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正義論

1 :名無しさん:2000/04/19(水) 20:42
正義とは何ですや?
正義論と言えば、最近のリバータリアニズムvsコミュニタリアニズムとか、あるいはロールズとか、何とかあるですね。
皆さんの方で論点やお薦めの本などどんどん書き込むのいいです。

2 :>1:2000/04/20(木) 08:32
正義とはこれ!というふうに一言で言い表せないものがあるよね。
それでもあえていうならば、共時的にも通時的にも普遍妥当性
をもつ道徳概念といえるかな。みなさんの御意見お待ちします。

3 :名無しさん:2000/04/22(土) 01:35
ロールズ『正義論』とノージック『アナーキー・国家・ユートピア』。

4 :井上達夫:2000/04/22(土) 02:10
『共生の作法』『他者への自由』

「善」の諸構想を可能にする「自由」、その前提条件として
基底たる「正義」。

5 :名無しさん:2000/04/22(土) 10:43
日本の人だと、やっぱり井上達夫さんが一番いいのかな?

6 :名無しさん:2000/04/23(日) 04:36
正義とは力!正義とは弱者の妄想。強者の権利!

7 :名無しさん:2000/04/23(日) 08:06
的を射ること。不義は的はずれ。

8 :>6:2000/04/23(日) 14:19
福本伸行みたいだね。

9 :名無しさん:2000/04/23(日) 21:00
力は正義だが、力だけの正義というのは存在し得ない。

10 :名無しさん:2000/04/23(日) 22:26
森村進(一橋大学)の著作が、よいぞ。
 彼は、緑色のスニーカーを履く等、人格的には問題があるし、講義は
面白くないのだが、著作は面白いのだ。 

11 :>10:2000/04/24(月) 03:49
緑のスニーカー履いてるところなんか見たことないよ?
いつも革靴じゃない?
たしかに、教育にはあんまり興味なさそうだね。
研究一筋って感じ。

12 :名無しさん:2000/04/24(月) 13:09
>緑のスニーカー履いてるところなんか見たことないよ?

俺は、確かに一度見た。まだ嫁をもらう前だったと思う。嫁さんを
もらって、ましになったのかもしれん。


13 :名無しさん:2000/04/24(月) 20:36
>7 名前:名無しさん 投稿日:2000/04/23(日) 08:06

>的を射ること。不義は的はずれ。

 そりは、哲学というよりキリスト教神学プロパー
の問題だろうが。ハマルキアでしょ。(聖ヨハネ)



14 :名無しさん:2000/04/24(月) 20:38
 森村進が博士号をとったのは、ごく最近のようだ。教授になっ
てから?
 博士論文は著作になっているのか?


15 :碧海純一:2000/04/24(月) 20:40
>14

 そうみたいだね。

16 :名無しさん:2000/04/24(月) 20:49

http://www.hit-u.ac.jp/law/thesis/h091210a.htm

本論文の内容は以下の通りである。

  第一章 方法序説

  第二章 最近のロック所有論研究書

  第三章 ロック所有論の基本的論点

  第四章 ヒュームとカントのロック所有論批判

  第五章 ロック的但し書きとリバタリアニズム

  第六章 ロック的著作権論
第二に、本論文は、リバタリアニズムの側面からロックの所有論を見直すことによってロックの解釈をさらに深め、ロックの理解をより前進させることに成功した。これはまた、ロックの尽きることのない魅力を改めて確認させるものである。とくに第三章と第五章の記述には著者ならではの識見が見られ、啓発されるところが多い。

17 :渡辺恒夫 :2000/09/10(日) 12:46
正義とは我が読売巨人軍の事である。

18 :名無しさん@1周年 :2000/09/10(日) 12:54
キチガイ風スーパー上げ

ですね。

19 :考える名無しさん :2000/09/10(日) 14:46
正義=弱者のヒガミ

20 :オッカム :2000/09/12(火) 12:29
 正義論か。ロールズってどうよ。格差原理ってどうもねえ。アメリカ人
らしくないよな、ロールズは。やっぱノジックいいよね。ちょっとぶっ飛
んでるとこも萌え。俺としては日本の激バカ政治家どもに「アナ−キー・
国家・ユートピア」読ませたいね、ていうか森や亀井じゃ理解できない
だろうがな。A・センも好き。じっくりと政治哲学を論じる公の場って日
本にはないよな。哲学の素養ある人が政治を論じてる文章って読んでて
快感。でもノジックは「アナ−キー」以来、政治哲学を論じてないよね。
残念。
>2
正義とはこれ!というふうに一言で言い表せないものがあるよね。
それでもあえていうならば、共時的にも通時的にも普遍妥当性
をもつ道徳概念といえるかな。みなさんの御意見お待ちします。

