闡提とに恵みを与えようとしていた。だからこそ、韋提のリクエストに応えた。親鸞はそう言っているのでしょう。逆とは、反逆者という意味です。社会にとって極めて重要な五つのルールのいずれかを破る人という意味です。謗とは、真理を語る法を謗ることを言います。闡提とは、奴隷的最下層カーストを言います。
 親鸞は、当初、浄土教を観無量寿経から学びます。観無量寿経は親鸞にとって浄土教への入門書でした。親鸞は、自らを逆謗闡提という立場に置いて韋提と釈迦に出会い、浄土教を学んできたと言っているのでしょう。

31 :名無しさん@1周年 :2000/10/11(水) 08:15
     ξ
__Λ_Λ__     Λ◎Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| __( | ̄ ̄|)   |    (´Д`; )<渡海難は亡くなりました。
|\ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒\  (\ / ) \____________
|  \           \ |__Ω____|
\  |⌒⌒⌒⌒⌒⌒|(_(___)


32 :ニーチェ :2000/10/11(水) 13:32
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 ( 人  ⊂⊂二   /( ´ー`) ノ ( ゚Д゚)< シラネーヨ!
 ( ノ\  ⊂    / \。゚\  / νν \_______
  ( ゚。ノ\__\  /λλ )λ_λ゚/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (   。ο。(Ο ) ̄ ̄ ( ´∀`)< 軍神、高森先生をナメンナヨー
   ( Ο        。ο。 ̄/    \_______
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    人/ /〜〜〜〜〜| |ノ
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  。 ヽU。       。U。。U。     ξ
__Λ_Λ__     Λ◎Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| __( | ̄ ̄|)   |    (´Д`; )<神は死んだ。
|\ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒\  (\ / ) \____________
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33 :名無しさん@1周年 :2000/10/11(水) 22:59
age

34 :渡海 難 :2000/10/12(木) 13:14
「かるがゆえに知りぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。」

 「かるがゆえに知りぬ」とは、「前述のこういう理由から分かってくる」と言う意味だろう。どういう理由から何が分かってくると言うのだろう。親鸞の文章は難しい。
 教行信証は、文章を読み飛ばしていくと意味が分からなくなる。一字一字注意深く読まないと真意が分からない仕組みになっている。
 難思の弘誓とは、自分を先生と呼ぶ者に真実を教えようという決意、生徒からはほとんど伺い知れない先生の秘めた決意を指す。ここが読めないと、「かるがゆえに」は読めてこないのだ。

「円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智」
 釈尊先生は、先生という名詞を船にし、先生と言う名詞に人々を乗せ、先生の認識界つまり真理の世界に人々を導いていった。これは釈尊先生だけではない。教育者はことごとくそうである。画家は花を先生とし、花に絵画の神髄を学ぶ。科学者は花を先生とし、花に生命の起源を学ぶ。人類学者は猿を先生とし、猿に人間の本質を学ぶ。花に宿る真理、猿に宿る真理、全て同じである。真理は、自らを先生と呼ぶものに向けて真理を明らかにする。
 先生という名詞は、迷いの対立をまどかに融和させる最高の徳を含む。悪に宿ってそれを浄業器とし、徳に変える。親鸞はそう言うのだ。

 「難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと」
 これは一体何を指しているのか。親鸞仏教の原則は釈迦を起点に考える。難信金剛の信楽とは、釈尊先生の心を指す。
 自分を先生と呼ぶ者には間違いなく真理を明らかにしよう。先生の決意は、生涯、揺らぐことはなかった。三五歳で十二因縁の法理に気付かれると、先生は八十歳近くで亡くなるまで現役で教育事業に従事された。「自らの愚かさに気付こう。学ぶ大切さを知ろう。実に一切のものが我々に真実を教えてくれている」。釈尊先生は、こうした認識をご自身も喜びをもって抱きつつ、多くの人々との共通の財産として共感的に共有享受しようと生涯を過ごされていく。先生の教育事業に賭けた決意は極めて強固だった。親鸞は、その決意の強固さをダイヤモンドに例える。余人の想像を超え、喜びを抱きつつ認識し、ダイヤモンドのように強固な心、これが難信金剛の信楽である。釈尊先生の行動は、こうした先生の心から発していた。
 釈尊先生の心、すなわち難信金剛の信楽心は、先生を先生と呼ぶ人々から疑いを除き、証つまり正しい認識を付与していく。釈尊先生の心は、偽りの無い合理的な真そのものであった。親鸞はそんな認識から、偽り無き合理的な真そのものは、文字通り釈尊先生の心と同体の世界にあると観念する。難信金剛の信楽は、花に宿り、猿に宿る真そのものの心である。真そのものの心こそ、難信金剛の信楽心であって、その心こそ、画家、科学者、人類学者から、疑いを除き証を獲しめる真理である。親鸞はそう言うのだ。
 

35 :名無しさん@1周年 :2000/10/12(木) 16:17
/⌒ヽ⌒ヽ
               Y
             八  ヽ
      (  __//. ヽ@`@` @`)
      丶1    八.  !/
       ζ@`    八.  j
        i    丿 、 j
        |     八   |
        | !    i 、 |
       | i し " i   '|
      |ノ (   i    i|
      ( '~ヽ   !  ‖


36 :名無しさん@1周年 :2000/10/12(木) 21:22
  ∧ ∧   カタ       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (@`@`゚Д゚)@`____カタ__<逝ってよし
  / つ._.|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \________
 (@`  |\.||PC9800NX/C |
      \@`@`|============|


37 :名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 09:09
>35
   三十五 「あ! 痛っ」
                    O
                  /
        /⌒ヽ⌒ヽ   /
          /    Y  \/
       /     八  ヽ
       (  __//. ヽ@`@` @`)
      丶1    八.  !/
     / ζ@`    八.  j
   /   i    丿 、 j

           (>_<@`)
            痛    j

38 :名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 11:30
衝撃の画像
http://www.gay.co.jp/vj/videocity/my_gorilla.jpg

39 :渡海 難 :2000/10/13(金) 14:45
 閲覧者の方へ
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40 :名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 15:40
煩悩坊主親鸞は悪魔です.

41 :渡海 難 :2000/10/13(金) 18:26
 悪魔には煩悩はありません。悪事に迷う悪魔は小物です。
 親鸞は坊主ではありません。歎異抄末尾を確認してくださいな。親鸞が僧籍を復権した事実はありません。
 親鸞は無名在俗の凡夫です。歴史を勉強してください。

42 :渡海 難 :2000/10/14(土) 16:30
 重要な論点を忘れていました。議論の順番が前後します。期限もなく、行きつ戻りつしますので、おかしいと思う方がいらっしゃれば、途中で待ったをかけてください。

 「浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ」
 浄邦とは何か。ここが問題になる。縁熟してとは機縁が実ってという意味だろう。浄邦の機縁が実ったとき、調達や闍世にクーデターを起こすことを釈迦は許容されたと親鸞は言う。
 浄邦とは極楽浄土という意味だという説がある。浄邦という言葉は愚禿抄でも使っている。そこでは極楽浄土という意味だ。しかし、浄邦を浄土と解釈すると、縁が熟するというのはおかしい。浄土には、縁が熟してないときと熟した後があるというのか。浄土には変化があるということになると、そこは生老病死する世界ということなる。生老病死する世界は迷いの世界である。
 我々が住むこの現在の世界は、普通あまり「浄」という表現を使わない。ここは迷いの世界であり、穢土である。しかし親鸞は、いまここではその穢土を敢えて浄なる世界として表したい気持ちでいるのじゃないか。この仮説には愚禿抄と矛盾するという批判があるかもしれない。それでも私はいい。我々が住むこの現在の世界は、多くの生老病死があり、多くの苦しみがある。そんな世界であっても、いま、釈迦が出現してその救済を図っている。この素晴らしさはどう呼べばいいのか。親鸞は、その素晴らしさを極楽浄土に投影させて「浄」という言葉に込めているのだろう。釈迦が出現した素晴らしい世界、まさに浄なる世界、ここにさらに素晴らしい機運が到来した。そんな思いを感じるのである。
 釈迦は、調達や闍世にクーデターを起こすことを許容された。釈迦は、クーデター事件を素晴らしい働きを果たす機運とされた。神々に等しい素晴らしさ(権化の仁)で多くの苦しんでいる人々を平等に救おうとしていた韋提希に対し、必死になって窮極の教えである極楽世界への道を質問させた。
 親鸞はそんな受け取りをしているのだろう。

43 :渡海 難 :2000/10/15(日) 21:00
「難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。」

 「証を獲しむる真理なり」
 親鸞仏教の理解の難しさは使役動詞にある。獲しむるとはどういいうことか。使役動詞の主語は信楽である。ちなみに信楽は「しんぎょう」と読む。信楽は真理であるというテーゼと、証を獲しめる主体である。親鸞はこういう主張をしているのだ。使役の客体は何か。これは衆生である。念仏者である。こういう論理は筋を追って丁寧にきちんと考えていかないと、我流の誤解を起こすことになるのである。
 親鸞の思想は釈迦に戻って考えなければいけない。信楽心は釈迦の心だ。ここを見落とすと間違いを起こす。釈尊先生は、自分を「先生」と呼ぶ者に真理を明らかにしようと人知れず(人には信じがたく)決意されていた。だからこそ釈尊先生はお弟子さん達に自分を「先生」呼ばせた。「自分を先生と呼びなさいよ」という先生のこの心こそ、真理そのものの普遍的な心なのだ。花は、自分を先生と仰ぐ画家に絵画の神髄を教えてくる。自分を先生と仰ぐ科学者に生命の起源を教えてくる。「自分を先生と呼びなさい」というこの心こそ、画家に絵画の神髄を得させ、科学者に生命の起源の知見を得させる理法そのものと言うべきである。親鸞はそう考えている。

44 :名無しさん@1周年 :2000/10/15(日) 22:22
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 ( ・∀・) < ガシガシしごけ! (    )
  )   (               | | |
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45 :名無しさん@1周年 :2000/10/15(日) 22:38
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46 :名無しさん@1周年 :2000/10/16(月) 12:21
       Λ_Λ
      ( ´∀`)  ♪あ〜なた〜が のぞむなら
      ( つΘ∩    ♪わたし〜 なにを〜 されてもいいわ〜
       〉 〉|\ \
       .(__)| (__)
         ┴

| じゃ、のぞみどおりに!
 ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧           Λ_Λ   ♪……
 ( ´∀`)          ( ´∀`)‥∵
 (つ===つ==∽∽∽∽⊂( つΘ|二二二二
 | | |            .〉 〉|\ \"∵‥
 (__)_)           (__)| (__) プシュー
                   .┴




47 :渡海 難 :2000/10/16(月) 15:10
カンパのお願い
みなさまへ
渡海 難
平成12年2月

(1) 浄土通信維持のため、経済的な支援をしてくださる方を捜しています。
(2) 最近、浄土通信宛に掲示板、電子メールなどで多くの質問、問い合わせが送られてきます。当方はそれらにできるだけ迅速にお応えしようとしています。
(3) 質問の内容は親鸞仏教の本質に関わる問題が多く、回答に時間をとられています。
(4) 親鸞仏教を将来に向けて正しく語り伝えて行くことは、多少なりともそれを聞きかじってきた者の喜びであり、また責任と考えています。
(5) こちらは自由業とは言え、家族を抱えた生活があります。

(6) 浄土通信を今後も円滑に運営していくには、それなりの経済的なバックボーンが必要になってきました。通信費だけでも相当の額になります。
(7) 目安として、月一回、一口4000円を1口以上あるいは半口、定期的あるいは不定期に、1ヶ月でも2ヶ月でもお送りくださる方がいらしてくださるとまことに幸いです。
(8) もし、今後、ある程度のカンパをいただけるようになると、横浜だけでなく、その他の地方でも浄土通信の「こんにちは会」が開けるようになります。
(9) カンパ金をお送りくださっても、何か特別に特典を差し上げるということはほとんど不可能です。それでも、渡海 難という人物は、インターネットで多少なりとも親鸞仏教を正しく伝えている一人であるとご評価くださる方がいらっしゃると幸いです。渡海 難に今後も発言させてみようとお思いくださって、お心ばかりでも応援くださると誠に幸いです。
(10) 誠に恐縮ですが、浄土通信ライブラリーで平成九年以降の分は、金額の多少に関わらず、カンパ金にご協力いただける旨のご連絡をくださった方にのみパスワードをお知らせします。どなたにも広くお読みいただきたいのですが、経済問題はいかんともしがたく、御了解ください。
(11) 平成九年以前の浄土通信ライブラリー、及び親鸞の思想と教行信証は、一応印刷不能になっております。カンパ金にご協力いただける旨のご連絡をくださった方で御希望の方には、印刷可能のpdfファイルをお送りします。
ご支援をくださった場合、必ず振り込み者名と電子メールアドレスをお知らせください。


48 :渡海 難 :2000/10/16(月) 17:07
>47
 不愉快です。
 これは渡海 難が自分のHP浄土通信に掲示しているものです。
 渡海 難のHNを使って渡海 難のHPの一部を勝手にコピーしないでください。
 文章の内容に変更は無いようですので、これは著作権の侵害です。
 渡海 難は2CHでカンパの呼びかけをお願いをするつもりはありません。
 全くもって不愉快です。

49 :渡海 難 :2000/10/16(月) 21:33
 最近、大変多くの方々がこのスレッドに注目して見てくださっているので、心強く思っています。その方々には、心から感謝いたします。 m(_ _)m

 なお、その一方で「渡海 難」のHNで私以外の方が信じられない書き込みをくり返しています。平成12年10月16日 20時以降の渡海 難の本人の書き込みは、当分の間、随時、自分のHP浄土通信インターネット「渡海 難 発言録」に記録していきます。
 渡海 難の本人の書き込みかどうかはそちらでご確認ください。
    http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/

「しかれば、凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なり」。

 「しかれば」とは「しかあれば」という意味だろう。そうであるならば、つまり前記のことが正しいならば次のことが言えるというのだ。何が言えるのか。「凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なり」。ここで親鸞は三段論法を使っている。ところが、よく考えてみると、これは尋常の三段論法ではないようだ。私には、論理が飛んでいるように思えてならない。飛んでいるところは埋めて考えていきたいと思う。
 親鸞は言う。凡小にとっては修行しやすい真実の教えであり、愚鈍にとっては往き易い捷径である。凡とは凡夫をいう。常人、普通の人という意味だ。小とは小乗仏教を学ぶ人々をいう。自分個人の能力の向上を目的に学ぶ人々をいう。愚とは愚人つまり愚かな人、鈍とは文字ではにぶい人という意味だが、失敗ばかりしている人々というような意味だろう。
 普通の人、自己の能力の向上を目指す人、こういう人にとっては非常に手頃な真実の教えである。愚かな人、失敗ばかりしている人にとっては進んで行くには手頃な近道である。親鸞はそう言う。
 凡小には「修」という字を当てている。愚鈍には「往」という字を当てている。凡小には「真教」という字を当てている。愚鈍には「捷径」という字を当てている。さらに、親鸞のこの発言には主語が抜けている。凡小にとっては、何が真教であるというのか。愚鈍には何が捷径であるというのか。親鸞の論理は途中が抜けている。
 親鸞にとって真教は修の対象である。親鸞は直前に、「円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なり」と、言っている。修の対象となりそうなのは嘉号だ。真教とは嘉号を指していると考えられる。円融至徳の嘉号は、凡小にとって修し易き真教であるというのだろう。捷径とはなにか。それは、円融至徳の嘉号と対句となる難信金剛の信楽を言うと考えていい。
 円融至徳の嘉号は修し易き真教であるという。果たしてそうだろうか。嘉号を修すとは、何か。南無阿弥陀仏と念じると言うことだ。南無阿弥陀仏を念じるとはどういうことか。「王いま座禅してただ当に念仏すべし」。これは行の巻の言葉だ。念仏は座禅して称えるのが原則だ。座禅して称えるというのは簡単なことじゃない。僕の場合かなり気持ちをそちらに向けないとなかなかその気にならない。易いというのとは、僕の実感とは距離がある。念仏は決して易しいものじゃない。ただ、やろうとすれば出来る範囲であることは間違いない。僕は、やろうと腹に決めて実行する。修し易いとは、「やろうとすれば可能な行である」という意味で言っているような気もする。
 真教とは何か。大乗仏教にとって真教とは、大乗の仏になる教えという意味だ。大乗の仏になるとはどういうとか。非常に重要な問題だが、ここでは論点が大きすぎるので扱わない。
 愚鈍にとって信楽は捷径であるという。信楽とは釈迦の心だ。心が道であるとはどういうことか。愚鈍は、何が真で何が誤りかは判断できない。愚鈍は示されるまま示されたところを忠実に踏襲していく他はない。「自分を先生と呼びなさい」と説いた釈尊先生のその心をそのまま踏襲していこう。愚鈍にとっては鵜呑みにして進むのが真実に至る早道だ。親鸞はそう説く。
 普通の人、自己の能力の向上を目指す人、愚かな人、失敗ばかりしている人、みんな同じだ。「自分を先生と呼びなさい」と説いた釈尊先生のその心に従っていこう。親鸞はそう言っている。

50 :名無しさん@1周年 :2000/10/16(月) 23:59
                       γ___
                      /      \
                     /        ヽ
                     ( ((|__|____|__||_| ))
                     ( ((  □━□  )
                     (6    J  |)
   .;".;":               .ヽ  ∀ ノ
         .;".;":             - ′     Λ
.;   ″: .;".;"         /⌒` ┘  └⌒ヽ.、│)\ +   .;".;
                   /    \\ / /   │) │
                  /    人  .\‖/   . │) ノ
               ΛΛ- ⌒ /|  ;  ‖;* ′((~ξ)   .;".;
               (。 。 ))ノ  l*  . ‖・ ,イ  ー
               ∪∪|  |;   ‖   |      .;".;":
                .|;|  |   *‖   │.;".;   .;".;":
 ゴオ ォ    ォ ォ   .|・|  l     ‖ .;".;": オォ     オ
      オ ォ    ォ  ∪∪   l    /″: .;".;"″: . オ ォ".;": ".;
     .;".  : .;″: .;".;"″: .       .;".;
.;″: .;".;": .;   ″: .;".;"″: .  .;".;":       .;".;
.;″: .;".;":


51 :閻魔大王 :2000/10/17(火) 09:20
親鸞会員 No50 姓名不肖 首吊り自殺
                       ||
                     Λ||Λ
                    ( /⌒ヽ
                     | | |
                     ∪ / ノ
                      | ||
                      ∪∪

   ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (;゚д゚)< ごじゅうばぁーん
 (___ノ   \__________
   Λ_Λ    //″: .;".;"″:
  ( ´∀`) /|五十八番は無間地獄に落とす。!
  ( モリ つЯ\| 大焦熱地獄を歩かせる!特別刑、千大劫とす。
  | | |    \\  .;".;":     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ      .;".;":  | 異議なし!賛成!.;".;": オォ
 ̄| | ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ヽ |ΛΛ ΛΛ ΛΛ Λ \ チンポも落とせ!。.;".;": 
 | |     | |   | |ΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛ   \______.;".;": オォ
\ ̄  ̄ ̄ ̄   ̄ ̄ ゚Д゚(゚Д゚)゚Д゚(゚Д゚)゚Д゚(゚Д゚) )   .;".;": オォ
                              .;".;": .;".;": .;".;": .;".;":
.;".;": .;".;": .;".;": .;".;": .;".;": .;".;": .;".;": .;".;":


52 :閻魔大王 :2000/10/17(火) 09:25
                       ||
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  (;゚д゚)< ごじゅうばぁーん
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  ( ´∀`) /|五十番は無間地獄に落とす。!
  ( モリ つЯ\| 大焦熱地獄を歩かせる!特別刑、千大劫とす。
  | | |    \\  .;".;":     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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53 :ゲスト :2000/10/17(火) 12:29
一通り読ませていただきましたが、親鸞さんの教えというのは難しいですね。
とても当時の庶民に理解できたとは思えない。一般信者には文盲の人もずいぶん
含まれていたでしょう。そういう人々が親鸞さんに惹かれたというのは、多分
教学の立派さではなくて、親鸞さんの行動からにじみ出るものを感じたからと
いう気がします。

妙好人のように、教学など知らなくても「南無阿弥陀仏」を実践して見せた人は
いるように思います。もともと、釈尊の説いた教えは簡単明瞭、「悪いことをなす
な」(法句経)だけでした。本当の仏道とは、字を知らなくても実践できる道の
はずです。もし親鸞さんの教えに釈尊が説き忘れたような真理があるとすれば、
それを難しい用語を使わずに説明するべきだと思います(ちょうど釈尊が弟子に
対して説教したように)。もし、釈尊の教えを反復するだけなのなら、余計に
釈尊の教えをわかりにくくするだけですから、即刻やめるべきだと思います。

私には、ちょうどパウロが自分の教団を拡大する場面に都合のよい神学を作り
あげ、結果的に師匠の教えを排除してしまったように、親鸞さんも道を踏み間違
えた点が否定できないと思います(もちろん、本人の厚意による逸脱ではあります
が)。

54 :名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 15:17
現在、浄土真宗の教義は非常に混乱しています。蓮如以来数百年、一向宗・浄土真宗は恐ろしいばかりに惰眠を貪ってきました。インターネットの時代は待ったなしです。ここに反省がなければ、だれかの安易な言葉で、明日は浄土通信が命取りになっているでしょう。

55 :名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 16:26
ホームページ浄土通信を、<b>無料</b>で外国語に翻訳して下さる方を探しています。
英語、フランス語、ドイツ語、ロシヤ語、あるいは中国語、韓国語、東欧語などに翻訳していただける方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい。

「4000円くらい安いもんだ」とか言っておきながら「無料で」ね…
「通信費がかさむ」とか言いながらこんなところに入り浸っているし

56 :ゲスト :2000/10/17(火) 17:33
ちょっとここのスレとは話題がずれてしまいますが、善導上人にまつわる
逸話として、こういうのを目にしました。ある人が善導上人に「私は悪人
だが、私でも成仏できるか」と尋ね、上人は「阿弥陀如来が保証している
んだから間違いない」と答えると、その人は「それでは」とにこりと笑って
目の前で自殺したそうです。

その人は善導上人の教学を一字一句吟味したわけでなく、人間としての
上人を絶対的に信頼して、自ら命を賭して浄土へ旅立ったのです。私はこれに
複雑な感想を持ちました。宗教における「信」とは、あらゆる種類の疑いを
否定するものです。しかし、それは「盲信」とどこが違うのか。逸話の信者の
ように、一般信者は教義を納得しているわけではない。あるのは上人への信頼
だけです。たぶん、わかろうとしても自分の頭では永遠に理解できない、
だからすべてを投げ出して上人の言うとおりにしよう、という決意だけ
です。

その時に、仮に上人に過誤があって、その結果として多くの一般信者が
浄土に行き損ねたら、その責任はすべて上人に肩にのしかかることにな
るのではないでしょうか。こういった「覚悟」が今の宗教家にあるだろう
か?手にナイフを持った信者が「私は悪人ですが、成仏できますか」と
問うたとき、目をそらすことなく善導上人の答えを繰り返せる人はいるの
だろうか?

一方で、一般人が「盲信」をせまれらるような教義にも問題があると
思います。一般人が理解できないのは、一般人の頭脳に問題があるので
は決してなく、むしろ難解な教義の方に非があります。釈尊の教えは、
どれもこれもわかりやすい比喩で説かれています。また、むつかしい
教義を知らなくても妙好人にはなれますが、教義を理解した人がすべて
妙好人にはなるわけではありません。

57 :渡海 難 :2000/10/17(火) 19:08
53 ゲストさんへ
  こんにちは。スケベな書き込みばかりで多少辟易していました(笑)。こういう書き込みをしていただけるとホットします。

>親鸞さんの教えというのは難しいですね。

 教行信証は難しいんです。親鸞は、作為的に難解化しているようですね。当時、この思想は御禁制の思想でしたから、役人に捕まっても言い逃れができるようなたくさんの仕掛けを忍ばせているんです。仕掛けに騙されないで本意を探っていくということは、僕らが教行信証を読むときの知的な面白さになっています。

>とても当時の庶民に理解できたとは思えない。

 教行信証は当時の庶民を読み手の対象にしてものではありません。承元の法難でちりぢりになった法然門下の再結集を画策した書物で、関東帰りの無名の親鸞などは口も利けないハイランクの旧法然門下に向かって呼びかけています。
 会ったこともない人に読ませるのですから、ものすごい気を遣っています。

>一般信者には文盲の人もずいぶん含まれていたでしょう。

 そういう人々に呼びかけたものとしては和讃と手紙があります。

>親鸞さんの行動からにじみ出るものを感じたからという気がします。

 親鸞は、関東で布教活動にある程度成功しています。京都に対向していた関東で、親鸞は高僧同様に扱われたようです。京都ではほとんど失敗しています。僧籍を剥奪された無名無冠の流浪人の呼びかけに応じる都会人はいなかったでしょう。関東と往来を重ねている商人などには少し支持者もいたようですね。
 親鸞には子供がたくさんいます。親鸞の実子と多すぎるようです。かつて寺は親無し子を育てることも重要な仕事だったようです。関東は法然門下の熊谷直実の地元です。熊谷直実の信用力の元で親鸞は孤児院のような事業をしていたのではないかというのが私の仮説です。

>妙好人のように、教学など知らなくても「南無阿弥陀仏」を実践して見せた人はいるように思います。

「南無阿弥陀仏」を実践して見せるというような人は妙好人でも二流でしょう。

>もともと、釈尊の説いた教えは簡単明瞭、「悪いことをなすな」(法句経)だけでした。本当の仏道とは、字を知らなくても実践できる道のはずです。

 善悪の判断がつかない場合、「悪いことをなすな」は悪魔の教えになりませんか。

>もし親鸞さんの教えに釈尊が説き忘れたような真理があるとすれば、それを難しい用語を使わずに説明するべきだと思います

 釈尊が説き忘れたような真理はないと思いますよ。釈尊は最後に無余涅槃に入られました。やり残しのない、余すことの無い涅槃という意味です。説き忘れたような真理はないでしょう(笑)。

>もし、釈尊の教えを反復するだけなのなら、余計に釈尊の教えをわかりにくくするだけですから、即刻やめるべきだと思います。

 釈迦の原理に忠実に従いながら(原理主義)、時代という時間ファクターを加えて修正する(修正主義)ことは、釈迦教の承継者として当然のことではないでしょうか。

>私には、ちょうどパウロが自分の教団を拡大する場面に都合のよい神学を作りあげ、結果的に師匠の教えを排除してしまった

   ???

>親鸞さんも道を踏み間違えた点が否定できないと思います。

親鸞がどこかで踏み間違えていますか?。

58 :渡海 難 :2000/10/17(火) 19:10
54さんへ
>浄土通信が命取りになっているでしょう。
      −爆笑−

59 :渡海 難 :2000/10/17(火) 19:12
55君へ
>「無料で」ね…「通信費がかさむ」とか言いながらこんなところに入り浸っているし

 55君はいくつの坊やかなー?。大人の世界に参加するのは、ちょっと早すぎるみたいね。
 もう、寝ションベンはしなくなったかなー?

60 :渡海 難 :2000/10/17(火) 19:14
56ゲストさん
>「私は悪人ですが、成仏できますか」と問うたとき、目をそらすことなく善導上人の答えを繰り返せる人はいるのだろうか?

 目なんかそらさないでも成仏できるんじゃないですか。どこか問題ですか?。
 ゲストさんは「仏になる」とはどういうことだと思っていらっしゃいますか?

>むしろ難解な教義の方に非があります。

 どこが難解ですか?。教行信証は作為的に難解になっていますが、原理は極めて分かりやすいでしょう。

>むつかしい教義を知らなくても妙好人にはなれますが、

   そうですか。妙好人になれる。そうですか、そうですか。それは良かったですね。

>教義を理解した人がすべて妙好人にはなるわけではありません。

 そうですか。そうですか。教義を理解した人がすべて妙好人にはなるわけではないんですね。妙好人なんかに僕は興味ありませんけどね。貴方は妙好人になりたいと思っている人なんですか。

61 :KONY :2000/10/17(火) 19:21
本についてですが、現在執筆中途だけ言わせてください。2ちゃんねるでのやり取りも参考にして取り入れたいと思います。

62 :名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 21:16
                        砲   砲
                         \\ \\
                           \\ \\
          / ̄ ̄ ̄ ̄\         \\_\\
         /●  ●     \         ⊆‐‐‐‐‐‐⊇
        /        Y  Y \        ⊆△△△ゞ⊇
       | ▼        |   |  \        ∋刧凵ケ
       |_人_      \/Θ  \∩ ___刧凵@    ▽▽▽▽▽▽
        \___    |   ニ\  /  / IIIII---+ □□□―IIII
         ーーー\__\__//   / III II// //_    III II
               =##= /   /   II II   П 亅亅 III III
             ■  \ _\ ■■■ Θ\IIIII    П 亅亅  IIII \
              〓  \ _  〓〓   ●   ¥¥П  亅亅  Υ  \
              〓〓  \ _ 〓〓   」 ¥¥¥ I〓〓 IIII  Θ \  \
              〓〓   \ _〓〓   \ __− 〓〓 Θ  亅\\ミ 〉
              〓〓    \ 〓〓\   \      \  \  亅  ー
               ⊆⊆     ⊇⊇⊇「 Θ         一一一/
               /  / /      /  //   \ \    /  //
              /  / /       /  //     \ \  /  //
             /  //         /  //       \  /  //
            /  //          /  //       ∈  /  //
           ∈∈ Θ        ∋∋∋Θ     【【【   ∋∋∋Θ
        【 【 【   へ 』      【 【 【  ヘ 』       【 【 【  へ』


63 :ゲスト :2000/10/18(水) 09:28
>善悪の判断がつかない場合、「悪いことをなすな」は悪魔の教えになりませんか。

法句経は釈尊の言葉を収録したもので、すべてが本物とは断言できないものの、初期
の釈尊の教義を知る唯一の手がかりです。その法句経の中に「善」と「悪」は何度も
登場します。法句経は釈尊の口癖を記録したものだということなのですが、釈尊が
この「善」、「悪」を言っていたとき、果たして「悪人正機」的な意味で言っていた
とは思えません。もしそうだとしたら、当時の弟子達は皆「善悪」を曲解していた
ことになります。「悪人正機」の教えはそれから千年以上も後の時代に出てきた概念
ですから。

教義を時代の要請に合わせて「改良」していくことは重要なことだと思います。
しかし、新しい教義を打ち立てる場合には、それまでの釈尊の教えとは矛盾しない
ことを示す必要があります。私が指摘する法句経の「善悪」との問題などです。
あるいは、親鸞さんが自ら責任をもって、「確かに浄土には悪人がたくさん成仏
していたぞ」と霊界通信でもって(笑)証言する必要があります。それができない
限り、神ならぬ「人間親鸞」を無批判に受け入れる(それが「盲信」とどう違うの
か、私にはわかりません)しかない。親鸞さんが切った手形が、あの世で不渡りに
なっている可能性は誰にも否定できません。

宗教が競馬のような「当て物」ということなら、仕方がありませんが。

64 :ゲスト :2000/10/18(水) 10:08
私としては、「〇〇にさえ帰依すれば、無条件に救われる」という類の宗教は
すべて五十歩百歩、たんなる方便の教えだと思っています。〇〇には、阿弥陀如来、
パウロ的な「贖罪のキリスト」が当てはまるでしょう。その時に、〇〇=阿弥陀如来
で、他にはありえない、と断言するだけの証拠が見当たらないのです。残っている
のはすべて「手形の控え」です。阿弥陀如来が実在して、その手形でも残してくれ
ればよかったですが。どこかの空想力溢れた作家が書いた「阿弥陀物語」にすぎない
かもしれない。それは、誰にも否定できない。

本物の宗教とは、「何を崇拝すればよいか」ではなく、「人間はどのように行動すれ
ばよいか」を指し示すものです。この場合、「何を」の部分は意味を失い、〇〇など
どれでも同じだ、という結論に至るでしょう。釈尊の言葉で言えば、「善いことを
し、悪いことをしない」人ならば、何を拝もうと同じ涅槃の仲間でしょうし、イエス
の言葉を借りれば、他人の難儀に手を貸す者が「隣人」で、サマリヤ人もユダヤ人も
関係ないのです。

この問題は、宗教の普遍性という観点から避けて通れないと私は思います。

65 :名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 14:26
               __________________
              /
              |渡海難教祖に帰依しましょう。
              |
              \___________  _____
                                V
                             三三――  \
                             /     \  |
                            / ー   ー  | |
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ               | (・)   (・)  | |
    /   @`――――-ミ              |   L     つ
  /  /  /   \ |               |  __      |
  |  /   @`(・) (・) |                 /_ \ 》  / \
   (6       つ  |                 \  ̄       \
   |      ___  |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |      /__/ / < うるせぇよ!
 /|         /\  \________


66 :名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 15:24
>55君はいくつの坊やかなー?。大人の世界に参加するのは、
>ちょっと早すぎるみたいね。もう、寝ションベンはしなくなったかなー?

いい大人が匿名掲示板の煽りにいちいちカッと来てこんなこと書いているから
ますます荒れるんだろ
坊主よりひどいだろこういう手合いは

67 :名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 15:32
こんにちは。渡海難の書き込みばかりで辟易していました(笑)。こういう書き込みをしていただけるとホットします。

68 :名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 15:37
このスレにはsageを忘れずに、ご利用は計画的に。

69 :渡海 難 :2000/10/18(水) 22:21
63ゲストさんへ
>その法句経の中に「善」と「悪」は何度も登場します。

 そうですか。私も法句経は好きですよ。軽妙な言い回し、簡潔な表現。素晴らしい本ですよね。中村元さんなんかは、法句経が釈迦の肉声だろうというような意味のことを言ってたと思いますね。
 「いいことをしなさい。悪いことをしてはいけない」は、現代でも宗教という立場でも改めて言うべき事でしょうか。宗教が改めて言わなくても、社会的には人間として常識化していませんか。既に常識化していることまで、果たして宗教は取り扱わなければならないんでしょうか。
 昔は、病人の治療も、読み書きそろばん教育も宗教の範疇でした。例えば、ギリシャでは幾何学も宗教の一部だったそうですね。日本でも、古い神社仏閣に行くと、自分が編み出した和算の方法を解いた木板が奉納されているそうです。病人の治療も宗教行為だったですね。それは薬師如来像を見ると分かります。奈良薬師寺の本尊は例外ですが、薬師如来は薬壺を持っています。光明皇后は施療院という病院寺院を建てていますよね。潅漑事業、治水事業も宗教行為でした。弘法大師や行基菩薩は、全国に多くの土木事業を残しています。今では常識になっていることも、お釈迦様の時代に常識ではなかったなら、そういうこともたくさん言わなければいけなかたでしょう。
 「いいことをしなさい。悪いことをしてはいけない」これは当たり前のことだと思いますよ。当たり前のことなら、それはもうそれぞれの当たり前の社会でそれぞれ律していけばいいんじゃないですか。宗教がしゃしゃり出て行って重ねて言うべき問題でしょうか。もし現代でも宗教が重ねて言うべき問題であるなら、それは社会そのものが病んでいるからでしょう。それは宗教どうこうでなく、社会そのものを改革していく必要があると思います。
 仏教は、悪いことをしてもいいとは言っていませんよ。いいことをすべきか、悪いことをすべきか、そんなことは宗教を持ち出さないで、常識で考えれば十分じゃないですか。ただ、我々の社会は、蒸留水の世界じゃない。現実には悪いこともしなければならないこともある。してはいけないことを思わずしてしまった場合、あるいはしないではいられないこともある。その場合どうするのか。「いいことをしなさい。悪いことをしてはいけない」という基準だけでは、動きの取れない場合がある。そのときどうしますか。仏教は、この問題に取り組んでいるんだと思いますよ。

70 :渡海 難 :2000/10/18(水) 22:24
63ゲストさんへ
>果たして「悪人正機」的な意味で言っていたとは思えません。

 あなたは悪人正機説をどのように考えていますか。
 釈尊先生は、悪ことをしないで済む人間、いいことをだけを一生続けられるような絵に描いたような幸せな人、そういう人の味方になるために登場したと思いますか。それとも、時には嘘もつく、思わず人の物も盗んでしまうかも知れない、様々な弱さを引きずった生身の人のために登場してきたと思いますか。
 歎異抄の悪人正機説は、親鸞思想の全体で見るといささか突飛で、議論の余地もあると思っていますが、大筋では大きな間違いはないと思いますよ。

>「悪人正機」の教えはそれから千年以上も後の時代に出てきた概念ですから。

 釈迦は教育者でした。釈迦は多くの哲人賢人を育てました。優れた人は、ほっといても自分だけで進歩していきます。教育が必要なのは、様々な弱さを持った人です。悪人正機は法然が使った言葉だと思いますが、悪人正機の考えは釈迦の思想の中核に既にあったと私は思いますよ。

>新しい教義を打ち立てる場合には、それまでの釈尊の教えとは矛盾しないことを示す必要があります。私が指摘する法句経の「善悪」との問題などです。

 釈尊の教えと矛盾することはいいことか悪いことか、そんなことは私は知りません。たまたまか、作為的かは知りませんが、親鸞の主張は釈尊の教えといささかも矛盾ないと私は思いますよ。

>親鸞さんが自ら責任をもって、「確かに浄土には悪人がたくさん成仏していたぞ」と霊界通信でもって(笑)証言する必要があります。

 貴方の場合、浄土に行くと言うことはどういうことだと思っていますか。

71 :渡海 難 :2000/10/18(水) 22:26
64 ゲストさん

 「〇〇にさえ帰依すれば、無条件に救われる」という類の宗教はすべて五十歩百歩、たんなる方便の教えだと思っています。
       なるほど。

>〇〇には、阿弥陀如来、パウロ的な「贖罪のキリスト」が当てはまるでしょう。
        なるほど

>その時に、〇〇=阿弥陀如来で、他にはありえない、と断言するだけの証拠が見当たらないのです。
        なるほど。私にも見あたりませんね。

>残っているのはすべて「手形の控え」です。
        手形って?

>阿弥陀如来が実在して、その手形でも残してくれればよかったですが。
        残念でしたね (笑)。

>どこかの空想力溢れた作家が書いた「阿弥陀物語」にすぎないかもしれない。
      インド浄土教団の恐らく数人の英知が集い、釈迦をモデルに創作した物語でしょう。

>それは、誰にも否定できない。
      誰かが否定していますか?

72 :渡海 難 :2000/10/18(水) 22:27
>64 ゲストさん
>本物の宗教とは、「何を崇拝すればよいか」ではなく、「人間はどのように行動すればよいか」を指し示すものです。

 私もそうだと思います。燃えさかる火事の建物中では、どこに向かって逃げるかどっちに行くかということが大事なんでしょう。誰を信じるか、何を信じるかなどということは、二の次の問題でしょうね。

>釈尊の言葉で言えば、「善いことをし、悪いことをしない」人ならば、何を拝もうと同じ涅槃の仲間でしょう

  多くの苦しみに満ちた世界の中では、現実には善いことができない、悪いことしかできない人もいるでしょう。そういう人も涅槃の仲間であることがあると思いますよ。

>イエスの言葉を借りれば、他人の難儀に手を貸す者が「隣人」で、サマリヤ人もユダヤ人も関係ないのです。
      ???

73 :渡海 難 :2000/10/18(水) 22:29
>66 さん
>いい大人が匿名掲示板の煽りにいちいちカッと来てこんなこと書いているからますます荒れるんだろ坊主よりひどいだろこういう手合いは

 軽い冗談ですよ(笑)。
 こちらも生身の人間ですから、悲しいときには泣く、嬉しいときや可笑しいときには笑います(笑)。

>67さん
>こういう書き込みをしていただけるとホットします。

 そうですか。そうですか。ホットできて良かったですね。 (゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン

74 :ゲスト :2000/10/19(木) 09:46
>渡海 難さん

丁寧なレスをどうもありがとうございました。

読んでみて、私の意見とさほど違うようには思えなかったというのが正直な感想
でした。もちろん、小さい見解の相違はありますけどね。

>「いいことをしなさい。悪いことをしてはいけない」

「それは赤子にでもわかっている、しかし、それを完全に行える人は稀だ」(誰の
言葉だったか忘れました)なぜ悪が避けられないか、といえば、悪を避けると自分
の欲望を犠牲にしなくてはならないからです。犬のオアズケと同じ状態です。そこで、
釈尊は「お前の欲望なんて実体がないものだよ、そもそもお前という存在そのものが
実体がないのだから」と欲望から離れるように諭したのです。ですから、「悪をなすな」
は命令ではなくて、「そんな無益なこと、やめときなよ」という忠告だと思います。
その忠告が意味するものを完全に理解した人は、素直に欲望から離れることができる
でしょう(人間の生存に必要な最小限度の欲望は別ですが)。

>悪人正機

私は、釈尊もイエスも「悪を避けることができない心の弱い罪人」に法を説いたの
だと思います。しかし、「人間は悪を避けられないものだ」というのを正当化の理由
にして、自分の好き放題に罪を犯す「悪人」と、「できるだけ悪を避けようと努力
したが、結局同じ罪を犯してしまった」と悔悟の涙にくれる「悪人」とは一緒にする
べきでないと思います。私の解釈する「悪人」は後者だけです。

また、「人間は悪を避けられないものだ」というセリフは「だから、これは悪とは
言えないんだ」という風に展開できます。つまり、心の底では「自分は善人だ。
なぜなら、これ位の悪などやる資格が人間にはあるから」と思っている。
これでは「善人」と「悪人」が逆転してしまいますので、これを称して親鸞さんは
「ましてや悪人は(成仏する)」と言ったのだと思います。

>多くの苦しみに満ちた世界の中では、現実には善いことができない、悪いこと
>しかできない人もいるでしょう。

どうしても悪がやめられない人は、本当に釈尊の教えを理解していないからです。
アル中の人が2人居て、医者から説明を受ける。「貴方たち、今アルコールをやめ
れば命は助かりますからね、是非やめなさい」。一人は禁断症状に耐えて見事、
アル中を克服する。他方は結局やめられずに犠牲となる。

後者がなぜやめられないか、というと、自分が死んでしまうという深刻さを理解し
ていないだけです。何か他人ごとだと思っているのですね。嫌なことは忘れてしま
おう、という回避の心理があるのです。「悪いことをして五体満足で地獄へ落ちる
よりも、悪いことをする右手を切り落として天国にはいる方がいい」、右手を切り
落とすまで死後の生命を深刻に受け止められるかどうか、ということ、それだけの
違いだと思います。

人間、本当に「死ぬ気」になれば、何でもできるものですよ。できないのは、死ぬ
ことの恐ろしさが理解していないか、釈尊の言うことなどそこまで真面目に聞く
つもりない、楽して極楽に行けるなら話は別だが、と考えているかのどちらかです。



75 :渡海 難 :2000/10/19(木) 16:54
74 ゲストさん
>自分の欲望を犠牲にしなくてはならないからです。
     なるほど。

>忠告だと思います。
     なるほど。

>完全に理解した人は、素直に欲望から離れることができるでしょう

 その忠告が意味するものを完全に理解出来ない人は、永遠に欲望から離れることができないわけですね。それで、完全に理解した人が素直に欲望から離れることができるかどうか、それは完全に理解してない人でも分かるわけ?。
 ゲストさん。ひとつあなたが完全に理解してみてくださいな。そのとき素直に欲望から離れることができるかどうか分かるでしょう。論より証拠、能書きだけじゃ、他人は信じない。

>「人間は悪を避けられないものだ」というのを正当化
    人間は悪を避けられないものだというのは、不当なことでしょうか。

>私の解釈する「悪人」は後者だけです。

 好き放題の「好き放題」という言葉は、想像も出来ないほどの茫漠たる様々な概念が含まれていそうです。様々な悔しさ、悲しさ、怒り、絶望、無知、無関心等々が含まれているでしょう。こういうものを「好き放題」という言葉で一括していいものでしょうか。
 悔悟の涙にくれる人もいる。悔悟の涙さえ出ない人もいる。悔悟の涙にくれさえすればそれでいいんだというものでもないでしょう。類型学的な粗雑な議論のような印象を受けますね。

76 :渡海 難 :2000/10/19(木) 16:55
74 ゲストさん
>「それは赤子にでもわかっている

 赤子にでもわかっているなら、宗教がわざわざ取り扱わなければならないようなものじゃないでしょ。
 宗教によっては商売繁盛を問題にするところもあるそうです。商売繁盛なら、宗教でなく、経済学に任せればいいでしょう。交通安全を問題にするところもあるそうです。交通安全なら、宗教でなく、法律、工学、行政に任せればいいでしょう。
 善を行え、悪をするなということは、法律・倫理に任せれば十分だと思いますよ。

>犬のオアズケと同じ状態です。
    ???

>釈尊は「お前の欲望なんて実体がないものだよ、そもそもお前という存在そのものが実体がないのだから」と欲望から離れるように諭したのです。

 存在そのものが実体ないなら、悪を犯すということ事態も夢幻ではないんですか。悪を犯すということにも実体はないんでしょ。実体が無い存在者が、実体のある悪を犯すということがあるんですか。悪に実体がないなら、悪を犯しても責められることじゃないように思いますね。貴方の論理ではどうなりますか。実体が無いというのは嘘で、本当は実体があるのでしょうか。実体がないとはどういうことだと貴方は思いますか。

77 :渡海 難 :2000/10/19(木) 16:56
74 ゲストさん

>命令ではなくて、「そんな無益なこと、やめときなよ」という忠告だと思います。

 悪を犯すということ事態も所詮夢幻なら、「そんな無益なこと、やめときなよ」と言うことだって大きなお世話じゃないですか。悪を犯しても夢幻、犯さなくても夢幻。どっちも無益なんでしょう。無益なら、犯しても犯さなくてもいい。そういうという理屈にはなりませんか。貴方の論理で。

>その忠告が意味するものを完全に理解した人は、素直に欲望から離れることができるでしょう(人間の生存に必要な最小限度の欲望は別ですが)。

 存在自体が実体のないものなら、欲望も実体が無い。素直さにも実体はない。理解することも、理解しないことも実体はない。素直に欲望から離れようが、離れまいが実体がない。実体がないならどうでもいいことじゃないですか。それとも、人間の生存に必要な最小限度の欲望は、実体があることなんですか?

>私は、釈尊もイエスも「悪を避けることができない心の弱い罪人」に法を説いたのだと思います。

 なるほど。ところで、心の弱い罪人も心の強い罪人も実体はない。それとも、心の弱い罪人は実体が無く、心の強い罪人は実体がありますか?

>「人間は悪を避けられないものだ」というのを正当化の理由にして、自分の好き放題に罪を犯す「悪人」と、「できるだけ悪を避けようと努力したが、結局同じ罪を犯してしまった」と悔悟の涙にくれる「悪人」とは一緒にするべきでないと思います。

「自分の好き放題に罪を犯す悪人」と「悔悟の涙にくれる悪人」とは、何か実体的な相違があるんですか?

