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スッタニパータより

1 :名無しさん:2000/07/22(土) 10:13
岩波文庫のブッダのことばです。1〜1148まであります。
読んで見ませんか。なんちゃって。新興宗教の方はなるべく
ご遠慮ください。なんちゃって。

1.怒りについて。蛇の毒が回るように怒りが体に広がる。
どうしたら良いか。比丘(家を捨てた修行者)は薬で毒を
制するように怒りを制圧する。「薬」とはなんでしょうか。
「怒らないこと」が怒りに対する薬だとどこか書いていた
ような気もするのですが。
在家の一般人にとって「全身に広がった怒り」を処理する
ための「薬」はなんでしょうか。信仰心でしょうかねえ。
1.には続きがあって、蛇がカラを脱ぎ捨てるように、
比丘(出家修行者は)この世とかの世をともに捨てる。
つまり、涅槃に向かうわけですね。私たち在家のものには
遠い生き方でしょうね。


2 :名無しさん:2000/07/22(土) 13:41
2.愛欲について。
愛欲を蓮華にたとえている。蓮華の花は
美しくても、その茎は心の奥ふかくまで伸びて、その根は
池の底にしっかり張っている。仏陀の弟子の出家修行者(比丘)
池に潜って、その蓮華を折り取ってしまう。

私たち在家のものには、無理な話だ。この本の後のほうに、
在家の仏教徒は一人の妻、夫を大切に暮らしなさいと言う話が
出てくると思う。仏教は一夫多妻ではない。

そして比丘はこの世とかの世をともに捨て涅槃に向かう。
在家のものはこの世もかの世も捨てられない。

3 :阿修羅:2000/07/22(土) 14:42
>1、2
どもども、こういうのは良いね。ワタシゃ今の教団宗教とか変な
新興宗教はキライだが、こういうのを読むと「生きる指針」とし
ての価値があるものだとつくづく思う。まあ比丘にはなれんが、
それはやりたい人にお任せしたいと思うね。否定する気はないし。
ただ何だね、こうしてみると仏陀の教えってのは実に含蓄に富んで
いるのに、余計なものをくっつけてぶっ壊してる破戒者どもの、
何と多いことか・・・。もっとも、このまま人に受売りをしても
全く儲からないけどね。

4 :名無しさん:2000/07/22(土) 15:01
>3
阿修羅さん、よろしくおねがいします。1148まで
逝こうと(どうしてこんな変換するの)思っているんです。
岩波文庫買ってね、みなさん。岩波のまわしものではありません。

5 :名無しさん:2000/07/22(土) 15:04
>3さん、
ふつふつと怒りが沸いてきた時に効くような
いい注射はありませんかねえ。

6 :名無しさん:2000/07/22(土) 19:09
3.妄執について。
妄;まちがった 執;執着。広辞苑;迷妄の執念。
誤った考え、その考えに基づく執着。これを、奔流に喩えている。
仏陀の弟子は、その奔流を涸らしてしまって、これを断つ。
そしてこの世もかの世も捨てて、涅槃に向かう。

おらなんかは、妄執のかたまりだぞ。まあ、2chなんかも、みん
なの妄執でできているようなものだ。迷妄を断てば、無明を断つことになり、
仏さんなんだから、おらには無理か。
座禅なんぞしたら、どんどん迷妄が沸いてくるぞ。
奔流を涸らすというのは、どうするのだろう。もし暴れ河があったら
どうするか。分水だね。何本にも分けて流してしまう。

なんかさえないコメントで申し訳ないねえ。スレッドは下がっていく
ばかりだ。探すの大変。

7 :名無しさん:2000/07/22(土) 19:42
もなー教がいい。
怒りを抑える。
変なやつがいる、醜いやつがいる、卑怯なやつがいる。
腹が立ったら自分に向かってこう言おう。「おまえもな〜」
このお前は、自分自身の事です。
また、相手に向かって言うのもいいかも。いろいろゆわれる。
「おまえもな〜」ですべて帳消し。モナー教がいちばん?