自然法思想か。まあ正義論の出発点として自然法から論じ始める
のが正統派でしょう。ちなみに自然法について知りたい人は
『自然法と歴史』(レオ・シュトラウス著、出版社忘れた)が良い。ただ
自然法思想ってドグマティックになりがちだがな。われわれの日常の権利
感覚などにも訴えつつ論じるのがよろしいのでは。それと経済的効率に
訴える議論も多いな。井上達夫はまだ読んでないけど、面白い?

21 :名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/12(火) 14:23
Nozick! Nozick!

22 :考える名無しさん :2000/09/13(水) 02:02
相変わらず人気ないですね。

23 :考える名無しさん :2000/09/13(水) 02:25
原点に帰ってソクラテスとかは?

24 :考える名無しさん :2000/09/13(水) 10:11
リバタリアニズって、なんか勘違いしたキティガイが
便乗しちゃってたりしてるから、何かヤなんだよね。


25 :考える名無しさん :2000/09/13(水) 16:04
>20さん
ドグマティックになりがちなのは自然法論というよりも、
自然権論と結びついた自然法論だと思います。
またあとでレスします。

26 :バーナード :2000/09/13(水) 17:12
>24
同感。森村進もそうだろう。

>20は知ってることをただ並べて書いただけの馬鹿。日本で社会哲学やってるの
こんなやつばっか。



27 :バーナード :2000/09/20(水) 13:40
>26について。
ちょっと感情的になりすぎて申し訳ない・・・。あんな書き方すると,後
に続かなくなるのかなあ。実は,書き込み直前の教授会でとんでもない人事
関係の話があって腹立ってたの。だから許してね。みんなどんどん書き込もう。

>24 の森村については,「日本一の無責任男」を座右の銘にしていると公言。
リバータリアンは自由は叫ぶけど,いま自分がある政治的位相については無自覚
なのよね。なにもないところから何かを作り上げることではなく,今ある状況
からどうかえるか(変えないことを含む)を考えることが必要では。当然,自分
の社会的位置への視座は念頭に置かないと。

>20についてはやっぱり論外と言うしか。政治や思想を含む分野はただ単に,これ
が好き,あれは嫌い,ということではすまないでしょう。センはロールズを批判的
にであれある程度の評価はしながら,引き継ぐ部分はある。ノージックに対して
はセンもロールズもスタンスは違っている。ノージック自体にしても,彼のいう最小
国家が現実の国家と別物(たしかノージックはその仮想史的手法について言い訳めいた
ことを書いてたような・・・)である以上,すくなくとも『アナーキー・・・』から現実
への規範的主張は出て来ないと言わざるを得ない。このへんの議論は,井上達夫の論文
(の参考文献)でも言及してある。ま,ロールズは嫌い,ノージックは好き,センも好き,という判断
の姿勢自体,へんだよ。それにノージックの国家観は亀井のそれとは,ロールズ,センよりは親近
的だよ。

井上達夫の『共生の作法』は,(私が知っている限りでは)日本の中では一番だろう。



28 ::2000/09/21(木) 20:16
他者が存在しないとすれば
自分が全て自分が真理
自分が絶対自分が正義
自分は神

29 :考える名無しさん :2000/09/28(木) 14:01
>26
森村進がリバタリアンに便乗したキティガイなの?
たとえばどんなところが?
>>27で言ってる事はその論拠たりえないよね。

>28
そういう話じゃないと思うけど。
政治哲学とかのタイトルにして立て直した方がいいのかな。

30 :考える名無しさん :2000/09/28(木) 22:00
案外、カール・シュミットとかどう?

31 :考える名無しさん :2000/09/28(木) 22:52
『バタリアン』ってなつかしいね!!

