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皇統の潔白について

1 :日本@名無史さん:2001/02/25(日) 17:26
雅子様は処女じゃなかったの事実だが、皇太子殿下の前に何人の男性と肉体関係を持っていたのか?

♀の少ないエリート層(ハーバード大、東大、外務省)の中で、従エリート慰安婦としての快楽はいかほどのものであったのか?

皇太子殿下が『不能』に悩んでいるのも、雅子様の下半身がかなり汚れていらっしゃった事実が原因ではないだろうか?

日本国民全員に今こそ呼びかける!

1:カタログ調達の弊害=皇太子殿下を苦しめた雅子様の性交遍歴を明らかにせよ!

2:再婚相手にふさわしい純潔の処女を皇太子殿下に提供せよ!

208 :日本@名無史さん:2001/03/25(日) 16:38
雅子コピペあらしさんは、新井(本人)ですか?
それとも、偽新井(新井のふりをして面白がる人)ですか?
どっちにしても迷惑このうえないが。

209 :日本@名無史さん:2001/03/27(火) 23:29

誤 爆 警 報 発 令

210 :日本@名無史さん:2001/03/27(火) 23:30
誤 漠 警 報 発 令

211 :鳥籠姫:2001/03/27(火) 23:59

泣いてごらん Cuckoo きれいな声で
ぼくのことを愛していると
いとおしい小鳥 きみはぼくだけの
いつもそばで 歌っておくれ

やさしくささやく あなたの声が
今も確かに きこえるけれど
それは海からの風が運んだ
どこにもいない人の幻

長い長い孤独の時
帰らぬ人を 待ちつづけて

わたしはわたしを ここに閉じこめた
柳の枝で編んだ鳥籠
もう誰もわたしの 背中のねじを
巻いてくれる人もいないのに


212 :鳥籠姫:2001/03/27(火) 23:59

泣いてごらん Cuckoo きれいな声で
ぼくのことを愛していると
できるならきみを この籠の中
鍵をかけて 閉じこめたいよ

あなたの願いはどんなことでも
すべてかなえてあげたかったの
だけど願いだけ ここに残して
あなたは消えた 永久(とわ)の旅へと

海の見える 丘の家に
時間だけが 静かに積もる

わたしはわたしを ここに閉じこめた
柳の枝で編んだ鳥籠
わたしを作ったあなたの海に
帰るその日を ひとり待ちながら



213 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:01
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行

 ◆悩み、迷いを乗り越え
 皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
 お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
 雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
 プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
 お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
 しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
 雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
 どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
 また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
 この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。


214 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:02
雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起

皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
(中略)
 これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
 ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
 「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
 特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
 皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
 日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
 最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。

http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html

215 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:02
雅子妃35歳誕生日会見

Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。

 A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)

http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/index.html
http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg

216 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:02

Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。

 A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。

 それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。

 http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html


217 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:02

Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。

 A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。

 それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。

 それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。

 http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako98/02.html

218 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:02
雅子妃36歳誕生日記者会見

問3  ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。

皇太子妃殿下  確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
 それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。

http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html


219 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:02
問4  今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。

皇太子妃殿下  今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
 ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
 皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。

http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html

220 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:03
皇太子妃雅子さま誕生日前記者会見 (2000年12月7日)

問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。

答  国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
 そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
 その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。


221 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:03
平成6年歌会始お題「波」

皇太子殿下お歌
 我が妻と旅の宿より眺むればさざなみはたつ近江の湖(うみ)に

雅子妃殿下お歌
 君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る

平成12年歌会始お題「時」

雅子妃殿下お歌
 七年(ななとせ)をみちびきたまふ我が君と語らひの時重ねつつ来ぬ

◇平成13年(2001年)歌会始お題「草」

雅子妃殿下お歌

 君とゆく那須の花野にあたらしき秋草の名を知りてうれしき

http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
http://www.shufu.co.jp/magazine/kousitu6/images/wata6_l.gif