78 :渡海 難 :2000/10/19(木) 16:58
74 ゲストさん
>また、「人間は悪を避けられないものだ」というセリフは「だから、これは悪とは言えないんだ」という風に展開できます。

 これは貴方の論理でしょう。
 悪とは言えないなら、悪などは存在しないつまり避けるべき悪などは存在しないという結論になりませんか。避けるべき悪などは存在しないなら、避ける必要もない。人間は悪を避けられないものという前提もおかしくなりますね。実体がないなら、善も悪も無いでしょう。

>つまり、心の底では「自分は善人だ。なぜなら、これ位の悪などやる資格が人間にはあるから」と思っている。
     これは貴方の想像ですね。心の底などは本当は誰にもわからない。

>これでは「善人」と「悪人」が逆転してしまいます

 これは貴方の価値感ですね。「善人」と「悪人」とにどうして実体的な相違があるのですか。

>これを称して親鸞さんは「ましてや悪人は(成仏する)」と言ったのだと思います。
      ??

>どうしても悪がやめられない人は、本当に釈尊の教えを理解していないからです。

 貴方が本当に釈尊の教えを理解すれば済むでしょう。釈尊の教えを理解するのもしないのも、他人は好きずきじゃないんですか。釈尊の教えを理解していなくても、責められることは無いでしょう

79 :渡海 難 :2000/10/19(木) 16:59
74 ゲストさん
>自分が死んでしまうという深刻さを理解していないだけです。
>何か他人ごとだと思っているのですね。
>嫌なことは忘れてしまおう、という回避の心理があるのです。
>「悪いことをして五体満足で地獄へ落ちるよりも、悪いことをする右手を切り落として天国にはいる方がいい」、右手を切り落とすまで死後の生命を深刻に受け止められるかどうか、ということ、それだけの違いだと思います。

 実体のない貴方の想像ですね。

>人間、本当に「死ぬ気」になれば、何でもできるものですよ。

 それでは貴方がまず、死ぬ気で実践してみてくださいな。論より証拠。能書きよりも貴方が自分の一生を賭けた実証が大事でしょう。

>できないのは、死ぬことの恐ろしさが理解していないか、釈尊の言うことなどそこまで真面目に聞くつもりない、楽して極楽に行けるなら話は別だが、と考えているかのどちらかです。

 人には様々な器があるでしょう。どちらかなどと2つに区分しないで、物事は多元的に考えましょう。他人を心配することより、貴方はまず、自分が死ぬ気で実践してみることが大事ですね。能書きの宣伝よりも、貴方が死ぬ気で実践して立証したことが真実なんですよ。死ぬ気で実践してみれば、貴方の言うことも変わってくるかも知れません。それに伴って他人の意見も変わってくるでしょう。

80 :名無しさん@1周年 :2000/10/19(木) 17:08
ところで「善」と「悪」はどこで分けるんだ?
少し悪い人、かなり悪い人、ほどほどにいい人・・・
どう区別してるんだ?
立ち小便したら「悪」か?
無人島に一人でいたら、何をしてもOKじゃねーか。
根本的にオカシイんだよ。

81 :ゲスト>80 :2000/10/20(金) 09:08
答えやすい問題から先に。

創世記のアダムとイブの楽園追放の話は、人間が知識の木の実を食べて、人間の分別
で「善悪」を勝手に決めたために、神から離れることになった、もともと「善悪」など
ないのだ、という意見を言う人がおります。

では、こんな場合はどうですか?知識の木の実を食べる前に、アダムがイブを食べて
しまったら。その行為には「善悪」はない?さらにアダムが自殺をしてしまったら?
人間の歴史は終わってしまいますね。それはアダムの勝手だからやはり「善悪」は
存在しないのですか?

高性能の爆弾で宇宙ごと吹き飛ばす。それは「悪」ではありませんか?

82 :ゲスト>渡海 難 さん :2000/10/20(金) 09:29
>存在そのものが実体ない

そういうことを釈尊が説いているのですか?いくら存在を否定しても、
原子は無くなりませんよ。それは釈尊の「空」を曲解しているだけです。
人間の体の炭素原子は、死後に分解されて二酸化炭素になり、植物の材料
として活用できる。宙をさまよう霊魂がその炭素原子を見つけて、これは
俺の体だから返せ、といえば釈尊は「この世のすべてのものは変化を免れな
い。お前の体も変化したので、実体とは呼べないのだよ」と諭すでしょう。
だけど、炭素原子が存在しない、というのは拡大解釈です。

>「自分の好き放題に罪を犯す悪人」と「悔悟の涙にくれる悪人」

私の使う「涙」はすべて象徴的です。それが「悪」だから避けようと
したが、結局できなかった、という努力があるかどうかです。ちょっと
ニュアンスが異なりますが、故意の殺人と、業務上過失致死の差です。

>それでは貴方がまず、死ぬ気で実践してみてくださいな。

私なりにやっているつもりです。何も最初から完全を目指す必要はない。
昨日よりも今日、一歩一歩「仏」の境涯に近づけばいい。人の言葉に対して
10回、昨日は腹を立てたのなら、今日は9回になるように努力すればいい。
そういう努力は、「悪人が善を目指す」努力です。もともと、善などない
というなら、そういう努力は無駄ということになるでしょうが、私はそうは
思いません。もちろん、釈尊の言葉(法句経)とも矛盾しません。

もともと、自分という存在も、「善悪」も一切存在しないのなら、誰に向かって
何のために釈尊は「悪をなすな、善をなせ」と説いたのですか?

83 :ゲスト :2000/10/20(金) 09:42
>悪人正機について

ソクラテスと弟子の問答の中に、こういうのがあります。不正確な引用に
なりますが、ニュアンスだけでも。

ソ「君は何のために学問するのかね」
弟「偉い人になりたいからです」
ソ「では、学問する人は偉いのかね」
弟「そうだと思います」
ソ「偉いのなら初めから学問などいらないだろう。だから学問する
人は愚かなんだよ」

この学問を「善の実践」、偉い人を「善人」、愚かな人を「悪人」と
置き換えると、

「人が(仏道を歩んで)善の実践をするのは、善人であるからでなくて
悪人だからだ」ということになります。

人は自分が悪人だと認識したから、仏道に入って精進するのです。その
中身は当然、「善の実践」以外には考えられません。屁理屈をこねて、
「そもそも偉い人と愚かな人などという区別はない」などと言えば、
ソクラテスから「このソフィスト(詭弁家)め」と叩き出されるでしょう。


84 :渡海 難 :2000/10/20(金) 17:40
 ゲスト
>釈尊は「お前の欲望なんて実体がないものだよ、そもそもお前という存在そのものが実体がないのだから」
>釈尊は「この世のすべてのものは変化を免れない。お前の体も変化したので、実体とは呼べないのだよ」と諭すでしょう。

 この世のすべてのものは変化を免れない。お前は善を行ったと思っているかも知れないが、結果は悪いかも知れない。お前は悪を犯したと思っているかも知れないが、結果は善いかも知れない。この世のすべてのものは変化を免れない。永遠の善などは存在しない。永遠の悪などは存在しない。
 お前はいま、自分は人間と思っているかも知れない。そのお前でもいつ、ケダモノの心でケダモノの行動を起こすようになるかも知れない。ケダモノの心でケダモノの行動を起こせば、それは立派にケダモノだ。ライオンがシマウマを食い殺すことは悪だろうか。狼が羊を襲うことは悪だろうか。およそ善悪とは、人間の世界の話だ。ケダモノの心でケダモノの行動を起こすケダモノには、善もない。悪もない。自分から選んで人間に生まれる者はいない。同じように、自分から選んでケダモノになるものものいない。すべて偶然による。
 ひとは絶えずたえず心と行動を変える。人間的な心で人間並の行動をしていた人間が、次の瞬間には有頂天になる。天の心で天人のような自在な行動を起こす。天才という。天才も、次の瞬間には地獄で塗炭の苦しみをなめる。この世のすべてのものは変化を免れない。絶対の善もなければ、絶対の悪もない。永遠のものはない。

>故意の殺人と、業務上過失致死の差

 故意の殺人と業務上過失致死には、どういう実体的な相違があるのでしょうか。被害者は犯罪者を故意殺人と訴える。検察官は業務上過失致死として起訴する。被害者は怒りをマスコミに訴える。世論に押されて法律が変わる。次の事件で、検察官は故意殺人で起訴する。そういうこともあるでしょうね。

85 :渡海 難 :2000/10/20(金) 17:42
 ゲスト

>私なりにやっているつもりです。

 そうですか。結構でしょう。「私はやっている」と言う場合と、「私なりにやっているつもりです」と言う場合とには、ここにこそ何か実体的な違いがあるようにも感じますね。

>何も最初から完全を目指す必要はない。

 そうでしょうね。でも「目指す必要はない」と、「死ぬ気になる」いうのとは、何か実体的な違いがあるようにも感じますね。

>そういう努力は、「悪人が善を目指す」努力です。
        この程度は、凡人が善を目指す努力だと思いますよ。

>もともと、善などないというなら、そういう努力は無駄ということになるでしょうが、私はそうは思いません。

 なるほど。そうですか。結構でしょう。でも、善など求めても、努力は無駄ということになることもあるでしょう。この世のすべてのものは変化を免れないんですよ。ただ、善求めれば、たとえ努力は無駄になっても、求めたこと自体は、尊いと評価できるでしょう。仮に結果は無駄になっても、善を求めていたと言うことは、結果の如何に関わらず、お釈迦様は尊いと仰ってくださるでしょう。

>何のために釈尊は「悪をなすな、善をなせ」と説いたのですか?
        これは次回。

86 :渡海 難 :2000/10/20(金) 17:42
 ゲスト

>人は自分が悪人だと認識したから、仏道に入って精進するのです。その中身は当然、「善の実践」以外には考えられません。

 いろんな価値感の方はいらっしゃるでしょう。
 「『悪人だと認識した』つもりになった悪人が」、自己満足の独りよがりの仏道にはまり込み、精進しているつもりになっている人もいるでしょうね。人はいろいろでしょう。
 「独りよがりの仏道にはまり込んでない」と、私は自分をそう言ってるつもりはありませんよ。『自分は仏道に入って精進している』と思った瞬間のところに、思いも懸けない仕掛けが仕掛けられていることに私は注意したいんです。

>ソクラテスから「このソフィスト(詭弁家)め」と叩き出されるでしょう。

 「この詭弁家め」と叩き出される悪人もおり、「この詭弁家め」と叩き出す悪人もいる。「この詭弁家め」と叩き出される善人もおり、「この詭弁家め」と叩き出す善人もいる。
 この世のすべてのものは変化を免れない。

87 :渡海 難 :2000/10/21(土) 07:23
>>何のために釈尊は「悪をなすな、善をなせ」と説いたのですか?
>これは次回。

 しばらく熟慮しました。考えても考えても分からない理由がやっと分かりました。
 無限の宇宙の一角を耳掻きですくい上げることはできません。
 仏陀の心は宇宙のように奥深く、私のような軽薄者が耳掻きでほじくるようにこちょこちょと考えてみても太刀打ちできる相手ではありませんでした。
 m(_ _)m

88 :ゲスト :2000/10/21(土) 15:59
せっかく書いた長文のレスが、謎の誤作動で消えてしまいました(ToT)。

>渡海さま

見解の相違の原因は以下の2つだと思います。

1)この世に「絶対的な善悪」があるかないか(宇宙を滅ぼすことは悪でないか)
2)善悪とは行動の結果ではなく、むしろ心の状態だと私は考えていること
(人を殴るのが悪いのは、その憎しみが故です。さそりが這っているのを見つけて
払おうとして、誤って顔を殴った場合は「善」だと私は思うし、事情を説明すれば
殴られた相手も納得します。善悪は、人を殴ったことではなくて、殴る動機、あるい
は心の状態にあります)

私見ですが、釈尊もイエスも「心の善悪」の問題を扱っていると思うのです。
だから、表面的な「善行」をやって「心」をなおざりにしたパリサイ人が攻撃され
た。釈尊が教え諭したのも、「心」の持ち方です。もし、「むさぼり」が食事の
量で決まるのなら、現代の日本人はすべて「むさぼり」を犯しています。でも、
実際には梅干ひとつを争ってむさぼる人もあり、豪華な食事を楽しみつつもむさぼ
らない人もいる。すべて、心の状態如何です。

89 :名無しさん@1周年 :2000/10/22(日) 16:02
  ΛΛ / ̄ ̄              ̄ ̄\  ΛΛ
 ̄( ゚Д゚)< イッテヨシ!             イッテヨシ!>(゚Д゚ ) ̄
 ̄U U  \__              __/  U U ̄
  ΛΛ / ̄ ̄              ̄ ̄\  ΛΛ
 ̄( ゚Д゚)< イッテヨシ!             イッテヨシ!>(゚Д゚ ) ̄
 ̄U U  \__              __/  U U ̄
  ΛΛ / ̄ ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  ̄ ̄\  ΛΛ
 ̄( ゚Д゚)< イッテヨシ!| 叩き殺す!!   | イッテヨシ!>(゚Д゚ ) ̄
 ̄U U  \__ \_ _____/  __/  U U ̄
  ΛΛ / ̄ ̄  ∨@` ⌒⌒\       ̄ ̄\  ΛΛ
 ̄( ゚Д゚)< イッテヨシ!  ((ll.l__ll))) .)     イッテヨシ!>(゚Д゚ ) ̄
 ̄U U  \__   ((l ロ-ロl)     __/  U U ̄
  ΛΛ / ̄ ̄ @`ヽ、 ヽ ∀ノ        ̄ ̄\ ΛΛ
 ̄( ゚Д゚)< イッテヨシ!| | (    )      イッテヨシ!>(゚Д゚ ) ̄
 ̄U U  \__ |  |   ̄        __/  U U ̄
  ΛΛ / ̄ ̄ ΛΛ            ̄ ̄\ ΛΛ
 ̄( ゚Д゚)< イッテヨシ!( ゚Д゚)          イッテヨシ!>(゚Д゚ ) ̄
 ̄U U  \__ U ~Λ         __/  U U ̄
  ΛΛ / ̄ ̄ / ̄   ̄ ̄\      ̄ ̄\ ΛΛ
 ̄( ゚Д゚)< イッテヨシ!| 無理するな。|     イッテヨシ!>(゚Д゚ ) ̄
 ̄U U  \__ \____/     __/  U U ̄
  ΛΛ / ̄ ̄                 ̄ ̄\ ΛΛ
 ̄( ゚Д゚)< イッテヨシ!              イッテヨシ!>(゚Д゚ ) ̄
 ̄U U  \__              __/  U U ̄
  ΛΛ / ̄ ̄                 ̄ ̄\ ΛΛ
 ̄( ゚Д゚)< イッテヨシ!              イッテヨシ!>(゚Д゚ ) ̄
 ̄U U  \__              __/  U U ̄



90 :渡海 難 :2000/10/22(日) 19:20
>この世に「絶対的な善悪」があるかないか(宇宙を滅ぼすことは悪でないか)

 宇宙を滅ぼすことは何人にも不可能でしょ。宇宙を滅ぼすことは何人にも不可能ならば、絶対的な悪は存在しない。貴方の理屈はこんな議論になるんでしょうか。伝染病が蔓延して細菌が人類を一人残らず殺し尽くせば、細菌は悪を犯したことになるのでしょうか。意味ある議論とは思えません。

>さそりが這っているのを見つけて払おうとして、誤って顔を殴った場合

 払った人が不注意ということもあるでしょう。事情を説明すればするほど、軽率な悪質ぶりにますます怒り出す相手もいるでしょう。

>善悪は、人を殴ったことではなくて、殴る動機、あるいは心の状態にあります

 お前の体も変化したので、実体とは呼べないのだよと諭すでしょう。

>私見ですが、
      これに限らず、一つ残らず私見でしょう。

>釈尊もイエスも「心の善悪」の問題を扱っていると思うのです。だから、表面的な「善行」をやって「心」をなおざりにしたパリサイ人が攻撃された。

 イエスによるパリサイ人攻撃は、浮ついたお調子モンの宗教屋が、既成宗教に阿呆なからかいをしかけたということでしょう(笑)。身の程知らずにからかっているイエスも馬鹿でしょう。
 <イエスのアホぶりは2CHの渡海にそっくりだって? どうも済みません m(_ _)m>

>すべて、心の状態如何です。
      心次第で善になったり悪になったり。この世のものは変化を免れないということでしょう。

91 :名無しさん@1周年:2000/10/23(月) 12:40
渡海 難よー。あー、マジ氏んでほしいよ。
こんにちわ会やってくれよ。
オレぜったい行くからさー。今だったら沢山集まるんじゃねーの。
早くやれよ!オイ!はやくー!

92 :名無しさん@1周年:2000/10/23(月) 15:19
             \  )
        ___ )/       |
      /     @` −  ヽ    |         /
     /      //  ヽ  ヽ   |         |
    |      /   /    \ |         |
    |      |    | | | ) ) )` |        /
   |      |    |ノノノノノノ   /        |
    |     |   | 、 l@` |_   |         \
    ゝ    (|   |   ̄  〉 ∩/          |
     \ヽ  .||   | "   ( ̄ ̄/           |
       w 从|l |ll ハ   /~ ̄フ⊃           |
      ヽ/  ||  / ̄ ̄  /〜|           /
    /  \ ̄||‐ l |    /\_/         /
    /     \゛= | |    /  /|         /




93 :名無しさん@1周年:2000/10/23(月) 16:31
             \  )
        ___ )/       |
      /     @` −  ヽ    |         /
     / 知    //  ヽ  ヽ   |         |
    |  ら   /   /    \ |         |
    |  ん  |    | | | ) ) )` |        /
   |  会  |    |ノノノノノノ   /        |
    |     |   | 、 l@` |_   |         \
    ゝ    (|   |   ̄  〉 ∩/ 低       |
     \ヽ  .||   | "   ( ̄ ̄/  林        |
       w 从|l |ll ハ   /~ ̄フ⊃  ○        |
      ヽ/  ||  / ̄ ̄  /〜|  鉄        /
    /  \ ̄||‐ l |    /\_/         /
    /     \゛= | |    /  /|         /

 知らん会は、ちんちんとおっぱいの違いを知らん会

94 :渡海 難:2000/10/23(月) 22:01
「大聖一代の教、この徳海にしくなし。<教行信証>」

 大聖とは釈迦を指す。大聖が釈迦を指す言葉であることは問題ないだろう。大無量寿経の最初の方に、「ややしかなり。大聖、我が心に念言すらく」と言う阿難尊者の言葉がある。親鸞も大聖という言葉は気に入っているようだ。頻繁に使っている
 「一代の教」とは、釈迦が生涯を通じて説いた教えという意味だ。生涯を通じて説いた教えは、この徳海に及ぶものはない。つまり、この徳海が最高位の教えであるという。この徳海とは何か。この徳海とは、真教・捷径を指すものだろう。凡小でも修し易い真教、愚鈍でも往き易い捷径、親鸞はそうした真教・捷径を海に喩えている。海という言葉には、徳という形容を付けている。
 「海」という言葉も、親鸞が好きな言葉であるようだ。海について親鸞は次のように言う。雑修雑善の川水を転じ、恒沙無明の海水を転じて、万徳の大宝海水と成る。様々な悩み、苦しみ、悲しさ、場合によればうれしさ、楽しさもだろう、全てを包んで無限の宝に変えていく。海に流れ込み川には濁った川もある。清らかな川もある。甘い味のする川もあるかも知れない。苦い味の川もあるかも知れない。そうした川の水も、いったん海に入れば等しく海の水にかわる。あらゆるものを飲み込んで限りない宝の世界に変えていく。親鸞は、海のもっているそんな働きを、凡小でも修し易い真教、愚鈍でも往き易き捷径に目撃しているのだろう。

95 :大作:2000/10/23(月) 22:24
僕も中学生のとき小学六年生の妹に遊びの延長ですがいたずらしていました。妹を大好きでした。でも性に好奇心があったことは否定しません。妹をソファ
に寝かせその上に覆いかぶさり、口づけして舌を絡ませ、小さな胸を揉んだり下半身を押しつけたりしていました。妹とのキスは夢のようでした。最初は凄
く拒否していましたが、何回かするうちに僕も妹もキスのやりかたがわかり、その気持ちよさもわかったんです。本当の恋人同士のつもりでした。キスで興
奮していた所に下半身を押しつけていたので、そのままパンツの中で射精しすぐにトイレに駆け込みました。何故トイレに駆け込んだのか、当時の妹が理解
していたかどうかはわかりません。しかし結局ここまででした。何回か試みましたが、服を脱がせるようとするとかなり抵抗されました。これ以上は親にチ
クられると思い本当に不安で、どうしてもできませんでした。僕の妹へのいたずらはこれで終わりました。中途半端にキスだけでも続けていると無理やり襲
ってしまいそうなので、抱き合うのもやめました。 幸い今でも仲の良い兄妹です。キスまで応じていたのだから、あの時もっと
ゆっくり時間をかけて接していれば、そして妹がもう少し成長していればセックスできたかもしれません。今頃妹と二人で暮らしていたかもしれません。妹
との間に子供を作っていたかもしれません。限りなく空想(妄想?)してしまい、大変悔しいです。皆さんももし妹さんが許してくれるならセックスした方が後
悔しないでいいですよ。結婚できなくたって妹と二人で幸せになることはできるんだから。 ここを読み、これを書いているうちに昔の気持ちが蘇ってきました。今は人
妻ですが、なんとか願望を叶えたいと思います。子供を作るのは無理でも、せめてセックスしたいです。


96 :渡海 難:2000/10/24(火) 22:19
 「親鸞仏教の正当性を問う」は、多忙のため本日は休みます。
 皆様の御期待に感謝します。

97 :渡海 難:2000/10/25(水) 21:26
多忙のため休みます。御期待に感謝します。

98 :名無しさん@1周年:2000/10/25(水) 22:29
   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
  /   @`――――-ミ
 /  /  /   \ |
 |  /   @`(・) (・) |
  (6       つ  |
  |      ___  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |      /__/ /  < 誰も期待してねえだろ!
/|         /\   \__________


99 :渡海 難:2000/10/26(木) 08:45
>誰も期待してねえだろ!

 誰も期待してくださってなかったんですか。そうだったですか。そうだったですか。あ、そうですか。そうですか。98番さん、あなたは期待してくださってなかった。あ、そうですか。そうですか。よく分かりましたよ(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
 期待してくださってない方も、期待してくださっている方。期待してくださっている方も、期待してくださっている方。皆様、御同行御同朋なんですよ。

100 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 10:57
>>皆様、御同行御同朋なんですよ。
よく、こんな言葉言えるよなあ。あんたのレス読んで
矛盾していない?


101 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 12:16
>あ、そうですか。そうですか。98番さん、あなたは期待してくださってなかった。あ、そうですか。そうですか。よく分かりましたよ(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン

そろそろ御前のオナニーも見飽きたな。いつも同じパターンだ。頑張ってはやくSEXできるようになれるといいな。まぁ無理かな。いつも一人よがり自分勝手じゃねー。

102 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 13:19

今から約二六〇〇年前、印度に生まれた釈迦によって説かれた仏教は、中国を経由して六世紀になって日本に伝えられた。蘇我氏と物部氏の崇仏派、排仏派の戦いは蘇我氏の勝利に終わり、蘇我氏の一族たる聖徳太子によって、「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」の一七条憲法に見られる如き仏教政治が行われた。法隆寺などの仏教寺院も数多くたてられ、仏像、建物、仏具が美術化し、今日日本文化の源は仏教であるといわれる基礎を築いた。平安時代に入り、最澄、空海が相次いで天台宗、真言宗を開き、比叡山、高野山は共に最高学府として学問の中心が仏教界にあった。特に比叡山は、恵心僧都源信を経て、鎌倉時代に法然をはじめとする傑出した高僧、名僧を続々と輩出した。中世でもっとも影響力を与えたのは親鸞によって体系化された浄土真宗、一向宗であった。その勢いは、八代目蓮如の時に爆発し、わずか四間四方の本願寺が、この世の極楽とまで称せられるほどになり、その教線も全国津々浦々に拡大した。当時としては画期的な布教メディアであった「御文章」(御文)により、聞き求める人は激増し、吉崎御坊は人であふれて参詣制限が出たほどであった*1。そして、かの一向一揆は、信長、家康をまで苦しめ、頼山陽をして「抜き難し南無六字の城」と驚嘆せしめた。

103 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 13:21
聖徳太子が「敬え」と言われた僧侶は、学校の先生となってサラリーマン稼業に忙しく、檀家をまわって「御布施」を集め、門徒が危篤と聞くと「やった、久しぶりに宴会が出来る」と大喜びだという。明るい、活発なイメージなど微塵もなく、若い人は寺・坊主・仏教と聞いてまず近づきたいとは思わない。第一、「坊主」とつく言葉にはろくな物がない。「三日坊主」「生臭坊主」「坊主丸儲け」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といった調子である。いったい、これはどうなったのであろうか。古来、あれほどまでに民衆の上に大きく存在した仏教は、どこにいったのであろうか。どこでどう変わっていったのであろうか。疑問を持つのは不思議ではあるまい。

104 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 13:23
わが国における主な宗教団体名」に掲載されている仏教諸宗派の信者数の総合計は、6@`380万人と全人口の2分の1を占める。このことが多いか少ないかは別として、社会学的にみても、江戸時代の「寺請け制度」の下で独自の発展を遂げ、明治以後は、近代国民国家形成の過程で、政府が「国家神道」というの欧州の「国教会制度」の借り物ともいえるシステムの導入を計ったにもかかわらず、国民生活には、ほとんどこれが定着せずに、当然のことながら、日本の敗戦によって跡形もなく崩壊した。むしろ、もう一方の明治国家の柱である「家制度」と合体した「檀家制度」という日本独自独自の寺院形態の方が定着した。

そもそも、「出家宗教」であるはずの仏教(東南アジアの上座部仏教を見るまでもなく、中国や韓国でも僧侶といえば「出家」を意味している)が、わが国においては、「檀家制度」や「僧侶の世襲」という「在家型仏教」という世界でも類をみない形で発展を遂げてきたことの是非を問うのは、本稿の目的ではないので、別の機会に譲るとしても、僧侶の数の総合計22万人は、わが国の全宗教家の総合計68万人の3分の1に当たり、全寺院の総合計84@`000ヶ寺は、わが国の全宗教施設の総合計23万カ所の3分の1に当たり、最大の宗教勢力である。 

このことから判ることは、まず、全宗教家の3分の1を占める僧侶が、全国民の2分の1に当たるの信者(檀家)を有しているということである。すなわち、単純に計算しても、僧侶の収入は、全宗教家平均の1.5倍あるということである。このことは、以後の考察において基本的な前提となるので、よく心に止めておいてほしい。日本国民185人で1人の宗教家を養っているのだから、仏教だけに限って言えば、278人で1人の僧侶を養っていることになる。この数字は、定まった教義を持たず、不特定多数の氏子を持つ神社神道を別にすれば、教派神道各教団の平均106人やキリスト教系各教団の平均85人と比べても、僧侶はかなり裕福な生活をしていることの証であり、巷間でいわれる「坊主丸儲け」は、一般人の経験的智恵として、合理性を持っていると言える

105 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 13:25
天台宗
天台真盛宗
金峯山修験本宗
天台寺門宗
聖観音宗
和宗
孝道教団
妙見宗
念法眞教
高野山真言宗
真言宗智山派
真言宗豊山派
真言宗大覚寺派
新義真言宗
真言宗善通寺派
真言宗御室派
真言宗山階派
真言宗泉涌寺派
真言宗醍醐派
真言宗国分寺派
真言宗須磨寺派
真言宗中山寺派
真言三宝宗
信貴山真言宗
真言宗犬鳴派
東寺真言宗
浄土宗
浄土宗西山禅林寺派
浄土宗西山深草派
西山浄土宗
浄土真宗本願寺派
真宗大谷派
真宗高田派
真宗仏光寺派
真宗興正派
真宗木辺派
時宗
融通念佛宗
臨済宗妙心寺派
臨済宗南禅寺派
臨済宗円覚寺派
臨済宗建長寺派
臨済宗天龍寺派
臨済宗相国寺派
臨済宗東福寺派
曹洞宗
黄檗宗
日蓮宗
法華宗本門流
法華宗陣門流
法華宗真門流
顯本法華宗
本門佛立宗
本門法華宗
法相宗
聖徳宗
華厳宗
真言律宗
律宗
北海道仏教会連盟
青森県仏教会
岩手県仏教会
福島県仏教会
群馬県仏教連合会
栃木県仏教会
茨城県仏教会
(財)埼玉県佛教会
千葉県仏教会
東京都仏教連合会 神奈川県仏教会
新潟県仏教会
石川県仏教会
福井県仏教会
山梨県仏教会
長野県仏教会
岐阜県仏教会
静岡県仏教会
愛知県仏教会
滋賀県仏教会
京都仏教会
京都府仏教連合会
大阪府仏教会
兵庫県仏教会
和歌山県仏教会
島根県仏教会
岡山県仏教会
鳥取県仏教連合会
香川県仏教会
(社)徳島県仏教会
愛媛県仏教会
高知県仏教会
福岡県仏教連合会
宮崎県仏教連合会
沖縄県仏教会
(社)全日本仏教婦人連盟
(財)仏教伝道協会
(財)日本仏教鑽仰会
(社)日本仏教保育協会
(財)国際仏教興隆協会
(財)仏教振興財団
東京ブディストクラブ
全日本仏教青年会


106 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 13:33
ttp://www.shinrankai.or.jp/
「今日の一日一訓」
   26日

蒔かぬタネは生えぬ
刈りとらねばならぬ
一切のものは 自分の
まいたものばかり

107 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 13:38
(1)ネットワーク利用者の完全免許制。
これは、ネットから不必要に大きな影響を受ける者をあらかじめ識別し、
ネットの利用を引き金に、犯罪を起こさないようにするための措置である。
また、対人コミュニケーション能力についても検査され、
コピペを繰り返すだけで議論ができない人間を排除することが可能になる。

(2)各ネットワーク端末における、脳接続端子の搭載。
前項に従い免許を与えられた者には、脳に直接接続可能な端子を手術に
よって付けるものとし、それを鍵としてネット接続を行うものとする。
これはまた、年齢で人間を区分するものではなく、精神発達の
度合いによって、閲覧者の区分を行うことも可能にする。


以上のような措置を施すことは、奇妙な議論をネット上で展開する
困った人物に対して、極めて有効な措置となるだろう。


108 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 13:41
ボクの幸せを祈ってくで〜〜(*´Д`*)ハァハァ
たのんだョ


109 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 13:46
このスレにはsageを忘れずに、ご利用は計画的に。


110 :渡海 難:2000/10/26(木) 14:38
>100
>矛盾していない?
   はて? どこかに矛盾がありますか?

>101
>そろそろ御前のオナニーも見飽きたな。

 「御前のオナニー」と言われるのは心外ですが、「そろそろ見飽きた」というのはいいことかも知れませんね。何事も山あり谷ありが良い。平坦なのは砂漠ですからね。見飽きることもあれば、再び興味が呼び起こされてくるときもある。健全な証拠でしょうね。

>頑張ってはやくSEXできるようになれるといいな。

 体のこと特に私のSEXのことまで深々とご親切にご心配くださる熱烈なファンの方がいてくださるとは、インターネットは広いですね。渡海 難も捨てたモンじゃないですね。

>いつも一人よがり自分勝手じゃねー。

 堂々と自在に生きているように見えるというお褒めのお言葉として戴いておきましょう。尊いことです。一皮むけば、本当は、悩み不安ばかりなんですけどねー。

111 :渡海 難:2000/10/26(木) 14:40
 「穢(え)を捨て浄を欣(ねが)い、行に迷い信に惑(まど)い、心昏(くら)く識(さとり)寡(すく)なく、悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ。」

 ここでは、親鸞が教行信証で呼びかけている対象を特定し、その提案内容を読む必要がある。
 教行信証で呼びかけている対象は、「穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡なく、悪重く障(さわり)多き者」である。仏教的側面と社会側面という二つの面で親鸞は見ている。「穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡なく」という部分は、仏教的に見た存在だろう。「悪重く障多き者」という部分は、社会的に見た存在だろう。
 「穢を捨て浄を欣い」とは「教」を指す。「行に迷い信に惑い」で親鸞は、行と信とを提起している。このように考えると、「心昏く識寡なく」とは、教行信証の証と対比される概念だろう。悪重く障多き者とは、社会的に見た存在者という意味で、教行信証では化身土と対比される概念と考えていいはずである。
 穢を捨て浄を欣う者とは誰か。これは浄土門の人だろう。穢を捨て浄を欣うとは、厭離穢土・欣求浄土という意味だ。浄土門の古くからのキャッチコピーである。教行信証は、厭離穢土・欣求浄土という教えに従って行こうとする浄土門の人々に向けてメッセージを送っている。具体的には、承元の法難で散り散りになった法然門下を念頭に置いたものだろう。
承元の法難で散り散りになった法然門下は今、どうなっているか。彼らは行に迷い信に惑(まど)っている。承元の法難で法然は四国に流されている。法然は数年で赦免になり都に戻る。戻っても自由な活動は許されず、まもなく他界する。偉大な師匠を失った法然門下は迷っていた。
 穢を捨て浄を欣い、浄土門の教えを正しく学んで行こうと思っても、残された法然門下は、具体的に何をすればいいのか、行うべき事が分からず迷っている。正しい行為を行えば、自ずから真実が見えてくる。確信が得られてくる。何を行えばいいのかに迷えばどうなるか。少なくとも正しい確信は得られてこない。確信が得られなければ、早晩、お先真っ暗に突き当たる。経験しても経験が経験として蓄積されてこない。苦労を重ねても体得されて血肉となる苦労はごくわずかである。
 経験しても経験が経験として蓄積されない者。苦労を重ねても苦労が体得されてこない者。悪いこと、失敗ばかり重ねる者。多くの失敗をくり返しくり返し重ね、そのたびに多くの障害を積み重ねていく者。そういう人がいればどうか聞いて欲しい。親鸞は残された法然門下にそんなことを呼びかけているのだ。

112 :渡海 難:2000/10/26(木) 14:52
>104
>日本国民185人で1人の宗教家を養っているのだから、仏教だけに限って言えば、278人で1人の僧侶を養っていることになる。

 日本の坊さんはほとんどが兼業ですよ。185人で1人とは大きすぎる数字ではありませんか。坊さんから矛盾を突かれるでしょう。

113 :渡海 難 p109-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/26(木) 15:21
 お知らせ。
 渡海 難を騙る「ナンチャッテ渡海 難」が横行して迷惑しています。
 平成12年10月26日15時以降、渡海本人の書き込みは、できるだけ発信元を表示し、併せて自分のホームページにも登録します。
 表示にあるocnは渡海 難がjustnetとともに標準として利用している接続会社です。
 名前欄で発信元の異なる表示があれば、渡海 難本人の書き込みではないとお考えください。

114 :名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 16:29
くだらん質問ですが、渡海さんの家では
御内仏は在るのですか?

115 :名無しさん@1周年:2000/10/27(金) 01:28
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116 :渡海 難 p92-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/27(金) 08:33
>114
 小さいけどあるよー。

117 :渡海 難 p006-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/27(金) 18:16
 「親鸞仏教の正当性を問う」は、多忙のため本日は休みます。皆様の御期待に感謝します。期待してくださってない方も、期待してくださっている方。期待してくださっている方も、期待してくださっている方。御同行、御同朋。


118 :名無しさん@1周年:2000/10/27(金) 20:48
氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね

119 :名無しさん@生き下手:2000/10/28(土) 09:50
ところで『親鸞仏教の正当性』とありますが、正当性の裏返しには
当然、 『親鸞仏教の不当性』があると渡海さんは、お考えですか?
親鸞聖人の悪人と善人の区分は具体的にどの様な点で区分されたので
しょうか?区分という表現は違っていると思いますが、人間の心次第
では、文字通りの善人・悪人に変化してしまうことと感じます。
そこで悪人と言う概念は、現在に於いて、一般的には法を犯してしまう
行為をする・法を犯さないでも、経済活動は人間の欲求です。時代毎に
変化し多様化し、親鸞聖人の時代背景と現代では違っています。
親鸞仏教の核は現代に於いて何を伝えているのでしょうか?そして
御同行、御同朋と書かれていますが、どのような意で、渡海さんは
この掲示板に、お書きになられているのでしょうか?



120 :渡海 難 p93-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/28(土) 21:21
「親鸞仏教の正当性を問う」は、多忙のため本日は休みます。皆様の御期待に感謝します。

121 :名無しさん@1周年:2000/10/28(土) 21:33
重要コピペです。よろしく。
468 名前: ジャイアン3 投稿日: 2000/10/28(土) 21:18

日本脱カルト研究会主催 初の公開講座!!
11月23日(木)1時より早稲田大学にて
詳細は以下に
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/


122 :名無しさん@1周年:2000/10/28(土) 21:47
ご利用は計画的に、このスレにはsageを忘れずに。

123 :名無しさん@1周年:2000/10/28(土) 22:35
あげなんだって

124 :渡海 難 p107-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/29(日) 22:03
「親鸞仏教の正当性を問う」は、多忙のため本日は休みます。皆様の御期待に感謝します。


125 :渡海 難 p49-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/30(月) 18:37
119 さん(1)
>『親鸞仏教の不当性』があると渡海さんは、お考えですか?
   はい。

>親鸞聖人の悪人と善人の区分は具体的にどの様な点で区分されたのでしょうか?

 親鸞仏教の場合、分からないところは釈迦に戻って考えるのが原則です。釈迦の次元で考えると、大抵のことは分かります。
 釈迦は、どういう人の為に祇園精舎をつくったと思いますか。常に正しいことことができる人。失敗無く生きていける人。みんなから尊敬を受け、何一つ不自由ない人。こういう人に向かって、そう言う恵まれた人の手助けをしたいと思って、祇園精舎を開いたと思いますか。
 いろんなことで失敗ばかりしている人、努力しても努力しても報われ無い人、潜在的な素晴らしい能力を持っていながら、それが埋もれそうな人、そんな人に生きる知恵や勇気をもって貰おうとして開いたんじゃないでしょうか。
 往生というのは、仏様の仲間に加わることをいいます。釈尊先生が、「おい、君も我々のところに来て一緒に頑張ってみないか」と誘っていただけるような人、それが悪人という概念の原点だと思います。
 だから、自分のことに思い当たり「ああ、そうか。釈尊先生は自分みたいな人のためにさまざまな苦労をしてくださったんだ」とうなづけて来る人、それが悪人という意味でしょう。

126 :渡海 難 p49-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/30(月) 18:39
119 さん(2)
>親鸞仏教の核は現代に於いて何を伝えているのでしょうか?

 分からない問題は、お釈迦様に戻りましょう。
 お釈迦様は何を伝えているのでしょう。お釈迦様の原点は三五歳の時の悟りにあります。お釈迦様がそのとき悟られた内容は十二因縁の法理と言われています。お釈迦様の生涯の事業は、祇園精舎の建設と後進の指導でした。十二因縁の法理こそ、仏教が我々に伝えている中核だと思います。
 十二因縁の法理は単語が十二個並びます。無明から生・老病・死へと続きます。人は人間のお面を被っていても、鬼の心で鬼の行動をとります。鬼の心で鬼の行動を取る者は鬼です。けだものの心でけだものの取る者はけだものです。人はしばしば天才的な仕業を行って有頂天になったかと思ったら、奈落の底に突き落ちることもあります。そのたびに、鬼は有頂天に変わり、次の瞬間にはケダモノと化します。そのたびに、今までと全く違った意思をもって、全く違った行動を起こします。意思と行動が変われば人格が変わります。古い人生が終わり、新たな人生が始まります。新たな人生も、やがて壁に突き当たり、疲弊し、老い、そして挫折します。そのたびに人は、自らの愚かさに悔います。愚かさに悔いながら、愚かさを引きずって再び間違った選択をし、新たな人生が始めます。愚かさを引きずった間違った選択は、やがてまた挫折します。
 オレは馬鹿だった。馬鹿だった。人は疲弊し、挫折したとき、自らの失敗は人生の選択の時に既にあったことに気が付きます。新たな人生を選択し(生)、疲弊し(老病)、挫折する(死)。こうした迷いの起きる原因はどこにあるのか。まさに、自らの愚かさにあった。無知にあった(無明)。お釈迦様は、長い苦行の後でそのことに気付かれたのでしょう。
 自分は馬鹿だった。自分は愚かだった。これは大変なことだ。しかし自分は、紛れもない真実を知った。自分が愚かだったということを知った。自分が愚かだったという真実を知った。釈尊先生はそう気付かれたのでしょう。

127 :渡海 難 p49-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/30(月) 18:40
119 さん(3)
 自分は愚かだったということ。これを裏返せば、実に全ての物がさまざまに真実を教えようしてくれているという認識に広がります。絵画を極めていこうとすれば、画家はやがて自らの未熟さに気が付く。科学者は、自然界の事物を見極めようとしていけば、やがて自らの無知に気が付く。実に、一切の事物が、私達に真実を教えようとしてくれています。釈尊先生はその認識を、より多くの人々と共通の財産とし、少しでも迷いのない世界を作ろうと決意されます。自らの愚かさの認識を、共感的に共有享受しようと思われたのでしょう。祇園精舎をつくり、後進の指導に向かいだしたのは、その事を物語っていると思います。
 自らの愚さに気付こう。これは全仏教の共通の基盤です。親鸞は、歎異抄で地獄一定の者と自らを規定し、教行信証では「定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし」と語ります。最澄は「底下の凡夫、塵禿の最澄」と叫びます。日蓮は自らを「旃陀羅の子」と規定します。我が身の愚かさを突き詰めいくところに仏教は発生し、我が身の愚かさを突き詰めた人がそのたびに大きな革命を起こしてきました。ヨーロッパの知恵、ソクラテスの「無知の知」と通じる確信だと私は思っています。ヨーロッパの学校教育も、ソクラテスから「無知の知」を学んだプラトンのアカデミヤに始まります。アジヤの学校教育も、自らの無明に気が付いた釈迦が原点となります。
 自らの愚かさに気付かされた者は、互いに真実を学び合おうと誓い合います。親鸞は、教行信証冒頭で、「穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡なく、悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ」と言います。末尾では「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」、と言います。
 実に一切の者がさまざまに真実を教えてくれています。釈尊先生の学習会の原点は、先生を「先生」と呼ぶことに始まりました。教えてくれているもの、一つでも二つでも、「先生、ああ先生」と念じていこう(行)。浄土教はここに始まります。「先生、ああ先生」と真剣に念じたところで何か見えてくれば、あるいは感じられてくれば、見えてきたもの感じられてきたものを自分の中で暖めて行こう。大事にしてみよう(信)。浄土教はこのようにして始まり、前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪い、連続無窮に伝わってきました。
 親鸞仏教はその大きな流れの中に位置していると考えるべきでしょう。

128 :渡海 難 p49-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/30(月) 18:41
119 さん(4)
>御同行、御同朋と書かれていますが、どのような意で、渡海さんはこの掲示板に、お書きになられているのでしょうか?

 「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」
 僕が非常に大事だと思っている言葉です。
 2CHに僕を向かわせている遠因は、オウム事件があります。あれはショックでした。女房と娘三人を抱えながら僕は当時、国家試験の受験勉強をしていました。麻原某に騙されてオウム事件を引き起こした人々は、十代後半から、二十代、三十代の人でした。自分としては、昔、大谷派のお寺、教会に必死になって通っていたころの年代です。当時、僕も一生懸命でした。結果的にはケンカ別れのような形で最後を迎えていますが、自分もいつしか、僕が教わっていたころの坊さんの年になってしまっていました。
 何か自分は大変な間違いを起こしているんじゃないか。僕はそんな風に思い出しました。十代後半から、二十代の人に向かってちゃんとした仏教を伝えていくのは、今の自分たちの名誉ある大きな責任じゃないか。こんなことを思い出したわけです。僕らがきちんとした仏教を伝えて行かないと、やがて大変なことになる。オウム事件は、まさに僕らが犯したんじゃないか。オウム事件では、自分が責められているような気分になりました。
 親鸞仏教に惹かれるならば、それなりにやはり社会的な責任を果たしていかなければいけない。国家試験に区切りを付けると、他人に勧められて僕はインターネットを覗き始めました。僕はビックリしました。「死んだら地獄なんですか、極楽なんですか」。こんな書き込みがハトの会の掲示板に見つけた時です。親鸞という名をつかってとんでもない不安を若者に煽っている新興宗教がある。僕は仰天したわけです。親鸞会は何を教えているんだろう。そう思って「白道燃ゆ」という本を取り寄せました。そして二度ビックリ。
 かつて自分が仏教を教わっていた年代の人々に、確実に親鸞の考えを伝えていくのは僕らの世代にしかできない僕らの世代の名誉ある仕事だと思います。僕は坊さんじゃありません。それでも、僕は親鸞に仏教を学ぶ者です。坊さんたちが、我流の教義を吹聴し、挙げ句の果てに親鸞会末端会員からの逆襲でたじたじになって声も挙げられないなら、僕は、自分が信じる自らの仮説を社会に提起していこう。僕はそう思っています。
 「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」
 川には右岸を流れる水、左岸を流れる水、中心部を流れる水があります。みな違って一本の川を作っています。僕も自らの立場から自分の仮説を提起し、仏教という大きな流れの中に参画したいと思っています。

129 :Miss名無しさん:2000/10/30(月) 19:07
1.一向一揆についてどう考えますか?浄土真宗=一向宗は過去の清算はしているのでしょうか?
2.本願寺が戦国時代に一種のカルト国家を成していたのをどう考えますか?
3.お寺は世襲制に実質的になっていますがデモシカ坊主が本気で浄土真宗を信じていると思いますか?
4.戒名などでぼったくる葬式仏教は日本では役割を終えて死に体だとは思いませんか?


130 :名無しさん@1周年:2000/10/30(月) 21:24
答えろや、ゴラァ!!!!!

131 :名無しさん@1周年:2000/10/30(月) 21:25
   /⌒~~~⌒\
 / ( ゚>t≡ )y─┛~~
(_ ノγ U  ∩_∩) 大変長らく御愛顧頂きました ┌───────┐
  α___J _J      このスレッドも      (|●        ● |
  / ̄ ̄ ̄ ̄\   とうとう終了となりました。/.| ┌▽▽▽▽┐ |
 /     ●  ●                   ( ┤ |      |  |
 |Y  Y       \誠にありがとうございました。\.└△△△△┘   \
 | |   |       ▼ |                  | \あ\      |\ \
 | \/        _人| ∧∧∩゛    ∧_∧     |     \り\     | (_)
 |       _/)/)/( ゚Д゚)/     (´∀` )   __ n    \が\.  |
 \    / 〔/\〕 U  / ∩∩ (    )o/  \ ヽ    \と\ |
  | | | c(*・_・)  |  |ヽ(´ー`)ノ_|  |  | (__丿    |.  /\ \う | (-_-)
  (__)_) UUUU /∪∪ (___)(_(__) ⊆_    ヽ_┘  └──┘(∩∩)



132 :名無しさん@1周年:2000/10/30(月) 22:38
ハイデッガーが晩年、親鸞の存在を知って
「この人のことをもう少しはやく知っていれば
私は生涯をかけてこの人の思想を広めただろう。」
と言ったそうな。
ハイデッガーは親鸞のどこにひかれたのだろう?

133 :名無しさん@1周年:2000/10/31(火) 03:14
それは親鸞会の連中が言っているデマ

134 :名無しさん@1周年:2000/10/31(火) 03:27
釈迦釈迦釈迦釈迦釈迦・・・うっ・・・ハァハァ

135 :渡海 難 p059-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/10/31(火) 19:31
129:Miss名無しさん
>一向一揆についてどう考えますか?