32 :考える名無しさん :2000/09/30(土) 16:25
「正義は、真の科学によって構成される。」 って言ってた。

33 :某三流大生 :2000/10/02(月) 04:55
ある概念を「正義」=「最善のもの」と定義するならば、その瞬間「それ以外は善
でない(=悪?)」というレッテル張りをしてしまう(つまり「それ以外のもの」
を考えることに不自由を与える)ことになっちゃうから、「自由」=「種々の意見
を言うことの出来る状態」ってコトになるんじゃないだろうか?んで、それを保証
するためのマナーが「正義」なんだ…ってのが『共生の自由』の(途中までの)内
容でいいの?
もう一回くらい読まんと、面白すぎて内容をつかみきれない。。。

以下は全く関係ない話で申し訳ない、興味なければ放置してくれ。
過日、偶然井上達夫先生にお会いする機会を得たが、なんで彼は
あんなにモミアゲを伸ばしているのか?趣味なのかな?
ご存知の方のみ、是非レス募集。。。


34 :考える名無しさん :2000/10/02(月) 04:57
モミage

35 :考えてる気味の名無しさん :2000/10/02(月) 06:55
『オバタリアン』ってなつかしいね!!!



36 :>33 :2000/10/17(火) 17:56
>33

正義=最善のもの
という定義は、普通の定義ですか?
ロールズにおいては、正は善に先立ちます。
この意味わかりますか?


37 :33 :2000/10/18(水) 03:54
>36
レスありがとうございます。
要するに、ロールズはカント主義的である、ということでしょうか?


38 :カニチャン :2000/10/18(水) 05:43
>37

ロールズが厳密な意味でカント主義者かどうかは、
ちょっと難しい問題です。
しかし、ロールズは『正義論』では、正義の原理は義務論的理論であると、
標榜しています。

問題は、ロールズが義務論的理論として正義の原理をどこまでうまく基礎づけているのか?
最終的には、規則功利主義の立ち場に帰着すると思われるので、
基礎付けには失敗していると思われます。

ただし、カント主義の一変種であるとしてロールズを読むと、
正義論後の仕事の展開がよく分かるようになります。

ロールズがカント主義者かどうかは、ひとつの面白いテーマではあります。
簡単には答えられない。



39 :正義論素人 :2000/10/20(金) 02:06
質問です。
一般に「正義論」というのは何を論じる学問なのでしょうか?
もし「正義」概念の意味論であるなら、各論者が「私はこう定義する」と言えばそれですむでしょう。
また、そうした「正義」定義に基づき、それが実現される条件を論じるというのであれば、
公共経済学や社会政策論に吸収されるように思うのですが、いかがでしょうか。

40 :考える名無しさん :2000/10/20(金) 16:56
>「私はこう定義する」
それですめば学問はいらん

41 :考える名無しさん :2000/10/21(土) 00:07
>それですめば学問はいらん

まったくだ。
「私はこう定義する」 で止まってりゃ、人々の衝突は不可避だし、
それじゃなくても現実に衝突してるわけだから、
学問で整理をつけて、落しどころを探ろう、とか、
よりよい方法とかを見出そうとかするのは、自然な成り行きじゃないかな。

公共経済学や社会政策論に従属させる正義論じゃ、いかにも恣意的になりかねないし
(もちろん、そちらからのアプローチの有用性を否定するものではないし、必要だろう)
倫理的な源泉を持つ「正義論」が、とりあえずでも先行するのは、
自然なことだと思うが、いかがか。

42 :カニチャン :2000/10/21(土) 01:45
>39
ロールズの『正義論』は、
正義が実現される条件を論じているのではありません。

ロールズが論じているのは、
我々が正義ということを問題として論じることができている事実を
どう説明するのか?
という問題を扱っています。

つまり、我々はどうして正義ということを問題とすることができるのか?
これがロールズの追求しているテーマです。

>41
正義の概念の内実をどう定義するのか、
何をもって正義とするのか?
この問題は、恣意性を逃れることはできません。
そこで、カント以降の倫理学では、形式主義という手法を取ります。

ロールズの場合は、正義の原理を決定する際の手続きの公正さをもって、
正義としています。
こうした流れが、形式主義です。

これに対して、アマルティア・センは、何の平等なのか?
という問いをロールズに対して発し、実質的な正義を論じています。
こうした議論は、新アリストテレス主義といわれる議論の流れにあります。

公共経済学、社会政策論が一般に用いているのは、功利主義の議論で、
これは善の概念を快楽に一元化する点に問題点があるといわれています。

このくらいでいいですか?