8 :名無しさん:2000/07/22(土) 22:43
4.驕慢について。広辞苑;おごって人をあなどること。
驕慢のことを「弱々しい葦で作った橋」とスッタニパータは言う。
激流が打ち砕くように、修行者はそれを滅し尽くして、
この世とかの世を捨てて涅槃に向かう。

おごり高ぶりは無知からくるのかしら。人間にはある物差しで計ると
やはり上下がある。心の中で物差しで計りながら、表面上は謙譲をよ
そおっても驕慢を滅したことにはならない。
人には上下があるが、それには意味が無いと考えるのが良いのでしょ
うか。
ここに我が子がいる。皆さんと比べて何かが劣っていたとしても
人間としての値打ちには何にも変わりない。「だれだって人間として
の値打ちには何ら変わりない」ときちんと知ることが驕慢を滅する
ことであろうか。

9 :名無しさん:2000/07/22(土) 22:45
驕慢を滅する=だれだって人間としての値打ちには変わりはないと知る

私がおもいついた公式。

10 :名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 22:49
汝の欲することを成せ!
それが法のすべてとならん!

11 :名無しさん:2000/07/22(土) 22:50
5.
無花果(いちじく)。いちじくは樹にできる。無花果の
樹には花が咲かない。知らなかったな。
探しても探しても無花果の樹の林には花がない。

人生はそんなものだとスッタニパータは言うのか?

続きはまた後で。


12 :名無しさん:2000/07/22(土) 23:04
>10さん、やっと二人目のお客様で、嬉しいです。
スレッド探すの大変。10は意味深長な文章ですが、
出典は何ですか。
葉隠れに有りますよね。好きなことをせよ、嫌いなことを
するな。これは高等なので若い侍には教えないとか。
若侍は間違うんですね。なにか違う方面に。

13 :名無しさん:2000/07/22(土) 23:05
>人生はそんなものだとスッタニパータは言うのか?

なんちちゃったりして。


14 :阿修羅:2000/07/23(日) 01:21
>1さん スレッドを立てられた上に解説まで。ご苦労さまです。
いやホント、変な教団に入るくらいなら、こういうの読んで考えてる方が
はるかにためになりそうだな。
>5さん
>ふつふつと怒りが沸いてきた時に効くようないい注射はありませんかねえ。
いや〜、こういうのにすぐ答えられるくらいなら、もうちょっとましな人間
になっていたでしょう。(当然こんなハンドル使ってないでしょうし・・・)
ただね、自分が正当だと思えることで怒りを感じる時は別に良いんじゃない
かと、私なんかは思いますがね。問題はその後の行為であって、感情に流さ
れたりところ構わず怒りを爆発させるのはマズイでしょうが・・・。
俗な私としては「怒る時に怒ることができる」のも、それはそれで大事なこ
とのような気がしますが。まず自分の中のこういう部分を認め、それと折合
いを付けていく方が現実的かつ正しいやり方だと思うんですけどね。
こんなこと書くと未熟者だと告白してるようなものだけど、怒りみたいな
強烈な感情っていうのはそう簡単に御せるもんじゃないし、表面的に抑えて
もかえって偽善っぽくなりそうだしねえ・・・。結局こういうのは一旦全部
出してしまって、その結果起こる問題と取組んで行く方が良いように思うん
ですよね。怒りっていうのはある面積極的なエネルギーでもあるわけだから、
あまり不自然に抑え込むってのもどうかな、と。教団の信者さんなんかで¥「人畜無害な良い人」感じになっちゃってる人ってのも、結構いますしね。
まあなんだかんだと言っても、勝手な解釈かな・・・。




15 :名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 01:54
>阿修羅さん
>ただね、自分が正当だと思えることで怒りを感じる時は別に良いんじゃない
>かと、私なんかは思いますがね。問題はその後の行為であって、感情に流さ
>れたりところ構わず怒りを爆発させるのはマズイでしょうが・・・。

怒りというものは、常に自分が正しいと思うときに感じるもの。
自分に正義があると思うからこそ怒ることができる。

つまり、「自分に正義がある」と思うのがそもそもの間違い。

「正義」の名の元にどれだけの争い、虐殺が行われてきたか、歴史を見れば歴然ではありませんか?