 「一向一揆」は果たして本当に「一向一揆」だったのでしょうか。僕は、政治学も歴史学も専門に勉強したことがないのでよく分かりませんが、「一向一揆」が、一向一揆だったという考えには疑問を持っています。「一向一揆」は、一向一揆ではなく政治一揆だたったのではないでしょうか。
 一向宗の集まりが政治屋に利用されたということはあるのでしょうが、一向宗というものはもともと非政治的なものです。蓮如は、一揆の首謀者をたびたび破門し、破門しても一揆は止まなかった。政治的扇動家が宗教を名乗って引き起こした政治革命だったと言うべきではないでしょうか。この辺は、歴史家、政治学者の意見を聞きたいところです。

>浄土真宗=一向宗は過去の清算はしているのでしょうか?

 この一向宗とは何でしょうか、一向宗を名乗った宗教組織ですか。清算とはどのような清算でしょうか。清算とは、一向一揆に伴って引き起こされた悲劇の清算を指しているのですか。幕藩体制下で民衆支配に荷担した本願寺体制が引き起こした悲劇の清算を指していますか。
 僕は、宗教組織と宗教とは別だと思っています。どこかの大学の医学部が生徒を不正入学させても、患者を人体実験したとしても、心臓医学や循環器医学が清算を迫られるということはないでしょう。
 宗教組織が社会に汚点を残しても、宗教が清算を迫られるというのはおかしいと思いますよ。

>本願寺が戦国時代に一種のカルト国家を成していたのをどう考えますか?

 歴史は門外漢ですので分かりません。

>お寺は世襲制に実質的になっていますがデモシカ坊主が本気で浄土真宗を信じていると思いますか?

 デモシカ坊主もいるでしょうし、デモシカでない坊主もいるでしょう。デモシカ坊主が、デモシカでない坊主になることもあるでしょう。デモシカでない坊主が、デモシカ坊主になることもあるでしょう。若い坊さんは、きちんとした教育リーダを捜して教わることが必要です。

>戒名などでぼったくる葬式仏教は日本では役割を終えて死に体だとは思いませんか?

 戒名などでをぼったくる葬式仏教は、役割を終えた仏教でなく、もともと仏教とは縁もゆかりもないというべきでしょう。なお、この辺の話について私は門外漢です。

136 :放置プレイ:2000/10/31(火) 22:07
渡海の荒らしにとって一番こたえるのは
放置プレイです。これ以外に善処する
方法はありえません。一時的に
ますます荒れるかもしれませんが、
いずれ沈静化します。今はとにかく

 放置プレイ

です。



137 :名無しさん@1周年:2000/11/01(水) 11:14
都会は要らない

138 :自民党・民主党:2000/11/01(水) 11:38
都会も必要、農村・漁村も必要

139 :渡海 難 p028-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/02(木) 20:20
「特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ。」

 ここでは、親鸞の提案内容を読んでいこう。
 「如来の発遣」とは何か。親鸞は、善導の観経疏玄義分を信の巻きで引用している。
 「釈迦はこの方にして発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す」
 発遣は、ここに出てくる。意味は、次の言葉を指す。
 「仁者(きみ)ただ決定(けつじょう)してこの道を尋ね行け、必ず死の難なけん。もし住(とど)まらばすなわち死せん」
 善導は、仏道を白い道で象徴する。この話は曇鸞も紹介している。善導のオリジナルではない。ただし、同じ話でも、曇鸞が紹介する場合と、善導が紹介する場合と、親鸞が紹介する場合とでは、意味が違う。ここが面白い。
 群賊悪獣に追われた旅人が、細く白い道にさしかかる。戻れば群賊悪獣に殺される。白道は東西に長い。白道を進んで西岸に向かう外は旅人に助かる道がない。しかし、細く白い道は南北を火の川と水の川に挟まれている。火水は、絶え間なくその白道に襲いかかってきている。危険極まりない道である。旅人は一瞬たじろぐ。そのとき東方から声がする。「勇気をもってこの道を進め。このままでは必ず死んでしまう。もしそこに留まっていれば、遠からず死ぬことになるだろう」。西岸から声がする。「気を持ち直し、急いで来なさい。自分は必ず貴方を護る。水や火にせめられことを恐れる必要はない」。善導は、東の声を釈迦の声、西の声を阿弥陀仏の声だという。
 「勇気をもって極楽への道を進め」。如来の発遣とは、釈迦のこの声を指す。最勝の直道とは、白道を指している。
 白道の意味は、善導と親鸞とではどうやらニュアンスが違う。善導にとって、白道を進むとは、出家して寺に入山するという意味を持っているよだ。しかし、親鸞では念仏行を修めていくことを意味してる。念仏行を修めていくことを意味していることは、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよという言葉から明らかだ。
 「専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ」という言葉に注意してほしい。「この信をもってこの行に奉えよ」ではない。親鸞の念仏は、信じて行うという種類の行ではない。行は信に先行する。くり返す。親鸞の念仏は、信じて行うという種類の行ではない。信は、行に従い、行に奉えるところから蓄積されてくる。教行信証では一貫した主張である。歎異抄はいう。「本願を信じ念仏申す」と。ここでは信が行に先行する。両者で思想の骨格が違う点に注意して欲しい。宗学上、極めて重要な問題を孕んでいる。

140 :名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 14:06
『歎異抄』スレができたよ!!
これで親鸞上人の偉大さを語りましょう。
南無阿弥陀仏

141 :名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 14:09
親鸞さんは、念仏を信じるも、捨てるも、その人の自由である、
と『歎異抄』の中で説いている。
親鸞上人の偉大さはそこである。
南無阿弥陀仏

142 :名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 14:16
ただただ南無阿弥陀仏というよりなし。
南無阿弥陀仏

143 :名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 14:21
称うれば
われも仏もなかりけり
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  by一遍

144 :名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 14:39
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
いい響きである。

145 :渡海 難 p054-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/03(金) 21:30
 ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。

「弘誓」という言葉は、教行信証の中で頻繁に出てくる。多分これは、阿弥陀仏の48箇条の誓願全体を指しているんだろうと思う。48箇条の誓願全体の中で一番重要なのは第18条というのが定説だが、僕は第1条の重要性を強調したい。第18条が大事か第1条が大事かという問題は、今ここでは触れない。48箇条の誓願は全体でまとまりを持っているから、「弘誓の強縁」という場合の弘誓は全体を包括していると考えていいだろう。
 阿弥陀物語によると、主人公の阿弥陀仏は48箇条の誓願を立てている。阿弥陀物語の誓願は、祇園精舎の卒業生が、世界中に散って各地に祇園精舎の分校を建設する際、学校経営の手本として提示されたものだろう。基本モデルは、生涯にわたり教育事業に邁進した釈迦の教育ポリシーだと思う。親鸞は真理を人格として捉えている。阿弥陀物語の誓願は、人格視した真理そのものの教育ポリシーとして尊重している。
 親鸞は、真理を人格として捉える。人格としての真理は、釈迦と同一の思想を有し、釈迦と同一の行動を取る。それならば、釈迦の教育ポリシーは、そのまま真理そのものの教育ポリシーである。画家はしばしば花から絵画の神髄を学び、生物学者は生命の起源を学ぶ。花に宿り、画家に絵画の神髄を開こうとしている花の真理、生物学者に生命の真理を明かそうとしている花の真理、親鸞はこうした真理が抱く教育ポリシーを、大無量寿経の48箇条の誓願に読んでいく。
 真理そのものはいま、何を考えているのか。何をしようとしているのか。真理そのものの心などは、普通は容易に知ることはできない。普通なら容易に知ることのできないことだと親鸞は言っているのだ。

146 :名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 21:33
ありがたし
南無阿弥陀仏

147 :ここ何?:2000/11/04(土) 05:27
渡海 難 さん、あなたはあなたの考えを他人に押しつけすぎじゃない?
のれんなら他人と関わろうとしないほうが良いのでは?
他人を啓蒙しようとしてるのかもしれないけど、どうなんだろう?
あなたにそんな能力はないように思えるけど。
自分が完成されてないという自覚があるようなことを書いてるけど口先ばっかりに見えるし。
慥かに「2ちゃんねる」の書き込みは品のないのが多いけど、ここのは特に多いと思う。
渡海 難 さんは、その理由を自分に見出す努力は一切しないのかな?
自分に見出して、それを克服するためにいろいろしようとしているのなら、
こんな書き込みばっかりではいかんと思うよ。
「なかなかうまくいかない」みたいなことを書くだけでなく、
心の奥の方まで戻って、立ち止まって、もう一回考え直す必要が、
ひょっとするとあるんじゃないかな。

148 :渡海 難 p73-dnb05karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/04(土) 09:17
147 ここ何?さんへ
>あなたの考えを他人に押しつけすぎじゃない?
    <そんなこたぁないでしょう。どんなところが?>
>のれんなら
    <暖簾?>
>啓蒙しようとしてるのかもしれないけど、どうなんだろう?

 親鸞の正当性を議論しようと呼びかけているつもりですが、啓蒙される人もいるかもしませんね。貴方に何か関係がありますか?

>自分が完成されてないという自覚があるようなことを書いてるけど口先ばっかりに見えるし。
   口先ばかりで失礼しました。勘弁してやってくださいまし。

>そんな能力はないように思えるけど。
    <無能力で失礼しました。勘弁してやってくださいまし。>
>ここのは特に多いと思う。

 品の悪いカキコは貴方が削除依頼してくださって構いませんよ。誰も文句は言わないでしょう。ただ、削除されても、品の悪いカキコはまた出てくると思ってます。いたちごっこでしょう。私の発言を快く思わない人がいるようです。何を考えているんだか。

>自分に見出して、
   <??>
>それを克服するためにいろいろしようとしているのなら、こんな書き込みばっかりではいかんと思うよ。
     あなたが代わりに努力して、風紀員を勝手出てくださればありがたい。

>「なかなかうまくいかない」みたいなことを書くだけでなく、
     <そんなことどこかで書いてましたか?>
>心の奥の方まで戻って、立ち止まって、もう一回考え直す必要が、ひょっとするとあるんじゃないかな。
    <あなたの考えを他人に押しつけすぎじゃない?>

149 :名無しさん@1周年:2000/11/05(日) 12:05
さすが渡海難!
なに言ってもムダ!
バカにつける薬なし!死ななきゃ治らん!

150 :渡海 難 p029-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/05(日) 21:01
>さすが渡海難!
     いまごろおだてなさんな(笑)。 

151 :渡海 難 p029-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/05(日) 21:02
「ああ、弘誓の強縁、多生にも値(あ)いがたく」

 多生にも値いがたいとはどういうことか。値は出会うという意味だ。幾度生まれ変わり、幾度死に変わっても、普通なら会えるようなものじゃないということを言っている。
幾度も生まれ変わり、幾度も死に変わるとはどういうことか。善導はいう。「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」、と。
 仏教は、迷いを生死を重ねることと考えている。ある時は鬼の心で鬼の行為を働き、あるときはケダモノの心でケダモノの行為を働く。天才的な才能を備えて有頂天になり、超人的な意思で超人的な行動を果たすこともある。そのたびに、人は意思と行動を変える。そのたびに新たな人格の死があり、新たな人格の誕生がある。仏教ではこれを迷いという。鬼の心で鬼の行為を働き、ケダモノの心でケダモノの行為を起こしたのは何故なのか。結局は何も本当のことが分かってなかったからだろう。超人的な意思で超人的な行動を起こしたのは何故だったのか。これも、本当のことが何も分かってなかったことの延長に過ぎない。だかからこそ、人は、人間の仮面を被りながら、有頂天の次には一瞬のうちに地獄にも堕ちる。行動を起こしては挫折し、起こしては挫折する。人間の仮面を被りながら、迷いに迷いを重ねながら、生死生死をくり返す。迷いと生死は一体であるという主張の根拠はここにある。
 生死の原因は実に我が身の愚かさにある。人間の愚かさはいつ始まり、いつ終わるものか。人間がその仮面を被ったとき、すなわち肉体の誕生に始まったものだろうか。人間がその仮面を外したときすなわち、肉体の死とともに終わるのか。そんなものじゃないだろう。本当のことが分かってないと言う点ではあらゆる人に共通する。あらゆる人に共通するものなら、私の愚かさは、私の肉体の誕生で始まったものじゃない。私の肉体の死とともに終わるものでもない。始め無き始めから、終わり無き終わりに向かって貫く。私の根元的な無明はそのように評価できる。無明は、生死生死として顕現する。無明は生死生死の無限の繰り返しとして評価できる。無明は、無限の過去から無限の未来に貫くものなら、無明と一体の生死生死も、肉体の生死を貫いて超越し、無限の過去から無限の未来に向けてくり返される。浄土教は無明に対しそんな評価的な考え方を採っている。
 真理が抱く教育ポリシーなどは、始め無き始めから終わり無き終わりに貫く底無しの無明・愚かさを本質とする我が身からは、通常ならば絶対に知りようがないことなのだ。親鸞はそんな主張を述べている。

152 :名無しさん@1周年:2000/11/05(日) 22:30
ダレモヨンデナイノニ...カワイソウ

153 :名無しさん@1周年:2000/11/05(日) 23:45
>149
いたく同感。うむ。
でも一応書いておこう。

>渡海氏
「……ひょっとするとあるんじゃないかな。」
という意見に
「あなたの考えを他人に押しつけすぎじゃない?」
って言うのはおかしいと思うよ。
「……ひょっとするとあるんじゃないかな。」
と言う言い方は、全く押しつけてないと思う。
151等のあなたの書き込みは、対して、
断言が多くて、とてもとても押しつけてるように思える。
…という見方を、わたしはあなたに押しつけるつもりはないです。
ここまで書いておかないと
この人は日本語を使ってるけど全然理解してないみたいだから
とても大変そうです。
…という見方も、わたしはあなたに押しつけるつもりはないです。


>渡海氏 追伸
最初の方からあなたの書き込みを読んだけど、
(152さんスミマセン。読んじまった。)
きっと実存的ではあるんだろうけど、
俺にはむちゃむちゃにつまらない内容だったし、
論理展開も無茶苦茶に見えた。
…という見方も、わたしはあなたに押しつけるつもりはないです。
ただ、わたしにはとてもつまらなかったし、
論理展開も真似しようと思うほど魅力的でないし、
まあ内容については言うべきにあらずか。ひどいもんだ。
…という見方も、わたしはあなたに押しつけるつもりはないです。


>渡海氏 追伸2
こういう双方向で書き込みのできるところじゃなく
誰も入って来れないページを作って
そこでかきまくった方が(言わずと知れた掛詞)良いと思うよ。
だって、こういうところでこういうモノを公開すると
「ひょっとするとこいつ俺の言うことを聞くかも」
という幻想を相手に多少だけど与えるから、とっても迷惑だもん。
…という見方も、わたしはあなたに押しつけるつもりはないです。
ただ、わたしは本気でそう思います。
…という見方も、わたしはあなたに押しつけるつもりはないです。
…という見方も、わたしはあなたに押しつけるつもりはないです。


自分の気に入った意見にばかり親身なレスしてると
人間の中身がどんどん腐ってくと思います。
獲信してようと、神秘的な体験をしていようと、
それは人間に共通だと思います。
気をつけてね。
…という見方も、わたしはあなたに押しつけるつもりはないです。


じゃ。

154 :渡海 難 p72-dnb05karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/06(月) 08:36
153 さんへ

 何が言いたいのか、よく分からん 

155 :名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 10:03
>154 渡海へ

おまえの方が訳分かんねーよ!!!!!!!

っていうか153の書き込みの意味分かんねーの?
バカじゃねーの。オレは全然理解できたよ。やっぱおまえやべーなー。
日本語理解できてねぇーじゃん!それとも自分を批判する文章は脳が拒否反応起こすのか?
おまえってさー、自分が批判されてる文章を、内容を素直にそのまま受け止めたことなんて1度もないよな。
屁理屈言うか、揚げ足とるか、理解できないフリをするか・・・。あっ!本当に理解できてないのかな?バカだから?
たまに突然紳士ぶってマナー違反だとか言ってみたりするけど、おまえにマナーのかけらでもあるのか?


156 :渡海 難 p01-dnb05karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/06(月) 10:33
>155
(^^ゞ ポリポリ  心配したとおり突っ込まれてしまった。
 いかにもつっけんどんな対応しちゃった。 ゴメメンネ  (^^ゞ ポリポリ
 きちんと対応しなければいけない。

>「あなたの考えを他人に押しつけすぎじゃない?」って言うのはおかしいと思うよ。
        <なるほど。そう。 (^^ゞ ポリポリ   >
>ここまで書いておかないとこの人は日本語を使ってるけど全然理解してないみたいだからとても大変そうです。…という見方も、わたしはあなたに押しつけるつもりはないです。
        <なるほど。そう。 (^^ゞ ポリポリ   >

>俺にはむちゃむちゃにつまらない内容だったし、論理展開も無茶苦茶に見えた。
        <なるほど。そう。 (^^ゞ ポリポリ   >
>論理展開も真似しようと思うほど魅力的でないし、まあ内容については言うべきにあらずか。ひどいもんだ。
        <なるほど。そう。 (^^ゞ ポリポリ   >

>「ひょっとするとこいつ俺の言うことを聞くかも」という幻想を相手に多少だけど与えるから、とっても迷惑だもん。
        <???>
>わたしは本気でそう思います。
        <なるほど。そう。>

>自分の気に入った意見にばかり親身なレスしてると人間の中身がどんどん腐ってくと思います。
        <???>

>獲信してようと、神秘的な体験をしていようと、それは人間に共通だと思います。
        <???>

>気をつけてね。
        <???>

157 :渡蟹安:2000/11/06(月) 21:18
カルマの法則について教えてください。

158 :渡海 難 p049-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/06(月) 21:22
 真実の浄信、億劫にも獲がたし。

 この言葉は、「弘誓の強縁、多生にも値いがたく」と対句になっている。「弘誓の強縁」は「真実の浄信」に対応する。「多生にも値いがたく」は「億劫にも獲がたし」に対応する。
 「億劫にも獲がたしは」、「多生にも値いがたく」の意味が分かれば自ずから分かってくる。問題は「真実の浄信」である。
 「真実の浄信」とは何か。難しい問題はお釈迦様に戻って考える。お釈迦様は、三十五歳の時に十二因縁の法理を認識された。お釈迦様はその後、その認識を多くの人々との共有の財産とし、共感的に享受しながら利用し会おうと考えた。その心は、祇園精舎の建設に現れ、そこで多くの賢人哲人を育てられた。釈尊先生の下で育った賢人哲人達は、釈尊先生の認識を自らの認識として継承し、釈尊先生の認識を自らの信念として先生やクラスメート達と共に共感的に享受し会った。釈尊先生の認識を自らの信念として継承した生徒は、さらには先生の事業そのものを継承していった。世界各地に祇園精舎の分校を作り、各地でより多くの人々の心に釈尊先生の認識を伝えていった。
 釈尊先生の下に集合した人々は、釈尊先生の認識を共感的に享受し、釈尊先生の認識を自らの信念とすることで素晴らしい賢人哲人に育っていった。かれらがお釈迦様から継承した素晴らしい信念こそ、真実の浄信と呼ばれるにふさわしい。真実の浄信を得るとは、釈尊先生の認識を自らの信念として共感的に享受することに他ならない。
 釈尊先生の認識は今、どこにあるか。花に宿り、画家に絵画の神髄を伝えようとしている真理そのものの心として観念できる。花に宿り、生物学者に生命の起源を伝えようとしている真理そのものの心として観念できるのだ。真実の浄信を得るとは、我々に真理を伝えようとしている真理そのものの心を、自らの信念として共感的に得ることを言うのだ。
 花に宿る真理から生命の起源を学ぶ科学者達は、生命の起源を学ぶとともに自らの無知を学ぶ。花に宿る真理から絵画の神髄を学ぶ画家は、絵画の神髄を学ぶとともに自らの未熟さを学ぶ。十二因縁の法理とともに自らの無明を認識したお釈迦様は、無明性の認識をより多くの人々とともに共通共有の財産として共感的に享受し会おうと社会に提案された。お釈迦様の提案に賛同した人々は、お釈迦様の下に集まった。お釈迦様の心を学び、やがて世界中に散っていった。親鸞は、お釈迦様とその弟子達の働きと同じ働きを、阿弥陀と名付けた真理そのものの躍動的な働きとして認識しているのだ。

159 :名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 21:22
>1
何が真実か、死んで見たらわかりますよ、
だから、死になさい。

160 :名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 21:51
>159
いや、わかんないかも知れない。おれわかんないと思う。
それにこんなヒト滅多にいないし、もったいないよ。
もっといたぶらなきゃ。ねえ。

161 :名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 21:53
それも、そうですね。

162 :渡海 難 p048-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/07(火) 08:58
157 渡蟹安さんへ
 「カルマの法則」とは、業の法則という意味ですか。業の法則とは因果の法則という意味ですか。
 渡海難は在野の念仏者です。サンスクリット語は知りません。因果の法則として親鸞の考え方に即した自分なりの仮説的な主張なら、私にもあります。それがサンスクリット語でいうカルマの法則かどうかは知りません。
 汎仏教学、インド言語学的に科学性のある見解なら、専門家に聞くといいでしょう。

163 :渡海 難 p004-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/08(水) 15:57
「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」

 「行信」という言葉に注意してほしい。親鸞は信行とは言ってない。信じて行ずるという考え方は、歎異抄が提唱し出した浄土教であることにくれぐれも注意して欲しい。
 行信を獲るとはどういうことか。釈尊先生は、祇園精舎に入学してきた生徒に、自分が先生であることを教えた。自分を先生と呼びなさいと教えた。釈尊先生は、自分を先生と呼ぶ者に分け隔てなく真実を教えようと決意していた。釈尊先生は、自分を先生と呼ぶ者に分け隔てなく真実を教えた。生徒は先生を先生と呼ぶことで真実を知らされ、先生の認識を自分の信念として継承した。先生は、先生という名に生徒を乗せて真実界に導いた。
 先生の教え方は生徒の予想の範囲を超えていた。先生は、ときには御自分の心に忠実になられ、相手の心を振り切ってでも豪快に話を進めた。ときには、御自分の心を別に置いて、相手の心に優しく合わせて話を進めることもあった。御自分の心にも忠実で、しかも、相手の心にも合わせて話を進めることもあった。生徒は、先生の心が分からなくなることもしばしばあった。「王よ、座禅して念仏申すべし<行の巻>」。先生は、自分の名を座禅しながら称えなさいと教えた。生徒は、「先生、先生」と先生の名を称えながらしばしば一人で木陰に座り、座禅を組んで心と呼吸を整えた。
 「先生、先生」と、先生を念じながら心を落ち着かせていくと、やがて先生の心も見えてくる。今まで夢中で分からなかったことが分かってくる。ああ、そうだったのかと合点されてくる。先生の認識が先生の名を通じて届けられてくる。先生の認識に確信が持てて先生の認識を共有できてくる。先生が、自分の名を座禅しながら称えなさいと教えた真意ももがて分かってくる。
 自分の名を座禅しながら称えなさいと教えた先生の真意は、念仏することで自分の中でやがて合点されてくる。先生の心はここにあったのかと頷かれてくる。行信を得るとはそういうことを言っている。

164 :名無しさん@1周年:2000/11/08(水) 16:24
わかるような気もする
自分はひとり仏教徒で
師とよべる人はいない
ある仏教団体に出入りしているが
いまいちだ
キリストはふれただけで病気がなおった
とかいてあった


165 :名無しさん@1周年:2000/11/08(水) 16:32
カルマはDNAのなかに
あるとりかいしていいのか?


166 :しゃっくそん:2000/11/08(水) 17:59
 俺、ちょっとだけ真宗の中を知ってるんだけど、
渡海さんて真宗教団にいるような典型的なひとだね。勉強はしていろいろ知識はある
んだろうけど、ここのスレ見てる限り真宗に肯定的な相手にしか話が通じないよ。
自分はダメなこともする生身の人間だとか言いながら、生身の人間からはほど遠い
ところにいる。本当に話をしなきゃいけないのは、渡海さんを誹謗・中傷するような
相手じゃないの?それなのにあなたはいつも、馬鹿にしたようなレスしかしていないじゃ
ないか。
 本当に親鸞聖人の教えを分かってほしいと思うのなら、難しい言葉を説明するんじゃ
なくて、もうちょっと泥臭い現実に則して話してよ。きれいごとばっかり言うのは
真宗教団内部だけでお腹いっぱいだから。

167 :渡海 難 p23-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/08(水) 20:03
165
>カルマはDNAのなかに
        (-_?)

168 :渡海 難 p23-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/08(水) 20:04
166 しゃっくそんさんへ

>俺、ちょっとだけ真宗の中を知ってるんだけど、

 そうですか。お凄いですね。真宗の中を知ってる方ですか。やれやれ。それがどうしたの?

>渡海さんて真宗教団にいるような典型的なひとだね。

 私が真宗教団にいる典型的な人だと言えば、真宗教団の人はどんな顔をなさるか。多分、相当に気を悪くされるでしょうね(笑)。

>勉強はしていろいろ知識はあるんだろう
   勉強なんて。とてもとても。好きの横好き。付け刃ですよ。みんな偽物です。

>ここのスレ見てる限り真宗に肯定的な相手にしか話が通じないよ。

 真宗に肯定的な相手に少しでも通じれば大変嬉しいです。「真宗に肯定的なんだろう。そのくせに何考えてるんだ」、折に触れて多少腹立たしく感じることもあるというのが、正直な感情です。少しでも通じれば、折に触れてついでにこちらの思いこみ、誤解も解いていただけると幸いですね。

>生身の人間からはほど遠い

 ほど遠さは貴方の半分程もあるんでしょうか。私は恥ずかしい限りですね。貴方は恥ずかしくありませんかね。

>渡海さんを誹謗・中傷するような相手じゃないの?

  私を誹謗・中傷するような方はいらしゃいませんよ。誹謗・中傷してくださっている方も、根は愛してくださっている方。愛してくださっている方も愛してくださっている方

>馬鹿にしたようなレスしかしていないじゃないか。
     頭が高いのは、親譲りでしょう。

>もうちょっと泥臭い現実に則して話してよ。きれいごとばっかり言うのは真宗教団内部だけでお腹いっぱいだから。

 現実に則した話は、専門のお坊さんにお願いに行きなさい。貴方は真宗の中を知ってんでしょ。プロでさえそう言う人がいないなら、そんなことを2CHなんかでアマチュアに求めなさんな。人生相談があるんなら、お金を払ってきちんとしたカウンセラーに相談に行きなさい。

169 :しゃっくそん:2000/11/08(水) 21:23
ハハハハハッ。真宗の中の意味を見事に取り違えられちゃいました。
俺が知ってるっていうのは、教義とかそんなんじゃなくて、人のこと!
いやな奴らの事。
やっぱり揚げ足とるのうまいね〜!やっぱり他の2chの人がまともだ!
二度とこねえから悪口追加しといてね....

170 :名無しさん@1周年:2000/11/09(木) 12:17
渡海 難へ

また相手にされなくなりましたね。
最初はみんな興味を持つが
一人また一人と、あきれて去っていく。
結局一人ぼっちの渡海難。
誰も相手にしてくれない。
なぜこうなるのか考えてみなさい。

171 :渡海 難 p056-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/09(木) 16:54
>170さん
 貴方がお相手くださっています。ありがたいおことです。
 お相手くださらない方もお相手くださる方、お相手くださる方もお相手くださる方。
 2CHは皆様、お友達。御坊様もお友達、親鸞会員もお友達です。

172 :渡海 難 p120-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/09(木) 17:04
ありがたいおことです。  誤
ありがたいことです。   正   (^^;)

173 :難度海 沈降:2000/11/10(金) 05:16
>渡海氏
>>お相手くださらない方もお相手くださる方、お相手くださる方もお相手くださる方。
>>2CHは皆様、お友達。御坊様もお友達、親鸞会員もお友達です。
これは、違うよ。これが、押しつけだよ。
一方的な宣言なんだから、「わたしはこう思っています」的なものをつけなきゃ正確じゃない。
その一言が抜けると押しつけになる。
「お相手くださらない方もお相手くださる方」というのは渡海氏の考えてることでしょう。
おれはたしかに渡海氏を相手にしてるけど、相手にしてない人は相手にしてないと思ってる。
だから、渡海氏が「お相手くださらない方もお相手くださる方」と言うのは
渡海氏がそう思っているに過ぎない。だから、それを端折らずに言わなければならない。
細かな打ち間違いを訂正する前に、押しつけを押しつけと自覚してないという
自分の今までの発言が誤りであることに気づき、訂正した方が良いと思う。
わたしはそう考えるが、渡海氏はどうだ。
もちろん、わたしは以上の考えをも渡海氏に押しつけるつもりはないです。
レスつける場合は、個別レスも良いけど、全部読んで↑この一行を把握してからにして。
つけないかな。

「難度海 沈降」と名乗ったけど紛らわしいかな。
(俺は難しすぎて渡れないと自覚してるからね)
いやだったらやめるけど。と言いつつしばらく来ないかもしれない。
来るかも知れない。
↑これにおれが「わたしはこう思っています」をつけないで良いのがなんでか解るか?
これはおれだけの問題だからだ。
渡海氏が「お相手くださらない方もお相手くださる方」と言う場合、
そこには相手がいるだろう、渡海氏だけの問題ではなくなっているだろう。
だから、その場合には、
自分の考えと、相手の考えと、単なる事実とを、明確に分ける必要が生じるんだ。
そういうことだ。
という考えをも、おれは渡海氏に押しつけるつもりはないです。
では。

174 :難度海 沈降:2000/11/10(金) 05:23
もう来てしまった。すんげえばかっぽいなおれ。

>渡海氏
いま気付いたんだけど、「168」の中に
「下手の横好き」じゃなくて「好きの横好き」って書いたのは何か意図があるの?
下手じゃないと思ってるのかな? それとも単なる間違い?
間違いの場合はこの発言は無視してかまわんと思うけど、
下手じゃないと思ってるならすごい自信だ。ちょっとびっくりする。

175 :渡海 難 p32-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/10(金) 10:50
173
>一方的な宣言なんだから、「わたしはこう思っています」的なものをつけなきゃ正確じゃない。
     <はいはい。「わたしはこう思っています」。これでよろしいですか?>
>だから、自分の考えと、相手の考えと、単なる事実とを、明確に分ける必要が生じるんだ。
     <はいはい。ご立派。ご立派>
>そういうことだ。という考えをも、おれは渡海氏に押しつけるつもりはないです。では。
      <はいはい。わかりました。分かりましたよ。どうぞご自由にお考えくださいな>

174
  好きの横好き  誤
  下手の横好き  正   (^^ゞ

176 :渡海 難 p32-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/10(金) 10:52
「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」

 宿縁とは何か。現代の我々にはこういう言葉が難しい。我々は、無限の時間のスケールに照らして思考する訓練ができていない。我々の思考は常に有限である。人間の一生と言えば、生まれてから死ぬまでの時間でしか考えていない。生まれてから死ぬまでの時間の中だけでものを考えていると、親鸞の思想はちんぷんかんぷんになる。
 宿という言葉の使用例を捜してみよう。
 大無量寿経は言う。
 「世間に帝王の、人中に独尊なる所以は、みな宿世に徳を積めるによりて致すところなり。」
 「慢と蔽と懈怠とは、もってこの法を信じ難し。宿世に諸仏を見たてまつれば、楽(この)んでかくのごときの教を聴かん。」
 教行信証の引用例を見てみよう。
「諸仏の光明の照らすところに近遠ある所以は何んとなれば、本それ前世の宿命に、道を求めて菩薩たりしに、所願を照らすに、功徳おのおの自ずから大小あり。」
 宿という言葉は、浄土教では極めて重要な言葉だ。しかし、その意味は、親鸞が言う場合と親鸞以前の古典の使用例とでは違うようだ。両者に食い違いがある場合、親鸞のフィルターを外してそれ以前の古典に戻って考え、親鸞の次元でどのように変わってきたかを考えなければいけない。
 「世間に帝王の、人中に独尊なる所以は、みな宿世に徳を積めるによりて致すところなり。」
 この意味を考えてみよう。
 人は絶えず意思と行動を変える。徳川家康が天下人として全国に号令を発していた時期と、今川義元の下で人質になっていた時期とでは、その行動内容は明らかに違うだろう。人質の時代、九州や東北の大名に向かって命令を発するというような行為はしていなかったろう。天下人として全国に号令を発していた時期、駿河の国の一大名の顔色を伺って怯えているという事は無かっただろう。人は、時の流れの中で意思を変え、行動を変えていく。そのたびに古い人格の死と新たな人格の誕生がある。
 徳川家康に生殺与奪の権を握られ、家康の号令で動かざるを得なかった諸大名であっても、号令でを発する徳川家康自身も、ともに無明の中に生きる存在であることに相違はない。同じ無明の中に生きながら、一方は号令を発する立場にあり、他方は号令ひとつで一族もろともに惨殺の憂き目も見なければならない存在となる。この違いはどこにあるのか。徳川家康は、織田信長と連合を組んで武田氏を滅ぼし、一時は豊臣秀吉に臣従を誓い、その後は関ヶ原の合戦を指導して勝利したからだろう。天下人となる前に、実績を積んだからだ。
 「慢と蔽と懈怠とは、もってこの法を信じ難し。宿世に諸仏を見たてまつれば、楽んでかくのごときの教を聴かん。」
 この法とは何か。安易に親鸞的な解釈に流れる前に、いったんは大無量寿経の基本原理に戻って考える必要がある。
 

177 :渡海 難 p047-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/10(金) 11:05
>176
誤 諸大名であっても    正 諸大名も

誤 号令でを発する     正 を発する

誤 実績を積んだからだ。
正 実績を積んだからだ。「みな宿世に徳を積めるによりて致す」とは、天下を執る前に事前に実績を積んだからだという意味で読めばいい。「徳」という言葉を、人徳という狭い意味で解する必要はない。

178 :難度海 沈降:2000/11/11(土) 01:46
>175
><はいはい。「わたしはこう思っています」。これでよろしいですか?>
常にそれを心がけて欲しいなあ、ってことです。
今回はそれで良いんじゃないでしょうか。

><はいはい。ご立派。ご立派>
なんか非常にバカにされてる気がする。
多分本当にバカにされてるんだろう。

><はいはい。わかりました。分かりましたよ。どうぞご自由にお考えくださいな>
文言を読んでくれてはいるようだけど、本当にわかってはいないような気がする。
まあ、これは今後の発言がどうなるかに、期待です。

ではでは。

名前はこれでも良いんですね。


179 :渡海 難 p003-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/11(土) 21:38
178 難度海 沈降さま

>多分本当にバカにされてるんだろう。
>本当にわかってはいないような気がする。まあ、これは今後の発言がどうなるかに、期待です。

 基本的には誰が何をどのようにお考えになっても自由でしょう。ただ、相手に分かって貰おうとするなら、相手の心に届く文を書くべきでしょう。

>名前はこれでも良いんですね。

 私に確認を取るまでもなく、ご自由じゃないでしょうか。
 「渡海 難」を名乗られるとこちらは心穏やかではりませんが、「難度海 沈降」を名乗る方がいても渡海 難と混同する方はいないでしょう。

180 :難度海 沈降:2000/11/11(土) 21:52
>基本的には誰が何をどのようにお考えになっても自由でしょう。ただ、相手に分かって貰おうとするなら、相手の心に届く文を書くべきでしょう。

あー。
よく言うよ。
渡海氏は他人の書き込みを理解したうえで殊更に相手の気持ちを逆撫でする言辞を吐いている、
だからわたしはそれに異を唱えたんだ。そのことは渡海氏も当然解っているだろう?

よく言うよ。

渡海氏が2以降でやってる論考は、全て、わたしの心に全然届いてこないんだけど、
そのへんは一体どうなるの。
わたしだけじゃないようだよ、そういうふうに考えてるの。

渡海氏自身がそういう、他人の心にまったく届かない文章を書いている、
その事実はどう捉えるの?

まさか、俺にだけ理由があるというふうに考える?

よく言うよ。

渡海氏は<相手の心に届く文を書>いてはいない。

よく言うよ。



181 :名無しさん@1周年:2000/11/11(土) 22:01
よくぞ言ってくれた!
なんてこと言うとまた
「親鸞会の方ですか?」
「坊さんですか?」
などという決めつけが渡海氏から来ると思うが。

 私の心を代弁してくれてありがとう。心に届きましたよ。

182 :難度海 沈降:2000/11/11(土) 22:29
>181
ありがとう! すっげえ嬉しい!


183 :渡海 難 p095-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/12(日) 10:03
>180
>渡海氏は他人の書き込みを理解した

 なるほど。なるほど。このように思ってくださるかたが一人でもいらっしゃってくださると嬉しいです。

>相手の気持ちを逆撫でする言辞を吐いている

 なるほど。なるほど。逆撫でされた思いを抱く方は、いらっしゃるかもしれませんね。不徳の至りです。一方で、よくぞ言ってくれたと思ってくださる方がいらっしてくだされば嬉しいと思っています。
 今日明日は、逆撫でされた思いを抱いていても、五年後十年後、ポンと膝を叩き、そういうことだったのかと思い出していただける方が出てくださると嬉しいと思っていますよ。

>だからわたしはそれに異を唱えたんだ。
     <なるほど。なるほど。そうでしたか。>
>そのことは渡海氏も当然解っているだろう?
     <ウーム。難しいところかも知れませんね。>
>よく言うよ。
     <なるほど。なるほど。そうですか。>
>渡海氏が2以降でやってる論考は、全て、わたしの心に全然届いてこないんだけど、
     <なるほど。なるほど。そうですか。>
>そのへんは一体どうなるの。
     <御縁が薄いということなんでしょう。>
>わたしだけじゃないようだよ、そういうふうに考えてるの。
     <情報発信側の責任が大きいんでしょう。>

>渡海氏自身がそういう、他人の心にまったく届かない文章を書いている、その事実はどう捉えるの?

  既に届いている方もいるようですよ。届いていない方もいる。届いている方も届いている方。届いていない方も届いている方。届いている方も届いてない方。届いていない方も届いてない方。
 始めたばかり、時間はかかるかも知れませんね。

>まさか、俺にだけ理由があるというふうに考える? よく言うよ。
   <御縁の問題でしょうね。>

>181さん
   なるほど。なるほど。そうですか。そうですか。

>182 難度海 沈降さん
>ありがとう! すっげえ嬉しい!
     <少し不安で心細かったんでしょうかね>

184 :難度海 沈降:2000/11/12(日) 13:43
>183
やはり、届いてこない。
「膝をポン」という比喩はよく見るね。

>既に届いている方もいるようですよ。届いていない方もいる。届いている方も届いている方。届いていない方も届いている方。届いている方も届いてない方。届いていない方も届いてない方。
これが押しつけだと言ってるのに、やはり理解できてないね。
<始めたばかり、時間はかかるかも知れませんね。>ってことだ。

><少し不安で心細かったんでしょうかね>
いいや、全然。

185 :渡海 難 p75-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/12(日) 14:29
>やはり、届いてこない。
     <なるほど。そうですか。そうですか>
>「膝をポン」という比喩はよく見るね。
     <何かを伝えたいと言う意思がある人は、共通の意識を持つのかも知れませんね>

>これが押しつけだと言ってるのに、やはり理解できてないね。

 押しつけと思うのもひとつの心、こういう言葉でしか伝えられないと思う心もひとつの心でしょう。他人の心は自分の自由になりません。

>いいや、全然。
     <なるほど。そうですか。そうですか>

186 :難度海 沈降:2000/11/12(日) 18:02
>渡海氏
誰も求めていないんだから、
伝えたいことがないのなら伝えようとするのはやめるべきだと思うが、どうか。
<なるほど。そうですか。そうですか>
というのは、何も伝えていない。やめるべきだと思うが、どうか。
たぶんまた
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と書いておわりなんだろうな。

187 :難度海 沈降:2000/11/12(日) 18:06
そりゃ省略されてしまうよな。
だって、渡海氏みたいなことをしてしまったんだもの。
渡海氏の言葉がそもそも省略可能だし、
このスレが省略可能だとわたしは思うが、渡海氏はどう考えるのだろう?
多分、これに対しても
<なるほど。そうですか。そうですか>
という言葉が来て終わりだろう。
他人の言葉を受け取って、それでキャッチボールをしようとしない人には
スレを立てて欲しくない。わたしはそう思うが、渡海氏はどうか。
多分、これに対しても
<なるほど。そうですか。そうですか>
という言葉が来て終わりだろう。
と書いても
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
と書いてもやはり
<なるほど。そうですか。そうですか>
と言っておわりなんだろうな。
まいるね。

188 :名無しさん:2000/11/12(日) 21:43
難度海 沈降さん、俺も応援してるぜ!
みんなが渡海 難に言いたい事を代弁してくれている。てな事書いたら、<なんなが
なんて勝手に決め付けないでください>なんてのがきそうだな>渡海 難。

189 :名無しさん@1周年:2000/11/12(日) 22:36
 渡海難みたいなのを「豆腐にカスガイ」っていうんだろうね。
「引かれ者の小唄」とでもいうのか、難度海 沈降さん、俺も応援してるぜ。

190 :188:2000/11/12(日) 23:05
なんながなんて  誤

みんながなんて  正

2ちゃんの人なら見逃してくれそうな間違いだけど、渡海のやつにごちゃごちゃ
言われても鬱陶しいので、書いときます。

191 :渡海 難 p69-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/13(月) 07:00
186:難度海 沈降さんへ
>誰も求めていないんだから、伝えたいことがないのなら伝えようとするのはやめるべきだと思うが、どうか。

 誰も求めていないかどうか、貴方にどうして分かるのですか。求めようとなさるのもなさらないのも他人様。伝えたいことがあるというのは私の方ですよ。意思の主体が違います。他人様(渡海以外)は求めようとなさっていないから、貴方(渡海)は伝えようとなさる行為をやめなさいというのは、大きなお世話。

>なるほど。そうですか。そうですかというのは、何も伝えていない。

 貴方のお気持ちはこちらの胸に届いたつもりですよということをお伝えしています。こちらの胸には届いたつもりですよという返信が貴方の心に届くかどうかは知りませんが、受信側は、発信者に到着を知らせるのが礼儀でしょう。何も伝えていないというのは心外。

>やめるべきだと思うが、どうか。

 不愉快です。渡海難は何も伝えてないというのは言いがかり。筋違いの要求を押しつけてられるのは不愉快千万。

>たぶんまた<なるほど。そうですか。そうですか>と言っておわりなんだろうな。
    <お門違いの予想を勝手に立てなさんな。>

>と書いてもやはり<なるほど。そうですか。そうですか>と言っておわりなんだろうな。と書いてもやはり<なるほど。そうですか。そうですか>………

 こんな言葉を16回もくり返す貴方は頭がおかしいんじゃろう。渡海 難は医者じゃない。私の方から貴方に届く言葉はないようだ。心身の病気は渡海難じゃなく、専門医に相談に行きなさい。

192 :渡海 難 p69-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/13(月) 07:01
187:難度海 沈降さんへ

>渡海氏はどう考えるのだろう?
    <16回もくり返す貴方は頭がおかしいと思う。>

>多分、これに対しても<なるほど。そうですか。そうですか>という言葉が来て終わりだろう。
    <お門違いじゃ。僕は医者じゃないからアンタの相手はできないよ。>

>他人の言葉を受け取って、それでキャッチボールをしようとしない人にはスレを立てて欲しくない。わたしはそう思うが、渡海氏はどうか。
    <頭のおかしい人とは掲示板なんて言うツールでキャッチボールなんかできない。>

>多分、これに対しても<なるほど。そうですか。そうですか>という言葉が来て終わりだろう。
    <お門違いじゃ。>

>と書いても<なるほど。そうですか。そうですか>と言っておわりなんだろうな。
    <僕にはアンタの相手は出来ないから、ちゃんとお金を払って専門治療家の所に行きなさい。>

193 :渡海 難 p69-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/13(月) 07:03
 そう思ったら、最初から書きなさんな。
 <なお、最初のカキコNo188では「なんながなんて」となっていて、No190で、「みんながなんて」の間違いだと訂正がはいっていました。「なんながなんて」でも十分わかるけど、自分は訂正を入れたのに認めてくれていないなんて、あんなやつにごちゃごちゃ言われても鬱陶しいので、訂正後の形で引用しておきます。>

189さん
>「引かれ者の小唄」とでもいうのか
 おや、お・ひ・さ?。イーグルヘッド以来でしょうか。おなつかしい。それとも何度かお会いしている方かしら?