43 :41 :2000/10/21(土) 01:53
>42

OKです。Good job!

44 :正義論素人 :2000/10/22(日) 03:07
>42
ていねいなレスありがとうございます。

>ロールズの『正義論』は、正義が実現される条件を論じて
>いるのではありません。
>ロールズが論じているのは、我々が正義ということを問題と
>して論じることができている事実をどう説明するのか?
>という問題を扱っています。

世間に普及している言葉であれば、そのイミや性質をめぐって
複数の人が論じることが「できる」のは当然のような気がしますが。
「世間ではこういうふうに使われている」「この文脈ではこう使うべきだ」
「私はこの文脈ではこう使う」というふうに。
私は「定義論」をいちがいに否定しませんし、41さんがおっしゃるように、
それはそれで「学問で整理をつけて、落しどころを探ろう、とか、
よりよい方法とかを見出そうとかする」ためには、
かかせない作業だと思っています。

>正義の概念の内実をどう定義するのか、
>何をもって正義とするのか?
>この問題は、恣意性を逃れることはできません。

だからこそ、そこから先の議論が必要になるわけです。

>ロールズの場合は、正義の原理を決定する際の
>手続きの公正さをもって、正義としています。
>こうした流れが、形式主義です。

形式的に書きます。
任意の性質xについての原理の決定手続をPxとすると、
{(x=正義)∧(Px ∈ 公正である)}⇔(Px ∈ 正義)

これでは循環定義です。

>公共経済学、社会政策論が一般に用いているのは、
>功利主義の議論で、
>これは善の概念を快楽に一元化する点に
>問題点があるといわれています。

それは学問の「方法」に問題があるのではなく、
「善」の定義によります。
たとえば公的年金保険料の引き上げは、
多くの個人にとって「不快」だが、そうしない場合より
「快適」な老後を送れるかもしれない
(私はこの策には反対ですが)。
理論と政策は同一ではありません。




45 :考える名無しさん :2000/10/22(日) 06:20
>カニチャン
人間は「目的自体」ってことっす。

46 :蟹さん?( ● ´ ー ` ● ) :2000/10/22(日) 19:01
蟹さん?( ● ´ ー ` ● )

47 :カニチャン:2000/10/24(火) 17:15
>44

よく分からないところもありますが、
形式主義を誤解されているようなので説明します。

「善」をどう定義するのか?
これを諸個人の自由に任せようというのがリベラリズムです。
功利主義のように「快」をもって善を定義することも可能ですが、
これは「善」を「快」として定義するので、
ある意味「快」の一元論であるといえます。

「快」としては定義されない「善」の内実もあるといえるのではないでしょうか?
公的年金保険料の引き上げの問題に関していえば、
「不快」であれ、「快適」であれ、それは「善」の概念を「快」として定義し、
「快」の数量比較をしているのであって、
「善」の定義をある意味、勝手に「快」として定義しているわけです。

「善」の概念に伴う恣意性の問題はここにあります。
「快」に還元されない「善」の内実もあるのではないでしょうか?

そこで、45さんが書き込んだような、
「目的自体」としての人間の定義が出てくるわけです。
これは、カントの言葉ですが、
人間が目的自体とは、自分は自分がなりたいものになる、あるいは、
人間とは何かを、人間が自分で規定するということです。

「善」の概念を形式的に扱う利点は、個人の多様性を認める点にあるのであって、
「善」=「快」の一元論に陥らないための工夫です。

もちろん、こうした形式主義にも問題はあります。
特に制度改革などにおいて、ラディカルな政策を行おうとする人の立場からみると、
形式主義は、ある意味保守的な様相を呈してきます。

ただ、考えるべきは、現代において、「善」の内実を、官僚が一元的に決定して、
そのことで制度改革をすることが意味があるのかということです。

結論から言うと、善の概念の規定をめぐって、
絶えざるコミュニケーションが必要だというしかないのではないでしょうか?
このコミュニケーションの必要性を説明するのが、まあ、ロールズであったり、
ハーバーマスであったりするわけです。
そして、それが形式主義の倫理学です。

ちょっと長くなりました。ごめんね。

>45
ひょっとして、プロパー???
たぶん、そうだよね。

就職とか大変そうだね。
僕も大変、お互いがんばろう。>all(関係ない話してごめんなさい)



48 :正義論素人:2000/10/26(木) 02:34
引用が長くなるけどゴメンネ。

>公的年金保険料の引き上げの問題に関していえば、
>「不快」であれ、「快適」であれ、それは「善」の概念を「快」として定義し、
>「快」の数量比較をしているのであって、
>「善」の定義をある意味、勝手に「快」として定義しているわけです。

私の言い方がズレていました。私が言いたかったのは、
あくまで「善」定義と、それに基づく理論や政策との独立性です。

そもそも「善」=「快」とすべきでないとする理由は何ですか?