>こんなこと書くと未熟者だと告白してるようなものだけど、怒りみたいな
>強烈な感情っていうのはそう簡単に御せるもんじゃないし、表面的に抑えて
>もかえって偽善っぽくなりそうだしねえ・・・。結局こういうのは一旦全部

怒りを抑えようとか、制御しようとしても無理なのはそのとおり。
自我にはそもそもそのような力(意志の力)はありませんから。
怒りを発散するなら、一人のときにまくらを相手にやるのが良いでしょう(笑)。

それよりも、なぜ自分が怒っているのか、その理由を見るようにするべきです。
私の経験では、必ずその背後には勘違いの「正義」があります。
そして、怒りのそのエネルギーの源をたどれば、そこには必ず「悲しみ」があります。
もしも、あなたがその「悲しみ」にたどり着くことができれば、
「怒り」はやがて「慈悲」に変容することでしょう。

16 :名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 02:46
「愛」=貪り
「正義」=怒り(瞋り)
と思っておいてまず間違いないでしょう。


17 :阿修羅:2000/07/23(日) 04:33
15さん
>怒りというものは、常に自分が正しいと思うときに感じるもの。
>自分に正義があると思うからこそ怒ることができる。
そうとは限らないでしょう。例えば「自分のわがままだと解って
いながら、抑えられずに怒ってしまう」なんてケースはあるし。
こういう「感情に流された怒り」のようなものは避けるべきだと
いうのは、私も同感ですが。

>つまり、「自分に正義がある」と思うのがそもそもの間違い。
仰ることは解りますが、自分が正しいと感じることが侵されたら
怒るのは当然ですよ。もちろん冷静に「何故怒るのか?」と自分
に問いかけることは必要ですが、そのような内省を経ても正当だ
と思えるなら、怒るべきです。「自分に正義があると思うのは
間違い」と仰っていますが、むしろ問題はそれを暴力などによ
って通したり、圧力をかけて相手の意見を封殺しようとする行
為が伴ってはいけないということでしょう。「正義」という言葉
には胡散臭さがありますので私はあまり使いたくありませんが、
「正しいと思うこと」を持ち、それに従って行動しないのは、
かえって不幸というべきです。仮に後で修正することになった
としてもね。大事なことは、常にそれを検証し続ける努力を惜し
まないことだと思いますが。

>「正義」の名の元にどれだけの争い、虐殺が行われてきたか、
>歴史を見れば歴然ではありませんか?
これは、明らかに飛躍のしすぎです。私は「正しいと思う怒り
なら、暴力も許される」とは一切申しておりませんよ。

>それよりも、なぜ自分が怒っているのか、その理由を見るよう
>にするべきです。
>私の経験では、必ずその背後には勘違いの「正義」があります。
「怒りの源を見つめる」というのは、確かに大事でしょうね。
ただこれも場合によりけりで、何かえらく大きな問題を論じて
おられるように思えます。それから「必ず勘違いの正義がある」
ってのはどうかなあ・・・。まあそういうものもあるでしょうが。
早い話、全く知らない人にいきなり暴言を吐かれたり、暴力を振るわれた場合はどうなりますか?少なくとも「勘違い」ではないはず
ですよ。ちょっと形式論に陥ったお話をされているように思えま
すけどね。
あと「悲しみ」、「慈悲」ねえ。こういうのは話としては解る
んだけど、一般化は出来ないでしょう。私は自分から人にケンカ
を売ることはそうそうないつもりだけど、殴られっぱなしはイヤ
ですね。早い話。
あと「慈悲」という言葉。私はこういう言葉を口に出すのは好き
じゃないですね。何も余計な知識を持たずに自然に相手のことを
許せれば、それで良いと思っています。こういう言葉を何気なく
使うのは、失礼ながら仰っている「正義」と同じくらい胡散臭い。
何故なら、「慈悲」という概念も「正義」と同じくその言葉を使う
人にとっては「自分が正しいと信じている概念」に違いはなく、そ
れを人に強いるというのは「正義」を押し付けるのと何ら変わると
ころがありませんからね。
15さんの表現を借りれば
「『慈悲深いキリストの教え』の名の元にどれだけの争い、虐殺
が行われてきたか、歴史を見れば歴然ではありませんか? 」と
いうことです。