194 :渡海 難 p69-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/13(月) 07:04
 大無量寿経の基本原理から宿という意味を考えたい。
 大無量寿経は言う。「皆如斯等、上首者也」。大無量寿経は上首に向かって説かれている。上首とは何か。大無量寿経は梵文で次のように言う。これらの人々と、その他の人々とは、一人だけを除いて、すなわち修行の道においてなすべきところが残っていたアーナンダを除いて、みな長老であり、直々の大弟子たちであった(岩波文庫 浄土三部経 上)。
 上首とは、基本学習で学ぶべきものが無くなった人々つまり卒業段階にある人という意味だ。基本学習とは小乗の学習をいう。なお、梵文が言う「アーナンダを除いて」という部分は、漢文大無量寿経では欠落している。インド浄土教と中国浄土教との大きな違いを教える重大な問題があるのだが、今ここでは触れない。
 一般に、基本学習つまり小乗段階の学習を終えた人を阿羅漢という。大乗の修行は、小乗段階の学習を修了した人が始める。大乗の学習では、プロの教育者を目指す教育手法を学ぶ。大乗仏教は、プロの教育者を目指す人々のための学習理論である。大無量寿経はその場合の教科書である。阿弥陀仏という登場人物を使い、基本学習を終えた人が、学校を設立し、教育活動に入っていく理想的な道筋を画いている。古代浄土教の人々は、プロの教育者になっていく道を、阿弥陀仏を手本として学んだのだろう。
 そう考えてくると、「慢と蔽と懈怠とは、もってこの法を信じ難し」という場合のこの法とは、阿弥陀仏が法蔵菩薩という名で修行を積みやがて阿弥陀仏という教育者になっていくプロセスを指すことになる。信じるとは、阿弥陀仏という教育者になっていくプロセスを我が身の手本としてしっかり体得するということだろう。慢心者、疲労者、怠け者は、教育者になっていく阿弥陀プロセスを体得することはできない。大無量寿経はそういう。「宿世に諸仏を見たてまつれば、楽(この)んでかくのごときの教を聴かん」も、同じような意味で考えていい。小乗段階でたくさんの優れた教育者に出会っていて始めて、教育理論学習段階で法蔵−阿弥陀プロセスの素晴らしさを容易に理解することができるのだ。大無量寿経は、法蔵−阿弥陀プロセスを必死に学ぼうとしている人々を勇気づける称讃の言葉としてこれを記述している。法蔵−阿弥陀プロセスを必死に学ぼうとしているあなた方は素晴らしい。あなた方は、慢心者ではない。疲労者ではない。怠け者でもない。あなた方は素晴らしい人々である。小乗段階で優れた教育者に出会うという幸せにも恵まれた素晴らしい人々である。どうか、しかりと阿弥陀プロセスを体得していって欲しい。しかりと阿弥陀プロセスを体得して行く者こそ、真の意味で釈迦の仲間である。大無量寿経の著者は、物語の中に釈迦を登場させ、釈迦にそう言わせている。
 宿という意味が親鸞では変わってくる。
   

195 :渡海 難 p124-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/13(月) 07:11
>193
 間違えちゃった。193は無視してください。(^^ゞ  最初の2行の書き込み忘れです。もう一度書きます。

188さん
>みんながなんてのがきそうだな

 そう思ったら、最初から書きなさんな。
 <なお、最初のカキコNo188では「なんながなんて」となっていて、No190で、「みんながなんて」の間違いだと訂正がはいっていました。「なんながなんて」でも十分わかるけど、自分は訂正を入れたのに認めてくれていないなんて、あんなやつにごちゃごちゃ言われても鬱陶しいので、訂正後の形で引用しておきます。>

196 :渡海 難 p86-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/13(月) 21:28
 親鸞思想で宿とはどういう意味になるか考えてみよう。
 本地龍樹菩薩は 大乗無上の法をとき 歓喜地を証してぞ ひとえに念仏すすめける(和讃)
 龍樹大士世にいでて 難行易行の道教え 流転輪廻のわれらをば 弘誓の船に乗せ給う(和讃)。

 親鸞仏教は、親鸞以前の先人の主張と親鸞の主張とのズレを意識しながら、丁寧に理屈を追って見ていく必要がある。龍樹菩薩が歓喜地を本に念仏行を勧めているのは、十住毘婆沙論という書物の第五、易行品の中の記述である。龍樹とは、インド大乗仏教の高僧で、大乗仏教では釈迦に次ぐ最高位の尊敬を集めている。
易行品は、小乗仏教の学習が終わって阿羅漢と呼ばれる地位に立った人に向かって説かれている。大乗仏教は、小乗仏教の学習が終わった人に対し教育学を学ぶように勧める。自分だけ何かが分かってそこで学習を終わることは菩薩の死と名付けて批判する。
 小乗仏教の学習を終えた者が教育学を学ぶにあたり、まず最初に体得しなければならないことがある。それは、学ぶことの喜びを知ることだ。学ぶことの喜びを知ることが教育学を学ぶ出発点になる。大乗仏教はこれを歓喜地とよび、初地すなわち大乗仏教の原点と呼ぶ。
 小乗段階の学習が終わるような人の場合、歓喜地には普通はそのまま直接至る。学ぶことの面白さは自然に分かる。ところがそうでない人もいる。そう言う人に龍樹はバイパスの修行法を勧める。それが念仏だ。龍樹の念仏、称える対象は阿弥陀仏一つに絞らない。様々なことを教えてくれるたくさんの仏(先生)を自分の回りにたくさん意識し、その一人一人を念じる。自分の回りにたくさんの先生の存在を念じる。そういうところから生じてくる心、龍樹が歓喜地と呼ぶ心はそういう極めて深い精神性をもった歓喜なのだ。
 念仏を称えると歓喜地に至る。釈迦に次ぐインド大乗仏教の第二の高僧はそう説いている。その主張が、小乗仏教の学習が終わった一部の人だけではなく、あらゆる者に向かって説かれていると解釈するとどうなるか。念仏を称えればそれだけで誰もがみな大乗仏教の歓喜地にいきなり至る。そういう主張が導かれてくるだろう。親鸞は、易行品の読者をあらゆる人に広げる。読者をあらゆる人に広げると、念仏を称えれば誰もがみな大乗仏教の歓喜地に至るという主張が導かれる。親鸞は、大乗仏教というものが、小乗の学習を終えたところから始まるという主張を崩したのである。

 「宿世の時、仏を見たてまつれる者、 楽んで世尊の教を聴聞せん」。 親鸞は、教行信証で大無量寿経の異訳本からこのことばを引用する。大乗仏教というものが小乗の学習を終えて始まるという前提が崩れると、浄土教はその思想の構造を根本から変えることになる。「宿」についても従来の解釈を適用することはできない。宿は、絶対的観念的評価的な意味に変わってくる。

197 :名無しさん:2000/11/13(月) 21:55
>渡海 難
そう思ったら、最初から書きなさんな。

こっちが書こうが書かまいが、それはあなたの決めることじゃありません。
あなた、いつもそれを言ってるじゃないですか。自分の言ってることを
自分で実践できないでどうするの? それに、俺はあなたにだけ言ってるんじゃ
なくて、このページを見てるみんなにも言ってるんであって、それを
書きなさんなとは不愉快壱千万。勝手に指図しないでください。



198 :名無しさん@1周年:2000/11/13(月) 21:57
ほんととかいはチンポコだな〜

199 :渡海 難似:2000/11/13(月) 23:20
>198さんへ
チンポコだなんて勝手に決め付けないでください。
チンポコでない人もチンポコな人、チンポコな人もチンポコな人、チンポコな人みなさん
仲間です。御同胞・御同行。

200 ::2000/11/14(火) 01:08
最初から、全部読もうとしたら、結構たいへんですね。
宗教に興味を無くしてました。
2CHより、もうちょっとよい場所は無いんでしょうか、、、。
不特定多数の人が集まるかもしれないですけど。
ごちゃつきますし、ここの雰囲気にそまってしまうのも嫌ですし、、。
きっちりしたした話をするにはそぐわない場かもしれないですね。


201 :名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 01:17
これが人間なんだよ!
キレイ事じゃない、煽りもある、騙りもある、そういう場でこそ
宗教を論じる事が大切なんじゃないか?
実社会で仏の道を説くのは、2ちゃんねるで説くのとはわけが違うぞ。
邪魔を無視しても論議ぐらいできるだろ!

202 :難度海 沈降:2000/11/14(火) 02:04
>チンポコでない人もチンポコな人、チンポコな人もチンポコな人、チンポコな人みなさん仲間です。
ちょっと笑った。いかれてる。

203 :難度海 沈降:2000/11/14(火) 02:14
>200 よ さん
ここのスレッドはあんまり参考にならないでしょうね。
2を見るに、渡海氏は歴史的事実をちょっと誤解してるところもあるようですし、
自分の見解をぐいぐい押しつけてきてますから。
他人の悩みを聞いて、それを解決したり、解決しようとしたり、
その悩みを利用してお金儲けをしようとしたり、というところは、このスレッドにはないですね。
そういう不気味に静かな雰囲気をこのスレや2chに求めても詮無いでしょう。

そうそう、渡海氏、「2」についてだけど。

親鸞は新潟あたりにいるときに時の政府から許されたよ。
法然も許されて京都に帰ったよ。で、
「親鸞はなぜすぐ京都に帰って法然に会わずに関東に行ってしまったのか?」
というのを考えていくのが面白いな、ってふうに、興味はうつっていると思ったんだが。
吉本隆明が『最後の親鸞』か何かですっごい個人的な見解を述べていて、
とっても面白かった。そのへん渡海氏も読んでみると良いかも。
でもあの人も、渡海氏には親鸞の無謬性に偏った人に見えてるかもしれないなあ。
ばななの評論を書く前、あるいは溺れて死にかける前のあの人は、
でも、わたしは非常に面白いと思う。

まあ、またです。

204 :渡海 難 p27-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/14(火) 09:36
197さんへ
>こっちが書こうが書かまいが、それはあなたの決めることじゃありません。
   <  (^^ゞ ぽりぽり   随分と御立腹のご様子ですか。    >
>こっちが書こうが書かまいが、それはあなたの決めることじゃありません。
   <  そうですね。 (^ ^)    >
>あなた、いつもそれを言ってるじゃないですか。自分の言ってることを自分で実践できないでどうするの?
   <  やれ、やれ。  (^^ゞ ぽりぽり   >
>俺はあなたにだけ言ってるんじゃなくて、このページを見てるみんなにも言ってる

 なるほど。そうだったんですか。
 「みんながなんて勝手に決め付けないでください」なんて返事が渡海 難から来れば、貴方はどうされるおつもりだったんですか。「決めつけてなんかいない」と、強く返事するおつもりでしたか。
 「決めつけてなんかない」と強く自信持って言えるんなら、「なんてのがきそうだな」などという心配は、最初から必要ないでしょう。自信ある返信は書けそうもないとお感じなんじゃないかと、僕は思ったんですよ。相手からの反応が予想できて、しかもそれにうまく対応できないかも知れないという心配があるなら、最初から書かなければいい。老婆心からのアドバイスだったんです。老婆心が裏目に出た感じですね。ずいぶんとご不快のご様子です。

>勝手に指図しないでください。

 (^^ゞ ぽりぽり  指図されたようなご不快な感じをもたれたんですね。老婆心からのアドバイスだったんですよ。余り気にしなさんな。

205 :渡海 難 p27-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/14(火) 09:38
198さん
>ほんととかいはチンポコだな〜

 (^^ゞ ぽりぽり これどういう意味?
 チンポコっておちんちんという意味だよ。ヘンチクリンという意味だと思っていた?日本語で、チンポコにヘンチクリンという意味は無いんだけどね。
 あなたはおちんちんと言う言葉が大好き?。あなたはおちんちん大好き人間?。頭の中はおちんちんのことで一杯になっていて、みんなおちんちんに見えてくる?
 道を歩けば、歩いている人はみんなおちんちんに見える。大根もにんじんもおちんちんに見える。ソウーセージもアイスクリームもみんなおちんちんに見える。そういう人かな?

206 :渡海 難 p27-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/14(火) 09:38
199 渡海 難似さん
 渡海 難に似せた名前が繁盛しますね(苦笑)。
 あなたも198と同じようじにおちんちん大好き人間?
 ところで、渡海 難に似せたHNを使うところから察するに、2CHの渡海 難に目が縛り付けられて目が離せないお方のようですね。渡海 難の動きを2CHだけでも注目してずっと追ってくださると、その内には私の考えも少しづつ分かっていただけるようになるかも知れません。その日が来ることを期待しています。

207 :渡海 難 p27-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/14(火) 09:40
>200 「よ」さん。
     <やあ。お久しぶり。>
>最初から、全部読もうとしたら、結構たいへんですね。
     <そうですね。>
>宗教に興味を無くしてました。
    <そう言えば、インターネットで出会うのも半年振りぐらいかしら。>
>2CHより、もうちょっとよい場所は無いんでしょうか、、、。
 いま、僕は「よ」さんのような人を相手にしている時期じゃないと思ってるんです。「よ」さんのような人というのは、ある程度僕の考えに同調してくれて、静かに僕の話に耳を傾けてくれる人という意味です。
 僕は僕の主張に真っ向から反発してくるような人に、片言隻句でも自分の考えが受けいれられるものかを試したいんです。自分の主張の普遍性の問題です。自分で見極めたいんです。
 「よ」さんのように、じっくり聞いてくれる人を無視するつもりはない。でも、こちらもどんどん変化していかないといけない。変化の途中では関心を向ける対象も変わって行く。
 きっちりした話をしたいと仰ってくださることは嬉しい。いま僕は自分のホームページで、掲示板を下げました。接続会社との関係もあってのことだけど、今は2CHに集中しています。きっちりした話をしたいと仰ってくださる場合はメールをください。

>ごちゃつきますし、ここの雰囲気にそまってしまうのも嫌ですし、、。きっちりした話をするにはそぐわない場かもしれないですね。

 僕の言うことにも真剣に耳を傾けてくれる「よ」さんのような人ときっちりした話をするところではないようです(苦笑)。
 今は、しばらく僕の好きにさせてください。

208 :渡海 難 p51-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/14(火) 09:45
203,202 難度海 沈降さんへ
>ちょっと笑った。いかれてる。

 あなたもおちんちんに異常反応を示す方ですか。おちんちんちん大好き人間ですか。まあ、いろんな趣味の方もいらしゃいますからね(苦笑)

>親鸞は新潟あたりにいるときに時の政府から許されたよ。
     <そのようですね。>
>というのを考えていくのが面白いな、ってふうに、興味はうつっていると思ったんだが。
     <なるほど。>
>吉本隆明が『最後の親鸞』か何かですっごい個人的な見解を述べていて、とっても面白かった。
     <なるほど。>
>でも、わたしは非常に面白いと思う。
     <なるほど。>

209 ::2000/11/14(火) 15:55
>僕は僕の主張に真っ向から反発してくるような人に、片言隻句でも自分の考えが受けいれられる
ものかを試したいんです。自分の主張の普遍性の問題です。自分で見極めたいんです。
今は2CHに集中しています。

了解しました。正直、何を考えてられるんだか、、、???と思ってました。

>203 ここのスレッドはあんまり参考にならないでしょうね。

中途半端な非難、中傷で終わってるとこより参考になると思います。
2chにも、進歩性のある話題を提供するスレッドがあってもいいと思いますしね。
今後、どんな方がどんな発言をされ、どう展開して行くかわかりませんし。


210 :名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 16:06
渡海難はチンポコという言葉に異常反応を示すおちんちんちん大好き人間らしいね!

211 :名無しさん:2000/11/14(火) 17:15
210さん、俺が言おうとしたのに、先を越された!(クヤシ〜)

212 :名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 17:51
オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

オウムの母体、阿含宗を潰せ!!!!!

213 :名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 18:03
オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!

オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!

オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!

オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!

オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!

オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!

オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!

オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!

オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!

オウムを育てたカルト教団の阿含宗は実に異常で恐ろしい!!!


214 :渡海 難 p027-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/14(火) 18:12
210,211さん
>渡海難はチンポコという言葉に異常反応を示すおちんちんちん大好き人間らしいね!
>俺が言おうとしたのに、先を越された!(

 (+_+)ウワッ!
 おちんちんちんというキーワードに反応する人がまたまた出てきたよ。(^^;ゞ
 やれやれという感じだな。210さん。211さん。あんたらは、198さんや199さん、202さんと同じ人?違う人?
 おちんちんちんはもうたくさんだよ。あのね。僕にとってもおちんちんちんは大事な一部なの。210さん。わかる?男にとって好きとか嫌いとかじゃないの。痛くなれば困るし、病気になれば仕事を放り出してでも医者に行く。好きでも嫌いでも関係ないの。大事なものなの。
 もういい。たくさん。馬鹿馬鹿しいから僕は今後おちんちんの話しない。1抜けた。198さん、199さん、202さん、210、211さん、そんなに好きならあんたらで勝手におちんちんちんの話で競争して興奮して盛り上がってればいい。あー馬鹿馬鹿しい。

215 :名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 19:01
やっぱり渡海難はなぜか男性器を示す言葉に異常反応を示してるね!
きっとおちんちんちん大好き人間なんだね!

216 :名無しさん:2000/11/14(火) 21:54
215に一票。

確かにね〜!
1抜けただってよ! こいつ抜いてんだ。(+ +)ウワッ! 何を?

217 :渡海 難似:2000/11/14(火) 21:59
渡海 難>おちんちんちんというキーワードに反応する人がまたまた出てきたよ。(^^;ゞ

おちんちんには反応しているが、「おちんちんちん」て何?

218 :名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 23:52
丶  ̄    、 /
       /  ' _/| " "     Y
    /'" 〃  ` '@`-ー '))"~)) )ζ
   <    ヽ /(( ((  (( _@`))_)) ))@`@`
    \__V)) )) ( __ ))@`@`ー、(( (( ))
        (( (( (('@`-、´' ´`''~ ζ)) )
         ( (( ))'`'~   、 '"ζ(( ))      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ) )) )\″  ゜_.λ(( (( ゛  <
         ( ( ( ) > ̄    ヽ、))@`'^^'' 、 |  アア・・・・・センセイ・・・・
          @` -―ー '"   ;   '     7   !) \_________________
         / @` '"^、 `ー-、 _@` -ー   !   /'|
      |'   _ミ7ゝ     @`.    !   / |
         ||  Y'    ::y'     :   |  |
       |.|   |     :     :   |  !
          |'   ! .'◎@`   |  '◎@`!   |@`/
       |   ヽ、  @`人     ノ   |
         !    | `゛´  ` ー 'ヽ   ノ
          i    |           ヽ、_@` '
          ヽ、__ ノ          /
          /     r       |
         /               i
       /                !
     _o/   `       @` '  .|
     //ヾ'~~"''ー、_|__  __/_@` -'"~!
    7        |  ̄ / ̄    \
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     |           |"~、|        \
   |         |  ヽ        \
    |           |  ヽ        \




219 :難度海 沈降:2000/11/15(水) 05:45
>208
>あなたもおちんちんに異常反応を示す方ですか。
>おちんちんちん大好き人間ですか。
>まあ、いろんな趣味の方もいらしゃいますからね(苦笑)

ちょっと考えれば違うことが解ると思うんだがなあ。俺は

>>チンポコでない人もチンポコな人、チンポコな人もチンポコな人、チンポコな人みなさん仲間です。
>ちょっと笑った。いかれてる。

と書いているでしょ?
渡海氏のこの部分で吐いた言葉の語感がおもろくて笑ったんだけど。
「チンポコ」と「おちんちん」とではあまりに語感が違う。

俺は全然「おちんちん」と違う水準で反応していたのに、
渡海氏の方が
>あなたもおちんちんに異常反応を示す方ですか。
>おちんちんちん大好き人間ですか。
と言われても仕方ない反応を示してると思うんだな。
>まあ、いろんな趣味の方もいらしゃいますからね(苦笑)
渡海氏がそういうふうに反応を示す趣味の人であっても
わたしは全然構いません。

220 :難度海 沈降:2000/11/15(水) 05:50
渡海氏は「2」で

>親鸞の場合、明治天皇から大師称号を送られているという事実はありますが、
>八百年前の断罪に対する政府の訂正はありません。

と書いている。

800年前の断罪に対する政府の訂正は、800年前くらいに実施されてるんだけど。
その指摘に対してそんな反応で本当に良いの?

221 :渡海 難 p28-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/15(水) 09:13
>800年前くらいに実施されてる

僕は知らない。どんなふうに実施されているの?

222 :難度海 沈降:2000/11/15(水) 12:48
> 221

203 わたしの書き込み↓
> 親鸞は新潟あたりにいるときに時の政府から許されたよ。
> 法然も許されて京都に帰ったよ。

208 それに反応しての渡海氏の書き込み↓
> >親鸞は新潟あたりにいるときに時の政府から許されたよ。
     <そのようですね。>

こう書いておきながら

221 渡海氏の書き込み↓
> 僕は知らない。どんなふうに実施されているの?

なにをどう見て<そのようですね>と言ったのか、わたしには解らない。
たぶん、わたしの書き込みの内容が渡海氏の心に届いていなかったとかではなく、
渡海氏には単純に日本語読解能力が欠けていると判断すべきかも知れない。

223 :難度海 沈降:2000/11/15(水) 12:49
親鸞と法然に対する時の政府からの赦免という事実は単純な歴史的事実だ。
だから自分で調べたまえ。

『最後の親鸞』にだって書いてあるし、
他の、親鸞を扱った詳細な伝記の多くにも書かれているし、
浄土教の流れを概観した書物の多くにも書かれているし、
あるいは、ひょっとすると山川の日本史教科書か用語集か、
あるいは他の副読本にさえ書いてあるかも知れない。

なんにせよ、自分で調べてくれ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。
歴史的事実に関する知識が、渡海氏には不足しているようだから、
この際、全部徹底的に調べてみたらどうだ?

科学的じゃない方法(思い込みから出発する)で開始しても構わないが、
何か知るたびに先入見は自分で打破していかなければならんだろう。
がちがちの先入観に固まって他の意見や事実を寄せ付けない人間は
他人から嫌われ疎まれさげすまれ相手にされないことが多いから、
渡海氏もそうならないように気をつけたまえ。

遅かったかな。

224 :難度海 沈降:2000/11/15(水) 12:52
「2」の「断罪」という設定がそもそもおかしいのではないか。
わたしはそう考えるが。

225 :渡海 難 p110-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/15(水) 14:20
>親鸞と法然に対する時の政府からの赦免という事実は単純な歴史的事実だ。だから自分で調べたまえ。
>渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。歴史的事実に関する知識が、渡海氏には不足しているようだから、この際、全部徹底的に調べてみたらどうだ?

 自分をなに様と自惚れているのか。「自分で調べたまえ」などと、随分と生意気に高いところからの物言いですね。不愉快だから貴方の勝手な思いこみ価値観を押しつけないでくださいな。
 あなたは早いところ医者に行って頭を治して来なさいよ。

>「断罪」という設定がそもそもおかしいのではないか。

 その危険性はあるかもしれない。ただ、貴方の思いとこちらの思いはズレがあるかも知れないに。そもそもおかしいという貴方の考えはどういうとろに基づくの?

226 :渡海 難 p41-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/15(水) 14:57
 難度海 沈降君。あのね。赦免と訂正は違うのよ。君は赦免と訂正が同じだと思っているの?
政府の訂正っていうのはね、政府自らが、あの処罰は間違いだったと宣言し、有罪処分を法的に撤回することなのよ。訂正とは誤りを正すということ。政府自らが処罰の誤りを正すことなのよ。
 親鸞は数年で赦免になる。赦免というのは、政府自らが処罰の誤りを認めるということじゃないの。お前は罪を犯した。罪を犯したが、その償いは終わったことにしよう。そういうことなのよ。償いは終わったということは、償わせた処分も誤りだったと認めるということじゃないのよ。
 現代でも、無期懲役刑の場合、10年くらいで仮釈放になる。有期刑でも、4,5年で赦免になる。これは、「貴方を有罪にした判断は誤りだった。だから、有罪判決そのものを無効にする」という、そういう処分ではないのよ。
 お前は「歴史知識に不足がある」などと大見得切るなら、自分で知能検査を受けてきなさい。君は年はいくつかな?赦免と訂正の違いくらいは、知能検査ではいい問題でしょう。

227 :渡海 難 p41-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/15(水) 18:43
 こんにちは会を12月下旬に東京もしくは横浜で開催いたします。
 浄土通信にも書いてありますが、知らない方もおられると思いまして念のため。
 これを機に念仏宗渡海会の会員になりませんか。

228 :渡海 難 p108-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/15(水) 19:06
 不愉快です。
 227は 渡海 難本人のカキコはありません。「p41-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp」の字体が本物と異なります。
 念仏宗渡海会などというものも存在しません。こんにちは会は開こうと思っていますが、2CHで呼びかけるつもりはありません。

229 :名無しさん@とかいはいらない:2000/11/15(水) 21:10
難度海 沈降さん、がんばれ!
俺はどう見たって難度海 沈降さんの方が客観的だと思う。

230 :難度海 沈降:2000/11/15(水) 21:59
>229 名無しさん@とかいはいらない さん

ありがとう。
ほんっと疲れるけど、がんばります。

231 :名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 22:25
>229


   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< オレモナー
  (    )  \_____
  | | |
  (__)_)


232 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:26
>231さん

ありがとう。

233 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:27
>渡海氏

はあ、なるほど。渡海氏の中での「訂正」と「赦免」というのは違うのね。
よくわかった。だから

「208」に
「>親鸞は新潟あたりにいるときに時の政府から許されたよ。
     <そのようですね。> 」

「221」に
「>800年前くらいに実施されてる
 僕は知らない。どんなふうに実施されているの?」

という書き込みがあったわけで、矛盾を感じていないわけか。
なるほど。

おかしいと思ったんよ、そんな程度のこと(赦免)も知らないのかと思って。
その点については謝ります。すみません。

しかし。

234 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:27
さて。

>192
「>渡海氏はどう考えるのだろう?
    <16回もくり返す貴方は頭がおかしいと思う。> 」

わたしは
「渡海氏の言葉がそもそも省略可能だし、
 このスレが省略可能だとわたしは思うが、渡海氏はどう考えるのだろう? 」
と聞いているのに、それに対してこのレスなの?

俺はコピペをくり返し、またコピペをくり返しただけだから「16回」という認識はなかったよ。
よくまあ数えたね、こんなくり返し。

>192
「>多分、これに対しても<なるほど。そうですか。そうですか>という言葉が来て終わりだろう。
    <お門違いじゃ。僕は医者じゃないからアンタの相手はできないよ。> 」

できないならするなよ。言ってることとやってることが矛盾しまくってないか。
相手をせずにいられないから書いている、強がりとして書いている、
そのように読めるんだが、違うかな?

235 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:28
>192
「>他人の言葉を受け取って、それでキャッチボールをしようとしない人にはスレを立てて欲しくない。わたしはそう思うが、渡海氏はどうか。
    <頭のおかしい人とは掲示板なんて言うツールでキャッチボールなんかできない。> 」

俺の頭がおかしいの? そういう文脈の文だよね? そんなことどうやって解ったの?
あなたは
「医者じゃない」
んでしょ?
なのに、カウンセリングもしてない相手の頭がおかしいかどうかわかるの?

他人に「決めつけるな」ってよく言ってるくせに、渡海氏は他人のことをすぐに決めつけるねえ。
自分ができないこと、しようとも思っていないんじゃないかとこちらが判断せざるを得ないようなことを
渡海氏は何度繰り返せば気が済むのだろう?
永遠に気が済まないの? それほどに学習能力がないの? そんなにアホなの?

>192
「>多分、これに対しても<なるほど。そうですか。そうですか>という言葉が来て終わりだろう。
    <お門違いじゃ。> 」

うん、そうだったようで。
無茶苦茶に感情的なレスが来て、楽しかった。
ただ感情的すぎて、論証も論理もへったくれも何もない文章で、
非常にげんなりしている。

>192
「>と書いても<なるほど。そうですか。そうですか>と言っておわりなんだろうな。
    <僕にはアンタの相手は出来ないから、ちゃんとお金を払って専門治療家の所に行きなさい。>」

相手が出来ないと書いて、専門治療家の所に行けと書いて、
でもその直前部で俺の頭がおかしいと懇切丁寧に診断までしてくれているねえ。
渡海氏って、本当に、自分の言葉に敏感じゃないんだね。

236 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:28
>193
「そう思ったら、最初から書きなさんな。」

だって、あのくらい書かないと渡海氏はそれ以外の言葉で答えてくれないと思ったから。
これは決めつけではないよ。
俺がそういうふうに思うに足るだけの、そのような結論を演繹しても良いくらいに
確かな事実がこのスレッドには満ちあふれています。
そのくらいは渡海氏にだっていくらなんでも解ると思ったんだけど、解らなかったみたいだねえ。

237 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:29
>225
「自分をなに様と自惚れているのか。「自分で調べたまえ」などと、
 随分と生意気に高いところからの物言いですね。
 不愉快だから貴方の勝手な思いこみ価値観を押しつけないでくださいな。
 あなたは早いところ医者に行って頭を治して来なさいよ。」

第一文・第二文・第三文と、第四文との関係が不明確だが、説明して貰える?
「生意気に高いところから」ものを言うと、あるいは
渡海氏に「不愉快」な「勝手な思い込み価値観を押しつけ」ると、
皆んな「医者に行って頭を治」さないとだめなの?
そんな短絡的な考え方をしてしまうほど渡海氏は冷静じゃないの?
渡海氏はそこまで何かに追いつめられているの?
どうしたの?
そんなに感情的な文章を書いて?

>225
「>「断罪」という設定がそもそもおかしいのではないか。
 その危険性はあるかもしれない。ただ、貴方の思いとこちらの思いはズレがあるかも知れないに。
 そもそもおかしいという貴方の考えはどういうとろに基づくの?」

第二文・第三文への回答は示しました。
第一文についてはまた書きます。

238 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:29
>226
> 難度海 沈降君。

渡海氏から「君」呼ばわりされるのはなんかイヤだなあ。


>226
> あのね。赦免と訂正は違うのよ。君は赦免と訂正が同じだと思っているの?
> 政府の訂正っていうのはね、政府自らが、あの処罰は間違いだったと宣言し、
> 有罪処分を法的に撤回することなのよ。訂正とは誤りを正すということ。
> 政府自らが処罰の誤りを正すことなのよ。

なるほど。

>226
> 親鸞は数年で赦免になる。赦免というのは、政府自らが処罰の誤りを認めるということじゃないの。
> お前は罪を犯した。罪を犯したが、その償いは終わったことにしよう。そういうことなのよ。
> 償いは終わったということは、償わせた処分も誤りだったと認めるということじゃないのよ。

丁寧にありがとう。渡海氏がどのように理解しているのかは解った。

ならば、果たして何が「罪」となったのか、その「罪」は本当に罪だったのか、
また、
その時の政府に無謬性を付与して良いのか、というのが問題になるね。
為政者が誤っていることなんてザラにあるから検証しないといかんよね。
誤謬に満ちた為政者が無実の罪で人間を断罪することなんて珍しくないし、
そのことについて訂正も何もしないままでいることも珍しくないから。

239 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:29
>226
>  現代でも、無期懲役刑の場合、10年くらいで仮釈放になる。有期刑でも、4,5年で赦免になる。
> これは、「貴方を有罪にした判断は誤りだった。だから、有罪判決そのものを無効にする」という、そういう処分ではないのよ。

ふむ。何度も何度もありがとう。もう良いよ。

>226
>  お前は「歴史知識に不足がある」などと大見得切るなら、自分で知能検査を受けてきなさい。
> 君は年はいくつかな?赦免と訂正の違いくらいは、知能検査ではいい問題でしょう。

「お前」になったか。

あのねえ。
慥かに渡海氏が親鸞赦免の事実すら知らずに「2」を書いたと誤解した俺は悪いと思うけど、
そしてその誤解をもとにして「生意気に高いところから」ものを言った俺は悪いと思うけど、
そういうふうに誤解したり「生意気に高いところから」ものを言ったりすると、
人はみな
「医者に行って頭を治」したり
「自分で知能検査を受けてき」たりしないと駄目なの?
もし本気でこういうアドバイスをくれているのだとしたら、
まず渡海氏自身が自分の言葉通りに
「医者に行って頭を治」したり
「自分で知能検査を受けてき」たりしないと駄目なんじゃないの?
だって、渡海氏はこのスレでそういうことばかりやっているし。
それに決めつけの数も10や20じゃきかないでしょう。

240 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:30
本当に、渡海氏は、他人の心配よりも自分の心配をした方が良いと思うよ。
「医者に行って頭を治し」たり
「自分で知能検査を受けてき」たり、しなくて本当に良いの?

俺は渡海氏がいなくなってしまう寂しさには
それはもうものすごく簡単に耐えることが出来ると思うから、
別にこのレスに反応しなくても良いから、
本当に、自分で必要だと思ったら、いつでも医者に行ってくれね。

あとさあ。年齢が何か関係あるの?
> 君は年はいくつかな?
という文は前後の文脈からかなり浮いているように見えるんだが。
一体なんで俺に年なんて聞こうとしたの? どこかで気になってるの?
だからこんな、文脈と無関係なところで聞いたのかなあ。
俺にはすごい不思議だよ、ここで年齢を話題に出すの。

あとさあ。
知能検査にそんな「赦免と訂正の違い」なんて問題は出ないんじゃない?
俺はかなり不適切な設問だと思うんだけど。それは知識検査で問うべき問題でしょう。
知能というのは、賢さでしょ、言ってみれば。
知識がなくてもすんごい賢い人がいる、だから、知能検査はそれを調べようとしてるんじゃないの?
逆に、知識はあるんだけど全然賢くない人もいる、それも調べようとしてるんだと思う。
だからさ、
知能検査でそんな「赦免と訂正の違い」なんてものは問わないと思うよ。

241 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:30
さて、
「赦免と訂正」というところです。

法然や親鸞を島流しにした時の政府は、一体何を以て彼らを断罪したのか。その背景には何があるのか。
渡海氏は「2」で

> 生前、親鸞の思想は、法然思想とともに、公式に断罪されています。
> 断罪はその後も法的には有効のまま放置されたままになっています。

と書いている。この文、下は良いでしょう。でも上の文はどうでしょう、渡海氏。
親鸞の思想はその時ほんとに断罪されたのだろうか? 法然の思想は断罪されたのだろうか?
俺は、親鸞の「思想」は断罪されていないと思ってるんだが。

断罪されたのは、法然の弟子が「若い女を二人たぶらかした」という濡れ衣や、
念仏を広めていたということを、でしょ。思想は断罪されてないと思うが。
法然の思想がもしかして断罪されていたとしても、
親鸞はなんで新潟に流されたのか、実は歴史的には解ってないんじゃなかったっけ。
なんであんな末弟(親鸞)が一緒に流されたのか、わたしも正直わかりません。
なのに、あなたはそれを思想が断罪されたと見る? 根拠は、どこにあるのだろう?

また、俺いま「法然の思想が断罪されていたとしても」と書いたけど、どうだろう。
思想なのかな。行為が問題にされたんじゃないのかな。念仏を広めている、という行為を。

242 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:30
また、法然の「念仏を広める」という行為とともにその思想が断罪されていたとしても、
それは、本当に断罪すべきことだろうか?
その時の政府は正しい断罪を行ったのだろうか?

念仏を広めたら何か困ることが起こるだろうか?

当時の政府をせっついて法然集団を「断罪」させたのは、
法然が人を集めてしまって、経営的に立ちゆかなくなるかも、
という危機感を抱いた興福寺や比叡山の人間たちじゃなかったっけ。
思想や行為なんてものははなっから問題じゃなく、
ただただ、興福寺や比叡山の人間たちは、自分たちの権力や地位を守るために
政府にはたらきかけ、それによって、時の政府による
「公式」な「断罪」が行われた、ということに過ぎないのではないのかな。

ってことは、その「断罪」は、正しい断罪なのだろうか?
わたしは、正しくなかったんじゃないのかと思ってるんだが。

また、同じく「2」には
> 親鸞の場合、明治天皇から大師称号を送られているという事実はありますが、
> 八百年前の断罪に対する政府の訂正はありません。

とあるけど、まず、「大師称号」って何? 「大師号」だと思うんだが。
どっかで訂正してるかな? それとも、そう言うんだっけ。

243 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:31
800年も経ってるからねえ。
政府の体系も体質も何もかも、時代さえ異なっているからねえ。
ま、でも、渡海氏はきっと、時代が変わっているとかは問題にしないんだと思うんだ。
違っていたら訂正してくれよ。
「病院」とか「医者」とか「知能」とか「年はいくつ?」とか
関係ないこと言わずに。

じゃあさあ、政府ってのは罪人を罪人のままにして大師号を贈るもんなんだ。
罪人であれなんであれ、大きい影響力を持っている教団が
「法然にばっかりずるい、50年に一回とは言わないけど親鸞にも大師号くれ」
と言ってきたら、罪人であるとか訂正してるとか気にしないで
大師号を贈ってしまうもんなんだ?
おっかしいもんなんだね、政府ってのは。

政府って、そんな安直なもんなんだ。だったらさあ、
興福寺や比叡山から何か言われて、それだけで
罪のない人に罪を着せて島流しにすることなんてお手のものなんじゃないかなあ。

きっと、その時々の、大きな影響力を持った集団が何か言ってきたら
「ハイ!」って言うこと聞いちゃうようなもんなんじゃないの?
親鸞が「断罪」された、という事実は残ってるかもしれないが、
その「断罪」の内容は依然不明だし、思想が「断罪」されたのかどうかわからないし
(法然の後ろにくっついていたから、というだけの理由かも知れないし)、
時の政府の「断罪」が正当な「断罪」だったのかさえ疑問符つきで見なければならないし、
いろいろ問題があるんじゃないのかなあ、

> 生前、親鸞の思想は、法然思想とともに、公式に断罪されています。

と言うのは。

244 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:31
>2
> それ以前に、宗教的正当性とは何か。ここも問題になるでしょう。

じゃあ、問題にしてくれよ。
政府の「断罪」で宗教的正当性は揺らぐのかどうか。


>2
> 八百年昔、親鸞がどう裁かれたのか、具体的なところは私はよく分かりません。
> 私は、八百年も昔に出された議論をここで蒸し返すつもりは全くありません。
> 資料的に不明確な過去の議論は全てご破算にし、

何を言ってるんだい? ご破算にして良いの?


>2
> 学問的に意味のある結論が出るかどうかは分かりません。

それはほぼ断言できる。でない。
なぜなら、渡海氏の論は独りよがりが過ぎて論証も何もないからです。
これは決めつけではありません。
自分の過去の書き込みを冷静に読んでみてください。

245 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:32
>2
> 宗教の本質についての社会への問題提起となり、
> 各地で新たな飛び火的議論を巻き起こす一石となれば幸いです。

これもほぼ断言できる。ならない。
渡海氏は宗教の本質について問題提起をしているわけではないし、
そのような議論をするためには、渡海氏の書き込みは
あまりに不適切だと言わざるを得ないから。

まず、断言が多く、決めつけが多い。
だからこのスレッドを読むとまずそこが気になる。
また、渡海氏の書き込みの性質や、レスの付け方、
そういうのも気になる。
で、
その語っている内容は、後回しにされる。
見ても、独りよがりでものすごくて、
とてもとても、渡海氏の書き込みは叩き台にはならない。
だから。

246 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:32
>2
> 様々な反論をインターネット上で交錯させることができれば幸いです。

知識的な間違いを犯したわたしに対して
「医者に行って頭を治して来なさいよ。」と言ったり
「知能検査を受けてきなさい。」と言ったりしてる渡海氏は、
上のように本当に思っているのだろうか。疑わしいな。
とにかく、

>2
> 民主主義の手続きで衆知を寄せ合い

なんてことはほぼ絶対に無理であろう。
民主主義とはなんぞや。
多数決ではないし、一人が断言することを諾々と受容することでもない。
議論をし、より高い場所に皆でたどり着くことである。

渡海氏の書き込みがいきなり非民主的であるのに、
> 民主主義の手続きで衆知を寄せ合
うなどということが、どうしてできようか。

247 :難度海 沈降:2000/11/16(木) 09:33
いやあ、本当に疲れる。
論理展開変かもしらん。

248 :名無しさん@1周年:2000/11/16(木) 15:58
おつかれさん…

249 :231:2000/11/16(木) 17:03
おつかれ様です<(_ _)>

250 :名無しさん@1周年:2000/11/16(木) 17:04
ナイスファイト!!

251 :名無しさん@1周年:2000/11/16(木) 19:27
 大多数の人が難度海 沈降さんの意見を支持するだろう。
 ただ、一人支持しない奴がいる。それは渡海難本人であろう。
 奴はいろいろな人からその独善的で支離滅裂なカキコに指摘を受けているがそれに聞く耳を持たない。
 多分難度海 沈降氏が呆れて姿を消すまでアホで独善的な反論を繰り返し、一方的に勝利宣言をするだろう。これは過去の浄土通信で行われた議論を見れば分かる。これが奴のやり方なんだよ。

 そして、このレスにも間違いなく
「あなたは親鸞会ですか」
「あなたはお坊さんですか」
という反応が渡海難本人から来るに違いない。

252 :229:2000/11/16(木) 22:32
難度海 沈降さん、ご苦労様です。

 私も、渡海氏には一度カキコしたことがあるんですが、その時ちょっと意地悪な感じの
書き方をしたんですね。その時は、渡海氏は教行信証なんかから引用したりするぐらい
なので、もとっ心の広い人だと思っていたんです。ところがその時のレスはというと、
251さんが言われている通り、「支離滅裂」だったんです。
 私はその時「2ちゃん」はまだ初心者だったので、渡海 難ってそこまで悪い奴じゃ
ないだろう、やっぱり「2ちゃん」て変な人が多いのか?(例のバスジャック事件で悪く
言われていたので)って思ったんです。ところが読むうちに考えが変わりました。
 まあ、反面教師という点では渡海 難氏の功績ですが(藁

難度海 沈降さん、こんな訳で、陰ながら応援しています。


253 :名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 09:14
渡海氏は、注目を浴びること、お好みのようですので、上げておきます。

                  合掌

254 :名無しさん:2000/11/17(金) 09:58
渡海さんは、すぐ切れますよ。

255 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:00
233 難度海 沈降 さんへ
>その点については謝ります。すみません。
    <分かればいいでしょう。>

234
>よくまあ数えたね、こんなくり返し。
 数を数えられたくなかったら、あんな馬鹿なコピペはしなさんな。一度で分かることも、くり返されれば相手は嫌みを感じる。人にものを聞く場合には聞き方がある。あなたは聞き方を知らない人間のようじゃ。聞き方を知らない人間は最低じゃ。「よくまあ数えたね、こんなくり返し」とは失礼千万。顔でも洗って出直してきたらどうなんだい。

>できないならするなよ。言ってることとやってることが矛盾しまくってないか。

 あなたは自分が相手して欲しいから僕あてにカキコをしているんだろう。相手にして貰っていれば文句言うな。こっちにはこっちの考えがある。

>強がりとして書いている、そのように読めるんだが、違うかな?
     <大きなお世話じゃ。相手にして貰っているなら文句言うな。>

256 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:02
235
>俺の頭がおかしいの? そういう文脈の文だよね? そんなことどうやって解ったの?

 質問しているのに、同じことを16回も書き並べれば、誰だって頭がおかしいと思うじゃろ。
 ものの聞き方を知らんやつは、頭がおかしいと思われても仕方あるまい。話を聞きたいのか、ケンカしたいのか、本心はどっちにあるんかと、質問された方は不安になるんじゃ。頭がおかしいと思われたくなければ、聞き方を研究しなさい。

>他人に「決めつけるな」ってよく言ってるくせに、渡海氏は他人のことをすぐに決めつけるねえ。

 「他人のことをすぐに決めつける」とアンタがいうなら、具体例を挙げるのが筋だろう。決めつけかどうかは主張の根拠を改めて検討して行く必要がある。相手に対し、「他人のことをすぐに決めつける」なんて理由もなく言えば、それが決めつけになる場合だってあるじゃろう。
 ただ、「僕が相手を決めつけることは無い」とは言わないよ。「決めつけることは無いとは言わないけど、「他人のことをすぐに決めつける」とあんたがいうなら、具体例を挙げてくれ。訂正と赦免の前例もあるからね。

>自分ができないこと、しようとも思っていないんじゃないかとこちらが判断せざるを得ないようなことを渡海氏は何度繰り返せば気が済むのだろう? 永遠に気が済まないの? それほどに学習能力がないの? そんなにアホなの?

 アンタが判断せざるを得ないかどうかは、僕の知ったこっちゃない。アンタ中心に世界が動いているんじゃない。自分が判断せざるを得ないかどうかを渡海氏は行動基準にしなければいけないの。あほらしい。アンタは自分をなに様と思っているんだい?犬のションベンでもいいから、顔でも洗ってきたらどうなんだい。アンタの価値基準をこっちに向けなさんな。 アンタのヘボ物差しを向けられたら、向けられた相手は迷惑する。

>無茶苦茶に感情的なレスが来て、楽しかった。 ただ感情的すぎて、論証も論理もへったくれも何もない文章で、非常にげんなりしている。

 楽しかったのか、げんなりしているのか、どっちなんだい。楽しければげんなりせんだろう。非常にげんなりしたら、楽しくないだろう。こういうところがアンタの場合は相手に自分の意志が伝わらんところなんじゃ。
 質問しているのか、感情を壊したいのか。16回も書いてケンカをするつもりなら、質問はしなさんな。質問するなら相手の感情を害さないように聞くもんじゃ。きちんと気持ちを整理しんさい。

>相手が出来ないと書いて、専門治療家の所に行けと書いて、でもその直前部で俺の頭がおかしいと懇切丁寧に診断までしてくれているねえ。渡海氏って、本当に、自分の言葉に敏感じゃないんだね。

 診断したけど、懇切丁寧だったかどうかは知らんよ。そう思うなら思うのいいじゃろう。質問したいといいながら、同じ事を16回も書けば、素人は「頭がおかしいんじゃないか」と懇切丁寧に思うじゃろう。「頭がおかしいんじゃないか」と懇切丁寧に思うのは素人判断。だから、素人ではない専門家のところに行きんさいと勧めただけじゃ。専門家はまた別の考えをもつかもしれん。言葉に敏感か鈍感かは知らんが、素人は専門家の判断領域を侵しちゃいかんのよ。

257 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:03
236
>だって、あのくらい書かないと渡海氏はそれ以外の言葉で答えてくれないと思ったから。

 だってとはなんじゃ? 甘ったれないでくださいな。あれは大人の文ではないでしょう。餓鬼タレの文章じゃ。
 ま、あの188と190とはアンタの自作自演だったということか?餓鬼の発想でも、手の込んだ芝居はしなさんな。外のカキコもアンタの自作自演が多いんじゃろう。
 それにしても、こんな失礼な予想を立てていたんなら、失礼な予想を立てていたことにまず詫びることが先なんじゃないんですかね。ま、何を詫びなくちゃいかんのかと言うんじゃろう。相手を見下した予想を立ててそれが外れれば、詫びを入れるのが社会の常識なんじゃよ。

>これは決めつけではないよ。
   <「これ」って何?  話を余り飛ばしなさんな。>
>俺がそういうふうに思うに足るだけの、そのような結論を演繹しても良いくらいに確かな事実がこのスレッドには満ちあふれています。

 「俺がそういうふうに思うに足るだけ」
 世界はアンタの回りを回ってるんじゃないのよ。アンタが思うのは勝手。アンタが何を思ってもそんなことは世界の標準にならないの。
 アンタの思考はいつも右往左往でしょう。訂正と赦免とを勘違いするほどなんだから。あんたが何を思うのも、あんたの勝手。結論をどう演繹してもアンタの勝手。あんたが勝手に思う事実は世間に山ほどあるでしょ。勝手にあんたが思ったからといって、他人にそれがどれほど意味があるの?自分が思えば他人に意味があると思うなー。アホー。

258 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:04
237
>第一文・第二文・第三文と、第四文と不明確だが、説明して貰える?

 どれを第一文、どれを第二文と言っているのか不明です。自分が思っていることはそのまま相手に伝わると思いなさんな。どれが第一文、どれが第二文 、第一文のどこと第二文のどことがどのように分からないかを言いなさい。
 それともあなたは僕が対応できないような質問を提示したいですか?

>皆んな「医者に行って頭を治」さないとだめなの?

 皆んなとは誰のこと? アンタは自分一人で皆んなになるのか。アンタはみんな自分と一緒と思っているのか。アンタみたいにぶしつけに自分の価値観を押しつけてくる人は、アンタが「皆んな」と言うほど多くないんじゃ。

>冷静じゃないの? 渡海氏はそこまで何かに追いつめられているの? どうしたの? そんなに感情的な文章を書いて?

 赦免と訂正を勘違いするような馬鹿やってる人から「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」などとほざかれたから頭に来たんですよ。大人と思って相手してきたら、おつむはションベン小僧以下だった。こっちも感情の動物です。言われていやなら、「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」などという失礼な言葉は2度と吐きなさんな。
 こんな言葉を吐くんなら、その前に犬のションベンでいいから顔を洗ってきんさいよ。

>第二文・第三文への回答は示しました。第一文についてはまた書きます。
   <???>

259 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:06
238
>渡海氏から「君」呼ばわりされるのはなんかイヤだなあ。
     <それなら少しは大人の考えをしてみなさい。世界はアンタ中心に回ってるんじゃない。>
>ならば、果たして何が「罪」となったのか、その「罪」は本当に罪だったのか
     <そんなことは、日本史の先生と相談しなさい。私には関係ないことざんす。>
>また、その時の政府に無謬性を付与して良いのか、というのが問題になるね。

 無謬性を付与??  (・_・? 無謬性って付与するものなの?アホクサ。  「君」呼ばわりされるのがイヤなら、犬のションベンでいいから先に顔を洗ってきんさいよ。

>為政者が誤っていることなんてザラにあるから検証しないといかんよね。
     <あんたが歴史学者になってやりんさい。私にそんな暇はないンスヨ。>
>誤謬に満ちた為政者が無実の罪で人間を断罪することなんて珍しくないし、そのことについて訂正も何もしないままでいることも珍しくないから。
     <だったらそれがなんなのさ。餓鬼の相手をする暇はない。>

260 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:07
239
>もう良いよ。

 これだからアンタは常識がない。自分の間違いを教えてもらって「もう良いよ」は失礼でしょう。甘ったれるのはよしんさい。

>「お前」になったか。

 ここは括弧の開始位置の誤記です。m(_ _)m 失礼しました。 お前などと呼称するつもりはありません。
 <「お前は歴史知識に不足がある」などと大見得切るなら、>と書きたかったんです。

>渡海氏が親鸞赦免の事実すら知らずに「2」を書いたと誤解した俺は悪いと思うけど、
>「医者に行って頭を治」したり「自分で知能検査を受けてき」たりしないと駄目なの?