>「善」の概念に伴う恣意性の問題はここにあります。
>「快」に還元されない「善」の内実もあるのではないでしょうか?
>「善」の概念を形式的に扱う利点は、個人の多様性を認める点にあるのであって、
>「善」=「快」の一元論に陥らないための工夫です。
>もちろん、こうした形式主義にも問題はあります。
>特に制度改革などにおいて、ラディカルな政策を行おうとする人の立場からみると、
>形式主義は、ある意味保守的な様相を呈してきます。

「形式主義」「形式的」という語を使う意図が分からない。
あなたの「正義」定義を私が形式論理的に表現したのは、
「形式主義」の解釈とは無関係です。

「善」=「快」としないなら、あなた自身は「善」をどう定義しますか?
ただし、この前の循環定義でないやり方で。

私自身は、「善」は、明示的かつ普遍的な意味では定義されない
「無定義語」とみなすべきだと思います。
なぜなら、それが「価値概念」である限り、
外延の決定はそれを用いる者の価値判断に
従属せざるを得ないからです。

一方、「自分で自分を規定できること」というふうに
客観的に定義したとしても、
では、そう規定できない人、たとえば
幼児や精神障害者などは「非善」とみなせばよいのか、
(だからどうなんだ!)という話になります。

ですから、最初に戻りますが、
「正義」が「善」という価値語を含意する限り、
それ自体の意義を論ってもおもしろくない、ということです。
もし「正義論」で前進的な問題移動を生じうるとすれば、
それは、各論者が「正義」とする原理なり状態が、
いかに実現されるか、あるいは実現された場合の
意図せざる帰結(たとえば自己規定可能性の増大と、
その帰結としてのidentity crisisなど)にどう対処
するかという議論でしかない。つまり、
正義論は事実判断としての(広義の)社会政策論
に帰着する、というのが私の考えです。

49 :考える名無しさん:2000/10/26(木) 17:35
ほら、かにちゃん出番だよ。

50 :考える名無しさん:2000/11/12(日) 23:29
.

51 :考える名無しさん:2000/11/15(水) 02:52
森村進の新著が講談社現代新書から2001年2月頃に出るのでよろしく。

52 :考える名無しさん:2000/11/15(水) 03:31
カニチャン、敵前逃亡して逝ったきりかい(藁

53 :カニチャン:2000/11/19(日) 01:26
こんばんは。

カニチャンです。
カニも、カニなりに忙しいのです。
高校の期末試験の問題を作ったり、
学会発表したりで。

しかも、カニ歩きですから、時間がかかります。
そのうち、また登場するので、お許しを。



54 :名無しさん@1周年 :2000/11/20(月) 21:05
>51

 題名は何ですか? 後ろに顔写真とか載せるのか? ところで,ロールズの解説
書の共訳者の「森村たまき」って奥さんですか?

55 :考える名無しさん:2000/11/25(土) 03:42
>54
ロールズの解説書ってどの本ですか?

56 :名無しさん@1周年:2000/11/25(土) 14:33
ロールズについてなら、
川本隆史なんかはどうなの?

57 :現実:2000/11/25(土) 16:44
講談社の本ですね。
個人史や、主張著作ダイジェストは便利でよかったですが、
主張内容の解説のところは、いきなり読むと結構わかりにくいです。
(俺にあわなかっただけかもしれないけど)

同じ川本さんなら、岩波の「新哲学講義」の六巻のほうが
導入には良いのでは。ちなみに七巻では井上達夫さんが書いてます。
『現代倫理学の冒険』は読んでないんで謎

川本さんの文章、アクがあるような気がする。。。

58 :名無しさん@1周年:2000/11/25(土) 17:02
54 を書いた者です。

勘違いでした。ノージックの解説書「所有・正義・最小国家」でした。
ケイソウ書房

59 :51:2000/12/02(土) 05:46
>>54さん
題名はわからないです。すいません。
内容はリバタリアニズム入門です。
たまきさんは奥さんです。