222 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 00:03

スポニチ

 皇太子妃雅子さまは9日、37歳の誕生日を迎え、これに先立ち東京・元赤坂の東宮御所で記者会見された。昨年末の流産について「国民の皆さんの期待もある中で、結果は残念に思っています」と感想を述べられた。その上で「非常に早い段階から報道が過熱したことについては、戸惑いを覚えたのも事実です」と報道の在り方に疑問を投げかけた。一方「皇太子殿下は常に深い思いやりで私を包み支えてくださいました」と振り返り「国民の皆さんの温かいお気持ちに深くお礼を申し上げたい」と、同じ体験を持つ多くの人から励ましの手紙が届けられたことを明らかにした。

http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2000/12/09/03.html

223 :日本@名無史さん:2001/03/28(水) 07:16
新井の醜いコピペ晒し上げ。

224 :日本@名無史さん:2001/03/30(金) 22:32
そういえばもうすぐ御誕生日だそうです
みなさんおいわいしましょう

225 :日本@名無史さん:2001/03/30(金) 23:03
お祝いしましょう。誕生日はそれだけ棺おけに近づくということだからね。
もちろん妊娠・受胎の可能性も減るしね。めでたいことだよ。

226 :日本@名無史さん:2001/04/03(火) 20:09
ところで誰の誕生日なのよ?

227 :日本@名無史さん:2001/04/12(木) 04:03
さーや?

228 :日本@名無史さん:2001/04/12(木) 07:04
中年女相手じゃ、チンポも立たんだろ(わら

229 :日本@名無史さん:2001/04/18(水) 19:51
だいじょうぶですよ
愛が結晶を育んだのです

230 :日本@名無史さん:2001/04/27(金) 21:29
>>227
1969年の4月18日お生まれです。

231 :日本@名無史さん:2001/05/18(金) 17:53
まだ中年ではなく青春まっただなかだと思うぞ

232 :日本@名無史さん:2001/05/18(金) 18:02
まあ中年ではないけどさ。

233 :日本@名無史さん:2001/05/26(土) 21:15
貰い手ないの?

234 :日本@名無史さん:2001/05/26(土) 22:32
そういや、紀宮女帝の可能性を説くと色をなして反論し、
あげくのはては、サーヤの話題を振るやつはブサヨク(わら)
って、きめつけるやつがいたなあ。
だれって? それはここのコピペ魔のことだよ。

235 :日本@名無史さん:2001/05/26(土) 22:33
新井くんのこと?

236 :日本@名無史さん:2001/05/28(月) 03:11
会見とかで自分がアニヲタだってことはカミングアウトしてんの?

237 :日本@名無史さん:2001/05/28(月) 03:39
北条家の家臣大道寺繁の子孫は、末子が津軽藩の家老職として奉職。
以後維新まで続く。

鍋島家の子孫は、現在有田焼を一手に扱う商社の社長。

伊予大洲の加藤家も、蜂須賀家と同じ最後の当主が女性で嗣子無し。
現在東京赤坂在住。

筑後久留米の有馬家の子孫有馬頼寧(よりやす)は、戦後JRAの理事長となり、
「中山でもダービーを!」と中山グランプリなるレースを創設。
昭和32年に急逝後、同レースを「有馬記念」と改名した。
その子、頼義(よりちか)は、昭和29年「終身未決囚」で直木賞を受賞。
以後、松本清張とならぶ社会派推理小説の第一人者として活躍。昭和55年没。




238 :日本@名無史さん:2001/05/28(月) 03:40
>237

わり、スレ違い。逝ってきマス・・・(;´д`)

239 :日本@名無史さん:2001/05/28(月) 09:39
雅子様誤解人と言っても2度目は人工授精で入江の子ダネなんでしょ!

240 :日本@名無史さん:2001/05/28(月) 12:46
>>239
つまらん煽りはやめろ。

241 :日本@名無史さん:2001/06/02(土) 04:06
女の子だったら婿入りします!

242 :日本@名無史さん:2001/06/02(土) 05:27
>>241
お断りいたします。

243 :日本@名無史さん:2001/06/02(土) 07:50
入江って誰?

244 :日本@名無史さん:2001/06/02(土) 12:14
適当に言ってるだけ。

245 :日本@名無史さん:2001/06/05(火) 10:58
朝鮮時代からずっと万世一系です。

246 :日本@名無史さん:2001/06/07(木) 21:34
マジ?