 いくらションベン小僧でも、誰に相談するかは、2CHで相談しなさんな。
 赦免と訂正を勘違いするような馬鹿やってる人から「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」などとほざかれたから、こっちは頭に来たんですよ。こっちも勘違いある。赦免と訂正程度の勘違いぐらいはあるかも知れませんよ。でもね、「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」などまでほざくんなら、自分の反省ぐらいちゃんとしなさい。どこまで底抜けのアホかと、こっちはいまでもびっくりしているんですよ。

>もし本気でこういうアドバイスをくれているのだとしたら、まず渡海氏自身が自分の言葉通りに「医者に行って頭を治」したり「自分で知能検査を受けてき」たりしないと駄目なんじゃないの?

 必要があると思えばこっちも行くでしょう。完璧じゃないのはお互い様じゃ。僕が行く前にあんたが行ってくればいいじゃろう。そんときゃ、あんたは親に付いていってもらうんじゃろう。

>決めつけの数も10や20じゃきかないでしょう。
 他人を決めつるのもいい加減にしなさいよ。<渡海氏に「不愉快」な「勝手な思い込み価値観を押しつけ」≪No237≫>ておいて今更何を言うんじゃい。

261 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:08
240
>俺は渡海氏がいなくなってしまう寂しさにはそれはもうものすごく簡単に耐えることが出来ると思うから
   <寂しく思えなどと誰も頼んでおらん。馬鹿馬鹿しい。>
>本当に、自分で必要だと思ったら、いつでも医者に行ってくれね。

 おおきなお世話じゃ。
 赦免と訂正を勘違いするような馬鹿やってるんなら、あんたこそ「自分で調べたまえ。アンタをそこまで過保護にする気にはない」よ。

>年齢が何か関係あるの?

 大人は、相手が子供の場合、子供の対応をするんです。あんたはお尻の青アザはもう無くなったんかい? 大人は相手の能力を見極めながら話を進めるもんなんじゃい。

>知能検査にそんな「赦免と訂正の違い」なんて問題は出ないんじゃない? 俺はかなり不適切な設問だと思うんだけど。それは知識検査で問うべき問題でしょう。知能というのは、賢さでしょ、言ってみれば。知識がなくてもすんごい賢い人がいる、だから、知能検査はそれを調べようとしてるんじゃないの?
   <そんなこたぁ、心理学者に聞いてくれ。>

262 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:09
241
>法然や親鸞を島流しにした時の政府は

 法然や親鸞は島流しというのか? 流刑は遠流・中流・近流がある。土佐などに流すのを遠流という。流刑では最も重い。法然は最初土佐に決まった。その後減刑されて讃岐に行っている。越前は近流という。流刑の中では最も軽い。親鸞は越後だから越前より遠い。中流となるのだろうか。親鸞は、自分は遠流だと言っている。島でなくても島流しというのか?

>親鸞の思想はその時ほんとに断罪されたのだろうか? 法然の思想は断罪されたのだろうか?俺は、親鸞の「思想」は断罪されていないと思ってるんだが。
    <なるほど、アンタの勝手じゃ。わしゃ干渉せん。>
>根拠は、どこにあるのだろう?

 諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし。ここをもって興福寺の学徒、聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。
これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す(教行信証)。

 釈迦教に基づく寺々は、仏教の教えに暗く、真実に至る真実の入り口と仮の入り口とを知らない。都の儒学者達は、行うべき行為の選択につまづいて正邪の道の区別がつかない。これを背景としてその結果、興福寺の学徒は、聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に訴えを起こした。天皇も臣下も共に法に反し、正義に違って怒りを起こし、心に怨みを結んだ。その結果、真宗を隆盛させた法然上人並びにその他の門弟達は数人は、罪とがなくあからさまに死罪とした。ある者には僧籍を奪って俗称を名乗らせ、流刑に処した。

 仮をさしおきて真をもちいるこそ、聖人のご本意にてそうらえ。(歎異抄)
 真と仮を分け、仮ではなく真を選択することこそ、親鸞の思想でしょう。真と仮を分ける思想が裁かれたというのが、少なくとも親鸞の認識だと思います。
 教行信証は、裁かれた側の当事者が書いたものです。歴史資料学的にはどこまで説得性があるか、真実性があるかは私は評価できません。私は歴史家ではありませんから、歴史資料学的な検討はしません。少なくとも、裁かれた親鸞は、親鸞・法然の思想が裁かれたと考えていたと思います。

>また、俺いま「法然の思想が断罪されていたとしても」と書いたけど、どうだろう。思想なのかな。行為が問題にされたんじゃないのかな。念仏を広めている、という行為を。

 なるほど。アンタが想像するのは勝手じゃろう。そこまでわたしゃアンタの相手はでけまへん

263 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:10
242
>また、法然の「念仏を広める」という行為とともにその思想が断罪されていたとしても、それは、本当に断罪すべきことだろうか?その時の政府は正しい断罪を行ったのだろうか?念仏を広めたら何か困ることが起こるだろうか?
    <そんなこたぁ、私の知ったこっちゃありません。>
>危機感を抱いた興福寺や比叡山の人間たちじゃなかったっけ。
    <そんなこたぁ、私の知ったこっちゃありません。私は興福寺や比叡山の人間ではありません>
>思想や行為なんてものははなっから問題じゃなく、ただただ、興福寺や比叡山の人間たちは、自分たちの権力や地位を守るために政府にはたらきかけ、それによって、時の政府による「公式」な「断罪」が行われた、ということに過ぎないのではないのかな。
    <私の知ったこっちゃありません。>
>その「断罪」は、正しい断罪なのだろうか?わたしは、正しくなかったんじゃないのかと思ってるんだが。
   <私の知ったこっちゃありません。>
>「大師称号」って何? 「大師号」だと思うんだが。
     大師号が正解。

264 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:11
243
>「病院」とか「医者」とか「知能」とか「年はいくつ?」とか 関係ないこと言わずに。
    <あんたにとっちゃ大事なことなんじゃ。>
>じゃあさあ、政府ってのは   ……  疑問符つきで見な見なければならないし、いろいろ問題があるんじゃないのかなあ、

 アッホらし。 やれやれ。馬鹿の相手は疲れるのー。
 大師号の件は、倒幕維新の論功行賞の一つと聞いてます。こまかい経過は知りません。一向宗は民衆宗教として徳川時代初期、幕府と争って睨まれたようです。詳しくは知りません。幕府は浄土宗を尊重しました。徳川時代、本願寺は、幾度も浄土真宗を称したいという願いを幕府・朝廷に出したそうですが、遂に認めて貰えませんでした。(真偽不詳)。
 倒幕の機運が出てくると、西本願寺は討幕派に回り、長州と組んで桂小五郎などを助けたそうです。政権が移ると、本願寺は、多くのブレインを新政権に送り込んだそうです。明治憲法の起草には本願寺が関わっているとも聞いています。私は歴史家ではありませんから詳しくは知りません。
 明治政府は、倒幕維新に果たした本願寺の功労に報いるため、念願の「浄土真宗」という呼称を許し、親鸞には大師号を送ったそうです。
 これに対し、浄土真宗という呼称に浄土宗が反対し、結局、西本願寺だけは反対を押し切り、その他の真宗九派は真宗を名乗ったそうです。
 倒幕維新の論功行賞に当って大師号を得たというのは、ありそうな話と思っています。

265 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:12
244
>政府の「断罪」で宗教的正当性は揺らぐのかどうか。

 何によって「断罪」されても正当なものは正当と正論で突っ張ることは可能でしょう。しかし、政府は国家の最高権威です。正当なものでも政府が断罪すれば大衆は誤解する。きちんと論理立てて考えないない坊さんも誤解する。一度もつれた誤解の糸は次から次に誤解を生む。アホな親鸞会が若者をたぶらかしている原因も、誤解の糸の一つでしょう。

>何を言ってるんだい? ご破算にして良いの?

 ご破算にしないで蒸し返すのかい? それをしたけりゃあんたがやってくれ。僕の荷じゃないよ。あんただって他人を納得させるだけの資料も無いんだろう。こういうところが、餓鬼と称して馬鹿にされるところだよ。やりたければあんたがやればいい。
 ただ、あんたがきちんと歴史学的に検証できないとは言わないよ。渡海 難の罵倒に反発してアンタが平安・鎌倉史を研究し、凄い業績を残さないとも限らない。そのときは心から尊敬してあげる。もっともそのときは、素人の僕にはアンタの凄い業績はちんぷんかんぷんかも知れないけどね。素人にはなかなか専門家の言うことが分からないときもある。そんときは勘弁してくれ。

>それはほぼ断言できる。でない。
   <大きなお世話じゃ。>
>なぜなら、渡海氏の論は独りよがりが過ぎて論証も何もないからです。
   <大きなお世話じゃ。>
>これは決めつけではありません。自分の過去の書き込みを冷静に読んでみてください。
   <大きなお世話じゃ。>

266 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:13
245
>これもほぼ断言できる。ならない。
   <大きなお世話じゃ。>
>渡海氏は宗教の本質について問題提起をしているわけではないし、そのような議論をするためには、渡海氏の書き込みはあまりに不適切だと言わざるを得ないから。

 アンタが言わざるを得るか得ないか、そんなことは基準にならないの。世界はアンタの回りを回っているんじゃない。

>まず、断言が多く、決めつけが多い。

 渡海氏に「不愉快」な「勝手な思い込み価値観を押しつけ」≪No237≫>ておいて今更何を言うんじゃ。アホンダラ。

>だからこのスレッドを読むとまずそこが気になる。
    <「気になる」という言葉は、貴方の感想だから御意見として拝聴しておく。>
>また、渡海氏の書き込みの性質や、レスの付け方、そういうのも気になる。

 「気になる」という言葉は、貴方の感想だから御意見として拝聴しておく。馬鹿につける薬はないのが原因じゃ。

>その語っている内容は、後回しにされる。見ても、独りよがりでものすごくて、とてもとても、渡海氏の書き込みは叩き台にはならない。
    <大きなお世話じゃ。>

267 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:14
246
>知識的な間違いを犯したわたしに対して「医者に行って頭を治して来なさいよ。」と言ったり「知能検査を受けてきなさい。」と言ったりしてる渡海氏は、上のように本当に思っているのだろうか。疑わしいな。
    <わしゃ、馬鹿につける薬は持ってないといってるだけじゃ。>
>民主主義の手続きで衆知を寄せ合いなんてことはほぼ絶対に無理であろう。民主主義とはなんぞや。多数決ではないし、一人が断言することを諾々と受容することでもない。議論をし、より高い場所に皆でたどり着くことである。

 主張は承っておく。赦免と訂正の違いを忘れて「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」などとほざく人間には、言論を武器とする民主主義を論ずる資格はないだろう。

>渡海氏の書き込みがいきなり非民主的であるのに、民主主義の手続きで衆知を寄せ合
うなどということが、どうしてできようか。
      <犬のションベンで顔でも洗ってきたらどうなんだ。>

247
>論理展開変かもしらん。
      <アホにつける薬は無いということじゃ。>

268 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:15
251さん
>という反応が渡海難本人から来るに違いない。

 お生憎様。そんな反応はしないよ。
 聞くまでもないでしょう。親鸞会員だろうとこっちは思ってるからね。まあ、僕の勝手さ。坊さんだったらこんな反応はしてこない。坊さんは貴族だから、下賤者のそばは馬鹿にして寄ってこないんですよ。
 こういうと決まって返ってくる答えがある。「親鸞会員じゃない」、と。やがてなんというか、「元会員だ」という。もっと聞くと、「時々聴聞に行っている」という(笑)。
 まあ、親鸞会員だろうとなかろうといいんですよ。雰囲気では坊さんじゃなさそうだ。坊さんでもいいんですよ。なんだっていい(笑)。

269 :渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:16
252
>反面教師という点では渡海 難氏の功績ですが
     <本面?でも反面でも、渡海は教師じゃないわいな。>
>意地悪な感じの書き方をしたんですね
     <そんなカキコすれば自業自得で「支離滅裂」が返ってくるじゃろう。>
>教行信証なんかから引用したりするぐらいなので、もとっ心の広い人だと思っていたんです。

 自分からは意地悪な感じの書き方をしても、心の広い人に甘えたかったんかな。ネションベン小僧の甘ったれか

 ところで、あんたが尊敬する心の広い人ってのは誰のことかな。 人生の目的? えっ?(@_@)  あちゃ(>_<)。

>難度海 沈降さん、こんな訳で、陰ながら応援しています。
   精々、応援してあげてくださいな(笑)。

270 :渡海 難 p113-dnb05karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/17(金) 10:20
しばらく多忙です。2,3日カキコできないと思います。
「宿」についての議論はその後に書きます。

271 :251:2000/11/17(金) 12:20
>267
<わしゃ、馬鹿につける薬は持ってないといってるだけじゃ。>

   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< オマエガナー
  (    )  \_____
  | | |
  (__)_) 思ったとおりのメチャクチャな反応でした。
 こいつには対話の能力がないんだね。
 学習能力ゼロ。自分の勝手な思いこみで相手をコテンパンに誹謗したあげく一方的な勝利宣言という私の予想は大当たりでした。
 

272 :名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 14:50
じゃ、せいぜい応援しましょうか
頑張って下さい        >難度海 沈降さん

273 :名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 17:20
 さて、渡海難が誠意ある対応を見せられず、有害電波を発して逃げ出したので……

            o
            /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /
           /   このスレは無事に  /
           /  終了いたしました    /
          / ありがとうございました  /
          /                /
         /    モナーより      /
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
  ∧_∧  /                /∧_∧
 ( ^∀^) /                /(^∀^ )
 (    )つ               ⊂(    )
 | | |                   | | |
 (__)_)                  (_(__)




274 :復習 渡海難のカキコパターン:2000/11/17(金) 17:43
1 自分のスレで手前勝手な意見をカキコする。(2もしくは3に進む)
2 誰も反応しない。(1へ戻る)
3 煽りや反撃が入る。
4 煽ったり反撃した人間を「親鸞会ですね」「お坊さんですね」と決めつけて人格攻撃開始
5 煽り、反撃に対し支離滅裂な人格攻撃丸出しのでカキコで応答。内容は肛門に目薬で全然答えになっていない
6 相手からまともな反撃が入る
7 それに対してまた支離滅裂な反撃(8、10に進む)
8 4〜7の繰り返しの後、相手が「学習能力ゼロ」と呆れて対話を中止する。
9 (8の後)一方的な勝利宣言(勝ったと思っているのは渡海一人)
10 開き直って「私は嫌われ者だ」「私の意見なんか単なる仮説」と言って遁走

そして1に戻る

 このパターンの繰り返しです。よく勉強しておきましょう。



275 :ペペ2号:2000/11/17(金) 18:39
>274

 いやーよく書いてくれたね。僕の文章力不足を見事補ってくれた。
 まあ、何度アイツに諌言した所であいつは聞く耳を持たないでしょう。ダテに教祖と言われちゃいないね。
 書きたくてしょうがなかったんだけどこういうこといいたかったんだよね、オイラも。

276 :188=190=私:2000/11/17(金) 21:23
 渡海 難、残念だったな。188=190は難度海 沈降さんとは別人です。自分勝手な
想像で自作自演だとは無礼千万。人には決め付けるなと五月蝿く言うくせに、己は
怒りにまかせて決め付けてばっかり。自分が一人ぼっちだからって、他のひともそうだと
思ったら大間違い。良識のある人は応援そるよ。

それから、225の
随分と生意気に高いところからの物言いですね。>渡海 難
これってあなたが他の板で電波男@ウキャさんから言われたことと同じじゃない?
知識の敵わない人に、賛同する意見を偉そうな物言いでカキコんで、見事に嫌がられ
ていたじゃない?
だからって何もここで憂さ晴らしするなよな〜。


277 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:23
このスレッドの正当性を問う 1

渡海氏。
渡海氏が「1」で望んでいるもの、つまり論義や議論というものは、
人が人として自分の頭の中で絶えず(あるいはたまに)行っている議論と同様でして、
「論理」がないと一歩も先に進みません。
手前勝手な決めつけや、無根拠なままでの自説のゴリ押し、誤謬に満ちた認識、
そういったものを排除しなければ、排除しようと努力しなければ、
論義や議論というモノは成立しません。

もちろん、人は常に先入見を持っています。
しかしそれに固執していては議論は出来ません。
先入見が破壊されていくのを楽しめるようにならないと、議論は出来ません。
これには年齢なんて関係ありません。
尻が青くても、こういうことの出来る人はいます。
尻が青くなくても、こういうことが全く出来ない人もいます。

以上は決めつけではなく、あたりまえの事実を指摘したまでです。

さて、渡海氏がこのスレでやってるのは一体なんでしょう。

あたかも論理展開であるかのようなモノも渡海氏はやっています。
しかしながら、その多くは(いや、全てかもしれないな、まあとにかく)、
手前勝手な決めつけや、無根拠なままでの自説のゴリ押し、誤謬に満ちた認識など、
論義や議論にはまったく不必要、いや害悪としてしか機能し得ないものを根拠にしています。

そんなモノを根拠に論理を展開させても、無意味です。
先入見や、手前勝手な決めつけや、無根拠なままでの自説のゴリ押し、誤謬に満ちた認識などを
排除する努力をしないでいては、議論はできません。

278 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:24


以上の展開から、
議論することは今の渡海氏の能力の範疇を著しく超えているということができます。

渡海氏、これは決めつけではありません。
手前勝手な決めつけや、無根拠なままでの自説のゴリ押し、誤謬に満ちた認識など、
論義や議論にはまったく不必要、いや害悪としてしか機能し得ないものを徹底的に排除し、
冷静で客観的な分析を行った結果、やっと到達したものです。

渡海氏には、議論するだけの能力がない。
その渡海氏が「1」で、自分の能力を超える範疇に手を出してしまった。

いやはや、こういう厚顔無恥な人もいるんですね。
2chは本当に勉強になります。やれやれ。

以下では、11月16日のわたしの書き込みに対する渡海氏のレスを題材に、
渡海氏の書き込みの難点について検証します。
きっと、渡海氏の目からウロコが何枚も落ちることでしょう。
いや、そもそもがウロコだった場合は落ちないかも知れませんけど。
落ちるとも落ちないとも決めつけないでいきましょう。

わたしの説に論理展開の矛盾や、誤解、誤謬などがありましたら指摘してください。
ただ、渡海氏がそれを行う場合は、今までの渡海氏の書き込みと同様、
手前勝手な決めつけや、無根拠なままでの自説のゴリ押し、誤謬に満ちた認識など、
そういうものに堕していないか、十分に検証してから指摘してくださいね。

279 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:24
(1)渡海氏の決めつけ

>「他人のことをすぐに決めつける」とアンタがいうなら、具体例を挙げるのが筋だろう。(渡海難 誤謬語録 256 より)

渡海氏のこの書き込みを見ると、あたかもわたしが具体例を挙げずに渡海氏に対し
「他人のことをすぐに決めつける」と言ったかのように見えてしまう。
念のために言うが、わたしは具体例をあげて渡海氏の決めつけを難じた。
なのにこのような書き込みをするということは、渡海氏には文章読解能力も不足していると判断せざるを得ない。
これは決めつけではない。わたしのレスの当該箇所を挙げることでそれは判明しよう。

280 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:25
以下、引用。
-----------------------------------------------------
235 名前:難度海 沈降 投稿日:2000/11/16(木) 09:28

>192
「>他人の言葉を受け取って、それでキャッチボールをしようとしない人にはスレを立てて欲しくない。わたしはそう思うが、渡海氏はどうか。
    <頭のおかしい人とは掲示板なんて言うツールでキャッチボールなんかできない。> 」

俺の頭がおかしいの? そういう文脈の文だよね? そんなことどうやって解ったの?
あなたは
「医者じゃない」
んでしょ?
なのに、カウンセリングもしてない相手の頭がおかしいかどうかわかるの?

他人に「決めつけるな」ってよく言ってるくせに、渡海氏は他人のことをすぐに決めつけるねえ。
自分ができないこと、しようとも思っていないんじゃないかとこちらが判断せざるを得ないようなことを
渡海氏は何度繰り返せば気が済むのだろう?
永遠に気が済まないの? それほどに学習能力がないの? そんなにアホなの?
-----------------------------------------------------
引用終わり。

これは具体例を挙げての指摘である。なのに渡海氏は

>「他人のことをすぐに決めつける」とアンタがいうなら、具体例を挙げるのが筋だろう。(渡海難 誤謬語録 256 より)

と言ってしまうのである。

281 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:25
文章読解能力の不足している渡海氏のために解説してみよう。

渡海氏の宣言によると、渡海氏は医者ではない。(渡海難 誤謬語録 192より)
なのに、渡海氏は
<頭のおかしい人とは掲示板なんて言うツールでキャッチボールなんかできない。>
と言った。

だから、わたしは「医者でないのに俺の頭がおかしいかどうか解るのか、カウンセリングもせずに?」
という内容の書き込みを行い、その次の発言として
「他人に「決めつけるな」ってよく言ってるくせに、渡海氏は他人のことをすぐに決めつけるねえ。」
と言ったのである。具体例は挙げられていたのである。

282 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:25
渡海氏が決めつけを行っている具体例を他の箇所からも挙げよう。

わたしがコピペを数回繰り返して書き込んだところ、
渡海氏はそのくり返しの数を数えてレスをした。
わたしは「よくまあ数えたね、こんなくり返し。」とレスをした。
すると渡海氏は

> 数を数えられたくなかったら、あんな馬鹿なコピペはしなさんな。
(渡海難 誤謬語録 255 より)

という反応を示した。

だが、わたしは「数を数えられたくな」いなどと思ってはいなかった。
2chでは30行を超える書き込みは省略されて表示されることが多いようなので、
省略されることを狙ってコピペして書いただけである。
別に数えようが数えまいが、そんなことはどうでも良い。
ただ、なんでこんなくり返しを数えるのだろう、渡海氏はひまなのだろうか、なんなんだろう、
そう思い、ご苦労だなと思い、「よくまあ数えたね、こんなくり返し。」と言ったのである。
数えられたくないなどとは思ってはいない。

よって、

> 数を数えられたくなかったら、あんな馬鹿なコピペはしなさんな。

という渡海氏の書き込みは、渡海氏の決めつけを根拠にしていると結論づけることができる。

283 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:26
255 〜 270の他の箇所からも、渡海氏の決めつけの例を挙げよう。

(@)
> あなたは自分が相手して欲しいから僕あてにカキコをしているんだろう。(渡海難 誤謬語録 256 より)

違います。


(A)
> 楽しかったのか、げんなりしているのか、どっちなんだい。
> 楽しければげんなりせんだろう。非常にげんなりしたら、楽しくないだろう。(渡海難 誤謬語録 256 より)

人間は、相矛盾した感情を時に持つものです。これは古今東西を問いません。
古今東西の例に漏れず、わたしも相矛盾した感情を持ったのです。
渡海氏の馬鹿さ加減が楽しくて、
でも、げんなりしたのです。同時だったか時間差だったかは覚えてません。
「矛盾があるから人間だ」という言葉も誰かが吐いています。
「好きだけど、きらい。」「賢くて、ちょっと馬鹿。」なんて言葉もよく聞きます。
人間が相矛盾した感情を持つことはよくあるんです。
「げんなり」の方が大きい割合を示しているということは否定しませんが。

284 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:26
(B)
> 坊さんだったらこんな反応はしてこない。
> 坊さんは貴族だから、下賤者のそばは馬鹿にして寄ってこないんですよ。(渡海難 誤謬語録 268)

「坊さんは貴族」と言うのも、「下賤者のそばは馬鹿にして寄ってこない」も、
どちらも決めつけ以外の何物でもない。
なぜなら坊さんは事実として貴族ではない。
人よりちょっと良い生活をしてる人間を比喩的に「貴族」と言ってるのかも知れないけど、
それはすべての坊さんにあてはまるものではない。
「下賤者」というのが何を指しているのかはちょっと解らないが、
他人のことを馬鹿にせず、わけへだてなく接している坊さんもいる。


(C)
> ま、あの188と190とはアンタの自作自演だったということか?
> 餓鬼の発想でも、手の込んだ芝居はしなさんな。
> 外のカキコもアンタの自作自演が多いんじゃろう。(渡海難 誤謬語録 257)

残念でした。
わたし難度海 沈降は、難度海 沈降を名乗って以後、他の名前では書き込んでいません。
そんな「手の込んだ芝居」をするほどヒマではないのです。
「自作自演」で自分にエールを送ったこともありません。

決めつけないでください。

以上、(@)〜(C)で具体例を挙げ、渡海氏の決めつけを検証してみた。
渡海氏、自分が決めつけをやってるってこと、納得した?

285 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:26
(2)渡海氏自身の言葉の矛盾

> 233 難度海 沈降 さんへ
> >その点については謝ります。すみません。
>     <分かればいいでしょう。> (渡海難 誤謬語録 255)

渡海氏はこのように書いている。だが「いいでしょう」と言ったわりに、とてもご執心である。

> 訂正と赦免の前例もあるからね。(渡海難 誤謬語録 256)

> 訂正と赦免とを勘違いするほどなんだから。(渡海難 誤謬語録 257)

> 赦免と訂正を勘違いするような馬鹿やってる人から
> 「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」
> などとほざかれたから頭に来たんですよ。(渡海難 誤謬語録 258)

> 赦免と訂正を勘違いするような馬鹿やってる人から
> 「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」
> などとほざかれたから、こっちは頭に来たんですよ。(渡海難 誤謬語録 260)

> 赦免と訂正を勘違いするような馬鹿やってるんなら、
> あんたこそ「自分で調べたまえ。アンタをそこまで過保護にする気にはない」よ。(渡海難 誤謬語録 261)

> 赦免と訂正の違いを忘れて「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」
> などとほざく人間には、言論を武器とする民主主義を論ずる資格はないだろう。(渡海難 誤謬語録 267)

286 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:27
人間は、時に、矛盾に満ちた感情を同時に感じる生き物である。
だが、それが「矛盾に満ちた言動をしまくって良い」ということに直結するわけではない。

「いいでしょう」と言っておいてなおその問題に執心し、
わたしの他の言辞を否定しようとする時に必ずと言って良いほどの割合で
それを根拠にしている以上、この場面について言えば、
「渡海氏の言葉は矛盾している」という結論を導き出さざるを得ない。

なお、267であるが、渡海氏は

> 赦免と訂正の違いを忘れて「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」
> などとほざく人間には、言論を武器とする民主主義を論ずる資格はないだろう。(渡海難 誤謬語録 267)

と書いているが、
わたしが「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」という暴論を吐いた時、
わたしは自分の当該箇所の言辞が誤謬に満ちていることを知らなかった。
当然、その時のわたしがそれを「忘れ」ることも不可能であった。
よって、渡海氏のこの発言は、時系列を無視した発言であると言える。
議論を行うときには、相手がその発言をいつしたのかに注意が必要である。

気をつけましょうね、渡海氏。わたしも赦免と訂正との違いには気をつけますから。
まあ、渡海氏に指摘されたおかげで、もう間違わないんじゃないかと思ってますが。

287 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:27
(3)その他

何か間違ったことを言って、他人にそれを指摘され、謝罪し、
以後その間違った発言を繰り返していない人間がいる。
その人間に対し、くり返しくり返し、何かことがあるたび、
その人間に対して自説をゴリ押ししたくなるたびにそれを蒸し返し、
全く関係のない文脈の時にもそれを持ち出して
「おまえは過去にこういうことをしているから信用できねんだ!」
的に言い続けている人間がいる。

> これだからアンタは常識がない。
> 自分の間違いを教えてもらって「もう良いよ」は失礼でしょう。
> 甘ったれるのはよしんさい。(渡海難 誤謬語録 260)

渡海氏。間違いの指摘は、指摘された人間がそれを認識し、
二度と繰り返していないということを渡海氏が認識した時点で終了すべきではないか。
渡海氏のようなこと
(他人が認めた間違いをいつまでも蒸し返し、
 それを論拠にして他人の他の言辞を全て否定し、
 自説をゴリ押ししたくなるたびにそれを持ち出す、というようなこと)
をすることが許され、それによってわたしの他の箇所の論を否定できるのであれば、
わたしは渡海氏が「大師号」を「大師称号」と記述したという間違いを
ずっとずっと指摘し続け、それによって渡海氏の論を完全論破することさえ可能となってしまうのだ。

そのような議論は、渡海氏が言うような、

> 餓鬼タレの文章じゃ。(渡海難 誤謬語録 257)

というモノに堕すことになるのではないか。

288 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:27
> >これは決めつけではないよ。
>    <「これ」って何?  話を余り飛ばしなさんな。> (渡海難 誤謬語録 257 より)
(これはわたしの 236 の発言に対する渡海氏のレスです。)

わたしが「これ」と言ったのは、その直上にある
「だって、あのくらい書かないと渡海氏はそれ以外の言葉で答えてくれないと思ったから。」
を指している。わたしはそのつもりで書いたし、文脈からもそうとしか読めない。
それが解らないほどに、渡海氏は文章読解能力がないのだろうか。
ぞっとしてしまう。


> 相手にして貰っていれば文句言うな。
> こっちにはこっちの考えがある。(渡海難 誤謬語録 256 より)

なんすか、この高飛車な物言いは。
俺は渡海氏に相手にされたらそれを喜び、ただただ諾々とそれだけを喜び、
渡海氏の書き込む決めつけや、誤謬や、ゴリ押しに対して
何も言ってはいけないことになるのだろうか。

渡海氏は「1」で論義や議論をすることを目的にしていたと思うんだが、
渡海氏はわたしを黙らせたいようだ。
自説を展開し、それに対する批判や反論が来ても、それに耳を傾けず、
表面だけ読み飛ばして、罵倒ばかりしている。
「1」からして、ハナっから大ウソだったということなのだろうか。

289 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:28
> アンタのヘボ物差しを向けられたら、向けられた相手は迷惑する。(渡海難 誤謬語録 256 より)

渡海氏のこの発言は、わたしが「235」で
「自分ができないこと、しようとも思っていないんじゃないかと
 こちらが判断せざるを得ないようなことを渡海氏は何度繰り返せば気が済むのだろう?
 永遠に気が済まないの? それほどに学習能力がないの? そんなにアホなの?」
と書いたのに対しての、渡海氏の言辞である。

わたしの「235」の当該発言は、「192」で渡海氏がわたしに対し
> <頭のおかしい人とは掲示板なんて言うツールでキャッチボールなんかできない。>(渡海難 誤謬語録 192 より)
と言ったことを承け、「渡海氏がわたしに「頭がおかしい」と言うのは決めつけである」
という内容を言ったあとで行われた。

渡海氏はわたしの「こちらが判断せざるを得ないようなことを」という発言に対して、
それは難度海沈降の物差しだ、と言っているということになる。

わたしは、わたしの言辞から決めつけを排除するためにこのように言ったのである。
「こちらが判断せざるを得ない」というのは、わたしと渡海氏の議論の展開から、
おそらく渡海氏自身でさえそう判断せざるを得なくなることに対して言ったものである。

渡海氏、
> アンタのヘボ物差しを向けられたら、向けられた相手は迷惑する。(渡海難 誤謬語録 256 より)

だからそんな不便なシロモノをこちらに向けないでくれ。

290 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:28
> 「頭がおかしいんじゃないか」と懇切丁寧に思うのは素人判断。
> だから、素人ではない専門家のところに行きんさいと勧めただけじゃ。
> 専門家はまた別の考えをもつかもしれん。言葉に敏感か鈍感かは知らんが、
> 素人は専門家の判断領域を侵しちゃいかんのよ。(渡海難 誤謬語録 256 より)

そうであるのなら、わたしに「頭がおかしい」などと初めから言わないでいただきたい。
「素人は専門家の判断領域を侵しちゃいかんの」だと渡海氏が思うのなら、
初めから、
> <頭のおかしい人とは掲示板なんて言うツールでキャッチボールなんかできない。>(渡海難 誤謬語録 192 より)
などと言って、わたしの頭がおかしいと決めつけることはしないでいただきたい。
わたしは渡海氏の頭がおかしいのではないかと何度も疑っているが、決めつけてはいない。
だが、この危惧は現実となっているのかもしれない。

291 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:28
> 237
> >第一文・第二文・第三文と、第四文と不明確だが、説明して貰える?
>
>  どれを第一文、どれを第二文と言っているのか不明です。
> 自分が思っていることはそのまま相手に伝わると思いなさんな。
> どれが第一文、どれが第二文 、第一文のどこと第二文のどことが
> どのように分からないかを言いなさい。(渡海難 誤謬語録 258 より)

はあぁ?
わたしの「237」書き込みから当該箇所を引用するよ。

以下、引用。
------------------------------------------
>225
「自分をなに様と自惚れているのか。「自分で調べたまえ」などと、
 随分と生意気に高いところからの物言いですね。
 不愉快だから貴方の勝手な思いこみ価値観を押しつけないでくださいな。
 あなたは早いところ医者に行って頭を治して来なさいよ。」

第一文・第二文・第三文と、第四文との関係が不明確だが、説明して貰える?
「生意気に高いところから」ものを言うと、あるいは
渡海氏に「不愉快」な「勝手な思い込み価値観を押しつけ」ると、
皆んな「医者に行って頭を治」さないとだめなの?
そんな短絡的な考え方をしてしまうほど渡海氏は冷静じゃないの?
渡海氏はそこまで何かに追いつめられているの?
どうしたの?
そんなに感情的な文章を書いて?
------------------------------------------
引用、終わり。

292 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:29
わたしは渡海氏の「225」発言を引用し、それに対して
「第一文・第二文・第三文と、第四文との関係が…」と言っている。
引用された渡海氏の発言は、きっちり四文ある。
ならば、引用した渡海氏の発言の
一番目が「第一文」、
二番目が「第二文」、
三番目が「第三文」、
四番目が「第四文」であることは自明であろう。

こんなことも解らない渡海氏というのは、本当に頭がおかしいのではないだろうか。
いやいや、渡海氏も

> 素人は専門家の判断領域を侵しちゃいかんのよ。(渡海難 誤謬語録 256 より)

と言っている。決めつけるのは止そう。
渡海氏の頭がおかしいとわたしが思うのは素人判断である。
渡海氏が専門家の診断を受ける前にそのように発言するのは、
わたしが渡海氏の水準まで堕ちてしまうことでもある。
そんなのは絶対にイヤである。

293 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:29
> 238
> >渡海氏から「君」呼ばわりされるのはなんかイヤだなあ。
>      <それなら少しは大人の考えをしてみなさい。世界はアンタ中心に回ってるんじゃない。> (渡海難 誤謬語録 259 より)

ここを読むと、「君」と言う言葉を渡海氏が「上から下へ」という文脈でのみ使用される言葉、
として認識しているようだ、という結論が導かれる。
なぜなら、渡海氏はわたしが「大人」ではない発言をしたと捉えており、
また、渡海氏自身は「大人」であると捉えている、と読めるからだ。

だが「君」という言葉は、別にそのような場面に限って使われる言葉ではない。
国会などでも使われているし、初対面の時に「君」をつけるのは「さん」とともに一般的である。
対等な立場同士で「君」をつけて呼び合うことも、よく行われている。

わたしは、渡海氏に対等の立場に見られたようで、なんかイヤだったのである。

ここは渡海氏の真骨頂の一つである「決めつけ」が発揮されている場面でもありますね。
また、
> 世界はアンタ中心に回ってるんじゃない。(渡海難 誤謬語録 259 より)
ということだが、別に渡海氏に言われなくてもそんなことはわたしはとうに知っているし、
この発言は、直前の渡海氏の発言との関係がいまいちつかめない発言である。

294 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:30
> 無謬性を付与??  (・_・? 無謬性って付与するものなの?アホクサ。
> 「君」呼ばわりされるのがイヤなら、
> 犬のションベンでいいから先に顔を洗ってきんさいよ。(渡海難 誤謬語録 259 より)

付与するモノでしょう。他の場合もあるけれど、付与する場合もありますよ。
なにが「アホクサ」なんですか。

宗教にハマっている人は、その宗教が「真実」であるという結論に何らかの理由で達し、
その宗教の「無謬性」に「気付いた」という態度をとることが多いが、
しかし、外から見ればその宗教の「無謬性」は、その人によって「付与」されているに過ぎない。
政府にしても同様である。その政府が間違いを犯すはずはない、
その政府は無謬である、そう考えるのは、そう考えることをその人が積極的に選んだからである。
よって、
無謬性は、付与するものでもある。

なお、なぜここで再び

> 「君」呼ばわりされるのがイヤなら、
> 犬のションベンでいいから先に顔を洗ってきんさいよ。(渡海難 誤謬語録 259 より)

という発言を渡海氏が吐いたのかは、よくわからない。しかし、恐らく、
さきほど「赦免と訂正」の箇所で論じた、いつまでも何かにこだわってしまう、という、
渡海氏の真骨頂の一つが発揮されているのであろう。
そのように言うことも出来る。

295 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:30
> >渡海氏が親鸞赦免の事実すら知らずに「2」を書いたと誤解した俺は悪いと思うけど、
> >「医者に行って頭を治」したり「自分で知能検査を受けてき」たりしないと駄目なの?
>
>  いくらションベン小僧でも、誰に相談するかは、2CHで相談しなさんな。(渡海難 誤謬語録 260 より)

渡海氏が引用したわたしの「239」での発言は、詰め寄っているのである。語学的には反語である。
語尾が「?」になっているからと言って、その発言を短絡的に「質問」と受け取っていいとは限らない。
また、「質問」という形態をとることもある「相談」であると決めつけて良いわけでも、同様にない。
たとえば、
「彼にも彼にも、わたしにも無理みたいだ。しかし、
 誰が渡海氏に馬鹿発言することをやめさせられるだろうか?」
とわたしが書いたとしよう。
この場合、語尾の「?」は「質問」でも「相談」でもない。反語である。
中学や高校の、あるいは予備校の古文や漢文の授業でやったでしょう。
授業じゃなくても、日常会話でもよく使われる語法です。たとえば
「誰がそんなことをしろと言った?」など。
この発言の主は、多くの場合、相手に質問も相談もせずに、なじっている。反語である。

ということで、難度海 沈降 の日本語講座でした。
反語の「?」というものが、日本語には存在するのです。(英語にもあるようです。)

渡海氏、わかりましたか?(これは質問です。「わかった」という返答が来ることを期待。)
「?」は時に反語の意味を担わされるモノであるし、
渡海氏が引用したわたしの発言の当該箇所は、実際に反語だったのです。

296 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:30
>  いくらションベン小僧でも、誰に相談するかは、2CHで相談しなさんな。(渡海難 誤謬語録 260 より)

この発言は、わたしに対して

> 顔でも洗って出直してきたらどうなんだい。(渡海難 誤謬語録 255 より)
> 大人と思って相手してきたら、おつむはションベン小僧以下だった。(渡海難 誤謬語録 258 より)

> こんな言葉を吐くんなら、
> その前に犬のションベンでいいから顔を洗ってきんさいよ。(渡海難 誤謬語録 258 より)

と自分で言っていることを援用し、わたしを「ションベン小僧」と決めつけた上での発言である。
(なお「ションベン」という言葉は
> 「君」呼ばわりされるのがイヤなら、
> 犬のションベンでいいから先に顔を洗ってきんさいよ。(渡海難 誤謬語録 259 より)
でも用いられている。)

渡海氏は
「顔を洗って出直し」と「おつむはションベン小僧」という自分の発言から
→「犬のションベンでいいから顔を洗ってきんさい」
というふうに論理展開してしまうことができる人であるようだ。

もっとも、「ションベン小僧」が何を比喩しているのか、正確には解らない。
「ションベン小僧」の像は大抵陶器か金属であるが、頭の中にはモノが詰まってることもあるし、ないこともある。
だから、「あたまの中がからっぽ」という比喩で用いているという理解はちょっとあたらないだろう。

> あんたはお尻の青アザはもう無くなったんかい?(渡海難 誤謬語録 261 より)

という言葉と併せて判断し、寝小便をイメージすべきなのだろうか。

297 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:31
> 大人は相手の能力を見極めながら話を進めるもんなんじゃい。(渡海難 誤謬語録 261 より)

ここでも、渡海氏の真骨頂の一つ、「決めつけ」が始まっているようです。
「誰がそのように(大人は相手の能力を見極めながら話を進める)決めたのでしょう?」
「誰も。」                          (ここの「?」は反語です。)
「誰がそのように(大人は相手の能力を見極めながら話を進める)決めつけたのでしょう?」
「渡海氏です!!!!」                    (ここの「?」は疑問です。)

「大人」というのは誰でしょう。
二〇歳以上の年齢の人でしょうか。一八歳以上の年齢の人でしょうか。
あるいは、
他人の言っていることを正確に理解できる人のことでしょうか。

もし「他人の言っていることを正確に理解できる人」が大人であるのなら、年齢は関係ない。
> あんたはお尻の青アザはもう無くなったんかい?(渡海難 誤謬語録 261 より)
などと言って蒙古斑に言及する必要はなくなる。

なお、わたしはわたしの年齢を一切明かしていない。
渡海氏より年上でも年下でも、議論には全然関係ないからだ。
他人の言葉を正確に理解できる人は、若年者にもいるし、年寄にもいる。
他人の言葉を正確に理解できない人は、若年者にもいるし、年寄にもいる。

大事なのは、渡海氏がわたしの言葉の多くを表面的にも理解していないことであり、
わたしが渡海氏の言葉の多くをメタレベルでも理解しているという事実である。

298 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:31
> 262

「島流し」という言葉は、一般的には文字通りの「島」に「流」すことを言います。
しかし、比喩的にそういうことはよくある。これはわたしだけじゃないです。
左遷のことを「島流し」と言うのを聞くこともありますよ。

そうそう。

『大辞林』では、「島流し」の項で
「昔、罪人を遠い島や土地に送った刑罰。流罪。遠島。」と説明してます。

良かったですね、渡海氏。知識が一つ増えて。

299 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:31
> 262

> >親鸞の思想はその時ほんとに断罪されたのだろうか?
> 法然の思想は断罪されたのだろうか?
> 俺は、親鸞の「思想」は断罪されていないと思ってるんだが。
>    <なるほど、アンタの勝手じゃ。わしゃ干渉せん。>(渡海難 誤謬語録 262 より)

あのねえ。本当に渡海氏は世話の焼ける人だね。
わたしはここで渡海氏に聞いているの、渡海氏はどう考えてるのか。
「1」で渡海氏は論義や議論がしたいと言ったでしょう? 事実でしょう?
だからわたしは「1」を鑑み、「2」に反論したの。
それに対して
「なるほど、アンタの勝手じゃ。わしゃ干渉せん。」と言ったら、
渡海氏がしたがっている論義や議論にならないでしょうが。

他人が何か言うと内容に関係ないところでわめいて、
でもって親鸞思想の問題について渡海氏と議論しようとすると
「なるほど、アンタの勝手じゃ。わしゃ干渉せん。」と言って相手にしないんでは、
渡海氏、
論義も議論も、どちらも渡海氏は望んでいないことになるんだよ。
  ↑
これは決めつけているわけではない。さすがにそれくらいは渡海氏にもわかるだろう。
なぜなら、わたしは議論や論義というモノの性質を冷静に分析し、かつ、
渡海氏の書き込みを冷静に分析した結果としてこの発言をしているからだ。

300 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:32
> 262

> 真と仮を分け、仮ではなく真を選択することこそ、親鸞の思想でしょう。
> 真と仮を分ける思想が裁かれたというのが、少なくとも親鸞の認識だと思います。(渡海難 誤謬語録 262 より)

> 教行信証は、裁かれた側の当事者が書いたものです。
> 歴史資料学的にはどこまで説得性があるか、真実性があるかは私は評価できません。
> 私は歴史家ではありませんから、歴史資料学的な検討はしません。
> 少なくとも、裁かれた親鸞は、親鸞・法然の思想が裁かれたと考えていたと思います。(渡海難 誤謬語録 262 より)

思うだけかい。渡海氏。本多勝一的に言うなら「噴飯モノ」だ。論証はないのかい、渡海氏。

時の政府においそれと無謬性を付与して良いもんではない。
それは現在の政局を見ても容易にわかることだ。

つまり、政府が親鸞を「断罪」した、親鸞を「裁いた」という事実は事実としてあるが、
そしてその「断罪」が「公式」であったという事実もあるが、その事実だけを根拠にして、
その「断罪」が「正当」な「断罪」であった、と結論することは出来ない。
もしそう結論したいのであれば、
その「断罪」がその「断罪」だけで正当だと言えるだけの根拠を示し、
その「断罪」を行った政府が誤謬を犯していなかったということを事実として導きだし、
そのあとにそう言うのでなければならない。

さあ、渡海氏。渡海氏が「1」でしたいと言っている議論をしよう。
わたしは、政府の決定や裁定が「公式」だというだけでその内容が「正当」であると言うことは
到底不可能だと考えるが、渡海氏はどう考えるのか。「正当」ということについてどう考えるのか。

301 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:32
だから、

<そんなこたぁ、私の知ったこっちゃありません。> (渡海難 誤謬語録 263 より)
<そんなこたぁ、私の知ったこっちゃありません。私は興福寺や比叡山の人間ではありません> (渡海難 誤謬語録 263 より)
<私の知ったこっちゃありません。> (渡海難 誤謬語録 263 より)
<私の知ったこっちゃありません。> (渡海難 誤謬語録 263 より)

などという無責任な言辞を吐かず、渡海氏、議論をしよう。

わたしは「大師号」の問題で渡海氏をなじり続けるほど狭量ではないのだ。どんどん議論をしよう。

302 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:32
> 265

> ご破算にしないで蒸し返すのかい?
> それをしたけりゃあんたがやってくれ。僕の荷じゃないよ。
> あんただって他人を納得させるだけの資料も無いんだろう。
> こういうところが、餓鬼と称して馬鹿にされるところだよ。
> やりたければあんたがやればいい。 (渡海難 誤謬語録 265 より)

渡海氏、冗談が過ぎる。
渡海氏はこのスレの名称を「親鸞思想の正当性を問う」としている。
問うのだろう? そして、渡海氏が問うことによって議論をするのだと言っているだろう?
ならば、その問にわたしが答え、自分の見解を言ったのだから、
渡海氏は、本当に議論がしたいのであれば、わたしの見解に

<そんなこたぁ、私の知ったこっちゃありません。> (渡海難 誤謬語録 263 より)
という無責任なレスではなく、ちゃんと答えるレスをしなければならない。

さあ、親鸞思想の正当性、それにまつわって渡海氏が根拠にしている
時の「政府」の「公式」な「断罪」が「正当」なものであったのか、「不当」なものであったのか、
それを大いに論じようではないか。

絶対に逃がさないぞ。うきうき。

303 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:33
> あんただって他人を納得させるだけの資料も無いんだろう。
> こういうところが、餓鬼と称して馬鹿にされるところだよ。(渡海難 誤謬語録 265 より)

決めつけも休み休みにしたらどうだ。
わたしに資料がないと決めつけられるのか? その根拠は?
根拠薄弱な言辞を吐き、次いで
> こういうところが、餓鬼と称して馬鹿にされるところだよ。(渡海難 誤謬語録 265 より)
などと言って良いのか?