18 :名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 06:49
>阿修羅さん
>>怒りというものは、常に自分が正しいと思うときに感じるもの。
>>自分に正義があると思うからこそ怒ることができる。
>そうとは限らないでしょう。例えば「自分のわがままだと解って
>いながら、抑えられずに怒ってしまう」なんてケースはあるし。

自分のわがままと分かっている自分と、
抑えきれずに怒ってしまう自分とに分裂している、ということでしょうか?
この場合は、明らかにその人は、
自分が怒っている本当の理由に気がついていませんね。
分かっているつもりになっているだけでしょう。

>こういう「感情に流された怒り」のようなものは避けるべきだと
>いうのは、私も同感ですが。

「怒り」とはそもそも感情でしょう。感情でない冷静な「怒り」があるのでしょうか?
もちろん「怒り」という言葉をいろんな意味で使うことは可能で、
感情でない冷静な政治的な外交交渉的手段として(この場合、自分に不服がある、
ということを相手に分からせるという意味)怒っていることを相手に示さなければいけない、
とか、人生にはいろんな状況がありますから、一概に言えない、と言えばその通りでしょう。
しかし私はそんなややこしいことを言っているのではありませんよ。

>>つまり、「自分に正義がある」と思うのがそもそもの間違い。
>仰ることは解りますが、自分が正しいと感じることが侵されたら
>怒るのは当然ですよ。もちろん冷静に「何故怒るのか?」と自分
>に問いかけることは必要ですが、そのような内省を経ても正当だ
>と思えるなら、怒るべきです。

ここの部分にはある程度は同意します(笑)。
キリストだって商人が教会の中に入り込んだとき
烈火のごとく怒って追い出した、といいますから。
あっ、別に私はキリスト教関係者ではありません(笑)。

ただね、阿修羅さん、私の発言をもう一度よく読んで頂きたいのですが、
私は「怒り」を抑圧すべきだ、とか、「怒り」は常にいけないものだ、
とか、「怒り」は悪いもの、無用なものだ、みたいなこことは一言も言っていませんよ。
それを見つめる必要があるでしょう、と指摘しているだけです。

また、上記のとおり、一口で「怒り」といっても、いろんな形の怒りが考えられる訳で
慈悲を持っているが故に怒るということもあり得るわけですが、
そうなったら、表面上は「怒り」の形をとっていても内実は「慈悲」だし、
そこら辺の表出のしかたは人それぞれだから表面の形だけとって
この人いま「怒っている」とは言えなくなるし、
私はそこまでややこしい「怒り」の話をしているわけではないんですけど…。

>「自分に正義があると思うのは
>間違い」と仰っていますが、むしろ問題はそれを暴力などによ
>って通したり、圧力をかけて相手の意見を封殺しようとする行
>為が伴ってはいけないということでしょう。

うーん、ここは微妙ですね。
というか、こういう話しを本気でするつもりですか?
私は応じても良いですが、それならまず「暴力」とはなにか、
ということからはっきりさせないと何も言えないと思います。
というのも私に言わせれば、なにも「筋力」に頼るのだけが暴力とはかぎらないからです。
言葉の暴力というのもあるし、相手の目の前で自分の怒っている様子を見せるだけで
暴力かも知れないし、そもそも誰も傷つけない、
と言いつつ、自分自身を傷つけているかも知れない。
ある意味「怒り」そのものが暴力ではありえませんか?