247 :これが新井臭吉:2001/06/07(木) 23:28
川端川三三
   彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン    ________________
  ‖|‖ 、 ---, |〜 ヤマト   / >おーる
  川川‖    3  ヽ〜     < でたな、この横恋慕オヤジ!!
  端川   \ д   /〜       \東京新聞の記事。アインシュタイン皇室を語る____
  薫川    | 0 | く天皇陛下万歳!!
  盗川‖ クサ〜 /   21世紀は眞子女帝の時代 \__/‖
奇化端/       \継体天皇は女系天皇__
  /| キ|  差    __ ニンニク
SM| |ム |   別  ロリ 腹話 自爆
朝 / |チ |_ 変態 三国人=西国人 同和 ヒキコモリ
鮮| \__⊃ コヴァ 外省人 アンチ中田 無職
ウリナリマンセ〜マンセ〜マンセ〜マンセ〜 大河ドラマヲタ




248 :本物の新井臭吉 :2001/06/08(金) 03:26
     川端川三三
   彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン    ________________
  ‖|‖ 、 ---, |〜 ルーシー〜  / >おーる 空白コピペでも食らえ!! 試験管ベビーである!!
  川川‖    3  ヽ〜     < 俺が横恋慕オヤジ!!アインシュタイン皇室を語るは困る!!
  端川   \ д   /〜       \____
  薫川 臭吉 | 0 | く天皇制反対!! 21世紀はアズマの時代!
  盗川‖ クサ〜 / 妄想大好き! 明治天皇は大室寅之祐!
 川聴川川\__/‖味方がいないので一人3役
奇化端/       \__
  /| キ|  差サ   __ ニンニク
SM| |ム |   別ヨ ロリ 腹話 自爆 鹿島ヲタ
朝 / |チ |_ 変態 三国人=西国人 同和 ヒキコモリ
鮮| \__⊃ アズマ 外省人 アンチ中田 無職
ウリナリマンセ〜マンセ〜マンセ〜マンセ〜 大河ドラマヲタ 自作自演


249 :日本@名無史さん:2001/06/11(月) 18:24
あーそう

250 :日本@名無史さん:2001/06/18(月) 22:46
弥生人が大陸から渡ったのではないですよ。
大陸・半島から渡来人が、やってきまして、先住民の縄文人との間で混血が進み
その上で弥生人が発生してきたと申し上げているのです。

ちなみに三王朝交代説の継体天皇から現在まで脈々と続く天皇家は、渡来人系の
可能性はあると思いますよ。
今でこそ日本は太平洋側が発展し、日本海側は未発達のイメージがありますが、
歴史的経緯から見れば、渡来人は朝鮮半島・大陸経由で渡ってくるのですから
長崎の有明海・福岡・島根県(出雲大社あり)そして福井県若狭の名田庄・小
浜という土地は仏教に由来のある場所ですし、大陸から渡来する人々の重要ル
ートでしょう。一説に仏教は百済から小浜・名田庄を経て近江−奈良に入って
きたとも言われています。
半島から海を渡れば日本海側の何れかの土地に漂着するのは自然でしょうね。
また、継体天皇は現在の福井県の三国町の出身と言われていますし、渡来人が
現在の三国港にたどり着き住み着くというケースは考えられると思いますよ。

騎馬民族襲来説は個人的には受容できません。
もっと長い年月をかけて縄文人との混血が進み弥生人が生まれてきたと考えております。
ただ、天皇陛下が朝鮮系だとか、そういうことはどうでも良いですよ。
なにしろ千年以上も前の話でしょう。
たとえば有田焼=伊万里焼など北九州の焼き物のルーツは、秀吉の朝
鮮出兵のおりに半島から連れてこられた陶工陶工の李参平(りさんぺい)
にルーツがあるのですから、現代の窯元の先祖は云々という話にもなり
かねませんしね。
唐津焼きのように、ルーツは室町時代の日本人にあっても、文禄・慶長の役以降に
同じく朝鮮から連れてこられた陶工によって発展したものもありますし。

以下参考までにエンサイクロペディアから転載しました。名田庄村について
若狭国でもっとも京都に近い村であり、奈良時代から1600年(慶長5)まで、
土御門家(つちみかどけ:安倍家)が管領する泰山府君(たいざんふくん)の
神領地であり(→ 陰陽師)、朝廷と幕府の庇護のもとにあったという。村内
の暦会館には、古暦や陰陽道、土御門家に関する資料が展示されており、
安倍晴明(あべのせいめい)画像などがある。

251 :日本@名無史さん:2001/06/21(木) 21:50
皇統は怪しいですね

252 :日本@名無史さん:2001/06/24(日) 16:44
新井がコピペ貼ってるなあ。

253 :日本@名無史さん:2001/06/25(月) 06:08
また新井かあ

254 :日本@名無史さん:2001/06/27(水) 21:26
朝鮮王朝マンセー!

255 :日本@名無史さん:2001/07/08(日) 01:14
強力な将門新皇あげ

256 :日本@名無史さん:2001/07/20(金) 03:33


257 :日本@名無史さん:2001/07/27(金) 00:23


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