手前勝手な思い込みで全てを決めつけないでくれないか。

> アンタが言わざるを得るか得ないか、そんなことは基準にならないの。
> 世界はアンタの回りを回っているんじゃない。 (渡海難 誤謬語録 266 より)

誰が基準にすると言った? 決めつけないでくれ。渡海氏はわたしの
「渡海氏は宗教の本質について問題提起をしているわけではないし、
 そのような議論をするためには、渡海氏の書き込みはあまりに不適切だ」(245)
というわたしの書き込みに対する論理的な反論を一切しないつもりか?
わたしに論理を求めるだけで、自分自身は全く論理を示さずに手前勝手な思い込みを
こちらにゴリ押ししつづけるつもりなのか? まさか、ね。

> 渡海氏に「不愉快」な「勝手な思い込み価値観を押しつけ」≪No237≫>
> ておいて今更何を言うんじゃ。アホンダラ。 (渡海難 誤謬語録 266 より)

一度渡海氏に「勝手な思い込み価値観を押しつけ」ると、それを謝罪し、
二度とその誤謬を繰り返していなくても、その人は二度と渡海氏との議論ができないのか?
まさか、ね。

しかし、何を根拠にわたしを「アホンダラ」(渡海難 誤謬語録 266 より)と言うのか?
渡海氏はわたしの何を知っているというのか?

304 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:33
> 247
> >論理展開変かもしらん。
>       <アホにつける薬は無いということじゃ。>(渡海難 誤謬語録 267 より)

渡海氏のこの発言、渡海氏に返そうと思う。
わたしは決めつけは嫌いだが、渡海氏自身がそれを行っているし、
そのように決めつけられることを厭うていないと考えられるからだ。

また、同様に、以下の渡海難 誤謬語録を謹んでこのスレに捧げる。
渡海氏の渡海氏自身に返そうと思う

305 :渡海難 誤謬語録 作成 : 難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:34
> 頭のおかしい人とは掲示板なんて言うツールでキャッチボールなんかできない。(渡海難 誤謬語録 192 より)

>「他人のことをすぐに決めつける」とアンタがいうなら、具体例を挙げるのが筋だろう。(渡海難 誤謬語録 256 より)

> あなたは自分が相手して欲しいから僕あてにカキコをしているんだろう。(渡海難 誤謬語録 256 より)

> こっちにはこっちの考えがある。(渡海難 誤謬語録 256 より)

> アンタのヘボ物差しを向けられたら、向けられた相手は迷惑する。(渡海難 誤謬語録 256 より)

> 素人は専門家の判断領域を侵しちゃいかんのよ。(渡海難 誤謬語録 256 より)

> 餓鬼タレの文章じゃ。(渡海難 誤謬語録 257)

> 世界はアンタ中心に回ってるんじゃない。(渡海難 誤謬語録 259 より)

> 犬のションベンでいいから先に顔を洗ってきんさいよ。(渡海難 誤謬語録 259 より)

> これだからアンタは常識がない。(渡海難 誤謬語録 260)

> 甘ったれるのはよしんさい。(渡海難 誤謬語録 260)

> あんたはお尻の青アザはもう無くなったんかい?(渡海難 誤謬語録 261 より)

> こういうところが、餓鬼と称して馬鹿にされるところだよ。(渡海難 誤謬語録 265 より)

> 今更何を言うんじゃ。アホンダラ。 (渡海難 誤謬語録 266 より)

306 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:43
248さん、249(231)さん、250さん、251さん、252さん、253さん、254さん、271さん、272さん、273さん、274さん、
みなさん本当にありがとうございます。
でも今回ちょっと張り切りすぎた気もします。

でも、こんなんじゃ渡海氏はとても凹みませんよね?

こういう吉外っぽい人をいじるの、結構好きです。
しかし、
わたしの書き込みも十分吉外めいてますね。
何がわたしを突き動かしているのだろう。

307 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:47
>252さん
> ところがその時のレスはというと、
> 251さんが言われている通り、「支離滅裂」だったんです。

ほんと、びっくりしてます。
こんなに支離滅裂でどうしようもない文章を書ける人がいる、
しかも、それをスレに書き込んでしまう人がいる、
いやあ、世界ってほんと広いです。

308 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:48
>254さん
> 渡海さんは、すぐ切れますよ。

わくわくしてます。

309 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:50
>271さん
> こいつには対話の能力がないんだね。

ゼロなんじゃないでしょうか。
こんな人めったにいません。

310 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:54
>274さん
渡海氏の行動パターンを熟知されていると思います。
このパターン以外の行動は、彼は取れないのではないでしょうか。
決めつけてるわけではないのに
「決めつけるな!」って言われちゃうかな?

>275さん
わたしも代弁された気がします。


311 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 07:58
>276(188も190も)さん

濡れ衣を晴らしてくれてありがとうございます。
でも、こう書いても渡海氏はしつこく
「自作自演だ」と言ってくるのでしょうか。
たのしみです。

その節(188も190も)は本当にありがとうございました。

312 :A子:2000/11/18(土) 09:56
ぬれごろも〜あ、ごめんね。

313 :名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 15:12
おぉ、今までになかった展開になっているなぁ
頑張れ> 難度海 沈降

渡海難がどう出るかが見物であるな、と

「渡海難を問う2」スレッドに、恐らく渡海難の迷言集らしきものがあるから活用したら?
誰かが何の目的か収集していたみたいだけど
その方(々)もいい加減馬鹿馬鹿しくなったみたいで途中から収集が止まっているね
 あ、馬鹿馬鹿しくなったってのは「渡海難に対して」ってことね
 あの教祖意味の摺り替えとか得意だから

314 :ぺぺこと名乗らん!:2000/11/18(土) 16:22
>275 ペペ2号さん
こんちわ、ぺぺ2号さん!久しぶり!って覚えてるかな?
渡海難は相変わらずだねぇ。オレも渡海難については書きたいことメチャいっぱいあるけど、でもやっぱ面倒クセーって感じなんだよね。
みんなが渡海難に言いたいことって1つや2つじゃないでしょ?書き込みたいことが本当に山ほどあるから、全部書くとスッゲー時間かかるだろうし、疲れるんだろうねぇ。
やっぱオレには渡海難の相手は無理やね。
そういう意味で 難度海 沈降さんは本当にすごいよね!尊敬するよ!
だいたい普通の人は255〜270のような渡海難の支離滅裂な大量の反論がきた時点で諦めちゃうんじゃないかな?
オレだったらあんなアホ反論されたらあまりにもツッコム所が大量で、全てのことに反論を書くには量が多過ぎて時間がない、もしくはそこまでの気力はないって感じで、メッチャ悔しいけど諦めるね。
で、そう言う場合いつも渡海難は「言い返す言葉もないか!それほどに俺が言った事は正しい!俺の勝ちだ!」って勘違いしちゃうんだよねぇ。
でも 難度海 沈降さんは今までの人とは違って、負けずにさらに書き込みをしてるから本当スゴイよ!
しかもオレの言いたいことはほぼ代弁してくれてるし、ホント最高!

>難度海 沈降さん
本気で応援してます!大変だろうけど頑張ってねー!
ちなみに渡海難が何故年齢のことを言ってくるかというと、あの人けっこうオジイチャンなんでカキコしてくる奴は全て自分より年下だと思い込んでおり「若造が生意気言うな!年上の方が偉いんだ!俺の言うことを聞け!」って感じになってるようです。

315 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 18:06
すみません。

わたしの書き込み「304」末尾の
「渡海氏の渡海氏自身に返そうと思う」

「渡海氏の言葉は渡海氏自身に返そうと思う」
と書くつもりでした。

316 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 18:08
>313さん
応援ありがとうございます。
また、迷言集の指摘ありがとうございます。
もうやってる方がいらっしゃるんですね。
やはりなあ。
参考にさせていただきます。

317 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 18:15
>314 ぺぺこと名乗らん! さん

頑張ります。ありがとうございます。

知りませんでした。渡海氏は「けっこうオジイチャン」なんですか。
わたしは多分実際に「若造」ですが、
年下も年上も関係なく、開かれた議論がしたいですよね。
議論してる最中に「俺の言うことを聞け!」ばかりになって
「相手の言っていることを正確に理解する」という努力を怠ると
議論はそこでストップしてしまうんですが、
渡海氏はそのへん解ってないかもしれないんですね。
うーん。難儀だなあ。

318 :名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 18:29
いやね、実は俺も昔は浄土通信読んでいたこともあったし
方々の掲示板とかでしょっちゅう見たから
(というかどっかの掲示板で見て、自分で張ったリンクから浄土通信には行ったと思う)
大体渡海難のやりくちとかは分っているんだけど
まぁ変わってないね
俺はそこまで根性ないから「あ、こいつは関わらない方がいい」と思っているけど

今までも方々で色々指摘されているんだよ
でも治らないというか、治せないんだろうね

どこだったか「いい加減とか言われている間は引き下がれない!」とか
食らい付いていたわりには管理人に発言を削除されまくって
退散に追い込まれていたこともあった
浄土通信に坊主から批判のメイルが来ることもあるらしい
そんなこんなで親鸞会と坊主への憎しみは相当なものらしい

何でもない一般人にここまで嫌われる理由って本人は分ってないのかもしれない

319 :ペペ2号:2000/11/18(土) 19:03
>難度海 沈降さんへ

 渡海氏はどこかの掲示板で私は「70年安保の世代」って逝ってたから多分50代くらいじゃないかな(決めつけじゃありませんよ)実はコーヒー飲んでいるときに「こんにちは会」の現場に立ち会った知人がいるんだけど、「多分50代前半くらいかな」って言ってた。

320 :ペペ2号:2000/11/18(土) 20:36
>318

 こんなこと言うとまた「あなたは親鸞会の方ですね」とか渡海が逝ってきたりして。

321 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 22:45
>319さん

渡海氏は50代らしいのですね。しかし、一連の書き込みはそう思えない文章です。
他人をコドモ扱いするのなら、それなりの礼儀があると思うんです。
50代にもなれば、礼儀にうるさくなっていても良いと思います。
「アンタ」とか「アホンダラ」とか、
それだけ感情的にさせているのかもしれませんけど、人を小馬鹿にした文章を書くということは、
理由によっては自分がそういうめにあうことも厭わない、という、
そういう宣言をしたのと同義だとわたしは思います。
なのに、自分はそういうことをしてもよくて、わたしは駄目らしい。
なんなんでしょうね、渡海氏って。

322 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 22:46
「3」について(1)
> 「ひそかにおもんみる」。
>  親鸞は、事物の表象的現象から離れた背後にこそ、
> 意味あるものがあると思いそれを求めようとするようだ。
> この姿勢は、私は賛成できる気がしている。(渡海難 誤謬語録 3より)

そうだね、顕彰隠密とか言ってるし。
親鸞のこの態度にはわたしも共感しているし、渡海氏の上の↑言辞については賛成できる。
だが、あとが酷いね。


「3」について(2)
> 「難思の弘誓(ぐぜい)は難度海を度する大船」
>  釈迦は、祇園精舎に入学してきた人々に自分を先生と呼ばせた。
> 釈迦は、自分を先生と呼ぶ者に対して自らの認識を伝達することを決意していた。
> 釈迦は、人々を一括して大がかりに真理に導く運搬船として「先生」という呼称を選んでいる。(渡海難 誤謬語録 3より)

「難思の弘誓は難度海を度する大船」という親鸞のコトバの解説をしてるつもりなのかもしれないけど、
これでは恣意的すぎて、解説ではなく、渡海氏の手前勝手な読み方をプロパガンダしているに過ぎないだろう。
なぜなら、
「大船」というコトバは親鸞がここで用いているに過ぎず(他の箇所にもあるが)、
釈迦が自分をそのようなモノとして認識していたと結論づけることは出来ないからだ。
また、親鸞が釈迦を「大船」と認識していたとも到底言えない。
なぜなら、「難思の弘誓」がイコールで「釈迦」という意味を担っているとは到底言えないからだ。
親鸞のこのコトバから
「釈迦は、人々を一括して大がかりに真理に導く運搬船として「先生」という呼称を選んでいる。」
というモノを導き出すことは、できない。

323 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 22:47
「3」について(3)
> 「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。」
>  釈尊先生の教育指導は、闇にさまよう多くの人に、自分達が正しく生きていくための道を照らした。
>  親鸞は、阿弥陀仏という名で釈迦をなぞらえて創作された架空の教育者を、
> 人格的に捉えた真理そのものとして認識し、そこに釈迦の性格をシフトさせている。
> 仏陀つまり先生という呼称に、自らの救済の原理を見つめている。(渡海難 誤謬語録 3より)

あれ、「釈迦」が「釈尊」になっている。ま良いか。
釈迦が自分を「先生」だと認識していたのかどうかとか、自分のやってることを「教育指導」と認識していたのかどうか、
という難点が、まずここの誤謬語録にはある。その後の書き込みであるが、
「阿弥陀仏という名で釈迦をなぞらえて創作された架空の教育者」という言辞は一体なんなん。
誰が架空だと決めたの?
もちろん、渡海氏はそう決めつけているけど。
この部分での渡海氏の決めつけが一般に事実として受容されることは、ないんではないのか。
「難度海沈降の言ってることこそ決めつけだ」というレスを書くつもりなら、渡海氏、その根拠を示し、
阿弥陀仏が架空であるという根拠を示さないと反論にならないから注意されたい。

「仏陀つまり先生という呼称」というのは一体なんなん。
渡海氏ならば知ってると思うんだが言うよ。
「仏陀」というコトバは「目覚めた者」を表すサンスクリット語(ブッダ、みたいな発音)の音写語なのに、
そんなモノを「先生」というコトバとを無造作に「つまり」でつなげて良いのかい。
これは、渡海氏の思い込みを垂れ流しているに過ぎないんではないのかい。

論理もへったくれも本当に本当に何もない文章だ。
こんなものを叩き台にして「議論」したとして一体何が出てくると思ってるんだ、渡海氏。

324 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 22:47
「6」について(1)
>  親鸞の思想に正当性がないとしたら、
> 親鸞聖人がこう言っているとか、ああ主張しているという引用の仕方は、
> 誰がなんて言っても全てナンセンスということになるだろう。(渡海難 誤謬語録 6より)

ならねえよ「アホンダラ。」(渡海難 誤謬語録 266 より)思想と言葉とは端っから別物だろう。
また、親鸞のコトバが無謬であると無邪気に前提して「だからわたしの言ってることは正しい」と言えば
それはいろんな意味で非常におかしいが、それ以外の場合ではナンセンスではないだろう。
現に渡海氏自身が「正当性を問う」というスレの結論も何も出ていないうちに
「3」でいきなり親鸞のコトバを「親鸞聖人がこう言っている」という文脈で用いているじゃないか。
じゃあ渡海氏の言っていることがそもそも「誰がなんて言っても全てナンセンスということになる」のか。
そう思っているのなら、こんなスレ立てなさんな。
そう思ってないのに上のように言ってしまっているのなら、誤謬を訂正しなさい。
じゃないと渡海氏がしたがっている「議論」は先に進みません。

325 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 22:47
「6」について(2)
>  親鸞思想の正当性の検討は、親鸞の言葉を引用する場合、当然その前にしっかり行ってなければならないんだ。
> 先人の語録の引用は、主張の正当性を明確化し、正当性の範囲内でしなければならない。(渡海難 誤謬語録 6より)

(1)に書いたように、引用の一行目は無意味である。二行目についても無意味であるとわたしは考える。
なぜなら、
「先人の語録の引用」をする場合は、どのような立場で、どのような領域について、どのような方法を以て引用するのか、
以上の点をある程度明確にしていれば全然可能だからだ。(「全然」は後ろに否定詞を伴わなくても可。夏目漱石の小説を見よ。)
世の多くの引用はそのように行われているし、わざわざ誤謬に満ちていると判断した言辞を引用することさえ多々ある。
実際に、わたしはそのような方法で渡海氏の言辞を引用している。

326 :難度海 沈降:2000/11/18(土) 22:52
「6」について(3)
> こういうしんどい作業を飛ばして、
> 親鸞聖人はこう言っているとかああ言っているという主張は、全くナンセンスなんだよ。(渡海難 誤謬語録 6より)

はしょりすぎだ「アホンダラ。」(渡海難 誤謬語録 266 より)
「6」について(1)を参照のこと。


「6」について(4)
>  坊主スレッドで道元を引用している人がいるけど、
> それだって先に道元の正当性の検討をして欲しいと僕は思う。
> 既成宗教も新興宗教も、こういう作業をしないから、迷走していくんだ。恐い話だよ。(渡海難 誤謬語録 6より)

渡海氏の誤謬に満ちた認識の方がわたしはコワイ。


今日はこれにて退散いたします。
他人の間違いを指摘するのって楽しいけど、暖簾に腕押しみたいで、
多少の空しさに襲われてもいます。

吉外を相手に何を熱く説いても空しいし。
別にわたしがすごいわけでもなんでもなく渡海氏が噴飯人間であるだけなのに、
自分の能力を過信しそうになる自分がちょっとイヤです。

327 :名無しさん:2000/11/20(月) 01:50
渡海 難、外出中。

さらし あげ。

328 :難度海 沈降:2000/11/20(月) 03:12
>327さん

そうでした。反論が来ないのはそのためでした。

329 :名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 08:52
渡海難は永遠に外出してろ

330 :渡海 難 p51-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/20(月) 14:05
329さんへ  お生憎様。憎まれっ子は世にはびこるんですよ。

277   >先入見や、手前勝手な決めつけや、無根拠なままでの自説のゴリ押し、誤謬に満ちた認識などを排除する努力をしないでいては、議論はできません。     <なるほど>
278   >手前勝手な決めつけや、無根拠なままでの自説のゴリ押し、誤謬に満ちた認識など、そういうものに堕していないか、十分に検証してから指摘してくださいね。
     <なるほど>
279   >渡海氏には文章読解能力も不足していると判断せざるを得ない。これは決めつけではない。わたしのレスの当該箇所を挙げることでそれは判明しよう。     <なるほど>
280    >と言ってしまうのである。       <なるほど>
281    >具体例は挙げられていたのである。   <なるほど>
282
>渡海氏の決めつけを根拠にしていると結論づけることができる。   <なるほど>
283  >「げんなり」の方が大きい割合を示しているということは否定しませんが。
       <なるほど>
284  >渡海氏、自分が決めつけをやってるってこと、納得した?   <なるほど>
285  >とてもご執心である。   <なるほど>
286
>まあ、渡海氏に指摘されたおかげで、もう間違わないんじゃないかと思ってますが。
     <なるほど>
287  >というモノに堕すことになるのではないか。   <なるほど>
288  >「1」からして、ハナっから大ウソだったということなのだろうか。
     <なるほど>
289  >だからそんな不便なシロモノをこちらに向けないでくれ。
     <?  まあなんでもいいだろう。よく分からんが、なるほど>
290  >だが、この危惧は現実となっているのかもしれない。    <なるほど>
291
>わたしの「237」書き込みから当該箇所を引用するよ。    <なるほど>
292   >そんなのは絶対にイヤである。        <なるほど>
293  >この発言は、直前の渡海氏の発言との関係がいまいちつかめない発言である。
   <なるほど>

331 :渡海 難 p51-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/20(月) 14:07
299   >渡海氏の書き込みを冷静に分析した結果としてこの発言をしているからだ。
     <なるほど>
300  >到底不可能だと考えるが、渡海氏はどう考えるのか。「正当」ということについてどう考えるのか。        <なるほど>
301   >わたしは「大師号」の問題で渡海氏をなじり続けるほど狭量ではないのだ。どんどん議論をしよう。        <なるほど>
302
>時の「政府」の「公式」な「断罪」が「正当」なものであったのか、「不当」なものであったのか、それを大いに論じようではないか。

 仮に断罪が正当だったらどうなるの?。不当だったらどうなるの?
 僕が不当論の立場で貴方と向き合ったら、貴方は断罪正当論に立ってくれるわけ?

303
>などと言って良いのか?    <どんな資料がありますか。>
>しかし、何を根拠にわたしを「アホンダラ」(渡海難 誤謬語録 266 より)と言うのか?渡海氏はわたしの何を知っているというのか?

 「アホンダラ」は言葉の勢いで出ました。本意ではありません。失礼しました。
    m(_ _)m

304
>そのように決めつけられることを厭うていないと考えられるからだ。
     <なるほど>

    貴重な御見解、謹んで承りました。 m(_ _)m

No322〜No326
 御意見いただけて嬉しいです。コメントは後ほどにさせてください。

332 :渡海 難 p125-dnb05karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/20(月) 14:22
 宿という意味について更に検討してみたい。
 大乗仏教では、ある最高段階に達し、最高段階に達する以前に積んだ実績を振り返って評価するとき、最高段階に達する以前を称して宿という言葉を使うようだ。
 最高段階に達する前と、最高段階に達してからは、人は行動パターンが違う。行動パターンが違えば、そうした行動を動機づける意思が異なってくる。意思と行動が違えば人格の変化がある。人格の変化あればそこには古い人格の死があり、新たな人格の誕生がある。ここに、宿とは前世を称呼する概念に結びつく基盤がある。
 大乗仏教において、大乗段階の学習は最高段階である。大乗段階の前に小乗段階がある。大乗段階に入るに当たって小乗段階の死があり大乗段階の生がある。いかなる人も念仏すれば直ちに歓喜地至る。いかなる人も念仏すれば直ちに大乗段階に至る。そうならば、大乗段階に至るにあたって通過する生と死はどこにあったのか。親鸞は肉体の誕生に結びつけているようだ。仏教が言う生と死は、肉体の生死に限らないが、肉体の生死も生死であることに違いはないからだ。念仏は全ての人に開かれている。いかなる人も念仏で直ちに大乗段階に到達するなら、人として誕生したところに 大乗段階に到達する生を観念しているようだ。結局親鸞では、宿は、肉体誕生前を呼称することになる。
 「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」
 これは、人として肉体的に誕生する前世に得た縁を喜べと言うことになる。
 大無量寿経の次元であれば論理は分かりやすい。阿弥陀プロセスに正しく理解できるというのは、小乗段階で優れた教師に巡り会えていたからだという話になる。基本学習小乗段階で正しい教師に巡り会えていたからこそ、教育学学習大乗段階プロセスが正しく理解できる。過去を振り返り、基本学習小乗段階で正しい教師に巡り会えていたそのことを感謝しよう。そういうことになる。
 ところが、親鸞のように、肉体的に誕生する前世において優れた教師に巡り会えていたとなると、これはどう考えればいいのか。誕生する前世において優れた教師に巡り会えていたとはどういうことか。親鸞仏教はこういうところが難しいのだ。結局、宿縁とは実体的な問題でなく、極めて評価的観念の問題となる。
 更に議論を続けよう。

333 :難度海 沈降:2000/11/20(月) 14:46
>渡海氏
おかえり。

あのねえ。
やりたいことばかり(自説のゴリ押し)やって、
他人の書いたレスろくに読まないままでレスするんでは、
議論にならんのやけど。
何が「更に議論を続けよう」(渡海難 誤謬語録 332より)だ。
一人でやれるのなら渡海氏の頭のなかでやってくれ。
こんなところに垂れ流すのは金輪際やめてくれ。

334 :難度海 沈降:2000/11/20(月) 14:46
>渡海氏

議論とはなんぞや?

335 :他宗教スレの常連:2000/11/20(月) 16:53
渡海氏って自信が無い人間の典型だね。おそらく社会生活の失敗、受験生活の
失敗がそのトラウマになっているのだろうけど。学歴コンプレックスみたい
なものも感じるな。ただ依りすがる対象は宗教知識のみ。だからこそそれを否定
されると自分の全存在を否定されるように感じて怒り狂うんだろうね。しかし
言っていることとやっていることがこれほど極端に違う人間も珍しいね。本当に。

難度海 沈降 さん
あなたの反論は本当に素晴らしいと思う。これに対して正々堂々正面から渡海氏が
反論されることを望んでいるが、100%無理であろうね。相手の精緻な反証に
<なるほど>とつけるだけなら幼稚園児でも出来るのだがね・・・。ここで肉体年齢と
精神年齢は必ずしも一致しないという格好のサンプルを得ることが出来たことを
感謝する。



336 :渡海 難 p034-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/20(月) 17:21
322
>釈迦が自分をそのようなモノとして認識していたと結論づけることは出来ないからだ。

 「如来の義異名異とす。… … 義異名異なり。また「船師」と名づく、また「導師」と名づく…」
                 真仏土巻
 師とは教えてくれる先生という意味です。如来とは多くの人々を真理の岸に運搬していく先生という意味です。    <Anata wa nihon go wakkari masu ka? アナタワ ニホンゴ ワッカリマスカー?>

>なぜなら、「難思の弘誓」がイコールで「釈迦」という意味を担っているとは到底言えないからだ。 親鸞のこのコトバから「釈迦は、人々を一括して大がかりに真理に導く運搬船として「先生」という呼称を選んでいる。」というモノを導き出すことは、できない。

 諸仏・菩薩を「善知識」と名づく。善男子、たとえば船師の善く人を度すがゆえに「大船師」と名づくるがごとし。諸仏・菩薩もまたかくのごとし。もろもろの衆生をして生死の大海を度す。この義をもってのゆえに「善知識」と名づく、と。抄出  化身土巻
 「釈迦は、人々を一括して大がかりに真理に導く運搬船として「先生」という呼称を選んでいる。」というモノを導き出すことは、できるんですよ。

323
>釈迦が自分を「先生」だと認識していたのかどうかとか、自分のやってることを「教育指導」と認識していたのかどうか、 という難点が、まずここの誤謬語録にはある。    <322への回答参照>

>「誰が架空だと決めたの? もちろん、渡海氏はそう決めつけているけど。

  架空とは、誰かが決めてなるものではありません。存在の確率を示す針がゼロに近いということを言っています。架空というのは、可能性の確率を睨んだ渡海 難の仮説です。あなたが存在の立証をしてくだされば、存在の確率を示す針は一気に100%になるでしょう。多くの方が安心すると思います。貴方が存在の立証をしてみまんせんか。いかがでしょうか。

>「仏陀つまり先生という呼称」というのは一体なんなん。

 如来の義異名異とす。  … … 「導師」と名づく、  … …  「天人師」と名づく。 <真仏土>
 如来とは導師という意味であり、天人師という意味でもあります。導師とは導いてくださる師匠という意味です。先生と意味です。天人師の天は六道の一つの天、人は六道の一つの人を指します。天人師とは天界と人界の両道の師という意味でしょう。釈迦が悟りを広くと、梵天と帝釈天が手を揃えて真実を教わりに来ています。釈迦は天界に対しても先生でした。  
      <Anata wa nihon go wakkari masu ka? アナタワ ニホンゴ ワッカリマスカー?>


337 :渡海 難 p034-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/20(月) 17:23
324
>ならねえよ「アホンダラ。」(渡海難 誤謬語録 266 より)思想と言葉とは端っから別物だろう。
          ??? (/_?ゝ

>それ以外の場合ではナンセンスではないだろう。
           ?? (/_?ゝ
>「3」でいきなり親鸞のコトバを「親鸞聖人がこう言っている」という文脈で用いているじゃないか。…  …  先に進みません。
           ?? (/_?ゝ

325
>引用の一行目は無意味である。二行目についても無意味であるとわたしは考える。
    なるほど
>なぜなら、「先人の語録の引用」をする場合は、… … 引用している。
           ??  (/_?ゝ

326
> はしょりすぎだ「アホンダラ。」(渡海難 誤謬語録 266 より) 「6」について(1)を参照のこと。
           ??  (/_?ゝ

>自分の能力を過信しそうになる自分がちょっとイヤです。

 なるほど。自分の能力を過信しそうになる自分がちょっとイヤという実感を忘れずに大事してください。
 「吉外を相手に何を熱く説いても空しいし」。
 何を熱く説いても空しいというのは、アナタには議論の相手が吉外に見えているからなんでしょうね。吉外に見えているというその気持ちをもって相手に熱く説いても空しい。この実感はとても大事です。空しいという実感は、紛れもないあなたの実感でしょう。将来、何を説いても空しく感じたときは、自分は相手を吉外として見ているんじゃないかと振り返るといいでしょう。
 「別にわたしがすごいわけでもなんでもなく渡海氏が噴飯人間であるだけなのに、」
 ここも大事です。「わたしがすごいわけで」はない。ここも大事。「渡海氏が噴飯人間である」あなたにはそう見えている。「渡海氏が噴飯人間である」と見えているというのは、紛れもない事実でしょう。それは「渡海氏が噴飯人間である」かどうかという問題とは別ですよね。「渡海氏が噴飯人間で」はないと言う証拠はどこにもない。ただ、揺るぎない事実がある。それは、あなたには「渡海氏が噴飯人間である」と感じられているということ。これは揺るぎない事実でしょう。
 「噴飯人間である」と感じられて議論を張ろうとすると、自分の能力を過信しそうになる。ここは意識としては裏腹の関係なのかも知れませんね。自分の能力を過信しそうになるときは、相手が噴飯人間に見える。相手が噴飯人間に見えるときは、自分の能力を過信しそうになる。
 「自分がちょっとイヤ」。アナタは貴重な経験をしている。素晴らしいと思いますよ。この実感はもっとふくらんでくるといいですね。何かが見えてくるかも知れない。それはあなただけに見える宝物になるでしょう。
 ま、今のあなたには、今の僕の声は聞こえないでしょう。今は分からなくても、頭の片隅に残ることを期待します。

338 :渡海 難 p034-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/20(月) 17:24
333
>他人の書いたレスろくに読まないままでレスするんでは、議論にならんのやけど。

 (^^ゞ ポリポリ。
 全部読んだんですよ。あなたの説は私にとってあまりにも高度すぎる。とても私の理解の及ぶところではありませんでした。 (/_;) トホホ。
 かいつまんで要点を仰っていただけると助かるんですけどね。

>一人でやれるのなら渡海氏の頭のなかでやってくれ。こんなところに垂れ流すのは金輪際やめてくれ。

 迷惑に思われる方も、喜んでくださる方。喜んでくださる方も、喜んでくださる方。
 みなさんに感謝しているんですよ。

>議論とはなんぞや?      難しい御質問ですね。 (/_;) トホホ。

339 :渡海 難 p002-dnb31karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/20(月) 17:28
335  他宗教スレの常連さんへ
>ここで肉体年齢と精神年齢は必ずしも一致しないという格好のサンプルを得ることが出来たことを
感謝する。

    よかったですね。お仲間が見つかって。 (*^_^*)

340 ::2000/11/20(月) 17:54
横から割り込んで、失礼します。

難度海 沈降さんの言われていること、わかります。
その上で、読者としては、出来るだけ「親鸞仏教の正当性を問う」という趣旨
に基づいて話が進むことを希望したいです。
「渡海さんは議論などする気は無いんだ」と確信しておられるならば、
これ以上の発言はスレッドの趣旨上、無意味な様に思います。
僕としては、323、324の様な内容を煮詰めていって頂きたいですね。

あと、個人的な疑問を書かせて頂きます。
・「来世」や「過去世」「阿弥陀仏」等、一見非科学的なものに対する解釈の仕方
『 結局親鸞では、宿は、肉体誕生前を呼称することになる。』と
『 人として肉体的に誕生する前世に得た縁を喜べと言うことになる。』
  『 結局、宿縁とは実体的な問題でなく、極めて評価的観念の問題となる。』
 では、結局どの様に解釈していいのかわかりません。
僕としては、親鸞仏教は三世を抜きにしては語れないと思うのですが。

 

341 :相変わらず:2000/11/20(月) 18:41
>よかったですね。お仲間が見つかって。 (*^_^*)

><Anata wa nihon go wakkari masu ka? アナタワ ニホンゴ ワッカリマスカー?>

342 ::2000/11/20(月) 20:09
言いたいことを書きます。単なる僕の意見です。
まともに議論をしようとするならば、力関係がある程度拮抗していなければ
成り立ちません。力の差が大きい場合、『質問に答える』という形になります。
渡海さんは、『教行信証総序』について、細かく私見を述べておられますが、
その様な事は僕にはできません。それが出来る方なら、渡海さんと議論も出来る
でしょう。対等に議論をするなら、同じ様に『総序』について、とうとうと私見を
述べられたらよいでしょう。
出来ないならば、渡海さんの解釈をベースに、質問をすることになります。
それならそれで、礼儀もあるでしょう。
知識も無い僕が「難度海 沈降」さんの様なレスをつけたら、「孫悟空のくせに、
なんのつもり?冷静になったら?」ってことで、『馬のションベンでもいいから
顔を洗ってきたら?』と言われるでしょうね。でも、言ってもらえるだけ有り難いです。
気づく事が出来ますからね。『相手してもらってる』わけです。
『アホンダラ』とかそういうのも、受け取り様ですよね。
わけのわからんタヌキオヤジじゃ無いってことです。
陰湿な悪口、中傷とはちがいますね。
何でそう言われるのか、考えてみてもいいんじゃないですか。

自分の意見も、すべてさらけ出して勝負している人が相手だってことです。
そういう相手に陰でコソコソ蹴り入れる程度の事をして喜んでいるヤツは、
死ぬほど恥ずかしいですね。
相手が何をしたいのか。自分が何をしたいのか。お互いの実力とか、器量とかもちょっとは
考えた方がいいですね。

343 :難度海 沈降:2000/11/20(月) 20:31
> 330-332 336-339 渡海氏。

>  全部読んだんですよ。あなたの説は私にとってあまりにも高度すぎる。
> とても私の理解の及ぶところではありませんでした。 (/_;) トホホ。 (渡海難 誤謬語録 338 より)

渡海氏は「大人」なんでしょう? 厚顔無恥にも程があるんじゃないか。
渡海氏はちょっと前にわたしを「こども」扱いして暴言を吐きまくっていたね。
忘れたとは言わせない。
なのにわたしの言ってることがわからない?
渡海氏が「コドモ」扱いした人間の言ってることがわからない?
なんじゃそりゃ?
渡海氏の論法では「大人」は「コドモ」に対して無敵なはずだろう?
ならば、渡海氏の言ってることは変じゃないか? 矛盾だらけじゃないか?

やれやれ。渡海氏は愚か者だ。

あとさあ。もし本当に
> あなたの説は私にとってあまりにも高度すぎる。
> とても私の理解の及ぶところではありませんでした。 (/_;) トホホ。 (渡海難 誤謬語録 338 より)
と感じているのなら、「330-331」で

>      <なるほど> (×20ぐらい)(渡海難 誤謬語録 330-331 より)

と言ったのは一体どういう了見でのことなの? 説明してくれるか?

344 :難度海 沈降:2000/11/20(月) 20:31
>  かいつまんで要点を仰っていただけると助かるんですけどね。(渡海難 誤謬語録 337 より)

甘えるんじゃない、渡海氏。

自分の大好きな「議論」に負けそうになって、
それで「理解不能」を装っているだけであることが見え見えだ。
(違うと言うのなら反論は受け付ける。しかし論理的に頼むよ。)

もし本当に「理解不能」であるのなら、どこから理解不能になったのか、
それを明らかにしなければならないだろう?
そうしなければ「議論」は進まないぞ。
俺は鬼じゃないし渡海氏でもないから悪態を吐いて逃げるようなことはしないんだから。
「やれやれこいつは本当どうしようもないな」と言いつつ、
懇切丁寧に説明するよ。

渡海氏は、大人は相手の理解能力を把握しつつ議論を進めるんだ、
と言っていたね。
そういう高飛車な態度、わたしは大嫌いだが、相手がそれを望んでいるのなら、そうするよ。

やれやれ、渡海氏は本当にどうしようもないな。
わたしの発言のどこが理解不能なのだ、渡海氏。
問われれば説明してやるよ。聞いてごらんなさい。
聞きもしないでうち切ってるようじゃあ「議論」は出来ないぞ。

繰り返す。甘えるんじゃない、渡海氏。
自分のイヤなことを避けていては「議論」なんてできんのだ。

相手のコトバを理解しないでおいて自説ばかり展開しても、
それは「議論」ではない。単なる述懐だ。議論のためのスレだろ、ここ。
しっかりしなさい。わたしは要点なんか言いません。どこが解らないのか聞きなさい。


345 :難度海 沈降:2000/11/20(月) 20:32
> 331

> 仮に断罪が正当だったらどうなるの?。不当だったらどうなるの?
> 僕が不当論の立場で貴方と向き合ったら、貴方は断罪正当論に立ってくれるわけ? (渡海難 誤謬語録 331 より)

渡海氏、わたしの言葉が理解できてないんでしょう?
なら無理に書き込むのやめなさい。
老い先短い身なんだから、醜態を晒すのはこれ以上やめなさい。
今更いくらやっても同じと考えているのなら、それは誤りだ。


> 337

>  ま、今のあなたには、今の僕の声は聞こえないでしょう。
> 今は分からなくても、頭の片隅に残ることを期待します。(渡海難 誤謬語録 337 より)

わたしに渡海氏の声は聞こえています。勝手に決めつけないでください。

冗談も休み休みにして欲しいな。
わたしは将来のことなど問題にしておらず、
渡海難という一人の吉外を相手に今まさに彼自身の非を説いていることに空しさを感じているのだ。
それを棚に上げて人生訓など垂れないでほしい。
渡海氏が「337」で言ってることなど、渡海氏に言われずともわたしはとうに知っている。
わたしがかつて考え、今まさに考え、そしてこれからも考えていくこと、
そして今まさに実行していることを渡海氏のコトバで上書きすることはありません。
思い上がらないでください。

346 :難度海 沈降:2000/11/20(月) 20:38
>342 よ さん

> 自分の意見も、すべてさらけ出して勝負している人が相手だってことです。

わたしには渡海氏が「すべてさらけ出して勝負している」ようには思えません。
自分の言いたいことはすべてさらけ出してるようですけど、それだけだと思います。
相手のコトバを受け取らないのは、
「すべてさらけ出して勝負している」ことにならないと思います。
慥かにこのスレはわたしの発言も含めてギスギスしてますけど、
それは、渡海氏「への」レスだけではなく、渡海氏「の」レスも大いに作用してのことだと思います。

どうお考えになりますか?

347 :名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 23:58
親鸞会さん、初めまして。
この人(↓)、何とかして下さい。お願いします。(「人生の目的」のスレ立て人)

1 名前: 青木貴弘(金沢大学「アルタ」部長・親鸞会学生部) 投稿日: 2000/11/20(月) 16:13


(そして本人のトップのコメントです)

>人生の目的は、AVを見てセンズリかいて絶対の幸福にさせていただくこと!(高森先生)


348 ::2000/11/21(火) 01:16
難度海 沈降さんは、「親鸞仏教」を問いたいのか、「渡海 難」さんを問いたいのか、
どっちなんでしょうか。僕は、「親鸞仏教」にも「渡海さん」にも興味ありますけど。

>わたしには渡海氏が「すべてさらけ出して勝負している」ようには思えません。
>自分の言いたいことはすべてさらけ出してるようですけど、それだけだと思います。

1:渡海さんは、自説をさらけだしている。
渡海さんは、「浄土通信」や、その他のHPで親鸞仏教に対する解釈を発表されており、
その内容は一貫しています。その内容に部分的にでも不満があれば、誰でもどこからでも
非難出来ます。同じ様に自論を公に発表なさっている方でなければ、同じ土俵にたっている
とは言えませんね。一方は土俵の真ん中におり、その他は、周りから闇討ち状態です。

2:渡海さんは、渡海 難 個人をさらけだしている。
渡海さんは、ホームページを公開し、HNを固定し、メールアドレス等も開いています。
普通、2Chに来る人は正体を隠しています。楽ですからね。リスクも無い。
自分の発言に何の責任も持たずにいいし、何書いたって自由です。
悪くないんですよ。それが2Chのいいところ。
渡海さんは、敢えてそうしない。僕には出来ませんね。
発言に責任ももてなけりゃ、変なリスクも負いたく無い。

ま、一般の2チャンネラーとは一線を隔しますね。

> 相手のコトバを受け取らないのは、
>「すべてさらけ出して勝負している」ことにならないと思います。

受け取らないんでしょうか。相手の心に届く言葉ならそれ相応の対応をされるでしょうね。
わざわざ2Chでスレッドをたててられるんだから。

初対面の人間に対して、アタマから「難度海 沈降」という名前で入って来る。
これだけでも、まともな議論をする気があるとは思えない。
直接の会話であれば、僕ならぶん殴ってますね。
「渡海 難」とは関係無いかもしれないですね。関係無いかもしれないですけど、
僕が「渡海 難」なら、相手にしませんね。で、内容は文句タラタラ、、。
渡海さんは、レスをつけられました。それだけでも、大人と子供の関係です。
僕は、渡海さんが相手をされるのが不思議でした。「親鸞仏教」以前の問題ですね。
冷静に、逆の立場で考えられるものならば、考えてみてはどうですか。
多少非礼で、知識不足、くらいなら、「親鸞仏教」が問題になっているならば、
渡海さんは相応の対応をされると思いますよ。

>慥かにこのスレはわたしの発言も含めてギスギスしてますけど、それは、渡海氏「への」レス
>だけではなく、渡海氏「の」レスも大いに作用してのことだと思います。

渡海さんは、ストレートな発言をする性格だ、という事だと思いますが。
いいじゃないですか。わかりやすくて。「アホンダラ」だから「アホンダラ」。
そのまま受け取ったらいいですからね。悪口じゃないですよ。
何者かわからん者に背後から、蹴られたり石投げられたりするより、いいでしょ。
「大人」と「大人」の話なら、相応の対応をされるでしょうね。口調は変わらんでしょうけど。



349 :名無しさん@1周年:2000/11/21(火) 01:54
初めまして、横スレ失礼します。
親鸞会さん、この人何とかして下さい。(人生の目的スレ)

1 名前:青木貴弘(金沢大学「アルタ」部長・親鸞会学生部)投稿日:2000/11/20(月) 16:13

人生の目的は、AVを見てセンズリかいて絶対の幸福にさせていただくこと!(高森先生)


350 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:32
>348 よ さん

よ さんの発言は、342 も、実はわたしあてだったのですね? 気付きませんでした。

> 難度海 沈降さんは、「親鸞仏教」を問いたいのか、「渡海 難」さんを問いたいのか、
> どっちなんでしょうか。僕は、「親鸞仏教」にも「渡海さん」にも興味ありますけど。

まず、渡海氏のやり方を問うています。
そして、渡海氏のやり方が前提としている、渡海氏の言葉の理解を問うています。
親鸞仏教を渡海氏と云々することの無意味さは、最近とても強く感じています。
つまり、わたしは「親鸞仏教を問う」も問うています。
渡海氏と一緒になって「親鸞仏教を問う」つもりは、ないです。
渡海氏が「親鸞仏教の正当性を問う」と言いつつ何を問おうとしているのか見えず、
また、「2」から展開が始まっている渡海氏の論も破綻してるようにしか見えず、
なんでこんなレスを立ててしまうのか、
そしてなんで他からの反応に対してまったく理性的に取り合おうとしないのか、
そのへんすごく不思議です。
ただ、これ以上渡海氏の独自すぎる解釈にはつき合えないなと思い始めてますけど。
本当に詮無いことをしている気がしています。
あなたの望み通り、わたしはそのうち退散することでしょう。

ただ、対話(議論)能力のない人に、どうやったらその能力の存在に気付いて貰えるのか、
そして、対話(議論)というのがどんなに素晴らしいものなのか、どう解って貰うか、
そのへんのことをちょっと試したくなって来ています。
これも渡海氏を相手に「実験」するのはしんどそうですけど。
でも、こんなうまいサンプルないでしょう。
まあこれについてもわたしが「俺ってアホやな」と思って退散することになるんじゃないでしょうか。

351 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:33
> >わたしには渡海氏が「すべてさらけ出して勝負している」ようには思えません。
> >自分の言いたいことはすべてさらけ出してるようですけど、それだけだと思います。
>
> 1:渡海さんは、自説をさらけだしている。
> 渡海さんは、「浄土通信」や、その他のHPで親鸞仏教に対する
> 解釈を発表されており、その内容は一貫しています。

そこまで読み込んでるのですか。すごいですね。
(いや、本心からの詠嘆です。嫌味は込めてないつもりです。)
わたしはこのスレの「2」を読んでうんざりしました。
論理がないし、渡海氏のその後の発言と併せて読むと言ってることも矛盾だらけです。
よ さんは、渡海氏のどこに惹かれているのですか?
(惹かれてはおらず、気になってるだけかも知れませんが、とにかく、)
渡海氏の説のどこが気になってそんなに渡海氏の論を読んだのですか?


> その内容に部分的にでも不満があれば、誰でもどこからでも非難出来ます。

わたしは2chで展開されている渡海氏の自説に対してレスをしています。

352 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:33
> 同じ様に自論を公に発表なさっている方でなければ、同じ土俵にたっているとは言えませんね。

なぜそう考えますか?
渡海氏は、慥かに「浄土通信」で自説を展開しており、その説は一貫しているのかも知れない。
(渡海氏の他の自説までは全然未確認ですが。)
だが、彼は2chという場所を選択し、そこで自説を展開し、その自説について広く意見を求め、
議論を呼びかける、という体裁をとることで、この場所での自説の展開を、スレの参加者に容認させようとしている。
わたしは、渡海氏の要望に応え、渡海氏の自説の展開がおかしいと考え、レスをしている。
わたしは、渡海氏の望んでいる「議論」をしようとしている。

そのようなやり方を選択したのは渡海氏だと考える。(実際そうである。)

なのに よ さんは、わたしが渡海氏と2chで対等な話をしようとしたら、
わたしは渡海氏のようにHPを一つ立て、親鸞思想について自説を展開しなければならないと言う。
それは一つの考え方ではあるが、だが、それをしなければならないわけでは全然ない。
慥かにわたしはHPで親鸞思想について自説を展開してはいない。
(だが、「難度海 沈降」の名で登場以来、HNは固定している。)
また、ここでメールアドレスを公開するなどということもしていない。
だが、そのような者と対等の立場に立とうとしているのは渡海氏本人だ。

渡海氏は渡海氏のやり方
(HPを作り自説を展開し、試みとして2chでも自説を展開し、
 それへのレスと渡海氏との間で「議論」を行うことで「実験」を試みている)
で、レスに接している(宣言したのとは全然違うやり方で、ではあるが)。
ならば、わたしのやり方で渡海氏と接する。わたしはわたしの親鸞思想論をHPで公開したりはしない。

よ さんはなぜ、「自論を公に発表なさっている方でなければ、同じ土俵にたっているとは言えません」
と考えるのか? わたしは、2chの土俵は2chに限定して考えているのだが。

353 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:34
> 一方は土俵の真ん中におり、その他は、周りから闇討ち状態です。
>
> 2:渡海さんは、渡海 難 個人をさらけだしている。
> 渡海さんは、ホームページを公開し、HNを固定し、メールアドレス等も開いています。
> 普通、2Chに来る人は正体を隠しています。楽ですからね。リスクも無い。
> 自分の発言に何の責任も持たずにいいし、何書いたって自由です。
> 悪くないんですよ。それが2Chのいいところ。
> 渡海さんは、敢えてそうしない。僕には出来ませんね。
> 発言に責任ももてなけりゃ、変なリスクも負いたく無い。
>
> ま、一般の2チャンネラーとは一線を隔しますね。

よ さんは
「渡海氏と同じこと(HPでの自説の展開・HNの固定・メルアドの公開)をしなければ
 渡海氏と対等で議論することなど出来ない。
 渡海氏と同じことをしないで議論しようとするのは、ある意味、卑怯ですらある」
と言いたがってるように見えますが、どうでしょう。
「そうだ」と仮定して話を進めますと、
渡海氏のそのやり方を選択したのは渡海氏です。どうこう言うつもりはありません。
ただ、わたしはわたしのやり方でやります。

354 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:34
よ さんが言っているように、渡海氏は自分の存在をかけて
自分の親鸞理解を世に問うているのかも知れない。
だが、このスレのこの惨憺たる有様はどうだ。渡海氏は何を問うているのか。
渡海氏は、前提としている言葉たちの定義がそもそもおかしいのだ。
論理展開も矛盾して破綻しまくっている。

例えば、
渡海氏は、326で、322と323でのわたしの疑問に答えているつもりらしいが、
その時になぜか親鸞の言葉をひいて答えている。これは一体どういうことなのだろう?