>「正義」という言葉
>には胡散臭さがありますので私はあまり使いたくありませんが、
>「正しいと思うこと」を持ち、それに従って行動しないのは、
>かえって不幸というべきです。仮に後で修正することになった
>としてもね。大事なことは、常にそれを検証し続ける努力を惜し
>まないことだと思いますが。

ある程度はその通りです。
しかし、どうか冷静になってよく考えてみて下さい。
たとえば私はいま、
「ひよこが卵から孵るには、その卵の殻を破る必要がある」
という話をしているとしましょう。
そこであなたがこう言うわけです。
「卵の殻はひよこを守るために必要で、それを割るなんてとんでもない。
そんなことをすれば中のひよこは死んでしまう」

…状況が分かりますか?あなたの言ってることにも
それなりに正しいところがあるんですが、
私は別のことに言及しているんですよ。

19 :名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 06:51
18のつづき

>>「正義」の名の元にどれだけの争い、虐殺が行われてきたか、
>>歴史を見れば歴然ではありませんか?
>これは、明らかに飛躍のしすぎです。私は「正しいと思う怒り
>なら、暴力も許される」とは一切申しておりませんよ。

飛躍しすぎに感じるのは、上記の通り、あなたの関心の持ち方と私のそれとが
食い違っているからでしょう。
また、「暴力」と言う言葉であなたが何を言おうとしているのか
不明瞭なのでコメント不能です。

>>それよりも、なぜ自分が怒っているのか、その理由を見るよう
>>にするべきです。
>>私の経験では、必ずその背後には勘違いの「正義」があります。
>「怒りの源を見つめる」というのは、確かに大事でしょうね。
>ただこれも場合によりけりで、何かえらく大きな問題を論じて
>おられるように思えます。

何度も申し上げるようですが、私は私の関心のある「怒り」についてコメントしているだけで、
あなたがどう感じようとそれはもちろん阿修羅さんのご自由に、としか言えません(笑)。

>それから「必ず勘違いの正義がある」
>きってのはどうかなあ・・・。まあそういうものもあるでしょうが。

よく読んで下さい。
最初に「私の経験では」と場分けしているでしょう?
私としてはもちろんある程度普遍性があるとは思っていますが、
阿修羅さんにそう思えないからって間違いと決めつけるのは早計なのでは?

>早い話、全く知らない人にいきなり暴言を吐かれたり、暴力を振るわれた場合はどうなりますか?少なくとも「勘違い」ではないはず
>ですよ。ちょっと形式論に陥ったお話をされているように思えま
>すけどね。

形式論?そう読めますか?
私はあくまで自分自身の内的体験談を語っただけですが。
それにいきなり暴言を吐かれたら怒りより先に戸惑いが来るのが普通だと思いますよ。
ただし、これはもちろんその人の生まれ育った環境とかに依るでしょうね。
「怒り」という感情そのものは人類共通ですが、それがどういうときに発現するのか、
というのは文化、環境でだいぶん違いますから。

>あと「悲しみ」、「慈悲」ねえ。こういうのは話としては解る
>んだけど、一般化は出来ないでしょう。私は自分から人にケンカ
>を売ることはそうそうないつもりだけど、殴られっぱなしはイヤ
>ですね。早い話。

ですから私の体験談です(笑)。
しかしながら普遍性はかなりの程度あると思います。
なぜそうなのか?
阿修羅さんに心理学的な素養があればご説明できるんですが…。
あと形式論に陥っているのは阿修羅さんのように思えますが。
たとえば私が
「太陽って東から昇るよね」
という話をしていたら
「いや、そうとは限らない。地球の地軸が逆転して、
明日から西から昇ってこないとも言えないはずだ」
という話をされた気分です。
私は自分自身の体験から、ある程度こういう現象には
普遍性があるのを知っているから言っているんです。