60 :60:2000/12/05(火) 17:40
できれば、価値相対主義の(否)限界について論じていただきたいのですが・・・。

61 ::2000/12/06(水) 12:40
私が知っている限りで、最も手軽な正義論入門書なら、
森末伸行−マルクス主義者?−氏の『正義論概説』中央大学出版部
が読みやすいかな。文章が平易です。
これ読んでから、川本さんの読むといいのかも−私は逆だったけど−。

>現実さん
>『現代倫理学の冒険』
前半部分は、功利主義からアマルティア・センまでを駆け足で追っていく。
後半部分は、応用倫理学系です。面白かったけど入門書としてはいまいちかな。

>60さん
実践的価値相対主義者が、寛容を否定するような相手にどのように振舞うべきか、とか?


62 :60:2000/12/06(水) 17:41
猫さんへ
私の浅知恵では、価値相対主義は批判はできても建設的な法議論ができないと思い込んでいます。
一方で、価値相対主義も何らかの価値判断を孕まざるを得ないという意見もある?
専門外なので何ともいえませんが、正義という概念が時としてアメリカの他国に対する権利侵害といった状況をを引き起こしていると思う(アメリカの正義=利益とも取れなくないですが)と
価値相対主義が果たせる役割ってなんだろうと思っているわけです。
なんだかまとまりのない文ですいません。価値相対主義の紹介と批判を試みている本を教えていただければとも思います。
帰国の際に購入しようと思います。


63 ::2000/12/06(水) 19:30
>60さん
とりあえず私の知っている限りで。
価値相対主義の紹介であれば、加藤新平『法哲学概論』(有斐閣)が100ページほど
価値相対主義に当てています。
価値相対主義から民主制の正当化を導き出したとされる著作としては、
ハンス・ケルゼン『デモクラシーの本質と価値』(岩波文庫)
−只、二冊とも今は手に入りにくいかも−があります。
価値観は人それぞれなんだから、お互いの利害を摺り寄せるしかない、
つまり妥協ですね、で、妥協が最も機能するのは議会制である、と。
同時代の法哲学者ラートブルフも似たようなことをいっています。
ただ、ケルゼンは、-60さんの指摘されるとおりというべきか−
価値相対主義「のみ」から、民主制の正当化を導き出しているのでは
なく、実際には「自由」という価値理念が基礎となっています。
あとは、このスレではすでにあがっていますが、井上達夫さんの
『会話としての正義』(創文社)が相対主義を正義論構築の論敵のひとつと見定めています。

多分、60さんの仰っていることは正しいと思います。
価値相対主義からは寛容という−積極的?な−価値が導き出されるという主張が
しばしばなされますが、実際には認識論上の価値相対主義から、実践上の価値相対主義を導き出すことは
おそらく自然主義的誤謬なのではないか、少なくとも、両者を架橋するには
相対主義以外のほかの何か、が要求されるのは間違いないと思います。
せいぜい価値相対主義がなせるのは、相手の嫌がることはしないでおこう程度の
認識を高める程度のものに過ぎないかな。

64 ::2000/12/06(水) 21:03
自己レス
>井上達夫さんの 『会話としての正義』(創文社)

これ、副題でした。タイトルは『共生の作法』です。すみません。

65 :60:2000/12/07(木) 05:54
猫さんへ
早速のレス有難うございました。
自分の立場としては、幾分価値相対主義の考え方の方に同情の感を持っています。
紹介された本を参照して、じっくり考えてみたいと思います。
有難うございました。


66 :>1:2000/12/07(木) 14:20
正義とは搾取に対する正当性を求める偽善的な勝者の理論です
そして人は常に自分を勝者の側に考えたがります

67 :>66:2000/12/08(金) 23:48
正義とは、搾取をおこなう体制を転覆する革命を正当化する
ための論理でもあります。


68 :考える名無しさん:2000/12/10(日) 02:37
なんでノジックが今時日本で流行るのか理解できん。
もう何年前よ?

69 :考える名無しさん:2000/12/17(日) 07:29
20年前くらい?
その頃読んだ人がいま偉くなって布教してるのでは?

70 :考える名無しさん:2000/12/19(火) 12:14
なんか痛いんだよな.ノジックに入れ込んでるやつって.

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