渡海氏は親鸞の言葉をひくのなら、そして、文脈からいけば
親鸞の言葉を「無謬」という前提で引くのなら、いちいち検証してからでなければならない、
と明言している。↓

「親鸞思想の正当性の検討は、親鸞の言葉を引用する場合、
 当然その前にしっかり行ってなければならないんだ。」(渡海難 誤謬語録 6 より)

なのに、自分で、恐らく「無謬」という前提、意味合いで引いてしまっている。どうしてだろう?
わたしはここにも渡海氏の論の矛盾・破綻を見るのだが。

355 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:35
> > 相手のコトバを受け取らないのは、
> >「すべてさらけ出して勝負している」ことにならないと思います。
>
> 受け取らないんでしょうか。相手の心に届く言葉ならそれ相応の対応をされるでしょうね。
> わざわざ2Chでスレッドをたててられるんだから。

この部分の「相手の心に届く言葉ならそれ相応の対応をされるでしょうね。」
という よ さんの発言は、
「難度海 沈降が渡海氏の心に届く言葉を吐いているのなら渡海氏はそれ相応の対応をされるでしょうね。」
という意味の発言であると仮定して話を進める。

わたしには、渡海氏が怠慢であるように見えてならない。
「わざわざ2Chでスレッドをたてて」いるにも拘わらず、
渡海氏の態度は間違ってないかという指摘の発言や、渡海氏の説を覆すような発言に対して、
「そうですか」と言って議論を打ちきりにするような態度に我慢がならない。
言葉は、発する側と、受け取る側、双方がそれなりの努力をするところにしか意味を持たない。
わたしの 173 発言に対する渡海氏の 175 の回答は、当然見てますね、
> 初対面の人間に対して、アタマから「難度海 沈降」という名前で入って来る。

と書いているんですから。
渡海氏の 175 の態度を見て、よ さんは、渡海氏に「議論」が出来ると思いますか?
いきなり入ってきたわたしにも問題があるのかも知れませんが、
渡海氏に対して真剣に「議論」というものを説明しているわたしの言葉が渡海氏に届かない、
その理由を、わたしだけに求めようとしますか。

356 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:36
> 初対面の人間に対して、アタマから「難度海 沈降」という名前で入って来る。
> これだけでも、まともな議論をする気があるとは思えない。

同じレス内でちゃんと断っているよね、俺。意味も書いて。渡海氏は理解してくれました。そのへんは大人だと思います。

> 直接の会話であれば、僕ならぶん殴ってますね。

ネットで良かった。他人に殴られるのは嫌いなので。他人を殴るのも嫌いですが。

> 「渡海 難」とは関係無いかもしれないですね。関係無いかもしれないですけど、
> 僕が「渡海 難」なら、相手にしませんね。で、内容は文句タラタラ、、。

よ さんも実は「内容は文句タラタラ、、。」ですよ。

よ さんと渡海氏は別人なのでしょう。そんな仮定、意味ないですよ。
そうすると、一応、渡海氏には、「議論」するつもりはあるのかもしれません。
自説をHPに公開し、HNも固定し、アドレスも公開し、
なお2chにこのようなスレを立てているのだし。
渡海氏は、ただただ「議論」という言葉の意味合いを誤って理解し、かつ、
その方法をも誤っているだけなのかも知れません。

> 渡海さんは、レスをつけられました。それだけでも、大人と子供の関係です。

よ さんは、なぜそのように考えるのですか?
わたしが「初対面の人間に対して、アタマから「難度海 沈降」という名前で入って来」て、
そのあとで名前についてしっかり書いていて、178 でも名前を気にしていて、
「で、内容は文句タラタラ、、。 」だ、と判断しているからですか?
スレを立てて「議論」しようと言っているのだから、「議論」するのが当然なのでは?
スレを立てて「議論」しようと言っているのだから、対等の立場に立つのが当然でしょう。

357 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:36
> 僕は、渡海さんが相手をされるのが不思議でした。「親鸞仏教」以前の問題ですね。
> 冷静に、逆の立場で考えられるものならば、考えてみてはどうですか。
> 多少非礼で、知識不足、くらいなら、「親鸞仏教」が問題になっているならば、
> 渡海さんは相応の対応をされると思いますよ。

あのう。わたしの知識は不足なの?「赦免と訂正」について言ってるの?
それは話せば長いことながら、親鸞思想固有の術語ではないんですよ。知識の問題でもないです。
わたしはそもそも親鸞の「流刑」は親鸞「思想」の「断罪」と同義ではないと考えてますから、
だから、そこで暴走してしまったのです。他の知識について言ってるのですか?

> >慥かにこのスレはわたしの発言も含めてギスギスしてますけど、それは、渡海氏「への」レス
> >だけではなく、渡海氏「の」レスも大いに作用してのことだと思います。
>
> 渡海さんは、ストレートな発言をする性格だ、という事だと思いますが。
> いいじゃないですか。わかりやすくて。「アホンダラ」だから「アホンダラ」。
> そのまま受け取ったらいいですからね。悪口じゃないですよ。

どういうことですか?
よ さんはひょっとしてわたしを挑発してますか?

358 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:37
「アホンダラ。」は、その言葉を発した人が、発する方に向かって投げかける、一つの讒言に過ぎませんよ。
なぜその讒言をわたしが「悪口じゃない」と思い、甘んじて「そのまま受け取」らねばならんのですか?

> 何者かわからん者に背後から、蹴られたり石投げられたりするより、いいでしょ。

「議論」をしている最中に「アホンダラ。」という言葉を投げかけられるのと、
「背後から、蹴られたり石投げられたりする」のとを、同列に扱う気にはなりません。
わたしはどちらもイヤですし、
「議論」最中の讒言と、そのようなもの(「背後から…」)とを比較する気にもなりません。
「どっちがいや」、「どっちがいい」、そういう問題ではないのです。

> 「大人」と「大人」の話なら、相応の対応をされるでしょうね。口調は変わらんでしょうけど。

なぜここで「大人」という言葉が出てくるのか、よくわかりません。論旨が不明確です。あるいは、さっきの
> 渡海さんは、レスをつけられました。それだけでも、大人と子供の関係です。
これとの関連ですか?
わたしは、渡海氏には、2chにスレを立てた時点で、他の発言者の発言を自分のそれと対等のものと受け取る義務が生じた、
そのように考えています。また、よ さんの
> 「大人」と「大人」の話なら、相応の対応をされるでしょうね。口調は変わらんでしょうけど。
の発言は、詰まるところ、渡海氏がわたしを「大人」と扱わないうちはわたしは「大人」にならない、
つまり、このスレは渡海氏の思い通りだ、と言っているように聞こえてなりませんが、どうですか。
渡海氏の肩を持ちたくなる気持ちも解らないではない、ような気もしますが、こんな発言では全然効果ないですよ。

「相手が何をしたいのか。自分が何をしたいのか。
 お互いの実力とか、器量とかもちょっとは考えた方がいいですね。」

ごもっともだと思います。あなたは何がしたいのですか?

359 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 03:40
すみません。
「350」のわたしの発言中、
「なんでこんなレスを立ててしまうのか、」は
「なんでこんなスレを立ててしまうのか、」と書くつもりでした。

360 :渡海 難 p121-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/21(火) 08:55
344
>> かいつまんで要点を仰っていただけると助かるんですけどね。
>甘えるんじゃない、渡海氏。自分の大好きな「議論」に負けそうになって、それで「理解不能」を装っているだけであることが見え見えだ。(違うと言うのなら反論は受け付ける。しかし論理的に頼むよ。)

 なるほど。そうですか。そうですか。 (゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
 貴方の方で要点を仰るのは嫌と言うなら、どうぞ構わないでください。私の方は、聞きたくて聞いているんじゃありません。貴方にはとっくに愛想が尽きてるんですよ。私にだって、貴方に愛想が尽きる権利ぐらいあるでしょう(笑)。

188<名無しさん→難度海 沈降>
188 名前:名無しさん投稿日:2000/11/12(日) 21:43
難度海 沈降さん、俺も応援してるぜ!
 みんなが渡海 難に言いたい事を代弁してくれている。てな事書いたら、<なんながなんて勝手に決め付けないでください>なんてのがきそうだな>渡海 難。

    193<渡海 難→難度海 沈降>
    193 名前:渡海 難 投稿日:2000/11/13(月) 07:03
    195 名前:渡海 難 投稿日:2000/11/13(月) 07:11
    188さん
    >みんながなんてのがきそうだな
    そう思ったら、最初から書きなさんな。

236<難度海 沈降→渡海 難>
236名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/16(木) 09:28
>193 「そう思ったら、最初から書きなさんな。」
 だって、あのくらい書かないと渡海氏はそれ以外の言葉で答えてくれないと思ったから。

   257<渡海 難→難度海 沈降>
   257名前:渡海 難 投稿日:2000/11/17(金) 10:03
   >だって、あのくらい書かないと渡海氏はそれ以外の言葉で答えてくれないと思
    ったから。
    だってとはなんじゃ? 甘ったれないでくださいな。あれは大人の文ではないで
   しょう。餓鬼タレの文章じゃ。
    ま、あの188と190とはアンタの自作自演だったということか?餓鬼の発想
   でも、手の込んだ芝居はしなさんな。

284<難度海 沈降→渡海 難>
284 名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/18(土) 07:26
 わたし難度海 沈降は、難度海 沈降を名乗って以後、他の名前では書き込んでいません。
そんな「手の込んだ芝居」をするほどヒマではないのです。「自作自演」で自分にエール
を送ったこともありません。決めつけないでください。

   311<難度海 沈降→名無しさん(188)>
   311 名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/18(土) 07:58
   >276(188も190も)さん
   濡れ衣を晴らしてくれてありがとうございます。でも、こう書いても渡海氏はし
   つこく「自作自演だ」と言ってくるのでしょうか。たのしみです。
   その節(188も190も)は本当にありがとうございました。

 まあ、2CHは何を書いてもいいところだと思うが、こんなカキコをする奴に愛想が尽きる権利ぐらいは僕にだってあるだろう。(爆笑)302<難度海 沈降→渡海 難>
 「さあ、親鸞思想の正当性、それにまつわって渡海氏が根拠にしている時の「政府」の「公式」な「断罪」が「正当」なものであったのか、「不当」なものであったのか、それを大いに論じようではないか。絶対に逃がさないぞ。うきうき。さあ、親鸞思想の正当性、それにまつわって渡海氏が根拠にしている時の「政府」の「公式」な「断罪」が「正当」なものであったのか、「不当」なものであったのか、それを大いに論じようではないか。」

331<渡海 難→難度海 沈降>
 「仮に断罪が正当だったらどうなるの?。不当だったらどうなるの? 僕が不当論の立場で貴方と向き合ったら、貴方は断罪正当論に立ってくれるわけ? 」

345<難度海 沈降→渡海 難>
 「渡海氏、わたしの言葉が理解できてないんでしょう?なら無理に書き込むのやめなさい。老い先短い身なんだから、醜態を晒すのはこれ以上やめなさい。今更いくらやっても同じと考えているのなら、それは誤りだ。」

<「わたしの言葉が理解できてないんでしょう?なら無理に書き込むのやめなさい。」
 これは渡海 難が言うべきセリフじゃろ。まあ、2CHは何を書いてもいいところだと思うが、こんなカキコをする奴に愛想が尽きる権利ぐらいは僕にだってあるだろう(爆笑)。>

361 :渡海 難 p121-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/21(火) 08:57
285<難度海 沈降→渡海 難>
 「自作自演」で自分にエールを送ったこともありません。決めつけないでください。
236<渡海 難→難度海 沈降>
 これは決めつけではないよ。
244<渡海 難→難度海 沈降>
 これは決めつけではありません。
277<渡海 難→難度海 沈降>
 以上は決めつけではなく、あたりまえの事実を指摘したまでです。
278<渡海 難→難度海 沈降>
 渡海氏、これは決めつけではありません。
303<渡海 難→難度海 沈降>
 一度渡海氏に「勝手な思い込み価値観を押しつけ」ると、それを謝罪し、二度とその誤謬を繰り返していなくても、その人は二度と渡海氏との議論ができないのか?

 こんな身勝手なレスする奴は議論以前じゃろう。まあ、2CHは何を書いてもいいところだと思うが、こんなカキコをする奴に愛想が尽きる権利ぐらいは僕にだってあるだろう(爆笑)。


275
 他人に「決めつけるな」ってよく言ってるくせに、渡海氏は他人のことをすぐに決めつけるねえ。
281
「「他人に「決めつけるな」ってよく言ってるくせに、渡海氏は他人のことをすぐに決めつけるねえ。」

 繰り返し繰り返し、「お前はこう言っている。お前はこう言っている」というなら、渡海 難はどこで言っているかその場所を明示すべきろう。
 こっちだって忘れていることはある。言ってる場所を明示しないで「お前はこう言っている。お前はこう言っている」という奴に対してなら、僕の方で愛想が尽きる権利ぐらいはあるじゃろう。


285<難度海 沈降→渡海 難>
 「(2)渡海氏自身の言葉の矛盾」
286<難度海 沈降→渡海 難>
 「この場面について言えば、「渡海氏の言葉は矛盾している」という結論を導き出さざるを得ない。」
343<難度海 沈降→渡海 難>
 「渡海氏の言ってることは変じゃないか? 矛盾だらけじゃないか? 」
283<難度海 沈降→渡海 難>
 「『矛盾があるから人間だ』という言葉も誰かが吐いています。『好きだけど、きらい。』『賢くて、ちょっと馬鹿。』なんて言葉もよく聞きます。人間が相矛盾した感情を持つことはよくあるんです。」

 手前勝手にこんなダブルスタンダードをもつ奴に対してなら、僕の方から愛想が尽きる権利ぐらいはあるじゃろう。


>343
 渡海氏は「大人」なんでしょう? 厚顔無恥にも程があるんじゃないか。渡海氏はちょっと前にわたしを「こども」扱いして暴言を吐きまくっていたね。忘れたとは言わせない。なのにわたしの言ってることがわからない?

 議論の相手に子供は最初から予定していなかったわい。相手が子供でも、愛想が尽きることはあるじゃろう。
 他人の言葉を受け取って、それでキャッチボールをしようとしない人にはスレで発言して欲しくない。わたしはそう思うが、難度海 沈降さんはどうか。
 返事はいりません。僕の方は愛想が尽きています。多分、もう貴方にお返事することはないと思います。

362 ::2000/11/21(火) 09:17
難度海 沈降さんの言われる事も、いちいちもっともですね。非常に論理的ですし。
その人それぞれに色々な感じ方がありますからね。僕のは僕が感じた事にすぎませんから。

>渡海氏と一緒になって「親鸞仏教を問う」つもりは、ないです。
「親鸞仏教を問う」つもりが無いなら、「親鸞仏教を問う」為にスレッドをたてられた渡海さん
は、相手をする理由も無いでしょうね。

>「2」から展開が始まっている渡海氏の論も破綻してるようにしか見えず
破綻しているかどうか、それを検証することは、意味のあることでしょうね。

>そしてなんで他からの反応に対してまったく理性的に取り合おうとしないのか
相手が理性的で無いか、「親鸞仏教を問う」つもりが無いからではないでしょうか。

>ただ、対話(議論)能力のない人に、どうやったらその能力の存在に気付いて貰えるのか、
>そして、対話(議論)というのがどんなに素晴らしいものなのか、どう解って貰うか、
対話能力が無いのであれば、何十年も生きて来た人に、いまさら解ってもらうのは
不可能でしょうね。そうは思いませんか?

>これ以上渡海氏の独自すぎる解釈にはつき合えない
僕も独自すぎると思います。

>よ さんは、渡海氏のどこに惹かれているのですか?
>渡海氏の説のどこが気になってそんなに渡海氏の論を読んだのですか?

別に惹かれておりません。以前少しお話しただけです。親鸞仏教には興味ありますが。
僕の親鸞仏教に対する知識は浅い。浅いですが、現時点では、渡海さんの解釈は
全く肯定出来ません。僕に知識と情熱があれば、渡海さんの解釈を撃破したいところです。
「このオッサン何いってんだか、、、。」と思うこともあります。

>なのに よ さんは、わたしが渡海氏と2chで対等な話をしようとしたら、
>わたしは渡海氏のようにHPを一つ立て、親鸞思想について自説を展開しなければならないと言う。

そういう直接的な意味では無いですよ。渡海さんは、親鸞仏教に対して相当の知識と、
それを土台にした解釈、何らかの確信を持っておられる。
きちんとしたものを発表出来る位の相当のものが無ければ、対等に議論なんて出来ませんよ。
生半可にカジッて喜んでるオッサンだと思ったら、違いますよ。という意味です。

>渡海氏と同じことをしないで議論しようとするのは、ある意味、卑怯ですらある
そういう気持ちは無いでもないですね。ただ、こういう人を相手にするんだから、
それなりの礼儀はあってもいいんじゃないかと思いますが。

>わたしの 173 発言に対する渡海氏の 175 の回答は、当然見てますね

173 >>>お相手くださらない方もお相手くださる方、お相手くださる方もお相手くださる方。
>>>2CHは皆様、お友達。御坊様もお友達、親鸞会員もお友達です。
> これは、違うよ。これが、押しつけだよ。
> 一方的な宣言なんだから、「わたしはこう思っています」的なものをつけなきゃ正確じゃない。

上は単に渡海さんが感じた事を書かれただけですよね。個人の感想であり、親鸞仏教にも特に
関係ありません。そんなものに鋭く反応し、「押し付けだ」とか言ってくる。
どこが押し付けなんでしょうか。単なる感想、つぶやきの様なもんです。
そんなものに、「わたしはこう思っています」とつけろ。という。
どんなレスを返せばいいんでしょうかね。僕ならほっときますが。




363 ::2000/11/21(火) 09:19
>スレを立てて「議論」しようと言っているのだから、「議論」するのが当然なのでは?
>スレを立てて「議論」しようと言っているのだから、対等の立場に立つのが当然でしょう。
そう思います。僕は努力されている様にみえます。

>> 多少非礼で、知識不足、くらいなら、「親鸞仏教」が問題になっているならば、
>> 渡海さんは相応の対応をされると思いますよ。
>あのう。わたしの知識は不足なの?「赦免と訂正」について言ってるの?
「難度海 沈降」さんは僕より知識はありそうだし、論理的ですね。
僕は多少非礼で、知識不足だったけれども、「親鸞仏教」が問題になっていたので、
相手してもらいましたよ。「赦免云々」に関しては問題では無いでしょう。
かなり非礼なのか、「親鸞仏教」が問題になっていないんじゃないですか?

>「アホンダラ。」は、その言葉を発した人が、発する方に向かって投げかける、一つの讒言に過ぎませんよ。
>なぜその讒言をわたしが「悪口じゃない」と思い、甘んじて「そのまま受け取」らねばならんのですか?
そうですね。僕が言われた本人でなかったもんで。腹立つかもしれませんね。すいません。

>「背後から、蹴られたり石投げられたりする」
正体不明の者に陰から意味不明の中傷を受ける事を上の様に言いました。

>渡海氏がわたしを「大人」と扱わないうちはわたしは「大人」にならない、
>つまり、このスレは渡海氏の思い通りだ
そうでしょうね。子供が相手なら、大人が指導するしか無い。渡海さんの希望されている議論も
不可能でしょうからね。大人の出現を望んでおられると思いますよ。

>こんな発言では全然効果ないですよ。
効果ないですか。僕のは単に感情に任せた個人の意見にすぎませんからね。別にいいですよ。
渡海さんの肩持つ気も無いし。「難度海 沈降」さんを悪くも思ってないですから。

>あなたは何がしたいのですか?
渡海さんが冒頭で述べられた様に、
『親鸞仏教の土台に向けた批判・反論が、宗派の枠を超え、結果的には宗教の本質についての
社会への問題提起となり、各地で新たな飛び火的議論を巻き起こす一石となれば幸いです。』
この様なことが可能であれば、素晴らしいですね。この主旨にそった内容で話が進めばよいと思います。
そして、渡海さんの解釈がきっちり撃破され、正しい親鸞仏教が明らかとなる事も望んでいます。

というか、愛想つかされちゃった様ですね、、、。
僕は「難度海 沈降」さんに期待していたんですけどね。知識もある人だし。
それなりのスタンスで臨んでほしかった。

364 :渡海 難 p009-dnb35karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/21(火) 09:31
>361
 まちがえちゃった。 (^^ゞ ポリポリ
 236,244,277,278,303で発信者と受信者の表示を間違えていました。

285<難度海 沈降→渡海 難>
 「自作自演」で自分にエールを送ったこともありません。決めつけないでください。
236<難度海 沈降→渡海 難>
 これは決めつけではないよ。
244<難度海 沈降→渡海 難>
 これは決めつけではありません。
277<難度海 沈降→渡海 難>
 以上は決めつけではなく、あたりまえの事実を指摘したまでです。
278<難度海 沈降→渡海 難>
 渡海氏、これは決めつけではありません。
303<難度海 沈降→渡海 難>
 一度渡海氏に「勝手な思い込み価値観を押しつけ」ると、それを謝罪し、二度とその誤謬を繰り返していなくても、その人は二度と渡海氏との議論ができないのか?

 こんな身勝手なレスする奴は議論以前じゃろう。まあ、2CHは何を書いてもいいところだと思うが、こんなカキコをする奴に愛想が尽きる権利ぐらいは僕にだってあるだろう(爆笑)。

365 :ぺぺこと名乗らん!:2000/11/21(火) 13:09
あっ!渡海難 逃げやがった!

ところで、よ さん
>そうでしょうね。子供が相手なら、大人が指導するしか無い。渡海さんの希望されている議論も
>不可能でしょうからね。大人の出現を望んでおられると思いますよ。
渡海難の書き込みの仕方は大人の書き込みだと思いますか?
今まで渡海難と議論した坊さんや親鸞会関係者などはすべて子供だったのでしょうか?
坊さん達は充分精神的に大人なのに渡海難の望む議論ができなかった、ということはないのでしょうか?
渡海難が望む議論とはどんなものでしょう?
あなたは渡海難の書き込みの仕方に問題がないと思いますか?
渡海難が他人を非難している内容は、そのまま渡海難本人にも当てはまることがあり矛盾してるとは思いませんか?
渡海難のレスの仕方に問題がないと思いますか?
渡海難が他のスレッドや掲示板でそこの主旨にそわない書き込みをしていたことはどう思いますか?
渡海難と第三者の議論はなぜいつも仏教の話からそれて、誹謗・中傷になってしまうと思いますか?渡海難は悪くなく、すべて第三者が悪かったと思いますか?

366 :渡海 難 p62-dnb05karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/21(火) 14:14
365:ぺぺこと名乗らん!さんへ
>あっ!渡海難 逃げやがった!

 誤解があるようなので少し書いておきます。逃げたんじゃないのよ。愛想が尽いただけよ。貴方は男性?女性?貴方もどっちか分からないけど、貴方が好きだと一時は思った異性に愛想が尽きることもあるかもしれない。あなたが愛想が尽きれば、貴方は逃げたことになるの?どうして愛想が尽いたか。あまりにも相手の異性が幼すぎたから。そういうことはあるでしょう。
 ただ、本当にその異性が幼いのか、単にあなたが幼いと感じただけかは別ですよ。幼い異性でも大人に見えることがある。大人の女性でも幼く見えることがある。みんな主観の問題。「お前は子供だ」と言っても、本当に子供かどうかは分からない。基準はない。でも、「おっさないな」と一方が思いこんだら、愛想が尽きるわな。愛想が尽きれば、愛想が尽きたと相手に伝える権利は僕にもある。それとも、渡海 難は特別な人間だから、そんな権利はないの?
 「もう貴方にお返事することはないと思います」。と言ったのは、愛想が尽いたからです。でも、愛想が尽きるというのは心の問題です。どちらかがいつかまた心を開き合う時がないとは限らない。これは縁の問題です。そのときこそ、腹を割って話をしましょう。「思います」とはそういうことです。そのときまでしばらく時間をおくのがいいでしょう。ま、これは僕の提案ですよ。

367 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 15:32
>361 渡海氏
> 返事はいりません。僕の方は愛想が尽きています。多分、もう貴方にお返事することはないと思います。

おいおい。なんだよそれ。愛想が尽きたと言って逃げるのか。
本当に本当に馬鹿だな。俺が幼すぎるというのなら、
渡海氏のひいた俺の言葉、どういう文脈で俺が吐いているのか、
それをもう一度検証して欲しいな。
俺は渡海氏の文章で毎回それをやっているんだし。

まあ、渡海氏ほどの馬鹿野郎と話すのは本当に疲れるし、いいけど。
ただ、このスレッドはわたしのハードが続く限り保存します。

別に、答えなくても良いよ。

368 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 15:33
>よ さん
幸せそうですね、知識が浅くて。


369 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 15:36
-------------------------------
354 名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/21(火) 03:34
よ さんが言っているように、渡海氏は自分の存在をかけて
自分の親鸞理解を世に問うているのかも知れない。
だが、このスレのこの惨憺たる有様はどうだ。渡海氏は何を問うているのか。
渡海氏は、前提としている言葉たちの定義がそもそもおかしいのだ。
論理展開も矛盾して破綻しまくっている。

例えば、
渡海氏は、326で、322と323でのわたしの疑問に答えているつもりらしいが、
その時になぜか親鸞の言葉をひいて答えている。これは一体どういうことなのだろう?

渡海氏は親鸞の言葉をひくのなら、そして、文脈からいけば
親鸞の言葉を「無謬」という前提で引くのなら、いちいち検証してからでなければならない、
と明言している。↓

「親鸞思想の正当性の検討は、親鸞の言葉を引用する場合、
 当然その前にしっかり行ってなければならないんだ。」(渡海難 誤謬語録 6 より)

なのに、自分で、恐らく「無謬」という前提、意味合いで引いてしまっている。どうしてだろう?
わたしはここにも渡海氏の論の矛盾・破綻を見るのだが。
----------------------------
これだけでも答えて欲しかったな。

370 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 15:45
文脈は無視して、言葉を一つ一つあげつらい、
内容も無視して、自説をがんがんおしまくる。
これで議論するってんだからおどろきだ。
腰巾着もくっつけて、とてもかろやかで動きにくそう。
知識欲のない人、対話能力も対話欲もない人が、他人に議論を呼びかけてはいけません。
このスレがよい見本です。

人間的に(理性的に、あるいは本能的に)生きたいと思ってる人は、
このスレを反面教師(渡海氏は教師じゃない)にして、
理性もなければ駄目だと言うことを学んでください。
渡海氏の発言が、無理性の発言として、とても参考になります。

はい。

しかし、知識のない人ってのは本当にあぶないみたいだね。
なんで渡海氏にくっついていこうとしてるのだろう?
ちったあ本くらい読めよ。自分の頭で考えろよ、よ さん。
じゃないとカルト(宗教とは限らない)にハマっていくんだよ。
あ、失礼。もうどっぷりですね。

371 :188=190:2000/11/21(火) 17:52
難度海 沈降さん、お疲れ様です。
こんなタイミングでカキコしたら、私=難度海 沈降さんと思われそうですが、

よ さん、私もあなたの仰る、「同じ土俵云々」というのは、この2ちゃんねるという
掲示板の趣旨からしておかしいと思います。確かに、渡海氏が個人情報を公開されて
いるのは素直に関心します。しかし、ここでは匿名というのが一つの条件(といったら
おかしいでしょうか?)となっていますので、それぞれの人がどのような状態でカキコ
もうが、対等かそうでないかという話は見当違いじゃないでしょうか?

>渡海さん、
私があなたに対して不愉快なカキコをしているのは事実ですが、議論をしようとされている
難度海 沈降さんに対するレスで、私を難度海 沈降さんと同一人物であるかのような
レスに終始されるのはどうかと思います。まあ、もう議論なんぞはするつもりが無い
ようなので、どうでもいいことなんですがね。

>難度海 沈降さん
どうも私とあなたが同一人物という誤解が解けないようですね(笑
でもめげずに頑張ってくださいね。


372 :渡海 難 p95-dnb05karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/21(火) 20:00
369  名前: 難度海 沈降さんへ
>これだけでも答えて欲しかったな。
 それではこれだけには答えておきましょう。舌足らずだったかも知れません。 (^^ゞ ぽりぽり

 私は336で、親鸞の言葉を「無謬」という前提で引いたものではありません。
 親鸞の認識はどこにあったか。釈迦の認識はどこにあったか。認識の所在を書いたつもりです。親鸞は釈迦を「大船」「導師」として認識していたはずだという趣旨でお答えしました。釈迦もそのように認識していたと思うという趣旨でお答えしました。
 親鸞の認識はどこにあったかということと、親鸞の認識は妥当なものかということとは次元が違います。
 「親鸞思想の正当性の検討は、親鸞の言葉を引用する場合、当然その前にしっかり行ってなければならないんだ。」
 これは、親鸞の認識の所在を問題にするのではなく、親鸞に所在する親鸞の認識の妥当性を問題にした主張です。
 釈迦を大船と認識するかどうか。これは個人個人の主観に関わってくる問題と思います。親鸞は釈迦を「大船」「導師」として認識していた。私はそう思っています。そして私も釈迦を大船として仰いでいるつもりです。釈迦は大船でないと認識される方がいらっしゃっても、それは私がどうこういう問題ではありません。なお、釈迦は大船でないと認識される方に対し、「親鸞は教行信証でこう言っていんだから、釈迦は大船なんですよ。導師なんですよ。あなたもそのように釈迦を仰ぎなさい」と言えば、これは論理が飛躍します。親鸞の例を第三者に波及させて統一的規範の元に置こうとするなら、親鸞の著述の引用だけでは不十分でしょう。引用された主張の妥当性が問われなければいけません。
 親鸞の主観が問題になるのか、親鸞の主観を離れた客観的真理を主張しようとするのか。両者では当然手法が異なります。親鸞の著述の引用はダメという基準を一律に適用することは不当でしょう。
 釈迦の認識を問題にする場合には若干問題があると考えます。経典は釈迦が死んでからかなり後に書かれています。教行信証が引用している経典は涅槃経です。涅槃経がはたしてどこまで釈迦の真意を継承しているかは議論のあるところでしょう。ただ、涅槃経成立期はは西暦2,3世紀ころでしょうか。涅槃経からは、大乗仏教成立期の仏弟子達は釈迦を導師、船師として認識していたと推定できると考えます。西暦2,3世紀ころの仏弟子達は、釈迦を、導師、船師として認識していたと推定できるなら、原点にある釈迦もそのような認識を持っていたと推定することは必ずしも不当ではないと思います。
 ただ、これは私の主観です。仮説の域を超えません。涅槃経は釈迦の真意を書いてない。釈迦は船でもなく師匠でもない。そう主張する方がいても、私は敢えて異論は挟みません。

>188=190さん
 難度海 沈降さんと同一人物であるとは思っていません。話のネタを提供する方と思っています。 

373 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:23
>372 渡海氏
ありがとう。ゆっくり吟味します。

374 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:24
はい。難度海沈降です。
渡海氏、よ さん、書き込みされてる方、ロムのみなさん、お元気ですか。わたしは元気です。

わたしはまるでスカパーです。わかるひとにはわかる。
わかるひとはわかるひと。わからないひとはわからないひとです。一致しないと思います。
わたしはわたしの価値観や世界観を他人に垂れ流すようなことはしません。
他人にわたしの説を飲み込めそのまま飲み込むんだ飲み込まなければだめだとも言いません。
そのような態度もとりません。
ただ、文章はたまに論理的すぎてついてこれない人もいるみたいです。
また、たまに没論理にもなりますので、注意してください。
ただ、没論理を指摘するときには、わたしの文の一部分だけひかず、
当該発言をレス番号とともに一つのカタマリごと全部引用し、そのあとで検証してください。
まるごと引用して、とは言いませんが、文脈がわかるかたちで引用してください。
これは特に渡海氏に言っています。渡海氏は議論も引用もレスも下手すぎです。

以下で、例によって長いですが、渡海氏の非論理的書き込みをいちいち引用し、
その検証をしてみます。
「よ」さんについても、やっぱスカパー的にその書き込みの非を明らかにしたいと思っています。

では、お付き合いいただける方はお付き合い下さい。
お付き合いいただける方はお付き合いいただける方。
お付き合いいただけない方はお付き合いいただけない方。
一致しないと思います。
「今まで」・「今」・「これから」。
この三者は冷静に区別して語られねばなりません。

では、始めます。

375 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:24
まず「360」について。
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
360 名前:渡海 難 p121-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp投稿日:2000/11/21(火) 08:55
344
>> かいつまんで要点を仰っていただけると助かるんですけどね。
>甘えるんじゃない、渡海氏。自分の大好きな「議論」に負けそうになって、それで「理解不能」を装っているだけであることが見え見えだ。(違うと言うのなら反論は受け付ける。しかし論理的に頼むよ。)

 なるほど。そうですか。そうですか。 (゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
 貴方の方で要点を仰るのは嫌と言うなら、どうぞ構わないでください。私の方は、聞きたくて聞いているんじゃありません。貴方にはとっくに愛想が尽きてるんですよ。私にだって、貴方に愛想が尽きる権利ぐらいあるでしょう(笑)。
------------------------------------------------------
引用終わり。

渡海氏。
渡海氏がわたし「に愛想が尽きる権利ぐらいある」に決まってるでしょう。
問題は、その権利がどのように発揮されるかではないのかとわたしは考えます。

スレを立て、一般に対して「議論」を呼びかけたのは渡海氏だ。
わたしはそれに応え、論理的なレスをし続けている、
たまには感情的になったりそうなった様を装ったりはしているが。
渡海氏がわたしに愛想を尽かすのは勝手だが、議論は続けねばならない。
議論をうち切るのならば、その理由は「愛想が尽きた」では全くいけない。
論理でやっているのだ。いきなり感情的に「愛想が尽きた」と言っても、
全然打ち切りの理由にはならない。
そんなことも解らないで広く「議論」を申し込んではいけません。渡海氏。

376 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:25
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
360 名前:渡海 難 p121-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp投稿日:2000/11/21(火) 08:55
 まあ、2CHは何を書いてもいいところだと思うが、こんなカキコをする奴に愛想が尽きる権利ぐらいは僕にだってあるだろう。(爆笑)302<難度海 沈降→渡海 難>
 「さあ、親鸞思想の正当性、それにまつわって渡海氏が根拠にしている時の「政府」の「公式」な「断罪」が「正当」なものであったのか、「不当」なものであったのか、それを大いに論じようではないか。絶対に逃がさないぞ。うきうき。さあ、親鸞思想の正当性、それにまつわって渡海氏が根拠にしている時の「政府」の「公式」な「断罪」が「正当」なものであったのか、「不当」なものであったのか、それを大いに論じようではないか。」
------------------------------------------------------
引用終わり。

愛想が尽きるなら尽きるで構わないが、
(1)引用するだけでなく、なぜ愛想が尽きたのか、それを示す。
(2)愛想が尽きたら議論を一方的に打ち切って良いのかどうか、それを検証をする。

そのような手続きを経なければならない。
そのような手続きを経ないで一方的に宣言するのは、敗走と同義である。

「361」内に見られる他の書き込みも上の引用と同様である。

377 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:25
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
285<難度海 沈降→渡海 難>
 「自作自演」で自分にエールを送ったこともありません。決めつけないでください。
236<渡海 難→難度海 沈降>
 これは決めつけではないよ。
244<渡海 難→難度海 沈降>
 これは決めつけではありません。
277<渡海 難→難度海 沈降>
 以上は決めつけではなく、あたりまえの事実を指摘したまでです。
278<渡海 難→難度海 沈降>
 渡海氏、これは決めつけではありません。
303<渡海 難→難度海 沈降>
 一度渡海氏に「勝手な思い込み価値観を押しつけ」ると、それを謝罪し、二度とその誤謬を繰り返していなくても、その人は二度と渡海氏との議論ができないのか?

 こんな身勝手なレスする奴は議論以前じゃろう。まあ、2CHは何を書いてもいいところだと思うが、こんなカキコをする奴に愛想が尽きる権利ぐらいは僕にだってあるだろう(爆笑)。
------------------------------------------------------
引用終わり。

これも「360」への批判と同様の批判が出来る。もう一度言う。
愛想が尽きるなら尽きるで構わないが、
(1)引用するだけでなく、なぜ愛想が尽きたのか、それを示す。
(2)愛想が尽きたら議論を一方的に打ち切って良いのかどうか、それを検証をする。
そのような手続きを経なければならない。
そのような手続きを経ないで一方的に宣言するのは、敗走と同義である。

378 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:25
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
361 名前:渡海 難 p121-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp投稿日:2000/11/21(火) 08:57
275
 他人に「決めつけるな」ってよく言ってるくせに、渡海氏は他人のことをすぐに決めつけるねえ。
281
「「他人に「決めつけるな」ってよく言ってるくせに、渡海氏は他人のことをすぐに決めつけるねえ。」

 繰り返し繰り返し、「お前はこう言っている。お前はこう言っている」というなら、渡海 難はどこで言っているかその場所を明示すべきろう。
 こっちだって忘れていることはある。言ってる場所を明示しないで「お前はこう言っている。お前はこう言っている」という奴に対してなら、僕の方で愛想が尽きる権利ぐらいはあるじゃろう。
------------------------------------------------------
引用終わり。

では、引用します。文脈をよくご覧ください。言ってます。

379 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:26
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
256 名前:渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp投稿日:2000/11/17(金) 10:02
 「他人のことをすぐに決めつける」とアンタがいうなら、具体例を挙げるのが筋だろう。決めつけかどうかは主張の根拠を改めて検討して行く必要がある。相手に対し、「他人のことをすぐに決めつける」なんて理由もなく言えば、それが決めつけになる場合だってあるじゃろう。
------------------------------------------------------
引用終わり。以下も、部分的に引用。
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256 名前:渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp投稿日:2000/11/17(金) 10:02
 アンタが判断せざるを得ないかどうかは、僕の知ったこっちゃない。アンタ中心に世界が動いているんじゃない。自分が判断せざるを得ないかどうかを渡海氏は行動基準にしなければいけないの。あほらしい。アンタは自分をなに様と思っているんだい?犬のションベンでもいいから、顔でも洗ってきたらどうなんだい。アンタの価値基準をこっちに向けなさんな。 アンタのヘボ物差しを向けられたら、向けられた相手は迷惑する。
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引用終わり。以下も、部分的に引用。
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257 名前:渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp投稿日:2000/11/17(金) 10:03
あんたが何を思うのも、あんたの勝手。結論をどう演繹してもアンタの勝手。あんたが勝手に思う事実は世間に山ほどあるでしょ。勝手にあんたが思ったからといって、他人にそれがどれほど意味があるの?自分が思えば他人に意味があると思うなー。アホー。
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引用終わり。以下も、部分的に引用。
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258 名前:渡海 難 p013-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp投稿日:2000/11/17(金) 10:04
 皆んなとは誰のこと? アンタは自分一人で皆んなになるのか。アンタはみんな自分と一緒と思っているのか。アンタみたいにぶしつけに自分の価値観を押しつけてくる人は、アンタが「皆んな」と言うほど多くないんじゃ。
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引用終わり。

380 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:26
以下、部分的に引用。
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361 名前:渡海 難 p121-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp投稿日:2000/11/21(火) 08:57
285<難度海 沈降→渡海 難>
 「(2)渡海氏自身の言葉の矛盾」
286<難度海 沈降→渡海 難>
 「この場面について言えば、「渡海氏の言葉は矛盾している」という結論を導き出さざるを得ない。」
343<難度海 沈降→渡海 難>
 「渡海氏の言ってることは変じゃないか? 矛盾だらけじゃないか? 」
283<難度海 沈降→渡海 難>
 「『矛盾があるから人間だ』という言葉も誰かが吐いています。『好きだけど、きらい。』『賢くて、ちょっと馬鹿。』なんて言葉もよく聞きます。人間が相矛盾した感情を持つことはよくあるんです。」

 手前勝手にこんなダブルスタンダードをもつ奴に対してなら、僕の方から愛想が尽きる権利ぐらいはあるじゃろう。
------------------------------------------------------
引用終わり。

わたしは、感情が矛盾することは全然構いません。それが人間ですから。
しかし、議論をしている最中に発言が矛盾しだしてはいけないのではないかと考えています。
渡海氏はどう考えるの?

以下に、「285」「286」「343」「283」のわたしの指摘などを再び引用します。
渡海氏が矛盾しまくっていることは、論理的に考える能力のある人には理解可能です。
渡海氏も自己矛盾を恐らくわかっているのではないかと推測しますが、押しつけはしませんよ。
本当にわかってないのかもしれないですしね。

381 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:26
以下、引用。
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285 名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/18(土) 07:26
(2)渡海氏自身の言葉の矛盾

> 233 難度海 沈降 さんへ
> >その点については謝ります。すみません。
>     <分かればいいでしょう。> (渡海難 誤謬語録 255)

渡海氏はこのように書いている。だが「いいでしょう」と言ったわりに、とてもご執心である。

> 訂正と赦免の前例もあるからね。(渡海難 誤謬語録 256)

> 訂正と赦免とを勘違いするほどなんだから。(渡海難 誤謬語録 257)

> 赦免と訂正を勘違いするような馬鹿やってる人から
> 「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」
> などとほざかれたから頭に来たんですよ。(渡海難 誤謬語録 258)

> 赦免と訂正を勘違いするような馬鹿やってる人から
> 「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」
> などとほざかれたから、こっちは頭に来たんですよ。(渡海難 誤謬語録 260)

> 赦免と訂正を勘違いするような馬鹿やってるんなら、
> あんたこそ「自分で調べたまえ。アンタをそこまで過保護にする気にはない」よ。(渡海難 誤謬語録 261)

> 赦免と訂正の違いを忘れて「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」
> などとほざく人間には、言論を武器とする民主主義を論ずる資格はないだろう。(渡海難 誤謬語録 267)
------------------------------------------------------
引用終わり。

382 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:27
以下、引用。
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286 名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/18(土) 07:27
人間は、時に、矛盾に満ちた感情を同時に感じる生き物である。
だが、それが「矛盾に満ちた言動をしまくって良い」ということに直結するわけではない。

「いいでしょう」と言っておいてなおその問題に執心し、
わたしの他の言辞を否定しようとする時に必ずと言って良いほどの割合で
それを根拠にしている以上、この場面について言えば、
「渡海氏の言葉は矛盾している」という結論を導き出さざるを得ない。

なお、267であるが、渡海氏は

> 赦免と訂正の違いを忘れて「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」
> などとほざく人間には、言論を武器とする民主主義を論ずる資格はないだろう。(渡海難 誤謬語録 267)

と書いているが、
わたしが「自分で調べたまえ。渡海氏にそこまで過保護にする気にはならない。」という暴論を吐いた時、
わたしは自分の当該箇所の言辞が誤謬に満ちていることを知らなかった。
当然、その時のわたしがそれを「忘れ」ることも不可能であった。
よって、渡海氏のこの発言は、時系列を無視した発言であると言える。
議論を行うときには、相手がその発言をいつしたのかに注意が必要である。

気をつけましょうね、渡海氏。わたしも赦免と訂正との違いには気をつけますから。
まあ、渡海氏に指摘されたおかげで、もう間違わないんじゃないかと思ってますが。
------------------------------------------------------
引用終わり。

383 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:27
以下、引用。
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343 名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/20(月) 20:31
> 330-332 336-339 渡海氏。

>  全部読んだんですよ。あなたの説は私にとってあまりにも高度すぎる。
> とても私の理解の及ぶところではありませんでした。 (/_;) トホホ。 (渡海難 誤謬語録 338 より)

渡海氏は「大人」なんでしょう? 厚顔無恥にも程があるんじゃないか。
渡海氏はちょっと前にわたしを「こども」扱いして暴言を吐きまくっていたね。
忘れたとは言わせない。
なのにわたしの言ってることがわからない?
渡海氏が「コドモ」扱いした人間の言ってることがわからない?
なんじゃそりゃ?
渡海氏の論法では「大人」は「コドモ」に対して無敵なはずだろう?
ならば、渡海氏の言ってることは変じゃないか? 矛盾だらけじゃないか?

やれやれ。渡海氏は愚か者だ。

あとさあ。もし本当に
> あなたの説は私にとってあまりにも高度すぎる。
> とても私の理解の及ぶところではありませんでした。 (/_;) トホホ。 (渡海難 誤謬語録 338 より)
と感じているのなら、「330-331」で

>      <なるほど> (×20ぐらい)(渡海難 誤謬語録 330-331 より)

と言ったのは一体どういう了見でのことなの? 説明してくれるか?
------------------------------------------------------
引用終わり。

384 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:27
以下、引用。
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283 名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/18(土) 07:26
255 〜 270の他の箇所からも、渡海氏の決めつけの例を挙げよう。

(@)
> あなたは自分が相手して欲しいから僕あてにカキコをしているんだろう。(渡海難 誤謬語録 256 より)

違います。


(A)
> 楽しかったのか、げんなりしているのか、どっちなんだい。
> 楽しければげんなりせんだろう。非常にげんなりしたら、楽しくないだろう。(渡海難 誤謬語録 256 より)

人間は、相矛盾した感情を時に持つものです。これは古今東西を問いません。
古今東西の例に漏れず、わたしも相矛盾した感情を持ったのです。
渡海氏の馬鹿さ加減が楽しくて、
でも、げんなりしたのです。同時だったか時間差だったかは覚えてません。
「矛盾があるから人間だ」という言葉も誰かが吐いています。
「好きだけど、きらい。」「賢くて、ちょっと馬鹿。」なんて言葉もよく聞きます。
人間が相矛盾した感情を持つことはよくあるんです。
「げんなり」の方が大きい割合を示しているということは否定しませんが。
------------------------------------------------------
引用終わり。

385 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:27
以下、部分的に引用。
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>343
 渡海氏は「大人」なんでしょう? 厚顔無恥にも程があるんじゃないか。渡海氏はちょっと前にわたしを「こども」扱いして暴言を吐きまくっていたね。忘れたとは言わせない。なのにわたしの言ってることがわからない?