>あと「慈悲」という言葉。私はこういう言葉を口に出すのは好き
>じゃないですね。何も余計な知識を持たずに自然に相手のことを
>許せれば、それで良いと思っています。こういう言葉を何気なく
>使うのは、失礼ながら仰っている「正義」と同じくらい胡散臭い。

好みの問題ならしょうがないんじゃないでしょうか。
胡散臭いのは承知の上です。

>何故なら、「慈悲」という概念も「正義」と同じくその言葉を使う
>人にとっては「自分が正しいと信じている概念」に違いはなく、そ
>れを人に強いるというのは「正義」を押し付けるのと何ら変わると
>ころがありませんからね。

慈悲は感情に根ざした実在的なもので観念ではありません。
もちろん、「慈悲が正しい」という観念を作って、
その観念を押しつけることは可能ですが。

20 :名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 06:52
19のつづき

>15さんの表現を借りれば
>「『慈悲深いキリストの教え』の名の元にどれだけの争い、虐殺
>が行われてきたか、歴史を見れば歴然ではありませんか? 」と
>いうことです。

これも「慈悲深いキリストの教え」がそもそも教えである以上、最初から観念で、
それゆえ「慈悲そのもの」ではありませんから全く的外れな言及です。

たぶん、阿修羅さんにとって、全体に私の書き方が断定的で生意気に読めたんで
気分を害した、というのと、あなたの嫌いな胡散臭い単語を私が臆面もなく使うものだから
こういうレスになったのでしょう(違うかも…また怒るかな 笑)。
ということで以降、この手のレスには返信しませんので悪しからずご了承下さい。

21 :名無しさん:2000/07/23(日) 08:46
>14阿修羅さん 1です
>感情に流さ
>れたりところ構わず怒りを爆発させるのはマズイでしょうが・・・。
>俗な私としては「怒る時に怒ることができる」のも、それはそれで大事なこ
>とのような気がしますが。まず自分の中のこういう部分を認め、それと折合
>いを付けていく方が現実的かつ正しいやり方だと思うんですけどね。

ダライラマ14世がNHKの番組で、心の中の大海は嵐のようになると
きがあるとおっしゃってました(不確かです)。あんなかたでもそうな
んですね。抑えすぎて爆発するよりもコントロールが大切というご意見
は、全くそのとおりだと思いました。「注射」があるといいんですけどね。
以前公園を我が物顔に占領して大騒ぎしている一団が居て、腹が立っ
たんです。文句を言ってやろうかとおもって、近づいたら本物のやくざの
集団だったのですね。一瞬で「いかり」が消えました。自分でも不思議
だった。怒りって強固なものではないんですね。自分に自分が甘えて
許しているのだなあと思いました。
正当な怒りでも、刀を抜かれると収まるというのも事実ですね。



22 :名無しさん:2000/07/23(日) 08:52
>15さん 1です
>そして、怒りのそのエネルギーの源をたどれば、そこには必ず「悲しみ」があります。
>もしも、あなたがその「悲しみ」にたどり着くことができれば、
>「怒り」はやがて「慈悲」に変容することでしょう。

なかなか深いお言葉ですねえ。怒りの底の「悲しみ」というのは
今まで考えてみたことがなかったです。ゆっくり考察してみます。
怒りの元は「不安」だと聞いた事もあります。
私が何かに怒っているとき、その根に「このままではどーなるのだろう」
と言う不安があることは確かですね。しかし家族にあたっているときな
どは不安よりもわがままのような気もします。



23 :名無しさん:2000/07/23(日) 08:57
>17さん 1です
>早い話、全く知らない人にいきなり暴言を吐かれたり、
>暴力を振るわれた場合はどうなりますか?少なくとも
>「勘違い」ではないはず

こう言う経験は一度あるのですが、怒りは起きませんね。
恐怖だけです。怒りは「勝てる」と思ったときしか
沸いてこないです。あとで、ふつふつと沸いてくるかも知れ
ませんが、私にとっては全く異常な人たちだったので
後でも怒りは沸いてきませんでした。ちょっと、例えが違う話
になっているかもしれませんが。

24 :名無しさん:2000/07/23(日) 09:08
>11続きです
5.
>無花果(いちじく)。いちじくは樹にできる。無花果の
>樹には花が咲かない。知らなかったな。
>探しても探しても無花果の樹の林には花がない。
>人生はそんなものだとスッタニパータは言うのか?

比丘は人生には花が咲かないと思い定める。
諸々の生存状態=この世でもあの世でも、どのような生命形態であっても
天にあっても地にあっても、そこには堅固なものはないと見なして
この世あの世をともに捨てる。蛇が殻をぬぎすてるように。

在家のものはそうは思わない、妻も夫も子も(愛人も)家も資産も仕事も
地位も名誉も堅固なるもと見なしてすがりつく。
そう、そう、空だなんて言っても何も捨てられないのが在家のもの。
在家には在家の道があると、仏陀は後の所で教えてくれています。
空=諸行無常が事実であったとしても、心も体もそちらへ動かないのが
在家仏教徒です。

25 :名無しさん:2000/07/23(日) 09:10
>24
>天にあっても地にあっても、そこには堅固なものはないと見なして

キリスト教徒は天には堅固なものがあると思っているのですよ。


26 :名無しさん:2000/07/23(日) 09:13
>16さん
>「正義」=怒り(瞋り)

怒り(瞋り) は不安や弱さからと言う説や(これは経典にあったとおもう)
怒り(瞋り) のもとには悲しみがあるという、話も出てきました。
この「正義」はある意味では「迷妄」なんでしょうねえ。




27 :名無しさん:2000/07/23(日) 16:58
6.内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、、

比丘(出家修行者は)世の栄枯盛衰を超越する。
心に怒りを秘めながら世の栄枯盛衰を超越したかに見える人は
世捨て人でしょうか。まだ能力もあるのにリストラに合い仕事もない。
そんな状態で、超越したと本当に言えたらすばらしいものですが。
そして、仏陀の修行者は、この世の栄枯盛衰超越して、この世とかの世を
ともに捨てる。−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

「殻」と書きましたが原文は「皮」でした。訂正。
さえないコメントでしたね。いちおう6番まできました。

28 :名無しさん:2000/07/23(日) 21:49
7.つぎは想念、イデア、イメージ。
想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、、。

これは、瞑想が必須科目ですね。禅の方おられたら教えてください。
想念は焼き尽くせるものでしょうか。私も瞑想の真似事はしますが、
想念が次ぎから次ぎへと沸いてきます。
瞑想経験者の方〜〜。help me !

想念を焼き尽くした修行者は、この世とかの世をともに捨て
涅槃へと向かうのですね。

29 :名無しさん:2000/07/23(日) 22:23
8.ここから「走っても疾過ぎることもなく、また遅れることもなく」
のフレーズが続く。中村元博士は、修行法の中道であると解釈している。
わたしは、他だ単に馬とか象の進む様子だと思う。
疾(はや)すぎても遅くても目的地にはつけない。長距離走なのだから
飛ばしすぎたらだめなんだね。結局、中道と一緒か!

修行者は疾すぎることもなく、遅れることもなく、妄想をのりこえる。
想念と妄想は違うようだ。妄想は誤ったイデア(アイデア、イデー)
だから。私など妄想が好きですね。妄想を楽しんでいるきらいがある。
修行者は妄想を乗り越えて、蛇の皮のように、この世とあの世を脱ぎ
捨てて涅槃へ向かう。

30 :名無しさん:2000/07/24(月) 09:30
9.「薬」はなに?
怒り、驕慢、さまざまな「毒」を消してくれる薬は何なのか。
この疑問に対する答えが早くも9番ででてきました。
「世間にある一切のものは虚妄(きょもう)である」と知っている
修行者は、、。今の言い方で言うと「空」ですね。