 議論の相手に子供は最初から予定していなかったわい。相手が子供でも、愛想が尽きることはあるじゃろう。
 他人の言葉を受け取って、それでキャッチボールをしようとしない人にはスレで発言して欲しくない。わたしはそう思うが、難度海 沈降さんはどうか。
 返事はいりません。僕の方は愛想が尽きています。多分、もう貴方にお返事することはないと思います。
------------------------------------------------------
引用終わり。

「他人の言葉を受け取って、それでキャッチボールをしようとしない人にはスレで発言して欲しくない。わたしはそう思うが、難度海 沈降さんはどうか。」

という発言は、わたしが渡海氏を相手に放った言葉ですね。
渡海氏は自分がわたしの言葉を受け取っていると誤解しているようですね。
いやはや。

386 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:28
よ さんへ。

わたしの書き込みが論理的であるとわかったという点で、
あなたは渡海氏よりも頭の中が確かなのだろうと思います。でも、変ですね。

以下、部分的に引用。
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362 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:17
>渡海氏と一緒になって「親鸞仏教を問う」つもりは、ないです。
「親鸞仏教を問う」つもりが無いなら、「親鸞仏教を問う」為にスレッドをたてられた渡海さん
は、相手をする理由も無いでしょうね。
------------------------------------------------------
引用終わり。

なんで〜?
あなた渡海氏の「2」の書き込み読んでませんね。読んでいても読解してませんね。
もう一度読んで、よく理解してくださいね。

以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
2 名前:渡海 難 投稿日:2000/10/04(水) 13:05
様々な覆面的野次馬プレーヤーが入り乱れて衝突しあうと思います。学問的に意味のある結論が出るかどうかは分かりません。親鸞思想に批判的な人からの批判、親鸞の考えには賛成するが、たたき台とする渡海の考えには反対という人からの批判、様々な反論をインターネット上で交錯させることができれば幸いです。親鸞仏教の土台に向けた批判・反論が、宗派の枠を超え、結果的には宗教の本質についての社会への問題提起となり、各地で新たな飛び火的議論を巻き起こす一石となれば幸いです。
------------------------------------------------------
引用終わり。

387 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:28
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
362 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:17
>「2」から展開が始まっている渡海氏の論も破綻してるようにしか見えず
破綻しているかどうか、それを検証することは、意味のあることでしょうね。
------------------------------------------------------
引用終わり。

わたしはそれをずうっとやっています。あなたの発言の文脈からいけば、意味があるようですね。
渡海氏はその意味のあることを、うっちゃろうとしています。
あなたからも「うっちゃるな」と言ってくれませんか?


以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
362 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:17
>そしてなんで他からの反応に対してまったく理性的に取り合おうとしないのか
相手が理性的で無いか、「親鸞仏教を問う」つもりが無いからではないでしょうか。
------------------------------------------------------
引用終わり。

わたしは論理的ですね。それはわかっていただいていますね。理性的じゃないですか?
わたしは非常に理性的にやってるつもりですが、よ さんはどう考えてますか?
また、渡海氏の「2」の発言からは「「親鸞仏教を問う」を問う」の文脈で発言しても
全然良いことになりますよね。それはどう考えてますか?

388 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:29
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
362 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:17
>ただ、対話(議論)能力のない人に、どうやったらその能力の存在に気付いて貰えるのか、
>そして、対話(議論)というのがどんなに素晴らしいものなのか、どう解って貰うか、
対話能力が無いのであれば、何十年も生きて来た人に、いまさら解ってもらうのは
不可能でしょうね。そうは思いませんか?
------------------------------------------------------
引用終わり。

何が言いたいのかわかりません。そう思ったらどうだと言うのですか? 続きを言ってください。

ちなみに、わたしはそのあとで
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
350 名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/21(火) 03:32
ただ、対話(議論)能力のない人に、どうやったらその能力の存在に気付いて貰えるのか、
そして、対話(議論)というのがどんなに素晴らしいものなのか、どう解って貰うか、
そのへんのことをちょっと試したくなって来ています。
これも渡海氏を相手に「実験」するのはしんどそうですけど。
でも、こんなうまいサンプルないでしょう。
まあこれについてもわたしが「俺ってアホやな」と思って退散することになるんじゃないでしょうか。
------------------------------------------------------
引用終わり。
と言ってますよね。わたしはこのような考えでやってますが。
読解能力がないから読み飛ばしてしまったのか、理解した上で無視したのか、
はたまたそれ以外の受け取り方をしたのか、どれですか?

389 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:29
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
362 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:17
>これ以上渡海氏の独自すぎる解釈にはつき合えない
僕も独自すぎると思います。
------------------------------------------------------
引用終わり。

独自であれば良いってもんではありませんね。


以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
362 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:17
別に惹かれておりません。以前少しお話しただけです。親鸞仏教には興味ありますが。
僕の親鸞仏教に対する知識は浅い。浅いですが、現時点では、渡海さんの解釈は
全く肯定出来ません。僕に知識と情熱があれば、渡海さんの解釈を撃破したいところです。
「このオッサン何いってんだか、、、。」と思うこともあります。
------------------------------------------------------
引用終わり。

知識も情熱もないようですね。
そうはなりたくないものです。

390 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:29
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
362 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:17
>なのに よ さんは、わたしが渡海氏と2chで対等な話をしようとしたら、
>わたしは渡海氏のようにHPを一つ立て、親鸞思想について自説を展開しなければならないと言う。

そういう直接的な意味では無いですよ。渡海さんは、親鸞仏教に対して相当の知識と、
それを土台にした解釈、何らかの確信を持っておられる。
きちんとしたものを発表出来る位の相当のものが無ければ、対等に議論なんて出来ませんよ。
生半可にカジッて喜んでるオッサンだと思ったら、違いますよ。という意味です。
------------------------------------------------------
引用終わり。

へえ。そうですか。
そんなのは大体推測できますし、実存的な理解をして、何か体で感じてるのだろうなあ、とは思います。
でもそれが何だと言うのですか?
実存的なのはわたしも実存的ですし、親鸞会員だって真宗僧侶だってそれなりに実存的なんですよ。
わたしは、実存的だということは何の免罪にもなり得ないと思いますが。

391 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:29
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
362 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:17
>渡海氏と同じことをしないで議論しようとするのは、ある意味、卑怯ですらある
そういう気持ちは無いでもないですね。ただ、こういう人を相手にするんだから、
それなりの礼儀はあってもいいんじゃないかと思いますが。
------------------------------------------------------
引用終わり。

「こういう人」というのはどういう人のことですか?
実存的な人、ということですか?
実存的だが論理的思考が出来ない人、ということですか?
実存的だが実存的思考に基づく議論が出来ない人、ということですか?
実存的だが実存的思考に基づく議論が出来ないことに気づけない人、ということですか?
実存的だが実存的思考に基づく議論が出来ないことに気づけないで他人に議論しようと言う人、ということですか?

「それなりの礼儀」というのはどういう礼儀ですか?
含ませて書いても歯切れが悪いし、よくわからないのではっきり書いてください。

392 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:30
以下、部分的に引用。
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362 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:17
>わたしの 173 発言に対する渡海氏の 175 の回答は、当然見てますね

173 >>>お相手くださらない方もお相手くださる方、お相手くださる方もお相手くださる方。
>>>2CHは皆様、お友達。御坊様もお友達、親鸞会員もお友達です。
> これは、違うよ。これが、押しつけだよ。
> 一方的な宣言なんだから、「わたしはこう思っています」的なものをつけなきゃ正確じゃない。

上は単に渡海さんが感じた事を書かれただけですよね。個人の感想であり、親鸞仏教にも特に
関係ありません。そんなものに鋭く反応し、「押し付けだ」とか言ってくる。
どこが押し付けなんでしょうか。単なる感想、つぶやきの様なもんです。
そんなものに、「わたしはこう思っています」とつけろ。という。
どんなレスを返せばいいんでしょうかね。僕ならほっときますが。
------------------------------------------------------
引用終わり。

考えてからレスをつければ良いんですよ。
考えず、言葉を受け取らずにレスしようとするから「175」みたいなレスになるんでしょうね。

あと気になるのですが、「173」は よ さんに聞いたわけではないので、
別にあなたの反応を書かなくても良いですよ。かえってややこしくなりますし。

393 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:30
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
363 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:19
>スレを立てて「議論」しようと言っているのだから、「議論」するのが当然なのでは?
>スレを立てて「議論」しようと言っているのだから、対等の立場に立つのが当然でしょう。
そう思います。僕は努力されている様にみえます。
------------------------------------------------------
引用終わり。

努力するだけではだめじゃないのかな。


以下、部分的に引用。
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363 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:19
>> 多少非礼で、知識不足、くらいなら、「親鸞仏教」が問題になっているならば、
>> 渡海さんは相応の対応をされると思いますよ。
>あのう。わたしの知識は不足なの?「赦免と訂正」について言ってるの?
「難度海 沈降」さんは僕より知識はありそうだし、論理的ですね。
僕は多少非礼で、知識不足だったけれども、「親鸞仏教」が問題になっていたので、
相手してもらいましたよ。「赦免云々」に関しては問題では無いでしょう。
かなり非礼なのか、「親鸞仏教」が問題になっていないんじゃないですか?
------------------------------------------------------
引用終わり。

聞いてるの? 聞くかたちで断言してるの? どちらですか?
何が聞きたいのか、何が言いたいのか、よく考えて発言してくださいね。

394 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:30
以下、部分的に引用。
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363 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:19
>「アホンダラ。」は、その言葉を発した人が、発する方に向かって投げかける、一つの讒言に過ぎませんよ。
>なぜその讒言をわたしが「悪口じゃない」と思い、甘んじて「そのまま受け取」らねばならんのですか?
そうですね。僕が言われた本人でなかったもんで。腹立つかもしれませんね。すいません。
------------------------------------------------------
引用終わり。

よく考えてくださいね。


以下、部分的に引用。
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363 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:19
>「背後から、蹴られたり石投げられたりする」
正体不明の者に陰から意味不明の中傷を受ける事を上の様に言いました。
------------------------------------------------------
引用終わり。

すごく単純ですね。
しかし、わたしは正体不明ですし、あなたの文脈をしっかり理解すると、
あなたは、わたしが渡海氏に「意味不明の中傷を」している、と考えていることになりますね。
わたしの発言のどこが渡海氏に対する「意味不明の中傷」なのですか?
わたしは意味不明でもないと思うし、中傷でもないと思ってますけど。
あなたはどう考えているのですか?

395 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:31
以下、部分的に引用。
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363 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:19
>渡海氏がわたしを「大人」と扱わないうちはわたしは「大人」にならない、
>つまり、このスレは渡海氏の思い通りだ
そうでしょうね。子供が相手なら、大人が指導するしか無い。渡海さんの希望されている議論も
不可能でしょうからね。大人の出現を望んでおられると思いますよ。
------------------------------------------------------
引用終わり。

あなたは、このスレは渡海氏の思い通りだと考えているわけですね。
わたしはそうは考えません。
「2」で渡海氏は開かれた議論を提唱している。
よ さんは開かれた議論というのを、どういうものだとお考えですか?
始めようと言った人間が勝手にバッサバッサ切っていくのが開かれた議論ですか?
わたしはそうは考えていません。
渡海氏の掌の上でコロコロ転がるのが大人だと考えていますか?
わたしはそんな狭いところにいませんよ。
渡海氏の掌が含まれている世界の中で話をしているのですけど。
それが開かれた議論だと思っています。

396 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:31
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
363 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:19
>こんな発言では全然効果ないですよ。
効果ないですか。僕のは単に感情に任せた個人の意見にすぎませんからね。別にいいですよ。
渡海さんの肩持つ気も無いし。「難度海 沈降」さんを悪くも思ってないですから。
------------------------------------------------------
引用終わり。

「僕のは単に感情に任せた個人の意見にすぎませんからね。」と言うのは単なる逃げです。
感情にまかせそうになっても、ちゃんと論理を用意してください。
じゃないと渡海氏みたくなっちゃいますよ。
わたしが論理論理でやってるのにあなたがそういう態度をとるのは失礼なんじゃないですか?

397 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:31
以下、部分的に引用。
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363 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:19
>あなたは何がしたいのですか?
渡海さんが冒頭で述べられた様に、
『親鸞仏教の土台に向けた批判・反論が、宗派の枠を超え、結果的には宗教の本質についての
社会への問題提起となり、各地で新たな飛び火的議論を巻き起こす一石となれば幸いです。』
この様なことが可能であれば、素晴らしいですね。この主旨にそった内容で話が進めばよいと思います。
そして、渡海さんの解釈がきっちり撃破され、正しい親鸞仏教が明らかとなる事も望んでいます。
------------------------------------------------------
引用終わり。

わたしの質問に全く答えてないですね、この書き込み。
わたしが聞いたのは、あなたはあなたの書き込みによって何をしようとしているのか、
そういうことだったのですが。

以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
358 名前:難度海 沈降投稿日:2000/11/21(火) 03:37
「相手が何をしたいのか。自分が何をしたいのか。
 お互いの実力とか、器量とかもちょっとは考えた方がいいですね。」

ごもっともだと思います。あなたは何がしたいのですか?
------------------------------------------------------
引用終わり。

398 :難度海 沈降:2000/11/21(火) 21:32
以下、部分的に引用。
------------------------------------------------------
363 名前:よ投稿日:2000/11/21(火) 09:19
というか、愛想つかされちゃった様ですね、、、。
僕は「難度海 沈降」さんに期待していたんですけどね。知識もある人だし。
それなりのスタンスで臨んでほしかった。
------------------------------------------------------
引用終わり。

「それなりのスタンス」ってなんですか?

感情的になっても何でも構いませんが、論理的にやってくださいね。

399 ::2000/11/21(火) 23:41
>「僕のは単に感情に任せた個人の意見にすぎませんからね。」と言うのは単なる逃げです。
>感情にまかせそうになっても、ちゃんと論理を用意してください。
>じゃないと渡海氏みたくなっちゃいますよ。
>わたしが論理論理でやってるのにあなたがそういう態度をとるのは失礼なんじゃないですか?

単なる逃げであり、失礼でした。

>知識も情熱もないようですね。
>そうはなりたくないものです。

>「難度海 沈降」さん
「難度海 沈降」さんの考えを、僕は深く理解していなかった様です。
この件に関しましては、僕は議論を降ります。たちうち出来ません。
今までの失礼、無責任な発言はお詫びいたします。すいませんでした。

400 :名無しさん@1周年:2000/11/22(水) 00:11
難しい話はやめて、親鸞仏教も聖公会に帰順せよ!
宗教は愛こそがすべてだ!

401 :名無しさん@1周年:2000/11/22(水) 00:12
難しい話はやめて、親鸞仏教も聖公会に帰順せよ!
宗教は愛こそがすべてだ!
理屈で人を裁くのはパリサイ派であり、宗教は理屈ではない。愛だ。

402 :名無しさん@1周年:2000/11/22(水) 00:15
難しい話はやめて、親鸞仏教も聖公会に帰順せよ!
宗教は愛こそがすべてだ!
理屈で人を裁くのはパリサイ派であり、宗教は理屈ではない。愛だ。

403 :難度海 沈降:2000/11/22(水) 00:40
「397」のわたしの発言

>ごもっともだと思います。あなたは何がしたいのですか?
>------------------------------------------------------
>引用終わり。

は、思いっきり順番を間違えていました。すみません。


------------------------------------------------------
引用終わり。

ごもっともだと思います。あなたは何がしたいのですか?


こう書いたつもりでした。

404 :難度海 沈降:2000/11/22(水) 00:54
いや、待てよ。
そのままで良いみたいです。

405 :ぺぺこと名乗らん!:2000/11/22(水) 12:51
愛想が尽きた=面白くなくなった

渡海難は議論?が大好きでした。っていうか議論?で相手を黙らせるということが大好きでした。
相手を黙らせる為には手段を選びません。書き込みの内容はいつもひどいものです。
渡海難は議論?で相手に愛想つかされても気づきません。渡海難は議論?で勝つことが大好きです。一人悦に浸ります。
その喜びの為なら仕事も手につかないほどに書き込みを続けます。仕事中も気になってしかたありません。
それほどに渡海難はインターネットでの議論?にはまり込み喜びを感じてました。
が、難度海 沈降さんとの議論では、その喜びを感じられない。勝ち誇れない。一人悦に浸れない。つまらない。愛想が尽きた。
で、難度海 沈降さんとはもう議論をしないと決めた。←というかそうせざるを得なくなった。

以上、私の勝手な想像による思い込み・決め付けでした〜。

406 :tokaikatasi:2000/11/22(水) 17:57
bhosuanrtaiurvoiufgfnjnsiuybniludzfuywjewlpioz8sgilbuuizjdrmngl0948ejlkbldrnghklzdoi
tokaino mane
roumajide kakiko surunoha tokaidake

407 :渡海 難 p58-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/22(水) 18:45
 「遠く宿縁を慶べ」

 宿という概念をさらに議論する。
 宿が肉体誕生以前を称することになると、観念的評価的な議論となる。評価的とは、念仏を評価すること。念仏は素晴らしいと評価することである。観念的とは、象徴的手法を利用した思考法と言ってもいいだろう。
 宿が評価論のひとつであることは経典時代からの伝統と矛盾しない。大無量寿経では、小乗段階を終えて大乗段階に入った仏弟子達を称讃して激励するときの言葉に、宿という言葉を使う。宿には、もともと評価的な意味がある。
 親鸞の概念と経典時代からの伝統との違いは、実体的な意味と観念的意味との違いだ。親鸞の観念は、親鸞が好きな言葉「不思議」という言葉で言い換えもできよう。ただ、この場合の不思議とは、我々が日常的に使う「不思議」とは意味が違う。むしろ想像を超えた素晴らしさという意味だ。これは論理的哲学的筋道をもって思索されて「不思議」という言葉を使う。
 論理的哲学的筋道を追って考えよう。
 宿という概念は肉体誕生以前を考える。肉体誕生以前を考えるなら、その場合は無明という概念をベースにおく。実に我々は無明を本質とし、絶えず絶えず意思と行動を変える。ときに有頂天になり、ときに鬼になり、ケダモノとなって地獄にも堕ちる。そのたびに「ああ、おれは馬鹿だった。馬鹿だった」と悔いる。悔いても悔いても、再びケダモノとなりまた、鬼になる。無知をベースに六道をさまよう。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天をいう。無明性は六道性となって顕現し、六道性は無明を本質とする。
 我々の無知、愚かさは自分の肉体的な誕生で始まったものでもなく、自分の肉体的な死によって終了するものでもない。無知、愚かさは万民に共通する。自分が経験する六道は、過去多くの人が経験した同じ六道であり、将来多くの人が再び経験するものと同じ六道である。我々の無明性は、無限の昔から無限の未来へ生死生死と続く。我々の過去に無限の無明があり、我々の未来にも無限の無明がある。我々の過去に無限の六道がある。六道には天もあり地獄もある。我々の未来にも無限の六道がある。天もあり地獄もある。そのように観念できる。自らの無明性をそのように評価できる。現在の人生は、過去無数にくり返して来た生死生死の積み重ねの上にあり、将来無数にくり返していく生死生死の基礎のひとつであると言える。
 現在の人生は、過去無数にくり返して来た生死生死の積み重ねの上にある。現在の人生は、象徴的にそう評価できる。いま、念仏に出会えたとすれば、念仏との出会い自体も、過去無数にくり返して来た生死生死の積み重ねの上にあるひとつだ。象徴的にそう観念できる。六道は、決して地獄の世界だけではない。天の世界も、人間の世界もある。天にあれば天の出会いがある。地獄にあれば地獄の出会いがある。出会いには、不幸な出会いもあり、幸福な出会いもある。無明を象徴的に考えれば、過去はそのようであったと評価し、観念することはできる。いま、念仏に出会えたとすれば、それは過去にたまたま積み重なってきた素晴らしい出会いの限りない幸せが開花した結果として、そのように象徴的に評価できるだろう。
 念仏との出会いは素晴らしい。念仏との出会いは素晴らしいなら、それは様々に積み重なってきた幸せが花開いた結果として観念し、喜ぼうじゃないか。念仏との出会いの素晴らしさを喜ぶに当たり、親鸞はそんな提案をしているのだ。

408 :名無しさん@1周年:2000/11/22(水) 20:31
 たまにちょくちょくこのスレを覗いている者だが・・・
渡海氏の講釈ほど心に響かないものを読んだことがない。(失礼)
私は仏教書を若い頃嫌というほど読み漁ったが、どんなものでも
多少なり琴線に触れるものがあったように思う。しかし、これは・・
まあ・・・いや、感じ取れる人は中にはいるかもしれないが・・・
 このスレは議論を呼びかけていて、その実自分に対する敬意、賞賛
を求めているだけのように思える。自己陶酔は本人さんの精神衛生上
は意味あるものだろうが、読み手はうんざりしてしまうよねえ。
 沈降さんは論旨明快で気持ちがいい。まあ、宗教論議以前の論争に
なってしまっているのは・・・仕方がないか。

409 :tokaitakasi:2000/11/22(水) 20:37
oi roumajino kakikomini kotaeroyo
iyana monodaro
omaeno roumajino kakikoni yominikuinoni hitoha tyanto yonde
henjiwo siteirudazo
ooooi

410 :名無しさん@1周年:2000/11/22(水) 20:43
>難度海 沈降さん
うんざりならもうやめたら。
謝罪のことだけど、権力者が間違えていました、と謝罪するわけないだろ。
とにかく、あなたと渡海は考えが合わない。それだけのこと。
渡海の相手をするということはあなたも同類ということ。
どうして長々と書き続けるのかね。暇なんだろうけど。
もっと建設的な意見を言えるスレッドに引っ越したらどう。
結論、渡海は無視するに限る。

411 :難度海 沈降:2000/11/22(水) 21:14
>405さん
その決めつけ、わたしも一口のります。

>410さん
そうしましょうか。有益なアドバイスありがとう。
渡海氏を「権力者」と見る見方は正確だと思います。

わたしが書き込まなくなったら勝利宣言が出るのでしょうね。

ただ、「渡海の相手をするということはあなたも同類ということ。」
というのは酷いや。(;_;)
わたしが「渡海氏に論理性を求める」ということを試みた点と、
渡海氏が「議論をする」ということを試みている点では、
「無駄な試みである」という点で「同類」です。
だから、
「無駄な試みをしている」という点では渡海氏とわたしは同類ですが、
論理性と対話と議論を重視しているという点では袂を分かっていると思います。

ま、良いや。

tokaitakasiとtokaikatasiは同一人物でしょうか。
渡海氏でないことはローマ字表記を見ればすぐわかりますが。
「tokainomane」って誰の真似だろね。

412 :名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 02:32
う〜ん、俺は
@しばらく何事もなかったように講釈を時々書き込む
@ほとぼりがさめた頃に「なんじゃ、情けないなー」とか何とか一人で勝ち誇る
ってのが確率高いと思うけど

413 :難度海 沈降:2000/11/23(木) 03:22
>412さん

なるほど。すぐは出ないんですね。

友人が言ってましたが、

論理的・説得的・しかし魅力的

この三つが適った文章は、本当になかなかないですね。
三つとも揃わない文章も、しかしかなり珍しい。

414 :名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 15:36
俺も案外ここ永いからね…色々な論客やそうなろうとしてなり切れなかったのとか
色々見てきたけど
パターンって大体決まってんのよ

この宗教板は、一応建前上だけでも人生かかってるんで議論が激しいのか
何なのか知らないけど
割とコテハンの登場と消滅が激しいんだよね
ということは、何が何でもここにしがみつくというタイプのコテハンがあまりいない
ということでもあり、そのせいで俺なんかは大して嫌にならずに時々でものぞいているというわけ

415 :名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 19:34
いまちょいと渡海難のサイト見てきたら、
掲示板やめてて「2ちゃんねるにいるから来い」って書いてあったぞ

発言録の一番下にぽつんと書いてある「警告」って何だろう?

416 :渡海 難 p039-dnb32karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/24(金) 10:48
「もしまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、かえってまた曠劫を径歴せん。」

 疑網(ぎもう)に覆蔽(ふへい)されるとは何か。これは、行に奉えることができなかったらという意味だろう。信を崇めることができなかったらという意味だろう。疑は信に対峙する。信は行から開かれてくる。信は行があればやがて付与されてくる。疑いの網に覆われるというのは、行に奉えることができず、しかも信を崇めることができないということだろう。
 曠劫(こうごう)とはきわめて長い時間をいう。径(きょう)とは、左右両端が狭く、束縛に満ちた小道と言う意味だ。歴(りゃく)とは、通り過ぎるという意味だ。
 「曠劫を径歴する」は、左右両端が狭く束縛に満ちた小道を、いつまでもいつまでも果てしなく歩んでいかなければならないというのが、文字面での意味だ。真意は、宿という概念と同じように考えたらよい。無明は、始め無き始めから終わり無き終わりに向かって果てしなく続く。私の無明は、自分の現在の肉体の誕生で突然始まったものではない。私の肉体の崩壊で突然消滅するものでもない。無明は、あらゆる人に共通し、それは天から地獄にまで広がる六道として顕現する。六道は、無明を本質として千変万化する。私の生死生死と同じ生死生死は、必ずや過去にもくり返され、今後もくり返されよう。天から地獄に至る生死生死のくり返しは、私の肉体の崩壊後も果てしなく続く。親鸞は釈迦の悟りから、我が身の愚かさの深さをこのように精神性高く象徴的に観念する。
 念仏は素晴らしい。念仏のすばらしさはどう表現したらいいのか。今後も続く生死生死の迷いを、念仏は断ってくれる。そのように象徴的に観念できる。折角のこのすばらしい念仏を選ばなければ、実に残念なことである。その残念さはどう表現したらいいだろう。無明は天から地獄にまで広がる。念仏を選ばなくても、従来のように無論幸せなときがあるかもしれない。有頂天になることもあるだろう。それでも、やはり、ケダモノの心でケダモノの行為をするケダモノとなり、あるいは鬼の心で鬼の行為をする鬼となることもあるかもしれない。我々は無明を本質として六道をさまようそういう存在だ。これが我が身の本質だ。念仏を選ばないとするなら、その残念さは、我が身の無明性と合わせて観念し、改めて我が身の恐ろしさを見つめ直そう。
 親鸞はそのように提案しているのだ。

417 :渡海 難 p95-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/25(土) 20:07
 書き込み休みます。御期待に感謝します。

418 :名無しさん@1周年:2000/11/25(土) 20:19
渡海さん、一の会についてもコメントをどうぞ。

419 :名無しさん@1周年:2000/11/25(土) 21:18
 渡海難さん、変な親鸞仏教なんか説いていないで善知識中根先生の話に耳を傾けてみなさい。
 親鸞仏教によって鬱や神経症を治した方の体験が、多く出ています。
 まだあなたは中根先生という善知識の存在を知りませんし、生き方療法の存在も黄金食も知りません。
 これを知らずして、仏法は語れません。
http://www.get5.net/
に訪れてください。
 このURLは決してブラクラなんかではありません。
 見られた瞬間、本当の親鸞仏教が見えてくるでしょう。

420 :渡海 難 p60-dnb06karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/26(日) 08:40
419さん
>渡海難さん、変な親鸞仏教なんか説いていないで善知識中根先生の話に耳を傾けてみなさい。
      <私にも暇があるといいですね。 (^^ゞ  ポリポリ>
>親鸞仏教によって鬱や神経症を治した方の体験が、多く出ています。

 なるほど。そうですか。いよいよ親鸞仏教からも宗祖親鸞聖人を凌ぎ、教祖釈尊を超える大宗教家が出現したのかも知れませんね。
 ところで、中根さんが僕を鬱か神経症だって診断したわけですか。自分をキチガイと思ってないのが、キチガイの証拠だということを昔に聞いたことがある。それで言えば、僕も鬱か神経症かも知れない。僕は自分を鬱であるとも神経症であると思っていませんからね。中根さんが僕を鬱か神経症だって診断したとしたら、中根さんは僕をそのように診断した始めての人ですよ。中根さんによろしく言ってくださいな。貴方は凄い名医だと。
 ところで、中根さんは自分で自分のことを鬱か神経症だって思っているの。思ってないの?

>まだあなたは中根先生という善知識の存在を知りませんし、生き方療法の存在も黄金食も知りません。
     <冗談は、もっと暇な人を相手にしなさいな。 (^^ゞ  ポリポリ>
>これを知らずして、仏法は語れません。

 そうですか。そうですか。(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
 仏法なんか語れなくても、そんなことお構いなしに仏法は厳然としあるから心配いりません。

http://www.get5.net/ に訪れてください。

 欲の皮の突っ張った布施の要求は、何も知らない若い方々に向けてしないでくださいね。長い目で見て身を滅ぼす不幸な人さえ作ってなければ、私の出番はありません。若い方々にも自己責任はあるでしょう。入会してもおかしな宗教と思えば辞めればいい。誰が話しに乗せられててても、アホの自己責任の肩代わりをする気はありません。

421 :難度海 沈降:2000/11/26(日) 18:21
> 渡海氏

わたしは、渡海氏に対して論理性や哲学性を期待することは諦めました。
「372」「402」に論理性があると思って書き込んでるんでしょう、渡海氏は。
渡海氏はそう思いこんでるようだけど、そんなものは、これらのどこにも、なんにもないんですよ。
渡海氏の他の書き込みを見ても、上と同様のことが言えます。
渡海氏は、自分がとても論理的にやってるつもりのようですが、しかし、
渡海氏の書き込みは、論理的でも哲学的でもありません。

自身の思い込み(先入見)を打破し続けるため、新しい世界観を獲得し続けるため、
そして自身の「死」と向かい合い続けるためにやるのが哲学です。
「ゆえに」で積み上げていくのが論理です。
渡海氏の書き込みには、残念ながら、哲学も論理もどちらもありません。
あるのは、「また」「ところで」でつなぐべき箇所を「ゆえに」でつないだ非論理だけ。
渡海氏が実存的にやってるのはとてもよくわかるが、
そこに論理が一切ないということを、渡海氏は知るべきである。
わたしのたくさんの書き込みは、
渡海氏に、渡海氏のそれらの思い込みが間違いであることを知らしめるためにやっていたものです。
しかし、渡海氏に、わたしとキャッチボールをするつもりは、一切ない。
ゆえに、これ以上やっても、「よ」さん他の言うように、無駄です。

というわけで、わたしは渡海氏に論理性と哲学性を期待すること、
ならびに渡海氏に「対話」能力を期待することを諦めました。
誰が渡海氏にそれを期待しても恐らく無駄でしょう。
非哲学・非論理を前提に会話することなら、今後も可能でしょうが。

渡海氏が自分の書き込みを論理的・哲学的だと思いこんでいる限り、
渡海氏が自分のしてることを「対話」だと思いこんでいる限り、
このスレは無駄です。以上。難度海沈降でした。

422 :難度海 沈降:2000/11/26(日) 18:22
> 419
> これを知らずして、仏法は語れません。

冗談も大概にしなさい、厨房さん。
論理を知らない人間が論理を使って語っている気になっているのは問題だが、
論理を知らない人間が仏教を語っても何ら問題はない、
説得的でも魅力的でも論理的でもない文章に惹かれる人間には
惹かれさせておけば良いんだ。
「419」の抱えてる「仏教」の狭さがよくわかる。
手前の抱えている似而非「仏教」で他人の抱えている仏教以外のモノを裁いても
手前勝手もいいところだし、無意味もいいところだ。
仏教は知識じゃない。一つでもない。

渡海氏の書き込みは、論理がないのに自分で論理的だと思ってる点は非常に問題だが、
そしてその誤解に基づく自説、手前勝手なシロモノを2chで披露し、
広く議論を呼びかけると言いながらまったく閉じられているという点でも非常に問題であり、
よってこのスレは渡海氏の誤解と共にあるという点で非常に問題なのだが、
仏教を「419」からとは違う観点から語っているという点においては、全く問題がない。
もっとも、渡海氏には仏教を語ってるつもりなんてないかもしれないがね。

渡海氏の論理性の欠如は問題にしてしかるべきだが、
> これを知らずして、仏法は語れません。
などという暴言を吐く「419」の「仏教」はたかが知れている。
仏教にはいろいろな現れがあるが、「419」の抱えている仏教は、狭すぎだ。
「自分にとっての善知識が他人にとっての善知識にもなるはずだ、いや、ならねばならない」
と思いこむのは勝手だが、仏教はそんな狭いモノではない。
「419」の考えている以上に仏教は広いモノだ。

……って言うか、「419」は本気の書き込みじゃないのかな? 変すぎる。

423 :名無しさん@1周年:2000/11/26(日) 20:55
>難度海 沈降さん

 冗談じゃありません。
 あなたは中根先生を誤解しています。
 中根先生の透徹した信心、鬱の人にも御心をかけられる慈悲心、邪悪に対する厳しさ、これはまさに平成の親鸞聖人です。
 先生のお話を聞かずに謗法罪をつくって地獄に堕ちるあなたがかわいそうでいっているのです。
 仏法は単なる論理学ではありません。
 また、渡海難の言うようなおかしな仮説でもありません。

424 :名無しさん@1周年:2000/11/26(日) 21:31
>>420

 渡海難、中根先生が恐くて遁走したのか。
 今すぐに勝負しろ。
 勝負しなかったらお前をニセ仏教を語る意気地なしとしてネットで公開するぞ。

425 :名無しさん@1周年:2000/11/26(日) 21:44
ぁゃιぃ教

426 :難度海 沈降:2000/11/26(日) 22:59
> 419 423 424
おや、痛いな。本気みたいだぞ。

実存的なのはわかるけど、あなたが「中根」先生を信仰するのは勝手だけど、
わたしが信仰しないのも勝手です。
あなたの考えている謗法罪とわたしの考えている謗法罪を同じモノだと考えて、
それをわたしに押しつけるのはやめてください。

人が抱える信仰は「世界観」です。自覚してないこともあります。

あなたの世界観は「中根先生」以外を善知識と仰いだり、
他の信仰を携えている人を無闇に馬鹿にしたりしてます。
排他的すぎます。
そんな狭い世界観なんですか、「中根先生」を信仰する人の世界観は?

仏教はもっと広いもんですよ。
「他は認めない」と思った時点で、渡海氏よりも狭いぞ。

あと、脅しはいけないよ。全然対等じゃないでしょ、あんたと渡海氏。
渡海氏はすべて公開してやってるんだよ。
痛むモノが全然違うのに、同じ所に立ってるかのようにして脅すのは
まったく酷いやり方だと思うよ。厨房以下だ。
わたしのように、このスレの内部だけで勝負しなさい。卑怯者。

渡海氏は逃げてるんじゃなくてまだ見てないだけなんじゃないかな。

427 :難度海 沈降:2000/11/26(日) 23:03
大事なことを忘れていた。

このスレは無意味なシロモノだから、
「中根先生」賛美と他意見の排斥については別スレを立てなさい。
そして、そのスレの内部だけで勝負しなさい。
ネット内部の問題を外に出すんじゃない。卑怯者。

428 :名無しさん@1周年:2000/11/26(日) 23:10
 難度海 沈降!
 >>420読んだのか?奴は先生が恐くて遁走したんだよ。
 相手にしていないと言いつつも、実はその底には脅えが見られる。
 中根先生の信眼にはこう映られているに違いない。

>実存的なのはわかるけど、あなたが「中根」先生を信仰するのは勝手だけど、
>わたしが信仰しないのも勝手です。
>あなたの考えている謗法罪とわたしの考えている謗法罪を同じモノだと考えて、
>それをわたしに押しつけるのはやめてください。

 地獄に堕ちる教えを信じている奴に警告しているんだ!押しつけなんかではない事実に基づいた警告なのだ。

429 :難度海 沈降:2000/11/26(日) 23:13
> 428
だから他スレ立てろよ。俺が立てるか?

430 :名無しさん@1周年:2000/11/26(日) 23:33
難度海 沈降、これでも踏め

http://gesu9.virtualave.net/fcd.jpg


431 :難度海 沈降:2000/11/26(日) 23:45
出所のわからないURIは踏まないことにしています。
2chじゃないようなので、上のは踏みません。

432 :難度海 沈降:2000/11/26(日) 23:48
420は読んだよ。
怖くて逃げてるようには見えなかったけど?

渡海氏に怖いモノなどないんじゃない?
少し前までこのスレがどうやっても開けなくて、
本当に怖がって下げたのかと思った。渡海氏、すまん。

433 :名無しさん@1周年:2000/11/26(日) 23:58
430は部落ら

434 :名無しさん@1周年:2000/11/27(月) 00:02
ブラクラ貼るな、中根狂信者

435 :名無しさん@1周年:2000/11/27(月) 03:24
>沈降さん
渡海難はほとんど終わったね。ここの御託宣にも何の反応もないし
一つの消費材にすぎなかったのだな、あの偏屈ジジイも

渡海難にも恐いものはあるでしょう。一番身近にいながら渡海難を相手にもしない人々が

あと、謝るのはいいことだけど、あのオヤジの場合変な取っ掛かりを与えてしまう可能性もあるよ
何か妙にそういうところに付け入るのがうまいんだよあのオヤジ
その辺は伊達に長い間生きてないってことでしょうか?
ま、そういうことで得意がるオヤジってどこにでもいるけど。「俺は人間社会を知っている」みたいなのね

436 :難度海 沈降:2000/11/27(月) 03:51
> 435 さん

今頃すやすや寝てるんじゃないのかな、渡海氏は?
どうもそんな気がします。
こんなオモロいエサに飛びつかんわけないでしょう。

謝ることまで含めて議論には必要だから、それでやったんですよ。
渡海氏はするつもりがないようだけど、わたしは議論したいから。
ならば、貫かないと、と思ったんです。
でも、慥かに、とっかかりになってましたねえ。
エサでもあったんですけどね。実際に食いついたし。
わたしのミスはつり上げて食っちまえなかったことです。
というか、つり上げたんだけど、
渡海氏はまだ生きてるつもりなんです。
これはまったくどうにもこうにも。

437 :渡海 難 p62-dnb19karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/27(月) 08:23
424
>今すぐに勝負しろ
   勝負って、ナーニ? (>_<??  勝負って、負けた方の勝ち?、勝った方の勝ち? 負けるが勝ちってことはないの? 勝負って、ナーニ?

>お前をニセ仏教を語る意気地なしとしてネットで公開するぞ

 あんたら、好きにしたらいいじゃんか。あんたらからニセ仏教というお墨付きを戴けば、それが本物仏教の保証書になりそうだ。
 僕は、鎌倉期の親鸞聖人には興味があるけど、平成の親鸞聖人なんかには全然、興味が湧かないんですよねー。

>中根先生が恐くて遁走したのか。

 あのさー。あんたらが誰を信仰しようとあんたらの勝手なのよ。あんたらが誰を信仰しようと、それはダメなんていう権利が僕にあると思うぅ?。鰯の頭も信心から。何でも神様になる。蓼(だて)食う虫も好き好き。あんたらにダメなんていう権利は、僕に無いのよ。
 あんたらは、若者をうまく騙して若者から多額の布施を取ってるの?あんたらの場合、相手に布施を要求すれば、あんたらのガラの悪さにビックリして、自然に相手は逃げていく。逃げるが勝ち。逃げりゃ相手は人生を破滅させることもない。あんたらが何を言っても、あんたらの存在は人畜無害ざんしょ。それとも何か害があるんですか?人畜無害なら、あんたらの前に僕がお邪魔する舞台は無いわいな。あんたら、勝手にすればいいじゃんか。

438 :名無しさん@1周年:2000/11/27(月) 11:57
>あのさー。あんたらが誰を信仰しようとあんたらの勝手なのよ。あんたらが誰を信仰しようと、それはダメなんていう権利が僕に
>あると思うぅ?。鰯の頭も信心から。何でも神様になる。蓼(だて)食う虫も好き好き。あんたらにダメなんていう権利は、僕に無い
>のよ。

真実の親鸞聖人の御教えを知らないからそのような寝ぼけたことをいえるのです。
善知識中根先生ましますことを知らず、仏とも法とも知らないまま死ねば後生は間違いなく地獄ですよ。
他人が堕ちるのではない、渡海さん自身が地獄に堕ちて八万劫中大苦悩を受けねばならないのですよ。
すぐに法謗罪をやめないと取り返しのつかない大変なことになります。脅しではありません。
現代の親鸞聖人、中根先生のお話を真剣に聴聞させていただき、一日も早く金剛の幸福の身になってください。


439 :>438:2000/11/27(月) 13:00
「〇〇せねば、地獄に落ちる」と言った途端に、親鸞上人の絶対他力
の精神は死んでしまう。〇〇に「念仏」を入れても、「中根先生への
帰依」を入れても同じこと。

もともと、われわれ凡人は、法然上人に騙されて地獄に落ちても文句
が言えない境涯なんだから、極楽へ行くも地獄へ行くも弥陀まかせ、
というのが親鸞上人の境涯なのだから、

>真実の親鸞聖人の御教えを知らないからそのような寝ぼけたことをいえるのです。

というのは自己批判として受け取っておきましょう。

親鸞上人ですら、行き先が極楽が地獄かわからなかったのに、他人の
死後を云々してはばからない貴方、ないしは中根先生とは、阿弥陀仏の
代行者か何かですか? そうだとしたら、あなた方のような善人は、
一番阿弥陀仏の法縁には遠い存在ですね。


440 :名無しさん@1周年:2000/11/27(月) 13:09
「この信心決定せずば極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」
と蓮如上人は御文章二帖目二通で教えられています。
親鸞聖人も地獄いき間違いなしの業を造っているとおっしゃっているのですよ。
あなたは歎異抄第二章を誤解しているようですが、親鸞聖人ですら自力間に合わなかったとおっしゃっているのですから、私たちは阿弥陀仏に救われなければ浄土往生は絶対にできません。
真実を知らされた中根先生の信眼からご覧になれば、あなたがたのような法謗の者たちが地獄に堕ちていく様が手に取るようにお分かりなのでしょう。
早く阿弥陀仏と善知識の前に廻心懺悔してください。


441 :名無しさん@1周年:2000/11/27(月) 13:14
>>439

 十劫安心の寺の狂信者!
 貴様のごとき無帰命安心の輩がいるから中根先生は命がけで真実を叫んでおられるのだ!
 釈尊は「一切衆生 必堕無間」と仰有っているのにそれを否定するお前は外道だ。

442 :439>440@`441:2000/11/27(月) 13:19
だから、中根先生とやらは、阿弥陀如来の代理者か何かですか?と
問うているのです。代理者にしては自力の臭いがムンムンするね。
親鸞さんとは説いていることが逆だよ。

443 :名無しさん@1周年:2000/11/27(月) 13:22
中根先生は如来の代官ですよ。
これは善知識中根先生が勝手におっしゃっていることではありません。
親鸞聖人もそう教えられているではありませんか。
自力の我執を離れられないのはあなたのほうではありませんか。

444 :439>443:2000/11/27(月) 13:25
???

阿弥陀如来の代官? それは浄土三部経のどこに書いていることで
すか?

445 :>444:2000/11/27(月) 13:28
御文章の一帖目一通をご覧ください。


446 :>:2000/11/27(月) 13:29
故聖人の仰せには、「親鸞は弟子一人ももたず」(歎異抄・六)とこそ仰せられ候ひ つれ。「そのゆえは、如来の教法を十方衆生に説ききかしむるときは、ただ如来の
御代 官を申しつるばかりなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも 信じ、ひとにもをしへきかしむるばかりなり。

と教えられております。

447 :439>446:2000/11/27(月) 13:35
なるほど。親鸞さんがお代官であることはわかりました。
では、中根先生のことはどこに書いてありますか?

448 :渡海 難 p07-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/27(月) 13:54
 誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。

 誠とは、嘘がないということだろう。真実ということだろう。「かなや」がつくと、詠嘆の意味が入る。なんと素晴らしいことかというような意味になるのだろう。
 親鸞は「摂取不捨の真言」と言う。語源は善導の往生礼賛の中にある。
 「ただ、念仏の衆生を観そなわして、摂取して捨てざるがゆえに、阿弥陀と名づく、と」。
 親鸞は善導のこの言葉を行の巻きで引用し、大衆向けに和讃も作っている。しかし、摂取不捨の意味は、善導の受け取りと親鸞の受け取りでニュアンスが違うようだ。善導は、念仏の方法を明らかにする議論の中でこの言葉を語る。親鸞はこれを、阿弥陀経の真実を明らかにする言葉として読んでいる。歎異抄一章が言う摂取不捨も、親鸞の意味を継承している。
 阿弥陀経との関係での親鸞の主張を見てみよう。化身土巻は言う。
 「またこの経に真実あり。これすなわち金剛の真心を開きて、摂取不捨を顕さんと欲す」。
 この経とは阿弥陀経を指す。親鸞の場合、阿弥陀経は真門を明らかにする経として尊重する。阿弥陀経とはどんな経典なのか。阿弥陀経は言う。「一切凡夫人を勧めて一日・七日、一心にして弥陀の名号を専念すれば、定んで往生を得ん」、と。阿弥陀経は名号を執持せよと説く。阿弥陀経は真門であるということは、名号執持つまりひたすらひたすら念仏を称えていくところが本物の入り口だという意味になる。
 極楽浄土は広い。そこでいくつもの門がある。要門と真門と真如の門である。要門とは、重要な門という意味だ。真門はひとつしかない。真如の門もひとつしかない。
 世界中にはいろいろなところに人がいる。極楽浄土には世界中から人が集まる。世界中から人を招こうとするなら、それぞれの方角に会わせてたくさんの入り口を作らなければならない。そうしないとやってきた人が迷うからだ。そこで極楽浄土は、東から来る人、西から来る人、南から来る人、来る方角に合わせてたくさんの門を開いている。東門は東から来る人にとって重要である。北門は北から来る人にとって重要である。一つ一つがみな、重要な意味を持っている。それが要門である。
 しかし、城の大手門は普通は一つだ。真如に向けて一直線でつながっている門は一つしかない。それが真門だ。要門は、どのような方角から来た人でも早く真門に至るよう、真門への近道として設けられている。要門は重要な門だが、やってくる人の方角では、通過しないでもいい。しかし、真門を通らないと中には入れない。

449 :渡海 難 p07-dnb20karaga.tokyo.ocn.ne.jp:2000/11/27(月) 13:55
 真門も要門もあくまで門である。門が目的地であることはない。門は通過点である。通過点に過ぎないけど、そこを通過しないと目的地には到達しない。
 要門の外は極楽世界ではない。極楽世界は要門の中に広がる。ただ、要門と真門との間は仮の世界である。仮の世界とは、近道をガイドするため極楽世界の御主人が便宜的にこしらえた空間だ。極楽世界の御主人がこしらえた空間だから、極楽世界の一部である。しかしそこは、便宜的な空間である。
 我々の世界は、通常、要門の外にある。要門の外は、われわれの意思も支配も及ぶ。本物の世界は真門の中にある。しかし、要門の中は、近道をガイドするため極楽世界の御主人がこしらえた空間だから、我々の支配は及ばない。支配は及ばないから変更はできない。でも、自覚的に歩むことはできる。真門の中は、我々の支配力も自覚も及ぶような世界ではない。そこは極楽世界のご主人様の世界である。我々は真門に至れば、その後は中のご主人様に全てを委ねる。更に御案内くださるかどうかは、ご主人様の胸三寸。御案内くださらなくても文句は言えない。ご主人様に全てを委ねれば、普通は中のご主人様が自ずから御案内くださる。ところが、例外はある。門に着いただけで、天守閣まで到達した気分になる人がいる。そう言う人は、ご案内くださろうとするご主人向かって「嫌じゃ嫌じゃ、ワシはここで十分じゃ」という。「嫌じゃ嫌じゃ」と嫌がらなければ、ご主人様は内玄関の真如の門に御案内くださって更に奥御案内くださる。
 摂取不捨とは、真門での議論である。摂取不捨の議論は、象徴的な議論だけでは難しい。釈迦をベースにゆっくり考えて行こう。

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