走っても疾過ぎることもなく、また遅れることもなく
「世間にある一切のものは虚妄(きょもう)である」と知っている
修行者は、、。
この世とかの世をともに捨てて涅槃に向かう。


31 :名無しさん:2000/07/24(月) 09:34
「世間にある一切のものは虚妄(きょもう)である」と知っている
修行者は、、。

スッタニパータの第9番詩に早くも、「空」が出ている。
驚きましたね。空は大乗の専売特許だと思っていた。



32 :名無しさん:2000/07/24(月) 10:29
三毒の苦しみ。貪、瞋、痴、の解決について。
10.11.12.と続きます。
貪、瞋、痴、は他人を苦しめますが、実は自分自身を
一番苦しめているんですね。

三毒の苦について、スッタニパータのこんなに始めの部分に
出てくるとは思いませんでした。

33 :名無しさん:2000/07/24(月) 13:46
>31 ふりがなまちがいです。虚妄(こもうでした)


34 :名無しさん:2000/07/24(月) 13:52
10.貪り(むさぼり)を離れる方法。

1)「走っても疾過ぎることもなく、また遅れることもなく」
   ゆっくり着実に。
2)「一切のものは虚妄(こもう)である」と知って

貪りを離れた修行者は、この世とかの世をともに捨てる。−蛇が脱皮して
旧い皮を捨て去るようなものである。

今的に言うと、中道を守り、空を知る修行者は、、ですね。

貪りの心が起こりそうな時は
「一切のものは虚妄(こもう)である」と知ること。



35 :名無しさん:2000/07/24(月) 13:56
11.愛欲について。

愛欲は良い物じゃないよ。いいものみたいな気がするかもね。
でも、友達とか、親!とか、子供、兄弟達を見てごらん。
愛欲は、彼ら、彼女らを苦しめているよ。

11.の文章を誰か考えてください。ヒントは10番詩。

ギャラリー無しの気楽な一人旅〜〜。つづく。

36 :名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 13:59
終わり!!!

37 :名無しさん:2000/07/24(月) 13:59
>35
仏陀は在家信者の夫と妻の関係については肯定しているので、
ここの愛欲は夫婦間のものではない。(在家に関しては)
ですから、婚外の愛欲だね。つまり貪り。あるが上にも
まだほしがる拙い気持ち。

なになに?私の妻じゃ、夫じゃ不充分だ??それが貪り。

38 :名無しさん:2000/07/24(月) 14:04
はじまりの言葉を忘れていました。
前編の最初の言葉です。

「かの尊き師、尊き人、覚った人に礼したてまつる」

仏陀に礼したてまつる人のみが読める本です。その方だけ参加してね。
他の方は読まなくていいんだからね。
岩波文庫 中村元訳 ブッダの言葉 スッタニパータを買おうね!!

39 :名無しさん:2000/07/24(月) 14:06
>38前編ではなく、全編でした。

全編の最初の言葉
「かの尊き師、尊き人、覚った人に礼したてまつる」
これが、仏教の第一歩。



40 :名無しさん:2000/07/24(月) 14:50
「かの尊き師、尊き人、覚った人に礼したてまつる」

11.愛欲を離れる方法
1)「走っても疾過ぎることもなく、また遅れることもなく」
2)「一切のものは虚妄(こもう)である」と知って
愛欲を離れた修行者は、、、。

(1)(2)がやはり「薬」。
「かの尊き師、尊き人、覚った人に礼したてまつる」 も「薬」なのかも。


41 :名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 16:15
聖音オームが抜けている

42 :名無しさん:2000/07/24(月) 16:18
12.憎悪を離れる方法

抜けておりましたが1〜17は 第一 蛇の章です

43 :名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 01:14
近頃続きが書いてないなぁ
もっと読みたいなぁ
本でも買おうかなぁ

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